人 と し て の ジ . ン ●スチュアートミル
︑
大 泉 行 雄
特定の肚會状態と其の時代に呼吸する偉大なる肚會思想家の思想とは︑相關的關係を有つと観る
ことは多くの揚合に於て至當である︒時代の風潮趨勢が︑思想家の思想に反映して︑時には之を補
翼し︑時には之に或る方向を與ふると共に︑他面思想家の思想は時代に反映して︑其の時代の一般
趨勢に指針を與へ之を誘導するの役割を演ずる之とあればである︒固より思想家の思想は多岐にし
て︑常に特定時代の保護持績のみに貢献すとは言はれない︒時には之に反抗し挑職する思想の駿生
も認められるけれども︑之とても其の因つて生ずる所以を槍索し行けば︑其の特定時代の母飴の中
にはぐくまれ︑成長し︑然る後に︑自ら母胎の批評者となり更生者とならんとするものなのであ
入としてのジョン・スチエアート︒ミルニ九一
商學討究第三巻(下)二九二
る︒從つて︑思想が特定時代の擁護者であれ︑將泥批評者であれ︑時代と思想とは相關的關係を有
つと一般的に観察し得る︒
特定の肚會状態と肚會思想家の思想との相關的關係は之を移して其の思想家の個人的生涯にも認
め得る︒濁自的思想家は︑一面自己の個人的生涯即ち私的環境を自ら開拓し魑進し行くと共に︑他
面彼を包園する環境が有力に彼に作用し影響するを看過し得ない︒彼は境遇を作り行くと共に叉境
遇に作られて行く︒
斯かる思考を︑肚會思想家としてのジョン・スチユァート・ミルに移し來たる時︑我等は此の關
係がミルに於て鯨うにも典型的に實謹せられ居る乙とに大なる驚きと興味とを畳ゆる︒ミルが十九
世紀の波瀾極懐り無き英國肚會に生存して︑如何に時勢に動かきれたか︑同時に叉ミルの偉大なる
肚會思想が如何に時勢を動かしπか︒轄じて又その私的生活を眺むる時︑後が如何に彼を園饒する
環境によつて影響せられ︑同時に叉他面其の環境展開の爲めに如何に自ら努力しπか︒之等を仔細
に槍する時︑我等が胃頭に叙べπる命題の尤めの最も良き例謹の一つを得ること\なるのである︒
肚會思想家としてのミルを窺ふ乙とは地に機會ありと信ずるが故に︑蝕にはミルの個人的生活の若
干を寓して︑環境と思想との問題に謝へπい︒
二
ミルの生涯を通じて其の思想上に力強き影響を與へた人は︑必ずし竜二三に限られないけれど
も︑その中特に忘るべからざる人は︑前宇生に於ける父ジエームス・ミルと︑後牛生に於けるテー
ラー夫人との二人である︒父の思想的影響はミルの幼少年時代に於て最も重要なる竜のであつ泥︒
今ジエームス・ミルの生涯を概観するに︑初め其の故郷力るスコツトランドにて敷育をうけ︑牧
師としての資格を得尤けれども︑生涯牧職には就かなかつた︒蓋し父ミルは其の就學の中に如何な
る敷會の敷義にも信仰を抱くことが能きない状態に到達しπからである︒﹁結局に於て︑事物の原始
に關しては何事も知ることを得ず︒﹂との確信︑從つて天啓の信仰に封する不信が其の到達しπ所で
あつπからである︒
一入〇二年の頃に居をロンドンに移すに及んで父ミルの文筆生活が始められπ︒當時の父の生活
は決して鯨鮪あるものではなかつた︒結婚によつて子女が塘加し行く一方︑牧入の途とした雑誌編
輯の仕事が失はれて︑純然力る文筆に依るの外︑生計の手段が無かつπからである︒去乍︑父ミル
の耐怨不擁なる意思力と強大なる精力とは建に驚歎すべきものがあつ禿︒それは父の生涯を通じて
入としてのジョy・スチエアート・ミルニ九三
'
商學討究第三巻(下).二九四
愛らざる生活態度ではあつπが︑殊に此の時代に於て光彩を與ふるものありと言はねばならない︒
ジヨン・ミル當時を追想して曰く﹁當時の父を憶ふ時︑驚畏に値する二つの事がある︒一は父が貧
困の境遇に在ウ乍ら︑結婚して子女多歎であつ尤こと︑之は後年父が力説し尤義務及び思慮の問題
と甚だ相反するものであつπこと︑二は此の窮境に在つて而も屈せず︑一管の筆を以て一家を支持
し乍ら︑終始志操高遮にして︑自家の見を守う︑同時に子女のために勘なから澱敷育の時を割きし
乙と之である﹂と︒斯\る生活上の困難と職ひ乍ら︑父は彼の出世作πる﹁英領印度史﹂を起稿し︑
幾多の障碍を排して是を完成することが出來力︒當時父の努力は目畳ましいものであつて︑自ら友
人フランシス・ブレースに談つて﹁私は朝五時から夜+一時まで仕事を爲し績ける﹂と言つπとい
ふ︒
ジヨンニ・ルが自ら父を評した言に依れば︑ブルータスが羅馬人の最後のものと呼ばれπ如く︑
父は十入世紀の最後の人であつπ︒父は+入世紀の思想及び戚情の色調を+九世紀に持越し︑+九
世紀前孚の一大特徴であつ力十入世紀に封する反動の︑善悪何れの戚化にも與らなかつ禿︒十入世
紀は偉大なる世紀︑力強い︑そして勇敢なる人々の世紀であつカ︒而して父は︑その中の最竜強い
最も勇敢な人々の好伜侶であつπと︑此の評は父ミルの性格の一面を描爲して如實πるものがあ
る︒塞に父ミルは鐵の如き意志の人であり努力の入であつπ︒彼は主義の人であると共に︑主義實
践の人であつた︒其の向ふ所に横はる障碍は︑何物と錐も之を排撃し打破し行かんとする性格の⁝傲
烈さと意志力とが父ミルの名と共に髪髭せしめられる︒此の秋霜凛烈とも例ふべき性格の峻嚴は︑
小ミルに封して先づ其の早敏育となつて現れた︒ジエームス・ミル謂へらく︑
﹁凡そ健全なる政治組織は︑政治禮よう総べての悪弊を除去する如く︑健全なる敷育組織は人間性
の中よう総べての悪徳を騙逐する︒而も人間性は︑敷育と環境とに依つて限うなく凝化せしめらる
べきものである︒人の生る︑や︑その生來享くる所は︑大なる差別あるのではない︒嬰見の心は恰
も一葉の自紙の如く︑後天的印象が︑善きにつけ︑悪しきにつけ︑永久消え難く烙印附けられるの
である︒されば人間の徳性の差異は一に全く敷育の如何に因る竜のと言ひ蹄る﹂と︒斯\る敷育理
論が實践に移されて︑ジヨン・ミルの享けπる早敷育となつた︒父は只管に詰込主義敷育の弊を避
け︑自らの能力と割断とを働かしむることに意を用ひだ︒而して之が駕めには︑寸分の容赦を竜與
へなかつた︒﹁父は敷授の一切に於て︑私の爲し得る最大限を要求しπのみならず︑到抵不可能の事
懐で竜要求しカ﹂との述懐は最竜よく此の間の消息を傳へる︒然乍︑父ミルの敷育法は唯嚴格のみ
を特徴とする竜のではない︒他面驚くべき耐怨と周到なる用意とが存在しπ︒小ミルが希臓語を習
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商學討究第三巻(下)二九六
ふに常り︑父が﹁印度史﹂を執筆してる同じ机に書を並べ︑當時希英僻典がなかつ完尤め︑屡々父
に質問して仕事を妨げたが﹁人間中の一番痛癩持の一人πる父が温和しく辛棒してくれπしと言は
れてゐる︒父は又早敏育をうけ尤る者が︑自分と他のを比較して自惚を戚ずることをば衷心よう惟
惧した其の尤めに︑屡々子を誠めて︑汝が他の同じ年頃の少年と比較して智識優れうとしても︑そ
れは少し竜汝の偉大なことを意味しない︒軍に夫れを敷ゆることが出來︑又そのπめに時間と勢力
を喜んで與へ尤父を有つカといふ特別の事情に依るものである︒從つて斯\る便宜を有た澱人よb
多く知ればとて決して汝の稽賛とはならず︑寧ろ知らざることが甚だしき恥辱なのであると訓し
π︒父の用意の深きこと正に見るべきである︒
ジエームス・ミルの性格描爲よう︑吾々が印象づけられる事は︑その人と霜りの峻嚴さと情威の
映除といふことである︒父は倫理説に於て快樂説を採う︑宗敷に於ては︑嚢に竜叙べた如く天啓的
宗敷の信者ではなかつπ︒而竜︑その生活態度は寧ろストァ哲學者的で︑希臓哲學者の風貌を怨ば
しむるものがあつ穴︒﹁父が子供達に劉する道徳上の關係に於て︑一番鉄けてゐ力要素は優しみで
あつた﹂と言ひ︑或は叉﹁自分は嘗つて少年禿うしことなかbき﹂(写︒く興語ω騨σ亀・)と一言つてる
小ミルの言葉は︑子が父に封して有つπ不満の一端ではなかつ疫か︒父の威情の敏除に就ては︑子
は若干の辮護を試みてる︒即ち父は寧ろ豊かなる威情の持主であつπが︑之を外部に表現すること
を恥ぢ自ら戚情を枯死せしめカのであると︒之竜一つの観察である︒
私見によれば︑人の情威の豊饒及び映除は︑固よわ天性による所大なるも︑亦彼が育てられπる
境遇に影響せらる\こと少しとしない︒青肚年時代に於て︑生活のために苦慮し︑只管に経濟的脅
威と抗箏して之を打開しπ人々には屡々性格上の冷徹さと意志力の烈しさとを認め得る︒惟ふに之
は情威の敏除と言はんよわ︑それを醸成すべき機會の映除といふべきであらう︒ジエームス・ミル
に就いて竜一部は此の如き見解が加へられるのではなからうか︒
三
嚴格なる父の膝下に在つて︑試みられ尤る早敷育の實際は﹁自叙傳﹂の中に詳しく誌されて居る
が故に厳には必要なる最少限度の叙述と﹁自叙傳﹂に無き興味ある事項の記述に止める︒
ミルは三歳にして早く竜希臓語の學修を始め︑入歳頃には︑ヘロドタス︑ぜノフオン︑ブラトー
などを始め︑好んで歴史書を幡いπ︒入歳よう十二歳にかけては拉典の書︑希臓の作家等を捗猟し
ムκ︒ゲアージル︑ボレース︑ルクレチウス︑キケロを始め︑ソフオクレス︑ユーリピデス︑ホーマ
入としてのジヨン・スチユアート・ミルニ九七
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商學討究第・三巻(下)二九八
㌃︑ツキヂデス︑デモステネス等其他多藪を學げ得る︒科學的論文として最初に讃んだものは︑ア
リストートルの修僻學であつ尤︒
十二歳の頃ようは學修に一段と深きを加へ︑形式論理に進みアリストートル︑ボツブス等を讃ん
だ︒経濟學の全過程を授けられ禿のも此の時代である︒
十五歳の頃︑ジエレミー・ベンタムの兄弟にて當時佛蘭西に在つπサミユエル・ベンタムに招れ
て︑一年ばかり佛蘭西に遊ぶ機會を得虎︒此の佛蘭西行は︑後年のミルの思想登達に重大なる關係
を有つものと見なければならない︒一つには︑ミルが藏する豊かなる情威が南欧の自然に依つて育
くまれ醗成せらる\機會を得πこと︑二つにはサン・シモンの如き佛蘭西肚會主義者に會見の⁝機會
を得て思想的威化なうけπこと是である︒佛蘭西滞在の一年間もミルの嚴正なる學修は寸時も緩め
られなかつた︒今夫れを示すべき二三の日記を掲げる︒1
×六月十七日︑早朝起床
佛蘭西語練習題を書き︑ゲオルテールを護む︒日曜なれば︑農夫達︑家の前の廣場で踊る︒
朝食後︑練習題を終り︑家人と共に廣場に出る︒ジョージ君(サミユエル・ベンタムの長男⁝:
筆者註﹀から植物學の話を聞く︒