ベルクソン『物質と記憶』第四章における二重の還元 : 知覚の運動性と物質
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(2) 81. い︵ 目目 -Nご o。﹁凝縮による具体的知 覚 ﹂が生成したのである。﹁締約﹂. 粋持続﹂の宿している流れ去ること そのことの﹁連続﹂にほかならな. ︵ 目目 ・Nま︶が﹁無媒介の直観・に﹁現出・する。この﹁連続﹂は﹁ 純. が、﹁実在する本体の運動する連続 の0由こ円 目Ⅱ 目 こ日 かOE く曲 コこのⅠ E Ⅱかの ︶. 本体﹂あるいは﹁分割されざる連続 の0臣曲目岸ぎかⅡ 臣隼レ由のかの 貧﹂ 円ヴ 日め0ど. の仕方とその意味は﹁社会的﹂でも ある︵口目、の oダ NoS 。. なわち同様の身体習慣を身につけて いるかぎり、諸対象の﹁限定﹂. ︵4︶さらに、人々の間でそれを利 用する仕方が類似するかぎり、 す. る﹂という表現は、こうした移行の 可能性を背景に具えている。. 日立のレ ︶ヴ の﹂である︵良目口、お 下-Ne o。したがって﹁分割されざ. なら、極限においては﹁分割され ざる﹂当のものも﹁分割 吋能. 一四. と﹁弛緩﹂は、この生成を支えるも のとして、当の生成してきたもの. ︵5︶一般に名詞が空間表現に適し ているのは、こうした知覚対象の. 隆. のうちに見出される。流れ去ること そ ㈲ことは﹁張り緊 め﹂られるな. 記珪化と軌を一にする。知覚対象の 記号的な性格と言語の記 サ的. 宮崎. かで﹁張り拡が﹂るのである。質の 独自性は﹁記憶力﹂に起因する。. な性格は、有用性および習慣的行為 という同じ根から発している. ベルクソン円物質と記憶し 第川 章における,市 の還元|知 党の運動性と物質 @. しかし質が運動として存在すること は 物質の﹁流れ去ることそのこと﹂. のである。. 帖-. め れ Ⅰ. は て 口口. む. 若月 ィ. い 点 ,、、. 牽. の. の. イ. 書. 呵. タ. 物. 拝 C. リ. の. 、ソ. 頁 さ. の む. 簿め. 参照。なお、カンディンスキ. 日カンディンスキー著作集 L2 、西田秀穂 訳、美術出版社、二. は︶したがって日空色目などが有し ている浮遊感は垂直線の優位だ. Ⅱ︶同所。. ㏄︶回書、一二 セl一 ,七頁。. O00 年 、六一 |五頁参照。. 9︶. 覚 ﹂﹁崩壊の時代に口所収、同時代社 、二 00 二年。. 1 の理論については、以下の拙論で 少し扱った。﹁美的な体験と知. O00 年 、九上 !六、一 0五二二頁. 8︶㍉カンディンスキー著作集しⅠ 、西田秀穂 訳、美術出版社、二. 科学部紀要 U、ヒo.。 uNoo。 0. ルクソンにおける身体習慣形成の吋 龍佳﹂、横浜国立大学教育人間. 7︶﹁運動性﹂については、たとえ ば 以下の拙論で少し触れた。﹁べ. 限られる。この点は ム,は 措く。. ルターによって選択され、その想起 は現在の状況に利するものに. ﹁記憶化したイマージュ 日丘geの . ou く0ロオ ﹂はいわば身体の ブイ. ︵6︶これに対して べ ルクソンは﹁第二の選択﹂を付け加えている。. に 起因する。 " Ⅰ 且 三. Ⅰ、. ト Ⅰ て. 若干. -Q め. の 介. 中 八々 -@@. CT1 ・. 卜. る. Ⅰ 上. 2 3 水害・J. あ.
(3) 性的側面を構成する。実際、﹁感覚質 ﹂は無数の﹁純粋知覚﹂を﹁縮約﹂. り拡がり﹂という方向性となって﹁ 現出﹂している。それが知覚の客. れ去ることそのこと﹂は、﹁凝縮による具体的知覚﹂においては、﹁張. ﹁物質﹂はその﹁傾向﹂として、﹁ 張 り 拡が﹂ろ うとする。物質の﹁流. そのこと﹂である。﹁私は一挙に物質的世界一般のなかに身を置く﹂. に特定のリズムを具えている物質で あり、当の物質の﹁流れ去ること. 立たせる︵目旨 ・ひ0@ こ。ただし事実上 は、われわれが利用するのはすで. pro巨 Hお oⅡ記憶力の努力﹂が知覚の 占める﹁或る一定の持続﹂を成り. 掠を次々と繰り込んでゆく に合一する。﹁多くの時間契機目。 日の口. われのものと成って生成する。﹁記憶力 ﹂が﹁流れ去ることそのこと﹂. することに起因するのであった。 なるほど一切の﹁記憶力﹂が排除さ. ︵ 旨目 ・Aコ。こうして生命体が発生す る。﹁張り拡がる連続のただなか. ト くの﹂旨 ︵旨 -Nの o -ぎ ㊥である。 きx 目の り拡がろうとする傾向きコⅠ笘コ cee. れるなら、﹁張り緊 め﹂を失った運動性 はただただ﹁弛緩﹂して﹁連続﹂. に行為の中心﹂たるわれわれの身体 を 置くなら︵旨目 ・N 簗Ⅰ流れ去る. 自の リズムを有した身体が発生する 。身体も﹁イマージュ一の一つで. ことそのことは、生ける持続の りズ ムにおいて、身構えの内面に留め. したがって記憶力と物質との交流に ついて以下のように﹁再構成﹂. フる身体、﹁精神の上において﹂ 或 ある。﹁精神に対する関係﹂を持ち-. を 欠く以上、﹁純粋知覚﹂と同様に. することができるだろう。まず﹁ 流 れ去ることそのこと﹂たる運動の. o。他方で流れ る ﹁役割﹂を果たすことができる 身 体である︵目目 ,No︶. の こ と ﹂ 自 体は、一切の﹁記憶力﹂. 場が 、時間の場が存する。それは、 それ自体としては作動しえない。. 去ることそのことは、身体の身構え において現在に留められ、それと. られる。身体の﹁待機の能力﹂は 記憶力 たる﹁内面の力﹂の﹁象徴﹂. 次いでそこに﹁記憶力﹂が到来する なら、或る特定のリズムを具えた. ともに、将に流れ来たらんとする時 間 契機に変容する。﹁持続の厚み﹂. 権利上の究極概念にほかならない。 流れ去ることそのことは、単独で. 運動性が生成する。このとき﹁把捉 ﹂の二行い﹂たる﹁知覚の行い﹂. において先取りされている将来であ る。﹁われわれの純粋知覚 口o︵rm. である。﹁記憶力﹂という ヰ体性が 、その精神性が、物質の﹁流れ去る. が遂行されている。﹁知覚の行いにおいて、何か知覚そのものを超える. づの re ので︵ レ 。臣づ ur の﹂とは、われわれ のものと成った﹁純粋知覚﹂であ. 取り出されれば作動しえない。運動 しない。しかし、﹁われわれの生け. もの﹂が﹁把捉﹂される。﹁知覚する ナ﹂とは不動化することを意味する﹂. り、それはすでにも う ﹁持続の厚み ﹂を具えている︵目口。 SⅠこのよ. ことそのこと﹂に合一して、当の り ズム を発生させる。一方で精神が. 寓目 -ま じ。 日物質と記憶﹂において ベルクソンが﹁知覚﹂という用語. う にして﹁流れ去ることそのこと﹂. る持続﹂が﹁物質の流れ去ること そ のこと﹂を利用して発生すること. を使用する第二の意図である。知覚 の側で為し得ることは、流れ去る. こ︶に存する身構えにおいて先取り されている将来である。運動の場. 身体に合一して、それを生ける身体 と成す。身体が運動性を宿す。 独. ことそのことを﹁純粋記憶力﹂にお いて / よって﹁締約﹂することだ. たる﹁流れ去ることそのこと﹂が﹁ 知覚の行い・を介して、時間的な. この意味で、知覚が時間的な 芽、. は 、時間的な︵そこ︶と成る。︵ こ. けである。知覚においてⅠよって﹁ 流れ去ることそのこと﹂は引き止. 隆. 将来たる︵そこ︶と成るわけである。. は 吋 能 で あ る。. をも喪失し、いわば諸瞬間に散り散りになるだろう。﹁流れ去ることそ. 宮崎. められる。それが物質のリズムで 留 められるなら、物質が生成する。. の還 ・ 几|知覚の運動性と物質 |. こ︶を開く。知覚ははじめから外部 性を指し 小ず。かくして﹁実化㈹. 市. われわれのリズムで留められるなら 、﹁凝縮による具体的知覚﹂がわれ. ベルクソンコ物質と記憶 口 第四章における,.
(4) 83. の持の運 眼続試動 日. の. 論性. り 質 い っ な え 優 れの 質で れ 「い ら え の 。 て いて入 に独 のあ の 行 なれ な流 対 も 。 も の せ自 そ る 意 い け る. よ. 臼なあ. 客先 体わ 的れ る. 、. と. に. に. 成. 選間. っ. し. リ. し. ズ. ね か ん. ま. し. べ吋事. 覚わ. ょ. 矛は. 逆. べ /レ ク ソ ン. 物 「. れ界. 質 と. 」 憶 第 呵ノ. 竜. しの. 識 無. う. と に. る. い. 、 (. 内的. ir. なの. お @@よj ノ. る. 荘 の. 還 /亡. 知 : 覚 の. む. よ. う. 。. 運 動 性. れ質あ. と. 物 質 ぬ % 崎 隆. い. る. ン. 「理運の化.
(5) 84. が、 深み においては生き、振動している﹂の である宮口-燵 e 。感覚 Ⅱ い の毎の震動﹂、﹁内面の連続 ﹂である。運動性という 質の﹁ 内 面 レコか︵. ﹁基体﹂とし、それを﹁記憶力﹂. が ﹁縮約﹂することによっ. ﹁生ける 一性は内面の連続から発生する﹂︵旨目 。No じ 。感覚質は内面 の連続を. て成立す る。換言すれば、内面の連続とは 時 間的な﹁張り拡がり﹂の ことであ り、それを﹁記憶力﹂がその﹁内面 の力﹂をもって﹁張り緊. ﹁内面性﹂のおかげで、. め ﹂ てい る。当の﹁基体﹂は上体の側が与え たものではない。主体性 の能力を 超えている。しかもこの﹁連続﹂の. 従来の二元論の困難は解消される。 物質と表象という﹁二つの世界﹂ を架橋する必要はない。この﹁混合 ﹂体たる﹁無媒介の知覚﹂﹁ 直. 観 ﹂に与えられる﹁凝縮に よ る具体 的知覚﹂においては、物質と. はない。﹁分割可能性﹂という空間図式は排除されている。そうした 稀薄化の極みが﹁物質﹂ である︵目目 -潟と 。物理学や機械論 の扱 う て生じることの根拠﹂を含ん でいる. ﹁物質﹂も、それ独白の リズムにおいて、その身構えにおい て ﹁後続. する時間契 機 に お い. 自らの持続を生きている。かくして 力覚の客体的側面は 、当の知覚が. ベルクソン 日物質と記憶 二 第四章における -一 % の還元| 知覚の運動性と物質 |. 物質の流れ去ることそのこと﹂をそ の内面に宿しているかぎりにお. て、﹁物質の知覚﹂を表現している。 すべての知覚はその内面におい. すでにも う ﹁物質の知覚﹂である。 知覚ははじわから外部性を指し. しており、﹁物質﹂は知覚する主体 の外部に存する︵目塞 -紡 ぽ e。. 覚質 はその内面の運動において / と して物質を、物質の﹁客体性﹂. 運. は ﹁経験的﹂ではなくて﹁理論. 具えているのである。光波の例は 、 そうした内面の運動の示す極限 説明せんがためにすぎない。. 第二の間 ぃ。なにゆえ当の﹁根拠﹂. ﹂なのか。なるほど知覚世界を運動 性の層において捉えた上で、. 性を ﹁理論的﹂に分析することはで きる。しかし当の﹁基体﹂がそ. として﹁経験﹂に与えられることは 不可能である。今の場合﹁把捉. トひ才 ﹂片はす 示 Ⅰ卜 トもう﹁行い ac ︵の﹂ であって、﹁基体﹂は﹁見抜かれ. よふ目ほいⅡ﹂にすぎない。﹁何かわれわれの感覚を超えるものをわれ. れに把捉させ見抜かせる行い﹂であ る。﹁基体﹂は﹁推測されるが 知. 体. N 瓦 Nu ︶ ム ︶。﹁経験﹂ されないの 09 でも 0コロ かよ白 曲づ 0q 勺卜﹂ ︵口目-お. 与えられている﹁無媒介の知覚﹂ そ のものはもうすでに﹁混合﹂. ある。われわれは﹁基体﹂そのもの に、その﹁深み﹂に達すること. できない。知覚の客体的側面そのも のは﹁背後の暗がりに張り拡が﹂. ているのである。こ う 言い換えても よい。それぞれの生命体は独自. リズムを具えている︵ 目目 。ま 0@3 。 物質﹂も、それがある種の持続. あるかぎり、それに独白の質を具え ている。物質にはそれ独白の色. いが宿っている。物質のリズム寓目 。田かお ・9 はわれわれのリズム. いっそ う緩やかなリズムでそれを 生 きることがわれわれにできる. はない。上に引用したよう に、われ われが光波に達するのは、﹁仮に. ︵ 目旨 。Nお luO @。o 。 ︶ お T㏄ コ 。﹁物質と 記憶三のべルクソンにとっては、. ; 隆. 一一. の話である。舞踏家の リズムに同調 することはできても、人間的な. するなら﹂のことにすぎない。あく までも 反実 仮想を前提とした 上 と. で. ﹁ 物 質 ﹂ も 、それが運動する以上、. 持続する︵目目・NのA。お9。物質も. 宮崎. 「. て ぃ. な感示 な. れ動的. ぼ. わる. 表象とは 未 だ分離されていないのだ からす六目目 。燵 ㊥。感覚の﹁基体﹂ 覚の客体性﹂を﹁根拠﹂にわれわ. は感覚﹁質そのもののうち﹂に在る 宮口。 Nお ム S。われわれは知覚の 二側面を分かち、感覚における﹁感. ら. か. ねから独立の物質界を立てるわけで ある。 二側面を宿している知覚は 、. か に で る あ 。. な分. 動い. こ ュ. そ な. 覚. がでに. っ. で今 での. 」 の が つ に 両 運 て ほ 者. れ保.
(6) 85. もはや鉛筆も記 サ たることを止め、 空間中の︵そこ︶に﹁固定﹂され. んで行こ うとする。ちょうど額縁を 乗り越えて行く垂直線のように。. ぅも、 尖った先をあちら側に向けれ ば、今にも机を超えて窓際まで 飛. 巳である。それどころか鉛筆のほ 回復する。﹁感覚質の連続﹂︵ 目目・Nの. され、鉛筆なる事物から溢れ出てし まぅ 。感覚 質 はその真の運動性を. 越えて行く。もはや 丸付けの道具で はない。赤は﹁凝固化﹂から解放. ︵ザか 0石 q 弓﹂である。﹁理論的﹂根拠 そのものは﹁経験﹂に与えられて. ると信ずる際にわれわれの. ぬ覚と 絶対的に道交 noコw O ま mHする というわけではない外的世界が在. しその説明において べ ルクソンが 問 題 にしているのは、﹁われわれの. 来的に質を具えており、他方で﹁ 経 験 ﹂に与えられるのだから。しか. 明を運動性の層において理解するこ とはできない。運動性は一方で本. 色が含んでいる光波の問題に戻ろ う。なるほどべルクソンのこの 説. 一O. てはいない。赤も鉛筆も運動性を回 復する。当の運動性の具えている. いない。しかし当の﹁根拠﹂は﹁ わ れわれの無媒介の知覚が具えて ぃ. 円形而上学的還元11精神と 物質との交流の可能性. 几|知覚の運動性と物質 | 宮崎 隆 ベルクソンロ物質と記憶 ヒ第四章における礒 の還,. ら、垂直線は風船のように容易く 額縁を乗り越えて行くことだろう。. 持続の厚みのゆえに、赤や鉛筆は﹁ 事物﹂から溢れ出し、︵それ︶を 乗. る 混合から成る性格﹂であって、﹁ 実在する本体となっている矛盾の現. 赤 鉛筆の赤も記 珪 たることを止め、 鉛筆という事物をはみ出し、乗り. り越え、事物の固定されていた︵ そ こ︶から解放される。運動性は 、. 山山曲つつⅠ 笘の 目0のⅠの. とを﹁同時にわれわれは、自らの 知覚 において把捉している﹂のであ. めかの﹂である宮口 -お e 。﹁われ 曲由 0の 目 0 甘0臣 Ⅱ 与か 田由 曲 Ⅱ. ra レ0 の目. ゼノンとはまったく逆の方向に 、事 物を前提することなく事物たるこ. われの意識の或る状態﹂と﹁われわねから独立した或る 実 ・在の本体﹂. 有 する主要な理論的根拠. と そ の こ と から解放される。. それだけではない。も う 少しカンデ インスキーから借りよう。たと. される。四つの 問 いを立てうっ、 こ の ﹁矛盾﹂をいささかなりとも 解. る。運動性はさらに知覚の二側面 | 主体的側面と客体的側面 |に 還元. えば額縁そのものもすでに絵画の墓 本的要素であって、運動性を宿し 田 ている。画布もまた絵画にとって 中性的な空間﹁無定形で生気の. はむしろ重みを増す。画布の下部は すでに電力の淀みを、重みを具え. れた水平線はいよいよ安定を増すの に対して、上部に描かれた水平線. も上昇という運動の方向性を示して いる。さらに、画布の下部に置か. いう点では﹁純粋﹂だが、まだ形而 工学的還元が為されていないが. 0珪のcかいふ額﹂である。﹁純粋持続﹂. ら独立した﹂ものが把捉されてい. 第一の問い。なにゆえ﹁外的世界﹂. は心理学的還元を施されていると. るからである。﹁感覚の客体性. の ﹁根拠﹂なのか。﹁われわれか. きほぐしてみよう。. ており、上部は軽やかさを醸してい るからである。同様に、鉛筆の置. ゆえに混合体である。﹁感覚はいわ ば踊の内面で莫大な数の運動を. たとえば額縁を構成している垂直線. かれている机も運動性を回復する。 もはや事物の下に拡がる﹁固定﹂. 遂行して﹂おり、その運動を﹁多 少とも等質的な﹂自らの﹁基体﹂. ない慣性的空間﹂ではない。. された空間など在りはしない。すべ てが生彩を帯びてくる。︵そこ︶ そ. によって定義されるからである. として成立する。当の﹁基体﹂は﹁ 感覚の与える以上﹂のものである. 9円目-Se。﹁ギ体性﹂は﹁記憶力﹂. のものも運動する。有用性に よ る周曲を被って﹁人間的な経験﹂に 変 貌 する以前においては、知覚世界は 運動性で充たされている。. - 動のまま静止している 寓目 -ど ・コ -ま 9 。﹁感覚は表層においては 不.
(7) 86. 色な約て相明す. し. 運. 形覚. よ. のおいいを 相覚. お. り. を. 墓. べ ノン. ク ソ ン. あ. ょ. 「 物. 質 と. 記 -=. 大 C. Ⅰ. ヒ 憶. 第 四. 章 | 圭、 Ⅰ 『. @ す る一. 重 の. 還, ノじ. 知 "覚 の. 運 動 性 と. 物 質. る こ. ろ. 、. う. む説. の か 縮. つ. て し お 始. 実家者. を 知. 摘 め. る. l. の な. てれ様感. こ. を ル. でそが無は. に わ. 崎 薩. つ む 遊をす て阪感具 る. 絵. に は. 画九. し. 、. え. 、 て. 略定 にジ よ構 どは 例 ュ. つ. え. 、. の逐. ク. はの 今媒少. し. 生や. て線 こヒ. ぅ. と. 「 す. 線. よ. ど 日. 色糸. が. る船 号. り. 動そ 与い ぇぷ. な の. ら. L. ノⅠ.
(8) 7 8. | 知覚の運動性と物質. の還元 @. 宮崎 隆. Ⅰ @ Ⅰノ. いるのだから。われわれは行為と運 動 性とを区別する必要がある。. 而. 簡単に触れておこう。たとえば、 舞踏を鑑賞する際われわれが見てい. るほど、実践的な知とはわれわれが 常日ごろ生きて 生 汚してゆく際の. ヒ 第四章における,. 千| 運動体11 m単なる型 姿 ではない。舞踏家の運動 るのは、舞踏. その﹁実践的な生ふの下の︵ 耳后 ﹂ に応じた認識である。実践的な 身. ベルクソンコ物質と記憶. 性である。舞踏家の現在の身構えに おいては﹁将に来たらんとしてし. 体も還元される。しかし身体を全面 的に放 榔すれば、同時に生きるこ. な. る身構え 曲︵ ヰこぎ 三が先駆形成 づふまrmg ﹂されており、われわれは. の下で﹁現在において将来が 掴 ﹂ ま れているのである。運動の方向が. を 取る。﹁身体的共感出目 で由 ︵オおづ了お三 Eの ﹂である。この﹁共感﹂. 舞踏 家の リズムに同調し 、 操り人形 師 よろしく自分でも舞踏のリズム. いる。﹁先駆形成﹂とは、こうした 運 動の先取りを意味する。鑑賞者は. のおかげで、舞踏 家の ﹁身構え﹂において将来の運動が先取りされて. 体的に生きることの或る一定の必要. ソン にとっても御伽噺なのである︵目 目 ,No 巴 。却下されるべきは﹁ 身. 00 臣臼ヰ0 Ⅱ コのめ 0臣Ⅰル日のコこ曲目のの﹂を除 取こ りう などとい,≦企ては、ベルク. にある﹂宮口 -N お・ユ目 旨。 どや さ と。﹁外的知覚の基層をなす条件. るのであって、精神が身体と結合す るということの存在理由は諸行為. のである。記憶力たる精神は﹁諸行 為を通じて顕現し、物質を利用す. べ ルクソン自身がこ う述べてもいる. 変化する際も、将来の運動の﹁方向 はそれに先立っ方向のうちに示さ. ︵目 -No ︶m である。実 践的に生きることが全面的に却下 nる o 。お目の﹂目. とそのことも否定されてしまう。. れる﹂㊥ ゲ Y ︶o︶。運動性は将来へ 向かう運動として、舞踏家の現在. されるわけではない。心理学的還元 とは、あくまでも実践の墓 層を露. 兄 る 。当の舞踏に固有の﹁リズム﹂. の身構えにおいて捉えられている。 その意味で運動性は﹁持続の厚み. 呈させる作業にほかならない。﹁思弁 ﹂とは、﹁実践﹂の否定ではなくて、. ﹁ 運 動 が 運 動を準備している﹂のを. かつレの レの年 の Ⅰ 年の串 仁Ⅱかの﹂旨 ︵目 -㏄円心が 、べ ⅡS を具えており、時間の相の下. その基層を意味する。身構えにおける運動性はそうした基層に存する。. え における将来への展開可能性にほ かならない。. C のⅡ 田曲 Ⅰ円目目 のソ C ㏄ の かののⅡこかのⅠ ノの ミ日 のの. でこそ把捉されるのである。運動性 は ﹁事物たることそのこと﹂から. 行為連関の連関性は、運動の展開 吋 能 性を基層に有する。それは身構 時. 解放されている。運動体なき運動、 事物なき運動である。その際、舞 踏 家においては、︵そこ︶とは身構、 ぇにおける将来にほかならない。. のことが指摘できる。たとえば、. 運動性の間 題 に戻ろ う。過去につい ても﹁身構え﹂についてと同様. のとは違って、舞踏家が次に占める 空間上の位置に存するわけではな. われわれを眠りに誘 う 効力がある。 そうした効力を産むのは最初の運. 間的な︵そこ︶である。将来は 、 ﹁ 事物﹂についてわれわれが思い描く. い。それではまるで将来が別の場所 に介存在しているがごとくである。. 動 でも最後の運動でもなく、また、. とそのこと自体が縮約して質になる ﹂。ゆえにこの運動と質と間に﹁ 事. べてが一斉に響くがごとくである。. べての運動でもない。それではまる で、音楽の最後にそれまでの音 す. 記憶に溜め込まれて併置されたす. 時 計の振り子の規則的な運動には、. ﹁物質と記憶﹂の言葉を用いるならこ ぅ 表現してもよい。﹁運動するこ. 物 ﹂たることの﹁固体性を介在﹂ さ せなければ、運動の質を回復する. 同じ振り子の運動は同じ効力しか産 まない。当の効力は諸運動の﹁ 綜. しかしその前に身体と心理学的還元 との関係について少し触れてお. くて、運動の質である。質を具えた 運動性は、このように﹁リズム﹂. 体の成すリズムの有機的な組織化に よる﹂のである。量的運動ではな. そもそも併置されているかぎり、. ︵ 目目 。 燵兇と 。過去についても同様 のことが指摘できる。. かなくてはならない。というのも、 行為に利する有用性が却下されて.
(9) えられる運動性を、﹁実在する本体の連動﹂︵ 目目 ・おコ を見出さなけれ. 免れる。われわれは﹁凝縮に よ る 具 体 的知覚﹂において、﹁直観﹂に 与 | と﹁運動性. う 。﹁運動 日0三お日の巨﹂は﹁運動 体 抗日。目す﹂| 運動する﹁事物﹂. おいては、運動は否定されたわけ ではない。少しだけ考察を加えよ. とから成る︵口目 -Noo,. 日0ヴⅠ 戸 ズか ﹂|| ﹁運動することそのこと自体 す. ばならない。. |. 日。E5日の耳目か日の﹂たる﹁運動の 本質﹂. ㌧トuめト 0 。い︶の 、い の -の㏄か, ロケ㏄㏄ lい 0q︶ n。運動を﹁軌跡﹂に対応させる. ことは、運動性を運動体から引き離 して空間上に置き直すことを意味. 三知覚対象の運動性11運動 の質と質の運動 由o b口 ﹂という用語を使用する第一の 意 ベルクソンが﹁知覚 憶 Hno. する。運動の本質は運動体から放側 され、それの通過する諸点に読み. は ﹁拡がり﹂の否定されていた感覚 質 に時間的な運動の﹁張り拡がり﹂. 従来は﹁ 量 ﹂的と規定されていた 運 動に ﹁ 質 ﹂を回復し、他方で従来. 下に包摂し、そこに運動の質と質の 運動とを見出そうとする。一方で. 相 に置き戻すことによって、両者を 同じ﹁凝縮による具体的知覚﹂の. された運動性は﹁空間の関数﹂とな る。それは空間上の位置にお いて. ㏄Ⅱめ ・卜い い. 多性 ﹂を具えた﹁計測 吋能 ﹂ね 、そし て ﹁不動﹂の運動︵目口 -の︶︶ピ・臼10-. 運動が﹁等質空間﹂の規定﹁等 質的﹂で﹁分割可能﹂にして﹁. 替えられる。運動性を抽象 し空間. を受け取るのはそのゆえに す ぎない。運動体から 放癬. 数. 図式に適合させているのである。. を認める。運動と感覚とを質を具え た運動性という一つの類のうちに. 計測される時間に変貌する。まず 事 物 が存在していて、それが 運 勒 す. 竹下どよ﹂に代えて空間上の﹁軌跡田 どの活。オニ を置くなら、運動. わけだから、運動を不動性によって構成せざるをえない。時間上の﹁ 運. 間内の︵そこ︶は﹁固定﹂され、 諸 点は ﹁停止しているの -pか q ︵H のⅡ. こ︶への移動とみなされる。しかる に、そもそも運動体の通過する 空. である。事物の運動は、そうした 空 間 における︵そこ︶から他の︵ そ. 空間上の諸点を無際限に分割し、 運 動をその諸点に対応させているの. 的な時間である。そも そも ︵口目 -Nが ONO1 O g しH. のダ mqn.それは質 ︶。. した﹁持続﹂. も適用したと記している。﹁純粋持 続﹂空間図式という混入 物 を排. を提唱する際ベルクソンは、還元と いう﹁方途﹂は﹁時間と自由 ﹂で. を欠いた運動はありえない。﹁物質 と 記憶﹂第四章において﹁ 直 相観﹂. は逆に質を具えている。運動性 は常にすでに質的運動である. ベルクソンの提唱する運動﹁無媒 介に 知覚される運動﹂︵旨目. 格下げされ る 。. るというわけである。事物を前提と しっつも、運動性は事物にと って. 偶然的なもの﹁適性. 燵鰯に. 存する。逆理が発生し運動が否定さ れるのは運動を量的に捉えるがゆ. それは事物にとって外在的なものに すぎない。. が 否定されるのは当然の理である。 運動を空間上の関係として再構成. 量的な規定から解放されて質を取り 戻すなら、持続は質的な内容 を具. 七. 質を具えた 運 動 であり、﹁運動性﹂を意味 する. 質. めト巴. することはできない。帰するところ ゼノンの逆理は有用性に端を発. えていなければならない。それが 運 動性である以上、運動性も質 的な. |は. しており、それを前提としている のである︵目口 -No︶ O 巴l。逆に 、. 笈 は. 内容を具えている。この学位論文を も参照しつつ﹁運動性﹂につ いて. ac目 ee口︵﹂︵口目・. えであり、運動を量的に捉えるのは空間図式を前提とするからである。. 第四章においてゼノンの逆理を批判 するべルクソンの意図もここに. ソ ︶ 円。 統合するのである︵口目, NNo。 @ お ㏄ト 0 .. 国 は 、 以 下 のように考えられる。. す な むち、運動と感覚 質 とを時間の. 宮崎. 空間図式が人為的な構築物であるかぎり、基層に存する時間の相に. ベルクソン円物質と記憶 口 第四章における -一 % の還 , 几|知覚の運動性と物質 @.
(10) 89. べ ノン. ク ソ. ㍉. 。. ゆ質. と 日己 憶し. 第 |. Ⅱ. 音 @. 才、 し. lナ る. 屯 の. 還 /i:;. 知. 党. え 如. ㈲. け. 逆 俺力. 互が. 「 い. 欲の. 。. のめの 立続を瞬擬. 佳. は. と. 感鉛束ズり、. レ Ⅰ. 質. 崎. てれ 、. は. ジ. し る 答. 降. ュ. 」. に. ら 置. と. な 応. ぞ. 。 上. さ 内. て. し. いたに. @. され. 覚. 定し. 位 の. 当の. 固 ( 「. 所た. ー. 「. れわ. しく. 者の. 鉛筆. る鉛. 位置. /卜.
(11) 0 O フ. 出される。ただしまだ仁介ではない 。さらに第二の還元が要請されて. れる物質に替えて、﹁思弁﹂における ﹁無媒介の知覚﹂宮口・ SS が 見. 旨目 ,No ︶・ 巳p モ日︶に与え も 拐、しし あるいは﹁悟性の口︵の三ピ日の 巳 ﹂︵. と 呼び ぅ るような﹁独立性﹂を獲得 する。鉛筆の﹁独立性﹂はこうし. 鉛筆はそれを握るわれわれの手の型 にうまく嵌り込む。鉛筆は︵それ︶. その行為にうまく適合する。ちょうど雌ネ ジ に対する雄ネ ジ のように、. 第一に、たとえば鉛筆はわれわれが それを利用して文字を書く際の. された﹁諸関係﹂を有する。そして この二点は身体的な﹁可能的行為. もいる。有用性を脱却して無媒介なものへ帰還し、﹁無媒介なものから. た手の型を、われわれに為し能 う行 為を反映しているのである。日常. 連れ戻すことでもある。哲学は、抽象 し 図式化することから解放され、. 有用なものへの移行﹂を辿った後、 さらに﹁残っているのは、このよ. の知覚対象は﹁ 吋能 的行為の反映﹂ である寓目 -︶9 ミ -NO︶ l︶。習慣を. pn ヰ。目で0のの ダレ の ト﹂の反映である。. う にしてわれわれの頃間見る、実在 する本体の曲線を形成する無限に. 具えたわれわれの身体は﹁それを 利用する術を体得の笘。臣の。e口. 無媒介の層における﹁経験﹂へと 導 かれる。﹁実践的意識﹂︵目目 -︶ou 。. 張り︶拡がる件の曲線の 微かな要素をもって、その背後の暗 がりに ハ. ぅ行為に対応させて知覚しているの である。知覚対象を独立のものと. 目の丁 ふ巴 L してれ いり、 当の対象をわれわれの為し 能 ぉペ セ円Ⅱ﹂︵目口 -ト0︶-. ﹁張り拡がり﹂と﹁張り緊め ﹂とい,旦 一つの﹁要素﹂に還元され、 こ. することによって、われわれの行為 に ﹁手掛かり pr い のの﹂が与えられ. ゑ鞍0臣 ﹂︵目目 ・おの -おの。 お e し ﹁限定﹂しているわけである。. の ﹁要素﹂をもって﹁再構成﹂されることになる。このようにして べ. 割安. る。有用性に応じてわれわれのほう が物質世界に切れ目を入れて﹁ 分. オの﹂と﹁物質の形而上学 す 目 か目 。. そ う やってわれわれは、独立した 話 事物を仕立て上げる。︵それ︶の﹁ 事. 私の握る手の型はどの鉛筆に対して も同様である。どれも同じ仕方で. 日か守づ 与のP高 p 目 す日キむ B ﹂︵ 目旨 。ぽ巴を打ち立てようと企てるわ. では有用性に従って成立している 日常の知覚世界とはいかなる世界. 扱 う ことができる。それを利用する身体にとってはそれぞれの鉛筆の. 物 たることそのこと﹂がこのようにして成就する。それだけではない。. であり、﹁無媒介の経験﹂を変貌せし める媒介として何が却下されるの. 間 に違いはない。諸々の鉛筆は 、そ の利用の仕方に応じて常に互いに Ⅰ イ マージュの限定化と固定化す. か。心理学的還元によって剥脱され に与えられている。﹁諸々の. 鉛筆は. それを鉛筆﹁として﹂ 訂記 する。 常 日ごろ知覚される. 験される世界においては、様々な 物 体 が空間中に配置されおり、われ. る 。﹁ 9 できる﹂ の ﹁9 ﹂という身体の為し能 う内容に 応じて、鉛筆の意. て、われわれは. われはそれを利用しつっ生き生活し ている。そうした日常の知覚世界. 味が知覚されて いるのである。知覚される鉛筆はそ れに対するわれわ. Ⅱ. 筆 とは、文字を善くためにしかじ. 吋き 行為を指示してい. においては、第一に諸物体はそれと して﹁限定﹂されており、それぞれ. れの対処の仕方を意味して. 、時と場 所に関わりなくわれわれの為す. に意味を具えた相互に﹁独立な諸 対. |. 隆. かの仕方で握られる 叫きものである 。このようにしてわれわれの側が. ののの﹂である。実際、常日ごろ 経. 類似している。身体の具えている﹁ 9 できる﹂という行為能力に応じ. るのは何か。答えは第四章の標題. けである。. 力 め魂論接 ヰ ら ︶ 0㌍の 監. ルクソンは、思弁によって物質と精 神の本質を見極め、自らの﹁記憶. 形態を再構成することである﹂︵ヨ口 、Noe 。﹁無媒介なもの﹂はさらに. 宮崎. 事物 臼 0ののの﹂ として現れる。 第二に、諸事物は空間中に﹁固定﹂ ベルクソン円物質と記憶し第四章における 市 の還元| 知覚の運動性と物質 |.
(12) 1 9. ベルクソン円物質と記憶し第四章における 市 の還元| 知覚の運動性と物質 | 隆. 四. ら、つまりわれわれの 低次の欲求に よる必要 鰍の0 ずから精神が受け. ︵ 旨目 ・ぎ e である。したがって空間 図式は﹁われわれの身体の機能 か. げるのは、﹁物質をわれわれのロ付 為の ︶ 手 掛かりの下に置くため﹂. と み な さ れ ている︵ 目旨 , き S。とこ ろで、日常の空間を物質の下に拡. が. ﹁場所を占めに到来する﹂際のその必要条件たる﹁媒質日田︶ ド eu﹂. とは、日常的な空間を図式化した 抽豪物なのである。それは、諸事物. 説 にせよカントの実在 説 にせよ、 そ の説が前提している﹁等質空間﹂. 間 図式が得られる︵口目。 NP ︶-N トの ・お Ⅱ-図㏄の -のqn︶. 。素朴実在 -ま甲べ。Nかべ. れを単独で抽出すれば、無限に﹁ 分 制 可能﹂ な ﹁等質空間﹂という 空. き ﹂︵目口 -N㊥ oである。 こ ない慣性的空間㌔ まづpR り日。七目 よ 日のⅡ. の、Nべo。nqQ ︶. 。﹁無定形で生気の 要請される︵目口 -NOg︶P。 oN︶ uぎ - P NA. こうして鉛筆や消しゴムの﹁下に拡 がるの 0 拐汀臣 E ﹂不動の空間が. てそこに消しゴムを置いても、それ ぞれの場所そのものは動かない。. それぞれの位置を占めている。さら. 鉛筆をその場所から取り去っ. えば眼前のそこに置かれている鉛筆 は消しゴムの隣に存する。両者は. ︵ o ミ ル 介 なものへ帰還すること re 用 なもの∼。 u︵ぃロの﹂を排して﹁無媒. すお匹を取り戻すことになろう ﹂︵. コ釘目のおの 姿 で直観を回復し、実在する本体と の宥ハ媒介の口接触 no. ら ﹂、変貌以前に立ち返るなら、﹁ われわれは、原初の純粋性を具えた. する﹂︵ 目目 -Nご o。﹁欲求によ る必要 の作り出したものを壊し脱するな. は ﹁日常の有用な認識の観点と真の 認識の観点とを区別することに 存. する必要がある︵ 目目 ,Nou 巴l 。ベル クソンの提唱する﹁方途﹂の要点. 心﹂ないし身体的な﹁欲求による 必 要﹂といった有用性を否定し剥脱. ら脱却して無媒介の層に到達するた めには、﹁実践上の諸々の利害関. と 。したがって、この知覚世界か が変容を被った結果である︵目目 、No. ゆく際の有用性のために、﹁行為を容易に ﹂するために﹁実在する本体﹂. べく変貌されているのである。日常 の知覚世界とは、生きて生活して. ぎ日 曲目﹂に変貌する︵口目-N 目 @ ︶。身体的な行為 ac ︵ レ 0 口に資する. われわれが常日ごろ出会って. る真なる無媒介の﹁経験﹂は有用性 という媒介によって屈曲を被り、. に通ムどすべく変形されている︵ 旨目 ・No じ 。﹁直観﹂において与えられ. 宮崎. 継いだ偶然的な形式﹂にほかならな い ︵ 目 口 ・ No 巴 。﹁本体の実在﹂に 加. 二日日かⅠ ぃ 由ひ﹂︵口目NOg %. ﹁実在する本体 すふ 色は、実践上の 和生Ⅱ Ⅲ 叩因︶ ハリ仁 トこ かⅡかⅠのⅠのⅠの㌧由 Ⅱ Ⅰの 由井Ⅰ. えられた﹁偶然的な形式﹂である。 空間図式は﹁われわれの行為にの. ヰp 円﹂ な 知への、﹁無媒介﹂の 知へ づ︵ヰ田島﹂ な知の﹁思弁的の でか ngH. って空間図式が成立する︵ 目目 -N甲 oやめ乙 ・oN べ-0 のo-Nuの O -の lqし n 。たと. み関ね ﹂って発生したのである︵旨旨 ,ぎS 。従来の二元論がこうした. の還元である。こ う言い換えてもよ ぃ。われわれの認識は﹁精神の獲. 有用性という媒介によって変形され た 実践. |NO還e元1が要請される。﹁実践的. -口 N目 o斗 mめ - 。と。かくして﹁ 有. い る ﹁人間的な経験の パづⅡ か ぎ口no. 人為的な図式に立脚している以上、 それによって惹起される身心関係. 得された表層の習慣﹂. |. の 困 難 は 偽 問題である。. あ スリ構造㏄ か ⅡE0 井目Ⅱ0 の 臣め 隼日 りの臣 ヰ由 Ⅰ の. 的な知において変貌されてはい ても、﹁われわれの精神の基層に. ら、同時に身心関係の問題は真正の 問題となる。その脱却のために﹁ 無. 識﹂. それゆえ逆に 、当の図式をもたらす 日常の知覚世界から脱却するな. 媒介の直観 ぎ巨ぎ 。コレ日日か すⅠ の﹂︵ 旨目 -め。どへの帰還をべルクソン. とは、われわれの﹁経験﹂の水準を その無媒介の基層へと掘り進める. においてはそうではない︵ 目目 ・NO の-Nべ o -N巴 O。心理学的還元. 11真なる純粋な﹁無媒介の認. は提唱する。われわれが心理学的 還 元と呼んだ方途である。ベルクソ. ことであり、同時に哲学的な考え方 を当の墓 層の ﹁経験﹂の水準に. |. ンによれば、﹁事実﹂と通常呼び称 されている事態においてはすでに、.
(13) 2 9. て二項対立における 両項を調停する こと。これがべ ルクソンの口論見 である。 ただし第二の二項対立に関して べルクソンは、一方で﹁純粋 量﹂を 認めず、﹁量﹂をあくまでも﹁稀薄な異質性﹂と規定する。いわゆる﹁等 具体的知覚﹂においては﹁稀薄な﹂ 質的運動変化のダ首お 日のま﹂も、 ﹁ 異質性を有する。仮にそれを極限に まで稀薄化して、質が一切排除さ れた数学的な﹁純粋 量﹂とみなせば 、それは﹁ 無 ﹂に帰する。そもそ も ﹁ 量﹂という概念は、計測 吋龍佳 を、したがって空間図式を前提と しているのである。他方で﹁具体的 知覚﹂における﹁感覚 質 ﹂のその ﹁張り拡がり﹂を一貫してギ張する︵ 旨目, Am簿 l,Nきよ巴 。してみると ベルクソンが提起しているのは、 従来の二元論における二組の対立を そのまま時間の相において継承しよ うなどという解決策ではない。 概 合図式としては﹁純粋知覚﹂と﹁ 純粋記憶力﹂とが両極に据えられる にせよ、﹁純粋量 ﹂に対応する時間概 ゑは 存在せず、感覚質は ﹁張り 拡 がり﹂を有する。ところで﹁感覚 質 の異質性は、われわれの記憶力に おいて無数の﹁純粋知覚 ヒを 締約 0 0 臣Ⅱ 笘n︶ d O コすることに﹂起因する 寓目、 じ。時N 間o の相においては、﹁縮約﹂とは﹁純粋記憶力﹂の﹁張 り聚め﹂ る働きにほかならない︵旨目 どお,コ、 Nお。N 議-nq しn 。そし て ﹁精神﹂は﹁記憶力﹂によって規定 される︵目旨・NOP自ON ,の N@ A0 反対に﹁客体的な変化の相対的な等 質性は無数の﹁純粋知覚 しが自然 本性的に弛緩することに起因する﹂ ︵口目。ど。われN わo れに与えられ. る ﹁具体的知覚﹂とは﹁ うも すでに記憶力による、継起する無数の純 日 粋 知覚三の綜合である﹂︵目口。Nじ o。﹁具体的知覚 00H め︵ n か O op す. ﹁感覚質の連続 00 臣ヰト ミ巨 よ由のの 曲Eがゴ 額のおらのヴ ∼ ︶のの﹂たる桶 一縮 に. る具体的張り拡がりかき 口由 由の 目 Ⅱか c となつ ナ Ⅰハ スリ。 ︵o の﹂目 ︵目 ,め㏄轄レ. に ﹁弛緩﹂が指し示しているのは、﹁ 凝縮による具体的知覚﹂におけ. ﹁張り拡がり﹂の方向である。かくして身心関係の囚難に対して べ. な. ﹁張り拡がり﹂と﹁張り緊め ﹂. クソンの提起する解決策を以下のよ う に推察することができる。. ほど﹁純粋知覚﹂と﹁純粋記憶力﹂、. の間に対立はあるが、二組の二項 対 立は得られず、むしろ 一 頑 関係. 得られる。ベルクソンは従来の二元 論の二組の二項対立に替えて、. 項関係を提起しているのである。﹁純粋記憶力﹂と﹁純粋知覚﹂とを. 金的な極限概念とし、この 両項のぃ わば交点に﹁凝縮による具体的. 覚 ﹂が位置する。 両項 はそうした﹁知覚﹂に吸飲する。したがって. に、﹁異質性﹂と﹁等質性﹂は 、当の ﹁知覚﹂のなかで働いている﹁ 縮. ﹂と﹁弛緩﹂として、すなむち﹁ 張 り聚 め﹂ る 方向と﹁張り拡が﹂. 方向として見出されるだろう。その 意味で、﹁一方では純粋知覚の、. 方では純粋記憶力の理論が⋮⋮ 非ハ 張り口拡がりと ハ 張りし拡がり. の、質と量との接近への途を準備す る ﹂宮目 -Nじ o。かくして べル. ソン は﹁凝縮による具体的知覚﹂の うちに﹁縮約﹂と﹁弛緩﹂とい. 時間的の相を見出そうと試みるわけ である。それを見出すために ま. ︶曲 日汀 日か ﹂日 貧ね目 ・NO 9 の。 e への還元、時間の相への. ︶。必要となる﹁方途﹂が、﹁直観 ぎぎぎ 。コ ﹂という﹁無媒介の認識 コ口目おい 臣ne 理学的還元である。. 二心理学的還元11直観とい ぅ無媒介の認識. なにゆえ時間の相へ、なのか。﹁本体の実在Ⅱ ぎヰ ︵か ﹂がそこに 在. 一 "一. るからである。われわれが常日ごろ接している知覚世界は、﹁本体の実. 隆. ではもう﹁凝縮による具体的知覚 づのⅡ0ので田0 田 臣 00 目0Ⅱかヰの﹂ ボ Ⅰあ スし 0純. 宮崎. 在 ﹂の変貌した姿である。さらにそ れを人為的に抽象化することによ. ベルクソン円物質と記憶 口 第四章における 壷 の還 几|知覚の運動性と物質 @. 粋知覚は純粋記憶力によって縮約を 被り、張り緊められることによっ. nO 臣Cr か ︵の﹂は﹁凝縮によって n O コの き ︵﹂成立しているのである。. 逆ょ て る. ル る. と. が. 約逆知理二. る. 他. と. ク. ぅ. ず. 心 8.
(14) 93. 翻訳して物体にいわば投げ返すと 想 寓 するなら、不可能な架橋が二度. なされなければならない。第一にそ ぅ した翻訳は両項の何らかの接触. し望 そ て み. も. の. た 物. 8. 組曲. え 規 すは的 と す 不 定 な 、 な非 る 吋従. のの. 項が質 にみ 運た. も. 能. 十日 現 # に,性 展. べ ノン. し る. ソ. っ. ク. ソ ン. 物 「 質 と. し 印 Ⅰ 毛. 憶. &@,. 第. W. 竜 |. お キノ. る. の 裾 せⅡ日こ. 」. 敢 の. 還 ノじ. 書物. の. 座. 知. 兜 " の. と. 反. 保す. 対. 「 る. 方 身. と. 同. と. 体. 運 動 性 と. 物 質 Ⅱ 呂. しょうというわけである︵ 旨目 -Nど o。﹁純粋記憶力﹂の概念がこちらの. 対立を解消する。従来の二元論を時 間の相の下に置き直し、そ う やっ. 崎. (. 一. 隆. 臣. しつ. の. つ. (. マ燵 Ⅰ. し. ジふ. 対の. し. 立. 衰運. る. の. に. 項界. な. す象動.
(15) ベルクソン 円物質と記憶 b第四章における二重 の還元. | 知覚の 運動性と物質|. ㏄ヰ コノ 心心 ミズ Qぎ㏄・ の ヰ 目 Ⅱ目 の Ⅰの年 0岸ヴ ⅠのⅠ小口 0二 目ロ の リ 二 ヰの︶の 戸円 口ゆ のノ プで ゅ 円 田Ⅳ ハ ヰ巨のノへい叶㏄し ソハ の Ⅱん Ⅳ ヰ ハ ハ Ⅳヰト3ハ ツ田 ⅠのⅠ口 %の ・ ヰ , の Ⅱ の曲 0下 曲すのⅡ 0コ ㎝円 の コ のコ のの% コ 田の 口曲 でのⅡ の pの す0 口 Ⅱ中 Ⅰ 0Ⅱ Ⅰ りⅣ. 隆. 円笘ガ 曲のず円. 宮崎. 卜杏. て リ円H ㎡が N. 日か日。 円 re. 源 ではない。運動性はさらに第二の還元を施されて﹁物質 の流れ去る. の冒頭で べ ルクソンが提出する のは、﹁魂の身体に対する合一 -l。しかるに第四 ︶ 目㌧Ⅰ 0目印の∼ か日の曲EOO ものの問題﹂ であ る 寓 目 、 N o S. される。こちらを﹁ 形市上学的還元﹂と呼ぶなら、形而上 学的還元を. ﹁物質と記憶﹂第四章︵以下、場合によっては﹁第四章﹂と略記︶. 章 においては、身体そのものに ついての分析はほとんど見出されず、. とおしてわれわれは 知常世界の本源の層に至る。この本源. われることになるであ ろ う 。. ぎない。両者の交流は 運動性が生成してくる際のその現場. @ おいて. 問. て把捉することは,原理上 、不 吋能 である。知覚世界は交流 の結果にす. 憶力と物質とが交流す る。しかるに当の交流の現場を知覚 世 界 におい. @おいて 記. ﹂の﹁り 内力 面︵ と に還元 bO ⅡCのⅠ 目ヰ かト田の屈Ⅱの﹂︵口目, |の めハ ムレ の︶. ことそのこと︶ぎ oE目 Pm の 黒 Ⅰのす 日臣むお﹂︵旨目 -燵ご と ﹁記憶力. 知覚ならびに運動についての、ある ぃはこの書物の表題たる﹁物質と な. 得るには知覚と身体との関係を解. 記憶臼茸 むⅡの耳目か日 0臣の﹂につい ての記述が大半を占めている。 にゆえか。この問いに対する答えを. によって有用性からの脱却が日差. 明する必要がある。小論は、その 関 係解明の準備として、二重の還元 を抽出する試みである。第一の還元. たる従来. の二元論をべルクソン に従って概観し 、彼の提起する解決 策 を確認す. 小論ではまず、身心関係の問題に困難のもたらされる 所. か という基層の水準に連れ戻される。 おしてわれわれは運動性 日。ヴ日︵. る。次いで二重の還元 を抽出する。最後に物質と記憶力と の交流の吋. される " これを仮に﹁心理学的還元 ﹂と呼ぶなら、心理学的還元をと. 知覚世界は運動性の層において捉え 直される。しかしその層はまだ 本.
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