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狂言の構成

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Academic year: 2021

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(1)一 騰. 斎. の. 一 口 一 一 一. 狂. 清. 衛. 狂 言 はい うまで もな く,能 楽 と能 楽 との間 で ,狂 言師 とい うものが あ り. ,. 滑稽 諧誰 を主 として演 じて観客 の興 を唆 った劇 の一 種 で ある。起源 は中世 中 期 で ある らしいが,現 代 の演能 に も上 演 されて い る。 その戯 曲 の代表 として 「 大蔵 流」 (そ の 中 に虎 明本 と虎寛本 の別 が ある)「 鷺流」「 和泉流」 の三 種類 が あ って一 致 を見 がたいが,そ の初 めは 口伝 口誦 で あ った こ とは疑 問要 しない。更 に発生期か ら時代 を下 るにおよん で 秘伝 された語句 が 多少変 迂 し てい った こ とも確実 で ある。それ は芸 術 の起原 は,演 劇 にあ った とさえ美学者 は述 べ てい るが,戯 曲の上 演 とい うこ とと文芸美術 の発 生 との間 には緊密 の 関係 が ある。古代演劇 のせ り応、は,そ の まま残 されて いないが,国 語 が 中心 で あ った こ とは推定 で きると ころで ,そ の研究 は 日本 言語学 には重要 な交渉 を持 ってい る。 特 に喜劇 において は 日常語 が主 として用 い られ た に 相 違 な い。霊元天皇 の寛文 ,嘉 永 の年号 の あ った時代 が ,永 く口授乃 至墨書 にす ぎ なか った狂 言楽 が初 めて版行 されたの で社会 は歓喜 してそれを繕 き味わ った。 その中 には,謡 曲 に比較 して差 別 が少 な く,叙 事文本 位 の もの も 交 っ て い る。 しか し「狂 言記」 の各 曲 に登場す る人物 は,能 楽 同様 に少 な く,「 大名 」 (多 分 に 「主」 として書 かれて い る)「 冠者」「 ワキ人」 の二人位で あ り, 特. 殊 の構想 の もの にで も五六人程度 にす ぎな い。 これが 「 続狂 言 記」 で は. ,. ン テ,ア ドと書1か れてい る例 が 多 い けれ ど「 大名」「 冠者 」 の もの と変 ると ころはな い。本論 は,狂 言 の実演 が社会 に歓迎 された ら しい江 戸時代初期 の 時代 思潮 ,特 に 日本人 の好 ん だ喜劇 の性質 を考 え て見 る こ と に し て,大 蔵 流 ,鷺 流 ,和 泉 流 (野 村 派 ,三 宅派 の対 立 あ り)の 相違点 を比較す る こ と や,「 狂 言記拾遺 」 の考察を省略す る。ただ しここで 疑 間 とされ る点 は,研.

(2) 狂. 言. の 構. 成. 究 雑誌 な どにおい て ,狂 言 の研究 が甚 だ乏 しい こ とで あ る。西欧 ギ リシヤの 演劇 は喜劇 か ら首途 した とさえ考 え られ てい るの に,国 文学 にお け る 日本人 の 笑 の特殊 さについて ,深 く検 討 されていな い。拙論 なが ら私見 が何程 かの 寄与 ,示 唆を なす こ とが で きた ら幸 で あ る。. さて作品数 で あるが「狂 言 記」 は五 田Iの 各巻. ― 篇 を入 れ計 五十 と な り │・. ,. 「 続狂 言記」も五 冊五十篇 とい う仕組 にな ってい る。 ここで は「狂言記拾遺」 を省略 し,正 統百篇 につ いてのみその着想 や統計 やを公表 す るに留 め る。和 泉 流 の名 は,「 名古屋市史 」 によると,近 江坂本 に狂 言好 の 隠士佐 々木岳楽 郎 とい う人 が あ り,甥 の 佐 々木源次郎 に狂 言 を伝誦 さした。 その源五郎 は幼 名 を和泉 といい,京 都 で狂 言師 にな って いたが 後坂本 に帰郷 した。 しか し実 子 に源 助 が あ り, これ また狂 言師 として京都 で一 流を樹 立 した 。そ の 後慶長 十九年 (1614)に 到 って尾 州藩 に抱 え られ たので ,和 泉流 に │ま 尾張 三 河 あた り の ものが 多 い。喜劇 は民 衆性 を合み ,神 代 i遭 の 中 でそれ らしい ものが 鑑賞 さ れて いたので ,庶 民生活 との交渉 は深 い。 さて狂 言 が現 代 の ものに も座興 を催 す所以 は,喜 朦Jを 求 め るわれわれ 自体 の生 活態 度 にある。諧誰 味 ,可 笑 味 ,滑 稽 の所 作等 ,喜 劇 の扱 い方 を分析す る こ とは,狂 言記百篇 でいか に も不可能 に近 い。 しか し,和 泉流 の巻 の一 を 分類す るだ け で も,狂 言独特 の型 を捉 え ることもで きる。登場人物 の少 い こ とは前説 した通 りで あるが ,如 何 よ うなノ、物 (そ の 他,閣 魔 ,鬼 ,幽 霊 ,鶯 の 出 された 曲 もあ る)を 採用 してい るか につ いて は,本 論 の結末 に書 くこ と として ,す べ てを 階級 的 に,(J大 名貴族 (時 に殿 ヌン と も書 かれてい る)鬱 法 師 山伏 の類 目代 ,武 士. ). 皓)大 名 に仕侍 して い る冠 者 (曲 によ リア ドとな って い る)に ‐ (51平 民 な らび に芸 人 鯰)悪 人乃至盗賊等 ―一 の六種 に分 け る こ ). とが で きる。 もとよ り,京 人 ,遠 国者 ,聟 ,を ひ,ぢ ぢ百姓 とい うよ うな名 も 見 られ るが,概 ね に(5)の 平民 の一 部 だ と解 してお きた い。 これ らの人 々 は. ,. 狂 言 の歓迎 された室町末期時代 ,狂 言見 1勿 に心 を訴 え るところあ った階級 で 狂 言作者 が注 目した もので ある こ とは疑 い な い。 由来 ,狂 言 作者 につい て初.

(3) 斎 藤. 清. 衛. 代玄恵法 師が計五十九 曲を構案 し,そ の後 日吉弥 兵衛 , 日吉弥太郎 , 日吉弥 次兵衛 , 日吉弥右衛 門等 が考策 した との旧説 に対 し,ま った くそ の伝説 を疑 うものが多 い けれ ど,「 平家物語」「 謡 曲詞章」 な どと同様 に時代 につ れて 改 作 された跡 が見 られ るか ら,講 想書 を数人 以上予想す る こ とは無理 で な く 玄 恵 がその 中 の一人 で あ った とい うこ と も考 え られ る。 玄恵 (慧 と もか く)は 太平記 の筆者 と して伝 え られてい る天 台僧。「 尺素 往来 」 もかれ の筆致 とされて い るほか 後醍醐天皇 に昌黎文集 を侍講 した程 の 学 僧 で あ り,独 清軒 と号 し,瓢 逸 な社会観 を持 っていた。諸派 の相違 ,某 曲 が多少 の差違 で二 様 三 様 に別 れて 口伝 された もの もあ って,現 代 に遺 された 曲数 は限定 で きな い けれ ど,玄 恵 のよ うな才幹 ある学僧 によ り三 四十 曲講想 された らしい こ とは,強 いて否認す べ くもな い。新井 白石著「 俳優考」 に も 以下 の よ うな解釈 が下 され てい る。 室 町殿 ノ比 二,狂 言 卜云 ヒン者 ハ,其 ノ様 ハ 古 ヨ リ有 リシ狂 言 ヲナ セシ ニ ハ非 ズ。其 ノ時 二臨 ンデ珍 ラカ ニ,ヲ カン キ事 ヲ作 り出セン也。 髪結 フコ トヲ嫌 ヒジ狂 言 ハ ,其 ノ比 ノ鎌 倉 殿 ノ御事 ニ テ,人 ノ誉 ムル コ トヲ 悦 ビ テ,物 打 クルル狂 言 ハ其 ノ比 ノ公方 ノ御事也。詞 ヲナカン マ ニ ン テ云 フ コ トハ,其 ノ比 ノ東 国 ノ俗 ニ テア リン ヲ,其 習 ハ ン ノ都 ニ ウ ツ リテ,ヨ キ人 々モ テ興 ジ玉 ヒン コ ト也。其 ノ比 ニハ カ ク其君 ヲ正 ン参 ラス ベ キ事 ヲ,狂 言 二取 リナ ン テ諌 メ参 ラセル 也。末 ノ世 ニハ有 ガタ キ コ ト也。 能狂 言 にお け る一 部 の上 演心理 を解説 した にす ぎな い けれ ど,と あれ毎1客 が そ こに望 む ものが あ った こ との事実 を説 明 してい る。狂 言実演 ,観 賞 に も理 想 が あ り目的 の あ った もののよ う論 じて い るのは,自 石 な どの 口 ぐせ だ け の もので あ る。 と ころで 百 曲 の ものの テ ーマで あるが ,殊 更喜劇性 ,可 笑性 も な く,さ りとて教養 的内容 も合 まな い。 い わば狂言 の劣作 も相 当交 って い る が ,一 通 リー 曲 と して 出来 あが った ものの 作者心理 とで もい うものを分析 し て見 ると,ほ ぼ以 下 の六種 llC概 括す ることがで きよ う。 これ は後説す る登 場 人物 の 階級性 ,風 俗別 ,背 景 をなす地方別 な どと関係 あると ころで あるが 最初 の 問題か ら取上 げて見 たい。. ,.

(4) 言. の 構 成. (1)過 度 の物忘れ症 凡 そ ,お 互の ,■ 憶 力 の 不確実 な こ とは余 儀な いが,過 度 に記 憶 を な くす ると い う例 も甚 だ多 い。即 ち健忘症 で あるが ,笑 いの種 と して狂 言 には可 な り採 用 され てい ろ。 もとよ りそ の度忘れが,あ る機縁 で思 い 浮 か べ られ る可笑性 の もの もあ ろが,曲 名 を 合うと以下 のよ うで ある。 1・. 鳥 帽 子折 (狂 言 記巻之一 ). ひめ糊 (同 前 ). 萩大名 (同 前 ). 末 ひろが り (同 巻之 三 ). 粟 田 口 (同 前 ). 伊文学 (同 巻之五 ). 文. 蔵 (同 前 ). 宝 の笠 (続 狂 言記巻之 二 ). 岡大夫 (同 巻之 三 ). 目近大名 (同 巻之 四 ). 0鳥 帽子折一― 元旦 の前 日大名 が 出仕 の用意 に臣 の藤六 に鳥帽子 の景」目を塗 って 修繕 させ るため,今 一ノ、の 臣 の下六 には鳥帽子紙 を求 め さ して 出 した が ,返 り路 を忘れ ,藤 六 が出迎 え にゆ くが両人 と も主君 の邸 を忘れて しま う。 よぎな く両ノ、1ま 「 信濃 の 国 の住 人 ,阿 蘇殿 の御 内 に藤六 と下六 と鳥帽 子 に参 り主 の 宿を忘れ て囃 子 事を して行 く」 と道 中囃子物 を し て 歩 く 処 へ ,大 名 が絶 えかねて探 しにきて「 女i何 にや如 何 に,汝 等 ,主 の宿を忘れ て 囃子物をす るとは前代 の dh者 ,身 が 前 へ は叶 応、まい」 と憤 るが,囃 子振 の面 白 さに健忘罪 を」1許 しにす る,と い う筋。家を 出 る時 は,未 だ 門松 が 立 てて なか ったが,帰 って くると五三 飾が あるので主家 と思 わ なか った と い う随 分 の愚 か者 だが,そ うした 臣を見 許 しに して一 緒 に囃子物 を興 ず る II衆 には極 めて 1い 笑 い を催 さ した劇 で あ った とい うの も稀 な主 で ある。ネ ,「. で あろ う。 0ご ヽ 占 め辛 1-― 講想 が類 してい るが,あ る一ノ、の殿 が,出 仕 の前 日,紺 屋 にや っ. た肩衣 が出来 な いので冠者 を受取 りに使わす。 それ は紺 屋 で 使 うひめ糊 が その │1与 不足 していたためなので あるが,冠 者 はか つ て 云 われた ひめ糊 とい う名 を忘れ ,殿 に対 し「 殿様 のい つ も四畳半敷 へ Ill籠 ら しやれて,読 ませ らるる ものの本 の 内 に有 るか と存 ず る」 と うら臆 えを語 る。 そ こで ,殿 は 「 某 が好 いて 読 むのは,源 氏平家 の物語 な どを読 むほ どに,一 つ二 つ読 ま.

(5) 斎. 藤. 清. 衛. うほ どに有ち ば ある とを答 へ よ」 とい う。 長 々 と読んでゆ くが冠者 にと って は案 じが つ かぬ。最 期 に『行 き くれ て木 の下蔭 を宿 とせば花 や今宵 の ある じな らま し』 と詠 じ給ふ は,平 の薩摩 の 守忠度 にてはな きか」 と云 わ れ ,冠 者 はつ と 思 い付「 それで ございま した 。」 と 答 へ ると,主 殿 は「 や い,そ こな奴 ,巳 言葉 のす ゑで 聞 いてゐ る。紺屋 に使 ふ は賤 が ひめ糊 にて ある。 そ こで殿 は某 の 内 にあ ら うず る奴 めが「 ひめ糊」 「 忠度」のわ け差 別 も知 り居 らず ,大 ぼね折 らせ 大汗を流 させ る前代未 間 の 曲者」 と怒 るとこ ろで 結 ばれてい る。語 られ た こ とばを度 忘れ した 時 ,類 音 の 関聯か ら記憶 に浮 べ る事 は必ず し も珍 し くな い。本 曲は忠度 とひめ糊 とを並 べ て 出 した と ころに作者 の妙 味 が覗われ る。. O萩 大名一一物憶 え の悪 い一 人名 が,あ る秋 ,冠 者 を伴 れ ,京 都下京辺 の萩 見物 に出か けた。萩庭 では和歌 を詠 む用意 がい るので ,同 伴 の 冠 者 か ら 「 七重八重九重 と こそ思 ひ しにとへ 咲 き出づ る萩 の花 かな」 とい う一首 を 教 え られたが ,物 忘れ の大名 は忘れが ちにな る。 そ こで ,冠 者 が「 七重八 重」 とい う時 に扇 の骨 を七本八 本広 げ るか ら,そ れで思 い浮 か べ「 萩」 と い うべ き所 で は,冠 者 の月 ≦罵 を聯想 した ら,よ か ろ うと指 示す る。 この歌 は,庭 主 の賞美す る所 とな ったが,冠 者 が 席 を はず した 時,「 短 冊 に書 き ます る。 最一度吟 じさっしやれ ませ う」 と云われ たが ,大 名 は早 くも歌詞 を忘れて しまい,「 萩 の花 かな」 とい う結句 が胸 に浮 かばない。亭主 が「 字 が足 りませ ぬ」 と促 す「 太郎冠者 が 向歴 に,某 が鼻 の先」 と,時 折冠者 を 折 鑑 していたのを思 い返 し訳 もわか らぬ返事をす る。愚鈍 な大 名を人物 と した もの │ま 「 愚大名」 その他 ,数 曲あ るが ,時 流 の反映で あろ う。殊更 か れ等 を諷刺 す るため取材 したので はな く、室町 時代 の社会現象 と して この 種 の ものを戯 曲化 した ものだ と推 察 され る。. O末 ひろが リーー これ は同 じ く冠者 の物忘れ談。京大名 が冠 に じ 末 ひ 者 命 「 ろが り」 を 買わ しに 出 した所 ,冠 者 はその名 を忘れ「 末広屋 は存ぜ ぬか」 と尋 ねてい るのを悪ノ、す りが見 付 け古 い傘を売付 け る。 大名 は憤 つ たが. ,. その古傘で面 白 く囃子 を舞 ったので大名 を喜 ば し冠 者 は馳走 まで して くれ.

(6) 狂 言. の 構. 成. た。大名 は鳥帽子折 のそ れ と似 てい る。冠 者 にとって は平常 ,な じまな い 「 末 ひろが り」 とい う語 よ り何 かの交渉 で「 末広屋」が頭 にあ った ので. ,. かか る失敗 とな った もの と見 られ る。. O粟 田 ローー 登場人物 ,筋 が「末 ひろが り」によ く似 てい るか ら考察 を略す る O伊 文字―一 大名 ,冠 者 ,道 行人 の登場す るところ,冠 者 が聴 いた和歌 の下 の右」を忘れ た と ころ「 萩大名」 に類 似 してい る。. O文 蔵―― 登場人物 は殿 と冠者 だ けで あ り,テ ーマは前述 した「 ひめ糊」 と ほぼ 同然 で ある。冠者 「 うん そ うの貝」 の名 を忘れ ,殿 が源平盛衰 記を読 んで ,そ の 中 に「 文蔵」 の句 が 出て きた ││き ,は た とii己 憶 を1又 戻す こ とにな ってい る。. O宝 の笠一一 これ は,前 述 した「 末 ひろが り」 と同型。但 し,主 を ア ドと し 冠者 がンテ とな り,す りにだ ま されて 買 った品が笠 とな ってい る。それを 為朝 の伝説 に結 び「 昔鎮西 の八 郎為朝 と申す お方 が鬼 が 島へ ご ったれば. ,. 鬼 ど もが取 って服せ うとい うた。 いやいやむ ざと服せ られ まい。 何ん で も 勝 負をせ うと仰 せ られ て ,い ろい ろ勝 負 に勝劣 あ り,則 ち鬼 が島で1又 って ′ ご ざった 隠笠 で お りや る……」 と偽談 を説 く場面 もあ る。結 びはシ テが 自 分 の失敗 を主 に対 し「 あ ゝ悲 しや,許 させ られ許 させ られ」 と云 うよ うな 悲嘆 を示す に終 ってい る。. O岡 大夫―一 聟入 の席 で「 わ らび もち」 を馳走 され なが ら,聟 はその名 を忘 れ ,帰 宅 して女 (妻 )に 「 藤太夫 とや らい はれたが,老 子 に も載 って ある といはれた」云 々 と説 明 出来 ぬので夫婦争 とな った時 ,女 が「 紫 塵 のllyさ は蕨一手 を と りてい方、が,此 の こ とで あろ う」 とい った一言 に,蕨 餅 で あ った こ とを思 い告 白す ると,女 は「 それ は妾 が仕様 を知 って居 ます。持 へ て進ぜ うぞ」 と夫婦 和解す る こ とで終 ってい る。 。目近大名―― これ も「末 ひ ろが り」系 の講案 で ン テ (大 名 )が 参会進上 品 に 目近籠骨 (註 ,扇 の種類 )を 太郎冠者 ,次 郎冠者 に命 じ京 に 買 い に や る。 inl. 人. は 京 見物 かたがた勇ん で 出か け るが 目近 の害[の 店 を忘れ て しま. う。 そ こで太郎 は「 日近屋 は其処許 にないか」 と叫 び,次 郎 は「 籠骨屋 は.

(7) 斎 藤 清 衛. お りな い か」 と叫 ん で歩 くの を詐欺 の ア トに偽物 を売付 け られ , も し大名 が怒 った ら 「 千石 の米 ぼね,万 石 の米 ぼね,身 近 に持 って参 った」と囃子 を歌 え と教 え られ万疋 の高 買 で 買受 け る。 果 して大名 は憤 ったが,例 の囃子 を師 された身 なが ら歌 い初 めたので,機 嫌 を直 し「 げ に もさあ り,や よ,げ に もさ うよ の さ うよ の……」 と座興 す る こ とで結 ばれて い る。. (2)無 意味 の論争 社会生活 には様 々の現象 が あるが,相 互 の もの が無意味 の論争 や,私 論 を 戦 わす こ とは,古 今 かわ りはな い。室 町時代 のよ うに,無 智 の庶民 が 目立 っ た 時代 は,終 日わ け も分 らぬ争論 が行 われて いたので,代 表 として以 下 の 曲 を列 挙す ることがで きる。 宗論 (狂 言記巻之 一 )酢 茎 (同 前 )桜 評 (同 巻之 四)舟 ふ な (同 巻之四) 渇鼓胞様 (同 巻之五 )姪 子大黒天 (続 狂言記巻之二 )難 立 の江 (同 前. ). 竹子争 (同 巻之 三 )膏 薬煉 (同 巻之 四)牛 馬 (同 巻之 五 ) 〇宗論―― 昔 の族 で は,知 人で ない もの と同行す る例 がよ く見 られ るが,折 角 の 同伴 が, 自分 の 自慢 か ら争論 の原 因 になることが 多 か っ た。 こ の 曲 は,浄 土宗 の黒 谷 の 僧 と,法 華宗 の本 国寺 の 僧 とが,身 延 山,善 光寺参 り の帰途 同伴 し,訳 もな い宗論 をす る滑 稽 さを主題 とした もの。宗論 に関 し て い るだ け次 に述 べ る酢 墓 や桜 評 や に較 べ るとその理 由が認 め られ るが. ,. 要 す るに争論 を好 む の は人 間 の本能 か も しれ ない。. O酢 菫―― 山城 人 の菫売 と,和 泉人 の酢売 とが,各 々 自慢 の末 ,茎 売 はか ら く. (?)天 皇 ,酢 売 の方 は推古天 皇 の子孫 で 相互 に系図争 いをす ることを. 主 眼 としてい る。. O桜 評―― 主 の ア ドが,ン テ の太郎冠者 と同伴 して,桜 見物 に 出か け,ジ テ が 「 花 」と呼ぶ に対 しア ドは 「 桜」と称す べ きだ と古歌を互 に引用 して,用 語 の争 を す る。 ン テが「 桜 ちる木 の下蔭 は寒 か らで空 に知 られ ぬ雪 ぞ 降 りけ る」 を挙 げ ると,ア ドは「 行 き くれ て木 の下蔭 を宿 とせ ば,花 や今宵 の主 な らま し」 の歌 を引証す るとい うよ うに,両 人 が 口論す る,最 後 はア ドが.

(8) 狂 言. の 構. 成. 「 総 別 何 も知 り居 らな いで,む ざとした こ とを いひ居 って,某 と競 合 ひ居 る,彼 方 へ 失 せ い」 とシ テを追放す ることにな って い る。 言語学 上 には多 少 の 意味が ある。用語 の是否論 で ある。. O舟 応、な一一 桜 iTと 同巧異 曲 の もので,殿 が冠者 を伴 い,ネ ト崎 の渡 を舟 で わ た ろ うとす る時 ,冠 者 が「 J、 なや い」 と船頭 を呼ん だ に対 し,殿 は「 左様 に呼 うだ分 では来 まいぞ 。 ふ ね とい うて │1平 べ 」 とすす め,証 歌 として両人 古歌を ひいて争 い,ま た「 謡」 の一 節 まで 出 して「 舟」 か「 ふ な」 かを云 い争 う。結末 は殿 が腹を 立てて「 何 で もな い事 ,退 り居 ろ」 で 終 る。. O渇 鼓胞稼一― 狂 言 の 中 には新市 を背景 に採 った ものが数 曲あ り,店 員 同士 が論争を始 め 目代 が出てそれを仲裁す るとい うよ うな筋 が あるが,渇 鼓胞 様 (わ さなべ )も その一種 で,一 の棚を 占 め ることに渇 鼓売 と胞様売 とが 争 を始 め 目代 が 中 に入 るとい うこ とにな る。渇鼓売 の言 に 「 土 胞 様 な ど は飾 らす る もので は御座 らぬ,づ つ と市末 へ や ら しやれ ませ 」 とい って. ,. り (を 引用 した りす る。 目代 も判断 しかね 自らに系図 の ある こ とを誇 り,古 刊 て,両 人 に棒 を振 るわ し勝負を定 め ることに させ ,胞 珠 商 が,渇 鼓 商 の檸 を借 り,「 ほ っひや と うろひ や りと うろろ うろ」 と打 つ と,翔 鼓商 は「 あ の音 も見 事打 って ござる。今度 はを相手 にいた しませ う」 と却 って興悦 し て 相打 で「 ほ っひや …… 」 と打 って争 は 円満 に解 決す る。狂 言 にお け る 論争 は この程度 の結末 が多 い。. 0姪 子大黒天一― 摂津ノ、ア トが,最 上古 口を選 び,平 生信仰 してい る西 の宮 の姪子 と叡 山 の三 百iの 大黒 に勧 請 の式 をす る。 そ こで両神下 山 し,姪 子 は ネ]貴 」 を取 らせ うといい,大 黒 は「 楽 しみ」 を取 らせ うとい う。 なお 「「. ,. の叡 天 照大 卜 ││の 二番 目の弟 た るた め西 の官恵比子 二 郎 と呼 ばれ ,伝 教大師 山三千の僧徒 を守護す る山の表か ら大黒 と呼 ばれてい ると,相 互 に 由来 を 語 る。 これ ら一片 の伝説 にす ぎな い けれ ど」1時 の民間信仰 を裏付 け てい る もので,民 衆 の興 味を誘 った話 とな った もので あろ う。. O鶏 立 の江―一 これ も前 出 した「 舟 ふ な」 と同列 に,「 鶏 は鳴 く」 のか ,そ れ とも「 鶏 │ま 唄 方、 」 のか ,用 語 につい て ア ト主 とンテ太郎冠者 とが論 争す.

(9) 斎 藤 清. 衛. る こ とを主 眼 に してい る。太郎冠者 は主人か ら用事 のため 「 一番鶏 の唱 ふ 時 分 に必ず来 い」 と命ぜ られた ものの 寝過 ごしを して しま った。 そ こで鶏 は 唄 ふ と こそいへ , 鳴 くとは い はぬ, と主 の言 った こ とか ら故実 考 証 とな り,両 人 が 相 互 に古 歌 ,古 詩 を引用す る。和歌以外 に唐詩 の夕1,謡 の夕1な ど も出 され る。 曲 はそれ で 終 ってい る。 。竹子 争一一 ン テ所有 の藪 の竹子 が,隣 家 (初 ア ド)の 庭 に伸 びて頭 を 出 し た。 ア ドはそれを抜 こ うとして ン テ との論 争 とな る。正 しい所有者 は何れ か。 と ころで,ン テの庭 で,初 ア ドの牛 が子 を生んだ事件 が あ り,ン テは ア ドに仔牛 を渡 した こ とか ら正否 が定 ま らず ,両 人古歌 を案 じ出 して正否 の勝 負を しよ うと,終 には角力 の勝 ち敗 け によ って定 めよ うな どす る。 ド)の 膏薬疎 と京人 (ン テ)の 膏薬煉 とが相互 にそ ぎ │ の効能争をす るの で あ る。 ア ドが「 某 の膏薬 には系図 が あ る が,我 御 】. O膏 薬煉一― 鎌 倉 人. (ア. (註 ,ン テ)の 膏薬 に も系図 が あるか」と問責 す る,ン テが「 な るほ ど此方. にもある」 云 々 と問答 が始 め られ ,ア ドが「扱 も昔 頼朝 の御代 に」云 々 と 説 明 してそれが終 ると,ン テが「扱 も平相国浄海 の御 時,御 庭 を作 らせ ら れ しに」 と喋 々 と由来 を述 べ 合 うので あ る。 ア ドは薬 味 として雷 ,胴 亀. ,. 蛤を用 い ると語 り,ン テは同 じ く薬 味 に 白鳥 ,赤 犬 の生胆 ,三 足 の蛙 を使 うと吹嘲 す る。 当時薬学未進歩 で漢法 薬 めいた ものが喜 ばれた ので あ る。 こ うした俗 信 めいた こ とが到 る所 にあ った ものだ と思 われ る。. 0牛 馬一一 馬 と牛 の博労 の論争 で あ り,牛 馬 の新市 が背景 とな り, 目代 が仲 ・ 裁す ると ころ,前 述 の期鼓胞様 と同一型で あ る。明 き らか に世 相 の反映 で あ って,類 似 の事件 が地方 々々に生 じていた に相違 な く,観 衆 はそ うした 論 議 に興 味深 く耳 を傾 けた もので あろ う。. 侶)不 具 者 の奇 行 不具者 は総 じて 憐感 の対象 とな る こ とが多 い。 つん ば,盲 人等 々。 しか し 身 に余 った悪戯 をす る不具者 とな ると,嘲 笑 され る。 いわば身 の反 省 な しに 行動す るか らで 事 は失敗 に終 る。狂 言 には座頭 を登場 さした例 が特 に多 い。.

(10) 狂 言. ヱθ. の 構. 成. 次 にその代 表的な もの を あげてみ る。 どぶ か っち り (狂 言 1遭 ,巻 之三 ). つん ぼ座頭 (狂 言 i遭 ,巻 之三 )二 人 片. 輪 (同 ,巻 之 五 ). Oど ぶ か っち リーー 勾 翌1が ,菊 一 に誘 われ嵯峨 詣 をす る途 中,か い川 に差 掛 り,橋 が無 いので菊 一 が勾 11の 盲 人を 背負 って渡す こ とにな る。 そ こに悪 心 の道行人 がいて,勾 当 の 目の見 えな いの を宜 い こ とに,菊 一 に背 負われ 巧 く河を渡 る。 そ こで 勾 当が「 汝 ばか り渡 って,何 故 に又其方 へ 行 か しや ったぞ …… 」 と叱 る。 菊 一 は再 び河を渡 り返 り,勾 翌1を 背 負 うて渡 るが 深 瀬 には ま り腰 を濡 らして しま う。 ttj皐 で tt帯 の竹筒 (酒 )を 飲 んで休 む 時. :. も,そ の道行人 が 勾 当 の飲 むよ うに見せ て菊一 の持 って る酒 を飲んで しま う,結 び │ま 勾 当がや るまいぞ や るまいぞ とい うに続 いて道行人 はわ ヽと嘲 笑 す るに終 る。 これ は片輸で あ るため生 じた奇談で あ る。. Oつ ん ぼ座頭―― 主人が二三 日不 在す る留守居 として,使 用人. (ジ. テ)と 聾. と座頭 菊市 (冠 者 )を 依頼 した と ころ菊 市 が「 若 し盗人 が,こ 入 った ら身 ど もが耳 で 聞 きつ け て,其 方 の膝 を突 か うほ どに,そ れを合 図 に防 げ」 と一 案 を 出す。座頭 とい う者 は智慧 の深 い もの ぢや と讃め られ愈 々 留 守 の 際 中,菊 市が淋 しいあま りに,少 と聾を詐 って遊 ば うと,盗 ノ、が入 りもしな いの に「 そ りやそ りや盗人 よ盗人 よ」 と偽 わ る。その仕返 しにシテが小舞 を して見 せ るか ら,「 相 図 には果 てた所 で其方 が顔 を撫 で う,そ の 時賛 め よ」 といい,全 くは,聾 が同 じよ う平家 を語 り,舞 を まい,足 で座頭 の顔 を撫 でた り して興 ず るとい う こ とに終 って い る。. O二 人 片輪―一 あ る人 が,片 輪者 を抱 え るとの高札 を出 した と こ ろ,悪 人 (博 徒 )が 座頭 (盲 )に まね て庸 われ ,次 に二 人 目の悪者 が楚者 のよ うに. 見 せ か けて抱 え られ る。更 に第 二 の偽者 は唖者 とな って巧 く使 用 人 と な り,弓 術,槍 術が出来 ると云 う。以下 つん ぼ座頭 とほぼ同形 で主 が四五 日 留守を命 じた間 に,各 人本 相 を示 し酒 宴 に興 じて い るところに,主 が帰宅 して 驚 き憤 る。 結 びは 主 「 大盗 人 どもや らぬぞ 」 おし「 あ ゝ許 させ られ 許 さ せ られ」 主「 ゃ るまいぞ や るまいぞ」 とな ってい る。不具 片 1倫 者 を召使 う.

(11) 斎 藤 清 衛. ため高札 を立 て るな どとの事 は空想 に過 ぎな いだ ろ う。医術 の発達 しない 時代 だけに,社 会 に片端者 が多か っただ ろ うこ とは これ らで想像 され る。. に)鬼 ,雷 神 ,狐 化等怪物 幻想 的の狂言が観衆 の注 目を ひきが ちで あ る こ とはい うまで もな い。例 え ば 鬼 ,雷 ,怪 孤 の類 を狂 言化 した と ころに作者 の想像力 が知 られ る。 その代 表 曲は 「 こん くわ い」 (狂 言記巻之二 ) 五). 針 立 雷 (続 狂 言記巻之 一 ). 巻之四). 仏師 (同 ,巻 之三 ). 武悪 (同 ,巻 之. 鬼 の養子 (同 ,巻 之 三 ). 孤塚 (同. ,. 節分 (同 ,巻 之 五 )等 で あ る。. 怪異 な もの,不 思議 な ものに興 を抱 くのは,人 々の もつ通性 で あ る。珍稀 の ものがあ ると聴 けば家 を出て も見物 にゆ く。 0こ ん くわ い (孤 怪 )一 一筆頭 に狐 の次第語 が あ るが「 われ は化 けた と思 ヘ. ども思 へ ども,人 は何 とか思 ふ らん。 これ は此 の所 に住 所仕 る古狐 の こつ ち ゃう」とい う句 で初 ま ってい る。狐 がその地 で 猟 を好ん でい る叔父 の 白蔵 主 に化 け,そ の殺生 の悪 を意見 しよ うとい う。 「 化 けて 出た孤 が其方 に意見 したい こ とが あ って,こ れ迄参 った」 と語 り,長 々 と「 狐 と申す は皆神 にお わ します。天 竺 にて は斑足太子 の塚 の初 ,大 唐 にて は幽王 の后 と現 じ,我 が 朝 にて は稲 荷 五 社 の大 明神 にておわ します …… 」 と安部 の泰成 とか玉藻前 とかの名 を出 してその甥 に狐釣 を断念 さす。か くて狐 は 「 人間 といふ ものは あ どない ものぢや。叔父坊主 に化 け て意見 を した れば,ま ん まと臨 されて ござる」 と小 歌節 を唄 うて帰 る。狐 が化 け るとい う類 の民間説話 は甚 だ多 く庶民 は半信半疑 なが ら興 を持 ち,狂 言 の素材 に も採用 された もので ある。. O仏 師一一 殊更鬼 を中心 とした喜劇 で lllな いが光 堂が完成 したのに適 当な本 尊 がな いので,田 舎者 が京 に仏 を求 めに 出か け る。悪心 の者 がいて 自分 を 仏 師 だ と告 げ仏像 を高 く売 りつ け よ うとす る。 最後 に,注 文 が あ ったの で, 自分 で 鬼面 をかぶ り田舎者 か ら金 を取 ろ うとす るとい うテ ー マ。. O針 立 雷―― 簸 医者 ,武 蔵野を歩 いてい る時,雷 が落 ちそ の雷 が腰 の骨 を折.

(12) 狂 言. の 構. 成. った。幸 い医者 に治療 を依頼す るが,雷 の 脈 は頭 脈 とい って頭 で み よ うと す る。雷 は 中気 の持病 が あ ると云 われた上 ,腰 の痛 み には針 を打 つ。打 っ た針 を抜 く時雷 が力 ifが るが,一 お う中気が癒 る。 しか し治療費 を くれず. ,. 天 上 し ょうとす るか ら, 医 者 が催 促 す ると次 に夕立 の 時落 ちて きて支払 い,医 者 を典 薬 の頭 にす ると云 って天上 の様子 を謡 にす るか ら医者 もそれ に合唱せ よ と云 う。全 篇,幻 想 で まとめあげた所 に修l衆 の欣 びを求 めてい る。. O鬼 の養子一一 播 磨印南野 で,子 つ れの女房 が ジテ鬼 に 出あ う。鬼 は子供 を 一 口に食 お うとす るが,女 が美 人 なので,伴 れ帰 り鬼 の妻 とし ょうと申 し 出 る,女 はそれを 断 るの で,鬼 は子 を養子 にす るとい って ,「 此 の子 を肩 に載 せ て囃 子物 で行 か うほ どに,其 方 も囃 せ 」 と住居 の蓬末 島 に 出か け る が ,子 供 を見 て「 一 口に食 うてや らう」 と鬼 の本性 を示 す。結 びは,「 ど うで も女房 にせ ねばおかぬぞ。 や るまいぞ,や るまいぞ」 とな って い る。 鬼 の 存在 を信 じた中古 ,中 世 ,時 代 の一. 話 だ け の もので あ る。 '■. (そ. の他「 抜殻」「 伯母 が酒」 も鬼 の面 をテ ー マ とした もの で あ る). 0狐 塚―一「 こん くわ い」と同様 ,狐 の fヒ け る迷信 を中心 に した話 で あ る。 ア ド主 所有 の田を鹿 ,猿 な どが,荒 らすの で 太郎冠者 に命 じ殺 さしにや る。 主 は さぞ太虫│`冠 者 が淋 しか ろ うと,更 に次郎冠者 を後 に小 筒を持 たせ ,山 田 へ 伽 にや った と ころ,彼 が「 太郎冠者 ,や い 何処 に居 るぞ」 と尋 ねたの を. ,. 太 郎 の方 は狐 が化 けて 出た と解 し,「 よ う化けた。 其 の1量 の次郎冠者次郎 冠者 ,捕 へ て縛 ってやろ う」 と問答 し,主 が心配 して 後 か ら駆 けつ けた時 も,太 郎 は主 を怪狐 だ とい う。 それ に「 松葉 で燻 べ る」 とか「鎌 を1ス って いで くれ うぞ」 とか云 う。 そ こで主 が太 郎冠者 がグ 皮 を求」 ilっ た ら,二 人 の 手 で ゆ り上 げ されて 太郎冠者 は「 許 させ られ ,真 平 御許 され御 許 され」 と願 う場面 で終結 してい る。 O ttj分 一― 主人が 出雲大社 へ 年籠. 末 の鬼 が衝j分. りに 出か け妻 が 留守居 を してい る所 へ ,蓬. の豆 を拾 いに くる。女 は美ノ、で あ ったの で」 LIま. ,小 1,(ま がい. に「 あ ら美 の 女房 や,漢 の李 夫 人 ,楊 貴妃 ,小 野 の 小町 は見 ね ど知 らね ど (中 略 )其 方 の其 の 細 い 口で 身 どもが頭喰 ひつ いてた もれ」 と '乞. 望 む。遂.

(13) 斎 藤 清 衛. に「 ま こ と,妾 を思 ひなば宝 をわれ にたび賜 へ 」 と云 われ,隠 れ簑 ,隠 れ 笠 な ど総 ての持物 を与 え る こ とを約 し,「 時分 で ござる。豆 をは や しませ う」「 福 は内福 は内,鬼 は外鬼 は外 」 で 終 ってい る。. (励. 泥棒 と詐偽す り. 現社会 の 中 には盗 難事件 は断 え る こ とがな い。盗 みをす るとい うこ とは倫 理 道徳行為 に反す る こ とはい うまで もな いが,泥 棒 や詐偽 の行為 は とか く人 の 目に付 きやす く話材 にな りが ちで あ る。狂 言喜濠Jの 人物 に,そ れを出 した 例 は諸 国 に見 られ る。 こ うした テ ー マを興 あ るよ う叙 した ものが次 の一 類 で あ る。 胸 つ き (狂 言 記巻之 二 ) 奪 (同 前 ). 茶 壺 (同 前 ). 長光 (同 ,巻 之五 ). 柿 山伏 (同 ,巻 之 三 ). 瓜盗 人 (続 狂 言記巻 之 三 ). 太刀 柑子俵. (同 ,巻 之四). 。胸 つ き一一 登場人物 は八兵衛 と七兵衛 との二 人 だ け。八兵衛 はか つ て七兵 つ 衛 に金 を貸 して いたので催促 にゆ くと七兵衛 は留守居 を使 ったが見 か り 捕 え られ て 胸 を討 た る。七兵衛 は肋 目が折 れ た と偽 って八兵衛 を殺人罪 に 訴 え るとお どした所 ,気 の弱 い八 兵衛 は借金 を許 した上 ,手 形 まで 渡 して 佗 び るとい うこ とで終 って い る。 。茶 壺一一 人物 は茶 壺 の持 主 ,す り,お よび 目代 で あ る。茶主 ,途 中 で 居眠. りしたところに,す りが来合わし目を覚ましてから連尺の持主を両人が争 う。折 か ら目代 が 出て きて ,「 論 ず るものは 中で取 る」 とい って,日 代 が 連尺 を奪 い とってゆ く。 (以 下省略). (o. 言語 ,秀 句. 生 捕鈴木 (狂 言 記巻之 二 ) ず (同 巻之 五 ). 薩摩守 (巻 之三 )ノ k句 連歌 (同 前 ). 連歌毘沙門 (続 狂 言記巻 之一 ). 布布施 (同 巻之 三 ). 腹立 て. 秀句大名 (同 前 ). 昆. 箕 か つ き (同 巻之 五 ). o生 捕鈴木―一 歴史物 の書替 で,景 時 があ る時重家を生捕す ると 語 っ た の.

(14) 狂 言. ゴ. `. の 構. 成. を,頼 朝 は シ ゲイ エ をス ズ キに誤 聞 した こ とを筋 とした もので あ る。. O薩 摩 守―― 登 場 人 物 は茶屋 ,関 東 の愚僧 ,船 頭 の二人 。愚僧 ,関 東 か ら大 阪天王寺 に参詣 し,茶 屋 が勧 め るので茶 を飲 んだが払 いの金 を持 たぬ。次 に神崎 の渡 を越 え る時 ,船 頭 が秀 句を愛 してい ると聞 いて ,只 乗 (平 忠度 を掛 けた もの)と い って巧 く渡 った とい う咄で あ る。. O八 句連歌一一 人 物 は庄右衛 門 と九 郎次郎 との二 人 。庄 右衛 門 が九 郎次郎 に 金 を貸 し催促 に 出か け るが,九 郎次郎 は連 歌を好ん でい ると知 り八句連歌 を詠み初 め ると,先 ず九 郎 は「 花盛 り御免 な さじや松 の花」 とい うよ うに 機智 を こめて詠み 出 し,結 局,そ の借状 を返 す に終 る。. 0腹 たてず一― 鎌 倉街道 を背景 として庄金屋 と僧 とが 出場 す る。庄屋 はそ こ に草堂 を造 り,適 当 の僧侶 を入 れ る予定 に していた と ころ幸某 僧がや って きた。 そ こで 僧 の名 を き くと「 腹 たて ず の正 直坊」 と名 乗 る。 これ は腹 は 立 てぬが「 背 がた つ はいの」 と温厚 の 態度 を示 さない とい う筋 の もの。. O連 歌毘沙門―― 初 ア ド,後 ア ド同道 で鞍馬多 聞天 に参詣,お 蔭 で初 ア ドが 多 聞天 か ら福 あ りのみ を授 った こ とを きき,後 ア ドも欲 し くな り,所 有 を 連 歌 で定 めよ うとす る こ とにな る。そ こに多 聞天 (ン テ)が 現われ,鋒 で 福 あ りの みを削 り,ア ドの二人 は謡 を唄 って 合唱す る。. O秀 句大名―一 人 物 は八幡大 名 ,冠 者 ,遠 島者 の三人 。 ンテの大名が遠 島か ら帰 って上 京 して きた もの に秀句 を云 わす。 例 えば傘 につ いて「 ほねを折 って参 った」「 かみ げ に く」「 傘 に しま」 な ど語 るので,初 めはその男 を 切殺 す つ も りでいた大名が携 えた力,上 下 ,小 袖 の類 を も惜 しみ な く与 え る。. O昆 布布施―― 施主. (ア. ド)貧 男女,長 老が登 場 人 物 で あ るが,ア ドが 出家. 者 には三 貫 ,比 丘尼 には二 貫 を施 こす との立 札 を立て る。 あ る貧乏男女が 出家 に まねて ア ドか ら八貫 を施 されよ うと出か け る。実 は「 貫」は 「 昆 布」 で あ って,漸 く八枚 の昆布 を受 け とった にす ぎなか った とい う。. 0箕 か つ き―一 連歌好 のンテ とその女房 との 出場。女房 は連 歌好が家産 の. 倒. れ る所以 だ と,有 名 な 占今 集 の序文「 力 を も入 れず して天地 を動 か し,鬼 神 の心 を も知 らば」云 々 と引用す るとい う筋 の もの。.

(15) 斎. 藤. 清. 衛. す で に酒 を材 料 に した ものには二三 触 れ て きたが,狂 言集 ,続 狂言集 には 飲 酒 に取材 とした ものが甚 し く目立 つgも とよ り酔狂 の姿 は,観 衆 の興 味を 唆 るものを 含 んで い るが,「 悪坊」 (狂 言記巻之一 )「 内沙汰」 (同 二 )「 ど こん さ う」 (同 巻之 三 )「 法 師物狂 」 (同 前 )笠 の下 (同 巻之 四)河 原新市 (続 狂言記 ,巻 之一 )鑢 庖丁 (同 巻之二 )暇 の袋 (同 巻之 三 )寝 声 (同 前 ). 素 抱落 (同 巻之 五 )の 類 を総覧す るに,そ の多 くは,ン テ (主 )に 賞 せ られ て宴会 をす るとい う場面 を 出 してい るだけ の もので,狂 言 的の可笑 を つ ね に 誘 うもの で はない。 に)聟 嫁物 ,愚 僧物等 次 に聟物嫁物 とい う一種 があ る。 夫 婦関係 ,結 婚事件 に取材 した もので. ,. 現実 的社会 には到 ると ころ見 られ る情景 で あ る。 また狂言 の観衆 は,そ れ と な く結婚 ,夫 婦争,離 婚 ,上 薦 とい うこ とに関心 を持 っていた ことが 推定 され る。 その主 要 な ものの題 を あげ ると,「 三 吟聟」「 貰聟」「 か くす い (粋 )」 「 相合傘」「釣 り女」「 花子」「 算勘聟」 な どで あ る。 ただ し,狂 の意義が 徹 底 しない欠点 があ って,あ る曲 は,田 舎芝居 を見せ られ てい るにす ぎない 筋 の もの もある。 最後 に愚僧 ,自 痴 の類 を取 りあげ た もの につ いて考 え て見 るな ら,賢 に対 し 愚行 とい うものは,な るほ ど,笑 の種 とな る。 しか し,山 僧 の愚行 につ いて は,時 に人 々の憤 りを さえひきお こす。室 町時代 には仏 教 が盛 ん にな ると共 に,仏 典 につ いて 何等 の智慧 もな い ものが,各 寺 院 に多 か った。五 戒 を守 る こ とも理解せ ぬ 出家が多か った もの ら しい 。三 百 曲 の 中 には,し ば しば僧 侶 が 出て くるが「 鹿狩 J「 福渡」 「俄道 心」 「 路蓮 坊主」 な どその代 表 「 六人僧」 で ある。愚僧 とはいえぬが,山 伏登場 の 曲 は「 荀 山伏 」「 蟹 山伏」 な ど同様 に指摘 され る。 しか し これ らを見 渡す に,可 笑 味が豊 かで ない。前述 の聟物 な どと同様 に,民 衆 的興 味 はあ った ろ うが,作 者 の機智 が現 れていな い 。. 惟 うに狂言 の文学性 は,国 文学 として 独 自の地 位を持 ってい る。可笑 は過.

(16) 狂 言. ヨδ. の 構. 成. 度 にな ると雅趣 を失 って くる。 国民性 として, 日本 人 は快活 な笑 い方 を知 ら ぬ と評 され てい る。 しか し, 日本人 は 微 笑 において特殊 の ものを持 ってい る。 もとよ り,児 童 や少年 やが,か らか らと大笑す る例 もな いで はな いが. ,. 中年 以上 の 日本 人 は互 に見合 った時,唇 を閉 して優 美 な微笑 を洩 らず。能楽 の 間 で 演 出され る。. (J. 過度 の物忘 れ症. 9)無 意 味 の論争 に)不 具者 の奇行 に)鬼 ,雷 神 ,狐 化等 の出現 (5)泥 棒詐偽 やす り 等 を見 聞 して,声 高 く嘲笑す るで あろ うか。 自分 の知 るか ぎ りで は,胸 底 で 笑 うものの方 が多 く,両 手 を打 ち声 を高 くあげ て笑 う観衆 は意外 に少 いので はな いか 。 これ は,近 世 時代 の洒落本 ,滑 稽本 ,黄 表紙等 の草子 を絡 く人 に つ いて も同様 で あ る。 かか る態度 は果 して賞す べ きもので あ るのか,否 か 。 以上 ,国 文学史 の一 ジ ャンル として狂言物 の心理 を問題 と してみ て来 た 。こ れ は前年 の紀要 に連続 して い るもの と して,特 に選 んだ もので あるが,疑 間を 提 した いのは,既 刊 の文学史家 が,狂 言 ,川 柳 ,狂 歌 ,落 語 等 に対 し厳粛 な鑑照. ,. 認識 を欠 いで い るか に思 われ る。例 えば アメ リカ人 は,性 来 明 か るい性格 を 持 ってい るが,近 世文学 の落語 の特殊性 は理解 出来 ぬ らしい。数年前 か ら. ,. 留学 して い る外 人 が落語会を作 って 習練 して い る由聴 いてい るが,落 語 師 の 目的は,聴 衆 を きや らきや ら喘 わす だけの こ とで はな い。 そ こには,深 刻 な 習練 が基礎 とな らなけれ ばな らぬ。聴衆 ,乃 至落語 ハ ウス に 出入 す るものは ,. 耳 乃至物真似手真似 をす る こ とを主眼 と してはな らぬ。 これ は,勝 負 だけが. ,. 剣道柔道 でない と同一 で ,そ こには,一 つ の道が立 て られ てい るので あ る。 狂 言 に出場す るものが ,多 く馬鹿 や阿呆やで あればそ うした愚行 に対す る演 者 の厳 正 さが欲 しい。 これ は,喜劇 的 の ものだ けで な く,悲 濠Jの 演 出者 につい て も考 え られ る。徒 らに涙をそ そ ぐ身振をす るのが,悲 rll俳 優 の主眼で はな い 。演劇 が文芸 の一 ジ ャンル と して重 んぜ られ る基 本 はそ こで あ るので あ る。.

(17) 斎 藤 清. 衛. なお狂 言 の可笑 味,ユ ーモ アについて 附考す べ き点 に,舞 台即 ち背景 の選 択 の 問題 があ る。以上名 曲名作 とす べ き狂 言 の 内容 につい て適宜 その件 を採 りあげて お いたが,狂 言記 のみ の統計を勘定 す るとほぼ以下 のよ うにな る。. {a)京 洛 一 帯 の地 に背景 を選ん でい るもの。 (b)近 畿 関西地方 の地 を選 んでい るもの。 (C)東 海道及 び 関東地方 を背景 に取 った もの。 に)中 部地方及 び東北地方 の地 名 を 出 して い るもの。. (e)日 本海 の沿 岸北陸道 ,山 陰道 の地 を選 んで い るもの。. (f)西 国,即 ち山陽道 ,四 国及 び九州 の地名 を取入 れた もの。 (g)そ の他. 0(a)狂 言 は 多 く能狂 言 として京師 で上演 されれか ら,そ の作者 も旧京都 の 諸地 を利用 して い るものが 多 い。 しか しパ ー セ ンテー ジか ら云 って 洛 内 の ものは比較 的少 ない。 当時地方人 が京 の諸 寺社 に抜 参 り (太 田傘等)す る ものが 多 く,(菊 の花 ,そ の他 )地 方人 田舎者 が上 京 して,京 の各地近 郊 を見物す るとか ,都 の有様 に驚 くとか い う構想 の ものが可 な りあ る。特 に,主 人 の命 を うけ京 に旅 して滑稽 を演 ず る筋 の ものが甚 だ 多 い。見物人 がそ うした田舎者 を軽蔑 してい るか ぎ り,地 方人 の愚行 を描 いた筋 に座 興 を抱 いた結果 で あ る ことは充分 に察 せ られ る。 但 し都 とい って も三条 (末 ひ ろが り等)四 条 とい うよ うな中心部 の名 はあま りに見 えず,却 て郊外 の叡 山,河 野 ,鞍 馬 ,栂 尾 ,嵯 峨 (ど ぶか っち り等)等 の地 名 が 多 く出され. ,. 下京 三 条 ,清 水 ,鳥 丸通 ,東 山,阪 本 な どが特殊 の狂 言 において利用 され て い る。 概 ね ,狂 言 の愛好者 が,近 郊 の住 人 に多か った ものか と察 せ られ るので ある。. O近 畿 関西地方 と云 えば,大 阪を中心 に兵庫 ,奈 良,和 歌 山,滋 賀等 の諸県 を合 む こ とにな るが, これ らを背景 の地名 に した狂 言 は最 も多 い。兵庫 津 (摂 津一茶壺. ),芥 川. (摂 津― 嬢子大黒天. ),生 田の森. (摂 津― ひめ糊 ),. 鴨 鳥 越 と須 磨 ,明 石 (同 前 ),西 の宮 (摂 津― 舟 ふ な),尼 が崎 (摂 津 一 相合袴 ),丹 波 (丹 波―柿売 ),天 王寺 (摂 津一 薩摩 守),和 田 (摂 津.

(18) 狂 言. の 構. 成. ― 朝比奈),神 崎渡 (播 磨一 薩磨 守),印 南野 (播 磨―鬼 の養子 ),大 峯 葛城 (河 内一 柿山伏 ),か ひ河 (河 内一 どぶか っち り),西 近江 と東近江 (近 江一 悪坊)淀 (山 城一 鑢包 丁 )宇 治 (同 一鮨 包丁 )大 峯葛城 (大 和一. 蟹 山伏 ),藤 代 (紀 伊一 生捕鈴木 )等 が あ る。 以. 11で. 注 日され るのは,北 方 の丹波丹後 が 特 に採 られず南方 ,熊 野,紀 リ. あた りが舞台背景 に見えな い こ とで ある。摂 津 の地 名が多数 に 出て くる こ と は,時 代 の姿を反 映す るもので あろ うか。要す るに,他 の 区域 に比 較す ると 関西 一 面 は種 々の形 で 曖 々題 材 に採 られて い る。. O以 _liに 比較す ると,東 海 道 関東一 円は面i積 が広汎 さに対 し地 名の 出 る曲が 甚 し く砂 い。 せ いぜ い西 野 (美 濃 ),見 付 (遠 江 )富 士 山 (富 士 松),鎌 倉 (腹 たて ず と藁 薬練. 野. (こ. ),武 蔵野. (針 立雷 ),入 間川 (武 蔵―入 問 川),那 須. ん くわ い)の 七八種 の程度 で あ る。東北地方 ,中 部地方 の地 名 の 出 さ. れ て い る例 もほぼ これ に匹敵 して い る。 奥州立館. (「. 生捕鈴木」 )長 野 ,身 延. 山 (信 濃 と甲斐一 か くす い及 び宗論 ),諏 訪 (信 濃― 法師物狂 )な どの地 名 が 出て くるのみ。 日本 海岸 の地 名 は一 層少 くな って 単 に越後 ,北 越後 (土 産 の 鏡 )と か ,北 出雲 (節 分 )(土 産 の鏡)と い うよ うに漠然 と広汎 の 名が 出 されて い るに過 ぎな い。. 0な お播 磨以西 は,ほ とん ど背景 にと られて い な いが,疑 間 とな るのは「 茶 壺」 で 主 が「某 は中国の者 で 御]座 る」 と,毎 年栂 の尾 に茶 詰み に 出か け るこ ととな ってい るが ,そ の 中国は後 の 山陽道 の こ とで あ るか ,否 か不 明 で あ る。 その他 蓬葉 島 (節 分 ),須 弥 山 (荷 文 )と い う架空的の名 を 出 した曲 もあ る が ,一 般 にPЧ 国 ,九 州 な ど西 国 の地名がほ とん ど見 られ な いのは,狂 言を好 む民衆 が少 なか った理 由 に帰 せ なければな らぬ。 最 後 に論 じ添 えた い点 は,狂 言 はわが文 学史 で民衆文芸 の筆頭 といい うる こ とで あ る。 中世末期 か ら,お 伽草子 ,仮 名草子 ,浮 世草子 な ど著わ され. ,. 近世文学 は 町人文 学 とさえ異称 されて い る。 た とえ読書力が現代 のよ うに普 及 し発達 しなか った時代 において も,狂 言 は対話 ,身 振 を もって 民衆 ,大 衆 の生 活 に接近 して い った。 しか し ここには,大 名 (主 ),冠 者 が主役 とされ.

(19) 斎 藤 清. 衛. て も,深 く庶民 の心理 に触れ るものが あ った。 その主要 をなす ものは,「 隠 れ もな い大名」 (鳥 帽子折 その他 )と 名乗 りを しなが ら,主 人公 はほ とん ど 好人物 で あ って ,冠 者 が遅 く参 じよ うと「 念 な う早か った云 々」。 と推 賞 す る。 の み な らず冠者 (時 にア ド)が へ まな失敗 を しよ うと一切 を 見逃 しにす る主心 なので あ る。 この舞台芸 は,女口何 よ うにか民衆 の肺腑 に入 ってか れ ら を喜 ば したか を想 像せ よ。多 くの 曲 は,冠 者 が詑 びなが ら,囃 子,謡 ,俗 歌. ,. 念仏 な どを唄 い 出す と,主 (ン テ)は す っか り悦 に入 って ,折 檻 もしま じい 程 の,こ れ迄 の 姿を改 めて合唱す るとい とい うよ うな と ころが結 び とな って い る,そ の他冠者 に対 し,京 見物 とか ,京 の店 に買物 を させ なが ら,冠 者 は 自 分 の過失 を棚 に あげて ,都 の話 を主 に聞かす と,主 は 聞耳立 てて京 の話 を聞 き,冠 者 の過分 を見 す ごす 曲な ど十数 曲 に亘 ってい る。 阿呆 と云 えば阿果 の 到 りで あ るが ,こ うしたテー マ に共鳴 す ると ころ に庶民 の良 心 が 出て い る。 福 渡 の結末 を見 て も ▲ くゎじゃ鞍 馬 の太子 多 聞天 の御願 を主 殿 に まゐ らせ た りや, まゐ らせ た ▲ とのたば つ た りや Aく ゎじゃ申 し殿様. たば つ た. ▲ くゎじマまゐ らせ た. ▲ とのたば つ たO. ▲ との何 ぢやぞ. ▲ くゎじゃあ ヽと仰 しやれ ませ い. ▲ とのあ ゝ ▲ くわじゃめでたい事 が ござ り. ます る。 奥歯 が三 本見 えます る。 寿命長 うござ りませ う。 ▲ とのそれ こそ めでた し,行 て休 め え ヽ ▲ くゎじゃは ヽ 上 演 用 の対話 で あるか らか よ うに,強 くきび きび と進 め られて い る。 観衆 も 「 あ ゝ」 と唇 を大 き く開 き奥歯を 見せ るまで して笑 った こ とで あろ う。.

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