「行為体 ― 志向の都市社会学」と
再 ― 表象化される都市エスニシティ論
―「源流」の初期シカゴ学派/S. Persons の「再―表象」/M. P. Smith
のトランスナショナル・アーバニズム論―
広田康生
Agency-oriented Urban Sociology and Re-presenting the Urban Ethnic Studies :
Origins of Ethnic Studies at Chicago, S. Persons’s Re-presentation,
and M. P. Smith’s Transnational Urbanism
「整理」し「定位」する手掛かりとして筆者は、M・P・ スミスの言葉や方法論を参考にしたい。スミスのトラン スナショナリズム論の方法論は、彼の著書
TRANSNA-TIONAL URBANISM(Smith,2001)で、彼 自 身 特 有 の 「社会構成主義」に基づいて作られている。筆者も本論 での「言説的空間」を「整理」するための方法をスミス の本書に示唆を受けているので、ここで、簡単に彼の方 法論について説明しておきたい。 M・P・スミスは、今筆者が述べたように、「理論構築」 の方法を上記の自著の第一章で、「社会構成主義(social constructionism)」と呼んでいる。スミスによれば、基 本的にわれわれの「社会的理論」とは「われわれが見る 現実、それについての物語を語りそれに向けて行為する ための構成要素からなる」と考えている(Smith,2001: 8)。この場合の「構成要素」とは、「社会的理論、社会 的実践、私たちが生きる世界に関する解釈、そしてその 間の関係性」である(Smith,2001:8)。彼にとって「概 念」とは、「と ! も ! に ! この世界がどのように動くかを理解 するための社会的に構成された解釈」で あ る(Smith, 2001:8―9)。したがってここには、都市社会学固有の概 念だけではなく、対象とする諸概念及び「解釈」と、そ れへの「表象」が関連する。加えて、理論や概念や表象 に関連して、言わば、「主体の立場(subject position)」 が関わる。スミスによれば、「こうした解釈には、歴史 的に特定の言説や実践から生まれ、社会理論家の言説と 実践だけではなく・・・・同様に通常の人々」等々の 『主体の立場』が関わってくる(Smith,2001:9)。そし て、結論的にこうした構成要素からなる研究世界をスミ スは、「言説的空間(discursive space)」と呼ぶ(Smith, 2001:2)。 筆者はこの M・P・スミスの考え方に示唆を受け、そ れぞれの、「『源!流!』と!し!て!の!初期シカゴ学派のエスニッ ク研究」からトランスナショナリズムまでの「流れ」の それぞれの理論や方法論やさまざまな「表象」や「言 説」の世界を、考える時の参考にしたい。 本論での、筆者の作業に関しては、ひとつの言い訳が 必要である。というのも、ここで「源流」や「再 ― 表象 化」や「行為体 ― 志向の都市社会学」の「言説的空間」 とはいっても、それぞれ全体を論じることは筆者にはも ちろん出来ない。したがって本論文においては、「源!流!」 としての初期シカゴ学派時代に関しては、奥田道大と 共 同 で 翻 訳 し た R. E. L. Faris, 1962, CHICAGO
SOCI-OLOGY 1920―1932,(『シ カ ゴ・ソ シ オ ロ ジ ー 1920― 1932』)(Faris,1967=1990)を 中 心 に、そ こ で「表 象」
されるものを一般的な「言説空間」とする。1970年代後
半から1980年代における「エスニシティ再生論」時代の
「再 ― 表象化」については、ストー・パーソンズ(Stow Persons) の 、 Stow Persons, 1987, Ethnic Studies at
Chicago 1905― 45, UNIVERSITY OF ILLINOIS PRESS Urbana and Chicago(Persons,1987)をひとつの研究世
界として使用する4)。両書とも評価されている。前者 は、個人的な評価はできるだけ避け、本人の父親が初期 シカゴ社会学科の学科長でもあったフェアリスの父親へ のインタビューも含めて、できるだけ現実に沿ってまと めた学史的著作と言われており、後者の S・パーソンズ の場合も、初期シカゴ学派の学史的著作であるアンド リュー・アボット(Andrew Abbot)の『社会学科と社 会学―シカゴ社会学百年の真相―』(Abott,1999=2011) の中で、以下のように評価されている。引用すれば、 「パーソンズの『シカゴのエスニック研究』は、ラルの 本よりも包括的で公平なものである。それは、スモール からヒューズまでのシカゴの理論家を扱い、彼らが当時 の人種的・民族に関する大きな文脈にいかに反応し、再 形成したか明示的に研究している。パーソンズは、パー クよりもトマスを、シカゴにおける人種・民族に関する 著作における中心的な思想家にしている。彼は同化(as-similation)の概念が普遍的な方向性もった過程へとど のように物象化されていったのかに焦点を当てている」 と指摘している(Abbott,1999=2011:33)。そして、都 市社会学のエスニシティ論からの「トランスナショナリ ズム論」への「展開」としては、「下からのトランスナ ショナリズム論」にもとづく上 記 の M・P・ス ミ ス の
TRANSNATIONAL URBANISM(Smith, 2001)を 使 用
づきエスニック研究の文脈と社会的条件、枠組み、主要 な理論、その表象、研究者の立場性等々から作られてい る「源 ! 流 ! 」としての初期シカゴ学派エスニック研究の 「言説的空間」について「整理」する。筆者にも、「都市 エスニシティ研究=初期シカゴ学派」に関する暗!黙!の!常! 識!がある。だがなぜ、初期シカゴ学派都市社会学のエス ニック研究は、どのような意味で「源 ! 流 ! 」とされて来た のか。この2.1では、その「源 ! 流 ! 」としてのエスニック 研究の枠組み、理論、研究者の立場性等などが意味され るご ! く ! 一 ! 般 ! 的 ! で ! 常 ! 識 ! 的 ! な ! 「 ! 言 ! 説 ! 的 ! 空 ! 間 ! 」 ! を取り上げる。 都市社会学関係の研究者には、周知の知識ではあるが、 2.2の「再 ― 表象化」のためにも、フェアリスの言説に 沿って、その「整理」をしたい。 さて、これも筆者の本論での「整理」にとっては重要 なので、「初期シカゴ学派」の初頭の状況か ら 入 り た い。フェアリスによればシカゴ大学社会学科は、1892 年、大学創立と同時に設置された。フェアリスはその大 学の特徴として次のように書いている。「一般的に大学 というものは長い時間をかけて発展するのが普通であ る・・・・しかしその第一歩から、第一級の高等教育機 関として、かつ、主要大学として成立した例はこのシカ ゴ大学をおいて他にはない」(Faris,1967=1990:48)。 フェアリスによれば、「第一歩から第一級の高等機関」 として成立した原因は、主にその政治経済学的な理論と し て シ カ ゴ 市 が 中 心 的 な 産 業 都 市 に 成 長 し た こ と (Faris,1967=1990:45―46)、同時に、ヨーロッパからの 「移 ! 民 ! 労 ! 働 ! 者 ! 」の大量の流入と、彼らのエスニック・コ ミュニティが無数に生まれ、その解決と、都市成長の最 も重要な要因としての移民の社会的、政治的、文化的問 題を大都市シカゴに求めたことにあった(Faris,1967= 1990:90―92)。 その当時の学問的背景としての人物群像としてフェア リスは、エドワード・ロス(Edward A. Ross)、ガブリ エル・タルドらの「模倣論」や、フランクリン・H・ギ ディングス(Franklin H. Giddings)の「同類意識論(con-sciousness of kind)」、フランスからのエミール・デュル ケムの分業論の輸入、そしてチャールズ・H・クーリー (Charles H. Cooley)などの存在を指摘しながら(Faris, 1967=1990:23―43)、そして後に(初期)シカゴ学派と 呼ばれるようになる同学の特徴として、現象的な「移 民」的状況を背景に、「どのような社会学をつくりあげ るべきか――草創期のシカゴ大学社会学部では、この テーマを巡って数多くの論議がたたかわされ・・・・一 貫して近代主義のなかでも彼らは楽観的で改良主義的な 態度」で立ち向か っ た と 指 摘 し て い る(Faris,1967= 1990:31)。 この「雰囲気」のもとで同学科の研究者として、初期 シカゴ大学社会学科の第一世代としてアルビオン・ス モール(Albion W. Small)を中心に、チャールズ・R・ ヘンダーソン(Charles R. Henderson)、ジョージ・E・ ビンセント(George E. Vincent)、そしてウイリアム・ イ サ ッ ク・ト マ ス(William I. Thomas)が 存 在 し た こ と、そして特に、フェアリスは、「シカゴ大学の社会学 科は、トマスの作り上げた人類学的伝統の上に築かれ る」と指摘している(Faris,1967=36―43)。そして、ト マス退職後、上述のシカゴ市の緊喫の問題への対応は、 第 二 世 代 と し て の ロ バ ー ト・E・パ ー ク(Robert E. Park)とアーネスト・W・バージェス(Ernest W. Burgess) へと引き継がれる。 フェアリスによれば、「源 ! 流 ! 」としての初期シカゴ学 派社会学のエスニック研究を指導したのは、特に、パー クの経験と学問的立場であり、エスニック研究を「表 象」する上でもきわめて重要であった。「源 ! 流 ! 」の「言 説的空間」は、パークの経歴と研究テーマから生まれて くるので次のフェアリスによるパークの履歴に関しても 重要である。フェアリスによると、パークは、ミシガン 大学卒業後、ミネアポリスで新聞社記者になり、特に、 リンカン・ステファンスの内幕記事「都市の恥部」の政 治腐敗と「解体」問題に関心をもち、ハーバード大学に 入学して「哲学」を専攻し、その後ドイツ・ハイデルベ ルグ大学に留学し、そこで『大衆と公衆』を題目として 学位を獲得、米国に戻ってからはハーバード大学で助教 授を務めた後、特!に!も!と!も!と!持!っ!て!い!た!人!種!問!題!へ!の!関! 心 ! を募らせ、ブッカー・T・ワシントンと共に活動をす るために、タスキージ市を拠点に南部諸州を歩き、南部 の黒人生活や習慣、彼らのおかれた状況について活動、 研究し、それが縁でトマスと出会い、シカゴ大学の教授 に招請される(Faris,1967=1990:54―56)。 彼が主導した初期シカゴ学派都市社会学の研究の中心 的な「テーマ」や「枠組み」、「概念」、「方法」等の「言 説的空間」は、彼らが、米国における初めてのテキスト としての『社会学の科学としての序章(Introduction to
con-trol)に関するテーマである。すなわち、諸個人の単な る集合から、いかにして共同的で、首尾一貫した行為が 生み出されるかを研究することが社会学のテーマ[傍点 筆者]」(Faris,1967=1990:73)であっ た。そ し て、そ の社会学の「定義」は、フェアリスによれば、「社会学 は、社会、組織、集団制度などの性格や、社会的相互作 用の性格と諸結果、そして同作用の形態と過程が個人の 行動に及ぼす影響などについての、客観的で科学的な知 識を追求する学問である」と述べられ、それにこの「定 義」に対して、「その後、多少変化し、精密にされたと はいえ、社会学の定義として現在充分に通用するし、ま たそれは単に米国だけではなく、どの国々においても通 用しうるもの で あ る」と 指 摘 し て い る(Faris,1967= 1990:73)。 さらに、初期シカゴ学派の主要な概念としてフェアリ スは、米国社会における移民の大量の移動と異質な文化 の社会的特徴を背景に、ゲマインシャフトを「コミュニ ティ」に、ゲゼルシャフトを「ソサエティ」と呼び替 え、その後、前者を「共棲社会」に、後者を「合意」と して使用し(Faris,1967=1990:77)、その概念を実現す るための操作概念として、例えば「内集団 と 外 集 団」 「第一次的接触と第二次的接触」「カテゴリー的接触と共 感的接触」といった二項対立的な概念を、明らかに「移 民/移動」と「人種」関係の分析の土台と据えた。 言わばこの「社会学」の中心的な「枠組み」――ある いはパラダイス――としてフェアリスは次のように述べ ている。「パークは、競争(competition)、コ ン フ リ ク ト(conflict=闘 争)、応 化(accommodation/adaptation =適応)、同化(assimilation)の四章分を、人類が経験 する自然過程を説明するものと考えていた。競争関係 は、時にコンフリクトを生み出し、コンフリクトの諸過 程は、応化の仮定に移行して、最後には同化の状態に到 達する。この一連の諸過程は、時代や地域を問わず発生 する。そしてこの過程は、またパークにすれば、米国に 移住してきた移民たちの諸経験を理解する上できわめて 有効な枠組み で あ っ た」と 述 べ て い る(Faris,1967= 1990:82)。その中でも筆者が特注すべきことは、この 「競 争 ― 闘 争 ― 応 化 ― 同 化」の「枠 組 み」が、(後 掲 の パーソンズに拠ると)「同化論=エスニック・サイクル 論(ethnic cycle)」と さ れ、当 時 巷 間 に「メ ル テ ィ ン グ・ポット論」と相まって――ただしこの用語は、メイ ンストリームにあたる社会の中心的な社会的階層にとっ てはあまり重要視されなかったと言われるが――、初期 シカゴ学派の、一般的に、シカゴ社会学のエスニック研 究を象徴する研究とされることになる。 ところで筆者は、「初期シカ ゴ 学 派 都 市 社 会 学」と 「シカゴのエスニック研究」との理論的関係について フェアリスが、次のように指摘していることに注目した い。フェアリスは、「シカゴを事例とした理念型には、 むろん重要な制約がある」と述べた後、初期シカゴ学派 都市社会学の中で「もっとも基本的な理論は、都市の成 長に関するものであった。とくに米国では、人口の自然 成長の主要なファクターではない・・・・都市成長の もっとも重要な要因は移 ! 民 ! だった[傍点筆者]。そして 都市にたいする彼らの流動の仕方には、規則的な特徴が 見られた。すなわち、移民人口は都市の各地域に均等に 流入するのではなく、また、樹木の年輪のように都市の 周辺部に徐々に増加していくわけでもない。移住者の大 半は大都市中心部のスラム地区に流入し、ただでさえ過 密なこの地区の人口密度を、さらに押し上げた」(Faris, 1967=1990:90―91)。さらに続けてフェアリスは次のよ うに指摘している。「新しく移住してきた人々の大半 は、都市生活を経験したことがない人びとであった。事 実、十九世紀後半から二十世紀初頭の十年までの間に、 ヨーロッパからの大量の移住者が米国諸都市の中心地区 に流入したが、その多くは農村出身者で占められてい た。しかも彼らのほとんどが、母国では低所得、低学歴 であって、移住後も熟練度の低い職業につく以外はない ような人びとであった・・・・・そして、民族集団のそ れぞれは、数十年におよぶこの移動の過程で、拡散し、 他集団との通婚などを経て文化的な同一化と融合の過程 を 辿 っ た」(Faris,1967=1990:91)。言 わ ば、こ れ が 後々までに、初期シカゴ学派都市社会学のエスニック研 究の「源!流!」としての「言説的空間」、あるいは、初期 シカゴ学派のエスニック研究を「表象」する「言説的空 間」となる。もちろん、フェアリスによれば、この競争 ― コンフリクト(闘争)― 応化(適応)― 同化の「研究枠 組み」が、初期シカゴ学派の第一期のウイリアム・イ サック・トマスの『ヨーロッパとアメリカにおけるポー ラ ン ド 農 民』(William I. Thomas and Florian Znaniecki, 1927, The Polish Pesant in Europe and America, New York : Knopf)における「研究枠組み」の「社会組織(or-ganization)― 社会解体(disorKnopf)における「研究枠組み」の「社会組織(or-ganization)― 再組織化(re-organization)」の「枠組み」に影響されていることも一 般に理解されている(この研究のエスニシティ論につい
ての意味については2.2を参照)。
ともあれ、フェアリスが指摘するように、このような
で、彼らは、固有の国民的特徴を捏造し、ややもすれば 異質な国民性にもとづく無秩序状態が出現しかねなかっ た 社 会 に、秩 序 と 調 和 を も た ら し た」と 指 摘 す る (Persons,1987:6)。ストー・パーソンズによると、こ のアングロ ― アメリカンの「自己満足と独善への挑戦」 に対する防衛本能能力を象徴するものとして「同化」問 題があったと述べる。「アメリカ的なかたちのエスニシ ティの特徴のひとつは、マイノリティの地位に関する意 識にある。エスニック集団は、典型的には防衛的なもの であり、同 ! 化 ! によって[傍点筆者]、現実的にもまた可 能性としても、自らのエスニック・アイデンティティが 喪失する危機に晒されると考えがちである」と述べる (Persons,1987:7)。 ストー・パーソンズによれば、このアングロ ― アメリ カンの「自己満足と独善」が最初に揺らいだ時期は、1840 年から1880年代にかけての「新移民」の来住であるとし (Persons,1987:7)、さらに続けて、決定的な時期とし ての「エ ! ス ! ニ ! ッ ! ク ! 闘争」は19世紀終わりの、東南ヨー ロッパとアジアからのいわゆる「新移民」の流入によっ て急速に激しくなり、それは1880年代に始まり1920年代 の移民制限法の採用に至るまで続いた(Persons,1987: 8)。ちなみにストー・パーソンズは、1908年にアング ロ系ユダヤ人の戯曲家イズレイル・ザングビル(Israel Zangwill)の戯曲『メルティング・ポット(The Melting -Pot)』にも触れ、「メルティング・ポット理念への期待 は、学者たちを満足させるものであったかもしれない が、アングロ ― アメリカンの掲げた目標への進歩を測定 できる実践的で日常的な要求には欠けていた」と指摘し ている(Persons,1987:13)。 アングロ ― アメリカンの「独善」と、初期シカゴ学派 社会学(とそのエスニック研究)に負わされた期待につ いて、ストー・パーソンズは次のよう述べている。「米 国のアカデミックな社会学がここから広がっていくこと になる二つの主要な学問的源泉としてのコロンビア大学 とシカゴ大学が、米国の二つの巨大な移民都市にあった という表現はそれほど間違いではない。その二つの大学 は、基本的な視点という点で、コロンビア大学がイギリ スの進化論、シカゴ大学がオーストリア及びドイツの闘 争理論という、ある意味、外国学の学問的権威に由来す るという点で、輸入されたという言い方も可能である。 どちらの場合においても、エスニック関係や人種関係に 関する研究へのアプローチの仕方は、それぞれの学問的 先達によって形成されたものである」(Persons,1987: 20―21)。特にシカゴ大学社会学科に対しては、これま でのアングロ ― アメリカンの「自己満足」の期待を預け た理由として、次のように述べる。「幾つかの点でシカ ゴ学派もまたアングロ ― アメリカンの伝統の上に築かれ ている。彼らの名前が表しているように――スモールや ビンセントやヘンダーソンやトマス――といったこの学 派の創始者もアングロ ― アメリカンであった。その伝統 に含まれる考え方は自然に彼らのなかに育っていたが、 科学的な客観性と学問的公平性(academic detachment) への新しく高度な研究への要求がそれをより洗練させて いた」(Persons,1987:20―21)と述べ、「科学的 な 客 観 性と学問的公平性」について指摘した。 われわれはここで、「エスニック研究」が、(ストー・ パーソンズによれば)アングロ・アメリカンの「自己満 足と独善」を背景に、「科学的な客観性と学問的公平性」 とをどのように関係するかという問題を抱えて生まれた ことが理解される。 では、この2.2の初めの第1の問題である、『源流』の 初期シカゴ学派社会学(及びエスニック研究)の『遺 産』の特に「同化論=エスニック・サイクル論」論の 「枠組」――それは多分に構造論的、制度的な、二項対 立的な概念からなる――に、ストー・パーソンズはどの ような問題と、将来への課題を見ようとしたのか。本節 では、ストー・パーソンズの中から、ひとつの「出来 事」だけを、象徴的に掲載する。 ストー・パーソンズは、パークとバージェスによって 初期シカゴ学派の「テキスト」とされた『社会学の科学 としての序説』――同書の刊行自体は、1921年だった が、その前にその調査的「枠組み」はパークにおいて 「都市――都市的環境における人間行動の調査のための 若干の指針」と題した論文として、彼がシカゴ大学社会 学 科 に 赴 任 し た 翌 年 の1915年 に『米 国 社 会 学 雑 誌』 (American Journal of Sociology)に掲載され、同学科
味が注目されているにもかかわらず、基本的な定義をす ることができないでいた。」と指摘する(Persons,1987: 78)。そして、ストー・パーソンズは、最終的に、次の ように述べている。「パークは同化というテーマに関し て繰り返し研究を続けたが、その言及のしかたは、次第 におざなりになっていった。最終的には、1937年に、彼 は同化に関する議論が最高潮になったまさにその時に、 エスニック・サイクル論を捨てることになる」(Persons, 1987:88)。 2.2の第2の問題である、人種、エスニシティ論の在 り方、特に、研究者の多様な立場性に移りたい。 初期シカゴ学派の「遺産」である「同化=エスニッ ク・サイクル論」への研究者の疑問や「立場性」につい ては、パークの指導を受けて実際にフィールドワークに 入っていた特に黒人研究者のなかには強い齟齬感があっ たと、ストー・パーソンズは記述している。後に黒人の 著名な社会学者となるエドワード・フランクリン・フレ イジャー(E. Franklin Frazier)について彼は次のよう
た、固有のエスニック・アイデンティティを形成し維持 するための重要な機関であった。さまざまなエスニック 組織が、できる限り多くの個人を参加させる努力をして いた。旧い第一次集団に取って代ったこ ! の ! 新 ! た ! な ! 結 ! 合 ! の ! 形!式!は、アメリカ化の過程にとって、有益な一連の経験 を提供する上で、より制限のない、大きな貢献をもたら した」(Persons,1987:51)。 そして、次のようにストー・パーソンズは述べてい る。長いが引用したい。「『ポーランド農民』の最も重要 な主張は、ポーランド系アメリカ人社会の解体を止め、 積極的な再組織を達成するためには、ポーランド系アメ リカ人が、自らの生活に意味と満足を与えるに必要な第 一次組織や第二次組織を作るためのあらゆる機会を持つ べきだと述べたことである。これらは、大部分は自発的 な過程であり、しかも成功する再組織化は、ポーランド 系アメリカ人自身によって成し遂げられるべきであり、 そしてより大きなコミュニティはあらゆる激励と道徳支 援を与えるべき、と考えた。厳密に言えば、『ポーラン ド 農 民』は、同 化 そ れ 自 体 を 扱 っ た 研 究 で は な い・・・・多くのアメリカ人は移民を、同化やアメリカ 化の観点から判断した。ポーランド人は、アメリカの文 化的価値や態度を、ポーランドのそれと取り換えること を期待された。トマスとズナニエッキは、実際に、アメ リ カ 文 化 に 吸 収 さ れ る 人 々 の 数 は わ ず か で あ 〔る〕・・・・と 信 じ て い た。今 お き て い る こ と は、 ポーランド人社会の形成でもアメリカ人社会の形成でも なく、新しいポーランド系アメリカ人社会の形成であっ た。この社会は、ゆっくりとしたアメリカ化の過程に あったが、それは集団全体の現象であり、個人的な現象 ではなかった。アメリカ化として語られていたことは、 伝統的な意味での同化ではなく、む ! し ! ろ ! 固 ! 有 ! の ! 文 ! 化 ! 的 ! な ! 型!を!も!っ!た!新!た!な!エ!ス!ニ!ッ!ク!集!団!の!出!現!で!あ!っ!た![傍点 筆者]」(Persons,1987:52―53)。 このストー・パーソンズの初期シカゴの「エスニック 研究」の議論を読んで筆者は、「源!流!」の中に「枠組み」 としての同化論=エスニック・サイクル論」の他に多様 な文脈が存在し、都市的世界における新たな社会の形成 をどう求めるか、本流の「近代主義的」で「公平で客観 的な研究」とは異なる多様な方法論の存在、二項対立的 な概念とは異なるエスノグラフィックな研究方法をどの ように求めるか、に関する幾つかの「水脈」があったこ とが理解される。 次の3で筆者は、2でのストー・パーソンズの「源 流」の初期シカゴ学派のエスニック研究の「再 ― 表象」 の中から、特に、「エスニック研究」の根底にある「移 民」「移 動 性」と「都 市 的 世 界」の 中 の「異 質 性」と 「個人の主体性とアイデンティティの問題」、「新たな社 会の形成」(Persons,1987: 50―51;120)いう問題をど う考えるか、「二項対立的な近代論的概念」に象徴され る「研究思考」、そしてエスノグラフィックなモノグラ フを、「下からのトランスナショナリズム」からの「行 為体 ― 志向の都市社会学」では、どのように「受け 止 め」あるいはどのような位相の問題とし「転置」されて いるのかを、見てみたい。筆者の「都市エスニシティ論 からトランスナショナリズム論への流れ」にとっては、 それとどのように相互参照し、都市社会学にどのように 位置づけができるのか、考えてみたい。
3
.「行為体 ― 志向の都市社会学」の「言説
的空間」
― M・P・ス ミ ス の ト ラ ン ス ナ シ ョ ナ
ル・アーバニズム論 ―
以下の3の議論は、2.1での「源 ! 流 ! 」の初期シカゴ学 派社会学の「エスニック研究と、2.2での、「再 ― 表象」 された「言説的空間」の諸問題――例えば、都市社会に おける移動、人種、エスニシティの概念、異質性、移民 (と研究者を含む)主体性とアイデンティティの問題、 都市社会における新たな社会の形成、二項対立的な近代 論的概念に関わる「研究思考」や研究方法論等々――を 背景に、トランスナショナルな時代の M・P・スミスの 「行為体 ― 志向の都市社会学」が、それをどのような位 相の問題として「整理」し、そこにどのような解答があ るのか、がここでの問いである。ここでの課題はすべ て、2.1と2.2の問題であり、筆者の「都市エスニシティ」 研究が、1990年代から2000年代における「越境者 ― エス ニシティ」や地域社会が「移動の問題」として、位相が 異なっても、受け止めた問題でもあった。「(下からの) トランスナショナリズム」の中心的理論のひとつである 「行為体 ― 志向の都市社会学」「トランスナショナル・ アーバニズム論」はそれを、どのような問題として扱い 受け止めているか、ということである。 この3では、こうした歴史的な「源流」及び「再 ― 表 象」が 残 し た 課 題 を、M・P・ス ミ ス(Michael Perter Smith) の TRANSNATIONAL URBANISM : LOCATINGGLOBALIZATION , Blackwell Publishing(2001)の「構 成体主義」に基づく「行為体 ― 志向の都市社会 学」の
― 表 象 化(re-presentation)」(ス ミ ス の 表 現:Smith, 2001:101)しているのかについて、筆者なりに「整理」
する。
ても、場所 ― 形成を巡る「表象の政治」に巻き込まれた 「場所」での「(偶発的な)節合の世界」である。「行為 体 ― 志向の都市社会学」の「アーバニズム論」を生きる 人は、その「表象の政治」のなかで、常に固定化され、 物象化された構造の位置を動かない人びとではなく、そ の生き方や立場や日常的な実践のなかで「転位」する人 間と見る。「都市エスニシティ論からトランスナショナ リズム論への流れ」が見つめてきたものは、常に脱構築 されるその生き方を「エスノグラフィック」に捉え、 「歴史化」することでその「先鋒」を探すことでもあっ た。筆者は「都市エスニシティ論からトランスナショナ リズム論への流れ」は、物質化や固定化した研究を常に 削ぎ落し、同時に、その後は消えてなくなったその「先 鋒」の「主体」を探すことによって、そして彼らがどの ように「偶発的な節合」を生む過程の「言説的空間」に 目を凝らすことを、都市社会学に提起してきたことであ ると、思われる。 注 1)1990年代前後から日本社会の学会におけるエスニシティ 研究の「自由報告」は行われていた。しかし「日本都市社 会学会」でエスニシティ関連の「テーマ部会」が開催され それが翌年の『日本都市社会学会年報』に掲載されたのは 1994年の『日本都市社会学会年報12』が最初であった。 「テーマ部会! 現代都市におけるエスニシティの展開」 の題目で、園部雅久「都市社会学におけるエスニシティ研 究の展開と課題」、高鮮微「在日済州島出身者のアイデン ティティ―変容過程」、都築くるみ「豊田市における日系 ブラジル人の居住と社会的ネットワーク」、広田康生「エ スニック・コミュニティの形成と都市の条件」であり、 「大会自由報告」として、藤原法子「外国児童生徒の生活 世界が意味するもの」、鈴木久美子「『制度』としての学校 と民族・エスニシティ問題のゆくえ」、田中恵「日系ブラ ジル人の労働者の社会的ネットワーク」、飯田俊郎「生活 様式としてのエスニシティ」、神谷国弘「ドイツにおける 都市社会学の展開と現状」、伊藤泰郎「新華僑の自営業経 営におけるエスニックな戦略」、山口恵子「『ストリート』 のこどもたち―マニラにおける参与観察」であった。また 翌年(1995年)の『同年報13』では標題そのものも「現代 都市とエスニシティ」と題されて、論文、研究ノートにお いて、伊藤泰郎「関東圏における新華僑のエスニック・ビ ジネス」、鈴木久美子「『制度』としての学校と民族・エス ニシティ問題のゆくえ」、水上徹男「アカルチュレイショ ン、アシミレイション、インテグレイション」、大倉健宏 「コミュニティとエスニシティをめぐる新たな問題の展 開」、藤原法子「エスニシティの教育戦略と都市」が掲載 された。 2)例えば、日本の都市社会学の分野からこうした問題に取 り組んだ研究として、秋元律郎『現代都市とエスニシティ ―シカゴ学派をめぐって―』(2002、早稲田大学出版部) は貴重な業績である。この著作は、初期シカゴ学派とハル ハウスとの関係に始まり、トマスとズナニエッキ『ポーラ ンド農民』とその研究スタイル、パークとバージェスのテ キストを介して「人種関係周期論」(=エスニック・サイ クル論)の説明、そして最後に、現代のグローバル化の中 での多文化統合に触れている。ただ本書では、「初期シカ ゴ学派都市社会学」を「源流」としているが、シカゴの 「エスニック研究」の文脈や研究自体の「言説的空間」、そ の後の「読み直し」やスミスらによる初期シカゴ学派のエ スニック研究の「言説的空間」に関してはむろんなく、初 期シカゴ学派の「源流」に限定し、その後の多くの支流の 水脈については叙述がない。本論の目的では、「源流」の その後の「水脈」を問題にした。 3)新聞紙上でも、アメリカ・スタンフォード大のシニア フェロー政治学者 Francis Fukuyama(フランシス・フク ヤマ氏)は、現在のアメリカの問題として、『朝日新聞』 紙上で、「米国政治の変容を理解する必要(として)・・・ 党 派 の 対 立 軸 が(成 長 重 視 の)右 か、(分 配 重 視 の)左 か、という経済政策によるものだったのが、21世紀はアイ デンティティ(帰属意識)に取って代られた」と述べてい る(『朝日新聞』2020年10月23日、朝刊「米国 分断克服 の道は」)。 4)本書に関しては、当時、広田が読み、大学院の授業で使 用し、藤原法子氏(専修大学教授)、伊藤史朗氏(当時専 修大学非常勤講師)の面々で2007年に「研究会」を開き訳 出作業で完成させた。しかし広田の都合で発行できないま まに来た。機会があれば刊行を努力したい。 5)国境を超える「移民」やエスニック研究を土台とする本 書でのトランスナショナショナリズムにおいても、いわゆ る「(下からの)トランスナショナリズム」を出発点とし ながらも、それをより一般 化、総 合 化 し、「ト ラ ン ス ナ ショナル・スタディーズ」として論じている立場もある。 この例としては、Vertovec, S(ed),2009, Transnationalism New York, Routlege(=水上徹男・細萱伸子・本田量久訳, 2014,『トランスナショナリムズ』日本評論社)を参照。な お、M. P. Smith の本書ついては、現在、藤原法子氏(専 修大学教授)と共同翻訳作業中である。 6)この源流としての初期シカゴ学派の「移民を中心とした 同化論」としての「言説的空間」は、その後、ゴードンの 「構造論的同化」と「文化的同化」といった概念を経なが ら、現在の「新しい同化論」ないしはタイトルのように
したことがある(広田,2005)。 7)著者のストー・パーソンズ(1913―2006)は、エール大 学で Ph. D. を取得し、その後プリンストン大学、アイオ ワ大学でアメリカ思想史、アメリカニゼーションを主題と した歴史学者である。彼は、1940年から1950年までプリン ストン大学で宗教を中心にアメリカ思想史を研究した後、 1950年代からはアイオワ大学で、アメリカにおける社会科 学の発展史を中心に研究した。特に本書は、プリンストン 大学のころからの主題であったアメリカニゼーションを、 初期シカゴ学派エスニック研究に焦点を据えて論じたもの である。特に初期シカゴ学派エスニック研究の特徴や、社 会学的な理論的な課題、研究者の苦悩する道のりについて 描いており、本論の中で既述したように、社会学者 A. ア ボットもその著書(Abott,1999=2011)の中で、初期シカ ゴ学派の人種・エスニック研究を扱ったものとして「包括 的で公平なもの」として評価している。 8)一般的に「アメリカニゼーション論」とは周知のよう に、アメリカの国家形成の歴史研究を指す。歴史学者中野 耕太郎氏によれば、そのなかでも、1880年を境にしたアメ リカニゼーションの変化を、「アメリカにおける20世紀ナ ショナリズムの移行」として表現している。同氏は、以前 のアメリカのナショナリズムが女性、移民、黒人中産階級 を対象にした愛国的ナショナリズムとするなら、1880年代 以 降 の そ れ は、東 南 ヨ ー ロ ッ パ 移 民(=当 時 の「新 移 民」)の「文化的同化問題」として区別し「エスノ・レイ シ ャ ル な ナ シ ョ ナ リ ズ ム 論」と 指 摘 し て い る(中 野, 2015:8―12)。ただし、本論でのストー・パーソンズは、 「アングロ ― アメリカン」と「初期シカゴ学派社会学」と の関係に注目し、アメリカニズムの歴史を最初から「人種 問題のエスニシティ問題化」として解釈し、その後、初期 シカゴ学派エスニック研究の「人種問題への転位」の中で 現在のような問題を抱えることを論じている。「アメリカ ニゼーション」に関する日本の研究として、油井大三郎・ 遠藤泰生編, 2003,『浸透するアメリカ、拒まれるアメリ カ』東京大学出版会等参照。 9)ジャン ― ミシェル・シャ プ リ(Jean−Michel Chapoulie) は、一般的に初期シカゴ学派のモノグラフの第一巻として 著名な N・アンダーソンの『ホーボー』と、最近の E・ア ンダーソンの『ストリートワイズ』を比較し、置かれた状 況は異なるが、共に特定の、常識的な当時の「枠組み」の 「縛り」を超えて研究をしたエスノグラフィックなモノグ ラフの在り方について論じた。この問題については、稿を 改めて論じたいと思う。
引用文献
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・秋元律郎『現代都市とエスニシティ―シカゴ学派をめぐっ
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・Alba. R and Nee. V.,2003, Remaking the American
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・『朝日新聞』2020年10月23日(朝刊),「(特集)米国 分断 克服の道は」.
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