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学習者の課題構成についての理論的検討馬場道夫*

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茨城大学教育学部紀要(教育科学)42号(1993)197−207       197

学習者の課題構成についての理論的検討

馬場道夫*

(1992年10月7日受理)

ATheoretica1 Analysis of Construction of Learning Tasks in the Learner

Michio BABA

(Received October 7,1992)

は じ め に

学習課題構成というのは、例えば生徒が問題を与えられたときに、生徒がそれを理解し、取入れ、

やる気になって、やり始めるときの生徒の内的状態を意味しようとしている。人間の生活では、学 習でなくても仕事や課題を与えられて、それを遂行しなければならないときがある。児童や生徒は 毎日先生から課題や作業を与えられたり、指示されたりして、勉強している。ときによると、自分 から課題を設定して、それをやり始めることもあるであろう。その課題には一定の目標があって、

そのために行われるということであろうが、その課題が強制されたものであったり、必要に迫られ て行うということもあろう。しかし、それが自分自身の課題であるとして受け入れ、それを遂行す ることに意味を感じて、積極的に課題をこなしてゆくということがより望ましいであろう。それは 心理学的にどういうことなのであろうか。生徒に与えられた色々の課題が、強制でなく、各自の問 題や、仕事として受け入れ、積極的な興味をもって行われるということはどういうことなのである か検討し、教材提供法のひとつの参考としたい。

1 学習課題とは

教師が生徒に与える学習課題は、色々のものがあるであろう。1時間の授業の指導目標は多くの 課題を生徒に与えることになるし、プリントによる練習問題、算数などの文章題、理科の実験、社 会の調べ学習、美術の絵やその他の作品の作成、音楽の演奏・作曲、体育のさまざまな運動種目の 練習等数え切れないほどのものがある。宿題は教師が与える典型的学習課題であろうが、生徒が自 ら興味や学習上の困難を感じて、自分から学習や練習をしようとするものも課題に入れて良いであ ろう。自己学習力とか自己教育力といったときは、まさにその自己自身による学習課題の設定を意

本論文は平成3年度科学研究費補助金(一般研究B)を受けた研究の一部を公表するものである.記して感謝の 意を表したい.

*茨城大学教育学部情報教育講座(〒310茨城県水戸市文京2丁目1−1).

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味している。一般の授業においても、教師の与えた学習課題を生徒がすぐに自分のものとして、や り始めてくれれば、こんなに有難いことはないのである。

課題とは広辞苑によると「題を課すること。また、課された題。」とあり、現行の用法とは違うよ うである。発達心理学では、発達課題のような用語があり、これはdevelopmental taskから訳され ている。学習心理学ではたとえば、Gagne and Briggs(1979)はtask analysisという用語を学習目 標の分析として述べており、この用語は課題分析と訳されている。このtaskという英語をOxford

English Dictionaryで引いてみると、 A fixed payment to a king,lord,or fuedal supervisor. A piece of work imposed,exacted, or under−taken as a duty or the like. Any piece of work that has to done:something that has to do(usually involving labour or difficulty)等とあり、仕事、しなくては ならないなにかという強制感をまのがれない用語であるようである。

Winne and Marx(1989)は授業における課題分析についてCOPEモデルを述べている。 Cは CONDITION(条件)であり、課題の内容、場面設定、提示法を含んでいる。0はOPERATION(操 作)であり、刺激、モニター、構成、リハーサル、変換を含んでおり、生徒が答えを出そうと色々 考えたりやったりすることを意味する。PはPRODUCT(産出)で、操作の結果生じたもの、授業で は生徒の答えなどを意味する。EはEVALUATION(評価)であり、答えを出した生徒がそれが正 しいかどうかを確認するような行為である。彼らは、このほか授業における、認知的過程と動機的 過程の関連性について前提的検討を加えている。

ここではとりあえず、学習課題を学習すべき一まとまりの行為または情報としておく。この課題 が、教師や他の人が与えるべきものとして生徒の外に留まっているうちは、教材という言い方がで きるであろうが、これが生徒に提示されて、生徒に取り入れられ、学習が始められたとすると、そ れは生徒の中に何が起こっているのであろうか。そこでは少なくとも二つのことが起こっているよ うに思われる。ひとつは、課題を理解し、どんなものであるかわかり、他は課題をやろうとする意 欲が生じなければならない。理解と意欲の問題であり、心理学的には課題の認知と動機の問題であ

る。

学習課題をどのようなものとして捉えるかについては、学習心理学の内容がすべて関係している であろう。ただ、先に述べた英語のtaskの意味にみられるように、ある困難さが伴うものとして見 ると、比較的単純で容易なものからより複雑で困難なものまでの容易一困難という次元を考える ことができるようである。非常に単純で容易なものはほとんど課題にならない。多くの小学校の5 年生にとっては、一桁の足し算はほとんど問題ではない。ただその問題が100題も出されたら、彼ら も結構面倒な課題であると考えるかも知れない。そのときの彼らは、なぜこんな簡単な問題をやら されるのかと文句をいうかもしれない。そのとき彼らはその課題を受け入れまいとしているのであ り、学習動機が低下していると見ることができる。逆にやや困難な課題であっても報酬が多かった り、やるうちに興味がましてくれば、それを進んで課題として受け入れ、遂行するであろう。例え ば、結構厚い本を与えられて、来週までに読んで来いといわれて、読み始めたら面白くなって終わ

りまで読んでしまったというような場合である。

課題が単純でやり方がわかっていて、すぐにできるという場合は、とにかくやってしまおうとい うことになりそうである。それでもあまりに量が多いと、課題になってくる。このようなときには、

練習問題とか作業とか言って、あまり問題と言わないだろう。ここで課題を課題として受け入れる

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馬場:学習者の課題構成の理論       199

ためには、やる必要性とか作業した結果の報酬を期待してのことになるだろう。結果の報酬を期待 してのことであれば、心理学でいわれてきている外的動機づけを意味する。必要性を理解したので あれば、作業の結果とその自分に対する価値を関係づけたのである。これは認知的動機づけを意味 し、内発的動機と関係するだろう。概して作業が単純である場合には、その作業そのものに興味を もたせて、遂行をさせることはできないが、いずれにしても動機づけをどう高めるかが課題を遂行 させる重要な要因になりそうである。

これに対して課題が複雑な場合には、それを遂行する場合にもその課題内容をまず理解しなけれ ばならず、課題を遂行するという動機よりも、認知が問題になる。課題が理解できなければ、遂行 できないので、動機づけは問題でなくなってしまう。実行する方法が明らかでなければ、いかに動 機づけが高くても、成績は上がらないのは当然のことであろう。だだ課題が方法を発見したり、工 夫したりするということであれば、それはまさに学習課題であって、学習心理学の枠内では、問題 解決と言われているものである。この場合はまずは問題を理解してから、それを解決することに興 味をもたなければならない。人間特に児童・生徒が、問題を解決することに興味をもつのは何故で

あるのか。ここに学習意欲の理論的解明に隠された課題があるように思われる。

結局人間の場合には、簡単な課題と複雑な課題では動機づけの質が異なるようである。簡単な場 合にはいわゆる外的動機づけが必要のようであるが、複雑な場合には内発的動機づけが問題で、課 題内容そのものに学習者の興味が生じて、そのことが課題の困難性を克服させて、課題を遂行させ る動機となることが考えられる。そのような形の遂行は、課題内容の理解と習得を進めると共に動 機づけを生じさせることになるので、教育的には最も好ましい学習形態であると思われる。そこで は生徒に興味を持たせながら、学習が進められると考えられる。言い替えると、学習者の中に課題 を構成するということは、生徒の中に課題についての適切な理解とそれを遂行する意欲を構成する という両方の意味を持たなければならないということである。

H 学習課題の遂行の過程

学習課題の複雑さや困難性が異なると、認知と動機づけが学習者の中で異なって来るだろうと推 定されたが、その複雑性と課題の量が0から無限大まで変化するものと考えることができる。この

ような課題の遂行は、すべて同じように課題を遂行する前の初期状態から課題が終了したとする目 標状態へ変化する過程とみることができる。このような見方は認知心理学が問題解決を分析すると

きに一般にとられている見方であり(Mayer,1983;Reynolds&Flag9,1983)、この変化を起こすも のを操作因子(Operator)といっている。問題解決の場合は、このi操作因子が明らかでない場合で あり、一般の表現では、目標にいたる手段や方法が明らかでないことを意味する。この操作因子が 課題の遂行の前に明らかであるかないかによって問題解決であるかそうでない課題であるかの違い

になる。

ここで問題の複雑性が0であったり課題の量が0であったりすれば、初期状態と目標状態は等価 であり、操作因子は必要がないのは明らかである。つまり問題を解決する必要がないのであるから それは問題でもなく、課題でもない。5年生に一桁の足し算をさせるような簡単な課題を考えると、

その操作因子は足し算であり、加算表を知っていてそれを適用するというようなことである。この

場合は操作因子は与えられており、課題量は最小の1というように表現できるであろう。小学校の

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5年生に直角三角形の2辺の長さを与えて、斜辺の長さを求めさせるとすると、図に描いて物差し で測るというような、操作因子を見つけなくてはならない。このときの課題は問題解決と言うこと ができるだろう。同じ問題を中学の3年生に与えたら、ピタゴラスの定理を知っていてすぐに解い たとすると、これは課題であっても問題解決とは言えないかもしれない。

複雑な問題は、この操作因子の数や組み合せが多くなったものと考えることができる。ただし操 作因子の数が増えたとしても、それが同じものの繰り返しで学習者にとって既知のものであれば、

問題解決とは言えず、作業課題か練習問題と言われるだろう。先の5年生の足し算100題はせいぜ い練習問題と言われるものである。これに対して操作因子がひとつであっても、それが学習者に とって既知のものでなけれぼ、多くの場合その課題は困難な問題になると思われる。例えば円周率 を知らない4年生に円の直径から円周の長さを求めさせたとすると、多くの4年生には困難な問題 になるだろう。ここでは操作因子は直径(初期状態)に円周率を掛けることである。

算数を例にして課題と問題解決の違いについて考えてきたが、他の教科の単元においてもほぼ同 じことがいえるであろう。国語ではある文章が理解できたり、ある題で作文をしたりすることも課 題であろうし、体育のある運動パタンができるようになること、歴史では日本の開国の事情がわか

ることなどいろいろの学習課題が毎日無数の児童・生徒によって行われている。但し、これらの課 題は、あくまで学習課題であって、単なる課題とは違って、その課題を消化すれば良いというので はない.一般の課題は、ある作業成果が残ることが重要であるが、それは生産物であったり、賃金 であったり、ときには名誉であったりするが、その作業をした本人の進歩とか成長とか、個人の能 力、性質に何かある価値を加えることはある意味で2次的なものであろう。学習課題を消化したと いう保証として、それを本人が学習したことによってその本人にとって価値ある何かが残されねば ならない。初期状態から目標状態へ変化をもたらすのは学習者の操作によるが、その変化の結果は 学習者自身に価値ある何かを残さなければならないという点は指摘しておかなくてはならないだろ

う。

この点の指摘は認知心理学の立場からはなかったように思われる。このような個人の価値上の変 化として学習課題の遂行を捉えるときに認知心理学で無視されてきていた動機づけの問題を取り上 げることができる。学習者が学習課題を初期状態から目標状態への変化と認知したときに、学習者 の中に課題構成がなされたということができるであろうが、それが学習者自身にとって何か価値あ るものをもたらすのでなければ、学習者がやる気を起こす必然性はない。ある認知や行為が、感情 や要求と全く切り離されて生ずるのは人間にとってむしろまれなケースではないだろうか。もちろ んこの価値判断は、児童・生徒にとって直感的なもので、成人が商取引するときのように、利益を 冷静に計算してのことではないだろう。ある刺激を受け止めるときに、直感的に面白そうだとか、

あきたとか感ずるにちがいないし、それにもかかわらず先生が言うからやろうといわば自動的に操 作を始めるかもしれない。

いずれにしても、生徒は初期状態と目標状態を認知し、それに伴い生徒自身が操作を加えて、目

標状態への変化を起こそうとしなければならない。その状態を我々は学習意欲と言ってきたのであ

ろう。生徒の操作の結果、初期状態が目標状態へ変化したことが確認できたとき、生徒は何がしか

の安心感と満足感を生ずるだろう。コンピュータと違って我々は学習課題の遂行にともない、単に

認知的変化だけでなく、感情的要求的変化を感ずる。これ無しに我々は課題を遂行できないだろう。

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馬場:学習者の課題構戒の理論       201

この感情的要求的変化は学習者にとって重要と考えられるものであるが、学習成績のように重視さ れなかったし、また測定も困難であったためか、十分に研究もされてこなかった。この研究は学習 意欲の問題を具体的に検討するためにぜひ必要である。

学習課題が困難であって、簡単な操作では目標状態に移行できないときに、当然学習意欲は低下 するだろう。またあまりに簡単な操作であって、操作そのものに興味が持てず、目標状態に達する 価値があまり認められないときに学習意欲は低く、遂行は持続せず、目標達成は遅れるか、成績も 低いものになるだろう。問題解決のように操作方法を発見するばかりでなく、発見学習のように目 標状態までが未知か曖昧であると、学習当初は学習課題の認知は生徒にとって曖昧であるが、新し いものを見つけようという好奇心に訴えられて、少なくとも一部の生徒の学習意欲を高める結果に なりそうである。しかし発見することに興味のない児童やその能力のない生徒、発見した結果につ いても関心のないものであったりすれば、この方法も意味がない。

ことさらにいろいろな心理学理論に言及するまでもなく、学習課題は、適度に難しく、適度にや さしいものでなければならないが、この種の学習課題の遂行にはさまざまな動機づけの種類が働い て、この遂行を支えていると思われる。しかも個人差があり、同じ個人であっても問題により状況 により、異なった動機づけが作用しているに違いない。Keller and Suzuki(1988)は、色々の動機 づけ理論を総合し、教授学習過程に当てはめ、学習意欲についてのARCSモデルを開発した。

彼らによると生徒の動機づけには4つの要素があるという。第1はAttention(注意)であり、好 奇心と注意の持続と維持である。第2はRelevance(適合)であり、生徒の重要な要求に学習指導を マッチさせることである。第3はConfidence(確信)であり、生徒が学習を通じて、成功の確信を 持ち、よい期待を持つようにすることである。第4はSatisfaction(満足)であり、学習結果につい ての強化つまり賞であるが、学習成果についての内発的満足をもふくむ。注意のA、適合のR、確信 のC、満足のSをとって、ARCSモデルとしたものである。

ARCSモデルはもともと動機づけ理論であるから、さきに示した学習課題についての認知的解釈 とは起源において別のものであるが、認知過程とある対応関係を示していることは興味がある。注 意は学習者が課題の初期状態と目標状態のずれに気づき、興味を示すことであり、適合はそのずれ に気づいた生徒がそのずれに変化を加えるべく操作する際の動機が、生徒の要求にマッチしている かであり、確信は、その操作が成功するかどうかの見通しであり、満足は操作の結果目標状態に なったかどうか、それが生徒の満足をもたらすかどうかである。この対応関係は認知的処理がそれ だけのものではなく、感情的欲求的随伴現象を伴うものであることを示唆しており、学習課題の遂 行が認知的処理過程であると同時に動機づけの変動過程であることを示唆している。

皿 学習課題の認知と動機の条件

学習課題が以上のようなものであるとして、学習課題を正確に認知し、そこから課題と言われる

ようなある種の強制感や束縛感を取り除いて、真に自発的な行為の素材として学習課題を学習者に

提供するためにはどの様にしたら良いかが問題である。このためには、学習課題の認知とそれを課

題として遂行しようとする動機の生ずるメカニズムについて明らかにしなければならない。残念な

がら、学習課題の性質はあまりに多様であり、概括は困難であろう。各教科の認知心理学が必要で

ある。そこで問題を絞って算数・数学における文章題を学習課題のひとつの典型例として簡単に検

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討してみよう。

現在、算数の文章題についても認知心理学の立場からいろいろ研究されているが、比較的最近の ものとしては、わが国では、鈴木宏昭のまとめがある(鈴木ほか1989)。当然ながら問題の文章を理 解すること、問題の表現が立式の順序などと矛盾しないことなどが問題になる。問題を理解し正し い解法を着想するためには、その教科・単元についての適切な認知構造・知識がなければならない だろう・たとえば・Schoenfeld(1985)は、大学の数学の専門家と学生とでは、数学についての知識 構造に違いがあり、専門家はより深い知識構造を持っていることを示した。Romberge and Carpenter(1986)は概括して、理解と能力はより多くの事実を知ることよりもより良い構造から生 ずるだろうとしている。このような課題解決者の持つ特性が課題の認知を変えるであろうことは容 易に想像できるところである。

この他、学習者の持つ学習課題解決に関係すると思われる特性は非常に多い。知的発達水準、認 知スタイルなどの個人的処理特性、直接間接に課題に関係する知識などがある。動機づけに関係し て言えぼ、種々の動機づけの理論や実験結果がほとんど無数関係するだろう。達成動機や有能への 要求、自己効能感、統制の位置など多くの理論の研究がある。しかしここでの検討では、課題の性 質を中心にしているので、それらの個人差変数の検討は省略せざるを得ない。課題の特性に関係す る場合に限って取り上げることにする。

課題の表現法が課題遂行予定者の年齢や知的水準に応じたものでなければならないのは当然であ るが、問題解決の場合は、解決のためのルール・定理・法則などがどれだけ着想でき難いかにか かっているようである。幾何の問題では、補助線を引くことによって解決の着想になるが、この補 助線を見つけ難くするのは、図形などの視覚的条件にかかっているように思われる。しかし最も重 要と思われるのは、課題の認知的構造である。この構造は、さきに述べたGagneのタスク・アナリ

シスによって同定されるであろう。

台形の面積を求める問題を考えてみよう。台形の面積の公式を知っていれば、この問題は最も簡 単である.初期状態と目標状態のずれは最も少ないと考えられる。しかし三角形の面積の出し方し か知っていなければ、その生徒にとって初期状態と目標状態のずれは、処理段階数から言って、大 きいものと考えられる。さらに長方形の面積の計算法まで、かけ算ができるだけ、足し算ができる だけ等色々の段階が考えられる。足し算しかできなければ、その学習者にとって学習課題は困難な ものになるだろう.このように課題内容がある程度複雑になると、同じ課題であっても、学習者に とって、初期状態と目標状態とのずれはいろいろ違って来るものと考えられる。

同じ構造上の問題でも、解決法の数、操作法の種類の多少も課題変数のひとつと考えれる。複雑 な問題であれば、解決法がいくつもある場合があるであろう。上記の台形の面積には多くの解法が あった。また解決者が多くの知識を持っていなければ、この解決法の数の多いことは問題の易しさ につながらないであろう。しかしクラス全体としては、解法の多い問題は生徒が全体としていろい うな解決法を持っていると考えると,容易な問題であるとすることができる。これらの構造上の変 数については、十分な調査や実験が行われているとは思われない。

課題特性の他の側面は課題内容の抽象度の様なものがあるだろう。算数・数学の内容は日常生活

などに関係づけても操作そのものは抽象的なものである。これに対して、社会や国語は内容的に複

雑であるとしても内容そのものは比較的具体性の高いものであろう。この他に動作性を中心とした

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馬場:学習者の課題構成の理論       203

体育、音楽、美術のような教材もある。これら教材の性質については、学習のタイプによる検討が 必要である。

具体的教材について言うと、学習者の経験、特に日常経験との関係が実際の教育では問題にされ ている。与えられた教材が、以前に学習したものとどのくらい関係があるか、ということは元より 非常に重要なことではあるが、具体的教材を選定するときには生徒の日常生活との関係が多少とも 考慮されることであろう。生徒の日常生活は教材と関係した色々の経験をさせるので、それに関係 した教材には、興味と関心を持つが、また間違った考えを定着させてしまっているかもしれない。

以上の指摘は、概略であって、まだ多くのものが言及されずに残されているであろうが、これら の学習課題の諸特性を総合した効果が生徒の中に学習課題を構成させ、理解したものとして課題に 取り組ませるようになるのである。おそらく課題構成の基本は、それまでに生徒に定着した経験や 学習成果と適切に関連した形でなされるべきだということであろう。この適切に関連したというの が明確になれば良いわけで、これがここでの検討で真の問題であることは明らかである。

教材の認知を中心とした検討についで、動機づけの面からの検討が必要であるが、学習課題は理 解されるだけでなく、やる気を起こすものでなければならないことは今まで強調されてきている。

教材がやる気を起こすためには、中程度の困難のものがよいことは既に指摘されている。ウラッド コースキー(1991)は、新しい学習活動や題材に生徒の関心を向けさせるような方法や教材につい て次のように述べている。

① 基本的なアトラクション・テクニックを使う。

絵、ポスター、スライド、テープ、映画などの視聴覚的方法を使う。

生徒に依頼する。疑問を抱かせる。

② 次に教える考えや経験・情報などの期待やオーガナイザーを作る。

先行オーガナイザーを使用する。

新しい題材は何と関係があるか知らせる。

新しい題材が実際にどの様に役に立つかについて関連づける。

③ 新しい題材や学習活動を、現代の生徒の興味・関心に関連づける。

例えば、映画、テレビ、スポーツの選手や試合、歌手、新聞記事、地域の文化行事などと 関連づける。

等であるが、実際のわが国の教育でも、いずれもしばしば使われている技法であるし、これまでの 課題構成の検討からして、納得のいくものが多い。ただ③にはやや興味本意のものが含まれている ようにも思われる。素材の興味が教材の記憶や理解・学習を改善するかにはやや疑問もあるようで ある。最近の秋田(1991)の研究では物語の面白さは、要点再生、人物の気持ち理解、人物理解に ほとんど関係がなかった。しかし。課題設定に注意を引くために授業の当初にアトラクション・テ クニックを用いることはプラスは多くてもマイナスは少ないように思われる。

生徒の中に学習課題を構成するときの重要な動機づけは上記のように教材の性質による所が大き

いようであるが、学習課題の提供法も関係している。例えぼ、学習課題の決定または選択を生徒に

任すことまたは課題そのものを生徒に発見させることである。生徒による決定・選択については筆

者らが一連の研究を行い、生徒による決定や選択は、学習意欲を高める傾向のあることが確認され

た(馬場、1987)。但し、学習課題の自己決定・選択が学習意欲を高めるとしても、それは何故であ

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るかはかならずしも明らかでない。恐らく、自己の関心のある領域、方法、丁度良いか易しい問題 を選択するということも原因であろう。それは、生徒それぞれの関心や学習態度によって左右され ると思われる。それぞれ適切な課題が選択・決定されるかが問題である。オープン・エデュケー ションの様な場合は児童・生徒による学習課題ぼかりでなくコースの選択もされているようである。

この問題を追求すると、学習行為の自己責任性の問題まで関係してくるだろう。つまり、学習は 基本的に自己の主体的に行う行為であって他人の指示にいちいち従っていたのでは、基本的にやる 気がしなくなってしまうだろう。この問題は重大であるのだが、個人特性の問題になってしまうの で、問題があることを指摘するにとどめる。

】V 学習課題の構成と自己展開

結局どうすれぼ課題構成がうまくいくのだろうかという問題が残る。学習者に正確に課題を提供 し、かつそれをやる気にさせるためにはどうしたら良いのであろうか。 学習者の中に学習課題を 設定するのは、色々の条件はあるものの比較的簡単なように見える。要は目標状態をその特定の学 習者にわかるように示せば良いのである。「214はいくつ?」「次の文章を読みなさい。」これまでこ の論文を読んできた読者であれば、恐らくこれらの課題は理解できるはずである。しかしやる気に なるかどうかはまだ保証の限りではない。また、学校で先生が生徒に何がしかのこの手の課題を出 せぼ、多くの生徒はそれをやるはっきりした理由無しに課題を遂行し始めるに違いない。このとき その動機がどうであれ、課題は生徒の中に構成されたのである。この程度で良ければ、あまり多く の議論をこの点についてする必要はないように思われる。

しかしこれまでの議論を踏まえて、多少なりとも検討してみると、この種の課題の提出法では、

目標状態は提示されていない。目標状態は答えだからである。示されているのは初期状態で、要求 されているのは操作であることがわかる。ところがこの課題をやってみようという気になったとき に、授業の文脈から2の14乗は乗数計算の練習で、後の問題は文章の意味をとる練習と考えたとす ると、彼にとっての内的目標状態は乗数計算の上達や読解の上達ということになっている。この課 題に何がしかの価値を認めて、課題消化行為が始まったということになる。ところがある人は好奇 心からこの課題を行うかもしれない。r2の14乗はいくつだろうかとにかく計算してみよう。電卓 もあることだし,これは何か面白そうな文章だ。読んでみよう。」この場合は、目標状態は何か面白 そうな結果、未知な情報、つまり情報が獲られるという状態であり、いま情報がないというのが初 期状態になる。

客観的には同じ課題でも、人によってまた課題が提示された条件によって、課題遂行者にとって は異なった課題構成がなされていることが考えられるし、ある一つの課題をある個人がその個人の 中に構成するときに、2種の課題構成が行われているように思われる。つまりそれらは、認知的課 題構成と動機的課題構成であり、課題遂行者の中ではいわば、認知的課題構成から動機的課題構成 への変換が行われ、その結果として課題遂行が行われるということであろう。課題構成は、理解が しやすい課題の提示のみでなく、認知的課題構成から動機的課題構成への変換ないし関係づけの容 易なものである必要がある。

板書で問題を与えて、生徒がなんとなく先生が言うからとにかくやってみようというのは、答え

を出す、とにかく答えるという操作をするという目標状態を生徒が構成しているので、とにかく先

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馬場:学習者の課題構成の理論       205

生の言うことを聞いておこうという動機的目標状態が構成されていることを意味するであろう。そ して初期状態は、先生の指示にしたがっていないという状態である。しかしもし教材が適切であっ たり、生徒のその教科に対する興味があれば、認知的課題構成はほとんどそのまま動機的課題構成 になるかもしれなし・。

同じ2の14乗の問題でも2進法の学習をしているときに出せばかなり興味は違って来るし、猫が 一度に2匹ずつ子猫を生んだ想定で、14代目に何匹生まれるかというようにすると、認知的課題構 成から動機的課題構成への変換が多少容易になるかもしれない。更には指数計算の練習であれば

(2 )3/2の形に誘導する問題として与えることもできるだろう。結局課題の適切性ということは、

極めて当然ながら、当の教育文脈の中で生徒の学習に必要であることに他ならない.また更に言え ば、その提示法がその教材をさらに追求しようとする内発的動機を生ずることが望ましい。もしそ れが困難な場合には、経験と関係づけるとか生徒の興味を引く素材を利用することなどが考えられ

る。

以上の例は、課題の操作単位の比較的少ない簡単なものであった。操作単位を更に増加させ、課 題を次第に困難なものにすると、これを一時に生徒に示したのでは、生徒は困難を感じて、やる気 を失うだろう。課題の提示も算数の簡単な問題の1題の提示から美術や技術のように1時間の作業 内容を時間のはじめに示すもの、数時間に及ぶような調べ学習の課題の提示までその範囲もいろい ろである。もし操作数の多い課題でも初めの課題構成がうまく行けば、生徒の自発的学習によって 授業は比較的スムーズに進むはずである。もし生徒が教師の課題を受け入れないようになったら、

授業は進行しなくなる。

馬場を代表者とする平成3年度文部省科学研究費報告書(1992)を参照すると、1時間の授業の ための課題設定は、比較的容易なようである。美術とか技術の授業では、初めに課題設定が行われ、

1時間の授業になることが多いようであるが、これらの授業は作業や作品などの作業結果に対し生 徒の興味も強いようで、作品の例示(目標状態)や操作方法の教示やその準備が適切の行われれば、

比較的問題なく授業は進行するもののようである。教師の作品や生徒の優れた作品の例示は効果的 なようである。算数・数学においても板書その他の方法による文章題等の課題の提示が行われ、1 時間の授業が進行する場合がある。中学の歴史教材の場合には1時間かけてその後の調べ学習の課 題設定が行われた。その他社会科では生活経験を重視した課題設定法が多くみられた.

実際の授業では色々の方法で課題設定が行われていることが明らかになったが、全体的印象とし ては、実際の授業では生徒の生活経験、現在の興味が重視されているようである。学習課題を生徒 の認知構造の中に位置づけかつ生徒の興味を引くためには、生徒の生活経験や関心に接近するのが よいことは、認知心理学の立場からも当然考えられることである。しかし、なおつけ加えれば、課 題設定は当然授業文脈の中に位置づけれていることを指摘しなければならない。興味と認知は複雑 に絡み合っており、興味を引くためにあまり授業文脈からはなれた素材を使用すると、児童生徒の 関心が興味素材の方へ行ってしまい、肝心の課題構成が妨害されることが考えられる.言い替えれ ば、先にも指摘したように認知的課題構成と動機的課題構戒ができるだけ接近した対応関係にある ことが望ましい。これは学習内容そのものに興味が持たれ、教材に沿って内発的動機が生じて来る ことを意味している。

最後に指摘しておかなければならないのは、学習活動の自発性である。幼児・児童は自由にされ

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たときに、驚くほどの好奇心を示し、多くの知識を活発に吸収して行く。多くのしつけや教育を受 ける中で、かれらの好奇心は次第に失われて行くようである。Lepper and Hodel1(1989)はそれら の内発的動機づけを高めるものとして、挑戦、好奇心、自己統制、空想について述べている。易し い問題や簡単な問題は速度や量についての基準を設け挑戦的にする。児童に驚きや矛盾、自己の既 存の信念や考えからずれた情報を提供する。自己決定、環境に対する統制の行使による統制感の増 大、空想的環境や人物の利用、などである。

一部の成人はそのような好奇心を持ち続け科学的発見や発明をする。芸術家は、他の人が想像も しなかったような作品を発表する。環境を探究したり、新しい空想物を想像する。もしこのような 積極的な動機づけが、一般の教育の世界に実現したら、教育は質高く自由で創造性を育てるものに なるであろう.全ての授業ではないとしても、生徒の選択決定した学習課題が、遂行につれて新し い課題を提出し、順次発見と理解の興味をもって追求することができたならぼ、教育のひとつの理 想の形が実現したことになる。

おわりに

学習課題の構成は、授業者が課題を学習者に提出するときに、その課題が学習者自身の課題に なって、理解も意欲も生じて来ることを強調するために用いられた用語である。しかし課題という 用語が示すように、この言葉からある種の束縛を学習者に与えるという含意を拭うことはできない ようである。しかし教育は、本質的に言って、人類にとって課題であるのかもしれない。適切に教 育された人がいつか自分で自分の課題を見つけ、文字どおり内発的に学習するようになるのをひと つの教育の理想の成果と考えたい。

これまでの検討から学習課題を構成するためには少なくとも次のような条件があることを指摘で きるであろう。

1 課題の中に学習者が関心を持つ可能性のある要素を含むこと。

2 その可能性のひとつは、情報間に矛盾ないし不連続が存在すること。

3 他の可能性は、現状(初期値)と期待された目標(値)の間にずれを認めること。

4 それらの可能性を強める条件として、課題内容が学習者の既有知識に関係があること。

5 関心を高めるためには日常生活で親しんでいる既有知識、あるいは逆に非常に珍しいものを

用いる。

6 課題目標は学習者が達成すべき要求や関心を持つものであること。

7 学習者に課題が理解できること。

8 課題が学習者にとって、多少の困難を感ずるものであること。

9 学習者が課題または素材に興味を持ち、それについて考える機会が与えられたとき、学習者 はそれについて精緻化(関連思考)を行うであろう。

10 素材の精緻化が生じた場合、その素材の発展可能性のある時は、その素材の新しい側面や他 の素材との新しい関係を見いだし、応用・展開が生ずる。

11一度応用展開が生ずれば、他に適切な素材・条件があるときは、その素材は、学習者によっ

(11)

馬場:学習者の課題構成の理論       207

て他の素材に関係づけられながら自己増殖を始めるだろう。(学習課題の自己展開)

12 自己展開には二つの方向が考えられ、ひとつは他の素材との関連を広げながら次々と理解を 広げる方向であり、他はある目標に向けて素材をまとめながら新しい構成を行う。

いずれにしても、授業者の学習課題提示に対し認知的課題構成と動機的課題構…成が学習者の中に 生ずると考えられるので、その両者の対応関係を適切にすることが学習課題構成の基本であるよう に思われる。

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参照

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