古代王権の宗教的世界観と出雲
著者 菊地 照夫
著者別名 KIKUCHI Teruo
発行年 2019‑09‑15
学位授与番号 32675乙第242号 学位授与年月日 2019‑09‑15
学位名 博士(歴史学)
学位授与機関 法政大学 (Hosei University)
URL http://doi.org/10.15002/00022403
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博士学位論文
論文内容の要旨および審査結果の要旨
氏名 菊地 照夫 学位の種類 博士(歴史学)
学位記番号 第704号
学位授与の日付 2019年 9月15日
学位授与の要件 本学学位規則第5条第1項(2)該当者(乙) 論文審査委員 主査 教授 小口 雅史
副査 講師 大塚 紀弘
副査(外部)東京大学名誉教授 佐藤 信
古代王権の宗教的世界観と出雲
【はじめに】
菊地照夫氏提出学位請求論文『古代王権の宗教的世界観と出雲』は、同氏が法政大学大学院 人文科学研究科日本史学専攻在学中から満期退学後にかけて、様々な学会誌・学術刊行物等に 掲載された諸論考15 本(内、査読誌8本)をベースに、あらたに執筆した論考を加えて再編 成し、日本古代国家における王権の宗教的世界観と出雲をめぐる一つの体系的な論著としてま とめ、同成社より刊行したものである。同氏は現職の都立高校教員身分のまま大学院に在籍し
(当時の日本史学専攻は夜間開講のみの 3 年制課程)、職務と研究を両立させながら研鑽を 積み、従来の古代出雲観を一新する可能性を持つ大著にまとめ上げている。
最初にこの学位請求論文の構成と初出誌等を示すと、下記の通りとなる。
序章 日本古代史における出雲の特殊性の解明に向けて 古代出雲の特殊性解明の視点/本書の概要/本書の研究手法
※新稿
第Ⅰ部 稲霊信仰と宗教的世界観
第一章 オオナムチ・スクナヒコナの国作り神話と稲霊信仰
記紀にみえる国作り神話/稲霊信仰とその宗教的世界観/国作り神話に内在する稲霊信仰のモチーフ/
稲霊信仰のモチーフの展開
※初出:『寺社と民衆』8、2012 第二章 アメワカヒコ神話と稲霊信仰
アメワカヒコ神話の概要/アメワカヒコの原像/稲霊信仰とその宗教的世界観/アメワカヒコ神話と稲 霊信仰/アメワカヒコ神話の改変/アジスキタカヒコネの出現
※初出:『別冊歴史読本』21-5、1996
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第三章 海神宮訪問神話と井戸の祭配-島根県青木遺跡の井泉遺構をめぐって-
タカミムスヒ系神話群、海神宮訪問神話と稲霊信仰/ホオリの呪術的行為をめぐって/無間勝間をめぐ って/青木遺跡の石敷き井戸における祭祀
※初出:『出雲古代史研究』21、2011
第四章 古代王権と船あそび-五世紀の王権の宗教的世界観と王位就任儀礼-
船あそびと他界観/履中天皇の船あそび/ホムチワケの船あそび/ホムチワケの船あそびと海神宮訪問 神話/王統譜の形成と履中・ホムチワケ・ホムタワケ(応神)/難波の海の船あそびと王位就任儀礼 ※初出:『法政考古学』40、2014
第Ⅱ部 ヤマト王権の宗教的世界観と出雲の玉をめぐって 第五章 ヤマト王権の宗教的世界観と出雲
紀伊と出雲の共通性/ヤマト王権の他界観と紀伊/記紀神話の世界観における出雲/王権の宗教的世界 観の転換と出雲
※初出:『出雲古代史研究』7・8、1998 第六章 出雲国忌部神戸をめぐる諸問題
忌部神戸の所属神社をめぐって/出雲国風土記忌部神戸条の校訂と解釈をめぐって/出雲玉作と忌部氏 ※初出:岡田精司編『祭祀と国家の歴史学』塙書房、2001
第七章 古代王権と出雲の玉
出雲の玉作と忌部/天皇の霊威と出雲の玉/曽我遺跡の消滅と出雲玉作/紀伊忌部氏と出雲/出雲玉作遺 跡から出土する紅簾片岩製玉砥石の石材産出地をめぐって
※初出:『玉文化』2、2005、『古代文化研究』15、2007(再編)
第Ⅲ部 ヤマト王権の新嘗と祈年祭
第八章 ヤマト王権の新嘗と屯田-顕宗三年紀二月条・四月条に関する一考察-
顕宗三年紀二月条・四月条と解釈の視点/天狭間・長田と歌荒樔田・磐余田/王権の新嘗と屯田/顕宗 三年紀二月条・四月条の解釈/王権新嘗の神と屯田
※初出:『千葉史学』9、1986
第九章 ヤマト王権の祈年祭とその祭神・祭儀神話
祈年祭の主祭神-御年神とコトシロヌシ-/コトシロヌシの諸相/御膳八神の原像とその祭祀/王権斎 田の祭祀とその宗教的世界観/御年神の性格
※初出:林陸朗・鈴木靖民編『日本古代の国家と祭儀』雄山閣出版、1996(再編)
第十章 ヤマト王権の祈年祭と三輪・葛城の神
倭屯田の祈年祭と倭直氏・倭大国魂神/倭屯田の祈年祭とオオモノヌシ/葛城屯田の成立/王権の発展 と三輪山の神・葛城の神/神武正后の出自とオオモノヌシ・コトシロヌシ/御年神とオオモノヌシ ※初出:林陸朗・鈴木靖民編『日本古代の国家と祭儀』雄山閣出版、1996(再編)
第十一章 毒流し漁とヤマト王権の祈雨祭祀
毒流し漁について/毒流し禁止令/雨乞い儀礼と毒流し/古代王権の祈雨祭祀と毒流し-神武天皇即位 前紀戊午年九月戊辰条の考察-
※初出:『法政考古学』30、2003
- 3 - 第Ⅳ部 出雲国造神賀詞奏上儀礼をめぐって
第十二章 出雲国造神賀詞奏上儀礼の意義
神賀詞奏上儀礼の概要/神宝献上記事の検討/崇神六十年紀の伝承と神賀詞奏上儀礼/剣・鏡・玉献上 の意義/ホムツワケ皇子の物語と白鳥献上の意義
※初出:瀧音能之編『古代王権と交流』7出雲世界と古代の山陰、名著出版、1995 第十三章 出雲大神の祭祀と物部氏のタマフリ儀礼-神賀詞奏上儀礼成立前史の一考察-
崇神六十年紀にみえる出雲の神宝献上記事について/物部氏の祖先伝承とタマフリ儀礼/物部氏の職掌と タマフリの意義/ヤマト王権の全国支配に伴う宗教的世界観と祭祀/出雲大神の祭祀と出雲神宝献上儀礼
/物部氏滅亡の影響
※初出:『出雲古代史研究』19、2009 終章 出雲国造神賀詞奏上儀礼と祈年祭
神賀詞奏上儀礼の実施状況/祈年祭について/神賀詞詞章の大和の神々をめぐって/ヤマト王権と出雲 の関係の展開と神賀詞奏上儀礼
※初出:『延喜式研究』30、2014
以下、この全体をさして「本書」と呼ぶこととする。
【各論考の内容と特色】(下線部は注目すべき論点として評価すべき箇所)
本書は、日本古代王権=ヤマト王権における宗教的世界観を明らかにし、従来、ややもすれ ばヤマト王権と対峙する、その自立的特殊性をもつ出雲世界を強調する論考が目立つなかで、
出雲の特殊性は記紀神話を真に受けたとき、現実には出雲は他の地域と同様に支配に組み込ま れていったはずであり、出雲だけが異質ではないはずだという新しい立場にたつ意欲的な論考 である。逆に出雲が特殊な立場に置かれていることの意味を探ることによって、ヤマト王権の 宗教的世界観をこれまで以上に明確に説明できるということにもなるわけである。
序章 日本古代史における出雲の特殊性の解明に向けてでは、こうした本書の斬新な視角を総 括的に提示する。本書の課題として、一般的に言われている、出雲神話、国譲りの舞台、杵築 大社(出雲大社)、出雲国造神賀詞奏上儀礼といった、日本古代における出雲の特殊性の意味、
あるいはその歴史的背景を再検討する必要があることを力説する。
従来、こうした出雲世界の特徴は、史実として、出雲の勢力がヤマト王権と対峙してきたこ との反映であるとする見方が有力であった。それに対して菊地氏は、日本古代史における出雲 の特殊性は、古代王権の宗教的世界観全体のなかでの出雲の位置づけに基づくものではないか とする。こうした立場が、以後一貫して本書の基調をなす、通奏低音の役割を果たしている。
ではヤマト王権の宗教的世界観の特質とは何か。菊地氏は、ヤマト王権は、言うまでもなく 稲作農耕社会を基盤とするもので、それは稲霊信仰を共有する社会であるという。稲霊信仰と は、稲に稲霊が内在しその霊力の発現で稔ると考えるもので、稲霊は人間の霊魂と同質である。
それをふまえて、その宗教的世界観を考えると、現世とは稲作の行われる世界、他界とは稲
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霊が生成・再生される世界であり、稲霊は春に他界から現世に来臨し、現世の地霊・水霊に育 まれて霊力を発現し生長し稔り、やがてその霊力を使い果たして「死」の状態となって他界へ 帰還する。そして冬の間に他界で再生するという。
ヤマト王権の宗教的世界観はこうした稲霊信仰の宗教的世界観に規定されるのであり、王権 祭祀もこの世界観に基づいている。例えば新嘗は、稲霊の霊威再生(生成)から稲霊を体現す る天皇(大王)の霊威更新を示すものであり、祈年祭は、稲霊を育む地霊・水霊の祭祀、稲霊 と地霊・水霊の交接であるという。この「稲霊信仰の宗教的世界観」は本書中各所で繰り返し 強調されており、まさに本書の中核をなす重要な概念となっている。
そして本書の研究手法として、文献史学と、隣接する様々な分野(民俗学、比較神話学、国 文学、考古学等)の成果を援用して、律令国家成立以前のヤマト王権の祭儀を復元するととも に、日本列島における古代王権の発展と国家形成のプロセスのなかに出雲の問題を位置づける ことをめざすことになる。
第Ⅰ部「稲霊信仰と宗教的世界観」は、記紀にみえる王権の神話や応神以前の伝承の多くに、
稲霊信仰の宗教的世界観のモチーフに基づくストーリー構成がみられることを明らかにし、5 世紀のヤマト王権の宗教的世界観が水平的他界観であることを指摘するもの。
第一章 オオナムチ・スクナヒコナの国作り神話と稲霊信仰は、記紀のオオナムチ・スクナ ヒコナによる国作り神話が、稲霊信仰の宗教的世界観のモチーフに基づいて構成されているこ とを明らかにする。オオナムチが地霊で、スクナヒコナ(タカミムスヒの子)が稲霊であり、
スクナヒコナの来臨は、春、霊威に満ちた稲霊の他界からの来訪を意味する。またオオナムチ とスクナヒコナの国作りは、稲霊が地霊に育まれて霊力を発現し豊穣へと導くものであり、ス クナヒコナの常世への退去は、霊力を使い果たした稲霊の他界への帰還を意味する。三輪山の 神の来臨は稲霊再生のモチーフでもある。現世は葦原中国、他界は常世国とされ、ここには従 来から言われているように水平的他界観があらわれている。ここで再生した稲霊の来訪のモチ ーフを改変して三輪山の神の出現を物語っているが、それによってオオナムチと三輪山の神が 同一神化されることになる。これはいったいなぜなのか。この問題は本書第十章などで解き明 かされることになるが、多々ある本書の重要なテーマのうちの一つである。
第二章 アメワカヒコ神話と稲霊信仰は、記紀のアメワカヒコ神話が、稲霊信仰の宗教的世 界観のモチーフに基づいて構成されていることを明らかにするもの。アメワカヒコは稲霊、ウ ツシクニタマは地霊であり、アメワカヒコとウツシクニタマの娘シタテルヒメとの結婚は、稲 霊と地霊との交接を意味し、アメワカヒコの死は、稲霊が霊力を使い果たして「死」の状態と なることを意味する。さらにアメワカヒコの死体が天上へ昇るが、それは「死」の状態の稲霊 の他界への帰還を意味する。またアメワカヒコによく似たアジスキタカヒコネの出現は稲霊再 生のモチーフである。ここでは現世が葦原中国、他界が高天原となっていて、これまでも指摘 されているように垂直的他界観に転じていることが明らかになる。
このように再生した稲霊来訪のモチーフを改変してアジスキタカヒコネの出現を物語ってい るが、さらにオオナムチとアジスキタカヒコネの親子化がはかられていることも注目できる。
- 5 - ここでもやはりオオナムチが重要なテーマとなる。
第三章 海神宮訪問神話と井戸の祭配-島根県青木遺跡の井泉遺構をめぐって-は、青木遺 跡(島根県出雲市)の井泉遺構における祭祀の性格を明らかにするために、海神宮訪問神話を 検討したもの。
まず天孫降臨神話~日向神話の構成が稲霊信仰の宗教的世界観のモチーフに基づくものであ ることを指摘し、ホノニニギ(稲霊)の地上への降臨は稲霊の来訪を意味し、ホノニニギと大 山祇(オオヤマツミ)(地霊)の娘との結婚は、稲霊と地霊との交接を意味するという。また ヒコホホデミ(稲霊)と海神(ワタツミ)(水霊)の娘との結婚は、稲霊と水霊との交接を意 味するという。海神宮訪問神話のなかでの、井戸辺で玉を用いる呪儀も、稲霊と水霊の交接で あって、祈年祭の反映であるという注目すべき新説を提示している。
ここで青木遺跡の井戸遺構が問題となるが、郡司の居宅、稲作共同体の祭祀の場とされるこ の遺跡は、地域首長としての郡司が、井戸に種籾を浸して稲霊と水霊を交接させる儀礼(在地 社会の祈年祭)を行なったところではないかと指摘する。
第四章 古代王権と船あそび-五世紀の王権の宗教的世界観と王位就任儀礼-は、垂仁記に みえるホムチワケ皇子の船あそび、履中紀にみえる天皇の船あそびに着目し、その背後にある 儀礼と他界観を探るもの。船は神霊の移動手段、あそびはタマフリ、そして船あそびはタマフ リ儀礼であるとみる。履中天皇の船あそびは水平的他界観の新嘗を基盤とする王の霊威再生儀 礼であって、稲霊を体現した天皇が船で常世国に行き、常世の霊力で霊威を再生して現世に戻 る様をあらわす。一方、ホムチワケ皇子の船遊びは、その原形は未成熟な皇子が船でアジマサ ノナガホの宮へ行き、そこで霊力を得るとするもの。ここでは海神宮訪問神話とモチーフが共 通することに注目できるという。
これを図式化すると、
ホムチワケ/ヒコホホデミ→稲霊、未成熟 船あそび/マナシカツマの船→船で他界へ トヨタマヒメ/ヒナガヒメ→異類婚姻
となる。ヒコホホデミとトヨタマヒメの後裔である神武(イワレヒコ)は、九州から大阪湾に 船で来航するが、ホムチワケとヒナガヒメの後裔である応神(ホムタワケ)も九州から大阪湾 に空船で来航する。
ここでこの時代の王統譜の形成と、その名に含まれるホム(タ・チ・ツ)ワケの関係を検討 すると、ホムチワケとは元は倭王讃(履中)の名であり、欽明朝では応神を始祖とする王統譜 の形成にともない応神の名が用いられ、推古朝には応神~清寧の系譜を応神の前に加えて崇神
~仲哀系譜が形成された。履中の位置が、垂仁の長子の位置に相当してホムチワケとなってい る。つまりホムチワケ、ホムツワケ、ホムタワケは 5 世紀の王権始祖の名称と考えられ、ホ ムチワケの船あそびとは、王の霊威更新儀礼、王位就任儀礼と見做すことができ、それこそ原 八十島祭ではとも考えられる。
以上のように船あそびからは 5 世紀段階のヤマト王権の宗教的世界観は水平的他界観であ ることがあらためて確認できる。これらの分析は、川口勝康らの先行研究における王統譜形成
- 6 - 論の有効性を論証することにもなる。
第Ⅱ部 ヤマト王権の宗教的世界観と出雲の玉をめぐっては、ヤマト王権の宗教的世界観が 6 世紀中葉に水平的他界観から垂直的他界観に転換し、その際、現世における他界との結節点、
現世を代表する地として出雲が位置づけられたことを明らかにし、その歴史的背景に王権の玉 作の問題があることを指摘するもの。
第五章 ヤマト王権の宗教的世界観と出雲は、王権の宗教的世界観のなかで出雲はどのよう に位置づけられているかを検討する。出雲は現世における他界との結節点となっているが、そ の世界観は歴史的にどのように形成されたのか。それまでの王権の宗教的世界観は、第Ⅰ部で 触れたように水平的他界観であって、現世の他界との結節点は熊野・紀伊である。6 世紀中葉、
欽明朝のころには世襲王権が成立し、一系王統譜が形成され、王権祭祀体制の整備がすすむが、
これによって王権の宗教的世界観が水平的他界観から垂直的他界観へと転換していく。
そうした垂直的他界観においては、現世と他界との結節点は熊野・紀伊から出雲へと変化し ている。なぜ出雲がこうした特殊な位置づけをされたのか。この問題を解き明かす鍵が、王権 の玉作体制である。4世紀末から6世紀初頭には、全国の石材と工人を、大和の曽我遺跡に集 めて玉生産を開始していたが、6 世紀中葉になるとなぜかその曽我遺跡が消滅し、全国的にも 玉作が停止される。そうしたなかで唯一出雲でのみ例外的に生産が続けられることとなった。
結果として、ヤマト王権の祭祀の玉も出雲から供給されることになり、出雲が宗教的に特殊な 地として認識されることになる。そしてこのことが王権の宗教的世界観に反映したのではない かとする。
第六章 出雲国忌部神戸をめぐる諸問題は、出雲国意宇郡の地が弥生時代~平安時代にかけ て玉生産に従事した場所であり、とくに古墳時代に玉生産が活発化し、律令制下において忌部 神戸として設定されたことの背景を論じるもの。
忌部神戸の所属神社は紀伊国名草郡の鳴神社であるが、その鳴神社は紀伊忌部氏の奉斎社で ある。なぜ紀伊国の神社の神戸が出雲に出現したのかについては、紀伊忌部氏と出雲玉作氏の 関係によると考える。大殿祭においても紀伊忌部と出雲玉作が関与しており、こうした祭儀を 通じて両者は密接な関係にあった。
さらに紀伊と出雲との交流については考古学的な根拠も多々ある。例えば松江市平所遺跡の 形象埴輪は、6 世紀前半、和歌山市の井辺八幡山古墳の形象埴輪の製作工人との技術的なつな がりが見られるという。その背景には、曽我遺跡での王権玉作における出雲玉作工人と紀伊忌 部氏との交流があったとみる。また出雲玉作で使用される紅簾片岩製玉砥石は曽我遺跡でも大 量に使用されているが、その石材産出地は和歌山であって、しかも紀伊忌部の拠点(御木郷)
の比定地でもある。そこには紅簾片岩の露頭とともに滑石の鉱脈があり、ここから曽我遺跡へ その滑石も供給されていた。すなわち出雲に紅簾片岩製玉砥石の石材を供給したのは紀伊忌部 氏である(第七章で再論する)。
前章で述べたような 6 世紀中葉の王権の宗教的世界観の転換のなかで、前代の紀伊の位相 が出雲へ移動している。その背景に、紀伊忌部氏と出雲玉作の密接な関係を見いだせることに
- 7 - なる。
第七章 古代王権と出雲の玉は、律令制下の王権祭祀に用いられる出雲の玉について論じる。
①大殿祭=新嘗・神今食と並行して、天皇の日常の居所(御殿)に玉を懸けるが、これは御殿 の霊威を更新する祭儀であって、御殿の霊威が天皇の霊威を育むというもの。その御殿の霊 威を象徴する玉=ミホギ玉が出雲の玉である。
②出雲国造神賀詞奏上儀礼は、出雲国造が天皇に神宝その他を献上し神賀詞奏上するもので、
天皇の葦原中国支配を保障するタマフリ儀礼である(第十二章で詳論する)。神宝中の玉=
ミホギ玉も出雲の玉である。
以上のように、出雲の玉は天皇の霊威に関わる神聖な玉、ミホギ玉であった。このような出 雲の玉の特殊性の淵源を求めると、6 世紀中葉の欽明朝において世襲王権が成立し、統治機構 が整備されるなかで、地方支配が確立したことがポイントになる。こうした流れのなかで王権 祭祀体制が整備され、祭官制が成立し、中臣氏・忌部氏の王権祭祀への奉仕が確立するという。
それにともない、前章で述べたように、王権玉作体制も改変され、曽我遺跡が消滅し、出雲が 列島唯一の玉作の場となる。こうして出雲から王権祭祀用の玉が供給され、結果として出雲が 王権にとって宗教的に特殊な地として位置づけられたとする。
第Ⅲ部 ヤマト王権の新嘗と祈年祭は、ヤマト王権の新嘗においては、屯田に設けられた新嘗 用斎田の稲が用いられたことを明らかにし、ヤマト王権の祈年祭はその新嘗用斎田の地霊神の 祭祀であることを指摘するもの。
第八章 ヤマト王権の新嘗と屯田-顕宗三年紀二月条・四月条に関する一考察-は、令制前 代のヤマト王権の新嘗とはどのようなものであったのかをめぐって、基本的史料である『日本 書紀』顕宗3年2月条、4月条の記事を分析するもの。ヤマト王権の新嘗のための斎田卜定の 祭儀伝承において、その記事中の「ウタのアラス田」「イワレの田」が屯田(ミタ=王権の直 轄地)であり、ヤマト王権の新嘗とは、屯田の稲を用いて行う大王の霊威再生儀礼を行うもの であるとする。令制前代のヤマト王権の新嘗の実態を提示することによって、従来の新嘗=ニ イナメオスクニ儀礼説を克服しようとする。また畿内屯田の所在地も神社との関係から推定し ている。
第九章 ヤマト王権の祈年祭とその祭神・祭儀神話は、大規模な班幣のみの祭儀となった令 制祈年祭の起源に迫る論考で、祈年祭の祭儀神話を分析する。従来の研究では令制前祈年祭と の関係について研究史が不足しているという。この問題についての唯一の先行研究は、岡田精 司氏による、官人直営型屯倉における種稲分与儀礼説と関連付けるものであるが、菊地氏はそ れをさらに発展させようと試みる。
氏によれば、祈年祭とは、稲霊信仰の宗教的世界観に基づく、現世で稲霊を育む地霊・水霊 の祭祀であり、また令制祈年祭の中心的祭神は御年神=コトシロヌシであって大嘗祭の斎田の 神〈御膳八神〉に祀られるという。またそのコトシロヌシは王権新嘗用斎田の地霊神であって 記紀の国譲り神話では、オオナムチではなくコトシロヌシが国譲りを受諾している。こうした 祈年祭の祭儀神話からすると、令制祈年祭の淵源はヤマト王権の祈年祭であるとみなされると
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いう。つまりこうした神々の対応から、令制祈年祭の淵源はヤマト王権の新嘗用斎田の祈年祭 であって、その祭儀神話こそが、国譲り神話の原形になると分析する。
第十章 ヤマト王権の祈年祭と三輪・葛城の神は、前章で、ヤマト王権の祈年祭は王権新嘗 用の斎田の地霊・水霊の祭祀であって、その祭儀神話は国譲り神話であるという注目すべき論 点を提示したが、そのような王権の祈年祭が行われていたという直接の史料はないので、記紀 の神話・伝承のなかからヤマト王権の祈年祭の要素を検出しようとするものである。
倭屯田という、ヤマト王権でもっとも重要な屯田(仁徳即位前紀)は、倭直氏が管掌してい るが、その倭直氏は倭大国魂神(倭屯田の地霊)を奉斎している。また神武即位前紀の倭直氏 の祖シイネツヒコの天香具山の土の伝承、丹生川上祭祀の伝承も祈年祭の反映とみる。三輪山 の神オオモノヌシも倭屯田の地霊神であったことも関係するという。さらにオオモノヌシとタ カミムスヒの子ミホツヒメとの結婚神話にも祈年祭のありかたが反映しているとみる。
つぎに葛城屯田の祈年祭をとりあげる。葛城屯田とは雄略紀にみえる葛城円大臣の献上した
「葛城宅七区」「五処之屯宅」、推古紀にみえる「葛城県」をさし、用明~推古朝の蘇我系大 王の時代に、倭屯田とともに重視されたもの。葛城屯田の地霊はアジスキタカヒコネ、コトシ ロヌシであるが、そのコトシロヌシとは、『日本書紀』において神武天皇の正后の父とされる 人物である(『古事記』では神武天皇の正后の父はオオモノヌシとされる)。これは『日本書 紀』では葛城屯田の祈年祭の反映、『古事記』では倭屯田の祈年祭の反映とみることができる。
以上のように記紀の分析によって導き出された、ヤマト王権の祈年祭の祭祀対象が倭大国魂、
オオモノヌシ、コトシロヌシ、アジスキタカヒコネであること、倭屯田と葛城屯田の二系の祈 年祭がみとめられることなどは本書によって新たに提示された重要な論点である。
第十一章 毒流し漁とヤマト王権の祈雨祭祀は、毒流し漁と祈雨祭祀とを結びつけて、それ が『日本書紀』成立時の8世紀まで遡ることを論じる。毒流し漁を雨乞い儀礼として行うこと は民俗事例にもみられ、また神武即位前紀にみえるシイネツヒコによる丹生川上祭祀も毒流し による祈雨祭祀と見られることができ、ひいては倭屯田の祈年祭にもかかわるものだという。
第Ⅳ部 出雲国造神賀詞奏上儀礼をめぐっては、出雲の特殊性を示すものとして著名な「出雲 国造神賀詞」奏上儀礼を、王権の宗教的世界観に基づく天皇の国土支配を保障するタマフリ儀 礼ととらえ、その成立の前史を考察するものである。本書全体のまとめとなる終章では、古代 国家形成史のなかでの王権と出雲との関係の変遷とそれにともなう王権の宗教的世界観におけ る出雲の位置づけの変遷をあとづけ、神賀詞奏上儀礼が祈年祭と一体化していくことを論じる もの。
第十二章 出雲国造神賀詞奏上儀礼の意義は、その出雲国造神賀詞奏上儀礼が、従来いわれ てきたような出雲勢力のヤマト王権への服属儀礼ではないことをあらためて強調することから はじめる。出雲国造は、天上世界から、地上世界のオオナムチを鎮祭するために派遣されたア メノホヒの後裔であって、王権側、王権に服属する側ではないことを論じ、神賀詞奏上儀礼が、
王権側の宗教的世界観にもとづいて演出されたものだとする。その儀礼の構成は神宝献上+神 賀詞奏上であって、神賀詞奏上ではなく神宝献上こそが本質的な意味をもっているとする。
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神宝とは玉・剣・鏡、白鵠(白鳥)、白馬、その他であるが、玉・剣・鏡は国造の祖アメノ ヒナトリが地上世界(葦原中国)の支配者オオナムチを鎮定した呪具であって、これを天皇に 献上して、天皇に葦原中国を支配する呪術的な霊威を付与(タマフリ)することになる。また 白鳥は他界から稲霊ないしは稲霊を再生させる霊力を運んでくる鳥で、5 世紀には各地から献 上されたが、6 世紀中葉以降、宗教的世界観の転換にともなって出雲のみから献上されるよう になった。こうして天皇に献上して天皇の霊威を再生させるものとなるのである。
第十三章 出雲大神の祭配と物部氏のタマフリ儀礼-神賀詞奏上儀礼成立前史の一考察-は、
令制下の神賀詞奏上儀礼を、歴史的に形成されたものと考え、その成立前史(原形)に迫るも の。まず崇神 60 年紀の出雲の神宝の記事を分析し、そこに物部氏が関与したことに注目する。
実際その物部氏の祖先、物部系豪族は、神武即位前紀で天皇のタマフリに関与している。
6 世紀中葉になると、既述したように、高天原-葦原中国の垂直的他界観が成立し、葦原中 国の中心として、あらためて出雲が認識されるようになる。国造制による王権の全国支配にと もなって、物部氏は、王権の武威フツノミタマで地方豪族の奉斎神を威圧するようになるが、
これは出雲西部に地方豪族の奉斎神を統合した神格の出雲大神(アシハラシコオ)を祀り、物 部氏がフツノミタマの霊威でそれを封じ込める構図となっている。つまり物部氏が大王に霊剣 フツノミタマを献上しその霊威を付与(タマフリ)する儀礼が葦原中国の支配の無事を保障し ているわけで、そこに神賀詞奏上儀礼の原形を見いだすことができる。また出雲大神の祭祀は 出雲西部のカンド氏に委託しているが、587年に物部氏が滅亡すると、今度は出雲東部のオウ 氏が出雲大神の祭祀を継承することになるという。
終章 出雲国造神賀詞奏上儀礼と祈年祭は、これまでも繰り返し論じてきた、菊地氏の主張 の根底にある通奏低音としての稲霊信仰をベースに、出雲国造神賀詞奏上儀礼と祈年祭との関 係を中心に総合的に分析し直す重要な最終章である1。
まず神賀詞詞章には国譲り神話が見えることから、国譲り神話が神賀詞奏上儀礼の祭儀神話 ということになっているが、国譲り神話は、じつは第九章で論じたように、祈年祭の祭儀神話 でもある。一方、神賀詞奏上儀礼と祈年祭の関係について検討すると、神賀詞奏上儀礼は 2 月実施が原則であり、祈年祭も 2 月である。さらに神賀詞奏上儀礼には出雲国全官社の祝部 が同行し、祈年祭には全官社の祝部が参列するという関係が見られる。
神賀詞詞章にみえる大和の神としては、オオナムチの和魂(ニギミタマ)と、御子神を天皇 の居ます大和に配置しているが、これらの神は、三輪山のオオモノヌシ、葛城のアジスキタカ ヒコネ・コトシロヌシとともに、ヤマト王権の祈年祭の祭祀対象でもある。したがって、この 部分は後から挿入されたものと考えられるが、なぜ王権の祈年祭の祭祀対象が神賀詞詞章に挿 入されているのかが問題となる。
そこで神賀詞奏上儀礼形成の諸段階を検討する。
・6世紀:物部氏のタマフリ儀礼(第十三章)、出雲大神(アシハラシコオ)、カンド氏、
・6世紀末:物部氏滅亡、出雲大神の祭祀を東部のオウ氏が継承
・7世紀中:評制施行、斉明5年に杵築大社築造、祭神を国作りの神オオナムチとする
1 本来は独立した第Ⅴ部とすべきところであるが、出版上の総頁数の制約で第Ⅳ部におさめたとのことである。
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・天武朝期:大嘗方式の新嘗の成立→ユキ・スキ斎田の稲を用いる
これに対応する祈年祭の祭祀対象として出雲のオオナムチ(全国土の地霊)
オオナムチをオオモノヌシと同一神化
アジスキタカヒコネ、コトシロヌシを御子神化
→祈年祭の祭祀対象化
・持統朝期:毎世大嘗祭の成立→大嘗方式の新嘗は即位後の一度のみ
これに対応する祈年祭として、神賀詞奏上儀礼に祈年祭の要素を組み込む その初例が霊亀2年(716)出雲臣果安の賀詞奏上儀礼の初出記事
以上のようにまとめた上で、次に律令国家の形成と王権の国土支配の理念について検討する。
ヤマト王権の新嘗とは、屯田の稲による大王の霊威再生(生成)であるが、対応する祈年祭 の祭祀対象は屯田の地霊神=倭大国魂神、オオモノヌシ、コトシロヌシ、アジスキタカヒコネ である。それが王権による全国土の支配にともなって、律令国家の大嘗、すなわち全国土を代 表するユキ・スキ斎田の稲による天皇の霊威再生となっていく。また対応する祈年祭の祭祀対 象は全国土の地霊神=オオナムチとなる。
王権の全国土支配は、理念的に屯田の拡大・全国化であって、オオナムチは本来スクナヒコ ナとセットの国作りの神であったが、これを葦原中国の国作りの神として杵築大社に祀り、全 国土の地霊神として祈年祭の祭祀対象化とする。その際、ヤマト王権の祈年祭の祭祀対象と同 一化・親子化し、また倭大国魂神→日本大国魂神→オオナムチの亦の名と変化していく。また オオモノヌシ→オオナムチの和魂であり、アジスキタカヒコネ・コトシロヌシがオオナムチの 御子となる。これまで謎であったオオナムチが大和の神々を同一化、御子神化していることと の意味がここに解明されることになる。
こうしたなかで、出雲が宗教的に全国土を象徴する地となり、神賀詞奏上儀礼で国内全官社 の祝部も上京し、祈年祭に参列するようになった。出雲の官社制が他国に先行して天平期には 完成しているのもこのことと関係している。まさに出雲は律令神祇体制のモデル地区となった のである。こうして本書をとじることになる。
【総合的評価】
以上のように、本書は、日本古代祭祀研究においてもっとも重要な対象にして、それゆえ膨 大な先行研究が重くのしかかっている「出雲」に焦点をあて、通説とは真っ向から対立する見 解を主張する力作である。
本書の力点をあらためて簡潔にまとめれば、出雲だけが特殊にみえるのは、それは記紀神話 を真に受けたときであって、現実には、出雲は他の地域と同様にヤマト王権の支配に組み込ま れていったはずであり、とりたてて異質ではないはずだという斬新な仮説を前提にして、この 問題を解明するために、ヤマト王権の宗教的世界観のなかでの出雲の位相を歴史的に明らかに することを目指すものである。出雲の特殊性といわれるものの本質の解明にはこの視点がもっ とも重要であり、そのヤマト王権の宗教的世界観を、菊地氏独自の稲霊信仰によって説明して いる。律令祭儀の重要な中核となる新嘗と祈年祭も、従来は令制前とどうつながるかは未解明
- 11 - であったが、稲霊信仰の視点から迫って解決を図る。
著名な神賀詞奏上儀礼は従来、出雲の王権への服属儀礼とされてきたが、『日本書紀』には ほかにも地方豪族の服属儀礼があって、出雲だけが特殊だということではなく、むしろそれら と同一ものとみなす。そもそも出雲国造は王権側の子孫であって、オオナムチを鎮祭するため に派遣されたもの。神宝は鎮祭の呪具であり、それによって天皇の国土支配が保証される宗教 的意義を持つものと理解する。
その神賀詞奏上儀礼は祈年祭とも密接につながる。それは歴史的に形成されたもので、6 世 紀以降の古代国家形成において、ヤマト王権と出雲の関係の変遷とそれにともなう宗教的世界 観のなかで、出雲が現世の中心として実態化がはかられた。そして律令国家の形成によって、
新嘗祭から一代一度の大嘗祭が形成され、それとともに王権の祈年祭と神賀詞奏上とが一体化 した。結果として出雲が宗教的に全国土を象徴する地となり、出雲はまた律令神祇体制のモデ ル地区となったというわけである。
以上のように、本書は『古事記』『風土記』神話にみられる世界観を長期にわたって一定の 見通しの元に明らかにした労作であって、いくつもの新視点を提供していて、今後の研究の基 盤となるものであることは間違いない。
こうした見解にいたる主要な根拠や論点は、【各論考の内容と特色】でまとめた概要のなか で、下線を施した部分がそれにあたる。これらはいずれも重要な問題提起となっていて注目さ れる部分である。ここではあらためてその説明を繰り返すことはしないが、これらの論点は、
今後の出雲研究あるいは古代王権の宗教的世界観の研究において、議論を大いに呼びおこす可 能性がある。
もちろん残存史料が少ない日本古代史研究の通例として、異論が多々ありうるし、実際に、
審査小委員会の議論においても他の見解がいくつか示され、結果として公開口頭試問の場にお いて菊地氏と議論する場面もあった。
具体的に、副査からの意見をここでいくつか例示すると、『古事記』『日本書紀』が取り込 んだ出雲神話を、稲霊信仰という王権の「宗教的世界観」から位置づけようとする実証的研究 として一つの筋が通っており、新しい知見の提示にも富むなど、古代出雲をめぐる研究に、新 しい基盤を提供する研究成果として評価できるし、また律令国家において、出雲が玉作りを独 占的に担い、出雲国造の任命儀礼や神賀詞奏上儀礼に王権との直接的関係が重視されたことに ついての実証的な検証も評価できる。ただ出雲神話を王権の神話の側からのみとらえて、「国 譲り神話」に見られる出雲神話の服属儀礼的性格を否定する点については、王権側にも出雲神 話を取り込まざるを得ない事情があったはずで、王権と出雲の関係を相対的・双方向的にとら え直すこともできるのではないか。たとえば、『出雲国風土記』の「国引き神話」に登場する 国土創成神としてのヤツカミヅオミヅヌノミコトは、『古事記』『日本書紀』には出てこない 出雲の国つ神としてとらえられ、出雲神話の全体像を、王権と出雲勢力との両面から重層的に 理解することもできるのではないか。
あるいはまた、神話から史実を読み取るという困難な課題に挑戦し、一貫した論旨で独自の
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主張を展開している点は高く評価できるが、ただし、宗教的世界観といいながら、当時の宗教 的な世界観全体にふれている訳ではない。論題に「宗教的」とあるが、本書は宗教とは直接関 係なく、非現実的という意味合いで用いられているようにもみえる。宗教的世界観ではなく、
神話的他界観と言い換えた方が適切ではないか。また他界観の全体像について何ら言及がなく、
稲魂信仰に関わる部分のみを取り上げられていて、この点についても適切な説明がなされてい ない2。また第十一章については、『日本書紀』から、毒流し漁の史料上の初見に当たる記述 を見出した点で興味深いが、祈雨の祭祀にあたるという解釈については説得力に欠けるように もみえる、等々。
さらにいえば、出雲は異質ではないとする前提と、最終的に出雲の特殊性を肯定しているよ うにみえることの論理的説明がもう少し必要にもみえる3。最後にその特殊性を認めてしまう と、せっかく特殊性を否定することから書き始めたのに、そうした前提との関係がわかりにく くなってしまっているようにもみえる。
また出雲大社を語るのであれば、出雲国一の宮である熊野大社との関係の説明も必要ではな いか。本書では熊野はほとんど触れられていないが、例えば『続日本紀』では熊野が先に記述 されていることも考えなければならない。あるいは出雲国造は意宇郡司を兼ねていて、神郡は 意宇郡であって出雲郡ではないことをどう考えるのか、といった重要な論点も今後の課題であ ろう。
また細かい点であるが、長期にわたって執筆された単独の個別論文をもとにして一書にまと めているため、記述に重複が目立つ。稲霊信仰や水平的他界観から垂直的他界観へなどはたし かに重要な論点で、繰り返し書きたくなる気持ちは理解できるとしても、一書にまとめるに際 しては工夫が必要であったのではないか。とくに昨今の専門書の出版事情を考えれば、うまく まとめなおすのも重要な作業である。あるいは論旨のなかで、自分でこれまで史料を何度も読 んで判断しているからであろうが、いきなり本質論に踏み込んで根拠を明示せずに断定的に述 べる箇所も少し目立つ。もちろん本書を熟読すれば、自ずとその根拠がみえてくるとはいえ、
あるところでは推測にとどめ、論拠を展開しながら断定するという手法の獲得も今後は必要で あろう。
以上のように、各所において、審査側からいくつかの別な見解ないし仮説を提示することも 可能ではあるが、これまた日本古代史研究の通例として、その論理的体系性を十分に有し、し たがって論理的に完結していることが、論文としてもっとも重視されるということを考えると、
本書はまさに一つの新しい体系を打ち立てたものと評価しても過言ではないと考える。したが って本書は博士論文に十分値するものといえる。繰り返しになるが、史料解釈に基づく細かい 個別実証もさることながら、評価にあたって重要で大切なことは、全体として一つの世界が合
2 主査補足:ただしこれは先行研究に委ねているので本書では省いたということなのかもしれないが、であっ たとしても、単著として考えたときには、もう少し丁寧な説明が必要ではないか。
3 神話の中身が実態とは異なり、異質に書かれているのはなぜかというスタンスなのかもしれないが、いずれ にしろもう少し説明を要する。
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理的に描けているかどうかである。それに成功すれば学説として長く残るものとなる。本書も そうした扱いを受けるに違いない。
その他、菊地氏には、まだまだ期待する点は多い。それは本書が重要な成果を上げているか らでもある。本書の成果をもとに、さらに研究が発展していくことが十分に期待されるところ である。
【結論】
審査小委員会は、菊地照夫氏提出の学位請求論文『古代王権の宗教的世界観と出雲』を、上 記のごとく評価し、本論文提出者が博士(歴史学)の学位を授与されるに十分な資格を有する との結論に達した。