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狂言「弓矢太郎」は現在、和泉流だけで演じられる曲である。筋の変化に富んだなかなか面白い曲であるが、篭場人物が多いこともあって上演頻度は低く、稀曲の部類に属すと言ってよい。「弓矢太郎」の台本は江戸後期のものし
かなく、このⅡは近世に入ってから成立したものと思われる。三宅派での曲名は、かつては「弓矢」であったが、他
派に脇狂言の同名異曲があるため、明治末期頃に「弓矢太郎」に統一されたようである(『狂同辞典」事項編)。一方、
鷺流には「鬼争」(「鬼論」とも表記)という曲があった。「鬼争」の基本的な構想は「弓矢太郎」とほぼ同じであるが、
また相違点も多く、両者を異名何曲と定義することはできない。さらにこれとは別に大蔵流にもかつて類仙の「鬼争
ひ」があった。以上の諸仙は研究対象としてもはなはだ興味深いものと言えるが、意外にもこれらの作品について論
じた研究は今までにはないようである。本稿では、近世の文学作品や滅劇作品との関わりを手がかりとして、主に素
材と演出の面から、これらの曲の考察を試みることにしたい。
狂言「弓矢太郎」と「鬼争」の構想
はじめに岩崎雅彦
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「弓矢太郎」の梗概を、『狂言集成」(底本は江戸末期三宅派の『南大路家旧蔵本」〈法政大学能楽研究所蔵〉・曲名は一弓矢」。現行制寧にほぼ同じ)によって不すと以下の通りである。なお「弓矢太郎」の台本で鮫も古いのは山脇派の「波形本』(天川六年〈一七八レハ〉頃写)であるが、川本の腿附は『郷崗災成」と大きな述いはない《》このあたりの稀〈アド}が大神識の判に洲たる。識の将たち(立衆)が訪れ、太郎旭打(小アド}に奥へ案内される。.nはいつも弓矢を粥して「弓欠太郎」と名乗っている臆捕若の太郎(シテ)をおどすことにする。遅れてやって来た太郎に亭主が玉藻の前の話をし、さらに識の者が犬神の森に鬼が出た話をすると太郎は目を回してしまう。太郎は皆に起こされるが、なおも強がるので、亭主は太郎に天神の森へ行って来たなら褒美に鳥Ⅱ百貨をやるが、行けなかったならば一生譜代として御し使うと持ちかける。太郎は天神の森へ行き、祉拠として凧を老松の枝に掛けて来ることになる{シテⅢ人)。亭庄は太郎が行くのを兄Ⅲけるために、風流のWを杵て鬼に化け先Ⅲりをする。術の荷たちもこれ
一方、太郎も鬼の扮装をして天神の森に着き、そこにやって来た亭主と鉢合わせとなり、お互いを鬼と思い込んで二人とも回を回してしまう。先に目を覚ました太郎は、識の者たちがやって来たのに気づいて隠れる。識の者たちは倒れている亭主を見つけて起こす。そこへ太郎が鬼になって出ておどすと、一同は鬼が出たと言って逃げる。このⅡの構成を見てまず恐い浮かぶのは、観世小次郎信光作の能「羅生門」との類似である。源頼光ラキッレ)が存附の宵の徒然に、家来の山犬狂たちを染め酒宴を樅す。平井保門(ワキッレ)が雑北川に鬼が川ると→、ったのを、渡 なる{シテⅢ人)。亭庄はLに付いて行く三川小人)。
一利泉流「弓矢太郎」の構想
3狂高「I」矢太郎」と「鬼111.」のIMi他
前半が夜の参会の場である点、ある場所に鬼がⅢろという話になる点、一人が臆病と思われるのを嫌って口論とな
り、単身その場所へ行って証拠の品を残して来ることになる点など、両者は話の展開のほとんどの要素が重なる。舞
台而も前半が参会の場面で、小人で一同退場し{ただし「羅生門」では続いて早打アイが出る)、後半は鬼が出る場に変
わるという具合に向背一致する。あるいは「啓矢太郎」の聯合処理の方法は、この「羅生門」に学んだものかとも考
えられる。中人で舞台から役者が一人もいなくなってしまうのは狂言としては異例で、これは「羅生門」を踏まえた
結果生じたものかもしれない。しかし「弓矢太郎」という作品自体が「羅生門」をもとに作られたとするのは早計で
あろうc参会の場での怪談の後、一人が勇気を示すために化物が出る場所へ行くという設定の話は、少なからずある。
これは言わば説話の一つの類型と考えられる。怪談を語った後肝試しをするというのは、今日でも学生の間などでよく行われるが、この〈怪談↓肝試し》という組み合わせは、はるか昔から好んで繰り返されてきた行為であろうと想
像されるここの組み合わせをそのまま話形として取り入れて用いたのが、これらの説話ということになる。
この類の説話は古く平安時代にまで遡る。「今昔物語集」巻二十七の四十三話「頼光ノ郎等、平ノ季武、産セル女二値ヘル語」は次のような話である。ある夜侍所に集まっていた兵たちの間で、ある渡りに子を抱いた次の化物がⅢ を切り落とす。 辺綱ラキ)が聞き答めてu論となる(引用は「謡曲大観」による)。
保昌/今夜にてもあれかの門に御出であって。まことか偽りか御覧候ヘ
ワキ/さてはそれがし参るまじきものと忠し召され候か。その儀にて催はば・今夜かの門に行き。まことか偽り
かを見候くし。しるしを賜り候へ綱は頼光から印の札を受け取り、一人羅生門へ向かう(中入)。羅生門に着いた綱の前に鬼(シーェが現れ、綱は鬼の腕
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「羅生門」では水野に鬼が現れる。「U矢太郎」では水物の鬼は現れず、鬼だと思ったのは人であった。その現実的な結末に笑いが生まれる⑪狂許「咄矢太郎」は、作打にはその愈図はなかったかもしれないが、結来として榊図を同
じくする能「羅生門」のパロディーとも見ることのできる作品となった。
ところで「弓矢太郎」には、他の狂言から取り入れたと思われる設定が多く見られる。まず前半の展開は以下に示す「千切水」の前半によく似ている。
このあたりの者(アド)が連歌の初心識の当に当たるご識の者たち(立衆)が訪れ、太郎冠者(小アド)に奥へ案内される。一同が発句を案じているところへ太郎(シテ)がやって来て、掛物や花に難癖をつける。腹を立てた一同が太郎を
打櫛すると、太郎は目を回してしまう。
シテの太郎が参会の場に遅れてやって来る点、この太郎は皆からよく思われていない点、皆に路まれ(おどされ)て この話では、行致する。これらは係も想定しにくいるものであろう。 るという話題になり、頼光の四天王の一人である平季武が、勇気を示すために一人でそこへ行くと言い出す。行ける、いや行けぬの口論となり、一同はそれぞれ鎧・兜・馬・太刀などを賭けることになる。季武は証拠として矢を川の向こう岸に立てて来ると行って出かける。口論の相手三人ほどが、これを見届けるため、季武に気づかれぬよう跡を付けて行く。季武は化物が出ても悠然と行動し、物陰からこれを見ていた三人は気絶せんばかりに怯える。季武は皆の所に戻り、賭物は各自に返してやった。
この話では、行けるか行けぬかで金品を賭ける点、賭けの相手も気づかれぬよう現場へ行く点が「弓矢太郎」と一
致する。これらは「羅生Ⅲ」にはない設定である。「弓矢太郎」の設定が、「羅生Ⅲ」よりはるかに占く、また彩柳関係も想定しにくい「今併物語柴』と一致するのは、こうした話型n体が類珊としていくから存在していたことを物冊
狂言「i;矢太郎」と「鬼争」の柵想
 ̄
, ろう。 ものであろう。先に述べた台本の伝存状況とも合わせ、このⅡの成立が近世に下ることは間違いないと言ってよいだ
りて一曲を構成している点は、これらのⅡに対する「弓矢太郎」の後発性、すなわちこの曲の成立の新しさを物語る ぞれ蓬菜の島の鬼と名乗るのは「節分」から取り入れたものである。このように複数の既存の曲から設定や詞章を借 他にも亭主が太郎をおどすために語る玉藻の前の話は「釣狐」からの借用であるし、鬼に化けた太郎と亭主がそれ
名を持つ点も「弓矢太郎」と共通する。門派の「契水」では、シテの名は「路斎(羅斎)太郎」で(「羅斎」は托鉢、転じて物乞いの意)、「○○人即」というあだ こうした設定・展開・演技は「千切水」を参考にしたものであろう。なお「天正狂言本關一「乳切木棒」や鴬流仁右衛 てもよく、したがって舞台上の並びも似たような形になる。またシテが舞台の真中で仰向けに倒れるのも同じである。 目を回してしまう点や、臆病なくせに虚勢を張る太郎の人物造型などが共通する。幾場人物の設定はほぼ同じと言っ
「弓矢太郎」の類曲である鷺流の「鬼争」とほぼ構想を同じくする話が仮名草子「御伽物語』に見えることが、佐 竹鵬広氏によって桁鏑されている一「灘劇への遡l譽川の一をかし」l」繍瀧,。「下魍止の文学一脇馴に).俳譜Ⅷ荻 田安静の編になる『宿直草」は、江戸前期に多く制作された怪談集の代表的なものの一つである。この作品は一・宿直 草」の名で延宝五年(一六七七)に京都の西村九郎右衛門によって刊行され、翌六年に丁子屋半兵衛がこの本の巻一一と 四を入れ替え、『御伽物語」の名で出版している。『宿直草一巻二・第七「似たるは似てさらに是ならざる事」は以下 二説話の源流
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安静はこの話の猟耐が絲典にあることを記しているが、岡雅彦氏はこれは「面峨経」所救の話で、さらに類詔が一宝物災」「雑談集一にも見えることを指摘されているs仮名草子災」頭注)。「灯愉経」{「大正新術大蔵経」山所収)は、計九十八話の蝶職因縁識を集めた蝉嶮経の一つで、五世紀の成立。四九二年に漢訳され、日本では寛永一一.年(一レハ一一六)に出版されている。以下に引く巻三の六十四話「人訓故屋中有悪鬼職」が当該話である。昔有故屋。人謂此室常有悪鬼。皆悉怖畏不敢寝息。時有一人。自訓大講。而作是言我欲入此室中寄臥一宿。即入
宿止。後有一人。自謂識勇勝於前人。複間傍人言此室中値有悪鬼。即欲入中排Ⅲ将前。時先人者謂其足鬼。即復
推門遮不聴前。在後来背後訓有鬼。二人闘識遂至天川。既相制己方知非鬼。 若者の寄り合いで、ある宮に鬼が住むという話になり、一人の男がそこへ行くと言い出す。賭けになり男は札を宮の柱に押して来ることになるc残りの一人が先回りして男をおどすため、白い物を着、さばき髪になって宮に行くが、自分も恐ろしくなり鳥居の上に登って待っている。一方、初めの男は赤熊をかぶり、赤色の物を着、鬼の面を着けて宵へ行く。二人はお互いを見て鯖き、気絶してしまう。あまりの遅さに残りの者たちが見に行くと、二人が倒れているので、これを起こし一川は大笑いとなる。{補血草」では一人が白装束にさばき髪の幽躯の姿となって脇鵬の上で待ち伏せをする点や、|・人とも起こされて仲直りする結末が「弓矢太郎」とは典なるが、両者の構想・展開の類似は明らかである。この話の末足には次のように記される(引用は岡雅彦氏校注、日本古典文学全集「仮名草子集」〈平成、〉による)。
闇にふたりの僧有てたがひに鬼見をなす。夜明て見るにしたしき友どちにてありしと、仏経にたとへ総へり。こ のような話である。
れまたその類なり。
狂言「弓欠ノk郎」と「鬼争」 の櫛想 7
悪鬼が住むという隙のある古い家に、一人の胆力自慢の男が泊まる。後からもう一人これも剛胆な男がやって来てこの家の中に入ろうとする。二人はお互いを鬼と思い戦うが、夜が明けて鬼ではないことに気づく。この後に
然れば諸衆生、横しまに是非を計り、強ちに訴訟を生ず。彼の二人の如く、等しく差別なし。
と結び、諸衆生の差別のないことを説いている。
なお、「百嶮経・一のこの話の一つ前にある六十三話「伎児著戯羅刹服共相驚怖楡」は、天正狂言本「鬼松風」の類
話であり(佐竹昭広氏「転落の序章」。前掲「下剋上の文学」所収。岩崎「「直談因縁集」と狂言『鬼松風」」『鍍仙」平成⑫.
2.同「猿楽の説話と鬼」「能楽研究」那号。平成M・3)、奇しくも「百嶮経」の連続する二話が、後々いずれも狂言と
深い関わりを持つことになった。
「宝物集」巻六の類話は「百瞼経」とは設定が異なる。遠くに住む親が病気になったのを二人の子が訪ねる。一人
が途中野中の塚穴に入って夜を明かそうとすると、もう一人の子も偶然同じ塚に入って来て、お互いを鬼と思い戦う。 これを書き下すと次のようになる。
人、故屋の中に悪鬼有りと詔ふ楡
昔故屋有り。人、「此の案に常に悪鬼有り」と認ふ。皆悉く柿ぢ畏れ敢へて寝息せず。時に一人有り。自ら「大
譜」と詔ふ。而して是の言を作す。「我此の室中に入り、寄臥し一宿せんと欲す」。即ち入り宿止す。後に一人有り。自ら「講勇前の人に勝れり」と認ふ。復た傍らの人の言ふを聞く。「此の茎の中に値に悪鬼有り」。即ち中に
入らんと欲し、門を排き将に前まんとす。時に先に入る看、其れを「是れは鬼」と謂ひ、即ち復た門を推し、遮
りて前むを聴きず。後に在りて来たる者、復た「鬼有り」と譜ふ。二人闇識し遂に天明に至る。既に相観て巳にりて前むを聴きず。後膵
方に鬼に非ざるを知る。
夜が明けて二人は兄弟だと気づく。そしてこの話に続けて次のように説いている(引用は新日本古典文学大系による)。8 迷ひの衆生もかくのごとし。生死の長夜にまよひぬれば、無明の鬼なめりとおもへども、菩提の暁にいたりぬれ
ば、真如実相一なりとしるなり。
一.雑談集」四・七「無明法性同躰事」はこの『宝物集一とほぼ同内容である。
さらにこれらの類話が、天台僧栄心の箸で天文十五年(一五四六)以前成立の「法華経」の注釈書、『法華経直談紗」三木・一(方便山叩)「女児思戦事」に見えることが堤邦彦氏により指摘されている(「怪異との共棲」一江戸の朧異諏
11地下水脈の系譜」平成Ⅳ)。次に引くのがそれであるく引川は臨川辨店刊寛水1-.年版「法雌経肛談妙」により、適宜衣
、人ノ比侃有り。道ヲ行二Ⅱ粋テ、有肌二立寄術ヲ俗二、処人云様ハ、「此収ニハ人二術ヲイレ惜法山。Ⅲノ
ァナタニ古堆有り。彼二行テ冊給へ」卜教ケリ。「但其ノ蛍ニハ、夜二成ハ鬼神打テ人ヲ悩ス山。川心有し」ト
式ケリ》彼伯怖クハ忠へドモ、術熈間下し及レカ、行テ蛍内二人テー川Ⅲ腓クリ。亦別ノ伯.入来テ、卯しへ1術ヲ僻
二「彼党ヱ行テ制し」卜教。此僧モ怖ヂ々行テ戸ヲ開テ党内へ入ントスルニ、内ナル伯ガ忠様ハ「外ヨリ鬼来テ
戸ヲ開」ト心得テ、杖ヲ以ハタト打。又外ヨリ来僧ハ「内ヨリ鬼我ヲ打」ト恩、「何程ノ事可し有」心得テ、又
打《|如此明迄互二戦也。夜明テ見(、終夜戦ダル者ハ知人也。是即闇夜故二知人ヲ不し知シテ鬼卜心得テ戦也。
是ヲ法二合ル時、我等衆生ハ迷故二目他之隔情ヲ存シ、我ョ人ヨト思上、敵二非ヲ敵卜心得テ戟也。
一人の比丘が行き馨れてある里で宿を借りようとするが、里人は宿を貸さず古堂に泊まるよう教える(このあたりの
展開は|鵜飼」「鵺」の間狂言に近似する)。その後別の僧が同じように古堂にやって来て、二人はお互いを鬼と思い終
夜戦うが、夜が明けて知人であったことに気づく。 鼬を改めた)。
9狂言「弓矢太Iil;」と 「鬼甜」の樅想
「弓矢太郎」の話の淵源が、仏教の讐嶮因縁識にあることは疑いがない。「百愉経」「法華経直談紗」から狂言へという流れは「鬼松風」とも共通する。いずれも経典の説話が直談という行為を媒介として狂言作者の耳目に入り、それぞれの山の形成に影響を与えたと考えてよいだろう。「弓矢太郎」は古くからある肝試しの話の枠組に、お互いを鬼と勘違いする仏教の響朧因縁課の構想を取り合わせる形で形成されたと見ることができる。仏教説話では二人は終
夜戦うが、逆に二人とも気絶してしまうところが、いかにも狂言らしいところである。
「弓矢太郎」では鬼に扮した二人の男が、仏教説話と同じくお互いを鬼と思い込む。一万一宿直草』では二人の男は鬼と幽霊に扮するのであり、もとの説話との距離は速くなっている。「弓矢太郎」と一宿直草」の先後関係・影響
関係は不明だが、仏教説話に近いのは「弓矢太郎」の方であると言えるだろう。
なお一宿直草」の話は、後に西鶴が「西鶴俗つれづれ」(元禄八年〈一六九五〉刊)巻一の二話「上戸丸はだかみだれ髪」に翻案している。夜、目黒原に度胸試しに行った男が、先回りして追い剥ぎになりすました仲間たちに身ぐるみを剥がれ、その後本物の追い剥ぎが現れて仲間たちも被害に遭うという話である(花田富二夫氏「「西鶴俗つれづれ」小 談紗」ろう。 栄心は狂言「鬼松風」の類話である八末・四十二(法師功徳品)「友見鬼思事」に、その原話として『百楡経」(六十三話)を明示しており、「友鬼思戦事」も「百愉経」(六十四話)を踏まえていると思われる。この話は「法華経直談紗」では、衆生が迷いのために自他を差別する心が生まれ、敵でない者を敵と思って戦うことの騨嶮として説かれる。「宿直草」には、闇で二人の僧がお互いを鬼と思い、夜が明けてみると親しい友達であったと「仏経・一にあるとしている。これは知り合いではない二人の男という設定の『百瞼経一よりも、二人の知人の僧という設定の「法華経直談紗」に近い。安静の念頭にあったのは『百楡経」の形ではなく、『法華経直談妙」に見られるような話だったのだ
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「百愉経」「法華経直談紗」などの仏教説話では、闇の中でお互いの姿が見えないために相手を鬼と誤認する。お互いに相手をおどそうという意図があるわけではない。これに対し「弓矢太郎」では亭主が鬼になって太郎をおどそう
とする。鬼になって相手をおどす趣向は「猜水」「伯母が酒」、天正狂言本「法華念仏」など、狂→両に多く兄られるもので、「弓矢太郎‐|もこれらを参考にしたものであろう。さらに説話とは迎い、「弓矢太郎」では亭主と太郎がそれぞれ炎際に鬼の扮装をする。これが扮装・演技による祝党的効果を狐った波劇的趣向であることは一べ、うまでもない。太郎が天神の森へ行くことになり、亭主は先回りして鬼になる。識の背も付いて行き、一川小人となる。先に述べ
たように、ここで灘汽から役村が一人もいなくなるが、これは場而が誠もいない深夜の天神の森に変わったことを印象づけるうまい灘台処理である。ここに鬼の姿をした瀞が現れ、次のように名乗る(引川は「狂言集成一による)。
これは蓬菜の島の鬼で御座る。毎夜天神の森へ出て紐の刻詣りする者を取って服する。今宵も参らうと存ずる。
シヵーーこの丑の刻詣でといふは。女の嫉妬、人を証ふ願。皆いたづら者のなす楽で御座る。其の様な者は悉く
取って服する事で御座る。観客はこの名乗りを聞いただけでは、本物の鬼が現れたように思うであろう。鬼が「蓬菜の島の鬼」と名乗る「節分」との類推がはたらけば、いっそうそうした方向に考えが行く。「蓬莱の島の鬼」と名乗らせるのは、作者が観客
に混乱を起こさせることを意図したものと考えられる。この後 老」「西鶴文学の魅力」平成6参照)。
三双面の趣向
狂言「j引欠太郎」と「鬼争」の櫛想 11
と述べることから、これが太郎らしいことがわかる。しかしこの時点では、なぜ太郎が鬼の恰好をしているのかはわからない。すると次にもう一人鬼の姿をした者が現れて、これも
足は蓬菜の島の鬼で御座る。~其の様な者は悉く取って服する事で御座る。と、まったく同じように名乗る。これも名乗りを聞いただけでは、今度こそ本物の鬼が現れたように思え、観客は再
び混乱させられる。そしてこの後何かといふうちに森ぢや。ざてもノ~暗い夜かな。丑の刻には早さうな。老松の蔭に休らうてゐよう。と述べるので、どうやらこれが鬼に扮した亭主らしいとわかる。この後二人はお互いの存在に気づく。シテ「はて異な事のc俄に人音がする。アド「人音がする。シテ「合点の行かぬ事ぢや。アド「合点の行かぬ事
ぢや。シテ「こだまか。アド「但し参詣の者か。シテ「頻りに近う間こゆる。(ト行当り。目をまはす。)現行の漉出では、次第に近づいた二人が背中合わせになり、くるくると回るなどして倒れる。面を着けて同じ鬼の扮装をした二人の役者は、それだけでも区別がつきにくいが、激しく場所を入れ替わることによって、観客にさらなる視覚的混乱を起こさせることを意図した演出である。このように天神の森の場では、二重三重に見る者を困惑させる仕掛けが施されている。話の上では太郎と亭主が勘違いをして混乱するだけだが、さらに観客をも巻き込んでその
混乱を増幅させようという仕組みである。
亭主は太郎をおどすために鬼になるが、一方太郎は鬼になった理由を余り恐ろしかったに依って〔》鬼の面を被て行た 何かと云ふうちに天神の森ぢや。ざてもノ~暗い夜かな。(中略)其の上まだ丑の刻には早さうな。暫く此の木蔭に体らうて居よう。
の「あふひのうえ」(刊年不明)の第一一一段「みやす所きぶね指」には、葵止呪抓のため出船社に趾の時詣でに来た六条 一万が霊であるこうした形式とは別に、同じ恰好をした二人の人物が偶然出会うという形もある。宇治加賀橡正本
改作したのが所作事一両顔月姿絵」)。田川続悌」の大切所作事「双面水照月」の法界坊と野分姫の合体霊が代表的な例である(寛政十年〈一七九・八〉にこれを ために吉田の少将藤原行房の御台所が二人現れる怪異が起こる〔》歌舞伎では犬明四年(一七八四)奈河七万三助作「隅 本物かをめぐって周剛の者が肘窓する。近松川左術Ⅲの「双生隅川川」(享保派年〈一七一一○〉初減)初段にも、天狗の に恋慕して死んだ僻大偏の躯が、亦染術川と川じ姿で現れる。これはいわゆる影の病い(雛魂捕)の趣向でどちらが 愼八年(一六八○)刊の宇治加賀橡正本「亦染術門栄花物諦」Ⅲ段Ⅱが古い例として知られる。この作肺では赤染術門 好んで用いられたが、その源流は能の一一一人静」にあるとされる(|増補改訂日本文学大辞典』昭和恥)。浄瑠璃では延 人形浄瑠璃や歌舞伎など近枇の減劇では、同じ姿の人物が二人現れて相手役や観客を混乱させる〈双面〉の趣向が
一.一mにも同装の二人の大名が無恥やり芸をさせられる「二人大名一がある。櫛」では脳依する昔とされる稀を川装①一人の、拍子の姿で表し、何時に雛を郷わせるという榔想になっている。狂 白拍子の二人灘などがある。白拍子の一一人鎌を演劇の枠組に取り入れて櫛成したのが能の「》人脈」である。「一人 ところで古くから芸能では、同じ姿をした者が二人で同時に芸をする形態がある。灘踊としては舞楽の一一人灘や、 単」でも同じように、男は「此ざまにてただにいでんもおそろしければ」鬼の姿になったとしている。 らなければならない必然性はなく、その結果無理な理山づけにならざるをえなかったと言えるだろうCなお「宿直 鬼と勘違いし、観客も混乱させるという構想上、太郎も鬼の姿である必要があるわけだが、筋井き化は太郎が鬼にな
12と説明している。恐ろしいので自ら児の姿になったというのは、皿山としてはかなり不n然である。2人がお皿いを
「弓矢太郎」と 鬼争」の柵fL j[
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集』上による)。 御息所が、偶然同じように丑の時詣でにやって来た巾原野の女に出会い、お互いに驚くという場面がある。元禄十四年(一七○二刊の近松の「蝉丸」初段にも、これを利用した趣向が用いられている。蝉丸の徳、左衛門督清貫は、蝉丸の思い人直姫を捜すため宇治に行き、橋姫社で一夜を明かす。するとそこに丑の時詣での女がやって来る。清貫が気味悪く思っていると、また向こうから同じ姿をした女がもう一人現れる(以下引用は新日本占典文学大系「近松浄瑠璃
二人の女も兄交して互ひにぞっとしたりしが。始の女小声に成。「なふ和上鵬は何人ぞ」とあれば「さ言ふ御身は何者ぞ」。「ヲ、御身に変らぬ姿なれば祈りも同じ嫉妬よの」。「されば我も惰気事扱も世の中に性のよき男はなし」。「担々合ふたり叶ふたりいざ立ながら惰気識を始め。語りて憂さを晴らさん」と先傍に立寄れば。清貨怖さも打忘れ急な所の惰気識と。おかしさどうもたまられずふっと吹き出す計也。三人の女はそれぞれ蝉丸に思いを寄せる芭蕉の前と、蝉丸の北の方で、意気投合した二人は一緒に直姫を呪訓する。深夜の神社に不気味な出立の恐の時詣での女が、一人ならず続いて二人も現れる意外な展開に観客は混乱し、登場人物同士も驚く。「あふひのうえ」では御息所の行動はあらかじめ観客に説明されているので、意外性は二人月の女が現れた時に生じるだけだが、「蝉丸」では一人目の正体もわからず、そこへさらに同じ姿の者が現れて観客の困惑を倍増させる。また「蝉丸」ではこの場に清貨を登場させることにより、観客は清貧の立場でこの不思議な場面を目撃
するという構造になっている。これらの作品の展開は「弓矢太郎」の後半の展開と非常によく似ている。いずれも鬼や趾の時詣での女など、特徴
のある出立の役が二人出るという視覚的な面白さを狙った構想である。ともに場所が深夜の神社で、闇の中でのできごとである点も、この場面の不気味さや不思議さを増幅させる。両者の直接の関係はともかくとして、「弓矢太郎」
14
の構想には、こうした近世演劇の手法が取り入れられていると考えてよいだろう。この双面の趣向は役者が実際に演 じるのを目で見てこそ、その面白さが伝わる。一方「宿直草・一では二人が鬼と幽霊になるが、読み物としては両者が
同じ姿になるよりも、別の物になった方が変化があって面白いと言えるだろう。江島其磧の浮世草子「世間手代気質」(享保十五年〈一七三○〉刊)巻この二「色里の投節死なざ止むまい子息が悪 性」には、呉服屋美濃屋の若日一那三七と番頭の十兵衛親子がともに零落し、それぞれ同じように鬼の面を着て風の神 払いの物貰いとなる場面がある(引用は元文字屋本全集」uにより、会話文を「」で括った}。 商売かへて。さまルーと脂を出し。骨をおしまず。身を粉に難き。此阯からの地獄。鬼の耐着て破れし木綿一枚 で。寒空に「風の神おくるはノー」と。太鼓た、き肱て。門々をやかましういふて廻り。聯ひ柵の米袋をさげて。 我住小膝へ州れば。きのふから隣の小屋をかりて来た男も。風の神の忠ひつきにて。足も心は鬼の耐。角をふり たて。風はげしいに。こりや何の制ぞと。太鼓提て灰り。厄に耐を芯ながら。「今から隣同志。諦躯心やすくか たりませふ」と、時宜しあふ身ぶり。余所から見てのおかしさ。(中略)鬼の耐の↑兵術親子をよび人。「いざ先
シ町をおとりなされて。ゆるりとこざれ」といへば。「御亭主にも。面をおとりなされ」。「いや私は祝儀でござれば。此まとといふを。「それはお堅い。ひらにとらしゃれ」と。正に面をぬぎて顔見合せ。「お前は古主の若
日一那三七様か」。「こりや十兵衛おや子か」と。主従あきれて空を見る。偶然にも同じ京都島原近くの太鼓持ちの裏座敷を借りた二人が、初めは初対面だと思って挨拶を交わすが、鬼の面 を取ってみると旧知の仲であった。この展開は、鬼と思ったのが知人であったという経典の説話(前章参照)と話型を 同じくする。「世間手代気質」のこの場面は、この話型に当世の風俗を加味して脚色したものと言えるだろう。そし て鬼面を着けた二人の風の神払いが出会うという構想は、おそらく近世演劇の手法から精想を得たものであろう。
証 「リナ矢太郎」と「鬼争」の柵想 15
現行の形では鬼が二人現れ、それぞれ同じように蓬莱の島の鬼と名乗る。これは意図的に観客を混乱させ、後で穂明かしがされる仕掛けである。この点が「弓矢太郎」の大きな特色であり、作者がこの曲の中心的な趣向として意を注いだところであった。逆に言えばこれは趣向の勝ち過ぎたわかりにくい展開とも言える。これに対し「横本和泉流狂言本」では、わかりやすさを第一に、登場人物が自分の行動をすべて説明する形にしている。こちらの万が狂言としてはごく一般的な普通の形式である。この場合事情を知らないのは登場人物たちだけであり、観客は初めからすべて事情を知った上で、登場人物たちの行動を見て笑うc初めは観客に事情が知らされずに意外な展開に驚かされると しFしたものであろう。 この台本では、シテが観客に自分の行動を説明する。いきなり鬼が出て来て蓬菜の島の鬼と名乗る現行の形に比べ、わかりやすい展開である。ただしどちらの形が本来のものであるかを論証するのはむずかしいcなお、この台本では、シテは誰かが見に来るであろうから、その時おどしてやろうと言うが、あらかじめ誰かが来ることを予測し、おどす用意をするというのは、やや不自然な設定である。この説明はむしろ亭主がシテをおどしに来るこの後の展開を前提 なお能楽研究所蔵「横本和泉流狂言本」(「山脇流狂言記」と題記。辛酉〔享和元年〈一八○一〉か〕写)では、二人が蓬莱の烏の鬼と名乗る設定はなく、以下のようになっている(句点を付し、欠字を()内に補った)。シテ「扱もノー物すごやノー。是ハしんノーとする。誠にがの強ひハいらぬ事でござる。此様な物すごひ夜にもい鼠か翌つた事なれハ参られ(ならぬ事じゃ。イヤ大方此あたりに扇をかけたら(よかろふ。去なから茶のまいるを心え(ぬ)そうに云ていた。何れたそ兄に来るであるふ。其時おどしてやろふと存る。先是に寄ていよふ。後亭主「物すごやノー。殊の外しつまった夜じゃ此太郎ハミを詰た事かしらぬ。心えない事じゃか。此形をミたらバ嚥肝を横であらう。
16
天神信仰による集まりと言えば、当然連歌の会が思い浮かぶ。一条兼良の『尺素往来」には「天神講七腰井詩謡統計一千首。和漢聯句十百駒」と見えるS狂言辞典一語典編)。狂言には「連歌盗人」や「千切水」など連歌の集まりを描く曲が多くあることからも、「弓矢太郎」の天神識は連歌と関係がありそうである。能楽研究所蔵「横本和泉流狂一一耐水」では、今宵の天神識は連歌をやめて恐ろしい耐をするという設定になっており、この本では天神緋を迎歌をす 一団矢太郎一で人々が集う場が犬神識であるが、この波定は他の征→、には兄刈たらない。「ひ矢太郎」では、犬杣繊がどのような性烙の会で、どのようなことを行うのかは全く描かれない。天神職は天神を信仰する者の集まりで、信仰と娯楽を兼ねた会合というのが基本的な性格であろうことは、ほぼ推測が付く。この天神誠については『日本民俗宗教辞典」(平成Uに以下のように説明される。
(Ⅲ略)鎌倉時代には道典を救世観音糠薩の垂迩とする信仰が生じていたことがわかる。この信仰は後に天神識となり、毎月肥Ⅱに現肚利統を仰ぎ、後肚引摂(仏の〃が衆生を包容して浄化に征化させること}を頼む会が織成されていった。室町時代には地力の天神社でも神徳をたたえて連歌会が樅され、近仙に至っては寺子雁で天神識が実 いうのは、浄瑠璃や歌舞伎などの近肚菰劇が得愈とするところであり、現行の形がそうした刀法を取り入れていることは先にも述べた。現行の形と「横本和泉流狂言本」の違いは、他の狂言にはない斬新な展開で観客を驚かせるか、それとも他の曲と何じょうに、狂言本来の作劇法を用いてわかりやすく展開させるかという違いであると言える。
施された。(以下略)
四天神識・天神の森
ガ 「j)矢太郎」と「鬼争」 の術想 17
という有様だと述べる(新城常三氏一・新稿・社寺参詣の社会経済史的研究」昭和廓「識の発展」七八五頁)。世間話から始まって、それが挙げ句の果てに口論となり、いさかいが起きるというのは、「弓矢太郎」の展開にもそのまま当ては それに対し、 もともと識という組織は信仰だけでなく、共同体の親睦という機能も兼ねていた。近世になると、その娯楽的要素の方が拡大していく。西川如見の「町人嚢」(享保凶年〈一七一九〉刊。日本思想大系「近世町人思想一所収)巻四には「世上に識といふものざまトーあり」とし、本来の識のあり方を次のように記しているc
古の識といふは、一郷》村毎月に日を定て寄合て相親み、(中略)或は出家を論じて経文の一句をも講談せしめ、或は其宗門の教の黍き事を識ぜしめて、是を聴聞し、又は面々相たがひに信心の志をかたりて、本心の誠をうし
なふ事なからん事をねがふ。是を識とはいへり。 る会としている。これに対し現行の形は連歌のことを言わず、会の性格があいまいになっている。
なお近世には寺子屋で寺子たちが天神の画像を拝して書道上達を祈る天神識が行われたが、近代には子供たちが勉学の向上を祈り、天神社や宿に一晩泊まって遊ぶ民俗行事として関東、長野・山梨県などで天神識が行われている
(F本民俗大辞典」平成⑫)。以上を参考にすると現行「弓矢太郎」の天神識は、天神を信仰する大人たちが娯楽を兼
ねて集まり、一晩話をする会合というように考えられる。なお『宿直草」では「さる所に器量ことがら水たるやうの
わかきものよりあへり。なら茶などきしりて腹おほきなる夜」とあるのみで、何を目的とした集まりかは特に記され
ていない。
近代の識は瓶を呑、世のとり沙汰さまトーにて、誠をたつるのたすけある事はなくて、結句口論放逸の媒となる
べき事多し
18 と一司ってよいだろう。 まる。「弓矢太郎」は、こうした近世のどこの場所でも起こり得たような、人々の擁らしの中の一場耐を描いていると言えるだろう。現実には口論がきっかけとなり、笑えないような事件に発展することも少なくなかっただろうと想像される。しかし、さすがにそこは狂言で、「弓矢太郎」の場合は滑稽な展開となる。益場人物たちは、むしろ戯れ楽しんでいる感じであり、見る側にもそれが伝わって楽しい気分にさせられる。こうした地域共同体の親しい人間関係や悪らしを楽しむ人々の姿は、雌近までH本巾どこでもⅢにすることのできたごくありふれた光餓であった。「弓欠太郎」はそうした一種のなつかしさを思い出させてくれる川でもある。地域の継に集う人々の人間模様を柵いた「⑥矢太郎」は、社会史的な愈味でも存在価値のある曲だと言えるだろう。そして前半の天神識という設定は、後半の天神の森という場面設定と呼応している。後半の場は一狂言集成」には単に「天神の森」と言うだけで、どこか特定の天神社に設定しているわけではない。なお立衆の一人が
栞はこのうち宿願の仔細あって。天神の森へ丑の刻詣を致いて御座るが。と高うのは、言うまでもなく能「橋弁慶」のシテ弁慶が「われ術願の仔細あって、九条の犬神へ、趾の時詣でを仕り峡」と.一Mうのを踏まえたものである。一橋弁慶」の場合は肌都の近条大神社であるが、「d矢太郎」では各地にある村や町のそれぞれの天神社を観客が思い浮かべればよい。むしろどこか特定の神社に限定しない方が話が身近に感じられ、議場人物に自分たちを投影させやすいと言えるだろう。なお―横本和泉流狂言本」では、亭主の玉藻の前の話の後、立頭が北野の影向の松に釣瓶おろしという女の首の化物が出た話をし、次に別の立衆が右近の馬場に鬼が出た話をする。また大正七年刊「和泉流狂言大成一(三宅派の本文に小早川鞘太郎が加兼)も場所を「北野の天神」とする。しかし、曲の内容からは特に場所が北野である必然性はない
19狂言「'}矢太郎」と「鬼争」のlMi魁
次に、天神の森に鬼が畑ろという発想について考えてみたい。「北野天神縁起絵巻」によれば、菅原道真は死後火
箭天神となり、春属の火雷火気赤王を使って清涼殿に落雷を落とした。また日蔵上人は鬼に連れられて六道を遍歴し、
地獄の場面にも多くの鬼が描かれるc能「雷電」では天神自ら鬼の姿となって暴れる。天神と言えば当然このような
イメージがあるが、「弓矢太郎」の天神は必ずしも北野天神ではないわけだから、ここに出る鬼を縁起の天神や春属
と特に関連づけて考える必要はないだろう。他の狂言の鬼と同様、山(「伯母が酒」)や野中の清水(「清水」)に出るよう
な、また自ら蓬菜の島の鬼と名乗るように、「節分」に川るような民俗的な鬼と考えれば十分だろう。ただし舞台が
八幡社や熊野社ではなく、ほかならぬ犬神社に設定されているということからは、特に天神社には鬼が出やすいとい
う認識があったことが窺える。その心愈の底流にはやはり北野天神と鬼との結びつきを考えるべきなのかもしれない。
神社の鯵粁とした森は、特に夜になるとことさら不気味に感じられる。それは浦わば共Ⅲ体の中の異界とも.-1mうべ
き場所である。ここで人がこの川の物ではない存在に川行うというのは、然な発想である。ところでやや施跳した連
想かもしれないが、「天神の森」の一一m災から思い起こされるものとして、近松の櫛珊璃「MⅡ根崎心中‐|で、お初徳兵
衛が死ぬ的根崎大神の森がある。「此の仙のなごり。夜もなごり」(引川はⅡ本古典文学大系「近松浄瑠璃集一kによる)
で始まり、名文として名高い道行は、「天神の森の段」とも通称される。二人は「天神の。森で死なんと手を引いで始まり、名文として
て」曽根崎の森に着く。
かしこにかこ、にかと払へど草に散る露の我より先にまづ消えて。定めなき世は稲妻か。それかあらぬか。ア、
柿。今のは何といふ物やらん。オ、あれこそは人魂よ。今宵死するは我のみとこそ恩ひしに。先立つ人も有りし
よな・誰にもせよ死出の山の伴ひぞや。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏の声の中。あはれ悲しや又こそ魂の世を去りしは。南無阿弥陀仏といひければ。女は愚に涙ぐみ。今宵は人の死ぬる夜かやあさましさよと涙ぐむ。男涙を。
20
鷺流「鬼争」は、和泉流「弓矢太郎」と異なる部分が多いが、全体の榊想に関わる飛妥な相述点は次の三点である。 一⑭「弓矢太郎」のシテは臆病なことを隠すために弓矢を柵し、矧矢太郎と名乗っているが、参会打の一人である「鬼 争」のシテにはそうした性格づけはなく、名もない。曲名の違いにもそれが反映している。②亭主は幽霊の姿になる (仁右衛門派)。③亭主とシテは鬼の姿になる(伝右衛門派)が、そのことはあらかじめ説明されるので、現行「弓矢太
郎」のように観客を混乱させることはない。初めに日本古典全替一.狂言災」下(古川久氏校註)所収の仁右衛門派の詞章を見てゆくことにする。同諜の「鬼争」
の底本は鷺畔翁(天保十一一一~大正十一)および矢川葱斎{?~明治三十五)自縦本を野々村戒・》・氏が転写した本だが(古川久曽根崎天神の森でお初は人魂を見、他の人の人魂かと思うが、徳兵衛は一一つ連れ飛ぶ人魂はほかならぬ自分たちの ものだと教える。お初はそれでは我々はもう死んでいる身なのかと驚く。まだ生きているはずの二人が自分たちの人 魂を見る。魂はすでに体から抜け、死に行く運命を示す。ここには生と死が時間的に交錯する様子が猫かれる。これ は吻所がⅡ常的な空間ではなく、夜の天神の森という塒であって始めて成り立つことであろう。天神の森という場所 や甘難には、あの世とこのⅢが交鋤する場所というイメージがあったことが窺われる。「弓矢太郎」で天神の森に異
界の存在である鬼が出るのも、こうした「天神の森」に対する認識を背景とするものであろう》 はらはらと流し。二つ群や我々は死したる身か・五鷺流「鬼争」の構想 一一つ連飛ぶ人魂をよその上と忠ふかや。まきしう御身と我が魂よ。なになう二人の魂とや。は
狂言F1j欠人郎一と「鬼狗の柵他 21
亭主が「今晩いづれもの夜話にござらうとあって一と述べ、シテは「今晩誰殿へ夜話に参る約束を致いてござる」
と説明する。一同揃ったところで亭主はさて何と恩召すぞ。いつも連歌の話ばかりで面白うもござらぬによって、今晩はさらりと模様を変へて、妖怪話を致いて遊ばうと存ずるが、何とござらうぞ。
と提案し、一同はこれに賛成する。夜話は「夜なされる打ちとけた柵」(「Ⅱ伽辞諜上、すなわち気心の知れた物何tが「夜のつれづれに、気ままに雑談すること」(「時代別脚船人辞山一寵町時代細)で、Ⅲ辞典に紋る「吉川氏法庇」が辞典類掲收の川例としては雌も古いようである。狂司では一湛音Ⅱ」で太郎冠祈が「夜前は友達どもが〃へ夜咄に参りまして」と主人に説明している。一口に夜話と言っても、一対二で雑談をする形から、ある程度の人数が染まり、一定の形式でまとまった話をする会合まで、いろいろな形が考えられる。「寝音曲」は前者、「鬼争一は後者の形と言えるだろう。一醗酔笑」巻七「似合うたのぞみ」十一に、夜話をする衆の中間どもが、主人たちが夜話をしている間、寒空の下で長時間待たされて不平を言う様子が描かれている(「狂高辞典」)。中間の一人が「われが望みは別にない。天下を十日もちたや。十日のうちに夜咄する者どもを皆とらへ、成敗して見たい」と言うが、この言葉に江戸初期の夜話の会の盛行が窺える《』「鬼争」で「いつも連歌の話ばかりで」というのは、「千切水」の連歌の初心識の設定を踏まえたものであろう。今晩の夜話は妖怪話ということになり、まずシテが一平家物語」「祇園女御」の平忠盛の話をする。続いて立衆の参会 あると考えられる。 氏「能楽研究所蔵「鷺流狂一一一m水野文庫」目録」一能楽研究」1号。昭和⑬。、)、その原本は昭和灯年に水野家から能楽研究所に寄贈された水野文庫の「鷺流狂言五番綴本・’か「鷺流狂言一番綴本」のどちらか(両苫の「鬼争」は同内容)で
22
者がそれぞれ土蜘蛛、大江山、簸の川上の大蛇、「源氏物語」の六条御息所の話をし、亭主が再蛾した夫と後妻の前に前斐の幽魂が現れた話をすると、シテは気絶してしまう。「弓矢太郎」では太郎をおどすために亭主が玉藻の前の
話をするだけであるのに対し、「鬼争」では参会者が次々に話をする巡り物語の形式になっている。もっともこの巡
り物語は、舞台進行の都合上かなり簡略化された形にはなっている。
江戸前期にはこうした怪談の夜話の会が娯楽として盛んに行われた。このような世州を背餓として一奇異雑談集・一
(貞享四年〈.六八七〉刊}、一因采物語」(寛文元年〈一六六一〉刊)、一軒間利物語」(同三年刊)など、多くの怪談集が川版されるようになる。怪談の会が一つの形式を持つと、いわゆる百物語の会ということになる。百物語の行為は「宿直草」巻この三話「百物語して、蜘の足を切る事」に見え、「伽岬子」(寛文六年刊)最終話「怪を語れば怪至る」には
その法式が詳しく記されている。そして面識目を語り終わると、本当に怪異が現れると幅じられていた。この百物語
の行為をそのまま替物の形式に利用して『洲倒面物語」(延宝五年〈、六七七〉刊)、一面物語評判」(貞享三年〈一六八八〉
刊)などの出版物が制作された(高川術氏、岩波文庫「江戸怪談集」上中下・解説。平成元一画「弓矢太郎」や「鬼争」成立
の背景には、こうした怪談を楽しむ人々の存在があった。当時の様子を生き生きと伝えるこれらの曲は、文化史的な
懲味からも批爪な作品と言えるだろう。「鬼争」で語られる平忠搬から六条御息所までの話は、いずれも中世以前の
物語や能などで著名な話で、近仙の仮名草子に見られるような怪談とはいくぶん性格が異なる。それに対して亭主が
語る先妻の幽霊の話には身近な怖さがあり、江戸期の怪談集に載っていてもおかしくないような内容である。「弓矢
太郎」に比べ「鬼争」は、「怪談の内容を初め全般に近世的色彩が濃い」二狂言辞典」)と指摘されるとおりである。
臆病者と一百われたシテは一鵬を賭け、化物が出ると噸のある町はずれの榎の大木へ行って、枝に巻蕊を射た弓を掛
けて来ることになる。亭主はシテをおどすため「怪しい姿に繕うて下きれい」と幽霊の恰好になり、先回りして木の
j「7]矢太郎」と戸鬼争」の櫛想
』
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あらノーをかしやノ~な。昔が今に至るまで、争ひ・木登り・川渡り、する事なかれと言ふ事は、かかる事をや 夜明け近く参会者たちは現場へ出向き、気を失って倒れている二人を見つけて起こす。一同は仲直りをし、
驚くという構想が前提としてあるためである。同様、不自然な理由づけである。無理のある理由づけにならざるを得ない原因は、前述のように二人がお互いを見て が怖がるように鬼の姿になったというのは、「弓矢太郎」で太郎が恐ろしいので自ら鬼の姿になったと説明するのと と事情を説明するので、「弓矢太郎」のように観客が混乱することはない。ただし狐狸の類に化かされぬため、狐狸
と存じて、随分取り繕うて出たきてもノー山無い事が言ひがかりになつって、熱益な憂き目を致す事ぢや。狐狸の類はあちらから怖がるやうに
次にシテが鬼の姿で現れるが、方ではなく、「鬼争」と「御伽物語(宿直草)・一の類似を指摘されたのも、これらの理由からであろう。 たおどしに行った方も待っている間に恐ろしくなってしまうという展開も同書と共通する。佐竹氏が「弓矢太郎」の いうことらしい。先回りする方が幽霊になり木(鳥居)に登って待っているのは「宿直草一と同様で(第二章参照)、ま 霊と同様である。また同書には替えの形として武悪の面をするとも記している。これは白線壷折・黒頭に武悪の面と 股に登って待っている。亭主の出立は水野文庫「鷺流狂言型附本」によると、白線壷折に黒頭で、「武悪」のにせ幽
と謡い、笑って戻る。一同仲直りをして笑って終わる点も『宿直草」と同様である。最後に全員で諺を詠み込んだ謡
を謡って終わるのは「千切木」を参考にしたものであろう。次に伝右衛門派の「宝暦名女川本」(宝厭十一年〈一七六一〉頃写。引用は北川忠彦・関屋俊彦氏「翻刻鷺流狂言「宝暦名
申すらん。24
|宝暦名女川本」では、まず亭主が天延(九七一一T七六)の頃、人が多く行方知れずになった話をする。次に「次の立 衆何成共、みしかきはなし云」とあり、再び亭主がある寺に四五尺ある女の首の化物が出た話をする。次にシテが 平忠盛の話をし、次にまた亭主が、村はずれの辻堂で腰の周り一丈ばかりのむくろが走り回るという噂をする。臆病 と言われたシテは一腰を賭け、辻堂へ行って印を立てて来ることになる。亭主は「某が鬼の躰になって参道よりおひ かえしませう」と、鬼の姿になって先回りをし、床几に掛かる。仁右衛門派や「宿直意」のように、待っている間に 亭主が怖がるということはない。続いてシテが武悪の面を持って橘懸りに出る。 ふとこうろんを致て、参らねばならぬやうなしぎになりた、いかなりとも誠のはけ物では御座るまい、だいたん な者が人おどしに致も知ぬ程に、栞が鬼のていに成て参らふと存て、ふりうの面を才覚致た、先かふらう、一段
とよい、是では他が見へぬに由て、めうつりかせいで、おそるしげがなひ、 マ、誠に殊外夜はふけました、〈7晩はわつきりと、はけ物ぱなしかなとか拙昔はよう御座らふ、 と提案する。この台本では、毎月初心識の後に話をしており、今月は化物話をするという設定である。なお伝右衛門 派の実践女子大学常磐松文庫蔵「狂言記」では、伊勢識の集まりで、先月は軍物語をしたことになっている。伊勢識 とするのは版本『狂言記」の「千切水」と同じ設定である。またこの本ではシテが参会者の一人ではなく、太郎冠者
になっている。 いや、先月 と述べ、亭主は女川本」(六)」「女子大国文」平成3.mによる)の「鬼論」を見ることにする。同書は「鬼争」および「弓矢太郎」の 伝本の中で最も古い。こちらでは「千切木」同様、(連歌の)初心識という設定になっている。シテは いや、先月廿一日の識は、跡のはなしが殊外面白ふ御座って、夜の明るをもわすれて御座る。
「鬼争」の榊想 25jliEi「jツ矢太郎」と
この台本では、シテは観客に事情を説明し橋懸りで面を着ける。鬼が出て来て蓬莱の島の鬼と名乗る「弓矢太郎」 に比べると非常にわかりやすい。大胆な者が自分をおどすかもしれないので自分が鬼の恰好をするのだという説明は、 「弓矢太郎」とも仁右衛門派とも違うが、やはり不自然な説明であることに変わりはないcこの説明も亭主がシテを おどすこの後の展開を前提としたものである。亭主の側にはシテをおどすという目的があるが、シテの側には鬼の姿 になる必然的な理由がないため、各台本の作者が苦労して、なんとかそれを説明しようとしている様子が窺える。こ の後シテと亭主が相手に気づき、お互いにおどすが、二人とも目を回してしまう。翌朝一同が倒れている一一人を見つ け、以下は仁右衛門派と同様の結末となる。なお常磐松文庫蔵「狂言記」では、立頭が鬼になって太郎冠者をおどし に行く。後半に亭主と立衆は出ず、先に目を覚ました太郎冠者が立頭を起こして仲直りする。
「宝暦名女川本・一には次に示すように、仁右衛門派と同様亭主が幽霊になる演出も記されている。テイ主段のしめ、長上下、小サ刀、扇、後にかたきぬを収て、厚板をつほ折にして、鬼すきん、ふあくの面、
又、いしゃうせずに、長上下の上に白ねりをつむりからかふる事も有、また常磐松文庫蔵「狂言記」の別演出注記には、立頭の出立を白線壷折に面とし、「仕手面ヲ懸ル故、面ナキモ可 然」としている。「鬼争」という曲名は、鬼が二人出て来て争うことを意味しているわけだから、その形が本来のも のであろう。一方を幽霊にするのは後に改変されたものと思われる。この改変に際しては「宿直草」を参照した可能 性も考えられる。仁右衛門派と伝右衛門派とでは、江戸後期の伝右衛門派の名寄に曲名が見え始める言狂言辞典」)こ とや、それぞれの台本の書写年代からも伝右衛門派の方が古いと考えてさしつかえないだろう。 和泉流「弓矢太郎」と鴬流「鬼争」の先後関係に関しては、「狂言辞典」が「弓矢太郎」先行説を提示するが、確 実な証拠はなく、逆の可能性を否定する論拠もない。両者の先後関係は不明としておくべきだろう。
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アド亭主が登場し、「此間心安ィ方々と打寄咄しの会を致す」と述べる。シテ・立衆が訪れ、それぞれ珍しいこと を話すことになるこまずシテが「御田橋」(「瀬川橋」の誤写)に大きな百足が出る話をするが、亭主にそれは昔の田原 藤太の話だと指摘される。次に亭主が羅生門に鬼神が川るという話をすると、今度はシテがそれは甘の渡辺綱の話で、 この治まった御代に鬼など出ないと反論する。一一人は言い争いになり、一腰を賭けてシテは羅生門へ行くことになる (シテ中人)。残された立衆はこれでは話の会にならぬと皆川ってしまう》 第一章でも指摘したように「弓矢太郎」の展開は能「羅生門」と酷似する。この「鬼争ひ」では鬼が出る場所を羅 生門とし、設定そのものを「羅生門」を踏まえた形にすることによって、能「羅生門」のパロディーとしての性格を より明確に打ち出している。また珍しいことを話す設定は、「羅生門」で頼光が「この程珍しき事はなく候か」と尋 ねるのを踏まえている。さらに鬼が出ることを治世と関連させたシテの言葉も、「雑他門」で綱が「土も木もわが大 蒋の図なれば。いづくか鬼の宿と定めんと聞く時は。たとひ鬼神の住めばとて住ますべきにもあらず。かかる粗忽な
内容になっている。かつて大蔵流にも「鬼争ひ」という曲が存在した。これは能楽研究所蔵『松井家狂言」(嘉永五年〈一八五一一〉松井武 松写)に記されているもので、大蔵流一‐鬼争ひ」の台本は管見ではこの一本のみである。この本については早くに笹 野堅氏が調査されているが〈「能狂言の本文」「文学」昭和旧・Ⅲ)、「鬼争ひ」の内容についてはこれまで紹介されたこ とはないようである。この曲は和泉流「弓矢太郎」、鷺流「鬼争」の類仙ではあるが、そのいずれともかなり迷った 六大蔵流「鬼争ひ」の構想
27狂言「弓矢太郎」と「鬼争」の構想
亭主は羅生門に着き、
ろ事を仰せ候ぞ」と保昌に意見するのを踏まえたものである。また演出の面でも、「鬼争ひ」は他流とは異なり立衆 が前半にしか出ないが、これも綱以外の参会者が前半だけに出る「羅生門」の形に倣ったものであろう。 亭主は賭けに負けては困るので、鬼の面を持ち羅生門へ向かう(引用には句点を補った。()内は演出注記)。 愛に風流の鬼の面かこざる。是を持て参り某か鬼に成て出ふと存る。
亭主は能「羅叫
再び登場する。
只参た時自然鬼か出た時に助ケハ致すまい。依て此方から鬼に成って参らうと存ル。 羅生門に着いたシテは、太鼓座で面と頭巾を着ける。万一鬼が出た時のために自分が鬼の恰好をするというのも、他
の流派同様やや苦しい説明になっている。続いて亭主とシテが出くわし、二人とも驚いてお互いに相手を鬼と思って助けを乞う。 (おとろき其低下にふし手ヲつき両方カラわひスル。〈中略〉ゆるさせられて下されいと云。)シテ「狐カテンノゆ かぬ。鬼かゆるさせられて下されと云・〈中略×面ヲ少し上ケテのそキ見ル。アトモ同廟面ヲ上テ見ル。今の声ハ誰か 声しや杯と両方ふしきに忠ひ後に一時に面上テ兇テ見合イ)誰れテハないか。(同事。)シテ「サアかけろくに勝シた。 亭主一‐いやノーまけはせぬ。シテ「〈中略〉かシたそノー。(ト云テ入。)亭主「いやノーまけてはない。やるま
る○ 一〆 →屯b(愛ニテ面頭巾きる。)則此枝をこう持シてか様に致そう。定めて肝をつふすてあろう。(綴生門ノやうの、まねをすい
そ
ぐ 「羅生門」の鬼の仕方をする。演技の上でもそのパロディーであることを明示するわけである。次にシーナが
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