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岩木 山麓湯 ノ沢遺跡 の竪穴住居地

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岩木 山麓湯 ノ沢遺跡 の竪穴住居地

村 越 潔

1

弘前市の西北 1 5k m に,青森県‑の標高をほ こる岩木山 (1 62 5m)が ある。 この山麓は ゆ るやか なスロ‑プをえが き.戦前は弘前師団の演習地.戦後は近郷 の採草地 として利用 されてきたo近年 この山麓5 60 7 へ ククー/ レにわた る地域は,国の産業特別地域 として指定 を うけ.い よい よ本年度下半期か ら機械に よる開墾がは じめ られ ること ゝな った。

弘前市教育委員会は文化財関係諸団体 の請願 もあ って,該地域に遣 る埋蔵文化財を開墾 以前に緊急調査を実施す ること ゝし,市教育委員会 内に特別委員会を設け,その委員会が 発掘調査を実施 し,弘前大学が調査 の記録お よび出土遺物の整理を行 うことにな り,すで に昭和3 3 年 9 月上旬 よ り3 ケ年計画では じめ られ てい る。現在 まで 2 ヶ年を経過 し,確認 された4 4 ケ処の遺跡 中1 1ケ処 を発掘調査 した。残 る3 3 ケ処は本年度 内に実施す る予定で準 備に とりか ゝってい る。

この報告は以上 の 目的で行 った,湯 ノ沢遺跡発見の竪穴住居地に関す るものである。

調査は青森県文化財専門委員成田末五郎氏 と筆者の 2 名が担当者 とな り.それに弘前考 古学研究会 の戸沢武氏,成城大学講師今井富士雄氏 の御協力を得,東京大学東洋文化研究 所嘱託渡辺兼庸,柴 田高校教諭 (現金木高校相内分校)佐藤仁.お よび本学学生 (現留萌 高校教諭)三村清君等の補 助を得た。以上 の諸氏 と,調査に便宜を計 って下 さ った地主の 木村義男氏や,湯 ノ沢開拓地 の方 々に対 し深 く感謝す る次第である。

2 I

岩木山の中腹には多 くの深 まった沢が見 られ,それ らが麓へ下 ると小河川にな る。 この 種 の川は U 字形の断面をな しつ ゝ麓部を流れ てい る。 これ らの川に挟 まれた一帯は起伏が 多 く,各処 に舌状 あるいは扇状 の地形がみ られ る。遺跡は以上 のよ うな州 こ接す る舌状 ま たは扇状 台地 の突端.ない しは台地上 の平坦部に所在 してい る。

湯 ノ沢遺跡は岩木山の北東麓海抜 1 5 0m にあ り,奈良寛の溜池にそ ゝぐ小 川 (湯 ノ沢) に面 した扇状台地に存在す る (第 1 図)。地籍は青森県 中津軽郡岩木村大字百沢字東岩木 山 42 6 番で,通称湯 ノ沢開拓地 といわれ るところにある。

昭和 2 0年 5 月近郷 の二 ・三男が入植 し開拓をは じめたが,当初は草地 と雑潅木 の生茂 し

た土地であ り,初期には 2 0戸 を数えたが脱落者多 く,現在は 9 戸 を残すのみである。電気

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第 1 図 岩木 山北束 賛遺 跡分 布 図

その他 の設備は無 く,文明か ら遠 ざか った まった くの僻地 である 。

遺跡 の地主木村義男氏は開墾 中に多 くの遺物を発見 し, と くに石器を採集 していた。 こ (1) れが郷土史研究家 の話題 とな り,すでに幾人か の研究者に よって調べ られ てい る 0

3

われわれは昭和 3 3 年 8 月 7 日, 山麓諸遺跡 の予備調査 中に当地 を訪問 し,′ 遺跡の現況を み て 9月 5日か ら11日まで発掘調査 を実施 した。

第 2 図は トレンチの配置図であ る 。 1 は A トレンチ と,そ こか ら発見 された第 1号住居 地 , B は同記号 の トレンチ, 2は十字形に設定 した C トレンチ内発見 の第 2号住居地で あ

る。

第 1 号住居地 を発見 した A トレンチの層は第 3 図右端 の 如 くで ある 。 層序は 1 層 1 2c m 内外が耕作 された腐植土層 で.次 の 2 層は約 2 0c mの暗褐 色土層,つづ く 3 層は約 1 5c mの 淡黄色を呈す る火山灰層が あ って,ベ ースは赤褐色粘土質土層 とな っていた。 また住居地 内の 3 層には灰 ・炭 ・焼土が 2 0c m程度 の厚 さで堆積 され ていた。第 1 号住居地 をの ぞ く

A トレンチ内の遺構は, トレンチ西端 か ら 4. l o印 , 深 さ約 4 0c m で発見 した楕 円形の落

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村越 :岩木山麓湯ノ沢遺跡の竪穴住居地

0 加 l 止 I

第 2 図 湯 ノ沢開拓地実Ar J 図 ( 青森県農事試験場 作成 土壌調査報告 書に よる) 1.A トレンチ ト一号住居虻 B.B トレンチ 2.C トレン チと 2 号住居: 吐

込 み のみ で あ る 。 東西 9 5c m .南北 1. 5m の径 を計 った 。B トレンチは省 略す る 。C トレンチ は A の東南約 3 0m に南北 5m , 巾 1. 4 0m .東西 6・ 50 m , 巾 1. 5 0m で十字形に設定 した。 A と は ゞ同様 の層序 を もつ,熊笹 の生茂 した場所 のた め拡張 は困難 で あ った。 した が って第 2 号住居地 を掘 りあげた のみ で,周囲の遺 構を確認す ることは出来 なか った。

第 1 号 住居地 (第 3 図 ・図版 1)

プラ ンは図 の如 く不整 な楕 円形をな し,南北 の径 5. 4 0m ,東西 5. 1 0m あ り.面積 は 2 3. 3 m 2 (約 7 坪) で あ る O 現地表 面か らベ ースまで 4 0‑50c m 程 あ るが, このベ . ‑スを さ らに 4 5‑ 50c m 掘 り下げ て,壁 面 な らびに床面 をつ くった竪穴住居 地であ る 周壁 は調査途 時 に傾 斜を もつ と考え られた が,完掘す る とは ゞ垂 直をなす こ とがわか った。床面は堅 く固 め られ ていたが , 凹凸はげ しく,全体か らみ る と中央部 にむか って若 干傾 斜 してい る。炉 は床面 のほ ゞ中央 につ くられ ,南北 1. 1 0c m. 東西 7 0c m の径 を もち ,1 0c m 内外 の厚 さで土 が焼 けていた 。柱 穴は周壁 と床面 の接 点に 2 4 発見 され深 さは平均 約 7. 5c m あ り.いずれ も 4 0‑41 度の傾 斜を もって周壁 内部 に掘込 まれ ていた。

これ ら柱 穴の計測蓑は次 の如 くであ る。

∴ 三一一∴ 三 一 一 二 二 二 二 二 ∵

l

5 7

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第 二 号 住 居 地 Ig

那 図 第 1 ・第 2 号住居 吐実測 図

i g 正 男

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村越 :岩木山楚湯 ノ沢遺跡の壁穴住居地

B E

第 5 回 酎 ・第 2 輯 ‑ 出 土綿 副因

(6)

遺物 (第 4 ・5 ・6図)

この住居地か ら出土 した遺 物は,石小刀お よび磨石等の石器が各 1 .深鉢 1. 整形 1 , 玉弁鉢 1 ,等 3 個 の土器 であ る 。

A .石 器

石小刀 (図略),長 さ 7c m , 巾■ 3. 3c m ある。不整 な二等辺三角形をなす もので, 珪質 頁岩の剥片 をその ま ゝ利用 してい る 。 裏面には 自然面を.裏面 に剥離面が残 され, また表 面 の両側は Tr i mmi ng され てい る 。

磨石 (第 4 図 3) ,長 さ 8. 6c m . 巾 7c m ,厚 さ 3. 9c m あ る 。 岩木 山麓に多い輝石安 山岩 を使用 してい る。床面 の東南隅にある平担な石 とともに発見 された。

B .土 器 (第 5・6 図)

深鉢 (第 5・6 図 1) ,床面の東部 で44片 の破片 とな って出土 した。復元 の結果,大 き さは 口径 2 0c m ,高 さ 1 5. 1 ‑1 6. 2c m ,底径 6. 6c m あ り,厚 さは 口辺部 7 mm .底 で 9mm を計 った。文様は 口辺か ら底部 まで羽状縄文が施文 され,色は蓑が赤褐色,裏は褐 色な らびに 黄褐色をなす。胎土 ・焼 成 ともに良好 である。 口緑 の断面をみ る と,平 らな部 分 と円い部 分 とが あ り,器形全体はや ゝ傾 いてい る

底は若干揚げ てい る 。

整形土器 (第 5 ・6 図 3) ,炉 の北側か ら口を南 に向け,横倒 しのま ゝ押 しつぶ された 状態 で出土 した 。2 07 の破片を接合 の結果, 口径 3 5c m 高 さ 4 5‑4 6. 5c m ∴ 洞部 の最大径 3 8

C 一 肌

第 4 図 第 1 ・第 2 号住居地 出 土石 器

番 闇 旧 柑 矧 闇 ve Q

(7)

村越 :岩木山麓湯ノ沢遺跡の竪穴住居地

cm ,底径 9. 7 c mあ り,厚 さは 口辺部 1c m . 胴部 1. 2 c m,底 1. 4c m を計 った。文様は 口藻 か ら底部 まで全面にわた って羽状縄文が施文 され,色は中程 よ り上部が掛黒 邑,下部が黄褐 色をな し,裏は褐色な らびに黄褐色で ある 。 口縁は丸みをおびつ ゝも, とが った形状 をな す 。底 は平底 である 。 器形は 口辺部が内反 し,全体 をみ る とや ゝ傾 いてい る。胎土 には少 量 の砂粒 をふ くみ .焼成は良好 であ る。

五弁鉢 (第 5・6 図 2) ,床面 の東部 よ り 2 0 程破片 とな って出土 した。復元 してみ ると 口径 1 7c m ,高 さ 1 6c m ,底径 6. 5c m あ り,厚 さは弁上 の突起が 1 c m , 口辺 7mm ,底 は 6mm あ る。五つの外反 す る波状弁を もち,その上部 に 1 c m 内外 の方形突起がつけ られ,波状牙 のあいだには三 角状 の突起がみ られ る 。 胴部は 中央部が くびれてお り,底 は平底 である

口辺の裏側にはふ くらみがみ られ ,器 内全体 に煤 の如 き炭化物が付着 してい る

文様は 口 辺 に 2条 の沈線 をめ ぐらし,その間は縄文で うずめ られ .胴部は弧線 と羽状縄文をた くみ に組合せ て飾 ってお り,縄文の施文 され ない部分は滑沢面をな してい る。色は表が赤褐色, 鞠黒色.裏は鞠黒色をな し.胎土 には少量の砂粒 をふ くむが,焼成は良好であ る。

第 2 号住居血ヒ(第 3 図 ・図版 1)

プランは図 の如 くは ゞ円形をな し,径 は東西 4. 83m ,南北 4. 65m あ り,面積は 1 7. 2m 2 (

約5. 2 坪) である

周壁 は垂 直で壁高は 3 5‑4 0c m あるが,南側が沢の傾斜面に露出 してい たた め削 られ て,わずか 1 4c m を残す のみ であ った。床面は堅 く固め られ てお り,多少起 伏す るが第 1 号住居地 (以下 1 号虻 と略す)程 ではない。炉 は床面 の中央部 よ り若干東南 寄 りにつ くられ ,その径は東西 60c m ,南北 65c m あ り,焼土 の厚 さ 1 3c m を計 った。柱穴は 床面に 4 つ発見 され , また 1 0c m 内外 の穴が 6 つ あ らわれた 。 さらに 1 号血ヒと同 じ く周壁 と 床面 の接点に 5 つ あ り ,41 度 の傾 斜を もって周壁 内に掘込 まれ ていた。 このほか炉虻を囲 んで 6 つの小 穴が発見 されたO これ ら柱 穴 の計 理 l J 値をみ る と次表 の如 くであ る。

短 径 20 2 5 1 5 1 5

床面 の北隅に表面が平担 な石 を発見 した 。 石皿 としての用途 を もつ ものか. あるいは住 居血ヒ の出入に用いた 踏石 とも考え られ る。

遺物 (第 4 ・5 ・6図)

この住居地で出土 した遺物は磨製石 斧 1,石小 刀 2 等 の石器 と,浅鉢 1 の土器 である

o

A .石 器

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第 6 図 出 土 土 器 拓 影

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村越 :岩木 山密湯 ノ沢遺跡 の竪穴住 冒地

図 坂 1

第 1 号 住 居 吐

2 号 此床面出土浅鉢

第 2 号 住 居 地

7 3

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磨製 石斧 (第 4 図 4) .変質安 山岩 を もちい てい る 。 長 さ 8. 9cm , 巾 4. 6c m あ るが,頭 部 は折れ て欠失 してい る

したが って. これ を図上復元 してみれ ば . 12c m 程 の長 さを も つ乳棒状 石斧で あ ったろ う

全面 に研磨 の痕跡 を有す るが, と くに側面は それが顕 著 であ

る 。

石小 刀 (第 4 図 1・2) . 1・2 と も珪質 頁岩 を もちいた もので, ともに上部 を欠失 し てい る

表面 に 自然面 を.裏面 に剥離面がみ られ , 1 は裏面にのみ Tr i mmi ng が な され て い る 。 1 ほ長 さ 4. 8c m , 巾 4. 9c m あ り, 2 は長 さ 6. 6c m , 巾 4. 5c m あ る

B .土 器 (第 5・6 図)

浅鉢 ( 第 5 ・6 図 4 ,固 阪 l),床面 の東部 か ら 41 の破 片 とな って出土 した (図版 1) 0 接 合 の結 果 .高 さ12. 5c m , 口径 2 4. 8c m の浅鉢 とな ったが 2 /5 程足 りない。 厚 さは 口辺 9 mm ,底 1. 1cm ある。 口辺 の裏側 は , コの字形 には り出 して周縁 をめ ぐ り, 文様 は地 文 に 右下 りの斜行縄文を. 口縁か ら底部 まで施文 し, その間を部 分的 に曲線 あ るいは直線 の箆 描 よ う沈線文 で輪郭 をつ く り, そ の内部 は滑沢面をな してい る。 色は縄文 の部分 が暗褐 色 を呈 し,滑沢面 と裏面 は黒褐 色であ る 。 胎土,焼成 ともに良好 であ る。

4

以上 は湯 ノ沢遺跡 で発掘 した 2 つ の住居地 と. そ の床面か ら出土 した遺物 の概 要 で あ る

遺物は きわ めて少 いが,若干 の土器破片 も伴出 した ので これ をふ くめて出土遺物 の時代 と 住居 地 に関す る考察 を試 みた い と思 う。

1 号虻か ら出土 した 3 ケの縄文土器 のなかで時代を決定す る唯一 の手掛 りとな るのは五 弁鉢 で あ る

従来 東北地方か ら発見 された もので, この形に似た資料 と してほ福 島県会津

2)

坂下町長井 出土 の宝 ケ峯式土器 が あ る

しか し施文 された文様等は 同県相馬部新 地村′ 」 \川 3)

貝塚 出土 の新地式土器 に近似す る

.

両者 とも不幸 に して実 見 の機 会 を得 ないか ,新 地式土 4) 器 は ボ タ ン状 の癖 が文様 の 中心 とな って,弧線 ・曲線が展開 され てい るよ うであ る。 これ

と同様 な破片 は 1 号虻 か ら出土 した (第 6 図 5) 。 この土器片 には縄文がみ られず平行細 条線が描かれ てい る

したが って この よ うな類似 点か ら 1号 虻 の前記せ る土器 は,距離的 に可成 りの臣 巨りほあ るが縄文後期 の新 地式 に平行 にな るのではあ るまいか. 他に粗製 の深 鉢 ,整形土器等 もあ るが.文様 の手法 は ま った く同様 で あ り.五 弁鉢 と同時期 に比定 して も異論は ない と思 う 。 2 号虻 で出土 した浅鉢 と第 6 図 6 に笹 ,関東 の加骨利 B 式的 な要 素 がみ られ る 。 した が って 1 号祉 出土土器が新地式 と同時期 にな る とすれ ば, 2 号虻 の浅鉢 は その直前に位置す る とも考え られ,綱 年的 な変移 を試 み る と次 の よ うに な る と思われ る

奥 羽南部 南境→ 宝 ガ 峯‑新 地‑ 金剛寺

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村越 :岩木山麓湯 ノ沢遺跡の竪穴住居地

津 軽 鳴沢 ? ‑湯 /沢 2 →湯 ′沢 1 ‑ ? 関 東 堀之内 Ⅰ‑加骨利 B ‑曾 谷‑ 安行 1

同 じ遺跡 の立地条件 も同様 な この 2 つ の住居地が,時期 を異に して存在 した ものか, あ るいは また奥羽北半 の当地方 で同時期 に,相違を もつ これ らの土器がつ くられた ものか.

今後 の研究課題 としてお きたい。

次 に住居地 の問題 であるが ,全国的に も縄文後期 の竪穴住居地は例が少な く,津軽 では 湯 /沢が初めての発見で ある 。 この時期 の遺跡 としては,岩木 山麓において前森 ・小 森 山 等 の諸遺跡が ある。すでに昨昭和 3 4 年発掘調査を実施 したが,住居地の輪郭す ら把握 出来 なか った。 したが って他 に比較すべ き類例が無 い。以上 の点か ら一方的 な見解 に な るのを 恐れ るものであ る。

湯 /沢 の1号虻は床面に柱穴が発見 されず どの よ うな形の屋根 を葺いたかは不明で ある。

しか し周壁 と床面 の接点に 2 4 の小柱穴が掘込 まれ ていた ので,屋根 の高 さは想定出来 る。

その小柱穴は 4 0‑41 度 の傾斜を もっていた。 この角度が当時屋根 の勾配 であ った と仮定す れ ば,高 さは床面か ら 2・ 80m ,周壁上か ら 2. 3 5m となる。 これ と同様 に, 2 号虻 も撰 似 す

る小柱穴を基に計算す る と,床面か ら 2. 4 5m ,周壁上か ら 2. 1 0m で あ る 。

住居比 内の遺構 で異 なる ものは, 2 号虻 の炉虻周囲に穿たれた小柱穴であ る。種 々憶測 され るが,煮炊の さいの土器 の支えか ,あ るいはそれ に用 した ヤグラの如 きものをつ くっ ていた のであろ う 。 床面にあ らわれた 1 0 の柱穴 とともに, 1 号虻 とは異 った遺構を も つ 。

1 号虻 の西側で発見 された楕 円形 の落込みは, 1号虻に所属す る食糧 あ るいは物品の貯 蔵庫 また は貯蔵 穴であろ うか。

1 号虻の排土作業 中に第 3 図の A トVンチ ・セ クシ ョンに見 られ る如 く,灰 ・炭 ・焼土 の堆積層が あ った 。 トレンチの 1 ・2層か ら縄文晩期 の大洞 A'式 (砂沢式)土器が 多量 に出土 してい るので,あ るいは 1号虻 の上 に,晩期 の ころ住居 を構えた人 々の遺 した炉虻 で あろ うとも思われ る 。

以上 の点 よ り湯 /沢 には竪穴住居地を遺 した縄文後期 と,大 洞 A' 式を遺 した 晩 期 の 2 回にわた り,人 々が居 住 した ことを うかがい知 ることが 出来 る 。

5

最後に本稿を草す るに当 り,助言をた まわ った八幡一郎先生 ,石器 の用材をお調べ下 さ った本学地学教室 の宮城一男講師,付図 の トレー

に協 力いた ゞいた弘前市教育委員会 の 田村誠一,滝本勉,本学学生大江正文君等に厚 くお礼 申 し上げ る とともに.以上 の方 々の 応援 に対 して充分 こた え ることが 出来 なか った ことを深 くお詫 びいた した い。

7 5

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註 1 . 山崖道朗 踏査 日記の一貫 よ り 陸奥史談 第 2 1 輯 陸奥史談会

2. 世界 考古学大系 1 日本篇 1 図版 1 2 5 平 凡 社

3. 同 上 図版 1 2 7 / /

4 . 同 上 漁捗 文化 の展 開 4 土器 P1 1 2 平 凡 社

参照

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