• 検索結果がありません。

「性教育」の再検討

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「性教育」の再検討"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「性教育」の再検討

一科学論 の視点 か ら一

Re‐

exanlination of Sex Education 一FroIIl the View of Philosophy of Science―

  

Atsushi SHIMBo

(平

9年 10月

6日受理)

Abstract

ln Japan,the sex education that we give to our students has a historical backgroundo We have come to the conclusion that, if students become info.1lled about sex in a fo■

11lal, scientific way,this will avoid any nliseries that rnay occur because of ignorance.However, there is a fact that we have not been able to avOid,

Ignorance",when we can know the Hnlitations of the scientific method.Sciene can only make clear one aspect of this topic.

The purpose of this paper is to re‐

exarrline how sex education has been influenced by modem science and to make these influences clear in Japan.

EH,ors in the knowledge of sex,since before the 1/1eiji Era,have been corrected by using

a Japanese interpretation Of European and American research info■ 11lation,and by using

the results of new scientific reasearch in Japan.

However,its knowledge could not shift viewpoints to sex for many Japanese people.

Because the goverment stopped to publish the new knowledge on sex and itsinfo.11lation had not enough the pOwer of influence to many people.On the other side,rnoderrl techno‐

logicalinnovations based with science appear before our eyes and we need to think about the relation between sex and life of human being。

When we think as stated above,we will need to have inf0111lation for self‐

dete.11lination.

TherefOr, influential people have not Only info.11latiOn to make clear of new scientific research,but also we have themo And we will give both of the good and bad infollllation

for us in sex education.

1。

は じめに

      '

現在、学校教育 において行 われてい る性教育 には、二つのタイプが ある と指摘 されている。

一 つ は子供 を産 み育 て る とい う、性 の生殖面 に重点 を置 く「生命尊重」の性教育であ り、 もう 一 つ は性 の快楽追求 に価値 を求 め、避妊法 の指導 に重点 を置 いた指導 をす ることによって、性 交 の 自由 を人権 として強調 す る「人権」 としての性教育である。前者 に対 しては、現代 の性 に

(2)

関す る情報 の氾濫 に対 して、太刀打 ちで きるだ けの説得力 を持 ちえないので はないか とい う批 判が あ り、後者 に対 しては、若者 か ら倫理観 を奪 う唯物 的な性教育 で あ り、 これ によって、規 範 の欠 けた「性意識」 をうえつ ける ものになるので はないか、 とい う反論が な されてい る。

日本 の学校教育 において性教育 が行 われ るようになった背景 には、様 々 な要因が ある と考 え られ る。第二次世界大戦後 について概観 す るな らば、 それ は「国家主義的価値観 の崩壊 の結果、

進駐軍 と日本女性 の間の売買春、性病 の蔓延、性犯罪等性 の乱 れの社会現象 に対 す る緊急対策」

(武田、1995、 p.91)の必要性 か らといった ような、戦後 の混乱期 を背景 とした ものであつた り、 また時代 が進 む につれ「性解放 の結果 として思春期男女 の性行動 の活発化、性体験年齢 の 低年齢化、思春期妊娠、性非行、性 に関す る悩 みの表面化」(武田、1995、 p.92)と い う問題 が 噴 出 して きた ことによって、学校教育 にお ける性教育 の必要性 が再 び叫 ばれ るようになった と 考 え られ る。

朝 山 は国際的 な性科学 の会議 に参加 し、 そ こで議論 された性教育 の内容 を要約 して以下 の よ うに述 べてい る。

性教育は生殖系器官の構造・機能中心の知識教育や性の技巧教育ではなく、性を禁忌とし、罪・恥 とする偏 見から人間を解放し、従来の性道徳の二重性(セキズム

)を

とり除き、両性の自由と平等のうえに性関係を結 ぶことのできる社会的人格をそなえた人間をつくりだす教育である。そのため育ってくる子ども、青少年の発 達の段階に対応して、彼らの必要とする性の科学知識を与え、無知からくる不幸を避け、互いに相手の人格を 尊重する人間関係の中で創造的に生活できる成熟した人間をつくるための教育である。(1978、 p.28)

ここか ら取 り上 げ られ るべ き一 つの問題 は、子 どもや青少年 に「性 の科学知識」が与 え られ ることによって「無知か らくる不幸」を避 けることがで きる、 と考 えられていることであろう。

今 日の性教育 において も、現代医学 (科

)が

もた らした新たな事実解明によって、性教育 の内容 その ものにも変化が見 られ る。例 えば、

HIV感

染症の解明によって、性交行動 に対す る 適切 な判断や意志決定の能力の高 まりを、性教育 に期待す る声 は大 なるものがあると言 えよう。

さらには、妊娠 に関わ る科学技術 の発展や遺伝子の解明は、「人間の生殖」とい う問題だけでな く、「人間の生」その ものにまで影響 を及ぼすであろうことは、先端科学の成果がいち早 く市民 生活 に取 り込 まれている米国の例 (註

1)を

見 るまで もな く、予想 されるところである。

こうした現状 を考 えるとき、我々が注 目すべ き問題 は、「人間の性」に関する科学技術 の変化 があまりにも急速す ぎて、「人間の生」に関わ るモラルが追いついていけない状況 にあると言 う

ことであ り、 さらには、 これ らか ら必要 とされる「性の科学的知識」 とは何であ り、それをど のように生かす ことが「無知か らくる不幸」 を避 けることがで きるか、 とい うことであろう。

本論 においては、「学校教育 における性教育のあ り方」 に直接的な視点 を向けるのではな く、

こうした性教育の根底 にある「人間の性」、それ も文化 としての性ではな く、自然科学 によって 捉 えられてきた性 における科学的研究の成果 を対象 とし、その成果が もた らした と考 えられ る

「人間の生」 その ものへの影響 について検討 を加 えることによって、今後の学校教育 における

性教育のための一視点 を提示 していきたい と考 える。

そのため、 まず近代科学が持つその特徴 について明 らかにした うえで、その科学 という方法 論 によって明 らかにされた「人間の性」 と「人間の生」 との関わ りについての問題点 を抽出 し てい くことにする。

(3)

2.近

代科学の特徴

近代科学 の出発点 の特徴 を問 うな らば、 それ はデカル トの「 どんな難 しい問題 を調べ るに し て も、 その問題 を一 つ一 つ、で きるだ けた くさんの、 しか も問題 をいっそ うよ く解 くた めに必 要 とされ るだ けの、小 さな部分 に区切 る」(1991、 p.28)と い う方法 に準拠 して、我々が「精神」

と「物体」 とをまった く違 った存在次元 にある二 つの別個 な実体 として捉 えた点 にある と言 え よう。 しか もそ こには、科学が扱 う対 象 は、人 間精神 の主観性 か らは独立 した もので ある とい う「価値判 断か らの 自由」が与 え られてい る とい う前提 が存在 す る。 とい うの も、科学が対象 とす る物体 は、人 間精神 の支配 を受 ける もので はな く、 自然界 の支配 に属す る領域 の ものだか らで ある。 こうした論理 か ら、我々 の「身体」を対 象 とす る科学 も、人 間の身体 をあたか も「機 械 」 と同様 に考 え、 そのメカニズム を解明す る ことに よって、人 間の存在 その ものが理解 され る、とい う方向 に向か って突 き進 んでい る ことは、現在多 くの人々 の了解す る ところであろう。

しか しなが ら、 これ は人 間存在 の理解 に とって は、一面的で ある と言わ ざるをえない。何故 な らば、我々人 間 は、「精神」を ともなった存在 であ り、す なわ ち「精神」 と「身体」を不可分 な もの として存在 してい るか らで ある。 ここに、近代科学 を限界 的 に利用すべ きことの理 由が あ る と考 え られ る。

しか しなが ら一方で、「 それ ぞれの社会 と文化 はいずれ も固有 の科学 を もち、科学 はその社会 と文化 の維持 に不可欠 な機能 の一部 をはた して」(山田、1970、 pp.84…

85)き

たの もまた事実で あ る。村上 は この ような「文化維持機能 としての科学」 について以下 の ように述べてい る。

科学は、自然のなかにもともと存在する真理を発見するという営みであり、結局、その真理は自然を正しく 眺めることのなかで、人間の側に受け取られるのだ、というものである。つまり、こうした「真理の遺伝説」

では、科学的真理なるものが、人間とは関わりなく、自然のなかに本来的に存在していると考える点で、その 客観性を素朴に確信していることが多 く、従ってまた、そうした科学的真理は、一つずつ逐次、発見されて行 く以上、われわれのもつ科学的知識は、徐々であるにせよ、次第に真理が増え、誤診が減るという、知識の「進 歩観」に連なることにもなる。

(1980、

p.16)

この ように、近代科学 は、例 えば「人間の性」 について も、人体 の構造 か らその生理・ 生殖 機能 において、我々の科学的知識 が「真理」を増加 させ る一 方で「誤謬 (迷信等

)」

を減少 させ て きた と言 えるで あろう。

また ウィーナー (Wiener,N)は、生物個体 の物理 的機能 と通信機器 の或 る ものの行動 とが、

フィー ドバ ックを通 じてエ ン トロピー を制御 しようとす る働 きにおいて精密 に相似 しているこ とか ら、「情報が、行動 のその後 の段 階の遂行 に利用で きる新 しい形 にか え られ、遂行行動 を外 界 に対 して効果的 な もの にさせ る」(ウ ィーナー、1979、 pp.21‐

22)も

ので ある と捉 えてい るが、

科学が明 らか に した知見 (情

)が

、 その後 の我々人 間の判 断 を変化 させ ることは、 当然予測 され る ところであ り、今 日にお ける科学技術 の 目覚 ましい発展 について も、我々の今後 の行動 基準 に変化 を与 える と言 えよう。

以上 の ことか ら今 日に至 る性科学 も、 その新 た な発見が、我 々の価値観 に変革 を求 め、 さ ら には教育 の方向性 に対 して も大 きな力 を持 ってい る と言 えるであろうし、 また、科学が もた ら した知見が どれだ け性教育 に対 して フィー ドバ ックされて きてい るのか、 あるい はその知見が 我々「人 間の生」 に どの ような影響 を及 ぼ してい るのか について見 てい くことが必要 とな るで

(4)

あろう。

3.明

治及大正期 における性科学の一様相

日本 における性科学の端緒 は、他の学問分野同様、欧米の性科学書の翻訳 によって紹介 され た ことに始 まる。 日本性問題研究史編集委員会 (1982)に よれば、明治6年に杉田玄端の翻訳

「産科宝画」を筆頭 に、「造化機論」(千葉繁訳)、「造化秘事」(片山平三郎訳)、「通俗男女 自衛 論」(三宅虎太訳)、「婚姻新論」(木村宗三訳)、「婦女性理一代鑑」(堀誠太郎訳

)な

どが次々に 刊行 され、性が客観的・ 科学的に見つめられ る気運が生 じた とされている。なかで も「造化機 論」(千葉繁訳

)は

、当時の医学水準か ら見 る限 り最新最高な知識が もりこまれてお り、く精子〉、

卵子〉の説明か ら、く月経〉、く妊娠〉、く避妊〉の原理 にいたるまで解説 されていた。そこか ら 得 られた新知識 による影響 は、「徐々に予防医学的な色彩が強 くな り、次第 に道徳論的な意味づ

けを持つ ものが多 くなる」(日本性問題研究史編集委員会 :1982、 p.123)と いう翻訳書の傾向 か ら見て も、時代 と社会 に迎合す る方向にあ り、「性 その ものを客観的に観察する視点がぼや け て しま」(日本性問題研究史編集委員会、1982、 p.124)っ た と考 えられ る。

以後、明治か ら大正 にかけての「結婚 によらざる性関係 を悪 とする国家的価値観」か ら逃れ ることので きない性 に対する視点 に対 して、科学的視点 は、その実情 を調査することか ら始め られる。それは安田、山本 らによる「性行動の社会科学的統計調査」であるが、 この調査 も「国 家の唱導する性のあ り方 と現実の性 のギャップがあるということが知れわた り、く性 を道具 とす る脅迫や禁圧〉が成 り立たな くなる」(日本性問題研究史編集委員会、1983、 p.127)こ とか ら、

その調査結果の公表が差 し止め られ、調査 その ものが大正時代 に行われた ものの、その全体像 が明 らかにされたのは、昭和2年の「アルス文化講座」 においてであった と言 う。

このように、明治及大正期 は、当時の天皇制国家 を支えた家族制度の二本柱である、「純潔主 義」 と「家父長制」 に対 して、安田や山本 らの社会科学的調査 は、 まさに「生 きた人間の学 と

しての性科学」(日本性問題研究史編集委員会、

1983、

p.119)へ と視点が向けられていた と考 えられ る。 この意味 において、安田 らの調査 は、 まさに「科学の目」 とい うアングルか らの国 民の実態 を明 らかにした ものであ り、科学が持つパ ワーを、権力者 に誇示 した ものであった と 考 えられる。 また、 この調査の結果 は、それ までの自慰大害説 に対 して「《漠然性欲》か ら 《 交欲》《自慰》《性交経験》へ と展開 してゆ く人間の性の発達過程 を美事 に浮 き彫 りにして、そ れ までの俗流性科学がいかに現実 を無視 していたか ということを、余す ところな く暴露 した」

(日本性問題研究史編集委員会、1983、 p.108)こ とによって、今 日における性教育 において も、

自慰 を行 うこと自体が「異常」 として取 り扱われ ることがな くなった とい う意味で、 フィー ド バ ックされた情報の一つであると言 えよう。 しか しなが ら、今 日においても自慰行為 に関 して

は、旧態依然 とした「害悪」観念が残 っている。それは、単 に「異常」 として扱われるという よりも、「生殖」でない「快楽」を追求する行為であるとの認識か ら反論 され ように、性教育 そ の ものの持つ価値観か らの違いが大 きな要因 として上 げられ よう。

近代科学 は、一つの対象 を一つのアングルか ら分析せざるをえない という、弱点 をその出発 点か らして有 してお り、そのアングルが、ある特定の権力 に有不Uとなる「真理」 を導 き出 し、

あるいは、特定の「正義」 に対 して有効 な口実 を与 えるもののみであった とするな らば、それ は、ある「偏 り」として批判 されて も仕方がないであろう。すなわち、性科学 において も、「国 家的価値観 こそが全て」 という論理 を強固にし、そこへ と邁進 させ る原動力 として働 くとき、

(5)

そこには、対象のほんの一側面 しか描 きだ していない とい うことになろう。 このように考 える とき、安田 らの「科学的な目」が明 らかにした「真理」は、いわゆる「俗流性科学」に対 して は、その「偏 り」 を指摘するだけの力 は持ちえていた ものの、問題 を溶解 させ、多 くの人々の 判断を変化 させ るまでには至 らなかった ことを示 していると言 えよう。

4。

「授かる」 と「つ くる」 とい う用語か ら見えて くるもの

前述 した ように、科学的に明 らかにされた知見が、我々の価値観 に変革 を求める例 として、

他 にどのような ものがあるであろうか。

従来、科学 によって妊娠のための因果関係が明 らかでなかった時代 は、子 どもは「で きるも の」、あるいは神様か らの「授か りもの」と捉 えられていたわけであるが、近代科学がそのメカ ニズムを明 らかにすることによって、子 どもは「つ くるもの」へ と変化 してきた。中村 (1997、

pp.67¨76)は 、生殖技術 には以下の三種類があるとしている。すわなち、第一 に、避妊、人工妊 娠中絶 など、生 まないための技術であ り、第二 に、子 どもが生 めるようにする技術、いわゆる 不妊治療技術であ り、第二 に「生命の質」 を選別する技術である。第一 と第二の技術 は、いわ ば科学技術の発展以前か ら存在 した と考 えられ る「間引 き」に見 られるように、「家族計画意識」

が、 さらに人為的に、受精・ 誕生以前の段階で行 えるようになった技術であると言えるが、第 二の「生命の質」を選別する技術 に関 しては、 さまざまな問題 をはらんでいる(註 2)。 具体的 にここに分類 される技術 としては、受精卵や胎児の段階、つ まり誕生前にその個体が持 ってい るさまざまな性質 を調べ ることによって、障害のない子 ども、望みの性の子 どもを選択 しよう とする事 を人為的に可能 としうる技術である(註 3)。 まさに生殖 に関す る科学技術 の こうした 情報 は、「授か る」か ら「つ くる」へ と親の意識 を変化 させ、 しか もその情報 によって自らの意 思 を決定 していかなければならない状況 に追い込 まれていると言 えよう。

一方で「価値判断の自由」 というフリーハ ン ドによって もた らされた生殖技術 を、科学的に 管理・ 統制 しようとす る優生学的な考 え方は、今後 も人間に とって大 きな問題 を突 きつけて く る可能性 を秘 めている。先 にも述べた ように、近代科学が、ある特定の権力 に有利 となる「真 理」 を導 き出 し、あるいは、特定の「正義」 に対 して有効 な口実 を与 えるもののみであつた と するな らば、「価値判断の自由」というフリーハ ン ドを使用する「権力」を監視す るために、対 抗的な「知」 を必要 とす るであろうし、 また こうした問題 は、未だに我々が、非科学的で不当 な性観念 と生物学的な制約の真 っただ中にあることを一面的なが ら示唆す るもの と考 えられ る。

ここで問題 なのは、やは り「性の科学知識」が与 えられることによって「無知か らくる不幸」

を避 けることがで きる、 と考 えられていることであろう。 まさに「授かる」 ものであった子 ど もが、科学的にその生殖のメカニズムが解明 されることによって、「つ くる」 ものへ と変化 し、

計画的、意図的に出産す ることが可能 になったのである。そして この「科学的な事実解明」が、

また新たな問題 を我々 につきつけている。 この ことは我々が、過去 よりは「無知」でないが、

未来 よりは「無知」であるということを連続 させ る事実 として認識すべ きであろう。 というの も、現在の我々の性 に関す る行動だけでな く、あ らゆる事柄 において、現時点での科学の成果、

しか もそれはある一面的な現象 を捉 えた もので しかない とい う科学の持つ制約のなかで生 きて いるか らである。 とするならば、未来 における「無知」か らくる不幸 に対 して、何 ら対処する 方法 はないのであろうか。

(6)

5.補

(バランス)の必要性

近年、医療の現場で取 り上 げられるようになった用語 として「インフォーム ド・ コンセン ト (説明 と同意

)」

がある。 これは、人間が行 う同意 あるいは拒否 という「 自己決定」を最大限に 尊重 しようとする立場か ら導 き出された ものであるが、 この「自己決定」 を生かすためには、

当然の ことなが ら、その決定 をなしうるための情報の量 と質が前提 とされ ることになるであろ う。臨床試験 を例 とす るならば、臨床試験の目的 と方法、予想 される利益 と不利益、対象以外 の治療法の有無 とその内容、試験参加 を拒否 した場合 にも不利益 を受 けない こと等 についての 情報が提示 され、それに対 して被験者が自己決定 を下す ことになるわけであるが、 ここでは特 に、「予想 される利益 と不利益」についての説明が重要な意味 を持つ と考 える。 とい うの も、 こ れ まで述べてきた ように、科学 は人間が知覚 しうる視点か らのみ対象 を探究せざるをえない と い う限界 を持つ ことか ら、我々が「人間の生」 をまっとうするためには、不確実な未来が常に 突 きつけられて生 きていると考 えられ よう。 このような状況 において我々が取 りうる唯一の方 法 は、現在知 ることのできる情報 を拠点 として、そこか ら類推することによって、我々の未来 を予想 してい くことではないであろうか。それ故、その情報が我々「人間の生」 に対 して もた らす利益 と不利益 について も、 自分の生 を考 えるため、すなわち「自己決定」す るための情報 として得 ることが重要であると考 えられる。 この ことが未来 における「無知」か らくる不幸 に 対処するための一つの方法 になると思われ る。

このように考 えるとき、 もし、科学 によって解明され蓄積 された「事実」が、あるフィルター を通 して学校教育 における「性教育」でなされ るならば、その情報 は前述 した ように、人間存 在の一面であ り、 さらに言 うならば、その情報 を握 る「権力」 によって、恣意的な一面のみが 伝 えられる可能性 を持つ と思われ る。それ故、「生命尊重」を語 る精神的側面か らの展開だけで な く、現在我々が知 りうる限 りの科学的情報が、判断材料 として伝 えられる必要があるであろ う。そして この ことか ら「性の規範」 に関す る価値観が多様化 している現状 においては、近代 科学が もた らした知識 によって生 じる「人間の性」への影響 という正負の情報 をも伝 えてい く

ことが、いわば「補償」(バランス)の問題 として必要 となって くるであろう。

「生 きもの本来の姿 と、作 る思考の究極 にある完全製品指向 とは、相容れ」 (p.77)な い と中 村が述べ るように、「 生 きもの本来の姿」を近代科学 によって得 られた成果のみで語 り継 ぐ「性 教育」だけではな く、その成果が もた らすプラス面およびマイナス面の情報 を子 どもたちに与 えて行 くことによって、 さまざまな情報か ら「自己決定」す る判断力 を培 うことも、現代の学 校教育で実践 される「性教育」 において取 り組 まれるべ き課題であると思われる。

6.結  

本論 においては、 日本では、様々な歴史的背景か ら、性教育がなされてきたが、そこでは常 に性の科学的知識が与 えられれば、無知か らくる不幸 を避 けることがで きると考 えられてきた ことについて見てきた。 しか しなが ら、科学の限界 を考 えるならば、その無知 を避 けることが で きない こともまた事実である。なぜな らば、科学 は世界の一面のみを明 らかにす ることしか で きないか らである。

一方、今 日の科学技術 は、人間の性か ら人間の生 について考 えざるを得ない もの として、我々 の目の前 に出現 していることもまた事実である。 このようなことか ら、我々の行動 を自己決定 す るだけの情報が与 えられ る必要があ り、権力 を持つ人々だけが科学が明 らかにした情報 を持

(7)

つのでな く、多 くの人々に自ら判断 し、行動することので きる情報が与 えられる必要があると 思われる。その意味 において、性教育 において も、科学技術 の発展が我々にもた らす と考 えら れる有益な情報だけでな く、マイナスの情報 も教 えうるシステムが作 られる必要があると言 え

よう。

1)ア

メ リカにおけるヒ ト遺伝子の研究 は遺伝子診断を加速 させ、例 えば、母親の血液か らダ ウン症やせ きつい異常な どを予測 し、妊娠継続か中絶かを判断する材料 に使われはじめて いる。しか もその情報 をサービスすることによって、障害児が生 まれた後 にかかるはずだっ た社会保障費が44,966,903ド ル (約53億 円)節約 されるとい う試算 までなされている。(朝

日新聞夕刊1997年 9月11日)

2)こ

こでは、優性学 に関す る問題点のみを特 にとりあげたが、人工中絶や不妊治療 において も、ジェンダー論 の立場 か ら様々な問題点が指摘 され てい る。例 えば、く江原 由美子編

(1996):生殖技術 とジェンダー、 フェミニズムの主張

3、

勁草書房〉参照。

3)新

しい生殖技術 として品川 (1989:新 しい生殖技術 と社会、塚崎

 

智、加茂直樹編、生命 倫理の現在、世界思想社、pp.188‐189)は以下のようにまとめている。

l―

従来の方法では不妊 の人々が子 を得 られ るようにす るための技術

(a)人工受精(夫の精液 を用いるAIHと、夫以外の男性の精液 を用いるAIDとがある)

(b)体外受精 (IVF。 この技術 によって生 まれ るのがいわゆる試験管ベ ビーである)

(C)卵提供

(d)貸し腹

(e)代理母

胎児の「質」 を操作する技術

(a)男女産 み分 け

(b)胎児診察

体外受精 に付随 して生 じる技術・ 研究

(a)精0卵子ない し受精卵の冷凍保存

(b)受精卵 を使 った医学的研究 lDl 将来、展開され るか もしれない技術

ヒ トと異種 との人工受精、 ヒ トと受精卵の異種子宮への移植、クローニングな ど

引用 0参考文献

1)秋

山秀樹 (1994):日本のインフォーム ド・ コンセン ト、講談社

2)朝

山新一(1978):世界の性学 と性教育の動向、徳田良仁、小林司編、人間 と心の性科学 Ⅱ、

星和書店

3)デ

カル ト (三宅徳嘉、小池健男、所雄章訳)(1991):方法叙説

/省

察 。自水社.p.28

4)江

原由美子編 (1996):生殖技術 とジェンダー、 フェ ミニズムの主張

3、

勁草書房

5)村

上陽一郎 (1980):科学史の哲学、知の革命史1、 村上陽一郎 (編)、 朝倉書店

6)中

村桂子 (1997):科学技術時代の子 どもたち、岩波書店

7)日

本性問題研究史編集委員会(1982):西欧文明の流入 と伝統的共同体 の崩壊、現代性教育

(8)

研究、No.52

8)日

本性問題研究史編集委員会 (1983):輸入性科学か ら日本の性科学へ、現代性教育研究、

No.56

9)品川哲彦 (1989):新 しい生殖技術 と社会、塚崎

 

智、加茂直樹編、生命倫理の現在、世界 思想社

10)武

 

(1995):思春期の性行動 をめ ぐる諸見解 と教育論議、学校保健研究、

No.37、

ppe

91‐

96

11)ウ ィーナー

,T(1979):人

間機械論―人間の人間的な利用、第二版、みすず書房

12)山田慶児 (1970):パターン、認識、制作―中国科学の思想的風土―、広重

 

徹「科学史の すすめ」、学問のすすめ

18、

筑摩書房

参照

関連したドキュメント

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

「臨床推論」 という日本語の定義として確立し

 神経内科の臨床医として10年以上あちこちの病院を まわり,次もどこか関連病院に赴任することになるだろ

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない