• 検索結果がありません。

著者 古賀, 純一郎

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "著者 古賀, 純一郎"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

の性格分析」

タイトル(英) A study of Ida Tarbell : A character analysis of John D. Rockefeller

著者 古賀, 純一郎

雑誌名 茨城大学人文社会科学部紀要. 人文コミュニケーシ

ョン学論集

号 1

ページ 1‑24

発行年 2017‑09

URL http://hdl.handle.net/10109/13338

(2)

『人文コミュニケーション学論集』1, pp. 1-24. © 2017茨城大学人文社会科学部(人文社会科学部紀要)

−⑤ロックフェラーの性格分析−

  古賀 純一郎

要旨

11

回目となる連載「アイダ・ターベル研究」の今回は、『スタンダード石油の歴史』の第

15

章から最終章までの要約と、その後のターベルのジャーナリストとしての動向が中心と なる。歴史的な著作を書き上げた後、所属するマクアーズ誌の編集部でゴタゴタが突然、発 生し、ターベルなどの全員の記者が退職した。時を同じくして、好意的だったルーズベルト 大統領から調査報道を手掛ける記者たちの手法を攻撃する声が挙がった。マックレイカーら は、一転して受難の時代に突入する。

キーワード:マックレイカー、ルーズベルト大統領、マクルアーズ誌休刊、受難の調査報道、

ロックフェラー、リベート

 『スタンダード石油の歴史』の要約は、前回の連載から継続する形となる。このため、章 立ては、便宜的に第

15

章からスタートする。

15

章、独立のための現代の戦争

 パイプラインをめぐる独立系業者との攻防である。レジュメを披露しよう。①生産者保護 協会を組織②自身の石油を処理するため秘密の独立系組織を計画③生産量削減のためスタン ダード石油と協定締結④協定の効果は、予想されたほど生産者に有益ではなかった⑤生産者 たちは、自分たちの石油会社の設立を続行⑥独立系精製業者はこの動きを支援することで合 意⑦生産者と精製業者の会社を設立⑧東海岸へのパイプラインの敷設でルイス・エメリー

2

世が奮闘⑨ユナイティド・ステイツ・パイプライン⑩スタンダード石油の必死の反対⑪独立 系業者はほぼ疲弊⑫ピュア石油の設立に助けられる⑬同社が最終的に独立系の長となる⑭独 立系は可能、だが、競争状態は回復せず−。

 ロックフェラーの唯一、和解できない業界の敵は、石油生産者であった。

1872

年の最初 の戦いで、石油生産者が決起・結束し、強力で危険な敵となったのである。ロックフェラー は、生産者を業界から追い出し、生産の独占を当初から目指した。大半を支配できれば、供

(3)

給は不足し、原油の値段が高くなると考えた。

 鉄道、石油精製施設、市場を支配し、業界に最初に登場した時、原油生産は、急激に拡大、

並行して在庫は

85

年に

3350

万バレルへ増加した。拡大は、手数料収入を増やし、大きな利 益となった。これに対して原油の利益は一貫して減少した。スタンダード石油は、他の業者 の利益を許さなかったのである。

 独立系業者の活路を拓く、自由にパイプラインを敷設できるビリングズレー法案を支持す る動きが石油地帯で湧き上がった。だが、法案は、

87

4

月、とん挫。怒った生産者らが、

新組織を立ち上げた。生産を止め、在庫を処分する構想である。実施すれば、原油が値上が りし、大量の在庫を抱えるロックフェラーを大いに利することになる。このため減産計画を 中止した。

 協会は、ロックフェラーと協議し、ある取引が成立した。生産者が減産などを進め、高値 で引き取るというやり方である。当初は、上手くいったが、長続きはしなかった。

87

年までロックフェラーは、リスクが大きいとの判断から、原油採掘に手を出さず、購 入する側であった。だが、情勢が異なってきた。原油生産を決意したのである。

 ペンシルベニア州西部では新たな動きが出た。敵対するルイス・エメリーが原油と精製油 用の

2

本パイプラインを敷設する野心的な構想である。

 スタンダード石油の強みは、輸送を確保していたことにあった。実現すれば、深刻な脅威 となる。妨害する必要に迫られた。計画は、数か月間、執拗で陰惨な妨害を受ける。ニュー ヨーク州ハンコックまで延びたパイプラインを、エリー鉄道を横切って延長させようとした 時に、社長が了解したにもかかわらず、武装した多数の鉄道員が現場に現れ、争いとなった。

塹壕を掘り、占領、テントを張って野営し、にらみ合いは、

3

か月間続いた。

 この間エメリーは、別の方向からの通行権の確保に奔走し、成功。

2

本のパイプラインが ついに完成したのである。独立業者にとって、これは画期的な出来事であった。

 スタンダード石油は、これを機に、最強かつ残忍な武器で独立系業者潰しの動きに出た。

市場の支配力を使って値段を強引に操作したのである。

93

年秋から

2

年間続いた。

1

月の原 油はバレル当たり

53

5

セント、輸出用の精製油は、ガロン当たり

5.33

セント。原油は、年 間を通じてじりじり値上がりし

12

月までに同

78

375

セントへ

50

% 近くアップしたのに対 し精製油は値下がりした。

1894

年の原油はさらに上昇しているもかかわらず、精製油の年 間平均は同

5.19

セントで、値下がりとなった。

 輸出を終わらせるに十分だった。ドイツでは独立系業者が消えた。独立系業者は

20

か月間、

赤字を垂れ流し続けた。パイプラインがあったから何とか凌げたのである。

 苦境に立たされた独立系業者がスタンダード石油と

94

年に面談。「市場が好転する希望は ないのか」、「自分たちの選択は」などの疑問点をぶつけた。これに対し、同社は、「売却す るしかない」、「私たちは設備と株式を購入する」と冷淡だった。

 直後に独立系業者による集会が石油地帯で開かれ、石油販売を手掛けるピュア石油会社の

(4)

設立が決まった。純粋を意味するピュアを社名に冠したのは、標準を意味するスタンダード に対抗するためである。競争しても負けないぞ、との意味合いが込められた。

 独立系の輸出を手掛けていたハール・ポスが、スタンダード系業者の間違った情報を信じ てビジネスから手を引いたことが判明。このポスも死去した。知らせは、独立系業者にとっ ては、ショッキングだった。エメリーらは、急きょ欧州に飛び、販売体制の再構築を余儀な くされた。もっともこれによって闘いが終わったわけではなかった。

 スタンダード石油は、ピュア石油とユナイティド・パイプライン社の株式の取得を秘密裏 にスタートしていた。戦いを有利に進めるためにライバルの内部にスパイを送り込むのは常 套手段であった。

95

年夏、同社の総会に、株式保有を盾にスタンダード石油が参加しようとしたところ、

入口で、「スパイが目的だ」として制止された。法廷に持ち込まれ、独立系業者が敗北、同 社には、スタンダード石油から役員が送り込まれた。この打撃は大きく、東海岸へのパイプ ライン延長で、同社からさまざまな妨害を受けることになる。

 鉄道の合流地点にパイプラインを敷設すると、何者かにズタズタに引き裂かれた。監視さ れていることを悟ったエメリーは、鉄道の下の排水溝に夜、

50

人を引き連れて、パイプラ インを今度は、地下に敷設、石を敷き詰め、重い木材できつく締め、鎖で固定した。鉄道の 両側に野営して備えた。戦いは直ぐにやってきた。つるはしなどで武装した鉄道員たちが襲っ てきたのである。

 エメリーは、この時のことを

99

年の工業委員会でこう証言している。「私達は連中を取り 押さえた」。翌日、

250

人の乗せた

2

台の解体作業車が襲撃、エメリーらは、応戦して追い返 した。

 この案件は法廷に持ち込まれたのだが、以降も、機関車

2

台で熱湯と焼けた石炭で攻撃を 仕掛けてきた。この時はさすがに、地元住民も怒り、決起した。妨害している連中の背後に はスタンダード石油がいると明言、鉄道の職員も支援を申し出た。

48

丁のマスケット銃の 提供も受けた。エメリーは、ライフル銃

18

丁を購入。野営地にバリケードを築いた。敷設 したパイプは、守られ、裁判所から許可が出た。エメリーらは勝利したのである。

 この結果、パイプラインの自由な敷設を認める法案がニュージャージー州の議会に提出さ れた。通過すれば、同意なしで鉄道の線路の下にパイプを敷設できる。スタンダード石油と 鉄道の工作で法案は、実現しないと新聞などが書き立てた。審議が始まると担当の上院議員 が姿を消した。議会は流会となる。ユナイティド・パイプライン社顧問のロジャー・シャー マンは、大胆にもシャーマン反トラスト法でスタンダード石油の告訴を勧めた。

 この訴訟提起に向けていったんは動き始めたのであるが、

2

か月後にその軸となるロ ジャー・シャーマンが死去する最悪の事態となる。

 この結果、建設中のパイプラインは、パイプラインが自由に敷設できるペンシルベニア州 を通過するように変更された。法廷闘争に

25

万ドル費やした

9

年後の

1901

5

月にパイプラ

(5)

インの建設が完成した。

 エメリーは、

1899

年の工業委員会で、パイプライン敷設が困難を極めたのは、スタンダー ド石油が妨害したからと言明した。

1900

年には、ピュア石油は、ユナイティド・ステイツ・

パイプラインなどと合併して資本金を

1000

万ドルに増やし、対決姿勢を一段と強めた。

 独立系は、良く闘い、今なお存続している。原油の生産は、現時点で、日量

8000

バレ ルを誇り、原油輸送用のパイプラインは

1500

マイル(

2400km

)、精製油用は、

400

マイル

640km

)まで伸びた。タンカー

1

隻も保有、欧州での販売を展開している。

 ピュア石油が強力な組織となったのは、スタンダード石油からの執拗な妨害行為があった からである。独立系の組織を解体するために最大の業者を買収する工作は、協同組織を形成 させた。鉄道を使った追い出し工作は、独立系業者らの結束をもたらした。

 業者が、スタンダード石油のパイプラインを利用して課された高い輸送料は、独立系業者 らに独自のパイプラインを敷設させる必要を自覚させ、さらには、欧州市場の開拓を加速さ せる画期となった。

 ピュア石油の成功によって忍耐強く、競争力のある品質があれば、独立系業者であっても 石油ビジネスが可能であることを再認識させ、その結果として、業界での競争が復活し、石 油の値段が顕著に値下がりした。石油価格は、

1876

年以降、スタンダード石油の手にあっ たのである、とターベルは結論付けている

16

章、石油の値段

 本書の要約も残すところあと

3

章となった。今回は、マーケットをほぼ手中に収めたロッ クフェラーが世界一の富豪に上り詰める原動力となった巨額の利益を叩きだすためにどのよ うな手法で高価格政策を実現できたのかの分析である。盤石なトラスト帝国を形成、市場の 支配により石油価格を思いのままに操ったのがその秘密である。

 ここでは、カルテルよりはるかに独占力の強いトラスト王国を構築して市場を制覇、価格 を自由に操り、巨額の富を計上したスダンダード石油の悪辣な手法を完璧に分析、独占の弊 害や害悪などのあぶり出しに成功している。調査報道の真骨頂が随所に表れているといって も過言ではないだろう。

 レジュメを列挙しよう。①初期の統合は価格維持の意図を包含②南部開発も同様に計画③

1872

73

年の統合で石油価格が上昇④計画の失敗で値段は下落⑤

2

回目の統合の成功でスタ ンダード石油は、

76

77

年に巨額の利益⑥競争状態に戻り、値段が下落⑦スタンダード石 油が

80

年に、

76

77

年の攻撃を繰り返してこれが無駄な試みに⑧同社は、石油の値段が高 すぎると市場が弱まり、競争を激化させると確信⑨

79

89

年に巨額の利益⑩競争のため

89

年以降、輸出の利ざやが低下⑪際立つ国内価格の操作⑫国内の消費者は同社の海外での競争

(6)

のため代価を支払う⑬同社の同一製品の国内価格はさまざま⑭競争のない地域では値段は高 く、競争があれば安い−。

 ロックフェラーの市場支配の原型と規定した南部開発会社についてこれまでたびたび取り 上げて来たターベルは、この章でも冒頭に取り上げている。理由について、「単に、業界か ら業者を離脱させる迅速で効果的な方法だったばかりでなく、生産量を支配し、石油価格を つり上げることもできたから」と指摘している。

 これが失敗した

4

年後にロックフェラーは、同じような事業を開始した。この理由につい て、スタンダード石油の幹部は、「値段を上げる、ただそれだけ」と語っている。成功のカ ギは、全米の精製業者を傘下に収めることができたからである。

1872

73

年にロックフェ ラーは、生産量のカルテルを結び、短期間で失敗した。

3

年後の

75

年に生産量の

90

%の支配 を目指し新たな挑戦を開始、

4

年以内に実現させた。以降も

80

% 以上を支配し、現在でも 変わりない。

 「

70

% 以上を支配すれば、日用品であれば、値段を操ることができる」と言われている。

スタンダード石油は、それが完璧で、原油と精製油の値段は、本部から指令を出した。

 創業から

8

年間、ライバルに対して無慈悲で大胆な競争を仕掛けた。この間、輸出などが スタート、潤滑油などの生産量を拡大させたが、消費者への恩恵はなかった。原油の長距離 輸送用パイプラインも登場した。だが、一般への恩恵はなかった。

 ロックフェラーは、「オイルビジネスは、すべてパイプラインに依存している。これなし では、油井はすべて閉鎖となるだろう。海外市場も同様」と語っている。

79

年から

89

年ま で利ざやは下がるどころか、しばしば上昇した。この間、付随する石油製品は拡大した。

10

% にも上った廃棄物は、ほとんどが有効活用されるようになった。

 競争を封じ込めたことによる

10

年間の同社の巨額の利益は、明らかである。照明用油の 輸出は、約

50

億ガロンで、市場の

90

% 程度を支配した。これに価格操作が加わる。

79

年は、資本金

350

万ドル、配当

315

万ドル。

85

年の収益は、

800

万ドル超、

86

年は、同

1500

万ドル超、

88

年は、

1600

万ドル超。

89

年に入ると利ざやの下落が始まる。それは、競 争が始まった結果だった。

 ニューヨークにも拠点のあるドイツの企業が、巨大な貯蔵タンクなどを欧州内に建設、販 売先をスイスなどへ拡大した。このための複数の輸送船を確保、ペンシルベニア州などの独 立系の業者と提携した。これが激烈な販売競争を引き起す。西欧諸国へロシア産の石油が溢 れ、米国産油には深刻な脅威となる。裏を返せば、これは、消費者に利益をもたらしたので ある。

89

年、欧州市場での販売競争のため値段を下げる一方で、国内では、高止まりした。ロ シア、ルーマニア、アジア産石油との販売競争のため、米国内の消費者が値段の高い石油を 購入させられる形になっていた。

 議会の委員会に

88

年に提出された資料などによると、精製油の値段は、アーカンソー州

(7)

だとバレル当たり

8

18

セント。テネシー州は、同

8

16

セント、ミシシッピー州だと同

11

17

セントだった。

 最も詳細な調査は、

1901

2

月の工業委員会の実施分である。驚くべき結果が出た。 照 明用油の同卸売価格は、コロラド州で、

13

20

セント。デラウェア州で

8

10

セント、イリ ノイ州

6

10

セント、アラバマ州

10.5

16

セント、ミシガン州

5.5

12.5

セント、ミズーリ州

7.5

12.5

セント、ケンタッキー州

7

11.5

セント、オハイオ州

5.5

9.75

セント、カリフォ ルニア州

12.5

20

セント、 ユタ州

20

22

セント、メーン州

8.25

12.75

セントなどである。

 卸値の高値と安値の差が

8

セントのオレゴン州から

1.5

セントのロードアイランド州まで幅 がある。もちろん、以前のケースでは、

2

3

セントの差は、輸送料などがあったのだろう がそれ以上のものはない。バーモント州では、これが

4.5

セント、ところがニューハンプシャ 州は、わずかに

1.75

セント、デラウェア州だと

2

セント。

 輸送や配達料などを考慮しても照明用油のように安定した価格や利益が確保できる日用品 は米国ではない。今や、いかなる日用品であれ、市場価格が全米で公正であり、利益もあが るべきなのが消費者にとっても良いことだと認めない人は誰もいないだろう。油は、輸送費、

配達費などを考慮しても、テキサス州でもオハイオ州でも同じ利潤で売られるべきなのであ る。そこでは、自由で一般的な販売競争がなければならない。

 ところが、市場の支配力に任せてスタンダード石油は、利潤を

100

% 以上で販売している。

79

年以降、販売競争が無く、同年は、同社は、全米の精製油の

95

% 、

88

年は、約

80

% 、

93

年は

83

% を支配していた。占有率が

5

% から

17

% の独立系業者に、販売競争の加速を 期待するのには、限定的な地域だけで、限界がある。

 それ以外にも、スタンダード石油の帳簿のリストの中で、ただ

1

か所、損失を出している 店があった。不思議に思ったターベルが調べたところ、独立系業者との間で競争が繰り広げ られていることが判明したのである。

 工業委員会が調査した一覧表をチェックすれば、値段の安い地区では、販売競争のあるこ とが分かる。インディアナ州インディアナポリスでは、競争のある地区の

1

ガロンの卸売価 格は、

5.5

セント。競争のない地区では、同

8

10.5

セント。

1904

4

月の同州の調査でも競 争があるか、ないかの地区での同じような驚くべき差が判明した。

 ターベルは、工業委員会のリポートに掲載されている

1896

年、

97

年に発生した地域での

“石油戦争” の興味深い例を引用している。

96

3

20

日、ニューヨーク市に独立系のピュ ア石油が、満載した

3

台のタンク車を設置した。同日のスタンダード石油の油は、

9.5

セント でピュア社もそれに追随した。すると、スタンダード石油は、

8

セントに値下げ、同

4

月に は

7

セント、同

12

月には、

6

セント、翌年には同

5.4

セントへ下がった。

 競争があれば、値段が下がり、それが続くということである。なぜ、競争のないカンザス 州では、

25

年間販売競争の続くケンタッキー州より平均して約

4

セント値段が高いのか。競 争のないコロラド州の値段は平均

16.9

セント、競争のあるカリフォルニア州は

14.6

セントで

(8)

ある。詳しく調べると、スタンダード石油は、市場支配力を利用して値段をつり上げている との結論に達するとターベルは指摘。この結果、私たちは、競争のある時よりも、常に高い 値段で購入させられてい、としている。

 これは企業結合(トラスト)の結果である。スタンダード石油は、これによる利潤の消費 者への還元を決して議論しない。幹部のヘンリー・

H

・ロジャーズは、

1899

年の工業委員会 で、値下げしない理由について「健康のためにビジネスをやっているわけではない。金儲け のためやっているのだ」と率直に語った。

 消費者は高く買わされているだけでなく、オイルビジネスの末端での競争が難しくなって いる。南部開発が創設されたのは販売競争を無くすためである。運搬する鉄道は、脅迫、説 得、買収されて不公正な運賃差別に加担した。一連のパイプライン会社の傘下入りも同じ理 由からである。ライバルの情報収集のためのスパイ網整備もそのためである。石油戦争にし てもしかり。ライバル社のビジネスを封じ込めるための完璧な手法である。

 興味深いのは、スタンダード石油が値段を下げたと考える向きが依然としてあることだ。

1860

70

年代を振り返ると、石油

1

ガロン(

3.785

リットル)が

50

60

セント、現在では

12

セント〜

15

セント。これはトラストの結果であると説明している。

 ロックフェラー自身も、ニューヨークの上院の委員会で、「

1861

年、石油は、

1

ガロン

64

セントで売られていた。現在は、

6.25

セント」と証言している。

 ターベルは、「この比較は間違っている」と喝破している。鉄道のなかった

61

年に石油地 帯では船着場に石油を

1

バレル(約

159

リットル)運ぶため

3

10

ドルかかった。石油精製 の過程は、無駄がとても多く、市場も未整備だった。このため、

61

年の

61.5

セントから同

25.625

セントに下がったと指摘するべきで、値段が下落したのは、東海岸へのパイプライ

ン敷設、副産物の開発、大量輸送への転換などによる効率化の結果である。値下がりしたの は、トラストの効果であると指摘するのは、「この歴史を学習したことがないため」とター ベルは、決めつけている。

 ターベルは、「多くが鉄道の意味を知らないと」指摘。販売競争により、最初に効果的な 企業合同を形成した

66

76

年に値段は下落、その後、販売競争がなくなったために

76

年か

77

年までは上昇した。ところが生産者、独立系精製業者などによる組合が形成され競争 がスタートした

77

年から

79

年には、さらに値下がりした。

 敵対勢力が軍門に下るとスタンダード石油はついに、最高権力となり、その後、

10

年間 値段は、利ザヤより

1

ポイント以下にはならなかった。

79

年に

10

年ぶりに値下がりしたが、

それは競争が戻ってきたからである、と時系列的に分析している。

 ターベルは最後に結論をまとめている。販売競争以外で値段の引き下げを考えることは、

騙されることを議論することである。ある人物やグループに、政府や教会が独裁的な権力を 与えると、人民を押さえつけたり、騙したりするのが昔から常だった。数世紀間、国家での 戦いは、一般大衆に公正に対応する安定した政府を形成することであった。

(9)

 これを確保するために私達は、王、皇帝、大統領に対して

1000

以上の制約を課し、束縛 している。教会に対しても同様である。にもかかわらず、米国では、未だに、商業ビジネス で、事実上の独裁的な権力を認めている。法律の精神や鉄道輸送の綱領がこうした特権を禁 止しているにもかかわらず、輸送面でライバルを抹殺する特権を容認している。

 私達は、州をまたがる巨大な統合を容認しており、情報公開などを求めていない。提携関 係で結ばれた人々、企業、ビジネスのための共同組織の権限は、限定され、合理的な査察や 情報公開の下にあるべきである、と力説する。

 驚くべきことに、生活必需品の値段は、ロックフェラーなどスタンダード石油の

9

人の男 たちの支配下にあることが分かった。

9

人は、卓越した能力で価格支配力を行使した。それは、

法外な配当を手に入れる確実な手段でもあり、一般を誤魔化す、最も説得力のある議論でも あり、ライバルの息を止めるための最も残酷な武器であった。ターベルはこうまとめている。

17

章、スタンダード石油の正統的な偉大さ

 違法スレスレのところでビジネスを進め、ライバルを蹴散らしてきたロックフェラーの無 慈悲で残酷極まる非道さをターベルは、前章で解き明かした。では、経済・経営学的な見地 からみたスタンダード石油は、どういう形で評価できるのか。この章では、冷静な目で解明 している。

 レジュメは、①権力の中央集権化②ロックフェラーと他の

8

人の信託者がビジネスパート ナーのように運営③信託者らへ価値あるすべての情報を収集するためのニュース収集組織④ ロックフェラーは、すべてのポストに選りすぐった人員を配置、互いに競わすために工夫⑤ 施設は、適切に配置⑥わずかな出費でも念入りにチェック⑦新事態の発生には迅速に対応⑧ 製品供給で節約導入⑨利益は誰にも支払われず⑩製品と副産物の利益の拡大⑪大きなものを 理解するための一般的な能力とそれを築くための大胆さ−。

 スタンダード石油が成功したのは、業界を事実上独占したことに他ならない。その結果、

当初から、特別な恩恵を享受していた。もっとも、これだけで説明できるわけではない。違 法行為により有利な立場になったことも石油トラスト形成に役立った。

 エネルギー、諜報行為などで強大な巨大トラストは、常に貪欲、節操もなかった。忍耐強 くすべてを見通していた物静かな総帥こそが鉄道を急襲し、成果を成功裏にもたらした。

 こうした事業での永続的な安定性と成長性で評価された人物はロックフェラー以外にはい ない。傑出した違法性とは別に、創造した正統性的な偉大さを分析するとしたら、カトリッ ク教会あるいはナポレオンの政府のように、完璧に中央集権化した基盤の創設であろう。

 事業は、

9

人の信託者の手中に

1879

年に収められた。常にパートナーのように行動し、経 営に関与。

9

人は、毎日会い、自分の時間をすべて使い、会社の経営や発展に尽くした。

(10)

 各種委員会が設けられ、ロシア産石油の中国での販売競争から米国内の原油の採掘状況ま であらゆる問題が協議された。原油委員会では世界の原油の状況が報告され、製造委員会で は、精製油の研究や廃棄物の利用、新製品の開発が話題となり、内外の各地での販売競争を 扱う市場販売委員会もあった。委員会には、世界各地から情報が届けられた。ライバル社の 情報も含まれていた。輸送委員会では、鉄道会社の輸送運賃について報告された。

 では、こうした情報はどのようにして集めたのか。新聞社と同様に幅広く通信員を置き、

集めていた。全米の各石油地域や世界の首都に通信員を配置。欧州では、高級紙の記者、外 交官、ビジネスマンにサイドビジネスとして関連情報の送付を依頼している。石油が採掘さ れる地域でも同様である。

9

人は、オイルビジネスについて精通している。石油情報をこれほどまでにビジネスに利 用したのは最初だろう。トップのロックフェラーが、全米の石油精製などのすべての施設を 正確にコントロールしたのである。 

 ロックフェラーの偉大な業績のひとつには、工場を立ち上げた経営者を雇い、スタンダー ド石油の経営に調和するように育て上げたことがある。従ったのは、格安の鉄道運賃が適用 され、利益となることが分かったからに他ならない。

 傘下入りした製油所は、詳細な報告が毎月要請されていた。比較され、結果が知らされた。

これによって全体の質をあげたのである。当時は、どんぶり勘定の経営がまかり通っていた。

これに対しロックフェラーは、数字を提示して杜撰な手法を指摘し、これを近代的な経営に 変身させた。大きな功績だと、ターベルは高く評価している。

 革命的な経営手法もあった。取得した施設を、採算が合わないなどとして放棄、採算性を 良くするために原油の調達、製品の輸送に適しているなどの立地条件など考慮した。「誰に も儲けさせない」とのロックフェラーの信念に沿って効率経営にまい進した。わずかな節約 が、会社全体としては膨大な金額の合理化にもつながった。

 ターベルは、ロックフェラーの戦略的な優越性を、フランス革命の混乱を収拾して独裁政 権を樹立、欧州の大部分を一時勢力下に置いた軍事の天才ナポレオンに例えた。いったん、

こうだと決めたら、一切ひるむことなく、即座に行動を開始し、ペンシルバニア鉄道からパ イプラインの会社を奪ったように、その手法は掠奪的だった。

 パイプラインの独占体制構築後は、原油が見つかれば、それを追ってどこにでも動いた。

鉄道にとってかわり、これが主流となった。鉄道は、独立系のパイプライン敷設で近距離の ものでさえも妨害し、トラスト帝国の形成に大きく貢献した。だが、しばらくすると、鉄道 は、大量の原油輸送から除外された。鉄道の差別運賃を禁止する州際法が成立したことも背 景にある。

 海外市場を積極的に開拓し、欧州、アジアなどに独自の拠点が続々と設けた。大型タンカー を建造し、市場開発を積極的に進めた。イオウの含有量が多く、照明用には適さないと敬遠 されていたリマの石油も巨額の資金を投入して新しい精製法を開発した。

(11)

 製品の幅も拡がった。潤滑油を例にとると、輸出は、

1872

年に

50

万ガロン以下だったのが、

25

年後の

97

年には、

5000

万ガロン超に増加した。潤滑油の支配で、市場の研究や製品の開 発に異常なまでの能力を発揮した。あらゆる機械製品に適合する潤滑油を製造したのである。

ミシン、電気、蒸気機関などさまざまな分野にまたがっていた。

 その強みは、トラストを創設したロックフェラーにあった。凄まじい商業ビジョンや確固 たる目的は、野望の実現には不可欠であった。もっとも、手と足となる男たちを会社に引き 入れなければ、決してここまで到らなかったであろう。

 ロックフェラーの片腕となったチャールズ・ロックハート、

W

G

・ウォルデン、ヘン リー・

H

・ロジャーズらは、スタンダード石油がなかったとしても、どこかの会社のトップ になっていたのは、疑いない。

 トラストが組織され、従業員が株式を保有したのを契機にスタンダード石油の効率性が高 まった。配当は

30

48

% 。これが数年間続き、多くの従業員が購入、その資金は、会社よ り提供されたのである。反対勢力の存在も手伝って、トラストの結束力は、とても強かった。

石油地帯の住民は、スタンダード石油の節操の無さ、秘密主義、洞察力、吝嗇さ、破廉恥さ などに反発していた。

 なぜ独占を維持できたのか。①小さい組織で調和がとれていた②メンバーの能力③運営力 の強固さ③過去を簡単に忘れてしまう−などが成功の秘密であった。

 石油地帯では、鉄道のリベートの不正、取引制限の不公正さ、独占の脅威、独立系業者の ビジネスの権利などが常に話題になり、スタンダード石油は南部開発の再来だと繰り返され ていた。

 ロックフェラーは、勝利の成果の享受を未だに許されていない。個人的な恨みによる断続 的な批判は、素晴らしい計画を無にし、調査委員会にたびたび呼び出された。トラストの設 立以降、独立系業者たちによる絶え間ない努力は、原油を運ぶ東部へのペイプラインの敷設 などにつながった。石油の値段が下がったのは、こうした業者らの努力による競争があった からなのである。

18

章、結論

 いよいよ最後である。ターベルが渾身の力を込めて書き上げた結論である。ロックフェ ラー帝国とスタンダード石油に対する憤激がさく裂している。

 結論なのでやや詳しく要約する。小見出しは、①トラスト解体を命じる

1892

年の裁判所 命令に従わないオハイオ州のスタンダード石油の侮辱行為に対する訴追が

97

年にスタート

②同州の反トラスト法に違反した同社の

4

つの構成会社を追い出す訴訟が開始③モネ司法長 官が任期切れのため全訴訟が脚下④同社は、ニュージャージー州への単なる避難と説得⑤ス

(12)

タンダード石油ニュージャージーの資本は増加、新しい組織へ⑥同州の規制は弱い⑦利益は 巨大で、スタンダード石油のオイルビジネスの支配はほぼ決定的⑧同社は、本質的には、南 部開発の実現⑨常にそうであるが極めて重要な案件は、輸送である⑩輸送の問題が解決され ない限りは、トラスト問題は、解決されないまま続く⑪倫理的な数々の問題が含まれている−

 スタンダード石油の目的と手法は、ロックフェラーが

1870

年代に構想した生産量の支配 で原油と精製油の値段を統制する南部開発と同じだった。維持できたのは、輸送をコントロー ルし、格安運賃の提供を受けることができたためである。

 構想をクリーブランドのスタンダード石油オハイオに適応して今や

32

年が経過した。今 日のスタンダード石油はどうなのだろう。第一に、その組織とは何なのか。もはやトラス トではない。

1892

年に清算を余儀なくされた。資本金は、

1

1000

万ドルに増強、株式は、

1904

年に発行され、

3

分の

1

はロックフェラーである。

 新しいスタンダード石油の構成会社は数多く、オハイオ石油など石油生産の会社、輸送 会社、石油精製と販売の会社。

1892

年から、国内外を含めて続々と拡大。関連会社の現在 価値は分からない。オハイオ州での裁判のあった

92

年の資本の合計は、

1

0223

3700

ドル だった。

 現在のスタンダード石油は、

14

人の役員による幹部会で運営されている。利益は膨大で、

配当は、

5

年間の平均が

4500

万ドル。膨大な年間収益の約

3

分の

1

は、ロックフェラーへ、

90

% は、スタンダード石油一家を構成する数人の手に渡るとみられる。

 利益の投資先は、ガス業界、鉄道、銅、銀行で、金融面では世界一強い。企業体質の強化 のため毎年、

4500

万ドルの巨額な資金を投資に向けていたのである。

 石油市場のどの程度を支配していたのか。スタンダード石油は、

1898

年に東部の原油の

35.58

% 、

5200

万バレルを生産したと工業委員会に報告。石油製品の

2400

万バレルの米国 産のうち約

2000

万バレルが同社分だった。

80

% を超える市場支配力が価格をコントロール する力となった。

10

年前まで、米国産石油は、海外市場で深刻な脅威にさほどさらされていなかった。だが、

1895

年以来、ロシア産は、かなりの間、米国と同等の生産量があった。ロシア産が初めて 欧州に登場したのは

85

年。最近では、有力なライバルになっている。

 東洋では、最近まで実質的にスタンダード石油が支配していた。だが、

1903

年ごろから スマトラ島産やロシア産が出回り、英国系シェルやスマトラ産石油を扱うオランダのロイヤ ル・ダッチ系などを軸に市場間競争が次第に過熱し始めた。これに終止符を打つために、同 年協定が締結された。

 今日のスタンダード石油で最も重要なのは、その力が、どの程度続くかである。南部開発 の手法を考案し、ライバルを追い出すために鉄道と同盟を締結した。

15

年間さまざまなリ ベートやドローバックを集めた。鉄道を動かし、製造用石油の入手や製品輸送を妨害した。

販売店に製品が到着しても、売らないよう脅迫、注文を撤回させるなど努力した。ライバル

(13)

の輸送のスパイ行為、注文の撤回、掠奪的な販売競争なども良く知られている。

 スタンダード石油は、東部で、ほぼ

90

% 、総延長で

3

5000

マイル(

5

6000 km)のパ

イプラインを保有。油井と貯蔵タンクが結ばれ、各地の製油所へ輸送されていた。公共的な 使命を帯び、理論的には、すべての顧客の要請に応じる必要があった。にもかかわらず、独 立系業者からの集配あるいは配送を複数回拒否、独立系業者から精製業者へつながるパイプ が撤去されたこともあった。

 輸送運賃も維持された。スタンダード石油系製油所が、輸送にかかった最終的な会計費用 を支払えば良かったのに対して独立系は、

25

年前と同じ料金を支払っていた。裁判に持ち 込めば、独立系は、スタンダード系と同じ料金を払えばよかったと考える法律家が多い。 

鉄道料金の差別が激しかったのである。

 鉄道料金は、スタンダード石油に有利に決められていたばかりでなく、関係諸費用も数倍 の差があった。積み荷の上げ下げの施設の利用は拒否されていた。少量の運搬は、前支払い 制だった。独立系は、いずれも不利で、鉄道は、スタンダード石油の感情を害さないように 気を遣っていたのである。

 州際通商委員会の創設後も、両者には、利益をめぐる強固な共同体が形成されており、ラ イバル業者のビジネスを妨害した。多くの企業の役員会に名を連ねており、石油以外にも膨 大な貨物輸送を抱えていた。鉄鋼、銅など多くの業界と連携し、応じない場合は、輸送から 外した。

 金融市場でも大きな影響力を保持し、資金面で鉄道の支援もできたし、妨害もできた。証 券市場でも同様で、株価下落も上昇させることもできた。鉄道は、関係悪化を恐れて、州際 通商委員会のできた

1887

年以前と同じ効果のある運賃差別制度を存続させようとした。オ イルマンらも委員会を信頼していなかった。このため石油地帯の独立系業者は結集して活動 し、ピュア石油設立となった。

 運賃差別の聴聞会が

89

5

月と

92

12

月に開催され、委員会は、鉄道に対してタンクと樽 で運搬される石油に同じ運賃を課すよう命令した。鉄道は対応せず、聴聞会が

5

年後の

94

5

月に開かれた。この結果、

10

数社に対する約

10

万ドルに上る補償が命令された。これに対 し鉄道は、委員会の要求を拒否、裁判所に持ち込まれた。聞き取りは

3

回開かれたが結論は 出ていない。委員会が命令を出しても、鉄道は応じない。委員会は、正義の実現のため組織 された。だが、

12

年かかっても解決していない。

 差別運賃は、依然として深刻な問題である。この解決なしには、トラスト問題はなくなら ない。巨大トラストに格安運賃が適用される限り、市場からライバルを追い出すための安値 販売を犯罪とする法律を論じても意味がないのである。販売競争する以前に市場に参入でき なければならない。

 輸送をコントロールできる限りスタンダード石油は、石油業界の支配者であり続けるだろ う。米国民は、これに対する無関心、愚かさの代償を支払うことになり、天然資源と輸送シ

(14)

ステムの同社への集中度が年々拡大していることを確認することになるだろう。

 もし、すべての国がこのような攻撃を被り、ビジネスがごく数

100

人に限られ、常に高い 精製油を買わされることになれば、深刻な問題となるだろう。それ以上の大きな懸念は、倫 理的な代償である。

 この結果、ビジネス上の成功は、神聖視され、それを実現した経営手法は多くの人や階層 によって正当化される。あらゆる種類のごまかし、詭弁、中傷の事実は、法の精神、世論な どに反して、秘密裡に続けた努力によって得られた特権の説明に利用される。

 スタンダード石油は、単に経済情勢の避けられない結果であると議論されたのを何度聞か されたことだろうか。それは、節約したから特権を手に入れた、と。

 ロックフェラーは、

72

年に好業績の精油所をクリーブランドに立ち上げた。水路を利用 できる有利な立場にあった。南部開発を始めたのは、ライバルを破壊するためであった。同 破たん後にリベートに固執したのは、業界の結束に直面したからである。

 エンパイア・トランスポーテンション社を

77

年に石油業界から無理やり追い出したのは、

全米の製油所を手中におさめるためである。タイドウォーター社との闘いも、競争で輸送費 と精製油の値段の下落を防ぐためである。ユナイディド・ステイツ・パイプラインを妨害し たのは、独占構築とその維持のためだった。敵対的な批判する主張が単にあるのではない。

資料と数字で証明された事実があるのである。

 ロックフェラー擁護派は、こうした組織が形成されていなかったら石油産業は優秀な人材 や資本不足で失敗していただろうと主張する。そうした意見は、幼稚(

puerile

)である。業 界の製品は世界が必要としている。当時は、新しい安価な照明がいたるところに登場、その 必要性と価値が認識された時に石油が現れたのである。以前から灯油は文化の発達した世界 の国に行き渡っていた。

1872

年の石油ビジネスの本当の良さは、値段を下げたことである。安ければ、世界中に 行き渡るのである。

 ロックフェラーによってのみビジネスに必要な十分な資本が得られたという主張がある。

開発だけで、フィラデルフィアへ

1

6800

万ドル以上、ニューヨークへは

1

3400

万ドルが 投入された。だが、東海岸へのパイプラインは、ロックフェラー以外資金である。

 石油ビジネス史をみると、安い油の提供には、このような集合体は、必要ないことが分か る。販売競争によって原油と精製油の間の利ざやは、低下する。権力と不正行為を利用し、

「これがビジネスだ」と正当化するロックフェラーを国民はみてきた。この言葉は、特権、

ズル賢いイカサマ、冷酷な扱いの言い訳として使われた。道徳は、ビジネスには適用されな いと議論されるのが一般的である。

 スタンダード石油が、独占力を付与された犯罪的な商慣行にまみれた全米唯一の企業で あったならば、この記事は、決して執筆されなかったであろう。こうした手法だけだったの であれば、軽蔑されて、古い昔に何らかの短編が生まれていたであろう。それは、こうした

(15)

慣行によってなされる単に最も分かり易い種類だったからである。そつのない、しつこい秘 密主義は、食料雑貨店から銀行員に至るまで、様々な種類のビジネスマンによって利用され た。バレれば、「これは商売だから」という理由で言い訳するのである。

 突っ込まれると、これはキリスト教の教義の慈善に舞い戻り、「人は、間違いをするもの であり、誰もがお互いの過ちを赦さなければならない」とまた、屁理屈を並べる。

 倫理的側面で最も憂鬱なのは、軽蔑されるどころか公に称賛されていることである。賛美 されたビジネスでの成功あるいはスタンダード石油トラストのように成功した人物は、国の 英雄となるのである。組織の歴史は、実用的な金もうけの教訓として研究される。

 倫理的に間違っているとして戦った人々の結果は、惨めである。トラストと競争し、悩ま され、裏をかかれ、スパイされ、同社が相手だと何でも正しいことになる。ペンシルベニア 州、オハイオ州の多くの地区でのスダンダード石油に対する敵意は、このようなので、有利 な陪審員の評決は、ほとんど不可能である。

 ペンシルベニア州ブラッドフォードで数年前にこんなことがあった。業者がスタンダード 系のパイプラインから

2

年間に渡り、石油を盗んでいることが分かった。裁判に持ち込まれ たが、無罪ではなかったが、スタンダード石油も隠していかさまをやっているのだろうと思 われたようである。評決は有罪とはならなかった。同社であれば、盗みの対象に値するとい うわけである。こうした情況は、地域社会の道徳をすべて蝕んでしまうのである。

 同社が不満を漏らす脅迫の事例は、ビジネス慣行の当然の結果である。独立系の業者らは、

「干渉するのであれば、代償を支払わせてやる」と長年常に反発してきた。

 連中は、「工場を単に売り出すために建設しているのだ」とこぼしていた。筆者には、確 証はないが、そうしたケースもあるのだろう。脅迫などは、同社特有のビジネス慣行による 当然の結果でもあるというのは真実である。

 倫理面の考察をしよう。組織に関しては、

1

つの明らかな効果がある。スタンダード石油 は、石油ビジネスのために必要性がなければ、公の問題には関与しなかった。ビジネスマン は、宗教や政治に登場すべきでないとの考え方は、知的にも道徳的にも堕落だった。

1872

年以降、同社は、不利益な立法に反対するためにだけ政治に関与した。当時の業界は、

新興産業で、急激すぎる成長、投機、鉄道などの被害にあい、苦しんでいた。鉄道の差別料 金などが米国の喫緊な問題の

1

つとなっていた。

 オイルマンらは、連携して反対した。鉄道は、すべての利用者を公平に扱わなければなら ないとその綱領で縛られている全体の奉仕者。すべての料金は公開され、均一で、フェアプ レーの精神が要求されるという理論は、この石油地帯では、一般的に受け入れられており、

こうした中で、ロックフェラーらが南部開発を誕生させた。

72

年当時の石油戦争は、新聞、雑誌に目を通せば、輸送の問題でいかに深刻だったかが 分かる。石油地帯はリベート制度に反対で、すべての運賃は同一との鉄道との協定が合意さ れた。以前からロックフェラーは、リベートを受領しており、それが他にも広まった。

(16)

 企業活動の情報公開や輸送の自由と同一運賃の実現のため鉄道を規制する州際通商法を妨 害するため

76

年から

87

年まで、ワシントンで積極的な議会工作を展開する。多くの州議会で、

訪問客として初めて指名されたうちの

1

人がスタンダード石油のロビイストだった。

 影響は明らかである。多くの商慣行があり、それに手を染めるとダメになる。最も嘆かわ しいことの

1

つは、多くが若者によってなされたことである。月

5

ドルか

10

ドルの小遣いで 独立系業者の情報を秘密裡に報告する輸送担当の事務員は恐らく若者で、最初に知る教訓は、

企業倫理であろう。その若者が、たまたま毎日曜日にロックフェラーの教会に座っていたと したら、若者は、その教えから何を学ぶだろう。

 商いは平和的な追求であるべき、かつ道徳律は、人間関係を良きものにすると考える人々 にとって、多くの若者がビジネスは戦争で、道徳は、その実践では、何ら関係がないと考え ながら成長していることは、大変な驚きであろう。

 では、どうすればよいのか。米国国民である私達は、代表的なスタンダード石油の成長を 題材にこの産業の間違っている情況を取り除かなければならない。最初にやらなければなら ないことは、鉄道、パイプラインなどの自由で、同一の運賃を確保することである。それは、

簡単なことではない。極めて深刻な手術が必要かもしれない。

 差別運賃制度は、暴力以外の何物でもありえなかったし、それによって儲ける業者は、仮 に、悪の排除が、その報いとして苦境をもたらすとしても、不平を漏らすことができなかっ た。輸送問題が適切に解決するまで、独占的なトラストは、なお身近にいるだろうし、私達 の努力の壁となるだろう。

 倫理面については、矯正法がないどころか、不公正なやり方は、ますます物笑いの種となっ ている。ルールを破って勝っても、勝利に値しないとの見解が増えている。

 公正なやり方以外で、ライバルを排除し、特権の獲得のために戦っているビジネスマンが、

ルールを悪用するプロとして相応しくないスポーツマンが不名誉な追放を受けた時、私たち は、ビジネスを若者に相応しい目標にするため長い道を歩んできたことになるだろう。

(了)

Ⅱ)調査報道記者からの脱皮

1

章、ロックフェラーの性格分析

 ターベルの不朽の著書『スタンダード石油の歴史』の要約は、今回で終了する。もっとも、

同社やロックフェラーに対する記事がこれで終わったわけではない。総帥の性格の二重性を 論評したタイトル「ジョン・

D

・ロックフェラー:その性格分析」の記事が

7

か月後のマク ルアーズ誌

1905

5

月号に掲載された。

(17)

 これは、連載をまとめた

2

冊の単行本には含まれていないし、

3

冊目の単行本としても出 版されていない。連載が間に合わなかったのか。そうした事情も多分にあるのだが、結論か ら言うと、内容を鑑みて出版されなかったのである。ターベルの自伝には、その理由が掲載 されていない。納得できない事情があったのかもしれない。

 追加分の連載が終了すると、オーナーのマクルアーと編集長のフィリップスは、作品をあ らためて単行本にするかを協議した。掲載分をまとめた単行本が既にベストセラーになって いた。

2

匹目のドジョウということで検討するのは当然である。だが、結論は、「見送り」と なった。なぜだろう。

 この事情について、調査報道に詳しいスティーブ・ワインバーグは、その著書『

Taking

on the trust

』の中で、そのわけについて、「ロックフェラー個人が敵なのではなく、同氏の

経営手法が敵だと認識してもらうことを期待した」と分析している。人格攻撃が余りにも手 厳しく、一方的な記事だったからということであろか。

 追加の連載は、出身校アレゲニー大のアイダ・ターベルのサイトに掲載されている。「

John D. Rockefeller

」「

a character study

」などをキーワードに検索すればネット上で閲覧できる。

 簡単に、要約しよう。これまで理性で抑制してきたロックフェラーに対する敵意を感じさ せる、苛烈で凄まじい怒りが一気に爆発する。具体例をベースに、これでもか、これでもか と迫るその憤怒、辛辣さには驚きを禁じ得ない。読み応えがあり、その異常性を余すところ なく分析、完膚なきまでに叩きのめしている。快刀乱麻を断つような辛辣な切込みには、脱 帽するほどである。

 『スタンダード石油の歴史』では、誰も成し遂げられなかった米石油市場の制覇に成功し たロックフェラーの手法について、時系列的に事実関係を説明し、それに内在する法的、道 徳、倫理的な問題点について第三者的な立場から、節度をもって淡々と列挙していた。

 追加では、それまでの落ち着いたトーンとは様変わりとなる。タイトルは、『ジョン・

D

・ ロックフェラー:その性格研究』。利益追求のために倫理性にもとる残酷、犯罪的な手法を いとわぬ冷酷な面と教会に足しげく通い、日曜学校の教師として信徒に倫理を説き、慈善事 業に力を入れる落差の激しすぎるアンバランスを取り上げ、“

2

重人格” と決めつけ、その犯 罪性を指摘している。

 スタンダード石油を王国と見立てて、トップに鎮座するロックフェラーを君主となぞらえ たのか、冒頭、ターベルは、

16

世紀のイタリアの政治思想家マキャベリの『君主論』から の引用を掲げた。

 「君主は、思いやりがあり、慈悲深く、敬虔で、約束に誠実であるという優れた資質をも つべき。だが、場合によっては、これと正反対のことも断行する力も持つべき」。冷酷かつ 無慈悲、非情な手法で、ライバルを傘下に収め、独占に向けた市場シエア拡大に成功し、巨 万の富を築き上げたことを念頭に置いたといえようか。

 メディアなどとの接触を避け、ひたすら沈黙を続けたロックフェラーに対しターベルは、

(18)

「一般大衆の評決に向き合う時が今やってきた」と裁きの開始を宣言する。まず、登場する のが、無能な飲兵衛、発育不全、精神的に卑劣などと評判の芳しくなかった祖父、その次に、

悪徳だらけで有名なペテン師、盗みやレイプなどの犯罪歴もあった実父。これによって、道 徳観を欠く経営手法がロックフェラー家の伝統であることを暗に指摘している。

2

人の存在を永遠に秘密にしておきたかったロックフェラーは、この記事には相当ショッ クを受けたようで、取材に協力した弟のフランクもターベルに名誉棄損モノと手厳しく批判 した。

 そうした家庭環境を紹介したうえで、世界最大の富豪に上り詰めたロックフェラーの富の 源泉の筆頭に、決してフェアーとは言えない鉄道からの違法なリベートを掲げた。なぜ、要 求したのか。「ずる賢くて十分に忍耐強ければ、有利になる」との持論から、多くの貨物を 鉄道へ提供することを餌に、生まれる利益の分け合いを持ち掛け、鉄道側もこれに応じたの である。もちろん秘密にである。

 同時に、リベートによってライバルを蹴散らし、あるいは傘下に収めることで出身のクリー ブランドの石油産業を支配できることに気付いた。リベートのはらむ倫理的、道徳的な問題 点については、まるで無頓着、モラルを欠いた卑劣な手法で独占体制を築いたロックフェラー の性格を形成することになったとターベルは強調している。

 その中身は、これまで再三取り上げたようにスタンダード石油系業者のみに提供する秘密 の格安運賃とライバルの支払った運賃からの還付、いわゆるドローバックである。さらに、

商慣行としては考えられないような、ライバル業者の輸送先やその量などについて各鉄道の 台帳を毎週チェックできるスパイ行為も鉄道に約束させた。「節約にある種の異常な熱意が あった」ロックフェラーならではの発想ということができそうだ。

 南部開発について、鉄道側からは、「独占を形成」、「独立系はすべて破滅」、「生産者を思 いのまま操る」などの懸念も出た。だが、ロックフェラーは歯牙にもかけなかった。

 「自ら進んで隠匿、スパイ、脅迫、贈賄、偽証しなければならなかった」。ターベルは、ロッ クフェラーの経営手法をこう表現している。隠匿とは何か。市場制覇の過程でライバル企業 を次々と買収、傘下に収め占有率を着実に上げていく過程で、スタンダード石油側は、事実 関係を否定、会社の実態についても明かすことはなかった。目的遂行のためには、「秘密の 方が重要」だったのである。

 金銭に固執する姿勢についてターベルは、他人への配慮をゼロとする、極端なカネのガリ ガリ亡者の犠牲者であり、それは、正義、人間性、愛情、人生の喜びより大きく、貪欲な一 人の専制君主、と形容した。手厚い支援をロックフェラーが提供し後盾となった米上院議員 マーク・ハンナの「カネの亡者、カネの亡者。ほかはすべてまともなのであるが、カネの亡 者なのである」とのコメントも披露している。

 記事では、外見への批評も読み取れる。肖像画を通したロックフェラーの外見について「こ れが世界最大の富豪に値する人物なのか。集中力、ずる賢さ、残酷さ、言葉に言い表せない

(19)

ような嫌悪を感じさせる」とバッサリ切り捨てている。

 ターベルは、至近距離から一度だけ観察したことは既に触れた。その取材を基に、「印象 は圧倒的」、「世界一の年寄り」、「生けるミイラ」、「凄まじいパワー」などと前置きした上で、

頭髪、まつ毛、眉毛の抜けた大男、雄牛のような首、いかつい肩、すべてを見通したかのよ うな小さくて、意図的で、壁のように表情に欠け、ずる賢く、狡猾な恐るべき眼、その下が 膨らんでいる、などと続ける。顔は固く引きつり、額は広く、彫りが深い、乾燥した肌、腫 れぼったい頬などとこれでもか、これでもかというほどの細かい描写が並ぶ。

 好ましい形で論評されるのであれば、ともかく、こうした手厳しい断罪は、ロックフェラー にとっても憤懣やるかたないことだっただろう。

 矛先は、慈善事業についても向かう。

1905

年の段階で、創設したシカゴ大学に対する 寄付は、約

1500

万ドル。ラッシュ医科大

600

万ドル、ジョン・ホプキンス大

500

万ドル、

YMCA70

万ドル、それ以外の大学にも計

700

万ドル。バプティスト殿堂会

100

万ドル。総計

では、

4000

万ドルの莫大な規模。ターベルは、「莫大な収入と比較するとたいしたことはな い」、「スタンダード石油からの

3

年の配当でカバーできる」とこの評価もゼロ。

 説教も垂れている。「

35

年前にロックフェラーが、不正義ではなく、正義という秩序を業 界にリーダーとして持ち込み、業界で偉大な能力を発揮できれば、世界でいかに多くの善を なしたであることかを最終的に理解したかもしれないというのは言い過ぎだろうか」、「制限 するのではなくて、機会の平等に顔を向ければ、いかにより多くの人を助けることができた か」、「社会が必要なのは、慈善事業ではなくて、正々堂々と戦うことであることをロックフェ ラーでさえも分かったのではないか」。

 鋭筆はさらに続く。「偽善者、陰謀家、異常な性格」、「人の目を欺き、鉄のような支配、

隠されたカネを、より多くのカネを見つめ、友人からも秘密裏にカネの巻き上げを計画し、

決して忘れず、休まず、満足しない」、「ロックフェラーの謙遜、慈悲、敬虔は、多くの人々 を長い間だましてきたごまかしである」。

 経営手法についても、「カネでしかない」、「カネの機械」、「分別も教養、理想、人格もな かった」、「紳士でもないし、人間でもない」。「良いことをしたことない」、「良いこともでき ない」、「それがないから」、「私たちの自由な成長に脅威として立ちはだかる」。「ビジネスの ためとして脱法行為の正当化」、「議員の買収」、「ライバルを騙す」、「国際法の無視」、「選挙 民の買収」、「中傷」。ありとあらゆる罵詈雑言が並ぶ。凄まじい限りである。なぜ、単行本 として追加出版しなかったのかの謎が次第に解けてくる。

 記事では、実の弟フランクとの間で裁判にまで発展し、最終的にロックフェラーが勝利し たスタンダード石油株をめぐるカネの貸し借りを巡る係争についても触れている。他人には 秘密にしておきたかった身内のスキャンダルが表沙汰になったことにショックを受けていた ようである。

 なぜ、これほどまでに嫌ったのか。その著書『スタンダード石油の歴史』は、ロックフェ

(20)

ラーに対する “娘の復讐” とも言われている。既に、何度も説明してきたが、石油の聖地、

タイタスビルのチェリーツリー出身のターベルは、最愛の父親フランクが石油業者で、油井 のやぐらが林立する地帯で石油の櫓を見て、石油のにおいに包まれ、石油タンクとともに育っ てきた。

 父のフランクは、独立系業者のリーダー的な存在で、石油市場の完全制覇を目指すロック フェラーや南部開発などの策動と激突していた。幼いターベルは、その様子を、身近で見て きた。倫理観に欠く、冷酷、無慈悲、あこぎな商法を父親やその仲間たちから耳にしていた。

 この性格分析を執筆していたちょうどその頃、圧倒的な力に敗退を余儀なくされた失意の フランクはガンで臥せっており、ターベルの最終稿も見ることなく死亡した。ロックフェラー に対する最後の怨念が燃え盛っていた時である。その分、筆も鋭かったのであろう。

2

章、書評

 製品価格を自由に操作したばかりか、カネに任せて議員を買収し、自らに不利な法案を葬 り去り、有利な法案を整備するなどの目に余る政治腐敗が進行し、市場を支配する巨大トラ ストに対する庶民の反感が、当時、高まっていた。何よりもカネを優先する拝金主義が蔓延 し、金ぴか時代ともいわれた世相を背景に、トラストの横暴を糾弾する『スタンダード石油 の歴史』は、直ちにベストセラーに躍り出た。

 新聞などに掲載された書評は、存外良好だったようだ。ニューヨーク・タイムズ紙は、「ビ ジネス小説としてどれよりも読み甲斐がある」、「議論のある両面を著者は、正直に書いてい る」と激賞した。ワシントン・タイムズ紙は「米国文壇で傑出した人物の

1

人であることを 自らが証明した」、クリティック誌は、「ターベル女史は、ゴングのなる前に事実を書き、ス タンダード石油の歴史は、現時点で、これまで米国で書かれた本の中で、最も傑出した本で ある」とその偉業をたたえた。

 上司のマクルアーも「米国で最も有名な女性になった」とターベルを褒めちぎった。つい には、石油業界の” ジャンヌダルク” とも呼ばれたのである。

 もっともターベルは、ロックフェラーの反応が知りかった。共通の友人から「一言もない。

間違いを書いた女に一言もない」との反応が漏れ聞こえてきた。

 ロックフェラー系のメディアからは、当然のようにこき下ろす論調が目立った。リベート のカルテルで強固に結ばれた鉄道系の雑誌『ネイション』は、秘密裏に結ばれたリベートな どのビジネス慣行について「とても不愉快なのは真実だが、競争は、必然的に不愉快」とし てスタンダード石油側を擁護した。

 かつては、反ロックフェラーの急先鋒だったタイタスビルのオイル・シティ・デリック紙 でさえも「ヒステリックな女対歴史的事実−ターベルはいかにして正当なビジネス取引を曲

参照

関連したドキュメント

次に,同法制定の背景には指導者たちにどのよ

これを逃れ得る者は一人もいない。受容する以 外にないのだが,われわれは皆一様に葛藤と苦 闘を繰り返す。このことについては,キュプ

分からないと言っている。金銭事情とは別の真の

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。