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明治期における国際結婚 ― 文豪ハーンの妻 ―

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Academic year: 2021

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図書館員の文献紹介と

      資料の活

田端里美  図書館のホームページ上に、「明治日本の国際 派女性たち」という主題別書誌データベースがある ことはご存知でしょうか。その中から「小泉セツ」と いう人物についてご紹介します。

 小泉セツは1868(慶応4)年2月4日に松江藩の 上級氏族であった小泉湊とチエの間に産まれまし た。セツより上にはすでに3人の子がおり、次に産 まれてくる子は小泉家の縁戚で子どもがいなかった 稲垣家が貰い受けるという約束がなされていました。

そのためセツは、産まれて7日で稲垣家に養女に出 されたのです。

 8歳で義務教育の公立小学校に入ると、熱心に 勉強に取り組んだことで成績も良く、下等教科の4 年が終了した後の、上等教科への進学も他の生徒 たちと同じようにできるのだと思っていました。しかし、

養家である稲垣家の困窮により、それは許されなかっ たのです。

 稲垣家は家を建て直すため、婿養子をとることと なり、セツは18歳で結婚します。相手は為二という 28歳の旧鳥取藩士前田小十郎家の次男でした。し かしこの結婚は長く続くことはなく、多大な稲垣家の 借金に絶望した為二は、家出をして帰らなくなります。

セツは為二が大阪にいることを確認すると、どうにか 戻ってもらうように説得をしに向かいますが、結局、

彼が戻ってくることはありませんでした。1890(明治 23)年1月に正式に為二との離婚の手続を済ませる と、実家の小泉家に籍を戻し、実家と養家の両方

の生活を支える決断をしました。

 そして小泉セツの名が世に知られるきっかけとなっ たのが、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲との出会 いでした。ハーンは1890(明治23)年4月に来日し、

9月に島根県尋常中学校で英語教師の職に就きまし た。その年の松江の冬は例年以上に厳しく、体調を 崩したハーンは住み込みで働いてくれる女中を探して おり、その仕事を引き受けたのがセツだったのです。

 この仕事は明治の時代においては、外国人の妾 という非難を浴びる恐れがあり、セツの家族は反対 しており、彼女自身にもためらいがありました。しか し実家と養家を養うためには、どんな仕事であって も引き受ける覚悟をしていたため、女中の仕事をす ることとなりました。

 ハーンとの同棲生活が始まると、セツは意思疎通 やハーンの執筆の手伝いをするために、英語学習 に取り組むようになりました。ハーンも日本語の単語 や慣用句を覚え、ヘルン語という独特な言い回しの 日本語で彼女と会話をし、言語の習得をしていきま した。ハーンとセツは同棲生活の中で、互いになく てはならない存在として感じ、今でいう事実婚状態 で生活を共にしていました。

 ハーンとの結婚生活は、明治期に珍しい国際結 婚とあって困難を極めてはいましたが、彼女は夫の 創作活動を支援し、実家と養家のために働くことに 誠心誠意を尽くしていました。

 1893(明治26)年11月17日、長男一雄が産ま れたことにハーンは大いに感激し、たくさんの愛情を 注ぎます。その後2人は一雄に続き、次男巖、三 男清、長女寿々子と、4人の子どもに恵まれることに なるのです。

 1896(明治29)年2月にハーンは法的手続きによ り正式に帰化し、「小泉八雲」となったことによって、

セツも初めて法的にも妻となりました。日本への帰化 はセツと一雄を法的に妻子とするだけでなく、彼は 自分の死後のことまで考え、家族が遺産相続を確 実にするために日本国籍を取得したのでした。

 また彼は日本の昔話を好み、よくセツに話をしてく れと頼みこんでいました。セツも彼が喜んでくれるなら と、古本屋をいくつも回って彼が好みそうな昔話や

怪談の載っている本を集めるようになりました。

 ハーンは1904(明治37)年9月26日に54歳で狭 心症のため急逝します。彼は日本で数多くの作品を 執筆していました。そのいずれも妻であるセツの助 力がなければ成し得なかったと思われます。

 そして1932(昭和7)年2月18日、セツは64歳で 逝去し、それはハーンが没してから28年が過ぎた頃の ことでした。セツの生きた明治の時代ではめずらしい 国際結婚により、彼女は他人から自分を侮辱するよう な言葉をかけられたことも多かったと思います。しかし、

それでも彼女がハーンとの生活を続けることができた のは、言語という障害を乗り越える努力を怠らず、互 いを思いやることができたからではないでしょうか。

■参考文献

 〇長谷川洋二著『八雲の妻:小泉セツの生涯』今井書店, 2014年。

 〇植木武編『国際社会で活躍した日本人:明治~昭和13 人のコスモポリタン』弘文堂, 2009年。

 〇寺井敏夫著『小説小泉セツ』山陰文芸協会, 2015年。

 〇京都外国語大学付属図書館編『ラフカディオ・ハーン―

作品と参考文献―』京都外国語大学付属図書館, 1977年。

たばた さとみ(司書・非常勤職員)

明治期における国際結婚

― 文豪ハーンの妻 ―

参照

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