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密教文化 Vol. 1990 No. 170 003所 理恵「『成実論』・『倶舎論』と喩譬者・経量部との関わりについて (1) P48-69」

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全文

(1)

密 教 文 化

・経

(一)

﹃ 成 実 論 ﹄ は 従 来 、 経 量 部 の 所 属 で あ る と 言 わ れ て き て い る 。 そ の 論 拠 の 一 つ に は 、 嘉 祥 大 師 吉 蔵 の ﹃ 三 論 玄 義 ﹄ の 中 に 、 ﹁ 有 人 言 。 偏 斥 二 毘 曇 一。 専 同 二 讐 愉 こ 。 ﹁ 真 諦 三 蔵 云 。 用 二 経 部 義 一也 。 検 二 倶 舎 論 一。 経 部 之 義 多 同 二 成 実 一。 ﹂ ﹁ 小 乗 学 者 之 匠 鳩 摩 羅 陀 上 足 弟 子 請 梨 践 摩 。 し 云 々 等 の 記 述 に よ る も の と 考 え ら れ る 。 右 の 中 、 鳩 摩 羅 陀 と は 讐 喩 師 の 祖 で あ る ク マ ー ラ ラ ー タ (kumaralata)を 指 し 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ の 作 者 河 梨 践 摩 (Harivarman)が そ の 高 弟 で あ っ た と す る も の で 、 従 っ て 詞 梨 践 摩 が 讐 喩 者 で あ る こ と を 示 す も の で あ る 。 ま た 近 年 で は 水 野 弘 元 氏 が ﹃ 成 実 論 ﹄ と 讐 喩 師 の か か わ り に つ い て 、 そ の 思 想 の 対 比 を 行 い 、 多 く の 一 致 箇 所 を 指 摘 さ れ し い る し 、 他 の 諸 先 学 に も ﹃ 成 実 論 ﹄ を 経 量 部 所 属 と す る ( 2 見 解 は 多 く 、 も は や 定 説 の 観 が あ る 。 し か し ﹃ 成 実 論 ﹄ の 思 想 の 根 底 を な す も の は 、 滅 諦 聚 に お け る 三 心 の 滅 (滅 仮 名 心 、 滅 法 心 、 滅 空 心 ) に 示 さ れ る ご と く 、 空 観 思 想 で あ る 。 そ れ 故 に 鳩 摩 羅 什 の 翻 訳 に よ っ て 以 来 、 中 国 に お い て は 大 乗 空 観 思 想 の 論 書 と し て 隆 盛 を 極 め 、 長 き に わ た っ し 研 究 講 読 さ れ て き た 。 し か し 吉 蔵 は ﹃ 三 論 玄 義 ﹄ そ の 他 の 自 著 の 中 で ﹃ 成 実 論 ﹄ の 空 観 思 想 を 小 乗 の も の で あ る と の 激 し い 批 判 を 下 し 、 そ れ 以 後 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ は 中 国 に お い し も 、 ま た

(2)

日 本 に お い て も 全 く そ の 姿 を 消 し て し ま っ て い る 。 ﹃ 成 実 論 ﹄ が 大 乗 で あ る の か 小 乗 で あ る の か の 判 断 は さ て 置 く と し て も 、 そ の 根 本 の 思 想 が 空 観 で あ る こ と は ﹁ 三 心 の 滅 ﹂ の 他 に も 、 真 俗 ) 諦 中 道 を 随 所 に 説 い て い る こ と な ど か ら も (3) 明 ら か で あ る 。 ﹃ 成 実 論 ﹄ の 成 立 年 代 は 詳 ら か で は な い が 、 お よ そ 三 ・ 四 世 紀 頃 で あ ろ う と さ れ て い る 。 こ の 頃 で は す (4) で に 龍 樹 の う ち 立 て た 大 乗 中 観 思 想 が 流 布 さ れ し い た で あ ろ う こ と が 考 え ら れ る の で あ る が 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ の そ れ が 、 般 若 経 か ら の 流 れ を く む 龍 樹 の 空 観 思 想 と 同 様 で あ る の か 否 か の 判 断 は 決 定 し 難 い 。 そ れ は 論 の 構 成 が 四 聖 諦 に の っ と (5) っ て な さ れ て い る こ と や 、 阿 含 ・ ニ カ ー ヤ の 経 典 を 随 所 に 引 用 し て い る こ と 等 の 理 由 に よ る 。 こ の こ と は ﹁ 経 を 量 と す る ﹂ 経 量 部 の 立 場 で あ る こ と と も 関 わ る や も し れ な い 。 確 か に 上 述 の 水 野 弘 元 氏 の 論 文 に 示 さ れ る ご と く ﹃ 成 実 論 ﹄ の 中 に は 讐 喩 者 説 と 一 致 す る 箇 所 が 多 々 見 い 出 さ れ る 。 し か し ﹃ 成 実 論 ﹄ の 独 自 の も の と も 言 い 得 る こ の 論 の 根 本 を な す 空 観 思 想 と 、 経 量 部 の 思 想 と が 、 ど の よ う に か か わ る の で あ る か に つ い て は 未 だ 解 明 さ れ て い な い 。 本 稿 で は そ れ を 明 確 に し 、 ま た そ の 研 究 過 程 に お い て 導 き 出 さ れ た 讐 喩 者 と 経 量 部 の 関 係 と 、 さ ら に ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 立 場 と ﹃ 成 実 論 ﹄ と の 関 わ り を 明 ら か に し た い と 考 え る 。 (一) 讐 喩 師 (ま た は 讐 喩 者 ) と 経 量 部 と は 、 従 来 、 単 に 時 代 的 な 差 異 が あ る の み で 、 思 想 的 に は 同 一 の も の と し し と り 扱 (6) わ れ て き し い る 。 し か し 果 し て 同 一 な る 思 想 が 時 代 の 流 れ の 中 で 全 く 別 の 名 称 で 呼 ば れ る と い う こ と が あ り 得 る の だ ろ う か 。 た と え 、 も と も と 同 一 の 思 想 か ら の 発 展 で あ る と し て も 、 呼 称 が 変 化 し て い る と い う こ と が す な わ ち 思 想 の 、 変 化 を 示 し て い る と は 考 え ら れ な い だ ろ う か(7 )。 経 量 部 に つ い て の 研 究 は 先 学 諸 氏 に よ っ し 多 々 発 表 さ れ し き し い る ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

(3)

密 教 文 化 (8) が 、 讐 喩 師 と 経 量 部 の 歴 史 的 な 関 係 に つ い し の 論 述 は な さ れ て い る も の の 、 思 想 的 な 関 係 に つ い し の 考 察 は 深 く は な さ れ て い な い よ う に 思 え る 。 ﹃ 成 実 論 ﹄ の 思 想 と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 の 思 想 と を 対 比 さ せ る う え で は 、 こ の 問 題 が ま ず 明 ら か に さ れ な け れ ば な ら な い と 考 え る 。 従 来 の 研 究 に お い て 讐 喩 者 と 経 量 部 の 思 想 が 同 一 の も の で あ る と さ れ て き た の は ﹃ 順 正 理 論 ﹄ の 記 述 に よ る と こ ろ (9) 大 で あ る と 考 え ら れ る 。 衆 賢 は こ の 論 の 中 に お い て 、 経 量 部 、 経 部 、 讐 喩 者 、 讐 喩 部 師 、 上 座 な ど の 名 を あ げ て 、 こ れ ら を す べ て 同 一 の 思 想 と し し と り 扱 い 随 所 に と り あ げ し 批 判 し て い る 。 周 知 の ご と く ﹃ 順 正 理 論 ﹄ は 世 親 の ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に 対 す る 反 駁 書 で あ り 、 衆 賢 は 世 親 が こ れ ら の 経 量 部 に 与 す る も の と し て 反 論 を 行 っ て い る の で あ る か ら 、 世 親 の 立 場 を 讐 喩 者 ・ 経 量 部 で あ る と み な し て い る こ と は 明 ら か で あ る 。 確 か に ﹃ 倶 舎 論 ﹄ は 経 量 部 説 と し し ) 十 一 回 、 讐 喩 者 説 と し て 三 回 と り あ げ 、 全 体 と し て は 経 量 部 に 賛 意 を 示 し て い る 。 こ れ ら の こ と か ら も ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 立 場 は 讐 (10) 喩 者 ・ 経 量 部 で あ ろ う と さ れ て い る 。 し か し こ の 中 、 讐 喩 者 説 と し て あ げ ら れ て い る 三 回 に つ い て は 、 世 親 が 讐 喩 者 説 に 対 し て 反 論 乃 至 否 定 し し い る 箇 所 な の で あ る 。 こ れ に つ い て は 後 に 論 じ よ う 。 さ し 讐 喩 者 の 思 想 に つ い し は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ が あ げ ら れ る 。 こ の 論 中 、 讐 喩 者 説 が と り あ げ ら れ る の は 合 計 八 十 三 ( 11)(12) 回 に 及 ん で い る 。 今 、 磐 喩 者 の 思 想 を 知 る た め に こ の 内 容 を 分 類 し し み よ う 。 (1) 有 部 の 三 世 実 有 説 そ の も の に 対 す る 反 論 7 回 (2) 無 心 定 、 静 慮 等 修 道 論 に 関 し て 13 回 (3) 業 論 に 関 し て 11 回 (4) 煩 悩 論 に 関 し て 12 回

(4)

(5) 有 部 の 説 く 法 の 実 有 に 反 対 し 、 法 の 無 自 性 を 主 張 20回 (6) 識 に 関 し て 6回 (7) 心 心 所 法 に 関 し て 10回 (8) そ の 他 4 回 説 一 切 有 部 が 主 張 す る 思 想 の 柱 は 、 三 世 実 有 法 体 恒 有 説 で あ る 。 讐 喩 者 の 思 想 は 右 の ご と く に 分 類 さ れ 、 そ れ ら は こ (13) と ご と く 有 部 へ の 反 論 と な っ て い る が 、 集 約 す れ ば (1)の 三 世 実 有 に 反 対 す る 説 と (5) の 法 の 非 実 有 、 無 自 性 と に な る 。 す な わ ち 讐 喩 者 の 思 想 の 根 本 は 、 説 一 切 有 部 の 主 張 す る 三 世 実 有 法 体 恒 有 説 に 対 し し 、 現 在 実 有 過 未 無 体 説 で あ り 、 そ し て 法 の 非 実 有 、 無 自 性 と な る 。 こ れ が 警 喩 者 の 思 想 の 根 幹 で あ る 。 以 上 の ご と く ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ に 頻 出 す る 讐 喩 者 説 に よ っ て そ の 思 想 が 見 い 出 さ れ た 訳 で あ る が 、 そ れ で は そ れ ら の 説 と ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に み ら れ る 経 部 説 、 讐 喩 者 説 と を 対 比 し し み よ う 。 ま ず は じ め に 経 部 師 説 の 主 な る も の を あ げ 、 そ れ ら の 一 々 に つ き ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ の 讐 喩 者 説 と の 対 応 を 試 み よ う 。 但 し こ こ で は 単 に 、 経 部 師 説 と 讐 喩 者 説 と が 対 応 す る か 否 か を 眺 め る に と ど め る こ と と す る 。 (尚 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ は 玄 訳 を あ げ て い る が 注 書 に 、 漢 訳 で は 省 略 し た 部 分 も 含 め て そ れ ぞ れ の 梵 文 を あ げ た ) (1) 異 生 性 に つ い し 、 (14) ﹁ 如 二 経 部 師 所 説 一為 レ 善 。 経 部 所 説 其 義 云 何 。 謂 曾 未 レ 生 二 聖 法 一相 続 分 位 差 別 名 二 異 生 性 一 云 々 し ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 ) 一二 ・ c ) と 異 生 性 と い う 法 の 非 存 在 を 説 く 。 こ れ は 、 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ の ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

(5)

密 教 文 化 ﹁ 或 復 有 執 。 異 生 性 無 二 実 体 一 。 如 二 讐 喩 者 ︹ ( 大 正 ) 十 七 ・ 頁 ) 三 一 ・b ) に 対 応 す る 。 (2) 生 住 異 滅 の 体 の 非 実 有 に つ い し 、 (15) ﹁ 経 部 師 説 何 縁 如 レ 是 分 二 析 虚 空 一 。 非 四 生 等 相 有 三 実 法 体 如 レ 所 二 分 別 一⋮⋮﹂( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 ) 七 ・ b ) 右 の 四 相 に つ い て は 讐 喩 者 は 異 を 除 い た 三 相 を 挙 げ て い る 次 の ご と き の 文 が 相 当 す る も の で あ る と 考 え ら れ る 。 ﹁ 謂 或 有 レ 執 三 有 為 相 非 二 一 刹 那 哨。 如 二 讐 喩 者 一。 彼 作 二 是 説 一。 若 一 刹 那 有 ) 三 相 唱者 。 則 応 二 一 法 一 時 亦 生 亦 老 亦 滅 一 。 然 無 二 此 理 一 互 相 違 故⋮⋮し( 大 正 ) 十 七 . 頁 ) ○ ○ ・ a ) (16) 生 住 異 滅 の 四 相 に つ い て の 刹 那 滅 論 は 経 量 部 の 特 色 あ る も の と し し 発 展 し し ゆ く の で あ る が 、 右 の ご と く 讐 喩 者 に は 未 だ そ の 思 想 は み ら れ な い 。 (3) 無 為 法 に つ い て 、 (17) ﹁ 無 為 非 レ 因 。 無 三 経 説 二 因 是 無 為 一故 。 有 三 経 説 ) 因 唯 有 為 一故⋮⋮し(大 正 ) 十 九 ・ 頁 一三 二 ・ c ) (18) ﹁ 経 部 師 説 。 一 切 無 為 皆 非 二 実 有 一如 三 色 受 等 別 有 ) 実 物 一 。 此 所 無 故 ﹂ (大 正 ) 十 九 . 頁 三 四 ・ a ) ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と し て は 、 ﹁ 讐 喩 者 不 レ 許 レ 有 二 非 択 滅 法 こ (大 正 ) 十 七 ・ 頁 九 三 一 ・ b ) が 挙 げ ら れ る 。 四 無 色 界 の 心 心 所 の 相 続 と 肉 体 の か か わ り に つ い て 、 (19) ﹁ 経 部 師 説 。 無 色 界 心 等 相 続 無 ) 別 有 ア 依⋮⋮⋮所引 心 等 非 ) 色 倶 生 一不 二 依 レ 色 転 一 し ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 四 一 ・ b )

(6)

﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と し て は 此 れ に 同 ず る 文 は な い 。 但 し 、 無 想 定 中 の 心 、 滅 尽 定 中 の 心 に つ い て 細 心 あ り と す る 説 が 挙 げ ら れ て い る 。 す な わ ち 、 ﹁ 謂 讐 喩 者 分 別 論 師 執 。 滅 尽 定 細 心 不 レ 滅 。 彼 説 無 レ 有 二 有 情 而 無 色 者 一 。 亦 無 レ 有 二 定 而 無 心 者 一 。 若 定 無 心 命 根 応 レ 断 。 便 名 為 レ 死 非 レ 謂 ) 在 定 こ ( 大 正 ) 十 七 . 頁 七 七 四 . a ) (20) 右 の ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 の 経 部 師 説 は 、 い わ ゆ る 色 心 互 蕪 説 と な る も の で あ る 。 そ れ は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の ﹁ 分 別 根 品 ﹄ 中 、 無 想 定 と 滅 尽 定 の ) 定 中 の 心 に つ い て 、 ﹁ 今 ) 定 中 心 久 時 断 。 如 何 於 レ 後 心 復 得 レ 生 。 毘 婆 沙 師 許 下 過 去 有 二 前 心 一 為 申 後 等 無 間 縁 上 ﹂ と 有 部 論 師 の 説 を あ げ 、 続 い て 、 ﹁ 有 余 師 言 。 如 レ 生 ) 無 色 一色 久 時 断 。 如 何 於 レ 後 色 復 得 レ 生 。 彼 生 定 応 レ 由 レ 心 非 レ 色 。 如 レ 是 出 定 心 亦 応 レ 然 。 由 二 有 根 身 一非 二 由 レ 心 起 一 ﹂ (21) と し 更 に ﹁ 先 代 諸 軌 範 師 成 言 ﹂ と し て 、 ﹁ 二 法 互 為 二 種 子 一 。 二 法 者 。 謂 心 有 根 身 ﹂ と あ る 。 こ れ に 続 い し 世 友 (Vasumitra)、妙 音 (Bhadanta ghosaka)の 見 解 が あ げ ら れ て 毘 婆 沙 師 と の 対 論 が 続 い し ゆ (22) く 。 こ こ で は 経 部 師 の 名 は 挙 げ ら れ て い な い の で あ る が 、 先 の 経 部 師 説 の 引 文 と 論 ず る と こ ろ は 同 様 で あ る 。 ま た 更 に ﹁ 分 別 定 品 ﹂ に お い て は 、 ﹁ 在 レ 彼 多 劫 色 相 続 断 。 後 殻 生 レ 下 色 従 レ 何 生 。 此 従 レ 心 生 非 二 従 レ 色 起 一。 謂 昔 所 レ 起 色 異 熟 因 薫 習 在 レ 心 功 能 今 熟 。 是 (23) 故 今 色 従 二 彼 心 一生 ﹂ ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 醤 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て 一

(7)

密 教 文 化 と 色 の 異 熟 因 の 薫 習 に よ っ て 心 が 在 り 、 そ の 功 能 が 熟 し し 色 が 生 ず る こ と を 説 い し い る 。 こ れ ら の 思 想 は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 の 説 く ﹁ 二 定 中 に 細 心 あ り し の 思 想 と 関 わ り が あ る と 考 え ら れ る の で は あ る け れ ど も 、 ﹁ 身 心 の ) 法 が 互 い に 種 子 と な る し こ と や 色 の 異 熟 因 の 薫 習 に つ い て は 讐 喩 者 は 述 べ て い な い 。 た だ ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 に は 、 ﹁ 謂 讐 喩 者 説 。 離 レ 思 無 二 異 熟 因 一 。 離 レ 受 無 二 異 熟 果 こ ( 大 正 ) 十 七 ・ 頁 九 六 ・ a 或 い は 頁 ・ 七 四 一 ・ b ) と あ る こ と な ど は 、 経 量 部 の 種 子 、 蕪 習 説 の 先 駆 で あ ろ う か と 考 え る 。 (5) 形 の 非 実 相 に つ い て 、 ﹁ 然 経 部 説 。 形 非 二 実 有 一 。 謂 顕 色 聚 一 面 多 生 。 即 於 二 其 中 一 仮 二 立 長 色 一 。 待 二 此 長 色 一於 ) 余 色 聚 一 面 少 中 一 仮 二 立 短 色 一⋮ (24) ⋮ 故 形 無 二 実 別 類 色 体 こ (大 正 ) 十 九 ・ 頁 六 八 ・ b ) 右 に 相 当 す る も の は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 に は な い 。 し か し こ の 考 え 方 に 類 似 す る も の と し て は 、 ﹁ 有 執 。 身 力 及 與 身 劣 無 二 定 自 体 一 。 如 三 警 喩 者 一 。 彼 作 二 是 説 一 。 象 力 勝 レ 馬 馬 力 勝 レ 牛 。 故 知 三 力 劣 無 ) 定 自 体 こ (大 正 二 十 七 ・ 頁 一 五 四 ・ b ) が 挙 げ ら れ る で あ ろ う 。 す な わ ち 長 短 、 優 劣 な ど は 相 対 に よ る も の で あ っ て 自 体 の な い も の で あ る 、 と す る 主 張 で あ る 。 (6) 身 表 、 無 表 業 に つ い し 、 (25) ﹁ 経 部 宗 立 レ 何 為 二 身 表 一 立 レ 形 為 二 身 表 一。 但 仮 而 非 レ 実 。 云 々 し (大 正 ) 十 九 ・ 頁 六 八 ・ c ) に 始 ま り 思 業 、 思 己 業 を 説 い し 共 に 実 有 で な い こ と を 述 べ る 。 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ で は 、 ﹁ 謂 讐 喩 者 。 説 二 表 無 表 業 無 実 体 性 一⋮﹂(大正)十 七 ・ 頁 六 三 四 ・ b-c )

(8)

の 文 以 下 長 々 と 表 、 無 表 業 の 実 の 体 性 の な い こ と を 述 べ し い る が 、 思 業 、 思 己 業 に つ い し は 言 及 さ れ て い な い 。 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 で は ﹁ 思 の 差 別 を 名 づ け て 無 表 と 為 す ﹂ と 説 き 、 思 に 現 行 と 種 子 が あ る こ と を 言 う も の の 、 讐 喩 者 に は 種 子 相 続 の 思 想 は み ら れ な い 。 (7) 律 儀 、 不 律 儀 に つ い て 、 (26) ﹃ 経 部 師 説 如 四 善 律 儀 三 別 実 物 名 為 ) 無 表 一。 此 不 律 儀 亦 応 レ 非 レ 実 。 即 欲 レ 造 二 悪 不 善 一意 楽 相 続 不 レ 捨 名 二 不 律 儀⋮⋮﹂ ( 大 正 二 十 九 ・ 頁 七 五 ・ a ) ﹁ 経 部 諸 師 作 ) 如 レ 是 説 一⋮⋮得)不 律 儀 及 余 無 表 ︹ (大 正 ) 十 九 ・ 頁 七 九 ・ a ) 右 の 説 は (6)と 同 じ く 表 、 無 表 業 説 の 延 長 で あ り 、 こ れ に つ い て の 讐 喩 者 説 は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ に は 見 当 ら な い 。 (8) 随 眠 に つ い し 、 ﹁ 然 経 部 師 所 説 最 善 。 経 部 於 レ 此 所 説 如 何 。 彼 説 欲 貧 之 随 眠 義 。 然 随 眠 体 非 二 心 相 応 一 。 非 二 不 相 応 一 。 無 二 別 物 一 故 。 煩 悩 睡 位 説 名 二 随 眠 一。 於 二 覚 位 中 一 即 名 レ 纒 故 。 何 名 為 レ 睡 。 謂 不 二 現 行 一種 子 随 逐 。 何 名 為 レ 覚 。 謂 諸 煩 悩 現 起 纒 レ 心 。 (28) 何 等 名 為 二 煩 悩 種 子 一 。 謂 自 体 上 差 別 功 能⋮⋮し ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 九 九 ・ a 以 下 ) 右 の 引 文 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 特 色 あ る 思 想 の 一 つ で あ る 。 す な わ ち 随 眠 は 心 相 応 で も 不 相 応 で も な く 、 煩 悩 の 睡 れ る 位 を 随 眠 と し 、 め ざ め た る 位 を 纒 と 為 す 、 と す る こ と で あ る 。 こ の 思 想 は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 に は み ら れ ず 、 ﹁ 或 復 有 執 。 随 眠 不 下 於 ) 所 縁 一随 増 上 。 亦 不 下 於 二 相 応 法 一有 中 随 増 義 上 。 如 二 讐 喩 者 一⋮⋮﹂ ( 大 正 ) 十 七 ・ 頁 一 一○・a) と 述 べ し い る ご と く 、 警 喩 者 は 随 眠 を 相 応 法 で あ る と し し い る の で あ る か ら 明 ら か に 讐 喩 者 と 経 部 説 が 異 る こ と を 知 る 。 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ は ﹁ 煩 悩 の 種 子 し と い う 言 葉 を 用 い し 随 眠 を 説 き 、 こ の 種 子 は 業 の 種 子 相 続 の 思 想 と 一 連 の も の と な ﹁ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 愉 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

(9)

密 教 文 化 る 。 業 果 に つ い し の ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 の 経 部 の 説 を 端 的 に 示 す の は 、 (29) ﹁ 即 過 去 業 能 生 二 当 果 一。 然 業 為 レ 先 所 レ 引 相 続 。 転 変 差 別 令 二 当 果 生 一。 彼 我 品 中 当 二 広 顕 示 こ ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 一 〇 六 ・ a ) で あ り 、 こ れ は ﹁ 業 有 レ 果 故 有 二 去 来 一﹂ と す る 有 部 説 に 対 す る 経 部 の 反 論 で あ る が 、 こ の 中 の ﹁ 相 続 転 変 差 別 ﹂ (s amt-ana-vusesa ) は 種 子 相 続 の こ と で あ り 、 こ れ は 讐 喩 者 に は み ら れ な い 経 部 の 特 色 あ る 思 想 で あ る 。 (9) 三 和 合 の 触 に っ い し 、 (30) ﹁ 有 説 。 触 後 方 有 二 受 生 一 。 根 境 為 レ 先 次 有 二 識 起 一 。 此 三 合 故 即 名 為 レ 触 。 第 三 刹 那 縁 レ 触 生 レ 受 ﹂ ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 五 十 三 ・ a ) 右 の 有 部 の 、 触 の 心 所 有 り と す る 説 に 反 論 す る 中 、 経 量 部 の 説 と さ れ し い る 箇 所 で あ る 。 こ の 中 の ﹁ 有 説 ﹂ が 経 量 部 で あ る こ と は 、 毘 婆 沙 師 に 対 し て 、 (31) ﹁ 我 等 但 以 二 契 経 一 為 レ 量 。 本 論 非 レ 量 。 壊 レ 之 何 答 。 故 世 尊 言 。 当 レ 依 二経 量 こ ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 五 三 ・ b ) と 述 べ て い る こ と か ら 推 測 さ れ て い る 。 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 磐 喩 者 説 に は 、 ﹁ 謂 讐 喩 者 説 。 触 非 二 実 有 一。 所 以 者 何 。 契 経 説 故 。 如 二 契 経 説 鯖 。 眼 及 色 為 レ 縁 生 二 眼 識 一 。 三 和 合 触 等 。 離 二 眼 色 眼 識 一外 実 触 体 不 レ 可 レ 得 し (大 正 ) 十 七 ・ 頁 七 六 〇 ・ a ) と あ る も の が 相 応 す る 。 心 心 所 相 応 説 を 否 定 す る 讐 喩 者 の 論 は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 10 回 挙 げ ら れ て い る こ と は す で に 述 べ た が 、 こ の 中 の 大 部 分 は 心 の 次 第 生 起 に つ い し 説 く も の で あ り 、 心 は 次 第 生 起 で あ る 故 に 心 心 所 相 応 説 を 否 定 す る

(10)

(32) と 説 く 。 従 っ て 讐 喩 者 は 、 触 に 限 ら ず 一 切 の 心 所 法 と い う も の は ﹁ 諸 々 の 因 縁 に 依 っ て 前 後 し て 生 ず る も の し で あ っ し 心 の 差 別 に 他 な ら な い こ と を 主 張 し て い る 。 し か る に 経 量 部 で は 受 想 思 の 三 心 所 を 立 て た こ と が ﹃ 順 正 理 論 ﹄ や ﹃ 成 (33) 唯 識 論 述 記 ﹄ に 記 さ れ し い る 。 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ で は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 右 の 引 文 に 続 く 有 部 と の 議 論 の 箇 所 を と り あ げ し 、 上 座 の 名 の も と に 次 の ご と く に 言 う 。 ﹁ 彼 上 座 言 。 無 レ 如 二 所 計 十 大 地 法 一。 此 唯 三 種 。 経 説 レ 倶 二 起 受 想 思 一故 ﹂ ( 大 正 ) 十 九 . 頁 三 八 四 ・ b ) と い い 、 ま た 、 ﹃ 彼 上 座 説 。 行 纏 唯 思 。 余 作 意 等 是 思 差 別 。 復 作 二 是 言 一 。 作 意 等 行 不 レ 可 三 離 レ 思 知 二 別 有 ワ 体 。 或 離 二 余 行 一 別 有 二 少 分 思 体 可 ケ 得 。 由 レ 此 行 纏 錐 レ 非 二 一 物 一 而 一 思 摂 ﹂ (大 正 ) 十 九 ・ 頁 三 一 九 ・ b ) と 説 く の で あ る か ら 作 意 な ど の 諸 々 の 心 所 法 は 思 と い う 心 所 の 差 別 に 他 な ら な い こ と と な る 。 し か し ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 で は 、 ﹁ 謂 或 有 レ 執 思 慮 是 心 。 如 二 讐 喩 者 一彼 説 思 慮 是 心 差 別 。 無 二 別 体 ワ 有 ﹂ (大 正 ) 十 七 ・ 頁 二 一 六 ・ b ) と し て い る の で あ る か ら 、 思 も 心 の 差 別 で あ っ て 上 座 の 説 く ご と く の 心 所 で は な く 、 ま た 他 の 一 切 の 心 所 も 次 第 生 起 す る 故 に 心 の 差 別 と み な さ れ る の で あ る 。 問 題 を 整 理 し て み よ う 。 ま ず ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 に み ら れ る 讐 喩 者 の 心 心 所 に 関 す る 主 張 は 、 (1) 心 は 次 第 生 起 す る の で あ り 、 (2) 従 っ て 心 心 所 の 相 応 は な い 。 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ み ら れ る ﹁ 経 を 量 と す る ﹂ 者 た ち の 主 張 は 、 倶 生 (sahajata)、結 ば れ た (samsrsta)の 解 釈 に お い て 、 そ ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て(一)

(11)

密 教 文 化 れ を 次 第 生 起 と み て お り 讐 喩 者 説 と 一 致 す る 。 し か し ﹃ 順 正 理 論 ﹄ 中 の 上 座 説 で は 、 (1) 心 は 次 第 生 起 す る も の の 、 (2) 受 想 思 の 三 心 所 を 認 め 、 (3) 他 の 心 所 は 思 の 差 別 で あ る と し 、 (4) 心 所 の 相 応 は 認 め な い 。 と い う 論 理 的 に 矛 盾 を 感 じ さ せ る 主 張 と な る 。 た だ し こ の 上 座 説 の (2)(3)(4)の 説 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 中 の 経 部 説 と し て は み (34) ら れ な い も の で あ る 。 世 親 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 、 経 部 説 を 支 持 す る こ と が 圧 倒 的 に 多 い し 、 ま た そ れ 故 に 衆 賢 に よ る ﹃ 順 正 理 論 ﹄ に よ っ し 反 駁 さ れ し い る 訳 で あ る が 、 こ の 箇 所 に お け る 世 親 の 主 張 は 次 の ご と く こ れ ら の 議 論 の 最 後 に 述 べ ら れ て い る 。 ﹁ 於 ) 寿 與 レ 媛 倶 時 起 中 一。 亦 有 二 如 レ 斯 相 雑 言 一。 故 倒 知 。 此 説 定 約 二 刹 那 一。 又 契 経 言 二 三 和 合 触 一 。 如 何 有 レ 識 而 非 二 三 (35) 和 一 。 或 是 三 和 而 不 レ 名 レ 触 。 故 応 丙 定 許 乙 一 切 識 倶 悉 皆 有 レ 触 諸 所 有 触 無 甲 レ 不 下 皆 與 二 受 等 一倶 生 上 ﹂ (大 正 ) 十 九 ・ 頁 五 三 ・ b ) す な わ ち 、 世 親 はsahajataや 。samsrstaの 解 釈 を 有 部 と 同 じ く 同 一 刹 那 の 中 に お い し と ら え 、 心 心 所 の 相 応 説 を 採 る も の で あ る こ と が 理 解 さ れ る 。 従 っ し 世 親 は こ の 問 題 に 関 し て は 、 経 量 部 と 異 な る 見 解 を 示 し た こ と と な る 。 し か し 実 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に お け る こ の 問 題 の 箇 所 に は 経 部 師 説 で あ る と は 明 ら か に し し は い な い の で あ る 。 心 の 次 第 生 起 を 説 (36) く と こ ろ で は ﹁ 有 説 ﹂ (apare)で あ り 、 大 善 地 法 と 大 不 善 地 法 に つ い し の 毘 婆 沙 師 と の 議 論 の 間 に も 、 ﹁ a p are﹂と し し 法 の 次 第 生 起 が 述 べ ら れ て い る 。 加 藤 純 章 氏 は ﹃ 経 量 部 の 研 究 ﹄ の 中 で 、 前 者 の a preに つ い て は 諸 注 釈 書 に よ っ

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て シ ュ リ ー ラ ー タ で あ る と し 、 後 者 の a p areに つ い て は シ ュ リ ラ ー タ で は な く ﹁ シ ュ リ ー ラ ー タ に 極 め し 類 似 し た 他 (37) の 人 物 ﹂ で あ る と 指 摘 さ れ て い る 。 い ず れ に し ろ し か し 世 親 は こ こ で は 、 ﹁ 経 部 師 し で あ る と は 明 ら か に 述 べ て い な い の で あ る 。 た だ 文 中 に ﹁ 経 を 量 と す る も の し (sutrapramanaka)の 言 葉 か ら 、 研 究 者 た ち は 経 量 部 説 で あ る こ と を 推 測 す る の み で あ る 。 す で に 述 べ た ご と く 世 親 は 経 部 師 説 と 明 ら か に し た 箇 所 に お い て は 、 そ の 説 を 積 極 的 に 支 持 し 、 あ る い は 賛 意 を 示 し て お り 、 少 く と も 否 定 反 論 す る こ と は な い 。 し か し 後 に 述 べ る ご と く 讐 喩 者 に つ い し は す べ て 批 判 を 下 し 論 難 し て い る 。 こ こ に お け る a p areの 説 は 今 み て き た ご と く ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と 全 く 同 じ も の で あ る 。 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ に 説 く 上 座 が シ ュ リ ー ラ ー タ で あ る と し て も こ の 箇 所 に お け る are の 見 解 は 、 上 座 と 同 様 の も の で は な い 。 そ し し 世 親 は こ れ ら a p areの 説 に 全 く 反 す る 主 張 を 行 っ し い る 。 以 上 の こ と か ら 、 少 く と も 後 者 の a p are ( ﹁ シ ュ リ ー ラ ー タ に 極 め て 類 似 し た 他 の 人 物 ﹂ ) は 、 讐 喩 者 を 指 す と 考 え ら れ 得 る 。 (10 ) リ そ の 他 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 に み ら れ る そ の 他 の 経 部 の 説 は ﹁ 阿 羅 漢 不 退 し の 説 と ﹁ 分 位 縁 起 ﹂ に 関 す る 有 部 へ の 反 論 と が あ る が 、 こ れ ら に つ い て は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 の 中 に 言 及 さ れ し い る 箇 所 は な い 。 以 上 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 に あ ら わ れ る 経 部 説 の 主 な る も の を 問 題 別 に 分 類 し 、 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と の 対 比 を 行 っ た の で あ る が 、 こ の 中 、 (4)(6)(8)は 経 量 部 の 特 色 あ る 思 想 と さ れ て い る 種 子 相 続 に 関 す る も の で あ る 。 し か し 、 こ の 経 部 の 特 色 あ る 思 想 は 、 讐 喩 者 の 思 想 を 根 底 に し て い る と 考 え ら れ る の で は あ る け れ ど も 、 讐 喩 者 に お い し は 未 だ 見 い 出 さ れ な い 思 想 で あ る こ と も 今 み て き た ご と く で あ る 。 す な わ ち 相 続 の 特 殊 な 変 化 ・ 種 子 相 続 を 全 面 的 に 経 量 部 の も の と し て 主 張 す る こ と に よ っ て 、 世 親 は 讐 喩 者 の 仮 施 設 ( prajnapti) の 説 明 を 明 確 に し 、 現 在 実 有 過 未 無 体 説 、 そ ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 響 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

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密 教 文 化 し て そ れ に か か わ る 業 と 業 果 の 問 題 等 に つ い し 独 自 の 論 を 展 開 し て い る の で あ る 。 (38) 現 在 、 経 量 部 の 思 想 と い わ れ る も の は こ の ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に 見 い 出 さ れ る も の を 指 し 、 そ れ は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 諸 注 釈 書 に 述 べ ら れ る ご と く 、 ク マ ー ラ ー タ の 弟 子 の シ ュ リ ー ラ ー タ の 説 で は あ ろ う け れ ど も 、 そ れ は 世 親 に よ っ し ま と め 上 げ ら れ た も の と も 言 え る 訳 で あ り 、 そ し し そ れ は 讐 喩 者 の 説 か ら 導 き 出 さ れ た 新 し い 一 つ の 思 想 で あ る 、 と 言 い 得 る こ (39) と が で き よ う 。 す で に 讐 喩 者 説 の 分 類 に お い し 明 ら か な よ う に 、 讐 喩 者 の 主 張 の 根 本 は 、 有 部 の 三 世 実 有 法 体 恒 有 説 に 対 し し 、 現 在 実 有 過 末 無 体 説 で あ り 、 法 の 無 自 性 、 仮 施 設 (非 実 有 ) を 説 く こ と で あ っ た 。 こ れ を 理 論 づ け 解 釈 し 説 き 明 か す 時 、 経 量 部 で は 種 子 (bija)功 能 (Samarthya)蕪 習 (vasana)等 の 言 葉 、 思 想 が 生 れ 、 さ ら に 独 自 の 刹 那 滅 論 を 展 開 し し 外 境 推 理 (babyarthanumeya)の 論 へ と 発 展 し た も の と 考 え る 。 以 上 の ご と く 、 経 量 部 の 思 想 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に お い て 成 立 し た 、 或 い は シ ュ リ ー ラ ー タ の 説 が ま と め ら れ た と 考 え ら (40) れ 、 そ れ は 讐 喩 者 の 思 想 か ら の 発 展 と み な し 得 る も の で は あ る が 、 し か し そ れ は 独 自 の 新 し い 思 想 を 産 み 出 し し お り (41) 従 っ て そ の 思 想 に お い て は 、 中 に は 讐 喩 者 の 説 を 否 定 す る こ と に さ え な っ た と 考 え ら れ る の で あ る 。

以 上 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 経 量 部 は 、 讐 喩 者 の 現 在 実 有 過 末 無 体 説 を 敷 術 さ せ た 新 し い 独 自 の 思 想 で あ る こ と 、 そ の 新 し い 思 想 を 経 量 部 と す る の で あ る と 考 え ら れ る こ と を 提 示 し た 。 そ し て そ の 新 し い 経 量 部 の 思 想 に お い し は 、 元 来 の 讐 喩 者 の 説 を 否 定 す る こ と さ え 生 じ た こ と を 述 べ た 。 今 、 ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 に あ ら わ れ る 讐 喩 者 説 に つ い し 検 討 し て み よ う 。

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先 述 し た ご と く ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 に は 讐 喩 者 説 は 三 回 あ ら わ れ る が 、 こ れ は す べ て 業 論 の 中 で あ り 内 二 つ は 同 一 の 問 題 に つ い し ほ ぼ 同 文 に よ っ て 挙 げ ら れ て い る 。 ま ず 一 つ 目 は 業 果 の あ ら わ れ る 時 期 に 関 す る 問 題 で あ る 。 こ れ に つ い て 讐 喩 者 は 四 句 を 立 て る 。 す な わ ち 、 (一)時 分 定 異 熟 不 定 (二)異 熟 定 時 分 不 定 (三 ) 倶 定 (四 ) 倶 不 定 (42) で あ る 。 こ の 四 句 は 、 有 部 の 説 く 順 現 法 受 、 順 次 生 受 、 順 後 次 受 、 不 定 の そ れ ぞ れ に 定 と 不 定 の ) 種 有 り と す る こ と で あ り 、 合 す る と 八 種 と な る 。 こ の 讐 喩 者 の 主 張 に 対 し ﹃ 倶 舎 論 ﹄ で は 、 (43) ﹁ 論 日 。 順 現 法 受 等 三 業 唯 定 井 不 定 為 レ 四 。 是 説 為 レ 善 し ( 大 正 ) 十 九 ・ 頁 八 二 ・ a ) と 述 べ 更 に そ の 後 に は 、 ﹁ 除 ) 順 現 受 一 現 身 同 分 先 業 引 故 ﹂ (同 右 ) と あ る こ と か ら 、 讐 喩 者 の 八 種 の 業 を 否 定 し し い る こ と が わ か る 。 こ れ は 世 親 が 経 量 部 説 と し て 種 子 相 続 説 を 主 張 す る こ と か ら 讐 喩 者 の 四 句 分 別 と 八 種 の 業 を 否 定 す る こ と と な っ た の で あ ろ う 。 次 に 、 (44) ﹁ 讐 喩 者 言 。 食 瞑 邪 見 即 是 意 業 ﹂ (大 正 ) 十 九 ・ 頁 ・ 八 四 ・ b ) が あ げ ら れ る 。 こ れ に つ い し は こ の 讐 喩 者 説 の 直 前 に 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

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密 教 文 化 (45) ﹁ 謂 非 二 意 業 一貧 瞑 邪 見 。 貧 等 離 レ 思 別 有 レ 体 故 し と 述 べ ら れ て お り 、 世 親 と 讐 喩 者 の 主 張 の 異 り は 明 ら か で あ る 。 更 に 同 一 の 問 題 を も う 一 箇 所 と り 上 げ て い る と こ ろ を み て み よ う 。 (46) ﹁ 讐 喩 論 師 執 二 貧 瞑 等 即 是 意 業 一。 依 二 何 義 一釈 レ 彼 名 二 業 道 一。 応 レ 問 二 彼 師 一 。 然 亦 可 レ 言 ﹂ ( 大 正 二 十 九 ・ 頁 八 八 ・ c ) こ こ で 世 親 は 讐 喩 者 説 に つ い て は ﹁ ま さ に 彼 の 師 に 問 う べ し ﹂ と 答 え て い る の で あ る か ら 讐 喩 師 説 に 異 を 唱 え て い る と い え よ う 。 で は な ぜ 讐 喩 者 の ﹁ 貧 瞑 邪 見 は 是 れ 意 業 な り し の 説 を 否 定 す る の で あ ろ う か 。 そ れ を 考 察 す る 前 に 讐 喩 者 の こ の 説 に つ い て 考 え て み よ う 。 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 、 讐 喩 者 は ﹁ 心 は 次 第 生 起 す る ﹂ も の で あ っ て ﹁ 心 心 所 相 応 は な い ﹂ と の 主 張 を 行 っ て い る こ と は す で に み た 。 こ れ は す な わ ち 善 不 善 の 心 が 相 前 後 し て 次 第 し て 生 起 す る こ と で あ っ て 、 心 所 と し て の 大 地 法 、 各 種 の 煩 悩 心 な ど は す べ し 意 す な わ ち 思 す な わ ち 心 の 差 別 に 他 な ら な い 、 と す る こ と で あ る 。 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 に は 、 ﹁ 又 讐 喩 者 説 。 身 語 意 業 皆 是 一 思 し ( 大 正 二 十 七 ・ 頁 五 八 七 ・ a ) (47) と も 言 う 。 こ の 故 に ﹁ 貧 瞑 邪 見 は 即 ち 是 れ 意 業 な り し と 説 か れ る こ と と な る 。 そ れ に 対 し て 世 親 が ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 中 で 心 心 所 相 応 説 を 認 め て い る こ と は 前 節 に お い し 述 べ た ご と く で あ る 。 ﹃ 倶 舎 論 ﹂ で は 心 所 所 別 体 を 主 張 す る の で あ る か ら ﹁ 貧 等 は 思 を 離 れ し 別 に 体 有 る が 故 に ﹂ と 世 親 は 説 く の で あ る 。 ( ま た ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 で は 讐 喩 者 説 の 心 心 所 相 応 説 否 定 の 論 に つ い て は ﹁ 経 部 説 し と は 明 ら か に し て い な い こ と も す で に 述 べ た ) 世 親 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 中 、 経 部 説 に 対 し て は 賛 意 を の べ て お り 、 し か も そ の 経 量 部 は 従 来 、 讐 喩 者 と 思 想 的 に は イ コ ー ル で 結 ば れ る と さ れ て き た 。 し か し 讐 喩 者 の 心 心 所 相 応 説 否 定 に 対 し 、 世 親 は 明 ら か に 反 対 の 立 場 に 立 ち 、 ま た 業 論

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に 関 し て も 讐 喩 者 説 を 否 定 し て い る 。 こ の こ と は 経 量 部 と 讐 喩 者 を 単 に 同 一 の も の と す る 従 来 の 見 解 が 誤 り で あ る こ と を 示 す も の で あ る と 考 え る 。 そ し て 経 量 部 と は 、 世 親 が 讐 喩 者 説 の 現 在 実 有 過 未 無 体 説 を 敷 術 さ せ た と こ ろ に 産 み 出 さ れ た 独 自 の 説 で あ る 、 と 言 い 得 る と 考 え る 。 以 上 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 の 経 部 説 、 讐 喩 師 説 と の 対 比 を 行 い 、 そ の 結 果 と し て 讐 喩 者 と 経 量 部 と が 単 に 同 一 な る も の と す る 従 来 の 説 が 誤 り で あ る と 考 え ら れ る こ と を 示 し た 。 そ こ で 次 に 、 本 稿 の 目 的 で あ る ﹃ 成 実 論 ﹄ と 磐 喩 者 、 経 量 部 と の 関 係 に つ い し 考 察 を 進 め る こ と と し た い 。 ( 以 下 次 ) ︹ 注 ︺ ( 1 ) ﹃ 三 論 玄 義 ﹄ 大 正 四 五 ・ 三 ・ b-c ( 2 ) 水 野 弘 元 氏 は ﹁ 讐 喩 師 と 成 実 論 し ( 駒 沢 大 学 仏 教 学 会 年 報 一号)あ る い は ﹁ 仏 教 に お け る 色 ( 物 質 ) の 概 念 に つ い て し (﹃ イ ン ド 哲 学 と 仏 教 の 諸 問 題 ﹄ 岩 波 書 店 ) 等 に お い て 、 ま た 宇 井 伯 寿 氏 は 国 訳 一 切 経 、 論 集 部 三 の 解 題 の 中 で (頁 ) ) 以 下 ) 経 量 部 所 属 と す る 説 を 穏 当 と さ れ て い る 。 更 に 、 金 倉 円 照 氏 は ﹃ 馬 鳴 の 研 究 ﹄ の 中 で ﹃ 成 実 論 ﹄ 所 属 の 部 派 を 吉 蔵 や 玄 装 門 下 に よ っ て 経 量 部 と し て い る こ と か ら 、 経 量 部 所 属 と み な す 説 を の べ て い る 。 も っ と も 、 ﹃成 実 論 ﹄ 多 聞 部 所 属 と す る 説 が 桂 紹 隆 氏 ﹃ A

Stady of Harivarnmans Tattvasiddhi﹄の

中 ( p.29 ) に 、 あ る い は 福 原 亮 厳 氏 ﹃ 成 実 論 の 研 究 ﹄ の 中 (p.49 ) に 述 べ ら れ て い る も の を み る こ と が で き る 。 こ の 両 者 の 論 拠 は 、 真 諦 三 蔵 (Paramartha)の ﹃ 部 執 異 論 疏 ﹄ の 記 述 に 依 る も の で あ る 。 し か し 、 真 諦 三 蔵 は ま た 、 吉 蔵 の ﹁ 三 論 玄 義 ﹄ の 中 (大 正 四 五 ・ 三 ・ b-c ) で は ﹃ 成 実 論 ﹄ は ﹁ 経 部 の 義 を 用 い る ﹂ と 言 っ た と い う 記 述 が あ る 。 ( 本 文 ・ 頁 四 八 参 照 ) 従 っ て 真 諦 は ﹃ 成 実 論 し に つ い て 、 一 方 で は 多 聞 部 と い い 、 一 方 で は 経 部 と 言 っ た 、 と い う こ と と な り 、 い ず れ が よ り 信 愚 性 が 高 い の か 、 と い う 疑 問 が 生 ず る 。 確 か に ﹃ 成 実 論 ﹄ の 根 本 思 想 は ﹁ 空 し で あ り 、 し か も そ の 空 思 想 は 、 大 乗 の そ れ に 近 い と 考 え ら れ 、 従 っ て 大 乗 の 義 を 信 ず る 多 聞 部 で あ る 可 能 性 も 考 え ら れ る 。 し か し 、 明 確 な 多 聞 部 の 思 想 と さ れ る も の が 残 さ れ て い な い 現 在 、 ど ち ら と も い い 難 い と 考 え る 。 さ ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て (一)

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密 教 文 化 ら に 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ の 空 思 想 は ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 か ら の 発 展 で あ る 可 能 性 が あ る 、 と 筆 者 は 考 え て お り 、 こ の こ と に つ い て は 、 次 号 の ﹁ 密 教 文 化 し に 論 じ た い 。 ( 3 ) 出 三 蔵 記 集 ( 大 正 五五)の 中 、 玄 暢 の ﹃ 詞 梨 践 摩 伝 ﹄ に よ れ ば 、 ﹃ 成 実 論 ﹄ の 作 者 ハ リ ヴ ァ ル マ ン は 、 仏 滅 後 九 百 年 に 生 ず 、 と あ り 、 ま た 吉 蔵 ﹃ 三 論 玄 義 ﹄ の 中 ( 大 正 四 五 ・ 三 ・ c ) に は 、 仏 滅 後 八 百 九 十 年 に 成 実 論 が 造 ら れ た と 記 さ れ て い る 。 ま た 宇 井 伯 寿 、 福 原 亮 厳 の 二 氏 は 、 共 に 紀 元 二 五 〇-三 五 〇 頃 と さ れ て い る 。 ( 4 ) ﹃ 成 実 論 ﹄ 中 ( 大 正 三 十 二 ・ 二 九 八 ・ b ﹁ 三 受 報 業 品 ﹂ ) に 龍 樹 の 弟 子 の 提 婆 の 百 論 を 引 い た と 思 わ れ る 箇 所 が あ る こ と な ど 。 ( 5 ) ﹃ 成 実 論 ﹄ 引 用 の 経 論 に つ い て は 、 福 原 亮 厳 ﹃ 成 実 論 の 研 究 ﹄ (頁 十 八-二 五 ) に 詳 し い 。 ま た 加 治 洋 一 氏 に は ﹁ 成 実 論 所 引 の ア-ガ マ に つ い て し と 題 す る 一 覧 表 が あ り 、 成 実 論 所 引 の 経 典 と 、 阿 含 ・ ニ カ ー ヤ の 対 応 箇 所 が ま と め ら れ て い る 。 尚 、 阿 含 経 典 の 引 用 が 多 々 あ る こ と は 、 経 量 部 に 限 ら ず あ ら ゆ る 論 書 、 ま た 大 乗 経 典 に も み ら れ る こ と で あ る 。 従 っ て こ の こ と の み を も っ て 小 乗 の 論 書 で あ る と か 、 あ る い は 経 量 部 で あ る と か の 判 断 は 、 意 味 を な さ な い か も し れ な い 。 ( 6 ) 例 え ば 、 水 野 弘 元 ﹁ 讐 喩 師 と 成 実 論 し の 中 ( 頁 一 五 五 ) ﹁ 讐 喩 師 即 ち 経 部 な る も の は⋮﹂ と あ り 、 ま た 加 藤 純 章 ﹃ 経 量 部 の 研 究 ﹄ の 中 (頁 二 六二)﹁ 讐 喩 者 ・ 経 量 部 ・ 上 座 の 主 張 で は⋮﹂ 等 、 随 所 に こ れ ら 三 者 を 同 一 の 思 想 と み な し て い る 。 ( 7 ) 加 藤 純 章 ﹃ 経 量 部 の 研 究 ﹄ の 中 ﹁讐 喩 者 (Darska) と は 有 部 か ら 世 間 の 現drstantaを 用 い て 有 部 の 法 の 体 系 を 破 壊 す る 者 た ち と し て 軽 蔑 の 意 を も っ て 呼 ば れ た 名 称 で あ る こ と 、 こ れ に 対 し て 経 量 部 (S a utranka)の 名 称 は 好 意 的 ニ ュ ア ン ス が あ る こ と 、 し か し さ ら に 後 代 の ヤ シ ョ ー ミ ト ラ の こ ろ に は 両 者 の 区 別 は ほ と ん ど 忘 れ ら れ て い た ﹂ ( 頁 一 二 四 ) と 述 べ ら れ て い る 。 し か し ﹁ 両 者 の 区 別 が ほ と ん ど 忘 れ ら れ て い た し と い う の で あ れ ば 、 両 者 が 同 一 の 思 想 を 持 っ て い な け れ ば な ら な い 。 本 稿 で は 両 者 の 思 想 が 同 一 か 否 か を 探 っ て ゆ く も の で あ り 、 こ の 時 点 で は 、 同 一 の も の で あ る と 、 私 は 考 え て い な い 。 ( 8 ) 加 藤 純 章 ﹃ 軽 量 部 の 研 究 ﹄ ( 春 秋 社 ) 、戸 崎 宏 正 ﹁ 仏 教 論 理 学 説 と 経 量 部 説 し (1)-(3) ( 印 仏 研 1 1-1、12-1、 13-2 ) 、御 牧 克 己 ﹁ 初 期 唯 識 諸 論 書 に 於 け るSautranti-Ka 説 ﹂ ( 東 方 学 No. 3 ) 、 金 倉 円 照 ﹁ 外 教 の 文 献 に み え る 経 部 説 ﹂ ( ﹃ 山 口 博 士 還 暦 記 念 ・ 印 度 学 仏 教 学 論 叢 ﹄ ) 、 本 庄 良 文 ﹁ 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 と の 仏 説 論 し ( ク シ ャ ー ナ 研 究 会 ) 、桜 部 健 ﹁ 経 量 部 の 形 態 ﹂ ( 印 仏 研2-1)等 。

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( 9 ) ﹃ 順 正 理 論 ﹄ の 上 座 に つ い て は 、 加 藤 純 章 ﹃ 経 量 部 の 研 究 ﹄ ( 頁 ・ 五 二-五 五 ) 或 い は 、 同 氏 ﹁ 経 部 師 シ ュ リ ー ラ ー タ ) (一)-(三)(一)は 仏 教 学 創 刊 号 二 豊 山 学 報 三 豊 山 教 学 研 究 紀 要 六 号 ) に 依 れ ば 上 座 は 讐 喩 師 ク マ ー ラ ラ ー タ の 弟 子 の シ ュ リ ー ラ ー タ の こ と で あ り 、 こ の シ ュ リ ー ラ ー タ の 時 代 に 経 量 部 と い わ れ る よ う に な っ た と し て い る 。 シ ュ リ ー ラ ー タ は 世 親 の 師 で あ り 、 成 実 論 の ハ リ ヴ ァ ル マ ン と 兄 弟 弟 子 で あ ろ う と さ れ る 。 ( 10 ) ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 世 親 の 立 場 に つ い て は 種 々 異 論 が あ る 。 宮 下 晴 輝 ﹁ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に お け る 本 無 今 有 論 の 背 景 し ( 仏 教 学 セ ミ ナ-44 号 ) で は ﹃ 勝 義 空 性 経 ﹄ の 解 釈 を 基 に ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 縁 起 観 を 導 き 出 し 、 そ れ と ﹃ 喩 伽 論 ﹄ と の 関 わ り を 考 察 さ れ て ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 経 量 部 の 見 解 が ﹃ 喩 伽 論 ﹄ に 淵 源 を も つ も の で あ る 、 と さ れ て い る 。 ま た 室 寺 義 仁 ﹁ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ ﹃ 成 業 論 ﹄ ﹃ 縁 起 経 釈 ﹄ ﹂ (﹃ 密 教 文 化 ﹄ 一 五 六 号 )圏 で は 、samtati-paromama-vosesa( 相 続 転 変 差 別 = 心 の 流 れ の 特 殊 な 変 化 ) と 種 子 説 と い う 経 量 部 得 有 の 思 想 か ら 、 ア ー ラ ヤ 識 概 念 へ の 導 入 に 到 る 世 親 の 論 書 を 対 照 し ﹁Vasubandhu自 身 の 着 想 の 基 点 はAsangaの 直 接 的 な 影 響 下 に あ る と い う よ り も 、 む し ろSautantika 説 に あ る し (頁 七 九 ) と 述 べ 、 最 終 的 に は ﹁ 彼 は 祖 述 家 で は な く ﹁ 理 長 為 宗 し の 態 度 を 貫 い て い る の で あ る し と さ れ て い る 。 ( 18 ) 加 藤 純 章 、 前 掲 書 ( 頁 七 〇-七一 ) で は 、 引 用 回 数 を 八 十 六 回 と さ れ て い る が 、 同 一 問 題 中 に 讐 愉 者 の 言 葉 を 繰 り 返 し て い る 箇 所 を 抜 く と 八 十 三 回 か と 思 わ れ る 。 尚 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ の 中 に は 経 部 説 が ) 回 出 て い る が 、 加 藤 氏 は 弓 異 部 宗 輪 論 ﹄ の 伝 え る 経 量 部 に つ い て し ( ﹃ 大 乗 仏 教 か ら 密 教 へ ﹄ 勝 又 俊 教 古 稀 記 念 論 集 ) に よ れ ば 、 こ の 経 部 は 後 代 ( ﹃ 倶 舎 論 ﹄ の 時 代 ) のSaitramtoka で な く 、 は る か 前 代 の 人 々 、 お そ ら く 説 転 部 ( 説 経 部 ) で あ っ た ろ う こ と を 論 証 さ れ て い る 。 ( 12 ) (1) ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 大 正 ) 十 七 ( 一 〇 三 ・ c 、 一 四 一 ・ b 、 二 ○ ○ ・ a 、 三 九 三 ・ a 、 一 〇 五 ・ a 、 七 〇 〇 ・ a 九 一 九 ・ b 、 の 計 7 回 ) 働 同 右 ( 二 七 ・ c 、 ) 六 九 ・ b 、 三 七 七 ・ a 、 四 六 ) ・ C 、 七 四 四 ・ b 、 七 七 四 ・ a 、 七 七 ) ・ C 、 七 七 五 ・ a 、 九 ) 八 ・ a 、 九 三 〇 ・ C 、 六 九 三 ・ C 、 八 七 九 ・ c 、 二 七 ・ c の 計 13 回 ) (3) 同 右 ( 九 六 ・ a-b 、 三 五 九 ・ b 、 四 二 五 ・ c 、 五 〇 二 ・ 翫 、 五 八 七 ・ a 、 五 九 三 ・ b 、 六 〇 四 ・ c 、 六 三 四 ・ b-c 、 七 四 一 ・ b 、 七 七 三 ・ c l 七 七 四 ・ a 、 ) 一 八 ・ c の 計 11 回 ) 四 同 右 ( 九 〇 ・ C 、 一 一 〇 ・ a 、 一 九 六 ・ a 、 二 六 四 b 、 三 〇 九 ・ a 、 三 五 五 ・ a 、 七 四 一 ・ C 、 ) 四 五 ・ a 、 七 四 四 ・ b 、 七 四 四 ・ b 、 四 六 ) ・ c 、 二 六 九 ・ b ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

(19)

密 教 文 化 の 計 12 回 ) (5) 同 右 ( 七 〇 ・ a 、 七 九 ・ a 、 一 五 四 ・ b 、 一 六 一 ・ a 、 一 八 二 ・ c 、 一 九 三 ・ b 、 一 九 八 ・ a 、 二 三 一 ・ b 、 二 八 八 ・ b 、 三 一 三 ・ a 、 三 八 三 ・ b 、 三 九 〇 ・ c 、 四 七 九 ・ a I b 、 六 八 ○ ・ b l C 、 六 八 二 ・ C 、 六 九 六 ・ b 、 七 六 〇 ・ a 、 八 三 三 ・ a 、 九 三 一 ・ b 、 九 七 七 ・ b の 計 20 回 ) (6) 同 右 ( 三 六 ・ a 、 六 一 ・ c 、 二 二 八 ・ b 、 二 八 三 ・ a 、 四 三 八 ・ a 、 四 四 九 ・ a の 計 6 回 ) (7) 同 右 ( 七 九 ・ c 、 二 一 六 ・ b 、 二 七 〇 ・ a 、 四 六 一 ・ b 、 四 六 三 ・ a 、 四 九 三 ・ c I 四 九 四 ・ a 、 五 四 七 ・ b 、 七 四 五 ・ a 、 七 四 四 ・ b 、 二 一 八 ・ c の 計 10 回 ) ㈹ 同 右 ( 四 ・ b 、 二 二 ・ b 、 三 九 七 ・ b 、 七 七 一 ・ a の 計 四 回 ) ( 13 ) 例 え ば 働 の 修 道 論 に 分 類 さ れ る 中 、 頂 法 に つ い て 述 べ て い る 箇 所 ( 大 正 ) 十 七 ・ 二 七 ・ c ) に つ い て も ﹁ 讐 喩 者 言 。 此 但 仮 説 無 二実 自 性 一。 謂 相 続 中 、 先 成 二就 頂 一。 今 時 退 失 。 説 為 二 頂 堕 一⋮﹂ と あ っ て 、 法 の 無 自 性 を 説 く も の で あ る 。 こ の よ う に 他 の 分 類 中 に も 、 無 自 性 、 仮 設 等 に 集 約 さ れ る と 思 わ れ る も の 多 数 あ る 。 (14) 以 下 二 三 行 目 ま で 。 (15) ( 16 ) 早 島 理 ﹁ 無 常 と 刹 那 -喩 伽 行 唯 識 学 派 を 中 心 に-し ( 南 都 仏 教 第 五 九 号 別刷)に 経 量 部 の 刹 那 滅 論 に 関 し て 詳 説 さ れ て お り 、 ま た こ れ に 関 す る 参 考 文 献 も 多 く 掲 げ ら れ て い る 。 (17) (18) (19)

(20)

( 20 ) ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 大 正 二 十 九 ・ 二 五 ・ ( 21 ) ﹁ 先 代 軌 範 師 し に つ い て は 、 袴 谷 憲 昭 ﹁ purvacarya 考 ﹂ ( 印 仏 研 34 1 2 ) 参 照 ( 22 ) 色 心 互 薫 説 に つ い て は 室 寺 義 仁 、 前 掲 論 文 参 照 ( 23

) AkBh 435.18-20.katham im

analpakcchinn-(24) (25) (26) 以 下 十 九 行 目 ま で 。 (27) (28) (29) ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 醤 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

(21)

密 教 文 化 (30) (31) ( 32 ) た と え ば ﹁ 謂 或 有 レ執 三 心 心 所 楼 。 前 後 而 生 非 二 一 時 起 一 。 如 三 讐 喩 者 一。 彼 作 二是 説 一。 心 心 所 四法 依 二諸 因 縁 一前 後 而 生 。 讐 如 ご商 侶 渉 二 瞼 阻 一。 二 而 度 無 三 一並 行 一。 心 心 所 法 亦 復 如 レ是 。 衆 経 和 合 一 一 而 生 。 所 待 衆 縁 各 有 レ 異 故 し ( 頁 七 九 ・c)な ど 。 ( 33 ) ﹃ 成 唯 識 論 述 記 ﹄ 大 正 四 十 三 ・ 二 三 六 ・ c ( 34 ) 加 藤 純 章 前 掲 書 、 頁 七 八 参 照 。 (35) aistavya. ( 36 ) AKBh 146.9. で は こ の 語 が 入 っ て い る が 、 玄 奨 の 漢 訳 ( 大 正 二 十 九 ・ 五 三 ・ b 、 十 一 行目)で は 、 訳 さ れ て い な い 。 ( 37 ) 加 藤 純 章 、 前 掲 書 、 頁 二 一 〇-二 一 三 。 ( 38 ) た と え ば 、 後 代 の 仏 教 論 理 学 の 中 の 経 量 部 説 と い わ れ る も の も 、 す べ て は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 に 説 か れ る 経 量 部 説 に さ か の ぼ っ て 見 い 出 し 得 る 。 (御 牧 克 己 、 戸 崎 宏 正 、 前 掲 論 文 等 参 照 ) ( 39 ) こ こ で は ﹁ 讐 喩 者 ・ 経 量 部 し と し て 従 来 、 同 一 の 思 想 で あ る と さ れ て き て い る こ と か ら 、 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 説 と ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 中 の 経 部 説 を 比 較 す る こ と に お い て 、 そ の 同 異 を 知 ろ う と し た も の で あ り 、 経 量 部 の 思 想 と さ れ て い る も の が ﹃ 喩 伽 論 ﹄ の 中 に 見 い 出 さ れ る ( 宮 下 晴 輝 前 掲 論 文 ) 等 の 問 題 は 、 ﹁ 讐 喩 者 ・ 経 量 部 ﹂ が 同 一 の も の で な い こ と の 傍 証 と も な り 得 る 。 ( 40 ) 加 藤 純 章 氏 は ﹁ 従 来 は ﹃ 倶 舎 論 ﹄ に 示 さ れ る 経 量 部 説 と は 、 古 く か ら あ る 経 量 部 の 伝 統 を 世 親 が 引 用 し た も の と 考 え ら れ て い た の だ が 、 実 は 世 親 の 個 人 的 意 見 に 他 な ら な い 、 と い う 仮 説 が こ こ に 提 示 さ れ 得 る と 考 え る し (前 掲 書 、 頁 九 一 ) と し て い る 。 ( 41 ) 加 藤 氏 は 、 世 親 が 讐 喩 者 の 名 の も と に 反 対 意 見 を の べ る こ と に つ い て ﹁ 想 像 し か で き な い が ﹂ と 断 っ て は い る

(22)

も の の ﹁ あ る い は 自 分 の 師 で あ る シ ュ リ ー ラ ー タ の 意 見 で あ る か ら 、 こ れ を 紹 介 す る 感 情 に か ら れ た た め か 、 ま た は 当 時 こ れ ら の 主 張 が 仏 教 界 で 無 視 で き な い ほ ど 、 優 勢 で あ っ た た め か で あ ろ う し と さ れ て い る 。 し か し ︹ 注 ︺ の ( 19 ) に 示 し た ご と く 、 加 藤 氏 自 身 も ﹁ 経 量 部 は 世 親 の 個 人 的 意 見 に 他 な ら な い し と の 見 解 を 示 し て い る 。 そ れ な ら ば 、 否 そ れ 故 に こ そ 、 世 親 の 新 し い 個 人 的 意 見 と す る 立 場 に お い て は 、 讐 喩 者 説 と 相 入 れ な い も の が 生 じ た 、 と 考 え る 方 が よ り 妥 当 で は な い だ ろ う か 。 ( 42 ) ﹃ 倶 舎 論 ﹄ 大 正 二 十 九 ・ 八 一 ・ c 、AKBh 230.7-12. (43) (44) (45) (46) ( 47 ) 尚 、 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ 中 の 上 座 説 に お い て も ﹁ 貧 瞑 邪 見 は 即 ち 是 れ 意 業 な り と 執 す ﹂ る こ と が 記 さ れ て い る 。 し か し 、 (9)の 箇 所 (本 稿 五 七 ) に 述 べ た 如 く 、 上 座 は 、 受 想 思 の 三 心 所 を 認 め ﹁ こ れ は 次 第 生 起 す る も の の 、 残 り の 種 々 の 心 所 は 、 思 の 差 別 で あ る し と 主 張 す る 。 そ こ で ﹁ 説 貧 瞑 等 名 意 業 故 し ( 大 正 ) 十 九 ・ 三 三 九 ・ b ) と い い 、 ま た ﹁ 説 食 瞑 等 為 意 業 故 。 知 作 意 等 思 為 体 し ( 大 正 ) 十 九 ・ 三 四 〇 ・ b ) と い っ て 、 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ の 讐 喩 者 説 と 同 一 で あ る が 如 く に み え る 。 し か し ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ 中 の 讐 喩 者 は 、 ﹁ 思 慮 是 心 差 別 。 無 二別 有 プ 体 。 ﹂ ( 大 正 ) 十 七 ・ 二 一 六 ・ b ) と も あ る よ う に 、 一 切 の 心 所 別 体 を 認 め な い 立 場 に お い て ﹁ 貧 瞑 邪 見 即 是 意 業 し と 説 く の に 対 し 、 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ の 上 座 は 、 思 を 心 所 の 一 つ と し て 認 め る 立 場 か ら 、 貧 等 が 意 業 で あ る こ と を 主 張 す る こ と と な る 。 す な わ ち 、 こ の 問 題 に 関 し て 、 結 果 に お い て 讐 喩 者 と 上 座 は 同 一 の 主 張 と な る が 、 し か し 立 場 の 違 い は あ き ら か で あ る 。 ﹃ 成 実 論 ﹄ ﹃ 倶 舎 論 ﹄ と 讐 喩 者 ・ 経 量 部 と の 関 わ り に つ い て( 一)

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