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東アジア共同体構築に向けての基礎作業 : EUの教 訓から学ぶ地域アイデンティティー形成の重要性

著者 阿部 望

雑誌名 PRIME = プライム

号 24

ページ 35‑39

発行年 2006‑10

URL http://hdl.handle.net/10723/619

(2)

はじめに

現在、 日本およびアジアの諸国の一部の人々の 間で、 「東アジア共同体」 構築の推進論が展開さ れていることは周知の通りである。 筆者は、 短期・

中期的にはともかく、 長期的にはこの動きは望ま しいのみならず、 不可避なものであると考える。

もちろん、 東アジア共同体あるいはそれと類似し た共同体の構成国としてどの国を想定するかは現 段階では不確かであり(1)、 またその有力な候補国 (日本、 中国、 韓国など) の間の現在の信頼関係 は未だに低水準に留まっているという事実を考え ると、 このような共同体を直ちに想定することは、

非現実的であろう。

しかしながら、 仮にこのような共同体が長期的 には望ましく、 かつ実現可能であると確信するな らば、 それに向けたいくつかの基礎作業は直ちに 開始されなければならない。 このような基礎作業 は実はかなり多様であり、 既にいくつか具体的に 提案されている。 本稿では、 そのうち筆者が特に 重要と考えるものを一つだけ取り上げ、 それを検 討することとしたい。 それは、 地域共同体を持続 可能なものとする基本的要因の一つとしての 「地 域アイデンティティー」 の重要性である。 実際、

地域共同体の長期的発展を想定する場合、 それは 好条件のみならず、 悪条件の下にも置かれること になるであろう。 特にこうした悪条件の下でも、

共同体を分裂させず維持していくための条件の一 つが、 地域共同体のアイデンティティーの存在な

のである。

EU

におけるヨーロッパ・アイデンティティー (EI)

周知のように、

EU

は第2次世界大戦後にその 産声を上げ、 紆余曲折を経ながら着実に発展し、

1999年には共通通貨ユーロを導入し、 また2004年 には新たに10の新規加盟国を得て、 25の加盟国な らなる巨大な地域共同体 (=地域連合) となった。

戦後の60年以上にもわたる発展を通して、 そこに は政治経済的に非常に厳しい時期もあったが、 ヨー ロッパの市民はそれを乗り越えてきたのである。

当初

EU

(当時は

EEC) の加盟国は6カ国であっ

たが、 その後何回か加盟拡大を経験し、 1995年に は15の加盟国からなる

EU15が成立した。 もとよ

り、 加盟国が増えれば増えるほど共同体は多様化 し、 そのアイデンティティーを維持することが困 難となる。 この意味で、 一挙に10もの新規加盟国 を加えることとなった2004年の加盟拡大は、 ヨー ロッパ・アイデンティティー (EI) に対する深刻 な挑戦でもあったのである。

こうした中で、 ユーロスタット (欧州統計庁) は、

EU

加盟前の中東欧諸国に対し、 2001年10月 から2003年11月にかけて一連の世論調査を行い、

これら諸国の

EI

の動向を調査した(2)。 この調査 はいくつかの項目についてなされているが、 その 中の中心的なものとして

EI

に関する調査があげ られる。 そこでは市民は、 自分自身を、 「ヨーロッ

東アジア共同体構築に向けての基礎作業

EUの教訓から学ぶ地域アイデンティティー形成の重要性

(国際平和研究所所員)

(3)

パ人とのみ感じる」、 「ヨーロッパ人と感じるが、

自国民とも感じる」、 「自国民と感じるが、 ヨーロッ パ人とも感じる」、 「自国民とのみ感じる」、 の4 つの選択肢から選択することを求められる。 その 結果、 最も多い回答は 「自国民と感じるが、 ヨー ロッパ人とも感じる」 と 「自国民とのみ感じる」

の2つにおおむね集中している。 そこで

EI

の程 度を指数化する一つの試みとして、

EI

指数が提 案されているが、 それは上記の4つの選択肢の中 で前3者の比率の合計から最後の選択肢の比率を 差し引いたものとして定義されている。 そして、

中東欧諸国10カ国の市民の

EI

指数を見ると、 こ の間の平均で18.3%、 他方

EU15の市民のそれは

19.0%となっている。 この事実は、

EU

市民はか なりの程度ヨーロッパに対するアイデンティティー を有していることを示していると解釈しうるであ ろう。 さらに補足的にもう一つの調査結果を示し ておこう。 それは 「EUに対する愛着心」 である。

2003年11月の調査によると、 中東欧10カ国の市民 は、 平均すると、 「ヨーロッパへの愛着心」 があ ると回答したのが34.4%、 「自国への愛着心」 が あると回答したのが79.1%であった。 いうまでも なく、

EU

は多様な国家を含んでおり、 そのいず れの市民ももちろん強い自国意識を持っている。

このことを前提として上で、 上記の世論調査の結 果を見ると、 そこには無視し得ない水準の

EI

存在することが確認されるであろう。

東アジアの現状

これに対して、 東アジアでは地域に対するアイ デンティティーはどのようになっているであろう か。 残念ながら、 ユーロスタットの調査に対応す るような詳細な国際的調査は存在しないように思 われる。 そこで内閣府大臣官房政府広報室の公表 している 外交に関する世論調査 (2005年10月 調査) を用いて、 関連すると思われる若干の項目 を見てみよう(3)。 まず日本の有力なパートナー国

の一つである中国に対する愛着度 (親近感) を見 てみる。 この調査は1978年以降毎年実施されてい るが、 当初はむしろ親近感が強く、 「親近感指数」

(= 「親しみを感じる (%)」 − 「親しみを感じな い (%)」) はプラス36.5%であったが、 近年では 親近感が急速に減少し、 それはマイナス31%になっ てしまった。 同じ指数を韓国と東南アジアについ てみると、 前者では6.8%、 後者では5.2%となっ ている。 したがって、 現時点における日本人の東 アジア諸国に対する 「親近感」 は、 それほど高い ものとはいえないという結論が導き出される。 と はいえ、 より現実的な考慮が必要な設問である

「日本から見た対外重点地域」 として、 日本人の 回答者がもっとも多くあげているのが北東アジア (46.6%)、 であり、 これは東南アジア (27.9%) と北アメリカ (27.0%) を上回っている。

以上の限られた調査から、 日本人および東アジ アの人々の地域アイデンティティーの強さを判定 することは困難であるが、 他の断片的な情報から、

この地域には共同体を持続可能なものにするだけ の地域アイデンティティーが既に存在していると 考えることは無理であろう。 この事情は、 現段階 で地域共同体を想定することの不可能さを示して いるのであろうか。 実は必ずしもそうとはいえな いというのが、 筆者の見解である。 というのは、

EU

におけるいくつかの研究から、 注目すべき結 果が得られているのである。 例えば、 「多くの研 究によれば、 ユーロの導入以前には、 個人のアイ デンティティーを問われた時、 人々はヨーロッパ 人であるとは通常は答えず、 国家への帰属を問題 とした」 という指摘(4)や、 「EUはヨーロッパ・

アイデンティティーを形成し、 また表現する上で、

きわめて成功してきた。 加盟国の間で<ヨーロッ パ>という用語は、

EU

の諸制度とますます同意 語的なものとなった」 という指摘(5)がなされて いる。 これらの指摘はいずれも、 地域アイデンティ ティーは当初から一定水準にあったのではなく、

東アジア共同体構築に向けての基礎作業

(4)

地域共同体の制度的整備とともに強まってきたこ とを示唆している。 筆者はこのような見方を、

「制度的アイデンティティー仮説」 と呼んでいる。

ヨーロッパにおける制度的アイデンティティー仮説 制度的アイデンティティー仮説は、 東アジアの 文脈において、 有望な可能性を与えてくれる。 つ まり、 現時点で仮に地域アイデンティティーが希 薄であったとしても、 徐々に制度を充実させてい くことで、 それが強化されることを期待しうるか らである。 それではそのために具体的にどのよう な取組が有効であろうか。 この点で参考になるの が、 中東欧諸国での調査である。 同じくユーロス タットの調査 (2003年5月) の中に、 ヨーロッパ 人意識を高める要因に関するものがある。 その結 果は、 下表の中で要約されている。

この結果から、 中東欧の市民は、 ①地域内の自 由な旅行、 ②地域内の自由な就学・就職、 ③地域 共同体加盟、 ④地域共通通貨導入、 ⑤ヨーロッパ・

パスポート (ID) の導入、 ⑥異文化の認識、 ⑦

多言語の習得といった制度や行動が、 地域アイデ ンティティーを強めると考えていることがわかる。

もとよりこれらの全てが東アジアにおいて直ちに 実行可能なものとはいえない。 しかし、 そこから 若干のヒントを得ることはできよう。 以下でこの 点を考察する。

東アジアにおける地域アイデンティティー育成の ためのいくつかの提案

上述した

EU

における制度的アイデンティティー 仮説は、 東アジアにおいても、 いくつかの点で直 ちに着手しうる項目を示唆している。 それは、 地 域内の自由な旅行、 地域内の自由な就学・就職、

異文化の認識、 多言語の習得などに関する制度的 工夫である。

筆者は、 これらはいずれも有効かつ重要な提案 であると考える。 しかしながら、 ここではそれ以 外に特に次の2つの活動を提案したい。

第一は、 ユーロスタットの試みを、 東アジアで も開始することである。 つまり 「東アジア」 アイ

ヨーロッパ人意識を高める要因 (2003年5月調査) ブルガ

リア チェコ エスト ニア

ハンガ リー

ラトビ

リトア ニア

ポーラ ンド

ルーマ ニア

スロバ キア

スロベ

ニア 平均

EU 加盟 56 48 33 50 43 61 49 66 56 52 51.4

ヨーロッパ・パスポート(ID) 46 32 25 43 39 32 41 42 45 42 38.7

ユーロ導入 44 44 26 41 37 44 37 52 46 59 43.0

自動車の欧州ナンバー 22 18 6 17 14 14 18 21 18 28 17.6

EU 内の自由な旅行 60 57 44 59 53 63 60 61 67 59 58.3

EU内の自由な就職・就学 58 52 41 55 46 59 53 57 61 61 54.3

ヨーロッパ共通の休日 19 19 22 20 12 20 30 20 30 19.7

多言語の習得 36 37 23 36 27 27 39 35 46 41 34.7

異文化の認識 42 35 19 37 33 30 39 39 44 39 35.7

その他 3 5 2 5 5 2 5 5 3 6 4.1

(出所) CCEB2003.2 Annex Table 3.4から作成。

(注) 「以下の項目のうちどれが実現したら、 あなたはもっとヨーロッパ人と感じると思いますか?」 に対する回答率 (複数回答)

また網掛けのセルは、 各国でもっとも大きな数字 (回答率) を示している。

(5)

デンティティーと関連するような世論調査を、 当 該地域の各国において同一のフォーマットの下で 定期的に実施するのである。 そこではいくつかの 項目が調査されることになるであろうが、 その中 には当然、 「東アジア人とのみ感じる」、 「東アジ ア人と感じるが、 自国民とも感じる」、 「自国民と 感じるが、 東アジア人とも感じる」、 「自国民との み感じる」 といった選択肢や、 「東アジアに対す る愛着」 といった項目も含まれることになる。 も ちろん当初はこの質問から得られる 「東アジア・

アイデンティティー」 の値はきわめて低いものと なるであろう。 だが最初の段階で重要なのは、 そ の数値ではなく、 そのようなアイデンティティー もありうることを、 東アジアの人々に認識しても らうことなのである。

第二は、 東アジアの各国において、 共通の社会 経済指標を用いて、 各国の社会経済状態を把握し、

それについての相互理解を深めることである。 こ れについては、 筆者だけでなく、 他の論者も提案 している。 例えば竹内佐和子は、 「アジア共通の 経済指標」 の作成と活用を提案し、 その中で特に、

「エネルギー・環境」、 「貿易・投資」、 「産業統計」

の3つの分野で共通指標を作ることを提案してい (6)。 筆者は、 竹内の提案に賛成であるが、 その 内容については若干異なる見解を持っている。 つ まり、 共通に作成し、 活用すべきなのは、 「持続 可能な発展指標」 であると考える。 この指標は、

経済面、 社会面、 環境面の3つの側面を含むもの であり、 これまで既に、 国連、

OECD、 EU

など で提案されている。 その中で筆者がとりわけ注目 しているのが、

EU

の 「持続可能な発展指標」 で あり、 それは、 経済発展、 貧困と社会的排斥、 高 齢化社会、 保健、 気候変動とエネルギー、 生産と 消費のパターン、 自然資源の管理、 運輸、 ガバナ ンス、 グローバル・パートナーシップの10の分野 を含むものである(7)。 筆者の提案は、 もちろん東 アジアでこの

EU

の指標をそのまま使用すること

ではない。 東アジアに適合するように修正された 指標が用いられるべきであろう。

また、 この共通指標との関連で、 最近注目を浴 びている 「東アジア地域通貨」 についても考える ことができる。 つまり、 この地域で共通通貨をい きなりユーロと同じ意味で活用することは実現不 可能であるが、 何らかの参照通貨あるいは計算通 貨として用いることは不可能ではない。 これもあ る意味では 「共通指標」 の一部として理解するこ とが可能であろう。

結語

以上、 本稿では将来における 「東アジア共同体」

の構築は望ましいだけではなく、 不可避であると の認識の下、 その本格的な稼動にとって、 この地 域の 「地域アイデンティティー」 の形成が非常に 重要であることを指摘した。 そしてそのためには、

EU

における経験から、 当該地域の制度の整備が 必要となること、 そしてその一応の完成は数十年 先になるとしても、 現時点で直ちに着手できるプ ロジェクトも多数存在することを強調した。 その 中で筆者が特に強調したものは、 東アジア地域に 共通の世論調査と社会経済指標を用いての各国の 情勢に関する定期的な情報交換と相互検証である。

こうした地道な活動を通して、 この地域における 地域アイデンティティーは徐々に形成されるよう になり、 将来の地域共同体の力強い基盤となるこ とが期待される。

(1) 候補として、 「ASEAN+3」 や 「東アジア サミット」 などがあげられる。

(2) この点については拙稿、 「EU加盟拡大と 中東欧のアイデンティティー」、 ロシア・

東欧研究 、 第34号 (2005年版)、 3‑13、 参 照。

(3) 外交に関する世論調査 (2005年10月調査) 東アジア共同体構築に向けての基礎作業

(6)

(http://www8.cao.go.jp/survey/h17/h17-

gaikou/index.html)

(4)

Meier-Pesti, Katja and Kirchler, Erich (2003), “Nationalism and Patriotism as De- terminants of European Identity and Atti- tudes towards the Euro”, Journal of Socio- Economics, 2003, v. 32, iss. 6, 685-700

(5)

Mayer, Franz C. and Palmowski, Jan (2004),

“European Identities and the EU

The Ties That Bind the Peoples of Europe”, Journal of Common Markets Studies, September

2004, v. 42, iss. 3, 573‑98

(6) 朝日新聞 、 2006年5月8日、 11面 (7)

Commission of the EC, Communication on

Sustainable Development Indicators to moni- tor the implementation of the EU Sustain- able Development Strategy, SEC (2005) 161 final

を参照されたい。 また拙稿、 「EU おける持続可能な発展と個別政策統合」、

東海大学教養学部紀要 、 第33輯 (2003 年)、 23-58も参照されたい。

参照

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