即
身
成
佛
の
史
的
觀
察
松
永
有
見
一 眞 言 密 教 の 最 高 理 想 は 、 凡 身 が 現 世 に 於 て 、 直 ち に 成 佛 す る こ と で あ る 。 一 般 大 乘 教 の 理 想 も 亦 、 吾 人 が 如 何 に し て 、 成 佛 し 得 る か 、 成 佛 の 本 質 、 價 値 、 意 義 、 此 等 の 問 題 を 考 究 す る を 以 て 、 最 高 至 深 の 研 究 問 題 と し て 居 る の で あ る 。 さ れ ば 、 此 の 成 佛 思 想 の 研 究 問 題 程 、 佛 教 中 に 於 て 、 重 要 な る 問 題 は あ る ま い と 思 ふ 。 弘 法 大 師 の 名 著 、 即 身 成 佛 義 一 卷 は 、 此 の 問 題 に 對 し て 最 後 の 斷 案 を 下 し て 、 即 身 成 佛 の 教 理 を 闡 明 せ ら れ た る 、 大 乘 佛 教 中 の 唯 一 無 二 の 聖 典 と 云 ふ べ き で あ る 。 然 れ ど も 即 身 成 佛 の 教 理 は 、 其 の 關 係 す る 教 義 上 の 範 園 甚 廣 く 、 横 に は 全 佛 教 の 教 理 と 交 渉 し 、 竪 に は 無 盡 の 深 義 を 有 し て 居 る も の で あ る か ら 、 大 師 は ﹁ 即 身 成 佛 の 四 字 に 無 邊 の 義 を 含 せ り 、 一 切 の 佛 法 は 此 の 一 句 を 出 で す ﹂ と 、 讃 嘆 せ ら れ て 居 る の で あ る 。 さ れ ば 、 僅 か の 時 間 に 於 て 、 之 れ を 説 き つ く す こ と は 勿 論 、 其 の 輪 廓 だ け を 描 く こ と す ら 、 頗 る 困 難 で あ る と 思 ふ 。 そ こ で 、 今 私 は 、 此 の 問 題 に 對 し て 、 古 來 の 祖 師 先 徳 の 曾 て 試 み た こ と の な い 、 成 佛 思 想 の 史 的 變 遷 に 就 て 、 私 の 私 見 の 端 を 披 瀝 す る こ とゝ 丶 す る 。 二 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 三 九即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 〇 成 佛 思 想 の 史 的 變 遷 は 、 之 れ を 、 五 期 に 分 ち て 説 明 す る の が 、 便 利 で あ る と 思 ふ 。 第 一 期 は 小 乗 教 、 第 二 期 は 法 相 大 乘 、 第 三 期 は 三 論 大 乘 、 第 四 期 は 華 天 両 一 乘 の 思 想 、 第 五 期 は 眞 言 密 教 の 即 身 成 佛 の 思 想 即 ち 之 れ で あ る 。 即 身 成 佛 思 想 の 淵 源 も 亦 、 釋 尊 の 菩 提 樹 下 の 成 道 に 求 め な け れ ば な ら ぬ 。 釋 愈 の 菩 提 樹 下 に 於 け る 成 道 、 是 れ 實 に 佛 教 教 義 の 依 つ て 生 ず る 根 元 で あ る 。 釋 尊 の 成 道 は 、 久 遠 の 昔 よ り 修 行 せ る 最 後 身 の 菩 薩 が 、 遂 に 成 佛 せ ら れ た る も の か 、 將 た 又 、 吾 々 と 少 し も 變 ら な い 人 間 が 、 六 年 修 行 の 結 果 、 卒 然 、 大 覺 成 道 せ ら れ た る も の な る か 、 新 成 か 、 久 成 か 、 即 身 成 佛 か 、 三 劫 成 佛 か 、 凡 身 の 成 佛 か 、 菩 薩 の 成 佛 か 、 是 れ 即 身 成 佛 問 題 の 、 焦 點 と な る べ き 、 最 重 要 の 問 題 で な け れ ば な ら ぬ 。 若 し 釋 尊 の 成 道 が 、 久 遠 の 昔 よ り 修 行 し た る 菩 薩 が 、 三 祗 の 功 徳 を 積 み 重 ね た る 結 果 、 成 佛 し た も の と せ ば 、 釋 尊 は 、 現 世 に 於 け る 唯 一 人 の 佛 で あ つ て 、 誰 れ 人 も 追 隨 を 許 さ ぬ 唯 我 獨 尊 の 佛 陀 で あ る 。 若 し 又 然 ら ず と す る も 、 凡 夫 が 成 佛 せ ん と す る に は 、 矢 張 釋 尊 の 如 く 、 三 祗 百 却 の 悠 久 の 修 行 に 依 ら ざ れ ば 、 成 佛 出 來 ぬ こ と ゝ な る 。 か く て は 、 即 身 成 佛 は 、 思 ひ も 寄 ら ぬ 空 想 と せ な け れ ば な ら ぬ 。 然 れ ど も 、 釋 尊 の 成 道 が 、 吾 人 凡 夫 に 、 先 天 的 に 所 有 せ る 佛 性 が 、 六 年 修 行 の 結 果 、 開 發 せ ら れ て 、 淨 飯 大 王 の 太 子 た る 一 人 間 が 、 即 身 に 成 佛 し た も の と せ ば 、 吾 人 も 亦 釋 尊 と 同 じ く 、 郎 身 に 成 佛 せ ら る べ き 筈 で あ る 。 前 者 の 如 く 考 ふ れ ば 、 小 乘 佛 教 の 諸 學 派 、 及 び 權 大 乘 教 系 の 成 佛 説 と
な る の で あ る 。 若 し 又 、 後 者 の 如 く 考 ふ る な ら ば 、 實 大 乘 教 、 特 に 眞 言 密 教 の 即 身 成 佛 説 と な る べ き で あ る 。 私 は こ れ か ら 、 此 の 二 大 教 系 を 辿 り て 、 即 身 成 佛 思 想 の 一 般 的 教 義 に 入 り 、 帥 身 成 佛 の 諸 問 題 に 及 ば ん と す る の で あ る 。 そ こ で 、 先 づ 順 序 と し て 、 小 乘 佛 教 の 成 佛 觀 か ら 述 べ る こ と ゝ す る 。 小 乗 佛 教 に 於 て も 、 大 衆 部 あ り 、 上 座 部 あ り 、 更 ら に 分 裂 し て 二 十 の 異 部 を 出 し て 居 る が 、 今 は 小 乘 佛 教 の 代 表 者 た る 有 部 宗 の 教 義 を 中 心 と し て 、 之 れ を 述 べ よ う と 思 ふ 。 三 全 體 、 小 乘 教 に て は 、 此 の 世 界 に は 、 一 佛 一 菩 薩 の み あ つ て 、 同 時 に 、 同 一 世 界 に 於 て 、 二 佛 二 菩 薩 の 存 在 を 許 さ ぬ の で あ る 、 是 れ は 、 國 に 二 王 な く 、 一 佛 國 土 に は 、 二 佛 な し と 云 ふ 思 想 か ら で あ る 。 若 し 佛 の 外 に 佛 あ り と せ ば 、 佛 を 無 上 尊 と 名 く る こ と が 出 來 ぬ か ら で あ る 。 故 に 、 世 親 の 倶 舍 論 第 二 十 五 卷 に は 、 一 切 衆 生 に 六 ハ 種 の 性 あ り と し て 、 最 後 の 第 六ハ 種 性 を 不 動 性 と 名 け 、 此 れ を 更 ら に 開 い て " 聲 聞 、 . 縁 覺 、 佛 性 の 三 種 性 と し 、 最 後 の 佛 性 あ る も の 、 一 人 の み 成 佛 し 得 る も 、 他 は 其 の 牲 に 應 じ て 、 何 羅 漢 果 ま で は 證 し 得 べ し 、 然 れ ど も 。 決 し て 成 佛 は な し 能 は ず と す る の で あ る 。 一 界 一 佛 思 想 の 根 底 は 、 こ ゝ に 存 す る 。 而 し て 此 の 一 人 の 佛 と は 、 云 ふ ま で も な く 、 釋 迦 牟 尼 佛 で あ る 。 而 も 、 此 の 釋 迦 牟 尼 佛 が 無 上 正 覺 を 得 た の は 、 過 去 に 於 け る 、 三 祗 百 大 却 の 修 徳 の 結 果 と す る の で あ る 。 三 砥 と は 詳 し く 日 は ゞ 、 三 大 阿 僧 祗 却 と 日 ふ べ き で あ る 。 阿 僧 祗 は 譯 し て 無 數 の 時 間 と 云 ふ 。 算 數 を 帥 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 一
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 二 以 て 數 え き れ ぬ 悠 久 の 時 間 で あ る 。 菩 薩 は 、 三 大 阿 僧 祗 却 の 悠 久 の 時 間 に 於 て 、 布 施 、 持 戒 、 忍 辱 、 精 進 、 禪 定 智 慧 の 六 ハ 波 羅 密 を 修 行 し て 、 無 量 の 幅 徳 智 慧 を 一 身 に 集 め 、 更 ら に 又 、 圓 滿 な る 佛 身 の 相 好 を 得 ん が 爲 め に 、 百 大 却 の 修 行 を 爲 し て 、 三 十 二 相 、 八 十 種 好 の 妙 色 身 を 得 、 最 後 身 に 於 て 、 菩 提 樹 下 に 座 し 、 四 魔 を 降 伏 し て 凡 て の 煩 惱 を 斷 盡 し 、 遂 に 無 上 正 覺 の 成 佛 を 爲 す の で あ る 。 如 是 思 想 は 、 元 よ り 凡 身 郎 佛 の 思 想 に 非 ず し て 、 一 切 衆 生 の 中 只 一 人 の 佛 性 を 有 す る も の 而 己 が 、 三 祗 百 劫 の 修 行 に よ つ て 、 漸 く 許 さ れ た る 成 佛 で 、 天 上 天 下 唯 我 獨 尊 の 佛 陀 で め る 。 而 も 其 修 行 が い 驚 く べ き 長 時 間 を 要 せ な け れ ば な ら ぬ 理 由 は 、 佛 教 の 因 果 論 よ り 來 る 必 然 の 結 果 で あ る 。 佛 果 は 己 に 最 尊 無 上 の 萬 徳 を 圓 滿 し た る 、 絶 待 完 全 の 佛 身 な れ ば 、 之 れ に 到 達 す る 因 行 も 亦 、 無 限 悠 久 の 時 間 に 集 め 得 た る 、 絶 對 完 全 の 因 で な け れ ば な ら ぬ か ら で あ る 。 洵 に 神 の 子 に も 非 ず 、 佛 に も 非 ざ る 淨 飯 大 王 の 太 子 た る 悉 逹 多 が 、 今 は 正 し く 最 勝 覺 の 佛 陀 覺 者 と な り 、 天 の 神 を も 其 の 説 法 の 聽 衆 た ら し め た る 一 代 五 十 年 の 教 化 を 見 た る 佛 弟 子 が 、 釋 尊 の 成 佛 を 如 是 觀 す る は 何 等 の 不 思 議 は な い で あ ら う 、 是 れ 實 に 佛 教 に 於 け る 、 成 佛 思 想 の 、 第 一 期 の 解 釋 で あ る 。 然 れ ど も 、 誠 に 想 え 、 ダ ビツ テ の 子 、 イ ユ ス 基 督 は 、 四 十 日 間 、 斷 食 の 後 神 子 の 自 覺 に 、 到 逹 し た で は な い か 、 敏 感 に し て 、 英 智 絶 倫 な る 、 悉 逹 多 太 子 が 、 六 ハ 年 の 苦 行 す ら 、 猶 長 き に 失 し (註 一 )吾 人 は 寧 、 廿 九 歳 出 家 、 三 十 成 道 説 を 、 信 せ ん と 欲 す る に 於 て を や 。 茲 を 以 て 、 ( 註 二 ) 高 雄 の 口 訣 に は 、 菩
薩 三 阿 僧 祗 の 修 行 は 、 大 慢 の 衆 生 を 、 降 伏 せ ん が 爲 め の 方 便 説 に し て 、 實 に は 、 菩 提 道 場 に 坐 し て 、 間 も な て 、 成 道 せ ら れ た も の な り と 日 ふ に 非 す や 。 さ れ ど 此 の 問 題 は 主 と し て 實 大 乘 教 の 問 題 な れ ば 更 ら に 後 に 議 す る こ と ゝ し て 吾 人 は こ ゝ に 進 ん で 釋 尊 を し て 成 道 せ し め た る 原 因 に 付 て 考 え て 見 な け れ ば な ら ぬ 。 抑 ゝ 釋 尊 を し て 成 佛 せ し め た 原 因 は 何 ん で あ つ た か 、 因 な く し て 果 を 得 る こ と は 、 因 果 の 理 法 を 、 根 本 教 義 と す る 佛 教 の 、 到 底 許 さ る べ き も の で な い 。 果 し て 然 ら ば 、 成 佛 の 最 大 原 因 は 、 三 祗 百 大 劫 の 修 行 で あ る か 、 將 た 又 佛 陀 た り 得 べ き 佛 性 を 有 し 居 つ た 爲 め で あ る か 、 若 し 修 行 が 其 の 原 因 な り と せ ば 、 吾 人 も 亦 修 行 に 依 り て 成 佛 を 爲 し 得 べ し 。 若 し 又 佛 性 あ る が 爲 め に 成 佛 し た の で あ る と せ ば 佛 性 は 釋 尊 一 入 に 限 ぎ ら れ た る も の と 見 る か 、 一 切 衆 生 が 平 等 に 所 有 す る も の な り と す る か 、 若 し 後 者 の 如 く 考 ふ る な ら ば 凡 身 が 成 佛 し 得 ら れ ぬ 道 理 は な い の で あ る 。 爰 に 於 て 、 吾 成 佛 思 想 は 、 修 因 と 性 因 、 本 有 と 修 生 、 本 覺 と 始 覺 と の 問 題 を 惹 起 す る こ と ゝ な る 。 此 の 性 修 の 問 題 は 、 大 乘 佛 教 の 中 心 問 題 と し て 古 來 少 な か ら ぬ 教 義 上 の 發 展 を 促 し て 居 る の で あ る 。 三 印 度 の 大 乘 佛 教 に は 二 大 學 涙 が あ る 。 一 は 文 殊 菩 薩 よ り 流 出 す る 中 觀 學 派 に し て 、 他 は 彌 勤 菩 薩 を 耐 述 す る 瑜 伽 學 派 で あ る 。 龍 樹 の 佛 教 は 、 正 し く 前 者 の 代 表 と 見 る べ く 、 無 着 世 親 の 佛 教 は 、 云 ふ ま で も 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 三
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 四 な く 、 後 者 に 屬 す る 。 今 成 佛 問 題 に 關 す る 必 要 な る 教 理 の 上 よ り 見 る に 、 両 者 共 に 、 因 縁 を 前 提 と し て 教 義 を 立 つ る に 、 結 論 に 至 つ て は 、 彼 れ と 此 れ と は 、 全 く 反 對 の 立 場 に 立 つ て 居 る の で あ る 。 即 ち 無 着 世 觀 の 瑜 伽 學 派 は 、 萬 有 は 有 な り 、 有 性 な り と 説 き 、 龍 樹 の 説 に 依 れ ば 、 因 縁 所 生 の 注 は 、 皆 是 れ 室 な り と す る の で あ る 。 故 に 、 之 れ が 成 佛 論 の 上 に 於 て も 、 一 往 反 對 の 方 向 に 發 展 し て 居 る 。 無 着 世 觀 の 唯 識 系 の 學 者 は 、 本 有 論 よ り す れ ば 、 五 性 各 別 の 教 理 を 立 て ゝ 、 不 定 種 性 の 一 類 と 、 菩 薩 種 性 の も の ゝ 而 己 が 成 佛 す る も の な り と し 、 修 生 論 よ り す れ ば 、 小 乘 教 と 同 じ く 、 三 祗 百 却 の 遠 却 成 佛 を 説 く の で あ る 。 か く し て 種 性 の 別 を 立 つ る 結 果 は 、 性 と 修 と を 峻 別 し 、 瑜 伽 論 に ﹁ 具 種 性 者 方 能 發 心 ﹂ す と 云 ふ 性 前 修 後 の 教 理 と な り 、 こ ゝ に 、 事 理 隔 歴 、 修 性 各 別 の 、 木 徹 底 な る 成 佛 論 と な り 、 永 却 成 佛 の 思 想 と な ら な け れ ば な ら ぬ こ と ゝ な る の で あ る 。 特 に 、 此 の 五 性 各 別 の 教 理 は 、 其 の 性 徳 の 佛 性 に 依 り て 、 或 る 一 類 の 衆 生 而 己 が 、 成 佛 す と 云 ふ の で あ る か ら 、 此 の 理 を 推 窮 し て 見 る と 、 修 生 爲 本 の 宗 義 と な ら な け れ ば な ら ぬ 。 何 故 な ら ば 。 其 の 佛 性 は 修 生 無 常 の 佛 性 と な る か ら で あ る 。 己 に 修 生 無 常 の 佛 な ら ば 、 其 の 佛 陀 は 、 入 滅 と 共 に 空 寂 の 涅 槃 に 歸 し て 、 何 等 永 久 の 生 命 を 有 し 得 ぬ こ と ゝ な る 。 こ 丶 を 以 て 、 唯 識 法 相 の 成 佛 思 想 は 、 畢 竟 、 始 覺 修 生 の 成 佛 で 、 龍 樹 の 釋 摩 訶 衍 論 に 、 染 淨 始 覺 の 法 門 と 批 剣 せ ら る ゝ 所 以 で あ る 。 然 れ ど も 此 の 宗 の 教 義 は 、 五 性 の 中 、 菩 薩 性 と 、 不 定 性 の 一 類 の 衆 生 が 、 成 佛 し 得 る の で め る か ら 、 三 世 十 方 に 無 數 の 一 佛 菩 薩 の 存 在 を 許 し て 、 可 成 普 遍 的 成 佛 論 を 爲 す
點 は 、 小 乗 の 一 界 一 佛 説 よ り は 、 教 義 發 展 上 、 一 段 の 進 歩 を 爲 し た る も の と 云 ふ べ し 。 之 れ を 成 佛 思 想 發 逹 の 第 二 轉 と 爲 す べ き で あ る 。 次 に 來 る べ き 、 第 三 轉 の 成 佛 思 想 は 、 瑜 伽 唯 識 の 事 理 隔 歴 、 性 修 各 別 の 説 に 反 し て 、 事 理 融 即 無 碍 の 教 理 の 上 に 、 現 れ な け れ ば な ら ぬ 。 龍 樹 の 三 論 學 派 の 思 想 は 、 正 し く 此 の 思 想 を 、 或 點 ま で 認 容 せ る も の で あ る 。 四 龍 樹 の 三 論 教 系 の 學 者 は 、 前 に 述 べ た 如 く 、 一 切 諸 法 は 、 皆 因 と 縁 と 、 相 待 つ て 生 す べ き も の で あ る 。 已 に 因 縁 に 依 つ て 、 萬 有 が 生 ず る も の と せ ば 、 因 縁 は 無 窮 に 縁 起 す る か ら 、 何 物 も 、 一 定 不 變 の 個 性 は あ り 得 べ き も の で な い 。 豈 に 五 性 各 別 の 不 變 性 あ ら ん や 。 若 し 唯 識 宗 の 如 く 、 個 性 の 獨 立 を 主 張 す る な ら ば 、 之 れ は 一 種 の 我 論 で あ る 、 本 有 論 で あ る 。 因 縁 の 道 理 を 破 壞 す る も の で あ る 。 何 故 な ら ば 、 因 縁 生 の 法 は 、 凡 て 室 に 歸 す べ き 無 自 性 の も の で あ る か ら で あ る 。 已 に 一 切 法 無 自 性 な る が 故 に 、 一 塵 一 法 の 生 ず る 時 、 一 切 の 法 は 、 同 時 に 縁 起 す べ き 筈 で あ る 。 愚 痴 の 凡 夫 は 、 萬 有 の 變 化 を 、 直 線 上 に 於 け る 、 點 の 移 動 の 如 く 考 ふ る で あ ら う が 、 何 ん ぞ 知 ら ん 、 甲 よ り 乙 に 轉 ず る 時 、 時 間 空 間 は 勿 論 、 價 値 意 義 一 切 を 變 ず 。 變 し て 新 た に 、 全 宇 宙 を 表 現 せ り 。 此 れ を 成 佛 の 時 間 よ り 論 ず れ ば 、 一 念 の 時 間 に 、 一 切 の 聴 蘭 を 攝 す る が 故 に 、 三 祗 百 劫 の 長 時 、 必 ず 之 れ を 要 す る の 理 な く 、 念 劫 融 即 し て 、 直 觀 の 一 念 に 、 即 身 成 佛 の 爽 的 觀 察 四 五
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 六 三 祗 百 大 劫 の 功 徳 を 攝 め て 、 一 念 に 成 佛 す べ で あ る 。 已 に 縁 起 無 性 な る が 故 に 、 煩 惱 と 菩 提 と 、 其 の 體 一 味 に し て 別 體 あ る こ と な く 、 生 佛 も 、 迷 悟 も 、 其 の 體 一 な れ ば 、 一 切 諸 法 悉 く 法 性 平 等 の 本 源 に 住 し て 、 一 味 平 等 な り 。 己 に 平 等 の 本 源 に 至 ら ば 、 釋 尊 一 人 の 成 佛 は 、 一 切 衆 生 成 佛 の 保 證 で な け れ ば な ら ぬ 、 換 言 す れ ば 、 一 切 衆 生 は 、 釋 尊 と 同 じ く 成 佛 す べ き 可 能 性 を 有 す る も の で あ る 。 此 の 故 に 、 龍 樹 の 智 度 論 に は 、 ﹁ 如 是 一 切 世 間 法 。 皆 有 涅 槃 性 ﹂ と い う て 居 る 。 龍 樹 は 其 の 教 系 上 よ り い は ゞ 、 佛 性 を 説 く べ き 人 に 非 ざ る も 、 縁 起 無 性 の 教 理 は 、 法 性 平 等 の 理 想 境 に 到 逹 し て 、 一 轉 す れ ば 實 大 乘 教 の 、 一 性 皆 成 論 と な る べ き 、 積 極 的 説 明 を 爲 し て 居 る の で あ る 。 か く の 如 き は 、 萬 有 を 直 觀 し て 、 一 息 無 間 斷 に 、 法 性 の 本 源 に 到 達 せ る 、 無 相 頓 大 の 教 理 に し て 、 禪 宗 及 び 三 論 崇 は 、 實 に 此 の 教 系 に 屬 す べ き で あ る 。 さ れ ば 此 の 中 觀 思 想 は 、 瑜 伽 唯 識 の 五 性 各 別 の 、 差 別 觀 を 打 破 し て 、 一 切 衆 生 皆 成 佛 道 の 、 大 理 想 を 掲 げ 出 し て 、 實 大 乘 教 の 一 性 皆 成 論 の 、 先 驅 を 爲 し 、 我 が 成 佛 思 想 史 上 に 、 一 大 革 命 を 與 え た も の で あ る 。 此 れ を 、 成 佛 史 上 の 第 三 轉 と す る 。 然 れ ど も 、 此 の 思 想 は 、 餘 り に 有 執 を 打 破 せ ん が 爲 め に 、 無 所 得 空 觀 の 一 面 に 偏 し て 、 稍 も す れ ば 、 縁 起 無 性 の 法 は 、 一 切 衆 生 無 佛 性 の 、 室 見 に 墮 す る 恐 れ が あ る 。 角 を た め て 、 牛 を 殺 す 間 違 が な い で も な い 。 何 故 な ら ば 、 '若 し 衆 生 に し て 、 佛 性 な し と せ ば 、 吾 人 は 如 何 に し て 、 成 佛 し 得 る か 、 佛 陀 の 偉 大
な る 力 、 永 久 不 減 の 大 悲 心 は 、 抑 何 處 よ り 生 じ た で あ ら う か 、 若 し 佛 性 な し と せ ば 、 如 何 に 修 行 す る も 、 成 佛 は 爲 し 得 ら れ ざ る に 非 ず や 。瓦 は 如 何 に 磨 て と も 、 玉 と は な ら ぬ か ら で あ る 。 そ こ で 、 此 の 思 想 の 缺 點 を 補 ひ 、 而 も 一 切 衆 生 成 佛 の 教 義 を 、 高 調 し た る も の は 、 一 性 皆 成 の 一 乘 教 の 思 想 で あ る 。 然 れ ど も 、 此 の 思 想 の 完 成 は 、 支 那 佛 教 、 特 に 天 台 華 嚴 の 教 學 に 待 た な け れ ば な ら ぬ 。 五 支 那 に 於 て 成 立 し た る 佛 教 多 し と 雖 も 、 天 台 華 嚴 の .両 一 乘 教 は 、 其 の 主 な る も の で あ る 。 印 度 佛 教 の 中 心 問 題 は 、 前 に 述 べ た る 法 相 、 三 論 室 有 の 爭 で あ つ た 、 然 れ ど も 、 此 等 の 宗 派 は 、 共 に 三 乘 教 と 稱 す べ き も の で あ つ た 。 然 る に 、 支 那 に 成 立 し た 華 天 の 二 宗 は 、 三 乘 教 の 室 有 の 二 邊 に 墮 せ る 、 偏 見 を 打 破 し て 、 成 佛 思 想 を 一 層 宗 教 的 に 、 將 た 哲 學 的 に 考 察 し た 結 果 、 一 性 皆 成 の 一 乘 教 を 、 成 立 せ し め て 、 成 佛 史 上 、 一 大 革 命 を 企 て た の で あ る 。 併 し な が ら 此 の 一 性 皆 成 の 教 義 は 、 龍 樹 の 縁 起 無 自 性 の 説 よ り 出 逹 し て 居 る 。 何 故 な ら ば 、 龍 樹 は . 有 の 見 を 破 せ ん が 爲 め に 、 空 の 一 面 を 高 潮 し た 爲 め 、 未 だ 三 乗 教 の 事 理 不 融 の 教 義 を 、 出 で な い の で あ る が 、 消 極 的 な る 室 思 想 の 反 面 に は 、 空 即 ち 眞 如 、 室 即 ち 佛 陀 の 積 極 的 肯 定 的 思 想 が 、 潜 在 し て 居 る か ら で あ る 。 經 の 中 に 、 ﹁ 縁 起 を 見 る も の は 法 を 見 る 、 法 を 見 る も の は 佛 を 見 る ﹂ と 説 き 、 智 度 論 の 第 三 十 二 卷 に は 、 ﹁ 法 性 者 。 法 名 涅 槃 。 不 可 壊 。 不 可 戯 論 。 法 性 名 二 本 分 種 。 如 黄 石 中 有 金 性 白 石 中 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 七
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 八 有 中 銀 性 上 。 如 レ 是 一 切 世 間 法 皆 有 二 涅 槃 性 一﹂ と 説 い て 居 る 。 之 れ 明 か に 一 切 衆 生 に 、 佛 性 の 常 住 を 提 唱 し た も の で 、 一 乘 教 教 理 の 出 發 點 と な つ て 居 る の で あ る 。 爰 を 以 て 、 龍 樹 の 空 思 想 は 、 一 轉 す れ ば 涅 槃 ・ 經 の 所 謂 佛 性 常 住 説 、 法 華 の 悉 有 佛 性 論 と な る べ き 、 基 礎 を 有 し て 居 る の で あ る 。 果 せ る か な 、 天 台 の 智 者 六へ 師 は 、 龍 樹 の 智 度 論 及 び 中 觀 論 に 依 つ て 、 三 諦 圓 融 の 教 理 を 組 織 し 、 三 乘 を 開 會 し て 、 一 佛 乘 に 歸 せ し め 、 龍 樹 と 同 じ く 、 五 性 各 別 の 石 壁 を 破 つ て 、 一 性 皆 成 の 摩 尼 殿 を 建 立 し た の で あ る 。 か く て 、 三 諦 圓 融 の 教 理 は 、 性 の 上 に は 、 五 性 を 破 つ て 一 性 を 顯 し 、 修 の 上 に は 、 一 念 の 妄 心 に 、 三 千 の 妙 法 を 觀 し て 、 修 性 不 二 、 速 疾 頓 成 の 成 佛 論 を 高 張 し 、 大 乘 佛 教 の 最 高 理 想 に 到 逹 し て 、 修 性 の 問 題 を 解 決 し て 、 大 乘 佛 教 の 最 後 の 完 成 に 到 つ た 樣 で あ る が 、 未 だ 決 し て さ う で は な か つ た 。 何 と な れ ば 、 此 の 一 性 皆 威 論 は 、 之 を 最 後 ま で 押 し 詰 め て 行 く と 、 反 つ て 永 久 不 成 佛 の 人 を 出 さ な け れ ば な ら ぬ か ら で あ る 。 元 來 、 成 佛 と 云 ふ こ と は 、 大 乗 佛 教 の 解 釋 法 に 依 れ ば 、 自 己 の 本 覺 の 佛 性 を 開 發 す る と 共 に 、 他 の 一 切 衆 生 を 救 濟 し 盡 く さ ね ば な ら ぬ の で あ る 。 換 言 す れ ば 、 自 證 と 共 に 、 化 他 を も 圓 滿 す る 人 で な け れ ば な ら ぬ 。 然 る に 、 若 し 一 性 皆 成 の 理 想 が 、 完 成 さ れ た と す れ ば 、 衆 生 界 終 盡 し て 、 最 後 成 佛 の 一 衆 生 は 、 最 早 、 他 に 度 す べ き 衆 生 な く し て 、 永 く 成 佛 し 能 は ぬ も の で あ る 。 若 し 此 の 世 界 に 、 一 人 に て も 成 佛 し 能 は ぬ も の あ り と せ ば 、 一 性 皆 成 の 思 想 は 、 成 り 立 た ぬ で は な い か 。 此 に 到 れ ば 此 の 天 台 の 一 性 皆 成 の 説 も 、 却 つ て 一 の 不 成 佛 の 説 を 成 し て 、 其 の 結 果 に 於 て は 、 計 ら す も 、 三 乘 教 と 同 一 の 不 成 佛 説 を 成 し
て 、 自 家 矛 盾 の 論 理 に 陷 る こ と ゝ な る 。 此 の 矛 盾 を 會 し て 、 一 性 皆 成 説 を 完 成 し た る も の を 、 華 嚴 の 法 藏 賢 首 大 師 と す 。 天 台 と 、 華 嚴 と は 、 同 じ く 、 一 性 皆 成 論 の 説 を 立 て る の で あ る が 、 天 臺 は 、 其 の 教 系 上 、 龍 樹 の 思 想 を 繼 承 し て 、 三 乘 教 の 五 性 各 別 論 を 廢 し て 、 一 性 皆 成 の 教 義 を 立 つ る の で あ る か ら 勺 畢 竟 す る に 、 五 性 説 を 否 定 す る に 非 ざ れ ば 、 一 性 皆 成 説 は 成 立 し な い の で あ る 。 故 に 、 法 相 天 台 の 二 教 は 、 氷 炭 相 容 れ ざ る 、 両 極 の 端 に 立 つ て 、 支 那 佛 教 史 上 に 於 て 、 論 議 に 華 を 映 か せ た 而 己 な ら ず 、 日 本 佛 教 史 上 に 於 て も 、 平 安 朝 よ り 鎌 倉 時 代 に か け て 、 論 爭 の 中 心 問 題 と な つ た の で あ る 。 而 か も 、 天 台 の 教 理 よ り 、 一 性 皆 成 説 を 成 せ ん と 欲 せ ば 、 上 の 如 き 矛 盾 に 陷 ら な け れ ば な ら ぬ の で あ つ た 。 然 る に 、 賢 首 大 師 は 、 瑜 伽 性 議 の 教 系 を 繼 承 し て 、 此 の 説 を 完 成 す る に 、 華 嚴 の 相 即 相 入 、 無 盡 縁 起 の 教 理 に 立 つ て 、 五 性 と 一 性 と の 両 端 を 融 會 し て 、 此 の 問 題 に 於 け る 、 最 後 の 解 決 を 爲 し て 居 る の で あ る 。 賢 首 大 師 の 考 に 依 る と 、 五 性 各 列 は 必 し も 悪 い の で な い 。 只 此 を 先 天 的 に 一 切 衆 生 に 五 性 の 別 あ り と す る か ら . 性 と 修 、 事 と 理 と の 上 に 、 越 ゆ 可 か ら ざ る 、 一 大 溝 渠 を 生 し て 教 義 上 の 大 缺 陷 を 生 す る に 至 つ た の で あ る 。 そ こ で 、 此 の 五 性 を 横 に 、 一 切 衆 生 に 區 別 し た の で は な く 、 竪 に 、 各 一 人 の 上 に 五 性 を 有 す る も の と せ ば 、 唯 識 瑜 伽 の 義 を も 破 せ す 、 一 乗 の 理 想 を も 成 す る こ と ゝ な る の で め る 。 換 言 す れ ば 、 華 嚴 の 五 性 は 、 假 立 分 位 の 五 性 に し て 、 性 徳 の 上 の 五 性 で は な い の で あ る 。 故 に 、 無 性 有 情 の 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 四 九
即 身 成佛 の 史 的 觀 察 五 〇 人 と 雖 も 、 現 在 の 一 念 に 、 菩 提 心 を 修 す る な ら ば 、 修 得 の 上 而 己 な ら ず 、 性 徳 の 上 よ り す る も 、 此 の 人 は 、 菩 薩 性 を 有 す る 人 と い ふ こ と が 出 來 る 。 其 の 代 り に 、 菩 薩 性 を 有 す る 人 も 、 菩 薩 行 を 修 せ ず に 居 る な ら ば 、 其 の 人 は 、 菩 薩 性 の 人 に 非 ず し て 、 無 性 有 倩 の 人 で あ る 。 か く て 五 性 と 一 性 と 、 修 生 と 性 徳 と の 矛 盾 せ る 思 想 は 、 華 嚴 の 相 即 相 入 、 十 玄 緑 記 の 教 理 に 依 り て 、 最 も 巧 妙 に 、 其 の 理 想 が 完 成 せ ら れ 、 釋 尊 の 菩 提 樹 下 に 於 け る 、 成 佛 の 眞 意 義 も 、 始 め て 明 ら か に な つ た こ と で あ る 。 何 故 な ら ば 、 釋 尊 の 成 道 に 因 り て 、 一 切 衆 生 皆 成 佛 道 の 實 義 が 、 華 嚴 經 を 透 ふ し て 、 日 星 の 如 く 輝 き 出 で た か ら で あ る 。 此 れ を 成 佛 史 上 の 第 四 轉 と す る 。 六 釋 尊 の 菩 提 樹 下 に 於 け る 成 道 に 、 其 の 源 を 發 し た る 、 我 成 佛 問 題 は 、 第 一 期 は 不 成 佛 、 第 二 期 は 成 不 成 佛 、 第 三 期 は 一 性 成 佛 の 基 本 的 教 義 、 第 四 期 は 一 性 皆 成 説 の 完 成 と な つ て 、 こ こ に 滔 々 天 に 漲 る 、 一 乘 教 の 大 波 濤 と な つ て 、 我 日 本 帝 國 の 佛 教 界 を 浸 潤 す る に 至 つ た 。 然 れ ど も 、 支 那 の 隋 唐 佛 教 に 於 て 、 大 問 題 と な つ た 一 性 皆 成 の 成 佛 問 題 は 、 最 早 、 日 本 佛 教 の 中 心 問 題 と な る に は 、 餘 り に 明 瞭 な 自 明 の 眞 理 で あ つ た 。 然 ら ば 、 日 本 佛 教 に 於 け る 、 重 大 問 題 は 、 何 ん で あ る か と 日 ふ と 、 何 ん と 云 つ て も 、 即 身 成 佛 、 顯 密 二 教 の 問 題 が 、 其 の 中 心 焦 點 と な る べ き 、 問 題 で あ る と 思 ふ 。 是 れ 實 に 、 成 佛 問 題 と し て は 、 終 極 に 來 ら な け れ ば な ら ぬ か ら で あ る 。 何 故 な ら ば 、 一 性 皆 成 は 、 一 切 衆 生 に 、 同 じ く 成 佛 す べ き
可 能 性 と 、 價 値 と を 認 容 し た ま で ゞ 、 ま だ 、 即 身 に 成 佛 す と は 説 か ぬ か ら で あ る 。 若 し 夫 れ 、 一 性 皆 成 而 己 に し て 、 即 身 成 佛 を 日 は ぬ の で あ る な ら ば 、 未 だ 、 龍 を 畫 い て 、 眼 晴 を 點 せ ざ る 未 完 成 の も の で あ る か ら で あ る 。 平 安 朝 の 初 頭 、 即 身 成 佛 の 問 題 を 提 げ て 、 日 本 の 佛 教 界 に 、 不 滅 の 炬 火 を 黙 じ て 、 日 本 の 佛 教 を 光 被 し 、 大 乘 佛 教 に 、 最 後 の 完 成 を 與 え た る も の を 、 弘 法 大 師 の 眞 言 密 教 な り と す 。 元 來 眞 言 密 教 は 、 印 度 に 起 り て 、 支 那 に 翻 傳 し 、 一 時 、 印 度 に 於 て も 、 支 那 に 於 て も 、 信 向 上 に は 、 非 常 な る 盛 觀 を 來 し た も の で あ る が 、 教 義 と し て の 組 織 は 、 殆 見 る も の な ぐ 、 遂 に 彼 の 地 に 於 て は 、 其 後 を 絶 つ に 至 つ た の で あ る が 、 日 本 の 密 教 は 、 不 世 出 の 偉 聖 、 弘 法 大 師 の 手 に 依 り て 、 十 住 心 論 、 秘 藏 賢 鑰 、 顯 密 二 教 論 の 如 き 、 剣 教 的 教 相 が 組 織 ぜ ら れ て 、 天 台 の 五 時 八 教 の 判 釋 、 華 嚴 の 五 教 十 宗 の 剣 教 を も 凌 駕 し て 、 古 今 の 佛 教 史 上 に 、 比 類 な き 新 教 義 を 、 創 造 し て 、 後 代 の 日 本 佛 教 に 、 非 常 な る 影 響 を 與 へ て 、 全 ,日 本 佛 教 を 風 靡 す る に 至 つ た の で あ る 。 特 に 即 身 成 佛 義 は 、 密 教 の 最 高 理 想 を 表 現 し て 、 現 身 成 佛 の 規 範 を 示 し 、 當 代 の 南 都 北 嶺 の 學 者 を し て 、 驚 倒 せ し め 、 後 代 の 日 本 佛 教 に 、 直 接 間 接 、 偉 大 な る 感 化 を 與 へ て 、 新 宗 教 は 、 何 れ も 皆 、 即 身 成 佛 の 灌 頂 を 受 け ず に は 、 通 過 せ し め ざ る に 至 れ り 。 換 言 す れ ば 、 平 安 朝 よ り 鎌 倉 期 に 顯 れ た る 、 淨 王 、 禪 、 日 蓮 の 新 宗 教 は 、 即 身 成 佛 の 教 義 を 、 換 骨 脱 體 し て 、 其 の 教 理 信 條 を 、 組 織 し た も の で あ る か ら い 或 る 意 味 に 於 て は 、 即 身 成 佛 の 、 密 教 々 義 を 形 を 、 更 え て 、 表 現 し た も の で あ る と 思 ふ の で あ る 。 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 一
即 身 成 佛 の 史 的 窺 察 五 二 こ ゝ に 於 て 私 は. 即 身 成 佛 の 教 義 を 説 か な け れ ば な ら ぬ の で あ る が 、 順 序 と し て 、 即 身 成 佛 に 對 す る 顯 密 二 教 の 態 度 よ り 説 か な け れ ば な ら ぬ 。 七 前 に 遠 べ た 、 瑜 伽 唯 識 の 三 乗 教 は 、 阿 頼 耶 縁 起 を 説 き 、 阿 頼 耶 識 に は 色 心 萬 有 の 種 子 を 含 藏 し 、 其 の 種 子 が 因 縁 に 從 つ て 、 無 限 差 別 の 世 界 を 顯 現 す と 云 ふ 、 現 象 的 唯 心 論 に 、 其 の 立 脚 地 を 有 す る も の で あ る か ら 、 事 理 の 二 注 の 中 に は 、 事 の 差 別 的 方 面 よ り 、 佛 陀 を 見 ん と す る も の で あ る 。 其 れ が 爲 め 、 勢 五 性 各 別 の 教 理 と な り 、 三 却 成 佛 の 思 想 と 、 な ら な け れ ば な ら ん の で あ る 。 然 る に 、 一 乘 教 の 中 . 天 台 の 如 き は 、 眞 如 縁 起 論 、 華 嚴 は 、 本 體 的 唯 心 論 に 立 脚 し て 、 萬 有 は 無 限 に 差 別 す と 雖 も 、 其 の 本 體 は 眞 如 無 相 の 室 理 で あ る 。 總 該 萬 有 の 一 心 で あ る と す る が 故 に 、 萬 有 の 本 體 は 、 無 差 別 平 等 の 眞 如 、 若 し く 、 一 心 な り と す る の で あ る か ら 、 事 理 の 二 法 の 中 に は 、 理 を 中 心 と し て 、 萬 有 を 考 察 す る 理 想 論 と な る 。 此 の 唯 理 唯 心 の 理 想 論 よ り 出 逹 し て 、 三 祗 の 福 徳 資 糧 を 、 一 念 、 一 刹 那 に 融 即 し て 、 即 心 に 大 覺 を 得 ん と す る 、 頓 速 の 教 理 に 依 り て 、 華 嚴 に は 、 ﹁ 初 發 心 地 便 成 正 覺 ﹂ と 説 き 、 或 は ﹁ 草 木 國 土 悉 皆 成 佛 ﹂ と 蓮 べ 、 天 台 に 、 ﹁ 一 生 妙 覺 圓 頓 無 作 ﹂ の 妙 行 と 日 ひ 、 或 は 、 龍 女 の 即 身 成 佛 を 主 張 す る に 至 り て は 、 殆 大 乗 佛 教 の 最 高 の 實 義 に 到 逹 し て 、 即 身 成 佛 を 説 く が 如 き も 、 理 想 論 は 、 ど こ ま で も 、 理 想 論 に し て 、 事 實 に 於 て は 、 矢 張 三 乗 教 と 同 じ く 、 三 祗 の 修 行 に 依 ら ざ れ ば 、 眞 に 成 佛 す る こ と 能 は ぬ の で あ る 。 爰
を 以 て 、 即 身 義 に は 、 開 卷 第 一 に 、 ﹁ 諸 縄 論 中 皆 説 三 劫 成 佛 ﹂ と 日 ひ 、 金 剛 頂 五 秘 密 の 儀 軌 に は 、 ﹁ 若 於 顯 經 修 行 者 久 經 三 大 無 數 劫 ﹂ と 説 き 、 又 請 來 録 に は 、 ﹁ 又 夫 顯 經 則 談 二 三 大 之 遠 劫 。 密 藏 則 期 十 六 之 大 生 遲 速 勝 劣 猶 如 二 神 通 跛 驢 ﹂ と 日 へ り 。 此 の 如 き は 、 顯 の 一 乘 教 も 實 に は 、 遠 劫 成 佛 す べ き も の な る を 論 せ ら れ た の で あ る 。 洵 に 彼 等 は 事 理 無 碍 、 及 び 三 諦 圓 融 の 道 理 を 説 き て 巧 妙 に 、 即 身 成 佛 を 説 く も 、 畢 竟 す る に 、 理 を 本 と し 、 事 を 末 と し 、 究 竟 の 所 に 至 れ ば 、 色 心 の 二 法 に 於 て 、 能 所 本 末 の 不 同 を 説 き て 、 現 象 の 差 別 を 本 體 の 眞 如 に 歸 せ しめ て 、 成 佛 を 説 く も の で あ る か ら 。 密 教 よ り 批 利 す れ ば 、 事 實 に 於 て は 、 遠 劫 作 佛 の 分 齊 を 出 で な い こ と ゝ な る の で あ る 、 故 に 、 (註 三 )注 華 、 及 び ( 註 四 )華 嚴 經 に 於 て は 、 到 る と こ ろ に 、 菩 薩 は 皆 、 三 阿 僧 祗 却 を 經 て 、 無 數 の 諸 佛 を 供 養 し 、 無 量 の 功 徳 を 一 身 に 聚 集 し て 、 成 佛 す と 説 い て 居 る の で あ る 。 一 體 、 成 佛 と は 、 絶 待 智 の 顯 現 せ る も の を 云 ふ の で あ る 。 一 切 諸 法 不 生 の 本 源 を 押 へ て , 佛 と 稱 し 、 法 身 と 稱 す る の で あ る 。 佛 果 は 己 に 不 生 絶 待 の 果 で あ る か ら 、 そ こ に は 、 善 悪 、 邪 正 、 凡 聖 等 の 相 待 の 諸 法 を 絶 し て 、 不 可 思 議 の 實 在 で な け れ ば な ら ぬ 。 然 る に 顯 教 の 人 々 は 、 畢 竟 す る に 、 煩 惱 を 斷 し て 、 菩 提 を 得 、 悪 を 滅 し て 、 善 を 修 せ ん と す る 。 是 れ 實 に 、 生 滅 相 待 の 世 界 に あ つ て 、 成 佛 を 遠 く 理 想 の 彼 岸 に 仰 望 す る も の で あ る 。 た と ひ 、 成 佛 を 爲 し 得 た り と す る も 、 無 明 縁 起 の 吾 人 の 身 心 は 、 悉 く 之 れ を 滅 却 し な け れ ば 無 相 室 寂 の 涅 槃 に は 、 入 る こ と が 出 來 ぬ 。 此 れ 實 に 、 二 乗 の 灰 身 滅 智 の 涅 槃 と 。 相 去 る こ 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 三
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 四 と 遠 か ら ぬ も の で あ る ま い か 。 故 に 、 顯 經 の 成 佛 は 成 佛 の 位 に 、 身 心 あ る こ と な く 、 唯 無 相 空 寂 の 法 身 の 理 而 己 、 存 す る が 故 に 、 華 嚴 に 所 謂 、 情 盡 體 露 の 成 佛 で 、 凡 身 に 即 し て 成 佛 し . 有 漏 の 依 身 に 於 て 、 直 ち に 大 覺 の 果 を 得 る も の で は な い の で あ る 。 是 れ 蓋 し 、 凡 身 と 佛 身 と の 上 に 、 根 本 的 の 相 違 を 見 る か ら で あ る 。 茲 に 於 て 、 私 は 、 顯 密 二 教 の 成 佛 の 相 違 に 付 て 一 言 せ な れ ば な ら ぬ 。 凡 顯 教 に 於 て は 、 吾 人 の 身 心 は 、 本 源 に 歸 し て 考 ふ れ ば 、 元 よ り 眞 如 の 顯 現 な る も 、 眞 如 獨 り 生 せ ず 、 生 す る こ と は 、 必 無 明 の 業 力 の 薫 脅 に 、 因 る の で あ る か ら 、 畢 竟 ず る に 、 無 明 と 眞 如 と が 、 和 合 し て 生 ず る も の で あ る 。 故 に 、 吾 人 の 身 心 は 、 元 是 れ 虚 假 無 常 の 煩 惱 の 肉 身 で あ る 。 之 れ を 分 段 生 死 の 肉 身 と 稱 す 。 然 る に 、 佛 身 は 、 三 祗 百 刧 の 功 徳 身 の 成 ず る 所 で あ る か ら 、 微 細 清 淨 の 永 久 不 滅 の 法 身 で あ る 。 こ こ を 以 て 、 吾 人 に し て 、 成 佛 せ ん と 欲 せ ば 、 先 づ 有 漏 の 依 身 た る 吾 人 の 肉 身 を 滅 却 し て 、 無 漏 清 淨 の 佛 身 を 體 現 せ な け れ ば な ら ぬ 。 故 に 顯 教 に あ つ て は 、 成 佛 の 順 序 と し て 、 先 づ 三 大 何 僧 祗 刧 の 修 行 に よ り て 、 分 段 生 死 の 、 吾 人 の 肉 身 を 轉 化 し て 、 微 細 清 淨 な る 菩 薩 の 變 易 身 を 受 け 、 次 に 最 後 の 一 刧 に 於 て 、 大 悲 の 行 願 を 滿 し て 、 金 剛 輪 際 に 至 つ て 、 無 明 煩 惱 と 永 く 分 れ て 、 圓 明 無 碍 な る 佛 身 を 得 と す る の で あ る 。 之 れ 顯 教 に 於 て は 、 父 母 所 生 の 肉 身 の ま ま 成 佛 し 能 は ぬ 所 以 で あ る 。 然 る に 、 眞 言 密 教 に 於 て は 、 吾 入 の 肉 身 は 、 元 是 れ 佛 と 同 じ く 、 無 限 の 佛 徳 を 先 天 的 に 保 有 し て 居 る
も の で あ る か ら 、 實 の 如 く 吾 人 の 眞 の 價 値 を 覺 了 す る な ら ば 、 凡 身 に 即 し て 直 ち に 絶 待 智 を 顯 現 し て 、 無 漏 清 淨 の 佛 身 を 體 得 す る こ と が 、 出 來 る と す る の で あ る 。 八 然 ら ば 、 即 身 成 佛 の 理 論 的 根 據 は 何 處 に あ り や 、 其 の 價 笹 意 義 如 何 。 私 は 次 に 是 等 の 問 題 に 就 い て 、 一 歩 を 進 め な け れ ば な ら ぬ 。 弘 法 大 師 は 、 即 身 義 に 於 て 、 六 大 、 四 曼 、 三 密 の 、 三 大 の 法 門 を 建 立 し て 、 大 師 特 別 の 密 教 々 義 を 、 組 織 し て 居 ら れ る 。 六 大 と は 、 地 水 火 風 空 識 の 六 大 で あ る 。 此 の 六 大 の 中 、 前 五 大 は 色 法 、 即 ち 物 質 的 諸 法 の 本 源 で 、 第 六 識 大 は 、 精 神 的 本 源 を 説 か れ た も の で あ る 。 吾 人 に あ つ て は 、 前 五 大 は 肉 體 身 と な り 、 第 六 識 大 は 、 其 の 精 神 と な つ て 居 る 。 上 は 、 諸 佛 菩 薩 よ り 、 下 は 、 六 道 の 衆 生 に 至 る ま で 、 神 も 佛 も 、 人 間 も 動 物 も 、 更 ら に 、 草 木 田 土 の 非 情 に 至 る ま で 、 凡 て 皆 此 の 六 大 よ り 縁 起 顯 現 し て 居 る の で あ る 。 故 に 、 密 教 に あ つ て は 、 六 大 の 外 に 、 宇 宙 を 創 造 す る 神 も な く 、 佛 も な し 、 六 大 即 ち 佛 で あ り 、 神 で あ る の で あ る 。 夫 れ 故 に 、 六 大 は 、 宇 宙 萬 有 の 本 體 に し て 、 や が て 又 、 如 來 自 覺 内 證 の 本 源 で あ る 。 爰 を 以 て 、 大 師 は 、 大 日 如 來 否 釋 尊 の 、 菩 提 樹 下 に 於 け る 成 等 正 覺 は 、 只 此 の 六 大 不 生 の 本 源 を 、 自 覺 し た も の な り と し て 、 即 身 義 に 於 て は 、 如 來 自 覺 の 菩 提 の 實 義 を 以 て 、 六 大 縁 起 の 根 本 基 礎 と し て 居 ら れ る の で あ る 。 此 の 意 義 よ り 出 逹 し て 、 密 教 に 於 て は 、 前 五 大 の 實 相 を 開 顯 し て 、 胎 藏 の 曼 荼 羅 を 現 は 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 五
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 六 し 、 第 六 識 大 の 實 相 を 以 て 、 金 剛 界 の 曼 茶 羅 を 建 立 し て 居 る 。 而 か も 此 の 六 大 は 、 吾 人 の 色 心 、 即 靂 と 肉 と で あ る 。 故 に 若 し 吾 人 の 色 心 を 中 心 と し て 、 自 省 自 觀 す る な ら ば 、 吾 人 の 身 心 即 ち 是 れ 如 來 で あ る 、 佛 陀 で あ る の で あ る ゆ さ れ ば 密 教 の 即 身 成 佛 と は 、 吾 人 の 身 心 の 實 相 を 、 實 の 如 く 自 覺 し て 、 自 己 の 丙 に 眞 實 の 佛 陀 の 姿 を 見 、 自 己 を 以 て 宇 宙 萬 有 の 本 體 な り と 觀 し て 、 念 々 刻 々 、 新 し き 宇 宙 を 創 造 す る こ と で あ る 。 如 是 六 大 は 、 如 來 の 内 證 、 自 覽 の 理 想 に し て 、 直 ち に 又 、 宇 宙 萬 有 の 先 天 的 實 在 で あ る か ら 、 之 よ り 縁 起 す る 有 情 非 情 、 何 物 か 如 來 の 身 心 の 顯 現 に 非 ら ざ ら ん 。 此 の 意 義 を 顯 す も の が 。 密 教 の 四 曼 相 大 の 説 で あ る 。 即 ち 六 大 よ り 生 ず る 萬 有 を 四 種 に 分 ち て 、 一 切 の 有 情 の 色 相 を 以 て 大 曼 荼 羅 と し 、 一 切 の 非 情 の 形 相 を 以 て 三 摩 耶 曼 茶 羅 と し 、 一 切 の 精 紳 、 言 語 、 文 字 を 以 て 、 法 曼 荼 羅 と し 、 一 切 の 活 動 を 以 て 、 羯 摩 曼 荼 羅 と す る の で あ る 。 曼 荼 羅 と は 、 一 法 に 一 切 法 を 具 く し て 、 無 限 の 意 義 、 價 値 を 顯 現 す る も の で あ る か ら 、 此 の 四 曼 相 大 の 位 よ り 、 宇 宙 を 見 る 時 は 、 一 木 一 草 と 雖 も 、 如 來 の 好 色 身 を 現 し て 、 無 限 の 法 悦 に む せ び 、 眞 善 美 圓 滿 な る 理 想 を 現 し て 居 ら ぬ も の は な い 。 此 の 問 題 に 付 て は 、 更 ら に 後 に 説 く こ と に す る 。 次 に 此 の 六 大 四 曼 の 活 動 的 方 面 に 現 は れ た る も の を 、 三 密 用 大 と す 。 三 密 と は 、 身 口 意 の 三 で あ る 。 此 れ を 密 と 稱 す る 所 以 は 如 來 の 身 口 意 の 三 業 は 、 念 々 刻 々 、 新 し き 宇 宙 を 創 造 し て 、 窮 盡 あ る こ と な し 、活 眼 を 開 い て 之 を 見 れ ば 、 草 木 の 開 落、 人 事 の 活 動 、 何 れ か 、 如 來 三 業 の 秘 密 的 の 顯 現
に 非 ざ る 。 而 か も 一 切 の 衆 生 は 、 現 前 の 如 來 に 接 し つ ゝ 、 之 れ を 知 ら ぬ か ら 、 密 と 稱 す る の で あ る 。 散 に 、 善 無 畏 三 藏 は 、 如 來 の 三 密 を 稱 し て 、 金 剛 幻 、 或 は 不 思 議 幻 と 稱 し て 居 る 。 吾 人 も 亦 此 の 三 密 を 有 し て 居 る の で あ る か ら 、 若 し 至 心 に 、 法 身 如 來 の 三 密 に 同 せ ん と 欲 し て 、 觀 行 を 爲 す な ら ば 、 現 世 の 一 生 に 、 凡 身 に 即 し て 、 法 身 如 來 の 無 限 の 大 用 を 活 現 し て 、 一 念 一 刹 那 の 間 に 、 即 身 成 佛 す る こ と が 出 來 る の で あ る 。 こ ゝ に 至 れ ば 、 吾 人 の 身 口 意 の 三 業 は 、 宇 宙 の 一 切 に 遍 滿 し て 、 全 智 全 能 の 一 大 佛 格 を 現 じ 、 一 指 頭 を 動 か す に 三 千 大 千 國 土 を 震 動 せ し め 、 一 音 聲 を 發 す る に 、無 量 の 説 法 と な り 、 一 意 匠 の 趣 く 所 、 宇 宙 創 造 の 原 動 力 と な つ て 、 現 は る ゝ の で あ る . 換 言 す れ ば 、 共 の 身 口 意 の 三 業 は 、 最 高 至 深 の 覺 地 に 至 つ て 、 三 世 を 通 し 十 方 に 渉 つ て 、 三 無 盡 莊 嚴 藏 を 奮 迅 示 現 し 、 見 聞 覺 知 の 衆 生 を 導 き て 、 法 身 六 大 の 内 證 に 、 直 參 せ し む る に 至 り 、 自 利 利 他 の 行 願 盡 く る こ と な く ﹂ 常 に 不 壞 の 化 身 を 現 し て 、 衆 生 を 救 濟 す る の で あ る 。 弘 法 大 師 が 、 今 猶 、 金 剛 定 に あ つ て 、 人 心 を 威 化 し 、 生 身 の 大 日 如 來 と し て 、 崇 拜 せ ら る ゝ も の は 、 全 く 此 の 教 理 を 最 も 善 く 體 現 せ ら れ た か ら で あ る 。 か く て 、 以 上 説 き た る 如 く 、 密 教 の 最 高 理 悲 は 、 直 ち に 釋 尊 の 菩 提 樹 下 に 於 け る 、 六 大 法 身 の 内 證 に 直 參 し て 、 現 實 の 世 界 以 外 に 、 極 樂 淨 土 や 、 天 國 を 求 む る こ と な く 、 吾 人 の 身 心 を し て 、 直 ち に 佛 陀 の 大 用 を 現 し て 、 現 實 の 世 界 を し て 、 秘 密 莊 嚴 の 佛 國 土 と 爲 さ し め ん と す る の で あ る 。 爰 に 至 つ て 、 始 め て 釋 尊 成 道 の 、 内 面 的 意 義 が 、 明 瞭 に な つ た こ と ゝ 思 ふ 。 之 れ を 成 佛 思 想 發 展 の 最 後 の 第 五 轉 と す る 。 即 身 成 佛 の 典 的 觀 察 五 七
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 八 九 以 上 、 釋 尊 の 成 道 に 出 發 せ る 、 三 國 佛 教 吏 上 の 吾 成 佛 思 想 の 問 題 は 、 吾 國 の 弘 法 大 師 の 手 に 依 つ て 、 完 結 す る に 至 つ た 經 路 の 一 端 を 述 べ 、 畧 其 の 意 義 を 明 ら か に し た こ と ゝ 思 ふ 。 以 下 即 身 成 佛 の 密 教 教 理 よ り 生 ず る 。 二 三 の 問 題 を 述 べ て 、 重 ね て 、 其 の 意 義 を 明 ら か に し た い と 思 ふ 。 基 督 教 に 於 て は 、 繪 像 木 像 等 を 以 て 、 偶 像 と し 、 野 蠻 的 宗 教 の 遺 物 な り と し て 、 何 等 の 價 櫨 を 認 め な い 様 で あ る が 、 佛 教 中 眞 言 宗 に 於 て は 、 其 の 教 理 の 必 然 的 歸 結 と し て 、 繪 像 木 像 も 亦 、 眞 佛 な り と す る の で あ る 。 尤 も 同 一 佛 教 中 に 於 て も 、 此 の 偶 像 問 題 に 就 て は 、 可 成 相 異 つ た 意 見 が あ る 。 此 の 方 而 よ り 見 る も 、 成 佛 問 題 の 一 面 が 、 窺 知 せ ら る ゝ と 思 ふ か ら 、 先 づ 此 の 問 題 か ら 述 べ て 見 よ う 。 佛 教 中 、 小 乘 教 に あ つ て は 、 繪 像 木 像 を 、 崇 拜 の 對 象 と す る こ と は 、 絶 待 に な い 。 何 故 な ら ば 、 如 來 の 妙 色 身 は 、 藝 術 に 依 つ て 、 表 現 す べ き も の で な い か ら で あ る 。 た と ひ 、 之 れ を 造 り 得 た り と す る も 、 小 乗 教 は 物 と 心 と の 不 二 を 説 か ぬ か ら 、 土 木 金 石 の 佛 に は 、 何 等 の 靈 驗 も 、 價 値 も な い か ら で め る 。 是 れ 小 乘 教 時 代 に 於 て は 、 佛 教 藝 術 の 起 ら ざ り し 、 一 の 原 因 で あ る 。 然 る に 、 大 乘 教 に 至 り て は 、 無 數 の 佛 菩 薩 を 、 崇 拜 す る よ り 、 之 れ が 信 仰 の 對 象 と し て 、 寺 院 や 石 窟 内 に 、 佛 菩 薩 の 像 を 安 置 す る に 至 つ た 。 然 れ ど 、 大 乗 教 中 に も 、 三 乘 教 に あ つ て は 、 繪 畫 彫 刻 の 佛 像 は 、 畢 竟 ず る に 、 信 仰 發 起 の 方 便 と し て 、 尊 信 す る も 、 佛 像 夫 れ 自 身 に 、 靈 應 あ り と す る の で は な い 。 元 來 彼 等 は 、 色 法 は 心 の 所 變 に し て 、 妄 像
の 縁 起 す る 所 な り と す る か ら で あ る 。 若 し 、 佛 像 に 不 可 思 議 の 功 徳 あ り と す る も 、 そ は 、 自 心 所 現 の 本 尊 に し て 、 眞 實 の 佛 體 で は な い か ら で あ る 。 若 し 夫 れ 、 天 台 華 嚴 の 両 一 乘 教 に 至 つ て は 、 共 に 眞 如 縁 起 の 教 理 に 立 ち て 、 佛 菩 薩 の 偶 豫 も 、 眞 如 よ り 縁 起 す る 、 眞 如 法 身 な る が 故 に 、 無 量 の 功 徳 を 具 し 、 眞 佛 と 異 な る こ と な し と す る の で あ る が 、 併 し な が ら 、 退 い て 之 れ を 考 え て 見 る と 彼 等 は 、 眞 如 の 理 は 、 唯 一 無 相 の も の な る を 以 て 、 眞 如 法 性 中 に 、 佛 像 佛 畫 あ る こ と な し 、 畢 竟 ず る に 、 此 等 は 、 縁 起 枝 末 の も の な る が 故 に 、 本 に 歸 す れ ば 、 遂 に 室 に 歸 せ ざ る を 得 ぬ こ と ゝ な る 。 然 る に 、 獨 り 眞 言 密 教 に 於 て は 、 然 ら ず 、 上 に 述 べ た 如 く 、 六 大 よ り 現 ず る 一 切 諸 法 は 、 皆 四 種 の 曼 荼 羅 と す る か ら 、 繪 畫 の 佛 像 を 、 大 曼 荼 羅 と し 、 彫 刻 及 び 鑄 造 の 佛 は 、 羯 磨 曼 茶 羅 と し 、 本 尊 所 持 の 、 刀 、 劔 、 輪 寳 金 剛 、 蓮 花 を 以 て は 、 諸 尊 の 内 證 を 標 幟 す る 、 三 摩 耶 曼 荼 羅 と す る の で あ る 。 而 し て 如 是 四 種 曼 荼 羅 は 、 皆 各 人 格 を 現 ず る も の で あ る か ら 、 一 々 に 皆 眞 佛 と す る の で あ る 。 此 の 意 味 を 、 大 師 は 、 吽 字 義 に 於 て 、 ﹁ 三 種 世 間 皆 是 佛 體 。 四 種 曼 荼 羅 是 眞 佛 ﹂ と 説 か れ た の で あ る 。 此 れ を 、 實 際 方 面 よ り 見 る も 、 佛 像 は 、 眞 言 行 者 の 不 生 不 滅 の 靈 的 信 仰 よ り 、 加 持 印 現 し た も の で あ る か ら 、 活 け る 眞 佛 で な け れ ば な ら ぬ の で あ る 。 故 に 、 眞 言 宗 に は 、 理 論 上 よ り す れ ば 、 諸 佛 の 理 想 世 界 た る 、 自 性 法 界 宮 殿 に も 、 如 是 佛 像 あ り と 論 じ 、 宗 教 的 實 際 方 面 に 於 て は 、 崇 拜 の 對 象 と し 、 應 身 佛 と し て 、 三 密 瑜 伽 の 觀 行 を 修 す る 時 、 行 者 の 信 仰 と 相 應 じ て 、 眞 佛 を 現 す る の で あ る 。 か く し て 大 乘 佛 教 中 、 特 に 、 眞 言 密 教 の 起 る に 及 び て 、 佛 教 藝 術 が 、 長 足 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 五 九
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 六 〇 の 進 歩 を な し た の は 、 何 等 の 不 思 議 は な い の で あ る 。 次 に 、 女 人 成 佛 の 問 題 に 就 て 、 少 し 考 察 し て 見 よ う 。 女 人 成 佛 の 思 想 は 、 大 體 三 期 に 分 ち て 、 見 る こ と が 出 來 る と 思 ふ 。 第 一 期 は 、 原 始 の 小 乘 佛 教 で 、 彼 等 は 、 女 人 を 以 て 地 獄 の 使 な り 、 外 面 は 菩 薩 の 郊 く 、 内 心 は 夜 叉 の 如 し と 觀 し て 、 女 性 は 永 久 成 佛 す 可 ら ず と 考 え た 、 所 謂 、 五 障 の 説 即 ち 是 れ で あ る 。 五 障 と は 、 女 人 は 、 梵 天 王 と 帝 釋 と 、 魔 王 と 、 轉 輪 王 と . 佛 身 と の 五 種 の 果 報 を 受 く る こ と が 出 來 ぬ と す る の で あ る 。 何 故 な ら ば 、 帝 釋 は 小 欲 な り 、 梵 王 は 淨 行 な り 、 魔 王 は 堅 固 な り 、 輪 王 は 大 仁 な り 、 佛 は 萬 徳 を 具 す 。 然 る に 女 性 は 、 多 欲 多 染 に し て 、 懦 弱 妬 害 あ り 、 幾 多 の 煩 惱 を 具 し て 、 善 法 を 障 害 す る か ら で あ る 。 是 の 故 に 、 小 乗 佛 典 に は 、 多 く 女 性 の 悪 徳 を 擧 げ て 、 之 れ を 呵 し て 居 ら れ る の で あ る 。 然 れ ど も 女 性 と 雖 も 、 佛 性 な き に 非 す 、 佛 陀 在 世 に 於 け る 、 勝 鬘 夫 人 の 如 き は 、 慈 悲 攝 受 の 徳 高 く 、 如 來 の 稱 讃 を 得 て 居 る 、 又 比 丘 尼 に 於 て も 、 隨 分 傑 出 し た も の が あ る の で あ る が 、 概 し て 小 乘 教 に 於 て は 、 甚 だ し く 女 性 の 美 點 を 認 め て 居 ら ぬ 。 是 れ 一 は 小 乘 佛 教 が 、 小 欲 と 梵 行 と を 以 て 、 最 高 理 想 と し た か ら で あ る 。 第 二 期 は 、 大 乘 教 の 變 成 男 子 の 説 で あ る 。 女 人 の 身 を 以 て は 、 直 ち に 成 佛 す る こ と が 出 來 ぬ か ら 、 一 度 男 子 と 變 成 し て 佛 果 を 得 ん と す る 思 想 で め る 。 轉 女 身 經 に 、 在 胎 の 女 見 身 を 轉 じ て 、 當 來 の 作 佛 を 期 す と 云 ひ 、 順 權 方 便 經 に 、 轉 女 菩 薩 、 當 來 成 道 し て 、 光 明 重 如 來 と 號 す べ し と 、 説 か れ た る が 如 き は 、
女 性 に 成 佛 の 資 格 を 與 へ た も の で あ る が 、 猶 男 子 に 變 成 せ ざ れ ば 、 成 佛 し 得 な い も の と す る の で あ る 。 其 の 思 想 の 代 表 と し て 、 最 も 有 名 な る は 、 法 華 經 提 婆 品 に 於 け る 龍 女 の 成 佛 で あ る 。 靈 鷲 山 に 於 て 、 釋 尊 が 説 法 せ ら る ゝ 最 中 に 、 八 歳 の 龍 女 が 現 は れ て 、 文 珠 菩 薩 の 教 化 に 依 り て 、 法 華 圓 頓 の 妙 旨 に 逹 す る や 、 忽 然 と し て 、 變 じ て 男 子 と な り 、 菩 薩 行 を 具 し て 、 南 方 無 垢 世 界 に 生 じ て 、 正 覺 を 成 し た と 云 ふ 思 想 で あ る 。 此 の 龍 女 の 成 佛 は 、 後 世 天 台 及 び 日 蓮 宗 等 の 教 徒 に 依 り て 、 女 人 成 佛 の 好 典 型 な り と 稱 導 せ ら る ゝ に 至 つ た が 、 併 し な が ら 、 猶 是 れ 、 女 性 其 の 儘 の 即 身 成 佛 で は な い 。 次 に は 、 第 三 期 の 女 人 即 身 成 佛 の 思 想 で あ る 。 菩 薩 處 胎 經 に 、 魔 、 梵 、 釋 、 女 、 皆 身 を 捨 て ず 、 受 け ず 、 現 身 に 成 佛 す と 説 き 、 、轉 女 身 經 に 、 第 一 義 中 に 於 て は 、 男 女 あ る こ と な し と の 思 想 之 れ で あ る 。 眞 言 宗 の 教 理 よ り 之 れ を 論 ず る 時 は 、 女 人 も 亦 、 六 大 法 性 の 佛 身 の 顯 現 で あ る か ら 、 男 子 と 同 じ く 、 即 身 成 佛 す べ き 、 本 質 を 有 す る こ と は 勿 論 で あ る 。 故 に 、 大 日 經 に 、 ﹁ 是 の 善 男 子 善 女 人 は 無 量 の 功 徳 皆 成 就 す ﹂ と 日 ひ 、 両 部 曼 荼 羅 に 、 女 性 の 菩 薩 を 圖 し た る が 如 き は 、 最 も 此 の 教 理 思 想 を 明 ら か に し て 、 女 人 即 身 成 佛 の 規 範 を 示 し た も の と 云 ふ べ き で あ る 。 然 ら ば 、 高 野 山 等 佛 教 の 靈 場 に 、 女 人 の 參 詣 を 禁 じ た の は 、 何 故 で あ る か と 云 ふ と 、 其 は 女 人 の 成 佛 を 遮 し た も の で な く 、 修 業 禮 觀 の 、 障 害 を 除 か ん が 爲 め 、 別 意 趣 で あ る か ら 、 女 人 の 成 佛 と は 、 全 く 別 關 係 の も の で あ る 。 い い 次 に 、 最 後 に 、 草 木 の 成 佛 に 就 て も 、 三 重 の 思 想 階 級 に 、 大 體 分 つ こ と が 出 來 る 。 第 一 重 は 小 乘 教 で 、 即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 六 一
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 六 二 草 木 は 、 非 情 の 色 法 な る が 故 に 、 元 よ り 成 佛 す べ き 筈 な く 、 珈 伽 唯 識 の 教 理 に 於 て も 、 草 木 に は 佛 性 な き が 故 に 、 成 佛 の 道 理 、 更 に な い と す る の で あ る 。 次 に 第 二 重 に 、 天 台 華 嚴 の 両 一 乗 教 は 、 或 は 一 色 一 香 無 死 中 道 と 説 き 、 或 は 草 木 國 土 悉 皆 成 佛 と 唱 え て 、 盛 ん に 草 木 の 非 情 も 亦 、 成 佛 す と 云 ふ の で あ る 。 然 れ こ も 、 彼 等 の 草 木 成 佛 説 は 、 猶 未 だ 、 主 觀 的 に 、 其 の 成 佛 を 説 く も の で あ る か ら 、 草 木 夫 れ 自 身 が 、 人 格 を 具 し て 、 發 心 修 行 し て 成 佛 す と は 、 説 か ぬ の で あ る 。 之 れ に 反 し て 、 第 三 重 に 、 眞 言 密 教 に は 、 客 觀 的 に 、 草 木 の 非 情 も 亦 、 成 佛 す と 説 く の で め る 。 何 故 な ら ば 、 草 木 も 亦 、 六 大 色 心 の 二 法 よ り 縁 起 せ る も の で あ る か ら 、 佛 體 を 現 す べ き 筈 で あ る 。 春 夏 秋 冬 四 季 に 於 け る 草 木 の 開 蕗 は 、 發 心 、 修 行 、 菩 提 、 涅 槃 の 成 佛 の 過 程 で な げ れ ば な ら ぬ 。 此 の 故 に 密 教 よ り 見 る 時 は 、 春 の 花 、 秋 の 紅 葉 、 皆 是 れ 、 自 性 法 界 宮 中 に 於 け る 、 曼 荼 羅 教 の 妙 色 身 、 法 身 説 法 の 姿 と 見 る の で あ る 。 彼 の 極 樂 淨 土 に は 、 水 鳥 樹 音 皆 妙 法 を 演 説 す と 云 は 、 此 の 宗 教 的 意 義 を 述 べ た も の で あ る 。 又 彼 の 三 十 三 堂 の 、 柳 の お 柳 の 如 き は 、 此 の 教 理 を 、 文 學 的 に 、 表 現 し た 、 作 品 で あ る 。 十 以 上 、 原 始 佛 教 の 成 佛 問 題 よ り 、 眞 言 密 教 の 即 身 成 佛 思 想 に 至 る ま で の 思 想 開 展 の 經 路 を 辿 り て 、 大 略 其 の 史 的 觀 察 を 試 み た 積 り で あ る が 、 何 分 問 題 が 大 き 渦 ぎ て 、 意 を 盡 く す こ と が 出 來 な か つ た が 、 今 終 に 臨 ん で 、 此 の 即 身 成 佛 思 想 .炉 、 後 代 の 日 本 佛 教 に 奥 え た る 影 響 に 就 き て 一 言 を 費 し 、 以 て 此 の 講 を
終 り た い と 思 ふ 。 前 に 述 べ た る が 如 く 、 弘 法 大 師 に 依 つ て 提 唱 せ ら れ た る 、 即 身 成 佛 の 問 題 は 、 殆 大 乘 佛 教 の 根 本 中 心 問 題 と な り て 、 其 の 解 釋 如 何 は 、 各 宗 教 理 の 勝 劣 淺 深 を 批 判 す る 好 題 目 と な り 、 教 理 思 想 の 精 美 を 盡 く す や 、 叡 山 佛 教 は 眞 先 き に 此 の 思 想 を 露 取 し て 、 台 密 の 即 身 成 佛 思 想 と な り 、 南 都 の 六 ハ 宗 も 次 第 に 眞 言 宗 化 し て 、 平 安 朝 の 全 般 の 社 會 思 想 を 支 配 し 、 文 化 の 中 心 思 想 と な る に 至 つ た 。 所 が 眞 言 密 教 の 即 身 成 佛 に 、 無 相 と 有 相 と の 二 種 の 成 佛 が あ る 。 無 相 の 即 身 成 佛 は 、 上 に 於 て 述 べ た 如 く 、 自 己 の 身 心 の 上 に 本 有 の 六 大 法 身 を 顯 現 し 、 其 の 身 口 意 の 三 業 は 、 無 限 の 大 用 を 發 揮 し て 、 當 代 の 文 明 に 絶 待 の 影 響 を 與 ふ る 而 己 な ら す 、 千 古 不 滅 の 社 會 感 化 の 大 救 世 主 と な る の で あ る が 、 有 相 の 成 佛 は 、 三 密 の 活 動 が 現 實 の 人 生 に 幸 福 と 榮 逹 を 與 ふ る 所 願 的 方 面 に 現 れ て 、 人 々 の 災 難 を 滅 し 、 福 徳 を 増 し 、 敵 を 降 伏 し 、 名 譽 榮 逹 の 希 堅 を 成 就 せ し め て 、 現 世 に 於 け る 觀 樂 を 享 受 せ し む る 力 と な る の で あ る 。 此 の 二 種 の 成 佛 の 内 、 元 よ り 密 教 の 理 想 は 、 無 相 の 成 佛 に あ る の で あ る が 、 且 ら く 、 現 世 の 幸 福 に 執 着 せ る 劣 慧 の 衆 生 を 導 か ん が 爲 め に 、 有 相 の 成 佛 を 説 く の で あ る 。 之 れ を 大 日 經 に 、 ﹁ 甚 深 無 相 の 法 は 、 劣 慧 の 堪 へ ざ る 所 な り 。 彼 等 に 應 せ ん が 爲 め に 、 兼 て 有 相 の 説 を 存 す ﹂ と 説 か れ て 居 る 。 然 る に 、 平 安 朝 の 文 明 が 爛 熟 す る に 及 び 、 有 相 の 成 佛 の 方 面 而 已 が 、 貴 族 的 祉 會 に 亂 用 せ ら る ゝ に 至 り て 、 密 教 の 眞 精 神 は 失 は れ て 、 眞 言 密 教 は 、 彼 等 の 利 已 的 欲 望 に 而 己 滿 足 を 與 ふ る 魔 道 に 陷 る に 至 れ り 。 鎌 倉 時 代 に 於 け る 新 佛 教 の 蓮 即 身 成 佛 の 史 的 親 察 六 三
即 身 成 佛 の 史 的 觀 察 六 四 動 は 、 主 と し て 、 此 の 失 は れ た る 無 柑 の 成 佛 を 復 活 し て 、 時 代 に 適 せ る 新 佛 教 た ら し め た も の と 見 る こ と が 出 來 る と 思 ふ 。 禪 宗 の 即 心 即 佛 、 是 心 是 佛 の 活 作 活 用 は 申 す ま で も な く 、 淨 土 眞 宗 の 悪 人 正 機 、 往 生 即 成 佛 の 思 想 に も 、 直 接 間 接 密 教 の 即 身 成 佛 思 想 の 表 現 を 見 る こ と が 出 來 る の で あ る 6 特 に 日 蓮 宗 の 唱 題 成 佛 に 至 り て は 、 全 く 密 教 の 即 身 成 佛 を 口 唱 の 一 面 よ り 實 現 し て 、 精 醇 な る 密 教 精 神 を 一 般 民 衆 化 せ し め た 、 改 革 的 新 蓮 動 を 見 る こ と が 出 來 る と 思 ふ の で あ る 。 此 一 文 は 、 大 正 十 一 年 六 月 十 六 日 、 神 戸 市 關 西 學 院 神 學 部 に 於 け る 、 交 換 講 演 の 舊 稿 に 、 多 少 の 改 訂 々 加 え た も の で あ る (大 正 十 一 年 十 月 十 日 記 了 ) ( 註 一 ) 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 雜 事 三 十 八 卷 (寒 二 、 八 十 三 ) 我 年 二 十 九 、 出 家 求 善 法 一 、 又 五 十 盤 年 、 専 行 二 戒 定 慧 雜 阿 含 經 三 十 五 卷 (辰 帙 三 、 一 〇 八 左 ) 始 年 二 十 九 、 出 家 修 二 善 道 、 成 道 至 於 今 扁 、 經 五 十 餘 年 (註 二 ) 高 雄 口 訣 (高 祖 大 師 口 設 眞 濟 記 ) 問 經 三 阿 信 祗 刧 修 六 度 等 了 成 佛 者 其 意 如 何 答 阿 闍 梨 宣 。 爲 降 伏 大 慢 衆 生 云 下 經 三 僧 祗 成 佛 也 。 問 爲 降 伏 大 慢 衆 生 意 如 何 。 答 魔 王 以 已 有 自 在 力 與 佛 相 爭 佛 即 宣 。 汝 但 經 一 刧 修 爲 自 在 勢 力 。 我 即 經 三 無 數 大 刧 難 行 苦 行 方 成 佛 道 何 諏 欲 相 競 耶 。 即 自 在 魔 王 云 。 以 何 證 知 爾 耶 。 則 佛 舒 右 手 按 大 地 。 時 忽 然 地 紳 踊 出 相 證 某 實 即 時 魔 王 降 伏 也 。 是 故 云 爲 大 慢 衆 生 經 三 大 刧 成 佛 也 。 (註 三 ) 法 華 經 方 便 品 佛 曾 親 近 百 千 萬 億 無 數 諸 佛 。 盡 行 諸 佛 無 量 道 法 。 同 經 屬 累 品 我 於 無 量 百 千 萬 億 阿 僧 祗 刧 。 修 習 是 難 得 阿 褥 多 羅 三 藐 三 菩 提 法 一。 ( 註 四 ) 六 十 華 嚴 經 慮 遮 那 品 如 來 無 量 刧 中 自 然 正 覺 出 世 間 。 無 量 無 數 天 刧 中 修 習 普 賢 甚 深 行 。