──遅く咲く花美しい花
最近、ソウルで開催された国際シンポジウ ムに参加しました。「遅く咲く花美しい花」
というシンポジウムです。意味が分かります か。韓国ではかなり「早教育」を進めていく 動きが出てきています。学力競争を前面に出 して早く学習を進めていこうとする。それに 対してこの会は、それをストップさせようと している。遅く咲く花が美しい花なんだとい う、そういう意味だと思います。
韓国の実状の報告があったのですが、塾へ 行く子どもが低年齢化してきているそうです。
塾といっても、日本のような放課後ちょっと 行く塾、おけいこ塾とは全然違って、朝から午 後にかけての全日制の学習塾でみっちりやる ような、そういうところに通う子どもが増え てきている。李教授は、「早教育」の熱風を 食い止める即効的な処方箋はないが、幼稚園、
保育所が幼児の特性に合ったプログラムを作 成して、共同的な幼児教育のモデルを創造し 普及することが求められると話されました。
その理解を父母の間に広げていかないと、早 教育の熱風を食い止めることはできないんだ、
と。
韓国は日本の植民地から解放された後、ア
メリカの児童中心主義、遊びを大事にする保 育を学んだんですね。幼児教育の研究者は、
アメリカに留学してドクターを取って帰って きて、初めて大学の研究職に就ける。だから こういう動きは反動でもあります。遊びが大 事だ、遊びが大事だという、それは分かるん だけどもそれだけでいいのかという父母たち の素朴な反発ですね。これは私の解釈ですが、
そういう状況があるのではないかと思います。
日本の状況は違うと言えるでしょうか。日 本もそういう状況が出てくるんじゃないか、
現に出てきているんじゃないかという危惧を もっています。
──日本の保育カリキュラムの3つの型
現在施行されている保育所保育指針や幼稚 園教育要領を読んでも、カリキュラムに対す る構想は実はよくわかりません。それは異な るタイプのカリキュラムが混在しているから です。保育のカリキュラムには3 つのタイプ があります。環境構成型、設定保育型、プロ ジェクト型です。悪く言えば、この3 つがご ちゃごちゃになっているんです。
現場にどのタイプのカリキュラムを採って いるか尋ねると、うちは環境構成型をやって います、自由遊びを大事にしていますと言い
和光幼稚園の保育
その歴史的な意義について 宍戸健夫 SHISHIDO Takeo
ます。でも実際に見ると、まず朝子どもたち がやって来て、自由に遊ばせる、いろいろな おもちゃを用意して、園庭でもボールを自由 に使わせている、そういった自由遊びがあり ます。それで10時頃になると、合図をして保 育室に入らせて、クラス別に設定保育を行う。
先生方が計画した教材と目標に向けて、クラ ス全員に対して一斉に先生が指導していく設 定保育型をやっている。このタイプはどちら かというと、自由遊びよりも領域別の設定保 育ですね。5 領域を 1 週間の中でモザイク的 にピックアップして、それをくまなくやって いくようなかたちで、小学校の教科指導のよ うなものになりやすいと思います。
そこにプロジェクト型が入ってきました。
中央教育審議会が、小学校との連携をめざし て「協同的な学び」、つまりプロジェクト型 の保育の導入を提案しました。小学校では生 活科を作って、生活体験を重視した学習活動 を展開していて、それに結び付くような内容 を幼稚園保育園でも考えてほしいということ です。プロジェクトといわないまでも協同的 な学習のシステムを入れるということで、領 域の「人間関係」に「友達と楽しく活動する 中で、共通の目的を見出し、工夫したり協力 したりする」という1 項目が入りました。こ の項目をどう生かすかというのが、これから の課題です。
環境構成型でも設定保育型でもプロジェク ト型でも、それぞれいい面を持っています。
しかしそれらを生かしながら、全体として構 造的に把握するということをしないと、設定 保育型が、ばっと前面に出てきて学力競争に 持っていかれる危険性があると思います。だ からこそカリキュラム全体の構成を考えるこ とが重要です。
──3つの型を生かした保育カリキュラム
3 つのタイプを生かした保育カリキュラム は、これまでも日本の保育の歴史の中で構想 されてきています。〈図1 〉は、戦前の東京 女子高等師範学校附属幼稚園の保育構造図と、
戦後の久保田浩さんの保育構造図です。
まず戦前の東京女子高等師範学校附属幼稚 園の「系統的保育案」から説明します。当時 は倉橋惣三という方が園長でした。倉橋さん は大正時代に足掛け3 年アメリカへ留学して、
コロンビア大学でプロジェクト・メソッドに 出会います。当時コロンビア大学の附属幼稚 園では、キルパトリックの指導のもと、プロ ジェクト的な活動の展開が始まっていたんで す。倉橋さんは非常に驚き、関心を持ち、日 本に帰ってきてから『幼児の教育』という雑 誌にアメリカのプロジェクト活動を紹介しま した。そして、附属幼稚園の教師たちにプロ ジェクト型の保育実践を実践させ、検討し、
『系統的保育案の実際』(1935)を出版したの です。戦前の保育カリキュラム展開として、
素晴らしい実践であったと思います。
この図ではどれがプロジェクトか分からな いと思います。それが倉橋さんらしいところ です。プロジェクト活動にあたるのは、ここ では「誘導保育案」です。どういうものかと いうと、主題を決めて実践していく。どうし たらその主題がうまく実現されるか、みんな で協力して、成功させていく。誘導保育とい うのは、その主題に向けて子どもを誘導する という意味です。その下の「課程保育案」と いうのは、領域別の保育案、系統的な課程に 従う保育案です。プロジェクト活動を展開す る上で、一定の知識や技術というのはどうし
ても必要であると倉橋さんは考えたのです。
次は和光幼稚園にも関わっていた久保田浩 さんの保育カリキュラムの構造案です。『幼 児教育の計画』(1970)という本に示された もので、和光幼稚園と、その後移った白梅短 大の幼稚園の実践をふまえて作成されていま す。倉橋さんの系統的保育案の構造と久保田 さんの教育計画の構造は、たいへん似ていま す。倉橋の「生活」が久保田では「基底にな る生活」、「誘導保育案」が「中心となる活動」、
「課程保育案」が「領域別活動」にあたりま す。久保田さんが戦前の東京女子高等師範学 校附属幼稚園から学んだのかというと、そう ではありません。久保田さんの発想の基盤は 戦後のコア・カリキュラム運動です。和光大 学の初代学長の梅根悟が委員長で、アメリカ の実践と理論を吸収しながら日本に合ったカ リキュラムを創造しようとした運動ですね。
そのカリキュラムの中心はコアになる活動で、
いわばプロジェクト活動です。その中から生 まれた久保田さんのカリキュラムの構造と、
倉橋さんがアメリカに留学して学んだ保育案、
二つはもとがアメリカの教育理論と教育実践 ということでほぼ同じかたちになったと思う のです。
久保田さんの構造案は大きな影響を与えま した。安部幼稚園の園長の安部さんは、久保 田さんとも同じ研究会のメンバーだったので すが、久保田さんのものを修正した保育構造 案を作成しています〈図2 〉。
久保田さんは「基底にある生活」の中に、
「自由遊び」「生活指導」「集団作り」「健康管 理」を一括しています。ここについての十分 な吟味が弱かったんじゃないかということで、
安部さんの場合は、「基本的な生活習慣の形 成」と「自由場面における遊び、仕事」を分
〈図 1 〉
系統的保育案の構造(東京女子高等師範学校附属幼稚園、1935年)
①自由遊戯
A 生活 ②生活訓練
系統的保育案
①誘導保育案 B 保育設定案
②課程保育案 久保田浩の教育計画の構造(1970年)
自由あそび
(1)基底になる生活 生活指導
集団づくり 三つの層 (2)中心となる活動 健康管理
(3)領域別活動 系列を主とする活動
ける。さらに「集団作り」も分けて考える。
独自の重要な活動として「集団作り」を位置 付けて、全体として構造化したんですね。今 の幼児教育は久保田さんの考え方に近いので すが、安部さんの保育構造図は、その「基底 になる生活」の内容を区別して全体の構造の 中に位置付けていて、そういう点で発展的な 形だと思います。
重要なのは、構造化されたカリキュラムを どのように実践するかということです。構造 化されたカリキュラムを計画表にすることは、
そう難しいことではありません。それ以上に、
どう実践するか。それを次に示す「遊びの連 動的発展を意図する保育構造」〈図3 〉でみ てみたいと思います。
〈図3 〉は久保田さんが三層の関係につい て述べているものをもとに、私が作った図で す。Aが室内の個別的活動、Bが室外の個別
的活動、Cが設定保育、Dが共同的なプロジ ェクト活動ですね。
久保田さんは「基底になる生活」つまり、
日常生活課程を非常に重視していたんです。
それは、この図でいえばABの個別的な活動 です。それを重視して、個別的な活動の中か らプロジェクトを展開していく。たとえば、
ある子どもから「この庭はちょっと寂しいね、
どうしたらいいだろうね」という話が出たら、
「花壇を作ったら」ということでみんなで花 壇作りに取り組んでいく。それがDのプロジ ェクトです。花壇作りは実際に、久保田さん が奈良の小学校で行った実践です。
あるいはAの個別活動の部分で、部屋の中 でおままごとが自然発生的に始まりますよね。
そういうことから、規模の大きいクラス全員 が取り組むようなお店屋さんごっこの活動に なっていく。そういう中で必要になってくる
〈図 2 〉安部幼稚園の保育構造
ゆたかな感性にうらうちされた認識
集 団 づ く り
基本 的生 活習 慣の 形成 課業的活動
子どもの興味、関心に依拠しながらも造形、音楽、文学、体育など の文化との出会いを、子どもの自発活動を促す方向で、いわば教師 が指導する系統的学習活動。
土台となる生活 生命を維持するための活動
自由場面における遊び・仕事(労働)
中心となる活動としての遊び・仕事(労働)
体力づくり
特定の集団が持続的に展開する遊びまたは、遊びと綾なしながら、
生活のなかから生まれた仕事的活動・労働(子どもの要求に則し た必然的活動)、たとえば自分たちで遊具や遊び場を作ったり、畑 で野菜を育てたり、ちゃぼを飼ったりする活動など、子どもたち が自分たちの共通の課題のもとに、長期にわたって展開する活動。
安部富士男編著『幼児に土と太陽を』あゆみ出版、1980年より作成。
のがCの設定保育です。一定の知識、技術と いうものの系統的な指導は、いろいろな物を 作る上でも必要になってくる。和光幼稚園は 木工が盛んですよね。後から電車ごっこの実 践の話をしますが、木工がきちっとできるか らこそ、みんなが乗れる電車を作っちゃうん です。基礎的な木工技術抜きにして、あの電 車作りは考えられません。
ABの室内外の個別活動、Cの設定保育、D のプロジェクトというのは連動しているとい うことを、久保田さんは繰り返し言っていま す。その連動の仕方の説明は実践的で、その 通りだと思います。そこに私の考えを付け加 えるならば、AとB、これは室内と室外、学 習活動と体験学習です、このABの中で、教 師がある問題もみんなの問題として取り上げ たらみんなが関心を持つだろうし、一定の技 術がまたABを豊かにするんじゃないか。AB
とCの関わりはかなり重要なんじゃないかと 思います。もちろん久保田さんもそういう連 動というのは十分あり得るといいます。しか し、それだけではまだDのプロジェクトは出 てこないですね。とくに年少組の場合は、そ う簡単には出てこないです。
イタリアのレッジョ・エミリアのプロジェ クト活動が関心を集めましたが、あれだけの ものは日本では年長組でもできないというの で、やる気がなかなかでてきません。
それに対して、今報告がありました和光鶴 川幼稚園の実践の中では、もう少し身近なと ころで、絵本作りとか紙袋作りとかというよ うなプロジェクトを作り上げていますね。そ れはすごく大事だし、いいことだと思います。
特に年少のときに、日常生活の中に小さなプ ロジェクトを積み重ねていくことが、年長で 電車作りのような大きなプロジェクトに取り
〈図 3 〉遊びの運動的発展を意図する保育構造
共同化
個別化
学習化 体験化
A 主として室内における個別的活動
(コーナー活動、遊具・教具にかかわる活動、自由な造形的表現活動)
B 主として室外における個別活動
(自然にかかわる活動、園庭での自由遊びなど)
C 保育者の意図により、クラス全員を対象とする課業活動
(課題活動、設定保育、テーマ活動)
D クラスの全員が主体的にとりくむ計画的・共同的なプロジェクト活動
(共同作業、生活単元活動、総合的活動、行事など)
C D
A B
組む力につながるのではないかと思います。
──小松福三の「のりものごっこ」の実践
次に小松福三さんの和光鶴川幼稚園のプロ ジェクト、「のりものごっこ」の実践につい てお話ししたいと思います。これはすごいプ ロジェクトだと思います。私が小松福三さん にお会いしたのは、40年以上前になります。
日教組の教研集会の幼年教育の分科会でした。
若かった私は愛知県から出た地方講師だった のですが、小松さんと岩手の菅原さんの議論 のやりとりに圧倒された印象があります。
プロジェクト活動が生まれる過程は、小松 さんの著書『体当たり幼児教育』(1975)の 中に書かれています。小松さんが初めて幼稚 園教師になったとき、すごく子どもたちがう るさくて、それを静める手立てが全然分から ない。周りのクラスが静かにやっているので、
どうしているのか聞くと、手遊びをしたり、
みんなで歌を歌ったりして子どもを静めてい る。しかし自分は歌も歌えない、手遊びもで きない。小松さんは小学校の美術の先生だっ たんですね。ですから部屋にいるよりも、外 でばーっと遊ばせた方がいいということで、
部屋から出して自由にさせたところ、三輪車 が散らかしっぱなしになっていて、「どうし たらいい」「車庫を作ったらいいよな」とい うふうに、子どもたちと話をして。それで三 輪車の車庫づくりにとりくむことからプロジ ェクトが始まったというエピソードが書かれ ています。室内で手遊びをするのとはちがい、
小松さんの場合は、外でのダイナミックな遊 びや作業を誘導していくような保育です。
そういう中で「のりものごっこ」の実践も 生まれています。夏休み明けに「みんなどこ
へ行った」という話をして、どういう乗り物 に乗った、汽車に乗った、船に乗った、僕は 飛行機に乗ったという話が出てくる。そこか ら乗り物ごっこが始まるんです。なかなか誘 導が上手ですね。最初は綱で電車ごっこをす るのですが、面白くない。どうしたらいいか ということで、みんなが実際に乗れるような 電車を作る活動にとり掛かります。最初は失 敗の連続です。特に一番苦労したのは車輪で す。最初は乳母車を解体してその車輪を使う のですが、2 、3 人乗ると壊れてしまう。次 に三輪車を解体して、その車を使ったら、真 っすぐには進むけれども曲がれない。最終的 にはキャスターです。ぐるぐる回るキャスタ ーを買ってきて、それを付けることで、何と か4、5 人乗れる電車ができるんです。
実は戦前の東京女子高等師範学校附属幼稚 園でも、自動車作りの実践が行われています。
これも、子どもたちが乗り物に興味を持って、
それじゃ作ろう、何を作ろうかといって、自 動車をつくるんです。当時の子どもたちにと って、自動車は一番ハイカラな乗り物だった と思います。1930年頃のことなんですが、自 動車に興味があって、自動車に乗りたくて、
でもそうは乗れない。そこでということで自 動車を観察して作り上げています。しかし、
戦前の記録には車輪について書かれていませ ん。さっきの報告の中にも、失敗から学ぶこ とが多いという話がありましたが、小松さん の実践には試行錯誤があります。戦前の実践 には、その点についての弱さがあったように 思います。
小松さんの実践の特徴を3つ挙げるとすれ ば、1 つは、ダイナミックな共同作業です。
それから2 つ目は、試行錯誤をしながらいろ いろ失敗して、そこから学ばせようとしてい
ること。3 つ目は、作ったもので遊ぶ、ある いは遊べるようなものを作るということです。
しかし、さきほどの保志さんのお話では、
のりものごっこのプロジェクトが少しマンネ リ化してきて、かつてのような感動、興奮に 満ちた電車作りができなくなっているという ことでしたね。確かにもう一度ゼロから、新 しいものへの挑戦ということで出発した方が いいと思います。プロジェクト活動というの はやはり、子どもの発想を大事にして、創造 的な子どもの力を引き出していく、それが課 題なんじゃないかなと思います。
──和光幼稚園のカリキュラムと 実践の意義
最後に和光幼稚園のカリキュラムと実践の 意義をお話ししたいと思います。4 つありま す。1 つには、いうまでもなく、構造化され た保育カリキュラムを創造したということで す。そして、そのなかに、プロジェクト活動 を遊び活動として位置づけたことです。戦後、
プロジェクト活動というのは、主として社会 科の学習の1 つの方法として考えられてきた のですが、和光幼稚園の久保田さんたちは、
プロジェクト活動は学習活動じゃない、集団 的な遊び活動だと位置付けたんです。このこ とによって、幼稚園のプロジェクト活動はず っと途切れることなく今日まで続いてきてい ると思います。小学校のコア・カリキュラム は、学力低下に結び付くということで、一時 途絶えてしまいます。それは学習活動として 位置付けたので、学力とのかかわりを重視せ ざるを得なかったのですね。和光幼稚園では 本質的に遊び活動として位置付けたことが、
一つの成功の要因だと思います。
2 つには、連動的な発展というかたちで、
各階層や各領域の連動的な発展を実践的に明 らかにしたことです。このことについては、
すでに詳しく、お話ししました。
3 つ目は、小松さんの実践の中で見ました けれども、子どもたちの試行錯誤の主体的な 活動を重視したということです。プロジェク ト活動の中で子どもの主体性を重視して、失 敗を恐れない。失敗をすれば、みんなで話し 合い、どうしたらいいかを考えさせる、問題 解決の思考力を形成したといえるのではない でしょうか。
それから4 つ目は、自由遊びを土台にした ところです。久保田の実践も、日常的な生活 課程の中心は自由遊びです。当時はアメリカ の影響もあって、文部省が出した保育要領で も、自由遊びが中心でした。しかしそれだけ に終わるのではなく、系統的な知識、技術を 学ぶということも大事ではないかと。コア・
カリキュラム連盟でも、その重要性をカリキ ュラムの中に位置付けていかなくては学力の 低下につながるということで論争が出てきま す。和光幼稚園も、その影響もあったと思い ますが、単に自由遊びだけに終わらせていま せん。系統的な知識、技術と連動させること で、ダイナミックなプロジェクト活動が生ま れてくるんだという考え方をしています。そ れが今日に続いているのだと思います
以上のような和光の幼児教育の伝統を、こ れからも受け継ぎ、発展させていってほしい と思っています。どうもご清聴ありがとうご ざいました。
──────────────────────────────[ししど たけお・愛知県立大学名誉教授]