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翻 刻 『 紀 の 路 御 遊 覧 日 記 』

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(1)

翻刻『紀 の 路 御遊覧日記』

鶴 﨑 裕 雄

大 利 直 美

*キ ーワ ード

文 政 七年/ 貝 塚御坊願泉寺/和泉・紀伊国 紀 行/泉南 ・紀北名 所歌 枕/ト 半家 一門 ・家 臣団

貝塚願 泉 寺 われわれ新 川 家文書 研 究会 では 国文学研究資料館の新 川

と 卜 半 家 家文献調査と平行し て 大 阪府 貝塚市の浄土真宗願泉寺の

文献調査も行っ て い る 。 こ の貝塚市の願泉寺 は 特 異 な 存在の寺院 で あ る 。

願泉寺の設立 は 、 天正十五年( 一五八七)五月十九日の記日 を 記 す個

人蔵 『貝塚寺内基立 書 』 に 、 行 基菩薩の遺跡に十五世紀中期 の応仁 年 中、

蓮如上人 が 逗 留 し 、人 々が集まったことを 寺 院の始まりとする 。この史

料につい ては 種々 史料批判が行 われ てい る が 、 お よそ貝 塚 御 坊 (後 の願

泉寺 ) の 設立 は戦国期 に 間 違 い な く 、 続 く 織 豊期 か ら 江戸 幕 府 の 成 立期

の混 乱と 深 く 関わ りな が ら 発 展 した と考 えて よ い 。

戦国期、この泉州一 帯 は 和 泉守護の細川氏

・ 河内守護の

畠 山氏

・ 膝下 荘

園を 泉南 地 域 に持 つ 根 来 寺 、加 えて 『 政 基 公 旅引 付 』 の 九 条家 のよ う な

荘園領主たちが三つ巴、四つ巴と な っ て 争っ ていた。その隙間 を縫 うよ う に 勢力を 蓄 え 、 拡 張 した の が 、日根 郡 瓦屋を 本 貫とする 佐野川新 川家

や中 庄の 新川 家 ( はじ め三善 氏 、 後 の中 庄新川 家 ) な どの土豪層 で あり、

両氏は 姻 戚関係 を 結ん で 勢 力を 拡大し て いった。

信 長政権下 で は 御 坊を 中心と し た 貝 塚の 一向一揆 が信 長に抵抗して 兵

を 大 坂本願寺(石山本願寺)へ送 っ た。 天 正 八年顕如 が、続い て 教 如 が

紀州に 退 出し、 信 長 没後に は秀吉の融和政策に よ り顕如

・ 教如たちは

貝 塚

へ、 続い て 大 坂天満に移り、 最 終的に は 京都の七条に本拠が与え ら れた。

さ ら に 徳 川政権下 で は 同 じ七条の地に西本願寺と東本願寺が 成立した。

この よう に貝塚の御坊 は 一 時本願寺の中心寺院 で あった が、本願寺天

満移座以 降、寺内 を 預 ったのが佐野川新 川家出 身 のト半斎了珍(ト半家

初 代 )で あった。 と ころで 、 信 長 没 後 、秀吉と家 康 が小 牧長久 手 で 争 っ

た時、紀州 や 泉州の諸勢 は 家康に 荷 担し た。小牧長久手 合 戦の翌 年 (天

(2)

正十三年) 、 秀吉は 紀 州攻めを 敢行し、 敗北した泉州の勢力は秀吉に従っ

た。 佐野川 ・ 中庄 両新 川家 も秀吉 の 弟秀 長の家 臣 小 堀 正 次 の指揮 下 に入っ

た。

秀吉没後、卜半家・新川一門ともに 徳川 氏に 接 近 し た 。特に、 慶長 十

五年( 一 六 一 〇 ) 貝塚の寺内で ト 半 家と 住民との間の主 導 権の争い が起

こった時、徳 川幕府も大坂城方もともに卜半家 に 有 利 な 判 定 を 下した。

この判定に対し て 卜半・新川一門 は 新年の挨拶 を 兼ね て 駿 府(静岡)に

い る 家康 を 訪 ねた。その道 中、 新川盛政の詠 歌を纏めたものが『駿河下

向記』 ( 翻刻

鶴﨑裕

雄 「 「 新 川 盛 政 駿河下向記」の史 料的 研究 」 『 研究調

査報告』

36 国文学研究資料館

'16 3)

であ る。

本稿の冒頭に「願泉寺 は 特異 な 存 在 の 寺院」 と 述べ た。特異 な 存 在 の

一は 、 願 泉 寺 は 御 坊 と して 西 本 願 寺

・ 東本願寺両派に属し

て い る こと であ

る 。 二は 、願泉寺の 住 職が得度す る のは 、江戸(東京 )の東叡山寛永 寺

で 行 われ る こ と で あ る 。寛永寺 は 天 台宗寺院 であ る。三 は 、願泉寺住職

の大名の如 き 存在 であ る 。 こう したことを 通 じ て 東西両本願寺か ら 独立

性 を 保ち、貝塚の領主とし て の 地位 を 保 持した。以上、近藤孝敏「貝塚

寺内の成 立過程について ― 「貝塚寺内基 立書」の史料批判 を 通 じ て ―」

( 『

寺 内 町 の 研 究

』 第 三 巻 法蔵 館

'98 )

・ 大澤 研 一

「泉州の

な か の貝塚願

泉寺 」 ( 『貝塚 願 泉寺と泉州堺』 堺市博物館図録

'07 )

・ 『貝塚

市 史』 第一

巻~第三巻(貝塚市

'84 復刻)に詳しい。 『紀 の路御遊覧

ここに翻刻す

る 和 歌山県立文書館蔵『紀の路御遊覧

日 記

』 の 概 要 日記』は

、われわれ新

川家文 書 研究 会の研究対象で

あ る 和泉国中庄の在 地 代官 新川 家に深く関連す る 貝塚の願泉寺住職が紀

伊国の寺社 参 詣

・ 名勝遊覧を

行 った紀行 であ る 。

『紀の路御遊覧日記』の体裁は 、 装訂袋綴 、縦二四

・ 八㎝、横一七

・ 〇

㎝、枚数二二丁、料紙は 楮 紙、表紙地は 利休鼡 で 、唐花 向 かい鳥七宝 繋

ぎ模様、題簽は左 に双辺で 「紀の路

道詣 記

」 と あ る。と こ ろが 表 紙 の 見

返しが剥 がされて いて 、剥 がされた紙に「紀の路 御遊覧 日 記」とある 。

これは 内 題 で はな く、最初の仮綴 じ本の原表紙 で 、 現在の表紙 を 付けた

時、表紙の見返しに貼り込んだ形跡が あ り、後に それを 剥 がしたものと

思われ る 。本稿の題名に つ い て は 所 蔵者の和歌山県立 文書館『 文書館だ

より

』第

43 号(

'14 7)に従

っ た。

願泉寺第十代住職卜半了眞 は 、 文 政 七年( 一 八二四)九月、一族・家

来を 引 き 連れ 、和泉国の犬鳴山か ら 和泉と 紀 伊の国境を 越 え 、 粉川寺・

紀三井寺

・ 玉津

島明神を 参詣し て 、 加 太よ り和泉国 に帰り、 蟻 通 神社を 経

て帰 宅し た

。 こ の 道中 記 に は、

冒 頭 に 漢 文 と 和 文 の序 が あ っ て

、 勅 撰和

歌集 などの真名序

・ 仮名序が伺われ

、 文学意識 が 高 いといえよう。

書き 方 は か な り雑駁 で 、 和 歌と俳諧 を同時に 書き 込ん だり、時刻の配

列が でた ら め であったりし てい る が 、風景の詳細 な 記 述とともに 宿 泊先

の掛 軸や扁 額 など を丹 念に 書写し て い る 。特に興 味 深 いの は主人了眞 た

ちの朝食

・ 夕食な

ど を 書 き留めて いる ことで 、 道 中 とは いえ 、 当 時の食 生

活が窺われ る 。

(3)

以 下 、日次を 追って 行 程を 纏 め る 。

9月

23 日 五ツ 前

朝代 法 願

(あさ

しろ)

寺小休、 五ツ 時

土丸極楽寺小休、

五ツ半

木村米屋源七

朝飯、

九 ツ時

不動尊

参 詣

(七

宝滝寺)

、 八

ツ 前 瀧本坊御入

中 飯、八

ツ 半

馬部

(ばべ)

峠、

六ツ過

志野峠小休、

雨降 る

、 六ツ半

桜池

小休、五 ツ半

粉川御着

宿車屋久蔵、夜食、朝食。

24 日

五ツ 半 粉川観音参詣、黒

土村中飯、

厄 除 観 音 御 両 所

(長田

観音寺)

参詣

、 高田 村

(打田)

田 家軒小休、 中居坂村張姫 小休、 七 ツ半岩 出 着、 夜当地町

筋御両所遊 行 、夕飯 、 朝飯。

25 日 五ツ時

岩出御

、紀ノ

、三 ツ 家

(満屋)

、馬 つ ぎ

(馬次)

、ゆ り 村

(圦村)

、松 林

丘山中飯。 七 ツ前

紀三井寺門前御着、

即日観音参詣、 七ツ半時

着、石 碑 書写。夜食、 朝 飯、紀三 井寺眺 望 、和 歌浦八 景 見 物 。

26 日 四ツ 時

紀三 井寺門

前 旅館御立

。 乗 船 八 艘

。 着岸。

拝殿下休 足、玉津島明神参詣、大宗

寺蘇鉄山

遊覧

、浦家名産貝色々御

和 歌 浦 、 片 男 浪・ 天 満 宮・ 東 照 宮 参 詣 。 八 ツ 時

若の浦

和歌)

茶店中 飯 、

七ツ 時茶 店御立。正 暮 六ツ 時

和歌

山御着。 御宿。

27 日 和歌 山御立。 五ツ 半過迄

鷺之森御坊参詣

。 四 ツ 半

北嶋

渡し 。

四ツ 時

狐嶋田

家 小休

。九ツ

過 並松 通り

、小家

・ 松江 浦 遊 覧。九 ツ半

元之

(本)

脇村糸切

茶屋中飯。七ツ時

加田

(加太)

御着

。御宿

北 川何某、

張姫 様御 宿い な 屋 。 ( 十年程前御前

(了真)

御小休 。 )夕御膳、朝御膳。

28 日 五ツ時

御立

。五 ツ半

姥邊峠

(う

ばべ)

小休

。四ツ時

大川 八 幡 宮 御 両

所参詣、 慈雲山報恩講寺参詣。 九ツ時

湊遊覧。 九ツ 過 田川

(谷川)

中飯

田川。 箱 作新

(山中)

田、 七ツ時

貝掛村小休。

黄昏

尾崎御着

。 御 宿紀伊 国屋。 夕御膳、朝御膳。

29 日 五ツ半時

尾崎御

。 男 里 浄

(おのざと)

泉寺門前

通過。

四 ツ半 躑躅 岡

林勝

(林昌)

寺小休。

九ツ 前 中飯 信達

邑。

(しんだち)

信達 御 立

。 八 ツ 時 蟻通 明 神 御参詣 。 七ツ半過頃礒通

(蟻)

御立、四ツ池

(佐野)

、佐の川、

(瓦屋

・ 佐野

川)

御帰館。

同行 者

大名家と変 わ らない卜半家の人的組織 を 見 る ためにも同行者

の面々

を確 認 を す る こ と は有 意 義 なこ と で あ ろ う

本記の著者は 最初の仮綴 じ本の原表紙に記された 呑海軒 と考え ら れる

が、人物特定に は 至って い な い 。 本 記「仮名序」に よ れ ば 、同行者の中

で墨 など の 筆 記 具 を携 帯し てい た の は

「 目 黒 子

」(

才 蔵

と 「

臣」

= 呑 海

軒のみであったとされ る の で 、 書 務官

・ 秘書官

的 な 諸実務 を 行 って いた上

層家来 の 嫡 流 の子弟と予想される 。 「呑海軒 」 「 呑海 」の落款や 署 名を 糸

口に「願泉寺文書」 を 検 索す る と 、嘉永 七 年( 一八五四)九月五日~ 一

〇 月 一 六 日の

「御朱印御改

参向之記」

「 願

」A

31 )や

慶応二年(

一 八

六六)一 〇 月 九日~ 一 二月二七日の一四代将 軍家茂急逝弔問の「江戸参

府記

」 (

「 願

」A

31 )を 残 し て お り 、 本 記 執 筆 から 幕 末 に 至 る ま で 、 卜

半 家 来とし て 実に四 〇 年以上現役 で 仕え ていたことが判り、 年 齢未詳 な

が ら 「八十八翁」の時の書を 残 したよう に、長寿で あったことも 判 明す

る(

「 願

」 L 3

・ 1)

。以 下、

( 「

願」A

31 ) (

「 願

」 L 3

・ 1)

など は 貝 塚

寺内町歴史 研 究会作成の仮目録番号に よ る 。 このほか、願泉寺所蔵の謡

曲本 ( 「 願」 G4) や 能仕舞付 ( 「 願」 G

27 ・

38 ・

39 ・

40 )

、 笛 曲 目

( 「

G3) な どの伝書類に 「呑海軒」 「 呑海」 の 朱印 が押されて い る の で 、 卜

(宿)

(天曜寺大相院)

(古屋)

(4)

半家 の文 化的伝統を 引 き継 いで 、能 楽な ど の 芸能 にも 長じた人物 だ っ た

と考え ら れる 。

この紀行の同行者の名前が最後の丁 (

22 丁ウ) に 列記されて い る 。 上

段の主 人 筋の 「御上 」 に○印 が 二 か 所あ り 、 男 性 三名 、 女 性 五 名を 記す。

下段に は 家来筋の「御供」に○印が 二か所 あ り、男性一 〇 名、女性一四

名を 記す。 次 に 「 林兵衛」 以 下 五名の名 があ り 、 最後 に 「 駕 籠 人 足 七人」

とある 。

御上

御前 卜半了真。 卜 半家 一〇 代当主。 安永 七年( 一 七八八)生。 幼 名

房丸。初

名兵 部(

「並河 記 録」

『貝塚市

史』3

198 ~

199 頁)

。正室新坊

盛女 。側室和 歌浦 。正室と側 室 に五 男五 女 。 継職後、 程 な く 卜 半 家 当 主

とし て同 家の宗教 的権威 の 再興 や寺内法規 の 整理

・ 再編を

図 る 。 文 化 五年

( 一 八 〇 八)親鸞上人絵伝を 筆 写し、同文 化 一五年、初代卜半斎了珍か

ら五 代 了 匂 ま

りよういん

での歴代 当 主 影像 を 修 復し た ( 「願」 J 3

・ M9

・ M

20 ・ K

51

1) 。本記、紀州参詣

・ 遊覧の直前、文

政 七年( 一 八二四)九月、朝 廷 よ

り薄色八藤指貫着用認 可の免許状が下さ れ て い る ( 「 願」 A

1143 ) 。

弘 化 三

年( 一八四六)三月一二日没 、諡号顕明院 。 ( 「願」卜半氏系図) 。

太郎丸 様 卜半了諦。 一 〇 代 了真 長男 、後 、卜半家 一一代当主。文 化

六年(一八 〇 九)五月九日生。幼名 太郎 丸 。 室九代 了 恕女 。五 男六女 。

弘化三年 ( 一 八四六 ) 六 月 に継 職。 慶応 三年 ( 一 八六 七) 三月二 三 日

大僧正。明治十年( 一 八七七)一一月二二日没( 「願」卜半氏系図) 。 諡

号興 教院 。 紀 州参詣

・ 遊覧の直前、

文 政 七年 ( 一 八四二) 八月 、 江 戸寛永 寺よ り僧 綱 連 署達 書

・ 補任状等が下され

、 新 得度とし て 了 諦の法名と蓮乗

院号 ( 「 願」 A

1533 ) 。 これよ り 大徳を 皮 切 り に次々と 昇進、 翌 々年 、 文 政

九年 一月ま で に権少僧都法眼和尚位に昇進( 「願」A

1486 ~A

1491 ) 。

参友 丸様 了胤

よしたね

。文 化十年( 一八一三)四月二十一日生。 一 〇 代 了真

三男。 通 称大蔵 、 ト 半 連技家 「 下屋 敷」 を 相 続。父了真影像に 裏書 を加

え(

「願」

M 7

) 、 ま た彼自身の詠

草も一 点 残さ れ て い る

( 「 願」

1693 ) 。

嫡子の了諦と夭逝したと推さ れ る 末 子按寮使(按察 使 カ) を除き、兄 弟

の了円(次男 、幼名次若丸仏光寺公園養子)

・ 済信(四男

、 幼名繁友丸、

仏光寺円信養子) はともに養子に出たの で( 「願」卜半氏系図) 、 彼 は 卜

半家 連枝と し て 嫡 流 断 絶 等 の 不 測の 事態 に 備 え 、 貝塚 に留めら れて いた。

なお 本 記 に 次 男 了 円

・ 四男

済信 がみ えな いのは 文 政七年 ( 一八二 四 ) 時 点

では既に養子に 出 ていたの であろう。

奥方様 了真の正室。 系図に よ れ ば 「新 坊実盛女」 と ある ( 「 願」 卜半

氏系図) 。俗名 は 不詳 。 長 女

・ 次女

を儲けたと思われ る 。 な お 、本記三年

後の文 政 十年( 一 八二七)一一月五日に了真婚礼の記事が あ る の で ( 曽

我友良「史料翻刻

吉村

家文書『諸用記』一『寺内 町研 究』 7」 、 系 図に

後 室 の 記 載は な い が 、 彼 女は そ れ 以 前 に没 して い た ら し い。 また、 「 御 勘

定 所 年中行事」天保十 一年( 一 八四〇 ) 四月一二 日に「新 坊顕徳 院 」の

祥月命日の仏

事が執行されて

おり(

『 貝塚市史』3

606 頁)

、夫、了真の

諡号か ら みて も、この人物 が「奥方様」にあた る と思われる 。 生家の新

坊家 については 、 未だ 確証は 得 ら れ て い な い が 、大 和国吉 野 山の吉 野 水

分神社

( 子 守 明神)

神 官 一 族 が 新 坊 氏な の で

( 表 野家 文書 89

35 55)

(5)

恐ら くこ こ か ら 嫁 いで き た ので は あ る ま い か 。 張姫様

・ 常姫様・好姫様・俊姫様

巻末(

22 丁ウ)に奥

方 様に次いで

四 人 の姫 様の名が 見え る。 「卜半 氏 系図」 に記さ れ た了真息女五 人の うち、

三女

・ 四女が好姫

・ 俊姫とすれ

ば 、本記末尾の 姫の記載順序 は 生 年順だと

推定され 、張 姫 は 「高 田輪 婁妻 」とある 長女 、 常姫

は「

小 山 之 璋

これあき

妻」

あ る 次女に あ た る と考え ら れ る ( 「 願」卜半氏系図) 。この内、 張姫・常

姫 の生母 は 正室 ( 奥方様

) で

あ ろ う

。 好姫 ・ 俊 姫 の生母 は 側室 ( 和歌浦

) 。

好姫

(好

よし

)は 一 〇 代了真三女、文 化 十二年十月十日生。 天 保三年( 一

八三二) 一一月、 伊勢国名張藤堂 ( 宮内) 家 (伊勢津枝 藩 、 一 万五千石)

の九代長徳

ながのり

( 一 八 一 一 ~ 一 八 六 四 )に 正 室 と し て 入 嫁 し た( 「 願 」卜 半 氏

系図曽 我 友良「 史 料 翻 刻

吉村

家文書『諸用記』 二『寺内 町研 究』 8) 。

俊姫

は一

〇代 了 真 四 女 文政 元年

(一 八一 八

) 七月 四 日 生

。 天 保 五 年

(一 八三四)一二月、柔和

やわ

(柔)姫に改名。京都の公家 梅 小路家(藤原 北 家 勧修 寺

・ 清閑寺庶流の堂上家(家格は

名 家) )一 〇 代 当主定徳

さだよし

(一 八一 二

~一八四七、 兵部大 輔 ) に 入嫁し た ( 「 願」 卜半 氏系図 。 曽 我 友良 「 史 料

翻刻

吉村

家文書『諸用記』三『寺内 町研 究』 9 ) 。

また、系図 で 「稲葉 勘 解由妻」とされ る 五女に関し て は 詳 細不明。或

いは この当時まだ出生し て い な か ったか。

御供

市郞右衛門 津田 篤、 卜半 家重 臣の 津田 家三代 当 主。 後 の 天保 六年 (一

八三五) 九月、 家 老役に就任 ( 曽我友良 「史料翻刻

吉村

家文書 『 諸用記』

三」

[ 『寺内町

研究』9

。 ] )

八郞 白井惟貞 (本記の漢詩作者) 。 了 真 継職時の文 化 四年、 卜 半家来

連署起 請 文に 血判し て い る ( 「 並河記録 」 『 貝塚市史』 三 巻

198 ~

199 頁) 。

貢 新川一 門 の又 左衛門 家 (鶴原 新 川 家

・ 刑部大輔光長流)

の七代 当 主。

諱 は 良顕

(新 川又左衛

門家 代々書上

「願

」A -

728 ・ A

-

729 ) 。

了 真 継 職 時

の文化四年、卜半家来連署起請文に 血 判 し て い る ( 「 並河記録」 『 貝塚市

史』三 巻

198 ~

199 頁) 。

兵衛 兵衛は 丹 羽氏。 吉 村家 『諸 用記』 に 丹 羽 兵衛 がみ え 、 後 に 十 一

代了諦家督継職後の弘化四年( 一八四七)十一月に は 家老役に就任 し て

いる ( 曽 我 「 史 料 翻 刻

吉村

家文書 『 諸用記』 四」

[ 『寺内町

研究』

10 。 ] )

数馬

北野家 五 代当主(

「 願

」A -

709 ) 。

諱 は 直道。吉村家『諸用記』

に北野数馬が みえ る(曽我「 史 料 翻 刻

吉村

家文書『諸用記』四」

[ 『寺

内町 研究』

10 。 ] )

左膳 高槻周行、ト半家 譜代 家来 、高槻家八代当主。

才蔵

目黒

将 曽

しょうぞう

保慎目黒家六 代目当主。

鉄五 郎

熊田

家五代 当 主。

判明しな い 志津摩

・ 市之丞

も卜半譜代 家 来 で あり、 い ず れ かが 漢詩作者

「津 田宏」 で あろう 。

以上の男性の御供に続い

て 女性 の御供 の名が記される 。 老 女とか奥女

中といった上級の女中衆も含まれる が、ここ では 特に和歌浦に注目し て

おきたい。

和歌浦

若浦とも記されたようで

、 実 は この女性 は 当 主であ る 卜半了

真の 側室で あ り、この 旅に同行し て いる 長男太 郎 丸( 後の 一一代当主 了

(6)

諦)と三男 参 友丸、好姫、俊姫の生母 で ある 。このほか同行し て い な い

が他に男子二人 、 計六人の子供 を 儲 けて い る 。我々が国文学研究資料館

の文献調査で 確認した 『天保四癸巳 暦十二 月 六 日 諦 聴 院往生日記 』( 「 願」

-

28 )に よる と奥老女 であ る こ とが わか る。

ほかに供に は 林兵衛 (松波 )・ 喜介

(佐野

)・ 傳七 ・ 源六仙蔵 が見える 。

三行目以 降の人名 は 、 前の役付の家来上層に対し て、 「御奥老女」 ~ 「 女

中端下」 の女中衆の女名 ( 「御勘定所年中行事 」 『 貝塚市史』 三 巻

602 頁) 、

次に 「駕 籠人足」 を 除 いた 下層の家来 ( 「刀指普 代」 と 呼 ばれた警護役の

侍= 帯刀人) の男名が 列記さ れ てい る と 考え られ る ( 「卜半従 来仕来之覚 」

「御勘定所年中行事 」 『 貝塚市史』三巻

564 ・

607 頁) 。

ここ で 記 された下層の家来の中 では 、源六 が 天保十一年( 一八四 〇 )

正月十五日、了真の堺奉行所 年 始御礼伺 で 「 御 茶 弁当源 六」と、御供の

中に確認 で き る ( 「御勘定所年中行事 」 『 貝塚市史』三巻

602 頁) 。

本 文 中 に 見 え る 本文中に名が

見える 俳 諧 と 漢詩の作者に

ついては

俳諧

・ 漢詩

の作者

以下 の通 であ る。

※本 文中 の漢詩 作 者とし て 名が あが る者(同行 者 )

…計七名 「高槻

周 行」

[ 十丁ウ

・ 十七丁ウ

] 「白井惟貞

」 ( 八 郎)

[ 十丁ウ

・ 十七丁

オ~十七丁ウ

] 「公」

( 卜半了真)

[ 十丁ウ

・ 十七丁オ

・ 十七丁ウ

] 「一

東」

[ 十

三丁オ

] 「可

良」

[ 十三丁オ

] 「津

田宏( 邉 羅房) 」

[ 十三丁ウ~十四丁ウ

十六 丁オ

] 「津

田篤」 ( 市 郎 右衛 門)

[ 十七丁ウ

]

※本 文中 の俳諧 発 句

・ 和歌作者と

し て 名 があ が る 者 ( 同 行 者 )

…計一

名 「柳眉」 (呑海軒) 「 可良」 「 九壽 呂 」 「芝蘭」 「公 」 ( 卜半了真 ) 「 一色」 「 一

東」 「如 金」 「松 琴」 「友 郷」

※書写の石 碑

・ 掛物

・ 短冊等に

みえ る作者・ 人名

…計九名

「松塊(塊 亭 ) 」 (松尾塊 亭、紀三井寺漢詩

・ 句碑

[ 十一丁オ

] 「芭蕉

翁 」

(松尾芭蕉、

紀三井寺

句 碑

) [ 十一丁オ

] 「尾花

庵 左坊」

( 紀 三 井 寺 句

碑・ 墓碑銘 )

[ 十一丁オ

]

「拝兵老人」 (和歌山旅亭掛物漢詩)

[ 十四丁ウ

]

「當御国主」 (徳川斉順

なりゆき

、鷺森御坊阿弥陀前三字筆額)

[ 十五丁オ

]

「 秀 風」 (谷川旅亭 屏 風 短 冊 発句 )

[ 十九丁オ

] 「巴江

」 (谷川旅亭屏風短

冊発句)

[ 十九丁オ

]

「シン ケ (新家 ) 哥重」 ( 躑躅岡林昌 寺 奉納雑 俳発 句)

[ 二十丁ウ

]

「ハタシロ(幡 代 )松風」 (躑躅岡林昌寺奉納雑俳発句)

[ 二十丁ウ

]

宿 所 で の 毎日記録されてい る 「 御上」 ( 了眞や了諦

・ 奥方様

・ 張姫た

食事の献立 ち)の朝夕 の 食事の献立 を 一 覧 に 纏 め て みた。旅行中 で

はあ る が 上流階 級 の 食 事の内 容 を知 る 貴 重 な 資料 であ る。

(7)

本稿 は国文学研 究 資料館の大阪 府貝塚 市 の願泉寺 及び中庄新川 家

の文献調査に関わる 調 査 研 究報告の 一環で あ る 。 願泉寺と新 川 家は

深い関係にあり、両者は 江 戸時代 を 通し て 大 阪府南部の、泉南地域

の文化の中心的存在 で あった。領主的存在 であった願泉寺住職ト半

一族 の 『 紀の路 御 遊覧 日 記 』を 翻 刻 して 近 世 文 化 の 一 端を 窺う こと

がで きる 。

和歌山県立文書館藤隆宏氏

・ 大阪府

貝 塚市教育委員会曽我友良氏

上畑浩司氏のご協力を 得、種々お教えを 頂いた。感謝す る 次第 であ

る。

な お 、 主 に全体の構成は 鶴 﨑、人物比定・遊覧経路図の作成は近

藤、所 蔵 者の和 歌 山県立 文 書館・大阪 府 貝塚 市教育委員会 との連絡

は大利 が 担当し た が

、 近藤 は別 稿

翻刻 と解 題中 庄新川 家 蔵『 伝受

次第 』 」 を 執 筆し て い る の で 本 稿の執筆者名か ら は割 愛した。

(8)
(9)
(10)

翻刻 和歌山県立文書館蔵

「紀の路 道 (表題) 詣記 」

紀の 路 (原表題 ) 御遊覧日記

吞 海軒

紀州紀行序 □

(秋郊文庫

朱文

印)

(秋郊野印

朱文

印)

(呑海軒

白文

印)

夫詩之為言也、發於咨 嗟詠 歎

之餘者 、 而所以先 王之觀 民 風 、

而 施 政 於 萬邦 者、

其 道 一 大 哉、

我 東方、近世所起、有誹

者、

其道 蓋似近 焉 、是亦 因 事物 之

所感、形其情之所不忍者也、以 」

1 オ

三十六 句 、為限矣、言月者三句、

言花者二 句、置之於中間 、 節其

全篇者也 、復或名歌 仙 、蓋所以

此集之成也、今茲文 政 七年

(一八一〇)

月、

從 兩

君、窮紀州之 名 勝 、

其相從

者、 近臣十 人 、 與 ・ 女 流 ・ 世

僕、總四十九人、 為一行焉、一 日 」

1 ウ

之道 程 、 或 十 里 、 或 二 十 里 、 破 格

之遠、纔不過於三四十里耳、蓋 以女伴之 故也、所經山川、數 出

名區、時是暮秋之末、攅峰聳而

紀水明、秋風颯木葉黄、 廽 玉駕

於絶壁、訪 勝 景於浮圖、 陰 晴有

時 、 變 島 巒之秋色 、潮 水涵 空 、 極 」

2 オ

此地之勝覧 、 或棹 舟於若

浦内

洋、 或投釣 於 加

田岩頭、彩霞兼

遠瀾明 、白 雲與南溟 接連 、高

浪打渚 、 響碎旅窓 之際、孤雁破

夢、 声断千 山 之 外 、 仰 顧 郷 國、 只

見雲烟、人生於此間、不能 無感

也、 風致與情從而 生、 悲喜 共物 」

2 ウ 頻集 、先者歌 、後者 和 、

於此行、

從 嗣

君、 多暇 晷 、奉 命而、盡

書記之、為文房之遺珎焉、而此

篇之所 裁 、不 強 求 句 於 山水、 況

何爭工於世俗乎、只其所經、山

水形 勝 、 句與 情 一 而止 矣 、 所悦

者、 今夫昭代 文 徳之 時、 生於仁 」

3 オ

①若 浦 = 和 歌 浦、 和歌 山 市 。 聖 武 天 皇の 行 幸 以 来 の 景 勝地 (村 瀬 憲 夫

・ 三木

雅博

・ 金田 圭 弘 編

『和歌 の 浦の誕 生

』清文堂

'16 ) 。

② 加 田

= 加 太

、 和 歌 山 市

。 紀 伊 国 の 最 北 西 に 位 置 し

、 現

在も関西 の釣り場 とし て 名 高い。③嗣君

= 太

郎 丸、後の願泉寺 住 職 十 一 代 了諦。 ① 両 君 = 願 泉 寺 卜 半 家 の十 代了 真 と 十 一 代了 諦 。 了 真 は文 化五 年( 一 八 〇 四 )願 泉 寺 住 職 。 了 諦 は 弘 化三年 ( 一八 四六 )住職 就 任 。 幼名 太 郎 丸 。 ② 従 者 = 最終丁 に 総 勢 記載 。

表 紙 解 題

70・

86頁)参照

(11)

義之大道 、敬從後塵、尋此名勝 、

關關雎鳩、被彼聖化、與樂言者 、

復何異焉、 」

3 ウ 九月廿三日の暁、犬

鳴山御参詣の思召たら せら れ 、 いと ひそ や か に御供せ しに、東 雲の比 、 地

蔵堂過 る よ り

雨ふ り出 しぬれと兼て 雨具の 用 意忘ぬれハ 、 おの 〳〵

かさ

(笠)

よ、

合 羽 よと乱 れ た り け る に

、 雨 中 の 氣 色 い と 面白き な と口 〳〵 獨り 言 し て 、 程な く大

木の茶店 に 着 ぬ、

日 も 辰の 刻 過 ぬ る に

、 雨 な を歇 さ り ぬ、

たれ

いふとな く今 宵ハ 瀧

本坊に て 御一 宿の よ し 、 ある ハ 粉 川 に て

⑤(粉河)

御一 宿とも聞ふ 、 午の刻過 る 比 、

の御供し て 瀧本坊へ入 しに、これよ り 」

若君

(了諦)

4 オ 御供減し て 、 すぐに粉川・和哥迄も

(浦脱カ)

御遊覧 の よ し 、

御供の上下 は しめ て 遠 路のおもひ を な し ぬ 、 纔に

一日の御供と覚悟しぬれハ 、衣類ハさ ら な り 、墨他

もてる 者 た に 只 目

黒子と臣とのミ

⑥(呑海軒)

、御國への書状

門う への文混雑いは んかたな し、筆もてる ものに

遠遊の事 な れ ハ 、 とまり 〳〵 の日 並書 留よ と

命せ

られし 侭

、 罪 を供 奉 い そか ハしき に ゆ づ り た く

、 その はし

〳〵 のミを 記 しす 、 」

4 ウ

ひとつの錫こへし を さ し て とびしに、南方の名山

草木 眼中に歴したり、紀

三井 寺の入 江 に は 、

武横汾の遊ひに日 をうつし、志

野峠の雲雨

には 、た ゝ ち に 巫

山の神女の出現し給 ふかと

あやしま る 、 扇 を かざす夕日に は 満 山の錦を

ひ る かへし、笠の下に見 る 流水 ハ白きき ぬ

(絹)

を ひくが 如 し、 松

江のうら

(浦)

千と り

(鳥)

ハ行か う 人の

たもとに別 れ 、玉

津嶋の神ハ秋の落葉に

感 を ます、旅の浴衣 を かし ならては 、蒲團の 」

5 オ

虱まで も ふ り さ が され 、茶 屋の汁を す ゝ り

てハ、鍋 の 底の音 す るも聞 つ らし、 御 立 を 急く

暁は 、あ や ま つて 他 の 足 袋 にふ ん ご ミ

(踏込)

、飯を も る 娘ハ、 𣏐 子も て客に あ た る もまたおかし、

紀三井寺の 眺 望 に ハ 、 入 相 の鐘つ く 〳〵 詩を た

くみ 、布 引 の 落 厂 に

(雁)

は、

故郷 の 雲 そゞ ろに 恋 し

①犬 鳴 山 = 大 阪府 泉佐 野 市 大 木 葛城修験 霊 場 、 猟 師が 自 分 を 助 けよ うと した猟 犬 を 殺 したこ と を 悔いた伝承地。 犬 鳴 山 七宝 瀧寺があ る。 ②地 蔵 堂 =貝塚市 地蔵 堂 。 真言宗御 室派寺 院 近 木地 蔵堂(宝幢山正福寺 ) 。③大 木 =泉佐野 市大木、 七宝 瀧寺の所 在 地 。④瀧本 坊=七 宝 瀧 寺 本 坊 。 ⑤粉川= 和歌山県 紀の 川市、 観 音霊場粉 河寺所 在 地 。 ⑥ 目 黒子=卜半 家 重臣 目 黒 氏 の息 子 。 ⑦臣 =筆 者( 呑 海 軒) 。 ①紀 三 井 寺 = 和歌 山市紀 三 井 寺 、 紀 三井 山 金 剛 宝 寺。 寺院は 和 歌 川 を挟 ん で 東 の 名 草 山 の 中 腹に あり 、 和 歌浦 を一 望で きる 。 ② 漢武 横 汾 = 漢 の 武 帝が 汾 水 の 船 を 浮 か べ 酒 宴 に 興 じた 故 実 ( 『唐 詩選 』 巻 五 ) 。 ③ 志野峠= 大木越道 で 北 志野村 ( 紀 の 川 市 ) へ 越 え る 峠 。 ④ 巫山 ( ふ さん) の 神女 = 楚 の懐王が夢 で 契っ た と い う 天象を掌 る女神 。 ⑤ 松 江= 和歌山 市 松江 。 紀 伊 水道 に 面 し、 松が 群生 す る 風 光 明 媚 な砂丘 海 岸。 ⑥玉 津 島 の 神 = 和 歌 浦 鎮座の 明 神。 和 歌 三 神 の 一 つ ( 『 和歌 の浦の誕生』前掲 ) 。

(12)

出の亭 主 は料理の差配に 聲 を か ら し 、 加 田

(加太)

の 客饗 應す、老 婆ハ和

布うる 聲 の 一 風あ り 、

ときり茶屋の莖ハ六百 文にきも を消すも、御 」

5 ウ

・ 辨當もつ下部ハ三百文の遊女にころぶも有

ぞかし、昼 め し を ぬい てハ旅 の つ ら き をさ とり、

和哥 の冷 飯に ハ人々の腹 を こゞやす う さ をはらす、

女中 は朝日さす加田の白砂に走り、 群 〳〵 に

小貝 拾 う 粧ひハ籠 の 鳥 を放すにさ も 似たり、

路を 尋る 童子ハ 、 菊を 負て 杖を 急 き 、淡

嶋の 岩間 に

釣のさきに日の暮 るゝ を わ する 、寝覚

〳〵 の暁は 、 蒲団のう ちよ り 句 をう め き 出 し 、

とま

〳〵 の燈 下 に は 、 雑 談 に 眠 を 知 ら す 、い く處 の 」

6 オ

雲水 廻り 〳〵

て、

は や 御 國 近く に な る侭に

、 越 路 の足 を沙持の調子に そ ろ へ 、礒通

(蟻カ)

の酒 を 山 姥 のう た ひ

(謡)

に覚しつゞけ し色々も、廿九日の夜の

しら 〳〵 と明 て 、 只忙然とひとり 草 堂にく た びれ

ふ し て 、 此 紀行のミ枕本に残れ り、い く 日 な ら す

して 、此 ま き 〳〵 をあ りの侭 に 清書せよ と

命せら れ し侭 、此あら ま し を は しめ に冠 ら し めて 、 くりかへすこと に 、この山水に遊ふ心地する 、 う そ

風流の賜 ならすやと、 同行のか た 〳〵 にしかいふ 、 」

6 ウ

九月廿三日暁七ッ時御立

犬鳴山御参詣

五ッ 前 小 雨 五ッ 時

代宝 願

(法)

寺御小休 土

丸極 楽寺御小休

鳥 の 鳴朝 の氣 色 や 冬近し 柳眉

秋雨 や 暫 ら く 宿 に 極 楽 寺 同

五ッ半

木村

米屋 源 七 御朝飯

九ッ時

動尊御参詣

寅大 木是そ 一 切 如 々 ふ ど う

可良

雨降

り て 旅 の 出て 来 る 山 路 哉 九壽 呂

もみ ち 葉 の 凄 う見え け り 谷 の 底

柳眉

7 オ 泉刕處

(州)

々御遊覧 、直

瀧本坊

御入

八ツ前

甘ひや う

(干瓢)

金山 寺味 噌

御中飯

菓子

椀 山のい も 小皿

(柚)

八ツ半

御立 曇不 雨

暮前

部村御小休 馬部峠 」

7 ウ

午の刻過 る 比 、瀧本坊御立あり て 、峩々た る

山路 にさしか ゝ り ける に、跡を かへり見れハ 、雲氣

①岩 出=岩 出 市 。 根来寺 か ら 紀 ノ川 を越 える 船 戸 の渡 が あ り 、 紀 ノ 川に 平行 して 加 太 街道 が 走る 。 交 通 の 要 衝 。 ② 和 布 =

(にきめ)

ワカ メの 異 称 。 加 太の 名産 。 ③ 糸 切 茶 屋 = 加 太 街 道 の 射 箭 (い や と ) 頭 八 幡 社前 の糸 切餅を 売 る 茶 店 ( 『紀伊名 所図会 』 三 巻 下 ) 。 ④淡 嶋=淡島 明 神 鎮 座 ( 和 歌山 市 加 太 ) 。 ①朝代 宝 願寺=大阪府熊取町 朝 代、 正当山法願寺 ( 曹 洞 宗 ) 。 ② 土 丸 極 楽寺= 泉 佐野 市土丸、 福寿山極楽寺( 真 言宗御室 派) 。 ③ 柳眉=呑 海軒 。 ④ 大木 村= 泉佐野 市 大木 。犬 鳴山七 宝 瀧 寺 の 所在地 。 ⑤七宝 瀧寺本 尊。 ⑥馬部 村

・ 馬

部 峠= 紀の 川市打 田 。 大 木 か ら和泉

・ 紀伊 国 境 の

馬部 峠 ( 犬 鳴 峠

・ 大木越

・ 馬辺

峠と も ) 。

バベ

(13)

は し めて晴 、 四峯忽然とし て 日 光の開く

あ り さまを 見 て 、 雨のおもひを 安堵しぬ 、

・ 合羽

・ 籠のおく

(遅)

るゝ を も 知ら す 、 馬 部

バベ

にさしか ゝ り け る に、日もまた薄暮に近し、

か ゝ る處に雲 色俄に 冥 々 た り、 燈火用 意

せ る 荷もおく れけれハ、何とそ志野峠ま て

いたり、かしこに待合さんとおもひけ る に、一聲の 」

8 オ

谷風 渡 る よ と おもひしに、山雨沛 然 と し て

盆を かた む く る が こと し 、 もとよ り 右 手 ハ 屏 風

を並 るか 如き 山 嶺 高く

、 左 手 ハ 数 間 の岩 間

水音と共 に深 く、跡 へ 戻 ら んとすれハ 、 多 く の

上下 小 路 に 連 り て 行違 う人も危 し、 先へ

走ら ん と す れ ハ 、 石 徑 暗 く して 一 歩 〳〵 雨具に

る に 似たり、雲山もあやめも分 らぬう ち 、

下供のお そ き を 呼 あり、獨り心 得顔 に雨具

とりに は し る あり、 駕 籠 を 呼 あ り、 松明とりに 」

8 ウ

戻る あ り 、 か さ

(笠)

をか たげ 走 る あり

、 提 燈 を も ち

走 る あり、 松 明の 消 る あり、走 る駕籠 あ り、

此間の雨に上下 と もに、雨の は じきに通 らぬ

はな し、漸松明

・ 提燈のそろう

比ハ 、雨も

こぶりニ

なり て、

風 な を颯 々 た り

雲となり雨 ハ 志 野 路の 紅葉 哉 可良

瀧ら

(濡)

す枕や麝香や 秋の雨 芝蘭

六ツ過 六ツ半

野峠御小休 桜

池御小休 」

9 オ

五ツ半

川御着、御宿 車屋 久 蔵

行程 貝塚 ゟ 六里

御夜食

一 皿 あゆ あゆ 朝御膳

いも 一平 のつ へい

とう ふ

汁 とうふ

大根 猪口 こん に ゃ く

小皿

漬菜

人参 白あへ

牛房

廿四 日 五 ツ 半

粉川御立、観音御参詣、黒土

④ク ロツチ

村御中飯 松屋 何某

除観音御両所 様斗御参詣

高田 村

⑥タカダ

田家 軒 御 小 休 中居坂村

⑦ナカイザカ

張姫 様 斗 御 小 休

和 田 五 色 餅名物 岸

① 竹 馬=天秤の両 端 の 笊で 荷を運 ぶ 道具。 大 名行列 や 行商に 利 用。 ② 遠 る=「 と ほ ざ か る 」 の訓 か。 ①志野峠 =既 出。 ②桜池= 既 出 、 北 志野村 溜 池、桜 の 名所。③粉 川 = 紀 の 川 市 粉 河。 『粉河 寺 縁 起』 で知られ る観音信 仰 の 霊 場 。 ④ 黒土村 = 紀の川 市 。 ⑤ 厄 除 観音= 紀 の川 市 。 長田 観 音寺。 ⑥ 髙 田 村= 打 田 の 誤 り か 。 ⑦ 中居坂村=紀の川 市 中 井阪 。 ⑧ 岸和田五色餅名 物=現在 詳細 不 明 。

(14)

七ッ 半 岩

出御着 京屋丈助 」

9 ウ 夜

入当地町筋御両所様斗御 遊 行、

粉川 ゟ 当地 迄行程二里半 尤五十町 壱 里 、

夕御膳

朝御膳 皿 甘鯛 すま し 平 ゑひ

・ 大根

やく み

近塩 汁 あゆ 人参

・ しや

う が 汁 葉付 かぶ ら

とうふ いか あゆ

平 あゆ 猪口 鱠 大根

人参 粉之物 かつを

牛房 すり ミ

廿五日 朝 色晴朗 心地 よや 朝 日 を傅 うか し

(炊)

烟 蘭

(芝蘭)

五ツ時

岩出 御 立 紀

ノ川 三

ツ家 入村家

与菊花 」

10 オ

つぎ ゆ

り村 松

林丘山

ニて

御中飯

七ツ前 紀三井寺門前御着、兵庫屋何某御宿

即日、観音へ御参詣、七ツ半時、及薄暮御帰宿 、

岩出よ り 当地、此日凡三里半 尤五 十 町 壱里 見下 せ バ 秋 風 多し紀 三 井 寺 公

によ つ ほ り と 霧 の う へ な る 紀 三 井 寺 可良

旅舘暁光

秋嶺分

周行 (高

槻 )

朝な きや き り ふ ら な む 紀 三 井 寺 芝蘭

楼臺画

出 去 来 雲

松山 の 紅 葉 を ふる う 朝 の 鐘 公

供侍の さ わぎ立 た る あ られ 哉

芝蘭

松濤

傳到 梵 音 響 惟貞 (白 井)

見上 れ ハ 紅 葉 錦や 紀 三 井寺 柳眉

只是

丹楓 朝日薫

10 ウ

11 オ

① 岩 出= 既 出 。 ② 紀ノ川=奈良 県から和 歌山 県を流れて紀 伊水 道に 入 る 。 ③ 三ツ家= 和歌山 市 満 屋。 ④馬 つぎ =馬 次、 和歌山 市 大垣内。 ⑤ゆり 村 =圦 村 、 和歌山 市 布 施 屋

ほしや

。⑥ 不 明 、 松 林の 丘 山 か 。 ① 紀 三 井 寺観 音磴 道=紀 三 井山金剛 宝 寺 。 西 国 三 十三所 観 音 霊 場 二 番札所。 名 草 山の 中腹の

本尊十 一 面 観 音立 像の本堂ま

で の登 り道、傍らに

歌碑

・ 句碑 が続 く(

藩士 松尾槐亭 (一 七三二 ~ 一 八 一五) 、 俳 諧 87 頁) 。 ② 槐 亭 = 紀 州

・ 画家

(俳画) を嗜む。 松槐亭。 ③見 上 れ ハさく らしもう て 紀 三井寺=紀 三 井寺桜塚の芭 蕉の句 、 『 菊 苗集 』 出 典 ( 校本 芭蕉全 集 ) 。 真 作なれ ば元 禄元年 『 笈の 小文 』 旅 の 句 。④ 萍左坊 の 墓 碑 に は 「於 浪 花 終 焉 」と あ る 。

(15)

御夜食

しい 竹

平 あゆ 皿 かれ

猪口

いか

人参 ミそ あ へ

山芋

とうふ

御酒

・ 御吸物

里芋

御朝飯 皿

菓子 椀 汁

紀三井寺 眺望 和

歌浦八 景 紀三井寺晩鐘 和歌 浦秋月

之嶋布引 雑賀 夕 照

玉津 嶋 暮 雪

之嶌 塩濱 形見 帰 帆

名草

晴 嵐

背舟 付

吹上 夜 雨

布引帰

(落)

11 ウ

八景 見上 れ ハ 紅 葉 の 中 や 紀 三 井 寺 可良

人もい つ 我い つ月 の 磯 枕

一色

ぬか つ け バ 身 に入 む風や 玉 津嶋 〃

見かへ れ ハ 古 里 遠 し 砂 の 厂

芝蘭

滔 〳〵 と霧 の 中 なる 片 男 浪 〃

霧 深 しぬ るゝ 岩間 や妹 背山 〃 廿六日 晴風

四ツ時

紀三井寺門前御旅館御立、御乗船 八艘

舟中即 興 さし汐に秋も暮行入江哉 公

さし汐 や 秋を湧出す 紀 三井 寺 芝蘭 朝日よ り とぎ

(こカ)

出す寺 の 紅葉 哉 蘭

きりの中よ り 片男なミ風 可良

はつ厂 の いも せ の か た を 詠 い て 柳眉

渡る 小 舟 を繋く 石 が き

一東

12 オ

真 丸 う海 の廣さ よ 冬 の 月

御着岸

拝殿下

ニて

御休足、

津嶋明神御参詣、 玉

宗寺蘓 鉄

(蘇鉄)

山御遊覧 、浦家当地名産貝色々、

御覧

、夫 ゟ 和

哥の浦 、 片

男浪

満宮 ・ 天

照宮 ・ 東

御参詣

折 〳〵 ハ時雨て 返 る 和 歌 の 浦 眉

八ツ時

波白妙

つ たの 錦 や 玉 津 神 蘭

若の浦茶店

ニて

御中飯 うら 枯 や 神

▨ ▨

の岩多 し 〃

△ 紙子か ぶ り て 世を余 所 に な し 如金

入玉津嶋神主

眠籠 を見れハ障子ニ 紅 紛 の 跡 良

墨紙与

水 、

首筋 ぞ つ と 狐 な く なり

あき

風や 頻り に か わ く 蘭

面影

のそ れ か あ ら ぬ か 恋 こ ろ も

筆の

うミ

①和歌浦八 景 =中 国 の 瀟湘八 景 (山 市晴嵐

・ 漁村夕

・ 遠浦帰帆

・ 瀟湘

夜雨

・ 煙寺晩

・ 洞庭

秋 月

・ 平沙

落 雁

・ 江

天 暮雪) に 擬えた和歌 浦 の 八 つ の 名勝。 ② 筥 之 嶋= 玉 津 島 の 名 勝 、 ③ 沖之 嶌 = 玉 津島の 名 勝 、 ④ 妹 背 =後、 和 歌浦十 景 とし て 数 え ら れ る 。 鶴 﨑裕雄 「 中世 文学 の 和 歌浦」

薗田 香融監 修

『和 歌 の 浦』和泉書院

'93 。山本

啓 介『歌 枕 の聖地―

和歌 の浦 と 玉 津 島

』 平

凡社

'18 。 主徳川 家 の 祖 家 康 を祀 る 。 葉集 巻六 ) に よ る 。 ⑤ 天 満 宮= 玉 津 嶋神 社の西 の 山腹に 鎮 座。 ⑥東 照 宮 =天 満 宮 に 並 び、 藩 男浪= 和 歌浦の砂嘴 。 山 部赤人 「 若浦に潮満ち来れば 潟 を 無 み 葦 辺 を さし て 鶴 鳴き渡る 」 ( 万 ①玉 津 嶋 明 神 =既 出。 ② 大 宗 寺 = 紀 州東 照 宮 別 当 寺 天 曜寺 大 相 院 。 ③ 和 哥の 浦 = 既 出 。 ④ 片 こん に や く

大根 しい 竹

ゆ しい 竹

焼き うふ かんひや う とうふ 菜

(16)

□ 茶店御立 七 ツ 時 茶店

すし づめに 人 お し お う も風味 哉 」

12 ウ 五

百羅 ・漢吹上 通り 宿鳥 凌風 廻夕 陽 帯 水 昏 一東

處々御 遊 覧

獨遊 千里 客 仲 焉 賦

招 魂

可良

右吹 上晩 眺

正暮六ツ 時

哥山へ御着、御宿 舛屋 又 兵 衛

此日行程紀三井寺 ゟ 海上十八丁

陸和哥 山 迄三十 六 丁、凡一 里半 大竹 わ 汁

春きく

まぐ ろ 汁 細大 根

一平

人しん

煮付

猪口

つとぶ

マ マ

こん に や く

白あへ

」 13 オ

廿八日暁 燈下

そゝ

ろ 寒 け し 夢の う き は し

行 〳〵

て和 哥 山 に 宿 す 暁 すれ合て

行 燈 に 落 し 下 り 蛛 眉 旅馴て 紅葉の 宿 の 朝寝 哉 一東

跡白 波 に 千 と り 鳴 くな り 蘭 厂の 音ま じる すり鉢の 音 可良

月の夜ハ 凄う覚ゆ る 加 田の 浦 眉 秋風 に 夜 明 の 駒 の い さ む ら ん 芝蘭

真帆一はい に 唐 を 目 懸 けて 良 反古のうらにかき集め つ ゝ 如金

絶景 に筆捨 ら れし古法 眼 良 川音 の 時 雨 に 月の すミ 渡 り 良 腰辯當の輕 う なり け り 蘭

少し ハ あ け て 冬 籠 りす る

柳眉

咲花 にうす わ

た 入

の比 な れ や

翠簾 越 に し わ ぶく 聲 の 細

〳〵 と 蘭

野の 春 風 を 跡 先 に して 眉 夜明烏 の 鳴 〳〵 そよ ふ 眉

和歌 口号

田宏 雨ミち ハ まとう荊の袖 たも と 東 津

紀三井寺

ヲ一

菖蒲 飛 出 る 猫 に び つく り 良

ー 瀬

ー 殿

ニ一

来 て 見れ ハ芦邊 の 茶 屋も青 嵐 金 」

13 ウ

舟入

ー 境

矢倉 太鼓 を 和 哥て寝て 聞 眉

駕窮

ー 勝

うら 盆の 月 く ずの 葉 に ひ つ ミ

けり

酒任

ルニ

塔婆の う へ に 見 ゆ る は つ霜 金

生垣に 南 天の 實の こ ほ れてや 蘭

城出

ー 橋

かく る も ゑ に し 釣 釘の

(針)

鯉 東

宿投

ー 又

酔 卧 て 樽 を 轉ハす 花 の 影 蘭

ー 熱頻

鍋 奴の 髭 に 蝶 の 居 眠 る 良

ー 冷巳切

ドウヲニヲ

大空 ハ廣う 聞 ゆ る い か の聲 眉

源六幾消

小 共 のせ がむ小屋 の夕暮 金

ー 助大現

怒 背戸 と 門 せ き にせ か る ゝ 間 夫 と 〳〵 良

漸任

下駄 と 石 駄

(雪)

てかけ落 の 人 良

自覺

ー 盖

ヲ一

崩れて も 其 侭 残 る 小 町 塚 東

回ろ う 近 く あ ら れ と バ し る 蘭 」

14 オ 叩

手求

ー 團

うら 町 ハ ぶ り 賣 聲 の 高 かり し 眉

卧 似

ルニレ

伏見人 形 を も て 遊 ふ な り 一色 ①五百 羅 漢= 和歌山市秋 葉 山権 現社山麓に 建 立 さ れた五 百 羅漢 寺。 ②和 歌 山 = 和 歌山 市 。 和 歌 山 藩 五 五万石 の 城 下 町。 一時、 信 長 に 追わ れた本 願 寺 の 本拠 が鷺之 森 御 坊 に あ った 。 ①津田宏= 松 波大進宏 、 ト 半 家 臣、 嘉永六 年 法 橋 補任。 一

猪口 春き く

した し

(17)

麗日和風

春十分 絶景に 一 里の 路も日の 暮て

○日気動来燈火已減

山櫻開

處 未紛々 けふ ハ 三 里 の 道 急 く な り 眉

行臨

一目 千株 地 大空 に 残 り し 物ハ 朝の 月 松琴

難辨是

花 還是雲 ほろ 〳〵〳〵 と菊の 花 ちる 公

芳山賞 花 拝兵老人

名ウ

行秋 に野 の は ね釣 瓶つつ ほ 〳〵 良

道教へ 見 て 獨 り 言 いふ 眉

右和哥山旅亭掛物写之、 松風 に 追 れ て 行 し 獨り 旅 琴

一間かし た る 鶯の 籠 亀

咲並 ふ 雲井桜の一 ツ家 眉

霞ゆ たか に 續 く日務 蘭 」

14 ウ

廿七日和哥山御立、五 ツ半過迄鷺

之森御坊

御参詣、 阿弥陀前当 御

国主 之御筆額

安置

功徳

聚之三字焉、

四ツ時

嶋渡し 小雨

功 文字金

地紺 狐

四ツ半

嶋田 家御 小休

徳 ふち

(縁)

五色の

雲中ニ葵の

轉ひ ても ぬ れ ても 秋 の 山 路 哉 可良

聚 御紋金 稲の むし ろ に 靏の 下り居る

芝蘭 てり 曇霧 間 に 長 柄 さ し か け て 〃

何ともな しに急く松はら

公 」 15 オ

九ツ過 並松

通り 、小家

①コ

・ 松江

②マツエ

村酒のつい醒易き冬の月 蘭

御遊覧

遠 近 嶋 巒 松

江の浦に千とり三ツ 四 ツ 公

佳景花多白沙宛

あハ ら 屋 に人の有げに牛の聲 一色

霜雪のことし

糸切茶 屋 によ い 酒 を 飲 柳眉

御腰辨當被召上

御所

加田燈下

女房齊藤別當御供し て

可良 寒けれと松 江 の浦の 千 と り 哉

障子の内に何か吁 て 眉 追お ろす波

は千

とり と成にけり

余所 目 程 怪 我 ハ な かり し酔 た ん ほ 良

行秋をな かし目に鳴 千 とり哉

草履く わ へ た 犬 こ ろの 顔

ゑいさ ら と月に 小 舟 を おし出し 蘭

茂の中に見ゆ る 古 塚 眉

此秋も一両日に暮果ん 東

樽 を片手 に走 る小 奴

柳」

15 ウ

九ツ 半

③モト

之脇

ワキ

村糸切茶

④イトキリ

屋 奥の花口の花よ り 咲 勝 て 良 御中飯

木具 の う へ ま でのほ る 若 鮎 金

加田

途中 作

津田 宏

ナヲ

遊に ふ ら つい て行旅 の 人 眉

二一

烟草 松

クヲ

徒吹

タヽニ

ー 江

濱 礫に飛ハぬ鳴さか る と り 東

ー 食

ヲ一

ー 切

店 箒目 を 見 れハ御寺ハ禅宗に て 良

漬 ー 菜買

所纔

ー 盃

火 を 焚く 者の誰か

▨ ▨

する 蘭 ① 鷺 之森 御坊= 浄 土 真 宗寺 院。 信長に 追 われ た本願 寺 顕 如 ・ 教 如 が 在所、 雑 賀一揆 の 本拠地 。 ② 御 国主 = 和 歌 山 一 一 代藩主徳川斉 順

なりゆき

、将 軍 家 斉

いえなり

の七 男、 文 政 七 年 ( 一 八 二 四 ) 六 月 和歌 山 藩主。③狐嶋=和歌 山 市狐 島。淡路街 道 が通 る 。 ①小家 = 和歌 山市 古屋、 松 江 の 西。 ②松江 = 既出 。 ③ 元之脇=和歌 山市 本脇。 ④ 糸切茶 屋 =既出 。

(18)

ー 百 ー 文

青梅 をか てバ 飛 込 竹 の 窓

邉羅房草

小袖すれ 〳〵 あや め し ほ 〳〵 良

夜の香に聞 そ こ な いし 青奴 蘭

口説落 し た雨 の浮 足 良

くら が り に 朝 茶 を すゝ る 山 の 家 柳

路次一 は いに 南きんのつ る 眉」

16 オ

七ツ時 月陰 に翌日の仕 業 の 工 夫 し て 蘭

田御着 遠 う 聞ゆ る 初 厂のこゑ 眉 加

御宿

小川 何某

ナヲ

問へ ハけふも一日紀 の 路に て 蘭

張姫様御

宿 いな 屋何某 神に詣 で り や 家内安全 良 十年程前

御前御小休

山伏を 饗 応て 居る 町は づれ 蘭

之茶

店 之 由 霞の中に見ゆ る 行 烈

(列)

花ハ八重名ハ九重の春 風に 良

直様淡

嶋明神御参詣 残ら す 出 る 嫁 菜 た ん ほ ゝ 蘭

處々御

遊 覧磯 際岩之 加田 旅舎 夜五 ツ時一 巻 終 成 、

ニ而

御釣竿漁 者一 人御召連 」

16 ウ

御獲 物

宿加田浦

ちぬ

こ 三 枚 旅舘夜深 湖声 幽

ふく 弐ツ

寒風燈暗客

中 愁

あふら

め 一ツ

飄々不

識 秋将尽

目張

弐ツ

暁色蕩々雲氣

及薄暮御帰

宿

奉和同前

井惟貞

今日行程凡三里

朝暉

赫 々 照汀 頻

入御提重御残

南海風光復覺新 頂戴

粟嶋浦邉祠廟上

17 オ 仰望日本國中人

紀三井寺晩 眺 公

宿加田浦

田篤

山頭蘭若暫

登臨

旅舘夜

寒 欲晩 秋

滄海接天秋色深

友人

己醉 卧 高楼

紛々

風葉此求奥

枕邉波浪打

岩 急

落暉

幽景直 千 金

海外西風動客愁 宿加田浦

槻周行 高

旅舎

兼漁倚岩邉潮声夜落 北 窓烟

寒風吹

断 千里客 宛 似秋 雷動 暁天 」

17 ウ 廿八日

御立 五ツ

貝か

らを 握れハぬ くし

可良 加田 浦 邊 御 遊 覧

あき

のか せ

① 加 田 = 加 太 、 既出 。②淡 島 明 神 =和 歌 山 市 加 太 に 鎮座 。③了 頁 のこと 。

①白井惟貞

= 八 郎

69 頁)

② 津田篤

= 市郎 右 衛 門(

69 頁)

③ 高槻周行=

左 膳

④か ため= 加 太布、加 太の和 布 (名 産) 。 69 頁) 。

夕 御 目 膳 張 煮 付

一 皿

朝 御 と 膳 う ふ 葛 生 が 一 平

大 根 汁 猪 口 朝 漬 と う ふ い く さ

香 之 物 く き

藻 魚 人 参 か た め

参照

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限られた空間の中に日本人の自然観を凝縮したこの庭では、池を回遊する園路の随所で自然 の造形美に出会

Ross, Barbara, (ed.), Accounts of the stewards of the Talbot household at Blakemere 1392-1425, translated and edited by Barbara Ross, Shropshire Record series, 7, (Keele, 2003).

②上記以外の言語からの翻訳 ⇒ 各言語 200 語当たり 3,500 円上限 (1 字当たり 17.5

図⑧ 天保十四年出雲寺金吾版『日光御宮御参詣 

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1 7) 『パスカル伝承』Jean Mesnard, La Tradition pascalienne, dans Pascal, Œuvres complètes, Paris, Desclée de Brouwer,