Epipsychidionにおける愛の象徴技法
著者 宮北 恵子
雑誌名 主流
号 42
ページ 19‑36
発行年 1981‑02‑20
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014939
19
E 治 i t s y c h i d i o n における愛の象徴技法
宮 北 恵 子
1
数多いシェワーの伝記的告白詩の中にあって , Epi
ρ
sychidion (1821) は, その哲学的含蓄性故に一段と深みをもった作品といえる Graham Houghは,r
ロマン的感情の証L以外lこ,あまり重要性がないJl作だと 一言に付しているが, この詩はシエリー自ら述べているように anide‑ alized history of my life and feelings" 2であり,詩人の個人的愛の経 路を象徴技法でもって一般化しようとしたものといえる.詩作にあたって ダンテを意識していたことは,この詩巻頭の advertisement"からのみ ならず A Defence of Poetry" (同年の詩論〉中, ダンテを論じた個 所からも明らかである.His Vita Nouva is an inexhaustible fountain of purity of senti‑ mentand language.: it is the idealized history of that period
,
and those intervals of his life which were dedicated to love.3
T. S. Eliotは『新生』をその浪慢性故に「未熟な作品jとしながらも9
そこに「昇華」という心理学的意義を見つけている4ように Epijうsychi‑ dion も,その強烈な浪慢的感情の吐露にもかかわらずp その背後に愛の 上昇的認識,それに伴なう魂の解放という哲学的意義を見つけることがで きるのである.共に理想化された告白詩として,単なる感情に流されたも のでないことは,両作品の象徴的作風からうかがうことができ, ~新生』
は吏に Eliotの批評を援用すれば, ダンテの熟慮した結果の作品とし
20 Epipsychidionにおける愛の象徴技法
て「究極の理由は衿に惹かれるということなのである.J5一人の恋人に神 への道を観たダンテは,その志向性においてシエリーと同じである.永遠 の恋人ベアトリーチェがダンテの魂の浄化,聖界飛朔の誘因として精神愛 の対象となるように Epipsychidionに歌われる太陽の仮身エミリーも
シエリーの魂の花嫁として,精神的合体を通して「永遠不滅の愛の世界」
(
the 五eldsof immortality
, "
133; t he highest of Love's rare Uni・目 verse," 589)6への帰入をうながす憧慢の対象となっている. 女性に対す る精神愛が,言い換えれば,騎士道的,あるいはプラトンの美しい婦人讃 仰が,両詩人における詩作の動因であり,至高因への橋渡しとなっていることは否定できない.
愛のドラマは, しかしながら,シエリーにおいては,ダンテの宗教的昇 華道と異なった,哲学的愛の上昇道という形であらわれてくる.理想追求 の詩人として, シエリーの場合, それは専ら, Intellectual Beauty"
という深遠な美の本体への憧慢として表われてくるのだが,その美とは3
その極限において善に通ずる永劫常住の絶対美だといえる. Hymn to Intellectual Beauty" (1816)に歌われた "Spiritof Beauty " や aw‑
ful LOVELINESS"は Epipsychidion において最終的にエミリーを 通して感得されるが,このことは何よりも, この詩がシエリーの美の追求 における一大モニュメントを成すものだということをこの詩自ら示してい るといえる.
Epipsychidionは内容的に見て大きく三分割できる第一部(11.1‑189) は,エミリーへの呼びかけで始まり,彼女の賛美,愛の本質を歌い,永遠 不朽の真理を述べて締めくくられている.第二部(11.190‑387)は,自括 的愛の回顧録で,個人的体験を宇宙的規模にまで拡大するその象殻技法を 通して,愛の上昇道が描かれている.最終部(11.388‑591)は,理想郷へ の舟出の誘い,エミりーとの合体を高い調子で歌いながら,急激な下降謂 で終わっている Newman1 vey Whiteは上述の区分における最終部は
Epipsychiゐo,π における愛の象徴技法 21 第一部,第二部との連関性はあるとしても,一貫性に欠けるという点で,
387行でもってこの詩を終わるべきだったのにという興味深い見解を出し ており また, すでに述べたように, この詩自らが示すモニュメント的 要素,つまり美の追求という流れに焦点をあわす時,第二部は,それだけ で独立したものとして鑑賞できるのではないかと思う.この観点に立って,
この小論では第二部の独立性を考えながら,象徴的に描き出される愛の行 程を,言い換えれば,絶対美の地上的開示への道程を見ていこうと思う.
2
青春の曙の時,
r
神霊J (Being," 190)に出合った詩人は,r
目には 見えぬ陸いばかりの栄光に身を包まれたJ( . . . ro bed in such exceed町 ing glory, / That 1 beheld her not," 199‑200)その霊に,r
真理の調和」(216)を見たと告白しはじめる.
. in that best philosophy
,
whose tasteMakes this cold common hell
,
our life,
a doom As glorious as a fiery martyrdom;Her Spirit was the harmony of truth.
(11. 213‑16)
丁度,ダンテに一切の知慧と徳とを顕示した魂の恋人にして導者ベアトリ ーチェのように,シエリーの神霊もまた,彼の「唯一の願いなる導きの 星」として現前したかに見えた. ところが「夢みる青春の洞窟」より「稲 妻の羽を足につけた者jのように,その loadstar"めがけて飛び出した 所,霊は「その燃ゆる羽に十倍の速さを加えて神の如く」去ってしまった.
Then
,
from the caverns of my dreaming youth 1 sprang,
as one sandaled with plumes of fire,
22 Epipsychidionにおける愛の象徴技法 And towards the loadstar
0 /
my one desire,
1 flitted
,
like a dizzy moth,
whose flight 1s as a dead leaf's in the owlet light,
When it would seek in Hesper's setting sphere A radiant death
,
a fiery sepulcher,
As if it were a lamp of earthly flame.‑
But She
,
whom prayers or tears then could not tame,
Passed
,
like a God throned on a wing占dplanet,
Whose burning plumes to tenfold swiftness fan it
,
1nto the dreary corn of our life's shade;
(11. 217‑28. 1talics mine.)
「洞窟
J 9
は, シエリーが好んで用いる比日訟であり, プラトンによれば,可視的世界を意味しており,真実在の叡智界に対比せられる闇の世界であ る.シエリーがその閣の世界で縛られた状態 (r夢みる青春」 とは,未だ 魂の解放をみない,魂の眠った状態をいったものと解しうる〉にある時,
一瞬,その姿を現わした神霊は詩人の「魂の魂J(soul out of my soul,"
238) として, 以後,詩人の魂の冒険(解放〉の大きな誘導因となる.霊 の去ったあとの詩人は,まるで「大いなる損失に意気失いし者J(229)の ように,
r
人生の冬の森J(249)に迷いこんでしまうが,これは閣の中で 突如,閃光の真実在に触れたが故に,いっそう喪失感をおぼえる純粋な魂 の痛みといえる.この個所は,夢にベアトリーチェの昇天を見て,死人の ように目醒めたダンテの苦悩を連想させるものである10 そして「人生の 冬の森」とは,プラトンの比鳴を借りるなら,それは洞窟内の険しい苦難 の道といえる.詩人は更に告白を続ける.数多くの「新しい姿J(252)に半ば驚きなが ら森の中を She"に
1 t t
た姿を求めて進んでゆく詩人は,ある日,r
毒あEpipsychidionにおける愛の象徴技法 23 る美しき調べの声J(256)を耳にする.その芦の主は「青い有毒植物の木 蔭の,泉の側に座しており,その偽わりの口より出る息吹きは,移ろいゆ く花の如く,その感触は,電撃的な毒のようであったJ(257‑59)という.
Kenneth Neil Cameronはp この個所をシエリーの venerealdisease"
を述べたものだと言っているが11 個々の伝記的考察は, この小論の意図 ではなしただ,ここではそういう説があるにとどめてp この「毒ある美し い調べの声」は, この個所に続く告白中の「多くの死すべき者の姿J(267) を一括するプラトンのいう虚偽の理想,つまり, James A. Notopoulosの 指摘するように,洞窟の壁に映った通り過ぎゆく偽わりの諸像だと解釈で きる12 また VenusUraneaに対する Venus Pandemosの暗示だと するももアhiteの指摘も, この詩の基調(つまり一般化,理想化された詩と いう意味〉に準じたものといえる13
In many mortal forms 1 rashly sought The Shadow of that idol of my thought. And some were fair‑but beauty dies away:
Others were wise‑but honeyed words betray: And One was true‑Oh! why not true to me?
(11. 267‑71. Italics mine.)
数多く移ろいゆく姿の中に詩人は「一つの真があった」と胸中複雑なが らも肯定する One" 14 の真実性は, しかしながら, 地上の「迷信」
の犠牲となる.それは理想を求める詩人の本質を見抜くことなく地上にと どまる真であり,詩人を「逃げ場なく追いつめられた鹿J(272)の如〈孤 独にさぜるものであった.そこに新らしい「救いJ(Deliverance," 277) が現われるのである.その主は「冷ややかな汚れなき月J, 1天の輝ゃく 島々を治める女王J (281) として, ]皮女が微笑む全てのものを美しくす る存在である.それはあたかも「エンディミオンの上に満ちては欠ける
24 Epipsychidioπにおける愛の象徴技法 月」のようだと歌われている.
She led me to a cave in that wild place
,
And sate beside me
,
with her downward face Illumining my slumbers, like the Moon vVaxing and waning o'er Endymion.And 1 was laid asleep
,
spirit and limb,
And all my being became bright or dim As the Moon's image in a summer sea
,
According as she smiled or frowned on me;
And there 1 lay
,
within a chaste cold bed:Alas
,
1 then was nor alive nor dead:ー(11. 291‑300)
美しい絵画的描写の中に,詩人の
i
光惚の境地が読みとれるが,r
生きても いず死んでもいずJ(300) という詩人の精神は, その行に続く「生」と「死Jの双子の兄妹の叫びと呼応して,詩人と「月」との本質的軍離を示 すものである.
Away! he is not of our crew." (1. 306)
「月」の不断の変化と,その回帰性は,氷遠が無常の中に反映されたもの という意味で「太陽」に近づくが,詩人の本質はそこに無いとする Earl R.羽Tassermanの指摘は当を得たものといえる15 従って, この生死定ま
らね境地は Whiteの言葉を借りれば atrance‑like illusion" 16の世 界ということができ,尚も詩人の冒険が続くのである.
嵐が来て「月」が消え, 1"時の惑星J (the Planet of that hour,"
313) 17 も消え,詩人の魂は「明かりなき海J(311)となり3 ついには「岸 より岸に死の如く凍って動かなくなったJ(314‑16)と歌われている.こ
Epipsychidio河における愛の象徴技法 25 うした精神的死に尚も現われる「白い月Jはただ微笑んでいるだけである.
そうこうするうちに,長く悲しみと恥辱に耐えて求め続けてきた「幻」
(The Vision," 322)が, I暗き森J(321)に,まさに明け染める太陽 の如く訪れたのである.詩中,唯一の固有名詞を与えられた太陽の仮身エ
ミリーの出現である.
Soft as an Incarnation of the Sun
,
When light is changed to love
,
this glorious One Floated into the cavern where 1 lay,
And called my Spirit
,
and the dr巴amingclay Was lifted by the thing that dreamed below As a smoke by五re,
and in her beauty's glow 1 stood,
and felt the dawn of my long night もNaspenetrating me with living light: 1 knew it was the Vision veiled from me So many years‑that it was Emily.(1. 1335‑44)
長い変転の果てに見た絶対美の地上的開示は次の二行に凝縮されていると いえる.
1 never thought before my death to see Youth's vision thus made perfect
,
Emily,
(1. 141‑42)
エミリーは更に, Veiled Glory of this lampless Universe" (26) と いう具合にベールでおおわれた存在として描かれている.ベールとはシエ
リーが好んで使う実在に対する仮象の象徴であり, 従って, エミリーは Intellectual Beauty "という美そのものではなく,彼女を通してその実
26 卑 浄sychidionにおける愛の象徴技法
体がうかがえる地上における美,つまり,地上美という抽象概念を表わし たものと角序しうる.
一方,エミリーを「愛と生と光と神性に包まれた人聞の瀧姿J(112‑13) と比喰する時p 美の受肉化がなされているのであり,この点, ¥Vasserman がエミリーをキリスト的存在として把えているのは興味深い.また,太陽 の仮身エミリーが洞窟に漂い来て,眠る詩人を呼ぶ個所(上述の引用参照,
335‑44)をイエスの神がエリアを呼ぶ場面と対応させているのは, この詩 に聖書的引轍を読みとろうとする彼の解釈の延長組に立ったものといえ る18 しかし Wassermanのこうした読みは面白いとしても,詩の基調 はギリシア的雰閤気をもっており,これは最終部において詩人が地上楽園 を青いエーゲ海に囲まれた美しい緑の島 (430‑31)と定めているところか
らも明らかである.
ユミリーは以上の比百訟の他,様々な比E訟で把えられているが,彼女の存 在は,上に引用した北町議からわかるように,実在界と,現象界, シエリー の言葉でいえば「実在の影なるこの世J(136)との接点に位置するもので あり,彼女の中で二世界が出合う存在である.プロチノスの光の流出を思 わせる次の比轍は彼女に与えられた比鳴の極致といえる.
. . . one intense
Diffusion
,
one serene Omnipresence,
Whose flowing outlines mingle in their flowing
,
Around her cheeks and utmost nngers glowing With the unintermitted blood
,
which there Quivers,
(as in a fleece of snow‑like airThe crimson purple of living morn may quiver,) Continuously prolonged
,
and ending never,
Till they are lost
,
and in that Beauty furledEpipsychidion における愛の象徴技法 百
九lhichpenetrates and clasps and fills the world;
Scarce visible from extreme loveliness.
(11. 94‑104. Italics mine.)
See whereshe stands! a mortal shape induced With love and life and light and deity
,
And motion which may change but cannot die; An image of some bright Eternity;
A shadow of some golden dream . (11. 112‑16)
27
そして,詩人のエミリー賛歌は,つまるところ, some bright Eterni‑ ty" (115)への憧れであることがわかる.
3
ここであらためてシエリーの主な象徴に呂をとめてみると,第二部に描 かれた愛の遍歴は,丁度,プラトンのイデア認識に至る魂の段階的認識過 程と対応していることがわかる.
w
国家』第七巻の始まりにおいて,洞窟 から解放された囚人のとまどいに関する話をプラトンはソクラテスとグラ ウコンの間で対話させているが,限に苦痛を感じないで真実の光に接する には慣れを必要とすると言うソクラテスの話は,真実在への認識過程を比 日食的にとらえたものといえる.He will require to get accustomed to the sight of the upper world. And五rsthe will see the shadows best
,
next the reflec司tions of men and other objects in the water, and then the objects themselves; next he will gaze upon the light of the moon and the stars; and he will see the sky and the stars by night
,
better28 Epipsychidionにおける愛の象徴技法 than the sun, or the light of the sun, by day? 19
更に,同書,第六巻の終わりにみる認識の四つの対象に対応して区別され る魂の四つの機能と照らし合わせて考える時,シエリーの愛の象徴技法の 意図が把かめるのではないかと思う.
まず,上述引用の「影」や「水面に映乃た人や事物の似像Jであるが,
これらはわれわれが苦痛をおぼえずに出合える最初の可視的対象である.
Epipsychidionにおいては,青春の曙の時,その冷たい生の牢獄で,つか の間,
r
真理の調和」の神霊に接した詩人が,その霊を追い求めて最初に 出合う「多くの死すべき者の姿J(many mortal forms," 267)がこれ に相対しているといえる.そして, これらの可視的対象に対応する心の機 能は,プラトンによれば,r
想像」ないしは「臆測」である.見失った霊 を求めて詩人が出合う美しい者や賢い者に対して向けられる詩人の心にも,この「臆演目」が働いている.
. . . 1 went forth
,
with hope and fear And every gentle passion sick to death,
Feeding my course with expectation's breath
,
Into the wintry forest of our life;
And struggling through its error with vain strife
,
And stumbling in my weakness and my haste
,
And half bewildered by new forms. 1 passed
,
Seeking among those untaught foresters 1f 1 could find one from resembling hers
,
1n which she might have masked herself from me. (11. 246‑55. Italics mine.)
次に「事物そのものjであるが,これは影の実体である.プラトンの比
Epipsychidionにおける愛の象徴技法 29 轍でいえば,洞窟内の小高くなった小道を通りすぎゆく影の本体であり,
これに対応する知的機能は「信念」である.詩中,シエリーは唯ゅの誠と いえる One"がし、た( Onewas true," 271) と書いているが, この One"は,しかし洞窟内における信である.そして,それが信である が故に詩人に Whynot true to me?" (271)とL、う反語的自問を起こ させるのであるが, この One"は,絶対美を求める詩人には「幻の影j
(268) の影にしかすぎず, 詩人を更に追求の旅へとかりたてるものとな る.
第三番目にくるのが「月と星」である.これらは地上を離れたものであ り,上述のものと区別される.地と天を人間の,つまり肉と魂からなる人 聞の知覚の二面性の比輸として把らえる時,前者を感覚ないし可視的対象 として,後者を知性ないし可思惟的対象として区別できる.詩中の「月J は, この観点から,後者に属している.更に,厳密にプラトンの認識段階 に従えば,可思惟的対象の内,下位の思惟対象であり,これに対応する知 的作用は「悟性」つまり「論理的認識」である.シエリーの描く「月」は,
疲れた詩人の心に「救L、」の如く現われたが, 1月」は,すでに見たよう に不断の変化の象徴であり,悟性に照らせば「救し、」という仮説は最終的 に詩人と「月!との本質的事離へと導びくものであった.
1
月」が与える trancelike iIlusion"の世界は, 丁度,プラトンにおける数学的錯覚の 世界といえはしないだろうか.よく引きあいに出されるのが三角形の幾何 であるが, 目に見える形態をとおして当のものを観るこの数学的世界は,シエリーが,
1
月」という不断に変化を続ける生死の連続体の中に,つま り,視覚でとらえられる「月」の中に,常に「同ーのものJ(283)として の「月」を観ているのと同じだといえる.この点,太陽の仮身エミリーが,第一部で月にたとえられる (27)のも,単なる比日訟の矛盾ではなく,
1
月」 は存在論的に「太陽」に創ているのである.r
常にあるもの」への認識が 悟性の世界を形づくるなら,シエリーの「月」は,まさに,人聞を思惟世30 Epipsychidionにおける愛の象徴技法 界の軌道にのせる対象として重要な意味をもっ.
最後にくるのが「太陽」である.上位の思惟対象と L ての「善のイデ アJ,その比鳴である「霊の天界の太陽」が,その本質において思惟され るが見られないものであるならp 詩中のエミリーは「太陽の化身J (an Incarnation of the Sun," 335) として, ベールをまとった存在として描 かれるのは当然である.これは屈折作用をへて地上にとらえられる太陽で あり,美の受肉化は理にかなっている.むしろ,ここでとり上げるべきも のは第二部の冒頭の Being"である.この Being"は,プラトンの
「太陽」同様,感じられるが目には見えない存在である(11.199‑216参照).
「直観的認識jないしは「叡智」が,この上位の思惟対象に対応する心的 作用であるが, Being"がp つかの間,詩人を訪れて,急速に飛び去っ たというのは, とりもなおさず, この存在の本質をいし、あてたものといえ る.そして後を追う詩人に「芦jが呼びかけるが,詩人はもはや,その存 在を感じることができない.
I would have followed
,
though the grave between Yawned like a gulf whose spectres are unseen:もiVhena voice said:
o
Thou of hearts the weakest,
The phantom is beside thee whom thou seekest."
Then I‑ where?" the world's echo answered where! "
And in that silence
,
and in my despair,
I questioned every tongueless wind that flew Over my tower of mourning, if it knew Whither 'twas fled
,
this soul out0 1
my soul;(11. 230‑38. Italics mine.)
これは詩人の思惟の曇りを示すなによりの証明であり,ここに詩人自らの 魂の解放の出発点がある. Being"は,従って, 詩人の「魂の魂」と
Epipsychidioπにおける愛の象徴技法 31 して,追求のアルファでありオメガとなる.ここで付け加えねばならない ことは,エミリーは Being"に対して詩人の「思いが描く幻J(268)の 具体化であるにもかかわらず,シエリーは Being"とエミリーを比鳴 の点で同一存在として扱っている個所が多々あり,実に読者を迷わす点で ある.しかし神と受肉のイエスの同一視は,この問題点を解決するであ ろう.
プラトンの「太陽」が,あらゆるもの一切の原因であり,世界の構造の 中に入りこんで,それに意味を与えているように, Being"の詩人に与 える主導性も,以上見てきたように,認識の各領域を通して働いており,
仮像と実在が全〈遊離したものではなく,仮像から実在へという上昇的軌 道に詩人の魂を招き,索き上げている.そして,ただ一つ,
r
愛」だけが 詩人と Being"を結ぶ粋である. ここで「索き上げるj という表現を 用いたのは9 愛とは「地上にあるものが天上の世界を望む思慕撞僚であり,相対者が絶対者のもとに帰還しようとする上昇的志向性であると同時に,
絶対者が相対者を索き上げようとする上から下への呼びかけでもあるJ20 というプラトンの見解に則したものであり,シエリーも, この点, De‑
liverance"の到来を上からの恩寵として受けとっていることは作品中に うかがえる.天上の主として描かれる「月」と「太陽」の仮身は光輝のう ちに「愛する者」を招くのである(11.291‑94,及び335‑38参照).これは,
追求の出発点における「戸」の呼びかけが具体的な形をとってあらわれた ものといえる.
地から天へと段階的に移行する呂の動きは,魂の動きであり,肉という 物質的「牢獄」の分解による魂の解放である.その分解を通して大宇宙と の合体を望む詩人は,
r
月」と「太陽」を「受身の地球J(345,詩人その 人の比喰〉を治める「双生児のような光の天体J(345)と呼んで,謂和の 世界を描こうとする.言い換えれば,愛による宇宙の復元である.詩人の 受動性は,ここに至って能動性に転化する( Odeto the West Wind"32 Epipsychidionにおける愛の象徴技法
における詩人と西風の関係を考えるとよい). 我々人闘が恋愛として経験 的に知っているエロスが,宇宙形成のー原理21として拡大されており,詩 人の愛は,訪偉い,撹乱の果てに消え去った Comet"をも再び「るり 色の天空jに招き入れようとする.
Thou too
,
0 Comet beautifu1 and fierce,
Who drew the heart of this frai1 Universe
T owards thine own; ti11, wrecl王edin that convu1sion, A1ternating attraction and repu1sion
,
Thine went astray and that was rent in twain;
Oh, float into our azure heaven again!
(1. 1368‑73)
つまり,
r
美しい激しい琴星」は,調和の世界における Venus"( Love's folding star," 374)となる.続く数行は,そのことを示しており Was‑sermanの指摘の通り,月的存在 (mutability) と太陽的存在 (eternity) の聞で苦闘しながらも双方に惹きつけられる人間の二面性を調和さす「結 合力」としての意義をもっ22
Be there Love's folding‑star at thy return ; The living Sun will feed thee from its urn Of golden fire; the Moon will veil her horn 1n thy last smiles; adoring Even and Morn Wi11 worship thee with incense of calm breath And lights and shadows.
(11. 374‑79)
宇宙を「聖壇J(383) とするシエリーの見方は, プラトンが宇宙を神の 完壁に近い写しだとする見方23に負うているともいえ,宇宙は, 故に,神
Epipsychidionにおける愛の象徴技法 33 に通じる可視的聖壇といえる.そして,その調和美の大宇宙を詩人自らの 中に復元(この点で個々の魂は小宇宙である〉することによって, 魂の
ONE" 24への全的還元を果たそうとしているといえる.
シエリーの描く愛の道は,以上見てきたように,苦難の上昇道,あるい は倫理的試練の道といえる.それは魂の理想の原型である「魂の魂」追求 であり,仮像から出発して「理想美」に向かう道であった.シエリーはプ ラトンに大いに影響された詩人であるとはいえ,彼はこの詩でプラトンの 魂の理論を歌おうなどと意図していなかったかもしれない.また,上述の ような図式化された解釈は,この詩本来の味をそこなうかもしれない. し かし鑑賞に一つの方向性を与えるものであり,シエリーの象徴技法が単 なる個人的なものでなく,イギリス精神の源流の一部ともいえるプラトン に照らしてみて,より一般的なものだということがわかる.シエリーのい う anidealized history "の意味がここにあるといえる.そしてEpipsy‑ chidionの第二部の独立性は問うまでもない.
4
シエリーの愛の概念は,大作 Prometheus Unbound (1819)をへて1821 年までには形而上学的 ONE"の概念と融合しあい, 一層の聖化を得て いる.自己愛の領域を越えることのなかった Alastor (1815) の愛は,
Prometheus Unboundでは, 世界を統轄する唯一の法として, また,人 間の精神の復興力として変貌をとげ Epipsychidionでは, 存在の本質 にせまる愛となる.その愛が, この詩の第二部で象徴的に描かれているの は,すでにみたとおりである.
シエリーは JohnGisborne宛ての書簡でこの詩を mystery"と呼 び,次のように書く時,彼は,この作品が改訂を要するものだと言ってい るのであろうか.
34 Epipsych五め・0河における愛の象徴技法
The Epipsychydion [sicJ is a mystery. . . . But 1 intend to write a Symposium of my own to set all this right.25
また,この小論の出発点においた Whiteの最終部に関する批評は,
では取り扱わなかったけれど,この書簡文に照らして首肯されるべきもの なのか.シエリーが意図するシンポジアムは, しかしながら,Epipsychi‑
dionに手を入れたものとはいえないであろう. 丁度, プラトンが人間の 魂の諸相を,一方では『パイドロス』でアレゴリカルな神話として,他方,
『シンポジアム』で理論的に取り扱ったように,シエリーもまた,自らの 愛の理論をもくろんでいたといえなくはない.この推論は Mary Shel‑ leyが Prometheus Unboundに付けた注26によっていくらかでも是とさ れるであろう.そして,その理論とは,この小論で対応的に検討した愛の 上昇道ではないだろうか.
注
1 グレハム・ハフ『ロマン派の詩人たち』出口泰生訳(弥生書房, 1971), p. 204. 2 Letter to John Gisborne (June 18, 1822), The Complete恥 rks01 Shelley
(New York: Gordian Press, 1965), X, 401.
以下 Shelleyの詩・散文・書簡からの引用は,すべてこの版による.
3 A Defence of Poetry," Works, VII, 128.
4 T. S. E1iot, 1"ダンテ論J.吉田健一訳『エリオット選集J第二巻〔弥生書房,
1957), p. 73. 5 Ibid., p. 78.
6 Epipsychμ'ion, Works, II, lines 360 & 373. Epipsychidio河から引用する場 合は,本文中の( )内に行数を示す.
7 Donald H. Reiman, Percy Bysshe Shelley (The Carl H. Pforzheimer Library, 1969), pp. 126‑33.
8 Newman Ivey White, Shelley (New York: Octagon Books, 1972), II, 268. Whit巴は,シエリーが言うように,この詩が "aspiritual autobiography"なら,
387行で終わるべきであり,最終部は詩中, 重要な役割を果たしている「月」の 仮身 Maryが無視されていると述べている.
Epipsych品・0月における愛の象徴技法 35 9 プラトン『国家』第七巻の洞窟の比喰参照.
10 ダンテ『新生』野上素一訳(筑摩書房, 1967)第31章参照. ダンテは実際にぺ アトリーチェの死に接した時の苦しみをカγツォーネの中で次のように歌いこん でいる. I悲しみに泣いて悩み溜息っき,ひとりいるところで心をくだき,開く 人の悲しみを誘うのである.私の淑女が新しい世界へ去った後,私の人生がどう なったか,それをいうことは私の舌にはむずかしい.……悩み多き命は私をかく 乱したのだ。」
11 Kenneth Neil Cameron, Shelley: The Golden Year (Cambridge, Massachu‑
setts; Harvard University Press, 1974), p. 280.
12 James A. Notopoulos, The Platonism of Shelley (New York; Octagon Books, 1969), p. 287.
13 White, op. cit., p. 262.
14 Ibμ'., p. 262. Whit巴は,この One"をシエリーの従妹の Harri巴tGrove と解している.
15 Earl R. vVasserman, Shelley, A Critical Reading (Baltimore and工ρndon:
The Johns Hopkins University Press, 1971), pp. 434‑35. 16 V可hite,op. cit., p. 263.
17 この「時の惑星」を伝記的に見て, Whit巴は ElenaAdelaide Shelleyだと解 い 一 方 Cameronは Shelleyの自殺した先妻 HarrietWestbrookだとして いるが, the Moonとは別のものであることは明らかである.ちなみに Cameron による個々の天体に対する伝記的考察をみると次のようになる TheMoon=
Mary Shelley; the Sun=Emi1y; the Earth=Shelley himself; Planet=Harriet Shelley; Comet=Clare Clairmont.
18 羽Tasserm丘町 oρ. cit., p. 425 & 437.
19 Republic, Book VII, in The Dialogues of Plato, tr. Benjamin Jow巴tt(New York: Charles Scribn巴r'sSons, 1911), II, 342‑43.
20 井筒俊彦『神秘哲学:第二部,神秘主義のギリシア哲学的展開JJ (人文書院,
1978), p. 103. 及びプラトンの Phaedorus224 a参照.
21 ジエリーが完訳したプラトンの Syn;ψ'Osium中のパイドロス演説において恋愛 におけるエロスの宇宙的拡大がなされている.
22 Wass巴rman,op. cit勺 pp.438‑39.
23 創造者 (Demiourgos)の手になる世界は典型 (paradeigma)の写しであり,
特に調和美のとれた天体の運行は可視界における完全に近い,神の摂理の表われ である Timaeus27c‑31b参照.
24 One"及び oneness"は,シエリーの限りない
i
童慢の究極点であり,愛の36 Epipsychidio河における愛の象徴技法
概念と強く関係している.彼のエッセイ On Love"はエロスの本質である全 体性の回復を述べたものである.また, One"は,プラトン哲学ではイデア論 の中心概念である.
25 Letter to John Gisborne. October 22, 1821,耳Torks,X, 333.
26 "Note on Prometheus Unbound. By Mrs. Shelley," Works, II, 270. She writes,Shelley develops, more particularly in the lyrics of this drama, his abstruse and imaginative theories with regard to the Creation. 1t requires a mind as subtle and penetrating as his owu to understand the mystic meanings scattered throughout the poem. They巴lude the ordinary reader by their abstraction and delicacy of distinction, but they are far from vague. It was his design to write prose metaphysical essays on the nature of M,叩, which would have served to explain much of what is obscure in his poetry. . . . He considered these philosophical views of mind ancl nature to be instinct with the int巴nsests.pirit of poetry."