日本語の学習に役立つ日本語の辞書とは何か
1. はじめに
日本語の辞書といえば,多かれ少なかれ,日本語に関する知識を教えてくれる。
しかし,そのいずれもが日本語学習者の多様なニーズに応えているのかというと,
必ずしもそうではないと思われる。そこで,本稿では,学習者の立場から,どの ような辞書
1),そしてどのような内容が日本語の学習に最も役立つのかについて 検討してみる。
なお,検討にあたって,以下のような項目を立てて論を進めていく。
〇 外国語の対応 〇 漢字の読み方の表示 〇 関連用法の記載 〇 辞書編集上の工夫
2. 外国語の対応
学習者のレベルは一様ではない。大学で一般教養科目として日本語を履修する 学習者や社会人学習者はもとより,日本語を専攻する学習者の間でも初級者と上 級者の差がある。このような状況を考えれば,学習者にも利用可能な辞書として は母国語の対応がおおよそ必要になる。中国で作られた日中辞書には,次の(1)
のように,基本的に中国語の対応がなされているが,英語訳添付のものはまだま れである。
(1)かんど①【感度】(名)①感度,
灵敏性,
灵敏度。☆~のよいラジオ/
灵 敏度高的收音机。(略)(『詳解日中辞典』p.305)
日本では,日中辞書や日英辞書など以外に対応の外国語(主に英語)を載せる 日本語の辞書はめったにみられない。『講談社カラー版 日本語大辞典(第二版)』
日本語の学習に役立つ日本語の辞書とは何か
王 崗
を収録しているが,それは例外に数えられる。実際,辞書に英語訳を載せるのは,
学習者の日本語理解を促すと同時に,その英語表現力の向上にも役立つ可能性が あると考えられる。例えば,次のようである。
(2)み
-つ・ける【見付ける】(下一他)①いつも見ている。見なれる。be familiar
用例ふだんー・けた景色。②見て探し出す。発見する。見いだす。
discover; find
用例犯人をー。仕事をー。糸口をー。
(『講談社 カラー版 日本語大辞典(第二版)』p.2097)
(3)ひにん【避妊】ヒニ
─ン
─〔~する〕妊
にんしん娠しないようにすること。
中避孕。
E
contraception ; birthcontrol. ☆ 避
ひ妊
にんは世
せ界
かいの人
じんこうもんだい口問題のためにもたい せつだ/為解決世界人口問題,避孕是很重要的手段。☆ 避
ひ妊
にん手
しゆじゅつ術 /避孕 手術。 (『易懂日漢辭典(日本語を学ぶ人の辞典)』p.1191-1192)
日本語の「見付ける」と「見付かる」は,対応の中国語がいずれも「发现」 (発 見する)または「找到」(見出す)であるため,その区別は中国語では説明しに くいところがある。この場合,(2)のように英語訳を説明に導入したり参考にし たりすれば,学習者には簡単にその使い分けを捉えられる(ついでに,当該辞書 によれば,「見付かる」の英語訳は,それぞれ「be found 」と「be able to find」
になる)。一方,(3)の「避妊」に当たる「contraception」や「birthcontrol」の ような英語は,知らない学習者(特に中国語話者)が少なくはないだろう。この ように,辞書で日本語を検索するついでに,英語も少しマスターでき,場合によ って日本語理解の参考にもなることは,言わば一石二鳥の学習効果を生み出し,
多くの学習者に喜ばれるだろう。
また,日本語話者向けの日中辞書には,次の(4)のように,中国語の読み方 を示すピンインを載せることが多い。
(4)いそ・ぐ【急ぐ】gan(赶). ‖~げ jiakuai!(加快!)/ jiajin!(加紧!)
/ kuai!(快!).(略) (『岩波日中辞典』p.65)
このような表記内容は,日本語話者に必要なものであるが,中国語話者による
日本語の学習には基本的に関係ないものといえる。しかし,「辘轳(lulu)」(ろ
くろ),「邋遢(lata)」(不潔),「趿(ta)拉板儿」(木製の履物)のように,なじ
めない一部の難読語にピンインをつけることが,パソコンに漬かっていて中国語
の読み書き能力が低下しつつある中国の若者たちにも受けるもので,辞書に併記
したほうが望ましい試みになるだろう。
日本語の学習に役立つ日本語の辞書とは何か
3. 漢字の読み方の表示
たとえハイレベルの日本語力をもつ学習者でも,読めない漢字がたくさんある。
よって,辞書に出ている漢字の読み方を示すのは,学習者に極めて親切なところ である。
しかし,現在の多くの辞書には,特別に難しいと思われる難読語のみに読み仮 名がつけられているが,そのほかにはつけられていない。次にあるのは,全然つ けていない辞書例である。
(5)さいしゅ【採取】サイシュ 必要なものを拾い取ること。例めずらしい植 物を採取する。 (『例解学習国語辞典 第六版/ワイド版』p.358)
(6)せい
-でんき【静電気】{ 名 } セイデンキ│帯電体に静止している電気。
摩擦電気,雷雲の荷電など。 (『小学館 日本語新辞典』p.922)
(5)にある「拾い取る」や「植物」,(6)にある「帯電体」や「荷電」などの 漢字(漢語)にその読み方が示されていない。ということは,学習者の語彙量や 漢字知識を広めることに支障を来たすし,気になる語を新たに辞書をめくって調 べなければならないという面倒さを増すことになる。実際,おっくうで途中で調 べるのを諦める学習者も少なくはない。そういう問題点に気づきながら,一部の 辞書では,次のような調整を試みるようになっている。
(7)いそ・ぐ【急ぐ】イソ
「グ〔自他動五〕(いそいで
4 4)①早
はやく終
おわらせようと する。
中趕緊(完成);加快。Ehurry;speed up. ☆ 急
いそいで仕
し事
ごとをする/
趕緊完成工作。☆ 辞じ
書
しょの完
かんせい成を急
いそぐ/趕快完成字典。②早
はやくいきつくよう に,歩
あるいたり走
はしったりする。
中趕到;快。Ehurry(somewhere) ; rush. ☆ 連
れんらく絡がありますから急
いそいで来
きてください/有事相告,请快来。
名急
いそぎ
=
注①は他
た動
どう詞
し,②は自
じ動
どう詞
し。
(『易懂日漢辭典(日本語を学ぶ人の辞典)』p.67)
(7)からまず気づくのは,語釈や用例に出ている全漢字に振り仮名がつけられ ていることである。こういう表記上の配慮は,日本語の漢字があまり読めない学 習者には,非常にありがたいものであるし,彼らの日本語の読み能力の向上にも 結びつくものといえる。海外において,(7)のような辞書に人気が出るのはその ためであると思われる。
ただ,少し問題になるのは,すべての辞書に全漢字の読み仮名をつける必要が
あるかどうかというところである。中級レベル以下の学習者向けの辞書なら,あ
らゆる漢字に読み方を示すことがむしろいいことであるが,上級や超級レベルの
ただし,後者の場合では,例えば「繕う」のように上級レベルの学習者にも読め ないだろうと想定される漢字, 「縁日」のように「えんじつ」と読むかそれとも「え んにち」と読むかなど紛らわしい漢字(漢語)に読み方を示すのは,上級レベル の学習者による日本語の語彙の習得にもいいことである。よって,これからの学 習辞書の編集は,対象の学習者を念頭に行うことが好ましい。こうすれば,辞書 の貴重なスペースを効率的にしかも無駄なく活用できることになる。
4. 関連用法の記載
辞書の基本的機能は,言葉の意味と用法を調べることだと考えられるが,現在 の多くの辞書は,意味の説明に重きを置いて,用法などに関する情報の提供が不 十分である。中には,用例のみを通して利用者に内省の形で用法を捉えさせるも のもあれば,断片的に用法の記述を取り扱うものもある。下の辞書例をそれぞれ 参照されたい。
(8)いそし・む【▷勤しむ】(五自)精出してする。心をこめて,はげむ。
work diligently
用例勉学にー。
(『講談社 カラー版 日本語大辞典(第二版)』p.121)
(9)それでソレデ ❶だから。そういうわけで。そのために。例外国に行って,
それで日本のよさを知った。❷あいての話をうながすことば。例なるほど,
それでどうしたの。 (『例解学習国語辞典 第六版/ワイド版』p.358)
(8)には,「勤しむ」という見出し語に関して,五段自動詞と「~に勤しむ」
という文法的情報が提示されているが,日常的表現であるかどうかについての記 述はない。(9)においては, 「それで」について, 「あいての話をうながすことば」
という説明がかなり参考になる部分であるが,同じく日常語である「だから」と の使い分けには触れていない。
(8)と(9)に対して,次の辞書には,比較的多くの情報が提示されている。
(10)のぼ・る【上る・登る・昇る】(自五)ラ(ロ)・リ(ツ)・ル・ル・レ・
レ①低い所から移動して高い所へ行く。「山にー」「坂道をー」「壇をー」↔
下る・降りる②地位があがる。昇進する。(略)⑧(「血がのぼる」の形で)
のぼせる。また,逆上する。
可能のぼ・れる(下一)⇒「使い分け」⇒あ
がる
ちがい日本語の学習に役立つ日本語の辞書とは何か
使い分け
「上る・登る・昇る」
「上る」は,下のものが上へ向かう意で,「川を上る」「坂を上る」(略)など と広く一般的に使われる。
「登る」は,傾斜しているところや,階段などをだんだんにあがっていく意で,
「山に登る」(略)などと使われる。
「昇る」は,日・月・雲などが天にのぼるように勢いよく上へあがる意で,「月 が昇る」(略)などと使われる。
(『旺文社国語辞典(第十版)』p.1122-1123)
(11)ども【共】
〘接尾〙①《人を表す名詞に付いて》複数を表す。「野郎―・子分―」
表現見下した気持ちを伴う。②《一人称の人代名詞などに付いて》
へりくだった気持ちを表す。「私―にお任せください」「手前―と致しまして は…」 (『明鏡国語辞典 携帯版』p.1192)
(10)には,見出し語の品詞,活用形,対義語,可能表現そして類語の分析な ど文法や表現に関する情報が載っている。(11)には,見出し語の品詞,意味区分,
用法上の注意事項に関する情報が含まれる。このような情報は,単語検索の折に 当語をめぐる用法や表現を学習者に同時に吟味させるところで役立つものにな る。
5. 辞書編集上の工夫
5.1 囲み記事・コラムの差し込み
学習者の日本語知識を深める意味で,次のように辞書には適当な囲み記事など を添付することが望ましい。
表 1 『易懂日漢辭典』の囲み記事
「そして」と「それから」(「そして」與「それから」)
A 「午後から雨が降りだした。そして,夕方には雪になった」
B 「ハンバーガーを2つ食べた。それから,コーヒーを飲んだ」
Aの「そして」,Bの「それから」とも,前にいったことに続いて後でい うことが起こることを表すが,「それから」は時間的な順番を表す気持ちが
「そして」より強い。
表1のように「そして」と「それから」の違いを簡潔にまとめ,そのページを めくった学習者に気軽に読ませ,関心の高い両形式の差を味わうことが可能であ る。このような囲み記事やコラムは,学習者の日本語習得に役立つものだといえ る。
しかし,コラムだとはいえ,必ずしもそのすべてが学習者に必要なわけではな い。次の辞書例はそのケースにあたる。
表 2 『明鏡国語辞典 携帯版』のコラム
▪「夜」のイメージと表現
①暗くて物が見えない。(宵よいやみ
闇が迫る・夜のとばりが降りる・暗い夜道を行く・
闇夜の烏
からす)②休息と睡眠のとき。(夜も遅いからもう寝よう・夜中に電話し てくるとは何事だ)(略) (p.1706)
表2のコラムでは,「宵
よいやみ闇が迫る」や「闇夜の烏
からす」などを取り上げているが,
これは日本文学専攻の学習者にはいくらか有用な知識かもしれないが,それ以外 の者には,知っていても使うチャンスはほぼゼロであるし,特に必要な内容では ないだろう。
5.2 参考知識などの記載
「参考」と書いていなくても,一般辞書には参考知識らしいものが多少とも記 載してある。次の表 3 は,その代表例である。
便利な場所」のように単に並べていくばあいに使われるのに対して,「それ から」は,「田中さんは,英語とドイツ語とフランス語とそれからロシア語 も話せる」のように「それだけでなく」という気持ちで使われる。
(漢字読み略,p.754)
日本語の学習に役立つ日本語の辞書とは何か
表 3 『易懂日漢辭典』の参考知識
こな【粉】(略)
参
名
めい詞
しの前
まえにつくときは「粉
こなミルク」「粉
こなゆき雪」など「粉
こな」を使
つかうが,名
めい詞
しの 後
あとにつくときは「小
こ麦
むぎ粉
こ」 「うどん粉
こ」のように「粉
こ」を使
つかう。 (p.504)
表 3 の記述は,初級・中級レベルの学習者はもちろん,一部の上級レベルの学 習者にもかなり有益な知識を提供するものといえる。ただ,一部の参考知識や補 充説明などは,学習者による日本語の学習にそれほど大きな助けにはならないと 思われる。次の辞書例である。
表 4 『学研国語大辞典(第二版)』の参考知識
いせ【
×伊
△勢】(略)―まいり【-参り】
まゐる伊勢神宮への参拝。伊勢参宮。
参
江戸時代にさかんに行われ,豊作祈願の目的を持つものから,物見遊山的 なものまであった。 (p.91)
知識は知識ではあるが,歴史にこだわりすぎるもので,大半の学習者にとって 縁遠いものではないだろうかと思われる。したがって,表4のような参考知識は,
基本的に学習者には必要ではないといえる。
6 結び
電子辞書の普及につれ,学習者の間で印刷版の辞書を好まない傾向が強まる一 方だと教育の現場で観察している。しかし,日本語の学習に役立つものとして,
印刷版の辞書は,電子辞書にはないメリットをもっている。それは,読み心地の
よさに加え,言葉検索のついでにめくった辞書のその前後のページから,多種多
様な日本語知識や日本文化の学習を味わえることである。ただ,そのような機能
を果たすためには,従来の一般辞書のような内容編成ではすでに対応できなくな
りつつある。かわりに日本語学習者のための学習辞書を新しい形で作成しなけれ
ばならない。本稿は,そういう趣旨で,日本語学習者に役立つ辞書とは何である
かについて検討してみたが,十分に議論しきれないところがまだ多い。それにつ
いて,今後の研究では,さらに詳しく考察し,その成果をよりよい辞書の作成に
活用したいと思う。
1)本稿で取り扱う日本語の辞書は,汎用的ものを指し,「類義語辞典」や「慣用句辞典」
のようなものは検討の範囲外とする。なお,各辞書を引用する際に,パソコンの操 作機能の制限でその字体や書式などを一部調整することがある。
引用資料
『岩波日中辞典』仓石武四郎ほか,中国商务印书馆・日本岩波书店,1986
『易懂日漢辭典(日本語を学ぶ人の辞典)』遠藤織枝編輯主幹,于乃明等譯,新潮社,臺灣 大新書局,2007
『旺文社国語辞典(第十版)』松村明ほか,旺文社,2005
『学研国語大辞典(第二版)』金田一春彦ほか,学習研究社,1988
『講談社カラー版 日本語大辞典(第二版)』梅棹忠夫ほか,講談社,1995
『詳解日中辞典』北京外国語学校編,光生館,1983
『小学館 日本語新辞典』松井栄一,小学館,2005
『明鏡国語辞典 携帯版』北原保雄,大修館書店,2003
『例解学習国語辞典 第六版/ワイド版』金田一京助,小学館,1990
(WANG・Gang, 中国・深圳大学副教授)