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密教文化 Vol. 1959 No. 43-44 002高田 仁覚「仏教における「折伏」について P12-31」

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(1)

密 教 文 化

る﹁

伏﹂

一 語 義 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ の 原 語 と 見 ら れ る も の は、 ↑の ナ ソ ス ク リ ッ ト 語 のnigrahah (nigrahanam) で あ る。 こ の チ ベ ッ ト (1) 訳 語 は 常 にtshar gcad-pa で あ り、 折 伏、 降 伏、 伏 取、 呵 責、 調 伏、 処 治、 処 断、 責 断、 砕 伏、 断、 駆 遣 ・ 詞 責 ・ 挙 処 な ど と 漢 訳 せ ら れ て い る。 こ の 言 葉 の 意 味 は 梵 英 辞 典 に よ れ ば、 抑 制 す る こ と(restraining)、 負 か す こ と (defeat)、 謎 責 (reprimand)、 嫌 悪 (aversion)、 戦 争 (war) な ど で あ る。 次 に 回 チ ベ ッ ト 語 の tshar dgum-pa (tshar hgum-pa の 未 来 形) も 折 伏 を 意 味 す る。 こ の サ ン ス ク リ ッ ト 語 は、 明 ら か で な い が、 ︽ 勝 婁 経 ︾ に お い て 折 伏 ( 求 那 践 陀 羅 訳)、 調 伏 ( 菩 提 流 志 訳) と 漢 訳 さ れ て い る の は こ れ で あ る。 さ ら に の 密 教 に お い て は、 ナ ソ ス ク リ ッ ト 語 のabhicaraka が 折 伏 行 法 の 意 味 を も つ て い る。 こ の チ ベ ッ ト 訳 語 はdrag-cul sa で あ り、 漢 訳 で は、 阿 毘 遮 噛 迦 と 音 写 さ れ る 外、 降 伏 法、 折 伏 法、 調 伏 法、 損 他、 行 悪 之 法、 破 壊 法、 勇 行 な ど と 意 訳 さ れ て い る。 こ れ は、 仏 ( 大 日 如 来) の 秘 密 の 実 践 (mycal practice) と し て の 折 伏 で あ る。 こ れ 等 折 伏 と 対 照 的 な 言 葉 に ﹁ 摂 受 ﹂ が あ る。 そ の 原 語 は (イ) に 対 し て は 通 常、upakara が 用 い ら れ る。 そ の チ ベ ッ ト 訳 語 は phan-hdogs-pa、 漠 訳 語 は 利 益、 摂 受、 嵜 助、 恩 な ど で あ る。 し か し、 サ ン ス ク リ ッ ト 語 の anuati、 チ ペ ッ ト 訳 語 の rjes-su gzun-ba 漢 訳 語 の 饒 益、 利 益、 摂 受 摂 取、 摂 益、 救 度 が 用 い ら れ る 場 合 や ナ ン ス ク リ ッ ト 語 の samgraha、 チ ベ ッ ト 訳 語 の bsdu-ba、 漢 訳 語 の 摂 取、 摂 受 が

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使 わ れ る 場 合 も あ る。(ロ) に 対 し て は、 チ ベ ッ ト 訳 語 のsman-gdags が 用 い ら れ る。 こ れ は 同 じ チ ベ ッ ト 訳 語 のphan-hd-(2) ogs-pa と 同 義 語 と 見 て よ い。(ハ) に 対 し て は、 サ ン ヌ ク リ ッ ト 語 の paustika が 用 い ら れ る。 そ の チ ベ ッ ト 訳 語 は rgyas-pahilas、 漢 訳 語 は 補 慧 徴 迦 ( 音 写) や 増 益 法 ( 意 訳) な ど で あ る。 二 仏 典 に 見 ら れ る 一 般 的 用 例 (3) 大 乗 集 菩 薩 学 論 に 引 用 さ れ る ︽ 日 子 王 所 問 経 ︾ の 中 に ﹁ 婦 人 に 支 配 さ れ、 婦 人 に 折 伏 せ ら れ (nigrihita)、 婦 人 に 負 か さ れ、 婦 入 に よ つ て 奴 隷 に せ ら れ て い る 男 達 は、 婦 入 を 愛 著 し、 婦 人 を 扶 養 す る 為 に、 布 施 す る こ と が 出 来 ず、 戒 を た も つ こ と が 出 来 な い。 ﹂ (4) と い い、 ま た、 同 論 に 引 用 さ れ る ︽ 聖、 如 来 秘 密 経 ︾ の 中 に ﹁ ま た 次 に、 善 男 子 よ、 菩 薩 は 貧 あ る 語、 悪 し ぎ 語、 愚 昧 な る 語、 染 汚 の 語、 授 記 を 粉 砕 す る 語、 自 己 の 意 見 を 引 上 げ る 語、 他 人 の 考 え (paksa) を 折 伏 す る(nigraha) 語、 ( 中 略) 増 上 慢 を も つ て 授 記 す る 語 を 発 し な い。 ﹂ と い う 場 合 の 折 伏 は、 い ず れ も 一 般 的 な 用 例 で、 特 に 仏 教 的 な 意 義 を も つ て い る と は 思 わ れ な い。 三 イ ソ ド の 仏 教 に お け る 用 例 (1) 仏 滅 後 二、 三 百 年 頃 成 立 し た 小 乗 部 派 の 一 つ で あ る 説 一 切 有 部 の 律 に よ れ ぼ、 戒 ( 包 圃塞 鋤,) を 制 定 す る 十 種 の 勝 功 徳 (anu-c amsa)( 制 戒 十 益) を 明 か す 中、 教 団 を 統 制 し、 平 和 を 計 る (5) 為 な ど の 勝 功 徳 の 第 四 番 目 に ﹁ 諸 の 剛 情 な 人 を 折 伏 す る 為 (durmankunam pu-ス ル タ ズ ナ ヨ ヲ m nigrahaya ご 伏 無 レ 董 人 一﹂ と い う の を 挙 げ て い る。 恐 ら く こ れ は、 戒 そ の も の に 折 伏 の 意 義 を 幾 分 か 認 め た も の と し て、 仏 教 的 な 用 例 の 最 初 の も の で あ ろ う。 そ し て、 こ の 戒 を 犯 し た 場 合、 教 団 か ら 追 放 せ ら れ る こ と を 最 高 に、 種 々 の 罪 に 問 わ れ る べ き こ と を 注 意 し て お こ う。 こ こ で は、 折 伏 をnigraha で 示 し、 戒 の 制 定 そ の も の に つ い て い う。 こ の 場 合 折 伏 せ ら れ る べ き 者 は、 直 接 に は 剛 情 ・ 無 恥 な る 比 丘 ・ 比 丘 尼 を、 折 伏 す る 者 は、 釈 尊 を 指 す も の と 見 ら れ る。 (2)A.D. 三 世 紀 頃、 イ ン ド に お い て 成 立 し た、 如 来 蔵 の 教 学 を 説 く ︽ 勝 鷺 又経 ︾ に よ れ ば、 大 乗 の 菩 薩 が 仏 世 尊 に 十 種 の 大 誓 願 を 立 て る 中、 第 九 番 目 に、 正 法 久 住 の た め の 折 伏 と 摂 (6) 受 に つ い て ﹁ 世 尊。 我 従 二 今 日 一乃 至 二 菩 提 喝。 若 見 二捕-養 衆 悪 律 儀 及 諸 犯 戒 一 終 不 二 棄 捨 一。 我 得 レ 力 時。 於 下 彼 三 ー 々 ー 処 上 見 二 此 衆 生 一。 応 二 折 ー 伏 M者 而折-二 伏 之 一。 応 二 摂 受 一者 而 摂 二 受 之 一。 何 以 故。 以 二 折 伏 摂 受 一故 令 二 法 久 住 噂。 法 久 住 者。 天 人 充 満 悪 道 減 少。 能 於 二 如 来 所 転 法 輪 哺。 而 得 二 随 転 一。 見 二 是 利 一故 救 摂 不 レ 捨。 ﹂ ( 求 那 践 陀 羅 訳) 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 ﹁ 世 尊 よ、 今 日 よ り 以 後、 わ た く し は、 若 し 豚 を ︹ 屠 殺 の た め に ︺ 売 つ た り、 鳥 を 捕 え る な ど の 悪 業 に よ つ て 生 活 し、 如 来 が 説 き た も う た 法 と 律 と を そ こ な う 性 質 あ る ︹ 人 々 ︺ を 見 た な ら ば、 [そ の 悪 業 か ら ︺ 退 か し め ず に は お か な い で し よ う。 世 尊 よ、 凡 そ わ た く し が、 [ こ の よ う な 人 々 が い る と い う ︺ 話 を 聞 い た と こ ろ の 村、 邑、 城、 県、 王 宮 の い ず れ の 処 に お い て も、 折 伏 す べ き (tshar dgum-pa) 人 々 を 折 伏 し、 摂 受 す べ ぎ (sman gdags-pa) 人 々 を 摂 受 す る で し よ う。 そ れ は 何 故 か と 申 し ま す と、 世 尊 よ、 折 伏 と 摂 受 と に よ つ て 世 間 に 正 法 が 久 し く 住 し、 正 法 が 久 し く 住 す る な ら ば、 諸 天 ・ 人 の 身 が 増 大 し、 諸 悪 趣 ( 地 獄 ・ 餓 鬼 ・ 畜 生) が 減 少 す る で あ ろ う か ら で す。 世 尊 よ、 こ れ こ そ、 世 尊 に よ つ て 転 ぜ ら れ た 法 輪 を 随 転 す る 亡 と に な る の で す。 世 尊 よ、 ま た こ の 第 九 の 誓 い を、 菩 提 道 場 の 究 寛 に 到 る ま で、 わ た く し は 捨 て な い で し よ う。 ﹂ と い つ て い る。 こ こ で は、 折 伏 を チ ベ ッ ト 訳 語 の tshar dgum-pa で 示 し て い る が、 そ れ は 如 来 蔵 教 学 の 大 悲 の 精 神 に 立 つ て、 苦 の 果 報 を 招 く 悪 業 を、 積 極 的 に や め さ せ る こ と を 意 味 す る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き 者 は、 如 来 の 法 と 律 と に 反 し た 生 活 の 仕 方、 即 ち 鳥 を 捕 え る な ど を 職 業 と し て い る、 在 家 の 入 々 の 中 の 或 る 種 の 者 で あ る。 そ し て、 そ れ は 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 の 精 神 か ら、 非 仏 教 徒 を も 含 む べ ぎ も の と 思 う。 折 伏 す る 者 は、 勝 墜 夫 人 の 如 き 在 家 の 菩薩-聖 徳 太 子 (A. D. 574-622) の ︽ 勝 髪 経 義 疏 ︾ に よ れ ば、 勝 婁 夫 人 は 第 七 地 以 下 の 菩薩-を 指 す と 見 ら れ る。 (7) ま た、 ︽ 勝 髪 経 義 疏 ︾ に は、 こ の 経 の 文 を 釈 し ﹁ 重 悪 は 即 ち 勢 力 を も つ て 折 伏 し、 軽 悪 は 即 ち 道 力 を も つ て 摂 受 す る。 悪 を や め、 善 を 修 せ ば 即 ち 聖 化 が 久 し く 住 す。 聖 化 が 世 に 住 せ ば 即 ち 善 が 来 り、 悪 が 去 る。 し か る が 故 に、 天 ・ 入 は 充 満 し、 悪 道 は 減 少 す る。 ﹂ と い い、 シ ナ の 三 論 宗 を 組 織 大 成 し た 嘉 祥 大 師、 吉 蔵 (A.D. (8) 549-623) 造 の ︽ 勝 髪 又宝 窟 ︾ 巻 上 末 に は、 ﹁ 力 に 二 種 あ り、 一 に は 勢 力、 二 に は 道 力 な り。 勢 力 と は 菩 薩 或 時 に は 王 位 を 受 け て 能 く 之 を 遮 断 し、 或 は 天 龍 神 鬼 と な り て、 其 れ を し て 悪 業 を 捨 離 せ し む。 道 力 と は、 菩 薩 は 道 徳 の 力 を 以 て 現 通 変 化 し、 其 の 悪 業 を 断 ず。 ( 中 略) 剛 強 は 応 に 伏 す べ し。 伏 し て 悪 を 離 れ し め、 柔 軟 は 応 に 摂 す べ し。 摂 り て 善 に 住 せ し む。 故 に 折 伏 摂 受 と 名 つ く。 ﹂ と い つ て い る。 こ れ に よ れ ば、 折 伏 は 鳥 を 捕 え る な ど の 悪 い 職 業 ( 悪 業) を も つ て 生 活 を な す 在 家 の 入 々 の 中 で、 比 較 的 悪 質 な 者 に 対 し て、 権 力 や 神 力 な ど の 方 便 を 行 使 す る を い う。 (3)A.D. 四 世 紀 の 前 半 に 成 立 し、 如 来 蔵 ( 仏 性) 教 学 の 所 依 と な つ た ︽ 大 般 混 葉 経 ︾ に よ れ ば、 持 戒 の 比 丘 が 正 法 を 護 (9) 持 す る 為 の 折 伏 に つ い て、 そ の 寿 命 品 第 一 に ﹁ [仏 は 迦 葉 菩 薩 に 告 げ た ま わ く ︺ 持 法 の 比 丘 も 亦 復 是 の 如 し。 戒 を 破 し 正 法 を 壊 す る 者 有 る を 見 れ ば、 即 ち 応 に 駆 遣

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・ 詞 責 ・ 挙 処 す べ し。 若 し 善 比 丘、 壊 法 の 者 を 見 て、 置 き て 詞 責 ・ 駆 遣 ・ 挙 処 せ ず ば、 当 に 知 る べ し、 是 の 入 は 仏 法 中 の 怨 な り。 若 し 能 く 駆 遣 ・ 詞 責 ・ 挙 処 せ ば、 是 れ 我 が 弟 子、 真 の 声 聞 な り。 ﹂ ( 漢 訳、 北 本) ﹁[ 世 尊 は 迦 葉 に 告 げ て 言 わ れ た ︺ そ の 如 く 戒 ( 念 蜀) を 破 る 人 々 と 正 法 を に く む 人 々 (sun-hbyin-pa) を 下 僕 の 如 く 折 伏 す べ ぎ こ と (tshar gcad-pa) を わ た く し は 許 可 す る。 若 し 入 あ つ て、 か れ 等 を 折 伏 し な い な ら ば、 そ の 人 は わ た く し の 教 説 よ り 甚 だ 遠 い も の と な る で あ ろ う。 若 し 人 あ つ て、 か れ 等 を よ く 折 伏 す る な ら ば、 そ の 入 は わ た く し の 弟 子 と な り、 わ た く し の 聴 聞 者 と な る で あ ろ う。 ﹂ ( チ ベ ッ ト 文 和 訳) と い つ て い る。 こ の 経 の 一 文 は、 後 に 述 べ る よ う に 日 本 の 日 蓮 聖 入 に よ つ て、 折 伏 の 重 要 な 根 拠 と し て し ば し ば 依 用 せ ら れ た。 こ こ で は、 折 伏 を nigraha で 示 し、 破 戒 者 ・ 正 法 を に く む ( 批 難 す る) 者 に 対 し 下 僕 の 如 く 叱 責 し て、 正 法 を 行 ぜ し め る 意 味 に 用 い て い る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き 者 は、 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 を 教 え る 正 法 を 批 難 す る 者 ( 一 閲 提) と 殺 生 す る 者 乃 至 邪 見 あ る 者 ( 外 道) と 出 家 に し て、 奴 碑 ・ 牛 羊 を 養 い、 た く わ え て は な ら な い 物 を た く わ え、 利 得 を 得 る 目 的 で 国 王 ・ 大 臣 ・ 長 者 に 近 づ ぎ 説 法 す る 破 戒 の 比 丘 を 指 し、 折 伏 す る 者 と は、 出 家 に し て、 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 の 正 し い 見 解 を も ち、 広 く 大 乗 経 典 を 説 ぎ、 さ ら に は 奴 埠 ・ 牛 羊 を 養 わ ず、 た く わ え て は な ら ぬ 物 を た く わ え ず、 利 得 を 得 る 目 的 で 国 王 ・ 大 臣 ・ 長 者 に 近 づ か ず、 施 主 に へ つ ら い の 心 を も た な い 持 戒 の 比 丘 を 指 す こ と は、 引 用 し た 経 文 の 前 後 に よ つ て 明 ら か で あ る。 (4)A.D. 四 世 紀 頃、 弥 勒 ー 無 著 に よ つ て 造 ら れ た、 唯 識 の 論 書 ︽ 喩 伽 師 地 論 ︾ に よ れ ば、 仏 ま た は 大 師 ・ 導 師 と 呼 ば れ る よ う な 菩 薩 が、 聞 法 者 ・ 弟 子 等 を 教 化 す る 方 法 の 第 一 に、 折 (10) 伏 が 挙 げ ら れ て い る。 即 ち そ の 巻 第 八 十 六 に ﹁ 復 次 大 師 於 二 諸 声 聞 一略 有 二 五 種 師 所 作 事 一。 一 者 正 折 伏。 二 者 正 摂 受。 三 者 正 詞 責。 四 者 正 説 雑 染。 五 者 正 説 清 浄。 ﹂ ﹁ 一次 の ︺ 五 は、 教 師 (castri) が 諸 賄 聞 者 に 対 す る 教 師 の 作 業(karma) と し て な す べ き こ と で あ る。 即 ち(一) 正 し く 折 伏 す る こ

と(tshar gcad-pa; nigraha)、(二)

正 し く 摂 受 す る こ と (yan-dag-par bsd)、(三) 正 し く 徴 難 す る こ と、(四) 妄 想 分 別 を 明 ら か に す る こ と、(五) 清 浄 を 明 ら か に 説 く こ と で あ る。 ﹂ ( チ ベ ッ ト 文 和 訳) と い う の が こ れ で あ る。 こ こ で は、 折 伏 を nigraha で 示 し、 折 伏 せ ら れ る 者 は、 聞 法 者 ・ 仏 弟 子 一 般 を 指 し、 折 伏 す る 者 は、 仏 ま た は 大 師 ・ 教 師 ・ 導 師 と 呼 ば れ る よ う な 菩 薩 を 指 す と 見 ら れ る。 し か し、 正 し い 折 伏 の 具 体 的 な 内 容 と か、 そ れ の 摂 受 と の 関 係 は 不 明 で あ る。 (5)A.D. 四 世 紀 以 前 に 成 立 し、 如 来 蔵 教 学 を 説 く と 見 ら れ る ︽ 海 意 菩 薩 所 問 浄 印 法 門 経 ︾ に は、 菩 薩 の 正 法 護 持 の 一 手 殺 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 (11) と し て の 折 伏 を 説 い て い る。 即 ち ︽ 大 乗 集 菩 薩 学 論 ︾、 護 持 (12) 正 法 戒 品 第 二 に 引 用 さ れ て い る 同 経 の 断 片 に ﹁ 善 男 子 よ、 ま た 若 し 時 あ つ て、 論 争 し な い こ と に 専 ら で あ つ て、 し か も 不 法 に 法 を 語 る 人 々 を、 法 に 従 つ て 折 伏 す る(nigraha; rebuke) な ら ば、 こ れ も ま た、 正 法 護 持 で あ る。 ﹂ と い う の が こ れ で あ る。 こ こ で は、 折 伏 を nigraha で 示 し、 不 法 に 法 を 語 る 者 を 正 法 に 従 つ て 論 破 し て、 正 法 護 持 す る こ と を 意 味 す る。 し か し、 ひ た す ら 論 争 し な い こ と が 原 則 で あ る こ と を 忘 れ て は な ら な い。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き 者 は 正 法 に 反 し て 法 を 語 る 者、 折 伏 す る 者 は、 菩 薩 に し て 正 法 を 護 持 す る 者 を 指 す と 見 ら れ る。 そ の 正 法 を 護 持 す る 者 と は、 同 じ 経 典 に よ れ ば 文 字 ・ 語 句 に よ つ て、 不 可 説 な る 法 が 指 示 さ れ る と き、 そ の 文 字 ・ 語 句 を 忘 れ ず、 説 き、 明 ら か に す る 菩 薩、 ま た、 こ の よ う な 諸 経 典 を 説 示 し、 た し か に 実 行 す る よ う な 法 説 者 に 近 づ ぎ、 仕 え、 布 施 し、 称 讃 す る 菩 薩、 さ ら に 縁 起 せ る 法 に 執 着 し な い 菩 薩 で あ る。 法 説 者 は、 菩 薩 の 第 (13) 九 地 に 住 し た 者 で あ る こ と を ︽ 宝 性 論 ︾ に 指 摘 し て い る か ら、 そ れ と の 関 連 に お い て 知 る べ ぎ で あ ろ う。 (6)A.D. 二 世 紀 以 前 に 成 立 し、 如 来 蔵 教 学 を 説 く と 見 ら れ る ︽ 般 舟 三 昧 経 ︾ に は、 般 舟 三 昧 に 住 す る と き 得 ら れ る 折 伏 に (14) つ い て ﹁ 世 尊 よ、 菩 薩 摩 詞 薩 は い か な る 三 昧 に 住 す る と き、 ( 中 略) 一 切 の 敵 者 を 折 伏 す る (tshar gcod-pa) か ら、 語 る こ と 虎 の 如 き 人 々 と な り、 一 切 の 敵 者 の 考 え (pakasa 宗) を 征 服 す る か ら、 宗 見 (pratijna) が ぎ つ つ け ら れ な い 人 々 と ( 中 略) な る で あ ろ う か。 ﹂ と い つ て い る。 こ こ で は、 折 伏 を 三 晩 影 冨 で 示 し、 三 昧 力 に よ つ て一 切 の 反 対 論 者 ( 敵 者) の 考 え を 自 ら 論 破 す る こ と を い う。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら れ る 者 は、 一 切 の 反 対 論 者、 折 伏 す る 者 は、 般 舟 三 昧 に 住 し た 者 で あ る。 般 舟 三 昧 と は、 現 在 に 仏 が 面 前 に 住 す る 三 昧 (pratyutpanne bu mukhavsthit-samahdi) と い う 意 味 の 三 昧 で、 西 方 浄 土 の 阿 弥 陀 仏 を 憶 念 す る も の で あ る。 ︽ 十 地 経 ︾ に よ れ ば、 菩 薩 (15) の 第 十 地、 灌 頂 地 に 到 つ た と ぎ 住 す る 三 昧 で あ る。 従 つ て、 弥 勒 菩 薩 の 如 き 菩 薩 を 指 す。 (7) 同 じ ︽ 般 舟 三 昧 経 ︾ に は ま た、 菩 薩 自 身 の 心 の 折 伏 に つ い (16) て ﹁ 般 舟 三 昧 と は 何 か と 言 え ば、 ( 中 略) 諸 練 を 執 取 せ ず、 諸 界 に 染 著 す る 心 な く、 諸 ︹ 生 ︺ 処 を 愛 著 せ ず、 族 姓 (kula 家 門) を 語 る に よ つ て 傲 慢 と な ら ず、 慢 (mana 慢 心) を 折 伏 し (tshara gcod-pa)、 他 入 の 利 益 に 嫉 妬 の 心 が な く、 ( 中 略) が 般 丹 三 昧 で あ る。 ﹂ と い わ れ る。 こ こ で は、 折 伏 をnigraha で 示 し、 第 十 地 の 灌 頂 地 の 菩 薩 が、 般 舟 三 昧 に 住 し て、 自 身 の 慢 心 を お さ え る こ と を 意 味 す る。 前 に は、 同 じ 三 昧 に 住 し て、 一 切 の 反 対 論

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者 の 主 張 を 論 破 す る こ と を 折 伏 と し た の で あ る が、 今 は そ の 同 じ 三 昧 に お い て、 か え つ て 菩 薩 自 身 の 慢 心 を お さ え る こ と を い う。 従 つ て、 折 伏 せ ら る べ ぎ 者 は、 自 身 の 慢 の 心 で あ る。 慢 と は、 煩 悩 の 一 種 で、 自 他 を 比 較 し て 他 を 軽 蔑 し、 み つ か ら を 侍 み、 心 が 高 ぶ る 状 態 を い う。 世 親 造 ︽ 唯 識 三 十 顛 (17) ︾ の 安 慧 ・ 調 伏 天 釈 疏 に よ れ ば、 そ の 結 果 軌 礁斑 師 ( 阿 閣 梨) 等 の 諸 尊 考 や そ の 他 諸 有 徳 人 を 賎 し み、 身 を 起 し て 一 よ う こ そ ﹂ な ど と 挨 拶 し な い よ う に な る。 ま た 心 が 高 ぶ る 原 因 に よ つ て、 慢 は 七 種 に 区 別 さ れ る。 日 慢、 即 ち 族 姓 ・ 才 智 ・ 財 産 等 の 点 で 劣 れ る 考 よ り も 自 分 は 族 姓 ・ 才 智 ・ 財 産 等 の 点 で 勝 れ て い る と 自 負 し、 或 は 族 姓 等 の 点 で 等 し い 者 に 対 し て は、 自 分 は 同 等 で あ る と し て 心 を 高 ぶ ら せ る こ と。 目 過 慢、 即 ち 族 姓 ・ 才 智 ・ 財 産 等 の 点 で 等 し き 者 よ り も 自 分 は 施 ・ 戒 ・ 勇 等 の 点 で は 勝 れ て い る と か、 或 は 族 姓 ・ 聖 智 等 の 点 で 勝 れ た 者 と 自 分 は 才 智 ・ 財 産 等 の 点 で は 等 し い と 心 を 高 ぶ ら せ る こ と。 口 慢 過 慢、 即 ち 族 姓 ・ 才 智 ・ 財 産 の 点 で 勝 れ た 者 よ り 自 分 こ そ は 族 姓 ・ 才 智 ・ 財 産 の 点 で 勝 れ て い る と 心 を 高 ぶ ら せ る こ と。 四 我 慢、 即 ち 五 纏 仮 和 合 の 身 を 執 し て、 我 で あ り、 我 が も の ( 我 所) で あ る と 心 を 高、 ふ ら せ る こ と。 圃 増 上 慢、 即 ち 貧 ・ 瞑 ・ 痴 等 よ り 生 ぜ る 身 業 ・ 意 業 ( 行 為) は、 人 界 の も の で あ る が、 そ れ を 対 治 せ る 禅 と 定 等 は、 人 界 よ り 勝 れ た 境 地 で あ る と せ ら れ る。 こ の よ う な 境 地 を 未 だ 得 な い の に 自 分 は 己 に 得 た と 心 を 高 ぶ ら せ る こ と。(六) 卑 下 慢、 即 ち 族 姓 等 の 非 常 に 勝 れ た 者 よ り 自 分 は 族 姓 等 の 点 で 少 し く 劣 つ て い る だ け で あ る と 心 を 高 ぶ ら せ る こ と。(七) 邪 慢、 即 ち 戒 を 破 る な ど 徳 が な い の に 自 分 は 施 ・ 戒 等 の 徳 を 有 す る 者 で あ る と 心 を 高 ぶ ら せ る こ と で あ る。 そ し て、 こ れ 等 ・ の 慢 心 が 折 伏 せ ら れ る べ ぎ も の で な げ れ ば な ら な い。 ま た、 折 伏 す べ き も の は、 般 舟 三 味 そ の も の で あ る が、 そ の 般 舟 三 昧 と は、 比 丘 ・ 比 丘 尼 ・ 優 婆 塞 ・ 優 婆 夷 が、 戒 を 具 足 し、 独 り 寂 し い 場 所 に 行 つ て 坐 し、 阿 弥 陀 如 来 は い ず こ に も い ま し て 説 法 し た ま う、 と 心 を 発 し、 さ ら に こ れ よ り 西 方 の 十 百 千 万 の 仏 国 土 を 過 ぎ て 行 つ た 仏 国 土 の 極 楽 世 界 に、 こ の 阿 弥. 陀 如 来 が 現 在、 菩 薩 の 衆 会 に 囲 続 せ ら れ、 尊 敬 せ ら れ つ つ、 坐 し て 説 法 し た ま う、 と 観 想 し、 心 を 散 り 乱 さ ず 一 心 に 憶 念 し て 七 日 問 観 想 す る う ち、 眼 前 に 阿 弥 陀 如 来 の 御 容 顔 を 見 奉 り、 礼 拝 供 養 す る。 そ し て 最 後 に は、 如 来 は 了 得 さ れ な い、 執 着 さ れ な い、 知 覚 さ れ な い、 分 別 さ れ な い、 妄 想 さ れ な い、 随 見 さ れ な い、 と い う よ (18) う に 観 想 す る こ と を 内 容 と す る 三 昧 で あ る。 (19) (8)A.D. 四 世 紀 の 終 頃、 世 親 に よ つ て ︽ 金 剛 般 若 経 ︾ が 解 釈 せ ら れ た が、 そ の ︽ 金 剛 般 若 論 ︾ に は、 別 の 三 昧 に 住 し た と (20) き の 菩 薩 自 身 の 心 の 折 伏 に つ い て ﹁ " 若 し 或 る 菩 薩 が あ つ て、 衆 生 あ り と の 想 を 起 す か、 或 は 命 あ り と の 想 を 起 す か、 或 は プ ド ガ ラ ( 人) あ り と の 想 を 起 す な ら ば、 そ の よ う な 菩 薩 は、 菩 薩 と は 言 わ れ な い で あ ろ う " と ︹ 金 剛 般 若 経 に ︺ い う の は、 散 乱 を 折 伏 す る 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 (tshar gcod-pa) と ぎ、 い か な る 如 く に 心 を 持 す べ ぎ か、 と い う こ と を 顕 示 し た の で あ る。 い か な る 如 く に 菩 薩 は 喩 伽 に 入 る と ぎ、 衷 た は 散 乱 を 折 伏 す る と き、 衆 生 あ り と の 想 を 起 さ な い の か と い え ば、 次 の 如 ぎ 相 を 彼 ︹ 菩 薩 ︺ が 知 る で あ ろ う 分 位 で あ る。 ︹ 即 ち ︺、 " 衆 生 は 少 し も 般 浬 繋 せ ら れ る こ と は な い " と い う よ う に、 彼 等 ︹ 衆 生 ︺ が 作 意 せ ら れ な い 二 と な る ︹相 ︺ で あ る。 ﹂ (21) と い い、 ま た ﹁ 鍮 伽 に 入 る と は、 無 分 別 三 昧 に 入 る と ぎ で あ る。 散 乱 を 折 伏 す る と は、 ま だ ︹ こ の 三 昧 に ︺ 入 ら な い ︹ 心 ︺ を 抑 え て、 そ こ ︹ 三 昧 ︺ に ︹ 心 を ︺ 置 く こ と で あ る。 ﹂ と い つ て い る。 こ こ で は、 折 伏 をnigraha で 示 し、 菩 薩 が 無 分 別 三 昧 に 住 し て、 自 身 の 散 り 乱 れ て い る 心 を お さ え る こ と を 意 味 し て い る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ ぎ も の は、 救 う べ ぎ 衆 生、 救 う べ ぎ 人 が 実 体 的 に 存 在 す る と 認 め る 菩 薩 自 ら の 分 別 心、 即 ち 散 り 乱 れ た 心 を 指 し、 折 伏 す る も の は、 菩 薩 の 住 す べ ぎ 無 分 別 三 昧、 即 ち 救 う べ ぎ 衆 生 は 何 ら 実 体 的 に は 存 在 し な い と い う 相 の 観 想 そ の も の を い う と 見 ら れ る。 さ て そ の よ う な 三 昧 は、 い か な る 菩 薩 の 住 す べ ぎ 三 昧 か。 こ の 点 に つ い て は、 明 ら か で な い が、 ︽ 金 剛 般 若 経 ︾ が ︽ 金 剛 三 昧 経 ︾。 ︽ 首 樗 厳 三 昧 経 ︾ ・ ︽ 維 摩 経 ︾ な ど と 関 連 が あ る こ と (22) よ り す れ ば、 菩 薩 の 第 十 地 の 終 窮 に お い て 住 す べ き 三 昧 と 思 わ れ る。 な お、 こ の ︽ 金 剛 般 若 論 ︾ に は、 折 伏 に 対 し て 摂 受 (phan gdags-pa) が 言 わ れ る。 こ こ で は、 仏 が 正 等 覚 し て 法 転 を 転 ず る 時、 諸 菩 薩 を 成 熟 ( 教 化) す る こ と を 摂 受 と い う。 (23) そ の 時、 摂 受 せ ら れ る べ ぎ 者 は、 声 聞、 縁 覚 及 び 不 浄 な る 諸 菩 薩 を 指 し て い る。 ﹁ (9) 菩 薩 自 ら の 心 に つ い て 折 伏 が 言 わ れ る 例 は、 ︽ 法 集 経 ︾ に (24) も 見 ら れ る。 ︽ 大 乗 集 菩 薩 学 論 ︾ に 引 用 さ れ る 同 経 に ﹁ わ た く し は 自 ら の 心 を よ く よ ろ こ ば し、 よ く 住 持 し、 よ く 折 伏 (nigraha) し な け れ ば な ら な い。 何 故 か と 言 え ば、 心 の あ る と こ ろ に は 功 徳 と 過 失 が あ る け れ ど も、 心 の な い と こ ろ に は、 功 徳 も 過 失 も な い か ら で あ る。 ﹂ と い わ れ る の が こ れ で あ る。 (10) イ ソ ド か ら シ ナ へ 来 た 善 無 畏 (A. D. 637-735) 三 蔵 の 講 義 を 一 行 (A.D. 673-727) が 筆 録 し た ︽ 大 日 経 疏 ︾ ( 二 十 巻 本) に は、 楡 伽 行 派 の 教 学 に 関 係 し て 折 伏 と い う 語 が 出 て く る。 (25) 即 ち 同 疏 巻 二 に ﹁ 復 次 に 秘 密 主 よ。 大 乗 を 行 ず る 無 縁 乗(aparaprane) ば、 法 に 我 性 な し と 心 を 発 す で あ ろ う。 ﹂ と い う 経 文 を 解 釈 し て、 ﹁ 林 曇 首 の apara と 云 う は、 是 れ 無 の 義、 是 れ 他 の 義 な り。 (26) い わ ゆ る 無 縁 乗 と は、 謂 く、 平 等 の 大 誓 を 発 し て、 法 界 の 衆 生 の た め に、 菩 薩 道 を 行 じ、 乃 至 諸 の 一 閣 提 と 及 び ︹ 声 聞 ・ 縁 覚 の ︺ 二 乗 の 未 入 正 位 者 と を 亦 当 に 種 々 の 方 便 を 以 て、 折 伏 摂 受 し て、 普 く 同 じ く 是 の 乗 に 入 れ し む。 ﹂

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と い う の が こ れ で あ る。 こ こ で は、 折 伏 の 原 語 及 び 内 容 は 不 明 で あ る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら れ る べ き も の は、 一 闘 提 で あ り、 摂 受 せ ら れ る も の は、 声 聞 ・ 縁 覚 の 人 々 で あ る こ と は 明 ら か で あ る。 一 閾 提 と は、 正 法 で あ る 大 乗 を 棄 て て 誘 り、 生 死 の 迷 い の 世 界 を 楽 し み、 成 仏 の 因 の な い 者 を い う。 折 伏 す る も の は、 無 縁 乗 の 人 々 で あ る。 そ れ は ま た、 ﹁ 能 く 阿 陀 那 (adana) 深 細 の 識 を 観 察 し、 三 界 は 唯 心 な り、 心 外 に 更 に 一 法 と し て 得 べ ぎ 者 な し と し、 此 の 無 縁 の 心 に 乗 じ て、 而 も 大 菩 提 の 道 を 行 ず。 故 に 無 縁 乗 と 名 つ く。 ﹂ と 説 明 さ れ て い る か ら、 正 し く 喩 伽 行 派 の 教 学 を 奉 ず る 入 々 を 指 し て い る。 側 ま た、 ︽ 大 日 経 疏 ︾ に は、 密 教 的 な 折 伏 に つ い て、 種 々 説 (27) 明 し て い る。 即 ち ﹁ 宿 直 と は、 是 れ 行 人 の 楡 伽 の 月 の 渉 る 所 の 縁 境 な り。 ( 中 略) 月 行 り て 箕 に 入 れ ば、 即 ち 風 起 り、 畢 星 は 雨 を 好 む。 月 行 り て 畢 に 入 れ ば、 則 ち 雨 降 る が 如 し。 菩 提 の 行 も 亦 爾 り。 縁 に 遇 い 境 に 対 し て、 勢 力 不 同 な る を 以 て、 折 伏 ( 降 伏) と 摂 受 ( 増 益) と、 及 び 寂 行 ( 息 災) と の 所 施 の 方 便 を し て 随 つ て 転 ぜ し む。 ﹂ (28) と い い、 ま た ﹁ 何 の 時 に か、 煩 悩 を 折 伏 す る に 堪 ゆ る か、 何 の 時 に か、 功 徳 を 増 益 す 可 き か、 何 の 時 に か、 当 の 中 道 の 寂 心 に 順 い て 住 す べ ぎ か、 と。 是 れ を 時 の 中 の 微 細 の 相 を 解 す と 名 づ く。 ﹂ と い う の が こ れ で あ る。 こ こ で は、 折 伏 ま た は 降 伏 の 原 語 は 見 ら れ な い が、 増 益、 息 災 ど 共 に 護 摩 法 の 一 つ を 示 し て い る こ と は 明 ら か で あ る か ら、 そ れ はabhicaraka ( 阿 毘 遮、 噛 迦) (29) で あ つ て、 テ ベ ッ ト 文 ・ 大 日 経 に ﹁ 縛 し た り、 害 し た り、 支 分 を 断 つ た り、 恐 れ さ せ た り、 怒 つ た り、 殺 し た り、 痩 せ さ せ た り 等、 要 略 す れ ば、 衆 生 の 身 を 害 す る 行 法 は す べ て 降 伏 法(abhicaraka) で あ る。 ﹂ と い わ れ る も の で あ る。 こ の 中 に、 殺 す (bsad-pa) 等 の 言 葉 が 見 ら れ る が、 そ れ は 一 切 衆 生 の 諸 煩 悩 を 断 つ 意 味 で あ る こ と は、 直 前 に 引 い た ︽ 大 日 経 疏 ︾ の 文 に 見 ら れ る 通 り で あ (30) る。 さ ら に、 四 曼 義 口 決 に よ れ ば ﹁ 煩 悩 悪 業 勢 力 調 伏 令 レ 無 レ 力 是 降 伏 義 ﹂ と い い、 不 空 訳 准 提 軌 に は、 ﹁ 阿 毘 遮 噌 迦 法 者、 犯 二 五 無 間 一、 誘 二 方 広 大 乗 噌、 殿 二 滅 仏 性 一、 背 二 逆 君 主 一、 惑 二 乱 正 法 一、 於 二 如 レ 是 之 人 輔深 起 二 悲 慰 一、 応 レ作 二 降 伏 法 一。 ﹂ と し て い る。 即 ち 不 動 明 王 を 中 心 と す る 五 大 明 王 等 の 喩 伽 の 法 を 修 し て、 行 者 を 含 む 一 切 衆 生 の 悪 業、 煩 悩、 誘 大 乗 法、 殿 仏 性 等 の 障 り を 除 き、 お さ え る こ と が 密 教 の 折 伏 法 で あ る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き も の は、 行 者 を 含 む 一 切 衆 生 の 悪 業 等 の 障 り そ の も の を 指 し、 折 伏 す る も の は、 降 伏 護 摩 の 修 法 に よ る 仏 業 を 指 す。 な お、 災 障 を 除 い た 後 に は、 正 法 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 の 威 勢 を 増 益 す る た め に 増 益 (摸 受) 法 (paustuka 補 悪 徴 迦) が、 さ ら に 解 脱 等 の 成 就 法 と 悪 魔 等 の 害 悪 を 寂 静 に す る た め に 息 災 法 (cantika 扇 底 迦) が 修 せ ら れ ね ば な ら な い と 言 わ れ る。 肋 ま た、 ︽ 大 日 経 疏 ︾ 第 八 に は、 灌 頂 壇 に 置 か れ る 四 伴 侶 の 菩 薩 の 中、 悲 者 菩 薩 に よ つ て 象 徴 さ れ る 如 来 の は た ら き を 折 (31) 伏 と し て い る。 即 ち ﹁ 是 れ 四 門 よ り、 折 伏 し 摂 受、 し て、 如 来 の 事 を 行 う な り。 ( 中 略) 己 に 無 尽 の 資 財 を 出 し て、 無 限 の 大 施 を 作 せ ど も 而 も 諸 の 下 劣 の 衆 生 は 受 用 す る 心 な く し て、 肯 て 之 を 求 め ず。 此 れ が 為 に 大 悲 心 を 興 し、 種 々 の 方 便 を 以 て、 諸 の 窮 子 を 調 ふ る が 故 に、 悲 者 菩 薩 と 日 う。 ﹂ と い う の が こ れ で あ る。 こ こ で は、 折 伏 の 原 語 は 何 か 不 明 で あ る が、 象 徴 せ ら れ た 折 伏 で あ る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き も の は、 下 劣 の 衆 生 を 指 し、 折 伏 す る も の は、 如 来 の 大 悲 に 基 く 如 来 の は た ら き を 指 す と 見 ら れ る。 (13) ま た、 ︽ 大 日 経 疏 ︾ 第 十 に は、 胎 蔵 界 の 大 日 如 来 の 内 証 の 徳 ( 性 質) を 種 々 象 徴 し て い る 諸 菩 薩 の 中、 毘 倶 豚 菩 薩 (bh-rikuti) が 折 伏 を 象 徴 す る こ と に つ い て ﹁ 次 に 毘 倶 砥 は ︹ 普 観 ︺ 三 昧 ・に 入 る こ と 前 の 如 し。 ( 中 略) 然 も 此 の 真 言 は、 多 蝿(tra) 字 を 以 て 体 と す。 諸 字 は 皆 是 を 釈 せ ん が 為 な り。 多 (ta) は 是 れ 如 々 に 同 じ な り。 此 の 如 々 の 行 を 以 て、 能 く 一 切 の 生 死 の、 見 ・ 慢 ・ 我 執 の 種 を 折 伏 し 握 滅 す。 即 ち 大 催 伏 の 義 な り。 仏 は 大 会 の 中 に、 時 に 諸 の 金 剛 大 可 畏 降 伏 の 状 を 現 ず。 そ の 状 は 能 く 之 を 伏 す る 者、 有 る こ と 無 き が 如 し。 ﹂ と い つ て い る。 こ こ で も、 折 伏 の 原 語 は 分 ら な い が、 大 日 如 来 の 自 内 証 の 徳 で あ る 清 浄 法 界 の 体 は、 迷 い の 世 界 を 作 り 出 す 一 切 の 見 ・ 慢 ・ 我 執 を 征 服 し て い る こ と を 象 徴 し て、 折 伏 と い う の で あ る。 前 項 に 述 べ た 悲 者 菩 薩 が 如 来 の 智 的 な は た ら き を 象 徴 し た の に 対 し、 こ の 菩 薩 は 理 的 な 徳 ( 性 質) を 象 徴 し た の で あ る。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き も の は、 衆 生 の も つ て い る 一 切 の 見 ・ 慢 ・ 我 執 そ の も の を 指 し、 折 伏 す る も の は、 大 日 如 来 の 自 内 証 の 徳 で あ る 清 浄 法 界 の 体 を 指 す と 見 、 ら れ る。 (14)A.D. 1038 年、 イ ン ド か ら チ ベ ッ ト に 入 り、 チ ベ ッ ト 密 教 改 革 の 先 駆 者 と な つ た ア テ ィ シ 畝、 (atica 阿 底 沙) は、 そ の 著 ︽ 菩 提 道 灯 細 疏 ︾ に お い て、 正 し い 密 教 学 解 釈 上 の 折 伏 に つ (33) い て 次 の 如 く 述 べ て い る。 ﹁ こ こ に、 真 言 乗 を よ こ し ま に 理 解 す る 人 が 二 種 類 あ る。 増 益 す る 入 と 損 減 す る 人 で あ る。 前 者 は 折 伏 せ ら る べ き

(tshar gcod-pa bya)

で あ り、 後 者 は 摂 受 せ ら る べ き (rjes-su gzun-bar-bya; anugrihnat) で あ る。 こ こ に あ る 人 が あ つ て、 真 言 の 大 タ ン ト ラ 全 体 の 深 い 意 味 ( 意 趣) を 知 ら ず、 勝 れ た 師 に つ い て も 学 ば ず、 悪 知 識 に つ い て ︹ 学 び、 そ の た め ︺ 真 言 の 理 趣 が、 い か な る も の か を 知 ら ず、

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意 趣 あ る 言 葉 ︹ の 皮 相 に ︺ 依 つ て ︹ 理 解 し ︺、 吾 々 は ま さ し く 真 言 行 者 で あ る、 吾 々 は 一 切 の 快 楽 ( 受 用) を 畏 れ ず 行 じ て、 悟 り の 成 就 ( 大 印 の 悉 地) も、 す み や か に 得 る こ と が 出 来 る、 と 宣 言 し て 住 す る な ら ば、 そ れ 等 の 人 々 は、 悪 趣 に お ち る で あ ろ う。 何 と な れ ば、 如 来 の お 言 葉 を 乱 し、 婬 欲 か ら 離 れ る こ と ( 諸 梵 行) を 汚 し、 仏 説 を 崩 潰 せ し め、 六 魔 法 を な し、 女 人 に 親 近 し て、 屈 従 を 生 ず る か ら で あ (34) る。 吉 祥 智 称

(dpal ye-ces grags-pa)

は 次 の 如 く 言 わ れ た。 吾 々 喩 伽 者 に、 世 尊 は 許 可 し た も う た、 と 言 つ て 大 声 で 語 り、 更 に 一 切 の 快 楽 ( 受 用) を 畏 れ ず 行 ず る 人 々 は、 悪 趣 に お ち る で あ ろ う、 と。 世 尊 に よ る 意 趣 を 記 説 す る 大 タ ン ト ラ 中 に は、 ウ パ デ ー シ ャ ( 教 示) の な い 喩 伽 を、 鉤 の な い ま ま に 楽 し み、 吾 は 喩 伽 著 で あ る、 と 言 う な ら ば、 そ の 人 は 法 を あ ざ む い て 行 ず る こ と に な ろ う。 ︹ 之 に 反 し て、 ︺ 真 言 と 印 の 喩 伽 を 保 つ も の は、 よ く 成 就 し、 ほ と ん ど 罪 過 な く 六 魔 法 を な す こ と が 出 来 る。 是 の 如 く、 た だ 成 就 の 方 便 の み で あ る と 知 る な ら ば、 大 タ ソ ト ラ を よ く 説 き、 得 べ き も の を 得 て、 正 法 を よ く 説 く こ と が 出 来 る、 と 言 わ れ て い る。 パ ド マ ヴ ァ ヂ ラ (padmavajra 蓮 華 金 剛A. D. (35) 693 頃) も ま た、 是 の 如 き 多 く の 困 難 に つ い て 述 べ 已 つ て、 是 の 如 き こ れ 等 一 切 は、 悪 業 の も の で あ る。 正 し く な い 道 に 進 む も の で あ る か ら、 諸 地 獄 に お ち る で あ ろ う、 と 言 わ れ た。 ︹ こ れ 等 多 く の ︺ 文 証 が あ る け れ ど も、 文 字 が 多 く な る ︹ か ら 省 略 し よ う。 ︺ 是 の 如 ぎ 人 々 は、 悲 心 を も つ て 折 伏 す べ き で あ る。 ﹂ こ こ で は、 折 伏 を nigraha で 示 し、 男 女 の 性 的 快 楽 に 喩 え て 悟 り の 成 就 法 を 述 べ て い る、 世 尊 の 深 い 意 味 を 知 ら ず、 よ き 師 の 指 導 も な し に、 そ の 皮 相 の 言 葉 通 り 実 行 し て、 邪 道 ( 婬 狸 な 道) に お ち 入 つ た も の を 叱 り つ け る こ と を 意 味 し て い る。 従 つ て こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ き も の は、 そ う し た 邪 道 に お ち た 人 々 を 指 し、 折 伏 す る も の は、 正 し く そ の 意 趣 を 知 つ て 真 言 や 印 に よ る 喩 伽 を 保 ち、 よ く 成 就 せ る 者 を い う と 見 ら れ る。 更 に、 摂 受 に つ い て は. ﹁ ま た、 こ こ に あ る 入 が あ つ て 次 の 如 く 言 う と し よ う。 大 真 言 理 趣 は い か な る 如 き も の で あ る か を 知 ら な い で は、 真 言 乗 に よ つ て 何 の 効 果 が あ る で あ ろ う か。 波 羅 蜜 乗 ( イ ソ ド の 顕 教) と 声 聞 乗 と 縁 賞 乗 を 浄 化 す れ ば ま さ し く、 そ の ︹ 真 言 乗 ︺ に 入 る こ と に な る。 若 し 女 人 に 親 近 す れ ば、 非 梵 行 に 屈 従 し、 六 魔 洪 を 行 ず れ ば、 命 を 滅 ぼ す も の に 屈 従 す る か ら、 そ の ︹ 真 言 乗 ︺ に 入 る こ と に は な ら な い で あ ろ う、 と こ の よ う に 言 つ て、タン ト ラ の 意 趣 を 知 ら ず、 損 減 す る な ら ば、 そ れ 等 の 人 々 は、 甚 深 広 大 な る、 利 根 の 者 の 境 界 に し て、 仏 陀 の 教 え の 真 髄 で あ り、 好 い 報 い と 習 気 と 業 報 と を 具 有 し て い る 歓 喜 の 境 界 を、 こ の よ う に 損 減 す る か ら、 必 ず 地 獄 に お ち る で あ ろ う、 こ れ に つ い て 疑 つ て は な ら な い。 如 来 の お 言 葉 を 乱 し、 法 を 捨 て る か ら で あ る。 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 法 を 捨 て る 業 と そ の 果 報 ( 異 熟) に つ い て、 ︽ 聖、 方 広 経 ︾ の 中 に、 あ る 法 は 善 で あ る。 他 の あ る 法 は 悪 で あ る、 と い う な ら ば、 法 を 捨 て る こ と に な る 云 々、 と あ る の は、 法 を 見 な い か ら で あ る。 ま た、 師 の 比 丘 ピ ン ダ パ ー テ ィ カ(pindapatika) は、 そ れ 故、 真 言 乗 を 悪 魔 の 語 つ た も の と 軽 蔑 し て は な ら な い。 一 切 の 乗 を 捨 て て も、 こ れ ︹ 真 言 乗 ︺ に 住 し、 大 印 ( 悟 り) を 得 よ、 と の た も う た。 是 の 如 き ︹ 真 言 乗 を 損 減 し、 軽 蔑 す る ︺ 人 は、 悲 心 を も つ て 摂 受 せ ら る べ ぎ で あ る。 こ の 損 減 に は 二 つ あ る。 法 に 対 す る 損 減 と 人 に 対 す る 損 減 と で あ る。 そ の 中、 法 に 対 す る 損 減 を な す べ ぎ で は な い。 ︽ 聖、 迦 葉 所 問 経 ︾ の 中 に、 智 慧 を も つ て 分 別 さ れ な い 甚 深 の 法 に お け る 仏 の 菩 提 を、 無 辺 に し て 異 つ た 信 解 を も つ 諸 有 情 の た め に、 諸 如 来 は ︹ 種 々 異 つ た ︺ 説 法 を お こ し た ま う。 如 来 性 と し て の 智 を、 吾 は 知 ら な い け れ ど も、 如 来 に と つ て 明 ら か で あ る 云 々 と 言 わ れ て い る ︹ こ の よ う な ︺ 経 を 見 る べ き で あ る。 一 切 の 経 と タ ソ ト ラ に お い て こ の 義 を 私 は 見 る、 ま た、 入 に 対 す る 損 減 を な す べ き で は な い。 ︽ 聖、 深 心 を 促 が す 経 ︾ ・ ︽ 聖、 一 切 法 は 出 現 し な い と 説 く 経 ︾ の 中 に、 吾 ( 仏) 及 び 吾 と 等 し い 者 を 除 い て、 入 と し て 入 を 量 る こ と を な す べ ぎ で は な い。 き ず つ け る こ と に な る か ら で あ る、 と 説 か れ る。 そ の 罪 過 は、 他 の 経 中 に も し ば し ば 見 ら れ る。 ﹂ と い つ て い る。 さ て 以 上 は、 イ ソ ド の 仏 教 に お け る 折 伏 の 用 例 を 拾 う た も の で あ る。 こ の 外 に も な お、 多 く の 用 例 が あ る で あ ろ う が、 そ の 折 伏 の 精 神 は、 こ れ 等 に よ つ て 察 す る こ と が 出 来 る。 即 ち 折 伏 の 意 味 は、 必 ず し も 一 様 で は な く、 種 々 の 段 階 が あ る が、 要 は、 衆 生 の 煩 悩、 悪 業、, 破 戒 的 行 為、 正 法 に 対 す る 誹 誘 菩 薩 自 ら の 種 々 な る 煩 悩、 及 び 心 の 散 乱 其 の 他 を、 種 々 な る 方 便 で 抑 制 す る こ と で あ る。 そ し て、 ほ と ん ど の 場 合、 仏 ・ 菩 薩 の 大 悲 の 心 に 支 え ら れ た も の で あ る こ と か ら、 ま た、 如 来 蔵 経 典 及 び 密 教 経 典 に 多 く の 用 例 が 見 出 さ れ る こ と か ら、 折 伏 は 如 来 蔵 教 学 及 び 密 教 々 学 に 密 接 に 結 び つ い た も の と 考 え ら れ る。 四 シ ナ の 仏 教 に お け る 用 例 シ ナ の 仏 教 で は、 三 論 宗 を 組 織 大 成 し た 吉 蔵 が、 ︽ 勝 塁 宝 窟 ︾ 巻 上 末 に お い て、 ︽ 勝 量 経 ︾ に い わ れ る 折 伏、 摂 受 を 註 釈 し て い る こ と は、 す で に ふ れ た 通 り で あ る。 隠 彼 と ほ ぼ 同 時 代 に 出 世 し て、 シ ナ の 天 台 宗 を 開 い た 天 台 大 (36) 師、 智 顎 (A. D. 538-597) 造 の ︽ 摩 詞 止 観 ︾ 第 十 下 に は ﹁ 夫 れ 仏 法 に 両 説 あ り、 一 に 摂、 二 に 折 な り、 安 楽 行 に 長 短 を 称 せ ず と い う が 如 き は、 是 れ 摂 の 義 な り。 大 経 に 刀 侯 を 執 持 し、 乃 至 首 を 斬 る と い う の は、 是 れ 折 の 義 な り、 与 奪 途 を 殊 に す と 雛 も 倶 に 利 益 せ し む。 ﹂

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と い つ て い る。 こ こ に、 摂 受 に つ い て ﹁ 安 楽 行 に 云 々 ﹂ と い う の は、A. D. 二 世 紀 以 前 に 成 立 し た ︽ 法 華 経 ︾ 安 楽 行 品 の 所 説 で あ る。 鳩 摩、 羅 什 訳 に よ れ ば、 そ れ は 次 の 四 つ の こ と を 指 す。 即 ち(一) 菩 薩 は 諸 外 道 猪 羊 鶏 狗 を 畜 い 敗 猟 漁 捕 す る 諸 悪 律 ︹ の 者 ︺ に 親 近 せ ず、 ま た、 増 上 慢 あ る 比 丘、 小 乗 に 貧 著 す る 三 蔵 学 者 に 親 近 せ ず、 破 戒 の 比 丘、 名 字 の 羅 漢 ( 梵 文 の 意 で は、 阿 羅 漢 で あ る と 考 え ら れ て い る 比 丘) 及 び 比 丘 尼 の 戯 笑 を 好 む 者 に 親 近 せ ず ( 中 略) 衆 生 の 為 に 法 華 経 を 説 く べ き で あ る。(二) 末 法 の 世 の 中 で 法 華 経 を 説 く 時 や 読 む 時、 他 の 人 や 他 の 経 典 の 過 失 を 言 つ て は な ら な い。 他 の 法 師 を 軽 慢 し 他 の 好 悪 ・ 長 短 を 言 つ て は な ら な い。(三) 末 法 の 世 に お い て、 法 華 経 を 読 む 者 は、 他 人 の 栄 誉 を ね た む と か、 故 意 に 従 順 を よ そ う と か、 他 人 を い つ わ り あ ざ む い た り す る 心 を 懐 い て は な ら な い。 仏 道 を 学 ぶ 者 を の の し つ た り、 そ の 長 短 を 求 め た り、 声 聞 ・ 縁 覚 ・ 菩 薩 乗 の 入 々 を 悩 ま し、 疑 つ て は な ら な い。 そ れ 等 の 人 々 に、 汝 等 は 道 を 離 れ る こ と 遠 く、 つ い に 一 切 種 智 を 得 る こ と は 出 来 な い な ど、 と 言 つ て は な ら な い。(四) 末 法 の 世 に お い て ︽ 法 華 経 ︾ を 受 持 す る 者 は、 在 家 の 信 者 や 出 家 の 入 々 に 大 慈 悲 心 を 懐 い て、 こ れ 等 の 入 々 は、 ︽ 法 華 経 ︾ を 信 じ 理 解 し な く と も、 悟 り を 得 た 時 は、 こ の 法 に 入 る で あ ろ う、 と 考 え る べ ぎ で あ る、 ( 取 意) と い わ れ る も の で あ る。 さ て、 こ の ︽ 法 華 経 ︾ 安 楽 行 品 で は、 ︽ 勝 髭 経 ︾ で 折 伏 せ ら る べ ぎ 者 と せ ら れ た、 鳥 を 捕 え る 等 の 悪 業 人 に 等 し い 猪 羊 鶏 狗 を 畜 い、 敗 猟 漁 捕 す る 諸 悪 律 儀 の 人 が 折 伏 せ ら れ ず、 ︽ 大 般 浬 梨 経 ︾ で 折 伏 せ ら る べ き 者 と せ ら れ た、 破 戒 の 比 丘 が ま だ、 積 極 的 に 折 伏 せ ら れ る 立 場 に 置 か れ て な い こ と は 注 意 す べ き で あ る。 こ れ は、 ︽ 法 華 経 ︾ の 成 立 が ︽ 勝 箋 経 ︾ や ︽ 浬 桀 経 ︾ の 成 立 よ り 少 な く と も 二 百 年 前 で あ る こ と と 関 連 し て、 ︽ 法 華 経 ︾ 全 体 が ま だ、 摂 受 の 域 を 出 な い 立 場 に あ る こ と を 物 語 つ て い る の で は あ る ま い か。 ま た、 折 伏 に つ い て ﹁ 大 経 云 々 ﹂ と い う の は、 ︽ 大 般 浬 桀 (37) 経 ︾ ( 北 本) の 金 剛 身 品 第 二 の 所 説 で あ る。 そ れ は、(一) ﹁ 善 男 子、 正 法 を 護 持 す る 者 は、 四 戒 を 受 け ず、 威 儀 を 修 せ ず、 刀 剣 ・ 弓 箭 ・ 鉾 塑 を 持 ち て、 持 戒 清 浄 の 比 丘 を 守 護 す べ し。 ﹂ (二)爾 の 時 に 一 り の 持 戒 の 比 丘 有 り、 名 を 覚 徳 と 日 う。 多 く の 徒 衆 有 り て、 谷 属 囲 邊 す。 能 く 獅 子 吼 し て、 九 部 の 経 典 を 頒 宣 広 説 す。 諸 の 比 丘 を 制 す ら く、 奴 埠 ・ 牛 羊 ・ 非 法 の 物 を 蓄 養 す る こ と を 得 ざ れ。 爾 の 時 に 多 く の 破 戒 の 比 丘 有 り。 是 の 説 を 作 す を 聞 き て 馬 皆 悪 心 を 生 じ、 刀 杖 を 執 持 し て、 是 の 法 師 に 逼 る。 是 の 時、 国 王、 名 を 有 徳 と 日 う。 是 の 事 を 聞 き 已 り て、 護 法 の 為 の 故 に、 即 便 説 法 者 の 所 に 往 至 し て、 是 の 破 戒 の 諸 悪 比 丘 と、 極 め て 共 に 戦 斗 し て、 説 法 者 を し て 危 害 を 免 る こ と を 得 し む 云 々。 ﹂ と い わ れ る も の で あ る。 し か し、 こ れ は 正 法 外 護 を 示 し た も の で あ つ て、 折 伏 を 示 し た も の で な い こ と は、 経 文 を 見 れ ば わ か る。 ︽ 大 般 浬 梨 経 ︾ の 折 伏 は 本 来、 樹 に 述 べ た よ う な も の で あ る が、 智 顕 は 両 者 を 全 同 で あ 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 る か の 如 く、 折 伏 を 拡 大 解 釈 し た わ け で あ る。 (38) (16) ま た、 智 顎 は ︽ 法 華 玄 義 ︾ 第 九 上 に ﹁ 法 華 の 折 伏 は 権 門 の 理 を 破 す、 金 沙 大 河 の 復 た 廻 曲 な き が 如 し。 浬 架 の 摂 受 は 更 に 権 門 を 許 す。 各 々 因 縁 の 為 に 存 廃 異 有 り。 然 れ ど も 金 沙 百 川 海 に 帰 す れ ば 別 な ら ず 云 々 ﹂ と い つ て い る が、 法 華 の 折 伏 と は ︽ 法 華 経 ︾ の 中 の い か な る 根 拠 に よ る の か わ か ら な い。 そ れ は と も か く、 こ こ で は、 折 伏 と は 実 教 の 理 に よ つ て 余 他 の 権 教 の 理 を 破 す こ と、 摂 受 と は 権 教 の 理 を 方 便 と し て 実 教 の 理 に 入 る こ と を 明 か す こ と を 意 味 し て い る。 そ し て、 実 教 の 理 と は、 ︽ 法 華 経 ︾ に 説 く 円 教 の 理、 即 ち 迷 悟 も 本 質 的 に は 区 別 が な い と い う 教 理 で あ り 権 教 の 理 と は、(一) 四 ︽ 阿 含 経 ︾ に よ つ て、 空 の 一 面 の め を 知 つ て、 同 時 に 不 空 の 反 面 あ る こ と を 知 ら ぬ 道 理 が 明 か さ れ、 分 析 的 に 空 を 観 ず る 小 乗 の 教 理 ( 蔵 教 )、(二) す べ て の も の は 因 縁 に よ つ て 成 立 し て お り、 幻 の 如 く 空 で あ る と い う 道 理 に よ つ て、 全 体 と し て そ の ま ま が 本 来 空 で あ る と す る、 声 聞 ・ 縁 覚 ・ 菩 薩 乗 に 通 じ た 大 乗 初 門 の 教 理 ( 通 教 )、(三) 空 仮 中 の 三 諦 を 次 第 に 観 じ て、 中 道 の 理 を さ と る も、 そ の 中 道 は 空 や 仮 と 別 な も の と み る、 二 乗 と 共 通 せ ず た だ 菩 薩 の た め の み の 教 理 ( 別 教 )、 を い う。 こ の 場 合、 折 伏 せ ら る べ ぎ も の は、 小 乗 と 大 乗 の 初 門 と 不 共 門 の 教 理 を 指 し、 折 伏 す る も の は、 ︽ 法 華 経 ︾ に お け る 円 教 の 理 を 指 す が、 こ れ は 般 舟 三 昧 や 法 華 三 昧 に よ つ て 裏 付 け ら れ た も の で あ る。 さ て、 イ ソ ド の 仏 教 で は、 折 伏 の 対 象 は、 衆 生 の 悪 業、 破 戒、 大 乗 誹 誘、 不 法 な る 説 法 ・ 菩 薩 の 増 上 慢、 煩 悩、 散 乱 心 其 の 他 な ど の 個 々 の よ か ら ぬ 行 為 や 心 で あ つ て、 特 定 の 経 典 の 特 定 の 教 理 を 除 く 大 小 乗 の 教 理 と い う よ う な も の で は な か つ た。 し か る に、 こ の よ う な シ ナ 仏 教 独 特 の 折 伏 の 精 神 は、 ど こ か ら 来 る も の で あ ろ う か。 そ れ は と り も な お さ ず、 シ ナ 仏 教 の 特 相 と な つ た 教 相 判 釈 に 基 く も の と 見 な け れ ば な ら な い。 す で に イ ソ ド 仏 教 の 各 学 流 に あ つ て も、 そ れ ぞ れ の 立 場 ・ に お い て、 各 種 の 経 典 を 類 別 し、 そ の 教 相 の 優 劣 を 判 別 す る 経 典 解 釈、 即 ち 教 判 を も つ て い た が、 そ の 時 は、 大 小 乗 の 問 に 抑 小 揚 大 や 破 邪 顕 正 は あ つ て も、 ま た、 中 観 ・ 唯 識 と い う 大 乗 相 互 の 問 に 批 判 が か わ さ れ て も、 折 伏 と い う こ と は 考 え ら れ な か つ た。 し か る に、 シ ナ に お い て は 大 小 乗 各 種 の 経 典 が 何 等 の 順 序 も な く 伝 訳 せ ら れ て、 相 互 の 問 に 浅 深 も 見 ら れ、 類 別 も 見 ら れ、 或 は 矛 盾 す ら も 見 ら れ た た め に、 こ れ 等 の 諸 経 を 批 評 し 分 類 す る 教 判 が 一 宗 開 創 の 上 で 不 可 欠 の 要 件 と な つ て、 そ れ が 折 伏 に 置 ぎ か え ら れ た。 即 ち 天 台 大 師 は ﹁ 五 時 八 教 判 ﹂ に 従 つ て、 当. 時 の 仏 教 排 斥 運 動 や 儒 教 ・ 道 教 等 の 外 教 に 対 し て で は な く、 む し ろ 仏 教 内 部 の 他 の 教 理 を 折 伏 し た の で あ る。 こ こ に シ ナ 仏 教 に お け る 折 伏 の 特 殊 相 が あ る。 そ し て、 こ れ が 日 本 の 仏 教 に 引 継 が れ た。 五 日 本 の 仏 教 に お け る 用 例

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日 本 の 日 蓮 宗 の 開 祖、 日 蓮 聖 人 (A. D. 1222-12182) は、 法 華 玄 義 に 示 さ れ た 折 伏 の 精 神 を 承 け、 特 に 折 伏 を も つ て 弘 教 の 方 法 と し、 さ か ん に 権 門 の 理 を 罵 倒 し た。 ︽ 開 目 紗 ︾ 巻 (39) 下 に は ﹁ 夫 れ 摂 受 折 伏 と 申 法 門 は 水 火 の ご と し。 火 は 水 を い と う、 水 は 火 を に く む。 摂 受 の 者 は 折 伏 を わ ら う、 折 伏 の 者 は 摂 受 を か な し む。 無 智 悪 人 の 国 土 に 充 満 の 時 は 摂 受 を 前 と す。 安 楽 行 晶 の ご と し。 邪 智 誘 法 の 者 多 時 は 折 伏 を 前 と す、 常 不 軽 品 の ご と し。 讐 え ば 熱 時 に 寒 水 を 用、 寒 時 に 火 を こ の む が ご と し。 草 木 は 日 輪 の 谷 属、 寒 月 に 苦 を う。 諸 水 は 月 輪 の 所 従、 熱 時 に 本 性 を 失。 末 法 に 摂 受 折 伏 あ る べ し。 ﹂ と い う。 こ の 中、 摂 受 に つ い て の 安 楽 行 品 の 所 説 は、 既 に 述 べ た。 そ こ で 今 は、 折 伏 に つ い て 常 不 軽 晶 を 中 心 に そ の 原 語、 意 味、 折 伏 せ ら る べ き も の、 折 伏 す べ き も の に つ い て 検 討 し (40) よ う。 こ こ に 常 不 軽 品 の 所 説 と は、 漢 訳 に よ れ ば、 ﹁ 遠 く ︹ 増 上 慢 の ︺ 四 衆 を 見 て も、 亦 復 こ と さ ら ( 故) に 往 い て 礼 拝 讃 歎 し て、 是 の 言 を 作 さ く。 " 我 敢 て 汝 等 を 軽 し め ず、 汝 等 当 に 作 仏 す べ ぎ が 故 に " と。 四 衆 の 中 瞑 悪 を 生 じ て 心 不 浄 な る 者 あ り 云 々 ﹂ と い わ れ る も の で あ る。 し か し、 こ れ を 梵 漢 対 照 訳 に よ つ て (41) 見 れ ば、 ﹁ ︹ 像 法 も 亦 終 ら ん と す る 時、 多 く の 増 上 慢 の 比 丘 あ り て 教 を 誘 れ り。 時 に 比 丘 あ り。 常 不 軽 菩 薩 摩 詞 薩 と 名 く。 ( 中 略) 大 勢 至 よ、 か く の 如 く か の 菩 薩 摩 詞 薩 は、 比 丘 な り と い え ど も、 教 示 を な さ ず、 読 講 を も な さ ざ る な り。 ︺ た だ 比 丘、 比 丘 尼、 優 婆 塞、 優 婆 夷 等 の あ な た の 方 よ り 近 づ き 来 る を 見 れ ば、 呼 び か け て " 姉 妹 よ、 わ れ は 卿 等 を 軽 ん ぜ じ、 卿 等 は 軽 ん ぜ ら る べ き も の に あ ら ず、 そ は 卿 等 す べ て み な 菩 薩 の 行 を 行 じ て、 如 来 応 供 正 等 覚 者 と な る べ け れ ば な り。 " と 語 る の み な り。 時 に 大 勢 至 よ、 か の 菩 薩 摩 詞 薩 か く の 如 く 比 丘、 比 丘 尼、 優 婆 塞、 優 婆 夷 に 呼 び か け し に、 一 切 は 極 め て 怒 り、 悪 み、 不 機 嫌, を 示 し て ︹ 罵 り 辱 し め た り。 日 く、 〃 何 故 に こ の 比 丘 は 請 わ れ ざ る に わ れ に 対 い て 軽 ん ず る 心 な し と 宣 言 す る や。 か れ 望 ま れ ざ る に 虚 言 を な し て わ れ 等 を 無 上 な る 正 等 覚 者 に 授 記 す る は、 自 ら わ れ ら を 軽 ん ず る も の な り " と。 か の 菩 薩 摩 詞 薩 は 多 年 の 間、 か く の 如 く 怒 を 受 け 罵 ら れ た り。 さ れ ど 毫 も 怒 ら ず、 僧 悪 の 心 を 生 ぜ ざ り き。 ︺ ﹂ と せ ら れ、 幾 分 か ニ ュ ア ソ ス の 相 違 は あ る が、 い ず れ に し て も、 こ こ で 折 伏 と は、 増 上 慢 の 比 丘 等 に 呼 び か け て た だ、 汝 等 は す べ て 仏 と な る べ き 者 で あ る ( 如 来 蔵、 即 ち 仏 性 が あ る) か ら 尊 敬 す る、 と 語 る こ と の み を 意 味 す る。 そ し て、 ︽ 大 般 浬 架 経 ︾ に お け る が 如 ぎ、 責 め る、 し か る、 抑 え る、 戦 う 等 の 原 語 も、 そ れ ら し い 意 味 の 語 も 何 等 見 ら れ な い。 仏 性 が あ り、 仏 と な る べ き で あ る と 尊 敬 し、 利 益 す る の で あ る か ら、 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 こ れ は 折 伏 で は な く て む し ろ 摂 受 で あ る。 安 楽 行 品 の 所 説 に 比 較 す れ ば、 そ こ で は 親 近 す べ ぎ で な い と し た 増 上 慢 あ る 比 丘 等 に 対 し て、 こ こ で は 近 づ い て 呼 び か け、 一 切 衆 生 悉 有 仏 性、 さ ら に 二 乗 作 仏 を も つ て 驚 か し、 覚 醒 を 促 す の で あ る か ら、 消 極 的 摂 受 に 対 す る 積 極 的 驚 覚 的 (codana) 摂 受 に 外 な ら な い。 と こ ろ が、 日 蓮 聖 人 は、 こ の よ う な 摂 受 を し ば し ば ︽ 大 般 浬 葉 経 ︾ 寿 命 品 第 一 に い う 純 粋 な 折 伏 と 混 合 し て 用 (42) い た。 そ れ 故 ︽ 日 向 記 ︾ に お い て ﹁ 浬 桀 経 に 日 く、 若 し 善 比 丘、 壊 法 の 者 を 見 て、 置 い て 呵 責 し、 挙 処 し、 駈 遣 せ ず ん ば、 当 に 知 る べ し、 是 の 人 は 仏 法 中 の 怨 な り、 若 し 能 く 駈 遣 し 呵 責 し 挙 拠 せ ば、 是 れ 我 弟 子 真 の 声 聞 な り 云 々。 此 の 文 の 中 の 見 壊 法 者 の 見 と、 置 不 呵 責 の 置 と を 能 々 心 腋 に 染 む べ ぎ 也、 法 華 経 の 敵 を 見 な が ら、 置 て 責 め ず ん ば、 師 檀 と も に 無 間 地 獄 は 疑 な か る べ し 云 々 ﹂ と い つ て、 誘 法 を 見 て こ れ を 責 め な か つ た な ら ば、 そ の 事 自 体 が 直 ち に 一 つ の 罪 悪 で あ る と 論 じ た。 こ こ に 日 蓮 聖 入 の 折 伏 が 複 雑 に な る 原 因 が あ る。 常 不 軽 品 に よ れ ば、 折 伏 せ ら る べ き もの-実 は 驚 覚 的 に 摂 受 せ ら る べ き もの-は、 仏 性 (43) に 気 付 か ぬ 在 家 信 者 や 増 上 慢 あ る 比 丘、 即 ち 二 乗 で あ つ た。 そ れ が ︽ 大 般 浬 桑 経 ︾ に も 拠 つ た た め に、 折 伏 せ ら る べ き も の-実 際 に 折 伏 せ ら る べ き もの-で あ る、 正 法 を 誹 諺 す る 者 ( 一 闘 提) や 破 戒 者 な ど と 同 列 に 考 慮 せ ら れ る こ と に な (44) り、 ︽ 法 華 経 ︾ 讐 喩 品 に 拠 つ て 十 四 誘 法 に 分 ち、 出 家 在 家 を と わ ず、 十 四 誘 法 の 人 々 は 大 罪 を 犯 す も の で、 仏 種 を 断 絶 す る も の と 断 定 さ れ た。(一) お ご り 高 ぶ つ て 正 法 を 聞 か な い こ と ( 僑 慢)、(二) 正 法 修 行 に お こ た る こ と ( 解 怠)、(三) 自 分 の 考 え で 正 法 を 曲 解 す る こ と ( 計 我)、(四) 凡 夫 の あ さ は か な 知 識 で 正 法 を 解 釈 す る こ と ( 浅 識)、(五) 自 分 の 思 い 込 み に 執 着 し て 正 法 を 軽 ん ず る こ と ( 著 欲)、(六) 正 法 を 正 し く 了 解 出 来 な い こ と ( 不 解)、(七) 正 法 を 信 じ な い こ と ( 不 信)、(八) 正 法 を 信 ず る 者 を 厭 う こ と ( 鐙 歴)、(九) 正 法 を 疑 う こ と ( 疑 惑)、(十) 正 法 を 諺 る こ と ( 誹 誘)、(十一) 根 本 の 善 で あ る 正 法 を 軽 し め、 な い が し ろ に す る こ と ( 軽 善)、(十二) 根 本 善 の 正 法 を 憎 み 反 対 す る こ と ( 憎 善)、(十三) 根 本 善 の 正 法 を 嫉 み 妨 碍 す る こ と ( 嫉 善)、 歯 根 本 善 の 正 法 を あ だ み 敵 対 す る こ と ( 恨 善) が そ れ で あ る。 し か し ︽ 法 華 経 ︾ に お い て は、 こ れ 等 十 四 の 中(一) か ら(六) ま で の 誘 法 者 に 対 し て、 ﹁ 此 ︹ の 法 華 経 ︺ を 説 く こ と な か れ ﹂ と あ る の み で あ り、 (七) 以 下 に つ い て も、 た だ 単 に ど の よ う な 罪 報 を 受 く る か を 示 す の み で、 ﹁折 伏 す べ し ﹂ と い う 意 味 の 言 葉 は な い。 な お、 日 蓮 聖 人 は、 シ ナ 天 台 の 影 響 を 受 け て さ ら に、 ︽ 華 厳 ︾ ・ ︽ 方 ・等 ︾ ・ ︽ 般 若 ︾ 等 の 諸 大 乗 経 を 習 う、 全 く 折 伏 せ ら る べ き 理 由 も、 驚 覚 的 に 摂 受 せ ら る べ き い わ れ も な い 者 ま で も 誘 法 者 (45) の 数 に 入 れ た。 即 ち、 ︽ 十 法 界 明 因 果 紗 ︾ に は ﹁ 日 大 小 乗 流 布 の 国 に 生 れ て 一 向 に 小 乗 の 法 を 学 し て 身 を 治 め 大 乗 に う つ ら ざ る は 是 誘 法 也。

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(二) 亦 華 厳 方 等 般 若 等 の 諸 大 乗 経 を 習 え る 人 も、 諸 経 と 法 華 経 と 等 同 の 思 い を な し、 人 を し て 等 同 の 義 を 学 ば し め 法 華 経 に う つ ら ざ る は 是 誘 法 也。 (三) 亦 偶 円 機 有 る 入 の 法 華 経 を 学 ぶ を も 我 法 に 付 け 世 利 を 貫 る が 為 に、 汝 が 機 は 法 華 経 に 当 ら ざ る 由 を 称 し て 此 経 を 捨 て 権 教 に う つ ら し む る は 是 大 誘 法 也。 と し て い る に よ つ て 知 ら れ よ う。 こ の よ う に し て、 正 法 誹 誘 の 意 味 を 次 第 に 拡 張 し、 下 は 一 閾 提 か ら 上 は ︽ 華 厳 経 ︾ 信 者 ま で、 当 時 の ︽ 法 華 経 ︾ ︽ 大 般 浬 梨 経 ︾ を 所 依 と し な い 仏 教 各 宗 派 か ら 国 ・ 家 ま で 誘 法 者 と し て き め つ け た。 従 つ て そ の 折 伏 の 意 味 は、 単 な る 折 伏 で も、 驚 覚 的 摂 受 で も な く、 ま た、 単 な る 教 相 判 釈 で も な い。 こ の 日 蓮 聖 入 の 折 伏 は、 シ ナ の 天 台 の そ れ が、 権 教 と い う 教 理 を 折 伏 の 対 象 と し て い た の を 一 歩 進 め て、 ︽ 法 華 経 ︾ を 所 依 と し な い 国、 家、 宗 派 及 び 個 人 に 拡 張 し、 驚 覚 的 に お し す す め た こ と に 特 長 が あ る。 そ し て 日 蓮 聖 人 は、 自 他 の 折 伏 を 天 台 大 師 の 如 く 法 華 三 昧 等 の 止 観 に よ つ て で は な く、 南 無 妙 法 蓮 華 経 と い う 唱 題 に よ る 即 身 成 仏 に よ つ て 裏 付 け た。 日 蓮 聖 人 以 後 は、 日 蓮 宗 内 に お い て も 折 伏 に つ い て、 い ろ い ろ 異 論 が 唱 え ら れ、 変 遷 が あ つ た。 中 で も 江 戸 後 期 に、 折 伏 主 義 に 対 す る 摂 受 為 本 論 が、 妙 解 日 透 (A.D. 1796 頃) に (46) よ つ て 唱 え ら れ た。 即 ち ︽ 護 法 得 宜 論 ︾ に は ﹁ 摂 折 の 進 退 を 知 ら ざ る は 匹 夫 の 勇 ﹂ と か、 ﹁ 己 が 量 を 顧 ず し て、 大 権 を 均 専 し、 剛 折 を 誇 る よ り、 深 く 祖 文 を 了 し て、 以 て 進 退 を 存 せ ん に は し か ず ﹂ と か、 ﹁ 色 を 作 し、 醤 を 張 り、 拒 腕 し て 荒 言 を 放 つ は、 却 つ て 捨 邪 帰 正 の 妨 と な る ﹂ と 述 べ て い る。 そ の 後 再 び、 日 長 (A. D. 1724-1804) に よ つ て 折 伏 論 が 強 調 さ れ た が、 更 に 後、 摂 受 論 が 主 張 さ れ る に 至 つ て、 遂 に 学 界 の 大 勢 は 摂 受 論 に 帰 し、 折 伏 論 は む し ろ 在 家 (47) 信 者 の 問 に 継 承 さ れ る に 至 つ た と 言 わ れ て い る。 最 近 の 創 価 学 会 の い う 折 伏 が ど ん な も の か、 今 後 の 問 題 と し て、 と も か く 仏 教 に お け る 折 伏 は、 以 上 に よ つ て 明 ら か な る 如 く 仏 陀 の 大 悲 の 精 神、 い い か え る と 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 に 貫 か れ て お り、 し か も そ れ は、 菩 薩 が 自 ら を よ り よ く 折 伏 す る こ と を 裏 付 け と し、 そ れ に 相 癒 し て 他 を 折 伏 す べ き で あ つ て、 決 し て 自 己 の 欲 楽 よ り 出 発 し た も の で あ つ て は な ら な い で あ ろ う。 さ て、 日 本 の 真 言 密 教 の 開 祖、 弘 法 大 師 (A.D. 774-883) (48) は、 末 法 思 想 に つ い て ﹁ 入 法 は 法 爾 で あ る。 興 廃 い ず れ の 時 ぞ、 機 根 絶 々 た り、 正 像 な ん ぞ わ か た ん ﹂ と い わ れ た よ う に、 人 も 法 も 絶 対 で あ り、 無 限 の も の で あ る か ら、 機 根 の 上 下、 時 の 正 像 末 は な い と せ ら れ た。 言 わ ば、 仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

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密 教 文 化 最 初 か ら 末 法 を 認 め な い の で あ る か ら、 末 法 の 故 に 折 伏 が 必 要 で あ る と は し な い が、 そ の 真 言 宗 に お い て こ そ、 折 伏 や 摂 受 が 言 わ れ る こ と は、 す で に ふ れ た と こ ろ で あ る。 そ れ は 一 般 通 途 の 仏 教 の そ れ が、 罪 深 き 一 切 の 衆 生 に お け る 仏 性 の 発 見 と 成 仏 の た め の 煩 悩 断 除 の 一 手 段 と し て あ る の 乏 は 違 つ て、 言 わ ば 久 遠 実 成 の 仏 で あ る 大 日 如 来 の 活 動 の 一 つ を シ ン ボ ラ イ ズ し て 折 伏 と し、 儀 軌 に よ つ て、 そ の 折 伏 法 を 鍮 伽 観 法 す る 限 り そ の 限 り、 行 者 は も は や 菩 薩、 即 ち 菩 提 を 求 め る 入 で は な く て、 最 初 か ら 久 遠 実 成 の 仏 と な つ て、 即 身 成 仏 す る の で あ る。 そ れ 故、 日 蓮 聖 入 の 折 伏 が、 他 を し て 因 位 か ら 果 位 へ 向 わ せ る た め の 驚 覚 で あ る に 対 し、 密 教 の そ れ は、 果 位 に お い て、 即 身 成 仏 し て、 自 他 を 折 伏 す る 喩 伽 を い う。 層 胎 蔵 マ ソ ダ ラ に は、 大 悲 摂 受 の 平 和 手 段 で あ る、 い わ ゆ る 蓮 花 部 と 大 智 折 伏 の 非 常 手 段 で あ る、 い わ ゆ る 金 剛 部 の 二 門 あ る こ と は よ く 知 ら れ て い る。 そ こ で は、 中 央 の 如 来 部 の 断 徳 で あ る 五 大 院 に お い て、 断 徳 業 ( 葱 怒 業) の 基 本 で あ る 大 智 を 顕 わ す 般 若 菩 薩 を 中 心 と し て、 不 動、 降 三 世、 大 威 徳、 勝 三 世 の 忽 怒 身 を 安 置 し て い る の で あ る。 ま た、 大 悲 門 に 属 す る 観 音 院 に お い て も、 蓮 花 部 葱 怒 持 明 王 と し て、 馬 頭 観 音 を 置 く 外、 観 自 在 菩 薩 の 大 悲 の 中 に も 降 伏 大 忽 怒 あ る を ︽ 大 (49) 日 経 疏 ︾ 第 十 に は、 次 の 如 く 示 し て い る。 ﹁ 時 に 観 音 の 額 の 搬 の 中 に、 此 の 菩 薩 を 現 じ 玉 う、 西 方 に は 額 の 上 の 霰 の 文 を 謂 う て、 毘 倶 眠 と す。 今 の 入 の 怒 る 時 に、 額 の 上 に 鍬 あ る が 如 き な り、 此 の 菩 薩 身 に、 大 葱 怒 の 状 を 作 す こ と を 現 ず。 ﹂ と。 即 ち、 密 教 で は、 折 伏 と 摂 受 は 一 つ の も の で あ る。 さ て、 不 動、 降 三 世、 大 威 徳、 軍 奈 利、 金 剛 薬 又 の 五 大 明 王 等 を 本 尊 と し て 怨 敵 悪 魔 を 調 伏 す る 楡 伽 観 法 の 修 法 が 密 教 の 折 伏 法 で あ る こ と は す で に ふ れ た が、 ︽ 覚 禅 砂 ︾、 ︽ 阿 娑 縛 抄 ︾ そ の 他 に 依 れ ば、 五 大 明 王 の 外 に、 勝 三 世 明 王、 大 輪 金 剛 明 王、 倶 利 迦 羅 明 王、 愛 染 明 王、 大 元 帥 明 王 等 の 多 く の 諸 経 軌 が あ る。 そ の 中 で も ﹁ 不 動 尊 は 両 部 諸 尊、 金 剛 薩 垣、 四 大 明 王、 十 方 賢 聖、 七 曜 廿 八 宿 等 聚 集 し て 一 尊 と な る。 即 ち 普 門 一 門 な り。 ﹂ (50) と ︽ 覚 禅 紗 ︾ に あ る 如 く、 不 動 明 王 は 大 日 如 来 の 所 変、 菩 提 心 の 本 体 と し て、 諸 明 王 の 上 首 で あ り、 大 日 如 来 の 教 令 を 奉 じ て 難 化 の 衆 生 の 煩 悩 を 破 る 身 ( 教 令 輪 身) と し て、 シ ソ ボ ラ イ ズ さ れ た 代 表 的 な 折 伏 法 の 本 尊 で あ る。 即 ち、 か の 大 忽 怒 の 形 相 を 観 じ、 剣 印 を 結 び、 "一 暴 悪 ・ 大 葱 怒・ 破 壊 ・ 恐 怖 ・ 堅 固 を も つ 金 剛 に あ ま ね く 帰 命 し 奉 る " と い う 意 味 の 真 言 ( 慈 救 の 真 言) を 唱 え て 喩 伽 に 入 る 時、 行 者 は 自 心 よ り 生 ず る 障 が 除 か れ、 大 死 一 番、 如 来 常 住 身 に 更 生 す る こ と が 出 来 る と 共 に、 一 切 衆 生 の 煩 悩 を 断 除 し、 折 伏 す る 力 を も つ こ と (51) が 出 来 る わ け で あ る。 こ の 折 伏 法 修 法 に つ い て 具 体 的 な こ と に 関 し て は、 ︽ 大 日 経 疏 第 八 ︾、 ︽ 蘇 悉 地 掲 曜 経 ︾、 ︽ 覚 禅 紗 ︾、 ︽ 秘 蔵 記 ︾、

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︽ 不 空 訳 准 提 軌 ︾、 ︽ 金 剛 頂 楡 伽 護 摩 儀 軌 ︾、 ︽ 秘 蔵 記 果 宝 紗 ︾、 ︽ 仁 王 儀 軌 ︾、 ︽ 都 部 要 目 ︾ 等 に 詳 し い。 た だ こ こ に 注 意 す べ き は、 こ の 法 は 濫 用 す れ ば か え つ て 害 を 招 く か ら、 (52) 多 大 の 用 心 を 要 す る こ と で あ る。 そ れ 故 ︽ 金 剛 頂 義 訣 ︾ 上 に ﹁ 諸 仏 菩 薩 説 二 此 法 一者 為 二 智 者 一説、 不 レ 為 二 愚 人 一、 所 二 以 然一 者、 仏 滅 度 後 多 有 二 悪 入 哺、 侍 二 大 勢 力 一順 二 於 邪 道 一不 レ 信 二 正 法 一、 破 二 滅 三 宝 住 持 之 相 唱、 令 三 諸 衆 生 失 二 浬 桀 眼 嚇、 悲 哉 可 レ 慰、 以 二 此 法 噌治、 菩 薩 之 心 行 二 此 法 一者、 為 二 利 益 一 故 有 二 大 功 徳 一、 審 観 無 レ 利 起 二 於 悪 心 叫損 二 害 衆 生 噌獲 二 大 重 罪 一、 仏 所 レ 制 レ 之、 不 レ 令 二 蘇 作 一。 ﹂ と 示 す 外、 ︽ 蘇 悉 地 掲 曜 経 ︾ 上 に は ﹁ 若 し 小 過 を 縁 じ て 降 伏 の 法 を な す べ か ら ず。 ﹂ と い つ て、 小 事 の 為 に 此 の 法 を な す べ き で な い こ と を 明 か し て い る。 ま た、 折 伏 法 を 修 し て 成 就 す れ ば、 そ の 後 必 ず 増 益 法 や 息 災 法 を 修 さ ね ば な ら な い こ と は(11) の 項 で 述 べ た 通 り で あ る。 な お、 こ の 種 の 法 を 修 す る 行 者 の 資 格 に 関 し て ︽ 大 日 (53) 経 疏 ︾ 第 九 に は ﹁ 亦 凡 そ 此 法 は、 皆 是 れ 久 し く 持 請 し て、 成 就 を 得 た 者 は 法 則 を 解 し て 乃 ち 能 く 之 を 作 す。 若 し 但 法 を 聞 い て、 即 ち 是 の 如 き 用 を 得 ん と 求 む れ ば、 此 の 理 な き な り。 ﹂ と 示 さ れ て い る こ と も 心 得 う べ き で あ る。 因 み に、 今 日 及 び 将 来、 難 化 の 衆 生 が 多 い と す れ ば、 真 言 行 者 と し て は、 持 戒 し て こ の 折 伏 法 を 修 行 す べ き で あ ろ う が 日 蓮 聖 入 の 如 く 醒 覚 を 促 す 意 味 の 折 伏 が 必 要 で あ る と す れ ば、 む し ろ 増 益 法 と 息 災 法 ( 不 動 法) を 一 層 修 し、 一 切 衆 生 の 煩 悩 を 断 除 し、 折 伏 す る 力 を も つ べ き で あ ろ う。 (註) (1) こ の 過 去 形 は tshar bacd-pa 未 来 形 は tshar gcad-pa 命 令 形 は tshar gcod-pa で あ る。 (2) sman gdads は 未 来 形 で、 そ の 過 去 形 は sman btags 現 在 形 は sman hdogs で あ る。Tibetan-English Di Das に よ れ

ば、sman brtags-pa hogs

と 等 し い と あ る。 し か し、 こ れ

は sman btags と phan hdogs

と が 等 し い の で な け れ ば な ら な い。

(3) Ceil Bendall: Ciksasamccya, compiled

otheca Buddhica No.

(4) Ibid. P. 1262. (5) 根 本 説 一 切 有 部 砒 奈 耶 第 一 (張、 第 八 巻、 第 八 葉)。 (6) 大 正 一 二、 二 一 七、 下。 チ ベ ッ ト 訳、 デ ル ゲ 版、 東 北 目 録No. 92, P.257a. (7) 大 正 五 六、 四、 中。 (8) 大 正 三 七、 二 三、 下。 (9) 国 訳 一 切 経、 浬 葉 部 一、 五 一 頁 チ ベ ッ ト 訳、 デ ル ゲ 版、 東 北 目 録 No. 120, 40b. (10) 大 正 三 〇、 七 八 三、下-七 八 四、 上。 チ ベ ッ ト 訳、 デ ル ゲ 版、 東 北 目 録 No. 4039, P.125b.

(11) Ceeli Bendall: Ciksamucc, by

iotheca Buddhica No. 1, P. 42.

仏 教 に お け る ﹁ 折 伏 ﹂ に つ い て

参照

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