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著者 松本 加奈子

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Pierreと仮面 : Melvilleの仮面観の変遷と関連し

著者 松本 加奈子

雑誌名 主流

号 59

ページ 33‑47

発行年 1998‑03‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015139

(2)

Pienをと仮面 33 

P i e r r e と仮面

‑Melvilleの仮面観の変遷と関連して

松 本 加奈子

I  Nameless Forebodings of 111

Pierreの冒頭では,前作Moby‑Dickからは思いもよらない平和で、静溢な 牧歌的田園風景が提示される.自然はあくまでも美しく人間たちの目をなご ませ,慈悲深い存在として心地よい環境を提供する.そこで展開される恋人 たちの会話,美しい母と親思いの息子のやりとり,そしてその地にまつわる 祖先の輝かしい栄光の追憶は,ロマンスの常套的要素を忠実に反映しており,

これから始まる物語が牧歌的ロマンスであることを期待させる.しかしなが ら,この平和がいずれ無残に崩壊するということは,既に始めの段階で語り 手によって過剰なまでに繰り返し言及される.母と息子の愛情溢れる関係が 川の流れに輪えられるとすぐに,二つの流れが永久に分かたれる日が来るこ とが暗示され (7:5)1,祖先に対する主人公の素朴な尊敬と誇りが語られた 節は,そのような誇りを根こそぎにするような変化が彼の精神に起こること への言及 (7: 6)で締めくくられる.Spenserを読み美の世界に耽溺する主 人公の繊細なぬくもりが一瞬にして凍りっき (7:6),亡父への信仰の美と 詩情に目覚めていた彼が,美よりも深遠な秘密と,死よりも苛酷な生の重荷 に気づく時が来る (7: 7)という物語の展開を,プロットが進むよりも先に 読者に知らせてしまうことは,次に何が起こるかという興味を減じてしまう 点において,作品の構造的欠点と見倣されでも仕方のないものである。しか

しながら,作品創作における一般常識に反してまでも現在日にしている明快 で平和な世界が崩れ去りその下から暖昧な戦傑が顔を出すのを,あえて語り

(3)

34  Pierr・eと仮面

手に何度も念を押させたことは,作品の重点がどこに置かれているのかを如 実に示す.

Pierreにおいて重要なのは次に何が起こるかという時間的順列に沿った 展開ではなく,可視の表面, Ahabの言う'''pasteboardmasksヲ"(6:  164)の 下の深層へと垂直に潜っていく動きである. Thishistory goes forward  and goes backward, as occasion calls" (7: 54)と語り手が言うように,プロ

ットは時間的順序に従って整然と進みはしないが,別のレベルにおいての一 貫した方向性は保たれている.その方向性とは,現在日にしている事物が仮 面であることが判明し,そしてその仮面が剥がされ,そのれこ潜む何だかよ

く分からないが邪悪なものが露わになってくるという, Ahabが予感しなが らも最後まで確認しえなかった過程である.従って,主人公を取り巻く世界 の道徳的仮面が剥がれ落ちていく過程に関しては,彼の道徳的本体を形成す る要で、あった亡父の実態が遡及的に暴かれていくという過去へ向かうベクト ルが,主人公の選んだ道徳的選択の結果として世間の偽善的な仮面の下から 容赦のない非人情な本質が現れてくるという正時間的な流れの中に,折に触 れて挿入されることとなる.このように時間的には順行と逆行が混在しなが らも,仮面が剥がれ落ちていくというテーマ上の一貫した方向性を堅持する プロット構成において,仮面が剥がれるという先の展開を予見する再三の言 及は,プロットの展開に関する興味で読者を魅きつけるよりも,冒頭で紹介 される平和な光景が実は仮面であり,いずれ崩壊せざるを得ないものである と,読者に意識させる必要があったということを示している.こうして読者 は主人公と同じように, namelessforebodings of ill" (7:  62)を意識しなが

ら,物語を読み進むことになる.

牧歌的田園生活が何か別のものに変化したというのではなく,それは単な る仮面に過ぎず,凶兆はすでにその中に苧まれていると暗示されることによ って,のどかな風景が不気味にグロテスクなものに見えてくる.典型的なロ マンスのヒロインとしてのLucyと主人公Pierreの聞に忍び込み次第に増

(4)

Pierreと仮面 35  幅する '''thatmysterious, haunting face (7:37)のイメージも,恋人たち の大袈裟なまでにロマンス的なやりとりの後に現れてきたものではなく,

Pierreがその顔に出会ったのは「数週間前

J

(7: 43)のことである.Lucy  も牧歌的な遠出の時点では既にこの恐ろしい顔について知らされていて,帰 り道でその顔についての不安を語り (7: 37),それを受けたPierreも 吋n this most mild and duIcet air

, 

the invisible agencies are plotting treasons  against our loves (7:37)とAhab的な世界観を口にする.母の豹変につい ても,初めて登場した時から,語り手は彼女が「高慢

J

(7: 4) であり,息 子の「ロマンチックな愛」に対して「勝ち誇ったブライド

J

(7: 5)でもっ て報いるような女であることをほのめかしており,彼女の気高さと慈愛は息 子が「従}IJ員

J

(7: 1920)にしている間だけの一時的な仮面であることが暗 示される.実際,息子の従順さが失われてくると,彼女は二人の筒で習慣と なっていた「睦まじい姉と弟」という芝居を打ち切り (7: 95),さらには

1am no lady now, but something deeper, ‑a woman!‑an outraged and  pride‑poisoned woman!'" (7:  194)と叫んで, Iady"としての抑制された社 会的仮面をかなぐり捨てる.彼女のセリフは図らずも Iady"として世間に 見せていた顔は表面的な仮面であって,その下には"'astrong and haughty  woman'" (7: 195)としてのより深く本質的な層が潜んでいたことを示してい る.

E 二枚の肖像画

外に向けた顔としての仮面とその下に隠された内面という二層構造をより 具体的に表すものとして,効果的に登場するのが二枚の対照的な肖像画であ る.生前の父を描いた大きな立像画が「階下の立派な応接間の壁の,一番目 立つ名誉ある場所

J

(7: 72)に掲げられている

. r c

父と母の]結婚の最も素 晴らしい時期に,母のたっての願いで,彼女の気に入っている有名な画家に よって描かれた肖像画で,画中の父は彼女の好みの衣裳を着せられている」

(5)

36  Pierreと仮面

(7: 8283)ことから,彼女が気に入らないはずはないが, Pierreが心の中 の「聖廟」に理想、として奉っている清廉な雪白の「大理石像

J

(7: 68)とし ての父像とも合致する.しかしながら,若い頃の恋愛中の父をいとこであっ た素人画家が盗み描きした小さな坐像画がPierreの私室にあり,

r

あらゆる 暖昧な秘密を見る者に伝える微笑

J

(7: 84)を浮かべてPierreを悩ます.

「隠しているものは何もないかの如く

J

(7: 80)自己を晒しているように見 える坐像画zは,立像画が社会的な体面や礼節などによって魂の深奥の唆味 な秘密を覆い隠した姿であることをPierreに向かつて語り続ける (7: 83).  それは生前,父が妻に向けて見せた仮面であると同時に,妻によってつけさ せられた仮面でもある.そして父本人は死亡して仮面だけが残り,時を経で

もなおPierreの目に理想としての父の姿を焼き付けるのである

さらに複雑なことに同じ肖像画を見ても母と Pierreの見解には相違があ る.田園風景がPierreにとって楽園のように見えたのは,そこを所有して きた父祖に対する甘い追憶が可視の地上的風景に作用した結果であることが 語り手によって指摘される (7: 8)など読者に対してはPierreの主観的認 識の不確かさは暗示されている.しかしながら,肖像画に関する自分の認識 は何の確実性もない主観的なものであること,ましてや坐像画の声が実は自 分自身の声ではないかということは,この時点のPierreには思いもよらな いことである.見る者が自身の感情的要素を投影させるという点で肖像画は,

Milton R. Sternも指摘するように ,Moby‑Dickにおける白鯨やダブルーン 金貨に類似する.

The portrait is  like the whale or the gold doubloon in Moby‑Dick,  another of Melville's devices which demonstrate the relativity of  truth and the dependence of meaning upon perceptionwhilethe  device itself remains indeed an external reality. Pierre and his moth‑

er each see different meanings in the portrait

, 

and the reader

, 

seeing 

(6)

防 庁eと仮面 37  both

, 

sees more. 

白鯨やダブルーン金貨を見る登場人物たちがそれぞれの見解を述べるのを,

また別の見解を持った人物が見て感想を述べるという,めくるめく多元的視 点は,絶対無二の真実というものの地位をあやしくする.白鯨や金貨に何ら かの象徴を見出し,独自の意味を読み込むのは登場人物だけではない.それ

らが象徴するものに関して最後まで具体的な結論を与えられない読者も,各 自の視点で意味を読み込んでいくことになる.このことは二枚の肖像画に代 表されるPierre作品前半における仮面の本質にも共通しているが,ここで 問題となってくるのは,いみじくも Pipが 吋look,you look, he looks; we  look, ye look, they look'"  (6:  434)と言ったように,対象物としての他者を 見る主体の恋意性と,それによって生じる同一対象の意味の多様化かっ相対 化である。読者には複数の登場人物の視点が互いに打ち消し合う様が示され でも,それぞ、れの登場人物は自分の認識および認識主体としての自己を信じ て疑わない。すなわち他者としての世界の認識に関する問題に焦点が合わさ れているのであって,主体の存在意義に関する疑問は直接的には扱われてい ないのである.Ahabの不安は仮面の向こうには何もないのではないかとい うことであったが (6: 164),彼自身の不遜な自我に関する信頼だけは揺る がぬものであったように, Pierreも世界の可視的表面やそれを具象化する 肖像画という仮面の背後に,何か確固とした具体的なものは掴めないまま,

Myselfam left, at least'"  (7:  65)と自己に関する唯一のそして過剰な信頼 だけは保持して都会へと出奔する.

E  Surface Stratified on Surface" 

母が息子の仮面に「欺かれていた

J

(7: 193)と感じる時,彼女が考えて いたのは,社交的体裁を装った仮面で邪悪な本質を隠すという二層構造的な 構図であった.しかしながら,この時点でのPierreの仮面は既に,母の考

(7)

38  Pierreと仮面 えるような二層構造以上の次元にまで進んで、いた.

On the previous undetermined days, Pierre had solicitously sought  to disguise his emotions from his mother

, 

by a certain carefulness  and choiceness in his dress. But now

, 

since his veηsoul wαs forced  to weαrαmαsk, he would wear no paltry palliatives and disguise ments on his body. [Italics mine] (7: 183) 

これは異母弟が世間に向かつて夫の仮面をかぶるというよりも,もっと深い 意味での魂につける仮面をも暗示する.二層構造的な見方しか出来ない母に は,不肖の息子が素性の知れぬ女と駆け落ちしたという見せかけの背後に潜 む「異母姉の救済」という天上的な目的までは見抜けないだろうと計算して のPierreの行動だが,より深い意味で彼自身の魂につけた仮面には気づか ない.PierreはIsabelを助けようとする自分は義務への熱狂に駆られた the heaven‑begotten Christ" (7: 106)であり,偽装結婚は神の御心にかな う「敬虞な詐欺

J

(7: 173)であると信じている.しかしながら,このよう な「自己犠牲」という Pierreの陶酔に言及する度に,語り手はIsabelが美 しく魅力的な女性で、なかったら果たして彼女を助けただろうかと Pierreの 動機の不純さをほのめかし (7:107,174),他人を「敬鹿に欺く

J

(7: 189)  つもりが実は自分自身をも欺いていることを暗示する.

外に向けて偽装する仮面から内に向けて偽装する仮面への興味の移行は,

世界の認識の問題から自己の内奥の謎へと探求の幅を広げることになる.こ こで注意しなければならないのは,この移行が外から内へという探求の方向 転換を意味するのではないという点である.世界の表層を貫きその背後の不 可視の本質を掌握しようと考える Pierreの目論見が,実は表層に鏡のよう に投影された自分自身の主観世界を覗き込んでいるに過ぎないことが次第に 明らかになっていくという同方向的な推移の結果としての,対象の拡大であ

(8)

Pierreと仮面 39  る.

仮面の剥がれかけた世界の本質を貫徹する為にPierreが行ったのは,自 室に引き龍もって偉大な著作を読み漁りその中に真理を探すことであった が,古今東西の偉大な作品も結局は themirrors, distortedly reflecting to  us our own things"に過ぎず6鏡に歪んで映った自己の主観ではなく対象そ のものを見なければならないことが語り手によっても指摘されるように (7 : 284) ,彼の真理探究は始めから見当違いのものである。それでも Pierre は探求を続けるが,表層の下には新たな表層が現れ,実体に辿り着

く可能性は皆無に等しい.

Ten million things were as yet uncovered to Pierre. The old mummy  lies buried in cloth on cloth; it  takes time to unwrap this Egyptian  king. Yet now, forsooth, because Pierre began to see through the first  superficiality of the world, he fondly weens he has come to the unlay‑ ered substance. But

, 

far as any geologist has yet gone down into the  world

, 

it  is  found to consist of nothing but surface stratified on sur‑ face.  To its is,the world being nothing but superinduced superfi‑ cies. By vast pains we mine into the pyramid; by horrible gropings  we come to the central room; with joy we espy the sarcophagus; but  we lift the lid‑and no body is there!‑appallingly vacant as vast is  the soul of a man! (7: 284285)

世界の表層としての仮面を貫く努力は,気がつけば人間の魂の奥深くへと潜 行していく探求となっているが,表層が無窮に続くことにおいては人間の魂 も同じであり,周囲の人間関係を崩壊させ自身の命を削ってまでも執着した 探求の果てに辿り着くのは空虚のみである.

Deep, deep, and still deep and deeper must we go, if we would find 

(9)

40  Piereと仮面

out the heart of a man; desndinginto which is as descending a spi‑ ral stair in a shaft, without any end, and where that endlessness is  only concealed by the spiralness ofthe stair, and the blackness ofthe  shaft. (7: 288289)

これでは何の解決にもならないどころか,世界の空漠への不安から人格の空 虚の不安へと問題をさらに深刻化させる.さらに悪いことには,苦労して仮 面を打ち破っても Isabelが言うように "asecond face, and a third face,  and a fourth face peep at me from within thy own'" (7:  117‑118)と表層が 無窮に浮かび上がり決して真理に到達する見込みはないのに,幾層にも続く 仮面は剥がされるごとにその下から前よりも邪悪なものが現れ,探求を続け れば続けるほど深く潜れば潜るほど,探求者が発見する魂の様相は悪化する 一方である.

魂の仮面より表面的な意味で畳場人物たちが取り替える仮面も錯綜を極め ており,仮面の無窮性だけではなく恋意性も強調されることとなる@姉の不 在を嘆いていたPierreが最初に「姉」と呼んでいたのは母である Mrs.

Glendinningであったが,そこへ「姉」を名乗る Isabelが現れると,

Pierreは 彼 女 を 「 姉 」 と 認 め , 息 子 の 不 審 な 行 動 に 激 高 し た Mrs.

Glendinningは自ら「姉」の仮面を捨てて母に戻る.Isabelが「姉」であ ることを母に隠す為にPierreが考えた策略は, Isabelを「妻

J

の仮面で偽 装することである.その結果として, Pierreは母から廃嫡を言い渡され,

跡継ぎの座にはいとこのGlenがおさまることとなる.落ちぶれた Pierre に対してGlenは「いとこ」としての相愛の仮面をはずし, Pierreの「妻」

となるはずで、あったLucyに求婚する.その求婚を拒絶したLucyが今度は

「いとこ

J

としてPierreのもとへ来て共に暮らすようになるが, Isabelが Pierreの「姉」と聞いて息絶えてしまう.このように恋意的に取り替えら れる仮面は,本来の役割の意義をも陵昧なものにし,確固とした人格という

(10)

n・eと仮面 41  概念を対外的役割の面からも突き崩していく.真理の探求者としての Pierreを中心に展開される仮面劇は,始めに彼が予見したような one infinite, dumb, beseeching countenance of mystery, underlying all the  surfaces of visible time and space" (7:  52)の露見はおろか単なる親族聞の 役割交換に限られている.世界の真理に到達し叫deepersecrets than the  Apocalypse'" (7: 273)を人類に示すという壮大な構想を抱く Pierreのあが

きが,宇宙の根本原理に関する壮絶な思索として花開くのではなく,結局は,

狭い範囲の人間関係という卑小な現実経験に終始するというのも皮肉であ る.

PierreはMoby‑Dickとほぼ同じ精神的基盤や形而上学的疑問を共有しな がら違った状況設定で鋳直した作品であると言われるが 7探求の究極の目 的である不可視の何ものかの前に立ちはだかる具体的な仮面として登場する のは,自然の謎を一身に体現する一頭の鯨ではなく,複数の顔や肖像画など 不特定多数の人間の外観に関するものに変化しており,人間の心の奥へと探 求の幅が広がっただけではなく直接的に吟味の対象となる仮面がより錯綜し たことを示している.世界の認識論的把握は困難になったというどころか,

自然は themere supplier of that cunning alphabet, whereby selecting  and combining as he pleases

, 

each man reads his own peculiar lesson  according to his own peculiar mind and mood" (7:  342)と結論づけられ,

もはや探求の意義さえ残してはいない.Isabelの 勺nysterious,haunting  face'" (7: 37)やPlinlimmonの face[whichl was something separate, and  apart; a face by itself' (7:  293)も,見る者の主観を無限に投影する可能性 は秘めながらもそれ自体は無であって奥行きを持たず,表層下への侵入を許 さない. [Slomethingpassive"で Inscrutableness"(7: 290)としか言いよ うのない到inlimmonの顔は, Pierreの不安や恐れを増幅的に投影し彼を 圧迫するが, theface knows that Isabel is  not my wife!'" [Italics minel  (7:  293)とPierreが叫ぶように彼を苛めているのはPlinlimmonの人格で

(11)

42  Pier.陀と仮面

はなく表層としての顔そのもの,

r

カント流

J

に言えば「見る者の内にある 主観を映し出す

J

顔 (7: 293)である.身体的な意味での顔が問題となって いるのではないことは,カーテンによって隠された後も,今まで以上の迫力 でPierreを苛め続けることが証明している (7: 293).  Isabelについても同 じように,肱惑させるばかりに「顔

J

で埋めつくされた aroom full of  faces" (7: 45)の中に,一際目立った彼女の顔をPierreが見出して以来,素 性は不明のまま顔の残像だけが彼を呪縛する.

こういった表層としての顔の性質をより露骨に表すのが,可視の表面を描 いた外観そのものとしての肖像画である.Glendinning邸に飾られていた 祖父と父,母, Pierreの立派な肖像画は,一族が外向きの体裁を重んじる ことを如実に表していたが,誇りを傷つけられた母が悲りのあまり体面を捨 てて投げつけたフォークが突き刺さったのは,彼女自身の肖像画 (7: 130)  であったことも象徴的である.この直後に母が呪いの言葉をかける相手も,

既にその場を辞したPierre本人ではなく,彼女の肖像画の隣に掛けてあっ たPierreの肖像画である.一方,父の坐像画の謎を知ったように思った Pierreは,立像画に代表される立派な肖像画を単なる見せかけだとして不 信の念を抱くようになるが, Pierreに様々な秘密を灰めかすように思われ る父の坐像画も奥行きを持たないことでは,他の立派な肖{象画と同じである.

坐像画といえども,既にこの世の人ではない父の外観のみを描いたものに過 ぎず,いくらその表層の奥に真実を読み取ろうとしても,絵の裏にあるのは 幾層にも連なった謎ではなく, Pierre自身が'''symbol聞と呼ぶように即物 的な「汚れた挨っぽい板jであり,しかも「継ぎ目に貼つである紙はしわく ちゃで,糊もとれて剥がれかけている」という有様である (7: 87).それで も見る者に様々な遼巡を呼び起こすという点では,坐像画はPlinlimmonや

Isabelの顔と同じように, Pierreが壁からはずしてチェストの中に入れ鍵 をかけてしまった後でさえも,変色した四角い空間に itsshadowy, but  vacant and desolate trace" (7: 87)を残して彼を悩まし続ける力を持ってい

(12)

Pierreと仮面 43  る.そして家を出たPierreがチェストを開けた時,再び noiseless,ever‑ nameless, and ambiguous, unchanging smile" (7:  196)を向けて嫌悪の情 を起こさせるが,彼が衝動から火にほうり込むと,今度は哀願するような表 情に見えてくる.そのため,彼は絵を助けようと思わず火の中に手を入れて

しまい,やけどを負う (7: 198). 

Isabelが娘であるという事実こそがPierreが到達したと思い込んだ坐像 画の謎であり,その確信こそが彼の全行動を支えているものであったが,そ れが揺らぎ始めた時,ひやかし半分に立ち寄った展覧会で '''No.99. A  stranger's head, byαn unknown hαnd'" (7: 349)とだけ紹介された肖像画を 発見する.Isabelは"'onlymy mirror has ever shown me that look  before!'" (7: 350)と興奮して叫ぴ,Pierreも坐像画との酷似に博然とするが,

「二人とも同一対象に強烈に興奮させられながら精神も記憶も全く違った思 考へと導かれており,それでいて奇妙なことに互いに相手が同じことを考え ていると思いこんでいる

J

(7: 352)という状態に陥る.Isabelが考えてい るのは「生きた顔

J

(7: 352),つまり彼女に父と名乗った人物であるが,

Pierreが思い出しているのはIsabelが存在さえ知らない坐像画8であり,

「今後二人がこのくい違いに気づくことはないだろう

J

と語り手は断言する (7 : 352).こうして,絵によって特殊な印象を呼び起こされることは,絵自 体に原因があるのではなく見る者の精神的状態にあるのではないかという疑 いが,再び取り上げられることとなる.この疑いは,向かい合わせに掛けら れたCenci像の方には吸い寄せられるLucyが,さして興味も示さずにこの 絵の前を通り過ぎてしまうことによっても強調される.さらにPierreが戦 傑を覚えたことは, Isabelの父であるという蓋然性は坐像画とほとんど変 わらないように思えるこの絵のモデルが,海の向こうの素性も分からない人 物であるばかりか,もしかしたらモデルさえ存在しない全くの空想画かもし れないということである (7: 353).表層が実体を伴わずにそれ自体で完結 し,仮面の背後には始めから何も存在しないのでは, Pierreの今までの探

(13)

44  均的と仮面

求も全く意味のないものとなってしまうばかりか,これ以降のあらゆる積極 的な探求の可能性も完全に否定され,残された道はただ,実体の伴わない仮 面の世界で抗わずに受動的に生きるか虚しい探求の果てに力尽きるかのどち

らかのみとなってしまう.

こうして, PierreがかつてIsabelに anothing is  the substance, it  casts one shadow one way

, 

and another the other way; and these two  shadows cast from one nothing; these

, 

seems to me

, 

are Virtue and Vice'" 

(7:  274)と言ったように無こそが実体であって,他のものは全て無が投げか ける影に過ぎないという空漠とした虚無的世界観が単なる不安としてではな く現実として作品結末を支配する。無こそが実体だと分かっているのに何故 これ以上苦しむ必要があるのかと尋ねられたPierreは 'Thata nothing  should torment a nothing; for 1 am a nothing. It is  all a dreamwe dream that we dreamed we dream'" (7: 274)と答える.無としての世界に 立ち向かう探求者自身も結局は無に過ぎず,めくるめく虚構の仮面世界の中 でなすすべもなく夢を見続けるしかないが,それでも探求者Pierreは自己 を蝕むこの悪夢のような果てしない探求の苦しみから逃れることは出来な

し冶

世界の空漠への不安から人格の空虚の不安への発展は, Paul Brodtkorb,  Jr.が Theuniversal void of Moby‑Dick has here become focussed into  the potential void at the center ofpersonality

, 

yet the cosmic perspectives  are at least implied"gと,Moby‑DickからPierreの次の長編である The Confidence‑Mαnへの移行とみなした過程と同じ方向性を持つものであり,

Pierreの結末に見られる虚無的な仮面世界は ,The Confidence‑Mαnの仮面 舞踏会的世界観,人間観へとつながることを予感させるが,後者におけるい わば開き直りともとれるような仮面世界の全面受容にはPierreはまだ到達 していないように思われる.主人公が最後まで仮面の背後の真理を捉えよう とあがき続けるPierreと違って, HisMasquerade"という副題を持つThe

(14)

Pierreと仮面 45  Confidence‑Mαnでは,もはや仮面を貫こうというあがきは見られず,恋意 的に仮面を取り替えながら繰り返し登場する主人公が文字通り仮面舞踏会を 演じ「世界は舞台

J

(10: 224)であり人生そのものがグロテスクな「仮装の ピクニック

J

(10: 133)であるかのような世界観が呈示される.読者は,仮 面を貫こうとする登場人物の偏執狂的な努力を追体験させられるのではな く,逆に作品自体が仮面そのものとして読者に迫ってくるのである .Pierre  の主人公とて自分の探求が空しいものであることに気づ、いていなかった訳で はない.けれども,溺れかけた人聞は「自分が危機に陥っていることを知っ ており,その危機の原因も充分知ってはいるが,海は海であり,溺れかけた 人間は溺れるしかない

J

(7: 303).見る者を無限に欺き続ける仮面性には半 ば気づきながらも完全な諦念にはまだ至りきれず,決して報われることのな い虚しいあがきを続けるしかないという状態は,仮面を機軸としたMelviIle の世界観の変遷において最も暗欝悲惨な移行的過程に位置する.しかしなが ら永劫に鎖に繋がれたまま心臓をついばまれ続けることを宿命づけられた Prometheus (7: 305)の苦しみを味わう Pierreの中には,手を奪われでもな お不滅の岩壁に立ち向かう不撰不屈のEnceladusの夢想、 (7: 345‑347)が 生き続けている.実際的行動面においてAhabのように大海を駆け巡る壮大 かっ激烈な文字通りの体当たりは見られないにしても,勝算のない戦いに苦 しみ続ける非力な人間Pierreのあがきには,超人的英雄にはなり得ない卑 小な存在であるが故の逆説的で人間的な悲劇性が感じられる .Pierreとい う作品は古典的な意味で悲劇と見倣すには設定も平凡であり語りも譜語的 で,崇高な英雄的行為にも事欠くが,主人公のこのあがきこそが作品を近代 人の悲劇たらしめているものであり,彼を取り巻く偽善的仮面世界の非実体 性とその現実に無力に抗い続けるしかない人間の哀しみは,現代にも通用す るものとして,今なお古びずに我々に虚無的な聞いを投げかける.

(15)

46  Pierreと仮面 注

1 Herman Melville, Pierre, or, The Ambiguities, ed. Harrison Hayford et a ,l.vol.  7 of The Writings of Hermαn Melville, The Northwestern‑Newberry Edition  (Evanston: Northwestern UP and Newberry Library, 1971). Melvilleの著作の出 典はすべてこの版によるものとし,引用末尾の括弧内に巻数と頁数を示すことにす る.

2 モデルとなった父自身も,絵を描かれた当時,

r

顔を研究すればその人の心奥の 秘密を見抜くことが出来るJと唱える「観相学の本J(7: 79)を読んで,油断して いる特に盗み描かれた表情で自分の秘密が暴かれるのを心配していたということが 伯母によって回想される.この後日談が紹介されることで,坐像画に父の秘密が隠 されている可能性はさらに強調される.

3 [A]  glorious gospel framed and hung upon the wa ,1land declargtoallp印 刷

ple, as from the Mount, that man is  a noble, god‑1ike being, full of choicest  juices; made up of strength and beauty" (7: 30)と描写される軍服姿の祖父の肖像

画と同じように, Pierreに畏敬の念を抱かせているのが,生身の父や祖父ではなく 肖像画であるのは皮肉である.肖像画と本人の関係に関しては,人気作家としての Pierreが肖像画の公表を拒んだのは,口髭がないことで後世の人々の目を気にする という些少な理由と,

r

肖像画は元の人間よりも一般的に尊敬を受けるだけでなく 実際尊敬に価するものであるJ(7: 253)から軽々しく取り扱うべきではないとの 考えが紹介されることによって,再び胡阿食される.

4 The Fine H.αmmered Steel of Hermαn Melville (Urbana: U of Illinois P, 1957)  169. 

5 Michael Davitt Bel1も thecosmic nihilism of Moby‑Dick seems to rise out of  anxieties about the self‑out of simultaneous fears of its violence and of its pos‑ sible nonexistence" (The Development of AmericαnRomαnce: The Sαcrifice of  Relαtion [Chicago: U ofChicago P, 1980] 233)と示唆するように,間接的に関連し ていることは否定できない.

6 Elizabeth Renkerはこの性質を大袈裟に再現したものが後に発表される The Confidence‑Mαnであり ,Pierreの作品自体は textfal1s under the sign of muti‑ lation, distortion, and mirrors, all invoked as obstructions that prevent us仕om seeing the object' of desire"だと指摘する (StrikeThrough the Mαsk: Hermαn  Melvilleαnd the Scene ofWriting [Baltimore: Johns Hopkins UP, 1996] 34).  7 Intel1ectually and philosophically, Pierre covers much the same ground as 

Moby‑Dick, posing the same questions and arriving at the same conclusions..." 

(John Bernstein, pα,cifism and Rebellion in the Writings of Hermαn Melville 

(16)

日erreと仮面 47  [Hague: Mouton, 1964] 126); Reframing the quest in Moby‑Dick..." (8tern 150);  William B. Dillingham, Melville's Lαter Novels (Athens: U of Georgia P, 1986)  148‑149. 

8 Pierreが,生前の父本人というより坐像画の paintedself" (7:  197)をIsabelの 本当の父であるように漠然と考えていたことは,かなり以前から暗示されている.

9 The Conβdence‑Mαn: The Con‑Man as Hero," Studies in the Novel 1 (1969):  430. 

参照

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