恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 二
恩
師
ロ
イ
マ
ン
教
授
P
r
o
f.
D
r. Ernst Leuman 1859
(
II. IV
)-1931
(24.
IV
)
藤
田
貫
道
一、
略
歴
一 八 五 九 年 ス イ スのKanton Thurgau, Berg
村 に 新 漱 牧 師 の 長 男 と し て 生 る。 一 八 六 四 年 五 歳 に て 小 學 稜 に 入 る。 一 八 七 二 年 十 三 歳 に てFrauenfeld 中 學 第 二 年 級 に 編 入 さ れ 五 年 宇 の 後 卒 業。 將 來 言 語 學 者 と し て 立 つ に 至 つ た の は ラ テ ン 語 の 漱 師Friedrich Haag の 新 し い 教 授 法 に 負 ふ 所 が 多 い。 又 Max M ul le r, die
Wissenshaft der Sprache
も 議 む で ゐ る。 一 八 七 七 年 十 八 歳 で Genf 大 學 に 入 り、 佛 激 學 者 のP. Oltramar の 父 に 就 き 古 典 學 を 修 め、 轄 じ て L eipzig にErnst Windisch よ り 梵 語 を 學 び、 再 轄 し てBerlin に か の 有 名 な るAldrecht Weber の 門 に 入 り 梵 語 を 窮 め 勺 翁 押 昏 に 蓮 す る こ と 極 め て 深 く
一 八 八 二 年 二 十 三 歳 で Dr. phil と な つ た。 巻 査 官 に は か の 有 名 な るWilhelm Wundt も ゐ た。 論 文 は ヂ ャ イ ナ 敢 経 典 の 校 訂 出 版 に 語 彙 を 附 し、 言 語 學 的 研 究 を 主 な る 内 容 と す ︹ 著 書 5 ︺。 是 を 以 て
名
聾
大
に
墨
り
當
時
の
碩
學Otto Bophtlingk
も
そ
の
功
績
を
認
め
自
身
編
纂
中
の
梵
濁
小
僻
典
(
第 五 册 目 の 序 蓼 照)
に
研
究
の 結 果 を 採 録 し た 程 で あ る。 又 英 國 に 招 聰 せ ら れ、 一 八 八 二 -一 八 八 四 年 約 一 年 宇 の 間 Oxford に 止 り、 M onier-Wiliams の 梵 英 僻 典 の 根 本 的 改 訂 に 從 事 し た ︹ 著 書 1 ︺ そ の 頃 折 し も 我 が 南 條 博 士 オ ク ス フ ナ ー ド に 在 り、 博 士 の 邊 別 會 に も 出 ら れ た。 南 條 博 士 は 漢 詩 を 作 つ て 別 れ を 惜 む の 情 を 吐 露 さ れ 更 に そ れ を 英 議 せ ら れ た さ う で あ る。 そ れ を 見 ら れ て 鷲 イ マ ン 先 生 は 日 本 人 は 宮 然 漢 詩 が 作 れ る も の と 思 つ て を ら れ た や う で あ る。 一 八 八 四 年 ス イ スFrankhdeld な る 母 校 中 學 に 赴 任、 年 を 越 え すStrssburg 大 學 助 漱 授 に 任 ぜ ら れ 一 八 九 七 年 正 漱 授 に 進 め ら れ た。 ス ト ラ ス ブ ル グ 時 代 は 先 生 の 得 意 の 時 代 で 爾 來 一 九 一 八 年 欧 洲 大 戦 の 終 る 迄 二 十 年 飴 り 不 断 に 研 究 を 績 け ら れ た。 梵 語 で は モ ニ エ ル ・ ウ ィ リ ア ム ズ 教 授 と の 協 同 を 再 開 し 一 八 八 六 パ ー 一 八 九 〇 年 迄 績 い た。 時 に 天 下 の 英 才 雲 集 し て 先 生 の 門 を 叩 い た。 ヂ ャ イ ナ 學 を 嗣 ぐ も の に は ハ ム ブ ル グ 大 學 のSchubring 教 授 あ り、 佛 薮 學 で は 夙 に 我 國 に 有 名 な る ハ イ デ ル ベ ル グ 大 學 の Max Wallesar 教 授 も 先 生 の 弟 子 で あ つ た し、 今 ボ ン 大 學 で 日 本 語 及 文 學 の 講 師 を し て ゐ る ク レ ス ラ ー 数 授 (Prof. Dr. Kressler ) も 亦 梵 語 の 弟 子 で あ る。 特 に 佛 敏 梵 語 の 方 面 で は 專 ら 我 國 留 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 三恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 四 學 生 で 佛 教 梵 語 の 正 系 を 日 本 に 傳 へ て ゐ る。 ド ク ト ル 交 學 博 士 荻 原 雲 來 先 生、 ド ク ト ル 渡 邊 海 旭 先 生、 ド ク ト ル 常 盤 井 尭 猷 博 士 (高 田 派 管 長 )、 池 田 澄 達 先 生 (東 京 帝 大 議 師 )、 紳 林 隆 浄 敢 授 (大 正 大 學 ) 等 あ り。 爾 東 京 帝 大 激 授 吉 田 熊 次 博 士 及 同 夫 人 と の 交 誼 は 常 に 尊 重 さ れ て ゐ た。 又 我 恩 師 高 楠 先 生 を も 偉 大 な る 人 物 と し て 推 賞 せ ら れ て 居 ら れ た。 し か し 先 生 の 後 孚 生 の 中 心 闇 心 は 帥 北 方 ア ー ソ ァ 語 の 研 究 に 在 り、 我 が 渡 邊 海 旭 先 生 の 援 助 に 依 て そ の 研 究 を 完 成 し、 先 一 九 〇 七、 入 年 に ド イ ッ 東 洋 學 雑 誌 に 始 め て そ の 研 究 の 成 果 を 發 表 し ︹ 著 書 11 ︺ 次 い で 一 九 一 二 年 の 發 表 に は 理 趣 経 の 梵 本 あ り。 そ れ に は 北 方 ア ー リ ァ 語 の 流 通 分 が 各 段 の 間 に 挿 入 さ れ て ゐ る。 こ の 本 は 渡 邊 先 生 に 戚 謝 を 以 て 獄 げ ら れ て あ る の は 我 等 日 本 人 の 誇 で あ る。 ︹ 著 書 13 ︺ 一 九 ー 九 年 先 生 の ス ト ラ ス ブ ル グ へ の 訣 別 の 書 で あ る ﹁ 彌 勒 會 ﹂ ︹ 者 書 15 ︺ が 出 た。 そ の1/3 は 渡 道 先 生 が 漢 課 を 濁 繹 ざ れ た も の で あ る。 戦, 璽 が 終 つ て 先 生 は 避 難 民 と し て ラ イ ン を 渡 つ て フ ラ イ ブ ル グ に 來 ら れ た が、 そ の 間 二 年 間 は 研 究 を 中 断 せ ね ば な ら な く な つ た。 本 書 の 出 版 と 同 じ 頃、 乞 は れ て フ ラ イ ブ ル グ 大 學 に 梵 語 を 議 じ、 三 九 二 ○ 年 フ ラ ィ ブ ル グ で 書 き 纒 め た 門 佛 数 文 學、 第 一、 副 篇 ﹂ 著 書 16 ︺ の 力 作 を 發 表 し 更 生 ド イ ツ の 爲 に 氣 を 吐 い た が そ の 出 版 は フ ラ イ ブ ル グ 科 學 協 曾 の 支 援 に 依 つ た も の で あ る。 こ の 年 改 め て フ ラ イ ブ ル グ 大 學 名 碁 教 授 に 任 せ ら れ、 再 び 公 に 學 生 指 導 を 始 め ら れ た が 來 り 學 ぷ も の は 多 く は 日 本
人 で あ り 時 に 五 人 に 達 し た こ と も あ る。 ド イ ッ 人 は 一 人 か 二 人 し か な く 窺 先 生 は 日 本 人 の 爲 に 在 職
ざ
れ
た
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勤
が
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戒
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君
(
ハ ム プ ル グ 大 學 講 師)北
山
君
(
こ の 爾 人 浮 土 宗)
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龍
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授
(
九 大、 法 文 學 部 古 義 派 出 身)
徳
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生
女
史
(
東 北 帝 大 出 身 文 學 士)
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川
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授
(
立 正 大 學)、
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年
哲
學
者
湯
淺
君、
川
瀬
光
順
漱
授
(
静 岡 高 校 浮 土 宗)、
渡
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昭
宏
學
士
( 東 京 帝 大 下 出 智 山 派)
等
が
順
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の
學
者
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を
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常
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れ
た。
來
訪
者
に
は
先
づ 故 増 田 慈 良 教 授 あ り、 最 近 に は 濱 田 本 悠 敢 授 (立 正 )、 本 田 義 英 師 ( 京 都 帝 大 議 師 )、 飯 沼 教 授 ( 台 濁 大 學 ) ド ク トル
松
本
徳
明
君
(
ボ ン 在 留 浄 土 ) 松 本 氏 (史 學 家 )、 大 塚 道 光 學 士 (曲 日洞 )、 清 水 駿 授 (立 正 )、 高 畠 學 士 (京 大 )、 鷹 谷 學 士 (東 京 帝 大 出 )、 友 松 圓 諦 敏 授 (慶 鷹 )、 山 口 盆 氏 (大 谷 )、 ( 以 上 A B C 順 ) 等 あ り。 ド ク ト ル 坂 戸 智 海 教 授 (大 正 ) に は 昨 年 ウ ィ ン に 闇 か れ た ド イ ッ 東 洋 學 會 で 知 合 ひ、 同 君 の 流 暢 な ド イ ッ 語 と 巧 な 魁 交 的 材 幹 と に す つ か り 魅 せ ら れ て 居 ら れ た。 叉 最 近 宇 井 敷 授、 長 井 教 授 の 外 遊 の こ と を 聞 き 度 々 ﹁ 何 時 來 ら れ る か ﹂ と 御 催 促 で あ つ た。 渡 邊 海 旭 先 生 の 再 御 渡 歓 は 先 生 も 待 ち わ び て 諦 め て を ら れ た、 ﹁ こ れ ま で 度 々 來 た い と 云 つ て 來 ら れ た が 來 ら れ 漁 の だ か ら 今 度 も 實 現 せ ぬ だ ら う ﹂ と。 私 が ﹁ 日 本 佛 敢 界 は 渡 邊 先 生 を 一 寸 で も 離 せ ぬ か ら で す ﹂ と 云 ふ と ﹁Nein, nein!﹂ と 常 に 断 言 せ ら れ た。 ま た 相 會 の 機 の な か つ た 入 で も 我 國 の 印 度 學 者 の こ と は 常 に 大 な る 興 味 を 有 ち、 例 へ ば 荻 原 博 士 遺 暦 記 念 論 文 集 に 出 さ れ た 幅 島 助 寂 授 の Haplologie の 研 究 は 常 に 我 々 に 推 賞 せ ら れ た。 又 故 屠 田 慈 良 漱 授 の 梵 本 般若
の
出
版
(
大 正 大 學 學 報 )を 激 賞 せ ら れ て ゐ た。 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 五恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 六 尚 ロ イ マ ン 先 生 自 身 の 研 究 も 大 に 進 み ﹁ 佛 教 文 學、 第 二、 生 篇 ﹂ を 出 さ れ る 機 運 に 向 つ て ゐ た が 今 尚 公 に さ れ て ゐ な い の は 遺 憾 で あ る。 一 九 二 八 年 満 七 十 歳 を 以 つ て 引 退 さ れ た が 學 生 の 指 導 は 攣 り な く 綾 け ら れ 本 年 一 九 三 一 年 四 月 二 十 二 日、 七 十 二 歳 の 誕 生 日 の 祝 の 後 間 も 無 く 卒 中 に 罹 ら れ、 二 十 四 日 途 に 再 起 せ す 静 に 往 生 さ れ た。 (Freiburger Zeitung ) 二、 學 者 と し て の 博 士 先 生 は 純 學 究 で あ り、 第 一 線 の 戦 士 で あ つ た。 他 人 に 追 從 し、 成 果 を 集 め る の で は な く、 た と へ 断 片 的 に も 創 見、 創 業 を 企 て た。 研 究 の 成 果 は 随 時 學 術 雑 誌 に 發 表 さ れ て ゐ る が 一 語 と 錐 も 無 駄 が な い 爲 非 常 に 短 い の を 常 と す。 而 し て 先 生 は 近 代 的 な 最 も 純 な 言 語 學 者 で あ る。 プ ヤ ィ ナ 及 佛 激 の 研 究 で も 最 も 困 難 で 基 礎 的 な こ と で あ る が 経 典 を 言 語 學 の 立 場 か ら 扱 は れ た。 帥 研 究 の 基 調 は 何 慮 ま で も 言 語 學 で 終 始 し た が、 思 想 方 面 で も 哲 學 書 を 議 み 耽 つ た こ と も あ り、 自 身 の 人 生 槻 が 近 代 哲 學 者 の 著 書 に 在 る を 發 見 し て 喜 ば れ た こ と も あ つ た。 そ の 言 語 學 の 範 園 は 要 す る に イ ン ド ・ ヨ ー ロ ジ バ 語 族 を 全 領 域 と し た。 尤 も 西 藏 語 も 必 要 に 慮 じ て 議 ん で ゐ る。 最 も 得 意 な の は 詩 韻 學 (M etrik ) と 語 源 學 で 説 明 は 皆 肯 繁 に 中 り、 利 刀 盤 根 錯 節 を 断 ち 實 に 鏡 い も の で あ つ た。
A、 立 志 言 語 學 に 一 生 を 捧 げ る 決 心 は 已 に 中 學 時 代 の 始 に 出 來 た、 即 ラ テ ン 語 の 敏 師 で 梵 語 學 者 と し て Win-disch の ﹁ 梵 語 學 及 印 度 古 代 學 史 ﹂ に 名 を 獲 す ほ ど のFriedrih Haag の 新 教 授 法 に 負 ふ 所 が 多 か つ た。 ラ テ ソ 語 は そ れ 以 前 已 に 嚴 父 な る 牧 師 よ り 初 歩 を 習 つ て ゐ た。Haag が 生 徒 の 試 験 成 績 の 悪 く な つ た 責 を 負 ひ 叫 時 國 外 に 去 つ て 以 來 再 び 良 激 師 は 無 く な つ た が 中 學 卒 業 の 前 に は 已 に 他 人 に ラ テ ン 語 を 激 へ る 程 に な つ て ゐ た。 ギ リ シ ャ 語 に は 特 に カ を 入 れXenophon, Homer, Iysias, Herodot な ど を 學 校 で 讃 ん だ が そ の 先 生 が 進 行 が 邊 い の で 他 の 先 生 に 秘 に 頼 み 一 友 人 と 共 にH omer を 讃 ん で 了 つ た、 ホ メ ー ル と い へ ば 梵 語 で は リ グ ・ ゴ ー ダ 程 の 地 位 に 在 る 最 も 難 し い も の で あ る。 又 母 語 た る ド イ ッ 國 語 で は 近 代 及 古 代 ド イ ッ 語 ・ ゴ ー ト 語 の 聖 書Hildebrandslied. イ ッ 古 典 涙 の も の。H eblkdn の Alemannisch. F ritz Reuter の Plattdeutsch も 勿 論 習 つ た ゆ 又Eranz Bopp の 比 較 文 法
や、Georg Curs die
Gru-ndzgc der griechischen Etymologie に親しんでゐた。
B、 業 績 先 生 の 研 究 發 表 ば 短 い も の が 多 く 雑 誌 に 散 在 し て ゐ て 全 部 拾 集 す る こ と は 困 難 で あ る が、 主 要 な も 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 七
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 八 の に 就 て こ れ を 分 て は、 1 梵 語、 2 ヂ ャ ィ ナ、 3 佛 厳 梵 語、 4 北 方 ア ー リ ァ 語、 と 分 類 す る こ と が で き る で あ ら う。 1、 梵 語 梵 語 は 組 織 的 に 習 ひ 始 め た の は ラ イ プ チ ヒ のWindisch に 就 て い あ つ た。 梵 語 は 印 度 學 の 幹 線 で あ る か ら 大 に 研 究 し ベ ル リ ン に 移 つ て か ら 殆 ど こ れ を 窮 め 鑑 し た。 帥 べ ー ト リ ン ク 及 ロ ー ト の 梵 濁 大 僻 書 及 當 時 出 來 つ ゝ あ つ た べ ー ト リ ン ク の 小 僻 書 を 護 了 し、 ド ク ト ル 論 文 の 語 彙 の 研 究 は 直 に べ ー ト リ ン ク に 探 用 さ れ た 程 で あ る。 加 之 こ れ が 動 機 で 英 國 に 招 聰 せ ら れ、 a、 梵 英 僻 典 ︹著 書1 ︺ の 根 本 的 改 訂 に 從 事 す る に 至 つ た。 全 部 の 計 叢 は 先 生 が 立 て ら れ た が 各 部 の 仕 事 は 極、 始 の 部 分 に 止 つ て ゐ る。 止 る こ と 約 一 ヶ 年 孚、 後 ス ト ラ ス ブ ル グ に て 再 び 協 同 を 始 め 一 八 八 六バ ー 一 八 九 〇 の 問 こ の 僻 書 の 爲 に 鑑 さ れ た。 今 日 最 も 完 成 せ る 梵 英 僻 典 で 一 冊 で 足 り、 内 容 は ベ ー ト リ ン ク の 梵 濁 僻 典 と 全 然 同 じ で、 時 代 に 依 る 意 味 の 墾 遷 も 一 目 瞭 然 で 最 も 珍 重 せ ら れ て ゐ る が、 そ の 功 は 先 づ 我 が 二 十 三 -五 歳 の 青 年 ロ ィ マ ン 博 士 に 露 す べ き で あ る。 b、 ラ グ ヴ ン シ ャ の 濁 議 一 八 九 六 ハ 年 ︹ 者 書 2 ︺
こ れ は 極 初 の 一 小 部 分 に 過 ぎ な い が 議 語 の 選 定 に 詩 韻 の 調 和 に 骨 を 折 ら れ た も の、 恩 師 ウ ェ ー バ ー 教 授 の 祝 賀 論 文 集 に 出 づ。 先 生 愛 弟 子 の 一 人 た る 東 北 帝 大 出 身 文 學 士 徳 永 茅 生 女 史 は 就 い て こ れ を 學 び 大 に 進 境 に 向 は れ、 ロ イ マ ン 先 生 の 希 望 に よ り こ れ を 和 議 せ ら れ 近 く 發 表 せ ら れ る 筈 で あ る。 c、 梵 語 語 源 僻 書 一 九 〇 七 年 ス ト ラ ス ブ ル グ 時 代 ︹ 著 書 3 ︺ こ れ は 完 成 は し て ゐ な い が、 完 成 し た い と い ふ 希 望 は 有 つ て を ら れ た。 と も か く Uhienbecik の 語 源 餅 書 ( 一 八 九 八 ー 九 九 ) に 飽 足 ら ぬ 所 か ら 企 て ら れ た も の ら し い。 d、 女 神 Aditi の 研 究 一 九 二 六ハ 年 ︹ 著 書 4 ︺ 先 生 得 意 の 嚴 密 な る 語 源 論 謹 で 籔 學 的 明 敏 さ を 以 つ て 論 断 せ ら れ た る も の。 2、 ヂ ヤ イ ナ ・ プ ラ ー ク リ ツ ト 研 究 こ の 方 面 の 研 究 の 先 鞭 を つ け た の は 先 生 の 師 Weber で ・ ロ イ マ ン 先 生 は 始 め は こ れ に 專 念 し ボ ン のHermann Jacobi と 並 び 稽 せ ら る。 今 ボ ン 在 學 中 の 畏 友 ド ク ト ル 松 本 徳 明 君 の 傳 ふ る 所 に 依 れ ば ﹁ 原 典 を 讃 み こ な す 上 か ら も 廣 く 議 ん で ゐ る 上 か ら も ロ イ マ ソ 氏 の 右 に 出 る も の は な い ﹂ と ヤ コ ビ 教 授 も 洩 し て ゐ た さ う で あ る。 a、 13 ク ト ル 論 文 一 八 入 三 年 出 版 ︹ 著 書 5 ︺ 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 二 九
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 〇 こ れ は 先 生 二 十 三 歳 の 時 ( 一 八 八 二 年 ) 已 に 提 出 さ れ た も の で プ ヤ イ ナ 教 聖 血 ハ の 出 版 に 研 究 的 語 彙 を 加 へ た も の で あ る。 そ の 言 語 的 研 究 の 如 き 今 日 と 錐 も 訂 正 を 要 せ ざ る も の で、 先 生 の 出 世 作 で あ る。 そ の 時 ま で ヂ ャ イ ナ の 方 面 の 研 究 に はWeber, Bhagavati あ る の み、 未 開 の 地 な る だ け 困 難 な る 仕 事 で あ つ た。 b、 P aesi(=Pali: Payasi) 経 一 八 入 五 年︹ 著 書 6 ︺ 巴 利 長 部 第 二 十 三 のPayasi 経 (= 漢 議 長 阿 含、 弊 宿 経、 大 正 藏、 一 巻 p. 42 ) に 相 當 す る ヂ ャ ィ ナ の ク マ セ ラ カ ヅ サ パ 物 語 を 發 見 さ れ そ の 研 究 と 共 に こ れ を 濁 議 し た も の で あ る。 内 容 は パ ー ヤ ー シ 王 が 童 僧 迦 葉 と 法 問 答 を す る。 園 リ ン ダ 問 経 と 同 種 の も の。 我 が 畏 敬 す る 立 正 大 學 激 授 石 川 海 浮 君 は こ の 巴 利 の 方 全 部 を ヂ ャ ィ ナ の そ れ で 補 ひ 官 イ マ ン 先 生 の 下 で 英 鐸 さ れ た の で 國 課 す る 時 は 是 非 と も 石 川 君 の 椹 威 を 尊 重 せ ね ば な る ま い り c、 プ ラ ー ク リ ソ ト に 於 け る 異 化 (Dissimilatich ) の 法 則 一 九 二 六 ハ 年 ︹ 著 書 8 ︺ こ の 論 文 は 先 生 の 畏 敬 す
るGermanist, Eredrich Kluge
七 十 歳 誕 生 覗 賀 論 文 集 に 載 せ ら れ た も の で プ ラ ー ク リ ソ ト の 異 化 の 法 則 を 論 じ 微 を 窮 め 細 を 穿 ち 廣 き 文 獄 を 隈 な く 漁 り 集 め 詳 論 七 て 飴 悪 な し で 且 つ 筆 鋒 鏡 き こ と 天 下 無 比 で あ る。 こ れ は 特 に 大 文 獄 學 者 R ic h ar d Pischel の プ ラ ー ク ソ ソ ト 文 法 を 破 し た も の。 こ れ よ り 先 ピ シ ェ ル は そ の 著 に ロ イ マ ン 先 生 の 説 を 一 蹴 し て ゐ る。
d、 ヂ ャ イ ナ 小 説 ﹁ 尼 ﹂ 一 九 二 一 年 ︹ 著 書 7 ︺ 他 に 誰 も 讃 め な か つ た 唯 一 の 古 築 か ら 直 に 濁 鐸 し た も の で、 先 生 の 學 力 を 纂 す る も の で あ り、 そ の 鐸 文 は 流 麗 に し て 文 筆 の カ を よ く 表 は し て ゐ る。 爾 こ の 獅 課 は あ る。 印 度 人 に 依 つ て、Gujarati 語 に 議 さ れ た。 内 容 は 輪 廻 轄 生、 因 果 雁 禦報 の 物 語 で あ る。 3、 佛 教 梵 語 佛 敢 緯 典 に 用 ひ ら れ て ゐ る 梵 語 は 婆 羅 門 の 梵 語 と 異 り 大 に 不 規 則 で あ る。 そ れ 故 に 正 し く 佛 教 梵 典 を 議 む こ と は 難 事 と せ ら れ て ゐ る が 凸 先 生 は こ の 方 面 で も 卓 絶 せ る 學 力 を 有 し て を ら れ る。 我 國 留 學
生
の
梵
語
を
先
生
に
習
つ
た
も
の
多
激
佛
敷
の
學
徒
で
從
つ
て
佛
敢
梵
語
を
中
心
に
研
究
し
た
の
で
あ
る。
a、 荻 原 博 士 ド ク ト ル 論 文 ﹁ 菩 薩 地 ﹂ 一 九 〇 八 年 ︹ 著 書 9 ︺ 勿 論 こ れ は 荻 原 先 生 の 研 究 で あ る が、 そ の 語 彙 の 中 に は 官 イ マ ン 先 生 の 解 繹 が 引 か れ て あ る。 佛 敢 梵 語 研 究 の 指 南 書 と も 云 つ て よ い 位 の も の で、 ロ イ マ ン 先 生 は 常 に こ の 書 の 日 本 繹 の 出 つ る こ と を 希 望 し て を ら れ た。 b、 ﹁ 大 事 ﹂ 一 九 二 七-三 一 年 ︹著 書 10 ︺ こ れ は 私 と 共 に 始 め ら れ た も の で あ る が、 殆 ど ロ イ マ ン 先 生 の み の 勢 作 に な る も の で、 そ れ だ け 正 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 一恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 二 し く 議 む に は 難 解 の も の で あ る。 殊 に そ の 掲 頚 に 於 て 多 く の 修 正 を 要 し た。 而 し て 先 生 の こ の 方 面 に 於 け る 實 力 は 驚 嘆 に 値 ひ す る も の で あ る。 歎 學 の 正 確 と、 音 樂 家 の 熟 練 を 持 ち、 加 ふ る に 語 學 の 天 才 を 以 て し、 如 何 な る 難 解 の 偏 頚 も 一 讃 し て そ の 正 誤 を 畳 り、 再 讃 し て 巳 に 正 し き 議 方 を 知 る。 東 西 そ の 比 類 が な い。 而 も 授 業 終 り て の 饒 途 更 に 良 き 解 決 に 達 せ ら れ た と き は 直 に 引 返 し て 原 稿 を 正 さ れ ス ピ リ ツ ト る。 時 に 解 決 し な い と き は ﹁ 今 夜 精 露 に 尋 ね る よ ﹂ (先 生 は 好 ん で 英 語 を 話 さ れ た ) と 云 つ て 深 夜 に も 一 度 考 へ 直 し 次 の 時 間 迄 に は 大 抵 解 決 が 出 來 て ゐ る。 こ の 熟 心 と 解 決 の 明 敏 と が 私 を し て 滞 欧 全 期 を 先 生 の 下 に 止 ら し め た。 私 が 出 立 の 後 は 新 進 の 秀 才 渡 邊 學 士 ( ロ イ マ ン 先 生 のWatanabe der Zweite ) が 縫 綾 さ れ て ﹁ 大 事 ﹂ の 研 究 的 最 後 的 醗 謬 は 数 年 を 出 で す し て 完 成 さ れ る 機 蓮 に 向 つ て ゐ た の で 私 も 大 安 心 も し、 叉 學 界 の 爲 中 心 敷 喜 し て ゐ た が あ ま り に も 早 く 先 生 は 世 を 去 つ て 了 は れ、 こ の 業 も そ れ ほ ど 早 く 完 成 せ ら れ ぬ や う に な り、 誠 に 残 念 な 次 第 で あ り、 渡 邊 君 に も 實 に 氣 の 毒 な こ と で あ つ た。 厭 洲 で は 先 に ﹁ 大 事 ﹂ の 全 課 をKonigsberg, Otto Eranke 教 授 が 企 て ら れ た が 完 成 に 至 ら す し て 逝 去 さ れ、 そ の 後 縫 者Von Glasenp 教 授 等 に 依 て そ の 遺 稿 の 一 部 が 出 版 さ れ て ゐ る。
他 に 全 繹 で な く し て 研 究 し た 學 者 は 多 く、 ウ ィ ン テ ル ニ ソ ツ 印 度 佛 教 文 學 史 ( 中 野 議 照 澤 高 楠 博 士 校 註
)
を
見
れ
ば
明
で あ る が 最 近 日 本 で も 少 肚 有 爲 の 學 者 に よ り 各 異 れ る 立 場 か ら 本 典 の 研 究 は 進 め ら れ て 居 る。 久 野 芳隆
學
士
(
豊 山 派 東 大 出 勇は
我
國
梵
語
學
界
の
誉
宿
に
し
て
ロ
イ
マ
ン
博
士
の
佛
教
梵
語
方
面
の
後
嗣
者
た
る
我
が
文
學
博
士
ド ク ト ル 荻 原 雲 來 先 生 に 就 き、 李 等 通 昭 學 士 は 故 木 村 泰 賢 敢 授 と 共 に 各 特 色 あ る 研 究 の 成 果 を 以 て 我 が 學 壇 を 飾 つ て ゐ る。 c、 法 華 経 去 大 正 十 五 年 池 田 澄 達 先 生 の お 骨 折 で 河 口 慧 海 師 西 藏 よ り 請 來 の 善 い 梵 本 が 爲 眞 で 出 版 せ ら れ た。 こ の 一 部 は 池 田 先 生 が 寄 贈 せ ら れ て ロ イ マ ン 先 生 は 非 常 に 戚 謝 せ ら れ る と 共 に 早 速 ヶ ル ン ・ 南 條 版 の 法 華 経 と 比 較 せ ら れ 章 段 を 分 ち 印 刷 本 の 頁 歎 を 加 筆 せ ら れ た が 直 に こ の 河 口 師 請 來 の 梵 本 が こ れ ま で に 發 見 せ ら れ た も の ゝ 中 で 最 も 優 秀 な る も の で あ る こ と を 確 定 せ ら れ、 こ れ に 依 つ て 印 刷 本 を 訂 正 せ ら れ た。 こ れ ま で 印 刷 本 で 不 明 の 箇 慮 も こ の 寓 眞 本 で 明 か と な つ た。 そ れ で 先 生 は ロ シ ァ の 出 版 者 に 忠 告 し て、 第 二 版 を 出 す 時 は こ の 寓 眞 版 と 一 度 よ く 校 合 す る や う に と 申 邊 ら れ た。 尤 も こ の 爲 眞 本 の 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 三恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 四 最 後 の 数 葉 の 腱 は 頁 が 丁 度 逆 に 附 い て ゐ る さ う で 一 寸 注 意 せ ね ば な ら ぬ さ う で あ る。 昨 年 夏 休 八 月 の 一 ヶ 月 は 畏 友、 石 川 海 浮 君、 渡 邊 瑠 宏 君 と 共 に ス イ ス、 バ ー ゼ ル 市 に 官 イ マ ン 先 生 に お 俘 し て 先 生 の 親 戚 の お 宅 で 夏 期 講 習 と し て こ の 法 華 維 中 の 二 十 四 品 (漢 謬 で は 二 十 五 品 ) 魏 音 経 を 議 ん で い た い い た ○ 先 生 は 常 に こ の 寓 眞 本 よ り 正 し い 議 方 を 提 出 せ ら れ た。 街 こ の 丸 一 月 の 間 は 先 生 の 倉 息 で ス イ ス、 チ ュ ー ヅ ヒ 市 の 大 學 敏 授 の マ ヌ ・ ロ イ マ ン 博 士 も 來 ら れ. こ の 親 戚 の 方 の 好 意 で 毎 日 三 度 と も 食 卓 を 同 じ く し 先 生 及 そ の 周 國 の 方 々 と 相 議 の 機 を 與 へ ら れ 滞 隊 中 最 も 楡 快 な 時 で あ つ た。 d、 金 光 明 経 こ の 経 は 本 年、 泉 芳 環 漱 授 (大 谷 一 の 歎 年 間 の 非 常 な る 努 力 に 依 て 世 界 に 於 け る 始 め て の 完 全 な 印 刷 本 と し て 世 に 公 に さ れ た。 我 々 佛 敏 徒 は 師 の 努 力 及 そ の 基 礎 を 作 ら れ た 我 が 南 條 博 士 に 深 く 戚 謝 し て ゐ る と 共 に、 我 が 國 人 の 世 界 的 貢 獄 と し て 大 に 誇 と す る 所 で あ る。 こ れ ま で は 印 度 の 佛 教 聖 典 協 會 本 が あ つ た が 全 部 で な く 又 寓 本 の 儘 で 殆 ど 學 術 的 債 値 の な い も の で あ つ た。 ロ ィ マ ン 先 生 も 亦 先 き に こ の 経 を 必 要 に 癒 じ 見 ら れ た こ と も あ る の で 泉 敷 授 の 業 に 非 常 に 興 味 を 持 ち、 自 身 の 調 べ て あ つ た 一 部 に つ き 同 敢 授 に 意 見 を 述 べ ら れ た 位 で こ の 新 し い 美 し い 本 を 見 ら れ た ら ど の 位 喜 ば れ た こ と で あ ら う e、 桝 迦 経 こ れ も 南 條 博 士 及 泉 教 授 の 協 力 に 成 右 も の で ロ イ マ ン 先 生 も 熟 心 に 研 究 せ ら れ、 註 は 先 生 所 有 の 本
に 一 杯 書 か れ て あ つ た。 言 語 學 的 立 場 か ら の も の で も し こ れ が 公 に せ ら れ た な ら ば ど の 位 世 を 盆 す る こ と で あ ら う。 こ れ も 若 し 日 本 入 で 護 み た い 人 が あ つ た ら 徹 底 的 に 研 究 し て 見 た い と 希 望 し て 居 ら れ た。 f、 般 若 経 こ れ も 一 寸 一 昨 年 の 夏 休 に 讃 ま れ た。 こ れ は 荻 原 先 生 の 實 習 梵 語 學 に 出 て ゐ る 部 分 に 過 ぎ な か つ た が そ の 研 究 法 の 徹 底 し て ゐ る 黙 は 大 に 學 ぶ べ き も の が あ つ た。 そ の 他 折 に ふ れ 必 要 に 癒 じ て 見 ら れ た も の は 撒 知 れ す、 佛 激 梵 語 の も の で 目 を 蓮 さ れ ぬ も の は 一 つ も な か つ た の で あ る。 我 々 佛 激 徒 は 甚 だ お 恥 し い 次 第 で あ る。 4、 北 方 ア ー リ ア 語 先 生 は 何 を や ら れ て も 研 究 は 徹 底 的 で そ の 成 果 は 不 朽 の も の ゝ み で あ つ た。 尤 も 自 ら の 研 究 に 依 り 後 更 に 訂 正 さ れ た も の は 多 く 研 究 の 遊 歩 の 跡 は 一 度 先 生 の 綾 訂 用 本 を 見 た 人 に は 直 に 察 せ ら れ る。 そ の 他 自 著 は 必 ず 一 本 を 机 上 に 備 へ 機 を 移 さ す 書 込 ま れ た。 し か し 先 生 が 學 界 に 極 て 濁 特 の 地 位 を 占 め て 居 ら れ る の は、 何 と い つ て も こ の 北 方 ア ー ジ ァ 語 の 研 究 で あ る、 イ、 北 方 ア ー リ ァ 語 と は 何 ぞ。 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 五
恩 師 ロ イ ヤ ン 教 授 一 三 六 古 の 西 域 の 地 に は タ ク ラ マ カ ン の 沙 漠 を 挾 ん で 南 北 の 貿 易 路 が あ り、 東 に 支 那 と 西 に 印 度 又 は 欧 洲 と の 交 通 の 要 衝 に 當 り、 そ の 土 地 臼 身 も 今 日 の 如 く 荒 磨 し て ゐ な か つ た の で 文 化 榮 え 佛 数 も 行 は れ た 佛 殺 が 印 度 か ら 支 那 に 傳 る と き 種 々 の 意 味 で 仲 綴 を し た。 然 る に 幾 多 の 戦 観 を 歴 て 民 族 の 死 滅 す る も の も あ り、 そ の 文 化 も 亡 び 言 語 も 世 に 忘 れ ら れ る に 至 つ た。 そ れ が 最 近 中 亜 發 掘 の 機 運 動 き 各 國 は 競 つ て 探 槍 隊 を 涙 し て 古 い 寓 本 を 本 國 に 蓮 び 去 つ た。 そ の と き 初 め て 先 に 失 は れ た 死 語 の 存 在 が 發 見 さ れ た が 一 九 〇 七 年 の 頃 迄 は 文 字 さ へ 讃 め な か つ た (著 書 15 p. 10. )。 ロ イ マ ン 先 生 の 研 究 に 從 事 さ れ た の は こ の 漠 南 の 新 語 で あ つ た が そ の 丈 字 の 判 譲 よ り 始 め て 次 第 に 深 く 研 究 し 詩 韻 學 に 依 れ る 研 究 と 相 挨 ち 遽 に 完 成 の 域 に も た ら し た。 こ の 語 は 本 來 イ ラ ン 語 (西 ア ー ソ ァ 語 ) に 近 い が 佛 敢 文 化 の 影 響 で 梵 語 (束 ア ー り 語 ) の 借 用 語 を 多 分 に 含 ん で ゐ る。 地 理 上 北 に 位 す る が 故 に ロ イ マ ン 先 生 は 北 方 ア ー リ ァ 語 と 名 り た の で あ る。 北 方 ア ー ソ ァ 語 が イ ラ ン 語 及 梵 語 に 對 す る 地 位 は 英 語 が ド イ ッ 語 及 フ ラ ン ス 語 に 封 す る 地 位 と 似 て ゐ る。 師 英 語 は 本 來 ド ィ ッ 語 の 系 統 で あ る が フ ラ ン ス 語 よ り 多 く の 借 用 語 を 有 し て ゐ る。 ロ、 ド ク ト ル 渡 邊 海 旭 先 生 の 功 績 北 方 ア ー ソ ァ 語 の 文 化 は 帥 佛 教 の も の が 多 い。 從 っ て 佛 敏 的 知 識 を 十 分 に 鷹 用 す る こ と が こ の 新 語 の 研 究 に 絶 對 鳶 必 要 で あ る。 そ の 頃 ス ト ラ ス ブ ル グ で 先 生 の 下 に 在 學 中 で あ ら れ た 渡 邊 海 旭 先 生 は こ
の 漢 課 佛 典 を 猫 課 し コ イ マ ン 先 生 畢 生 の 事 業 を 可 能 な ら し め た。 こ の 援 助 な か り せ ば 北 方 ア ー リ ァ 語 の 研 究 も 完 成 す る こ と は 實 は 至 難 の こ と で あ つ た。 ロ イ マ ン 先 生 も こ の 功 績 を 認 め ら れ 一 九 一 二 年、 理 趣 経 を 含 む 著 書 は 戚 謝 を 以 つ て 宮 時 の 弟 子 渡 邊 先 生 に 獄 げ ら れ た。 日、
Den Freunden C. S. und Kaikioku Watanade in
Dankbareit g ewidmet. 渡 邊 先 生 が そ の 流 暢 自 在 な る ド イ ッ 語 で 漢 繹 佛 典 を 濁 繹 せ ら れ た 時、 ロ イ マ ン 先 生 は、 ﹁ た い 遽 記 者 の 如 く 側 に 坐 つ て 一 生 懸 命 に 書 取 つ た が 渡 邊 敏 授 が 飴 り に 早 い の で こ の 通 り 字 が き た な い ﹂ と 云 つ て そ
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で 文 字 は 實 に 美 し く 一 糸 働 れ ぬ 筆 蹟 の 持 主 で あ つ た が こ の 時 の み は 例 外 で あ つ た。 又 先 年 恩 師 荻 原 雲 來 博 士 の 遺 暦 記 念 論 文 集 に も 執 筆 せ ら れ た が こ れ は 荻 原 博 士 及 ド ク ト ル 渡 邊 爾 先 生 に 獄 げ ら れ た も の で あ る こ と は そ の 序 文 に 伺 は れ る。 P rof. Watanbe is the best Japane schoar
と は 先 生 が 常 に 口 に せ あ れ た 言 葉 で あ つ た。 ハ、 發 表 a、 ド イ ツ 東 洋 學 雑 誌 一 九 ○ 七 及 八 年 ︹ 著 書 11 ︺ こ れ に 北 方 ア ー リ ァ 語 に 關 す る 始 め て の 研 究 結 果 を 發 表 し、 b、 北 方 ア、 ソ ァ 語 及 そ の 文 學、 序、 四 論 文 並 語 彙 一 九 一 二 年 ︹ 著 書 13 ︺ 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 七
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 八 こ れ に 始 め て の 力 作 を 發 表 さ れ た。 こ の 本 は 邸 渡 邊 先 生 に 戚 謝 を 以 っ て 献 げ ら れ た も の で あ る。 爾 こ れ に は 金 剛 般 若 ・ 無 量 壽 陀 羅 尼 の 断 片 が あ る が 特 に 眞 言 宗 徒 の 爲 に 重 要 で あ る こ と は こ の 中 に 殆 ど 完 全 な る 理 趣 経 梵 本 を 含 ん で ゐ る こ と で こ れ で 始 め て 本 経 の 梵 本 が 世 に 公 に さ れ た。 先 年 我 宗 の 碩 學 栂 尾 激 授 が 出 さ れ た も の は 師 こ れ に 擦 れ る も の で あ る。 こ の 経 に は 北 方 ア ー ジ ァ 語 の 流 通 分 が 各 段 の 間 に 挿 ま れ て ゐ る が そ れ は 先 年 荻 原 博 士 遺 暦 記 念 論 文 集 に 先 生 自 身 濁 鐸 ぜ ら れ 語 彙 も 附 い て ゐ る ︹ 著 書 19 ︺。 (荻 原 先 生 は 是 の 恩 師 の 好 意 に 酬 い ん が 爲 そ の 力 作 ﹁ 菩 薩 地 ﹂ 梵 本Bodisatvabhui 1930. を イ マ ン 先 生 に 厭 げ ら れ た。 ) c、 ﹁ 彌 勒 會 ﹂ 一 九 一 九 年 ︹ 著 書 15 ︺ こ れ は 彌 勒 佛 の 出 世 を 待 ち、 彌 勒 佛 に 會 ふ 佛 教 徒 の 理 想 を 表 は せ る 北 方 ア ー ソ ァ 語 の 経 を 主 と し、 そ れ に 濁 鐸 を 加 へ、 更 に 梵 巴 及 漢 謬 中 の そ れ に 相 當 す る も の を 集 め た も の で あ る。 こ の 漢 繹 よ り せ る 獅 課 は 帥 渡 邊 先 生 の 目 課 に な る も の で、 ロ イ マ ン 先 生 が 速 記 者 の 如 く 書 取 つ た も の で あ つ た。 こ の 彌 勒 思 想 に 對 す る 先 生 の 興 味 は 盛 な も の で 先 生 の 知 人 E m il A b eg 氏 が Der M esiglabe in Inden und
Ian, Berlin und
L eipzg, Water de Grter & Co. 1928. を 先 生 の 下 に 邊 ら れ た と き 私 は 石 橋 智 信 博 士 が 同 じ や う な 興 味 を 持 つ て 居 ら れ る こ と を 告 げ た。 尚 こ の 書 に 依 て 一 九 二 八 年 夏 學 期 我 が 干 潟 龍 詳 教 授 (九 大 ) は 先 生 よ り 北 方 ア ー リ ア 語 の 衣 鉢 を 嗣 が れ た。
d、 佛 教 文 學、 北 方 ア ー リ ァ 証 陶 及 濁 議、 第 一 ・ 副 雄桶 一 九 二 〇 年 ︹ 著 堂 日 16 ︺ こ の 中 に は 維 摩 経、 金 光 明 経 の 断 片 も あ る。 こ れ が 先 生 の 北 方 ア ー ソ ァ 語 研 究 の 發 表 せ る も の ゝ 最 後 で あ る が 爾 來 纒 め て を ら れ た 第 二 主 篇 は 已 に 完 成 し て ゐ た 筈 で あ る が 今 の 所 發 表 さ れ て ゐ な い。 e、 新 し き 詩 韻 論 一 九 二 〇 年 ︹著 書 17 ︺ 北 方 ア ー リ ァ 語 の 韻 律 と ギ リ シ ヤ 詩 よ り 欧 洲 に 用 い ら れ た も の と の 比 較 研 究。 三、 人 間 と し て の 博 士 先 生 は 徹 底 的 に 言 語 學 を 以 つ て 終 始 し た 人 で そ の 後 雫 生 は 全 く 北 方 ア ー リ ァ 語 及 び そ の 内 容 た る 佛 教 経 典 の 研 究 に 捧 げ ら れ た。 先 生 は 先 づ 北 方 ア ー リ ァ 語 の 文 學 に 特 有 の 韻 律 を 發 見 し、 そ の 研 究 と 相 侯 つ て 言 語 の 研 究 を 進 め ら れ た が、 こ の 韻 律 の 研 究 は 藪 學 的 頭 騰 の 所 有 者 で あ る こ と を 必 要 と す る。 ︹ 著 書17 序 ︺ 1、 數 學 ︹ 著 書 23 p. 51. ︺ 数 學 は 最 も 得 意 な も の ゝ 一 で 中 學 生 と し て 已 に 公 式 を 發 見 さ れ た。 こ れ は 昨 夏 八 月 先 生 の お 伴 し て 畏 友 石 川 海 浮 君、 渡 邊 昭 宏 君 と 共 に バ ー ぜ ル に 客 と な つ た 璽 先 生 自 身 か ら 話 さ れ た も の で あ つ た。 私 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 三 九
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 〇 の 記 憶 に し て 誤 な け れ ば 師 次 の 如 き も の で あ る。 I3 + 2 3 + 33 + ⋮ + n3= ( I + 2 + 3 + ⋮ + n ) 2 2、 書 樂 ︹ 著 書 23 p. 13 & 3 7. ︺ 韻 律 は 国 示 し て 目 で 勘 定 し て こ れ が 何 の 韻 律 で あ る と 定 め る や う で は 物 に な ら ぬ の で、 耳 で 聞 い て 直 に 不 規 則 が 自 ら 耳 を 悔 ま す 程 で な け れ ば な ら ぬ、 先 生 は 實 に こ の 域 に 達 し て ゐ た。 一 般 に ド ィ ッ 義 は 目 に 訴 へ る 色 彩 戚 よ り も 耳 で 聞 く 音 戚 が 發 達 し て ゐ る や う に 思 は れ る ( 日 本 人 は 丁 度 そ の 正 反 謝 ) が 先 生 は 特 七 耳 が 發 達 し て を ら れ た。 そ れ は 中 學 時 代 か ら 音 樂 に 親 し ん だ か ら で、 先 生 は ス ト ラ ス ブ ル グ 時 代 に は 京 都 の 高 田 と い ふ 入 に ピ ア ノ を 敏 授 さ れ た さ う で あ る。 又 先 年 ( 一 九 二 九 年 十 一 月 十 三 日 ) 先 立 た れ た 夫 人 は 實 に 天 才 的 ピ ァ ニ ス ト で、 べ 川 リ ン 音 樂 學 稜 を 出 ら れ た 方 で あ つ た。 3、 聲 樂 先 生 は ピ ア ノ よ り も 歌 ふ の が 上 手 で バ ス の 名 手 で あ つ た。 特 に ﹁ 創 造 ﹂ (Schopfung ) を 歌 つ て 大 成 功 を さ れ た こ と も あ つ た。
4、 禮 操 ︹著 書 23 p. 40 ︺ 先 生 は 膿 操 が 好 き で 大 に 得 意 で あ つ た 特 に 機 械 禮 操。 先 づ 一 八 七 四 年 第 十 二 等 賞 散 歩 用 ス テ ソ キ を 始 め と し て 一 八 七 七 年 に は 第 一 等 賞 と し て 族 行 用 鞄 を 貰 つ た、 こ の 鞄 は そ の 後、 到 る 慮 に 随 つ て 英 國 ま で へ も 行 つ た ら し い。 先 生 の 腕 力 の 強 い の は 自 慢 で あ つ た。 中 學 の 時、 休 暇 に 館 る と 隣 の 小 學 校 の 奮 友 に 膿 操 を 激 授 し た が そ の 弟 子 が そ の 地 方 の 禮 操 組 合 を 組 織 し た。 又 ス ト ラ ス ブ ル グ で は 一 八 八 四 -一 九 一 八 の 全 期 を 麺 じ てAltherntnverin を 組 織 し て 盛 に 膿 操 し た。 そ の 勢 で よ く 池 田 澄 達 先 生 ( 東 京 帝 大、 西 藏 語 講 師 ) の 下 宿 へ 來 ら れ る と 乗 つ て 來 ら れ た 自 轄 車 を 三 階 位 ま で 憺 い で 上 つ て 來 ら れ た 乏 い ふ。 5、 圖 豊、 遽 記 文 字 の 王 手 は 文 科 的 の 學 問 に は 特 に 便 利 で、 先 生 は 叉 非 常 に 達 筆 で あ つ た が、 同 時 に 極 め て 正 確 な 字 を 書 か れ た。 文 字 を 書 ー の は 圖 書 を 描 く と 同 じ 技 工 に 薦 す る の で 先 生 は 特 に ツ ク ラ テ ス、 ア ウ グ ス ト ゥ ス、 ナ ポ レ オ ン や ア メ リ ヵ 印 度 人 の 會 長 の 特 長 あ る 頭 を 描 く の が 好 き で あ つ た。 同 時 に 速 記 に 長 じ 中 學 の 終 頃 に は 他 の 生 徒 に ラ テ ン 語 の 外 こ の 遽 記 術 を も 漱 へ た 程 で、 後 ベ ル リ ン 大 學 に 在 る や か の ヴ ン ト の 講 義 が 非 常 に 氣 に 入 り、 全 部 速 記 で 書 き 取 つ た。 そ の ノ ー ト を 先 年 ヴ ン ト の 話 の 出 た と き 見 せ 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 一
恩 師 ロ イ マ ン 教 長 一 四 二 ら れ た が、 清 書 し た の だ ら う と 皆 が 云 つ た 位 に 美 し い も の で あ つ た。 6、 衛 生 先 生 は 身 騰 も 張 健 で、 極 め て 頑 丈 で あ ら れ、 あ の 昔 に 己 に 一 大 ス ポ ー ツ マ ン で あ つ た が、 健 康 に は 極 め て 敏 戚 で 意 志 が 強 固 で あ ら れ た。 禁 酒、 禁 煙 は 勿 論 の こ と、 コ ー ヒ ー、 茶 等 は 心 臓 を 刺 戟 す る と い ふ の で、 常 に 牛 乳 を 飲 ん で 居 ら れ た。 し か し 他 人 に は 何 も 止 め な か つ た が、 煙 草 を 研 究 室 で 喫 ふ こ と は 非 常 に 嫌 は れ た。 勉 強 を 極 め て 規 則 的 に や り、 夜 九 時 頃 は 定 ま つ た 道 筋 を 常 に 散 歩 さ れ た。 夫 人 の あ ら れ た 頃 は 御 同 俘、 亡 く な ら れ て も 濁 り で 出 ら れ た。 7、 思 ひ 遣 り か く ス ポ ー ッ で 身 を 固 め、 衛 生 を 嚴 守 し て、 殆 ど 病 氣 と い ふ も の を 知 ら 諏 が 他 人 が 病 氣 に な る と 何 を 措 い て も 見 舞 に 來 ら れ た。 我 々 の 如 き 弟 子 は 誰 で も そ の 病 床 に 直 に 來 訪 せ ら れ る の が 常 で、 ド イ ツ の 如 く 大 學 数 授 が 一 般 に 非 常 な 畏 敬 の 眼 を 以 つ て 見 ら る ゝ 地 で は 殆 ど 例 の な い こ と で あ る さ う で 皆 驚 い て ゐ た。 世 の 習 慣 や、 し き た り な ど に 必 す し も 拘 泥 せ ぬ の が、 先 生 の 基 本 性 の 一 で あ る が そ れ は 先 生 の 人 生 観 に も 伺 は れ る。
8、 宗 教 ︹著 書 23 p. 36. ︺ 先 生 は 自 由 思 想 を 執 り、 覇 氣 満 々 で 意 志 強 固 で あ る。 筍 く も 從 ふ こ と は し な い。 先 生 は 牧 師 の 子 で 母 は 牧 師 と な る こ と を 希 望 し た、 し か し ど う し て も キ リ ス ト 駿 か ら 離 れ て 行 く の で 母 は 父 に 向 つ て、 ﹁ 貴 下 は 彼 を 自 然 の ま ゝ に ふ と ら し す ぎ た ﹂ と い つ て 抗 議 し た こ と さ へ あ つ た。 こ の 問 題 に 直 面 し て や は り 煩 悶 が 起 き た の で 圖 書 館 に 入 つ て は 哲 學 書 に 護 み 耽 つ た。 後 に ヅ ン ト の 講 義 も 聞 い た。 雑 誌 ﹁ 倫 理 的 文 化 ﹂ を と り、 更 に パ ウ ル ぜ ン の 哲 學 概 論 を 讃 み、 非 常 に 氣 に 入 つ た。 こ の 方 面 の 考 を 述 べ た も の は ﹁ 宗 殺 と 大 學 ﹂ ︹ 著 書 20 ︺ で あ る。 先 生 は 帥 自 由 思 想 家 で 又 そ の 實 行 者 で あ つ た。 先 生 の 理 想 は 家 庭 生 活 が そ の ま ゝ 宗 教 生 活 で あ り、 夫 は 僧 で あ り 妻 は 女 僧 で あ る と 云 ふ に 在 る。 こ れ は 家 庭 経 に 表 は れ て 居 る イ ン ド ・ ア ー リ ア ン の 形 式 に 近 い も の で あ ら う。 そ れ で 夫 人 の お 葬 式 も 自 ら 圭 宰 し て 告 別 の 僻 を 述 べ ら れ 別 に 坊 さ ん を 頼 ま な い。 尤 も ド イ ッ の お 葬 式 は 音 樂 -そ れ は 先 生 の 御 家 庭 と も 離 れ ぬ も の で あ る が-が 主 で あ る や う で あ つ た。 と も か く 徹 底 し た も の で あ る。 9、 ベ ル タ 叔 母 さ ん (Tante Berta ) の 授 記 ︹ 著 書 23 p. 29, ︺ 職 業 問 題 の 起 つ た と き、 母 は 勿 論 牧 師 に な る べ し と 云 は れ、 或 人 は 中 學 の 先 生 に な つ た ら よ か ら う 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 三
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 四 と 云 つ た。 と こ ろ が こ の 叔 父 さ ん の 奥 さ ん な る ベ ル タ 叔 母 さ ん は ﹁ 何 ? そ れ は お 前 に 十 分 で な い。 お 前 は 大 學 教 授 (Universitatsprofessor ) に な ら ね ば な ら ぬ ﹂ と 云 つ て 激 煽 さ れ た。 そ ん な こ と は 叔 母 さ ん の 外 に は 誰 も 云 つ て く れ な か つ た と 先 生 は 喜 ん で を ら れ た。 ︹ 著 書 23 参 照 ︺ 10、 勤 勉 先 生 は 天 才 的 の 頭 騰 を 持 ち、 健 康 で し か も 珍 ら し い 勉 強 家 で 日 曜 祭 日 を 問 は す 朝 は 九 時 よ り 午 後 一 時 迄、 午 後 は 三 時 よ り 七 時 迄、 春 秋 を 分 た す 研 究 室 に 在 て 倦 む こ と を 知 ら な か つ た。 冬 に な る と 日 本 よ う も す つ と 早 く 日 が 暮 れ、 大 抵 の 研 究 室 は 眞 暗 で あ る の に 先 生 の 部 屋 の み は 常 に 煤 々 と 燈 火 が つ い て ゐ た。 11、 教 育 法 先 生 は 人 の 才 能 個 性 を 知 り、 入 に 慮 じ た 漱 育 を せ ら れ た。 同 じ 梵 文 法 を 議 義 し て も 度 々 そ の 内 容 は 異 る。 ギ リ シ ヤ ・ ラ プ ン の 古 典 語 の 素 養 あ る 人 々 に は そ の 知 識 を 活 か し 學 生 自 身 が 考 へ る や う に 導 か れ る。 印 度 の み を 中 心 に や る 人 々 に は 無 用 の こ と は 言 は れ 諏。 巴 利 語 や 佛 教 梵 語 を や る も の に は 常 に 梵 語 を 根 幹 と し て 数 へ ら る。 ﹁ 梵 語 は 右 手、 巴 利 語 は 左 手、 左 右 は 協 力 し て 進 む べ き で あ る。 巴 利 の み
を 習 ふ こ と は 不 可 能 の こ と で あ る ﹂ と よ く 諭 さ れ た。 又 不 正 確 を 歓 黙 と す る 我 々 に は 極 め て 嚴 に 警 戒 せ ら れ 一 黙 と 錐 も 忽 に せ す、 誤 り は そ の 場 で 訂 正 し て 了 は ね ば 已 ま ぬ。 こ の 正 誤 の 時 は 一 々 ナ イ フ で 削 ら れ た。 親 切 懇 切 を 極 め た も の で あ つ た。 12、 趣 味 中 學 時 代 に は カ ル タ 遊 び や 將 棋 も や ら れ た。 聲 樂、 ピ ァ ノ、 膿 操 み な 堂 に 入 つ た も の で あ る。 も 一 つ 謎 が 先 生 の 得 意 で あ つ た。 食 事 の 後、 散 歩 の 時 好 ん で 謎 を 考 へ 又 考 へ さ せ た。 日 ﹁ ス フ ィ ン ク ス と ロ イ マ ン (先 生 の 姓 ) と は 何 虚 が 違 ふ か。 ﹂ 答 ﹁ ロ イ マ ン (Lenman<leo + mann 獅 子 ・ 人、 意 味 は 獅 子 の 如 き 人、 梵 語 のnr-simha ) は 頭 が 獅 子 で 尻 が 人、 ス フ ィ ン ク ス は 頭 が 人 で 尻 が 獅 子。 ﹂ そ の 他 R h e
infall, Reinfall; der Kiefer, die Kiefer
を 材 料 と し て、 こ の 二 語 を 答 と し て 提 出 さ せ る や う な 謎。 ど こ ま で も 言 語 學 で あ る。 13、 命 名 こ の 言 語 の 趣 味 は 二 人 の 命 息 の 命 名 に も 伺 ふ こ と が で き る。 長 をHari と い ひ 末 を M anu と い ひ、 皆 梵 語 の 固 有 名 詞。 ハ リ 氏 は カ ッ セ ル 中 學 のStudienrat (日 本 の 高 等 學 校 勅 任 待 遇 に 宮 る )。 マ ヌ 氏 は チ ュ ー ジ ヒ 大 學 教 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 五
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 六 授 で 勿 論 梵 語 も 大 家 で あ る が 特 に ギ リ シ ヤ、 ラ テ ン を 主 と し た 言 語 學 者。 14、 公 私 の 厘 別 こ れ は 嚴 別 さ れ た。 私 用 で 差 支 あ つ て 業 を 休 ま れ た と き は 必 す 次 の 日 (時 に は 日 曜 日 ) に 補 歓 の 時 間 を く れ る。 一 昨 年 夫 人 の 逝 去 の 時 も 我 々 に は 一 口 も 洩 さ な い。 他 の 人 か ら 聞 い て 漸 く 花 環 が お 葬 式 に 間 に 合 つ た 位 で、 亡 く な ら れ た 日 (水 ) と 翌 々 日 の お 葬 式 の 日 ( 金 ) と を 休 ま れ た の で そ の 中 間 の 日 (木 ) に は い つ も と 墾 な く 授 業 せ ら れ た。 し か も お 葬 式 の 日 の 時 間 は 日 曜 日 に 補 ふ と さ へ 云 は れ た が お 断 り 申 し た 位 で そ れ で も ﹁ 入 は ど ん な こ と が あ つ て も 李 常 と 墾 っ て は い か ぬ、 職 務 に 忠 で な け れ ば な ら 繊 で は な い か ﹂ と い つ て 笑 顔 さ へ 見 せ ら れ た が 命 息 た ち に 忠 言 さ れ て 漸 く 月 曜 日 に す る こ と ゝ さ れ た。 ま る で 日 本 人 の や う で、 外 國 で は 到 底 こ ん な 例 が な い と 云 つ て よ い 位 で あ る。 15、 諸 行 無 常 の 腱 験 先 生 は 奮 圏 の 一 生 を 緩 ら れ た。 し か し 萬 事 成 功 し. 戦 孚 に 依 る の 外 不 幸 と い ふ も の を 経 験 せ ら れ な か つ た。 所 が こ の 大 不 幸 に 遺 つ た。 夫 婦 は 二 世 の 契 と 我 国 で も 云 ふ が 西 洋 人 に 取 つ て 最 愛 の 妻 に 別 れ る 以 上 の 不 幸 は な い。 先 生 は こ の 萬 世 愛 ち ぬ 大 格 言 を 身 に 浸 み て 戚 せ ら れ た。 一 昨 年 の 秋 で あ つ 旋。
先
生
の
愛
弟
子
の
一
入
若
井
信
玄
君
(
大 正 大 學 司 書 ) か ら 三 寳 章 と い ふ 銀 メ ダ ル を 先 生 に 贈 ら れ た。 表 に は 佛 正 畳 の 浄 彫、 裏 に は 法 輪、 そ の 輪 上 に は 梵 語 で 三 法 印 が 刻 ま れ で、 ゐ る。 こ れ が 丁 度 奥 様 が 亡 く な ら れ る す ぐ 前 に 到 着 し た。 先 生 は 限 な き 悲 し み を 胸 に 秘 し こ の 句 を し み じ み と 昧 ひ ﹁ 北 方 ア ー ソ ァ 語 に も 同 様 の 句 が あ る ﹂ と て、 私 に 寓 し て 下 さ つ た。 そ し て こ の 無 常 の 偶 を 受 持、 讃 論、 作 意、 思 惟、 自 書、 激 他 書 せ ら れ た。 a、 三 寳 章 の 梵 文 (荻 原 博 士 選 ) b、 北 方 ア ー リ ァ 語 の も のSrtophe XXII 101︹ 著 書 15 p. 64 & 7 9 ︺ c、 そ の 梵 鐸 ( ロ イ マ ン 先 生 の せ ら れ た る も の ) 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 七恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 八 所 が 今 や こ の 同 じ 無 常 の 頚 を 私 が し み じ み 味 ふ 日 と な つ た。 今 年 一 月 十 六 ハ 日 お 別 れ し た と き は 實 に 元 氣 ら し い 温 顔 に 微 笑 を 堪 へ ら れ 再 會 の 日 あ ら ん こ と を 所 つ て 下 さ つ た の で あ つ た が 先 生 自 身 ﹁ 忘 れ ら れ ぬ 人 々Unvergessene ︹ 著 書 22 ︺ ﹂ 中 の 人 と な つ て 了 は れ た へ、 弦 に 謹 ん で 恩 師 の 冥 福 を 所 る 次 第 で あ る。 ( 昭 和 六 年 七 月 三 日 高 野 山 吉 光 庵 に て 記 ず。 ) 附 著 書 目 録 I. 1. 2. 3.
4. 5. 6. 7. 8. 9. 1 0. 恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 四 九
恩 師 ロ イ マ ン 教 授 一 五 〇 1 1. 1 2. 1 3. 1 4 1 5. 1 6. 1 7.
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