三重大学教育学部研究紀要 第32巻 人文科学(1981)121‑151頁
『野ざらし紀行』における芭蕉の挫折
〇
‑
『野ざらし紀行画巻』本の位置付けについて
‑
一、
承 前
貞享元年(一六八四年)八月十七日(推定)、松尾芭蕉は、江戸から
伊賀上野に向かって東海道を旅立った。彼四十一歳の秋である。途中、
伊勢に十日ばかり滞在して、伊賀上野に到着したのは、九月八日。こ
の時の旅の経験をもとにして善かれたのが、彼の最初の紀行文『野ざら
し紀行』である。この紀行文は、「唯、汝が性のつたなきを泣け」という
作中の捨子に対することばをもって、つとに有名である。
諸本の代表的なものは、天理本(自筆)・野ざらし紀行画巻(自筆)・
濁子清書画巻(中川濁子筆)・孤屋本(森川許六筆)・泊船本(版本)
の五本で、この五木は、天理本(第一稿)・泊船本(第二稿)・孤屋
本
(第三稿)・野ざらし紀行画巻(第四稿)・濁子清書画巻(第五稿)
の頓に成立したと見るのが、これまでの通説である。これを一般に通
用する学説にまで高めたのは、ひとえに弥吉菅一氏の業績であり、中
でも「野晒紀行の再稿・定稿の問題」(『俳句研究』昭和26年3月号)
と起する論文が名高い。これと相前後して、芭蕉の俳句・俳文の文献学
的研究は飛躍的に前進するのだが、しかし、その期間も、弥吉氏の学
説はほとんど批判らしい批判を受ける事がなかった。ましてや、昭和四
濱
森太郎
十四年に完結した『校本芭蕉全集』(角川書店刊)を座右に備えて芭蕉
研究を始めた私たち戦後世代には、編者たちの文献操作の過程を再確
認する事自体が、著しい徒労のように思われた。そこで私たちは、芭
蕉を目の前にすると一様に 「回れ右」をして、あらぬ方に資料を求め た。
それから、さらに十年が過ぎた。その間、むろん芭蕉の研究は着実
に進んだが、弥吉氏の見解は安泰だった。そして、今日では、『野ざ
らし紀行』の諸本に関する弥吉氏の見解に「疑問の余地はないが」
な
どと前置するのが私たちの習いとなった。
だが、事実は、いつの場合もそれほど単純明快ではない。弥吉氏の
見解にも、充分に「疑問の余地」があったのである。まず、その
「疑
問の余地」から書き始めてみよう。
二、
動 機
ある日、『野ざらし紀行画巻』(別名『甲子吟行画巻』、和田御雲氏
蔵)
の写真版をばんやりとめくっていた私は、ふと面白い事に気付い
た。目を止めたのは小さな、ミセケチの文字である。最初は何かの錯覚
ではないかと疑ってみたが、どうやら錯覚ではないらしい。私は、急
121
森太郎
いでその他のミセケチを追いかけてみた。その結果、さらに五つのミ
セケチを見つけることができた。合計六簡所。この六箇所のミセケチ
が、これから解いてゆくすべての問題の発端である。
まず、その六箇所のミセケチを掲げてみよう。
…「竹の内の条」叩ハ…○葛下の郡竹の内と云処〃に一彼のちりか旧里なれは
‖
ヽY、‖
⑤④③②
二稿本(泊船本)
三稿本(孤屋本)
定稿本(野ざらし紀行画巻)
清書本(濁子清書画巻)
の噸に対校してみると、次のようになる。
「竹の内の条」
①葛城の下の郡竹の内と云処にいたる此処は彼ちりか旧里なれは「吉野山の条」
○独よしのゝおくにたとりMて一けるに
‖ヽヽ‑■I
‑■
t一一●●
ト
「熱田神宮の条」
∵え…○夏に石をす…ゑ叫て其神と名のる
‥ヽヾ▼‥ ②葛下の郡竹の内と云所にいたる此処はれいのちりか旧里なれは③葛下の郡竹の内と云所にいたる此処は例のちりか旧里なれは
ヽ
④葛下の郡竹の内と云処に彼ちりか旧里なれは
\Hヽ
⑤葛下の郡竹の内と云処は彼ちりか旧里なれは
〔4〕
「大津の条」
○大津に出る道山路をこ え…
へ亜てヽヽ
‖
「吉野の条」
○独吉野〜ヲクニタトリテ誠二山深ク(『蕉翁全伝』)
①独よし野のおくにたとりけるにまことに山ふかく
〔5〕
「尾張の条」
○伊豆の国蛭か小島の…僧
‖
ヽヾl
桑門
〔6〕
「尾張の条」
○これも去年の秋より行脚して…けるに
ヽヽ
山
一■
■
〜←
次に、この六箇所のミセケチを、これまでの通説に従って、
①
初稿本(天理本) ②独よし野のおくにたとりけるにまことに山深く③独よし野〜奥にたとりけるにまことに山ふかく④独よし野〜おくにたとりてけるにまことに山ふかく⑤独よし野〜おくにたとりけるにまことに山ふかく
「熱田神宮の条」
①かしこに石を引射て其神となのる
『野ざらし紀行Jにおける芭蕉の挫折〔〕
②夏に石をすえて其神と名のる
③夏に石をすへて其神と名乗
え
④麦に石をすゑて其神と名のる
⑤麦に石をすえて其神と名のる ②これも去年の秋より行脚しけるに我名をき〜て③これも去年の秋より行脚しけるに我名を聞て④これも去年の秋より行脚してけるに裁か名を聞て
ヽヽ
⑤これも去年の秋より行脚しけるに裁か名を聞て
「大津の条」
①大津にいつる道やまちを越て
②大津に出る道山路を越て
③大津に出る道山路を越て
■え
④大津に出る道山路をこへて
ゝヽ
⑤大津に出る道山路をこえて
〔5〕
「尾張の条」
①伊豆の国蛭か小島の桑門
②伊豆の国蛭か小山烏の桑門
③伊豆の国蛭か小嶋の桑門
④伊豆の国蛭か小嶋の僧桑門
ヽヽ
⑤伊豆の国蛭か小嶋の桑門
〔6〕
「尾張の条」 いずれの場合も、重要なのは「孤屋本」(③)と「野ざらし紀行画巻」(④)
との関係である。通説に従うなら、定稿本である「野ざらし紀
行画巻」は、当然、第三稿の「孤屋本」本文をより洗練した結果生ま
れたものと考えるべきだろう。だが、今ここに掲げた六箇所のミセケ
チは、どの場合を取ってみても、とてもそうだとは考えられない例ば
かりである。
たとえば、1の、ミセケチの原因は、初稿本(①)の表現を切り縮め
ようとして元の文章に引かれたせいであって、孤屋本
(③)
からの推
敲過程で生まれた誤りとは考えがたい。また、3のミセケチの場合も、
やはり初稿本(①)の表現を一度はそのまま踏襲し、後に攻めたもの
である。さらにまた、6のミセケチの原因も、初稿本
(①)
の表現を
〔
改訂しようとして元の文章に引かれたためである。その他2・4・5
のミセケチの場合も、やはりその表現が孤屋本
(③)
からの推敲過程
で生まれたものだとは考えにくい点で共通している。
とすれば、従来、定稿本だと考えられてきた「野ざらし紀行画巻」
は、あるいは初稿本(または、それに近似した本文)を下敷きにして
書かれた文章ではなかったか。この予感が、これから始まる私のやや
長い試行錯誤の最初の動機であった。むろんその時の私は、自分が自
問自答の末に、このような文章を書くなどとは思いも寄らなかった。
123
①是も去年の秋より行脚して我跡をしたひ
三、
仮 説
ところで、先のミセケチに続いて、もう一つ、私の注意を引いたも
のがある。それは、『野ざらし紀行画巻』の中の次の六箇所の誤字・
誤脱である。 「富士川の条」
①汝か性のつたなきをなけ
②汝か性のつたなきをなけ
③汝か性のつたなきをなけ
④汝か性のつたなき(を)
なけ
⑤汝か性のつたなき(を)
なけ
「富士川の条」
○汝か性のつたなき(を)なけ。
「伊勢参宮の条」
○
(髪なきものは)浮屠の属にたくへて
「伊賀上野の条」(雛)
〔4〕
○はらからの贅白く眉離寄て
「当麻寺の条」
(情)○かれ非常といへとも仏縁にひかれて
「熱田神宮の条」
(熱)○熱田に詣。
「甲斐の山家の条」
○甲斐の(国)山中に立よりて 「伊勢参宮の条」
①もと〜りなきものはふとのそくにたくへて
②髪なきものは浮屠の属にたくへて
③髪なきものは浮屠の属にたくへて
④(髪なきものは)浮屠の属にたくへて
⑤髪なきものは浮屠の属にたくへて
「伊賀上野の条」
①馨しろく眉しはよりて
②贅白く眉雛寄て
③贅白く眉雛寄て
④肇白く眉雛寄て
⑤贅白く眉敏寄て
※
(
)
内は筆者の補筆である。
この六箇所の誤字・誤脱も、これまでの通説に従って対校してみる
と、次のような面白い結果になる。 「当麻寺の条」
①彼非情といへ共仏縁にひかれて
②かれ非情といへとも仏縁にひかれて
③かれ非情といへとも仏縁に引れて
④かれ非常といへとも仏縁にひかれて
『野ざらし紀子j』における芭蕪の挫折 0
〔5〕
⑤かれ非常といへとも仏縁にひかれて
「熱田神宮の条」
①あつたに詣つ
②熱田に詣ツ
③熱田に詣
④熱田に詣
⑤熱田に詣
〔6〕
「甲斐の山家の条」
①かひの国山家に立よる
②甲斐の国山家に立よりて
③甲斐の国山家に立よりて
④甲斐の(国)山中に立よりて
⑤甲斐の国山中に立よりて
※
(
)
内は筆者の補筆である。
これまでの通説に従えば、決定稿であるはずの『野ざらし紀行画巻』
には、先の六箇所のミセケチの他に、さらに六簡所の誤字・誤脱があ
った事になるが、『野ざらし紀行』は、せいぜい二千二百字から二千
五百字、つまり四百字詰原稿用紙にして六枚程度の小品である。その
小品を、最低の場合でもすでに三回は清書したはずの芭蕉が、四回目
の清書に当たってさらに十二箇所も書き誤る事が、いったいあるだろ
うか。
さらにもう一一っ不思議な事は、芭蕉がすでに第二稿(泊船本)
の段
階で、この六箇所の誤字・誤脱を一度もまちがわずに正確に書いてい
る事である。いったい芭蕉は、先に正確に書いた文章を、後に六箇所 も書き誤るような異常な男だったのだろうか。
そうではあるまい。先に推測したように、『野ざらし紀行』の諸本の
系統序列の考え方そのものがおかしいのだ。もし、『野ざらし紀行画
巻』が第二稿であるなら、このような不都合は、決して起らないので
ある。
四、
弥吉菅一氏の見解
『俳句研究』、昭年二十六年三月号に掲載された弥吉菅一氏の「野
晒紀行の再稿・定稿の問題」と題する論文が、最初どのように迎えら
れたのか、私は知らない。けれども、この論文を皮切りに以後続々と
発表された弥吉氏の論文は、まずその緻密な思考の持続において、次
に、その論文の分量において、当時の読者たちを圧倒してしまったの
ではないかと、私は密かに空想している。最近の芭蕉研究を展望す
る類の文章を見ても、諸本成立の問題がほとんど片付いていない紀行
文研究の中で、なぜか 『野ざらし紀行』だけは、弥吉氏の主張する系
統序列がそのまま承認されているからである。
しかしながら、弥吉氏の諸本研究、中でもその集大成である『野晒
紀行
諸本の系統序列の研究』(羽田書房、昭和二十九年六月刊)を、
今改めて読み返してみる時、私はやはり少々微妙なものを感得する。
ありていに言えば、弥吉氏の行った諸本の比較校合からは、氏の主張
する結論が生まれるとは思えないのである。
弥吉氏はまず、『野ざらし紀行』の諸本を比較校合して、「天理本」
を初稿本と定め、次いで、「泊船本」・「孤屋本」・「野ざらし紀行
画巻」の三本を比較して、「孤屋本」が「泊船本」と 「野ざらし紀行
画巻」との中間に位置する本文だと分析する。これを確認するために、
私は、弥吉氏が行った校合作業をふたたび自分の手で繰り返してみた。
125
森太郎 虞
結果は、その通りであった。
だが、そこからさらに進んで、初稿本(天理本)・二稿本(泊船本)・
三稿本(孤屋本)・定稿本(野ざらし紀行画巻)と一系列の系統序列
を定める下りで、なぜか私の結論は弥吉氏のそれと喰違った。私の分
析によれば、『野ざらし紀行』諸本の系統序列は、初稿本(天理本)・
二稿本(野ざらし紀行画巻)・三稿本(孤屋本)・四稿本(泊船本)の
順に並んだのである。
とまどった私は、とりあえず、三稿本と言われる「孤屋本」と定稿
本と言われる「野ざらし紀行画巻」とを対校して、異同箇所を抽出し、
その異同箇所を「天理本」及び「泊船本」と照合した。そうすれば、
「孤屋本」と「野ざらし紀行画巻」とのどちらが初稿本(天理本)
に
近いかが判然とするからである。この二本の校合の結果抽出できた異
同箇所は234箇所。その内訳を、それぞれ
H、天理本の表現・表記と一致するもの
口、泊船本の表現・表記と一致するもの
日、そのどちらとも一致しないもの
の三つに分けて表示すると、次のようになる。
『野ざらし紀行画巻』の 孤屋本『野ざらし紀行』 異同総数 表 現 ・ 表 記 の 表 現・表 記 234 例
106 例 70 例
一天
警理
(45.3%) (29.9%)
吉本
のと
68 例 135 例
一泊
警船
(Z9.1%) (57.7%)
言本
のと
106 例 84 例
一ど
警ち
なら
ゞと
のも (45.3%) (35.9%)
126
ここに掲げた数値は、異同箇所の数え方によって少々は動くが、そ
れにしても、この表の「天理本と一致するもの」の項目によれば、定
稿本であるはずの「野ざらし紀行画巻」の方が、第三稿である「孤屋
本」よりもさらに約15%ほど初稿本(天理本)に近いのである。これ
は、私の予想どおりの事実だった。
そこで私は、さらに、従来二稿本と言われてきた「泊船本」と「野
『野ざらし糸己行』における芭蕉の挫折(∃
ざらし紀行画巻」とを対校してみた。要穎は先の場合と同様で、まず
異同箇所を抽出し、次いで、その異同箇所に該当する「天理本」及び「孤屋本」の表現・表記を照合した。その結果を、やはり先と同じよ
うに分類して表示すると、次のようになる。
表‑㈲『野ざらし紀行画巻』の 泊船本『野ざらし紀行』 異同総数 表 現 表 記 の 表 現・ 表 記 250 例
108 例 78 例
一 天
警理
(43.2%) (31.2%)
吉本
の と
82 例 138 例
一孤
警屋
(32,8%) (55.2%)
言本
のと
106 例 93 例
一ど
警ち
なら
ゞと
のも (42、4%) (37.2%)
に近い表現・表記を留めている事は明らかだろう。「野ざらし紀行画
巻」は、第三稿だと言われてきた「孤屋本」はもちろん、第二稿であ
るはずの「泊船本」よりもさらに12%ほど初稿本(天理本)に近いの
である。
したがって、これまでの巨視的な分析から言えば、『野ざらし紀行』
の第二稿は「野ざらし紀行画巻」でなければならない。これが、私の
最初の結論だった。この結論は、先に述べたミセケチの分析結果とも
誤字・誤脱の分析結果とも一致していた。
五、
問題の所在
だが、この事実だけで、『野ざらし紀行』の第二稿が「野ざらし紀
行画巻」だと主張するのは、まだ無理であった。ことに、中川濁子が
松尾芭蕉の依頼を受けて「野ざらし紀行画巻」を清書し、決定稿を完
成しているいきさつから考えても、この「野ざらし紀行画巻」が定稿
の性格を持つ事は疑えない。とすれば、「野ざらし紀行画巻」は、定
稿であると同時に第二稿でもあるのだろうか。このディレンマを私は
是非とも解く必要があった。そのためには、『野ざらし紀行』諸本の
系統を二系統以上の複線として考えれば良かったのだが、私がそれに
気付くのはもっと後の事である。
取りあえず私は、「野ざらし紀行画巻」の表現・表記をもっと細部
に渡って分析してみた。最初の手懸は、先に掲げた数表‑仙・佃の中
にあった。
まず、表‑侶によれば、「野ざらし紀行画巻」の中には、「天理本」とも「孤屋本」とも姦しない独白の表現・表記が106箇所(45・3%)も
含まれているが、「孤屋本」の場合は、その独自な表現・表記が84箇
127
この表を見ても、やはり「野ざらし紀行画巻」が初稿本(天理本)所(5・9%)しか含まれていない。つまり、数人の転写を経て本文に私
3
森太郎
意的な乱の加わった可能性が心配される「孤屋本」の万が、芭蕉自筆
の本文よりかえって独自の表現・表記が少なく、安定しているのであ
る。
同じ事は、「泊献本」についても言える。表‑偽によれば、「野ざ
らし紀行画巻」の中には、「天理本」とも「孤屋本」とも一致しない
独自の表現・表記が106箇所(2・4%)も含まれている。だが、「泊献本」
の場合は、その独自な表現・表記が93箇所(37・2%)で、これも少々だ
が減っている。つまり、この場合も、数回の転写を経た「泊船本」
の
方が、芭蕉自筆の本文よりかえって独自の表現・表記が少ないのであ
る。
それは、取りも直さず「孤屋本」及び「泊船本」がかなり忠実な書
写本である事を示すとともに、「野ざらし紀行画巻」がやや荒削りの
文章であることをも示しているだろう。この点から見ても「野ざらし
紀行画巻」は第二稿にふさわしいのだが、こうした推測を重ねるだけ
では、まだ充分ではない。「野ざらし紀行画巻」の具体的な個性の中
に、この画巻が、第二稿であると同時に決定稿でもある証拠を発見す
る事が必要なのである。
先に掲げた表1Ⅲによると、「野ざらし紀行画巻」と「孤屋本」と
を校合して抽出した異同縫数234例。その内、「野ざらし紀行画巻」独
自の表現・表記106例。その106例の異同箇所を列記したのが、後に掲げる
付表‑㈹である。
何の変哲もない表なので、試みに、その中に二本の線を入れてみた。
それは、『野ざらし紀行』の冒頭から帰郷の条までを第一部、大和行
脚から美濃大垣までを第二部、桑名から江戸帰着までを第三部に分割
して、その境界を示す分割線である。そうしてみると、「野ざらし紀
行画巻」の場合は、独白の表現・表記が第一部に27例、第二部に24例、 第三部に55例のかたちで分布する。「野ざらし紀行画巻」の文字数は、第一部脱文字、第二部625文字、第三部制文字であるから、この分量の違いを考慮しても、やはり第三部に独自の表現・表記が集中している事は明らかである。
そこで念のために、「孤屋本」・「泊船本」についても、同様な調査
を繰り返してみた(付表‑㈲・付表1の)。それを今、数表のかたち
で単純に整理すると、次のようになる。
表‑㈲泊
船
本 孤
屋
本 野
ざ ら し 紀
国画 巻
29 28 27
第 例 例 例
部
21 26 24
第 例 例 例
部
43 30 55
第 例 例 例
部
93 84 田 全
例 例 例 体
この表を一見すれば、問題がどうやら『野ざらし紀行』の第三部に
隠れているらしい事は、誰にも容易にわかるだろう。いずれの本文の
場合も、独白の表現・表記が増減する原因は、この第三部の数値の増
減にあるからである。それでは、『野ざらし紀行』第三部で、何が起
きたのか。
六、「野ざらし紀行画巻」第三部
「野ざらし紀行画巻」
の記述は、その筆蹟や、
乱雑な印象を受けるが、
は一見難問に思えたが、 第三部、すなわち伊勢桑名から江戸帰庵まで絵と文字との配合の点から見ても、明らかにそれにしてもここで何が起こったのか。これ
そのつもりで先に掲げた付表‑刷・㈲・のを
『野ざらし紀行』における芭蕉の挫折(∃
見渡せば、それだけで充分だった。「野ざらし紀行画巻」の第三部に
独自の表現・表記が集中する最大の原因は、どうやら次のような表記
の混乱にあったらしいのである。
表‑㈱
O「野ざらし紀行画巻」独自の表現・表記(漢字表記)
旧 106 週 91 69 66 56 55 41 38 37 27 26 16 15 7 4 No.
;む 程 わ か む か あ い ば た ね か に か ば み か 天
理
本
ぎか す な ら 田か ち き 田 な か な
‡し れ す と
凹
し j、 田
宙
点 付
型
ま ち
は ま
れ し け 田
藩
点 付
蟹
…苦計 忘 か 岨
す 共
j土二
日 哉 洗
j、
芋 計 忽 根 際
歎 恵 ま れ
哀 気
計 皆 哉 紀野 行ざ 画ら 巻し
‡む ば わ か あ い ば た 根 か に 哀 ば み か 孤
屋
本
;か か す な ら 田か ち き 巴 け か な な
…し田 藩
点 付
埜
れ ふ、 田
宙
点 付
壁
ま ち
は ま
れ 田
藩
点 付
型
どむ ば わ む か あ い ば た 棍 か に 哀 ば み か 泊 船 本
ぎかか す な ら 田か ち ぎ 巴 け か な な
:し 田 れ す
と も
し j、 凹 ま
ち
は ま
れ 田
※頭の番号は、異同元表(付表‑い)によったもの。付表‑㈱・
㈲とも共通する。
※他本に漢字表記の例があっても字体が違っている場合は参考に
なるので、頭の番号に〓印をつけて掲載した。121
(158)
(16至)
以
濱
下同じ。
表‑㈱
O「野ざらし紀行画巻」独自の表現・表記(仮名表記)
可 旧 四 田 144 可 138四 四 107 100 82 42 32 No.
越 牛 =土ご/司 死 に
大 和
是 て 此 日 比
不 帯
団国 天 理
本
こ フ こ こ し う し や こ ほ こ 日 お 野
え し ゑ と ろ
き
ま と
れ と の ざ
ら し
紀 行 画 巻 越 牛 声 事 白
き
申 死 大 和
田E∃ 程 此 日 比
孤 屋
本 越 牛 声 事 白
き 中 死
に 大 和
是 程 此 日 比 不
帯 是 泊
船 本
し紀行画巻」独自の表現・表記(106例)の中の約32%にあたる。また、
表‑㈲は、それとは逆に「野ざらし紀行画巻」だけが仮名で表記して
いることばを拾ったもので、総数は15例。この分量は、「野ざらし紀
行画巻」独自の表現・表記の中の約14%にあたる。そして、この両者
を合わせれば、これだけで、「野ざらし紀行画巻」独自の表現・表記
の内の45%を占めるのである。
むろんこれは、「野ざらし紀行画巻」に限った事ではない。付表1
㈲・佃を使って、「孤屋本」・「泊船本」の中からこのような例を拾
うと、やはりこれも、45%前後の分量になるのである。今、念のため
にそれを表示すると、次のようになる。
孤
屋
本 野
ざ ら し 素己 行 画 巻
26 34
漢独 字
自 表 記の 例
10
仮独 名
自 表 記の 例 例
36 49 体独
宮盲 の自 中な
(
43 の表
% 割現
\J )
合全
言うまでもなく、この表‑㈱は、「野ざらし紀行画巻」独自の表現・表記(付表‑㈹)の中から、「野ざらし紀行画巻」だけが漢字で表記
していることばを拾ったもので、総数は34例。この分量は、「野ざら その内訳となると少々噴い違ってくるが、全体の分量は45%前後で一定している。したがって、『野ざらし紀行』の諸本はいずれもある
ことばを漢字表記にするか仮名表記にするかを廻って、大きく揺れ動
いている文章だと見なければならない。つまり、芭蕉の表記意識自体
が、大きく揺れているのである。問題は、その大きな揺れが、いった
いどこに向かって動いているかである。
さて、ふたたび表‑㈱に戻って、「野ざらし紀行画巻」独自の漢字
『野ざらし紀行』における芭蕉の挫折 0
表記の内実に注目してみよう。
総数で34例。内訳は、第一部13例、第二部7例、第三部14例。特徴
は、和語をかなり強引に訓漢字で表記している事である。たとえば、
「哉」(かな)・「計」(ばかり) 「剣」(か)・
助詞や、「忽」(たちまち)・「必」(かならず) 「共」(とも)などの
・「中〈」
(なかな か)などの副詞の例。これらはまだ良いとしても、
な ど
(166)(158)の213184160127(121)101 動
忘
(れ)
昇り
(登り)
忍
(ふ)
時雨〜(しぐる〜)
盗
(ま)
れ 喰
(ら)
はん
※
(
)
内は筆者補筆。
木枯
(らし)
ゎし亡朝
(員)
などの名詞の例では、
である。その原因は、
較的自在で、しかも、 送り仮名の添え方や訓漢字の宛て方が少々粗雑恐らく芭蕉の表記意識の中に漢字の使い方が比送り仮名を大部分省略する漢文訓読の文字感覚
が残っているためであろう。
その粗雑さを克服し、もっと正確に訓める文章を作り上げるには、
どうすればよいか。それはいうまでもない。芭蕉は、もっと仮名害を
殖し、送り仮名を丁寧に打つ必要があるのである。そして、その点か
ら言えば、「野ざらし紀行画巻」の第二部・第三部で独自の仮名表記
が殖えている事は注目に値する。今、改めて先の表‑㈲を見ても、た
とえば、
100
この(他本、「此」)
117
これ
(他本、「是」)
の仮名による書き分けは、「此」や「日疋」と書いた際の訓みの混乱を
予防する利点がある。また、
82
日ころ(他本、「日比」)
129
やまと(他本、「大和」)
のような訓漢字を避けた文字使いも、誰にでも正確に訓める文章を
日差した慎重な配慮からではなかろうか。さらにまた、144の「しろき」
(他本「白き」)は、「明ほのやしら魚しろきこと一寸」の「しろ」で
あって、色彩としては「白」よりもむしろ光の透明な輝きを表示した
ものである。また、175の「うし」(他本「牛」)の場合も、「誰か鸞そ
歯莱に餅おふ引∪の年」の「うし」で、動物の牛と干支の「丑」年と
をかけた表現である点を配慮したものである。こうしてみると、ここ
にもまた、正確に訓める文章を目差した慎重な配慮が見えると言って
よいだろう。先の独自の漢字表記といい、独白の仮名表記といい、一
見、不統一な芭蕉の表記の背後には、このような表記態度の変化が隠
れていたのである。
七、
正確に訓める文章
ところで、以上の実例だけではまだ納得できない人のため、さらに
もう少し実例を掲げたいと思う。次に掲げるのは、「野ざらし紀行画
巻」独白の表現・表記の中から、作者の誤字・誤脱の例を拾ったもの
である。中には文字の省略・追加・改訂かと疑われる例も含んでいる
が、それは、何をもって正しい表記とするかが少々曖昧な当時の書き
ことばの実情を配慮したためである。この表からも芭蕉の表記態度の
強引さは、充分に窺われるのだが、問題は、その強引さがどちらを向
いているかである。
131
表‑のO
「野ざらし紀行画巻」独自の表現・表記
(誤字・誤脱、あるいは省略・改訂とも考えられる例) この表を一覧すれば、先の答は言うまでもあるまい。第一部では、
田 四 四 四 田 1幻 四 94 88 72 70 46 45 33 30 12 No.
卯 我 我 あ 我 き た 非 詣 守 し 田 田田 に 天
理
本
の ふ、 の は の と た 8
花 ふ、 は ゝ
田な き
な き を
む に
卯 予 我 逢 我 咋 雛森 田 恵 朋 紀野
/■ヽ、 か j、 か 日 か ヽヽ̲̲/ た (
の
)
花
ふ、
\J
ゝ 且
袋
な き
(
を
)
む
) (
に
ヽヽ一・′
行ざ 画ら 巻し 卯 我 我 逢 我 き 誰 非 詣 守 鍛 も 髪 田 悪 朋 孤
屋
本
の
花
の j、
て 田
袋
の は
な き
た な き を
む 友
に
卯 わ 我 あ 我 咋 詣 守 雛 も 髪 田 恵 朋 泊 船 本
の
花
れ j、 日 カ 情 て 田
袋
の は
な き
た な き を
ム 友
に
2 1 0 3 3 3 2
など、逆で、
7りJ
1 1州別
6
nXUl 肌
朋友(に)
要
(む)
ったなき(を)
守
(り)
袋
※
(
)
内は筆者の補筆である。
明らかに送り仮名の不足した例が多い。だが、第三部は、その
誰か
昨日ふ
我か 逢ふ
など、かなり丹念に送り仮名を送っている。もし、この送り仮名が無
ければ、これらの文字は、それぞれの文脈によって、
173
誰
(た・たれ・だれ・たが)
ほ 昨日
(きのふ・さくじつ)
186 我
(わ・われ・わが)
207 逢
(あふ・あひ(連用型))
などと様々に訓めるだろう。
中には、「昨日ふ」のような神経過敏の例もあるが、それもまた、
正確に訓める文章を目差す芭蕉の熱意の現われである。一見乱雑に見
える芭蕉の表記態度も、やはりその内実は、正確に訓める文章を日差
して変化しているのである。
こうした表記態度の初発的な様子から見ても、やはり「野ざらし紀
行画巻」は、第二稿にふさわしいのではあるまいか。
132
※
(
)
円は筆者補筆。
『野ざらし糸d行』における芭蕉の挫折 日
八、
結 論
さて、繰り返して言うが、そもそも『野ざらし紀行』は、和語を訓漢
字で表記する際に隼まれる不都合を廻って大きく揺れ動いている文章
である。訓漢字を多くすれば、文章の意味は取りやすくなるが、読み
の正確さは損われる。その上、和語独自のニュアンスも失われる。芭
蕉は、「野ざらし紀行画巻」を書く過程で、どうやらこのディレンマに喧面したのである。「和漢混清文」といってしまえば平凡だが、確
かな色彩や形で識別できるわけではない。その文体もまた、結局は、
どのことばをどう書き現わすべきかという不断の選択の結果であって、
それ故に、その文体は否応なく作者の内面の立たずまいを反映する。
和語を訓漢字で書き現わす事の利点と失点とを心得て、作者はより読
みやすく、よりわかりやすい文体を体得する事が必要なのである。
だが、「野ざらし紀行画巻」執筆当時の芭蕉は、まだ、そのディレ
ンマを訓漢字を多用した漢文書き下し詞の文章で強引に切り抜けよ
うとした。それは、恐らく、主人公の人柄を反映する事や文章の格調
を高める事など、文学的な効果を計算した上での行動だったにちがい
ない。しかし、その文章では、たびたび読みの正確さが損われた。そ
こで初めて、芭蕉は強引な訓漢字の利用を控え、誤読を招きやすい訓
漢字には送り仮名を添え始めた。その結果、「野ざらし紀行画巻」
の
表記は、特に第三部で大きく混乱し、かなりの矛盾をはらむ事になっ
た。先に掲げた独白の漢字表記34例、仮名表記15例、そして誤字・誤
脱(省略・追加・改訂の例も含む)17例。これが、その矛盾の結果で ある。この三つを合わせれば、これらの表記の問題が「野ざらし紀行
画巻」独自の表現・表記(表‑A)全体の62%を占めている。
このような文章が果たして成熟した文章と言えるだろうか。答は、 否である。芭蕉は、「野ざらし紀行画巻」を書く過程で、ようやく彼白身の内側に読者を意識し、読みやすくわかりやすい文章を模索し始めた。かつて漢詩調の俳句を作り、高踏派を自認して孤独を噛みしめていた芭蕉が、やっと、その境地を脱して、もっと広い視野の申で自分の読者を接し始めたのである。これが、「野ざらし紀行画巻」
の表
記に対する私の判断である。
一九八〇・八・十六、稿了
注川
本文校合の際には、弥吉菅一氏等が編集された『改版野ざらし紀行・
鹿島詣』(明玄書房)及び『芭蕉紀行総索引
(上)』
(明治書院)
所
収の本文を用いた。
注偽
異同表を付表‑㈹として本稿末尾に掲げる。
注細
分類表を付表‑㈲として本稿末尾に掲げる。本文中の表‑仙は、こ
の付表‑㈲をもとにして作成したものである。
注㈱
異同表を付表‑腑として本稿末尾に掲げる。
注㈲
分類表を付表‑頼として本稿末尾に掲げる。本文中の表‑拗は、こ
の付表‑岨をもとに作成したものである。
注㈱
紙面の都合で本稿末尾に掲げる。
注刑
紙面の都合で本稿末尾に掲げる。
補注1、「濁子清書画巻」は、「野ざらし紀行画巻」をただ酒害しただ
けの本文なので、比較の対象から外した。
※本稿を成すにあたり、弥吉菅一先生の御助力を得た。記して深謝する。
133
森太郎
付表‑い 『野ざらし紀行画巻』・孤屋本『野ざらし紀行』異同表
25242322212019181716151413121110 9 8 7 6 5 4 3 21 No.
5 4 3 2 1 貢
16 6 5 5 4 4 4 2 216 4 4 2115 4 4 314 2 2 行
ちあこけま待はた川かはち哉我み此云みみ降こか八け云
ゝすよむ かえ なかり にちたけぬなてゆな月む 天
ひ りす しり ひる る
け 理
本 ちあこけま待計た川哀計ち哉朋み此云み皆降こ哉八け云
ゝすよむ え 気 り 友ちたけぬ てゆ 月む 紀野
ひ す ひ る る 行ざ
画ら 巻し
父習言Z問責禁た河吾禁 整髪路豊㌫民芸奇警髪岩2㌫
孤屋 本
り す り に け て
る
らあこけ間まはた川哀はチか朋路此い見み降越か八けい
ゝす孟むっちゝ享け宅ゝりな歪琵芹ぬなてるな月むひ
泊 船 本
る
53525150494847464544434241403938373635343332313029282726
8 7 6
にくまれ
カ\′
汝 ちゝ
にくむあらし
定
つたなきを
みちのへ 眼前
はつかねきは
たちまち煙
有けるを
はかり不帯
かけ
まじとゝりなき にて
まじのは一の
華表
ほのくらく
みえて計
千とせ嵐
恵まれ剣
汝 ちゝ 悪
あらしこれ
つたなき馬上吟
道のへ
廿日 根際 忽
けふり有けるを
計
おひす
かけ にて
華蓑一ノ
ほのくらく
見えて計
千とせあらし にくまれ\′カ父なんち恵むあらす是つたなきを眼前道野部二十日根きはたちまち煙有けるにはかり不帯掛似て髪なきものは一の烏井はのくらき見へてはかり千年
嵐
にくまれ
カヽ′
なんち 父
あらじ 意ム
つたなきを 日疋
道のへ 眼前
二十日根ざは
たちまち
けふり有けるを
はかり不帯
懸 似て
注1
髪なき
ょじのは一の
鳥井
ほのくらく
見えて
はかり千とせ
あらし
134
『野ざらし紀行』における芭蕉の挫折 0
135
濱 森太郎
136
『野ざらし紀行』における芭蕉の挫折 ヒ)
137
森太郎
※本表の頁数・行数は『芭蕉紀行総索引(上)』の員数・行数表示に
従った。
注1、字形は、「髪」とも「警」とも読める。
『埼叫♪r帯芯b市社(}か団耕8牒苛
Ⅱ 付表‑㈲『野ざらし紀行画巻』・孤屋本『野ざらし紀行』異同分類表
229 215187172164156147132120112102 95 87 77 64 58 48 29 2214 8 1 一天
106例 218188176165157149134122114108 96 89 78 67 59 49 312317 9 2 司
2191鮒178168159150137123115109 97 90 80 72 60 5140 241810 3
警理
(45.3%) 226191179169161151139124116110 98 92 8174 62 52 43 25 2011 5 吉本野 ざ
22719218517016315314013111911199 93 86 75 63 54 44 28 2113 6 のと ら
し
紀
ノて一
68 例
218185155146128111104 96 73 59 50 3118 2 一泊
228188157147131112105 97 76 62 52 35 22 3
警船
†J画233192170148137120108 98 87 65 53 39 23 6
富木巻
(29.1%) 211176150140122109102 89 67 54 40 2410 日
の
表 現
●
212182151142126110103 95 71 57 49 2517 のと
106例 (45.3%)
234 224 217 209 204199194183174164152138129117100 84 69 55 413319 4 致ど
225 220 210 205 2001951朗17516615414113011810185 70 56 42 34 26 7 しち
なら いと
表
230 221213 206 201196186177167158143133121106 88 79 6145 36 2712 記
231222 214 207 202197189180171160144135125107 9182 66 46 37 3015 も も
232 223 216 208 203198193181173162145136127113 94 83 68 47 38 3216 の一
70 例
224 216193182162136121100 82 66 53 39 27 4 一天
孤 屋
231217 20818316615212610185 68 55 41 32 7
警理
232 220 209184167154127113 88 69 56 42 3315
(29.9%) 233 222 210186171155129117 9176 57 46 3419 言本本
234 223 214189175160130118 94 79 61 47 38 26 のと 司
野 ざ ら 135例
229 223 217 204195189177169162154144134127117106 93 86 79 70 60 48 42 34 2716 9 1 一泊
警船
る
230 224 219 209196190179171163156145135129118107 94 88 8172 63 5144 36 281911 4 し
231225 220 210197191184172165159149136130119113 99 90 82 74 66 55 45 37 29 2012 5 担
(57.7%) 232 226 221213 202193186174167160152141132124115100 9183 77 68 56 46 38 32 2113 7 も本 日イ‡J
234 227 222 215 20319418717516816115314313312511610192 85 78 69 58 47 4133 2615 8 のと
の
表 現 84例
( 35.9%)
211200185173151142131114108 98 87 7159 43 2517 2 致ど
212 2011鋸176157146137120109102 89 73 62 49 3018 3 しち
なら
218 205192178158147138122110103 95 75 64 50 3122 6 いと
228 206198180164148139123111104 96 80 65 52 35 2310 も も
207199181170150140128112105 97 84 67 54 40 2414 の一
※異同箇所を示す数字は、付表‑いの通し番号をそのまま踏襲した。
‑‑〕∽1