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―一 非 言語 的言語論 の観 点 よ り見 た文学 的小説 についての一考察 一―

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―一 非 言語 的言語論 の観 点 よ り見 た文学 的小説 についての一考察 一―

小   林     *

Winde lesen

―十 ]3etrachtung uber literarische WVerke durch die nonverbahstische Sprachtheorie― 一――

Shigekichi KoBAYASHI*

Abstract

Die Sprache ina Werk istjedem Leser so relevant、 、 ア ie seine tagliche verbale bzw  nOnver‐

bale Kommunikation rnit anderen Menschen  Durch seine Sprachfahigkeit der totalnonveJDaliS‐

tischen Sprache mit den nonverbalen Sprachen hat er daran teil, dass er das vom Autor geschriebene verbale WVerk annders als die lntention des Autors liest und interpretiert,kann sich nlitteilen und seine Meinung au13ern

Die explizite verbale Sprache iln Werk ist das, was den Leser vonl Autor beiin Lesen unterscheidet  Theoretisch kann man  ■lit Recht sagen, erst durch die totalnonverbalistische Sprache mit der imphziten latenten Sprache und der unterbe、 vussten nonverbalen Sprache wrerde das passive  ヽ Verk, das vonl Autor geleitet  、 vird, zum aktiven Werk, das von der Leserseite aktiviert wird

r【

9y  こ υο rtJs i nOnverbale Sprache,explizite verbale Sprache,Autor,Leser,再 Verk

〈 「作者」について語 ることはで きて も

,「

作者 J を語 ることはで きない。〉

〈 「作品」について語 ることはで きて も

,「

作品 J

を語 ることはで きない。〉

上述 の二文 はつ ぎの ように言 い換 えられ る。

「作者」に関係す る事柄 について ,様 々に ,部 分 的に,こ とばで語 ってい くことはで きるが ,「 作 者」自身 を ,存 在 その もの として ,全 体的に ,こ

とばによって再現す ることはで きない。「作品 J について ,様 々な方向か ら ,様 々な方法で ,様 々 な ことばで語 ってい くことはで きるが ,「 作品」

を語 り尽 くす ことはで きない。 この言い換 えら れた二文 は同 じものなのであろうか。存在 の表 層形態が非言語的生命体 としての作者 を言語的

平成 14年 12月 26日 受理

*総 合教育 セ ンター・ 教授

に語 ることと ,存 在形態 自体が視覚的に も聴覚 的にも言語 その ものか ら成 り立 っている何かを 言語で語 ることは ,同 じことであろうか。究極 的に ,仮 称 としての私の見 る世界が ,何 らかの ことばでな りたつているにしろ ,  ここでい うこ とばは ,通 常の意味での言語 ,顕 在言語ではな く ,非 言語的言語 とで も呼ぶ しかないような何 かなのであろうが ,仮 に ,常 識 と称す るものに 依拠 して ,い わゆる具体的に日常生活で音声 と して発せ られ ,ま た文字 に書かれてい るものを ことば とい うことにす ると ,上 述 の命題 は次の 様 に定式化 され うる。非言語的実体 としての作 者 は ,無 限に言語化 され うるが ,言 語 その もの にはな りえず ,言 語 その ものである作品は ,す

でに語 り尽 くされてお り ,語 り尽 くされた とい う意味でのその完全な言語化 によつて ,原 理的 には ,言 語的に語 り得ない ものになっているの

‑61‑

(2)

で あ り ,言 語 的 には ,自 己完結 して いて ,作 品 につ いて何 か を ことばで語 る ことは,本 来 的 に

,

不可能 にな る。冒頭第二文 は ,む しろ ,〈 「作 品」

を語 る ことはで きて も,「 イ 乍品」につ いて語 る こ とはで きない。〉 と訂正 すべ きなのか もしれ な い。以上 の ように考 えれ ば ,作 品 につ いて何か を語 る ことは ,本 質 的 に無 意味 にな り ,文 学作 品の批評 的基盤 を言語 に置 くこ とは原則 的 に不 可能 にな る。

常識 的 に,生 命 や物質 で満 ちた この世界 を ,こ とばで言 い表 わす ことはで きるし ,時 間 と空 間 の座標 を取 り入 れ て物語 を物語 る ことも何 ら支 障 はない。 ことばについて ことばで語 りつづ け る こ とも ,  ことば をことばで置 き換 えてい くこ とも ,日 常 的 に問題 とな るこ とで はない。 こと ば と物体 ,こ とば と現象 を ,イ メー ジを媒介 に して ,対 応 させ た り ,入 れ替 えた りして も差 し 支 えない。 いや ,  こ とばで認識世界が成 り立 っ てい る とした ら ,言 語 と非言語 的世界 の区別 こ そが ,世 界 の本質 を ,言 語 の本性 をゆが めてい る こ とにな るので あ り ,文 学作 品 に限定せず と も ,非 言語 的実体 と称 す る もの と ,言 語 的実在 を区別 す る ことに何 の意味が あ るのか。

しか し ,こ とばにつ いて ことばで語 る ときに

,

志 向対 象 につ いて ,  こ とばで語 りはじめる とき に ,(人 は)そ の こ とばを ,そ の志 向対象 を ,字

義通 り ,本 質 的 に把握 し ,言 語世界 その もの を 完全 に捕 らえ切 ってい るわ けで は全 くない。一 つ には ,こ こでい う言語世界 その ものが ,分 節 化 して いて ,分 節化 はあ らゆ る言語現象 (す な わ ち ,世 界 ,現 象界 )に 及 んで いて ,言 語 とい う言語,  ことば とヤ心うことばに も,  このイ 乍用 が 適 用 され てお り ,非 言語 と取 り敢 えず呼ぶ しか ない言語 的何 か と ,こ れが言語 だ と考 え られて い る言語 的言語 (い わ ゆ る ,具 体 的現実 的言語

,

顕在 言語 )に 分 けてみ る こ とは ,そ う無理 な不 自然 な こ とで はない。 したが って ,世 界 が言語 でで きてい る ものな らば ,世 界 が先 か ,言 語 が 先 か とい う論 は無意味 な もの とな り,在 るの は

,

言語 的言語 と非言語的言語 (言 語 的言語以外 の

あ らゆ る もの ごとの総称 )と い うこ とにな る。最 初 の論題 は ,こ こに来 て ,〈 言語 的言語 で表現 さ れた非言語 的言語 「作者」 について ,言 語 的 に 表 現 す る ことはで きて も ,非 言語 的言語表現 を す る こ とはで きない。〉 とな り ,冒 頭第二文 は

,

〈言語的言語 その もので あ る「作 品」を言語 的 に 表 現 す る こ とはで きて も ,非 言語 的言語「作 品 J

につ いて表現 す るこ とはで きない。〉とな る。上 で定義 された非言語 的言語 としての「作 品 J自

体 が非在 なので ,そ れ につ い て語 る こ とはあ り えな いので あ る。

通 常 ,文 学作 品 は こ とばで形作 られてい る と 考 え られ てお り ,文 学作 品で ある小説 について 何 か を語 る ことは ,小 説 言語 が ,顕 在 言語 す な わ ち言語 的言語 で あ る とい う共通理解 ,共 通認 識 に異存 が な けれ ば ,言 語 的 には ,ほ とん ど無 意 味 なので あ る。 日常生活 の場面場 面 で ことば につ いて ことば を費 や した り ,こ とばについて

こ とばを語 る ことは,何 ら特別 な こ とで はない。

しか し ,文 学作 品 の場 合 は ,作 品 を どこで切 る か ,ど こまで と見 なすか は別 として ,と にか く

,

一 つ の ことばの ま とま りとして括 る ことが ,取

り敢 えず ,可 能 で あ り ,当 該 作 品 を どう読 み込 んで い くか とい うこ ととは離 れ て ,言 語 (こ と

tゴ

)と して始 め と終 わ りを設定 す る こ とがで き

,

こ とばの群 れ の秩 序 とい うか ,順 序 と整 列状 態 を見 い出す こ とが可能 にな る。

文 学作 品 を一 つの言語 の ま とま りと見 なす こ とが で きた時 に ,実 ,文 学作 品 は ,言 語 的 に

,

静 か な死 を迎 え る こ とにな り ,静 的 回体 とな り 氷 結 して しまうので ある。言語作 品 は ,一 つの 完結 した ま とま りとな った瞬 間 に,言 語 的 に,固 化 し ,固 定 して しま うので あ る。言語文学作品 につ いて言語 的 に語 るこ とは無意味 で あ る ,  と は この謂 で あ る。原理 的 に ,不 変化 した (と 見 な され る )言 語体 を ,言 語 に よって変化 させ る の は不可能で あ る。作 品 につ いて何 か を語 る こ とは,永 遠 に禁 じられてい る こ となのだ ろ うか。

作 品 中の言語 につ いて もぅ言語 的 に語 る ことは

,

本 来 ,し て はい けない こ となのだ ろ うか。読者

(3)

は ,批 評家 は ,そ して ,作 者 も ,作 品について 語 っているではないか。何が問題 なのか。読者 は ,作 品について語 つているのではな く ,あ

場合 は ,作 品中の ことばについて ,非 言語的操 作 をして ,非 言語化 された ことばについて語 っ ているので あ り ,図 式化 を承知で敢 えて言 えば

,

作品中の ことば ,言 語表現 に ,非 言語的状況 ,非 言語的言語 を投影 させているのであ り ,読 者 の 顕在言語化以前の非言語的状態が想起 されてい るのであ り ,作 品内の顕在言語 その ものや ,顕

在言語間の隙間に ,非 言語的状況が現出 して き て ,非 連続体 としての非言語的言語が見 い出さ れ ,読 者 はそれについて語 ることがで きるので ある。本質的に ,文 学 における作品論 は ,言 語 的には不可能であ り ,作 品の中にある不連続な 言語連関の隙間に現出 して くる非言語的言語 に ついてのみ語 ることがで きるのである。 この よ うに ,文 学 における顕在言語 に基盤 を置 いた作 品論 の不可台を性は ,原 理的 ,理 論的 には ,不 可 能 とい うことであつて も ,読 者 による作品論 は

,

非言語的言語 を想定 してはじめて可能 になるも のである。

通常 ,我 々 は ,  ことばを語 るが ,  ことばにつ いて ことば を語 る時 は,  こ とば Aと こ とば B

の間に常 に意味の微妙 なずれがあ り ,こ とばの 連続 によることば同士の連 関的差異化が ある。

しか し ,  この場合 ,  ことばについて ことばを語 ることは ,純 理論的には不可能であ り ,  ことば とことばの間 に非言語的実体 を想定 していなけ れば不可能 な ことである。 ことば と仮称 す る顕 在言語 は ,常 に ,潜 在言語や言語化不能言語や 非言語的言語 といつた非言語的状況 に取 り囲 ま れてお り ,顕 在言語の出現 は,(そ の人間 に とっ て )意 識 さえしない一日 舜の出来事であつて も ,数 多 くの ,次 の

l舜

間にも顕在言語 に転化で きる用 意のある潜在言語 と ,決 して顕在言語化で きな い と思い込 んでいる言語化不能言語 (具 体的 に は ,絵 画や映像等のイメージの総体等 )や 非言 語的状況 (人 間には決 して顕在言語化で きない

,

つ まり ,意 識化で きない無意識的感覚の状態の

世界 〈 無意識状態の感覚世界〉 )等 の非言語的言 語 に支 えられてお り ,明 示的顕在言語の基盤や 背後 には ,暗 示的潜在言語や上述 の言語化不能 言語や ,言 語的無意識状況等の非言語の総体が ある。顕在言語 を言語 として成 り立たせている のは ,こ の非言語 なのであ り ,ま た ,一 つの (と

思い込んでいる )顕 在言語の出現 には ,非 言語 の目に見 えない力が作用 しているのである。

顕在言語 の出現や成立 におけるこの非言語の 役割 は ,通 常 は人 に意識 されに くい ものである が ,人 間 と人間 との間のいわゆるコ ミュニケー ション ,意 志疎通の際に ,顕 在言語の背景 とし て常 に在 るものである。 日常生活 の具体的場面 において ,我 々は ,こ の意思疎通 ,人 と人 との

交通 の場で ,無 言で過 ごす ことが多い。 この無 言 の場 で顕在言語 の出現率 がゼロで あって も

,

潜在言語 (こ の場合 は ,各 自の思考 ,声 なき独

自 と考 えて もよい。 )等 の非言語 の働 きによっ て ,各 々相手の意志及び意図 ,感 情等 を推 し量っ てい る。 ほ とん どすべての人間生活の実際の場 面では ,  ことばには必ず と言 って よい程 ,具 体 的状況が随伴 していて ,例 外 はほ とん どない。同 じことば (言 語的に同一 の ことば )が シチュエー シ ョンによって全 く別の意味 に取 られた り ,正

反対 の意味 になった りしているのは ,日 常的に 経験 していることである。事 は ,単 なるシチュ エーシ ョンの違いな どではな く ,言 語主体 の持 つ非言語的言語能力の相違 に関係 しているので ある。各人 の非言語的言語能力の相違が ,個 人 語 とな り ,個 性 をつ くり ,顕 在言語 の出現パター ンを習慣化す る。人間が言語の束だ とすれば ,そ れは ,顕 在言語 も非言語状況 も含 んだ総体 とし ての人間の言語能力 を指 している。通常言語 (す なわち顕在言語 )に ,常 に (必 ず )顕 在言語 外 の非言語状況が随伴 しているのであ り ,非 言 語的言語 と全 く切 り離 された ,純 粋 な言語 とい うのは存在 しない。具体的場 との関係 を断ち切 られた実験室 的言語 な ど とい うの はあ りえな い。言葉が記号の一種だ として も ,言 葉が ,無

色透明で ,中 立で無臭で現われる普遍的場の実

(4)

現 は夢想 に過 ぎない。現実 には ,ど んな言葉 も

,

非 言語 的状況 の影響下 にあ り ,程 度 の差 こそあ れ ,言 語 的 に同一 の こ とばで も ,そ の こ とばの

現 われ方 ,そ の こ とばの受 け取 られ方 ,そ の こ

とばによるイメー ジの喚起 は,千差万別 で あ り

,

微細 な相違 か ら ,極 端 な相 違 まで ,様 々 な非言 語 的言語 に よる差異化 の段 階が あ る。俗 に言 う

,

シチ ュエー シ ョンの違 い とい うの も ,こ の非言 語 的状況 の違 い なので あ る。純理論風 に言 えば

,

誰 の 目に も触 れ ない ,  したが って ,誰 も読 んで いない し ,勿 論 ,読 んで い ないか ら ,理 解 もし て い ない ,つ ま り ,受 け取 り手 がいない ことば

,

文字 言語 として ,半 永久 的 に存在 しつづ ける読 み手 の いない文字 としての こ とばや ,人 間不在 の場 で ,自 動機械 で あ るテー プ レコーダーか ら 流 れ 出て来 る聞 き手不在 の音声言語 は,確 か に

,

純粋 記号 言語 と言 える。 しか し ,こ れ は ,思 考 実験 の場 での理念 に過 ぎないのであって ,人 間 に とっての言語 (顕 在 言語 )で はない。上記 の 場 に ,人 間が居 れ ば ,そ の途端 に ,あ る種 の非 言語 的状況 にお ける言語 の出現 と見 なされ るの で あ るが ,人 間不在 の場 で は ,言 語 とは無 関係 で あ る。

文 字化 された顕在 言語 のかた ま りで ある小説 は ,読 み手 による文字言語 の顕在化 を待 ってい る。小説 は ,読 者 の出現 に よって ,非 言語 的状 況 を与 え られて ,顕 在 言語 が意 味 を獲得 す るの で あ る。 この よ うな場合 の こ とばの意味 とい う の は ,受 け手 (読 み手 )の 側 の非言語的言語 の 反 映 なので あ る。 この ように して ,読 む とい う 行為 に よって ,死 んだ よ うに存在 していた小説 が息 を吹 き返 し ,沈 黙 し ,眠 り込 んでいた作 品 が活気 づ き ,語 りは じめ る。読者 が作 品 に息 を 吹 き込 み ,死 せ る文字が再生 す るのであ る。純 粋 無色透 明で (人 間 に とって無意味無関係 な)実 験 室 言語が存在 しない とすれ ば ,言 語 は ,常

,

何 らか の ,非 言語 的背景 を持 ち ,何 らか の意味 付 けが な され ,色 が着 くことにな る。読者 によ る幾通 りもの (理 論 的 には ,無 数 の )作 品 の読 み方 ,味 わ い方 ,把 握 の仕 方が ,こ の ように し

て可能 にな る。

作者 の意 図 と受 け手 で あ る読者 の意味 の取 り 方 には ,通 常 ,ず れが発生 す る。作者 が意識 す るに しろ ,意 識 しない に しろ ,作 者 の側 の非 言 語 的状況 の影響 によって ,作 者 の言語が生 じて くる。作者 の側 の非言語 的言語 に支 え られて,文 字 言語 の収束物 で あ る小説 が生 まれて くる。作 者 の発 した言語 に附随す る非言語 的言語状況 の 大部分 は消 え去 り ,受 け手 で あ る読者 の側 の非 言語 的状況が発生 す る。小説 の作 り手 で あ る作 者不在 の言語場 で は ,受 け手 で あ る読者 の非言 語 的状況が優 勢 とな る。読者 の存在 が不可欠 に して も ,小 説 を送 り手 の言語 の形骸 とのみ見 な す の は ,小 説 言語 を ,他 の小説以外 の文字言語

,

た とえば ,日 記 ,新 聞・ 雑誌 の報告文 ,論 文 等 と同様 の もの としてい る ことにな る。河ヽ 説 言語 は ,こ れ ら一般 の言語 とは異 な る もの と考 え ら れ る。小説 (の よ うな文学 )以 外 の書物 におい て は ,書 き手 の意 図の確認 が最重要事 なので あ り ,筆 者 の非 言語 的言語状況 の再 現 や再構成 が 何 よ りも優先 されてい るので あ る。報告文 の中 の言語 を吟味す る ことに よって ,筆 者 の意 図 を 推 し量 り ,筆 者 の志 向 した非言語 的状況 を再確 認 す る こ とが 目標 とな るので あ る。 この場合 で も ,言 語 の担 って い る非言語 的言語 の相違 によ り ,作 者 の言語表 現 の 目的・ 意 図 と読者 の受 け 取 り方 の微 妙 な ズ レが 出 て くるの は ,言 語 の 持 って い る宿命 的 な もの と言 える。

これ に対 して ,小 説 言語 は ,作 品 として書 か

れ た瞬 間 に ,建 前上 は ,作 者 の伝 達 内容 や意 図

とは切 り離 され ,作 者 の手 を離 れて ,独 立 した

存在 とな る。読者 は ,小 説 に関 して は ,作 者 の

非 言語 的状況 を ,  この文字 言語 によって推 し量

る こ とを意識 の上 で強制 され てい るわ けで はな

い。小説言語 は ,生 まれ落 ちた時 か ら ,作 り手

で ある作者 の手 を離 れ よ う離 れ よう とす る独立

心 旺盛 な ことば として振 る舞 お う とす るので あ

り ,読 み手 で あ る読者 も ,本 来 は ,作 者 の意 図

を顧慮 す る ことな く ,自 己 の非言語 的言語状況

をス トレー トに (直 接 的 に )ぶ っつ けて ,作 品

(5)

としての小説 に対すればよいのである。書物一 般 に対 す る読 み手の習慣 により ,小 説の読書 に 際 して もぅ 作者 との濃密な関係 を求めるの は ,小 説 の読 み方 としては ,正 しい方法 とは言 えない

と思われ る。 日記 は ,大 抵 ,書 き手 と読 み手が 同一人物であるが ,こ の場合 に ,上 述 の経緯が 端的に現われ る。 ある非言語的状況での 日記の 書 き手 の書いた ことばが ,別 な非言語的状況で の 日記の読 み手 (書 き手 と同一人物 )に よって

,

非言語的に再現 され る ,ま たは ,再 現 され るよ うに試み られ る。理論的に言 えば ,日 記の こと ばが書かれた場 での非言語的状況がほぼ完全 に 再現 され ることはあ りえないのであって ,日 記 を読 んでいる時の非言語的状況が異なっている ので ,必 ずや微妙 なズ レが起 きて くる。しか し

,

小説以外の非文学的書物 においては ,理 念 とし ては ,書 き手 は ,書 き手 に附随す る非言語的状 況 を言語 に託 し ,再 現 しやすい ように工夫 し努 力す ると思われ るし ,読 み手の方 も ,書 き手の

意図 を汲んで ,不 完全であれ ,書 き手の非言語 的言語 を再現 しようと ,自 己の非言語的言語 に 働 きか ける。書 き手 と読 み手 は ,文 字言語 とし ての顕在言語 を媒介 にして ,互 いの非言語的言 語 を投影 しているのであ り ,顕 在言語 を通 して

,

非言語 コミュニケーシ ョンを成立 させ ようとし ているのである。

小説 における作者 の行 き方 は ,作 者の意図や 伝達内容 (伝 達 したいメ ッセージ )が あるにし て も ,直 接的 に作者の非言語的言語 を読者 に投 げかけるのではな くて ,直 載的なテーマな り ,意 図な りを ,隠 蔽 す る形 で ,手 を替 え品 を替 え

,

様々な方法 を使 つて ,虚 構 の物語 を作 つて ,こ の物語 の虚構性が巧妙で絶大 で あれ ばあ る程

,

言語 としての独立性が発揮 され ,次 第次第 に作 者の非言語的状況が不透明 になってい く。作者 の非言語的言語の影響下で小説が生 まれ出ると

して も ,作 品の言語 その ものは ,作 者の直接的 非言語的状況 を排す るように語 られ ,作 品全体 として ,作 者 の非言語的状況 を背景 に持つ意図 や直我的伝達内容 を隠薇 し ,不 透明にす る。小

説 言語 その ものが この よ うにで きてい るので あ る。読者 の側 も ,小 説以 外 の実 用的一般 的読 み 物 の読 み方 に囚われ さ え しな けれ ば ,小 説作 品 の言語表現 に作者 の影 を不必要 に見 い出す必然 性 はない。河ヽ 説 の読書本 来 の姿 は ,作 者 の非 言 語 的言語状 況 を推 し量 るので はな く ,読 者 の非 言語 的状 況 を ,積 極 的 に作 品言語 の 中 に投入 す る こ とにあ るので あ る。理論 的 には ,河 説 の作 者 と読 者 の関係 は断 ち切 られ て い るの で あ り

,

小説 言語が完成 を見た時点 で ,作 品言語 と作者

との絆が一旦切 れ る こ とにな るので あ り ,小 説 言語 の場 合 は ,読 者 との関係 が最 も重 要 なので あ り ,読 者 の非 言語 的言語 の活 用 が ,小 説 言語 を活性化 す る ことになってい くので あ る。読者 が作者 の意 図 を推 し量 るの は ,小 説 の (し ば し ば ,重 要 な )読 み方の一 つで あつて も ,本 来 の 小 説 の読 み方 とは言 えないで あ ろ う。小説 言語 は ,様 々 に読 まれ るべ くして在 るので あ り ,作

者 の意 図 にの み収束 され るべ き もので あ るはず が な く ,作 者 も自己 の作 品 の限定 され た読 み方 を期待 して書 いてい る とは考 えに くい。作者 の 意 図す る読 み方 のみ を読 者 に期待 して書 いて い る とした ら ,小 説形 式 で な く ,小 説 形式以外 の 言語 の方 が伝 達 が容 易 な こ とは明 白だか らで あ

る。

小 説 に よる言語形式 の方が ,し ば しば ,作 者 の直接的 な意 図 の伝達 に関 して は ,誤 解 を生 み や すい。言語 (顕 在 言語 )の みで成立 して い る 世 界 (場 )が 存在 しえない とす れ ば ,読 書 に よっ て ,常 ,言 語 に非 言語 的言語状 況 が かぶせ ら れ ,読 み手 の持 ってい る非言語 的言語 も合 めた 言語世 界 が構築 されて い くこ とにな る。読 み手 の非言語 的言語が ,積 極 的 に ,強 烈 に ,作 品言 語 に作 用 してい く時 に ,読 み手 は ,作 品 の文字 言語 を通 して ,新 た な ,読 み手 の個性 の発揮 さ れた ,作 品世界 を作 り出す こ とがで きる。作 品 は,作者 の手 を離 れ よう としてい るので あ り,読 み手 は ,作 品 を作者 の手 か ら完全 に取 り戻 すべ きで ある。結果 的 に ,作 者 の術 中 には ま り ,作

者 の意 図 に近 い ところに行 くとい うよ うな こ と

(6)

はあ りうるであろう。非虚構言語の場合 と異 な り ,作 者の意図か ら遠 ざか るような読みがで き るか どうかは ,作 者 と読者の知恵比べ ,知 的綱 引 きとなる。作者の術策 に落 ち入 るか ,作 者 の 罠の圏外 に逃 げ切れ るか,河 ヽ 説作品の読書 は知 的ゲームであ り ,常 識 とい う引力か らの脱出で ある。

しか し ,真 の小説の読書 においては ,勝 者 も 敗者 もない。河ヽ 説 という文学的仕掛 けの中に大 いなる逆説 (パ ラ ドックス )が あるのだ。イヽ 説 言語 を通 して ,読 者が作者の術 中にはまった場 合 は ,作 者の勝 ち ,読 者が作者 の期待 を裏切 っ た時 は読者 の勝 ち とす ることはで きない。常 に 読者が作者 の買 にかか る小説言語 は ,小 説 とし ての本質か ら離れている。読者が作者 の意図を 推 し量 ることになって しまう小説言語 は ,そ

真価 を充分発揮 していない。読者 の小説の読 み 方が ,作 者 の意図か ら全 く離れて しまった場合 は ,読 者 と作者の関係が断ち切 られ ,小 説言語 として活かされていることになる。 この (発 信 者である作者 と受信者である読者が逆転す ると い う )パ ラ ドクシカルな関係性の中での ,小 説 の読書 こそが生産的な もの となるのである。評 論家 ,批 評家の役 日と評論・ 批評の意義がある

とすれば ,  このパ ラ ドクシカルな関係性 を ,具

体的な作品 を読み解 くことによって示 し ,個

しての (執 筆時の )自 己の非言語的言語状況 を ひつさげて ,当 該作品言語 を活性化 させ ,新 し い作品世界の構築 を ,自 らの読 み方によって提

示 し ,通 常 言語 を支 えてい る非 言語 的言語 の存 在 を示唆 す る こ とにある と思われ る。

小説家 によってつ くられた明示 的顕在 言語 の 帆船 は ,非 言語 的言語 の海 に進水 した。あ とは

,

風 の読 み手 を待 つだ けで あ る。

参 考 文 献

Bettamin, walter:Gesammelte Schriften Bd II‑lu Bd II‑3  Frankfurt a  Ⅳ l1 1977

Schlingmann, Carsten (Hrsg): WIethOden der lnterpretation  Stuttgart 1985

Schober,OttO(Hrsg):Text und Leser  Stuttgart 1979

Schulte,  」Oachiln (Hrsg): Philosophie und Spra‐

che  Stuttgart 1981

Weinrich,IIarald: Literatur alr Leser  Stuttgart Berlin K6in Mainz 1971

ハ ンスー G・ ガダマー著 /斎 藤・近藤・玉井訳 :哲 学・

芸術・言語 (未 来社 )1983

ロマー ン・ ヤー コブソン著 /川 本茂雄他訳 :一 般言語 学 (み すず書房 )1993

ジ ョル ジュ・ムーナ ン著/伊藤晃他訳 :翻 訳 の理論 (朝 日出版社 )1980

Aマ レー ビアン著 /西 田司他訳 :非 言語 コ ミュニケー ション (聖 文社 )1986

MLパ ター ソ ン著 /工 藤 力 監 訳 :非 言 語 コ ミュニ ケー シ ョンの基礎理論 (誠 信書房 )1995 W・ フォン・ ラフラー =エ ンゲ ン編著 /本 名・井 出・

谷林編訳 :ノ ンバ ーバル・コ ミュニケー シ ョン (大 修館書店 )1988

マ ジ ョリー・ F。 ブ ァーガス著 /石 丸正訳 :非 言語 コ ミュニケー シ ョン (新 潮社 )1987

井筒俊彦 :意 識 と本質 (岩 波書店 )1985

ドイツ語学文学研究会編 :SympOsiOn第 3号 。 1988

参照

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