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企業の社会的責任−対消費者責任に関連して−

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(1)

企業の社会的責任

−対消費者責任に関連して−

桜井克彦

1 序

2  社会的責任の根源と理論 3  利害調整責任とその類型 4  消費者に対する企業責任 5  対消費者責任と商品選択責任

1  序

現代の企業がその存在を社会から容認されるためには,それはなによりも その社会的責任の履行を不可欠とするのであり,このことは改めて指摘する までもないであろう。むろん,企業ないし経営者の社会的責任なる問題は,

ある意味では,時代と社会体制とに係わりなくすべての企業に対して存在し てきているといいうる。しかしながら,かかる問題が企業の経営政策的課題 としてとりわけ重要性を有しているのほ,現代資本主義経済社会における巨 大株式会社に対してである。このことは,つぎのようなイールズらの説明の

うちに明らかである。

イールズとウォルトンは社会的圭任とは,富者の義務(nobless oblige)

なる伝統的な概念の現代版であるとみる。「……会社に対して今日,富と権 力に関して常に期待されてきたような社会的意識を要請しているものは,富

(1)

者の義務への信仰の永続的な存続であるかもしれない。」「従って,社会的 責任の概念は,政治と商業との巨大な諸制度というその今日的文脈において

(2)

のみ,目新しいに過ぎない。」

(3)

そして,イールズらは「会社責任の意味」をつぎのようにいう。・「ひとび

(2)

経 営 と 経 済

とが会社の社会的責任に閃して語るとき,かれらは,会社企業が社会という 場にその影を投げかけるときに生じているところの諸問題の見地から,なら びに会社と社会との問の関係を司どるべき倫理的諸原則の見地から,考えつ つある口かれらは,個人に対する会社のイムパクトに,ならびに,支配の現 代的形態と文化とに深く根ざしている諸価値に巨大な企業,労働組合,およ

(4) 

び政府を従わさせる可能性に,関心を抱いているo

本稿では,はじめに,現代の大企業が直面するかかる社会的責任について その概念をめぐり幾ばくかの考察を試みようO ついで,そのような責任の主 要領域のーっとしての対消賀者責任に関して検討・怒理を行なう乙とにした '10

(1)Richard Eells  and  Clarence  Walton, Conceptual  Foundations of  Business, 1961, pp. 455456

(2)  Ibid., p. 456. 

(3) 同椋のことがイールズ自身によっても述べられている (R. Eells, The  Meaning of Modern Business, 1960, p. 71)

(4)  R. Eells & C.  Walton, op.  cit., pp.457""''458. 

社会的責任の根源、と理論

さて,企業ないし経営者の社会的責任というものが具体的にはなにを志味 するかは論者によってさまざまではあるが,しかしながら,かかる責任が現 代の巨大企業を中心に存在するに到っていることは多くの論者も等しく認め るととろであるo 本節では,社会的責任の根源,および,かかる責任を貫く 法則ないし理論を中心に考察を進めることにしたい。

と乙ろで,企業の社会的立任としてここで把握せられる責任とは,むろ ん,非規範的にして必然的な種類の責任であって,はじめに社会的責任をめ ぐる方法論について簡単に述べることにするO 社会的責任の問題は換言すれ ば企業倫理の問題であるが,かかる問題への考察がしばしば哲学的・倫理的 角度からなされるD このこと自体は,後述の如く必ずしも誤りではないが,し

(3)

かしながら,社会科学としての経営学において確立さるべき企業倫理ないし 経営倫理は,いうまでもなく,哲学としての倫理学の観点から論ぜられると ころの企業倫理とは必ずしも同ーのものたりえない。前者は,企業をめぐっ て存在する客観的法則に立脚すると乙ろの客観的・必然的な倫理である。

科学には,純粋論理や数学の如き諸分野に関連する形式科学ないし概念科 学と,経験的検証に依存する事実科学とが存在しており,後者は自然科学お よび社会科学を含む。そして,経営学は,事実科学l乙属するところの応用科 学であるO 事実科学は理論科学の形をのみならず,実践科学の形をとりうる のであって,このことは経営学にも妥当するO つまり,経営学はその命題を 理論的な形でのみならず,いわば規範的な形で,すなわち当為の形で民開し うるのである。むろん,その場合,倫理的な叙述形態における命題展開は,

かかる命題が事実的な意味においてその真偽を断定しうるときにのみ,科学

(1) 

的たりうるのである。

経営学が事実科学たる以上,それが展開する理論は事実による検討に耐え ねばならず,またかかる理論がそれ自体としてイ合理的に適切であるかどうは 科学の範囲外にあるのである。経営学の基本的性格をかくの如く解すると き,事実科学としての経営学において正当に論じうるところの企業倫理ない し経営倫理がなにを怠味するかも,自ら明らかとなるであろうD かかる倫理 は,倫理学で論ぜられるような哲学的論理としての倫理と一致するかもしれ ず,一致しないかもしれないのであって,それは,企業をめぐる客観的・必 然的な法則ないし論理の実践論的展開としての倫理である。日利教授も,乙の 点をつぎのように述べておられるo

r

実践科学としての理論的経営学におい て措定せられる規範は,超越的な主問的規範ではなくて,まさに内在的な容 観的規範であり,こうした怠味において,超越倫理的ではなくて,内在伶理

(2)  的な理論的規範をなすのであるo

しかしながら,経営学における終常倫理ないし企業倫理の本質的性格をか くの如く解することは,かかる倫理の把握に対する哲学的ないし純粋に倫理 学的な接近の有意義性を排除するものではない。イーノレズは,経営倫理の探 究に際して,科学的な方法(かれはこの場合,金主生態学的接近が有用であ

(4)

(3) 

るとみる)と並んで哲学的な方法もとらるべきことを強調するが,その多様 な利害関係者との聞に錯綜した関係を有する大企業をめぐるところの経営倫 理の探究は甚だ困難であり,ここに,哲学的な角度からの接近の意義も無視 しえないであろう。企業の実践原則としての経営倫理をば経営の論理の実践 論理的展開のうちにのみならず,倫理学的考察のうちに求めることは,それ が経営倫理に関する発見的方法を意味する限り,適切であるといいうるので あるO

それはともかくとして,上述の如き理論的・非規範的性格の責任がここで は問題とされねばならない。そして,かかる種類の責任に現代の企業が直面 していることは明らかであり,つぎに責任の理論的根源を尋ねようo

イーノレズらは会社責任の理論的根拠として,相互関連性と利害調整,専門 経営者の展開,経営環境 (climate of  business)の改善,および,会社規

(4)  模と権力問題という四つのものを挙げるo

まず,相互関連性と利害調整に関しては,企業に対してさまざまなクツレー プが依存するに到っており,企業は多岐化した責任を受け入れる傾向にある ことが指摘されるO

「もしわれわれが,富と権力に伴う責任が存在するということを認めるな らば,富と権力を保有するひとびとに対する責任の論理は,確立が容易であ O 会社は富と権力の中心であり,従ってそれは,それに最も依存するひと びとに対する責任を有している。それらはその株主,従業員,および顧客で あるO しかるにその従業員,顧客,および株主はまた,コミュニティであ

(5)  D 従って,それは経済的責任のみならず社会的なそれをもつのであるo

「大企業の義務は既に甚だ変化しており,それ故それらは以前の自由企業経 済における個人企業のそれとは殆んど類似性をもたない。徐々に企業は,全

(6)  てを包括するような制度の特質と責任とを引き受けてきているo

ところで,イーノレズらにあっては,責任のかかる多岐化は,経営者の専門 化および,それを可能ならしめた大規模組織化に密接に関辿するとされ,こ こから,責任の理論的根拠の第二に専門経営者の展開が挙げられるO 乙の根 拠については,かれらは,社会が経営者の専門化を要求しており,それに呼

(5)

応して経営者は専門化し責任を実践する傾向にあることを指摘する。

「……経営者の専門化へと向う勤きは,……社会が企業に貢献するものの 幾ばくかを,企業は価値的観念の面で報いるべきであるという,社会の要求 から生じていると論じえよう。グッド・ウィルの手段もしくは会社の利潤地 位と関係がないような会社義務が存在すると,多くのものが主張しているo

(7)  経営者ばしばしば,この信条をともにしているo

経営環境の改善については,経営環境の変化が社会的責任への配慮を事業 家に要請していることが挙げられるo

30年代以降,企業は防御側に立たされてきた。それはその顧客に対 してのみならず,その従業員に,株主に,および一般社会の福祉に対しでも 同様に公正かつ正当な配慮を示すことを要求されてきた。この外部的圧力 と,企業者的機能から経営者機能へ向う内部的変化との結果として,現代の事 業 家 の 態 度 は 公 共 な ぞ 呪 わ れ て し ま え " と い う 旧 い ス ロ ー ガ ン か ら 大 き

(8) 

く隔っているoI……利潤は,健全な実践とグッド・ウィノレとに従う傾向

(9) 

にあるのであるo

第四の,企業規模と権力問題に関しては,地域社会や従業員をはじめとし てさまざまなものが企業の存続と繁栄に依存しており,ここから責任が企業 に生じるに到っていることが,再度強調されるのであるo

以上が,責任の根涼をめぐるイーJレズらの所説である。かれは,責任出現 の理由として,企業に対する社会の依存性,経営者の専門化,社会の圧力の 増大,および企業権力の増大を挙げるのである。むろん,他の理由も存在し うるであろう。例えば,デヴィスらは社会による責任強調の理由として,社 会における相互依存性,富と文化の増大,企業の影響に対する社会的認識の増 大,政府権力の増加,社会全般の倫理水準の向上,および所有と支配の分離

( 1) 0 を挙げている。」

イーjレズの指摘する諸要因とデヴィスらのそれらとの聞にはかなりに共通 性が存在するとともに,かれらが挙げる要因のいずれもが責任の根源を形成 するのである。責任についてのさまざまな根源は相互に結び、ついており,そ の明確な分離は困難ではあるが,結局,責任の主要な根源としては,企業権

(6)

力の増大,経営者の専門化,企業の大規校化と長期化を指摘しうるo とりわ (11) 

け権力の増大のうちに根本的な根源を見出しうるのである。むろん,他の根 源も存在することは明らかであるO

ところで,かくの如き諸要因によって羽する社会的責任を眺めるとき,

それを貫く法則の存在を認めうるのであり,かかる法則の存在のうちに社会 的責任の理論を認めうるのであるO 責任についてのそのような理論の展開は

( 12) 

既にデヴィスらや高田教授によって詳しくなされてはいるが,前記のイール ズらもデヴィスらに類似する理論展開を行なっており,最後に,この点につ いてのかれらの所説を眺めようD

イーJレズらは,所有権の問題と題する箇所において,社会的責任をめぐる

根本法則ないし理論について以下の如く述べている。

まず,かれらは,企業による社会的責任の受け入れは株主の所有権を担う という伝統的な見解がみられる一方,現代の企業にあっては財産の支配と所 有とが分離しており,財産の支配の集中ひいては権力の集中が経営者に生じ ていることを指摘するD 日立近の論議は経営者による所有権の支配をば,国 家権力に匹敵している,もしくは匹敵しうるような経済権力の集中として眺

( 14) 

めるoi結果として生じていることは,所有権と財産への支配との聞の分 離,および,その結果としての,所有者のために財産を処理するべく雇われ

( 1 たひとびとの手中への財産の権力の集中である。」

( 16) 

そして,かれらは,ハノレブレヒトらが展開するつぎのような5程の命題を 提示する。

.権力は財産の支配に伴う。

n.社会にとって価値ある機能をば遂行するように財産を運用しうるひと びとに,財産の支配はもたらされる。

m.財産の支配がより分散をしている場合,その運用に対する制限はより

︑ .

'L V 

IV.財産の支配が集中し大きな権力が生じている場合,代償的反作用が生 じ財産保持はサービスの遂行によって条件づけられるo

(7)

v.権力の制限と権力の集中とは同じ原因から生ずる。

かくして,かれらは,これらの命題により経営者は責任を探せられている こと,そして,繁栄と権力には義務が伴うという!日い概念が現代にも生きて いることを指摘するのである。 r 社会に価値ある機能をば財産の王lUfJによ って遂行しうるひとびとに,財産の支配はもたらされる"ということが事実 であるならば,なぜその利吉の本質的に経済的な性格にも拘らず会社経営者 が,その経営決定と会社用役権配分との両者に際して社会の福祉を考慮する ようにという社会の要求を受け入れているかを問解することは,容易である。

これらの見地から眺めると,会社の如き経済組杭における,社会的責任の理 論は,反トラストの諸力への一種の反駁として全くでっち上げられていると

( 1

主張することは,公正さに欠けるようにみえるor・・…・ 財・産保持はサー ピスの遂行により条件づけられる"ということに基いて,経営者は明らかに 社会に対して責任がある。責任の筋道によってわれわれは,ビジネスはビ ジネスであるという概念から,繁栄と権力は資産の単なる注意深い管理より

( 1 も広い義務を伴うという旧い概念へと戻ったのであるo

以上のようなイーノレズらの所説は,権力に対しては責任が伴うのであり,

その際に権力の大きさと責任の大きさには相関性が存在するのであるという 乙とを示しているO そして,権力と責任のかかる相関性の存在のうちに,社 会的責任をめぐる根本的な法則を見出しうるのであるD 企業はその権力に相 応する社会的責任を不可避的に受け入れねばならないのであるO 現代の大企 業は,その内外をめぐるさまざまなグループの期待に応えて責任を果さねば ならないが,かかる責任の履行に際しては企業権力と責任との聞の均衡の実 現が絶えず意図される必要があるといえようC

(1)科学および経営学のかかる性格に関しては,拙稿「現代企業と存続目標J,  経営と経済, 123号を参照のこと。

(2)  涜利重降「経営学の基礎(改訂版),昭和44 87

(3)  R.  Eells, Government of Corporations, 1962 (なお,イーjレズの所説 については,拙稿「経営倫理についての基礎的考察J,経営と経済 122号を参 照の乙と)。

(8)

(4)  R. Eells C. Walton, op. cit. ,PP.458"'462.  なおイーノレズ自身は,社 会的責任出現の理由について,オーガニゼーション・マンの発生,経営者の専 門化,企業権力,および経営環境の変化を挙げる(R.Eells, The Meaning  of Modern Business, p. 72  f )

(5)  R.  Eells & C.  Walton, op.  cit., p. 458.  (6)  Ibid., pp. 458"'459. 

(7)  Ibid., p.460.  (8)  Ibid., p.460.  (9)  Ibid., p.460.  (

10)  Keith Davis and Robert  L.  Blomstrom, Business, Society  and  En vironmen t, 1971.  なお,かれらの所説については,拙稿「企業権力と社 会的責任JJ 経営と経済J 128号を参照のこと。

(11)  企業権力に関してはJ 111¥杭,前掲論文,および拙杭「現代企業と支配力J

経済科学J 172号を参照のこと。

(2)  高回答「経営の目的と立任JJ 昭和45

(13)  R. Eells C. Wa1ton.  op.  cit. pp.472"'474.  (

14)  Ibid.  p.472.  (15)  Ibid.  p.473.  (

16)  Paul  Herbrecht  and Adolf A. Berle, Toward  the Paraproprietal  Society, 1959"'60. 

(1引R.Eells& C.  Wa1ton, op.cit., p.473.  (

1 Ibid.pp.473"'474. 

利害調整責任とその類型

序において眺めたようにイーノレズらは,社会的責任なる概念に関して,企 業責任の倫理的側面を,および企業の対外的ならびに対内的なイムパクトに

(1) 

起因する責任を強調していたが,社会的責任はなにに関する概念であり,ま たどのように定義されるのかということに答えうるためには,イールズら以 外 の さ ま ざ ま な 論 者 の 所 説 に 対 し て も 慎 重 に 検 討 を 試 み る こ と を 必 要 と す oそれはともかく,現代企業の名で呼びうるところの現代の巨大株式会社

(9)

をめぐる社会的責任が具体的には利害調整責任として理解されうる乙とにつ いては,論者の聞に見解の一致がかなりにみられるとみて差し支えない。こ の点について,ウォノレトンは,社会的責任論者の主張点として5つのものを

(2)  挙げるo

すなわち,その第一は,社会の利益の自動的な産出が利己なる歴史的概念 によって自動的にもたらされうることの否定,つまり,人為的調和の必要の 強調であるO

その二は,米国のシステムがレッセ・フェアの資本主義に依存することが より少く,それは,多元主義と立憲制なる一対の概念により多く依存してい ることであるO つまり,多元的組織の存在とその意義の強調である。

第三は,公益は政府のみによって,もしくは民間団体のみによって達成さ れえないこと,つまり,政府と企業との聞の協力の必要の強調であるo

第四は,経営者は競合する利益をば必然的に調整せねばならないというこ とである。

第五は,かかる利害調整に際して会社は非合理的な要求は正当に拒絶せね ばならないことであるo

そして,ウォノレトンは,社会的責任の概念のポイントが,企業と社会の結 びつきへの経営者による認識の必要性にあるとみる

r

要するに,社会的責 任なる新しい概念は,会社と社会の聞の関係の緊密性を認識しており,会社 および関連諸グループがそれぞれの目標を追求するに際して,そのような関

(3)  係が最高経営者によって留意されねばならぬことを認めているo

このようなウォルトンの見解が物語るように,社会的責任の具体的概念は 利害調整責任に関連するo現代企業はその内外をめぐるさまざまなグループ の利害の錯綜の場であり,企業主体としての経営者は乙れらの競合する利害 の調整に努めねばならないD かかる利害調整が企業自身の観点から企業の本 質的劫向に即してなされる必要があることはいうまでもないが,しかしなが ら,そのような利害調整の具体的な内容は論者によって多様であるO すなわ ち,利害調整責任の内容は,企業の本質的動向についての論者の見解の多義 性に照応して,多様であるo

(10)

10  経 営 と 経 済

社会的責任には幾つかの類型を考えうることになるが,かかる諸類型につ いての整理がウォルトンによってなされており,本節においては,かれによ る整理を眺めることで現代企業の社会的責任の具体的な概念の理解への一助 とし7こい。

ウォノレトンは,モデノレを用いる乙とによって会社の社会的責任のさまざま (4) 

な形態を分類せんとするo かれは, (a)全般的経営政策を形成じているとこ ろの臭った,要素もしくは副次的政策(財務,労務,市場,および社会のそ れ), (b)内部的および外部的という区分の見地からみた一連の要求者,

(c)各副次的政策の第一次的な目的もしくは目標, (d)政策の適用によって最 も利益を得そうな要求者, (e)それぞれの要求者がその要求を主張する仕方‑

l

ζ付随しているとζろの,強制もしくは自由の程度る,(51お図よ1I)f)関 係 の 範 i毒,を勘定l乙入れるモデソレの構築が有用であるとみ ,乙れらの関 係が知覚される方法を示しているo

蹴 の タ イ プ

I 2 │

第 一 次 的 目 標 │ 日 的 受 益 者 │ 期 待 白 水 準 lモデJ 1 11  利潤実現

a' 

1.  株主

11.伝統的 務│対資源運用

'

jj 2.  従業員 12.家 族

1: 3.  販売高 3.  顧 客 3.販売者

1 存続 4. b 投資 5.  健康と福祉 5.ブリック 15.市民 1  1 教育と芸術 文?的 ュニティ bI6 芸術 図l乙示されるように,ウォノレトンは社会的責任を6程のモデノレによって分 類するO す な わ ち , 社 会 的 責 任 は , 伝 統 的 (Austere),家族(Household),  販売者(Vendor),投資(Investment),市民(Civic),および、芸術(Artistic) なる6程のモデルによって説明されることになるo責任についてのこれらの

(11)

モデソレの具体的な内容は,以下のようであるO

社会的責任についての伝統的モデルとは,伝統的企業観に照応する社会的 (7) 

責任概念を意味しており,以下のような内容をもっ。

この伝統的モデノレは企業をその所有者に等しいとみるとともに,伝統的な 企業・経済観に立脚するo まず,モデソレを支えるものは,企業は所有者が資 本なる資源を提供するときに成立するという命題であり,資本資源提供グル ープのみが企業であるo また,このモデルは,所有者による危険負担,競争 的な製品市場,資源の代替可能性,および所有者の動機づけ要因としての利

己,という諸要素に基いて叙述されるのであるO

伝統的モデノレにあっては,企業の機能は利潤追求であるという概念,なら びに独立独行なる伝統的理念が強調され,いわゆる社会的責任は否定され o r株主の利益の力強い追求が,会社経営者の社会的に責任がある機能と

(8) 

なる。」もっとも,このモデルは現代の企業が直面するさまざまな責任に関 してその意義は認めるのであり,その限りでそれは単なる現状讃美もしくは 私企業弁護を意味しない。

r

多くの創造的な 活動が伝統的モデノレの下で会社 自身によってなされねばならない。しかしながらそれは,その経済的な機能

(9)  と自由社会におけるその経済的な役割とに直接に関連する活動である。」

( 10) 

つぎに,社会的責任の家族モデルとは,従業員に対する責任を強調するもの であるo

r

家族モデノレは,人間資源が企業の最も貴重な資産であるという事 実をその第一命題として受け入れるのであり,されば,従業員の人格を低い ものとするような,もしくは侵先度についての会社のリストでかれに低い順 位を割当てるようなことがらは,不健全であるとして拒絶されねばならな い。従って,従業員(経営者とフツレー・カラー労働者)は,株主が行使する

(11)  それにはたとえ侵らないとしても,それに等しい要求を有するのである。」

乙のモデルにおいては,むろん企業は従業員に対して,法的義務を超える 責任をも負う

r

家族モデノレが包含している,社会的責任の 義務的一任意 的"諸局面には主要な段階がみられることが,最初に強調されるべきであ o……このモデノレの提唱者らは労働者の権利が,実在の法によって完全に はカバーしえないし,もしくは,法令によっては十分には描きえないと主張

(12)

12  ( 12)  する。」

利潤に焦点を置く財務政策が伝統的モデノレでは強調されるのに対し,家族 モデノレでは労務政策が重視されるのである。「家族モデノレに含まれる微妙な点 は,会社の財務政策と労務政策とを比較することで恐らく,最もよく理解さ れうるo……もしより多くのひとびとへの,良好な賃金下での安定的な労働 を表わすために社会的諸価値の一局面がとり上げられるならば,家族モデル

(13)  は明らかに社会的価値をば経済的価値の上位に置くのである。」

つぎに,販売者モデノレとは消費者に対する責任を強調するものであり,そ

ω 

れは販売政策を強調するo I社会的責任の家族モテソレが財務政策(利潤都大 化)よりも労務政策(雇用の機会,所得,および権利)に優先性を与えると すれば,販売者モデノレは消費者をば……画像に押し込む。財務政策と労務政 策の両者は夫々,対内的に株主および労働者に留意する。市場政策は対外的

( 1 に消費者の権利,利益および、晴好lこ留意するo

このモデノレでは,法による強制という要素が第一次的に含まれはするが,

しかしながら,消費者利益の促進のために経営者が選択を行ないうるような 領域も存在するのであるo

投資モデノレとは,社会的責任をば企業の長期利潤と存続のための投資とみ るものといえ,自由企業体制の維持を指向しての企業寄付に焦点を置くもの

であるO それは,つぎのような内容をもっ。

まず,このモデルは,消費者の場合よりも企業との聞の法的結び、つきが更 に希薄であるような外部的要求者との関係に白を向けるのであり,かかる領 域での責任を強調するのであって,社会的責任の概念はかなりに拡大され D コミュニティに対する企業寄付責任に焦点が置かれるのであり,コミュ ニティへのかかる係わり合いが問題とされるのであるO

このモデlレはその理論的基盤を,イーjレズの主張するつぎのような論理に 置くo イー/レズは,社会的責任の投資理論の弁護の第一段階として立憲制の 概念を導入する。かれは論ずる。立憲、制とは基本的には,民間の分野での,

任意的な団体の多様な存在に依存すると乙ろの統治理念であるD 会社のダイ ナミズムは,立憲、的秩序が維持され強化されんとするならば会社はその使命

(13)

を拡大すべきことを要求しているD すべての会社は,それ自身の利益,情 況,および責任に照らして自身の寄付政策を策定すべきである,とD

つまり,投資モデノレは,長期利潤と存続という概念の重視の不可避性を強 調するのであるo r……それが,開明的利己なる伝統的論理を含むととも に,他方,現実主義的に原則をば二つの展開:(1)会社企業者による個人的競 争者の置き換え,および(2)短期的進歩によりも長期的利潤と存続とへのより 以上の関心の必要性を結果として伴う,会社生命の時間的次元の延長一ーに

( 18) 

適応させんとしているという事実は,残る。 Jそして,かくの如き投資モデ ルは,裁判所においても支持を得るようになっているのであるO

(19) 

社会的責任の市民モデノレについていうならば,そこにあっては会社市民と しての責任が強調されるのであるD

市民モデノレは会社市民なる概念と結びついているのであって,参政権と財 産との聞の密接な歴史的結合を認識するO それは,実物財産に対する所有権 と流動財産に対する所有権とを区別する。今日の会社の投資家は流動財産の 所有者であり,全ての実物財産lこ付随する社会的責任に関心を示す乙となく

自己の利得のみを求める。乙乙から,会社は,産業システムと政治システム に責任を有するとされるのであるD

このモデノレにおける,市民たることとは,公式に課せられる義務の履行に のみ限られない。市民モデノレは,民主々義の政治システムに対する明白な企 業責任を直視するのであって,失業の減少や景気変動の阻止,等l乙積極的に 係わり合うことを要請する。なお,かかるモデノレは,それが責任をさほど自 己の利益の観点からとり上け。ない点で前記の投資モデノレと相違する。

r

もし 関心がより少く企業システム一般に,そしてより多く特定会社にのみ置かれ るような点にまで幅が十分に狭められるならば,われわれは投資モデルに引 き戻されるということが,付加的lこ述べられねばならない。会社市民たるこ との基本的前提は,企業はとりわけ重要な特権を統合的システムの中で保持

しているという概念に依るoJなお,責任の市民モデノレの受け入れへと向う 傾向は,比較的最近の乙とであるが,しかしながらそれは,速い辿皮で進み つつあるようにみえるのである口

(14)

14  経 営 と 経 済

最後に,芸術モデノレについていえば,それは,物質的社会を超える高次の 社会の,つまり文化社会の実現への寄与の責任を強調するものであり,文化

・芸術の事業への寄付の責任を重視するものであるといいうるO その内容は (

21)  概ね,つぎのようである。

芸術モデルと呼ばれる新しいアプローチの見地からのみ説明しうる一程の 社会的責任が,経営者のステーツメントと行為のうちにも漠然とではあるが 知られるO このモデノレは,事業家は社会の狭いビジネス的領域にのみその能 力を限定するべきでないとみるD 創造的芸術に対するパプリックの関心と参 加が増大してきており,企業も文化事業への寄付に関心を増してきているの であって,芸術モデルの主張者は,物質的次元よりも高い生活秘式への現代 社会のかかる展開傾向を認識するのであるo 1"より高度な文明と文化のため の奉仕者として会社権力がその全ての次元で用いられるととをば,より成熟 したアメリカ社会が要求するところの,発展の論理的高みに立ち会うように,

われわれは召喚されているのか。芸術モデ、jレの提唱者は,然りというのであ (22) 

oJもっとも,会社権力の増大はコミュニティ全体に対する付加的責任を もたらすというひとびとと,社会の諸部分の間の分離乙そ自由の最も確実な 保護物であるとみるひとびとの間で,論争がもたらされてきているのであ

O

以上が,社会的責任の諸類型およびそれぞれの内容をめぐるウオノレトンの 所説のあらましであるO ウォノレトンが順次展開する六程の責任モデルは,企 業が伝統的な小規模企業から現代企業へと発展するにつれ,企業が社会の中 で新たに直面するところの要求を,それぞれ強調するといえようO これらの モデルでは,モデノレが最初の伝統的なそれから最後の芸術のそれ^'.と進むに 従い,企業が第一次的に責任を負うクボループは企業内部のグノレーフ。から企業 外部のそれへと変化するO そして,かかる変化に対応して,責任における倫 理的側面が増大するO また,伝統的モデノレから販売者モデルへと推移するに つれ,私的概念の拡大ないし変化,つまり公共概念の私的概念化への変化が みられるのであり,同様のことを,投資モデ、ルから芸術モデノレへの推移につ いても述べうるのである。

(15)

さて,問題は現代企業がとらざるをえない利害調整概念はなにかである。

上述のウォノレトンの諸モデルは,いずれも責任の一面を強調するものであ り,この意味では,利害調整についてのとらるべきパターンをモデルのいず れかのうちに求める乙とは必ずしも適切ではない。むしろ,諸パターンの要 素を全て盛り込むような責任類型が,現代企業の社会的責任の具体的な概念

として有用である。

乙の点について更にいうならば,例えばイーノレズは社会的責任の概念をば ひとまず資本提供者のための利潤追求なる概念と区別し,両概念の対比のう

()

ちに社会的責任の方向を見出さんとするO すなわち,かれは社会的責任を,

利益目的に従属するそれ,利益目的に優先するそれ,および,利益目的と相 互に促進的なそれとして類別し,そして社会的責任とは本質的に最後の類型 に属しており,また属すべきことを強調するO イーjレズの見解は,社会的責 任と利潤追求を区別して考える点に問題はあるものの,現代企業の進路をば 企業内外をめぐる諸グループの利益の促進として把える点に意義を有すると いえようO 要するに,イーノレズも示唆するように,現代企業は株主の利益は むろんの乙と,企業外部のより大きなグノレーフ。の利益ないし期待をも充足さ せねばならない。現代企業は真の意味での利害調整の場として存在せねばな らないのであって,それは私企業であるにしても,そ乙における私の概念は 拡大するのであるO 換言すると,企業の公的側面はますます私的{WJ面化する のであるo そして,ウオノレトンにおける責任類型の展開が物語るように,企業 において配忠せられるべき公共的側面はますますその量的拡大と質的多絞化 を示すに到っているといえようD

現代企業における社会的責任の具体的な概念をめぐっては,以上のように 考えることができると思われる。むろん,ウォノレトンの芸術モデルに関して みられる批判のうちに知られる如く,社会的責任に関してはなんらかの限界 が存在せねばならないことはいうまでもない。

本節では,社会的責任の具体的な概念としての利害調整責任について若干 の検討を試みてきた。現代企業は,さまざまなグループの利益を等しく促進 する形で利害調整を行わねばならず,その乙とのうちに企業権力と企業責任

(16)

経 営 と 経 済

との均衡を実現せしめねばならなし1。この場合,企業がその利益を促進すべ きグループには幾つかのものを挙げうるが,その一つに消賀者なるクツレー プが存在するoかかるグループに対する責任の重要性は,ウォノレトンにおけ る販売者モデソレの存在のうちにも明らかであるO 以下の節では,消費者に対 する責任について考察を試みることにする。

註(1) なお,かれらが責任の法的側面も社会的責任に含めているととは,イーJレズ 自身の所説のうちに明らかである (R. Eells, The Meaning  of  Modern  Business, p. 360)

(2)  C.  Walton, Corporate Social Responsibilities, 1968, p.18.  (3)  lbid., p.18. 

(4)  Ibid., chap.5.  (5)  Ibid., p.125.  (6)  Ibid., .126. 

(7)  Ibid., PP.127'"''129.なお,ウオノレトンはこのモデルの捉明者としてレビツ (TheodoreLevitt, "The Dangers of Social Responsbility, "Harvard  Business Review, Vol. 36, 0.5)を挙げる。

(8)  C.  Walton, op.  cit., p.128.  (9)  Ibid., p.129. 

(10)  Ibid., pp.129'"''132.  なお,乙のモデ、jレに適合する論者としては,フォー (HenryFord)やナン (HenryNunn)が挙げられる。

(11)  C.  Walton, op.  cit., p.130.  (12)  Ibid, pp.130'"''131. 

(

13)  Ibid., pp.131'"''132.  (

14)  Ibid., pp.132'"''134.  {

1S)  Ibid., p.132.  (

16)  Ibid., pp.134'"''136.  ウォノレトンはこのモデルの提唱者としてイーノレズ (R. Eells, Corporation Giving in  a Free Society, 1956)を挙げる。

(1~ Ibid..  (

18)  C.  Walton, op.  cit., p.135. 

(19)  Ibid., PP.136'"''139.こ の モ デ ル の 提 唱 者 と し て は ス ロ ー ン (Alfred

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