Whitmanと南北戦争 : Drum‑Tapsを中心に
著者 新井 正一郎
雑誌名 主流
号 39
ページ 48‑65
発行年 1978‑03‑25
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014922
48
Whitman と 南 北 戦 争
一一一Drum・Tαpsを$1心に一一一
新 井 正 一 郎
1861年4月12日未明,南軍のサムター要塞砲撃が開始され,ここに4年 にわたる南北戦争の幕が切っておとされた.この報がニューヨーグにいた Whitmanに達したのは,翌夜おそくであった. 偶々,授はこの晩14番街 にあるオペラを見た後,ブロードウェイを歩いていた.その時,新聞売子 が甲高い叫び声をあげながら,いつもよりあわただしく,通りを駈けてき た.彼はその号外を一枚買い,ランプが煙々と輝いている「メトロポリタ ン・ホテル」の方ヘ行き,集まってきた人々とそのニュースを読み,事態 を知ったa
当時大統領であった Lincolnは, このサムタ}要塞砲撃の報を開くと,
南部7州、!の連合を抑圧するため 7万5千人の義勇軍の召集宣言を発し,
北部の各新聞も市民の奮起を促す記事を掲げた. だが, Whitmanは事態 のこのひっぱくした空気を,そう痛切には受け止めていなかったようだに 成程, Lincolnが寧陵を召集した翌日の4月16日,彼は次のような日記を 書いたと言われる. I have this day, this hour, resolved to inaugu‑ rate for myself a pure, perfect, sweet, clean‑blooded robust body, by ignoring all drinks but water and pure mi1k
,
and all fat meats,
late suppers ‑ a great body, a purged, cleansed, spiritualized, か vigorated body." 2
周知のように,この頃,彼は何らかの理由で内部の統ーを失い,その苦 悩,寂しさを忘れるため,度々,多くのボヘミア人が屯している穴倉レス
VVhitmanと南北戦争 49 トラン・プフアップに入り浸っていた.従って,内戦の報を開いた後,す ぐに彼が上述の日記を書いたということは,彼の内部に大きな決意が,即 ち,崩壊した自己を再調整し,強化し,国家の非常事態に呼応しようとす る決意が生じた一一つまり, Chase 3の言うように,戦争の開始は一種の 強壮剤であったと考えることは,一見無理ではない.
だが,実際のところ,彼は上述の誓いにもかかわらず,その後もプファ ヅフ・レストランに入り浸っていたい又生来の怠惰癖も手伝い,国家的 危機をよそに,唯当てもなく,都会や数々の田舎道をぶらついては,魂を 招いていた仁或は,戦争の渦中にいながら Allof us here think the rebe1lion as good as broke ‑ no matter if the war does continue for months yet.円としか書留めていない一一ことを理解するならば,
開戦当時の彼は,現実世界と幾分無縁なところにいたと考えたい.
戦争に対するWhitmanのかかる安易なかかわり方を考えるには First
o
Songs for a Prelude円6が好都合だ.この詩で注目すべき点は,戦争のもつ苛酷な現実がどこにも描かれてい ないことだ. 彼は戦争のもつ悲惨さ, 残酷さを切り捨て, もっと叙事詩 的なものとして, 我々に紹介している. つまり彼にとって, 戦場は a manly Iife"をするための場であり,身なり美しい友や,婦人達の見守る 中で競われる thework for giants "でしかなかったのだ.この詩の背 景を成すものは, the white tents . . . in camps, the wiId cheers of the crowd for their favorites," the tumultuous escort," the silent cannons bright as gold," a manly life in the camp 等であ るが,そのすべてが彼の戦争への叙事詩的性格を醸成する不可欠の要素で ある.特に lightlystrike 01' the st1'etch'd tympanum"は,詩人の 戦争へのかかわりあいを明示するイメージとして,重要な因子をなしてい る.繰返していえば,この期の彼は,戦場に赴く兵士を喜びに心をはずま せ,ほほえんでいる( smiIewith joy exulting勺のだ.
50 Whitmanと南北戦争
しかし, 1861年7月McDowell将軍に率いられる3万の北軍は,ブル・
ランと呼ばれる小川の背後の台地で南軍に惨敗,敗走する.秩序も隊形も 乱して難民と混じりつつ, ワシントンに流れ込む兵士の姿は,それまで反 乱に対して高慢な放言を吐いていた自由諸州の人々の気持を,すっかり萎 縮させてしまった.
このブル・ランの敗北は Whitmanにも同じような大きな衝撃を与えた.
彼は年をとってから過去をふり返り, Of all the days of the war, there are two especially 1 caI1 never forget. Those were the days following the news
,
in New York and Brooklyn,
of that fIrst Bull Run defeat, and the day of Abraham Lincoln's death." 7 と記している.このように,北軍の退却が混乱した敗走となったのは,多くの将校が まっさきに戦列をすてて逃げ出したためであった.彼等の大部分は戦闘直 後辞表を出し,他の者もワシントンの酒場に入り浸り,命令や兵隊のこと もかまわなかった かかる事態が詩人の憤激を呼びおこしたことはいう までもない.
As afternoon passed, and evening came, the streets, the bar‑ rooms, knots everywhere, listeners, questioners, terrible yarns, bugaboo, masked batteries, our regiment all cut up, etc.‑
stories and storytellers, windy, bragging, vain centers of street crowds. Resolution
,
manliness,
seem to have abandoned Washington. The principal hotel,
Wi11ard's,
is full of shoulder straps ‑ thic ,kcrushed,
creeping with shoulder straps. (I see them,
and must have a word with them. There you are,
shoulder straps! But where are your companies? Where are your men?Incompetents! Never tell me of chances of battle
,
of getting strayed, and the 1ike. 1 think this is your work, this retreat,Whitmanと南北戦争 51 after al .l Sneak
,
blow,
put on airs there in wi11ard's sumptuous parlors and barrooms,
or anywhere ‑ no explanation shall save you. Bull Run is your work; had you been half or one田tenth worthy your men,
this would never happened.)9ブ、ル・ランの屈辱を契機に,彼は戦争に対するこれまでの安易な姿勢を 否定し, 代わって断乎たる態度を出してくる. Eighteen Sixty司Orほう iBeat! Beat! Drums ! ", Song of the Banner at Daybreak ", The C巴ntenarian'sStory"は, 彼の現実世界に対するかかる積極的なかかわ
り方を示した作品だ.
Beat! Beat! Drums ! " 10 で用いられている主要イメージは太鼓であ る. だが, この太鼓が打ち鳴らす音は, 前述の First 0 Song for a Prelude"で歌われたような軽やかな響きではない.それはもっと写ざわ
りな,急、を告げる調子だ.
Beat! beat! drums ! ‑ blow! bugles! blow!
Through the windows ‑ through doors ‑ burst like a ruthless force
,
Into the solemn church
,
and scatter the congregation,
Into the school where the scholar is studying;
Leave not the bridegroom quiet ‑ no happiness must he have now with his bride
,
Nor the peaceful farmer any peace
,
ploughing his五eld or g丘thering his grain,
So fierce you whirr and pound you drums ‑ so shrill you bugles blow.
52 ¥Vhitmanと南北戦争
太鼓の音を likea ruthless force円と形容しているのは,人々によ り断乎たる態度で参戦することを要求したものだ.戦争が単なる愛国心だ けで勝つことができぬことを知った今,彼は太鼓をはげしく轟かぜ,啄UIJr¥ を猛烈に吹きたて,人々を好戦的雰囲気にあおりたてていく.ここでの彼 は,いかなる撤退も許さね毅然たる遣しい男に変身しているのだ.
戦争に付した叙事詩的性格への訣別は, 次 の The Centenarian's Story" 11にも見出される. この詩の冒頭に現われる若者は,実戦の経験
もなく,観戦したことすらない男だ.だから彼には,戦争とは美しい友人 や婦人達にとり囲まれ,さんさんと輝く太陽と,さわやかなそよ風の中で 競われるー競技としか映らぬ.そこでこの若者に実戦経験者である 100歳 の老人が戦争の実体について言い聞かせるのだが,その中に次のような個 所がある.
That was the going out of the brigade of the youngest men
,
two thousand strong
,
F巴w return'd
,
nearly all remain in Brooklyn.That and here my General's五rstbattle
,
No women looking on nor sunshine to bask in
,
it did not con‑ clude with applause,
But in darkness in mist on the ground under a chill rain
,
Wearied that night we lay foil'd and sullen
, •
たしかにブ、ル・ラン敗北の報は Whitmanを含め,北部の人々にとって 大打撃であった.現実に対する安易な姿勢から抜けだした彼等は,統一連 邦が血によってしか守られないことを知り, やがて Lincoln政府の積極 的且つ本格的な戦争政策を要求していった.Lincoln政府はそれに応え,
わずか1ヶ月の第37議会特別会期の間に,ほとんど戦争に関した76の法律
Whitmanと南北戦争 53 を通過させた.
だが, 他方 Lincoln政府のこの好戦的態度に対して激烈な口調で攻撃 する北部人も多数いた. Iまむし」と呼ばれた彼等は,話し合いという平 和方法による連邦統一の可能性はまだ残っていると信じている人々で,そ の数は当時のニューヨーク及びブルックリンの人口の9割を占めていた12
Whitmanがどちらの陣営lこ傾いていたかは, すでに検討したが, 次の Song of the Banner at Daybreak " 13はこの点をより明白に示してい る歌だ.
この作品は,旗と,詩人と,子供,そして父親とが奏でる四重奏の歌で ある.夜拐の空に高く(之ためく旗は,統一連邦(民主主義〕を,子供はア メリカの若者を,そして父親は, Iまむしjと呼ばれた北部敗北主義者を それぞれあらわしている.この詩の初めの部分で,旗は澄みきった声で,
自由の歌をひびかせながら,子供に次のように呼びかける.
Come up here, bard, bard, Come up here, soul, soul, Come up here
,
dear little child,
To fiy in the clouds and winds with me
,
and play with the measureless light.子供は,このひびきに愛国的感情を高まらせ,自分もその騒ぎの世界に 参加しようとする, ところが, かたわらにいる父親は, Nothing my babe you see in the sky"と言って,子供の注意を空の騒ぎから,地上 の平和のもたらす成果に引きもどそうとする.
Nothing my babe you see in the sky
,
And nothing at all to you it says~but look you my babe
,
54 羽Tlutmanと南北戦争
Look at these dazzling things in the houses
,
and see you the money‑shops opening,
And see you the vehicles preparing to crawl along the streets with goods;
These
,
ah these,
how valued and toil'd for these! How envied by all the earth!この言葉からも明らかなように,父親にとって,空の騒ぎのありょうは,
彼自身とは何の関係もない異質の世界の出来事でしかないのだ.換言すれ ば,空の騒ぎに背を向け,地上の thes叩oli吋d
dazzling things in the houses "に執着し, 子供の視線をそれし等に向け ようとするのは, 彼が騒ぎの入り込んでいない世界, つまり, 秩序と平 和が支配する日常の世界の住民だからだ.だが, 日常の世界とは異質な世 界のものである騒ぎを目ざして進もうとする子供にとっては,父親が固守 し,憧れるのも,何ひとつ意味を宿しておらぬことは明らかだ.父親は,
しかし,それが判らず,自分の言葉に耳をかさず,依然として空の騒ぎに 関心を持ちつづ、ける子供に対して,再度同じ調子で説得する.そこで旗は 詩人に援助を求める. こんな風にだ.
Speak to the chi1d 0 bard out of恥1anhattan
,
To our chi1dren all
,
or north or south of Manhattan,
Point this day, leaving all the rest, to us over all, . . .
最初,詩人は旗がもたらす自由の声に関して,一応の理解を示すものの,
一方では,旗がひびかせているいま一つの croakinglike crows つま り,死とか,犠牲の要求が心に掛かり,歌の主題を決めかねている.だが,
詩の最後の部分では, 彼はこの迷いから抜け出し, 旗の ironicalcall
羽Thitmanと南北戦争
。
5and demand"とに応え,決然とした態度で次のように歌う.
M y limbs, my veins dilate, my theme is clear at last,
Banner so broad advancing out of the night
,
1 sing you haughty and resolute,
1 burst through where 1 waited long
,
too long,
deafen'd and b1inded,
M y hearing and tongue are come to me
,
(a little child taught me,)1 hear from above 0 pennant of war your ironical call and demand
,
即ち,彼は連邦維持のためには,幾百万の人々の生命はいうに及ばず,
そっくり全体を捧げ, 流し込むことの必要性を知札 断乎として人々に passions of demons, slaughter.. . death"が渦巻く空の騒ぎに参加 することを要求するのだ.
このように,積極的に戦争にかかわることをひたすら願うようになった Whitmanはニューヨークで太鼓を高く響かせるだけでは満足せず, 自ら 前線に居合わぜようと企てる.
1862年12月,義勇兵として出征していた弟の Georgeが負傷したとの報 を受けたので, 彼は前線近くの野戦病院に急行した. 幸い Georgeの傷 は軽いものであったが,野戦病院の周辺に山と積み重ねられてあった切断 された手足の光景は,彼の想像を絶するものであった.そこには文字通り,
切断された連邦の姿があった.だが,彼がこれをはっきり自覚するのは後 のことである.弟の負傷がきっかけとなり,詩人はそのまま前線に暫く留 まり,負傷兵の看護にあたった.看護の仕事のない時には,高台より連隊 の動きを見たり,野営陣地の将校や兵士達と語り合ったり,或は,知り合
56 Whitmanと南北戦争
いになった連隊と一緒に警戒勤務に出掛けたりしていた14 こうした戦地 での体験は, Cavalry Crossing a Ford ", Bivouac on a Mountain Side九 Bythe Bivouac's Fitful Flame", A Sight in Camp in the Daybreak Gray and Dim" 15等にそのまま描かれている.前述したよう に,戦地に赴くまでの彼は,ただ高処から人々を好戦的な雰囲気にあおり たてていたにすぎなかった.だが,上述の作品ではそのような煽情的な表 現は見出せぬ.彼はただ自分の限に映る戦場の光景をありのままに措いて いるだけだ.だが,感情を交えずに書き込まれているだけにかえってなま なましい印象を呼び起す.
例えば Cavalry Crossing a Ford"だ.この詩は前線近くを進む騎 兵隊の様子を客観的リアリズムの手法で措いたものだ.最初に彼の眼とい うレンズにうつるのは,長い陣形を組んで進む騎兵隊の列だ¥次は,銀色 i のJI[,そのパ
l
をしぶきをあげながら渡る馬の様子.その後,彼の視点は馬 上の兵土に移るが, thebrown faced men "といった肉体的特徴を与え ているだけで,被等の心理描写は,一語半句も含まれていない.そして最 後に視点はもう一度移動し,深紅と青と白の騎兵隊の旗に注がれているの だ.以上のように,この詩では戦場のかわいた一風景をありのままに描き だそうとする彼の意志が,自在に視点を次から次へと外向的に移動させて いくだけなのだ.戦場で何を感じとったか.この間に対して彼自身は殆ん ど説明することをしない. わずかに次の句が注意を引く. A line in long array where they wind betwixt green islands, /
They tak巴 a serpentine course, their arms flash in the sun,. . . 重 要 な 点 は 前 進 ずる騎兵隊の姿を「へび、」のイメージを用いて描いている点だ.このこと は彼等から受けた詩人の印象が,必ずしも明るいものではなかったことを 表わしていよう. いや, もっと正確にいうと, 不吉な結末の予兆が, つ まり, ー連邦維持のための現実の戦いは, ひょっとしたら, 統一の切断に 導くものではあるまいかという不安が,彼の心をよぎっていたと理解すべWhitmanと南北戦争 57 きであろう. このような不吉な予感の意味を自覚するには, 前述した弟 Georgeの捕虜という事件を必要とした.
この戦争期間中 Whitman一家の最も大きな心痛は,いうまでもなく,
義勇兵として出征した Georgeのことであった. 特に彼がフレデリッグ スパーグの戦いで負傷してからは, 彼等はひたすら Georgeの安否を気 づかっていた.ところが, 1864年9月末, Georgeがグァージニアで南軍 の捕虜になったとの報が入り,一家は再び不安な渦;こ巻き込まれた.詩人 自身,捕虜兵の看護の為に,前線突破を考えたり,又, ワシントンの政府 筋を通じて捕虜兵交換の実施を求めたが,いずれも失敗に終った.落胆は いつしか, Lincoln政府に対する怒りへと変っていった.失敗の因が,政 府高官達の無為無策な外交政策にあると思い込んだからだ16 クリスマス の翌日 Georgeの所持品が届いたが, 彼の安否については, 依然として わからなかった.その上,交換捕虜兵として帰還した友人が語Rる収容所の 悲惨な状況に,一家の不安はさらに大きくなった.次の ComeUp from the Fields Father "は, この当時の一家の様子を劇的fこ描いたものだ.
この詩の舞台は,秋のオハイオの村である.色を深めた木々の緑,果樹 園に垂れさがるりんご,蔓;jjjgに実るぶどう,その香りに集まる蜜蜂,静か な透明な空,そこに浮ぶ素晴らしい雲一一司そのすべてが作者の平和な世界 への憧れを示している.このような牧歌的自然に囲まれて生活している村 人の許iこ,一通の手紙が届く.それは戦地という次元の異なる世界からの ものだ.その手紙を読んだ瞬間,母親は,眼の前の一切が揺らぎ,真っ暗 になり,ただ主な文字しか読みとれない. (All swims before her eyes, flashes with black, she catches the main words only.勺 蒼 ざ め , 悲
しみに打ちひしがれた母親の姿は,周囲の一切のものが静かで,生き生き と美しい世界と鮮やかなコントラストをなしているのだ.それは悲しいも のと素晴らしいもの,死と生,切断と連続,黒と白(緑,赤,黄), 非情 な世界と平和な世界との顕著な対比であるe
58 Whitmanと南北戦争
息子を失った母親は,悲しみのあまり食事もとらず,夜もほとんど眠れ ない.現在の彼女の切なる願いは,ただ一つ,この世から身を引き,息子 のそばに行くことなのだ.
In the midnight waking, weeping, longing with one deep longing,
o
that she might withdraw unnoticed,
silent from life escape and withdraw,
To follow
,
to seek,
to be with her dear dead son.実に,この詩の演出者は手紙である.戦場という非情な世界からのこの 侵入者は,平和な世界の人々の生活に波紋を起し,家庭(連続〉を切断し,
愛するもの同志を切り離してしまったのだ.換言すれば,この詩はかつて 騎兵隊の姿にうすうす感じた不吉の正体に対する詩人の開眼を示す作品だ.
こうして戦争の実態を知った Whitmanは, 結論的には, この戦争を 否定し,戦場にたおれ,命を失うものの多いことを慨嘆し,戦場の無目的
な破壊と殺妻裁主に及んvで,
c
乙when you see what it really is一everyonce in a while 1 feel s叩O
. horrified & disgusted ‑it seems to me like a great slaughter‑house
& the men mutually butchering each other . . . " 17 と悲痛の叫びをあ げている.だが,彼にとって重要なことは,かかる胸の悪くなるような状 況を自の前にしながら,なおたじろがず殺裁の場と化した戦場をかけめぐ り,負傷兵の苦痛と切断の治療に努力を惜しまなかった点だ.戦争は彼が 若い項から唱えていた愛の観念を失わせるどころか,それをさらに強める 結果になったのだ.
彼の看護人としてのこの体験は TheWound‑Dresser " 18によく反映 している.これはプロットの点から言うと,今では腰のまがりかかった老 人になっている詩人が,若者や娘達の求めに応じて,昔の激しかった戦い
vVhitmanと南北戦争 59 の思い出を語っていくものだ.汗と挨にまみれて戦場に到着したこと,大 声で叫びながら戦闘にとびこんだこと,敵を敗走させたこと,兵士達の危 難あるいは喜び等,あれこれと彼は語りはじめるが,こうした記憶は現在 では薄れている為,多く語れない.しかし,野戦病院での体験だけは,今 なおよく覚えている.
From the stump of the arm
,
the amputated hand,
1 undo the clotted lint
,
remove the slough,
wash 0妊thematter and blood,
Back on his pi1low the soldier bends with curv'd neck and side falling head
,
His eyes are closed
,
his face is pale,
he dares not look on the bloody stump, • • •
周知のように,若い噴より彼は肉体の接触は愛の国を創造する原動力だ と信じていた.それ故にこそ,彼は力をこめて肉体の各部分を列挙し,礼 讃していたのだ.
Head, neck, hair, ears, drop and tympan of the ears,
Eyes, eye‑fringes, iris of the eye, eyebrows, and the waking or sleeping of the lids
,
Mouth, tongue, lips, teeth, roof of the mouth, jaws, and the jaw司hinges
,
Nose, nostrils of the nose, and the partitition,
Cheeks, temples, forehea
d .
chi ,nthroat, back of the neck, neck‑ slue,
Strong shoulders, manly beard, scapula, hind‑shoulders, and
60 Whitmanと南北戦争
the ample side‑round of the chest
,
Upper‑arm, armpit, e1bow帽socket,lower‑arm, arm‑sinews, arrrト
bones
, • • •
19このように肉体の完全性を強調していた彼が,野戦病院で肉体の切断 を見たのだ.当然ながら,彼はすくみあがった.彼自身の言葉を借りれば,
ぞっとする思いがした. (1 feel so horri五ed.")これこそ彼の本心を吐 露した言葉であろ今が,にも拘らず¥彼がいわゆる看護人として,包帯と 水とガーゼを持って脇目もせず,負傷兵のところへ急いだのは,前述した ように,彼等に愛を注ぐことによって,連邦の切断を免れようと願ったか
らだ.
Whitmanの負傷兵に注ぐ愛には,
(Many a soldier's loving arms about this neck have cross'd and rested
,
Many a soldier's kiss dwells on these bearded lips.)
のように,直接 Calamus"に続く官能的な色合をおびている個所もある.
だが彼は人類の予言者となるために, .. . now, ah now, to learn from crisis of anguish, advancing, grapp1ing with direst fate" 20 と自覚
したことは事実であり,そのままでは怯景を催すような感覚の体臭は次第 に浄化され,霊化され,清らかさを加えることになった.この点について は,詩人自身も DrumTaps has none of the perturbations of Leaves of Grass. 1 am satis五edwith Leaves of Grass (by far the most of it) as expressing what was intended. . . but there are a few things 1 shall carefully eliminate in the next issue
,
& a few more 1 shal1 considerably change." 21 と語っているが,実のところ,これは詩人としWhitmanと南北戦争 61
ての使命の失敗一一強烈な個性の衰退のあらわれに外ならぬ.
一体, w草の葉』を支えてきたものは,強烈な「自己」という観念であ った.自己の存在の根底に eterna1life"や happiness"があるとい う信念を持っていたからこそ,彼は自己を無限に発展させ,拡大させてき た.だが,気がついてみたら,そのような生き方は,幸福を乱す以外の何 ものでもなかったのだ.かつてのおのずからの流露と結晶によるものは,
さらけ出すべきでない形のものであったのだ.その時の Whitmanの苦し みは, 例えば Leavesof Grass "事13(後の You Fe10ns on Tria1 in Courts 勺 の 冒 頭 の 句
o
BITTER sprig! Confession sprig! / In the bouquet 1 give you p1ace a1so ‑1 bind you in, /
Proceeding no further till, humb1ed pub1icly, / 1 give fair warning, once for .a1 1."に明らかだ. おそらく, これは当時の彼のいつわりのない気持だったであろう. だからこそ, この詩の最後の部分で詩人としての自分は cu1pab1e"であり traitor"だと書くのだ. そしてこの地獄のよう な苦しみの中から彼が見出した生き方は, 官能のほとばしりである自己 中心的な愛を捨て去り, I僚友愛」という一種の宗教的な雰囲気の中へ脱 出することであった. 彼のこうした精神の過程を示している意味で次の
Over the Carnage Rose Prophetica a V oice "は興味ある詩だ.
これは彼が戦地にいた時,故郷の母に大事に保存して欲しいと,頼んだ Leaves of Grass第3版の原稿に含まれていた Ca1umus"葬5を基盤 にした詩だ.彼は1863年秋,この原稿をとりに戻り,その後ワシントンで 仕事の合聞をみては,増補,改訂を加えていた.その原稿22によれば,第
3版の Ca1umus"韓5において,
Affection shal1 solve every one of the prob1em of freedom
,
Those who 10ve each other shal1 be invincib1e.
They shall五nal1ymake America comp1ete1y victorious
,
in my62 vVhitmanと南北戦争
na立le.
と歌っていた句を,彼(ま
. affection shall solve the problem of freedom yet
,
Those who love each oth巴rshall become invincible, Thεy shall yet make Columbia victorious.
と改め. さらに There shall from me be a new friendship ‑ It shall be called after my name,の匂をはじめ,私的な自己が強く出て いる個所を削除している.つまり9 第3版の Calumus"持5の中の彼は,
私的な自己を強〈前面におし出し,アメリカの結合を自分の名において保 存しようとしているのだが,改作では,同志としての自画像を強くだすた めに,私的な自己を消し去り,アメリカを僚友愛で結ぼれた連帯意識の名 において結合しようとする姿勢に変っている.
1865年4月9日, アポトマッグにおける Lee将軍の降決をもって 4 年の長期にわたる内戦は終った.それと共に南北戦争の歴史的課題が解決
さわしたわげではなかった.戦後処理の課題として達成しなければならない 一大問題は, 分離諸州の連邦復帰策であった. ところで前述の Over the Carnag巴"は,実は, この聞に対する Whitmanの返答を歌った詩だ.
次の冒頭の句は?それを正確に要約している. .. . affection shall solve the problems of fre己dom..."一一つまり, 僚友愛という一種の宗教的 イメーシだけが,崩壊と分裂の中でひきさかれたアメリカの現実を再度統 一体として9 分離し難きものにする原理なのだ.具体的にはそれは,カロ
ライナの人,オレゴンの人といった南部の人を排除するのではなく,すべ ての南部人との真の連帯を作り出してゆくことだe
'
iVhitmanと南北戦争 63 One from l¥1assachusetts shall be a Missourian's comrade
,
From Maine and from hot Carolina, and another an Oregon邑se. shall be friends triune
,
More precious to each other than all the riches of the earth.
そしてこの詩の後半で再度こうした愛に結ばれた共同体への憧慢を歌い,
この
5
寺をとじるのだ.These shal1 tie you and band you stronger than hoops of iron
,
1, ecstatic, 0 partners! 0 lands, with the love of lovers tie you.
以上考察したように,南北戦争の体験は,当初安易な反応しか示さなか った Whitmanを人間的に深化し,拡大し,その愛の観念を清らかなもの に変えていった.だが,彼の詩人としてのはげしい,強い力は,それに反 比例するかのように,急速に弱まっていったと言える.
注
1 後, WhitmanはSpecimenDayの中で次のように記している.
Even after the bombardment of Sumter, however, the gravity of the revolt, and the power and will of the slav巴statesfor a strong and continu邑dmil・
itary resistance to national authority, wer号 notat all realized at the Noτth, except by a few.
2 Gay Wilson Allen, The Solitaη Singer (New York, 1955), p. 127. Also Henry Bryan Binns, A Life of Walt Whitman (New York, 1969). 3 Richard Chase, Walt Whit抑 制 (Minneapo1is,1961), p. 33.
4 もVilliamE. Barton, Abraham Lincoln and Walt 'Whitman (New York)少 p. 31.
5 Walt Whitman, The C.例Tespondence,Volume 1: 1842‑1867, ed. Edwin Haviland Mill巴r(New York, 1961), p. 57.
64 Whitmanと南北戦争
6 この詩をはじめ, 1865年刊行の D問.m‑Tapsに収められている各詩の正確な 制作年月は,今でもよくわからない. だが, Whitmanが戦地から故郷の母宛に 送った手紙 (1863年3月31日〕の中で, . . . Mother, when you or Je妊writes again, tell me if my pap巴rs& MSS are all rightー1should be very sorry indeed if they got scattered, or used up or any thing ‑ esp邑cially the copy of Leaves of Grass cov己redin blue paper, and the little MS book Drum Taps,"
&
the M S ties up in the square, spotted (stone‑paper) loose covers‑want them al1 carefully kept."と頼んでいるところから判断して,一部の詩は サムター要塞砲撃が始まった1861年4月から弟 Georgeの負傷を開き, 現地に 駆けつける1862年12月の間にすでに書かれていたようだ. First 0 Song for a Prelude"では戦争が終始叙事詩的に描かれている. これからすると,この詩は 開戦当時の頃の作と思われる.
7 S)ぅeci.me河 Days,p. 12.
:S Margaret Leech, Reveille 仇 Washington:1860‑1865 (Green vVood, 1972), p. 107.
9 Specimen Days, p. 13.
10 ブル・ラン敗北を契機に多くの北部新聞は市民の奮起を要求する記事を掲げた.
Whitman自身もこの空気に刺激され, 1861年9月28日,この詩をニューヨーグ の「リーダー」紙に載せたのである.
11 最初この詩は Washington's First Battle"という題で1861年に発行する予 定であったBa河河erat Day‑Breakに収められていたものである.従って, 1861 年頃の作と思われる.尚,この詩集は出版所セイアー・アンド・エルドリッジが つぶれてしまったので刊行されなかった。
12 Cor問spondence,1, p. 242.
13 Leaves of Grass第3版の出版社セイアー・アンド・エルドリッジの広告によ れば, Whitmanは1861年 Bannerat Day‑Br印hと題する詩集を刊行する予定 であった.その中にはこの題詩も収められているので, 1861年頃には Songof th巴Bannerat Day break"は書かれていたにちがいない.
14 Specimen Days, p. 16.
15 これ等の詩も制作年はよくわからない.だが,彼の軍営生活に対する同情的な 理解,兵士や軍馬の動きの見事なとらえ方は想像だけでは不可能だと考える.多 分1862年のクリスマス日の午後,ヴ7ージニア j十円ノミハノッグ近くで目撃したポ
トマック軍の光景が素材であろう.
16 Walt Whitman and the Civil War,巴d.Charles 1. Glicksberg (New York, 1963), p. 179.
Whitmanと南北戦争 65 17 Correspondence, ,lpp. 114‑115.
18 Drllm‑Tapsの一部の詩は, 1861年から1862年の聞の作であるが, .~也の一部は
いわゆる彼のワシントン時代の作であることは晩年彼が Traubelに語った次の 言葉から明らかである. 1carried sometimes half a dozen such books in my pocket at one time ‑ never was without one of them: 1 took notes as 1 went along ‑ often as 1 sat... writing while the other told his story. . . 1 work in this way wh巴n1 was out in the crowds, th巴n put the stu妊 together at home." (Horace Traubel, With TValt TVhitman in
α
rnden, Lわ TheWound Dresser"の中のおびただしい負傷兵の様子はこの時のメモから生れたものだろっ.
19 Leaves of Grass: C.捌ρrehensiveReaders Edition, ed. Harold W!. Blodgett and Sculley Bradley (New York University Press, 1965), p. 100.
20 Ibid., p. 312.
21 COiでrespondence,1, p. 247.
22 Walt Whitman's Blue Book: The 1860‑61 Leaves of Grass Containing His lVIa即 日C門ρ>fAddition and Revisions, 2 vols. (New Y ork, 1963).