. はじめに
2002年9月11日の米国多発テロ事件は、 ニューヨーク市在住の市民に心身両面で大きな影響を与えた。
ワールドトレードセンタービル内での直接の被害者は死亡者2947人、 うち日本人は23人が確認されてい る (2002年10月16日公式発表)。 日本人は、 外国人の被害者としてはイギリス人の67名に次ぐ被害者で あった。 現在広域ニューヨーク (ニューヨーク市およびその近郊のニューヨーク郡部) には約10万人の 日本人が在住していると推定されている。 このテロ事件においては、 死者が多いのみならず、 ワールド トレードセンタービルやその周辺の建物にいた人にも多くの身体的受傷および精神的外傷が起こったこ とが報告されている。 さらにまた、 ニューヨークの象徴的建造物の倒壊にともなうニューヨーク周辺の 住民への精神的影響が報告されている。
. 対象と調査、 症例報告
1) 9.11後のインタビューとアンケート調査
日米教育センターによってテロ後5日後に電話インタビューが行われた。 768人の日本人成人を対象 にストレス状況について調査された。 その結果では、 成人では、 44%がひとつ以上の重大なストレス症 状を報告しており、 90%が何らかのストレス症状を報告した。 また、 別途施行された子供を対象にする アンケート調査においても、 35%の子供がひとつ以上のストレス症状を報告しており、 47%の子供が何 らかの形で身の危険を感じていた。
ニューヨーク市によるニューヨーク市内公立学校の子供たちの調査においては、 異なる心的外傷を測 る尺度を用いているものの、 約10%に心的外傷後ストレス障害 (PTSD) (表1) を疑わせる症状が見 られた。 また、 テロ事件後6ヶ月後に行われた4年生から12年生の8、 266名を対象にした調査では、
10.5%の子どもが PTSD と考えられる症状を示した。 したがって、 ニューヨーク全体では75,000名に達 するであろうと推定されると報告された。 その他にも、 8.4%の子どもが大うつ病 (表2) の症状、 10.3
%の子どもが全般性不安障害 (表3) の症状、 15.0%の子どもが広場恐怖 (表4) の症状、 12.3%の子 どもが分離不安の症状を示しており、 テロ後の子どもたちへの心理的な影響が深かったことを示していた。
9.11ニューヨーク多発テロ事件後の 心的外傷後ストレス障害 (PTSD)
西 松 能 子
*1*1 立正大学心理学部助教授
表1 外傷後ストレス障害 (DSM TR による)
A. その人は、 以下の2つがともに認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある。
実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事を、 1度または数度、 あるいは 自分または他人の身体の保全に迫る危険を、 その人が体験し、 目撃し、 または直面した。
その人の反応は強い恐怖、 無力感または戦慄に関するものである。
B. 外傷的な出来事が、 以下の1つ (またはそれ以上) の形で追体験され続けている。
出来事の反復的、 侵入的、 かつ苦痛な想起で、 それは心像、 思考、 または知覚を含む。
出来事についての反復的で苦痛な夢
外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、 感じたりする (その体験を 追体験する感覚、 錯覚、 幻覚、 および解離性フラッシュバックのエピソードを含む、 ま たは覚醒時または中毒時に起こるものを含む)。
外傷的出来事の1つの側面を象徴し、 または類似している内的または外的きっかけに暴 露された場合の生理的反応性
外傷的出来事の1つの側面を象徴し、 または類似している内的または外的きっかけに暴 露された場合の生理学的反応性
C. 以下の3つ (またはそれ以上) によって示される、 (外傷以前には存在していなかった) 外傷と関連した刺激の持続的回避と、 全般的反応性の麻痺
外傷と関連した思考、 感情、 または会話を回避しようとする努力 外傷を想起させる活動、 場所または人物を避けようとする努力 外傷の重要な側面の想起不能
重要な活動への関心または参加の著しい減退
他の人から孤立している、 または疎遠になっているという感覚 感情の範囲の縮小 (例:愛の感情を持つことができない)
未来が短縮した感覚 (例:仕事、 結婚、 子供、 または正常な寿命を期待しない) D. (外傷以前には存在しなかった) 持続的な覚醒亢進症状で、 以下の2つ (またはそれ以上)
によって示される
入眠、 または睡眠維持の困難 易怒性または怒りの爆発
集中困難
過度の警戒感 過剰な驚愕反応
E. 障害の持続時間が1ヶ月以上
F. 障害は、 臨床上著しい苦痛、 または社会的、 職業的、 または他の重要な領域における機能 の障害を引き起こしている。
表2 大うつ病 (DSM TRによる):単一エピソードおよび反復性
A. 単一のあるいは2回またはそれ以上の大うつ病エピソードの存在。
B. 大うつ病エピソードは分裂感情障害ではうまく説明できず、 精神分裂病、 分裂病様障害、
妄想性障害、 または特定不能の精神病性障害とは重なっていない。
C. 躁病エピソード、 混合性エピソード、 または軽躁病エピソードが存在したことがない。
表3 全般性不安障害 (DSM TRによる)
A. (仕事や学業などの) 多数の出来事または活動についての過剰な不安と心配 (予期憂慮) が、 少なくとも6ヶ月間、 起こる日のほうが起こらない日より多い。
B. その人は、 その心配を制御することが難しいと感じている。
C. 不安と心配は、 以下の6つの症状のうち3つ (またはそれ以上) を伴っている (過去6ヶ 月間、 少なくとも数個の症状が、 ある日のほうがない日より多い)。
注:子供の場合は、 1項目だけが必要
落ち着きのなさ、 または緊張感または過敏 疲労しやすいこと
集中困難
易怒性
筋肉の緊張
睡眠障害 (入眠または睡眠維持の困難、 または落ち着かず熟睡感のない睡眠)
D. 不安と睡眠の対象が軸障害の特徴に限られていない。 例えば、 不安や心配が、 (パニッ ク障害におけるように) パニック発作がおこること、 (社会恐怖におけるように) 人前で恥 ずかしい思いをすること、 (強迫性障害におけるように) 汚染されること、 (分離不安障害に おけるように) 家族または身近な家族から離れること、 (神経性無食欲症におけるように) 体重が増えること、 (身体化障害におけるように) 複数の身体的愁訴があること、 (心気症に おけるように) 重篤な疾患があること、 に関するものではなく、 また、 その不安と心配は外 傷後ストレス障害の期間中にのみ起こるものではない。
E. 不安、 心配、 または身体症状が、 臨床上著しい苦痛、 または社会的、 職業的、 または他の 重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
F. 障害が、 物質 (例:乱用薬物、 投薬) または一般身体疾患 (例:甲状腺機能亢進症) の直 接的な生理学的作用によるものではなく、 気分障害、 精神病性障害、 または広汎性発達障害 の期間中にのみ起こるものではない。
市内公立学校の調査では、 子どもの11%が家族がテロ事件に巻き込まれ、 1%の子どもが家族を失っ たことが報告された。 子どもたちの周辺における被害率は今回の日本人を対象とした調査より高く、 日 本人の子供は、 直接的には家族や周辺の人々が被害を受けていないにもかかわらず、 影響が大きかった といえる。 その背景には、 日本人の子どもの43.9%において、 知り合いがテロ事件に巻き込まれ、 17.6
%の子どもが知り合いを失ったことがあろう。 家族の被害ではないがテロの被害を身近で見聞したこと が推定された。 一方では、 日本人同士が国内にいるより緊密に交際し、 身内意識が高まっている背景が あり、 また海外に住んでいること (孤立感など) の環境要因も影響していると思われる。
このような背景のもと、 今回駐在員である夫をワールドトレーダーセンターで失い帰国し、 日本で PTSD の発症を見た2症例を自験例として経験したので報告する。
2) 症 例 1. 38歳、 女性
2人同胞の第1子長女、 東京郊外にて生長。 私立女子高校を卒業後、 都内の私立大学商学部に学んだ。
就職後しばらく働き、 大学時代の同級生と恋愛結婚をした。 働き続けたいという希望はあったが、 結婚 後まもなく、 夫がビジネススクール (経営大学院) への進学しその後の米国駐在となったため、 専業主 婦となった。 父は癌で症例の結婚間際に亡くなった。 現在3歳違いの弟が結婚し日本の実家で実母と同 居している。
結婚以来夫は忙しく、 休みも接待のために不在がちで、 6年前に長男が生まれてからは 「(夫は) 居 表4 広場恐怖 (DSM TR による)
注:広場恐怖は、 コード番号のつく障害ではない。 広場恐怖が起こる特定の診断にコード番号 をつけること
A. 逃げるに逃げられない (または逃げられたら恥をかく) ような場所や状況、 またはパニッ ク発作やパニック様症状が予期しないで、 または状況に誘発されて起きたときに、 助けが得 られない場所や状況にいることについての不安、 広場恐怖が生じやすい典型的な状況には、
家の外に1人でいること、 混雑の中にいることまたは列に並んでいること、 橋の上にいるこ と、 バス、 汽車、 または自動車で移動していることなどがある。
B. その状況が回避されているか、 またはそうしなくても、 パニック発作またはパニック様症 状が起こることを非常に強い苦痛または不安を伴いながら耐え忍んでいるか、 または同伴者 を伴う必要がある。
C. その不安または恐怖症性の回避は、 以下のような他の精神疾患ではうまく説明されない。
例えば、 社会恐怖 (例:恥ずかしい思いをすることに対する恐怖のために社会的状況のみを 避ける)、 特定の恐怖症 (例:エレベーターのような単一の状況のみを避ける)、 強迫性障害 (例:汚染に対する強迫観念のある人がゴミや汚物を避ける)、 外傷性ストレス障害 (例:強 いストレス因子と関連した刺激を避ける)、 または分離不安障害 (例:家を離れることまた は家族から離れることを避ける)
てもいなくても一緒」 「母子家庭だ」 と周囲の人と冗談を言うほどだった。 平日の夕食を夫とともに食 べることはなく、 夫が居るという実感に欠ける生活をしていた。 子供も父親のことを気にかけている風 ではなく、 母子の間で父のことが日常話題になることはほとんどなかった。 ワールドトレーダーセンター テロ事件のときには子供を幼稚園に送り出し、 自宅で家事をしていた。 家事をしながら目の隅のテレビ 画面でワールドトレーダーセンターに飛行機が吸い込まれていくのが目に入った。 「どうしたのかしら、
あー映画なのね」 と思い、 その後ハッと 「事故だ」 と思った。 漠然と夫はどうしただろうと思ったが、
ビルは倒れても居ないし大丈夫だろうと思った。 しばらくして、 もうさらに一機の飛行機がいま1つの ビルに吸い込まれていき、 これは大変なことになったと思った。 しばらくして夫から電話が入り 「大丈 夫だから心配しないで」 と伝えられ一旦は安心した。 しかし、 その後1時間内外のうちに相次いでツイ ンタワーが崩壊し、 夫の携帯に電話を入れても通じなくなった。 午前中は何回か夫の携帯や知人、 会社 など心当たりに電話を入れたが連絡がとれず、 午後になると安否確認の電話が入り始めた。 結局その日 は夫の消息は知れなかった。
翌日には自宅のある郊外からマンハッタンにかけつけたが、 現場には近づける状況ではなく病院や避 難所にも夫は居なかった。 2.3週間はひょっこり夫が戻るのではと思っていたが、 10月になると次第 にあきらめてきた。 子どもはときどき 「お父さんはいつ帰るの」 と聞いたりしたが、 元気に幼稚園に通っ ていた。 さまざまな知人が心配して声をかけてくれ、 また同じ境遇の家族と慰め合った。 日本人の間で は体面もあり元気そうに振る舞っていたが、 かねてから親身になってくれていたバック店のアシスタン トマネジャーの米国人青年から慰めの電話があった時、 泣いてしまった。 それをきっかけによく電話す るようになり、 深夜に不安になると電話をかけ泣いたりすることもあった。 夫が死亡確認されると滞在 ビザの問題や住宅の問題などさまざまな問題が一挙に起こってきた。 ビジネススクールに進学するつも りになっていたので英語学校の学生ビザで留まることも考慮したが、 結局翌年の3月末には日本に帰国 することになった。 帰国後は実家の母の勧めで実家に戻った。 母が1階に住み弟夫婦が2階に住む2世 代住宅の1階に同居するようになった。 知人の紹介で輸入会社に勤務するようになったが、 同居してい る義妹との間の諍いや購入予定のマンションのことなど心労が多く、 夫が生きていたらと思うことが多 くなっていった。 その度に帰国した後も力になってくれていた米国人青年に国際電話で愚痴をこぼして いたが、 時差の関係で米国時間の深夜に連絡することが多くなりついに 「もう力にはなれない、 あまり 期待をしないで欲しい」 と電話を拒否された。 自分達親子はまったく孤独で頼る人もいないと感じた。
その頃から亡くなった夫の夢をよく見るようになり、 夢の中では夫が瓦礫の中で喘いでいたり、 苦し んでいたりした。 さらに、 飛行機がビルに突入する状況を頻繁に夢に見るようになった。 帰国の時、 夫 の遺品については時計を残してすべて処分したことが悔やまれ、 取り返しのつかないことをしたと後悔 するようになった。 また、 5月になると熟眠感がなくなり食欲もなくなった。 満員電車や緑の少ない環 境など日本の環境がことごとく不快でイライラするようになった。 その頃、 通勤途中に電車が突然停車 したことがあり、 その時冷や汗が出て胸がドキドキして居ても立っても居られなくなった (不安発作)。
電車に何かがぶつかるのではないかという考えが浮かんできて振り払えなかった (強迫思考)。 混み合っ た通勤電車に乗るのに抵抗感があり1時間ほど早く通勤するようになった (回避行動)。 休みの日にも 次第に外に出るのが億劫になり、 子供に対しても 「煩わしい」 と思っては自己嫌悪に陥るということの 繰り返しになった (自責・抑制)。 仕事中も些細な物音に驚くようになり能率が低下した (過敏性)。
疲れやすく、 常に頭痛、 腰痛、 肩こりを自覚するようになった (身体化)。 整形外科の医師から精神 科の受診を勧められた。 精神科初診時診断は心的外傷後ストレス障害 (PTSD) であった (表1)。 家 族の中でも孤立するようになり、 義妹とは全く口をきかなくなった (孤立感)。 弟から 「自分だけが悲 劇のヒロインのように思ってもらっては困る」 といわれ、 孤独感や孤立感が強くなっていった。
精神科初診時には話しているうちに涙が止まらなくなり、 診察後立ち上がれなかった (失立)。 第2 回診察時に 「前の診察についてよく覚えていない」 と述べた (健忘)。 会社から親睦会の誘いがあり、
会社の会には出たくないと思っていたが結局義理で参加した。 案の定、 出席すると知人たち家族が出席 しており自分たち以外の家庭は何も変わりない様子だった。 自分と子供だけが 「なにもかも失った、 寄 る辺がない」 と実感し強い喪失感に襲われた。 ワールドトレーダーセンターテロ事件が話題になり慰め の言葉をかけられているうちに、 涙が止まらなくなり会の途中で早々に気分が悪くなったと帰宅した (易刺激性) (感情失禁)。
精神科主治医から病状について心的外傷後ストレス障害 (PTSD) である旨伝えられ、 自分が弱いか ら症状が出ているわけではないと説明を受けた。 また、 「つらい記憶や喪失の体験」 についてカタルシ ス (昇華) することが治療に結びつくことも説明された。
面接は、 簡易 (対面式) 力動的精神療法で行われた。 面接時に述べた内容について次の面接時に記憶 していない (健忘) ことが徐々に少なくなっていった。 面接時には叙述の内容に伴いしばしば泣いたり した (易刺激性)。 第5回面接後、 仕事が終わり自宅に帰宅する途中で暴行に遭い受傷した。 警察に届 けた後帰宅し暴行について母に話すと、 母は 「(患者自身に) 隙があるから」 と一方的に非難した。
自分は男性を誘うところがあるのかもしれないと不安になり人と接触するような満員電車に乗れなく なり、 一方では夕方以降1人では外出できなくなった。 一時は減少していた夢を再びよく見るようになっ た。 追われている夢や夫が非難している夢などを頻回に見て、 自分の叫び声や泣き声で目が覚める日が 続いた (睡眠障害)。 再び食欲がなくなり暴行後の1ヶ月で体重が4kg 減少した。 仕事には行っていた が、 集中できず些細な物音でびっくりし仕事の能率はまったく上がらなくなった (抑制)。
面接場面で涙ぐむことが多くなり、 「母親として失格」 「できることがない」 「なにもかもうまくいっ ていない」 など自己価値の低下、 抑うつ感が強くなっていった。 さらに再びワールドトレーダーセンター 崩壊時の様子のニュースなど些細なきっかけで状況が生き生きと蘇ってきて、 その度に動悸がし、 涙が 溢れてくるようになった (フラッシュバック)。 主治医に症状が再び悪くなったことを訴えると、 「よく なりかけていたこと」 「暴行がきっかけで抑うつ的になるのは当たり前であること」 を説明され認知の 修正がなされた。 出現している症状と機転について説明され 「自分だけが弱い」 「情けない人間」 とい う思いがいささか和らいだ。 不眠や食欲障害に対して、 対症的に薬物療法を施行すると同時に受容的精 神療法が行われた。
暴行後6週後頃から不眠と食欲障害は改善した。 暴行についても 「自分は被害者であって自分が悪い わけではない」 と了解できるようになった。 面接場面におけるさまざまな叙述に伴う感情の暴発―涙ぐ むことや怒りなど−は減少した (フラッシュバックの減少)。
9.11テロ一周忌のために渡米し、 知人宅に宿泊し知人との旧交を温めた。 しかし、 米国の知人達の 家庭はテロ事件前と何ら変わらず、 次第に喪失感だけが強くなっていった。 喪失感のみならず孤独感も 強く孤立した感情で帰国した。
帰国後は、 疲労感が強く憂うつで 「自分は母親として失格」 など自己価値の低下を強く訴えた。 抗う つ剤を中心とした薬物療法のみならず、 支持的精神療法と簡易力動的精神療法を併用した。 面接場面で、
外傷的状況やそれに伴う感情を表出することができるようになり、 不眠や食欲障害も改善してきた。 一 旦は拒絶された米国人ボーイフレンドとも交流が再開したが、 以前のように一方的に依存することもな くなった。 迷っていた9.11クリスマスセレモニーに息子同伴で参加することにした。
12月上旬に息子を伴い渡米した。 米国人ボーイフレンドと知人一家に出迎えられ郷里に帰ってきたよ うな懐かしい気持ちで入国した。 クリスマスセレモニーにおいて様々に9.11テロについて語られ、 感 情面ではいささか動揺したが、 不眠は再出せず悪夢に悩むこともなかった。 年明けに帰国した後は新居 の手配に忙しい生活を送っている。
症例1の症状と治療 (表1)
症状:症例1の症状をまとめると、 抑うつ、 孤独感、 絶望感、 悲哀感、 自己価値の低下、 集中力低下な ど抑うつを中心とする症状、 不安、 焦燥、 怒り、 敏感さ、 強迫思考、 回避行動、 パニック発作など不 安を中心とする症状、 フラッシュバックや回避行動、 孤立感、 健忘など PTSD に特有な症状、 およ び不眠、 食欲障害、 頭痛、 腰痛、 肩こりなどの植物症状 (身体症状) に大きく分けられた。 一般に PTSD においては多彩な神経症症状が出現する。 さらには幻覚妄想など精神病症状が一過性に出現す ることもある。 本症例においては上記の症状のために日常生活への適応力が低下し、 また家族との間 にも葛藤が生じ共同生活が困難になった。
治療:症例が直面した外傷的体験に共感することを通じて、 治療同盟の確立に努めた。 治療者は米国人 青年との交流に対しても中立的立場を貫いた。 表層から言語化と感情の開放に努め、 支持的精神療法 を当初は中心とした。 治療場面の言語化とともに現実におけるカタルシス、 喪の儀式を援助した。
2. 33歳、 女性
2人同胞の第1子長女、 東京郊外にて成長、 公立高校を経て私立4年制大学法学部を卒業した。 卒業 直後に大学時代から交際していた学際的サークルの2歳先輩と結婚した。 結婚2年後銀行員の夫に従い 渡米した。 日本国内にいた頃からすでに夫は結婚前と異なり、 些細なことで妻を怒鳴りつけるようになっ ており、 夫に気を使うようになっていた。 それでも国内にいた頃は、 夫は深夜過ぎて帰宅することが多 くまた休日も接待で家を空けることが多かったので、 それなりに趣味やお稽古事に忙しくすごしていた。
米国赴任後、 夫は国内勤務とは異なり夕方6時過ぎには帰宅するようになった。 食事の 「味付けが下 手だ」 から始まり、 気に入らないとテーブルの上の食器を投げつけ、 暴力をふるった。 性交渉の場面で も 「不感症だ」 「鈍い」 「不細工だ」 などと口汚く罵るようになった。 耐えかねて 「別れてほしい」 と言 い出したことがあった。 しかし 「そんなことを言うのか、 自分を何様だと思っている、 俺以外にはおま えのような不細工な女を飼い殺しにする人間はいない」 と一方的に怒鳴られ殴られた挙句、 物置小屋に 2日閉じ込められて以来一切口答えができないようになった。 夫の帰宅時間が近づくと冷や汗が出てき てしばしば動悸がして体が震えるようになった (身体化)。 時にはボーとして空を歩いているような状 態を自覚することがあった。 1日に何回も掃除をして周囲が汚れてないか確認をし、 終日ビクビクと気 を使い過ごしていた。
その日もリビングルームで朝からすでに何回目かの掃除をしていた。 見るともなくテレビを見ている とワールドトレーダーセンターに飛行機が突入していくのが見えた。 すぐにテロ事件だと実感した。 自 分の代わりに誰かがテロを起こしてくれたと思った。 一瞬夫を亡き者にしてくれたと思ったが、 夫は悪 運強いから生きているに違いないと思い、 死んでほしいと思ったことが夫に知られてしまうのではない かと心の中からその考えを打ち消すことに必死になった。 しばらくして、 もうさらに一機の飛行機がい ま1つのビルに吸い込まれていった。 その後1時間程のうちに相次いでツインタワーが崩壊した。 午前 中は気が抜けたようになって掃除も手につかずボーとしていた。 午後になると夫が帰ってきて怒られる と困るという思いでやっと家事に取り掛かった。 しかし一方では次第におそるおそる夫が亡くなったか もしれないと思うようになり、 知人に連絡をし始めた。 しかしなかなか連絡がつかず、 夕方になって夫 の銀行の同僚のかなりの人が亡くなった可能性があることがわかった。 結局その日は夫の消息は知れな かった。
翌日、 自宅のある郊外からマンハッタンの夫の職場の連絡先に行ったが、 現場には近づける状況では なかった。 周辺の病院や避難所にも夫は居なかった。 どうか亡くなっていてほしいと祈る思いの一方、
そう思う自分に強い罪責感を感じていた。 4日後に夫の死亡宣告が出た。
すばらしい開放感で人生が再び開けたような気がした。 しかし、 一方で強い罪責感が湧き上がり何か 悪いことがおこるのではと強い不安感が生じた。 帰国の準備であわただしく日々が過ぎていたが、 10月 になり妊娠していることがわかり、 やっぱり不安が当ったと思った。 中絶することを決心して11月には 自宅の処分の手はずも整えて帰国した。 産婦人科を受診し中絶手術の予約をして帰宅した夜に、 夫が
「のろってやる」 「おまえに殺された」 「子供も殺す気か」 と恐ろしい形相で怒鳴っている悪夢を見た。
その後、 日中も不安で夫が見張っているような気がして外出も恐ろしくなった (恐怖)。 結局その時は 中絶を中止した。 妊娠初期は悪阻がひどく、 悪夢と嘔気でほとんど眠れず著しく体重が減少した。 安定 期に入ると嘔気はほとんどなくなったが、 悪夢は続いており、 不安発作も出現し、 産婦人科医から勧め られて精神科を受診した。
すでに5ヶ月に入っていたが、 生まれてくる子供が夫の 「生まれ変わり」 のような気がして恐ろしく、
夫と同様に何らかの事故で死産になることを毎日祈っていた。 このような心の内を誰にも話してなかっ たが、 初対面の精神科医がひどく安心できるような気がし、 話しだした。 話しているうちに涙が流れて 止まらなくなった (感情失禁)。 結婚後の夫の豹変、 家庭内暴力、 夫が亡くなったとわかった時の開放 感、 その直後に襲ってきた罪悪感、 いまも子どもの流産を願っている母として情けない人間であること などを涙ながらに話した。 夫にそっくりの子供から暴力を振るわれる夢を見ること、 自分が生まれてく る子供を虐待するのではないかという不安、 ばかばかしいと思うが自分が夫の死を望んでいたからテロ 事件がおきてしまったのではないかという考えが止められないことが述べられた (強迫思考)。 流産を 願っているが怖くて中絶はできないと述べた。 実際、 不安で落ち着かずほとんど眠られず食事も取れな い状態が続いていた。 診察後、 寛いだ安定した気持ちを久しぶりに経験した (カタルシス、 浄化)。
精神科初診医から病状について心的外傷後ストレス障害であると説明を受けた。 心的外傷は夫の死の みならず先行する慢性的な夫の虐待があり、 強迫思考や解離、 フラッシュバックなど重篤な神経症圏の 症状を含んでいることについても説明を受けた。 治療においては 「つらい記憶」 についてカタルシス (昇華) することが重要である (除反応)。 しかし、 現在内面の葛藤が強く、 除反応においてさらに外傷
の追体験をする可能性が高いことを説明された。 一方ではまた患者は児の中絶あるいは出産ということ について症状により決断できない状態でもあった。 早急に本来の自我の回復が必要であり、 薬物療法が 胎児への侵襲として拒否されていることから短期の入院治療と催眠療法に導入することが提案された。
補液と栄養状態改善、 睡眠の確保を目的として1週間入院した。 点滴および高カロリー輸液により体 重減少については止まったが、 悪夢は続き、 不眠傾向は継続していた。
リラクシゼーションを中心とした自然催眠の手法により催眠導入を行った。 安らかな気分の中で自分 自身が望んでいることを述べるという3回の面接後、 妊娠22週目に中絶を決心した。 対面式の通常面接 の場で 「不安もありますが、 私が生むことはできません」 と述べ、 食欲も不眠も改善していた。
出産形式の中絶手術後、 中絶した児との対面、 火葬、 簡略な病院内での葬儀があった。 これらの一連 の経過のなかで再び子供を殺してしまったのではないかという気持ちが蘇えり、 不安になった。 中絶を 知った夫の実家からの非難の電話があり、 おもわず夫の生前の虐待について話し、 夫も自分との間の子 供を望んでいなかっただろうと話した。 すると夫の母から 「(息子の生前) まったく、 そんな話は聞い たことがない、 どうして死者を鞭打つようなうそを言うのか、 息子はあなたをあんなに愛していたのに」
と逆につよく非難された。 その後夫の実家が 「あんなことを言い中絶したのは再婚したい人がいるのだ ろう」 と興信所に調査をさせていることがわかり、 再び外出が怖くなった (外出恐怖)。 さらに生命保 険の受取人が不実な妻であるのはおかしいと夫の実家から弁護士を通じて言ってきた。 保険金もいらな いと思ったが、 父母は行く末を心配して弁護士に任せることになった。
感情表出を目的とした面接場面で一連の経過を話している最中に声が出なくなった。 自宅に帰宅後も 声が出なかった。 ふたたびリラクシゼーションを目的とした催眠療法への治療に切り替え外来治療を継 続している。
症例2の症状と治療 (表1)
慢性的に夫から精神的および身体的虐待を受け、 無力感にさいなまれ絶望していたところに9.11テ ロによる夫の死によって他力的にその環境から開放された。 心的外傷は、 虐待によるものと夫の死を歓 迎した自分への自責の双方に及ぶ。 PTSD 症状は夫の死の確定後出現しており、 悪夢はテロ事件にかか わる悪夢と夫から追われる夢の両方である。 外傷的出来事の再現はもっぱら夫からの虐待であり、 夫が 再び自分を虐待すること=子供が夫の生まれ代わりとして自分を虐待するという実感であった。 孤立感、
絶望感、 健忘、 失声、 失立、 不安発作、 焦燥感や怒り、 つよい抑うつ感と自責、 警戒心、 睡眠障害、 食 欲障害など多彩な神経症症状を出現させた。 強い葛藤―夫への憎しみとその感情への自責などに代表さ れるーにより言語的な除反応は困難であり、 催眠療法とリラクシゼーションにより症状の改善を得たの ちに現実の課題を解決していった。
. 考 察
9.11ワールドトレーダーセンター爆破テロは、 テロの当事者のみならず周囲で見聞した人々にとっ ても身体の危険を実感する事件であった。 実際マンハッタン島のどこにいても噴煙を目撃し地響きを感 じた。 日本人においては、 拡大された身内意識、 孤立感などにより、 心的外傷としてテロをうけとめや
すい状況にあり、 結果として、 アメリカ人よりストレス症状を呈していた。
症例はいずれも、 夫が思いがけずテロ事件で亡くなった症例である。 その後に引き続いて PTSD に 特徴的な症状の発現があった。 外傷的な出来事としてテロを知った瞬間を、 夢や記憶によって追体験し つづけていた。 健忘など外傷と関連したことへの回避があり、 強い孤立感や孤独感が出現した。 子供や 周囲の人々に対して生き生きとした愛情を失い、 抑うつ的で不安が強くなった。
背景に存在する対象関係
いずれの症例も対象関係の問題があった。 河合らが母性国家日本と日本特有の対象関係を呼称したよ うに、 母性が日本社会と日本人の夫婦関係の根底に横たわっている。 夫は妻のなかに母親を見出し、 妻 もまた夫の中に母親をみいだす。 症例1においては、 妻が出産後、 母子カプセルを作り夫婦間の対等の 関係を放棄することによって夫の不在を承認していた。 このような形の家族関係は実際日本の家族の中 では決して珍しいものではなく、 症例1においてはテロ事件までは何ら露呈する問題はなかった。 母性 は日本文化の根底に存在し、 結果として性的な存在としての妻は影を潜め、 母性と女性性が男女にとっ て相容れないものとなる。 夫が妻の中に母性的なものを求め、 女性も母性的な関わりに 「家庭を守って いる」 と誇りをもち、 一方では 「母子家庭のようなもの」 と諦観し、 たまに帰宅する放蕩息子のような 夫を受容する。 症例1のテロ事件までのありようは、 従来の日本の夫婦の一般的なありようといっても 過言ではない。 しかし一方では、 現在個人主義的考えが意識の中に芽生えつつある夫婦においては、 諦 観しかねる側面を持っていることも否めない。 文化的に 「健康」 と見られていた夫婦のあり方であった が、 今回テロ事件で夫を失ったことにより内在化していた疑問が露呈し、 テロ事件自体をフラッシュバッ クすると同時に夫婦関係への後悔と自責感が招来した。 海外駐在員として企業派遣される夫に伴って渡 米する妻は、 学歴が一般の日本人女性よりも高いことが多く、 西洋的な個人主義、 女性観、 夫婦観、 家 庭観の影響を教育として受けている一方、 その母親は専業主婦で実際には保守的、 日本的な夫婦関係を 目前に見て育つことがしばしばである。 また、 母親が 「私のように (専業主婦に) ならないように」 と 娘を教育することも多い。 現実には大学卒業まではよりよい偏差値の大学へ、 有名企業へと男性に負け るなと後押しされ、 卒業後は高収入の夫を得るために変身を要求される。 大学卒業前までは欧米式の価 値観を要求され、 卒業後は日本的な良妻賢母を要求される。 症例1においては、 これらの二重規範 (double standard) のなかで自覚的には葛藤がなかったが、 テロ事件による喪失体験後顕在化し、 症 状の発現とともに欧米文化のなかにいるボーイフレンドへの依存と喪失、 自国文化への嫌悪感などが出 現し、 対象関係の再構築が行われざるをえなかった。
症例2においては、 日本に在住していたころから存在した夫婦間の問題が、 夫の就労形態の変化、 妻 の日本における友人関係や実家の家族などサポートシステムの喪失に伴い先鋭化し、 外傷的体験 (夫の 妻への家庭内暴力) が慢性化していた。 そこにテロ事件によってひそかに望んでいた夫の死が起こった。
妻は、 深い自責感からテロ事件について自分の望みにより起こったのではないかと認知の歪みを生じ、
テロ事件自体もまたおおきな外傷体験となった。 さらに、 給与のシステムの違い、 普及している小切手 などアメリカ社会の金銭管理方式への移行により、 妻は全く家計に関与できない閉塞状況に渡米以来お かれていた。 テロ事件直後から、 自宅のローンや電話代金など日々必要とされる支払いにも事欠く状態 で、 英語力の乏しさとも相まってほとんど日常生活に立ち往生する状態となった。 無力感、 低い自己価
値の追認などにより、 さらに抑うつ的になった。 結局、 現実の問題解決は会社頼みとなり、 自己判断は
「適当に処分してくれてよい」 という一点のみであわただしく米国を引き上げることになった。
症例2においては、 夫は自己愛的で衝動のコントロールに障害があり、 妻はマゾヒステックな傾向を もっていたことが推察された。 強迫傾向により自己達成をしてきた夫とマゾヒステックな自己点検で自 己達成してきた妻が、 結婚後日常的な失敗 (日常生活は失敗するものであるが) の中で加虐と被虐関係 を形成した。 意識的には困難を覚えつつもそれぞれが無意識的には精神的均衡を保つためには双方を必 要としていたいわゆる Character Object Relationship の可能性があった。 結婚生活において問題が虐 待の形で露呈し、 維持が困難になり生命の危険にさらされていたなかで、 突然対象 (夫) を外力 (テロ 事件) によって喪失した。 外力の執行に自己の意志の投影を見て、 自責感が著しく強くなった。 さらに 妊娠によって胎児に夫が投影され、 葛藤が深くなった。 夫への恐怖や嫌悪が胎児に投影され、 妊娠継続 が困難になった。
治 療
治療においては、 まず治療同盟の確立に努めた。 治療者の支持や直面化が新たな心的外傷にならない ために、 あるいは表出が外傷的体験の重複とならないためにも治療同盟の確立は重要である。 外傷性の 障害を持った患者との治療関係では治療者の中立性の概念が拡大される。 中立性とは、 治療者がその主 観的な意見や考え、 感情を表出せず、 患者の話を傾聴することとされている。 しかし、 外傷の犠牲になっ た患者には中立性をかたくなに守ることが冷淡で拒否的と感じられる可能性は高い。 たとえば症例2の ような虐待の被害者である場合を想定してみよう。 その場合、 感情的な中立性を守るつもりで終始無表 情で対応した場合、 治療者が虐待を容認していると感じてしまうかも知れない。 必要に応じて適切な態 度の表明や感情表現をすることが必要である。
また安全な治療環境の提供が重要であるとされるが、 外傷性の障害を持つ患者にとって環境が安全でな いと感じられるからこそ症状が出現しているという側面がある。 したがって表層から、 意識内容からと いう原則通りにすることより安全の保証を第一に行われる必要がある。 解釈や直面化もまた支持的な要 素をもち、 もっぱら患者の外傷体験に対して保護的、 支持的である必要があろう。
. おわりに
9.11米国多発テロ事件にともなう心的外傷後ストレス障害について、 調査結果と事例を提示し、 経 過と治療について考察した。 PTSD の発症は、 外傷的な出来事の客観的な軽重のみならず、 個体側の準 備状況が影響していた。 状況に応じて、 適切な援助が必要とされよう。
参考文献
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Peter Giovancchine : Treating Character Disorders, Northvale, New jersey, Jason Aronson Inc, 1984
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Jason Aronson Inc, 1997
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Heinz Kohut: The Restoration of the Self, Connecticut, International Universities Press, 1977