(小学6年〉
‑0.、 でE玄
社
均
題
小 間 番 号
一
I J良 平一 一
!会 E
一 一
間 調 査
均 平 葺
tメ.~
つ ぎ の 路 年 荻 は , わ が 国 の 』 縫 栄 や コ 二 淡 な ど に つ い て , め る 学 級 で つ く っ た も の で すo年 表を 見 な が ら . 下 の 関 い に 答 え な さ い 。
豹ユ 一九 主六 年 一九 四九 年
一九四六年
昭
一九
四五年
一九
二
一七年
大 正 時 代 一九
一四年
jl"
勾三 一九 一 一
年
一九
O四年
一九
O一年 代
一八九笠年
時 一八九四年 一八 八O年 治 一八 七四 年 一八 七一 一 一年 一八 七二 乞
日眉 一八
六
八年
Ji. 五 年九
④ ア 第 「一‑‑‑,‑,ι後さ
メ 二 I I藤 ℃ 久く
リ 次 I坂 附 ま
払ー世
I
~I
五 ダ 合 主 界 いフi号 衆¥,;大 I 1'‑ や 毘 曳 戦 ! が 五い で 号 が I Iつ 十か ナ 、 終 」一一」く 塁。イ わ ら ダ
ロ っ
n
ムン た た が
が 完
発 成
明 し
さ た
t1. 7と いね の日 間関 の
﹁滋林一号﹂がつくられた 11 1 1L 'h sp il l‑
関東大震災が起とった ‑‑
第一次世界大戦が起った
政一 l 儀長ろ詩宗
峨 1‑ I泌 取 改 く 闘 争 I i欽 争 正 で が 1イl所 が に │ 人 記 I Iが 恕 成 │ 紹
ζI I完 こ 功 │ が つ I ! 肱 っ し1っ
た '一一ー し た た │ く た ! ら 才1
』ま めじ た
[ ρ σ )① 関l明 「 一 寸 め 土 北 明 留 │ 治 │ る 地 海 治 し
l 禁 V : I さ zt
県外 │ 巾 アiに だ 屯
J
じか国│宮古 Iし!!!国主突 と │ が ! Iた モ 兵 へ 成 署│璽
I I
。 雪 が い し あ │京 ー一司 で お たぞ │ に 税 か
はiう を れ
じ │ つ 金 た
め │ さ で
た │れ お
I 7と さ
つをの 1 から 6in~ の文の山から,上の年授のァ,ィ,ゥの円にあてはまるものを一つずつ
えらんで,その番号をに二ゴの中に智さなさい。~
1 愛 知 用 水 が 完 成 し た の 農 地 改 革 が は じ め ら れ た 。 主 諮 問 製 糸 場 ( 所 ) が 完 成 し た 。
わ が 闘 で ナ イ ロ ン が つ く ら れ は じ め た 。 殺 回 佼 宮 が 自 助J沼紛苦手発明した乃
わ が 国 で さ つ ま い も が つ く ら れ は じ め た 。
アの害事え
イ の 答 え
2 3 5 4
ウの 答 え
‑ 7 9‑
6
分 析 的 問 題
つ ぎ の 路 年2<1立.わ が 国 の 設 業 や ヱ 業 む ど に つ い て , あ る 学 級 で つ く っ た も の で す 。 年 表 を 見 な が ら , 下 の 問 い に 答 え な さ L、。
昭 和 時 代 一九 五六 年
一九
四九 年
一九
四六 年
一九
四五 年
一九
三七 年 一九 三一 任
穴i(~代
一九 二三 仲 一九一 四年
一九一
= 一 惇
一九 一一 億
一 2
0
四年一 九O
一 卦 イ~
一八 九
一 江 年
一八
九四 年 時
一八
八O年
一八
七四 年 治 一八 七三 年 一八 七二
年
明 一 八 六八 年 一八 五九 年
@
ア 第 「 ー . . ,‑',佐占
メ ニ I
I
殺 や 久 〈υ
次 I I 坂~ ~閉まカ 而 世 I IF ダ
合!っ界 lウ │号 ム 衆 お 大 I I Lー や 国 ? 戦 I Iが 五 い
で F が I Iつ 十か
ナ . 終 l く 皇り
イ わ 」ー ら ダ ロ っ ,tt ム シ . た ' た が
が ー 完
発 I 成
明 ; し
さ I I・ 7こ
tt I た
O喝を与一ーーヨ》
( )
いね の問 削陥 問﹁ 山林 一
lll'V 号﹂がつくられた一
念 ︒ ぃ
Ill111s関東大同国災が起とった
剣一次世界大械が起とった
最rlm~量る 2i a
争 I I鉄 争 正 iで
│イ I所 が に l人 起 I Iが 起 成 │ 紡
ζ I I完 ζ 功 │ が
I I 成 っ し │ っ た I Iし た た lく
」ー Iた I Iら
I :
I
lめじ①
明治朗水が完成した
とん ずん へい 北海道に屯田兵がおかれた︐ー
! }
│ 1 1 J V 土 地 の ね だ ん に よ 司 て 税 を 金 で お さ め 一
るようにした一
一 引 一
﹄
︺
﹃
② い し
φ
制治維新都が東京に弓つされたlfl開国レて外国と貿易をはじめた
① 上の年授の~の印♂ついている時代は . 臼本の工封もや段撲の発達から見て,どんな軍事代 で す か,手ー テ 印 の下の ( ) にアか ら カ ま で の 申 か ら ,そ れ ぞ 九 一 つ 選 ん で , そ の 符 号 を
) の 申 に 智 き な さ い 。
幕 府 が , 新 し い 鈴 鹿 物 ぞ 奨 励 し た。
自本 rr. せんい工業'/)~. ひ じよ う む い き お い で 先 週 置 し た 。
E立エ殺やJ七学工業がめ 5 玄しく発達し. 工主将の申 ,C~ となってきた。
地 主 の 土 地 を,土 地 . a 耕 し て い る 者 に 渡 す こ と や,そ の 他 の 民 主 化 が す す め ら れ た 。 政 府 がJ-$'~国から新式の機械や技術をとりいれて,近代工業ヂおとそうとした。
大 き な ダ ム や,土 地 改 良 な ど の 自 然 を 開 発 す る 荻 続 が 非 常 に 進 歩 し た 。
つ ぎ に あ げ ( :;・れた6つ の と と が ら は,上 のアか らカ主 主 で の 申 の,どれと 関 係 が
a
り ま す か 。 )のゆに符I!:J‑..at当 きな さ いns : 知 用 水 が 完 成 レ た 。 五 議 地 改 革 が は じ め ら れ た 。 波 間 製 糸 渇(所 )が 完 成 した。
わ が 国 で ナ イ ロ ン が つ く ら れ は じ め た。
︑ ︐
︐︐
︑ ︑
︐
J
︑ ︐ ︐
︐ ︑ ︑
.J
︑ ︑ ︐ ︐
︑ ︐
J
︐I︑rkr︑︐t
︑ ︐
f︑ ︐
f︑ ア
ィ ウ
r
︑
コ ニ
② (
l オ カ
2
3 4
盟 国 佐 吉 が 白 勤 織 機 を 発 明 し た 。
わ が 回 で さ つ ま い も が つ く ら れ は じ め た 。
‑8 0ー
5 6
① つ ぎの1, 2 • 3 , 4の:p:.は,それぞ れ
ψ
の 佳 去にあるC!),②,① ,④ の乙とがらを説明し たものです。正 しいらのを一つだけえらんで,その番号を亡コ のrhに智きなさい。 また・そ の 他の,ま ち が い と 思 っ た5つ の文 に つ い て は,文昨 の ま ち がいと思ったととろの下に 線 を ひ きなさい。1. ((!)のと と が ら の 説 明 ) 政府は ,明治維新後,大工業地待をつくって,
ロ本の近 代 工 業 を さ か ん に するため ,せ ま い 盆 地 の 京 都 か ら よ い 関 東 平野
「ー i
の東京に都をうつした。
L. (①のことがらの説明) 政 府 はs江戸時代廷で「えぞ地」と よ ば れ て い た 北 梅 道 を 開 拓 す る た め に い ろ い ろ な 努 力 を は ら っ た が,明 治 初 年 の 屯田兵の箭IJ肢もその一つであったの 3. (①の乙とが ら の 説 明 ) 明 治 用 水 が 完 成 し た の で , 乙 の 地 方 の 水
ω
は5倍 に も 培えたがaそれは 速 い 琵 琶 湖 か ら 水 を ひ く 鈴 工 事であったため ,完 成 ま でlこ50件以上もかかった。
~ ( @のζと が ら の 政 明 ) r藤 坂E号Jは,藤 坂 試 験 続 が 10年の苦心のすえっくり出し た新しいいねの品留でめるが,ζのおかげで,いねの病 虫 害l;tひじように少なくなった。
調査問 題のね ら い
明治以降の盛業生産や工尖ー生産 の発 達Vて関する理昨 年衰を読む能力
小聞のねらν
、
ω
明治初年,富岡~!7争場(所)の設置のような, 近代的工業導入のための努力が行なわれたことの 浬日( i i
明治中期aぜ ん い工 会の発達陀貢献ーした 盛田 佐吉の 自 動 総 搬 の 発 明 が ら 司 た こ と の 理 解① 第 二 次 大 戦 後,日本の由業伐と4 て大きな 悲 味 を も っ 践 地 改 裁 が 行 な わ れ た こ と の 理 解
これらの問題のねらいから考えて,アの 富 岡 製 チ 場 〔 所)が 応 答 さ れ る ためkては ,単 に 富 岡 袋 弁 場 (所)の名称だ砂を知っているだけでは正答できず, との時期ij~殖産興業のために政府が力をそそい だ時 期 で,近代工ぷー導 入のー っ と し て 富 阻 製 糸 場C
f f f
)がつぐられたという理院がなげればならない。イの盛田佐吉の自主iJ総椴 必 発明陀しでも ,単 K年 表 中 の ー 草 原 と し て で な (,そ の 発 明 か,日三位のせ んい工みの先走した 時 期 で,この先明がそれ[乞大きな役制をはたしてきたことを理解 し て い な け れ ば ならたいM ウ
σ
的下ようI塁jf詳lt帥治が:必、
2
聖t
で4
あbるo分析的問題は・このよザな理解をみるためだ,謂 査 問 題 に な け る 年 表 の 空 欄 と し た 時 期 が,日本の
i
民主主や 工 業の発達からみて,どんな特色のあ る 時 期 で あ っ た か,その理解をみようとしたもので之る。ア '邑陥!~糸場(所) V(.つ い て
「一一l一一一語一一~'-rgr
' ‑ H ! l ‑ ‑ C 7 ;
一一一一 ま ずs調 査 問 題 と 分 析 的 問 題Kつ い て の 応 答 状況は左衰のよう K なっている。分
!
怪州支? 1!?①
1 T
I
1 b 4 5 2 自守 合 1
。 。
間 .,. 4 15 14 疋i
{ 訪
2 5 8。〕 カ ι ,、 5
ア 日 刊 :
32 31 o日14 5 6 2 5
。。
日。 ι
5 日 4。
日。
。
日。
31 14 8 無 !計
日 17 D 11
。
1 45 日 18。
5 1 5 211日日調査 問 題では,民地 改 革 に 3 3名,富 岡 製 糸 場 〔 所)Vt31名 の 芯答:があり, E基地改革と混 同 し てい る 者 かf!.ぃ。 そ こ でsこの時期をどの ようK考えたのか 分析 舵 問 題 で み る と 富 岡 製 糸 場 〔 所 )と正し〈応答した 31名 の う ち,8名 だげが, タ~[}Iから近代工業を導入した時期 ι考
‑B 1ー
え て .
WH
よ・幕府ι
7),農地改革をー説明した時期κ
応答している。調企問題、で五基地改革VL応 答した33名のうち1 5名がsうチ街的問題でとの時期を民主化,耕作 者
κ
解 放し:て時期としている。きらに児童全員のうち45名がこの時期を土地解放,民主化の持 このことは,明治維新後の新しい時期と第二次大戦後の時期とを児童は混向して ''''ること守来しているわけで,その理由は年歩の地租改正の説明から混同したものと思われる。したがって, ζの問題がねらっている,この年表で,だいたいの臼本の長業, 工業が発達した 期としている。
しかし一面,年表にある地 大きなiJiLれ を つ か むことができなかった,ということがいわれよう。
租改正の文芸髭で,まぎらわし〈している点は,6!1f.・生
κ
対してやや無理な問題設定をしているの 盛田佐子守の自lli)J餓搬の発明につ凶て イこれを関w.問題と弥折的問題
ω
との応答分布でみると左表のようになる。
調査問題の応答をみると ,富 岡 製 糸 場 ( 所)と考えたもの<11名,豊田佐吉の自動
絞殺の発明と正答したもの23 名であ~。
富岡製虫色場(所 j と応答した~徒はs こ の時代守どのよう
κ
考えたかを少析酌問題調 査 間 題
jお択!同 1 2 5 4 也) 6回無 骨ト
ア
。 。 。。
日 2ω
2 日 11 2 8。 o
1 25ウ 2 5 ? 11 10 27
ニE 5
。 。 。
61 ;
?。。。
2。
21 16 5。
‑。
4。 。
2 01 34 日 61i
計 18l 4141 61 23! d ではな凶かaということも考えられる。分 析 的 問 鐙
でみると.1 6名は政府が機械,技術を導入して,近代工業‑を起こそうとした時期.1 1名がせ ん凶工業が亦 'X~ 1.で勢いで発達した時期として凶る。
向田!約機κjE余した2.5名のうち,1 0名は重化学工業が発逃して工業の中心になった時期, 8名 が せ ん
ν
、工裁の発迂した時期となっている。小公定5
f r
の 指 導 内 手 では,工業の発注した大きな流れを理解さぜるためVL,富岡製来場(所〕や豊田佐官のm:~声が指導されるのであるが s寸こどもたちが問題に応答するし方は,との年表で示 されたことがらから工業の発iぎの疏れを考えて位位づげるのでなぐ,富岡~系場(所}とせん凶 工業がめさ'ましぐ発主ぎした時期,
gz
,織機の発明と重化学工楽‑の発達,というように似かよった ことばから布断ずる待向を示している。そのようえE思考に対してs調査問題の年衰の問題は空欄 の隣VLr
八 幡製 鉄 所 がつ 〈 ら れたJ
とあるので,それに関係づげて,製 糸 場 〈 所 ).または自動 織惨と反応している傾向がうかがわれる。良i{iJ.1;t単について ウ
調査問j必と分析的問題との応答分布の関係は下表のようになっている。調査問題では ,ナイロ ンがつ〈られはじめたとするものが4.5名,愛知用水の完成VC1 8名,畳回佐吉の自動織機の発 明氏 16 名,正~である農地改叢VL は 1 1名でるる。大部分が戦後のできごとである選択肢に応
4 4 :
しているがa正答はわずかに 11名でるる。ナイロンvc最・も多い理由は,その?年前にアメリカでナイロンが発明されたという事項が年表 にあるからで&ろう。 ζ こでもことばからうげる直観的4~rf:析で反応している傾向がみられる。
そして,この間起をどのよう K考えたi.J、を分析除問趨でみると .4 1名がダム,土地改良など の同
; r
主1 M
発κ
応 答して;1:;、!J)それは,年表の中の佐久I H J
ダム,五十里ダムの完成から明断したも‑ 8 2ー 岬で~ろう。
調 査 間
1 匂
I
314 1
5 題6 i枠 nさj・そして,土地の解放,民主化については 11名 である。
ア D
う?
2
i o !
7。
日 主 したがってs調査問題の年表にある事項「第二 次大戦が終わる」と選択肢でるる農地改革,とい うように関係づけなhで,アメリカのナイロン D 01 10折 イ
ウ 1 11 10 4 D 18 的
@ z
41 1。
日 日 11間
。 │
41 4 12 臼本でナイロンがコぐられはじめる,というように結びつけられ,しかも,この時期を戦後の 民主化としないで,佐久間ダム,五 十 里 ダ ム と い う記載事項から,自然を開発する技術の発達した 時期として凶る。つま!J,兇主主は臼本の工業,五品
オ 2
。
題
」 ー
カ 1<11 3 21 ~5
i
5 2 日 41無 G 日 日 11日
。
2│計
~
61 4吐
17 4 1110日業の発意しだ流れの中氏位置づげて,雷 同 製 糸 場 ( 所 ),盛田佐吉の自動織機,白地改革などを 考えたのでな<,空闘のそば
κ
記載しである事項に似かよったものを選んで解答:しているわけで るる。しかし,一面, 5年tて学智したことをもと犯 して解答させるこの問題が,;i;る程度解答で きる手がかb
となるような事項を年表にもう少し記殺すべきであろう。この問題は,むしろまさeらわしい事項司令記載して,問題をひねっている点.6年生に対して問題としての要求が高すどる のではないだるうか。
このことは調査問題Cア,イ,ウの三間をと会して a三っとも正答ばわずか2名でるることか らも推測されるのであるコ以上は , 詞資問題の年表になける空棚に対する反応、と , その~仰のあ
る時期を日放の島
Z E
,工業の発遂のどのような時期としてとらえたか sとの関係をみたもので あるが ,I:J業,工業rl)~経連と遼択肢の問題との関係をどのよう K 考えたかを分析的問題~)でみる。分析的問題色j
幕富野除
J
酎滞克直彦lせのん発い工道業 重・イ惇発達工民主化 近 代 工 業
土 木開 発 無
業 の の 導 入
.愛知用水の完成 玄、ー 6 2 4 3
@
4山 地 改 革 15 5 5
@
7 5 6E
言問製糸場(所) ~ 37 20 7。
3 2ト一一一
ナイロン 2 30
。
5 B 2 4豊田佐官 7
@
10 5" 9
さつまいもの栽培
@)
2 5 14 7 5このような問題形式で,選択肢が,どのような工業,良薬の発達した時期vc::会げるできごとで あるかということは ,富岡製糸場(所〉と豊田佐官の自動織機の 2項目を除いては比較酌よぐと らえられている。
この2.E百E;vc::ついては s その時J~jを混同して,富岡製糸場(折)は臼本のぜんい工業の発芝し た崎代,室田佐吉の自
i l i ; l
級搬は・政府が外国から新式の椴械,i
亥術主'とb
入 れて,近代工業主";1;>ζそうとした時代, として凶るところから,分析的問題①と合わぜ考えると,記 査 対 象 の 児 童 が a 上 記2項目につ凶ての知識がとほしいことは明確であると結論できる。
‑ 8 3‑
その他の項目に閲しでもる日まいな理解でるるから,島地改革が幕府の新庄産物の奨}jj)Jの時期
『てたされたとするものが18名もいるわ』ずである。
以上, この年衰の詔査問題,分析的問題に対する児童の反応なみると,次のようなことがいえよう。
調査問題の畳間に入るべきi笠択肢,農 地 改 革,盛田佐吉の同
l l u l
維持苦,富岡I I I
山弁穆(所)VC闘すゐ 知 識 が不じゅうぶんである。日本 の 工 業,r.;撲の発達のあらま しについ て の 理 解 訪 日 ぽ し 凡 それに対して,年 歩 の空欄f'r記入させる院題が
空 間 の 付 近fta 児童が誤bやすい事項そ記載して,問題をひねっている。
そのため児叢は,阜 地 改2容を,土 地
κ
関することを書いた地租改正のとな!JJナイロンを,アメリ カでナイロンが 発 明 さ れた,のとなt;,と凶うように ,単純に似かよったととばだげから反応したも のと推浪Ijされあ。6年生として,年表の記載された事項にまどわされ ず,その日寺期の特色を考え,選択肢に関する知 識を使って応答することは .この問題
κ
関 し て は わ ずかなものでしか な凶。分析 的問題([:'f'rつ'.1">て
これは , 調査問題κ ;I;~.1">ては,年表中の4つの事象f'rつ凶ての説明文の中から,一つだけ正しlI"も のを選択させる問題で&る。間 査
P d l
頚としてのねらいは ,明 治 初 年,北海道の屯田共制度がしかれた意図
κ
つlI"ての理解,をみることでるる。当然、ここでは,単K屯田兵制度につ い て だ け の 理 解 で な <,他 の5つの事象
κ
ついての正確な知識 がなければ,説明文について正誤の判断はできないわ貯である。そこでヂ析的問題として・とれを1im査問題として月JIf'r実施せず,分.tIT的問題中
v c
挿入して,誤D
と して判 断した 3つについても,それを誤bと考えた記述の音s7:'に下線なひかせるととによって, その 理解のようすと ,判断の恨拠とをみようとしたものである。反応状況は下表のようVてなっている。正としたもの 誤
b
のf
旨摘 誤b
の 指 摘 が あ っ た も の がなかったもの 東京選者s v c
つ 凶 て 1 1 5 6 3 3 屯 白 兵制度v c
フ凶て 3 9 .5 3 2 8明治用水に つ い て 1 i 5日 3 3
藤 坂 五 号 に つ いて 3 2 3 5 3 3
,
上 記4つの事象についての説明文中,記述の正しいもの(屯白兵制度につMて)として指摘したも の39名,す な わ ち,詞否問題だけではこれが正答数となるわけで主る。
ここで誤りとして指摘された部分Kついてみると以下のよう
κ
なる。(1 ¥東京選都につhて
C
5 6名)く の
屯B兵 制 度κ
つ い て (3 3名 ) 大工業地帯をつぐって 2 1名 明治初年 1 7名 広 い 関 東 平 野の英京 に う つ し た 1 2名 開拓するため 7名 せ ま い 盆 地の 1 1 % そのイ也 9,各明治維新後 4名
その他 B名
‑8 4ー
(?i 明 治 用 水 に つ い て (5 0名 ) ④ 藤 波 五 号 に つ 凶 て (3 5名)
5日年以上 2 4名 病虫害 2 1名
事揺湖 1 5名 1 0年 7名
[
,
r
苔 に ふ え た P主5 そ の 他 7名そ の 他 2名
以上?と会してみられることは ,次のようなことである。
問題の記述が誤りでるると判断し/.1.・がら ,その恨拠を明確陀指摘できないものが.4つの問題文 のそれぞれについて,
t
程度存在する。訪って凶る個所を
f
旨摘しだけれども,正しぐ指摘できたものはさらκ
少な〈なる。このことは,なんとな〈誤っているだろうといろあいまいな判断かs屯図兵制度
κ
つ いての説明が正しいと考え て,他はあまり考えずに誤b
としたかのどちらかであるう。屯田兵制度についての説明ヌーの中で 「明治手
M
手」が 誤b
とした。ものが1 7名で最も多い。との点、は最初から予想されていたことで.of‑表では,屯田兵制度を18 7 4年 ( 明 治5年)のところに記 敵されてWるが.児童は「明治初年」を「明治元年」と 考えて,この文守話、
b
としたのではなかろ うか。ずると ,これは問題文K も不注意なところがるったといわれる,という予想がある程度的中 したわけである。調査問題の藤坂五号が正し凶,とした生徒は5 2名もいるわけだが,これらの生徒は藤坂五号が 病虫害l宅対すふもの, という誤 þ (l(.気づぐ ことができi"tかったわけで, とのよ予な霊安な~!?a--指 摘でき?児童は2 1名でしかね;凶ことは ,基礎的な王里解が不じ岨うぶんで再三るといえよう。
明治用7.1<(1(.つhては ,正しいとした生徒は 1i名で.大部 分 が 誤
b
としているが・そ の 誤b
を正 しもf
封筒できた児童は15名でるる。百」否問題は 3f音とか50年ということで正誤の判定を要求して い る わ げ で は な (.位置的な判断で判定されることを意宮したものと居、うが,~そfきは 5 0年とか51
音というような数量酌なもので考えようとした修向がみられる。以上を考えてみると ,この問題にかいても ,知識をはだらかせて考えるというよ !J.読八だときの
E
主観的な判断でU
容してぬる傾向がうかがわれるのでるる。調査問題
小問主宰号15 J尽 平 均35.2 全 国 平 均36.8つ ぎ の1.2.3.4の 文 の 申で, r~岡製糸場(所)Jと 「八 幡製鉄 所 」 のどち ら に も あ て は ま る と と が ら を の べ て い る 文 はどれですか。 いろ ば ん よ く あ て は ま る も の を一つ だ け え らんで , そ の 番 号 を 亡二コ の申に 曾 き 忽 さ い 。
1 明 治 政 府 カ勺 殖 是 主 興 業 や 包 国 強 兵 のため に つ くっ た宮 営 工 場 で, 機械 に よ る 生 産 が 行 な わ れ ,わ が 国 の 近 代 工 業 の 発 滋 に 大 さーな や く わりをはた し た 。
2 明 治 維 新 後 ま も と よいζと な ので,政 府 が 舛 悶 か ら資金 をか り てつ く った工 場であり , その 製 品 の 大 部 分 は 係 閣ヘ輸 出 さ れ た 。
3 明 治 政 府 の 官 営 工 場 と し て 出 発 し た が .8持 者 戦 争 の 乙 ろ,そ の 資 金 ぞ 出 した民 間 の 人 た 当 に は ら い さ げ ら れ,そ の 後,ま す ま す さ かんに な っ た 。
4 明 治 維 新 後.iDltを 失 な っ た 武士た ち が ,民 間 の 資金字 架 め で つ く った工 場 で お る が,工 場 の 酬 に な れ な い た め , し だ い に お と ろ え て し ま っ たQ
I 一 一 │
‑8 5ー
分 析 的 問 題
ω
つ ぎ のと と がら の 申 か ら 府 間製 糸 場 (所 )にあては;;1::るととと八幡 製 鉄 所 に あ てはまるζと を ,そ れ ぞ れ 三 つ ず つ 選 ん で sそ の 符 明 下 の 仁 コ 山 崎 き な さ い 。 た だ し , 富 町 民 糸 織 ( 肋)と八 幡 製 鉄 所 の ど ち らSこ も あ て は ま る も の が一つ あり ま す。ア 明治維新後主主も1'.lく つ く られた。 イ 大 正 時 代 につ く ら れ た。
ウ 昭 和 に な っ て か ら つ く られた。
エ 巳 露 戦争の 前 の と ろ つ く られ た。 オ 政 府 が 長 金 を 出 し て 工 湯 を つ く っ た 。 カ 民 間 の 人 が 資 金 を 山 し て 工 場 を つ く っ た 。
lよく
キ 肢 を 失 な っ た 武 士 た お が 工 場 を つ く っ た 。
ク 遼 れ た工業 を と り も ど す た め , 新 式 の せ ん い 機 械 を 外 国 か ら と り よ せ て つ く っ た 。 ケ め ら ゆ る 生 崖 の も と に な る 鉄 を つ く る 近 代 工 場 と し て つ く られ た。
コ i亙れ た 鈎奴エ業をJlj還さぜるために話通械をつくる近代工場 と し て つ く られ た。
( g ̲ )
笈 岡 製 糸 場 ( 所)と 八 崎 製 鉄 所 の 両 方 に あ て は ま る と とは , ど ん な とと で し ょ う か 。 つ ぎ の 山から両方にあてはまると思うものを三つ選んでa その符号をして二~小南に省き泣きい。ア 製 品 を 外 国 へ 輸 出 す る た め に つ く ら れ た 。
主哉と
イ ヱ 巣 の 機 械 化 を 進 め , う 外 国 に 劣 ら な い 国 力T.e持 つ よ う に す る た わ に つ く ら れ た2
Iよ〈
ウ 磁 を 失 な っ た 武 士 を す く う た め に つ く ら れ た 。 ヱ 政 府 が 資 金 を 出 し て つ く っ た 工 場 で あ る 。
オ は じ め は 政 府 が 経 併 し た が.A持者戦 争 の と ろ 民 切 に は ら い さ げ られ た。
カ キ
た つ た れ だ ら 役 く に つ 淫 く 宛 な の も 業 ま
主・
代 後 近 凶 新
の
い続 本 治 日 明
むよ
ザ︐
し
閣内脱
を
ば 出 場 と 工
乙か営の
い川 官
ぎつ
{也
しよ〈さAよささ'ょうJ,,‑.<i!"ょ~、
沼 産 拠 鍛 や s ' 国 強 兵
調
査 問 題 の ね ら いl五三位の近代工業発達。中で,宮 陶 製 糸 慶 ( 所) .八 幡 製 鉄 所 の は たし た 役 割Vてつ''''''ての理解,をみる こと
κ
なっている。この 払 査 問 題を解 〈 た め に は,雷 同 製 糸 場(所)vr.ついての 知識 と 八 幡製 鉄 所Vてついての 知 識 に 基 づ いて ,選 択 肢 の 文 章 の 中 か ら 両 者K共 通なもの を 判 断し なり れ ば な ら な い,し た が っ て,分 析 的 日 摘 は 両 者 の 共 通 点 を 執 断 し う る だ げ の,富岡 製 糸 場 ( 所 ) . 八 幡 製 鉄 所K関 す る 知 識 そ も っ て い る か ,全1t.そ の 知 識 か ら 共 通 点 を 抽 象 し 得 る だ け の 能 力 は ど う か 。 ま た,問 題 文 中VC.相 当 む ず か し い
こ と ば が 使 わ れ て い る が , そ の 理 解 は ど う か を・みるためvr.フ〈 ら れた。
払 査 問 題 に 対 す る 応 答 は 下 表 の よ う n :> 正 答
f i
11 7名 で,約半 数 近 〈 ある が,選択肢31{:応答した2;: 名 は,日 清 戦 争 の と ろ と い う 時 代 右 弁 月IJで き な か っ た も の で あ る う 。│ 選 択 肢
│ ① I
2I
3I4 ‑ '
無│
計応 答 数 ! 47
I
14I
25I
11I
3I
100こ の 調 査 問 越 え 応 答 し た47名 が,分釘的問題。(!)‑t',宮 間 製 糸 穆(Fifi),八僻」製鉄所のそれぞれに つ い て , 三 っ と も 正 し 〈 選 択 肢 を 選 ん だ か を み る と ,正 院 は 富 岡 出 糸 場 ( 所)~ 1 5名,八 幡 製 鉄 所 に
‑el6‑
2 0名である。
正 誤 無 正 誤 無
富陥穆
2 5
名場(所〉1 5 31 八 幡 製 鉄 所
20 26
そして,開 腕 場 伊),八 慨 鉄 所 と も 陀 正 し ぐ で き た 胞 は 10名 で 抗 。 っ さ ト正 答し た47名のうち,3 7名はかならずしも富岡製弁 桜(所)と八自榔品鉄所を具体的にぶ〈知って
1 3 3 4
容し ているわけではな加。これに対して調査問題に誤った53名は冨陪臨糸桜(所)・八幡製鉄窃のそれぞれ
κ
ついて,どの 程度の知識をもっているか.I E I
じ〈併用旬間都の①でみると次のようκ
なる。正 誤 無 i正 誤 無
富岡製糸場(所)
8 4 1 4 八 時 製鉄 所
8 4 0 5 やはり具体的な知識がたいから誤った sというととを示していゐか.それぞれ 正 院 し た8名はaそ れぞれの項目についてはっきタし知識をもって凶ることになる。正尽したそれぞれのB名のうち,両
者ともに正肝したものは1名である。
以上から,鈎査問題K正答したもOと誤っているものの中の何割かの児童の知識.理 解VLはそれほ ど大きな差はな〈明確K理僻して正答したというのは 10名であゐ。その他の大部分が,部 分 的 に は 知っているが部分的には知らな凶で, 直観的VL .!f'iI桁し ,その中で~査問駁 VL 正答となったものと誤っ たものと
κ
わかれたと凶うことができょう。そのような傾向は ,分続 的 問 題(j)7)応答分布 〔 下 表 )で もうかがわれる。ゅの選択肢 富 岡 製 糸 場 開 │ 匂
八幡製鉄所
,
2 l' 16庁 直
0 印の正~VL 対する応冬~はー芯高いのでるるが,三っとも正答としたのは 2 3名,2 8名と それぞれきわめて少ない。
次に ,分析的出
l
緬:?̲)は .Q . l V
C:除いて宮岡以弁桜f所).八時出鉄百Tj‑rcついて.翻笠問題か即決する 知殺をどのようにもっていゐかをみて,次に,それをもと比して,どのような共通性をとらえるかを お 査したものである。これについてv
L[.答分清司ま次のようになってl'¥る。・ェ│ォ
i
ヵ│キI = ‑ ‑ = : ‑
正 答 ! ここでも部分併に正容に対する反応は多いが,例 24
竺L̲
281 241
三っとも辻容したものは2 4しか冷い。この結果を,&¥;j査問題と分析的開通
ω
との凶係でみると次のようκ
まとめられる。。詞査問題I'L正答:し,分析的問題(1;で両者正符の 10名のうち,三っとも正し〈共通点をあげること ができたものは8名でるる。
。分析的問題
ω
で誤答した 37名のうち分析的制足匙)で三っとも止し〈共通点をるげることのできた ものはる名るる。。詞査問題では誤答でるった5 3名のうち分析肋間足l:lC!lでこっとも正容でる司た 1名は,とζでもi上 容している。
。残
b
の52 名 κ ついては , 分析伊問癒訟で共)Æ点を三っとも正し〈おげたもむは?名で乏~ J 4 3 名は誤っている。‑ 8 7 ‑
以上を総合してみると・しばしはー述べたように,調査問題K正答したからそれを理解している, また誤ったもの全部はそれを理.解していな:0・ということはいわれない。問却を分析 酌 に すると , 前 の 正解 者 が そ れを誤t>. 前(11:誤ったもののまtr~ても正}拝者が主" Q・ぴらに見
! I
のヂ析的問題となると また別の応答がみられ,一貫して理解し,正答しているものはどぐわずかであるということができ る。こζま で に つ い て 調 査 問 題Kついて倹討すると,調査潤題''(:,1;'げる選択肢の文章Vてついて,じゅ うぶんK意味を読みとることができないためf(勝
7
が で き た い も の,宮 間 製 糸 場 ( 所).八幡製鉄・所 陀 つ いてあいま い な知輔のため判断ができな加もω
な ど が 考え ら れると思う。分析酌問題①について
とれまで
κ
考えたことから,とo
て殖産興業,宮 届 強 兵,官;宮二L 4 S }
ということば を どω
ょう('C珪 解 し て い る か 含 み る た め に 分 析 的 問 題 ① そ っ (!'J .そ れ ぞ れω
章味を記述させた。ζれVてついて正しい記述をしたもωをみると,
'fI営工場 2品名 殖 産 興 業 ?名 古 副 強 兵 1 8名 か み ら れ る だ 付 で あ る 。 これを調査問題で正答であった~ 7名{そっlハてみると ・
官 営工場 21名 /~ 7名 殖 産 興 業 8名/ 47 ~古 市出!必i兵 1 7名/47名である。
さら(11:.三っ と も 正 し い 記 述 を し た も の は7名/47名である。
と1) 1 ょう Kみて〈ると , これらのととは・の意味を大部分の児章は理fß しない~;Hて応答しているこ ことになり ,そ の 点 問 題 文VC:t'けJうことばが相当大きY生活寄Kなっていたと加うことがいわれる。
しかし,分折針問題(i.). (zは aとのことは・を具体的に
d l :
きなかしてさるが・上記のような応答の傾 向を示している点を考えると・こω
ことばを共{大的v c
辞 書 な な す こ とVζよっても正谷できるもω
は わずかな数でるり,やはタ!長本は,こ山市1
貯 をfJt汐とすゐ具体的な知識 ・理解がなかったも山ということができょうF
‑88‑