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複合動詞「Vかかる」「Vかける」の文法化 : 構文 の成立とその拡張

著者 菊田 千春

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 81‑82

ページ 115‑165

発行年 2008‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011366

(2)

複合動詞「V かかる」 「V かける」の文法化

―構文の成立とその拡張

菊 田 千 春

1 . はじめに

 本稿の目的は,始動のアスペクトを表す複合動詞「Vかかる・かける」の 始動用法の成立を文法化という視点からとらえ,通時的なデータを検証しな がら,その様相を明らかにすると共に,文法化のメカニズムについての新た な知見を提供することである。

 日本語の複合動詞の成立過程や意味の変遷については,従来の実証的な研 究(cf. 関 1977)に加え,近年では,文法化や意味拡張という理論的な観点 からの研究が多く進められるようになった(Ono 1992, 廣瀬 2006,青木 2004 など)が,その中にあって,「Vかかる・かける」の文法化の研究はあまり なされていない。研究者の関心を引いてこなかったのは,「Vかかる・かけ る」の始動用法の成立にそれほど注目すべき点がないと思われてきたからか もしれない。

 しかしながら,以下で示すように,「Vかかる・かける」の文法化の過程 には,奇妙な点がいくつか存在する。特に興味深いのは,「Vかかる」と「V かける」の始動用法は,成立時期にも成立過程にも違いが見られることであ る。本稿では,これらの文法化過程を詳細に検討し,まず,Traugott & Dasher (2002)らが提案するように,文法化は限定された語法の言語使用における推 論や解釈の揺れから少しずつ始まることを示す。しかし,それだけでは十分 とはいえず,「Vかかる ・かける」の始動用法の広がり全体を正確にとらえ

(3)

るには,構文やその拡張という視点も不可欠であると主張する。

 本稿の構成は以下のとおりである。第2節では,「Vかかる・かける」の 共時的特質をあきらかにし,指向用法と始動用法の違いを明確にする。そし て,その過程で始動用法の成立は「文法化」と捉えられることを示す。第3 節では,文法化現象およびそのメカニズムに関しての最近の研究を紹介する。

第4節では「Vかかる・かける」の通時的な変遷について,代表的な辞書の 記述を元に大まかな様相をとらえ,「Vかかる・かける」の文法化に見られ る問題点を指摘する。第5節では,実証的なデータをさらに詳しく調べ,「V かかる・かける」の文法化の様相を明らかにし,第4節で指摘された問題に は文法化のメカニズムに根ざした理由があることを論じる。第6節は結語で ある。

2 . 複合動詞「V かかる・V かける」の共時的特性

 複合動詞は従来より多くの関心を集め,国語学,言語学の両方の領域で研 究されてきた(関 1977, 野村・石井 1987,姫野 1999)。特に近年では,生 成文法の立場から,複合動詞の語彙概念構造を形式主義的に分析する研究や,

認知言語学の立場から,文法化や多義のネットワークや意味拡張といった視 点での研究が盛んにおこなわれてきた。本節では,まず,共時的特性を,詳 細な記述的研究である姫野(1999)と語彙概念構造を基盤とした研究である 影山(1993, 1996),由本(2005),影山・由本(1997)を元に捉え,「指向用 法」と「始動用法」の違いをどのように構造的に考えられるかを示す。

2 . 1 .  現代日本語における複合動詞「V かかる・かける」の意味特性  日本語は,「Vかかる」や「Vかける」を含め,多くの複合動詞(2つの動 詞を構成素にもつ動詞)を持つ。それらの詳細な記述的な研究は,姫野(1999)

に見ることができる。姫野(1999)は「Vかかる・かける」の意味を「指向」

と「始動」の2つに大きく分けている。前者は「追いかける」「笑いかける」

(4)

「〜かかる」の複合動詞

1.対象に/へ/に向かって 〜かかる

自動詞か他動詞か

自+かかる=自 自+かかる=自 自/他+かかる=自

落下接触

接触 依拠接触

志向接触 頭上に散りかかる

2.(場所)に/へ/を 〜かかる

自+かかる=自 通過遭遇 人が店の前を通りかかる

壁に寄りかかる 人に襲いかかる

意味特徴

「〜かける」の複合動詞 自動詞か他動詞か 意味特徴

他+かける=他 依拠接触

他+かける=他 志向接触

自/他+かける=自/他 心理的志向

他+かける=自 志向移動

他+かける=他 把捉 1.対象に/へ 物を 〜かける

2.対象に/へ/に向かって/をめがけて 物を 〜かける

3.人に/へ/に向かって 〜かける

4.場所に/へ/に向かって/をめがけて 〜かける

5.対象を 〜かける 壁に板を立てかける

人につばを吐きかける

人に笑いかける

会場に詰めかける

犬を追いかける

「飛びかかる」「降りかかる」のように,「何かに向かう」という行為(や出来 事)の物理的・心理的方向性を表すことで,後者は「作りかける」「読みか ける」「落ちかかる」のように,何らかの行為を始めること(または,始めよ うとすること)や行為が未完遂であることを表す。

 指向の「Vかかる」「Vかける」の意味はさらに次のように分けることがで きる。(姫野1999より)。

(1) 指向の「〜かかる」

(2) 指向の「〜かける」

(5)

 また,姫野(1999)は,「始動」の「Vかかる・かける」についても,「指 向」ほどは細かくないものの,佐久間(1966),金田一(1976)を手掛かり に,「始動態」と「将現態」の2つに分けている。前者は動作をやり始めるこ とを指し,動作が途中までは行われたことを表す一方,後者は,動作をおこ なう寸前の状態に達したが,まだ行なっていないことを指す。次のうち,(3) が始動態,(4)が将現態の例である。前者は,少しは「立ち」,「読んだ」こと を示すが,後者はまだ「死んで」も「落ちて」もいない。この区別は前接動 詞(以下,V1と呼ぶ)の種類によって決まるが,明確に区別できないことも 多い。たとえば,(3a)も,「少し立った」という解釈で始動態と考えられる一 方で,「まだ立っていない」と解釈すれば,将現態ということになる。

(3) a.席を立ちかかったが,もう一度座りなおした b.読みかけの本

(4) a.危うく死にかかった

b.石につまづいて,穴に落ちかけた

 では,この指向と始動の2種類の「Vかかる・かける」はどのような関係 にあるといえるのだろうか。この両者は共に複合動詞と呼ぶ事ができるもの の,その意味的・統語的特性にはかなり明確な違いがある。まず,意味の面 では,指向の方が「かかる・かける」という動詞本来の意味をそのまま残し ているのに対し,始動の方はかなり抽象的な意味に変化している。実際,「(A が)BをCにかける」や「BがCにかかる」といった本動詞「かかる・かけ る」のあらわす動作には本来,動作の方向性や指向性の意味が含まれるが,

「始まり(始動)」の意味は含まれていない。

 また,この両者には統語的な違いも見られる。もっとも大きな点は「かか る・かける」自体が項の数や格付与に影響を与えるかどうかである。(5)に示

(6)

すように,指向を表す「Vかかる・かける」は,「かかる・かける」が項の 数や格に影響を与えるが,始動の場合には,「かかる・かける」が格に影響 を与えることはない。つまり,指向の場合(5a)では,「かかる」によって,も ともとの前項動詞(以下,V1と呼ぶ)の項構造を変更してニ格名詞が加わる が,始動の(5b)ではそのような違いはみられず,V1の項構造が全体の複合動 詞全体の項構造に反映される。

(5) a.警官が泥棒に飛びかかった。

cf. *警官が泥棒に飛んだ

b.太郎が穴に落ちかかった。

cf.  太郎が穴に落ちた

 また,指向の「かかる・かける」は複合動詞を形成できるV1があらかじ め決まっており,どんな動詞とも結合できるわけではない。また,複合動詞 の意味も,「見かける」や「思いがけない」など,V1と「かかる・かける」

からは単純に予測できないものも少なくないし,「引っかける」「追っかける」

「とっかかる」「つっかかる」「よっかかる」など,V1と「かかる・かける」

の結合部分が音韻変化を起している例もある。このことから,指向の「Vか かる・かける」は,語彙的な複合動詞であり,一般的な生産力を持たず,イ ディオム化していると考えられる。一方,少なくとも始動の「かける」はほ とんどすべての動詞と結合し,一定して始動の意味を付与する。この点から,

姫野(1999)は始動の「かかる・かける」を「接辞化している」(p. 122)と も「補助動詞的」(p. 142)とも述べている。このように,「Vかかる・かけ る」には意味的にも統語的にも異なった性質を持つ2種類のものがあると考 えられる。

(7)

2 . 2 .  現代日本語における「V かかる ・かける」の統語的特性

 このような2つの区分は,「Vかかる・かける」にのみ観察されるのでは ない。影山(1993, 1996)や由本(2005)は,日本語の複合動詞・複雑述語 を意味・統語論的に詳細に分析し,モジュール形態論という立場から,大き く2つの種類に分類している。いずれも,Jackendoff (1990)の語彙概念構造 (Lexical Conceptual Structure)に基盤を置く生成文法的なアプローチであるが,

複合動詞の形成(すなわち,各構成素(動詞)の結合)を語彙概念構造のレ ベルで捉えると共に,複合動詞を,語彙レベルで形成されるもの(語彙的複 合動詞)と,統語レベルで形成されるもの(統語的複合動詞)に区別する。

それにより,それぞれの統語的ふるまいの違いは,それぞれのモジュール毎 の原理に起因すると説明される。この考えによれば,指向と始動の「Vかか る・かける」の違いは,形成されるレベルの違いに起因すると分析されるこ とになる。

 語彙的複合動詞は語彙レベルで形成されるため,V1と後項動詞(以下,V2 と呼ぶ)の結びつきが強いのに対し,統語的複合動詞は,統語レベルまで一 定の独立性を保ち,補文構造をとると考えられている。そのようなことから,

両者は大まかに次のような特徴をもつとされる(cf. 影山1993, 1996)。

(6) a.語彙的複合動詞は生産性が低く,可能な動詞が限られるが,統語的複 合動詞は生産性が高く,多くの動詞と結合する事ができる。

b.語彙的複合動詞は全体としての意味が不透明でイディオム的な予測の できない意味もあるが,統語的複合動詞の意味は透明性が高い。

c.語彙的複合動詞は他動性調和の制約がかかり,構成素の動詞は自動詞

+自動詞,他動詞+他動詞の傾向があるが,統語的複合動詞にはその ような制約がかからない。

d.統語的複合動詞の方のみV1の部分をdo so「そうする」などの代用表 現で言い換えができる。

(8)

 この基準に従うと,以下に示すように,指向を表す「Vかかる・かける」

は語彙レベルで形成される語彙的複合動詞であるのに対し,始動というアス ペクト的な意味の「Vかかる・かける」は統語的レベルで形成される統語的 複合動詞と規定される。

 まず(6a)の生産性について考えてみよう。先にも述べたように,指向の「V かかる」や「Vかける」はV1に生起できる動詞が決まっているが,始動の

「Vかける」は基本的にはどのようなV1もとることができる。また,(6b)に 関して言えば,指向の「Vかかる・かける」はV1がどのような意味である かによって具体的な意味が変わるが,始動の場合には,「〜しようとする・し そうになる」という意味で一定している。

 さらに(6c)については,指向の「Vかかる・ かける」は,(7)にも示すよう に,もともと他動性調和の制約に基づいて,どのV1が生起できるかが決まっ ている。その一方,始動の「Vかける」は(8)に示すように,自動詞や他動詞 などの区別に関係なく複合動詞を作ることができる。1

(7) a. 太郎が本を立てかける。(他動詞+他動詞)

b. *太郎が木に寄りかける。(cf. 寄りかかる)(*非対格+他動詞)

(8) a. 洋は転びかけたが,横から次郎が助けてくれた。

b. 洋は授業中,うっかり眠りかけた。

c. 洋はレポートを書きかけたが,途中で止めてしまった。

 また,(6d)に関しては,(9)に示すように,指向の「Vかかる ・ かける」の

V1の部分のみを「そうする」や「そうなる」のような語句で代用するのは難 しいが,(10)に示すように,始動の場合は問題がない。

(9)

(9) a.母トラが獲物に襲いかかった時,子供のトラも*そうしかかった/そ うした。

b.優子が洋に呼びかけた後で,千恵子も*そうしかけた/そうした。

(10) a.母トラが危うく罠にはまりかかったところで,子供のトラもそうなり

かかった。

b.母トラがようやく獲物を食べかけた時,子供のトラもそうしかけてい た。

このように,指向の「Vかかる・かける」と始動の「Vかかる・かける」に は,単なる意味の違いだけではなく,統語構造に反映されるような語形成の タイプに違いがあるように思われる。影山(1993, 1996)では,指向の「Vか かる・かける」はレキシコンのレベルで複合動詞化され,1つの語彙的なま とまりとして統語上にマッピングされる語彙的複合語であるのに対し,始動 の「Vかかる・かける」はレキシコンのレベルでは複合動詞化は起こってお らず,統語のレベルでV1と「かかる」「かける」は別々にマッピングされる 統語的複合語であり,そのため,それぞれの独立性が高く,また,相互の依 存や制約関係が低いと考えることができるとされている。同様に,日本語の 複合動詞のうち,アスペクト的な意味を持つ「V始める」「V続ける」「V終 わる・終える」などがすべて統語的複合動詞と規定される(影山 1993, 1996)。  確かに(9)−(10)のような対立は非常に明確で,この2つのタイプの複合 動詞の統語的な違いを端的に示している。また,指向の語彙的複合動詞がレ キシコンで生成された語彙的まとまりであれば,始動の統語的複合動詞のV1 として機能する事が予測されるが,この予測の正しさは,(11)の例が,やや 冗長であるものの,十分に適格と判断できる事からも確かめられる。

(11) a.母トラは獲物に飛びかかりかけた。

(10)

b.猟師はキツネを捕らえようと,罠をしかけかけた。

 このように,影山(1993)の主張する語彙的複合動詞, 統語的複合動詞の 区別は両者の間に見られるさまざまな違いに明確な説明を与えることができ そうに見える。しかしながら,この語彙的複合動詞,統語的複合動詞という 2分法ですべてが捉えられるわけではない。ミニマリズム以降の生成文法で は,レベルの区別をなくそうという動きもあり,ここでのモジュール形態論 の前提自体を認めず,すべての語形成を統語レベルで捉えようとするHale &

Kayser (1993)に続く立場もあるが,そのような生成文法の理論内的な問題を 離れ,「Vかかる ・かける」のデータ観察に限定しても,この2分法には矛 盾が存在する。たとえば,指向と始動の意味的な対立と語彙的複合動詞,統 語的複合動詞の対立はうまく対応するように見えるが,実際のところ,統語 的複合動詞の要件を十分に満たしているといえるのは始動の「Vかける」だ けで,始動の「Vかかる」は(6)に挙げた統語的複合動詞の特性を十分には 持っていない。

 まず第1に,姫野(1999)が指摘するように,「Vかかる」のV1はすべて

「Vかける」と複合動詞を作りうるが,逆は言えない。すなわち,始動の「V かかる」は「Vかける」ほど生産力は高くない。また,それに関連して,「V かける」は(7)でも見たように,すべてのタイプの動詞と統語的複合動詞を 形成できるが,自動詞である「かかる」を含む「Vかかる」のV1は非対格動 詞(他動詞の受動態も含む)に限定される。ここから,「Vかかる」には他動 性調和の制約がかかっていると見ることができる。

(12) a. * 太郎が絵を描きかかった時,ベルが鳴った。(他動詞)

b. * 太郎が走りかかった時,ドアが閉まった。(非能格)

c. 太郎は危うく転びかかった。(非対格)

(11)

 しかし,その一方で,通常の語彙的複合動詞とは異なり,始動の「Vかか る」も意味の透明性は高く,(9)で見たように,「そうなる」という代用表現 でV1を代用することもできることから,統語的複合動詞の性質も確かに 持っていることがわかる。

 このように,生産性の低さ,他動性調和という点から見るならば,始動の

「Vかかる」は統語的ではなく語彙的複合動詞のようであるが,その一方,そ の意味の透明性,また,do soテストの結果などから見ると,明らかに統語的 複合動詞により近いと感じられる。2

 以上,現代の日本語では「Vかかる・かける」には「指向」と「始動」の 2種類があり,影山や由本らのモジュール形態論の立場に立つ分析では,そ れぞれ,語彙的複合動詞と統語的複合動詞と考えられることを示した。しか し,その一方で,完全な2分法には馴染まないという問題も指摘した。

 本稿の目的は,始動の「Vかかる」が語彙的複合動詞か統語的複合動詞か を論じたり,また,このような語彙的と統語的という2分法の適切性を議論 することではない。ただ,文法化という視点から「Vかかる・かける」を捉 える上で重要なことは,語彙的複合動詞と統語的複合動詞には意味だけでは ない違いがあるということ,そして,語彙的複合動詞から統語的複合動詞へ と展開する過程は,次節でも述べるように,より独立した語彙要素から,よ り拘束された文法要素に変化して行く文法化と捉えることができるというこ とである。そのように考えると,語彙的複合動詞と統語的複合動詞に見られ る共時的な特性は,連続的な通時的な変化の結果なので,「Vかかる」と「V かける」の間に文法化の進展について差が生じるのは十分にあり得ることと 考えることもできる。そこで,次節では,文法化現象とはどのようなもので,

どのようなメカニズムによって生まれると考えられているのかを説明する。

3 . 文法化現象としての複合動詞化

 日本語の複合動詞は,本来2つの動詞から形成されるが,多くの場合,そ

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のV2は元来の語彙的な意味からより抽象的で形式的な意味をあらわすよう になっていたことが確かめられる。このことから,近年では,複合動詞の発 展を文法化現象として分析する研究が見られる(Ono 1992,廣瀬 2006,青木 2004など)。本稿でも「Vかかる・かける」の展開を,文法化現象としてと らえるが,具体的な分析に先立ち,本節では,文法化現象について概説する。

3 . 1 .  文法化現象

 「文法化」とは,Hopper & Traugott (2003)によれば “that subset of linguistic changes whereby a lexical item or construction in certain uses takes on grammatical characteristics, or through which a grammatical item becomes more grammatical.”

(p. 2)と定義され,自立性の高い語彙的要素が,文法機能をあらわす要素に変 化していったり,文法的要素がより依存度の高い文法的要素の変化する通時 的変化を指す。主に,名詞や動詞から前置詞が派生したり,代名詞から冠詞 や接続詞が派生したり,動詞から助動詞が生まれたりするような現象がよく 観察されており,英語でも,thatの派生,be going toの近未来表現への発展 などが代表的な例とされる。また,sinceやwhileの用法の変化にも見られる ように,命題的な意味をもつ要素が文と文の論理的な関係を表すようになる ことや,さらに,談話的機能を担うようになることも重要な文法化の特徴と 考えられている (Hopper & Traugott, 2003; Traugott & Dasher 2002)。

 言語が通時的に変化を遂げるのは自明ともいえるが,すべての言語変化が

「文法化」と呼ばれるわけではない。文法化の場合には,語彙の持つ形態,音 韻,意味,統語といったさまざまな側面が総合的に変化する。つまり,意味 が一般的で機能的になるにつれ,生産性が高まり,他の語彙との連語の可能 性が広がる。さらに,多くの場合,音韻的にはより小さくなり,強勢をうけ ず,発音自体も省略されるようになる。命題的な意味ではなく,命題間の論 理関係を述べたり,さらには談話的機能を表すようになるなどの傾向が指摘 されている。このように,「意味だけ」「音韻だけ」の変化ではなく,それら

(13)

が相関しながら変化することが特徴といわれる。

 このような相関的な言語変化を文法化と呼んだのは,Meillet (1958 [1912]) が最初と言われているが,その現象に関する観察はもっと古く,Wilhelm von Humboldt (1767-1835)の研究にその先駆が見られるとされている (Hopper &

Traugott 2003)。このように,古くから観察されている文法化現象であるが,

特に1980年以降に活発な研究がなされ,代表的な研究として,Heine, Claudi,

& Hünnemeyer (1991),Hopper & Traugott (1993, 2003),Bybee, Perkins, &

Pagliuca (1994),Traugott & Dasher (2002)らがある。

 文法化現象の対象はもともと歴史言語学の中で研究されてきたものである が,現在では認知言語学の中で扱われることも多い。それは認知言語学の立 場から見て,文法化が非常に興味深いデータを与えてくれると同時に,認知 言語学の知見によって,文法化に対する理解がより深まることが期待される からである。特に,生成文法では共時的に語彙カテゴリーと機能カテゴリー はまったく別の性質を取るとされるが,通時的な文法化現象は,両者が全く 異質のものであったわけではなく,語彙カテゴリーと機能カテゴリーの間に 連続的な関係を認める可能性を示す。このことは,離散的なカテゴリーの存 在を否定し,カテゴリーの連続性を主張する認知言語学にとって非常に興味 深い事例と言える。

 また,文法化とは,ある語彙項目がより「文法的」な機能を持つようにな るということであるから,単に変化するのではなく,個々の多様な用例の中 からスキーマが抽出され,スキーマ的な意味を持つものとして再カテゴリー 化がおこることを意味する。先験的に「文法」が存在するのではなく,言語 使用をもとに文法が形成されていくと考える,用法基盤モデル (Usage-Based Model) に立つ認知言語学では,どのようにして規則性やパターン化が広が り,文法が形成されるのかを考える上で,文法化現象は大きな手がかりを与 えるものとして注目されている。

  で は , ど の よ う に 文 法 化 は 起 こ る の で あ ろ う か 。 文 法 化 は 再 分 析

(14)

(reanalysis) と類推 (analogy) によって進むとされているが,それを促す動機 付けやメカニズムとしては,早い段階からメタファーの役割が重要とされて きた。たとえば,Heine, Claudi, & Hünnemeyer (1991)は,空間から時間への メタファー的な拡張が文法化などに見られる意味変化に大きく関与している と指摘している。確かに,意味変化には空間から時間への拡張を含むものが 多く,英語のbe going toの例もあるように,時制やアスペクトに関わる表現 を生む本動詞は,移動の意味を持つものが多いといわれている。また,物体 から出来事へのメタファー的な拡張もよく見られるものの一つであり,たと えば,「ものを開く」ことから「出来事を開く=開始」への変化もメタファー 的な意味拡張といえる。さらに,Langacker (1990)の主体化(subjectificaton)も 文法化を進めるメカニズムのひとつとされている(Evans & Green 2006)。

 しかし,中でも近年特に注目されているのは,メタファーよりもメトニ ミーの働きに注目し,具体的な文脈における言語使用の場で,話者や聞き手 の間にどのような解釈の広がりが生じていくのかまでを考慮にいれた Traugottらによる研究である(Traugott & Dasher, 2002; Narrog, 2006)。Hopper

& Traugott (2003)や Traugott & Dasher (2002)は,文法化は,特定のコロケー ションや特定の文脈で起こる意味解釈上の曖昧さや語用論的な推論が次第に 慣習化・固定化することによって起こると主張する。

 実際に通時的な変化を検証すると,AからBへと変化が起こるとき,通常 は突然AがBに再分析されるのではなく,その間に{A,B}=両方の用法 が並存する二重使用の段階 (layering) が存在することが知られている。3 す なわち,ある言語表現が明白にAという意味・機能を表す記号であった時期 にも,文脈によって,話者がAという意図で用いた発話から,Bという推論 が可能な場合があるとTraugott & Dasher (2002)は指摘する。そのような文脈 での使用が繰り返されるうちに,推論Bは慣習的に高い確率で得られるよう になり(=誘発推論 (invited inferencing)),やがて語用論的強化 (pragmatic strengthening) によって,次第に言語的な意味と解釈されていく。そして,A

(15)

かBの両義性や曖昧性が一定期間続いた後,Aとは解釈できずBとしか解釈 できない文脈で用いられるようになる。この時点で,ある言語表現は明白に Bという新しい意味・機能をあらわす記号として確立したと考えられる。あ る表現が意味する行為やそこから生じる推論を全体として捉えた時,このよ うな解釈の推移は,部分と全体の関係に立つメトニミー的な意味のシフトと 考えることができる。

 確かに,Heineらの空間から時間のメタファー的マッピングという考えは 非常に一般性が高く,広く観察される変化の方向に合致している。しかし,

言語は抽象的な存在ではなく,常に,現実の使用の場で,何らかの意味を意 図して発話され,それが解釈されるというプロセスを繰り返して存在してい るものであり,その中で徐々に言語変化が生じていく。そのような言語変化 の過程を考えると,個々の言語表現の意味,またそれが談話の文脈で言語使 用者によってどのように解釈され,どのように使われたのかということと無 関係に,一般原則のみによって言語変化が起こったとは考え難い。このよう な用法基盤モデルの視点に立つ問題意識に答えるのがTraugottらの研究とい える。また,このアプローチは,実際の言語データに見られる漸進的な変化 をうまくとらえることができることからも,非常に有力なアプローチと考え られている。

3 . 2 .  文法化現象としての複合動詞化

 第2節の終わりでも述べたように,日本語の統語的複合動詞(あるいはそ れを作る補助動詞)も,本動詞から文法化のプロセスを経て生まれたと考え る事ができる。複合動詞化(=V2の補助動詞化)は次のような点で文法化 の定義を満たしている。

(13) a. V2の意味の抽象化

b. V2の自立語としての地位の消失

(16)

c. V2の選択制限が消失し,ほぼどのようなV1とも結合する(生産性の 向上)

 日本語のアスペクト的な意味を持つ複合動詞の場合,V2の本動詞自体がそ もそもアスペクト的な意味を表すものと,そうでないものがある。前者には,

「V始める」「V続ける」「V終わる・終える」が相当し,後者には,「V出す

(始動)」「Vかかる・かける(始動)」「Vきる(完遂)」「V(て)しまう(完 了)」などが相当する。前者のような複合動詞の場合,本動詞はもともとevent を対象項として取り,「Vすることを始める」「Vすることを続ける」などと 言い換えることができる。つまり,複合動詞のアスペクト的な意味は本動詞 の意味から直接受け継がれていると考えられる。それに対し,後者の場合,

「Vすることを出す」「Vすることをかける」「Vすることをきる」などは意味 を成さず,本動詞の意味が文法化の過程の中で意味変化を遂げたと考えられ る。アスペクト的とは呼べないものの,「V(て)おく」「V(て)みる」など も,後者と同様,本動詞の意味が大きく変化した例といえる。

 青木(2004)は完遂の「Vきる」を文法化という観点からとらえ,史的展 開を実証的に詳しく辿っているが,その中で,「焼き切る」のような「切断」

の意味や「振り切る」「思い切る」のような「終結」の意味から,「冷えきる」

「静まりきる」のような「極度」の意味が生じる間に,ニュアンスや言外の推 論が慣習的に得られるようになり,言語表現の意味の一部として再解釈がお こなわれることを指摘している。4 つまり,「思い切る」「振り切る」は復元 できない行為であることから,「きっぱりした行為だ」という会話の含意を生 み,それが慣習化して定着し「強調」,「極度」を表現するようになったとい う。青木(2004)は言及していないが,これは,Traugott & Dasher (2002)の 言う,語用論的強化や高頻度で慣習的に得られる推論に駆動された意味変化 の例といえるだろう。また,一連の「終結」行為の中で,「終結」の部分のみ を述べながら「きっぱりした行為」という主観的な評価をあわせて表現した

(17)

り,またその主観的な評価の部分のみを表現するようになるのは,部分と全 体の関係に立つメトニミー的な意味拡張といえる。

 同様に,たとえば「(て)おく」は,行為の後,それで終わるのではなく,

その対象物を意図的に「置く」,ということから,なんらかの目的をもって行 なわれるという「ニュアンス」が生まれ,対象物を物理的にどこかに置かな くても,将来のなんらかの目的のために何かをおこなうという意味を表すよ うになった。これも,本来は語用論的な推論が文法的な意味になっていった 例と考えられる(cf. Ono 1992, 廣瀬 2006)。

 このように,日本語の複合動詞の展開も,実際の言語使用の場でどのよう に意味が変化していったのかを考えると,Traugottらの主張する文法化メカ ニズムがよくあてはまることがわかる。

 では,「Vかかる・かける」はどうであろうか。残念ながら,「Vかかる・

かける」は,これらの複合動詞の例ほど,話者の主観的な評価にかかわる会 話の含意の語用論的強化が行なわれたとは思われない。しかし,次節以降で 示すように,「Vかかる・かける」の文法化の過程にも,上に述べたような,

ごく限られた特定のコロケーションの解釈でのメトニミー的な意味拡張が大 きく関与している。さらに,「Vかかる・かける」の文法化には,「Vかかる」

と「Vかける」の成立の過程に不思議な不均衡がみられる。そのような「V かかる」「Vかかる」両方を含めた文法化の全体をとらえるには,漸進的な変 化の積み重ねという通常の文法化の特性に加え,それとは逆方向の変化のメ カニズムも想定する必要があることを論じていく。

4 . V かかる・V かけるの文法化 ― Preliminary およびその問題点

 本動詞「かかる・かける」は多義であるが,元来,物理的な物が対象物に 掛かる(また,それを掛ける)行為を指していたと考えられる。上代から観 察された「Vかかる・かける」も,V1の行為の結果,何かが対象物に掛かる

(18)

「指向」の意味であった。そこからどのように始動の意味が生まれたのであろ うか。

 たとえば指向を表す「Vかける」の例である「呼びかける」は「呼ぶ」と いう行為の「はたらきかけ」を表現するので,そこから行為を始めようとす る「始動」の「Vかかる」が生まれるのは自然なことと思われるかもしれな い。また,「仕事にかかる」というような本動詞の存在からも,「かかる」=

「始める」という意味があるのだから,始動の意味はそこから直接帰結するこ とで,特段議論の余地はないと思われるかもしれない。しかしながら,通時 的な文献例をさかのぼると,「Vかかる・かける」の「始動」の用法は「働 きかけ」の意味から発展したとは思われないし,「かかる」が「始める」の意 味で使われるようになるのは「Vかかる」の始動用法が確立した中世以降と されている。

 本節では,上代の「かかる」「かける」および,中古以降の「Vかかる・か ける」の意味やその展開の概要をみる。5 特にここでは,中古期以降の展開 について,文献上に確認された語義の変遷を実証的に記述している国語辞書 の『日本国語大辞典』(小学館)の記述をもとに,「Vかかる・かける」の展 開がどのようにとらえられてきたかを確認し,その疑問点を整理する。6

4 . 1 .  上代

 本動詞「かける」や「かかる」は「何らかの物体が他の物体に掛かる」,ま た,「何かに掛ける」というのが原初の意味と考えられている。しかし,この 語は上代より多義性をもち,また,広く使われていた。以下の例はすべて『万 葉集』(8C後)からで,このうち,(14)が原初の意味であるが,(15)や(16) のような用例も多く観察される。(15)は,「気持ちや視線といった抽象的なも のを自分の心や相手に向ける=思う,目指す」という意味,(16)は,「声を掛 ける=口に出して言う,呼ぶ」という意味である。

(19)

(14) a.つのさはふいはれの山に白たへにかかれる雲は皇にかも (3325) b.玉の緒のうつし心や 八十楫かけ,漕ぎ出む船に遅れて居らむ (3211)  

(15) a.眼交(まなかひ)にもとなかかりて安眠し寝なさぬ (802)

b.山越の風を時じみ寝る夜落ちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ (6) c.眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ舟泊り知らずも (998)

(16) かけまくほしき妹が名 この背の山にかけばいかにあらむ (285)

特に(15)や(16)の用法は現代ではほとんど使われないが,上代には非常に多 く見られる。また,項構造は異なるが,「かかる」「かける」いずれにも物体 が掛かる意味と心理状態を表す意味があったことがわかる。7

 一方,複合動詞も上代から観察されるが,上代の複合動詞は一般にまだ未 発達だったとされ,全体の一体化は進んでいなかった。そのため,形態的に は複合動詞であっても,意味は並列的(「V1して,V2する」)のようなもの と考えられる。また,「Vかかる・かける」の用例も多くはなく,例えば,『万 葉集』に見出される例は次のようなものに限られる。

(17) a.恋は今はあらじと我れは思へるを いづくの恋ぞ つかみかかれる

(695)

b.家にありし櫃に鍵刺しおさめてし 恋の奴のつかみかかりて (3816) c.浅緑 染め懸けたりと見るまでに 春の柳は萌えにけるかも (1847) d.腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて おのがなり (3791) e.木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて (4236)

 例えば,(17a, b)の「つかみかかる」は,(擬人的だが)「(相手を)つかん で,そこに自らの体重を懸ける」ことを指し,(17c)の「染め懸け」は「糸を

(20)

染めて竿などに懸けて干す」ことを指す。このように,上代の「Vかかる・

かける」は2つのeventを並列的に表現するようなものでしかなく,複合動 詞の構成素となるVと「かかる・かける」のそれぞれの意味内容がそのまま 反映されていたと考えられている。

4 . 2 .  中古期以降

 中古期に入ると,「Vかかる・かける」の使用頻度はtype-frequency,token-

frequency共に増え,広く用いられるようになっていった。『平安時代複合動

詞索引』(東辻他2003)には,89種類の「Vかく」(かける)」,71種類の「V

かかる」が掲載されているが,用例が多いのは次のような複合動詞である。

(18) 自動詞型「Vかかる」

「押しかかる」「取りかかる」「走りかかる」「這ひかかる」「寄りかかる」

「落ちかかる」「暮れかかる」「こぼれかかる」「散りかかる」「降りかかる」

(19) 他動詞型「Vかく」(=Vかける)

「打ちかく」「為かく」「脱ぎかく」「引きかく」「振りかく」「縒りかく」

「言ひかく」「読みかく」「思しかく」「思ひかく」

 小学館『日本国語大辞典』8が定義する「Vかかる」の意味のうち,「(1)上 の動詞の表す動作,作用が,ある物に向けられる意を表す」は,指向の意味 であるが,これについては,『万葉集』の上述の例(17a)を初例として挙げて いる。その他,中古初期の例としては『竹取物語』(9C末〜10C初)の例

(20a),中古中期の例として『源氏物語』(1001-14頃)の例(20b)を挙げてい

る。

(20) a.神は落懸るやうにひらめきかかるに (竹取物語)

b.いたくあざれかかれば (源氏物語)

(21)

 「Vかかる」のもう一方の定義,「(2)上の動詞の表す動作,作用が始まり そうになる,また,始まって,その途中である意を表す」は,始動の意味で あるが,これについては,中古中期の『落窪物語』(10C後)からの例(21a) を初例とし,『源氏物語』からの例(21b)も載せている。

(21) a.母北の方,異兄弟たち,ただ爰になん来かかる (落窪物語)

b.日暮れかかるほどに (源氏物語)

ただし,このうち,『落窪物語』の例(21a)は,『日本古典文学大系』では「来 にける」となっており,用例の確定に疑問の余地がある。

 一方,「Vかける」についてはどうであろうか。同じく小学館『日本国語大 辞典』は,「Vかく(かける)」の意味の1つを,「(1)上の動詞の表す動作,

作用を,ある物に向ける意を表す」としており,これは指向の意味であるが,

この初例は,中古中期の『伊勢物語』(10C前)からの例(22a)であり,さら に,『枕草子』(10C終)の例(22b)が挙がっている。

(22) a. 昔,をとこ. . . 斎宮のわらはべにいひかけける (伊勢物語)

b. 風のいたう吹きて横さまに雪を吹きかくれば (枕草子)

 興味深いのは,「Vかける」の2つめの意味,「(2)上の動詞の表す動作,

作用を始めそうになる」,つまり始動の意味の文献初例が中古期には観察され ていないことである。辞書に挙げられた例は,近世初期,17世紀後半の『浮 世草子 ・好色一代女』(1686)の(23)の例である。

(23) しどけなく帯とき掛けてもやもやの風情みせければ (好色一代女)

(22)

 しかしながら,この(23)の例を厳密に初例と考えてよいのかというと,実 は,そうでもない。『角川古語大辞典』では,(23)と同じ例の前に(24)の例を 用例としてあげているが,これは『七十一番歌合・中』(1500年頃)からの 例である。

(24) しばしまで造りかけたる木ほとけの 光そふべき夕暮の月

(七十一番歌合・中)

 (24)の例を見ると,始動の意味の「Vかける」が17世紀後半まで見られな かったということはいえそうになく,中世の15世紀末から16世紀初めまで にはその意味で使われていたと考えられる。9

 なお,上にも述べたように,言語変化は漸進的に起こり,明確な変化があっ たと認められるよりも前に,両義的な解釈が可能な用例はあったと思われる。

また,文献上の限界は置いても,どの段階で,確かに新しい意味が成立した と言えるのかについては,書き残された文献から確定するのは難しい場合も 多い。

 「Vかかる」や「Vかける」が間違いなく始動の意味で中世末期(17世紀初 め)には使われていたことを示す明確な証拠は,日本イエズス会によって刊 行されたポルトガル語による日本語辞書『日葡辞書 (Vocabvlario da lingoa de Iapam)』(1603-04)に確認する事ができる。 (25)は「かかる」,(26)は「かける」

の定義の中に見られる,複合動詞としての用法の説明である(語義の日本語 訳は『邦訳日葡辞書』(岩波書店)より)。

(25) Cacari, u, atta (=かかり,かく,かかった)

...ほかの語と複合して,これこれの事をし始めるとか,これこれの事 をしているとか,その事に従事するとかの意味を表す。例,Xicacatta(し かかった)私はし始めていた。Xinicacaru(死にかかる)まさに死のう

(23)

としている,あるいは,死につつある。

(26) Caqe, uru, eta (=かけ,かくる,かけた)

...また,多くの動詞の語根に連接して,物事をし始めることを意味し,

次のように言う。Xicaqete(しかけて)し始めていて。 

 このように,17世紀までには「Vかかる」と「Vかける」いずれにも始動 用法が確立していたことがはっきりと確かめられる。しかし,「Vかかる」は 中古期の11世紀初めにはすでに始動の意味が観察されるものの,「Vかける」

は,中世期の15〜16世紀までは成立の状況があまりはっきりしない。少な くとも,「Vかかる」のような中古期の明確な用例はみあたらない。 

 ここで注目したいのは,以上の記述が正しいとすれば,あきらかに「Vか かる」と「Vかける」の間には奇妙な不均衡がみられることである。その語 義から見ても,「Vかかる」「Vかける」の語義には「指向」にも「始動」に も自他の区別を挟んだ極めて明確な対応が見られる。そして,指向に関して は,共に文献例の残る初期からの用例が見出されている。そうすれば,一方 に始動の意味への展開が見られれば,対応するもう一方にもすぐに類推が働 いて,始動の例が観察されてもよさそうなものである。しかし,実際には,

「Vかかる」の始動の初例と「Vかける」の始動の意味が観察されるには,少 なくとも400年以上もの差があることになる。 

 これはいったいどうしてであろうか。現代の共時的なデータでの始動の

「Vかかる」と「Vかける」との対応に慣れている者には,これほど単純な類 推がこんなに長い間働かないということは奇妙としか映らないだろう。しか も,前節までで見たように,最終的には圧倒的に始動の複合動詞として文法 化が進むのは「Vかける」の方である。とすれば,この成立時期の遅れは単 なる偶然ではなく,そこには,何か類推が働くことを阻止する理由,あるい は,類推が早く進まない理由があったからではないかと思われてくる。

(24)

 しかし,本節で見たような辞書のわずかな記述からは,どのような過程で 始動の意味が生まれていったのかの詳細はわからない。そこで,次節では,

中古以降の「Vかかる」「Vかける」の意味展開を,より多くの用例を検証し ながら,この謎に対する答えを探り,それを通し,「Vかかる・かける」の 文法化にどのようなメカニズムが働いていたのかを議論していく。そして,

この不均衡には理由があり,また,成立時期のずれも謎ではなく,論理的な 説明が可能であると主張する。

5 . 「V かかる・かける」の展開― 

中古期から中世へ

 本節では中古期以降の「Vかかる・かける」の通時的な変化,文法化の様 相をより詳しく,文献例を見ながら検討していく。まず,「Vかかる」の展開 について詳しく見たあと,辞書の記述ではあまり明らかではなかった「Vか ける」の「指向」から「始動」への展開がどのように進んだのかを用例をも とに探る。その後,問題点をもう一度整理し,その問題はどのように解くこ とができるのかを議論する。

5 . 1 . 「V かかる」の始動の意味への展開 5 . 1 . 1 .  中古前期 (9世紀―10 世紀)

 中古前期に観察される指向の「Vかかる」は,すべて何らかの出来事の結 果,主語が対象物の上に乗りかかるという意味であるが,詳しくは,非能格 的な「かかる」と非対格的な「かかる」を含む2つに分けることができる。

すなわち(1)有生物が主語で,何らかの動作をおこなって相手にかかってい くもの:「押しかかる」「走りかかる」,(2)無生物が主語で,特に自然界の 重力の法則にまかせて,上から下へ落下するもの:「落ちかかる」「暮れかか る」「散りかかる」「降りかかる」などである。姫野(1999)の現代語の「V かかる」の用法と比較すると,前者は「志向接触」に対応し,後者は「落下

(25)

接触」「依拠接触」と対応する。このほか,主に有生物,無生物のいずれもが 主語になり,ある場所に到達することを意味する「通過接触」(「行きかかる」) も見られる。このように,中古の初めごろには,すでに現代語の「Vかかる」

の指向用法が一通り揃っていたといえる。

 中古前期の具体的な「Vかかる」の例には次のようなものがある。

(27) 落下接触

a.神は落ちかかるやうにひらめきかかるに (竹取物語)

b.雪の木に降りかかる (古今和歌集)

(28) 依拠接触

a.手に力もなくなりて,萎えかかりたる中に (竹取物語)

b.屏風に寄りかかりて立てりて (大和物語)

c.御脇息にたふれかかりて (宇津保物語)

(29) 志向接触

或る時はいはん方なくむくつけげなるもの来て,くひかからんとしき

  (竹取物語)

 以上の例のうち,落下接触や依拠接触は,いずれも何らかの対象に重力を かけて接触していることを表す。 (27)はいずれも「物の上に落ちてきてあた る」ことを示し,(28)もいずれも「もたれかかる,よりかかる」ことを表す。

一方,志向接触は,必ずしも重力をかけて接触していなくても,何かの対象 に向かって行為を行なうことを意味し,(27)の「くひかかる」は「(おどりか かって)食いつく」の意味を表す。

 一方,これらとはやや違う(30)のような通過接触の例も見られる。

(26)

(30) 通過接触

a.瀬多の橋の本,ゆきかかるほどにぞ (蜻蛉日記)

b.母 北の方 異兄弟たち ただここになん来かかる (落窪物語)

 (30)の例はいずれも「さしかかる」という意味である。前節でみたように,

『日本国語大辞典』では,(30b)(=(21a))を始動の「Vかかる」の初例とし ているが,すでに述べたように,この部分は「来かかる」ではなく「来にけ る」としている写本も多く,これを初例と確定することには疑問も残る。さ らに,この例は「行きかかる」と同様の通過接触の例と見ることもできる。

5 . 1 . 2 .  中古後期(11 世紀―12 世紀)

 中古後期になっても,指向の「Vかかる」についてはすでに大きな変化は ないが,その用例はさらに多様なV1に広がっていく。以下に示すのは,ご く一部の例である。

(31) a.髪のこぼれかかりたる額つき,いと貴かになまめきて (源氏物語)

b.うちまきの,雪のやうに降りかかり (紫式部日記)

c.かみなりひらめき,清涼殿におちかかりぬとみえけるが (大鏡)

(32) a.おほきなる松にふぢのさきかかりて, (源氏物語)

b.なおほころびたえ,みだれかかりたるもあるが (枕草子) 

c.御脇息によりかかりて,すこしねぶらせ給へるに (大鏡)

(33) a.手な残い給ひそなど,いたくあざれかかれば (源氏物語)

b.悩まし奉りつるもののけなめりとて,鳴りかかりて (榮花物語)

(31)−(32)は,それぞれ,落下接触,依拠接触,の例である。(33)は志向接

(27)

触で,(33a)の「あざれかかる」は,「相手に向かってふざけかかる」という ことから,「なれなれしく,相手の気を引く」という意味であるし,(33b)の

「鳴りかかる」は,「相手に向かって音を立てる」ことを表す。

 では,始動の「Vかかる」はどうであろうか。前節で見たように,始動の

「Vかかる」はこの頃にはすでに観察されたとされている。『日本国語大辞典』

で初例となっている(30b)の扱いには疑問が残ることを指摘したが,それと 並んで記されていた『源氏物語』の例を検討してみよう。特に興味深いのは,

『源氏物語』には,始動の用例とされた「暮れかかる」が多く見られ,(21b) 以外にもたとえば(34)のような例をはじめとして合計8例が観察されること である。

(34) 暮れかかりぬれどおこらせ給はずなりぬるにこそは,あめれ 

(源氏物語)

 『日本国語大辞典』の記述どおり,このような『源氏物語』の「暮れかか る」が始動(=暮れ始める)の意味の初期の用例であることは間違いないし,

確かにこれは指向から始動の「Vかかる」への文法化の端緒といえる。しか しながら,この11世紀初めの段階で,「Vかかる」が始動の複合動詞として 文法化を進めていたと考えるには注意が必要である。というのも,このよう な例はたしかに始動と解釈することはできても,その意味や用法にはまだ制 限があり,これはいわば特殊な定型表現ともとれるからである。

 第3節でも述べたように,ある特定の語法が高い頻度で用いられることは,

言語の変化へとつながるきっかけとなる場合がある。この場合にも,「暮れか かる」という表現がそもそもどのように用いられ,言語使用者によってどの ように解釈されたのかということが,始動の意味へと文法化する上で大きな 役割を果たしたと考えられるのではないだろうか。そこで,より詳細に,「暮 れかかる」という表現とその解釈について考えてみよう。

(28)

 すでに述べたように,用法基盤モデルに立てば,ある表現の意味Aが突然 別の意味Bに変わるというようなことはなく,そのような変化は通例,Aの 意味でありながらBの意味解釈が会話の含意として得られるという状況が頻 繁におこり,その結果,AとBの解釈の曖昧性や両義性が続いて,最終的に Bの解釈のみが可能な用法が生まれると考えられる。そのような視点から

「暮れかかる」という語法を捉えると,この語法は「落下接触」と解釈するこ とも充分可能で,むしろ,それが始動の解釈へと展開するきっかけになった と考えられるのではないだろうか。この語は,元来の複合語の構成にそって,

「日が暮れて,(夕闇が)辺りにかかる=夜になる」という意味で用いられた と推測され,(32)の「落ちかかる」「降りかかる」らと同様に,姫野(1999)

の「落下接触」の一種であったと思われる。

 しかし,『源氏物語』に見られる8例のうち,5例は「(日)暮れかかるほ どに」というほぼ定型句で用いられ,それ以外も,「やうやう暮れかかるに」

というような連語の中で用いられている。ここで注目されるのは,「ほどに」

という語により,「夜になる頃」と,指示対象が厳密ではなく,時間的な広が りを持って表現されていること,また,「やうやう」にという語によって「徐々 に〜しはじめる」という意味が添えられていること,そして,すでにこの表 現が「日が暮れて闇がかかる」という状態を表現するのではなく,「夕暮れに なる頃」という時間を表す慣用句化してきていることである。

 日が暮れるという事態は自然現象であり,通常,30分〜1時間くらいの時 間をかけてゆっくり進行する。特定の結果状態を含意することから,この動 詞はtelic(結果含意型)だが,完全に遂行していない状態についても,「少し 暮れた」と表現することができる。「日が暮れて闇がかかる」という表現につ いても,闇がかかって真っ暗になった状態をさすのか,少し闇がかかって薄 暗い状態をさすのかは,明確ではなく,いずれの解釈も可能といえる。現代 語でも「暮れて闇がかかる頃」という表現がそうであるように,未完了の動 詞を用いている場合には,少し薄暗い状態を指す可能性は高い。

(29)

 つまり,このように「落下接触」として生まれた「暮れかかる」は,薄暗 くなり始めた頃をさす表現として慣用的に使われるようになったのではない かと推測できる。いわば,事象構造におけるメトニミー的シフトがおこり,

「日が暮れて暗くなる」という事象の結果部分を中心にして全体を表現してい たのが,始まり部分を意味する表現に変わっていったといえる。

 ところで,「暮れる」というのは,「闇がかかる」とほぼ同義なので,あえ て「暮れかかる」と表現しなくても,「闇がかかる」ことはわかる。つまり,

「かかる」はある意味,余剰といえる。そのうえ,「暮れかかる」の「かかる」

の主体である「闇」は,言語化されていない。「暮れかかる頃」という表現が

「少し薄暗くなった頃」を指すのが一般的になると,今度は「かかる」の意味 貢献が本来不明確であることから,「かかる」自体が再分析されるようになっ たと考えられる。10 日が暮れるのは自然現象であるから,日が暮れて「少し 薄暗い状態」は,必ず「真っ暗になる」状態への移行の「始まり」と言える から,「「暮れかかる」=「暮れ始める」⇒「かかる」=「始める」」のような 再分析が起こり,「Vかかる」が始動の意味の複合動詞へと展開していったの ではないだろうか。つまり,中古期半ば頃から高い頻度で使われるように なった「暮れかかる」という表現の指す事象構造の特性や,この場合の「か かる」の意味貢献の不透明性が再分析を促進し,始動の意味が生まれてきた と考えられる。

 しかしながら,上に述べたように,『源氏物語』に用例が確認された時点 で,すでに「Vかかる」が始動の複合動詞として文法化していたと考えるこ とはできない。この段階では,始動の意味は認められても,まだ生産性の高 い複合動詞(また,統語的複合動詞)とはなっていないからである。実のと ころ,それから少なくとも100年余りは,「通過接触」の解釈や「落下接触」

の解釈との曖昧性が残ったlayeringの状況にあり,且つ,このような特定の 慣用的表現以外に始動解釈のできる「Vかかる」は見当たらない。つまり,始 動の意味は見出されたとしても,当初は特殊なイディオムのようなもので,

(30)

「Vかかる」は一般性の高いアスペクト的な意味を付与する文法的な語彙項目 とは認識されていないし,その意味で,まだ文法化が進んだ段階とは考える べきでないだろう。

5 . 1 . 3 .  中古末期〜中世(12 〜 13 世紀)

 慣用表現に限定され,意味解釈も曖昧性を残していた状況を脱し,「Vかか る」の始動の用法が本格的に成立するのは,中古末期から中世初期(12世紀

〜13世紀)にかけてと思われる。このころも,「Vかかる」の用例の大半は 指向の意味であるが,その一方で,次の3点から,始動をあらわすアスペク ト的な意味をもつ複合動詞としても成立したと推定できる。

 まず第1に,11世紀から観察されていた「暮れかかる」は,当初は,「完 全に暗い闇がかかった」状態を指すのか「まだほの明るい」状態を指すのか が曖昧な両義的な文脈が多かったが,たとえば,『新古今和歌集』(1205)の 例(35)では,明らかに完全な闇ではなく,空にまだ雲が見えるほの明るい状 態を指している。

(35) a.柴の戸をさすや日影の名残なく 春暮れかかる山の端の雲

(新古今和歌集)

b.暮れかかる 空しき空の秋を見て (新古今和歌集)

 また,第2点目として,12世紀になると,「暮れかかる」以外の「Vかか る」でも始動の意味が観察されるようになり,「Vかかる」が始動を表す複合 動詞として生産力を持つようになってきたことが伺われる。たとえば,今昔 物語(1120)には(36)のような「歩みかかる」という例が観察される。これ は,もともと,「どこかに向かって」を表すGoal項を取る可能性はあるが,こ こでは特定の場所を通過したり,特定の対象に向かっていくことを指すので はなく,「歩き出す」という意味で用いられていると考えられる。

(31)

(36) 相撲共打群て 昨日の様に歩み懸りたりければ (今昔物語)

 さらに,中世に入り,13世紀になると,指向との曖昧性を持たない始動の 例が観察されるようになる。『宇治拾遺物語』(1221)には,「立ちかかる」と いう用例(38)が見え「今にも立とうとする」という意味で使われている。

(37) うつぶしに倒れたりけるを,ちがひて立ちかかりて,おこしたてず頭を

又打ち割りてけり (宇治拾遺物語)

    

(37)に見られる「立ちかかる」は,Goal格をもたず,落下接触や通過接触と

の曖昧性を持たない例であり,「Vかかる」が始動の複合動詞として明確に成 立していることの証左といえるだろう。

 さらに,『保元物語』(1200以降)の例(38)の「落ちかかる」は落下接触+

依拠接触のようでもあるが,すくなくとも下に落下したり,何かの上に乗り かかっている状態を表現してはいないことから,「落ちそうになる」という始 動用法と解釈できる。

(38) 馬より逆さに落ちかかりたれども,矢に荷われて,しばらく

(保元物語)

 この例について興味深いのは,この「落ちかかる」が,単なる「行為や出 来事の始まり」ではなく,現代の「Vかかる・かける」が特徴的に示唆する

「中断・未完遂」を表す文脈で使われている事である。「Vかかる」の初期の 例の「暮れかかる」は自然現象なので,必ず完遂する事を含意し,「結局,暮 れなかった」ということはありえない。つまり,(38)のような「未完遂」の 文脈での使用は始動用法の拡大ととらえることができる。もともと,「崩れか

(32)

かる」や「落ちかかる」には,「崩れかがるがごとし」や「雷の落ちかかるや うに」のように,落下接触ではあっても,比喩的に用いられていて,現実に 落下した状態を表してはいないものが見られた。そのようなことも,「Vかか る」が特に未完遂を示唆する始動の表現となっていく過程に影響を与えてい ると考えられるだろう。

 さらに14世紀には,『太平記』(14世紀後)に,(39)のようないくつかの始 動の用例が確認される。11

(39) a.なましひに渡り懸りたる兵共,前へ進まんとすれば,猛火盛に燃て身

を焦す   (太平記)

b.消えかかる露の身の置き所なきに付けても   (太平記)

(39a)の例は,「やめておけばよいのになまじっか渡ろうとする兵たちが. . .」

という意味であり,「渡りかかる」は,特定の場所に達するという通過接触の 意味ではなく,始動の意味で使われている。(39b)の「消えかかる」は「消え そうになる」という意味なので,明らかな始動用法といえるだろう。

 このように,「Vかかる」の始動用法は,11世紀から12世紀にかけて広が る中で,単なる定型表現の範囲を越えて文法化し,生産性を持つ複合動詞と して一応の成立をみたといえそうである。その間も,その後も,実例を見る 限り,「Vかかる」には指向の意味の方が圧倒的に多いものの,徐々に使用域 を広げ,前節でも述べたように,17世紀には『日葡辞書』(1603-04)に始動 の意味の複合動詞として記載されるに至っている。

5 . 2 . 「V かける(=かく:下2段)」

 それでは,他動詞の「Vかける」の展開を検証していこう。「Vかける」は

「Vかかる」に比べて始動の意味が観察されるのが遅かったというのが通説で あることを第4節で確認したが,それはなぜだろうか。本当にこの意味が観

(33)

察されるのはいつごろで,どのように発展していったのだろうか。

5 . 2 . 1 .  中古前期〜中期

 前節でも述べたように,中古期になると「Vかける」の用例は増えるが,ま だ本動詞「かける」の3つの意味を比較的忠実に反映しており,いずれも指 向の意味と考えることができる。上代から見られた本動詞「かける」の3つ の意味とは,(i)「心にかける,気にかける,思う,関心事とする」(ii)「言 葉を掛ける,声を発する,言う」(iii)「物理的に物を何かに掛ける」だが,そ れらを直接反映した複合動詞として,(19)で示した例を(40)のように3つに 分けることができる。12

(40) a.「思しかく」「思ひかく」

b.「言ひかく」「読みかく」「詠みかく」

c.「打ちかく」「為かく」「脱ぎかく」「引きかく」「振りかく」「縒りかく」

(40)の3つのタイプの「Vかける」の実際の用例を(41)-(43)に示す。

(41) a.むかしをとこ,身はいやしくて,いとになき人を思ひかけたりけり

(伊勢物語)

b.このをとこみやをいとめでたしと思ひかけたてまつりたりけるをも

(大和物語)

(41) のような「思ひかける」は上代からの「かける」(=思う)の用法を引き

継ぎ,中古,中世を通して広く観察される。V1とV2の両方が「思う」とい う意味なのであるから,厳密にはそれぞれの意味が重複しているが,全体と して「心に留める,気に掛ける」の意味で用いられている。

(34)

(42) a. わらはべに言ひかけける (伊勢物語)

b.をかしき声して読みかけておはしぬ  (宇津保物語)

c. いささかなる法を作りかける  (宇津保物語)

d. 来ては,ねたましかけていぬれば  (落窪物語)

(42)も,上代からの「かける」(=言葉を発して,声を対象に向かってかける)

の用法を引き継いだもので,これも中古から中世にかけて広く用いられてい

る。(42a)の「言ひかける」は「話しかける」ことを表し,(42b)の「読みか

ける」は「詩を相手に向かって読み,返しを求める」という意味を表す。 (42c) の「法を作りかける」は「呪文を言って唱える」という意味である。(42d)は,

「妬ましい思いをさせる」ことだが,具体的には「いやみを言う」という行為 を表している。ただ,(42c, d)の例は,発語を含意する一方,V1は発話動詞 ではないことから,相手に対する働きかけの意味としての解釈も可能といえ る。

(43) a. 二藍の織物の衣 脱ぎかけておはするを   (宇津保物語)

b.白き御衣ぞ引きかけて,御髮は少し湿りて  (宇津保物語)

(43)は依拠接触であり,V1の行為の結果,物理的な物体Aを何らかの対象に

「掛ける」ことをあらわし,それぞれ,「衣服を脱いで,何かに掛ける」意味 や「衣服を身体にまとう(掛ける)」意味を表している。

 そして,重要な特徴として,中古後期になるまでの「Vかける」は,「思ひ かく」以外,行為が主体より外に向けて行なわれ,その行為の結果が(広い 意味で)何らかの対象物と「接触」し,視覚や聴覚によって原則的に観察可 能であることを含意していた。また,このころ,現代語に広く見られる心理 的志向や動作の方向を示す「追いかける」などもまだ観察されず,志向移動 や把捉も,12世紀頃までは観察されないようである。

参照

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