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 1 アメリカ黒人の現状について

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Academic year: 2021

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 はじめに

 私の専門は「アメリカ政治に内在する宗教的次元に関する研究」です。しか しながら,アメリカの黒人問題はいつも脳裏から離れませんでした。アメリカ での毎年の調査研究のたびに,ニューヨークのハーレムやブロンクス,シカゴ ではサウス・サイド地区の黒人居住区に足を運びその実態を見て来ました。

 私が初めて黒人問題に関心を抱いたのは高校生の時(1970年代)に有吉佐 和子の小説『非色』を読んだことからでした。それは大要次のような内容でし た。「進駐軍向けのクラブで働く笑子は,黒人兵士のトムと知り合い,恋に落 ちる。戦勝国の兵士としての自信に満ちた振る舞いが笑子の恋心を刺激したの だ。やがて笑子は両親や妹の反対を押し切って結婚・出産。帰国したトムを追っ て渡米する。アメリカでの仕事(掃除夫)をするトムを見て笑子は驚いた。全

【シンポジウム】

報告Ⅱ:アメリカの平等について

─黒人問題を事例として─

 

佐 藤 圭 一

   目  次   はじめに

1 アメリカ黒人の現状について

2 アメリカにおける平等とは?(惨憺たる黒人差別の歴史)

3 「43名の歴代大統領中,人気No.1を誇る」

  偉大なるリンカーン大統領が考えたこと

4 1950年代の差別の状況と「公民権運動」

5 「アファーマティブ・アクション」の法制化と行方  (「結果の平等」の衝撃)

6 オバマ大統領の就任は「不平等是正に貢献するか?」

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く輝きを失っていたのだ。あの日本での堂々とした姿は消え去ってしまってい た。周りの目も変化した。最初は日本人として親しく接した人々も,黒人妻と 知った途端に目線を下げるのだ。そして,何とトム自身も差別する側に回って いた。プエルトルコ人やユダヤ人を軽蔑するのだった。笑子は悟ったのだ。差 別は決して肌の色からだけではないんだ」と。

 そこには優越感・劣等感が複雑に絡み合う人間の“性”を感じざるを得な い。まして,「奴隷主と奴隷の子孫」が引き続き1つの国民を形成しているア メリカでは差別・被差別の意識は簡単には払拭されるものではないと感じたの でした。

 1 アメリカ黒人の現状について

 次に,2005年における黒人の現状についてお知らせしたい。そこには驚く べき数字が並んでいるのです。アメリカ全人口の12%,3600万人を数える黒 人であるが,子供2人いる家族の40%(白人5%以下)は年収$15,000以下 の貧民層です。更には20才から24才までの失業者は30%(白人10%)。20 才~30才での黒人の19%は刑務所暮らし,黒人少年少女の70%は未婚の母 から生まれる。といった具合です。

 国是として「平等」を掲げるアメリカにおいて,なぜ,こうした不平等な状 況が生まれたのか?アメリカにおける「平等って何?」またこうした不平等は 克服できるのか?順を追って考えてみたい。先ずは,「平等」の根拠規程につ いてです。

 2 アメリカにおける平等とは?(惨憺たる黒人差別の歴史)

 1776年74日。アメリカは「独立宣言」によって,世界に向けて高らか に次のように述べた。「……“すべての人間”は神によって平等に造られ,一定 の譲り渡すことのできない権利を与えられており,その権利の中には生命・自

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政治研究 第2号 由・幸福の追求が含まれている」と。1770年代前半から始まった本国議会か らの課税要求に対し,植民地側は当初は「イギリス人としての当然の権利」で 応戦しました。が,本国側は植民地に対する属国扱いを変えようとしなかった のです。業を煮やした植民地側の為政者達が飛びついたのが,ジョン・ロック の『市民政府二論』です。『同書』は上梓(1690年)から86年を経て「独立 宣言」で再び日の目を見たのです。だが,それはコペルニクス的大転換をもた らした。すなわち「イギリス人としての権利から人間としての権利」への転換 であります。ここにアメリカの正義が創出されたのですが,この「“すべての 人間”は神によって平等に造られ」は当時は白人のみを指し,黒人やインディ アンは対象外であったのですが,このことは150年余を経た20世紀になって,

今度は平等を訴える黒人の主張に正当性を与えるものとなるのです。この当時 は,閉ざされていたとはいえ,やがて開けられることになるパンドラの函が用 意されていたのでした。

 当時,黒人を枠外に置こうとする白人の意思は1788年の「合衆国憲法」に も明示されていました。その「第2条第3項」にはこうあります。「……各州 の人口は自由人の総数をとり……これに自由人以外の人数の5分の3を加算し たものとする……」。先ずは,free personsとall other personsを区別したこと です。12年前の「独立宣言」では“すべての人間は神によって平等に造られた”

と高らかに謳い上げたはずでした。ところが「合衆国憲法」では“自由でない 人”の存在を条文化したのでした。既に不平等が公式なものとなっていたので す。次に,“5分の3”についてです。アメリカ連邦議会下院は各州の人口に比 例して定数が配分されるため,奴隷を1人としてカウントすることに北部の州 が反対したことが原因しています。しかしながら,その背景には黒人奴隷に対 する平等な権利付与を認めたくない白人の共通の思いがあったのです。1人の 人間を5分の3とカウントすることなど実に不合理極まりないことです。

 加えて,黒人に対する連邦最高裁の判断です。1857年の“ドレット・スコッ ト判決で連邦最高裁は歴史に残る不名誉な判断を下しました。アメリカ連邦 最高裁判事9名は特別にJusticeと呼ばれます。(他はJudge) 正しく,法治国

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家アメリカにおいて正義の体現を期待された存在なのです。その連邦最高 裁が,人間としての身分保障を求めた黒人奴隷の訴えを退けた。逆に,奴隷主 の財産権の不可侵を認めたのです。つまり,黒人は家畜と同じく財産であると 認定したのです。こうした連邦最高裁による黒人=家畜との判断が今日まで解 消されることなく続く黒人差別問題の元凶であるように思われます。

 3  「43 名の歴代大統領中,人気 No. 1 を誇る」偉大なるリンカーン 大統領が考えたこと

 黒人奴隷問題は実に根深いものでありました。歴代43人の大統領中,アメ リカ国民の間では数十年間に亘って人気No. 1を誇るリンカーン大統領が賞賛 される理由は黒人奴隷を解放したことにあると思われます。確かにリンカーン は1863年に「奴隷解放宣言」を発しました。だが,ちょっと待って頂きたい。

南北戦争が始まったのは1861年。「宣言」の2年前です。南・北軍合わせて 62万人もの死者を出した内戦の原因は奴隷問題ではなかったのです。明らか に異なります。では,リンカーンは黒人奴隷問題をどのように考えたのか?

 ここに1858年にリンカーンの上院議員選挙中の演説があります。黒人は投 票権を持たない。そのため,当然のことながら演説は白人受けするようになっ ています。ドレット・スコット判決から1年後という状況でもあり,今の目線 でリンカーンに対して黒人と白人が平等を期待することなぞ無理なことです。

また,仮にそのように思っていたならば,リンカーンは上院議員に選出される ことも,まして大統領には決してなれなかったと思われます。彼に関係した文 献を読むとリンカーンは黒人を生まれ故郷のアフリカに帰そうと考えていた。

これすらも当時としてはヒューマニズムに溢れる考え方であったのです。ち なみに,アフリカにあるリベリア共和国はリバティ(自由)を語源とし,アメ リカから強制的に戻された人々のために作られた国です。首都モンロビアはア メリカ第5代大統領ジェームズ・モンローに由来しています。

 話を戻します。1863年の「奴隷解放宣言」は,政治家としてのリンカーン

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政治研究 第2号 の周到な狙いがあったのです。1つは当時活発な綿花の輸出入を介して親密な 関係にあったイギリスが南部に加担することを阻止することでした。1833年 既にイギリスは奴隷貿易を禁止していた。「奴隷解放宣言」はイギリスの加担 にためらいの効果をもたらしたのです。2つ目は黒人奴隷たちへの発信です。

当時の南部の全人口は900万人,黒人奴隷は400万人を占めていました。「宣言」

は苦戦を強いられていた北軍にとって,戦況を一転させる転機となったのです。

奴隷たちが北軍に馳せ参じたのでした。

 北部の南北戦争勝利によって,合衆国憲法は改められてアメリカから奴隷は 消えました。そして“5分の3人規定も漸く修正された。だが,戦争が「奴 隷解放」を目的としていなかったことからも黒人は多種多様な問題に直面しま した。“奴隷後については,各州の裁量に委ねられたのです。ほとんどの州 では黒人の参政権については,「読み・書き能力」を審査対象とし,「一定の財 産の保有」を条件にもしました。そうした条件をクリアーする黒人が存在しな いことを前提に。黒人の苦悩は続いていったのです。

 4 1950 年代の差別の状況と「公民権運動」

 それから90年程経た1955年に転機は突然に訪れました。その当時1896

“分離すれども平等との連邦最高裁判決もあって,「白人と黒人と分離」

が至る所で当然のこととして行われていました。水飲み場,劇場,トイレ,列車,

バス……。1955年121日,1人の黒人女性ローザ・パークスは,バス運転 手の指示に従わなかった廉で,すなわち「黒人差別条例(バス座席に関する)」 を無視した罪で逮捕されました。これを契機に全米で“バスボイコット運動 が広まりをみせていったのです。その中心となったのがマーティン・ルーター・

キング牧師です。彼は徹底的に非暴力を訴えた。もちろん彼はキリスト教プロ テスタント・バプティスト派の牧師であります。非暴力は当然のことだったか もしれません。加えて,彼は「独立宣言」理念に沿って,黒人の主張の正当性 を,白人を含む全アメリカ国民に向けて訴えたのでした。

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「私達の共和国の建国者たちが,合衆国憲法や独立宣言に壮大な文言を書き記した時,

彼等はアメリカ人なら誰でも受け取ることのできる約束手形にサインをしたのです。

この手形は,すべての人にとって,つまり白人と同じように黒人にも『生命,自由,

幸福を追求』する『不可侵の権利』があることを保障するはずの約束でした。……私 には夢がある。いつの日か,この国の人達が立ち上がり,真の意味でこの国の信条を 実現するという夢が。その信条とは『私達はすべての人々は平等に作られたというこ とを自明の真理として信じる』ということです。……」(「I have a Dream」演説から。

1963828日)

 非暴力とアメリカの“バイブル”である「独立宣言」に訴えることの効果の 程は劇的でありました。若者が中心となって多くの白人が黒人の運動に共感 し,先頭に立って“黒人の平等”実現を訴えたのでした。1964年の「公民権法」

の制定はこうしたことの産物であったのです。

 5  「アファーマティブ・アクション」の法制化と行方( 「結果の平等」

の衝撃)

 「公民権法」の制定が法律に基づく機会の平等であるとすれば,これか らお話しする「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」は建 国の理念の大転換。すなわち政治判断に基づく結果の平等を意味します。

この衝撃は強烈なものでした。一例を挙げてみよう。市町村の人口構成に比例 しての雇用を義務づける同法においては,警察官,消防士などの公務員には一 定の黒人枠が設定されることになります。また,民間会社についても枠を設け ない会社については,公共施設への納品や入札は拒否されます。「アファーマ ティブ・アクション」は大学にも適用されました。黒人などのマイノリティに は予めポイントが加算され,例え“SAT”などの統一試験で白人より低い得点 であっても,総合点では合格できることになりました。同法の導入に尽力した ジョンソン大統領はそれを「黒人に対する白人による歴史の償い」と表現した のでした。

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政治研究 第2号  しかし,白人の側,特に白人の低所得層からすれば,「アファーマティブ・

アクション」の適用は許容限度を遙かに超えたものでありました。早速,アメ リカの正義が問題とされたのでした。1978年にはバッキ事件判決がありまし た。UCLAデービス医学校では得点の低かった黒人が合格,高かった白人が不 合格となりましたが,連邦最高裁の判断は人種別得点の配置を憲法違反とし,

黒人の合格を無効とするものでした。黒人に対するこうした得点の操作は 憲 法に明記された法の下の平等”(=機会の平等)からすれば,違憲と判断せ ざるを得なかったのです。10年後の1988年にはタックスマン事件がありまし た。財政難から白人だけが解雇されたことに対して,白人高校教師がニュー ジャージー州を訴えたのでした。注目すべきは本件では,白人が1964年に黒 人が獲得した「公民権法」違反を理由に訴訟を起こしたことです。異例の事態 はまた起こります。黒人の権利を守るために設立された公民権擁護団体が「ア ファーマティブ・アクション」の違法性を認める判決が下されることを恐れ 31万ドルの和解金を原告の白人教師側に払ったのです。

 更には,驚くことに黒人の側からも「アファーマティブ・アクション」への 批判が相次いだのです。曰く「公民権運動から既に30年が過ぎた。黒人は遠 い過去である奴隷制度を引き合いに出し,甘んじているのではなく,与えられ た環境でベストを尽くさなければならない。白人やアジア系の中にも同じよう な環境で生活している人達はいる。人種や肌の色により優遇措置を与えるのは 差別だ。それを取り除くことにより,初めてアメリカは1つになれる」(フォー ド・コナリー:コンサルティング会社経営)。ちなみに,1995年のカリフォル ニア州を皮切りに,コロラド州,ワイオミング州など10州で「アファーマティ ブ・アクション」は撤廃されています。

 6 オバマ大統領の就任は「不平等是正に貢献するか?」

 2008年11月,実に黒人の95%の支持を受けてオバマは当選しました。ハー バード大学ロースクールを卒業した「エリート黒人」としては珍しく積極的に

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黒人の貧民街で活動(弁護士)を行ったオバマ大統領は不平等の是正に貢献で きるだろうか? 私はそれには相当な困難を伴うと予想します。 

 国民皆保険制度導入を巡る混乱でも証明されているように,白人を中心とし た多くの国民は連邦政府の増税を伴うこれ以上の介入に警戒感と嫌悪感を抱い ています。今年に入ってからの知事選挙や連邦議会補欠選挙での民主党の敗北 はこうした拡大する連邦政府への拒否反応であるといえます。11月に中間選 挙を控え,また自身が2年後の二期目を目指すには,やはりオバマ大統領はリ ベラルだったとのレッテルが貼られるのを回避する方策を求めざるを得ないの ではないでしょうか。そこには,マイノリティである黒人だからこそ,逆にリ ベラル色を打ち出せないジレンマがあるように思われるのです。このことから も「アファーマティブ・アクション」への積極的擁護発言は慎むことにならざ るを得ないと考えます。

 但し,大統領には制度上の特権があります。それが連邦最高裁判事の指名で す。アメリカ連邦最高裁判事は終身です。弾劾を除き,裁判官は辞任以外では 死ぬまで勤められる。最高齢90才のスティーブンス判事は1975年に就任して いますから今年で実に45年最高裁判事を勤めたことになります。そのスティー ブンス判事が引退表明したことから,オバマ大統領は自身がシカゴ大学で法律 学教授を務めて時に同僚であったエレーナ・ケーガン女史を指名しました。同 じくオバマ大統領は昨年10月に就任した初のヒスパニック系判事ソニア・ソ トマイヨールを指名した。ニューヨークのサウス・ブロンクス生まれの彼女こ そ「アファーマティブ・アクション」の申し子なのです。オバマ大統領が仮に 二期目の大統領選挙に勝利し,あと6年半大統領職に留まるならば,「アファー マティブ・アクション」について,現在の連邦最高裁判事9名の傾向が,支持 4名・消極的2名・不支持3名であることから,交代によって「支持」を大き く増やすことも考えられます。

 最後に例え話を1つ紹介します。白人・アジア系黄色人・黒人の3人の自動 車会社に勤めるセールスマンがいるとします。3人とも販売業績が良くない。

白人とアジア系黄色人は共通して考える「自分には自動車を売る才能がないの

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政治研究 第2号 だ!」 だが黒人は違った。「差別されているから売れないのだ!」

 繰り返すまでもなく,人種を問わず全ての国民に機会の平等を保障する のが現在のアメリカの国是です。“結果の平等である「アファーマティブ・

アクション」は無いにこしたことはありません。しかしながら,現在の状況で「同 法」を廃止したらどうなるのでしょうか? 例えば南アフリカと異なり,白人 に対して黒人が占める人口比率は圧倒的に低いのです。そのため,オバマ氏が 大統領になったという特殊事情はあっても,黒人が政治的マジョリティーにな ることは考え難い。「アファーマティブ・アクション」が廃止されると,政治 的黒人居住区からは医者や弁護士はいなくなります。職場では稀にしか黒人を 見かけなくなります。不平等と所得格差は益々拡大して行くことでしょう。政 治的平等を促す「アファーマティブ・アクション」は必要悪とも思われます が,現在の黒人が置かれた状況や歴史的経緯からすれば廃止するには至ってい ないと考えます。

《参考文献》

本田創造著『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書,1991年)

上坂 昇著『増補・アメリカ黒人のジレンマ―「逆差別」という新しい人種関係』(明石書店,

1992年)

ジョ ン・ホープ・フランクリン著,本田創造訳『人種と歴史―黒人歴史家のみたアメリ カ社会』(岩波書店,1993年)

ベンジャミン・クォールズ著,明石紀雄ほか訳『アメリカ黒人の歴史』(明石書店,1994年)

上坂 昇著『キング牧師とマルコムX―アメリカの光と影を生きたふたりの黒人指導者』

(講談社現代新書,1994年)

脇浜義明著『アメリカの差別問題―PC(政治的正義)論争をふまえて』(明石書店,1995年)

パッ プ・ンディアイ著,明石紀雄監修『アメリカ黒人の歴史―自由と平和への長い道のり』

(創元社,2010年)

参照

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