• 検索結果がありません。

雑誌名 同志社法學

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 同志社法學"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の 問題 : フランスの政治文化の特徴についてのノー

著者 中谷 猛

雑誌名 同志社法學

巻 59

号 2

ページ 161‑194

発行年 2007‑07‑31

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011188

(2)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六一同志社法学 五九巻二号

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題

フランスの政治文化の特徴についてのノート

中 谷   猛

 (七三一) はじめに

 近年、国内外において共和主義に関する議論が盛んであり、その研究成果の一つとして田中秀夫・山脇直司編﹃共和主義の思想空間

シヴィック・ヒューマニズムの可能性

﹄(二〇〇六)を挙げることができる。ポーコックの提示し た「シヴィック・ヒューマニズム」を手掛かりにしたこの共同研究は、ヨーロッパ近代における共和主義の多様な展開過程を考察すると共に、共和主義思想のもつ現代的可能性を追究した画期的なものといえよう

。共和主義の論議をフラ 1)

ンスに限定すれば、欧州統合や移民問題が共和国の政治原理であるライシテをゆさぶる中、制度としての共和制やその

思想的基盤である共和主義について様々な議論が白熱化する。たとえば、民主制と共和政とを対立軸とするレジス・ドゥブレの論考があり、その内容を海老坂武が紹介している。共和国の理念をめぐる体制擁護論と修正可能な体制批判論

(3)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六二同志社法学 五九巻二号

(トゥレーヌ)との論戦と見れば、論争の重要性が認識できる

スてンラフり限る見を議論のいつに国和共、はで本日。 2

のような高い関心は期待できないだろうが、三浦信孝編﹃普遍性か差異化

共和主義の臨界、フランス﹄(二〇〇一)を読むと、共和国のはらむ諸問題が俎上に載せられ、フランスの行方について共和主義対多文化主義の視点から総合的 な検討が加えられている

へ浦然であるとはいえ、三論は文の「序 フランスはどこ当れ関そつの国での共和主義にす る議論に相違がある。二 。 3)

行く?グローバル化・欧州統合・移民問題に揺れるジャコバン共和国」に見られる「ジャコバン共和国」の表現が私には問題の手掛かりになるように思われる。確かに近代以降のフランス政治と思想に関する著作には「ジャコバン主義」

Ja co bin ism e

)という言葉がよく用いられる。政治思想の次元に引き寄せれば、ジャコバン派の歴史よりも「ジャコバン主義」として論争の的となった言説、つまり言説としての「ジャコバン主義」の思想と特徴の認識が問題への接近に

なると考えられる。 近年国民議会の協力のもとに刊行された共和主義に関する百科全書といえるヴァンサン・デュクレール、クリストフ・

プロシャン編纂﹃共和政の批判的事典﹄(二〇〇二、一〇七名の寄稿者、一三四一ページ)を紐解いて見ると、ジャコバン主義を表題に掲げた論考はない

もバとしてのジャコン概主義が不可分の念、義はランス共和主に。関する議論でフ 4

のであることはいうまでもない。だが、この国の知的風土の中で論争的概念の刻印を押されてきたがゆえにテーマとして取り上げることは避けられたのかもしれない。

 もちろん多数の寄稿者の論考からなる著作の中には、たとえば「主権」をテーマに扱う論文において「ジャコバン主義のなぞ

モャ文脈で用いられる「ジコ問バン主義」の問題はデうを人連表現が見出される。民」主権と代表制との関の 5

クラシー思想の核心(人民の政治参加)にふれるため、「ジャコバン主義のなぞ」の文言には留意しておきたい。  (七三二)

(4)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六三同志社法学 五九巻二号  歴史家フランソワ・フュレはこの言葉が示唆するものとしてある概念や伝統、また政治的精神状態である以前に、あるクラブの歴史であることを強調する。著名な革命史家であれば、歴史的事実としての「ジャコバン主義」、すなわち フランス革命当初から革命期全体を通してのジャコバン・クラブの活動とその影響を重視するのは自然なことであろう

言や台に活動した政治家たちそをの意見に賛同した民衆の舞ブコラの事実としての「ジャバ歴ン主義」には、このク史 。 6)

動、つまり広い意味での歴史と思想がある。 なるほどフランス革命から二〇〇年を経た現在、観念としてのジャコバン主義は革命後の時代である一九世紀ほど論

争的性格の概念でないかもしれない。というのは後世の人にとって革命の記憶が過去のものとなり第三共和政の樹立後制度の安定と定着が図られるにつれ、この観念にこめられた愛着や憎悪といった人間の情念が薄れ、またこの観念の中

核にある人民主権に関する論争が時代と共に後景へと押しやられたからに他ならない

釈インス共和政のあり方がラシフテ、つまり政教分離の解ラののて方フランスの現実政治次 元では、国民国家とし他 。 7)

問題をめぐって鋭く問われている。論争の激しさは世論の二分化が如実に物語る。また、一九八二年以降の制度における分権化の進展が言論界の注目を集めたが、その議論の一つに「ジャコバン国家の終焉」(一九九八)という論考も

ある

題﹄(フランス政治のモデル二は〇〇二)であるが、副﹃題。ンさらにピエール・ロザヴ表ァロンの近作ではその 8)

には「一七八九年から今日までのジャコバン主義に対抗する市民社会」とある

。を義の議論において一定の役割演和じていることが理解できよう主共主が説言るす関に」義ンバ 状なう。よのこを況ジ一瞥すれば「ャコ 9)

 この国の知的政治的風土の中で「ジャコバン」や「ジャコバン主義」を記号またはシンボルとみるか、あるいは共和主義の思想原理(政治的ルソー主義)とみるか、その認識は論者の立場によって異なる。それゆえ議論は跡を絶たない

10

ともあれフランスの政治文化について語る場合、ジャコバン主義がその政治思想的支持者と、またその対立者との双方

 (七三三)

(5)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六四同志社法学 五九巻二号

によってイデオロギー的言説とみなされる中で、概念自体がある種の特権的地位を保ってきたことはおそらく否定し得

ない。本稿では共和主義の議論に密接に関連するフランスの政治文化に固有の「ジャコバン主義」の現象に関する言説を手掛かりにしてさしあたり、ジャコバン主義の問題が共和主義の論議にどのような関連性をもつのか、両者の論理的

関連に注目して検討してみたい。現在の共和主義の議論に接近する道筋を探る必要があるからである。

――1﹄() 

﹀﹄︿ 2﹄() 

――」( 3﹄() 

﹄( 。」 。「 2

ubnnaire critique de la Répliqicue, Flammarion, 2002tio, Dson rt et C.ProchasDV. ucsous la directionle4) 

Ibid., p.265.5) 

6) 

﹄(﹄(、辻、一 7) ﹄(﹄(  (七三四)

(6)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六五同志社法学 五九巻二号

」( ﹄( isp Jurit rudence, etiriroDe daleérénGe 9819f. . a fCraB. Rémond, Linib de l’État jacobain? L8) 

稿 ds, ditions20u Seuil, 04. jourÉos piéoca s, Laisaç fruetiqolièle code mLn, llovaanosRP. téiv ne j à8917e e disminobace ltrileon c9)  q.sq21.., pidib 10ut19e faa LrdlliaJu. 85J. , u à RuilsseaouSe) 」「

一 フランス革命とジャコバン主義

 周知のようにジャコバン主義はフランス革命の過程で現れた歴史的現象である。それが後世に及ぼした思想的影響は

計り知れないが、政治領域に投げかけた深刻な影響(たとえば革命的・愛国的独裁)も看過できない。さしあたり歴史過程に現れたジャコバン主義、すなわち革命過程におけるジャコバン派の活動とはどのようなものであったか、この問

題について検討しておこう。 フランス革命期に形成されたジャコバン・クラブの活動についていえば、国民公会の開始(一七九二年九月の共和政

の成立)からテルミドール九日(ロベスピエール派の没落、一七九四年七月)までにおける期間こそジャコバン派が主

に政治舞台で活躍した期間にあたる。この派の名称は、最初ブルターニュ人である第三身分の少数の議員たちがヴェルサイユにつくった私的な集まり「ブルトン・クラブ」を母体に、パリに国王や議会が移動した後、議会に近いサン=ト

 (七三五)

(7)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六六同志社法学 五九巻二号

ノレ街のジャコバン修道院に活動の拠点を定めたことに由来する

1

 クラブは「憲法友の会」の名称のもとに﹃憲法友の会雑誌﹄を発行する一方、全国的規模で地方協会組織を次々設立して地方と本部との連携を図り、名称も一七九二年九月には「自由と平等の友なるジャコバン・クラブ」と改称して全

国的に影響を拡大していく。革命の進展とともにクラブの政治的性格は急進化する。その後国王のバレンヌ逃亡と第一次対仏同盟などの国家存亡の危機に際してジャコバン派は、主に商工業の代表であるジロンド派との対立を深めること

になる。 ところで、革命過程に出現したパリ民衆運動との連携が強化されるにつれ権力闘争の一角を占めたジャコバン派は、

ジロンド派追放後議会(国民公会)における指導的党派、すなわちロベスピエールに代表される山岳(モンターニュ)派の寡頭政治集団の支配へと突き進む。もちろんフュレのいうようにジャコバン派は国民公会での議会内左派をさす山

岳派よりも強力な集団であったことは言うまでもなく、この集団には「狂信主義または追随主義」が見られたことは周知の事実に属する

た利とで国境において不なの闘いを強いられていも導き指だ注目しておくべこ。とは、ジロンド派た 2

フランス軍が「祖国は危機にあり」(一七九二年七月一一日)の宣言後国民軍の奮起に助けられた結果、戦況に変化が現れたことにある。つまり戦争を指導する山岳派の共和政府は対仏大同盟軍に対峙して戦果を挙げていく。ジャコバン

的共和国と戦勝の問題に独裁政治が功罪相半ばの形で絡む

初民(一七九三年六月)が国公憲会で採決されフランスで法の項年の間、重要な政治的事を 拾えば、まず共和暦一こ 。 3)

の人民投票によって批准された。だが、戦時のため施行が延期されたが、その内容はきわめて注目すべきものといってよい。辻村みよ子によれば、それは民主的急進的憲法原理にある。すなわち人民主権を明確に標榜し、二一歳男子全員

に投票権を認め、またのちの「社会権」概念の萌芽といえる「不幸な市民」の公的救済を規定することで平等原理の徹  (七三六)

(8)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六七同志社法学 五九巻二号 底をめざす

公設員委の人四二たれさ創らに会公民国の月一年かな九月「の名九るれさ選改毎るは」会員委衛防面全「三七に次 一 。会をーシラクモデ的、社ざ後のそは法憲のこめ法すよ。るなにとこすぼお憲を響影の大多に想構 4)

安委員会」に同年四月改称され、後に「大公安委員会」の設置へと続く(一七九三年七月)。一二人のメンバーの中に左派のロべスピエールやサン=ジュストらと右派のカルノやロベール・ランデらが、また極左派のビヨ・ヴァレンヌら

の名前が見られる。「人民主権」を主張する集団についていえば、革命過程では国民公会、パリの諸地区、コミューンやジャコバン・クラブの間で揺れ動き、「もっともたしかな安住の地」(フュレ)をジャコバン・クラブに見出す

。後世 5

から見ればこの主権の絶対性に様々な批判があったが、当時の民衆が「人民主権」に込めた反専制的感情は軽視されてはならないだろう。そしてこの人民主権の「化身」とはロベスピエールに他ならなかった。彼が革命政府のもとで「デ

モクラシ

の使徒」(ルフエーブル)であると同時に、「愛国者」、「清廉の立法者」としてパリ民衆の歓呼の声を浴びたことは記憶に留めておいてよい

6

 一方国民公会には「革命裁判所」や「革命監視委員会」が設置され、とくに各市町村もしくは各市町村のセクションごとに設置された監視委員会は「恐怖政治」期の最も重要な機関となる。一般にジャコバン派主導の「革命政府」とは

「大公安委員会」のもとでロベスピエールらが独裁的権力を振るい、革命政府の行政権すべてを掌握した時期をいい、

この独裁政治、つまり「恐怖政治」は反ロベスピエール派と議会によるテルミドール九日のロベスピエール派の追放と処刑で終わる。ジャコバン・クラブも当然、閉鎖された。こうした革命期のデモクラシーと独裁を結合したイメージが

「恐怖政治」の言説とともに人々の記憶に刻み込まれていく。まさにジャコバン主義とはこの記憶と言説との闘いの産物といっても過言ではない。

 では後世の歴史家はジャコバン独裁の意味をどのように捉えるのか。たとえば代表的な革命史研究者、柴田三千雄の

 (七三七)

(9)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六八同志社法学 五九巻二号

見解を要約するとこうなる。この独裁は革命防衛を至上命令とし、統制経済や無償農民解放の政策などに見られる平等

主義的諸政策の代償として成立した挙国一致体制である。それはすべて孤立した民衆世界に対する政治における中央集権体制、経済における価格統制や徴発制、文化における上から組織された革命祭典などによる国家的・官僚主義的介

入を意味する

世立の結合と嚮導によって成しーたが、この自律した民衆とギはルまり、ジャコバン独裁民 衆世界の噴出するエネつ 。 7)

界を国家統制のもとに置くことで変容させた、とする解釈は従来の制度論に傾斜したジャコバン独裁の論議に独自性をもつ民衆世界との関連性を明らかにした意義は大きい。

 だがわれわれにとって、さしあたり関心のある問題が二つある。一つ目は革命的権力がギロチン台にみられる手法によって統治の技術に変容をもたらす問題について考えねばならない。この独裁が事実上パリの独裁であったことは確か

で、なかでも「人民主権」の正当性が民衆運動=直接デモクラシーと直結されたので、当時の議会制度にゆがみが生じ立法/執行としての統治の側面は困難に直面せざるをえなかった。つまり目的と手段との転倒の果に、暴力の連鎖が生

じ諸個人の安全が犠牲にされ悲劇がもたらされた。したがって権力の変容は権力と暴力との関連性、また人権と主権との対立問題、さらにはデモクラシーの特質などについて多くの課題を抱えることになる。ジャコバン主義への批判はこ

うした点に集中しているといってよい。 一方「能動市民」に政治参加を促すロベスピエールらが中心となる山岳派政府、つまり「デモクラシー政治」ではそ

の制度装置に埋め込まれた全体としての「人民」の同質化と自発的服従を求めるナショナルな契機(祖国愛)がこの体制を支える基盤でもあったことは論議を巻き起こすことになる。

 二つ目の問題は、ルソー思想とも深く関わる人間の再生論の特質、秩序の破壊と人間解放の表裏一体性がもつエネル  (七三八)

(10)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一六九同志社法学 五九巻二号 ギーと権力行使との関連についてである。一例を挙げよう。それは国民議会の指導者の一人、プロテスタント牧師ラボー・ド・サンテティエンヌ(

R ab au d de S t. E tie nn e

)の演説に典型的に示されていた。やや長いが引用しておこう。「フ

ランスにおけるすべての制度は、民衆の不幸を至高の座に据えている。彼らを幸福にするため彼らを作り直さねばならない。彼らの思想を変え、法を変え、習俗を変えるのだ。⋮⋮人間を変えるのだ。物事を変えるのだ。ことばを変える

のだ。⋮⋮すべてを破壊するのだ。然り、すべてを破壊するのだ。すべてが再生されねばならない故に

破のされるが、演説には革命核処心である文言、すべての刑て員し自身は後に国民公会議と なりジロンド派議員と彼 。」 8)

壊と人間の再生とを表裏一体として捉える「願望」が表明されている。この人間革命の思想と新しい体制への願望・構想こそ歴史過程では権力とイデオロギーを掌握したジャコバン派のみならず、革命派すべての行動力の源泉であったと

思われる。不幸なことは、広くジャコバン派の主導によって「恐怖政治」が繰り広げられたことにある。 「恐怖政治」といわれる政治現象については多くの研究があるが、ジャコバン主義との関わりで言えばフロイトが追

究した人間の深層意識の領域が当然、問題となる。まさに革命期の人間の諸集団や個人レベルでの暴力的な破壊衝動が及ぼした影響がこの用語にこめられている。ジャコバン主義の議論では政治現象自体が複雑な様相を呈するので、深層

意識の領域は看過される傾向にある。それだけに権力行使が惹き起こす異常な現象と体験が人々の記憶に刻み込まれた

様々な回路の認識はこの領域と人間の行為(とりわけシンボル、言語、儀礼の重要性)との関係を解明するのに役立つにちがいない

ソ出衆の権力崇拝が生みすと「社会の神話」(G・民」。はもちろんわれわれに政性治権力のもつ「神秘 9)

レル)の威力への洞察力が求められる。ジャコバン主義と概括的にいった場合、その議論にはこうした様々な要素が取り込まれて展開されたことに留意しておかねばならない。

 (七三九)

(11)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一七〇同志社法学 五九巻二号

28p.」( evnch RNolution, FreHher tfteAd, arway YJ. ew19orUniv. Press. 91 k, ﹄( ﹄( 1) 

2) ﹄(

﹄( 3) 

4) 

5﹄(、﹃)、) 

。」 。「 、「 6﹄(、﹃) 

7) 

﹄(麿 19. 4. p6016, oluanmryveEe, ncra Finn tioevibe R thonn ioctleef, Rkeur. BEs Lram Wryaken Lanym &tdoxCha046, F8) 

9) ﹄(  (七四〇)

(12)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一七一同志社法学 五九巻二号 ﹄(

二 フランスにおける共和主義とジャコバン主義問題

 近世以来共和主義についての議論では古代のギリシャやローマ共和政の事象が引証され、またマキアヴェリの統治問題を考える言説と重ねられて世俗支配の独立性や自由の主張、領土の拡張や実力に担保された徳論との関連などが取り

上げられた。なかでもあいまいであった共和政のイメージ形成に「専制」の対立概念を提示して、議論の活性化に貢献した思想家としてモンテスキューとルソーは重要な位置を占める

1

 ﹃法の精神﹄においてモンテスキューが明らかにしたのは、商業的な富に開かれた共和政であり、主権の有り方によって二分類(民主政と貴族政)される共和政であった。「人民が全体として最高権力」(同書、第一部第二編第二章)を

もつ民主政では公開の投票によって法律が制定され、「平等への愛」や「祖国への愛」(第一部第五編第三章)が共和国の「徳」として奨励された。彼の著作を読むと、権力構成についてルソーと異なり元老院が共和政において果たす役割

に鋭い目を向け、また統治になんらの役割を持たない場合の「情熱によって行動する人民」(同書、第一部第二編第二章)や権力機構に触れた叙述がある。

 その一例として﹃法の精神﹄では情念への示唆的な考察が見られる。モンテスキューはこの著作で大部分の人々が立

法権力と執行権力のいずれか一方にいっそうの愛着を抱くことやあらゆる役職を左右する執行権力が持つ大きな期待について指摘した後、こう続ける。「あらゆる情熱はここでは自由であるから、憎悪、羨望、嫉妬、富や名声への熱意は

 (七四一)

(13)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一七二同志社法学 五九巻二号

最大限の拡がりの中で現れるであろう。そしてそうでなければ、国家は病気に打ちひしがれて、力を失ったがゆえに情

熱をもたない人間のごとくになるだろう

にな合場の彼。いならば人ねれいに慮考をか、間る要観力権が能機の素的的理合不ういと念情のすき働なき大にかいを 。」中れえ考に心権を象現力、りまつばに統的が用作の念情間治人るけお構機 2)

影響を及ばしていたといえる。 だがジャコバン派の議論は、概して国家の持つ制度上の権力強化に向かう。というのは国有財産などの売却をめぐり

農民大衆から強力な経済規制を求められていたからである。モンテスキューが﹃法の精神﹄(第三部第十九編第二七章)で論じたような自由な国家における立法権力と執行権力、すなわち「目に見える権力」がどのような影響を公民の行動

一般に及ぼすのか、この側面への省察が彼らに欠けていたようだ。そのことは革命過程をみれば明らかとなろう。したがって「革命」の大義のもとに権力が暴力化する現象への視角はほとんどない。

 次にルソーの共和国像について検討しよう。確かに大革命におけるルソー思想の影響を過大視することは慎まねばならない。だが、後の議論状況を射程に入れると両者の関連性に注目することには意味がある。ジャコバン主義の議論が

おおむねルソーの理念/思想の問題に収斂していくことを考慮すれば、その政治的社会的思想(たとえば﹃社会契約論﹄)はきわめて重要な役割を果たすだけに、ジャコバン派の重要な思想的淵源とみることには妥当性がある。

 ルソーは﹃社会契約論﹄の第一篇第六章において結社行為と政治体との関連についてこう述べている。「われわれのおのおのは、身体とそのすべての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われ

われは、団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる

。中体と部分という枠組みのでが規定される点が確認できる全員」成構各と性位優の志意 ので国。」和共高最「指揮を司る一般 3)

 ルソーによれば、この公的人格が共和国または政治体であって、各契約者の個々の結社行為によって精神的で集合的  (七四二)

(14)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一七三同志社法学 五九巻二号 な団体が形成される。すなわち共和国の成員から見た場合、公的人格は国家となり、能動的な面で捉える場合には「主権者」と呼ばれる。構成員について言えば、集合的に「人民」の名称があたえられ、主権者として参加する個々の単位

の場合は「市民」と呼ばれる。また国家の法に従う場合は臣民(国民と読み替えてよい)となる。法治国家としての共和国を前提にした、主権者「人民」(全体)と個人としての「市民」との間での権力関係における非対称的構図が読み

取れる。 つまり彼の国家像を図式的に示せば国家(共和国)がまず想定され、個々の構成員が市民となる一方、集合体として

の人民が主権を持つ。以上の検討から浮かび上がってくるのは市民と国家を対極とする人民主権に基づく自由で平等な共和国像、それは専制主義や神権説に基づく君主権力には強力なアンチテーゼとなるにちがいない。後述するようにこ

うした鮮明な国家像がジャコバン主義に長短を含む議論を引き起こすことになる。 ここでルソー的共和国における市民像を検討すると、人間再生論の議論に辿りつく。すなわち﹃社会契約論﹄第一篇

第八章に記されているように、政治社会を構成する人間とは「人間を真にみずからの主人たらしめる唯一のもの、すなわち道徳的自由」を獲得した諸個人と考えてよい。だがこの政治社会の構成員である自由な人間とはヨーロッパ思想に

連綿としたキリスト教の思考枠組みが生み出したものに近い。というのは情欲に迷う「古き人」から神にかたどって造

られた「新しい人」(﹃新約聖書﹄エプソ人への手紙第四章)の思想的系譜を想起すればよいからであり、またいわゆる救済思想の史観の影響も看過し得ないであろう

4)

 「新しい人」と市民像との関連性についていえば、ルソーの﹃人間不平等起原論﹄にその端緒が見られる。まずこの著作において理念的に悪の極限として専制主義の支配に対比される善としての「自然状態」が人間のあるべき姿として

示され、堕落した人間が真の人間になる方向が追求された。その後、刊行された﹃社会契約論﹄では「社会状態」の意

 (七四三)

(15)

思想としてのフランス共和主義とジャコバン主義の問題一七四同志社法学 五九巻二号

味転換が図られ、「社会状態」とはまさに人間の意志によって善性としての「自然」を回復する企てと解釈された。こ

の意味転換を通じて彼の政治社会の建設では個々人が「市民」(真の人間)として政治的共同体の公益に向けて働きかける主体的実践に意味を求め、その強い意識に支えられることが前提条件になる

5

 ルソーが政治に期待したこの倫理的課題、すなわち専制主義批判と人間解放のための政治的思索、しかもその中核にある政治による「新しい人間」の創出が﹃社会契約論﹄における市民像に結実したとみることは可能であろう。その後

のジャコバン的革命家や革新的思想家を魅了してやまないのはこの人間再生(解放)論に違いない。革命期のみならず、第三共和政での市民像の形成がこの思想的系譜を根底に秘めていると想定してよい。それは根本において近代政治社会

の担い手である国家に奉仕する規律ある市民像を含んでいるからである。 ではジャコバン主義におけるルソー問題とは何か。行論との関連で三つの問題点について触れておくと、まず他人の

恣意への従属でなく、自分の判断で是認した政治的共同体の普遍的意志、すなわち「一般意志」にだけ服従する社会形態(自由な形態の政治的倫理的社会)の出現への期待が問題になる

離志り切と」権主「は」意般一、「合場のーソル。 6

すことができない。ルソーにおける主権は「一般意志」によって導かれる力であって、全構成員に対する絶対的な力となる主権は政治体=国家のもとにある。まさに最高の権力としての主権は、国家の構成員である個々の市民関係や一切

の法律の拘束から自由である。つまり全能といえる(主権の全能)。 しかもルソー的「社会契約」がロックなどの論理と異なることは明白で、自然権の全面放棄は市民の生命の要求が含

まれている。それゆえ「主権に対抗する人間の権利

作、「性能全の」権主ばそれす釈解と諦要との」般的治政の」志意一法「るあで明表的律の権こ「的ーソルそ主制抑の な」い。しえの出導は念観局結」、「共同の利益優先と自由の濫用 7)

用は、それらが実際問題としては相即不離であるだけに恐るべきものとなるに違いない。それは「社会の神話」を生む  (七四四)

参照

関連したドキュメント

︵雑報︶ 第十九巻 第十號 二七二 第百五號

︵逸信︶ 第十七巻  第十一號  三五九 第八十二號 ︐二七.. へ通 信︶ 第︸十・七巻  第㎝十一號   一二山ハ○

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

等で招かれて︑すでに数回訪問されており︑とりわけ︑日本証

A︑行政取締違反に関する刑罰法規︒たとえば︑フランスでは︑一般警察行政︵良俗︑公共の安全︑公衆衛生︶に

学校」「同志社政法学校」「同志社普通学校」「同志社幼稚園」という風にど