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「図們江流域開発」の推進状況と 中国政府の日本 資本誘致策に関して

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資本誘致策に関して

著者 尹 虎

出版者 法政大学大学院 国際日本学インスティテュート専

攻委員会

雑誌名 国際日本学論叢

巻 8

ページ 17‑37

発行年 2011‑03‑22

URL http://doi.org/10.15002/00007114

(2)

「図們江流域開発」の推進状況と 中国政府の日本資本誘致策に関して

平成22年度 国際日本学論叢第 8 号 2011年 3 月22日発行 抜刷

法政大学国際日本学研究所客員学術研究員

(延辺大学 国際政治専攻 講師)

尹     虎

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「図們江流域開発」の推進状況と 中国政府の日本資本誘致策に関して

法政大学国際日本学研究所客員学術研究員(延辺大学 国際政治専攻 講師)

尹     虎

はじめに

周知のとおり、1980年代に入ってからの世界情勢は急激な変化を遂げて いた(1)。ヨーロッパ共同体(EC)に象徴されるヨーロッパの実力の強化、

中国の改革開放政策による総合的国力の急速な発展、東欧の社会主義政権 の崩壊とソ連の解体は、世界の政治構造に大きな変化をもたらした。一方 で、世界政治は両極構造から多極化の方向に進み、「対抗よりも平和と発 展」が各国の追求する主要な目的となった。そうした時代の潮流の変化に ともない、北東アジアの国際関係も積極的な方向に進んだが、その中でも、

特に中ロ関係は改善が著しく、その影響を大きく受けた中朝関係も、対立 以前の状態に戻りつつあった。それに加え、中韓の国交樹立、中日関係の 成熟化もあって、北東アジアの政治状況は安定化に向かう兆候を見せ始め たのである。

このような国際情勢が、北東アジアにおいて、中国吉林省を中心とする

「図們江地域開発」の展開を可能にした。図們江地域開発は、改革開放後 に生じた沿海地域との格差を解消したいという中央、吉林省政府の願望か ら生まれたものであったが、北東アジアをめぐる国際政治上の状況の変化、

一 九 四

(4)

そして、経済開発区域を設定して国際協力による開発を精力的に進めた延 辺朝鮮族自治州の役割も、見逃すことができない。

それでは「図們江流域開発計画」の現状はどうなっているのだろうか。

そして、「図們江流域開発」に対する日本の認識はどのようなものであり、

中国側は日本政府と企業の投資を誘致するためにどのような政策を進行し ているのだろうか。本論は以上の課題について議論を展開していく。

第1節 「図們江流域開発」の推進状況

1. 1 史上初めての北東アジア国際会議と図們江地域開発の提起

1990年7月、中国・吉林省の省都である長春で「北東アジア経済技術発

展国際会議」が開かれた。この会議には日本・韓国・北朝鮮・ロシア・モ ンゴル・米国の代表、そして国連開発計画(UNDP)北京駐在代表が参加 した。北東アジア地域では史上初めての地域協力に関する多国間国際会議 であっただけに、関係諸国の注目を集めた。この会議は北東アジアの歴史 上、転換の第一歩を踏み出すものであった。それは、百年余りの近代史の 過程の中で戦争(日清戦争、日露戦争、朝鮮戦争)と対立(冷戦)が続い てきた北東アジア地域において、初めての多国間の対話チャンネルが実現 するとともに、協力模索への転換でもあった(2)

会議では、吉林省の代表である吉林大学教授の丁士晟により「図們江黄 金デルタ地域開発構想」という地域協力プロジェクトが提案され、参加者 の関心を集めた。この構想は、中国・北朝鮮・ロシア3か国の国境を流れ る図們江下流地域を協同開発し、そこを国際物流基地、輸出加基地、金融 貿易センターとして発展させ、第二の香港やロッテルダムとする、という 壮大な構想であった。図們江開発は1991年3月にUNDPの重点プロジェク トになった。

「図們江流域開発計画」が浮上するなかで、朝鮮半島、ロシアと隣接し、

一 九 三

(5)

当開発計画において中国側の開発予定地域の大半を持つ延辺朝鮮族自治州 は世界の注目を浴びるようになった。そして、「三つの協定」、すなわち、

「図們江地域開発調整委員会の設立に関する協定」、「図們江経済開発区の 設立及び北東アジア開発ための諮問委員会の設立に関する協定」、「図們江 経済開発及び北東アジア環境基準に関する覚書」の調印された1995年の時 点まで、図們江流域開発は北東アジア地域協力のプロジェクトとして、多 くの人々は本格的な開発がこれから始まると楽観的な見通しを立ててい た。

1. 2 図們江地域開発の沈滞

ところが、開発の主な投資国と期待されていた日本と韓国がそれぞれ経 済的な困難を抱えるという状況に加え、1997年のアジア通貨危機や、一時 期積極的な動きを見せていた米朝関係や日朝関係の改善が先送りされたこ となどにより、図們江地域開発は大きな進展を示すことができなかった。

北東アジア地域協力における最初の国際協力の枠組みとして決定的に重 要な意味を持つものになるはずであった図們江流域開発調整委員会・諮問 委員会も、現実的には複雑な国際情勢と参加国の思惑の不一致などのため、

多国間協力機構として十分に機能できなくなった。

委員会の組織自体は、図們江開発にかかわる業務を担当し、投資フォー ラム、観光ワークショップを開催するなど、分野別の開発プロジェクトを 推進するための活動を積極的に展開したが、各政府間の歩調が必ずしも一 致しないこと、UNDPの支援の弱さとこの地域の複雑な国際関係の影響に より、実際の作業が予想通りの成果をあげることはなかった。その停滞の 様子を最もよく表す事例としては、北京の図們江事務局が資金と人手の不 足のために、事務局の正常な運営さえ困難であったことが挙げられよう。

結局のところ、中・ロ・朝3か国が自助努力で、自国領域内のインフラ を推進し、相互に利点のある計画を見出し、協力関係を一歩一歩強めてい

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くしかないような状況を迎えた。

実際、1995年から吉林省には、図們江開発論に対する悲観論が広まり始 めていた。同年11月18日付の『国際商報』は、吉林省長春税務学院国際経 済系の王雲鳳が国際経済合作学術学会の年次会議で行った報告(3)を掲載し、

「図門江流域には国際経済の発展を行う条件が揃っていない」こと、「人為 的に無理矢理に開発すれば、人力と財力を無駄にするだけで、倍の仕事で 半分の効果しかあげられないだろう」という考えを示した。

王は、「長期にわたって経済発展で遅れをとってきた吉林省は、図們江 開発という大型国際経済協力で弾みをつけ、省全体の経済的飛躍を実現す ることを期待していた。そのため、琿春で大規模なインフラ建設を進め、

累計1億6千万元の投資を行い、琿春と図們江を結ぶ鉄道を建設したが、

1993年中期以降は楽観的な見通しに反して、開発ペースが突然鈍り、建設 プロジェクトは行き詰まり状態に陥った。これは認めなければならない事 実である」と計画の進展状況の厳しさを率直に指摘していた。そして、図 們江地域開発が計画通りに進まない原因として、①中・ロ・朝の3か国の 関心と意欲に違いがあること、②経済協力に参加する各国の間には、経済 体制、経済関係、経済発展水準などでまだ大きな較差が存在すること、③ 経済協力に天の時、地の利、人の和が不足していること、④市場と背後地 が不足していること、などを挙げ、開発政策の再検討を要求したのであ る。

省レベルの政策決定機関が図們江地域開発に対して懐疑的な考えを抱き はじめた頃、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族社会においても、開発に対して積 極的に関与するという雰囲気が影をひそめる傾向が現れた。その主な原因 は、図們江開発の展開が朝鮮族社会に実質的な利益を与えなかったことに あった。そのような様子は「延辺農村住民一人当たり年間収入」と「延辺 工業成長率」に関する表からも伺える。

「延辺の農村住民一人当たり年間収入」は1990年において、全国平均に 一

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比べて58元高かったが、1997年になると、図們江開発が進められていたに もかかわらず、全国平均よりも212元低くなる。そして、1990年に全国平 均の2倍の成長率を見せていた延辺の工業も、1997年になると成長率が全 国平均よりも0.9%低くなり、低迷の状況を見せていたのである。

13億の人口、36省市を対象とする全国平均よりも低いということは、沿 海都市との差はさらに大きいということであり、図們江開発は、延辺朝鮮 族社会の従来の経済上の地位をも確保できなかったことを意味するもので あった。そして、朝鮮族社会は図們江開発ばかりでなく、改革開放という 近代化の過程においても、極めて悪い成績を示したことになる。図們江地 域開発の中心地域である延辺朝鮮族自治州の経済成長の状況や、朝鮮族社 会の生活状況は、開発に期待をかけていた人々に失望を与えるものだっ た。

結局、吉林政府と延辺州政府を中心として推進されていた図們江地域開 発の計画は、限界を見せると同時に、空洞化と無気力化を余儀なくされた のであった。

一 九

〇 1980年 1985年 1990年 1995年 1996年 1997年 延辺 241 495 744 1347 1685 1878 全国 191 398 686 1578 1926 2090 出典 『延辺統計年鑑』、延辺人民出版社、1998年、205頁。

表 1 1980−1997年における延辺の農村住民一人当たり年間収入の推移 単位:元

1987年 1988年 1990年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 延辺 21.9 20.8 6.5 10.6 11.6 9.6 4.4 2.8 10.2 全国 13.2 5.1 3.4 21.2 20.1 18.9 14 12.5 11.1 出典 『延辺統計年鑑』、延辺人民出版社、1998年、229頁

表 2 1987−1997年の延辺の工業成長率の推移

単位:%

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1. 3 「東北地方振興政策」と「大図們江地域開発」の提起

こうして地方政府、吉林省政府を中心として展開した図們江地域開発が 低迷に陥り、主力になる延辺朝鮮族社会の図們江開発への意欲が次第に弱 まったことを踏まえ、中央政府は「東北地方振興政策」の展開を契機に、

図們江開発を直接主導し、「大図們江地域開発」と名付けて推進すること になった(4)

1999年6月、中国国家開発計画委員会、対外貿易経済合作部、鉄道部、

交通部、海関総局、科学技術部などの代表と国務院などの代表によって、

「国務院図們江開発協調領導小組」が設立され、2000年4月に琿春経済合 作区の中に国家級の輸出加工区、2001年2月に中ロ互市区が設置された。

同時に、膨大な予算を投資する「東北地方振興政策」が開始された。国有 企業を改革し、財政投資と外資導入によって民営企業を活性化するのが目 標であった。東北各省には、それぞれ中心になって推進する工業開発任務 が与えられ、吉林省は自動車、石油化学、農産物加工、現代漢方薬、バイ オ、ハイテク産業に重心が置かれるとされた(5)。そして、図們江を出海口 とする図們江地区開発が、この東北地方振興政策と結びつけられることに なった。

2005年9月の第8回図們江地域開発諮問委員会には、呉儀副首相も参加

し、基調演説を行った。この委員会では「大図們江地域開発」の開始が決 定され、中国中央政府の大図們江地域開発に対する意気込みを示すものと なった(6)。その直後には、琿春市、羅先市が共同プロジェクトに調印し、

元汀、羅津港間の67kmの高速道路を建設し、羅津港の既存の3号埠頭改

造と4・5・6号埠頭の建設、羅津港から3キロメートルの地点に中国輸出

加工団地を建設することなどを決定した。また、中国は清津港の改築にも 投資することになった。

このプロシェクトは中国国務院の指示に従ったものであり、東北振興政 一

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策と北朝鮮の開発援助を一体として進める中国政府の東北開発戦略を鮮明 に示すものであった。中国が北朝鮮の港を出海口とすることに非常に真剣 なのは、単に韓国、日本などの太平洋沿岸諸国との結び付きを求めていた からではなく、東北地方の穀物を深 などの工業地帯に海上運送すること も課題になっていたからでもあり、先端産業地帯と結び付くことによって、

東北地方の産業の近代化・効率化も期待できるからであった。

そのほか、中央政府は2009年11月に吉林省の「中国図們江地域協力発展 計画綱要」を認め、東北地域の振興においても長春市−吉林市−図們市の エリアを優先的に開発することを国家戦略(長吉図開発計画)として打ち 出した(7)。「中国図們江地域協力発展計画綱要」は今まで中央政府が頒布 した唯一の辺境地域開放計画であるため、注目を集めることとなった。

中央政府主導の広域経済開発で最も重要な課題は、地域の特徴を活かし、

少数民族の積極性を引き出すことであった。東北地域の振興政策と大図們 江開発地域計画とを結ぶ線上には、国家の威信を高めようとする中国政府 の意図が見て取れよう。

第2節 「図們江地域開発」に対する日本の認識

それでは、「図們江流域開発」に対して日本側はどのような認識をもっ ていたのであろうか。中国の図們江流域開発計画が始めて打ちだされる23 年前の1968年に、評論家福島正光は『コリア評論』に「日本海経済圏の提 唱」という論文を掲載し、国際協力による日本海沿岸部の経済発展策を論 じていた。こうした福島流の発想が現実の政策へと発展したのは、1988年 新潟で行われた日本海経済研究会と新潟県日中友好協会の共催による「日 本海シンポジウム」であると言えよう(8)。会議には、日本・ロシア・中国 の政府・企業・学者が参加し、環日本海経済圏形成の第一歩を踏み出した。

現在では環日本海経済圏というと、ロシア極東、中国の東北、北朝鮮、韓 一 八 八

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国、モンゴル、日本の6地域を指すのが一般的であるが、当時はロシア、

中国、日本の三国しか集めることができなかった。豊富な資源を持つ極東 ロシア、膨大な人口の中国東北三省、技術や資金に力がある日本の三国協 力によって、環日本海経済圏は明るい将来が開ける、というのが会議の主 旨であった。日本ではとりわけ発展が相対的に遅れている環日本海地域の 諸自治体が、対岸との交流の活性化に強い意欲を示し、「環日本海国際経 済圏」構想を積極的に支持していたのである。

そして、「日本海経済圏構想」と「図們江地域開発」の関係について、

日本経済センターの金森久雄は、「日本海経済圏といってもあまり漠然と していて取掛かりがないが、図們江というのは中国、ロシア、北朝鮮の国 境を流れる大河であり、この共同開発は環日本経済圏形成の焦点になる。

こういったことで、現在に至るまで環日本海圏協力の最重要なプロジェク トとなっている」と説明した(9)。「図們江地域開発」が「日本海経済圏構 想」の一部であること、「図們江地域開発」が「日本海経済圏」の形成に 重要な意味を持っていることを読み取ることができよう。

戦前日本の北朝鮮ルート論の提唱と実行の経緯はもちろんのこと、戦後 の日本における「日本海経済圏構想」と相互協力の理論の提出(1968年)、 そして広範囲な学界での議論展開(1980年代後半)は、「図們江地域開発」

理論の創出(1990年代初)に何らかの形で影響を与えたことは間違いない だろう。少なくとも、環日本海地域の日本の諸自治体が、対岸と交流を増 進したいという意欲は、1980年代後半から、冷戦の継続にもかかわらず、

中国側に伝えられ続けていたのである。

そのため、中国側の「図們江地域開発」理論の提唱者である丁士晟は、

「北東アジアで最も経済力があるのは日本であって、影響力も最も大きい。

日本の支持を取り付けられるか否かは、キーポイントをなす」と、図們江 開発における日本の重要性を確認しながら、「日本は非常に図們江地域開 発に関心を持つようになるはずである」と、日本政府の図們江地域開発へ 一

八 七

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の積極的な参与を期待していた(10)

一方、国家レベルの期待として中国とモンゴル代表の「日本招請議案」

を挙げることができる。1996年10月、第2回の図們江開発に関する諮問委 員会が北京で開催された折に、中国とモンゴル代表が日本も当委員会の構 成員として招請すべきだという議案を提出した。これに対し、参加各国は 支持する旨表明し、満場一致で「日本を委員会に招請する決議」という第 9号決議案を採択するに至る。その後、中国新華社の報道によれば、委員 会は、日本大使館を通じて日本が正式メンバーとして加盟するよう要請し たという。このような経緯は、北東アジア、図們江地域開発における日本 の重要な地位をよく表すものでもあった(11)

当時、中国側の「図們江地域開発」関係者のほとんどは、日本と図們江 地域の歴史的繋がりと、1980年代からの「環日本海経済圏」理論の日本国 内での広まりなどから、日本は必ず「図們江地域開発」に積極的に参与す るはずであると確信していた。しかしながら、現実は「図們江地域開発」

への日本政府の参与が、中国側の一種の願望に過ぎなかったことが分るよ うになる。

1996年2月に新潟で開かれた「新潟・北東アジア経済会議」の総括セッ

ションの席上では谷川栄一・通産省通商政策局北西アジア課長が、当プロ ジェクトについては、①輸送経費の縮小、②低コストの労働確保、③投資 コストの回収性が明瞭であること、④インフラ整備面が前提であること、

を特に強調しながら、「アジア開発銀行などの公的資金の利用は各国政府 による要請が前提であり、この面から当プロジェクトはまだ難しさがある。

最近はBOT方式も大きくなったが、民間事業として取り組むにもそれだ けの魅力が必要であろう」と述べた(12)。そして、同じ席上、外務省欧亜局 ロシア課ロシア東欧地域担当企画官の森泉達士も、「今日、関係国が一致 団結してお金がある国からお金を出させるという雰囲気が盛り上がってい るが、中ロ間のプロジェクトについては他にもっとよいプロジェクトが沢

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山あるとの話を聞いている」と発言し、日本政府は当プロジェクトには消 極的、かつ慎重であることを、外国からの出席者を意識して、わざわざ強 調してみせたのである(13)。その後、「図們江地域開発」に関する国際会議 には日本政府代表の姿が現れない場合が少なくなかった。例えば、2004年 11月にウィーンの国連工業開発機関(UNIDO)本部で「図們江地域投資 サービスネットワーク国際会議」が開かれたが、日本政府は事前に連絡が あったにもかかわらず、代表を派遣することはなかった(14)

地理的条件の悪さと社会インフラの未熟さに対する配慮と対策を欠いた まま、日本や韓国市場へのアクセス、投資の誘致だけを重視し、直接的に 世界経済とリンクしようとした図們江地域開発計画は、結局は日本の参画 と投資という点で失敗することになる。そもそも、図們江開発プロジェク トに最も熱意を示してきた吉林省が、日本海に面していないという点は認 めざるを得ない障害であった。そして、海外市場と繋がり輸出市場とする 工業化を念頭に置いた開発プロジェクトにする場合、交通運輸、通信等の 国際的アクセスだけではなく、市場の相互補完性が大変重要な条件となる が、開発計画の提出の際に吉林省はこれらの問題について十分な考慮を払 っていなかったことは明らかである。

そのほか、日本政府が図們江開発諮問委員会の正式メンバーとして乗り 出さなかった背景には、ロシアとの領土問題解決を含めた極東ロシアとの 協力のあり方、また、日朝国交正常化交渉など、冷戦の終結による一連の 戦後処理問題を抱えており、これらへの明確な見通しが立っていないとい う状況があったと思われる。図們江開発は単に経済的な問題というよりも、

むしろ政治的な考慮から関与していくべきではないかという考えが広く存 在したのであった。世界の情勢は変わったが、その中で北朝鮮は変わって いない。ロシアは変わったかもしれないが、産業的には依然として停滞し たままである。結局、日本の政府レベルの開発への参与は、この点を重視 して慎重なものとなったのである。そのため、図們江開発計画は今までの 一

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長い間、「実行性の乏しい計画」として日本側に認識されたのである。そ して、現在中国中央政府が意欲的に進行している「東北地方振興政策」、

「大図們江地域開発」、「長吉図開発」などの政策について、また、それに 伴う北東アジア地域内の国家間の経済交流について日本国内では懸念の声 が高く、「長吉図開発計画は確実に、GTI(Great Tumen Initiative、図們江 地域開発)をゆさぶるに違いない」という考えも多く存在しているのであ る(15)

第3節 中国側の日本重視の動き

日本が図們江地域開発に積極的に参与することがなかったにもかかわら ず、中国側の日本に対する期待が低下することはなかった。特に、近年に なって、図們江地区開発において、日本の支持を勝ち取ること、つまり、

日本資本を積極的に誘致することは、吉林省政府、延辺州政府の重要な政 策とされ、展開されている。

延辺州政府の内部資料「日本の図們江地区国際開発への政策と戦略に関 する考察」を日本重視政策の一例として挙げることができるが、とりわけ、

その第三の部分「新しい情勢下において日本が図們江地区開発に参与する 利益要素と対策」(16)には、確実かつ実行可能な対策をとることをもって、

日本政府と企業の図們江開発に対する認識を高め、投資と貿易の発展を促 進させる重要性について論述している。延辺州政府が特定の国を対象とし て研究を行ったことは珍しいことであり、少なくとも従来の研究では取り 上げたことがない事例である。このような研究と調査が日本重視の政策展 開の理論的根拠になっていたのである。

それでは、何故、日本を対象とする特定研究が行われ、また、日本重視 の政策が一層活発に展開されるようになったのだろうか。その背景を考え るとき、次の三つの要素に注目する必要があると思われる(17)

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i 中韓関係の変化

中韓国交回復(1992年)以来、中韓間の市民感情は友好的なものであっ た。そして、従来、図們江地区開発において韓国資本の誘致は一つの重要 な課題でもあった。しかし、近年になって、高句麗問題の評価に対する中 韓論争、また「間島」(延辺)領土問題の出現は、両国の信頼関係に悪影 響を与えはじめた。「間島」は、現在の延辺朝鮮族自治州に該当する地域 であり、図們江開発の中心地域でもある。領土問題がある地域に韓国資本 が入ること、ひいては韓国資本が朝鮮族の生活と密接的な関係を作りあげ ることは、中国政府にとっては決して望ましくないことである。「図們江 開発には資本が必要であるが、大量の韓国資本の誘致はできない」という 状況は、日本資本の重要性をさらに強化させたと思われる。

ii 中央指導の大図們江地区開発

図們江地区開発は直接、中央の指導下で展開される国家レベルのプロジ ェクトになり、「東北振興計画」とともに、国家財政と政策の支持を得る ようになった。一方、ロシアも「極東振興計画」を制定、実行するように なり、ロシア政府が極東開発を重視していることが明らかになった。この ような「図們江地区開発」進行の「格上げ」は、日本側に一定の影響を及 ぼしたのであろうと判断し、これを契機に、さらに日本の図們江地区開発 に対する興味と関心を増加させようという認識が、中国側には存在した。

iii 図們江地域経済の一定の発展

継続的な開発によって、2000年ごろになると、図們江地区の市場化の程 度、経済の規模、インフラ建設は既に大きく改善され、日本の資本投入の ための条件はある程度満たされてきた。そして、10年前に比べ、中国経済 そのものが大きな発展を遂げており、中国側は、日本とともに協力し合い、

図們江地域開発を進展させていく力も付いてきたと思ったのである。

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ところが、10年前に比べ、国際的な経済交流のための諸条件が成熟した にもかかわらず、内部資料から見る限り、中国側は「短期的には日本政府 の図們江開発に対する態度に大きな変化があることは期待できず、さらに、

民間資本の入ることに対しても大きな期待を託すことができない」(18)とい う態度で、日本資本の誘致を開始したのである。これは、日本は図們江開 発に関心を持つはずであるという、かつての丁士晟の考え方と異なるもの であろう。

この変化の理由は、内部資料の「日本の図們江国際開発参与を制約する 要素」という部分から推測できる。

中国側の見解によると、①政治、経済の複雑性が、日本の図們江開発に 参与する積極性と主動性に影響を与えていること(19)、②中央と地方政府と では、対外経済政策と戦略の方向の上に偏差が存在していること、③1970 年代から、日本は既に大規模な直接投資と貿易を通じて、東アジア地区に 日本を中心とする資本、技術集約型、労働密集型の産業協力体制を確立し たこと、④図們江地区は現実的に頼ることができる中心の都市が不足し、

地区のレベルの貿易と直接投資を制約していること(20)、などの原因が日本 の図們江国際開発参与を制約する要素であった。

これらの日本の態度・行動を総合的に分析した後、「日本は北東アジア 地区に対して、特に図們江地区開発に対して取った実際行動はまだ多くな いし、依然として民間レベルの研究・観察の段階に止まっている」と評価 したのである。不十分であるが、図們江国際開発における中国側の日本認 識が、20年前の図們江国際開発理論の提出時に比べ、より現実化されたと もいえよう。

ここで、中央政府主導の「大図們江地域開発」における日本関連プロジ ェクトを簡単に整理すると、中国側の動きは、中央政府が「日本要素」を 格別に重視していることを示すと同時に、日本が様々な面で図們江開発と

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緊密に繋がっていることをも表している。

① 琿春市における「日本工業園」の建設(21)

琿春市辺境経済合作区では、2008年10月25日から吉林省の重点プロジェ クトとして「日本工業園」の工事が始まった。2007年11月に吉林省政府の 批准を得た当計画は、1年間の準備段階を終えて、本格的に基礎施設建設 段階に入ったのである。既に、1.3億元の投資が行われ、自動車部品輸出 加工、ハイテク電子工業、生物製薬、紡績加工、農産物加工の生産ライン や物流センターなど稼働可能な環境を着々と整えている。日本との経済交 流の増進を目標とし、将来的には生産総額が年間300億元を超える工業団 地へと建設することを目指している。

② 旧日本軍遺棄化学兵器(ACW)処理ルートについて(22)

ACW処理プロジェクトとは、琿春から230キロメートル先の延辺敦化近 郊の山中にある、旧日本軍によって遺棄された推定約67万発の化学兵器の 処理事業を指す。この事業のために、日本政府は2006年から総額約5000億 円以上の費用を投入するものと推測されており、既に現地で調査作業が進 んでいる。数百人のスタッフが10年かけて処理作業に関わるが、そこで発 生する大量の機材や処理物の輸送を図們江ルートで賄う場合、大連ルート より距離短縮によりコストダウンが可能であろう。

③ 国際自由市場(EGB)を図們江国境地帯に設置する働き(23)

EGBとは、中朝ロ3か国の国境地帯である琿春に、日本を含む北東ア

ジア6か国の商品が自由に売買できる、自由市場を設ける構想である。

2002年から、最初は琿春を拠点としてスタートするが、段階的にロシアや 北朝鮮まで広げていくことが想定されている。これは図們江輸送ルートが 日本海を通って、韓国・日本などから容易にアクセスできるという条件を 一

八 一

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利用して、人・ものの動きを活発化するための構想であり、その一部が上 記の中ロ自由市場、中朝自由市場として稼働している。

④ 日本海航路(24)

2009年6月、琿春からの荷を韓国、日本へ運ぶ目的を掲げたロシアのザ

ルビノ港、韓国束草(ソクチョ)港と新潟港を結ぶ日本海横断定期航路が 実現した。これまで琿春からの荷は,陸路、空路を使っても大連経由で 4−6日を要していたが、日本海横断定期航路であれば、20−30時間で新 潟港に到着する。

⑤ 図們江地域開発に関する政府間交流(都市間交流)の促進(25)

例えば、2010年8月26日−27日、吉林省延吉市において、「第16回環日 本海(東海)據點都市国際会議」が開催された。4ヶ国11個都市(日本4、 韓国3、ロシア1、中国3)の市長が参加した当会議はおもに「日本海

(東海)区域、図們江地域協力」についての意見の交換が行われた。

こうした、すでに着手され、展開されている政策の以外に、延辺州政府 は独自の地理、環境的優位を十分に生かしながら、長期的な戦略をもって、

日本政府と企業の図們江開発に対する投資を増進させようとしている。そ こで、以下に、延辺州政府の三つの重要な日本誘致の方策を確認しよう。

第一の方策は、省エネルギー、環境保護などのプロジェクトを開始させ て、日本の技術援助を得るために努力することである(26)。日本と密接に関 連したエネルギー、環境保護プロジェクトにおいて、もし中央政府と延辺 州委員会、州政府が積極的に努力すれば、図們江地区に対する日本からの 政府レベルの援助を得る可能性が高いと、延辺州政府は認識していた。も し、日本の援助を受けるようになると、図們江地区の中心都市の建設と人 材育成、環境保護の問題を解決することができるだけでなく、民間の資本

一 八

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の流入が拡大するなど、一石二鳥の効果を挙げることができるという見解 であった。

第二に、長白山にグリーン食品の基地を創立し、自主的にブランドを作 ることによって、日本資本の誘致を試みている(27)。延辺州の農業は中国東 北において明らかに優位を持っていることから、農産品の対日輸出を拡大 することによって、安定した貿易関係を築くことを想定したのである。日 本の消費者が、製品の品質とサービス、食品の健康と安全などに特に留意 する心理を重視し、日本の需要に合わせて、有機農産物、特色ある農産物 の生産に力を入れ、生産の規模と政策の優位を確保させ、自主的にブラン ドを作り出すこと、そして、延辺州は積極的に有名ブランドを育成し、延 辺州の日本における良好なイメージを確立することの必要性を訴えた。

第三に、中国政府は、長白山観光資源を統合して、日本と協力したプラ ットフォームを形成することを目指している(28)。長白山の豊富な観光資源 は、図們江地区の国際観光業の発展のために有利な条件を提供しているの で、観光業は競争力を有する産業になれる十分な潜在力を持つと延辺州は 認識していた。このために、観光資源の統合に専念し、全体の力を高める と同時に、旅行サービス施設建設に特に力を入れ、観光業を延辺州のもう 一つのブランドとし、知名度を高め、日本の資本の投入と協力によるプラ ットフォームにしようと計画したのである。

このように延辺州は「確実かつ実行可能な対策と策略」をもち、日本側 の投資を誘致することを図っているだけでなく、経済モデルも「日本型循 環経済」にし、建設を進めようとしている。延辺朝鮮族自治州は、「日本 は世界で循環経済の建設が最も進んでいる国家であり、環境にやさしく、

資源も節約する新型社会の建設において、一番先進的な技術と最も経験を 持っている」(29)という認識を有し、経済モデルをまさに日本型の資源節約 の生態型都市に求めて、建設することを決定したのである。そして、循環 経済の建設において日本政府、企業と民間に協力を求め、真剣に日本の先 一

七 九

(19)

進的な技術と経験を習得するために努力している。

おわりに ―多様なアプローチの必要性

(30)

中国側が積極的に働きかけているものの、日本の出資と「図們江地域開 発」への参加が、依然としてロシア、北朝鮮などの北東アジア国際情勢の 影響を多く受けていることは事実である。「図們江地域開発」はあくまで 多国間の国際協力なしでは成功できないプロジェクトである。そのために、

「図們江地域開発」という限られた選択肢の中でのみ、その解決策を求め ることには自らの限界があるといえよう。より広い視線から北東アジアを 眺め、包括的な協力関係を構築することが必要となっているのである。問 題は、北東アジアにはそうした「場」、つまり制度と機会の多角的ネット ワークが不足していることである。例えば、日本でも、日中、日韓等のい わゆる二国間関係に関わる団体は数多くあるものの、北朝鮮、ロシアも含 む多国間関係に関わるものは少ない。

今後これらの各組織が独自に多国間関係を強めるとともに、おのおのが 友好的で有機的な連携を保持することが求められている、換言すれば、北 東アジア協力の前提は、各国の利害が調整されていく多国間ネットワーク を縦横に張り巡らすことなのである。中国政府(吉林政府、延辺政府)は 国際会議を通じて各国との交流を進める一方、多国間関係に関わる政府機 関、研究機関、NPO、NGOを多く創出する必要があると思われる。

1994年に、金森久雄は、「我々にとって必要なものは多様なアプローチ

である。友好関係を強化するための、または大きな構想を議論する場も重 要であるし、現実的諸問題を具体的に処理するための場も大事である。経 済・社会・文化等の多様な問題を様々なアングルから検討すること、これ が信頼の醸成にとって必要不可欠のことである」と指摘した(31)

現在のところあまり進展がないというものの、図們江問題を含む北東ア 一 七 八

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1) 実力が強く,大きい発展潜在能力も持つEUの出現などにより、世界経済にも 大きな変動が現れた。アメリカに続く世界第二位の経済大国になった日本の経済 が依然として発展を遂げていただけでなく、韓国の経済も迅速に発展し、新興の 工業国家となった。注目すべきは、この2国と中国の東北地区、ロシア極東地区、

北朝鮮、モンゴルの、6つの国家と地区間の協力によって成る「北東アジア」の 地域政治関係が存在して、経済的補完・連絡の関係を形作るとともに、対立と抗 争の関係も存在していることである。

2) 李鋼哲「UNDP図們江地域開発計画の経緯」『NIRA 政策研究』2004年12月、

49頁。

3)『国際商報』1995年11月18日付。

4) 当開発の名前も、従来の名前に「大」をつけ、「大図們江地域開発」と呼ばれ、

地方政府が主導で行われた開発と区別を付けるようになる。

5) 黒龍江省では装備製造、石油化学、医療、自然食品、森林工業に、遼寧省では ジア開発の成否は、金森がいう「多様なアプローチ」の推進状況のいかん にかかっているように思われる。各国が政治制度、経済制度、思想の差異 を乗り越え、共同の目標を達成させるためには、相互理解を深めることか ら始めなければならないし、その第一歩として北東アジア各国は多角的ネ ットワークを作る必要がある。

政治的・軍事的緊張が強かった図們江地域で、中国、ロシア、北朝鮮、

韓国、モンゴル、日本などが協力できるという「図們江開発構想」の成果 は、むしろ驚くべきことである。ところが、北東アジア地域の政治状況は 一進一退を余儀なくされているのが実情である。それでも、経済のグロー バル化は大きな趨勢であり、政治も国家対国家の枠を超えて平和と共生の 方向に向かわざるを得ない時代が21世紀である。そうした展望と確信をも ちながら、東アジア共同体の実現も近い将来、現実となることも視野に入 れ、「平和と共存」の時代に開く責務があるという認識のもとで政策を展 開することは、北東アジア地域諸国が中国と日本に対して期待するところ でもある。図們江開発構想は、その糸口となる可能性を持つ計画であるこ とを見逃してはならないと思う。

一 七 七

(21)

一 七 六 装備製造、原材料、ハイテク、農産品加工などに中心があった。

6)『香港商報』2005年93日付。

7)『中国経済導報』2009年11月19日付。『新華网長春』11月16日付( 記者)

8) 金森久雄「図們江の歴史・現状・将来」『世界経済評論』1998年4月、28頁。

9) 同、29頁。

(10) 鈴木佑司編『アジア太平洋地域における地方の国際化』法政大学現代法学研究 所、2000年、70頁。

(11) 李那「北東アジア 経済合作における図們江地域経済開発」『亜細亜太平洋経 済』中国誌、1993年3月、16頁。

(12) 鈴木、前掲書、194頁。

(13) 同、126頁。

(14)「図們江地域投資サービスネットワーク国際会議」『ERINA REPORT』Vol.63、

2005年4月。

(15) 愛知大学経済学部教授の大澤正治は論文「図們江流域開発の兆し(2010年)」

の中で「中国がどのような動きとなるか(筆者註:図們江地域開発の推進するか) 中国以外の国々がどのように連動して動くかはいまだに不確実性におおわれてい る。UNDPの役割も改めて議論されるようになり、日本あるいは米国などの存在 も議論されることになると思われる。UDNPなくして,この地域の安定的な発展 はまだリスクが多いと懸念される」との見解を表した。

(16) 本研究は、政府側のシンクタンクである吉林大学北東アジア研究センターの李 玉潭、 、尹小平などによって書かれた政府報告書「日本と図們江周辺の国 家の国際関係」「日本の図們江地区国際開発への政策と戦略分析」(以下、内部 資料と略す)などの内部資料に基づき、議論を展開する。筆者がこの資料を入手 した経路は、琿春市地方政府内部の「政策勉強会」からである。2008年5月に、

上述報告書の一部が「日本の政治経済情勢と図們江地区開発の関わり」(中国語:

)という共同研究論文に整理さ

れ、延辺州政府公式ホームページに公表された。参照、http://www.yanbian.gov.

cn/yanbian/board.php?board=fz_fzgh&act=view&no=13(2011年16日閲覧)

(17) 前掲、内部資料、2頁。

(18) 同、1頁。

(19) 同、2頁。図們江地区は、中朝ロの三国の中でも辺鄙で立ち後れた地区が接し ている所であり、社会・経済的発展は立ち後れている。また、地区内の各国の政 治制度、経済水準の相違は大きく、日本の同地区開発への参与と協力にとって障 害になっている。特にこの地区への日本の関与にとって、日本と北朝鮮がまだ外 交関係を樹立していないこと、日本とロシア間の懸案の北方領土問題が解決して いないこと、等の国際関係も重要な制約要素になっている。

(20) 同上。北東アジア経済圏の核心となるべき地帯である図們江地区においては、

社会的インフラは立ち後れ、工業水準の向上は低く、また、頼ることができる大

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都市が少ないため、短期間に地区発展を加速化しにくいのが現実である。このよ うな状況の下で、日本企業は自身の利益から出発して、直接投資ではない、自然 商品の貿易を主な手段とする形で、図們江地区開発に参与するようになった。こ のような形態は、日本の資本と技術の優位を発揮する場面を制限する結果を生ん だ。

(21)『琿春之窓』2008年12月1日付。

(22) 李鋼哲、前掲論文、70頁。

(23) 同、71頁。

(24) Journal of Modern Chinese Studies Vol.2 (1) 2010、P278。

(25)『香港商報』2010年91日付。

(26) 前掲、内部資料、5頁。

(27) 同、6頁。

(28) 同、8頁。

(29) 同。

(30) この部分は栗林純夫の研究成果(「図們江開発構想と北東アジアの地域協力」

『中央公論』109(8)、1994年7月)によることが多い。そして、「三国間関係に 関わる団体」という意味で考える場合、NEA経営委員会や、新潟県による環日 本海経済研究所などは注目すべき組織といえよう。また、韓国。中国、モンゴル、

ロシアにおいても同様の動きが活発化している。

(31) 同、440頁。

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(23)

The statement of TRADP and The china’s policy which attracting investment from Japan

YIN Hu

Research Center for International Japanese Studies, Hosei University Department of International politics, Yanbian University

Abstract

In 1991, United Nations Development Program (UNDP) incorporated the Tumen River Area Development Program (TRADP) into one of crucial plans of regional cooperation and development. Six countries, People’s Republic of China, Russian Federation, People’s Republic of Korea, Republic of Korea, Mongolia, and Japan reached consensus in the plan, activating the economic cooperation among Northeast Asian countries. How is the current state of TRADP going? What is the Japanese recognition for TRADP? And, what kind of policy has been progressed by china which for attract the investment of Japan? This thesis tried to clarify these problems.

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参照

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[r]

『台灣省行政長官公署公報』2:51946.01.30.出版,P.11 より編集、引用。

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