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密教文化 Vol. 1964 No. 69-70 001清水谷 恭順「弘法大師と天台の巨匠 P18-39」

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密 教 文 化

( 一) 伝 教 大 師 と 弘 法 大 師 弘 法 大 師 と 関 係 の 深 い 天 台 の 巨 匠 と い え ば、 先 ず 第 一 に 伝 教 大 師 を 挙 げ ざ る を 得 な い。 両 大 師 の 事 蹟 等 に 就 て は、 大 体 は 皆 承 知 さ れ て お る 筈 で あ る か ら、 今 は 只 余 が 問 題 と 考 え る 点 に 就 て の み、 少 し く 叙 ぶ る こ と と す る。 ( 1) 両 大 師 入 唐 の 目 的 初 に 伝 教 大 師 の 入 唐 の 目 的 を 叙 す れ ば、 専 ら 天 台 教 観 の 相 承 に あ っ た こ と は、 別 伝 及 び 生 涯 の 業 績 に 徴 し て 明 瞭 で あ る。 そ の 天 台 法 門 の 相 承 及 び 弘 通 が、 固 よ り 大 師 の 発 願 に 由 っ た の は 勿 論 で あ る が、 ま た 桓 武 天 皇 の 叡 慮 に 依 る 点 も 重 視 せ ね ば な ら な い。 而 し て 天 皇 の こ の 思 召 は、 六 は 当 時 の 教 界 革 新 の 方 法 と し て、 ま た 一 は 聖 徳 太 子 が、 法 華 経 に 説 か る る 十 界 皆 成、 大 慈 大 悲、 諸 法 円 融 等 の 理 念 に 依 り て、 国 家 人 民 を 指 導 せ ん と せ ら れ た 芳 燭 に、 共 鳴 せ ら れ た 結 果 で あ ろ う。 、 即 ち、 聖 徳 太 子 の 意 志 を 紹 ぎ、 天 資 豊 か な る 最 澄 の 解 行 を 洞 見 せ ら れ、 藪 に 最 澄 を し て、 法 華 経 を 中 心 と す る 天 台 の 法 門 を、 本 邦 に 伝 え し め、 之 に よ っ て 南 都 の 仏 教 に 反 省 を 促 し、 仏 教 の 真 精 神 を 発 輝 せ し め よ う と の 願 を 発 せ ら れ、 こ れ が 予 て よ り の 大 師 の 念 願 と 一 致 し た の で あ る、 と 思 う。 延 暦 二 十 一 年 (八 〇 二) の 秋、 天 皇 は 思 召 を も っ て、 和 気 の 祭 酒 に 詔 問 せ ら れ、 祭 酒 は こ れ を 大 師 に 告 げ て、 両 者 熟 議 を 遂 げ、 即 ち こ こ に 大 師 の 入 唐 請 益 の 上 表 と な っ た の で あ (1) る。 そ の 間 の 事 情 は 叡 山 大 師 伝 に ・ 同 年 ( 二 十 一 年) 九 月 七 日 主 上 見 レ 知 下 天 台 教 迹 特 超 二 諸 宗 一、 南 岳 後 身 聖 徳 垂 上 レ 述、 即 便 思 下 欲 興 二 隆 霊 山 之 高 迹 一、 建 中 立

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天 台 之 妙 悟 上、 詔 二 問 和 気 祭 酒 一、 祭 酒 告 二 和 尚 一和 上 与 二 祭 酒 一 終 日 与 議 二 弘 法 之 道 一故 上 表 と あ る に よ っ て 知 り 得 る の で あ る。 更 に 同 処 の 上 表 の 文 が 掲 出 し て あ る。 日 わ く 毎 恨 法 華 深 旨 尚 未 二 詳 釈 一、 幸 求 二 得 天 台 妙 記 一披 閲 数 年、 字 謬 未 レ 顕 二 細 趣 一、 若 不 レ 受 二 師 伝 一、 雛 レ 得 不 レ 信、 誠 願 差 二 留 学 生 還 学 生 各 一 人 一令 レ 学 二 此 円 宗 一。 中 略 伏 願 我 聖 皇 御 代、 令 レ 学 二 円 宗 妙 義 於 唐 朝 一令 レ 運 二 法 華 宝 車 於 此 間 一。 中 略 所 レ 望 法 華 円 宗 与 二 日 月 一 斉 レ 明 天 台 妙 記 将 二 乾 坤 一 等 レ 固 と 奏 し て 直 ち に 勅 許 を 得 た の で あ る。 天 皇 と 大 師 と 肝 胆 相 照 ら し、 そ の 理 念 も 一 致 し た の で あ っ た。 こ れ に 由 っ て、 大 師 の 入 唐 の 目 的 は 頗 る 明 瞭 で あ る。 即 ち 天 台 法 門 の 伝 来 は、 実 際 に は 伝 教 大 師 の 発 願 に 相 違 な い と 思 う が、 別 伝 の 上 で は、 桓 武 天 皇 の 叡 願 に 由 っ て、 伝 教 大 師 は そ の 使 者 た ら ん こ と を 請 う て、 許 さ れ た こ と に な っ て お る の で あ る。 こ こ で 問 題 と な る の は、 大 師 が 入 唐 し て、 天 台 の 教 観 と 共 に、 真 言 を も 伝 え て 帰 ら れ た こ と で あ る。 こ れ に 就 て 余 は、 入 唐 前 か ら の 予 定 の 行 動 と 認 む る も の で あ る が、 そ れ に は 相 当 の 論 拠 を 列 挙 し て、 証 明 せ ね ば な ら ぬ の で、 今 は 大 師 入 唐 の 正 目 的 に 関 し て の み 叙 べ た 次 第 で あ る。 次 に 弘 法 大 師 入 唐 の 目 的 に 就 て、 考 察 し て 見 る。 大 師 の 入 唐 の 正 目 的 は 何 で あ っ た か、 元 よ り 重 要 な 課 題 で あ る。 何 と な れ ば 伝 教 大 師 ほ ど に は、 明 瞭 で な い か ら で あ る。 然 し、 真 (2)( 3) 済 記 る す と こ ろ の 空 海 僧 都 伝 或 は、 御 遺 告 等 に 依 れ ば、 大 日 経 の 研 究 を 主 眼 と せ ら れ た こ と は、 認 め な け れ ば な ら な い と 思 う。 即 ち 御 遺 告 に 日 わ く 二 十 年、 愛 大 師 石 淵 贈 僧 正 召 率、 発 二 向 和 泉 国 槙 尾 山 寺 一、 於 レ 此 剃 二 除 髪 髪 一、 授 二 沙 弥 十 戒 七 十 二 威 儀 一、 名 称 二 教 海 一、 後 改 称 二 如 空 一。 此 時 仏 前 発 二 誓 願 一 日、 吾 従 二 仏 法 一常 求 二 尋 要 一、 三 乗 五 乗 十 二 部 経、 心 神 有 レ 疑、 未 二 以 為 7 決、 唯 願 三 世 十 方 諸 仏 示 二 我 不 二 一、 一 心 祈 感 夢 有 レ 人 告 日、 於 レ 此 有 レ 経 名 字 大 毘 盧 遮 那 経、 是 汝 所 レ 要 也。 即 随 喜 尋 二 得 件 経 王 一、 ヤ マ ト 在 二 大 日 本 国 高 市 郡 久 米 道 場 東 塔 下 一、 於 レ 此 解 レ 絨 普 覧 衆 情 有 レ 滞、 無 レ 所 二 揮 問 一。 更 作 二 発 心 一、 以 去 延 暦 二 十 三 年 五 月 十 二 日 入 唐。 と あ る。 空 海 僧 都 伝 も 大 要 同 じ で あ る。 之 に 依 れ ば 入 唐 の 動 機 は、 大 日 経 の 研 究 の 為 で あ る。 大 師 の 見 ら れ た 大 日 経 が、 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 何 人 に よ っ て 伝 え ら れ た か は 不 明 で あ る が、 既 に 義 釈 の 伝 わ っ て お っ た こ と, か ら 考 え て も、 大 日 経 の 在 っ た こ と は、 異 と す, る に 及 ば ぬ と 思 う。 か く て 伝 教 大 師 は 主 と し て 法 華 経、 宗 と し て は 天 台 宗、 弘 法 大 師 は 経 と し て は 大 日 経、 法 門 と し て は 真 言 秘 密 の 法 を 伝 え て 来 ら れ た こ と は、 興 味 あ る と こ ろ で あ る。 唐 に 若 し 天 台 の 如 く、 真 言 の 宗 門 が あ っ た な れ ば、 弘 法 大 師 は そ れ を 伝 来 さ れ た で あ ろ う け れ ど も、 当 時 宗 と し て の 真 言 門 は な か っ た。 そ こ で 大 師 は 帰 期 後、 十 住 心 論 ・ 秘 蔵 宝 鍮 を 著 し て、 各 宗 を 批 判 し、 真 言 密 教 の 独 り 勝 れ た る を 明 し、 所 謂 教 相 判 釈 を 確 立 し、 此 に 始 め て 真 言 宗 が 開 創 さ れ た の で あ る。 弘 法 大 師 以 前 印 度、 支 那 に 真 言 の 法 門 は あ っ た け れ ど も、 宗 門 は な か っ た。 弘 法 大 師 が 大 同 元 年 ( 八 〇 六) 八 月、 帰 朝 せ ら れ て か ら 六 (4) 年 後 の、 弘 仁 三 年 十 -月 十 五 日、 金 剛 界 灌 頂 を、 又 同 年 十 二 月 十 四 日、 胎 蔵 界 灌 頂 を 共 に 高 雄 山 寺 に 於 て、 始 修 せ ら る る や、 伝 教 大 師 は 進 ん で、 弘 法 大 師 か ら 伝 法 さ れ た の で あ る。 こ の 時 弘 法 大 師 は 金 胎 両 界 に、 受 者 の 暦 名 を 列 記 さ れ た 際、 金 に 於 て 釈 最 澄、 胎 に 於 て 僧 最 澄 と、 親 筆 を 以 っ て 最 初 に 伝 教 大 師 の 名 を 掲 げ て お る。 此 の 時 の 書 は、 実 に 立 派 な 筆 蹟 で、 且 つ 伝 教 大 師 の 真 蹟 と 酷 似 し、 余 は 深 く 敬 服 し て、 之 を 拝 す る の が 常 で あ る。 こ の 伝 法 以 後 伝 教 大 師 は、 弘 法 大 師 に 対 し て、 専 ら 弟 子 の 礼 を と っ て お る の で あ る。 斯 か る 伝 法 の 事 実 は、 伝 教 大 師 が 唐 に 於 て、 順 暁 阿 闇 梨 か ら 両 部 大 法 を 相 承 し て、 帰 朝 さ れ た と は い う も の の、 弘 法 大 師 ほ ど に 完 全 な る 伝 法 で な か っ た か ら で、 こ こ に も 入 唐 求 法 の 正 意 が、 両 大 師 の 間 に 全 く、 別 で あ っ た 結 果 が 表 わ れ た こ と と 思 う。 ( 2) 両 大 師 の 両 部 大 法 の 相 承 (5) 伝 教 大 師 は 入 唐 し て、 順 暁 阿 闇 梨 か ら 延 暦 二 十 四 年 ( 八 〇 五) (6) 四 月 十 八 日、 両 部 大 法 を 相 承 さ れ た。 弘 法 大 師 は、 延 暦 二 十 四 年 六 月 上 旬、 長 安 青 龍 寺 恵 果 に 就 て 胎 蔵 大 法 を 受 け、 同 七 月 上 旬 同 じ く 恵 果 よ り 金 剛 界 大 法 を 受 け ら れ た。 大 師 西 明 寺 に 住 し、 長 安 城 中 を 歴 て 名 徳 を 訪 ね て お る と、 偶 然 に も 青 龍 寺 恵 果 阿 闇 梨 に 出 会 い、 其 の 後 師 を 訪 問 し た。 恵 果 は 大 師 を 見 る と 笑 を 含 み、 歓 喜 し て 仰 せ ら る る に ﹁ 我 れ 先 に 汝 の 来 る を 知 り、 相 待 つ こ と 久 し、 今 日 相 見 大 好 大 好 ﹂ と。 こ れ よ り 両 者 神 機 相 合 し、 間 も な く 大 悲 胎 蔵 大 曼 茶 羅 に 入 り、 法 に 依 て 投 華 す れ ば 偶 々 中 台 大 日 に 当 る。 時 に 恵 果 讃 じ て、 不 可 思

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議 な り 不 可 思 議 な り と、 再 三 に 渉 っ て 嘆 じ た そ う で あ る。 胎 蔵 法 大 日 の 金 剛 号 は 遍 照 金 剛 で あ る。 更 に 七 月 上 旬、 金 剛 界 大 曼 茶 羅 に 入 り て、 重 ね て 五 部 の 灌 頂 を 受 く。 こ の 時 の 投 華 得 仏 が 亦 大 日 如 来 で あ る。 金 の 大 日 の 金 剛 号 は 無 障 金 剛 で あ る。 東 密 で 胎 蔵 界 の 金 剛 号 を 用 ゆ る の は、 弘 法 大 師 の 恵 果 の 下 で の 受 法 が、 胎 蔵 法 が 先 で あ っ た の で、 大 師 自 ら 先 受 大 法 の 金 剛 号 を、 用 い ら れ た 芳 燭 に 従 う の で は な か ろ う か。 因 に 台 密 で は 凡 て 金 剛 界 の 投 華 得 仏 に よ っ て、 金 剛 号 を 用 ゆ る 慣 例 に な っ て お る。 之 は 東 密 が 胎 蔵 界 金 剛 号 を 用 い た の で、 台 密 は 夫 れ と 別 に し た の が 源 で は な か ろ う か。 次 に 伝 教 大 師 は 前 に 叙 ぶ る と こ ろ の 如 く、 順 暁 阿 閣 梨 か (7) ら、 両 部 大 法 を 相 承 し た の で あ る。 此 の 順 暁 は 恵 果 と 共 に 大 広 智 不 空 の 弟 子 で あ る。 従 っ て 伝 教 大 師 と 弘 法 大 師 と は、 法 系 上 の ﹁ い と こ ﹂ と な る 訳 で あ る。 即 ち 大 日-金 剛 薩 唾 -竜 猛 -竜 智-金 剛 智 -不 空 --順 暁 -最 澄 -恵 果 -空 海 -義 操 -義 真-円 仁 で あ る。 か く て 伝 教 大 師 は、 胎 金 両 部 と も 順 暁 か ら 相 承 し た の で あ る が、 順 暁 ま で に 至 る 両 部 の 系 統 は、 弘 法 大 師 と 異 る の で あ (8) る。 即 ち 伝 教 大 師 の 内 証 仏 法 相 承 血 肱 譜 に、 胎 蔵 界 大 日-善 無 畏 -一 行 義 林 順 暁-金 剛 界 大 日-金 剛 薩 垣 -竜 猛 -竜 智-金 剛 智 -不 空-順 暁-最 澄 と あ る。 之 に よ れ ば 両 部 の 血 豚 は 全 く 別 で あ っ て、 金 剛 界 の 血、 豚 は 東 密 と 同 じ で あ る。 大 師 以 後 の 台 密 の 入 唐 求 法 の 円 仁 ・ 円 珍 は 何 れ も、 恵 果 の 血、 豚 を 相 承 し て お る。 即 ち ( 海 雲、 造 玄 血、 肱 参 照) 恵 果 弁 弘-全 雅 ( 金 剛 界 伝 法) 恵 則 -元 政 ( 金 剛 界 伝 法 義 操-義 真 胎 蔵 界 伝 法 金 剛 界 伝 法 法 潤 -法 全 胎 蔵 界 伝 法) 円 仁 恵 果 法 潤 -法 全 ( 胎 蔵 界 伝 法) 義 操-法 全 ( 金 剛 界 伝 法) 円 珍 と な っ て、 東 密 と 同 血、 豚 で あ る。 さ れ ば 唯 単 り 伝 教 大 師 の み、 順 暁 に 至 る 迄 の 胎 蔵 法 の 血 豚 を 異 に し て お る の で あ る。 之 に 就 て 私 に 惟 う に、 伝 教 大 師 の こ の 血、 豚 は、 甚 だ 粗 朴 で は あ る が、 真 実 性 が あ る か の よ う に、 考 え ら れ る の で あ る。 ロ バ 海 運 造 玄 共 に、 胎 蔵 金 剛 両 界 の 血、 豚 に、 善 無 畏 は 入 れ て あ る (9) が、 順 暁 の 名 は な い。 然 し 順 暁 に 関 し て は の に 顕 戒 論、 口 に (10) (11) (12) 血 詠 譜、 口 に 別 伝、 伽 に 越 州 録 等 に よ っ て、 堂 々 た る 大 阿 闇 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 梨 で あ っ た こ と が わ か る し、 且 つ ㈲ 御 遺 告 に は 恵 果 の 相 弟 子 で あ っ た 旨 が 記 さ れ て お る 位 で、 其 の 存 在 は 毫 も 疑 い な い の に、 海 運 造 玄 共 に、 そ の 名 を 逸 し た の は、 理 由 が わ か ら な い。 或 は 後 世 名 を 除 い た の で は な か ろ う か。 柳 か 疑 い の 存 す る 所 で あ る。 又 善 無 畏 が 胎 蔵 相 承 に 於 て、 大 日 直 受 と な っ て お る 点 は、 善 無 畏 が 胎 蔵 法 組 織 の 濫 膓 者 で あ る こ と を、 暗 示 し て お る の で は な か ろ う か。 何 れ に せ よ 善 無 畏 が 胎 蔵 大 法 の 成 上 起 下 の 重 鎖 で あ る こ と に は、 何 人 も 疑 い を 入 れ る 余 地 は な い と 思 う。 両 大 師 の 大 法 相 承 上 の 同 異 は、 以 上 述 ぶ る 通 り で あ る。 ( 3) 両 大 師 の 交 り に 就 て 両 大 師 は 入 唐 求 法 前、 交 り が あ っ た か ど う か、 今 の 余 に は 不 明 で あ る が、 帰 朝 後 は 一 再 な ら ず 会 わ れ た に 相 違 な い。 そ し て 弘 法 大 師 は 大 同 元 年 ( 八 〇 六) 八 月 帰 朝 さ れ て よ り、 六 13) 年 後 の 四 月、 書 を 伝 教 大 師 に 送 っ て 悉 曇 の 疑 義 を 問 う て お る。 そ の 書 に 云 く ( 弘 仁 三 年 四 月 十 四 日 附 原 漢 文) ﹁空 海 稽 百 和 南 す、 仲 春 の 比、 書 を 献 上 す と 錐、 未 だ 欝 望 を 散 ぜ ず、 重 ね て 以 て、 子 細 の 状 を 達 す ﹂ と あ る か ら、 こ れ が 初 め て で は な い で あ ろ う。 そ の 次 に ﹁ 延 暦 二 十 三 年 遠 く 大 唐 国 に 渡 り、 真 言 を 伝 え 悉 曇 を 習 う。 中 略 然 る に 空 海 悉 曇 に 於 て 疑 う 所 あ り、 再 び 蒼 波 を 渡 り 以 て 疑 い を 決 せ ん と す る も、 未 だ 由 あ ら ざ る の み、 唯 願 わ く ば 阿 閣 梨 の 加 被 を 蒙 り、 其 の 源 底 を 馨 さ ん と 欲 す ﹂ と あ る。 伝 教 大 師 が 之 に 対 し て、 答 え た に 相 違 な い が、 そ れ に 就 て の 消 息 は な い よ う で あ る。 兎 に 角 両 大 師 の 交 り に 就 て、 文 書 に 遺 っ て お る も の の 最 初 は ど う も、 こ の 悉 曇 疑 義 に 関 す る 書 か と 思 う。 又 同 年 十 一 月 と 十 二 月 に 伝 教 大 師 は 弘 法 大 師 に 従 っ て、 胎 金 両 部 の 灌 頂 を 受 法 し て お る こ と は、 前 に 記 し た 通 り で あ る。 藪 に 両 大 師 の 法 交 は 深 く な っ た よ う に 思 う。 そ の 証 に は、 弘 仁 四 年 頃 か と 推 定 (誤 ま っ て お る か も 知 れ な い が) す る の だ が、 唯 九 月 十 一 日 と 日 附 の み あ る 弘 法 大 師 の 書 ( 東 寺 蔵) 世 に い わ ゆ る 風 信 帖 に は、 ( 原 漢 文) 風 信 雲 書 天 よ り 翔 臨 し、 之 を 披 き 之 を 閲 す。 雲 霧 を 掲 ぐ る が 如 く、 兼 て 止 観 の 妙 門 を 恵 ま れ、 頂 戴 供 養 し 屠 く 仮 を 知 ら ず。 己 に 冷 し 伏 し て 惟 う に 法 体 何 如、 空 海 常 に 命 に 随 っ て、 彼 の 嶺 に 踏 墓 せ ん と 擬 す と 錐 も、 限 る に 少 願 を 以 て 東 西 す る 能 わ ず、 今 思 う に 我 が 金 蘭 と 室 山 と、 一 処 に 集 会 し 仏 法 の 大 事 因 縁 を 商 量 し、 土 三 に 法 瞳 を 建 て 仏 の 恩 徳 に 報 い ん。 望 む ら く は 煩 労 を 揮 ら ず、 暫 く 此 院 に 降 赴 せ ら れ ん こ

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と を。 此 れ 所 望 な り 忽 忽 不 具 釈 空 海 状 上 九 月 十 一 日 東 嶺 金 蘭 法 前 謹 空 と あ る。 之 を 見 る と 伝 教 大 師 か ら 信 書 を 上 げ た の に 対 す る 弘 法 大 師 か ら の 返 書 で、 お 招 ぎ に よ っ て お 山 へ 行 き た い の だ が、 日 を 限 っ て の 用 事 が あ る の で、 今 旅 行 が 出 来 な い。 が 貴 僧 と 自 分 と 二 人 で 一 処 に 会 し て、 仏 法 の 大 事 因 縁 を 協 議 し、 共 に 法 瞳 を 建 て て、 仏 恩 に 報 謝 し た い と い う、 誠 に 美 し い 情 操 が 浴 れ て お る の で あ る。 多 分 そ の 後 か と 思 う が、 九 月 十 三 日 附 と、 九 月 五 日 附 の 二 通 が、 弘 法 大 師 か ら 伝 教 大 師 に 送 ら れ て お る。 斯 く の 如 く 弘 仁 三 四 年 頃 の 両 大 師 は、 誠 に 円 満 な る 交 り が 続 い て お っ た よ う で あ る が、 同 時 に そ の 頃 か ら、 巳 に 泰 範 を 中 心 と し て、 両 大 師 の 間 に も、 幡 り が 生 じ 初 め た よ う で あ る。 之 に 就 て は 別 に 論 じ た い と 思 う て お る が、 鬼 に 角 泰 範 を 中 に し て、 両 大 師 は 次 第 に 疎 遠 す る よ う に な っ た の は 事 実 で あ る。 泰 範 は 伝 教 大 師 の 弟 子 で あ る。 そ れ が 師 の 命 に よ っ て、 真 言 を 研 究 す る た め に、 弘 法 大 師 の 処 へ 行 っ た の で あ ろ う。 然 る に 深 く 真 言 の 教 に 帰 依 し、 師 の 伝 教 大 師 よ り 叡 山 へ 帰 れ と い う 書 信 に 対 (14) し て も、 顕 劣 密 勝 を 叙 し、 ﹁ 所 以 に 真 言 の 醍 醐 に 耽 執 し、 未 だ 随 他 之 薬 を 轍 嘗 す る に 遅 あ ら ず ﹂ な ど、 批 判 が ま し い こ と を 認 め て、 伝 教 大 師 に 絶 縁 状 に 等 し き も の を 送 っ て お る の で あ る。 も っ と も 泰 範 自 身 と し て は、 恩 師 か ら 帰 山 を 從 心 愚 せ ら れ (15) て も、 応 じ 得 ら れ ぬ 事 情、 い わ ば 在 叡 当 時 に 何 か 不 面 目 的 行 為 が あ っ た ら し い。 何 れ に せ よ、 弘 法 大 師 と し て は、 泰 範 を 説 得 し て、 伝 教 大 師 の 許 へ 戻 ら す べ き で あ っ た う ろ。 そ の 点 が は っ き り せ ぬ が、 こ の 泰 範 問 題 を 境 と し て、 両 大 師 の 法 交 は 絶 た れ た よ う に 思 わ れ る。 伝 教 大 師 が 円 (法 華) 密 ( 真 言) 一 致 を 主 張 す る に 対 し て、 弘 法 大 師 は、 九 顕 U 密 の 十 住 心 教 判 ( 十 住 心 教 判 の 発 表 は 通 (16) 説 と し て 天 長 七 年 で 伝 教 大 師 滅 後 九 年 目 で あ る が、 然 し 顕 劣 密 勝 の 意 見 は 巳 に 確 立 し て お っ た に 相 違 な い) 的 学 識 に 依 っ て、 円 劣 密 勝 と 決 判 せ ら れ、 両 大 師 が 晩 年 に 及 ぶ 程 に、 両 者 次 第 に 明 瞭 に 教 義 信 条 が、 反 し て 行 っ た の で あ る か ら, 思 想 上 か ら も 相 離 る る に 至 っ た の は、 蓋 し 自 然 で あ っ た か も 知 れ な い。 泰 範 の 問 題 は、 そ れ に 拍 車 を か け た こ と で あ ろ う か。 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 ( 二) 弘 法 大 師 と 慈 覚 大 師 ( 1) 慈 覚 大 師 円 仁 の 入 唐 求 伝 の 目 的 慈 覚 大 師 円 仁 の 生 れ た の ば、 延 暦 十 三 年 ( 七 九 四) で、 弘 法 大 師 の 二 十 一 歳 の 時 で あ る。 師 の 伝 教 大 師 が、 弘 法 大 師 に 従 っ て、 金 胎 両 部 の 大 法 を 受 伝 し た 時 に は、 円 仁 は 十 九 歳 の 青 年 で、 伝 教 大 師 に 師 事 す る よ う に な っ て か ら ( 八 ○ 八) 五 年 目 で あ る。 当 時 弘 法 大 師 の 声 誉 は、 天 下 を 振 憾 し て お っ た こ と で あ る か ら、 自 然 円 仁 に も、 影 響 を 与 え た に 相 違 な い。 円 仁 は 初 め 止 観 業 を 専 攻 し た。 仁 明 天 皇 の 承 知 二 年 ( 八 三 五) 入 唐 請 益 の 詔 が 下 っ た。 因 み に こ の 年 三 月 弘 法 大 師 は 入 寂 せ ら れ た。 円 仁 は 承 和 三 年 四 年 と 二 回 九 州 を 発 し て、 渡 唐 を 企 て た が 逆 風 の た め に 漂 廻 し、 同 五 年 七 月、 漸 く 唐 国 揚 州 に 到 着 し た。 時 に 四 十 五 歳 で あ っ た。 円 仁 は 直 ち に 天 台 山 に 登 り、 諸 々 の 学 匠 に 会 う て、 天 台 学 の 纏 奥 を 窮 め 且 つ、 天 台 伝 教 両 祖 等 の 聖 蹟 を、 巡 礼 し よ う と し た の で あ る が、 官 は 円 仁 (17) が 還 学 僧 た る の 所 以 を 以 て、 内 地 の 巡 礼 を ど う 願 っ て も 許 さ な か っ た。 大 に 失 望 し て 翌 年 ( 八 三 九) 大 使 と 共 に 日 本 へ 帰 ろ う と し た が、 逆 風 に 遭 う て 海 州 の 辺 り に 漂 着 し、 更 に 登 州 に 至 り、 次 で 赤 山 浦 に 着 し て 上 陸 し た。 藪 に は 張 宝 高 建 つ る 所 の、 赤 山 法 花 院 が あ り、 此 に 駐 ま る こ と 八 個 月 余、 そ の 間 に 五 台 山 及 長 安 を、 二 十 年 間 も 遊 行 し た と い う 所 の、 聖 林 和 (18) 尚 と 交 り を 結 び、 和 尚 か ら、 五 台 山 聖 跡 の 甚 だ 奇 特 な る こ と を、 具 さ に 聞 知 し、 弦 に 暫 く 天 台 山 行 を を や め て ( 断 念 し た の で は な い) 五 台 山 に 向 う こ と に 決 し た。 そ の 時 聖 林 は、 長 安 の 仏 教 特 に 密 教 の 盛 ん な る こ と を も、 円 仁 に 語 っ た に 相 違 な い。 そ こ で 五 台 山 に 次 い で、 長 安 行 き を も、 恐 ら く こ の 時 決 定 し た こ と で あ ろ う。 斯 く 相 成 っ た の は、 当 時 赤 山 法 華 院 住 侶 有 識 層 の 世 論 の 外 に、 特 に 聖 林 の 影 響 に 依 る こ と、 甚 大 で あ っ た と 思 う。 か く て 漸 く に し て 巡 礼 求 法 の 公 験 を 得、 あ ら ゆ る 難 難 を 排 し て、 五 台 山 に 至 り、 碩 学 志 遠 に 就 て 止 観 を 相 承 し、 巨 匠 玄 墜 に 就 て 天 台 の 教 観 を 伝 習 し、 五 台 を 巡 礼 す る こ と 約 二 箇 月、 唐 の 文 宗 開 成 五 年 ( 八 四 〇) 八 月、 長 安 に 達 し た の で あ る。 斯 く 考 察 し て 来 る と、 円 仁 の 入 唐 求 法 の 主 た る 目 的 は、 処 と し て は 天 台 入 山、 学 と し て は 天 台 の 教 観 の、 淵 底 を 究 め ん と す る に あ っ た の で、 長 安 ま で 行 っ て、 密 教 を 相 承 し よ う と い う 考 え は、 当 初 の 程 は な か っ た こ と と 思 わ れ る。 夫 れ は の

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に 還 学 僧 で あ っ て、 円 載 の 如 く 留 学 僧 で な か っ た こ と、 H に (19) 勅 命 に 依 っ て 請 益 に 充 て ら れ た 時、 叡 山 の 僧 徒 が 学 問 上 の 疑 難 三 十 条 を 撰 ん で、 入 唐 の 上 は、 天 台 山 名 匠 の 回 答 を 得 て く れ と 頼 ま れ た こ と、 口 天 台 山 行 き を 阻 止 さ れ た 時、 大 使 と 共 に 日 本 へ 帰 ろ う と さ れ た こ と 等 に 依 っ て、 斯 く は 判 す る の で 20 あ る。 夫 れ 故 或 る 学 匠 の 如 く、 ﹁ 円 仁 の 入 唐 は、 密 教 を 伝 え ん が 為 ﹂ と さ れ る 向 も あ る が、 そ れ は 結 果 論 で あ っ て、 当 初 の 入 唐 目 的 で は な か っ た で あ ろ う。 然 る に 前 陳 の 実 情 に 依 っ て、 自 然 に 五 台 か ら 長 安 に 入 り、 真 言 秘 密 の 奥 蔵 を 開 く の 運 命 と な っ た の で あ る。 即 ち 真 言 に 有 縁 の 当 機 で あ っ た の で あ る。 ( 2) 長 安 に 於 け る 円 仁 の 伝 法 円 仁 が 入 唐 求 法 の 当 初、 長 安 ま で 行 っ て、 密 教 を 相 承 し よ う と す る 目 的 は、 な か っ た で あ ろ う と す る こ と は、 前 述 の 通 り で あ る が、 さ り と て そ れ を 以 っ て 直 ち に 入 唐 し て、 然 る べ き 何 闇 梨 に 出 会 っ て も、 密 教 は 相 承 し な い と い う 素 志 で あ っ た と い う、 意 味 で は な い。 そ の 点 で は む し ろ そ の 反 対 で あ る。 そ の 理 由 は、 第 一 に 日 本 に 於 て 弘 法 大 師 の 真 言 密 教 が、 今 や 旭 日 昇 天 の 情 勢 で あ っ た こ と、 第 二 に 伝 教 大 師 が 巳 に 円 密 二 教 を 相 承 し て 来 て、 天 台 宗 で は、 こ の 新 伝 の 密 教 を 如 何 に 遇 す べ き や は、 一 家 教 判 論 上 の 大 問 題 で あ り、 円 仁 は そ の 解 決 の 第 一 の 責 任 者 で あ る こ と。 第 三 に 円 仁 自 ら 齎 し て 行 っ た 叡 山 ( 円 澄) 問 う て、 広 修 答、 又 同 時 入 唐 の 円 載 問 う て 維 (21) 鎧 の 答 え た、 唐 決 の 中 に は、 密 教 に 関 す る 問 題 も 含 ま れ て お る こ と、 等 に よ っ て も、 真 言 密 教 へ の 関 心 は、 十 二 分 に あ っ た こ と は、 伝 教 大 師 の 入 唐 前 に、 密 教 も 可 能 で あ っ た ら 伝 え て 来 よ う と い う、 思 召 が あ っ た よ り 以 上 に、 円 仁 に そ の 希 望 が あ っ た の は、 元 よ り 当 然 で あ る。 蓋 し か か る 心 理 的 態 度 は、 即 ち 天 台 僧 共 通 の 一 特 色 で も あ る の で あ る。 而 し て 円 仁 は こ の 目 的 を 天 台 山 で 達 せ ら る る こ と を 希 望 し、 又 想 像 も し た で あ ろ う。 然 る に 天 台 山 で は、 広 修 維 鐙 が 唐 決 に 述 べ て お る よ う に、 真 言 密 教 は 方 等 部 摂 属 の、 大 小 兼 含 の 教 で、 法 華 円 教 よ り、 遙 に 劣 機 に 蒙 ら し む る 劣 教 で あ る と、 決 し て お る の で あ る。 之 で 天 台 山 の 学 風 の 一 般 が よ く 分 る わ け で、 若 し 円 仁 初 期 の 目 的 が か な う て、 天 台 山 へ 行 け た と す れ ば、 支 那 に お け る 密 教 の 相 承 は、 或 は 出 来 な か っ た で あ ろ う。 天 台 山 へ 行 け な か っ た こ と は、 不 幸 の よ う で、 令 法 久 住 の 上 か ら は む し ろ 幸 い で あ っ た。 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 ( 3) 弘 法 大 師 の 教 判 に 対 す る 円 仁 の 態 度 慈 覚 大 師 円 仁 が 長 安 に 入 っ た の は、 開 成 五 年 の 八 月 で あ る が、 そ の 前 年 の 正 月、 恵 果 第 三 世 の 法 孫、 揚 州 開 元 寺 全 雅 阿 閣 梨 に 従 っ て、 金 剛 界 大 法 を 相 承 し た。 之 が 入 唐 後 最 初 の 伝 法 で、 其 の 後 は 全 部 長 安 入 城 後 の 受 法 で あ る。 即 ち 開 成 五 年 十 月、 大 興 善 寺 元 政 に 就 て 金 剛 界 を 伝 え、 更 に そ の 翌 年 会 昌 元 年 五 月、 青 龍 寺 義 真 に 就 て、 胎 蔵 法 と 蘇 悉 地 法 と を 相 承 し、 又 會 昌 二 年 正 月、 玄 法 寺 法 全 よ り、 胎 蔵 法 を 伝 承 し だ。 斯 く て 長 安 滞 留 四 年 十 箇 月 の 長 き に 渉 り、 あ ら ゆ る 学 匠 に 就 て 専 ら 密 教 の 相 承 と 研 究 と に 費 さ れ た。 そ の 大 系 は 前 の 8 の (2) の 項 に 於 て、 叙 し た 通 り で あ る。 長 安 滞 在 中 に 會 昌 破 仏 に 遭 遇 し、 強 制 に よ り 一 旦 還 俗 し て、 會 昌 五 年 ( 八 四 五) 五 月 長 安 を 去 り、 日 本 の 承 和 十 二 年 ( 八 四 七) 九 月 登 州 を 発 し て、 同 十 九 日 九 州 太 宰 府 に 帰 着 し た。 以 上 は 唐 朝 に 於 け る 円 仁 の、 密 教 に 関 す る 相 承 の 大 要 で あ る が、 之 を 挙 げ た 所 以 の も の は、 義 操 も 法 潤 も 慧 則 も 弁 弘 も、 何 れ も 皆 弘 法 大 師 の 相 弟 子 で あ っ て、 か く て 円 仁 は 大 師 と 深 い 関 係 の あ る こ と を 叙 べ ん が 為 で あ っ た。 円 仁 は 帰 朝 後 仁 寿 元 年 ( 八 五 一) か ら、 同 四 年 の 春 頃 迄 に、 金 剛 頂 経 疏 七 巻 を 撰 述 し、 更 に 斎 衡 二 年 ( 八 五 五) に は 蘇 悉 地 経 疏 七 巻 を 完 成 し て お る。 特 に 蘇 悉 地 経 疏 の 中 に は、 支 那 天 台 五 時 八 教 の 教 判 の 上 か ら、 真 言 密 教 を 如 何 に 判 摂 す る か と い う、 大 問 題 に 対 し て、 円 仁 は 前 古 未 曽 有 の 顕 密 判 を 行 っ て お る の で あ る。 蓋 し 之 は 弘 法 大 師 が 法 華 円 教 を 顕 教 と な し、 九 顕 一 密 に よ っ て、 真 言 密 教 の 独 勝 を 高 唱 し た の に 対 す る、 円 仁 独 特 の 妙 判 で、 口 に も 筆 に も 半 言 隻 句 も、 弘 法 大 師 に 当 っ て は お ら な い よ う で あ る け れ ど も、 こ の 教 判 論 は、 明 ら か に 弘 法 大 師 の 十 住 心 教 判 に 対 す る、 批 判 的 教 判 の 意 が、 22 含 蓄 さ れ て お る も の と 思 う も の で あ る。 即 ち 円 仁 の 顕 密 判 円 密 判 は 次 の 通 り で あ る。 第 一 に 顕 密 判 に 於 て、 三 乗 教 は 顕、 一 乗 教 は 密 と 判 じ、 そ の 判 別 の 根 拠 は、 真 俗 二 諦 の 円 融 を 説 く と 否 と で あ る。 即 ち 一 乗 教 は、 二 諦 の 円 融 を 説 く か ら 密 教 と す る の で あ る。 第 二 に そ の 密 教 の 上 に 於 い て、 理 密 倶 密 を 判 別 し て お る。 そ の 差 別 の 要 点 ぱ、 三 密 を 説 く と 否 と で あ る。 即 ち 三 密 を 説 く は 倶 密、 之 を 説 か な い の は 理 密 と な す の で あ る。 第 三 に 経 典 に 依 っ て 二 教 を 分 っ て お る。 即 ち、 華 厳、 維 摩、 般 若、 法 華 等 の 諸 々 の 大 乗 経 典 は、 皆 是 れ 密 教 聖 典 で あ る

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が、 未 だ 如 来 秘 密 の 旨 を 尽 さ ず、 然 る に 大 日 経 金 剛 頂 経 は 成 な、 如 来 事 理 倶 密 の 意 を 究 尽 す る が 故 に、 そ の 点 差 別 は あ る。 然 し 共 に 密 教 と い う 点 に 於 て は、 同 一 で あ る、 と す る の で あ る。 斯 く の 如 く 諸 々 の 大 乗 経 典 を、 一 括 し て 悉 く 密 教 で あ る、 と 論 断 し た の は、 円 仁 に 依 っ て 初 め て な さ れ た、 空 前 の 教 判 で あ る。 之 は 明 か に 弘 法 大 師 の 教 判 に 対 す る、 反 対 の 教 判 で あ る。 大 師 が 大 日 経 は 密 教 で あ る が、 法 華 経 は 顕 教 で あ る と 判 す る の も、 大 師 の 自 由 で あ る。 と 同 時 に 円 仁 が、 法 華 大 日 共 に、 二 諦 の 円 融 を 説 く が 故 に、 密 教 で あ る。 と 判 ず る の も 亦、 円 仁 の 自 由 で あ る。 円 仁 以 後 の 天 台 の 学 侶 は 悉 く、 円 仁 の こ の 教 判 を 依 用 し て、 今 日 に 至 っ て お る。 か く て 円 仁 の 教 判 は 次 図 の 如 く な る の で あ る。 教 四 法 化 台 天 薦 通 琶 呂 顕 教 円 く 理 密-法 華、 華 厳 等-倶 密-大 日、 金 剛 頂 等-密 教-円 仁 の 二 教 判 弘 法 大 師 と 慈 覚 大 師 と の、 密 教 に お け る 血 豚 上 の 関 係 は、 前 述 の 如 く 同 一 系 統 で、 近 親 の 間 柄 で あ る が、 教 判 上 思 想 上 に 於 て は、 全 く 別 で あ る こ と は、 以 上 の 説 明 に よ っ て、 略 明 瞭 で あ る と 思 う。 ( 三) 弘 法 大 師 と 智 証 大 師 ( 1) 智 証 大 師 円 珍 の 入 唐 求 法 の 目 的 智 証 大 師 円 珍 も 亦 入 唐 求 法 し て お る。 而 し て 其 の 伝 え 来 っ た 所 は、 円 仁 と 同 じ く 専 ら 真 言 密 教 で あ っ た こ と は、 伝 並 に 将 来 録 を 見 て、 明 ら か に 知 る こ と が 出 来 る。 然 し 密 教 の 相 承 に 関 し て は、 巳 に 円 仁 に お い て 完 壁 と 見 て よ い と 思 う。 円 珍 が 入 唐 し た 為 に、 大 い に 加 え ら れ た と こ ろ が あ っ た と は、 余 に は 考 え ら れ な い。 況 ん や 入 唐 前 円 仁 に 就 て、 十 分 に 研 究 も し 相 伝 も し て 上 の こ と な ら ば、 又 首 肯 す べ き 所 も あ る が、 そ (23) う で は な い の で あ る。 此 の 問 題 に 関 し て 島 地 大 等 氏 は、 ﹁ 円 珍 三 十 三 歳 の 時 推 さ れ て、 一 山 の 学 頭 と な り、 名 誉 益 々 高 し。 然 る に 其 の 翌 年 あ た か も、 円 仁 唐 よ り 新 に 帰 朝 し、 而 し て 本 来 止 観 業 出 身 た る 円 仁 に し て、 然 も 且 つ 盛 に 密 教 を 宣 揚 す る 所 あ り。 是 れ 蓋 し 円 珍 を 刺 戟 し て 以 て、 遂 に 入 唐 求 法 の 挙 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 に、 出 で し め た る も の な ら ん か ﹂ と 評 し た。 是 れ は 一 つ の 理 由 で あ ろ う。 但 し 之 を も っ て 全 分 の 理 由 と 見 る こ と は 出 来 ま い。 今 少 し く 円 珍 の 入 唐 求 法 の 理 由 に 就 て 稽 え る に、 其 の 第 一 は、 嘗 て 円 仁 が 刺 戟 さ れ た と 同 じ よ う に、 弘 法 大 師 の 真 言 宗 の、 異 常 な る 発 展 に あ っ た、 と 思 う。 即 ち 円 珍 の 入 唐 の 年 は、 大 師 の 滅 後 に 属 し、 真 言 密 教 は 上 下 を 風 靡 し た 時 代 で あ (24) る。 殊 に 宮 中 の 帰 依 厚 く、 大 師 の 入 寂 の 年 正 月 に は、 宮 中 真 言 院 に 於 て、 後 七 日 の 御 修 法 を 始 修 せ ら れ、 そ の 三 月 二 十 一 日 入 寂 せ ら れ た の で あ る。 そ の 御 修 法 が 千 百 二 十 年 後 の 現 代 に 於 て、 尚 東 寺 に 之 を 継 続 厳 修 さ れ て お る と い う こ と は、 弘 法 大 師 の 一 大 聖 勲 で あ り、 日 本 仏 教 の 光 輝 で あ る。 蓋 し こ の 光 り 輝 く 当 時 の 真 言 門 の 隆 昌 は、 同 じ く 新 興 宗 門 の 随 一 で あ る、 天 台 宗 を 荷 う 棟 梁 と し て、 大 な る 衝 動 を 感 じ た で あ ろ う 事 も 亦、 想 像 し 得 る と こ ろ で あ る。 即 ち 円 珍 は 時 代 の 趨 勢 を 洞 察 さ れ た の で あ る。 況 ん や 円 仁 の 痛 切 に 感 じ た で あ ろ う 所 の、 弘 法 大 師 の 教 判 に 対 す る、 回 答 の 責 任 は、 又 以 て 円 珍 に も 同 じ く 課 せ ら れ た。 宿 題 で な け れ ば な ら な い。 此 の 点 は 円 珍 の、 大 師 に 対 し て 取 ら れ た、 極 め て 厳 粛 な る 態 度 に 見 て も、 首 肯 さ れ ね ば な ら ぬ と こ ろ で あ る。 第 二 の 理 由 は、 当 時 の 入 唐 求 法 は、 碩 学 巨 匠 の 間 に 於 け る、 ﹁ 一 種 の 流 行 の 観 を 呈 し た こ と で あ る。 そ れ 程 に 唐 の 文 化 が、 日 本 の 文 化 人 を 惹 き つ け る 魅 力 が あ っ た の で あ る。 そ の 点 は 東 洋 史 の 跡 を 見 て も、 尤 も と 首 肯 か る る で は な い か。 然 れ ば 入 唐 八 家 中、 伝 教、 弘 法 の 両 宗 祖 と、 円 珍 以 後 の 入 唐 者 で あ る、 宗 叡 を 除 い た 五 師 の 内 円 仁 ・ 恵 運 ・ 常 行 ・ 円 行 の 四 人 は 何 れ も 皆、 仁 明 天 皇 の 承 和 五 年 (八 三 八) 入 唐 し、 常 暁 ・ 円 行 の 二 人 は、 其 の 翌 年 帰 朝 し、 円 仁 と 恵 運 の 二 人 は、 承 和 十 四 年 帰 朝 さ れ た。 何 れ も 優 秀 な る 人 師 の み で あ る か ら、 其 の 帰 朝 後 の 声 望 は、 明 治 初 年 の 欧 州 留 学 者 の、 帰 朝 以 上 で あ っ た に 相 違 な い。 斯 か る 環 境 の 間 に 育 く ま れ た、 新 進 気 鋭 の 円 珍 で あ っ て 見 れ ば、 そ れ ら 現 実 世 相 の 外 に 超 然 た ら ん と す る も、 若 さ ( 三 十 八 歳) が 許 さ な か っ た の で あ ろ う。 第 三 の 理 由 は、 円 仁 ・ 恵 運 の 帰 朝 し た 頃 は、 武 宗 の 廃 仏 毅 釈 の 大 法 難 を、 受 け た 時 代 で あ る。 今 や 武 宗 の 死 後 宣 宗 の、 復 仏 運 動 の 結 果 如 何 を、 視 察 し よ う と の 考 え も あ っ た で あ ろ う、 と い う こ と で あ る。 第 四 の 理 由 ( そ の 重 要 な 一 で あ る が) は、 円 珍 ば、 青 年 時 代

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か ら、 天 台 山 へ の 憧 憬 の 深 か っ た こ と は、 其 の 伝 を 繕 く 時、 (25) 随 処 に そ れ を 見 出 し う る。 即 ち 太 政 官 符 に み 毎 レ 披 二 天 台 山 圖 一、 恒 謄 二 華 頂 石 橋 之 形 勝 三、 未 レ 遇 二 良 縁 一久 以 存 レ 思。 と あ る に 見 て も、 又 入 唐 以 後 の 事 蹟 に 徴 し て も、 円 珍 が 偏 え に、 高 祖 天 台 の 芳 燭 を 慕 い、 天 台 山 巡 拝 の 念 の 切 な る も の が あ っ た こ と は、 極 め て 明 瞭 で あ る。 斯 か る 天 台 大 師 に 対 す る 思 慕 の 情 は、 他 人 が 行 っ た か ら と て、 満 足 し 得 る 訳 の も の で は な い。 さ れ ば 円 仁 が 一 回 も 天 台 山 の 土 を、 踏 み 得 な か っ た に も 係 ら ず、 円 珍 が 二 回 に 渉 っ て、 天 台 山 を 訪 問 し、 而 も 永 く 滞 在 し た 所 以 で あ る。 円 珍 は 実 に 天 台 山 の 訪 問 が、 入 唐 求 法 上 の 第 一 の 目 的 で あ っ た ろ う と さ え、 想 像 さ る る の で あ る。 第 五 の 理 由 は、 山 王 明 神 の 夢 告 に よ る 入 唐 求 法 も 亦、 其 の 一 つ と し て 考 え て お る。 第 六 の 理 由 と し て、 前 記 島 地 師 の 説 も、 確 か に、 そ の 一 と し て 考 え ら れ る。 以 上 の 如 き 種 々 の 理 由 に 依 っ て、 円 珍 は 敢 て 入 唐 求 法 の 挙 に、 出 ら れ た も の と 認 め ら れ る。 ( 2) 智 証 大 師 円 珍 入 唐 中 の 秘 密 相 承 円 珍 は 讃 岐 国 那 珂 郡 の 人 で、 弘 法 大 師 の 甥 と 伝 え て お る。 其 の 生 れ た 時 ( 八 一 四) は、 円 仁 は 二 十 一 歳 で あ り、 弘 法 大 (26) 師 は 四 十 一 歳 で あ っ た。 二 十 歳 で 遮 那 業 専 攻 の 学 生 と な り、 其 の 年 か ら 三 十 一 歳 ま で、 籠 山 比 丘 と し て、 遮 那 止 観 の 両 業 を 研 鎭 し た。 円 珍 が 頭 脳 明 晰、 学 識 卓 抜 で あ っ た こ と は、 師 の 著 述 を 見 て 明 か に 知 り 得 る と こ ろ で あ る。 且 つ 持 律 厳 正、 薫 修 精 練、 為 に 声 誉 隆 然 と し て、 内 外 に 響 き 亘 っ た。 従 っ て 円 珍 が 疑 義 を 懐 く、 経 論 の 疏 釈 に 至 っ て は、 之 を 氷 解 す る に 師 が な か っ た と い わ れ て い る が、 そ れ は 事 実 で あ っ た と 思 う。 こ の 事 も 亦 入 唐 の 動 機 の、 一 因 に 加 え て も よ か ろ う。 円 珍 に 就 て 不 思 議 に 思 う こ と は、 弘 法 大 師 の 甥 で あ り な が ら、 当 時 旭 日 昇 天 の 大 師 の 下 へ 行 か な い で、 な ぜ 叡 山 へ 登 っ て、 義 真 の 弟 子 と な っ た か と い ヶ 点 で あ る。 義 真 の 許 へ 連 れ て 行 っ た 叔 父 仁 徳 と は、 如 何 な る 人 物 で あ る か、 諸 伝 之 を 載 せ て い な い ( 尤 も 余 の 見 た 範 囲 だ け だ が) の で、 知 る 由 も な い が、 弘 法 大 師 と 仁 徳、 仁 徳 と 義 真 と の 関 係 が 明 ら か に な れ ば、 此 の 間 の 消 息 も 知 り 得 る も の と 思 わ れ る。 円 珍 は 当 時 年 少 で、 如 何 に 出 藍 の 誉 れ あ り と は い え、 自 ら 図 り 得 る 年 令 で 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 は な い。 是 れ そ の 周 囲 の 関 係 を 具 さ に、 知 り た い 所 以 で 焦あ る。 更 に 後 日 の 解 決 に 期 し た い。 円 珍 は 円 仁 の 入 唐 不 在 中 の 大 部 分 を 籠 山 で 暮 し、 其 の 問 承 和 八 年 に は、 善 無 畏 ・ 義 林 ・ 順 暁 ・ 最 澄 ・ 広 智 ・ 徳 円 と 師 資 相 承 し た 所 の、 三 種 悉 地 の 法 を 徳 円 か ら 受 け て お る。 円 珍 は 余 の 推 想 に 依 る、 前 記 の 如 き 理 由 の 下 に、 三 十 七 歳 即 ち 嘉 祥 三 年 ( 八 五 〇) の 春、 山 王 明 神 の 夢 告 に 依 っ て、 入 唐 の 志 を 起 さ れ た、 伝 に 出 で 年 譜 も 亦 之 を 用 い て お る。 但 々 其 の 夢 告 の あ っ た 時、 円 珍 は 明 神 に 対 し て、 ⋮、 近 来 請 益 の 闇 梨 和 尚 仁 公、 三 密 を 究 学 し、 本 山 に 帰 着 す。 今 何 ぞ 航 海 の 意 に 汲 々 た ら ん や ﹂ と 答 え た と 伝 に あ る。 斯 く の 如 き は、 夢 に さ え 円 仁 を 心 に お い た、 態 度 と も 解 す べ き で あ ろ う。 然 ら ば 入 唐 以 前 に、 円 仁 に 就 て 学 ん だ か と い う に、 そ う で は な い。 然 し て 伝 に は こ の 明 神 の 夢 告 が、 入 唐 求 法 の 唯 三 の 動 機 と な っ て お る の で あ る。 斯 く て 上 奏、 勅 許 を 得 た 上、 仁 寿 元 年 四 月 京 都 を 発 し、 北 九 州 滞 在 約 二 年 二 カ 月、 仁 寿 三 年 八 月 福 州 ( 福 建 省) に 達 し た。 円 珍 は 太 宰 府 を 中 心 に 北 九 州 滞 在 中 に、 大 日 経 心 目 及 び、 大 日 経 指 帰 各 一 巻 を 撰 し た。 此 の 内 大 日 経 指 帰 は、 弘 法 大 師 (27) の 大 日 経 開 題 の 文 と 約 二 百 字 が 同 一 で あ る と は い え. 宥 快 及 28 び 長 谷 宝 秀 の い え る 如 ぐ、 余 も 亦 之 を 円 珍 の 真 撰 と 思 う も の で あ る。 円 珍 入 唐 の 時 は、 唐 の 宣 宗 大 中 七 年 ( 八 五 三) で あ っ て、 武 宗 の 破 仏 会 昌 五 年 か ら、 九 年 目 で あ る。 其 の 年 の 八 月 福 州 開 元 寺 に 着 し、 此 処 に 於 て、 大 那 蘭 陀 寺 の 般 若 但 羅 三 蔵 に 遇 い、 両 部 大 法 を 受 伝 し、 大 中 九 年 四 月 二 十 一 日、 長 安 に 達 し た。 長 安 は 仏 都 で あ る。 特 に 法 全 阿 闇 梨 の 青 龍 寺 が あ る。 十 四 年 の 昔、 慈 覚 大 師 円 仁 の 受 法 し た 縁 由 の 地 で あ る。 今 も 尚 其 の 当 時 の 人 々 も 残 っ て い た。 円 珍 に と っ て は、 天 台 山 に 次 ぐ 憧 憬 の 都 で あ っ た。 青 龍 寺 法 全 に 従 っ て、 此 の 年 七 月 十 五 日、 大 悲 胎 蔵 坦 に 入 り、 十 月 三 日 に 金 剛 界 九 会 曼 茶 羅 道 場 に 入 っ て、 両 部 諸 尊 喩 伽 及 び、 蘇 悉 地 大 法 等 を 受 伝 し た。 以 上 は 即 ち 両 部 の 入 坦 灌 頂 で あ る。 更 に 円 珍 は 法 全 に 請 う て、 十 一 月 四 日 に、 三 摩 耶 戒 及 び、 両 部 大 教 阿 闇 梨 位 灌 頂 を 受 け た。 嘗 て 円 珍 が 日 本 に 在 っ た 当 時、 円 仁 が 法 全 受 法 の 灌 頂 を 修 し た 時、 之 を 受 け な か っ た。 而 し て 今 藪 に 初 め て 受 法 し た の で あ る。 街 東 大 興 善 寺 に 到 っ

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て、 不 空 の 法 孫 智 慧 輪 阿 闇 梨 に 見 え、 両 部 の 秘 旨 を 稟 承 し た。 か く て 十 一 月 二 十 七 日、 円 載 と 共 に 長 安 を 辞 し た の で あ る。 従 っ て 円 珍 の 長 安 滞 在 は、 約 七 ケ 月 で あ っ た。 大 中 十 二 年 六 月 八 日、 唐 商 李 延 孝 の 船 に 乗 じ て、 彼 の 地 を 出 帆 し、 在 唐 満 五 箇 年、 文 徳 天 皇 の 天 安 二 年 六 月 二 十 三 日、 太 宰 府 に 着 し、 同 十 二 月 京 都 に 達 せ ら れ た。 時 に 円 珍 四 十 五 歳 で あ っ た。 上 来 記 す る 如 く 円 珍 の 在 唐 中、 密 教 に 関 す る 相 承 は 次 の 通 り で あ る。 般 若 恒 羅 三 蔵 胎 蔵 法-金 剛 界 法 全 胎 蔵 法 金 剛 界 蘇 悉 地 法 智 慧 輪 三 蔵-両 部 秘 旨-円 珍 法 全 は 恵 果 の 孫 弟 子 で あ り、 弘 法 大 師 は 恵 果 の 弟 子 で あ る。 従 っ て 相 承 の 上 か ら も、 弘 法 大 師 と 円 珍 と は、 密 接 な 関 係 が あ る 訳 で あ る。 (3) 弘 法 大 師 と 円 珍 (29) 円 珍 は 大 日 経 指 帰 に、 弘 法 大 師 を 批 難 し て、 本 国 幼 童、 濫 二 甘 露 乎 毒 乳 一、 中 略 或 立 二 十 住 心 一、 判 二 一 代 教 一、 未 レ 合 二 此 疏 一、 不 レ 足 レ 為 レ 論 耳。 と 述 べ て、 叔 父 で あ る 弘 法 大 師 を. 幼 童 と 呼 ん で お る の で あ る。 尚 今 此 の 疏 に 合 せ ず と い う は、 大 日 経 疏 の 文 に 此 経 宗、 横 統 二 一 切 仏 教 一。 と い い、 大 日 経 は 大 小 両 乗 の 一 切 を 統 摂 す る、 然 る に 幼 童 は、 十 住 心 を 立 し て、 諸 教 を 判 じ て 真 言 教 の 外 に 置 き、 浅 深 配 列 す る が 如 き は、 空 海 自 ら 用 い る と こ ろ の、 大 日 経 疏 に 違 す る で は な い か、 と い う 意 で あ る。 更 に 円 珍 は、 疏 と 義 釈 と に 関 し て、 義 釈 は 是、 疏 は 非 な り (30) と す る の で あ る。 即 ち 義 釈 目 録 縁 起 に 非 者 此 疏 也、 是 者 義 釈 也、 凡 疏 体 者、 初 以 二 筆 語 一談 二 大 宗 一、 次 撮 略 釈 レ 題、 後 更 開 章 分 科 解 釈。 諸 家 章 疏、 大 綱 如 レ 是、 而 今 不 レ 爾、 所 以 題 レ 疏 與 レ 釈 不 レ 合。 と 記 し て 疏 と 称 す る を 排 し、 間 接 に 大 師 を 批 難 し た も の と、 い う べ き で あ ろ う。 蓋 し 台 家 に 於 い て 専 ら 義 釈 に 依 っ て、 疏 に 依 ら な い 慣 習 の あ る の は、 恐 ら く 円 珍 の 斯 か る 態 度 に、 源 を 発 し た の で は あ る ま い か。 何 と な れ ば、 伝 教 大 師 は 疏 も 義 釈 も 用 い、 又 疏 と 義 釈 そ の も の も、 そ の 内 容 に 於 て、 多 く の 差 異 が な い と 思 う か ら で あ る。 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 大 師 と 円 珍 と は、 俗 縁 が あ る と い わ る る に、 上 来 述 ぶ る が 如 く、 両 者 の 間 に 親 近 さ が 認 め ら れ な い。 其 上 に 大 師 が、 一 代 の 心 血 を 注 い だ、 十 住 心 教 判 を 非 難 し て い る。 円 珍 所 立 の 論 議 が、 後 世 台 ・ 東 両 家 に 於 け る、 論 争 の 発 端 と な っ た。 ( 四) 弘 法 大 師 と 五 大 院 安 然 ( 1) 弘 法 大 師 の 教 判 に 対 す る 安 然 の 批 判 五 大 院 安 然 は、 慈 覚 大 師 円 仁 の 弟 子 の 遍 照 僧 正 の 弟 子 で あ る。 そ の 学 殖 に 至 っ て は、 日 本 天 台 千 百 五 十 年 史 中 の 随 一 で あ り、 否 各 宗 通 じ て 第 U の 碩 学 で あ ろ う。 安 然 に 入 唐 の 企 て は あ っ た が、 実 現 は さ れ な か っ た。 弘 法 大 師 を 批 判 及 び 非 難 し た 点 に 於 て は、 円 仁 ・ 円 珍 の 比 で は な い。 而 し そ の 点 多 く の 著 述 の 中 に、 殆 ん ど 見 出 し 得 な い が、 唯 三 代 の 名 著 教 時 問 答 に は、 数 多 く 之 を 見 る こ と が 出 来 る。 今 暫 く 教 時 問 答 に 出 た、 重 な る 所 を 列 挙 し て 見 る。 (1) 弘 法 大 師 が 天 台 の 妙 覚 の 仏 を 無 明 の 辺 域 と な す に 就 て の 二 失 (31) 教 時 問 答 第 一 に、 大 師 が 宝 鍮 の 中 に 於 い て、 天 台 妙 覚 の 仏 を 判 じ て、 之 は 真 言 宗 浄 菩 提 心 初 門 の 仏 で あ り、 位 は 初 歓 喜 地 初 法 明 道 の 菩 薩 で あ り、 円 の 初 住 な る 無 明 の 辺 域 で あ っ て、 明 の 分 位 で は な い と、 疑 し た の に 対 し て、 二 失 を 挙 げ て 之 れ を 反 駁 し て お る。 其 一 は、 大 師 を 以 っ て、 義 釈 の 文 を 見 る こ と の 不 足 な り と い う 理 由 で あ る。 即 ち 義 釈 に、 ﹁ 此 経 本 地 身 即 是 妙 法 蓮 華 最 深 秘 密 処 ﹂ と い い、 又 ﹁ 彼 説 二 諸 法 実 相 一即 是 此 経 心 実 相 也 ﹂ と あ る。 之 に 依 れ ば 大 日 経 の 本 地 身 は、 法 華 経 と 一 体 で あ り、 法 華 の 真 理 と 無 二 無 別 で あ る。 然 る に 其 の 法 華 の 妙 覚 仏 が、 具 惑 の 仏 で あ る と い う の は、 蓋 し 疑 せ ん が 為 の 疑 語 で あ っ て、 正 し い 批 判 で は な い、 と い う の で あ る。 其 二 は、 釈 摩 詞 術 論 を 引 用 す る こ と の 不 可 を 論 ず る の で あ る。 大 師 の 引 く 所 の 龍 猛 菩 薩 の 説 と は、 是 れ 釈 摩 詞 術 論 の 文 で あ る。 此 の 論 に 就 て、 空 海 ・ 福 貴 の 両 和 上 は、 真 論 と な す け れ ど も、 比 叡 山 及 び 諸 宗 は、 皆 偽 論 と す る。 凡 そ 証 を 引 く に は、 自 他 共 許 の 証 を 用 う べ き で あ る。 一 は 許 し 一 は 許 さ な い 引 証 は、 証 と は な ら な い。 況 ん や 天 台 の 妙 覚 仏 を 疑 し て、 具 惑 の 仏 と す る が、 抑 も 空 海 和 上 は 仏 で は な い、 仏 に あ ら ざ る 者 が、 妄 り に 臆 断 し て、 後 学 を 証 ら か す は、 謬 り で あ る と し

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て、 再 び 前 の 義 釈 の 文 を 引 き、 天 台 の 仏 を 無 明 の 辺 域 と な す は、 義 釈 の 意 に 相 違 す、 今 は 義 釈 の 正 文 に 依 る。 故 に 真 言 宗 本 地 毘 盧 那 仏 は、 是 れ 即 ち、 天 台 宗 妙 法 蓮 華 最 深 秘 密 処 の 同 仏 で あ る 沿 と 結 ん で あ る。 (2) 華 厳 の 仏 を 無 明 の 仏 と な す の 三 失 大 師 が、 華 厳 の 仏 を 無 明 の 仏 と 判 じ た の に 対 し、 三 失 を 挙 げ て、 之 を 破 し て お る。 (教 時 問 答 一。 叢 書 五 四 頁) 其 一、 金 剛 頂 に 違 す る の 失 金 剛 頂 説、 一 切 義 成 就 菩 薩、 坐 二 菩 提 道 場 一、 五 相 成 仏 為 二 毘 盧 遮 那 仏 一、 自 心 流 二 出 三 十 七 尊 一是 為 二 真 言 教 主 一也 云 云。 此 の 毘 盧 遮 那 仏 は、 華 厳 の 菩 提 道 場 に 坐 し て、 初 転 法 輪 さ れ た 仏 と 別 は な い。 然 る に 空 海 和 上 は、 真 言 教 の 説 主 を、 果 上 の 極 仏 で あ る と し て お る に 拘 ら ず、 今 華 厳 の 仏 を 以 て、 無 明 の 辺 域 と な す は 誤 っ て お る。 若 し 夫 れ 華 厳 の 仏 が、 無 明 の 辺 域 で あ る と い う な ら ば、 金 剛 頂 の 仏 も 亦、 無 明 の 仏 と、 い わ ざ る を 得 な い で は な い か、 と の 意 で あ る。 蓋 し 尤 も な 意 見 で あ る と 思 う。 其 二、 大 日 経 に 違 す る の 失 大 日 経 に 我 出 二 妙 華 布 地 胎 蔵 荘 厳 世 界 一、 所 レ 言 我 者、 是 真 言 教 説 主 也 云 云。 と。 而 し て 此 の 妙 華 布 地 胎 蔵 荘 嚴 世 界 に 就 て、 本 書 一 に ( 叢 書 P 25) 華 厳 宗 蓮 華 蔵 世 界、 即 是 真 言 宗 胎 蔵 世 界 也。 と 論 じ て お る。 こ れ は 空 海 和 上 の 如 く、 華 厳 の 教 主 を、 無 明 の 仏 と な す こ と は、 即 ち 真 言 の 教 主 を、 無 明 の 仏 と な す こ と に 陥 る と い う、 批 判 で あ る。 因 み に 華 厳 と 真 言 と の 関 係 に 就 て、 安 然 は 華 厳 の 五 教 々 判 中 の、 円 教 を 釈 す る 中 に 於 て、 五 円 教 仏、 即 天 台 円 教 仏、 分 為 三 一仏 一。 准 レ 彼 円 教 有 レ 二、一 同 教 一 乗、 法 華 是 也。 二 別 教 一 乗、 華 厳 是 也。 故 法 華 説 主、 同 二 真 言 宗 仏 一、 巳 如 二 前 説 一。 其 華 厳 説 主 亦 同 二 真 言 宗 仏 一、 彼 宗 亦 約 二 釈 尊 一 化一、 判 二 此 五 教 仏 一也、 囁 二 入 四 重 曼 奈 羅 中 一、 如 レ 福 二 天 台 四 教 仏 一 也。 然 彼 華 厳 説 主 処 二 蓮 華 蔵 世 界 一。 と い っ て、 同 別 二 教 と 真 言 の 説 主 と を、 同 一 と 見 る の で あ る。 之 は 釈 迦 大 日 二 仏 一 体 の 説 で あ っ て、 同 一 教 主 を 顕 機 は 釈 尊 と 見 る に 対 し、 密 機 は 大 日 と 見 る の 相 異 で あ る と す る の で あ る。 而 し て そ れ は 機 の 浅 深 に 依 る と い う の で あ る。 夫 れ 故 安 然 は、 ﹁機 に 浅 深 あ る が 故 に 教 に 顕 密 が あ る。 故 に 一 経 に 於 て 顕 機 は 聞 い て 華 厳 経 と な し、 密 機 は 聞 い て 胎 蔵 教 と な す。 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 例 せ ば 仏 が 他 化 天 に 在 っ て、 般 若 理 趣 分 を 説 く 時、 顕 機 は 聞 い て、 般 若 十 六 分 中 の 第 十 理 趣 分 と な し、 密 機 は 聞 い て、 金 剛 頂 十 八 会 中 の、 第 六 理 趣 会 と な す が 如 き も の で あ る。 結 集 の 菩 薩 も、 機 に 随 っ て 結 集 し、 文 殊 等 は 結 し て 顕 教 と な し、 金 剛 手 等 は 結 し て 密 教 と な す ﹂ と 論 ず る の で あ る。 以 上 に 依 っ て 考 え れ ば、 顕 機 が 聞 い て 華 厳 経 と な す も の を、 密 機 は 胎 蔵 教 と な し、 亦 華 厳 宗 の 蓮 華 蔵 世 界 は、 即 ち 是 れ 真 言 宗 の 胎 蔵 世 界 で あ る、 と い う の で あ る か ら、 是 れ は 華 厳 胎 蔵 同 一 な り と い う こ と に な る。 即 ち 安 然 は 華 厳 胎 蔵 一 致 説 と 見 る べ き で あ る。 こ の 説 の 元 が 大 日 経 に 出 て お る。 今 空 海 和 上 が、 華 厳 を 顕 教 と す る は、 大 日 経 に 違 す る の 失 と な す の で あ る。 其 三、 守 護 経 に 違 す る の 失 同 経 に 六 年 苦 行、 鼻 端 観 二 庵 字 一、 得 レ 成 二 毘 盧 遮 那 一。 と あ る。 即 ち 是 れ を 一 代 の 教 主 な り と す る の で あ る。 六 年 苦 行 の 後、 成 道 し た 仏 は、 華 厳 の 仏 で あ り、 そ の 華 厳の 仏 が 毘 瘡 遮 那 で あ る。 此 の 華 厳 の 仏 を 以 っ て、 無 明 の 仏 と な す の は、 毘 盧 遮 那 仏 を、 無 明 の 仏 と な す に 同 じ と し て、 之 を 難 ず る の で あ る。 尚 ﹁ 凡 そ 我 が 仏 教 に 惣 じ て、 具 惑 の 仏 無 し ﹂ と 断 じ て、 大 師 が 偏 に 他 仏 を 財 し た の に 対 し て、 遍 法 界 毘 盧 遮 那 仏 教 の 本 義 を 以 っ て、 反 対 の 意 見 を 陳 べ て お る の で あ る。 凡 そ 教 相 判 釈 に、 高 下 浅 深 を 論 じ、 自 宗 の 他 宗 に 勝 る 所 以 を、 明 ら か に す る は 当 然 で あ る が、 今 の 安 然 の 態 度 は、 要 す る に 天 台 ・ 華 厳 を 以 っ て、 真 言 教 と 同 U 理 趣 で あ る 旨 を 説 い て 以 っ て、 そ の 天 台 ・ 華 厳 の 教 主 を、 旦 ハ惑 の 辺 域 に 陥 れ た、 大 師 の 判 を 失 と し て、 非 難 し た の で あ る。 日 真 言 所 立 の 十 住 心 教 判 に 対 す る 五 失 十 住 心 教 判 は、 弘 法 大 師 が 秘 蔵 宝 鍮 及 び 十 住 心 論 に、 両 部 大 経 就 中 大 日 経 住 心 品、 疏、 菩 提 心 論 及 び、 釈 摩 詞 術 論 に よ っ て、 立 て た 所 の 真 言 宗 独 特 の 教 判 で あ る。 十 心 の 中、 前 九 は 顕 教、 其 の 教 主 は 応 身 の 釈 迦 と し、 第 十 心 の み が 密 教 で、 教 主 は 法 身 の 大 日 で あ る、 と 分 判 す る の で あ る。 九 顕 の 中、 前 三 は 世 間 教、 次 の 六 は 出 世 間 教、 出 世 間 教 の 中、 前 二 は 小 乗、 次 の 二 は 権 大 乗、 後 の 二 は 実 大 乗 即 ち 一 乗 教 と す る。 大 師 の 此 の 教 判 は、 前 代 未 聞 の 教 判 で あ っ て、 日 本 仏 教 の 特 色 で あ る。 安 然 は 此 の 教 判 に 対 し て、 五 失 あ る が 故 に、 之

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を 用 い ず と し て お る。 謂 う 所 の 五 失 と は ( 教 時 問 答 第 二 叢 書 八 四 頁) 一、 違 二 大 日 経 及 義 釈 一失 二、 違 二 金 剛 頂 経 u失 三、 違 二 守 護 経 一失 四、 違 二 菩 提 心 論 一失 五、 違 二 衆 師 説 一失 で あ る。 弦 に 吾 人 を し て 不 思 議 に 感 ぜ し む る こ と は、 上 来 述 魑 ぶ る 所 の 如 き、 安 然 の 破 斥 が あ っ て か ら、 二 百 九 十 年 の 間、 東 密 の 学 匠 で、 之 に 返 破 或 は 救 釈 を な し た 者 が、 一 人 も な かつ た 点 で あ る。 其 の 初 め て 難 破 を 加 え た の は、 承 安 三 年 ( 一、 一 七 三) 中 川 寺 の 実 範 で あ る。 故 に 菩 提 心 義 が、 安 然 四 十 五 (32) 歳 の 著 で あ り、 教 時 問 答 が、 そ れ よ り 凡 そ 五 年 前 の、 著 で あ る と 仮 定 し て、 元 慶 四 年 (八 八 ○) で あ る か ら、 其 の 間 二 百 九 十 三 年 程、 経 過 し て お る。 此 の 実 範 の 返 破 が 出 て か ら 後、 両 宗 学 徒 の 間 に、 論 難 往 復 が 繰 返 さ れ た が、 そ れ は 今 の 問 題 で は な い か ら、 此 処 で は そ の 論 述 を 避 け る。 三 に 大 日 経 及 義 釈 に 違 す る の 失 抑 も 十 住 心 教 判 は、 両 部 大 経 等 に 依 っ て、 立 論 さ れ た け れ ど も、 其 の 中 心 は、 十 住 心 論 の 名 に 依 っ て 示 さ れ て お る よ う に、 大 日 経 住 心 品 に あ る こ と は、 極 め て 明 ら か で あ る。 十 住 心 の 一 々 の 名 目 も、 大 日 経 及 び 義 釈 か ら 取 り 来 っ た の で あ る。 然 る に そ の 立 論 が、 根 本 所 依 た る 大 日 経 及 び 義 釈 に 違 す る と せ ば、 台 密 が 同 じ く 主 と し て、 大 日 経 及 び 義 釈 に 依 る の で あ る か ら、 之 を 用 い 得 な い の は 当 然 で あ る。 従 っ て 後 世 両 家 の 学 匠 の 論 謝 も、 重 点 を 此 の 第 一 難 に お い て お る。 藪 に 第 一 難 に 於 け る 安 然 の 所 論 を、 明 ら か に す べ き で あ る が、 そ れ に は 大 日 経 の 中 に 説 く 三 劫 ・ 六 無 畏 等 に 就 て、 論 ず る 等 問 題 が 多 く な る の で、 今 は 略 す る こ と に し た。 二 に 金 剛 頂 経 に 違 す る の 失 63 本 経 に U 切 義 成 就 菩 薩、 菩 提 道 場 に 坐 し て 五 相 成 仏 し、 自 心 よ り 三 十 七 尊 を 流 出 す る の は、 真 言 教 の 仏 果 で あ る と こ ろ の、 自 愛 用 身 の 相 を 説 く 文 で あ る。 然 る に 弘 法 大 師 は、 此 の 文 を 以 っ て 第 九 極 無 自 性 心 と し、 華 厳 宗 の 初 心 成 仏 の 因 と す る の は、 誤 り で あ る、 と い う の で あ る。 三 に 守 護 経 に 違 す る の 失 此 の 経 の 中 に、 菩 提 心 無 相 と 説 く は、 大 日 経 に 同 じ く、 又 五 相 成 仏 を 説 く は、 金 剛 頂 経 に 同 じ で あ る。 其 の 五 相 成 仏 を 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 証 す る 為 に、 仏 は 六 年 苦 行 し た が 菩 提 を 得 ず、 月 輪 の 庵 字 を 観 じ て、 初 め て 菩 提 を 得 と 説 く、 之 れ は 真 言 の 果 仏 で あ る。 而 る に 海 和 上 は、 彼 の 経 の 文 を 以 っ て、 極 無 自 性 心 と し て、 華 厳 宗 と な す は 誤 っ て い る、 と な す の で 囎 る。 四 に 菩 提 心 論 に 違 す る の 失 論 に 三 門 を 説 く、 謂 わ ゆ る 行 願 ・ 勝 義 ・ 三 摩 地 で あ る。 三 摩 地 と は 金 剛 頂 の 三 十 七 尊 及 び、 心 地 観 の 五 相 成 仏 に 同 じ で あ る。 而 る に 海 和 上 は、 金 剛 頂 の 五 相 成 身 を 以 っ て、 華 厳 宗 と な し、 菩 提 心 論 の 三 摩 地 門 を 以 っ て、 真 言 宗 と す る。 則 ち 是 れ は 同 じ も の を、 異 る も の と す る 誤 り で あ る、 と い う の で あ る 五 に 衆 師 の 説 に 異 す る の 失 即 ち 善 無 畏 の 説、 一 行 の 所 記 で あ る 大 日 経 義 釈 に、 此 経 本 地 之 身、 即 是 妙 法 運 華 最 深 秘 処、 と あ る。 是 れ は 法 華 ・ 大 日 二 経 の 一 致 を 説 い た も の で あ る。 又 慈 覚 大 師 は、 蘇 悉 地 経 疏 に、 教 に 二 種 あ り、 一 に は 顕 示 ・ 三 乗 教 で あ る、 二 に は 秘 密 教 ・ 一 乗 教 で あ る。 秘 の 中 に 又 二 あ っ て、 一 に は 唯 理 秘 密、 華 厳 ・ 般 若 ・ 維 摩 ・ 法 華 浬 般 木 等 で あ る。 二 に は 事 理 倶 密、 大 日 ・ 金 剛 頂 等 で あ る。 金 剛 頂 の 疏 に 説 を 述 べ て、 法 華 明 二 久 遠 成 仏 一、 此 経 明 二 頓 悟 成 仏 一、 二 説 錐 レ 異 実 是 一 仏 也。 と 明 す の で あ る。 而 る に 海 和 上 は、 諸 の 大 乗 に 於 て、 蛾 く 教 ノ 理 の 浅 深、 果 極 の 高 下 を 判 ず る は 宜 し か ら ず、 と い う の で あ る。 以 上 の 五 失 あ る を 以 っ て、 弘 法 大 師 の 十 住 心 教 判 は 用 い な い、 と い う の が 安 然 の 意 見 で あ る。 ( 2) 弘 法 大 師 の 説 を 依 用 し た 安 然 以 上 叙 ぶ る と こ ろ の 如 く、 五 大 院 安 然 は、 十 住 心 教 判 に 就 い て は、 弘 法 大 師 の 説 を 非 難 し て お る の で あ る が、 他 面 大 師 の 説 を、 重 用 し た 所 も あ る の で あ る。 今 そ の 二 三 の 点 に 就 て 誌 す で あ ろ う。 (1) 三 摩 地 法 を 明 す に 大 師 の 説 を 引 用 す 菩 提 心 論 に 即 此 三 摩 地 者、 又 云 惟 真 言 法 中 即 身 成 仏、 故 是 説 二 三 摩 地 法 一、 於 二余 教 中 一 闘 而 不 レ 書。 と あ る。 真 言 門 に 於 い て は、 修 飾 と し て 屡 々 此 の 文 を 引 用 す る が、 大 般 若 等 に は、 無 量 の 三 摩 地 陀 羅 尼 門 を 明 か し て お

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る。 然 る に 何 ぞ ﹁ 余 教 中 閾 而 不 レ 書 ﹂ と い う や、 と の 質 疑 に 対 し て、 今 ﹁ 閾 而 不 書 ﹂ と い う の は、 金 剛 頂 の 三 摩 地 門 及 び、 胎 蔵 界 の 三 摩 地 法 の 義 で あ る と 答 え、 そ の 理 由 に 就 て、 金 剛 頂 の 三 摩 地 法 は、 最 深 秘 の 法 門 で あ る か ら、 言 論 す べ き で な い、 故 に ﹁ 閾 而 不 書 ﹂ と し た の で あ る、 と い う の で あ る。 故 に 海 和 上 の 宝 鍮 に も、 ﹁ 金 剛 頂 の 此 の 法 は、 未 灌 頂 の 者 に 向 っ て、 一 字 を も 説 く べ か ら ず、 本 尊 の 儀 軌 真 言 の 如 き は、 縦 令 同 法 の 行 者 と 錐 も、 頼 く 説 く こ と を 得 ざ れ、 若 し 之 れ を 説 け ば、 現 前 に は 中 天 し て 殊 を 招 ぎ、 後 に は 無 間 獄 に 堕 せ ん ﹂ 云 云 と あ る、 と 述 べ て お る。 以 っ て 三 摩 地 法 を 説 く の を、 自 ら 戒 め て お る の で あ る。 今 惟 う に、 之 は 大 体 金 剛 頂 経 の 文 で あ る か ら、 経 文 を 引 く 方 が 寧 ろ、 明 瞭 で あ る に も 係 ら ず、 殊 更 に 大 師 の 宝 鎗 云 云 と い っ て、 引 証 し て お る 所 に、 掬 す べ き 妙 味 が あ る と 思 う。 少 く と も 全 篇 に 濃 る、 宝 鎗 の 権 威 を 認 め た 論 意 を 偲 ぶ べ き で あ ろ う。 (2) 大 師 の 定 め た 真 言 三 蔵 を 用 う 五 重 玄 の 第 五 判 教 相 の 中 の、 十 門 分 別 の 第 五 に、 蔵 を 明 す 中 に 於 い て、 四 種 の 三 蔵 教 の あ る こ と を 示 し て お る。 即 ち、 一 に 秘 密 大 乗 の 三 蔵 教、 二 に 顕 示 大 乗 の 三 蔵 教、 三 に 大 小 相 対 の 三 蔵 教、 四 に 顕 示 小 乗 の 三 蔵 教 で あ る。 其 の 第 一 の 秘 密 大 乗 の 三 蔵 教 を、 明 か す 中 に 於 い て ( 叢 書 二 〇 〇 頁) 又 空 海 和 上、 真 言 三 蔵 流 二 通 天 下 一、 表 云、 金 剛 頂 ・ 大 日 経 等、 修 多 羅 蔵。 蘇 悉 蘇 摩 胡 等 毘 奈 耶 蔵。 釈 摩 詞 術 菩 提 心 論 等、 阿 毘 達 摩 蔵 云 云。 と あ る を 引 い て、 自 家 の 説 を 明 か す 用 に 供 し て お る。 就 中 釈 論 の 如 き、 兎 角 の 批 難 を 以 っ て 望 み な が ら、 藪 に は 其 の 点 に 触 れ ず、 寧 ろ 大 師 の 説 を 肯 定 す る 如 き 態 度 を 以 っ て、 挙 げ て お る の で あ る。 (3) 法 身 義 に 就 い て 大 師 の 説 を 用 う 顕 教 に 於 て は、 教 主 を 皆 応 化 身 と い う、 即 ち 法 身 で は な い。 今 の 真 言 教 に は、 皆 法 身 と 為 す と い い、 而 し て 故 海 和 上 云、 大 日 如 来、 與 二 自 谷 属 四 種 法 身 一、 自 受 法 楽 故、 説 二 此 教 三 と 記 し て 一 切 仏 一 仏 義 を 結 ん で お る。 安 然 の 一 仏 論 は、 仏 身 論 の 根 底 で あ り、 思 想 の 淵 源 で あ る。 然 る に そ の 結 論 の 語 に、 義 釈 と 殆 ん ど 同 じ 重 さ に 於 い て、 弘 法 大 師 の 釈 を 引 用 し て い る の を 見 て も、 如 何 に 大 師 に 敬 意 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

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密 教 文 化 を 表 し て い た か を、 察 す る こ と が 出 来 よ う。 世 間 に は 往 々 説 を な す も の が あ る け れ ど も、 大 師 に 対 す る 安 然 の 態 度 は、 是 は 是 と し、 非 は 非 と し て、 公 平 に 立 論 し て い る こ と を 認 め る も の で あ る。 ( 3) 結 語 惟 う に、 安 然 の 真 言 教 学 上、 尤 も 敬 意 を 以 っ て、 対 し て い る の は、 善 無 畏 三 蔵、 慈 覚 大 師、 及 び 弘 法 大 師 の 三 師 で あ る。 そ の 事 は 安 然 の 著 述 を 透 し て、 了 解 し 得 る 所 で あ る が、 是 は 実 に 五 大 院 の、 勝 れ た る 学 識 を 表 わ す も の で あ る。 即 ち 内 に あ っ て は 慈 覚 大 師、 外 に 在 っ て は 弘 法 大 師 以 外 に、 安 然 の 師 と し て 仰 ぎ 得 る、 先 哲 は な か っ た の で あ ろ う。 是 れ 五 大 院 が、 弘 法 大 師 の 教 学 を 深 く 研 鎖 し て、 随 処 に 之 を 引 用 し て お る 所 以 で あ る と 惟 う。 註 (1) 伝 教 大 師 全 集 別 巻 ( 八 七 頁) (2) 弘 法 大 師 全 集 首 巻 ( 三 二 頁) (3) 同 巻 七 の 二 五 一 頁 (4) 灌 頂 記 ( 国 書 刊 行 会 発 行) 此 の 灌 頂 記 は 弘 法 大 師 三 十 九 歳 の 時 の 自 筆。 高 雄 神 護 寺 所 蔵。 国 宝 (5) 付 法 文 ( 伝 教 大 師 全 集 別 巻) (6) 御 請 来 目 録 ( 大 正 蔵 第 五 五 巻 一 〇 六 九 頁) (7) 御 遺 告 第 十 九 ( 弘 法 大 師 全 集 第 七 巻 二 六 七 頁) (8) 伝 教 大 師 全 集 第 一 ハ 二 六 七 頁) (9) 同 上 ( 三 五 頁) (10) 同 第 一 ( 二 四 三 頁) (11) 同 別 巻 ( 九 四 頁) (12) 同 第 四 ( 三 八 一 頁) (13) 同 別 巻 ( 二 六 二 頁 弘 法 大 師 書 三 首 之 一) (14) 同 別 巻 ( 二 六 五 頁 答 叡 山 澄 和 尚 書) (15)丁 伺 別 巻 ( 二 六 四 頁 員 外 弟 子 泰 範 云 云) (16) 巡 礼 記 ( 仏 全 本 遊 方 伝 叢 書 一 之 一 七 四 頁) (17) 同 ( 二 〇 三 頁) 個 慈 覚 大 師 伝 ( 四 丁 左) (19) 唐 決 ( 日 本 蔵 天 台 宗 顧 教 章 疏 二 之 三 六 三 頁) (20) 台 密 綱 要 ( 九 頁) (21) 日 本 蔵 ( 天 台 宗 顧 教 章 疏 二 之 三 六 四 頁 及 二 之 三 九 三 頁) 22 蘇 悉 地 経 疏 第 一 ( 仏 全 本 一 〇 頁 下 段) (23) 天 台 教 学 史 ( 二 八 八 頁) (24) 仁 明 天 皇 永 和 二 年 ( A ・ D 八 三 五) (25) 智 証 大 師 全 集 中 巻 写 真 帖 (26) 同 全 集 ( 一 二 六 六 頁 及 同 全 集 中 巻 初 の 太 政 官 牒) (27) 大 日 経 疏 抄 第 一 ( 一 九 左) 及 第 八 ( 八 左) (28) 弘 法 大 師 全 集 編 者 ( 同 全 集 第 十 一 之 九 一 頁 参 照)

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(29) 智 証 大 師 全 集 ( 六 七 二 頁) 60 同 全 集 ( 六 七 二 頁) (31) 天 台 宗 叢 書 本 ( 四 八 頁) (32) 教 時 問 答 が 菩 提 心 義 よ り 先 著 な る こ と は、 菩 提 心 義 五 未 ( 日 本 蔵 二 三 三 頁) に 今 以 三 四 身 五 身 各 具 二 四 種 曼 茶 羅 身 一為 ﹂ 異。 具 如 二 上 文 及 真 言 宗 教 時 義 中 こ と あ る に 依 る。 但 五 年 前 と は 一 応 の 推 定。 (33) 金 剛 薩 埋 地 ( 金 剛 頂 疏 二 之 四 〇 頁) 福 寿 双 稟 自 古 稀 更 増 学 徳 実 乎 希 喩 伽 三 密 又 相 応 愛 語 和 顔 広 舌 揮 祝 大 山 公 淳 教 授 迎 古 稀 賦 蕪 詩 一 首 以 呈 金 龍 山 主 恭 順 弘 法 大 師 と 天 台 の 巨 匠

参照

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