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銀行経営の コーポ レー ト ・ガバ ナ ンス

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(1)

銀行経営の コーポ レー ト ・ガバ ナ ンス

‑史的考察 ( Ⅰ)

長 島 常 光

は じめに

日本企業の コーポ レー ト ・ガバナ ンス (以下,企業統治 と訳す) について は,現在,国 ・企業 ・学者や実務家の間で様 々な議論が なされている。企業 統治の枠組みに深 く関係す る商法の改正案で も政府の改正 中間試案,それに 経団連 ・日本 コーポ レー ト ・ガバナ ンス ・フォーラムな どの企業パ フォーマ ンスに関する提言 など多 くの活動がみ られる (これ らについては,いずれ後 述す る)。

この企業統治 については,特 にわが国の1980年代以降のバ ブル経済お よび その崩壊後の長期的な不況や銀行の巨大 な不 良債権問題 との関連が問題 とな っている。 ここで明言で きることは,従来の 日本企業の企業統治が,メイ ン バ ンク ・システムをその基盤 に していたことである。す なわち,メインバ ン クは,融資先企業の経営状態 を日常的にモニ タリング し,必要 な場合 は当該 企業の経営 に直接介入 して きた。 しか し,現在 では, フリー ・フェアー ・グ ローバルを標模す る金融 ビッグバ ンによる金融 自由化や時価会計 の導入 ・株 式持 ち合い解消 な どで,メインバ ンク ・システムをは じめ とす る従来型 日本 企業の企業統治の機能 ・枠組みが根本か ら変わ りつつある。 これ らを歴史的 な視点か らみた場合 に, 日本型企業統治の仕組みが確立 したのは戦 中 ・戦後 269

(2)

の財 閥による持株会社 を通 じた企業統治の時代であったとす る見方 もある。

このコーポ レー ト・ガバナンスの問題 は,1933年のバー リー ・ミ‑ンズの 古典的な研究以来,経営的経済学者や法学者 らによって研究が積み重ね られ て きた。筆者 もわが国のコーポレー ト・ガバナンスについては,歴史か ら学 ぶべ き視点が多々あるもの と考 える。特 に明治期 においては,銀行経営が政 府の主導 ・保護 ・支援の下 になされたとはいえ,その中に株主重視の企業統 治の原点 を見出だせ るのではないか と考 える。岡崎哲二は,1920年代 に現代

との類似性 を指摘する。 また現代 日本の経済 システムをより望 ましい ものに 変革すべ きだ とす る主張 とそのために, 日本の過去 に学ぶべ きであるという 問題意識 も強い。

本稿では企業統治 をOECDのコーポレー トガバナンス原則 (1999年5月) に従 い

,

「株主 をは じめ企業 に関係するすべ ての利害関係者 に係 る枠組み」

と定義 し, この定義 に関連 させ なが らわが国の金融機関,特 に銀行 における 企業統治が,わが国の明治以降の資本主義発展過程 においてどのような形で 関わ り, どう機能 を発揮 して きたのか,問題点は何か等 に焦点 をあてて,従 来の主要な研究 に依 りなが ら明治期の銀行発祥時か ら現在 までを概観 してい きたい。明治期 には,実際に株主優位 に立 った銀行経営があって,政府 ・企 業 ・経営者 ・株主 ・従業員 ・その他利害関係者 に至 るまで何 らかの枠組みが あったのではないか, とい う課題 を考察 し, もって現代の企業統治問題 を解 く鍵 を明 らかにするのが本論文の目的である。論文の構成 は以下の とお りで ある。

[論文の構成]

わが国における銀行 は,い くつかの歴史的な勃興期 ・盛衰期 ・転換期を形 成 して,大 きく発展 して きた。それはまた,日本資本主義の発展史で もある。

視点 を変えれば企業 にとっては,銀行 による育成 ・支配 ・統治の歴史ともい えるのではか 、か。本稿ではこの銀行の発展過程 を次の ように大別 し,まず

270 国際経営論集 No.23 2002

(3)

その銀行経営 を銀行‑株主一企業 とい う流れで企業統治の観点か ら,以下の 三部構成 に大別 して考察する。

Ⅰ 明治期

1 銀行の萌芽的台頭 (明治維新以降 日清戦争 まで) 2 銀行の勃興期 (日清戦争か ら日露戦争後 まで)

Ⅱ 大正〜昭和前期

1 銀行の飛躍的発展期 と銀行の危機 (第 1次大戦の戦中戦後〜昭和恐 慌 まで)

2 銀行の質的成長期 (1928年以降1941年〜第2次大戦突入 まで) 3 銀行 の混乱 と非常時体制 (1942(昭和17)年〜終戦 まで)

Ⅲ 昭和後期〜現代

1 銀行の第1次変革期 (終戟後〜1955(昭和30)午

2 銀行の成長期 (1955(昭和30)年以降の高度成長期 まで) 3 銀行の安定的成熟期 (高度成長〜バブル崩壊前 まで) 4 銀行の凋落期 (バブル崩壊後の破綻 ・金融 ビッグバ ンまで) 5 銀行の新体制期 (金融 ビッグバ ン以降〜銀行の再編成 ・現在 まで)

1 銀行の萌芽的台頭

わが国の資本主義がその第一歩 を示 したのは,1870(明治3‑10)年代 の 後半,欧米先進資本主義国においては,その生産力の発展が鉄鋼,機械工業, などの巨大設備 を要する部門に中心 を移 し,不況の慢性化 ・企業の集中 ・独 占の形成が始 ま りつつあった時期 といえる。

そして,19世紀末 には世界の資本主義はその最高の段階 としての帝国資本 主義段階に移行するが,わが国の資本主義が一応の原始的蓄積 を経て産業資 本の確立を迎 えたのが,まさにこの時期 といえる。伊牟 田敏充 は明治期 のわ が国資本主義の特徴 を

,

「① 日本の資本主義化 は内発 的な生産諸力の発展 と

銀行経営の コーポ レー ト・ガバナ ンスー史的考察 (Ⅰ) 271

(4)

商品生産‑流通の浸透 にもとづ くものでな く,欧米先進資本主義諸国の外圧 によること,② わが国の資本主義は資本蓄積 も未熟で,生産力 も劣位のまま 高度の生産力 を有す る先進資本主義国 と対抗せ ざるをえず,その生産力格差 を早急 に解消すべ く,政府主導の下,機械制大工場が輸入 ・移植 され,その 資金的支柱 として近代 的な信用制度の形成 と会社制度 (特 に株式会社制度)

2)

の普及が行 われた。」 としている。す なわち,後述の1872 (明治5)年の国 立銀行,1876(明治9)年の国立銀行条例改正,同1882(明治15)年の 日本 銀行 など信用制度の創 出が行われ,1869(明治2)年の通商司政策 (外国貿 易事務の管理が 目的 :明治4年 に廃止)の一環 として,会社設立が 「上 (政 府)か ら」強力 に推進 され,会社知識の普及が 「官製」の書物 によって行 わ

3)

れた。 ここでは官主導の企業統治が認め られる。

(1)国立銀行条例の制定 と株式会社組織の銀行設立 4)

わが国の普通銀行 は資本主義の急速 な発展 を促進す る手段 として,政府 主導 により輸入 ・移植 された。すなわち,1869(明治2)年政府 は 「各国バ

5)

ンクの法に倣 ひて金銀融通 自在 ならしむるな り」のために,為替会社 (バ ン クの訳語) を設立 した。為替会社 は明治政府の保護奨励の下 に

,

「銀行 の性

6 )

質を具へ紙幣発行の特権 を有する近代 的金融機関」 として,主要な商業地に 8会社が設立 されたが,1869(明治2)年5月か らわずか3年近 く存続 した のみで,業務不振か ら解散やむな きにいたった。そ こで

,

「米国のナシ ョナ ルバ ンク (国法銀行)の制度 を模 し,これに英国のゴール ドバ ンクの制度 を 掛酌 して,新 たに強固な銀行制度 を創設 し,この銀行 を使 って,①政府発行 の不換紙幣 を鋪却処分す ること,②国内産業の発達 に資す る一般金融の疏通

7)

を計 ること, とい う極めて都合の よい一石二鳥の効果 を期待」 して,国立銀 行 の設立 を企 図 した。その結果,1872 (明治5)年11月 「国立銀行条例」,

(明治5年11月15日太政官布告第349号) を制定 して,銀行紙幣発行の特権を 有するほか普通銀行業務 をも営む国立銀行 を設立することに した。 この国立

272 国際経営論集 No.23 2002

(5)

銀行の第1号 は1873(明治6)年7月20日に開業 した第一国立銀行で,わが 国最初の株式会社組織 を採用 した近代的発券銀行である。その内容 は,国立 銀行条例 の要約か らみれば次の ような ものであ った。「国立銀行 の組織 は,

5人以上の株主 による株式会社 (第 1条,第2条),株主 に族籍の制限な く, 株主の権利 は株数 に応 じて平等 (第5条第2節),株式の譲渡の 自由 (第5 条第3節),有限責任 (第5条第5節お よび,第18条第12節),株主 による頭 取 ・取締役の選任お よび創立証書 ・定款の決定 (第2条第2節)等が定め ら

8) れ,株式会社 として完備 したもの となっている」。

上記のように,国立銀行 は株式会社組織の発券銀行であった。 この条例制 定に依拠 して

,

「まず三井小野組が第一国立銀行 に改組 し,ついで,横浜の 貿易商 を中心 とした横浜為替会社が第二国立銀行 に改組,地主 と地方商人 と

9) 両替商 を中心 として大阪 に第五国立銀行が設立 された」 (第 1表)。 このほ か,大阪の両替商 を中心 とした第三国立銀行が計画 されたが,発起人紛議の ため設立 にいた らず,その後は設立 された 4行の経営不振のため新規の設立 は許可 されなかった。 このため明治5年の条例 による設立はわずか4行 にと どまった。允換制度の確立 と金融疎通 を目的 とした国立銀行政策は,制度の 不備 と民間の流動資金貧弱なるために,この段階では未成熟であった。

<参考諸表 > 第1表 明治初期国立銀行一覧

設立地 銀 行 名 開業年 月 日 資本金額 (千円) 紙幣発行許可額 (千円) 第‑国立銀行 6.7.20 2,500 1,500 横 浜 第二国立銀行 7.8.15 250 150 第四国立銀行 7.3.1 200 120 大 阪 第五国立銀行 6.12.10 500 300

(出所)金融経済研究所編 r日本の銀行制度確立史』,金融経済研究所,1966,13頁。

(注)大阪の第三国立銀行 は創立の許可 を得たが,株主総会で紛擾があ り開業前 に解散 し た。

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンスー史的考察 (I) 273

(6)

(2)条例改正 と国立銀行の発展

国立銀行 は近代 的通貨信用制度 を一挙 に確立す ることを意図 した ものであ ったが,1874(明治7)年 には転機 に立つ ことになった。その契機 は,一つ は金貨流失 による究換制度 の危機であ り, もう一つは小野組 ・島田組の破産 による当時最大 の第‑国立銀行の経営危機であった。

この背景の説明 として,伊牟 田は,「地租改正事業 の遅滞 による税収の不 安定 に加 えて,新規事業のための支出増や秩禄処分 の未進展 による赤字補填

1

0)

のための不換紙幣の撒布 を続行せ ざるを得 なか った

。 」

とい う事情 を明 らか に している。 このため正貨 と紙幣の間にプ レミアムを生 じ,貿易 は輸入超過 とな り,正貨 は大量流 出 したのである (第2表)。 この正貨流失 は,当時の 世界 的な銀価下落 に日本 の金銀比価が災い し,大部分が金貨流失 となった。

正金究換の国立銀行券 は政府紙幣の減価 と金貨流出によ り尭換請求 をあい ついで受 けることとな り,1874(明治7)年末頃には発券がほ とん ど不可能 になった。民間預金の振 るわなか った当時 においては発券不能は貸金の洞渇 を意味 し,国立銀行 は深刻 な経営危機 に見舞 われた。1875(明治8)年末 に は,政府 は各銀行 の発券免許額の半額 まで銀行券 と引 き換 えに新紙幣 を貸下

2表 明冶初年の正貨流失

年次明治 銀塊市場 日本市価ロ ン ドン金銀比価 貿易収支(千円) 収支 (金銀輸出入千円) 新貨幣海外流失高金貨 銀貨 貿易銀(千円) 5年 15.63 15.55 ‑9,148 ‑789 142.6不詳 21.7 164.3 6 15.92 15.55 ‑6,472 ‑2,042 1,977 18 不詳 1,995.8 7 16.17 15.48 ‑4,145 ‑12,923 7,596 897 32.9 8,526. 8 16.59 15.85 ‑ll,365 ‑14,366 8,305 502 323.6 9,131 9 17.88 16.82 3,747 ‑2,408 3,247 250‑148.7 3,141

(出所)狭 間源三編 F講座 ・日本資本主義発達史論 第 1巻』, 日本評論社,1968年, 142頁。

274 国際経営論集 No.23 2002

(7)

げ,翌年3月には4行の残額の新紙幣‑の引換 えが許 され,か くて政府 は銀 行 に売 り渡 した金札引換公債 をすべて買戻す結果 となった。1872 (明治5) 年の国立銀行条例のめざ した近代的発券制度の確立 はこのように失敗 し,同 条例の改正が緊急の課題 となった。

伊牟田は,国立銀行条例の改正 について,「1876(明治9)年8月,金貨 允換制停止,資本金の8割相当の公債証書 を政府 に納付 し,同額の銀行券の 下付 を受けるなどを主な改正点 として,国立銀行条例が改正 された。 この発 券条件の緩和 により,国立銀行が有利 な事業 となったことと,禄券出資で華 士族が銀行設立 に積極化 したことによって,1880(明治13)年央 までに国立

11) 銀行 は153行 に達 した」 としている。

これ らの国立銀行 は 「禄券銀行」 と通称 される もの多かった。「明治14年 末時点 における国立銀行株式券面額の68%を華士族 ・平民32% (内商20%, 農5%)が所有 していた とい うことは,国立銀行設立 にあた り,封建的貢租 収納権の資本化が決定的重要性 をもったことを示す もの といえる。「禄券銀 行」は,後の1885(明治18)年 までのインフレお よびデフレの過程で,株主 とな りえた下級士族 といえども,株式 を手放 さざるをえず,国立銀行の経営

1

2)

は商人その他 に担い手 を移 していった 0 「禄券銀行」 とはいいなが ら,士

第3表 国立銀行株式族籍別棟金構成 (%)

各年未 (明治) 華族 士族 その他 合計 (千円) 1880(明治13年) 43.2 31.0 4.0 0.1 20.4 1.1 43,041 1883 (16) 42.1 25.1 4.7 0.1 21.6 6.4 44,386 1886(19) 42.1 22.4 3.7 0.2 24.2 7.4 44,416 1889(22) 42.2 21.3 3.9 0.1 20.9 ll.6 44,921 I

1892(25) 39.9 20.4 4.2 0.1 22.4 13.0 48,285

弛 所)朝倉孝吉 r明治前期日本金融則 120‑121頁。

狭間源≡編 r講座 ・日本資本主義発達史論第1』,日本評論社,1968年, 147頁。

銀行経営のコーポ レー ト ・ガバナ ンスー史的考察 (Ⅰ) 275

(8)

族の持株比率 は低下 していったのである (第3表)。

<本章の コメン トー問題点 と特徴 >

(1)明治初期 の金融機 関 としては,政府 の財政 ・金融政策 の下,強力 な保 護 ・奨励策 によ り1869(明治2)年4月,政府 の不換紙幣流通 の 目的 のため,わが国で初めて西欧の銀行業の制度 に則 って金融業 を行 う会 社組織 の 「為替会社」が創設 された。為替会社 はバ ンクの訳語で社員 出資金 と政府貸下金 ・一般預金 のほか,究換券 として発行す る会社札 を原資 として一般金融 を行 った。 この為替会社 は,わが国唯一 の近代 的銀行 の性質 (預金,貸付 ,お よび為替業務 を営業) を備 え,紙幣発 行 の特権 を有 していたが,ほ とん どの資金調達 ・運用 を政府 の保護 に 依 ったため, 自ずか ら放漫経営 とな り業績不振か ら解散 した。 しか し, 当時の金融 円滑化 とい う政府 の 目的 に適 う形 で,明治初期 の過渡期の 民 間金融 の疎通 に少 なか らず貢献 した もの とい える。 また, この時期 に西洋式 の銀行 の業務知識 を吸収 し,紙幣発行 な どを学 んだ点 には, 後年の銀行業発展の萌芽 をみいだせ る。

ここに政府 の保護 ・育成 に依存 した銀行経営 のガバ ナ ンスがあったこ とが指摘 で きる

(2)次 にその代替 として,允換制度 の確立 と金融疎通 を目的 として,1872 (明治5)午,国立銀行条例制定 とともに,わが国最初の株式会社組織 を採用 した近代 的発券銀行 (近代 的通貨信用制度確立のための国立銀 行)である 「三井組 ・小野組出願 による第一国立銀行」が設立 された。

国立銀行 は,今 日の普通銀行 とは異 なる ものであるが,わが国で初め て 「銀行」 の言葉が使用 された先駆 けであ り,金融形態が欧米式に発 展 してい くための基礎造 りを果 た した もの といえる。

この国立銀行 出現 と前後 して,為替バ ンク三井組 (1874年) な どの銀 行類似会社 も漸次現れ,国民一般 には 「銀行」 なる ものの概念がや3 276 国際経営論集 No.23 2002

(9)

と理解 されつつあった。 この時期 は銀行経営 にとって,政府 ・民間の 相互依存 と利用 ・補完の時代 ともいえる。

(3)この国立銀行政策の問題点は,制度の不備 と民間の流動資金が貧弱な るために, この段階では未成熟であった。 このため1876(明治9)午 8月,金貨究換制停止,資本金の8割相当の公債証書 を政府 に納付 し, 同額の銀行券の下付 を受 けるなどを主 な改正点 として,国立銀行条例 が改正 された。 この発券条件の緩和 で,国立銀行が有利 な事業 となっ たことと,禄券 出資で華士族が銀行設立 に積極化 した ことによって, 1880(明治13)年央 までに国立銀行 は153行 に達する盛況 を示 した。 こ れらの銀行 は 「禄券銀行」 と称 された。「禄券銀行」 は,後の1885(明 治18)年 までのインフレ ・デフレ過程 で,株主 とな りえた下級士族 と いえども,株式 を手放 さざるをえず,国立銀行 の株主 と経営 は商人そ の他 に担い手 を移 していった。

C4)わが国 にお ける本格 的 な株式会社 制度 は,国立銀行 条例 の制定 や, 1878(明治11)年の株式取引所条例 の制定 を契機 に, まず鉄道会社 , 銀行,株式取引所 な どの設立 に始 まった。 この時代 の特徴 と問題 を

「銀行の企業統治]の視点か らみると,まず,①政府の強力な保護 ・支 援の下,銀行経営 は 「経営者 ‑大株主」,かつ当時の株式会社や銀行知 識 も輸入翻訳 もので,制度 も知識 も未発達の状況 にあったこと。②経 営者 ・株主お よび銀行 を律す る枠組み も未整備 なるといえること。③ この時代 の 「銀行 の企業統治」 には,所有 と経営の一致が見 られる。

したが って,経営者 ・株主間の利害衝突 は生 じえず,株主重視 ‑経営 重視‑企業重視 の企業統治が行 われていた もの と考 える。それは現代 の企業統治の主要概念である 「株主価値 の極大化」 を最重要視す る考 え方に相通ず る。 この点に企業統治の原点 を見 出だせ る もの と指摘 し たい。

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンスー史的考察 (Ⅰ) 277

(10)

2 日本銀行創立 と間接金融

(1) 日本銀行創立

日本金融年表 <改訂 ・増補 > (日本銀行金融研 究所,1993年,24頁) によ れば,1881(明治14)年7月,大隈重信 ・伊藤博文 は 「公債新募及銀行設立 二関スル請議」 を太政大 臣 に提 出 し,公債銀行 と正貨 を蓄蔵 し究換銀行券 を 発行す る 「一大正金銀行」 の設立 を二本 の柱 とす る整理案 を建議 したが,敬 変 に よ り大隈が下野 したため実現 にいた らなか った。 また同年9月,松方内 務卿 は

,

「財政議」 を太政大 臣に提 出 (通貨制度確立のため 「日本帝 国銀行

を設立す ること,資金吸収 のため貯蓄銀行 を,産業振興 のため勧業銀行 を設 立す ることを主張) した。その後 ,松方正義が参議兼大蔵卿 に就任 し,1882

(明治15)年3月

,

「日本銀行創立 ノ議」,付属書類 「日本銀行創立 旨趣 ノ説 明」 お よび 日本銀行条例草案 ・同定款 を太政大 臣 に提 出 した。 これ に もとづ

<明治期における銀行組織 >

私立銀行 (1876(明治9)午)̲ ̲ :

278 国際経営論集 No.23 2002

国立銀行 (商業金融)

(明治5・ll・15布 告 第349号) 普通銀行 (商業金融)

(明治23・8 ・25法律 第72号) 貯蓄銀行 (明治23・8 ・25法律 第73号) 横浜正金銀行 (為替金融)

(明治20・7 ・6勅令第29号) 日本勧業銀行 (殖産金融)

(明治29・4 ・18法律 第82号) 農工銀行 (殖産金融)

(明治29・4 ・18法律 第83号) 北海道拓殖銀行 (拓殖金融)

(明治32・3 ・22法律 第76号) 日本興業銀行 (長期工業金融) (明治33・3 ・23法律 第70号)

(11)

き日本銀行条例(資本金1000万円,営業年限30年)が同6月に公布され,同 年10月には株式会社日本銀行を創設し,同18年から免換銀行券発行を実現さ せ,旧紙幣との交換をはじめた。「大蔵卿松方正義は日本銀行設立に際し,

わが国の銀行組織として,国立銀行・普通銀行を商業銀行とし,その中心に 中央銀行たる日本銀行をおき,別に日本勧業銀行と貯蓄銀行を加えた三本立 ての体系を構想していたが,この構想は上図に示すとおり実現した

J

(  2 

)間接金融の発達(近代的信用制度の形成)

一方,松方正義は財政支出の縮減・増税・国庫準備金蓄積を強力に推進し,

l鎚4(明治17)年 5月に免換銀行券条例を公布 (7月施行,銀貨免換とし 種はー・五・十・二十・五十・百・ニ百円の7種)1886 (明治19)年には 銀貨と紙幣との格差を解消させ(第4表),政府紙幣の銀貨による免換を開

第4表紙幣整理諸指標

明治政府紙幣現在高 国立銀行券現在高 日本銀行券現在高銀貨1円に対する紙幣 の年平均相場(円) 10年 105.8百万円 13.6百万円 一百万円 1.033  11  139.4  26.3  1.099  12  130.3  34.0  1.212  13  124.9  34.4  1.477  14  118.9  34.4  1.696  15  109.3  34.4  1.571  16  98.0  34.2  1.264  17  93.4  31.0  1.089  18  88.3  30.1  3.7  1.055  19  67.8  29.5  39.0  1.000  20  55.8  28.6  53.2  1.000  21  46.7  27.7  63.0  1.000  22  40.9  26.7  74.3  1.000  23  34.3  25.8  102.9 

(出所)狭間源三編 I講座・日本資本主義発達史論第1巻1.日本評論社, 1968年,

158頁。

銀行経営のコーポレート・ガパナンスー史的考察(1) 279 

(12)

始させた 。 伊牟田は近代的信用制度の形成について, r 日本銀行は銀貨免

換の強制通用力を有する銀行券を発行可能とした 。②発券銀行であ った国立 銀行は漸次発券規模を縮小し,満 20 年の営業期限到来後は発券権を失い私立 銀行へ転換した 。 ③ 中央銀行たる日本銀行のみが発券を独占することにな っ

た。 以上の結果として,これは預金を主要な資金源とする商業銀行と,免換 銀行券による商業手形の再割引を通じて通貨を供給する中央銀行とによって 構成される近代的信用制度が,未熟ながら形成されつつあることを示すもの

であった J としている 。

一方,この松方の紙幣整理は,中小商工業者の身代限りや農民の土地喪失,

士族の窮乏化として現れた資本の原始的蓄積を遂行しつつ, 1 8 8 5   ( 明治 1 8 ) 年の日銀券発行と翌 1 8 8 6 ( 明治 1 9 ) 年の政府紙幣党換として実を結び¥通貨 価値安定と金利の低下を背景とした企業勃興をもたらした ( 第 5 表 。 ) この 企業熱は鉄道業にはじまり,次いで、紡績業,さらに鉱山業に波及し,申込株 式の払込期限が到来するや,深刻な金融難となり, 1 8 9 0   ( 明治 23 ) 年初めに,

恐慌状態とな った。 このわが国初の「資本主義的恐慌 j にあたり,日本銀行 は最初の制限外発行を行い,同年 5 月には日本銀行条例第 1 2 条に「不動産及 銀行又ハ諸会社ノ株券ヲ抵 当 トシテ貸金ヲ為スコト」を禁じているにもかか わらず,日本鉄道 ・山 陽鉄道 ・ 九州鉄道ほか 8 杜の鉄道株式と日本郵船 ・ 東

第 5 奏会社資本の新設・増資額 ( 単位:千円 )

年次 ( 明治 ) 鉄道会社 工業会社 商業会社 農業会社 銀行 〉 、 1 8 8 6   ( 1 9 )  2 5 1   6 , 7 2 5   6 , 6 7 6   1 8 8 7   ( 2 ω   5 0   5 , 2 8 5   1 , 5 7 1   1 , 8 7 1   1 5 , 3 6 0   2 4 , 1 3 7   1 8 8 8   ( 2 1 )   1 9 , 7 4 1   1 9 , 0 2 1   2 , 3 9 4   3 , 0 3 8   1 , 3 6 2   4 5 , 5 5 8   1 8 8 9   ( 2 2 )  1 3 , 5 2 0   5 1 , 1 7 8   2 1 , 8 4 9   2 , 1 5 7   3 , 6 4 5   7 2 , 3 3 6  

言 十 3 3 , 3 1 1   7 5 , 4 8 4   2 5 , 8 1 4   7 , 0 7 6   2 0 , 3 6 6   1 4 9 , 0 0 8  

( 出所) 狭間源 三編 f 講座・日本資本主義発達史論第 l 巻1.日本評論社, 1 9 6 8 年 , 1 6 1 頁。

2 8 0   国際経営論集 N o . 2 3   2 ∞

(13)

京海上の株式を担保とする手形割引をもって,事実上の救済資金の供給を実 施し た 。 この日銀の担保品 付 手形割引に関し,伊牟田 は この近代産業の移植 は , r 当初から株式会社形態に よ らなければならないという本来的産業資 本の蓄積の脆弱性,②株式会社に集中されるべき杜会的資金の層の薄さ ( 第

6 表 ) , ③ 国立銀行を含んだ普通銀行の自己資力以上の資本信用への傾斜,

を反映したもので,この ような後進国的蓄積水準の低位性の矛盾が,中央銀 行の追 加信用によって糊塗されざるをえなか ったことを示すものであった」

と評し,また 「 日本銀行はベルギー国立銀行の 制度を模範とし,商業信用の

第 6 表 明 治 中 期 の景 気指標 指標 生産 製造業

東京 東京年 7 分 利 付 東株

総合生 身代限り

単 位 国 民 卸売 間平均 金禄公債年間 株式 輸 出 額 輸 入 額

産指数 債務者数

年度 所 得 米価 貸付日歩 平均相場 売買高 ( 百万円) (百万円) (

1

, 9 2 1  ~) ( 千人 ) 明治 ( 百万円) ( 1 石. 円 ) (銭) ( 1 ∞円に付円) (千株)

( 5= 1 ∞ ) 

1 2 年 6 1 1   8 . 0 0   3 . 2 9   8 1 . 3 0 7   8  2 8 . 1   3 3 . 0  9 . 9  1 3  7 9 9   1 . 5 1   1 0 . 5 2   3 . 5 9  7 1 . 8 5 1  6  2 8 . 4   3 6 . 6  9 . 9   1 4  8 1 3  1 . 5 8   1 0 . 5 1  3 . 8 4   6 9 . 5 0 0   9  3 1 . 0  3 1 . 2   7 . 8  1 5  7 1 3  1 . 5 9   8 . 8 5   2 . 7 7   7 3 . 3 8 2   3  3 7 . 7   2 9 . 4   1 2 . 2   1 6  5 7 5   1 . 5 7   6 . 4 5  2 . 1 7  8 3 . 9 4 7   5  3 6 . 3   2 8 . 4   2 2 . 5   1 7  4 9 2   1 . 4 2   5 . 4 0  2 . 9 9   9 3 . 3 9 3   1 0 4   3 3 . 9   2 9 . 7   2 7 . 5  1 8  6 2 1  1 . 5 1  6 . 8 2   3 . 0 2   9 6 . 3 3 1  5 6   3 7 . 1  2 9 . 4   1 2 . 5  1 9  6 8 2   2 . 0 7   6 . 0 3   2 . 4 9  1 0 7 . 3 4 9   7 0 3   4 8 . 9   3 2 . 2  1 0 . 7  2 0   6 6 1 2 . 5 7   5 . 2 7   2 . 4 8   1 0 5 . 0 8 8   1 , 2 7 8   5 2 . 4   4 4 . 3  8 . 8  2 1  6 7 5   3 . 1 7   4 . 9 8   2 . 6 9   1 0 4 . 3 0 6   9 0 7   6 5 . 7  6 5 . 5  6 . 7   2 2   6 9 1 3 . 4 1  6 . 0 5   2 . 7 9   1 0 3 . 9 2 2   2 , 0 3 0   7 0 . 1  6 6 . 1   5 . 4   2 3   9 3 7   3 . 7 4   8 . 8 4   2 . 7 6   1 , 6 2 9   5 6 . 6   8 1 . 7  4 . 5  

2 4   8 3 7   3 . 5 0   7 . 3 5   2 . 5 6   1 , 2 9 6   7 9 . 5   6 2 . 9  2 . 4   2 5   9 0 1   4 . 1 9  7 . 4 7  2 . 2 9   1 , 0 2 9   9 1 . 1   7 1 . 3  2 . 7   2 6   9 3 6   4 . 4 4   7 . 4 9  1 . 9 7   2 , 6 5 7   8 9 . 7   8 8 . 3 

2 7   1 , 1 6 3   5 . 7 9  8 . 9 3   2 . 5 4   1 , 8 3 9   1 1 3 . 2   1 1 7 . 5 

( 出所 )狭 間源 三編 『 講座 日本資本主義発達史論第 l 巻1.日本評論社, 1 9 6 8 1 6 1 頁 。

銀行経営のコーポレート ・ カ ・パナンス一史的考察 ( I )   2 8 1 

(14)

補完 を原則 とした営業 を目的 として設立 されたが,わが国資本主義 の後進性 に制約 され,当初 か ら救済融資的な もの を多分 に含 んだ資本信用 の補完 に乗

15)

り出 さざるをえなか った

」 と し, また 「当時 の 日本銀行 の民 間へ の追加信 用供給 は,主 に取 引銀行 へ の定期貸 ・当座貸 ・手形再割 引 に よる他,1889

(明治22)年の横 浜正金銀行 との特約 に よる輸 出入手形 の再割引 (外 国割引 16)

手形)があった。」 と してい る (第7表)。

(3)手形取引の発達

上述の ような 日本銀行 の信用 (以下, 日銀信用 と称す) は国立銀行 や私立 銀行 のオーバ ー ・ロー ンの補完 であった ことがわかる。 また私立銀行 に於い て も,払込資本金 を主 とす る自己資本 によ り貸 出に応 じていた。 しか し,そ れで も民 間銀行 は資金不足 で 日本銀行 の追加信用 を仰 いだのであ る。 ここで 金融機関の発達 に伴 う重要 な現象 としての手形取引の発達 に若干触 れてお き

17)

たい。金融60年史 に よれば

,

「① わが 国 において も明治維新 前 (1660年代) 第7表 日本銀行貸出金残高

(単位 :千円) 各年末 定期貸 当座貸 内国手形 民間一般貸出 外国手形 政府貸 合 計

明治

( a ) (

b)

( C ) ( a +b+C )

(その他 とも)

16 691 282 555 1,247 6,598 1,160 2,407 19 3,728 3,510 7,521 15,745 23,315 22 16,390 681 5,363 22,435 2,154 31,193 25 4,396 4,063 6,430 14,890 10,007 22,000 46,897 28 24,932 4,394 26,182 55,510 8,507 63,500 127,518 31 25,276 3,462 40,790 69,528 14,732 22,000 133,762 34 2,416 4,681 31,624 38,722 14,951 62,000 144,940 37 9,060 660 48,046 57,768 21,549 116,500 223,304 40 9,943 1,396 87,722 99,062 36,886 22,000 178,528 43 6,900 2,588 81,415 90,904 21,213 30,800 169,965 (出所)狭間源≡編 r講座 ・日本資本主義発達史論第1巻』,日本評論社,1968年,

162頁。

282 国際経営論集 No̲23 2002

(15)

には,現在のような手形の流通が盛んであった,②その著しい発達は明治15 年の手形条例の公布以降,商取引上の手形保護の法が備わったこと,③東京 銀行集会所内に手形取引所を設け,商業手形売買および割引の途を聞き,割 引料も低廉にしてこれを大いに奨励したj との記述がある。また, 日本金融 年表によれば,

I

信用手形取引の発達に伴い,手形交換制度も明治12年12月 に大阪手形交換所,同20年に東京手形交換所が設立された。この手形交換の 起源は17世紀の英国ロンドンに認められる」。その後,第9表のとおり「明 治29年頃より私立・普通銀行の預金量が飛躍的に増加して,明治30年頃から 普通銀行の預貸率は改善傾向を示し,日銀信用への依存度も 5%内外に低下 したが,産業資本形成期は一貫してオーバー・ローンを日銀信用に頼ったj ものといえる(第10表)。

( 4 )企業の資本構成

次に,当時の企業の資本構成はどうなっていたかを見てみよう。明治期の 株式会社の資本構成を包括的に把握する資料はないが,伊牟田の記述に依る と11898年(明治31年)上半期末の綿紡績会社の資本構成については,紡績 会社52社の自己資本構成比は67.8%,払込資本金の構成比は57.5%である。

社債を含む借入金への依存度は16.4%,したがって企業間信用への依存度は 16.8%となる。経営規模によって構成比は異なるが 共通の特徴点は自己資 本構成比が60%を超え,払込資本金構成比が55%を超えていることである。

自己資本のみでは固定資本も賄えなかったのが 払込資本金が資金源の過半 を占め,借入金依存度がさほど高くない点が注目される。」 として産業企業 の資本構成の一端を明らかにしている。

<本章のコメント>

(1)本章の考察時期は,日本銀行が設立された1882(明治15)年から,同 行が免換銀行券を初めて発行した1885(明治18)年までの期間,すな

銀行経営のコーポレート・ガパナンス一史的考察(I) 283 

(16)

わち,明治 の初期以来,政府が続発 して きた不換紙幣 を回収す るため と,併せ民 間の金融 を円滑 にさせ る目的 を もって,中央銀行 を創立す る必要がある とい う趣 旨に基づ き, 日本銀行 を設立 した前後 の時期で ある。 この時期 の焦点 は 日本銀行が銀行券発行 の特権 を独 占す る と同 時 に, 日本銀行 を中央銀行 とす るわが国の貨幣制度 の確立 と銀行制度 の確立 (含 む近代 的信用制度の確立)過程 にあった といえる。

(2)一方 ,国立銀行 条例 中改正公布 (営業期 限 を開業免許 か ら20年 と し, 期 限内に発行紙幣 を全額消却 させ ,期 限後 は私立銀行 としてのみ継続

を認 め る)が1885(明治18) 5月 に行 われ,国立銀行 は漸次,純私立 の普通銀行 に振 り代 わって きた時代 であって, この こ とは当時の金融 体制 としては,わが国が資本主義体制へ進展 してい く前段階 をな した もの と理解 で きる。銀行経営のガバ ナ ンスの観点か らみ る と, この頃 は大銀行 ほ ど自己資本が高 く株主重視 の経営が なされていた もの と考 え られる。

(3) この時代 の金融 システムは,株式 を担保 にす ることによって成立す る 日銀‑民 間銀行‑株主 (個 人 ・華士族 ・会社役員 な ど)一企業 とい う 一種 の間接金融体制が, 日銀‑民 間銀行一企業 とい う直接資金供給体

第8表 銀行の 「株式に注入する資本

(単位 :千円)

年 次 日本銀行 正金銀行 国立銀行 私立銀行 貯蓄銀行 計 手形担保品 貸金抵当 貸金抵当 貸金抵当 貸金抵当

明治26年 8,520 450 33,719 14,178 3,851 56,866 27 8,105 276 36,277 13,855 58,513 28 9,855 449 39,420 28,895 78,618

(出所)大蔵省 F銀行営業報告1第16次,第18次,第20次,第21次による。

狭間源三編 F講座 ・日本資本主義発達史論第1巻

J

,日本評論社,1968年, 169頁。

284 国際経営論集 No.232002

(17)

制 と並存す るとい う形態であった と考 え られる。 この ことは 日清戦争 後の企業熱 において も株式担保金融 によ り銀行か ら 「株式 に注入す る 資本 (第8表)」が巨額 にのぼったこととあわせて推定すれば,株式担 保金融 を軸 とす る間接金融体制が 日本銀行 を頂点 として,明治20年代 に形成 されたことが分かる。 と同時に,明治初期 の銀行経営の企業統 治の萌芽,中後期の台頭が読み取れる。

3

普通銀行の躍進 と特徴

本章では,主に日本の銀行制度確立史 に依拠 し,銀行条例制定後の普通銀 行の業態 を考察する。この時期の普通銀行の発展 と特徴 は 「①1890(明治23) 年に制定 されて同26年か ら施行 された 「銀行条例」 (明治23年8月25日法律 第25号)の精神 と同条例の もとで改めて歩み始めた。②1894(明治27)年末 の銀行数は628行,その うち株式会社が510行で圧倒的に多い。③ この628行 の普通銀行のうち,未開業の銀行 もあって大蔵省 に営業報告書 を提出 した銀 行数は545行である。④ この中か ら三井 ・安 田の両行 を除いた543行の預金総 額は,三井 ・安 田の合計額 を下回 り,1行当た りの経営規模 は払込資本金5 万1000円,預金3万5000円,貸出6万6000円で,⑤三井,安 田の両行の他 は, きわめて小規模で預金量 も自己資本 を下回る貸金会社の ようなものが大多数 であった。(むこの時期の預貸率 は,188.1% (三井85.20/0,安田86.1%) と異

21)

常な高 さであった

。 」

しか し,政府 はこの普通銀行 を商業金融の機関 として 育成の方針 をもって

,

「銀行条例」 を制定 したが,普通銀行 の実態 は政府の 思惑 とはかけ離れ,長期固定貸 に偏重 した産業銀行 とい う問題点があった。

当時すでに自己資本の数倍す る預金 を集めていた三井銀行 に して も,三井家 管理部専務理事益 田孝 はこの状況 を 「商業銀行 とはいい難いいわば 『インヴ

22) ェス トメン トバ ンク』即 ち放資銀行 とい うべ きもの」 と批判 している。

この原因は,①商業手形の取引が全国的にみれば未発達で,② また多 くの

銀行経営の コーポ レー ト・ガバナ ンスー 史的考察 (Ⅰ) 285

(18)

企業が運転資金 ・設備資金 まで銀行資本 に依存す る状況 にあった,か らとい える。

国立銀行 は1883(明治16)年5月の条例改正で発券特権 を失い,満20年 の 営業期 限到来後 は普通銀行 に転換す る ことが決 め られたが, これ以前

,

「① 明治9年 の条例改正 で

,

「銀行」 とい う呼称 が国立銀行 の独 占物 ではな くな り, 同年7月創 立 の三井銀行 (創立時資本金200万 円) をは じめ として西南 戦争期 のイ ンフレ過程 において多数の私立銀行が設立 され ことは,一つの特 徴 である。1901(明治34)年 には普通銀行数 は1890行 (貯蓄銀行兼営 の276 行 を含 む) の多数 となった。② この多数 の普通銀行 は小規模 の ものが多 く, 営業内容 も 「自己の株 主 に対 し,巨額 の株式融通 を行 い, もって投機 を支援 す る もの も少 なか らず」 とい うようにか な りいいかげんな もの も見 られた。

③銀行家が他 の事業 を兼営 し,あるいは事業経営者が銀行 を設立 して,関係

23)

事業 に投資す る,いわゆる 「機 関銀行」が少 な くなか った」 のである。

4

機関銀行の特色 と問題点

「機 関銀行」 は資本蓄積水準 の低位 な段 階で,機械制大工業 を移植 しなけ ればな らず,金融市場 の形成 も未熟である とい う後進 国的特質か ら生 じた銀 行 の形態 を示 している。その特色 は,(∋自己資本 の脆弱性 と社会的資金層 の 薄 さを背景 に して,(む株式会社 の資金調達 さえ も日銀‑銀行‑ (株 主)一企 業 とい う間接金融体制 に依存せ ざるを得 なか った,③他方,財 閥銀行 を頂点 とす る大銀行 による資金 の集 中 (民 間預金 のみ な らず官公預金 を含 む)が金 融市場 を階層 的 ・封鎖 的 な構造 としていた。 とい う≡点の特色 を有す る銀行 が 「機 関銀行」 であ った といえる。

問題点 と して,(∋1895(明治28)年4月の 日清戦争講和後 の反動や義和 団 の乱 を契機 とす る恐慌 によ り,上記 の ような 「機 関銀行」 的中小 銀行 の破綻 が頻発 した,② 巨大銀行へ の預金集 中が進 んだ, とい う二点のために,政府

286 国際経営論集 No.23 2002

(19)

9表 私立 ・普通銀行主要勘定

(単位 :千円) 各年末 行数 店舗数 払込資本金 積立金 預 金 貸 付 当座貸付 割引手形

明治22224356年 252257451720 165 12318092,,,,978598756663 2,826 22334,028,,,645529293006 39,615 9,467 139,311 27 700 196 37,380 4,141 49,196 46,463 12,714

28 792 277 49,807 5,692 84,252 67,685 21,480 29 1,005 428 87,899 8,947 141,937 110,160 47,039 30 1,223 651 147,812 13,407 207,741 163,428 78,471 31 1,444 912 189,439 20,214 287,045 197,545 96,641

32 1,561 1,069 209,973 27,762 392,256 200,286 111,062 261,771 33 1,802 1,374 239,364 33,032 436,779 213,261 138,289 301,647 34 1,867 1,457 251,700 38,868 450,186 230,954 125,402 272,015 35 1,841 1,470 258,111 45,679 536,702 253,272 123,194 311,001 36 1,754 1,441 253,003 50,503 566,227 260,220 120,652 334,387 37 1,708 1,404 248,776 54,477 605,316 269,454 121,009 329,489 38 1,697 1,415 252,697 59,000 692,520 272,294 134,307 377,048 (注)店舗数は,支店 ・出張所数。

(出所)日本銀行 F明治以降本邦主要経済統計j198‑9頁。

狭間源三編 F講座 ・日本資本主義発達史論第1巻』,日本評論社,1968年, 174頁。

の勧奨 もあ って銀行合 同が進展 した。以後 ,銀行 数 は1901(明治34)年 の 1867行 をピーク として減少傾 向 となった (第9表)。

この銀行集 中過程 において,恐慌後 の資金需要の沈静化 に よ り普通銀行 の オーバ ー ・ロー ンも漸次改善 された。特 に財 閥系銀行 はオーバ ー ・ロー ンを 解消 し, 日銀依存 を脱却 した (第10表)0「この ような普通銀行 の 日銀依存度 の低下 と金融市場 の初歩 的形成 には,必ず しも産業資本 の確立 を基盤 とした 動 きは見 られなか った。一方で は,1897(明治30)年6月の 日本銀行 「個 人 取引」 開始や 日銀貸 出の厳格化 な どの 「上 か ら」 の是正策が作用 し,他方 で は金融市場 の階層性 ・閉鎖性 か らオーバ ー ・ロー ンを解消 しえたのは大銀行

銀行経営の コーポ レー ト ・ガバナ ンスー 史的考察 (Ⅰ) 287

(20)

第10表 明冶中期財閥銀行のオーバーローン

各年末

西暦 (明治) 三井 預 三菱貸 率 住友 三井借 用 金三菱依 存住友度

1893(26)

1188994(5(2287)) 8674.53..323 157.1 241.4 2210.0.7.291 5.7 36.8 1896(29) 74.9 135.8 144.1 17.1 22.6 24.2 1897(30) 81.5 159.9 115.2 20.4 27.4 14.7 1898(31) 88.7 99.6 109.2 7.0 5.8 8.6 1899(32) 102.4 115.1 109.1 22.9 19.5 12.9 1900(33) 87.1 101.0 95,1 16.9 9.7 3.6 1901(34) 63.6 81.5 89.6 4.9

0

4.1

1902(35) 61.3 93.7 84.1

0

3.1

0

1903(36) 70.7 89.6 83.0 0 0

0

1904(37) 70.6 78.0 75.6

0 0

3.3

(荏)預貸率‑貸出金÷預金,借用金依存度 ‑借用金÷使用総資本。

借用金には日銀以外 もの含む。

(出所)狭間源三編 r講座 ・日本資本主義発達史論第1巻』, 日本評論社,1968 ,174頁。

であるという資金偏在があったことは見逃せ ない。 日本銀行貸出は循環的な 変動 を含みつつ も傾向 としては増勢 を示 し, 日本銀行の金融市場統制力は限 定 されていった ものの,オーバー ・ロー ンの解消は大正期 にようや く実現す

24)

る」のである。

< 3‑ 4章のコメン ト>

通貨制度の不備 に基づ く銀貨 と紙幣の差が解消 し, 日本銀行の究換券が流 通 しは じめた明治19年か ら日清戦争の勃発 した27年 に至る期間を通 して,金 融界の主な特徴 をみると, 日本銀行の専権時代であったといえる。 この頃各 国立銀行は,それぞれの法的営業満期が近付 くにつれ,普通銀行 としての預 金中心の銀行 として立 ち直るよう努力 をして きた。当時は日本銀行の資力や

288 国際経営論集 No.23 2002

(21)

特権 ・地位が圧倒的に強力 な関係か ら民間銀行 は中央銀行 たる日本銀行の意 向に屈従 し, または迎合す るような傾 向があった。一方, 日本銀行 は思 う存 分に中央銀行 としての特権 を振 るえるようになったため,民間の銀行経営 に

とっては

,

「日本銀行 による民間銀行統治時代」 と指摘で きよう。

5

銀行の組織形態の変化

1887‑1897(明治20‑30)年代 までは,わが国銀行制度の発展 は著 しかっ た。それは産業資本の発展 にささえられて可能 とされた。では当時の銀行の 組織形態 を考察 してみ よう。

(1)組織別 にみた銀行の推移

日本 の銀行制度確立史によると

,

「この時期 に増加 した銀行 は,①組織形 態上,株式組織 によるものが圧倒的であった。ついで合資,個人,合名の順 になる。(∋1896(明治29)年 までは,合名組織 を除けば,1行平均払込資本 金は,10万円に満たなかった。③1897(明治30)年に,株式組織銀行の1行

<組織別にみた銀行の推移 >

組織/年次西暦 (明治) 1894

( 2

7)18

9 5

(28)1896(29)1897(30)1898(31)189

9

(32)

株式 銀行数 561 平均払込資本金 49

合名 銀行数 17

平均払込資本金 170

合資 銀行数 54

平均払込資本金 80

個人 銀行数 68

平均払込資本金 39 合計 銀行数 700 平均払込資本金 53

644 838 1,026 1,190 1,271

57 87 128 140 142 19 20 29 37 43 154 206 208 259 247

67 82 100 106 119 96 94 86 77 71

62 65 62 81 93

6 0

62 62 76 84

792 1,005 1,217 1,414 1,526 63 88 122 134 136 (所)金融経済研究所

F

行制度確立史,金融経 , 19 66年,61 .

(考)平均払込資本金の単位 は

1 ,

0∞円

銀行経営のコーポ レー ト・ガバナンスー史的考察 (Ⅰ) 289

(22)

平均払込資本金が ようや く10万円以上 となるにす ぎなかった。④ この ように, 産業資本確立期の銀行 は,少数の大銀行 と多数の中小銀行か らな り,前者 は 都市 に集 中 し,後者 は地方 に散在 していた。

結論 的 に, この時期 は,大銀行 と中小銀行へ の分化 と整備 の過程 といえ, 25)

またいわゆる五大銀行 の形成期で もあった」 としている。

(2)五大銀行の特徴

この五大銀行 の特徴 を組織形 態 ・資金規模 でみ る とつ ぎの ようになる

「① 三井銀行 は1893(明治26)午,資本金100万 円の合名会社 に改組 したが, 5年後の1898年 には,資本金 を500万円 とした。②安 田銀行 もまた,1893年, 資本金100万円の合資会社 として発足 したが,1900(明治33)年 に資本金200 万 円の合名 に改組 した。(彰第‑銀行 は1896(明治29)年 に国立銀行 よ り普通 銀行 に転換するが,同時 に資本金 を50万円増加 して,新資本金500万 円 とな った。④ 三菱合資会社 は1895(明治28)年資本金500万円の うち100万円をも って銀行部 を設置,証券割引,為替事業,諸預 か り貸付業務 を開始 した。⑤ 住友銀行 は1896(明治29)年12月,従来の雑穀担保 の金銭貸付 を廃止 し,餐 本金100万 円の個 人経営の銀行 と して設立 された。以上 の ように五大銀行 の うち株式会社組織 による ものは,第‑銀行 だけで,他 は合名,合資,個人銀 行のみで,個人経営形態が主体 であったことがわかる。それはわが国銀行制 度 の確立過程が,いわゆる商人資本 として発展 して きた財 閥銀行 を中心 とす

26) る ものであった」 ことを示 している。

<本章の コメン ト>

この時期 は大銀行 と中小銀行への分化 と整備 の過程 であ り, またいわゆる 五大銀行の形成期で もあ った と指摘 で きる。 また,銀行の組織形態は,規模 では中小 の銀行が圧倒的 に株式会社形態 として,増加 していったこと。 これ に反 し,五大銀行 の内,第‑銀行 を除 き,他 は合名,合資,個人であ り,経

290 国際経営論集 No.23 2002

(23)

営主体は個人経営形態であったことOすなわち,わが国の銀行制度の確立は,

旧幕府以来の富豪商人として発展してきたいわゆる財閥銀行を中心とするも のであったことがわかる。

日清戦争後の銀行経営と金本位制度

日清戦争後の銀行業の発達が,産業・企業の資金調達と深い関係にあって,

つぎの推移のように多くの企業が株式会社組織により設立されたことがわか る。

つぎに日清戦争後の銀行の状況をみてみよう。

(単位:社, 千円) 計 資本金

メ』

社数 10万円以上

社数 資本金

<組織別会社数の推移>

10万円未満 社数 資本金

357,479  560,036  695,903  787,977  2,577 

3,474  4,254  4,306  318,036 

509,778  639,621  732,025  844 

1,245  1,641  1,729  39,443 

50,258  56,282  55,952  1,733 

2,229  2,613  2577 

27,572  39,413  45,194  47,216  1655 

3,025  3,555  3,353  14,585 

17,283  18,646  21,202 

t

J F D

Fh

d

i

U Q

d

12,987  22,130  26,548  26,014  1,598 

2,952  3,470  3261 

12,468  22,227  38,155  43,570  317 

517  779  941  9,659 

17,751  29,915  33806 

p h u ‑ ‑

i q J

qLaATFOnδ 

2,809  4,476  8,239  9,764  292 

476  712  858  年次

(明治) 1896 (29)  1898 (31)  1900 (33)  1902 (35)  1896 (29)  1898 (31)  1900 (33)  1902 (35)  1896 (29)  1898 (31)  1900 (33)  1902 (35)  株

式 会 社 合 資 会 社 合 名 会 社

397,520  621,676  779,251  878,763  4,549 

7,016  8588  8600  342,280 

日4,812 688,182  787,033  926 

1,359  1,793  1,904  55,240 

76,864  91,069  91,730  3,623 

5,657  6,795  6696  1896 (29)  1898 (31)  1900 (33)  1902 (35) 

(出所)金融経済研究所編 I日本の銀行制度確立史J,金融経済研究所, 1966年, 63頁。

291 

銀行経営のコーポレート・ガパナンスー史的考察(1)

(24)

(1)日清戦争後の銀行経営 と金本位制度

日清戦争後の企業勃興お よび産業発展 を背景 に,国立銀行か ら普通銀行へ の転換,多数の銀行 ・企業の設立があった。 これは1887(明治20)年代 にな って銀行預貸金の量的増加 と質的変化が一層進捗する過程で もあった。 この 時期の銀行経営の特徴 として

,

「① 明治16年の国立銀行条例の改正 に伴 い国 立銀行 は営業満期20年 をもって解散, または普通銀行への転換がはか られ, 銀行券の消却が行 われた。(∋国立銀行 の大部分 は,1897(明治30)年 を境 と

して普通銀行 に転換 した。③ この結論 として,銀行預金の質的変化 ‑官公金 預金 より民間預金 によって構成 される度合いの変化,貸付対象 として産業資 本が生成 ・発展 して きた とい う客観的背景 ・諸条件 にささえられたか らであ

27) った。」

これ と同時に,戟勝 による莫大 な賠償金 (3億7千万円) を背景 として,

「当時世界 的 に銀 の産出量が増加 したの に伴 い,銀価 が低落 し,銀本位制 (ドイツ帝国)や金銀複本位制 を採 っていた ヨーロッパお よびアメリカの諸 国が,金本位制へ転向 したため,明治30年3月,わが国 もこれまでの銀貨本

28)

位の通貨制度 を金貨本位制度へ改正 した

。 」

<銀行預金構成の変化 (国立銀行)

>

(%) <銀行預金構成の変化 (私立銀行)

>

(%) 各年末 (明治)

1881(14) 1885(18) 1888(21) 1893(26) 1896(29)

官公預金 民間預金 30.0 70.0 24.7 65.3 19.5 80.5 14.5 85.5 4.7 95.3

各年末 (明治) 1894(27) 1895(28) 1896(29) 1897(30) 1898(31) 1899(32) 1900(33) 1901(34)

官公預金 民間預金 5.39 94.61 3.40 96.60 4.51 95.49 5.76 94.24 5.90 94.10 3.13 96.87 3.02 96.98 2.55 97.45 (出所)金融経済研究所編F日本 の銀行制度確立史」,金融経済研究所,1966,64頁0

292 国際経営論集 No.23 2002

(25)

(2)日清戦争後の銀行 と企業勃興の関係

近代企業が,一応の足並み をそろえるのは, 日清 ・日露の両戦後 における 企業の大勃興の後である。その第一歩は, 日清戦争後の企業勃興である。

高橋亀吉は, 日清戦争後の企業勃興 について,次の二つの波 を措いて進行 した としてい る。「① 第1次の企業勃興 は1895(明治28)年下期 か ら1896 (明治29)年 にかけて台頭 し,1897(明治30)年 には早 くも反動 に襲 われ, 不況は1898(明治31)年 まで続いたが,比較的軽微 な混乱ですんだ。② 第2 次の企業勃興 は,1899(明治32)年〜1900年 (明治33)年 にかけて台頭 し,

29) 以後反動 に転 じ,1901 (明治34)年 には恐慌状態 に陥った」 としている。

ここで,銀行 は貸付資本の調達 をどうしたのか とい う問題がある。 この時 期の急速 な発展段階にあった産業 ・企業が銀行信用 に依存することが多かっ たとい う背景がある。それは以下の とお り,銀行 は貸付資本の調達 を, 自己 資本の増加 によって補 っていた とい うことでわかる。

高橋 は当時の企業熱 を許 して

,

(∋企業熱 は第一次 において最 も俄烈であ り,第二次のそれは第一次 に比 し比較的に軽微であったが,第一次の反動 は 相対的に軽微 であった。第二次反動が恐慌状態 に陥ったのは奇異 にみえる。

その理由は,第一次の反動 に対 して,政府はその救済策 として,外資1億 円 を輸入 し(1899年),清国か らの巨額の償金 (3億6,400万円)の流入があ り,

<東京銀行 集会所 組合諸勘定 > (単位百万 円) 貼2‑・64。・65‑・36川■nHl治25050明22334lH川lU 積 立金 預金 形手・.;; 計 有価証券

58598104322弘6

0177527537440弘12

49091256732871

627844782124458

57401066792252312

221545992912

(出所)金融経済研究所編 r日本の銀行制度確立史』,金融経済研究所,1966年, 65頁。

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンスー史的考察 (Ⅰ) 293

(26)

そのために金融 は緩和 し,第二次の企業勃興 を招 いたのである。② しか し,

1 8 9 9

(明治

3 2 )

年第二次 の反動 に際 しては, この ような金融的支援が なかっ た上 に

,1 9 0 0

(明治

3 3 )

5

月,清国義和 団の蜂起事件が勃発 したため に, 対清戦争状態 となって,対清 国輸出は途絶 し,関係商品 (特 に紡績)の暴落, 関係業者の窮迫 を呼 び込 んだのである。③ この ように第一次,第二次の反動 の深手 を負 い,事業の破綻暴露が多発 した。(彰さらに銀行 に も飛火 し, ここ に大規模 の銀行取付 となって,信用 の‑大破壊 を見 るに至 った ものである。

30) そ して, 日清戦争後 の企業勃興 の幕 は, ここに閉 じられたのである」 と指 摘 している。

(3)企業勃興の特色

当時の企業熱の中心 は,鉄道が第‑で,第二が銀行 となってお り,鉄道以 外 に,紡績,織布 ,その他一般の鉱工業が,大 きな企業対象 として現れたこ

とが,企業勃興の特色 といえる。

高橋亀吉 は, また 日清戦争後 のわが国 をつ ぎの とお り評 している。「①会 社制企業が全 国民的規模 において,本格的な白熱的企業勃興 を経験 した最初 の段階であった。② それだけに,企業計画者 も,株式応募者 も,会社企業 に 未 だ幼稚 であ り,(参この間に,無意識的,あるいは意識的,泡沫的企業が少 なか らず介在 していて,その弊害が顕著 に露呈 した。その上 に,企業の勃興 の問題点 として,① 当然,国際収支尻 の悪化 を伴 い,通貨制度 の危険化 とい う基本的側面か らも大 きな問題 を提起 した。② す なわち,企業勃興の行過 ぎ と反動 とを憂慮せねばな らぬ‑・・‑と。 ここで見逃 してな らない点は, この近 代 的発達の本格的舞台 に, 日清戟争後 は じめて, しか も急速 に登場す るに至 った裏 には,官民の果敢 な進取的企業家精神が多 いに発揮 されていた とい う

31)

事実であろ う」。その行過 ぎの反動が

,1 9 0 1

(明治

3 4 )

年の恐慌の打撃であ った。 (下線 は筆者)

294 国際経営論集 No.23 2002

(27)

<本章のコメン ト>

日清戦争後, 日露戦争勃発 までの数年間は,特殊銀行 (注32)の続設時代 といえる。 この時期の金融界の特色 として次の三点が指摘で きる。① 日清戦 争後,なかには戦前か らの懸案であった一部の施設 を含め,いわゆる政府の 戦後経営 とい う国策の下 に,農 ・工業の発展促進,植民地開発 などに資すべ き諸種の特殊銀行 を設立 して, 日本銀行お よび普通銀行 と対立 させて金融体 制を整備 しようとしたのである。② また企業 も本格的かつ積極的に,企業勃 興を経験 した最初の段階であ り,進取的な企業家精神の発揮 された時期であ ったともいえる。③特 に,普通銀行 としては, 日本銀行の圧力 に対抗 し, ま たはその拘束か ら逃れて自主性 を強化 し,金融界の主導的立場 を強化 したの もこの時期 といえる。結論的にいえば,この頃は普通銀行経営の 自主独立的 な企業統治の時期であった といえる。

7 1 9 00

(明治

3 3)

〜1 9 01

(明治

3 4)

年の恐慌 と銀行

(1)恐慌 と銀行経営

これまで述べて きたように日清戦争のブームは鉄道会社 ・紡績会社の勃興 を中心 として きたが

,1 9 0 0

(明治33)年の

6

月には北清事変の影響 もあって 金融は次第に逼迫の度 を増 した。

この間の銀行恐慌の状態 について, 日本の銀行制度確立史 に依れば

,

「(∋ 明治33年下期か ら,佐野 ・足利地方 における買継商 (買継問屋 の意。近世, 江戸 ・大阪の中央問屋 と地方の生産者 との間を仲介 し,注文商品を集荷 ・納 品する地方問屋 をい う)の支払停止が しば しばみ られ,物価お よび株価 の下 落は急激であった。(参銀行 は警戒 を怠 らなかったが,同時期 には支払停止銀 行が急増 した。その主な ものは,横浜蚕糸銀行 における同年11月の頭取 によ る株式投機失敗 による支払停止, さらに同月,大阪府下の三島実業銀行 も, 頭取の鉄道株買 占めの失敗が原 因で支払停止 となった。③ また同年12月に,

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンスー史的考察 (i) 295

(28)

熊本第9銀行 (資本金100万円,払込76万円)は 「鉄道又 は紡績会社の株式 を担保 として貸出をな したる高少なか らざる上 にあるいは熊本電燈会社 に放 資 しあるいは熊本米国株式取引所株式 を買収 したる高亦 (また)少なか らず, 然 るに近来株式価格非常 に下落 したる為数十万円の損失 とな りしのみならず 役員中米相場 に関係 して失敗せ るやの風説 もあ りて・‑・・巨額の取付続々 と起 り遂 に支払 を停止するの止むを得 ざるに至 った。(彰そ して同行 と一体の関係 にあった熊本貯蓄銀行 も預金取付 とな り,同時に支払停止 となった。⑤ さら に桑名の第百二十二銀行 も投機の失敗で,休業 し,子銀行の桑名貯蓄銀行 も,

3

3)

運命 をともに した

。 」

と当時の状況 を5段階に分 けて克明に述べている。

(2

)銀行の取付 と破綻

引続 き日本 の銀行制度確立史 によれば

,

「① この ように以前か ら放漫 な貸 出や投機的な資金運用 をしていた弱小銀行や地方銀行の破綻 は,預金取付 を うけ破綻 した。② これ らの影響 は大阪付近 にまで接近 して きて,1901 (明治 34)年 4月に,大阪銀行集会所組合銀行の第七十七銀行 とその姉妹銀行難波 銀行 の支払停止 によ り,関西地方で金融パニ ックとなって猛威 をふるった。

(参その後取付騒 ぎは京都,東京,熊本,奈良,高松,滋賀,三重,愛知 ほか にもおよび各地の組合銀行が中心 となって,共同救済あるいは個別的救済の 措置 をとり, 日本銀行 もまたこれを支援 したので,④倒 れるべ き経営内容の

34)

弱小銀行 はみな破綻 し, ようや く空前の恐慌 は終息 した。」

(3)銀行経営への批判 と特色

以上の1901 (明治34)年の恐慌 における銀行破綻の原因について,当時次 の ような批判がなされた

,

「銀行業者が少額の預金 を集め, これに高利 を払 い, しか も不利益 な環境 ・事情の下で,多大の利益 をあげ得 ることがで きる のは,仝 くその本業 を逸脱 し,あ くまで投機的 ・冒険的利益 をもって,営業 純益 の中心 をなす ものである。す なわち,株券 を担保 に高利 の貸付 を行い,

296 国際経営論集 No.23 2(泊2

(29)

または売却 し難い動産 ・不動産の抵当貸 しを行い,あるいはいわゆる機関銀 35) 行 として,銀行家 にあるまじき事業資金 を注入するもの多数あ り。」 と。

この恐慌中の預金の増減状況 をみると 「払込資本金5万円未満の銀行が圧 倒的多数 を占め,取付が主 に弱小銀行 に対 して行 われたことが明白である。

これ と対照的に財 閥銀行 をは じめ,各地組合銀行 などの大銀行の預金は増大 した。 この ように中小銀行 は激 しく取付 られ,休業銀行 は実 に50行 を数 え

36)

。 」

(休業銀行の うち明治37年 まで存続 したのはわずか15行)。 この うち専 業貯蓄銀行 と兼営普通銀行が24行あ り,そ して1907(明治40)年の恐慌お よ び1920‑21(大正9‑10)年恐慌の際 も,休業貯蓄銀行 (含 む兼営普通銀行) は,以下の とお り全休業銀行の半数 を占めていた。

<本章のコメン ト>

この恐慌時の休業銀行 を払込資本規模別でみて も小規模 の ものが半数以上 も占めている。 しか も,これ らの弱小銀行 ・子銀行 の貯蓄銀行 も取付 られ, ついに休業 に追い込 まれたことによって,預金者の不安 をか きたてた。その 結果,比較的健全 な経営 をしていた銀行や大銀行 まで もが取付 の波 に巻 き込 まれ,わが国銀行界 は じまって以来の大恐慌 となったことがわかる。 この恐 慌時の銀行経営の特色は,(∋恐慌の経験 を生か し,経営の健全化 に向かった

< 込資本金規模にみ休業行 > (単位 :行)

払込資本金規模別 明33

3 4

年恐慌 明治4041年恐慌 9

1

0年恐慌 5万円未満 21

( 1 0 )

5万円以上 10

(3 )

10万円以上 12(

9 )

25万円以上 2(

1 )

50万円以上 4

(1 )

100万円以上 1

(0 )

合 計 50

( 2 4 )

)

) ) ) ) )

)9

7 2 2 2 0

22(

( ( ( ( (

(12064141114

9(2)

( ‑) 14(7) 6(3) 3(3) 3(0) 30 (15) ()金融経済研究所編F日の銀行制度確立史』,金融経 済,1966年,280

頁。

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンスー史的考察 (Ⅰ) 297

(30)

銀行 もあるが,旧態依然たる経営 を行 うもの もあった。②恐慌の影響 を受け やすい弱小銀行 を合 同によ り淘汰 しようとする政府の方針は,この時期い よ い よ明確 となって きた,③ この時期の銀行経営は,バ ブル崩壊後の後遺症に よって大部分の銀行が不 良債権 に苦 しむ現在のわが国銀行経営の状況 と酪似 しているようにも思われる。

8

恐慌後 の銀行経営方針 の変化

(1)銀行経営方針の変化

この恐慌後,銀行の経営方針 に大 きな変化が見 られた。 まず,①大銀行の 変化 として,三井銀行 は,徹底 した採算主義 に基づ く商業銀行 を指向 した。

すなわち,「1903(明治36)午,小 口当座預金 は漸次 これ を廃 し,預金 は走 37)

期預金 となすべ し」 と,零細貯蓄預金 を吸収 しない対策 をと り,他 の財 閥 銀行,大銀行 も次第にこれにな らった。 したがって,恐慌時に取付の危険が 大 きい零細預金は,小 口当座預金および当座預金 ともに,大銀行か らなるべ く排除す る方針が確立 された。② 中小銀行 における変化 として も,a.有価 証券の価格変動が大 きいことと,地方 には国債 をは じめ優良証券の乏 しいこ

とか ら,証券担保の貸付 をへ らした,b.また,一方では信用貸付 をも減 じ て,確実 な担保の徴求 を励行 した。 C.このため地方銀行 (都会の中小銀行 も含 む)は,不動産担保 の貸付 中心の貸出業務 を行 うこととなった。d,普 通銀行 も本来,不動産担保貸付ではな く,商業手形の割引, または流動性の 高い資産 を担保 とす る短期貸付 を与信業務の中心 とすべ きであった し, また 政府 ・日銀の指導方針 もその方向にあった。

その問題点 ・特色 としては

,

「①後進資本主義国であるわが国では資本蓄 積が少な く,典型的な商業金融 システムは,全国的規模では未形成であった こと。②地方の銀行経営 は,貸金の短期 回収がある程度困難 な場合 には,と にか く債権だけは確保するために,相対的に安全性の高い担保物である不動

298 国際経営論集 No.23 2002

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