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密教研究 Vol. 1927 No. 25 001小野 玄妙「弘法大師以前の密教芸術――特に大分の石佛に就いて ―― P1-32」

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(特

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小 野 玄 妙 一 序 言 弘 法 大 師 は 日 本 眞 言 宗 の 開 祖 で あ る 。 申 す 迄 も な く わ が 國 の 眞 言 宗 は 李 安 朝 に 入 つ て 始 め て 弘 法 大 師 に 由 つ て 立 教 開 宗 を 見 且 つ 傳 弘 さ れ た の で あ る 。 之 が 爲 め に 、 眞 言 密 教 と い へ ば 、 凡 て が 弘 法 大 師 の 傳 承 す る 所 の も の で あ る と 誤 解 し て ゐ る 人 も 尠 な く な い 。 併 か し そ の 實 は 、 一 宗 の 開 立 は 弘 法 大 師 に 由 つ て 創 め ら れ た が 、 密 教 そ の も の は 、 夙 に 大 師 以 前 奈 良 朝 の 初 期 か ら 經 典 も 圖 像 も 倶 に 傳 道 さ れ て ゐ た の で あ つ て 、 現 に 大 日 經 、 金 剛 頂 經 ( 略 出 經 )等 は 、 天 平 時 代 の 優 秀 な 寫 經 が 殘 つ て 居 り 、 圖 像 亦 、 千 手 、 十 一 面 、 不 空 羂 索 , 馬 頭 等 の 諸 尊 像 の 遺 存 す る も の も あ り 、 傳 教 の 人 と し て は 大 安 寺 道 慈 律 師 、 同 慶 俊 僧 都 な ど の 名 が 傳 は つ て ゐ る 。 本 來 大 安 寺 系 の 出 身 で あ る 弘 法 大 師 に 由 つ て 、 大 佛 頂 首 楞 嚴 經 問 題 、 釋 摩 訶 衍 論 問 題 な ど が 動 機 と な り 、 そ の 入 唐 求 法 の 結 果 、 計 ら す も 多 數 秘 密 經 軌 の 請 來 を 見 、 遂 に 眞 言 一 宗 の 立 教 を 致 さ し め た こ と は 、 歴 史 的 事 實 と し て 決 し て 偶 然 の 出 來 事 で な い 。 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 斯 の 様 な 譯 で あ る か ら 、 密 教 及 び 密 教 藝 術 に 關 し て 研 究 を 要 す る 問 題 は 、 弘 法 大 師 以 前 に 遡 っ て 相 當 に 複 雜 な 事 項 が 澤 山 に 伏 在 し て ゐ る の で あ る 。 而 し て 這 の 種 の 諸 問 題 に 就 き 、 私 と し て は 、 既 に 多 少 の 卑 見 を 披 陳 し たこ と は あ る が 、 ま だ 具 體 的 研 究 に 着 手 す る ま で に は 至 っ て 居 な い 。 今 回 は そ の 中 特 に 大 分 佐 賀 兩 縣 下 等 に 散 在 す る 密 教 關 係 の 石 彫 佛 像 に つ い て 一 言 し や う と 思 ふ の で あ る が 、 此 は 同 じ 密 教 藝 術 と い つ て も 、 奈 良 地 方 を 中 心 と す る 中 央 教 界 の も の と 異 つ て 、 特 殊 の 歴 史 と 内 容 を 有 す る も の で あ る 。 從 て 之 が 研 究 に 就 い て は 、 通 り 一 遍 の 考 察 で ゆ か ぬ 所 が あ る 。 何 と な れ ば 、 若 し 大 分 の 諸 像 が 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 と し て 、 奈 良 時 代 に 於 け る 奈 良 地 方 の 造 像 と 相 一 致 す る も の な ら ば 、 元 よ り 問 題 は な い 。 そ れ か ら 又 、 大 師 と 同 時 又 は そ れ 以 後 の も の と 合 體 す る も の な ら ば 、 是 れ 亦 異 議 を 挾 む べ き で 無 い 。 處 が 、 此 の 兩 者 の 孰 れ に も 隷 屬 し な い と こ ろ に 、 或 る 特 殊 の 密 教 藝 術 と し て の 大 分 諸 像 獨 自 の 問 題 が あ り 、 研 究 考 證 上 の 困 難 が あ る 。 實 の 處 を 申 上 げ る と 、 私 は 今 大 分 等 に 現 存 す る 密 教 關 係 の 諸 像 の 或 部 分 を 弘 法 大 師 以 前 の 造 顯 と 推 案 す る の で あ る が 、 此 の 推 案 が 果 し て 允 當 な も の で あ る か ど う か と い ふ こ と は 更 に 再 詳 審 議 の 餘 地 が あ る の で あ つ て 、 最 後 の 斷 定 を 下 す ま で に は 、 猶 ほ 幾 つ か の 難 問 題 を 解 決 し な く て は な ら ぬ 。 そ れ で 今 私 か 此 の 小 稿 を 起 草 し た 主 な る 目 的 は 、 敢 て 大 分 等 に 遺 存 す る 密 教 關 係 の 彫 像 に つ き 、 自 か ら 進 で 之 を 説 明 し や り と 試 む る の で は 無 く て 、 寧 ろ 私 が 是 れ 等 の 造 設 を 弘 法 大 師 以 前 の も の と 推 案 す る こ と

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が 、 一 般 相 承 の 密 教 々 學 の 上 か ら 見 て 過 誤 な き や 否 や を 、 斯 學 の 先 輩 諸 氏 に 向 つ て 教 示 を 仰 が う と す る の で あ る 。 そ れ に は 説 明 の 順 序 と し て は 、 大 分 佐 賀 兩 縣 下 に 遺 存 す る 密 教 關 係 諸 尊 像 の 所 在 地 及 び 種 類 を 明 し 、 次 に そ れ 等 諸 尊 像 の 形 像 並 に 造 式 を 説 き 、 次 に 特 に 熊 野 山 大 佛 寺 圓 光 上 邊 の 三 幀 の 曼 奈 羅 を 紹 介 し 、 最 後 に 卑 見 の 一 端 を 述 べ よ う と 思 ふ 。 二 大 分 佐 賀 兩 縣 下 の 密 教 佛 像 大 分 佐 賀 の 兩 縣 下 に 遺 存 す る 密 教 關 係 の 佛 像 は 、 相 當 な 數 に 達 し て ゐ る 。 其 圭 な る 尊 像 は 、 大 日 如 來 、 金 剛 界 五 佛 ( ? ) 、 十 一 面 、 千 手 、 如 意 輪 、 馬 頭 、 不 空 羂 索 等 の 諸 觀 音 、 不 動 、 大 威 徳 等 の 諸 明 王 並 に 四 幀 の 種 子 曼 荼 羅 等 で あ る 。 今 そ の 主 要 尊 像 の 所 在 地 を 記 す れ ば 左 の 如 く で あ る 。 (1) 大 日 如 來 像 一 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 熊 野 熊 野 神 社 境 内 、 不 動 明 王 と 左 右 相 封 し て 奉 安 せ ら る 。 今 は 胸 部 已 下 壊 損 し て 印 相 坐 相 等 を 知 る に 由 な き も 、 そ の 胸 部 ま で だ け で 約 二 丈 八 尺 あ る 所 か ら 見 る と 、 奈 良 東 大 寺 の 盧 舎 那 大 佛 と 同 大 の 大 佛 で あ つ た も の と 察 せ ら れ る 。 螺 髪 佛 形 で 手 印 は 定 印 で あ つ た ら し く 、 圓 光 の 上 邊 に 三 幀 の 種 子 曼 荼 羅 が 鐫 刻 し て あ る 。 大 日 如 來 と い へ ば 、 我 國 に 行 は る る 一 般 の 尊 像 は 、 孰 れ も 淨 居 天 成 道 の 儀 相 と し て の 寳 冠 天 衣 を 着 け た 天 形 で あ る が 、 此 の 大 分 縣 下 に 遺 存 す る も の ゝ 中 に は 此 の 一 般 の 寳 冠 天 衣 の 形 像 の ほ か に 、 今 の 如 き 螺 髪 佛 形 の も の と 、 そ の 他 更 に 衣 冠 束 帶 の 神 形 の も 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 三

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 四 つ と が あ る 。 二 、 大 分 縣 大 野 郡 南 緒 方 村 字 宮 迫 、 不 動 明 王 及 び 尊 名 未 詳 の 天 等 を 脇 士 と し て 奉 安 せ ら る 。 坐 像 高 八 尺 二 寸 、 螺 髪 佛 形 で 、 右 手 施 願 左 手 施 無 畏 の 通 印 の 相 を し て ゐ ら れ る 。 之 を 大 日 如 來 と す る は 口 碑 の 説 で あ る 。 三 、 大 分 縣 大 分 郡 東 植 田 村 高 瀬 字 岡 、 五 尊 像 の 中 の 中 尊 で 、 左 脇 向 つ て 右 に は 如 意 輪 觀 音 、 及 び 馬 頭 觀 音 、 右 脇 に は 大 威 徳 明 王 及 び 深 沙 大 將 に 似 た 天 像 を 安 じ て あ る 。 坐 像 、 高 さ 四 尺 五 寸 、 御 頭 の 寳 冠 は 餘 り は つ き り と は 殘 て ゐ な い が 冠繒 の 一 部 が 垂 れ て 居 り 手 部 は 破 損 し て ゐ る が 、 恐 ら く 定 印 で あ つ た ら う と 思 は る ゝ 所 か ら 見 て 、 大 體 に 於 て 胎 藏 界 の 大 日 如 來 に 擬 す べ き も の と 考 へ ら れ る 。 四 、 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 深 田 大 日 山 、 十 三 尊 の 中 の 中 尊 で あ る 。 そ の 左 右 脇 侍 と し て 四 佛 、 四 菩 薩 、 二 明 王 、 二 天 の 十 二 像 が 奉 安 さ れ て あ る 。 既 に 御 頭 を 始 め 全 前 墜 落 し て 地 に 委 し て ゐ る が 、 そ の 御 頭 に は 前 の 高 瀬 の 像 と 同 じ く 冠繒 の 一 部 が 殘 つ て ゐ る の で 、 普 通 の 寳 冠 天 衣 形 の 尊 像 で あ る こ と が 判 か る 。 し か も そ れ が 金 胎 兩 部 孰 れ の 大 日 で あ る か に つ い て は 、 そ の 岩 壁 の 殘 つ た 痕 跡 か ら 見 る と 、 恐 ら く 智 拳 印 の 金 剛 界 の 大 日 如 來 で あ つ た ら う と 思 ふ 。 五 、 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 前 田 字 門 前 、 二 菩 薩 、 多 聞 天 、 不 動 三 尊 を 左 右 脇 侍 と し そ の 中 尊 と し て 造 顯 せ ら れ て あ る 。 垂 像 高 約 七 尺 八 寸 、 風 化 破 損 甚 だ し く 御 頭 の 寶 冠 の 有 無 な ど 之 を 推 察 す る 由 も な

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い が 、 手 相 は 定 印 の 胎 藏 界 の 大 日 如 來 で あ つ た こ と は 明 か で あ る 。 六 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 金 剛 界 五 佛 の 中 の 中 尊 で 、 坐 像 高 一 尺 八 寸 、 左 右 脇 侍 の 諸 像 と し て は 、 四 佛 の 外 に 六 觀 音 、 六 地 藏 、 不 動 毘 沙 門 の 諸 尊 及 び 法 華 曼 荼 羅 が あ る 。 是 れ は 比 較 的 新 し い 彫 像 で あ つ て 、 像 容 は 普 通 の も の で あ る 。 七 、 大 分 縣 大 野 郡 井 田 村 長 峰 字 大 迫 、 單 な る 一 尊 像 で 別 に 脇 侍 と い つ た や う な も の は 無 い 。 或 は 元 あ つ た ら う か と 考 へ ら る ゝ が 、 何 し ろ 周 邊 の 岩 壁 が 凡 て 崩 潰 し て し ま つ て ゐ る の で 、 之 を 推 考 す べ き 手 が ゝ り も 無 い の で あ る 。 坐 像 、 高 一 丈 四 尺 、 御 頭 に は 寶 冠 が あ り 、 二 手 は 定 印 で あ る 。 是 れ 胎 藏 界 の 大 日 に 擬 す べ き も の で あ る 。 但 し そ の 衣 相 に 就 い て 云 へ ば 、 普 通 の 天 衣 形 と も 異 な り 、 又 佛 形 の 袈 裟 を 着 け た も の と も 同 じ で な い 。 一 見 し て 衣 冠 束 帶 の 神 形 の や う で あ る 。 像 と し て 極 め て 珍 異 の も の で あ る が 、 古 來 之 を 大 日 如 來 と し て 崇 信 し て ゐ る の で あ る 。 八 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 眞 中 字 大 門 、 藥 師 佛 ( ? ) 及 び 毘 沙 門 、 不 動 明 王 の 諸 尊 と も に 造 顯 さ れ て あ る 。 坐 像 、 高 さ 四 尺 八 寸 、 印 相 は 智 拳 印 に 似 て 、 二 手 は 拳 に し て 胸 に 當 て ゝ ゐ る が 、 但 し 左 拳 が 上 に な つ て ゐ る 。 是 れ 亦 螺 髪 佛 形 で あ る 。 此 の 像 を 大 日 如 來 と す る こ と 、 亦 多 少 推 考 の 餘 地 を 存 す る こ と で あ る が 、 螺 髪 形 の 大 日 、 は 前 記 の 如 く 他 に 造 例 が あ り 、 左 拳 を 上 に し た 智 拳 印 亦 支 那 、 朝 鮮 の 造 像 に そ の 例 が あ つ た 事 實 が あ る か ら 、 兎 も 角 も 且 ら く 大 日 如 來 に 擬 し て 置 く 。 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 五

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 六 九 、 大 分 縣 宇 佐 郡 津 房 村 楢 下 、 三 十 餘 體 の 諸 像 の 中 尊 と し て 造 顯 せ ら れ て あ る 。 田 邊 美 術 學 校 教 授 踏 査 撮 影 の 寫 眞 に 依 る に 衣 冠 束 帶 の 神 形 で 、 印 相 は 智 拳 印 の 金 剛 界 の 大 日 如 來 で あ る 。 是 れ は 前 に 擧 げ た 大 野 郡 井 田 の 大 日 如 來 と 一 雙 の も の か と 認 め ら れ る 。 (2) 四 佛 一 、 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 深 田 大 日 山 、 十 三 尊 中 の 主 尊 大 日 如 來 と 併 せ て 五 智 如 來 を な す も の で あ る 。 此 處 の 像 は 全 部 崩 壤 し て 御 頭 ま で も 地 に 委 し て ゐ る の で 形 像 を 知 る こ と が 出 來 ぬ 。 若 し そ の 主 尊 が 金 剛 界 の 大 日 と す れ ば 、 そ の 四 佛 亦 當 然 金 剛 界 の 阿 閤 、 寶 生 、 阿 彌 陀 、 不 空 成 就 の 四 佛 で な け れ ば な ら ぬ が 、 觀 音 、 彌 勒 等 の 四 菩 薩 を 加 へ て 、 胎 藏 界 八 葉 の 四 佛 四 菩 薩 一 具 を な し て ゐ る 所 か ら す れ ば 胎 藏 界 の 寶 幢 、 開 敷 華 王 、 無 量 壽 、 天 皷 雷 音 の や う に 見 う け ら れ ぬ で も な い 。 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 普 通 の 金 剛 界 の 大 日 如 來 を 主 尊 と す る 五 智 如 來 の 隨 一 で あ る 。 坐 像 、 高 さ 一 尺 八 九 寸 そ の 中 の 二 尊 は 既 に 闕 失 し て し ま つ て ゐ る が 、 孰 れ に し て も 金 剛 界 の 四 佛 と し て 見 ら る べ き も の で あ る 。 (3) 十 一 面 觀 音 一 、 大 分 市 豐 府 古 國 府 , 龕 中 十 七 尊 の 右 端 に 造 顯 さ れ て あ る 。 立 像 、 高 七 尺 二 手 倶 に 闕 損 し て ゐ る が 、 そ の 左 手 は 胸 に 當 て 蓮 華 を と り 、 右 手 は 舒 へ て 施 願 の 相 を し て 居 ら れ た も の と 見 ら れ る 。

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二 、 大 分 縣 大 野 郡 菅 尾 村 淺 瀬 字 對 瀬 、 藥 師 、 阿 彌 陀 、 千 手 、 毘 沙 門 の 四 尊 と ゝ も に 造 顯 さ れ て あ る 坐 像 、 高 六 尺 二 寸 、 左 手 は 趺 坐 の 上 で 未 敷 蓮 華 を 持 し 、 右 手 は 舒 べ て 右 膝 の 上 に 伏 せ 數 珠 を 持 し て ゐ る 。 三 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 金 剛 界 五 佛 の 向 つ て 右 方 、 六 觀 音 の 隨 一 で あ る 。 坐 像 高 一 尺 五 寸 、 左 手 は 蓮 、 右 手 は 施 願 の 印 を し て ゐ ら れ る 。 四 、 佐 賀 縣 東 松 浦 郡 相 知 村 相 知 字 和 田 鵜 殿 窟 、 窟 の 中 尊 と し て 、 二 天 及 び 不 動 明 王 等 と と も に 造 顯 さ れ て あ る 。 坐 像 高 二 尺 五 寸 、 二 手 は 合 掌 し て あ る 。 本 尊 と し て 稍 々 な い 感 じ が す る が 、 總 身 の 着 彩 が 完 全 に 殘 つ て ゐ る こ と ゝ 、 そ の 趺 坐 の 兩 足 、 と も に 足 の 甲 を 見 せ た 古 拙 な 造 様 は 、 特 に 人 目 を 惹 か し む る 感 じ か す る 。 猶 ほ 同 所 に は 同 じ 形 像 の 十 一 面 觀 音 が 、 な ほ 一 體 あ る 。 但 し 此 の 分 に 彩 色 は な い 。 五 、 佐 賀 縣 東 松 浦 郡 相 知 村 相 知 字 立 石 、 一 龕 中 に 、 中 央 に 阿 彌 陀 、 向 て 左 に 藥 師 如 來 、 右 に 此 の 十 一 面 觀 音 の 尊 像 が 造 顯 さ れ て あ る 。 立 像 、 高 六 尺 、 二 手 は 胸 に 當 て ゝ 合 掌 し て ゐ ら る ゝ の で あ る 。 六 、 佐 賀 縣 東 松 浦 郡 相 知 村 相 知 字 邊 保 木 、 觀 音 堂 中 に 安 置 さ れ て あ る 。 九 彫 で 立 像 、 高 四 尺 三 寸 、 左 手 は 屈 し て 胸 に 當 て 、 右 手 は 舒 べ て 施 願 の 相 を し て ゐ ら れ る の で あ る 。 (4) 千 手 觀 音 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 七

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 八 一 、 大 分 縣 大 野 郡 菅 尾 村 淺 瀬 字 對 瀬 、 藥 師 、 阿 彌 陀 、 十 一 面 、 毘 沙 門 の 四 尊 と ゝ も に 造 顯 さ れ て あ る 。 坐 像 , 高 六 尺 四 寸 、 十 一 面 四 十 二 臂 、 左 右 の 第 一 手 は 胸 に 當 て 合 掌 し 、 次 の 二 手 は 趺 坐 の 上 に 安 じ 、 左 第 三 手 已 下 は 、 三 戟 、 羂 索 、 軍 持 、 日 輪 、 輪 、 頂 上 化 佛 、 弓 、 躅 體 杖 そ の 他 を 持 し 、 右 第 三 手 已 下 は 錫 杖 、 數 珠 、 胡 瓶 、 施 無 畏 、 化 佛 、 跋 折 羅 、 箭 、 鉞 斧 、 劒 , 紫 蓮 、 青 蓮 、 楊 柳 、 金 剛 杵 そ の 他 を 持 し て ゐ る 。 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 五 智 如 來 の 左 脇 に 六 觀 音 の 一 と し て 造 顯 せ ら れ て あ る 。 坐 像 、 高 一 尺 四 寸 ( 座 共 ) 臂 數 持 物 等 は 破 損 甚 だ し き た め 全 く 不 明 で あ る 。 (5) 如 意 論 觀 音 一 、 大 分 縣 大 分 郡 東 植 田 村 高 瀬 字 岡 、 大 日 如 來 左 脇 侍 の 一 と し て 馬 頭 觀 音 、 大 威 徳 明 王 の 諸 尊 と ゝ も に 造 顯 さ れ て あ る 。 坐 像 、 高 三 尺 九 寸 (廣 共 ) , 六 胃 、 左 第 一 手 は 蓮 華 、 次 手 は 輪 を 持 し 、 次 手 は 地 を 按 じ 、 右 第 一 手 は 思 惟 の 相 、 次 手 は 寶 、 次 手 は 寶 を 持 し て ゐ ら れ る 。 蓮 華 に 坐 し 、 背 に 重 光 が あ る 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 五 智 如 來 の 左 脇 に 六 觀 音 の 隨 一 と し て 造 顯 せ ら れ て あ る 坐 像 、 高 一 尺 四 寸 、 二 臂 、 左 手 は 膝 に 安 じ 、 右 手 は 思 惟 の 相 に 住 し て ゐ ら る ゝ の で あ る 。 (6) 馬 頭 觀 音 一 、 大 分 縣 大 分 郡 東 植 田 村 高 瀬 字 岡 、 前 の 如 意 輪 觀 音 と と も に 大 日 如 來 左 脇 侍 の 一 と し て 造 顯 せ ら

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れ て あ る 。 坐 像 、 高 四 尺 一 寸 ( 座 共 ) 三 面 六 臂 、 頂 上 に 馬 頭 が あ り 、 左 右 第 一 手 は 胸 に 當 て 印 を 結 び 、 左 第 二 手 は 金 剛 杵 、 次 手 は 蓮 華 を 持 し 、 右 第 二 手 は 棒 、 次 手 は 鉞 斧 を 持 し 、 蓮 華 座 に 坐 し 、 背 に 焔 光 が あ る 。 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 五 智 如 來 左 脇 六 觀 音 の 隨 一 、 坐 像 、 高 一 尺 五 寸 、 既 に 破 損 甚 だ し く 持 物 等 は 之 を 詳 に し な い 。 (7) 不 空 羂 索 觀 音 一 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 其 中 字 眞 木 矢 園 、 藥 師 堂 の 中 に 安 置 せ ら れ た 横 約 八 尺 五 寸 、 縦 約 六 尺 五 寸 、 高 約 七 尺 五 寸 の 大 石 の 四 石 に 佛 像 を 鐫 刻 し た そ の 正 面 に 藥 師 彌 陀 釋 迦 の 諸 尊 と ゝ も に 造 顯 し て あ る 。 立 像 、 高 三 尺 、 三 面 八 臂 に て 、 二 手 は 胸 に 當 て 合 掌 し 、 次 の 二 手 は 臍 に 置 き て 掌 を 重 ね 、 左 第 三 手 は 蓮 華 右 第 三 手 は 錫 杖 ( ? ) を 持 し 、 左 右 第 四 手 は 風 蝕 の た め 失 は れ て し ま つ て ゐ る 。 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 、 五 智 如 來 左 脇 六 觀 音 の 一 、 坐 像 、 高 一 尺 四 寸 、 八 臂 、 二 手 は 合 掌 、 二 手 は 定 印 、 二 手 は 垂 下 持 物 不 明 、 二 手 は 拳 手 持 物 不 明 で あ る 。 (8) 不 動 明 王 大 分 佐 賀 兩 縣 下 、 特 に 大 分 縣 下 に は 不 動 明 王 の 尊 像 は 極 め て 多 數 に 存 在 す る の で あ る が 、 其 の 中 に 毘 沙 門 と 併 せ て 佛 菩 薩 の 脇 侍 と し て 造 顯 せ ら る ゝ も の 、 之 に 單 一 尊 の も の と 矜 羯 羅 制 叱 迦 の 二 童 子 を 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 九

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 〇 隨 侍 せ る も の と が あ り 、 又 單 獨 に 此 の 明 王 を 主 尊 せ る も の 、 之 に 亦 二 童 子 を 侍 者 と せ る も の と 然 ら ざ る も の と が あ る 。 形 像 は 概 し て 左 手 に 索 、 右 手 に 劔 を 持 す る こ と 普 通 の 像 容 と 同 じ で あ る 。 但 し 二 童 子 の 像 は 、 往 々 新 し い 意 匠 を 加 へ ら れ た と 思 は る ゝ も の も あ る 。 今 そ の 主 な る 尊 像 の 所 在 を 列 記 す れ ば 左 の 如 く で あ る 。 A 佛 菩 薩 の 脇 侍 と し て 毘 沙 門 天 と 雙 對 し て 造 顯 せ る も の に て 、 而 も 二 童 子 を も 伴 へ る も の 一 、 大 分 市 元 町 岩 屋 藥 師 藥 師 如 來 右 脇 侍 二 、 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 前 田 字 門 前 大 日 如 來 左 脇 侍 三 、 佐 賀 縣 東 松 浦 郡 相 知 村 相 知 字 和 田 鵜 殿 窟 B 佛 菩 薩 の 脇 侍 と し て 毘 沙 門 天 と 雙 對 し て 造 顯 せ る も の に て 、 而 も 二 童 子 を 伴 は ざ る も の 四 、 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 深 田 大 日 山 五 佛 四 菩 薩 等 右 脇 侍 五 、 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 王 村 黒 土 字 中 畑 五 佛 六 觀 音 六 地 藏 等 左 脇 侍 六 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 眞 中 字 大 門 大 日 藥 師 等 右 脇 侍 C 單 獨 の 本 尊 と し て 造 顯 せ ら れ 、 而 か も 二 童 子 の 相 具 せ る も の 七 、 大 分 縣 大 野 郡 大 飼 町 田 原 字 渡 無 瀬 八 、 大 分 縣 大 野 郡 合 川 村 六 種 石 原 組 堂 園

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九 、 大 分 縣 大 野 郡 上 井 田 村 上 尾 普 光 寺 一 〇 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 眞 中 字 中 村 一 一 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 上 野 字 鍋 山 D 單 獨 の 本 尊 像 と し て 造 顯 せ ら れ 、 し か も 二 童 子 像 な き も の 一 二 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 熊 野 、 但 し 此 の 像 は 普 通 の 例 と 異 な り 大 日 如 來 と 相 雙 べ て 造 顯 せ ら る 。 脇 部 巳 下 は 風 蝕 の た め 崩 壞 せ る も 、 元 は 大 日 如 來 と 同 じ く 、 坐 高 五 丈 餘 の 大 佛 で あ つ た の で あ る 。 一 三 、 大 分 縣 大 野 郡 緒 方 村 軸 丸 字 堂 前 一 四 、 大 分 縣 直 入 郡 豊 岡 村 會 々 不 動 院 此 の 外 に 猶 ほ 新 古 の 像 が 相 當 に 多 數 存 在 す る の で あ る 。 (9) 大 威 徳 明 王 大 分 縣 大 分 郡 東 植 田 村 高 瀬 字 岡 、 大 日 如 來 の 右 脇 侍 の 一 と し て 造 顯 せ ら る 。 坐 像 高 四 尺 八 寸 、 六 面 六 臂 六 足 に て 水 牛 に 乗 る 。 左 右 第 一 手 は 胸 に 當 て 印 を 結 び 、 左 第 二 手 は 三 戟 、 第 三 手 は 輪 を 持 し 、 右 第 二 手 は 桔 、 第 三 手 は 劍 を 持 し 、 背 に は 火 焔 光 が あ る 。( 10) 曼 荼 羅 一 、 不 動 曼 荼 羅 ? 二 、 金 剛 界 曼 荼 羅 ? 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 一

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 二 三 、 胎 藏 界 曼 荼 羅 ? 右 三 幀 の 曼 荼 羅 は 、 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 熊 野 の 大 日 如 來 の 圓 光 の 上 邊 に あ る 。 四 、 法 華 曼 荼 羅 右 は 大 分 縣 西 國 東 郡 上 眞 玉 村 黒 土 字 中 畑 の 大 日 堂 内 に あ る 。 通 途 の 法 華 曼 荼 羅 で あ る 。 以 上 の 諸 尊 像 は 、 孰 れ も 私 が 實 際 に 彼 地 へ 出 か け て 行 つ て 調 査 し て 來 た も の に 就 い て 、 特 に 密 教 關 係 の も の を 列 記 し た の で あ る ( 下 毛 郡 楢 本 の も の だ け は 田 邊 教 授 調 査 の 寫 眞 に 依 る ) 三 其 の 造 像 の 軌 式 に 就 い て 大 分 佐 賀 兩 縣 下 に は 多 數 の 密 教 關 係 の 石 離 佛 像 の 遺 存 す る こ と は 、 上 記 の 通 り 明 確 な る 事 實 で あ る 否 大 分 佐 賀 兩 縣 下 の 造 像 は 、 寧 ろ 是 れ 等 密 教 像 が 主 體 で 、 爾 餘 の 彌 陀 、 釋 迦 、 藥 師 等 の 諸 尊 は 、 却 て 第 二 位 に 置 か れ て あ る と 云 つ て も 善 い 位 で あ る 。 此 は 極 東 に 於 け る 大 陸 系 統 の 石 彫 藝 術 の 最 後 の も の と し て 、 兼 ね て 印 度 佛 教 終 末 期 の 思 想 及 び そ の 藝 術 を 代 表 す る も の と し て 、 獨 特 の 意 義 と 歴 史 と 表 現 と を 有 す る も の で あ る 。 私 は 今 茲 に 是 等 の 事 柄 に つ い て 一 々 詳 細 に 説 明 す る 餘 裕 を 有 た な い が 、 私 自 身 一 己 の 私 見 と し て 、 是 の 種 の 造 像 を 弘 法 大 師 以 前 に 發 祥 せ る も の と 擬 定 せ ん と す る に 就 き て は 、 そ の 説 明 の 順 序 と し て 、 先 づ 是 等 の 造 像 と 、 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 密 教 藝 術 と の 比 較 對 檢 を な し 、 そ の 相 違 を 尋 討 し 、 兩 者 の 歴 史 的 關 係 を 明 か に し 、 最 後 に そ の 製 作 の 新 古 等 を 判 斷 し な く て は な ら ぬ 。 そ

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れ に は 是 れ 等 大 分 、 佐 賀 兩 縣 下 に 於 け る 石 彫 密 教 藝 術 の 造 像 の 軌 式 を 研 究 す る こ と が 主 要 な る 調 査 事 項 で あ る 。 處 で 今 是 等 大 分 の 造 像 と 、 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 密 教 藝 術 と の 比 較 對 檢 を 作 す に つ き て は 、 自 然 此 の 二 者 の 間 に 如 何 な る 相 違 が あ る か を 尋 討 し な く て は な ら ぬ の で あ る が 、 私 は ま だ 之 に 就 い て 詳 細 な 研 究 を 途 げ た 譯 で は な い か ら 、 餘 り 深 く 立 入 つ た 説 明 を 下 す こ と は 出 來 ぬ が 、 一 見 し た 處 で 、 著 し く そ の 相 異 を 感 ず る は 、 第 一 に は 形 像 で あ る 。 第 二 に は 尊 像 安 置 の 次 第 で あ る 。 形 像 が 違 う と い ふ こ と は 、 圖 像 を 非 常 に 重 要 視 す る 密 教 藝 術 と し て は 極 め て 重 大 な 問 題 で あ る 。 そ れ に は 細 部 に 渉 つ て 比 較 對 照 を す る 必 要 が あ る の で あ る が 何 し ろ 造 像 後 年 歳 を 經 る こ と 甚 だ 古 く 、 そ の 手 印 の 相 の 如 き 、 殆 ど 完 全 に 殘 つ て ゐ る も の は 無 い と い つ て 善 い 様 で あ る か ら 、 的 確 な 炙 所 を 突 く こ と が 出 來 な い 。 併 か し 色 々 な 點 で 其 の 相 違 を 見 出 す こ と が 出 來 る 、 今 試 に そ の 一 つ 二 つ を 擧 げ て 見 や う 。 何 に し て も 、 其 の 中 尤 も 目 立 っ の は 、 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 の 在 す こ と で あ る 。 弘 法 大 師 等 八 家 將 來 の 密 教 で は 、 大 日 如 來 と い へ ば 、 い は ゆ る 淨 居 天 成 道 の 儀 相 と し て 、 寳 冠 天 衣 を 着 け た ま う た も の 、 金 剛 界 の 大 日 な ら ば 智 拳 印 を 結 し 蓮 華 又 は 七 師 子 の 座 に 坐 し 、 又 胎 藏 界 の 大 日 な ら ば 法 界 定 印 を な し 八 葉 蓮 華 の 上 に 坐 し 給 ふ を 例 と す る の で あ る 。 勿 論 大 分 の 石 佛 の 中 に も 、 大 分 郡 高 瀬 の 石 佛 の 如 く 、 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 三

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 四 寳 冠 を 着 け 、 定 印 に 住 し 蓮 座 に 坐 し た ま う た 略 々 普 通 の 胎 藏 界 大 日 に 一 致 し た も の も あ り 、 又 北 海 部 深 田 の 大 日 如 來 の 如 く 、 寶 冠 を 着 け 、 智 拳 印 を 結 し た 普 通 の 金 剛 界 大 日 に 似 同 し た も の が 無 い で は な い が 、 し か も そ れ す ら 、 臺 座 は 必 ず し も 蓮 華 で な く 、 光 背 は 舟 形 で 、 月 輪 が 無 い と こ ろ に 可 な り な 相 違 が あ る 。 ま し て 螺 髪 佛 形 の も の に な る と 、 八 家 請 來 の 圖 像 に 全 く そ の 例 を 見 ぬ も の で あ る 。 但 し 之 に つ き て 、 或 は 識 者 の 見 や う に 由 つ て は 、 彼 の 螺 髪 佛 形 の 大 日 の 存 在 を 否 定 し 、 そ の 口 碑 傳 説 を 一 蹴 し 去 る こ と も 出 來 る と 考 へ 得 る か も 知 れ ぬ 。 併 か し 乍 ら 私 一 己 と し て は 是 等 の 口 碑 傳 説 を 無 下 に 郤 く る こ と を 敢 て し な い 。 一 體 應 身 の 佛 は 菩 提 樹 下 金 剛 座 上 に 草 を 敷 て 等 正 覺 を 成 ぜ ら れ る が 、 そ の 本 身 は 、 一 佛 土 の 最 高 處 な る 色 界 頂 に 於 て 天 衣 を 敷 い て 座 と な し 成 道 せ ら る ゝ も の と な す は 、 古 來 大 乗 乘 教 の 通 説 で あ つ て 、 梵 綱 、 華 嚴 等 の 諸 經 、 皆 そ の 説 を 依 用 し て ゐ る 。 今 兩 部 の 大 教 が 、 大 日 如 來 の 形 像 を 造 顯 す る に 、 色 界 頂 淨 居 天 成 道 の 儀 相 を 表 現 し て 天 人 形 に 準 じ た こ と は 固 よ り 一 機 軸 に は 相 違 な い が 、 從 來 、 梵 綱 華 嚴 等 の 教 主 の 像 を 造 顯 す る に 、 孰 れ も 螺 髪 佛 形 と し 來 つ た 例 證 を 以 て す れ ば 、 そ れ が 螺 髪 佛 形 で あ つ た か ら と て 、 其 の 思 想 上 に は 敢 て 差 支 は あ る ま い 。 問 題 は 他 に 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 を 造 顯 し た 例 が あ る か ど う か 。 そ れ か ら 又 大 分 の 古 像 に 於 て 之 を 大 日 如 來 と す る 口 碑 に 根 據 が あ る か ど う か と い ふ こ と に よ つ て 、 左 右 の 判 斷 が 下 し 得 る の で あ る が 、 私 は 今 ジ ャ バ 、 及 び 泥 波 羅 等 の 五 佛 の 中 尊 が 同 じ く 螺 髪 で あ る と こ ろ か ら 見 て 、 善 無 畏 、 金 剛 智 の 所 傳 は 且 ら く 別 と し て 、 そ の 異 承 の

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密 教 の 中 に は 、 大 日 如 來 の 形 像 を 、 今 の 如 く 螺 髪 佛 形 に 造 顯 し た 實 例 の あ つ た こ と を 是 認 す る と 同 時 に 、 今 西 國 東 郡 熊 野 の 大 日 如 來 が 不 動 明 王 と 相 並 で 造 顯 せ ら れ 、 而 も そ の 大 日 と 傳 へ ら る ゝ 彿 像 の 圓 光 の 上 邊 に 、 設 令 異 承 と は い へ 兩 部 の 種 字 曼 荼 羅 に 擬 す べ き も の が 造 顯 せ ら れ て あ る の を 見 て 、 そ れ 等 口 碑 に は 、 略 々 確 か な 根 據 の 存 在 す る こ と を 認 容 し た い と 思 ふ の で あ る 。 尤 も 大 野 郡 大 迫 、 下 毛 郡 楢 本 等 の 地 に 造 顯 さ れ た 衣 冠 束 帶 の 神 形 の 大 日 如 來 の 類 に な る と 、 是 れ 全 く 我 が 國 人 の 創 案 に 出 で た も の で 、 稍 々 後 代 の 作 に か ゝ り 、 強 て 今 と 一 同 し て 論 ず る 譯 に は ゆ か ぬ 。 次 に 一 般 と し て 常 に 我 等 の 眼 を 刺 激 す る の は 、 臺 座 と 後 光 の 造 様 で あ る 。 盖 し 大 分 の 佛 像 は 、 其 の 中 稀 に 高 瀬 の 諸 像 の 如 く 蓮 坐 の も の も 無 い で は な い が 、 概 し て 皆 臺 座 天 衣 座 で あ る 。 そ し て 其 の 後 光 は 殆 ど 凡 て 皆 舟 形 で あ る 。 是 れ 全 く 弘 法 大 師 八 家 請 來 の 像 容 と 一 致 せ ざ る も の で あ る 。 是 れ は 些 細 な こ と の 様 に 似 て 、 實 は 此 の 兩 者 の 造 設 に 於 け る 手 法 上 の 重 大 な 相 違 を 示 し て ゐ る も の で あ る 。 次 に 手 印 、 並 に 持 物 に 就 き て は 、 中 に は 一 致 し て ゐ る も の も あ れ ば 、 必 ず し も 一 致 し な い も の も あ る 。 但 し 此 は 餘 り 問 題 に す る 必 要 は な い 。 何 と な れ ば 、 十 一 面 、 不 空 羂 索 等 諸 變 化 觀 音 の 儀 軌 形 像 の 傳 承 は 、 可 な り 古 い 歴 史 を 有 し 、 印 度 及 び 支 那 で は 西 紀 第 六 世 紀 の 末 頃 か ら 、 經 像 倶 に 傳 弘 を 見 我 が 國 の 中 央 教 界 に 於 て も 、 法 隆 寺 の 壁 畫 を 始 め 、 東 大 寺 、 大 安 寺 、 西 大 寺 等 諸 大 寺 に 於 て 、 奈 良 時 代 か ら 盛 に 造 像 が 行 は れ て ゐ た の で あ る か ら 、 た と へ 一 致 し た も の が あ つ た か ら と て 、 そ れ が 必 ず 八 家 請 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 五

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 六 來 以 後 の も の と い ふ 證 據 に は な ら ぬ し 、 一 致 せ ぬ か ら と い つ て 固 よ り 當 然 の 出 來 事 と し て 強 て 問 題 に す る 必 要 は な い の で あ る 。 形 像 の 問 題 は 此 の 位 に し て 、 次 に 尊 像 安 置 の 次 第 で あ る が 、 是 が 亦 兩 者 の 問 に 著 し い 相 違 を 示 し て ゐ る 。 即 ち 八 家 請 來 の 密 教 に 於 て は 、 尊 像 の 安 置 曼 荼 羅 の 建 立 、 何 れ も 一 定 の 儀 軌 に 據 る を 本 則 と し て ゐ る 。 處 が 今 大 分 、 佐 賀 の 諸 像 に 於 て は 、 そ の 尊 像 安 置 の 次 第 が 頗 る 匠 々 で あ つ て 少 し も 統 制 が 無 い 。 今 左 に 二 三 の 例 を 示 せ ば A 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 熊 野

B

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C

D

弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 七

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 八 右 圖 中 、 大 日 、 觀 音 、 彌 勒 、 不 動 の 四 尊 の 位 次 は 確 か な る も 、 他 は 漫 然 と 試 み に 其 の 名 を 配 し た に 過 ぎ ぬ の で あ る か ら 、 全 然 不 確 な も の で あ る 。 E 大 分 縣 北 海 部 郡 臼 杵 町 深 田 堂 迫

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G

弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 一 九

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 〇

H

I

西

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此 の 地 の 諸 像 は 、 比 較 的 近 古 の も の に て 形 像 は 大 體 に 於 て 普 通 の 儀 軌 の 説 に 一 致 し て ゐ る の で あ る 。 上 記 諸 地 の 諸 像 は 、 そ の 孰 れ の 尊 位 を 見 て も 、 弘 法 大 師 巳 下 入 家 請 來 の 經 軌 圖 像 の そ の 孰 れ の も の に も 其 の 典 據 を 得 な い 。 そ れ は 私 の 見 聞 が 疎 に 、 經 軌 に 闇 い た め で あ る か も し れ ぬ 、 が 兎 も 角 も 私 は 京 都 奈 良 を 中 心 と す る 中 央 教 界 の 遺 像 に 、 未 だ 甞 て 此 の 種 の 像 容 を 見 た こ と が な い の で あ る 。 殊 に 注 意 す べ き は 、 脇 侍 と し て 不 動 、 毘 沙 門 の 二 尊 を 並 べ 安 置 す る 由 緒 で あ る 。 思 ふ に 大 分 縣 下 に 於 け る 密 教 古 藝 術 は 大 日 不 動 の 兩 尊 を 中 心 と す る も の と も 考 へ 得 る の で あ る が 、 そ の 信 仰 の 系 統 は 、 恐 ら く 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の そ れ と は 確 に 稟 承 を 異 に し て ゐ た も の と 推 考 せ ら る ゝ の で あ る 。 な ほ 不 動 明 王 像 に 關 し て 注 意 す べ き は 、 佐 賀 縣 相 知 鵜 殿 窟 の 諸 像 の 中 に 、 蛇 を 持 せ る 鬼 神 像 、 及 び 同 じ く 蛇 を 持 せ る 不 動 明 王 の 脇 侍 の 存 在 す る こ と で あ る 。 不 動 明 王 の 信 仰 が 何 か ら 起 つ て ゐ る か を 推 察 す る 傍 證 資 料 と し て 、 見 逃 す 可 か ら ざ る も の ゝ 一 で あ ら う 。 四 熊 野 大 日 圓 光 上 邊 の 三 曼 荼 羅 に 就 い て 大 分 縣 西 國 東 郡 田 染 村 熊 野 、 熊 野 神 社 内 の 大 日 、 不 動 の 二 大 佛 は 、 延 暦 二 年 に 示 寂 し た と 傳 へ ら る ゝ 仁 聞 菩 薩 が 、 天 照 大 神 の 加 被 を 得 て 造 顯 し た も の と 云 は れ て ゐ る 。 今 は 僅 に 胸 部 以 上 の み 殘 し て 下 部 は 悉 皆 崩 壞 し て し ま つ て ゐ る が 、 本 像 の 大 さ は 、 殆 ど 奈 良 の 大 佛 に 擬 す べ く 、 相 好 の 端 嚴 な る 、 是 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 一

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 二 れ 亦 彫 鏤 の 妙 を 極 め て ゐ る 。 我 が 國 に 傳 は つ た 大 陸 系 統 石 彫 藝 術 の 精 神 と し て 第 一 位 に 置 か る べ き 尊 像 の 一 で あ る 。 不 動 明 王 と 並 べ 造 顯 さ れ た 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 、 そ れ が 既 に 異 例 で あ る 。 或 藝 術 家 の 中 に は 、 此 の 像 を 以 て 藤 原 時 代 の 末 又 は 鎌 倉 時 代 初 頃 の 藝 術 で あ る と 説 か る ゝ 人 も あ る や う で あ る が 、 此 の 尊 像 の 配 置 、 彼 の 比 類 稀 な 技 巧 を 示 し た 螺 髪 は 、 決 し て そ の や う に 時 代 の 下 つ た も の で は な い 。 私 は 敢 て 俗 説 を 信 ず る 譯 で は 無 い が 厭 迄 此 の 像 を 以 て 、 弘 法 大 師 以 前 、 奈 良 朝 末 期 の も の と 論 定 し た い の で あ る そ れ に つ い て 、 こ ゝ に そ の 製 作 年 代 を 決 す べ く 最 後 の 證 定 に 直 接 の 資 糧 を 提 供 す る も の と し て 、 尤 も 有 力 な 根 本 的 な 研 究 材 料 が あ る 。 そ れ は 云 ふ 迄 も 無 く 此 の 大 日 如 來 の 圓 光 の 面 に 造 顯 さ れ て あ る 三 幀 の 種 子 曼 荼 羅 で あ る 。 此 の 曼 荼 羅 は 三 幀 並 べ て 造 顯 し て あ る が 、 そ の 中 央 の 一 幀 の は 、 横 四 尺 縦 三 尺 餘 、 左 右 の 二 幀 は 各 四 尺 四 方 あ る 。 之 に 就 き ( 豊 州 前 後 ) 六 郷 山 百 八 十 三 所 靈 場 記 の 中 に 比 の 山 は 不 動 兩 部 の 曼 荼 羅 、 御 作 と い ふ と あ る 。 何 分 通 俗 の 靈 場 記 の 記 事 で あ つ て 、 し か も 不 用 意 に 書 き 列 ね た 言 葉 の や う に も 見 受 け ら れ る が 、 兎 も 角 も 不 動 明 王 は 大 日 如 來 の 教 令 輪 身 で あ り 、 そ し て 今 此 處 に 大 日 不 動 の 兩 大 佛 が 造 顯 せ ら れ て あ る か ら に は 、 不 動 明 王 の 信 仰 の た め に か ゝ る 造 像 の 出 來 た も の な る こ と は 申 す 迄 も な い 。 處 で そ

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の 大 日 如 來 の 圓 光 の 上 邊 に 鐫 出 さ れ た 此 の 三 幀 の 曼 荼 羅 は 、 此 の 像 造 顯 者 の 宗 旨 を 語 る 唯 一 の 手 懸 り で あ る が 、 若 し そ れ が 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 經 軌 圖 像 に 充 て ゝ 解 説 が 出 來 る も の な ら ば 、 元 よ り 問 題 は な い 。 併 か し 彼 等 に 何 等 の 一 致 を 見 出 す こ と が 出 來 ぬ と な る と 、 そ こ に 我 國 の 密 教 及 び 密 教 藝 術 史 上 に 、 幾 多 重 要 な 研 究 問 題 が 提 出 さ れ る こ と に な る の で あ る 。 三 幀 の 曼 荼 羅 の 中 、 中 央 の 曼 荼 羅 の 主 尊 の 種 字 は 、 私 は ま た 完 全 に 讀 み こ な し 得 な い で ゐ る が 、 そ の 大 月 輪 中 に 合 し て 十 七 尊 の 種 子 が 配 位 さ れ あ る と こ ろ は 、 そ の 十 七 字 の 數 か 、 金 剛 界 理 趣 會 の 尊 數 に 一 致 す る 點 な ど か ら 考 へ る と 、 か の 金 剛 頂 十 八 會 の 中 の 、 そ の 孰 れ か に 該 當 す る も の ゝ 一 か も し れ な い と 思 は れ る 。 そ れ か ら 又 、 そ の 左 右 の 曼 荼 羅 の 中 、 一 方 の 主 尊 の 種 字 は ま で あ り 、 一 方 の 主 尊 の 種 字 は ま で あ る 。 ま を 金 剛 界 大 日 の 種 字 、 ま を 胎 藏 界 大 日 の 種 字 と す れ ば 、 此 の 兩 者 が 金 胎 兩 部 の 曼 荼 羅 で あ る こ と は 恐 ら く 何 人 も 認 め 得 る 所 で あ ら う 。 然 る に 之 を 兩 部 の 曼 荼 羅 と 推 定 し や う と す る に 何 と し て も 八 家 請 來 の 經 軌 曼 荼 羅 の ど れ に も 一 致 を 見 出 す こ と が 出 來 な い 。 私 は 本 稿 を 起 草 し 終 る ま で に 、 此 の 三 幀 の 曼 荼 羅 に つ き 、 も う 少 し 詳 細 な 研 究 報 告 を 發 表 し て 、 密 宗 專 門 の 諸 大 家 の 教 示 を 仰 ぎ た い と 考 へ て ゐ た の で あ る が 、 遂 に 間 に 併 せ る こ と が 出 來 な か つ た の は 甚 だ 遺 憾 で あ る 。 併 か し 乍 ら 此 の 熊 野 の 大 日 不 動 の 兩 大 佛 の 造 顯 が 、 大 分 の 石 佛 と し て 尤 も 重 要 な 地 位 を 占 む る こ と 、 そ れ が 弘 法 大 師 等 入 家 請 來 の 經 軌 圖 像 の 孰 れ に も 一 致 せ ぬ 。 全 然 異 承 の 密 教 及 び 密 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 三

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 四 教 藝 術 で あ る こ と は 、 豫 め 斷 定 的 に 諸 君 の 前 に 御 報 告 し て も 、 恐 ら く は 過 誤 は 無 い も の と 信 ず る の で あ る 。 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 ﹁ 其 の 如 來 の 圓 光 上 邊 に 造 顯 し た 全 く 異 類 の 兩 部 の 曼 荼 羅 ﹂ 之 を 如 何 に 取 り 扱 つ て 、 一 般 八 家 將 來 の 經 軌 圖 像 、 特 に そ の 流 布 の 現 圖 曼 荼 羅 と 對 照 比 檢 す べ き か 、 是 は 密 教 及 び 密 教 藝 術 史 上 の 單 純 な 研 究 問 題 で は な い 。 そ し て 此 の 問 題 の 解 决 が つ か ぬ と 、 結 局 大 分 石 佛 の 全 體 の 信 仰 、 及 び そ の 造 像 の 縁 由 が 會 得 し 兼 ね る も の と し て 見 る と 、 猶 ほ 重 大 な 意 義 を 有 す る こ と に な る 譯 で あ る 。 五 大 分 の 石 佛 に 顯 は れ た 密 教 上 來 、 大 分 、 佐 賀 兩 縣 下 に 遺 存 す る 石 佛 の 所 在 地 、 造 像 の 軌 式 、 井 に 熊 野 の 大 佛 の 圓 光 の 上 方 に 鐫 刻 せ ら れ た 三 幀 の 曼 荼 羅 に つ い て 、 極 め て 簡 單 な が ら 一 往 の 紹 介 を 濟 ま せ た 。 兎 も 角 も 之 に 由 つ て 、 大 分 、 佐 賀 の 兩 縣 下 に 多 數 の 密 教 像 の 現 在 す る こ と 、 及 び そ の 造 像 の 軌 式 、 即 ち 諸 尊 の 形 像 及 び 其 の 安 置 の 次 第 な ど が 、 我 が 國 に 一 般 に 行 は る ゝ 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 經 軌 圖 像 と 頗 る 其 の 趣 き を 異 に し て ゐ る こ と を 明 に し 得 た と 思 ふ 。 處 で 餘 る 問 題 は 、 是 等 大 分 佐 賀 の 密 教 像 は 、 之 を 我 が 國 中 央 教 界 の 八 家 請 來 の も の と 對 比 し て 、 果 し て 如 何 な る 教 系 に 屬 す る や 、 而 し て そ の 製 作 の 年 代 は 奈 何 と い ふ 二 の 事 項 が 主 で あ る が 、 最 初 に 私 が 此 の 小 稿 を 起 草 す る 時 に は 、 熊 野 の 曼 荼 羅 の 精 査 を 眼 目 と し て 論 旨

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を 進 む る 心 組 み で ゐ た 。 然 る に 愈 々 机 に 向 つ て 見 る と 、 傍 か ら 様 々 な 魔 障 が 起 つ て 、 之 に 對 す る 推 究 の 餘 地 を 與 へ な い の で 、 そ の 企 劃 が 遂 に 書 餅 に 歸 し て し ま つ た 。 結 局 最 後 の 意 見 は 、 更 に 筆 を 改 め て 彼 三 幀 の 曼 荼 羅 を 檢 詳 す る 時 に 讓 ら な く て は な ら ぬ こ と に な つ た の で 、 甚 だ 不 徹 底 な 次 第 で あ る が 、 先 づ そ れ ま で の 豫 斷 と し て 大 體 の 卑 見 の 存 ず る 所 を 一 言 し て 、 結 言 に 代 へ る こ と に し た 。 盖 し 我 が 大 分 佐 賀 兩 縣 下 の 石 窟 佛 像 は 、 地 理 の 上 か ら 見 て も 、 年 代 の 上 か ら 見 て も 、 東 亞 に 於 け る 大 陸 系 統 の 藝 術 と し て 最 終 期 の も の で あ る こ と は 、 改 め て 云 ふ 迄 も な い 事 實 で あ る 。 そ れ が 又 特 に 佛 教 と し て 最 後 の 發 達 を 示 し て ゐ る 密 教 闕 係 の 造 像 を 主 體 と し て ゐ る 所 に 、 我 が 大 分 の 石 佛 の 絶 待 的 價 値 が 存 在 す る の で あ つ て 、 換 言 す れ ば 極 東 に 於 け る 大 陸 系 統 の 最 終 の 美 を 濟 す も の は 是 れ 等 の 諸 像 で あ る と い ふ こ と に 結 歸 す る の で あ る 。 試 み に 目 を 擧 げ て 佛 教 及 び そ の 文 化 藝 術 の 發 達 の 大 系 を 見 る に 、 西 紀 紀 元 前 第 三 世 紀 か ら 印 度 に 興 隆 し た 佛 教 の 文 化 藝 術 は 、 そ の 後 、 本 幹 は 印 度 北 境 か ら 中 央 亞 細 亞 を 經 て 、 支 那 日 本 に 流 傳 し そ の 大 支 脈 は 南 方 印 度 か ら 錫 蘭 を 經 て 南 洋 諸 國 に 傳 通 し て ゐ る こ と が 解 か る 。 處 で そ の 佛 教 の 發 達 と 、 そ の 文 化 藝 術 の 遺 蹤 が 、 如 何 な る 歴 史 的 事 實 を 示 し て ゐ る か と い ふ に 、 西 紀 々 元 前 第 四 世 紀 の 頃 、 印 度 に 佛 教 が 始 め て 興 起 し て 以 來 、 所 謂 原 始 時 代 と い ふ べ き 最 初 の 四 五 百 年 は 、 差 し た る 變 動 も 無 く 印 度 の 域 内 で 發 達 を 遂 げ て ゐ た が 、 西 紀 々 元 後 、 印 度 の 北 境 に 於 て 大 月 氏 の 王 朝 が 興 隆 し た 時 代 に 大 乘 佛 教 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 五

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 六 が 勃 興 し て か ら は 、 そ の 佛 教 の 内 容 及 び 文 化 藝 術 に 一 大 變 動 を 與 へ た の で あ つ た 。 此 の 大 乘 佛 教 文 化 は 、 其 の 本 系 は 中 央 亞 細 亞 に 入 り 、 更 に 東 漸 し て 支 那 に 榮 へ た 、 そ の 寧 ろ 傍 系 と も 云 ふ べ き 一 脉 は 、 南 方 印 度 に 入 つ て 龍 樹 系 の 大 乘 佛 教 と な り 、 そ れ が 北 印 度 に 殘 つ た 一 派 の 大 乘 、 世 親 系 の 佛 教 と 合 體 し て 、 所 謂 印 度 に 於 け る 文 藝 復 興 期 、 那 爛 陀 寺 隆 興 時 代 の 素 因 を な し た の で あ つ た 。 即 ち 西 紀 第 一 世 紀 か ら 同 第 七 世 紀 に 至 る 約 七 百 年 は 、 大 乘 佛 教 の 時 代 で あ る が 、 そ の 間 中 央 亞 細 亞 の 佛 教 が 全 盛 を 極 め た の は 西 紀 第 一 世 紀 の 終 頃 か ら 同 四 五 世 紀 に 至 る 四 百 年 許 で 、 そ の 後 ち 中 心 が 支 那 に 移 っ た 、 所 謂 六 朝 時 代 の 佛 教 が そ れ で あ る 。 當 時 印 度 で は 、 月 氏 の 貴 霜 王 朝 時 代 に 彼 の 影 響 を 受 け 南 方 龍 樹 の 佛 教 の 恢 興 を 見 、 尋 い で 崛 多 王 朝 に 入 り 無 着 世 親 出 世 す る に 及 び 、 北 西 部 方 面 か ら 漸 次 に 教 勢 を 回 運 し 、 六 世 紀 に 至 り て 完 全 な 教 運 復 興 期 に 達 し 、 所 謂 那 爛 陀 寺 隆 盛 時 代 な る 印 度 佛 教 の 黄 金 時 代 を 再 現 す る こ と に な つ た 。 處 が 同 第 七 世 紀 末 か ら 同 第 八 世 紀 の 初 に か け 、 新 に 眞 言 密 教 が 興 起 し 、 其 の 幾 も 無 く 全 印 度 に 流 衍 し 、 そ れ が 又 印 度 域 外 に 溢 出 し て 錫 蘭 を 出 口 と し て 南 洋 の 諸 邦 に 傳 通 す る こ と に な つ た し か も 此 の 密 教 が 支 那 に 傳 は る に 就 い て は 、 前 の 大 乘 佛 教 が 西 域 を 通 過 し て 來 た と は 反 對 に 、 今 回 は 南 方 海 路 か ら 之 を 傳 へ た の で あ る 。 是 は 此 時 代 に な つ て は 既 に 世 界 の 交 通 文 化 が 著 し く 變 調 を 來 し て 元 は 大 陸 に よ つ て 物 資 の 集 散 が 行 は れ た も の が 、 や が て は 航 海 に よ る 海 運 貿 易 に 代 つ た と い ふ こ と が 主 な る 原 因 で あ ら う 。 勿 論 其 の 間 に は 特 異 の 例 も 在 ら う が 、 兎 も 角 大 體 の 上 か ら は 、 斯 く 推 論 し な く

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て は な ら ぬ 。 そ の 證 據 に は 、 西 域 方 面 に は 密 教 關 係 の 遺 像 は 甚 だ 尠 な い 。 偶 々 あ つ た と し て も 、 其 多 く は 支 那 か ら 逆 に 流 傳 し て 行 つ た も の で 、 中 に は 西 藏 か ら 入 つ た 後 世 の も の も あ る 。 斯 く て 密 教 の 傳 通 は 最 早 西 方 の 陸 路 を 籍 ら ず に 大 體 に 於 て 專 ら 南 方 の 海 路 に 由 つ た も の と 見 る の が 至 當 で あ る 。 而 も そ の 本 流 は 一 先 づ 支 那 に 入 つ て か ら 更 に 我 國 に 傳 つ た 、 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 密 教 が そ れ で あ る 。 但 し 例 外 と し て は 之 を 直 接 に 我 國 に 傳 承 す る こ と も 有 り 得 る も の と し な く て は な ら ぬ 。 處 で 問 題 は 立 ち 歸 へ つ て 大 分 石 佛 の 密 教 像 の 考 察 に 入 ら ね ば な ら ぬ の で あ る が 、 之 が 推 定 は 極 め て 複 雜 な 考 慮 に 俟 た な く て は な る ま い 。 凡 そ 大 分 の 密 教 像 が 、 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 經 軌 圖 像 と 其 の 本 源 を 同 じ く し て ゐ な い と い ふ こ と は 、 圖 像 も 尊 位 も 倶 に 彼 の 所 傳 に 一 致 せ ぬ に 徴 し て 明 か で あ る 。 換 言 す れ ば 、 弘 法 大 師 等 所 傳 の も の と 全 然 教 系 の 違 つ た 異 承 の 密 教 と 判 斷 し な く て は な ら ぬ 。 先 づ 第 一 に 矢 釜 し い 研 究 問 題 は そ れ か ら 生 起 す る の で あ る 。 即 ち 今 私 し が 云 ふ 様 に 、 若 し 果 し て 大 分 の 密 教 像 が 弘 法 大 師 等 の 所 傳 と 全 然 異 系 の も の と 説 か う と す る な ら ば 、 そ れ に 先 だ つ て 、 誰 が か ゝ る 密 教 及 び 密 教 圖 像 を 傳 へ て 來 た か 、 じ か も 如 何 な る 性 質 の も の か と い ふ こ と に 就 き 、 何 等 か の 回 答 を 與 へ な く て は な ら な い 。 之 に つ き 私 一 己 の 考 と し て は 、 既 に 拙 著 ﹁ 大 乘 佛 教 藝 術 史 の 研 究 ﹂ 第 八 章 中 に 細 述 し て 置 い た や う に 、 大 分 の 石 佛 と 宇 佐 八 幡 と は 其 の 間 に 密 接 な 關 係 が あ り 、 殊 に 八 幡 の 神 託 は 、 不 動 阿 毘 奢 の 法 か ら 出 て ゐ は せ ぬ か と 推 察 す る の で あ る 。 假 り に 此 の 推 想 が 何 等 か の 意 義 を 認 め 得 る と す れ ば 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 七

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 八 宇 佐 八 幡 の 信 仰 の 史 乘 に 顯 著 に な り 出 し た の は 、 奈 良 朝 の 初 期 養 老 神 龜 の 頃 で あ る か ら 、 大 分 密 教 の 初 傳 も 凡 そ 其 の 頃 と 見 て 差 支 は あ る ま い 。 誰 人 が 之 を 傳 へ た か と い ふ こ と を 指 示 す る の は 無 理 で は あ る が 、 口 碑 の 上 で は 八 幡 大 菩 薩 の 再 誕 者 と し て の 仁 聞 菩 薩 だ と い ふ こ と に な つ て ゐ る 。 菩 薩 は 本 土 の 人 で は な く て 、 海 を 渡 つ て 漂 流 し て 來 た 外 人 の 生 む と こ ろ で あ る 。 史 實 の 確 否 は 元 よ り 保 證 の 限 り で な い が 、 其 拡 事 實 と し て あ り 得 な い こ と で は 無 い 。 彼 の 大 安 寺 の 道 慈 律 師 は 養 老 二 年 に 歸 朝 し た が 、 善 無 畏 三 藏 が 支 那 の 長 安 に 入 つ た の は 、 そ の 前 々 年 で 翌 開 元 五 年 に 翻 譯 し た 虚 空 藏 求 聞 持 法 を 逸 ち 早 く 賚 し 來 つ て ゐ る の で あ る 。 道 慈 歸 朝 の 翌 年 に 金 剛 智 三 藏 は 廣 州 に 達 し 、 そ の 翌 開 元 八 年 に 洛 陽 に 入 つ て ゐ る 。 盖 し 此 の 時 代 に は 、 印 度 と 支 那 と の 交 通 は 可 な り 盛 に 行 は れ て ゐ た の で あ つ て 初 唐 以 來 引 き 續 き 支 那 か ら 印 度 へ 向 つ て 留 學 し た も の 相 當 に 多 か つ た が 、 印 度 か ら 支 那 を 目 が け て 出 か け て 來 た 識 者 も 尠 な く な い 。 そ の 中 の 若 干 人 が 潮 流 の 關 係 な ど で 、 九 州 の 地 に 漂 着 し た と い ふ や う な こ と は 、 事 實 あ つ た も の と し な く て は な ら ぬ 。 既 に 善 無 畏 も 金 剛 智 も 支 那 へ 來 て ゐ る 時 代 と し て 見 れ ば 、 我 が 國 に も そ れ と 相 似 の 法 教 を 傳 持 し た 三 藏 闍 梨 が 來 遊 し た こ と が あ つ た か ら と い つ て 、 毫 し も 不 條 理 な こ と は 無 い の で あ る 。 此 の 意 味 に 於 て 、 私 は 、 そ れ が 果 し て 仁 聞 菩 薩 で あ つ た か 否 か は 且 ら く 別 と し て 、 兎 も 角 も 奈 良 時 代 の 初 期 に 於 て 九 州 の 地 に 密 教 の 流 傳 し た と い ふ 史 實 を 認 め て 善 か ら う と 思 ふ の で あ る 。 す る と 問 題 は 更 に 第 二 段 の 考 察 に 進 ま ね ば な ら ぬ が 、 若 し 然 ら ば 、 そ れ 等 九 州 初

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傳 の 密 教 は 果 し て ど ん な も の で あ つ た ら う か 。 是 れ は 簡 易 な 問 題 な や う で 、 實 は 甚 だ 重 要 な 事 柄 で あ る 。 御 承 知 の 通 り 金 剛 智 三 藏 は 開 元 十 一 年 ( 我 が 養 老 七 年 ) に 略 出 經 を 譯 し 、 善 無 畏 三 藏 は 同 十 三 年 ( 我 が 神 龜 二 年 ) に 大 日 經 を 翻 出 し て ゐ る 。 し て 見 る と 、 兩 部 の 大 教 は 此 の 時 既 に 東 土 に 傳 つ て ゐ る の で あ る か ら 、 若 し 此 の 時 代 に 九 州 大 分 に 密 教 が 入 つ た と し た ら 、 斯 か る 兩 部 の 孰 れ か ゞ 傳 つ た と し て も 善 け れ ば 、 兩 部 共 に 并 び 傳 つ た こ と が あ つ た と し て も 差 支 は 無 い 。 が 要 は 唯 々 事 實 問 題 と し て 如 何 に 之 を 取 扱 う べ き か で あ る 。 既 に 教 そ の も の が 兩 部 倶 に 成 立 し て ゐ て 支 那 に ま で 傳 翻 さ れ た の で あ る か ら 、 我 國 に も そ の 一 部 が 傳 は ら う が 、 兩 部 倶 に 傳 は ら う が 、 時 と 場 合 で い づ れ と も 有 り 得 る が 、 い づ れ に し て も 、 大 分 初 傳 の 密 教 は 、 善 無 畏 金 剛 智 兩 三 藏 と は 、 全 然 別 人 の 傳 へ た も の で 、 其 相 傳 の 經 軌 圖 像 の 内 容 に 相 當 に 殊 異 の あ つ た も の と 見 な く て は な ら ぬ の で あ る 。 そ こ に ま た 第 三 段 の 考 慮 を 要 す る 問 題 が 生 じ て 來 る 。 所 謂 金 胎 兩 部 の 思 想 が 、 一 雙 一 具 の も の と し て 禀 承 せ ら る こ と に な つ た の は 、 印 度 に 既 に 先 蹤 の あ つ た も の と す べ き か 、 或 は 支 那 へ 來 て 不 空 三 藏 及 び そ の 門 下 等 に よ つ て 組 立 て ら れ た も の で あ ら う か 、 そ れ が 又 深 甚 の 熟 慮 を 要 す る こ と で あ る 。 そ れ に は 兩 部 大 教 の 起 原 問 題 ま で 持 ち 出 し て 、 そ の 發 生 地 、 發 達 、 傳 承 の 次 第 を 詳 か に し な く て は な ら ぬ 。 一 往 の 考 察 と し て は 、 胎 藏 法 と 金 剛 界 と は 、 そ の 成 立 地 が 違 つ て ゐ た の が 、 支 那 に 於 け る 兩 三 藏 の 會 同 か ら 一 雙 の も の と な つ た と い ふ 推 想 も 立 ち 得 ま い も の で は な い 。 勿 論 弘 法 大 師 等 八 家 請 來 の 密 教 は 金 剛 智 等 の 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 二 九

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 三 〇 初 傳 當 時 よ り す れ ば 、 年 代 と し て は 約 百 年 近 く 經 過 し て 居 り 、 兩 三 臓 か ら 不 空 三 藏 を 經 、 更 に 恵 果 阿 闍 梨 及 び 其 の 弟 子 法 全 そ の 他 に 至 る 第 三 傳 第 四 傳 の も の で 、 そ の 間 大 部 變 つ て 來 た 所 が あ る 。 中 に は 惠 果 闍 梨 等 の 創 意 も 多 く 加 は つ て ゐ は せ ぬ か と 思 は る ゝ 節 さ へ あ る の で 、 一 概 に 定 衡 と す る 譯 に は ゆ か の が 、 設 令 發 生 地 は 別 處 で も そ れ が 一 具 に 結 び 着 く こ と は 、 何 も 支 那 へ 來 て か ら で な く と も 、 印 度 そ の 地 で 自 由 に 結 び 着 き 得 る 機 會 が あ り 得 る の で あ る か ら 、 そ れ は 既 に 印 度 に 先 蹤 が あ つ た も の と も 考 へ ら れ ぬ こ と も な い し 、 又 支 那 と 遙 に 相 應 し て 殆 ど 同 時 に そ の 事 が 行 は れ な か つ た と も 限 ら れ な い 是 等 の 問 題 に な る と 、 更 に 一 層 精 密 な 調 査 を 遂 げ た 上 で な い と 、 最 後 の 斷 定 を 下 す こ と は 出 來 な い 。 而 し て 大 分 の 密 教 に は 、 そ の 中 の 如 何 な る も の が 傳 承 さ れ た か と い ふ こ と を 考 慮 せ な く て は な ら ぬ の で あ る が 、 今 私 と し て は 弘 法 大 師 等 相 承 の も の と 異 つ て る と い ふ こ と 換 言 す れ ば 入 家 請 來 の 密 教 の 分 脈 で な い と い ふ こ と を 明 に 認 め る こ と の 他 に 、 ま だ 積 極 的 に 、 奈 何 な る 系 統 の も の で 、 ど う 云 ふ 順 序 に 傳 は つ た も の か と い ふ 様 な こ と を 説 明 す る こ と は 出 來 な い 。 そ こ に 又 、 第 四 段 の 研 究 問 題 と し て 大 分 に 傳 は つ た 密 教 は 、 一 且 支 那 の 地 支 那 の 文 化 を 濾 過 さ れ て 來 た も の か 、 そ れ と も 印 度 又 は 南 海 方 面 か ら 來 た 佛 僧 の 直 接 に 傳 へ た も の か ど う か と い ふ こ と も 考 へ て 見 な く て は な ら な い 。 之 に つ い て は 、 私 は 寧 ろ 後 の 方 の 考 に 從 ひ た い や う な 氣 も す る が 、 ま だ 進 ん で 左 様 で あ る と 斷 言 す る 迄 の 自 信 は な い そ れ に は 此 の 時 代 の 交 通 文 化 の 状 態 も 深 く 考 慮 に 入 れ な く て は な ら ぬ が 、 凡 そ 此 の 時 代 の 彼 我 の 往 來

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は 、 私 等 の 想 像 巳 上 に 盛 ん で あ つ た と 思 は れ る 點 も あ る 。 支 那 朝 鮮 か ら 可 な り 澤 山 な 人 が 印 度 に 入 つ て ゐ る が 、 彼 の 地 か ら 此 方 へ 出 か け て 來 た 人 等 も 多 數 に 上 つ た 。 そ れ は 史 乘 に 顯 れ ぬ 人 物 の 方 が 多 分 で あ つ た と 見 な け れ ば な ら な い 。 支 那 五 台 山 の 金 閣 寺 の 創 建 に 際 し て は 、 印 度 那 爛 寺 の 僧 純 陀 が 、 那 爛 陀 寺 様 の 金 剛 界 五 佛 の 像 を 作 つ た と 傳 へ て ゐ る が 、 此 の 種 の 事 蹟 は 猶 ほ 他 に も 相 當 に あ つ た も の と 見 ね ば な ら ぬ 。 今 大 分 の 造 像 に し て も 、 作 者 は 决 し て 一 人 や 二 入 で は 無 い 。 大 分 石 佛 の 造 顯 者 と 傳 へ ら る ゝ 仁 聞 、 日 羅 、 蓮 城 、 悉 く 外 來 人 と い は れ て ゐ る 、 そ れ は 請 僧 が 漂 流 僧 か 、 そ れ 等 の 點 は 詮 索 の 限 り で な い が 、 兎 も 角 も 多 數 の 外 來 人 が 、 此 の 様 な 特 殊 の 密 教 文 化 を 傳 へ 形 像 を 造 り 上 げ た 、 そ の 事 は 現 に 遺 物 其 も の が 雄 辯 に 物 語 る 歴 史 的 事 實 で あ る か ら 否 定 す る 譯 に は ゆ か な い 。 そ れ は 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 の 造 顯 は 別 し て 私 等 の 研 究 心 の 興 趣 を そ ゝ る も の で あ る 。 不 空 、 惠 果 一 流 の 八 家 請 來 の 密 教 の み を 凝 視 し て ゐ る 我 が 國 の 擧 者 に 取 つ て は 、 乘 形 の 大 日 は 頗 る 異 様 に 感 ぜ ら る ゝ か も 知 れ ぬ が 、 現 に 南 洋 方 面 に 傳 は る も の と し て の 爪 哇 の 古 遺 像 、 及 び 印 度 密 教 の 本 流 を 受 け 繼 い だ 泥 波 羅 所 傳 の も の は 、 孰 れ も 皆 螺 髪 佛 形 で あ る 。 し て 見 れ ば 、 大 分 の 地 に 螺 髪 佛 形 の 大 日 如 來 が 造 顯 さ れ て あ る か ら と い つ て 、 既 に 彼 の 弘 法 大 師 所 傳 の も の と 異 承 の も の で あ る 已 上 、 其 の 間 に 尠 し の 不 思 議 は 無 い の で あ る 。 印 度 南 海 に 於 け る 密 教 の 傳 持 者 、 儀 軌 の 製 作 者 は 多 人 多 様 で あ り 、 そ の 教 法 の 傳 承 者 圖 像 の 造 顯 者 亦 多 技 多 端 で あ る 已 上 、 是 れ 等 各 種 形 像 の 異 つ た 佛 像 の 製 作 が あ つ た か ら と 云 つ て 、 無 理 に 左 右 の 弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 三 一

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弘 法 大 師 以 前 の 密 教 藝 術 三 二 言 を 弄 ぶ 必 要 も あ る ま い と 思 ふ 。 次 に 最 後 の 問 題 と し て 、 第 五 段 に 愼 重 な 判 斷 を 廻 す と を 要 す る は 是 れ 等 大 分 縣 下 等 に 傳 つ た 密 教 及 び 其 の 藝 術 と 、 弘 法 大 師 等 所 傳 の も の と の 年 代 關 係 で あ る 。 此 の 大 分 石 佛 の 年 代 に 就 き て は 、 現 在 識 者 間 の 説 は 區 々 で あ つ て 、 一 定 し て な い 。 そ の 中 に は 非 常 に 新 し い も の と 見 る 人 も 尠 な く な い 。 勿 論 大 分 の 石 佛 と い つ て も 、 一 概 に 古 い も の ば か り で な く 、 後 世 の 造 像 も 混 在 し て ゐ る の で あ る か ら 、 新 ら し く 見 ら る ゝ も の も 相 當 に あ ら う 。 併 か し 、 大 分 の 石 佛 、 特 に そ の 密 教 像 の 主 體 は 、 决 し て 藤 原 時 代 だ の 鎌 倉 時 代 だ の と い つ た や う な 新 ら し い も の で 無 く 、 ど う し て も 弘 法 大 師 以 前 、 即 ち 桓 武 天 皇 の 延 暦 以 前 ま で 繰 上 げ て ゆ か ね ば 、 完 全 な 歴 史 的 説 明 を 下 す こ と は 出 來 な い の で あ る 。 手 近 い 話 し が 、 弘 法 大 師 以 後 は 、 我 が 佛 教 藝 術 は 、 所 謂 密 教 と し て は 不 空 惠 果 の 一 流 藝 術 と し て は 木 彫 佛 像 の 全 盛 期 に 入 つ た の で あ る 。 然 る を 何 が た め に 非 不 空 惠 果 流 の 密 教 、 及 び 石 彫 の 大 造 像 が 、 獨 り 此 の 九 州 の 地 に 限 つ て 行 は る ゝ と い つ た や う な 不 可 解 の 事 實 を 豫 想 す る こ と が 出 來 や う 。 私 は 厭 迄 も 大 分 の 密 教 及 び 密 教 乘 像 は 、 弘 法 大 師 以 前 の も の で 、 而 も そ れ は 、 不 空 、 惠 果 兩 阿 闍 梨 相 承 の も の と は 全 然 系 統 を 異 に し た も の と 推 考 す る の で あ る 。 猶 ほ 説 述 を 要 す る 事 項 も 無 い で は な い が 、 私 は 近 い う ち に 、 熊 野 大 佛 の 曼 荼 羅 に つ き 、 別 に 一 文 を 起 草 す る 心 組 で あ る か ら 、 其 の 際 に 猶 ほ 改 め て 多 少 の 意 見 を 補 述 し や う 。

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