制度の変化に関する議論は、アメリカ制度主義経済学における中心的な議論である。
ヴェブレンによって示された制度と本能に関する二分法分析はエアーズの儀式と技術の 対立と調整という歴史的解釈を経て、経済社会問題解決のプロセスとしての制度の変化プ ロセスという新たな解釈が登場する形で、現代の制度主義者たちに受け継がれてきてい る。この制度の変化プロセスの理解は、現代の社会経済問題解決において手段的価値を有 するものとなっている。
キーワード 制度主義 制度の変化 制度的調整 技術 儀式 手段
Ⅰ 制度と本能
アメリカ制度主義(American Institutionalism)の伝統の中で、制度の変化とその進化プロ セスに関する議論は、その創始者とされるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen)以 後今日まで受け継がれてきているといえる。現代のアメリカ制度主義
3において制度の変化と 進化プロセスの議論は、主要な分析ツールとなっている。本稿ではこの制度変化に関する議論 を現代のアメリカ制度主義者たちを中心に整理するとともに、そこから社会経済問題解決のプ ロセスの方向性を探ることとする。
はじめに、ヴェブレンの制度に関する議論を簡単に整理する。ヴェブレンは「社会構造の進 化は、諸制度の自然淘汰の過程であった」とし、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)
の進化思想にたって経済学(近代科学)を再構築しようとした。ヴェブレンは経済の変化を 累積的・連続的な変化の過程として捉えるだけでなく、その変化が無目的的であることを強 調した。さらに、ヴェブレンは人間行動を規定するものとして、本能(instinct)と制度
(institution)を強調した。
ヴェブレンによれば、「制度とは、実質的にいえば、個人や社会の特定の関係や特定の機能
アメリカ制度主義における制度変化の理論 1
Shin Takahashi
要 約
The Theory of Institutional Change in American Institutionalism 髙 橋 真2
1 本稿は、2007 年 5 月 26 日・27 日に開催された「経済学史学会第 71 回大会」(於:九州産業大学)において 報告した内容を加筆・修正したものである。なお、学会報告の際に司会に当たられた山田鋭夫先生(九州 産業大学)と討論者に当たられた荒川章義先生(九州大学)にはこの場を借りて御礼申し上げる。また、
大会期間中お世話くださった佐々野謙治先生(九州産業大学)にも改めて御礼申し上げる。
2 尚絅学院大学教授
3 現代アメリカ制度主義とは、時代的には第 2 次世界大戦以降に活躍しているアメリカ制度主義者を指して いる。とりわけ、アメリカ進化経済学会(the Association for Evolutionary Economics)ならびに制度主義 思想学会(The Association for Institutional Thought )において主要な活躍を見せているクラレンス・E・
エアーズ(Clarence E. Ayres)やアラン・G・グルーチー(Allan G. Gruchy)をはじめとする経済学者た ちである。
に関する広く行きわたった思考習慣なのである。・・・・・制度は過去のプロセスの産物であり、
過去の環境に適応したものであり、それゆえ、決して現在が要求しているものに完全に一致す ることはない。」
4ヴェブレンによれば、制度は2つに分類できる。ひとつは略奪の制度であり、もうひとつは 生産の制度である。そして前者は企業(business)に関連し、後者は産業(industry)に関連 する。またこの2つの制度は2つの本能概念と結びつく。第1の本能は製作本能であり、社会 全体の福祉の増進に役立つものであり、浪費や無駄を嫌い、生産の効率化を指向する本能であ る。この本能の反映が産業である。これに対して、もう一方の本能は略奪本能であり、直接的 には社会全体の福祉の向上に役立つことはなく、獲得や見栄などを指向する野蛮な本能である。
この本能の反映が企業である。
ヴェブレンは、この制度と本能の概念によって資本主義経済を解明しようとする。ヴェブレ ンの資本主義経済観は、この略奪本能の反映である企業による製作本能の反映である産業の支 配体制と位置付けられる。そこでは、産業と企業との対立が顕在化しており、産業の担い手で ある技術者と企業の担い手である企業家との対立は避けられないものとヴェブレンは考えた。
そしてヴェブレンは、最終的に技術者による社会革命を経て、社会主義体制への移行を期待す るに至る。
5Ⅱ 儀式−技術の理論
ヴェブレンにおける企業の制度と産業の制度の対立あるいは略奪本能と製作本能の対立の構 図は、ヴェブレン以後の制度主義者たちによって、技術(technology)と制度(institution)
の対立と適応の構図へと変化する。そしてこの議論は二分法(dichotomy)
6としてアメリカ制 度主義の主要な研究手法となっていく。この議論の中で特に重要な役割を担ったのが、クラレ ンス・E・エアーズ(Clarence E. Ayres)である。
事実、ウィリアム・T・ワラー,Jr.(William T. Waller, Jr.)は、二分法について次のよう に説明する。
「ヴェブレン流の二分法は、ヴェブレンとエアーズの伝統の中で制度主義経済学者たちの中 心的な分析用具である。ヴェブレンの業績の中で、ソースティン・ヴェブレンは、多くの特殊 な形で、二分法を表現した。」
7エアーズによる制度変化の理論の特徴は、ヴェブレンの制度進化の理論とジョン・デューイ
(John Dewey)のプラグマティックな手段的または道具主義的価値論(instrumental value theory)との統合を試みたことにある。またエアーズの制度変化の理論は、歴史的解釈におけ る制度主義の独自性を示すことになった。さらにエアーズはヴェブレンの本能論的解釈を放棄 することで、エアーズ以後の制度主義者たちに制度変化の理論の定式化を促したといえる。以 下詳しくみてゆくことにする。
エアーズは経済活動を人間行動の一部として捉え、社会的・文化的活動の一部であると見な
4 Veblen〔22〕pp. 214 − 215.
5 この点は、Veblen〔23〕で詳しく論じられている。
6 より厳密には、ヴェブレン流の二分法(Veblenian Dichotomy)と呼ばれる。
7 Waller,Jr.〔24〕p. 757.
す。経済活動をその一部として含むところの人間行動は、すべて社会的に組織されており、文 化現象である。エアーズはこのような観点に立ち、人間行動を「儀式的行動」(ceremonial behavior)と「技術的行動」(technological behavior)との2つの性格からなるものと見る。
そして、彼はこれらの異なる2つの行動を分析することによって経済社会の動態的プロセスを 解明しようとする。
エアーズは、人間行動を儀式的行動と技術的行動の2つの側面からなるものとして捉えてい る。これは、ヴェブレンの「制度」と「技術」に対応するものである。
エアーズによれば、儀式的行動とは、迷信的な宗教や伝説に基づく儀式・祭礼、社会慣習、
身分制度などを含んでいる。他方、技術的行動とは、道具の使用と道具の組み合わせであり、
また発明や発見などである。また、儀式的行動(制度)は、保守的で静態的であり、過去に依 存するものである。そして、それは進歩や変化に対して抵抗的する傾向をもつ。これに対して 技術的行動は進歩的であり、発展的である。また変化を指向するものでもある。
エアーズによれば「『生計を立てる』(getting a living)という営みには、これら2つの機能 の両方が含まれている。すなわち、生計を立てるという営みのなかには、技術的性格と儀式的 性格の諸活動とがある。この2組の諸活動は、あらゆる点で相互に両立するのみならず、条件 付けあっており、そして両者の間において、すべての『生計を立てる』活動を規定し構成して いる。これらの諸要因、相互の諸関係、そしてそれらが原因となっている経済活動の諸形態を 区別し理解することは経済分析の問題である。」
8ところで、われわれ人間は、儀式(制度)のプロセスと技術のプロセスとの両方のプロセス の中にあるといえる。そして、その両者は相互に排他的な関係にあるということもできる。
われわれ人間は、危険な、そして不確実な世界の中で安全を追求・確保するために、古来2 つの方法を採用してきた。ひとつは、われわれの周囲を取り巻き、運命を決定付ける権力
(power)の機嫌をとることである。祈願、いけにえ、儀式上の慣わし、カルト的な祭礼など、
今日では大部分見られなくなったこれらの行動は、幸運をつかさどる権力の側(例えば、神な ど)に自分の意思を委ねることによって、安全を確保しようという行為に他ならない。
もうひとつの方法は、技術に依存することである。すなわち、新たな技術を考案し、人間に 対して脅威となる自然の力(power)に対して、技術という道具を用いてその力の説明を試み ることである。この自然の力に対する技術による説明は、後に「科学」として発展するもので ある。すなわち、技術に裏付けられた科学による解明または説明によって、安全を確保するの である。
この儀式と技術の方法は、一見すると両立可能であるかのように見える。しかし、一方は他 方を犠牲にしてのみ普及することができるのである。
エアーズは儀式と技術の関係について「人類の歴史は、絶えず変化をつくり出そうとする技 術のダイナミックな力と変化に抵抗する儀式―身分・社会慣習・伝説の信仰―のスタティック な力との、これら諸要因の果てしない対立の歴史である」
9と述べている。
ところで、経済の成長は科学や技術の発展に起因するものであり、知的な意味でも、また物 質的な意味でも、あらゆる種類の道具と材料の増殖によるものであり、人間の持つ特定の本能
8 Ayres〔1〕p. 99.
9 Ayres〔1〕p. 99.
に起因するのではない。それは、多くの発明や発見の結果およびその集大成として導き出され たものであり、その根底には人類の知性と熟練が存在する。
エアーズは、近年の急速な科学・技術の発展に関して、その理由は明らかに、ヴェブレンが 指摘した製作本能あるいは無意味な好奇心(idle curiosity)が広まったことに見出すべきでは ない、として本能論による説明を拒否する。
10一方、儀式は、実際のところ、過去の伝説の再現である。伝説はしきたりを合理化し、しき たりは身分に適合した行動を規定する。その意味で、あらゆる制度化のプロセスは、過去を向 いているのであり、変化に対して抵抗する傾向をもつ。ここに、発明や発見が起こる余地があ るとエアーズはみている。すなわち、儀式による支配・説明・説得がなされていることそれ自 体が、技術的発展の要素(技術による解明の余地)を含んでいるのである。発明や発見といっ た技術的発展が、それまでの人間生活の物質的環境を変化させることによって、制度的な変化 を促進するのである。
「技術の発展の力は、制度的構造が作用している物質的環境を変化させることによって制度 的構造を変化させる。しかし、その適応は、儀式的な残存物の本質までは変化を巻きこまない。
それは変化に耐えたのである。否定的な意味以外のどんな意味でも、あるあたえられた技術に
『適応』する制度(または1組の制度)のようなものは存在しない。」
11エアーズが儀式として規定した伝説・しきたり・身分制度・社会慣習はそれぞれ、明示的な 社会形態をとっているが、それらの本質的な要素は「超自然主義的な感情的条件付け(emotional conditioning)」である。すなわち、それは、社会全体の多くの人々が、神のような超自然的な ものを信じ、自らの意思をそれにゆだねることであり、儀式・制度化のプロセスの本質である。
この「超自然主義的な感情的条件付け」のプロセスは、共同社会において、幼い頃からその社 会を構成する人々によって次世代へと教育され、伝えられてきたものである。
発明や発見といった技術的発展は、その技術的な発展に適応した個別の儀式・制度の変化を もたらす。しかし、それはあくまで部分的な、あるいは表面的な儀式・制度の変化であり、儀 式・制度化のプロセスの本質は変わらないまま残存する。
ここで、これまでの議論を踏まえて、エアーズの制度変化の理論を整理する。
発明や発見およびそれに結びついた技術的発展は、過去の残存物である儀式や制度の変更を もたらす。その儀式や制度の変化(制度化のプロセス)それ自体は、新たな技術的条件に適応 した形で変化する。それが、制度的調整である。しかし、その制度化のプロセスは、儀式や制 度の表面的な、あるいは部分的な変化であって、その本質である「超自然主義的な感情的条件 付け」の排除・否定・変化にまで及ぶものではない。
エアーズの議論は、古代から現代までの人類の歴史を儀式(制度)と技術という相反する2 つの人間行動分析によって解明を試みたものといえる。
Ⅲ 制度的調整原理
エアーズの制度変化の理論は歴史的解釈において有効であった。しかし、エアーズの制度変
10 Ayres〔2〕p. 5.
11 Ayres〔1〕p. 187.
化の理論から制度の変化がどのような意味を持ちうるのか、そしてまた社会経済問題の発生と その解決に制度の変化がどのように役立ちうるのかを見出すことはできなかった。制度変化の プロセスの中に社会経済問題の解決プロセスという新たな視点を見出したのが、J・ファグ・
フォスター(J. Fagg Foster)の制度変化論である。
フォスターは制度的調整(institutional adjustment)
12における3つの原理を提示し、制度 的調整プロセスを社会経済問題解決のプロセスと位置付ける。そこには、「社会問題に対する 解答は、必然的に、制度的調整の形態をとるのであるから、当該の諸原理は、ある種の調整の 決定要因を明らかにしなければならない」
13というフォスターの強い決意が見られる。
フォスターは制度の持つ機能(あるいは価値)を2つに分類する。それは、制度の手段的機 能(価値)と制度の儀式的機能(価値)である。制度の手段的機能(価値)とは、効率性や持 続性に関連し、科学や技術と結びついた技術的な発展プロセスという動態的な動きに基づくも のであり、手段として正当化されるものである。これに対して、制度の儀式的機能(価値)と は、権威や身分制度に基づくものであり、儀式として正当化されるものであり、既存の制度的 構造の存続を支持するものである。したがって、技術的な発展という動態的なプロセスは、制 度の手段的な機能(価値)を通して、それ自体、習慣化した行動様式に対して変化の圧力を加 える。そのことは、社会を構成している人々を制度の変更・修正へと向かわせることになる。
ところで、フォスターは、制度的調整に関する3つの原理を提示する。それは、①「技術的 決定の原理」、②「認識された相互依存の原理」、そして③「最小限の混乱原理」である。
フォスターは、社会経済問題の発生が技術的発展のプロセスに起因し、そしてその問題の解 決は制度的構造の調整のみによってはかられると考える。社会経済問題の発生が技術的発展に 起因し、その解決が技術的発展に適合した制度的調整によっているという意味において、技術 が問題の解決に大きく関わっている。フォスターは、このことを制度的調整の第1の原理、す なわち、「技術的決定の原理」(The Principle of Technological Determination)と呼ぶ。
14し たがって、フォスターにおいては、制度的調整プロセスは経済の進歩や効率性の観点から積極 的に評価されるものといえる。
フォスターは、第2の制度的調整原理として、「認識された相互依存の原理」(The Principle of Recognized Interdependence)を提示する。それは、1つの制度的調整の形態は、1つの 制度的な変化に対する意図を持った選択的な行動が社会を構成する人々によって相互に認識さ れ、その社会の人々の共通した行動の具体化によって明確になるということである。
フォスターによれば「制度的構造は、大部分、習慣化した行動から成り立っている。しかし、
そのようなある構造でのひとつの調整は、ひとつの意図的な選択が、行動を変更しなければな らないような人々によって認識された可能な選択肢の間でなされる、ということを要求する。
ひとつの新しい行動パターンは、その行動が最初に『方向付けられた』ものであることを必要 とする。それは、反復繰り返しによって習慣的なものとなる。しかし、その最初の行動成果は 意識的な方向性を必要とする。」
15この原理は、社会の制度的構造の存続を規定する行動パターンが、相互に関係しあっている
12 技術を含めた制度を取り巻く環境の変化に適応する形で制度が変化することを「制度的調整」と呼ぶ。
13 Foster〔11〕p. 932.
14 Foster〔11〕pp. 932 − 933.
15 Foster〔11〕p. 933.
という認識に基づいている。人々は、制度の変化とは相互依存的な習慣化した行動の中での
「方向付けられた」あるいは「意識的な」変化の具体化であることを認識しなければならない のである。
フォスターの提示する制度的調整の最後の原理は、「最小限の混乱原理」(The Principle of Minimal Dislocation)である。
16これは、すべての制度的修正が、制度的構造の中で、修正さ れないで残された部分にうまく組み入れられることである。フォスターのいう「技術的決定の 原理」からすれば、制度の修正・変化は、技術的な発展プロセスに起因する。制度の修正・変 化は、手段的効率性あるいは手段的価値の観点から望ましいものといえる。フォスターの議論 には、そのような価値判断が含まれている。
ところで、技術的発展によって引き起こされる1つの制度の修正・変化は、制度的構造全体 に及ぶわけではない。したがって、その1つの制度の修正・変化が修正・変化がなされなかっ た残りの制度的構造との中で混乱や軋轢を最小限にとどめ、残りの制度的構造の中に組み入れ られることが、結果的には、その社会における手段的効率性(手段的価値)の純増加をもたら すことになる。
この「最小限の混乱原理」は、制度の修正・変更が制度的構造全体とどのように関わってく るのかによって、すなわち、その制度の修正・変化がおこる割合、程度、分野という点で、制 度的調整の限界が明らかとなる。
ソ連邦および東ヨーロッパ諸国における社会主義の崩壊と急激な市場経済化の進展に関し て、「『社会主義』から『資本主義』への移行を達成するための東ヨーロッパ諸国やロシアにお ける『市場の衝撃』政策の適用は、これらの多くの国々の制度的構造をすでにボロボロに壊す という最大限の混乱(maximal dislocation)という結果に終わるように見える。」
17というポー ル・D・ブッシュ(Paul D. Bush)の見解は、この「最小限の混乱原理」による評価と見るこ とができる。
このように技術の発展とそれに伴って生じる社会経済問題、そしてその解決プロセスとして の制度変化というフォスターの理論展開は、明らかにエアーズ理論の影響下にあるといえる。
Ⅳ 問題解決プロセスとしての制度変化
フォスターの弟子であるブッシュは、フォスターの議論をさらに発展させることになる。ブッ シュはフォスターにみられる制度の儀式的機能(価値)と制度の手段的機能(価値)の二分法 を踏襲する。すなわち、ブッシュは制度変化を「進歩的な」(progressive)制度変化と「退行 的な」(regressive)制度変化に分類する。「進歩的な」制度変化は手段的に正当化された価値 をもち、技術的な発展過程を通して、社会の問題解決において適用される。それは、儀式的に 正当化された価値に取って代わるものである。これに対して、「退行的な」制度変化は儀式に よって正当化されたものであり、技術的発展に対して社会が抵抗的である場合、儀式的な行動 が支配的な場合、「退行的な」制度変化が起こる。ブッシュもフォスターと同様に、手段的な 効率性にその価値を見出す。「進歩的な」制度変化を問題解決のプロセスと見て、そこに政策
16 Foster〔11〕pp. 933 − 934.
17 Bush〔7〕p. 523.
的な意義を見出す。
18「進歩的な」制度変化のプロセス(手段的に正当化された行動パターン)を通じて、儀式によっ て正当化された行動パターンを変化させる(移し変える)には、ある程度の社会生活における 混乱が生じる。その場合、フォスターが述べた「最小限の混乱原理」が意味するように、その 混乱は最小限度にとどめられることが望ましい。
すなわち、「手段的行動様式による儀式的行動様式の移し変えが、共同社会の生活プロセス の持続性を保持し、また手段的に正当化される行動様式の混乱を最小限にするほどの方法で起 こる場合にのみ、『進歩的な』制度変化が起こりうるということを、最小限の混乱原理は明確 にする」
19のである。
ブッシュは、経済社会の問題解決のプロセスとしての「進歩的な」制度変化プロセスは、手 段的な価値を持つ行動パターンによる儀式的行動パターンの移し変えという形で行われるが、
それは各個人個人のレベルで変化が促進されるように計画されなければならないとみる。これ は、フォスターのいう「認識された相互依存の原理」に基づく考えと見ることができる。
ブッシュによれば「もし、『進歩的な』制度変化が起こるならば、それは『草の根』レベル で確立されなければならない。『上からの革命』がめったにしか成功しないのは、この理由の ためである。」
20民主主義は真の経済進歩の実現にとって不可欠な政治プロセスであり、政策形成は大衆レベ ルでの共通の合意(共通認識)に基づくものでなければならない。そして、この点は政策形成 に関するすべての制度主義経済学者共通の見解である。
ところで、現在われわれが直面している社会経済問題に対して、この「進歩的な」制度変化 の概念は、どの程度有効であろうか。
ブッシュは、米ソ冷戦構造の崩壊後に見られるアメリカの非軍事化(核軍縮の動き)と酸性 雨や地球温暖化などの地球規模の環境破壊に関して、次のような見解を示す。
アメリカの非軍事化に関しては、ゴルバチョフによる冷戦の終結宣言がひとつの大きなきっ かけであった。アメリカの非軍事化は、手段的な価値基準の観点からみれば、技術と資源の経 済的な浪費を避けるという点で、意義あるものといえる。しかし、実際には軍隊と民間の産業 部門が密接な関係を保っている。すなわち、いわゆる「軍産複合体」がアメリカのあらゆる分 野に浸透しており、非軍事化という「進歩的な」制度変化を「最小限の混乱原理」にかなう形 で計画することは、かなり厳しいものとなる。
21また、地球規模の環境破壊に関しては、その解決策は一国レベルであれ国際レベルであれ、
社会生活の「最大限の混乱」に陥ることなく、その制度の調整を図ることは困難であるかもし れない。すなわち、地球規模の環境破壊を食い止めることは、単に1つの制度の変化ではすま ない。まさに制度的構造全体を大きく変えることになるという意味で、「最小限の混乱」では 済まされない面がある。
その意味で、ブッシュの「進歩的な」制度変化の概念は、直面する社会経済問題に対して有 効かつ実行可能な政策提示の困難性を浮き彫りにする結果となっているようにおもわれる。
18 Bush〔5〕pp. 455 − 464.
19 Bush〔5〕p. 457.
20 Bush〔5〕p. 456.
21 Bush〔5〕pp. 460 − 461.
Ⅴ 制度変化論の意義
制度変化に関する一連の議論はアメリカ制度主義経済学固有の理論であるとともに、現代の 制度主義経済学者たちの主要な分析用具でもある。
エアーズおよびエアーズ以後のアメリカ制度主義経済学者によって展開されてきた制度変化 に関する議論は、それぞれ細かな議論内容に相違点はあるものの、技術進歩や技術革新が経済 の進歩あるいは社会経済問題の解決に役立つものという共通の認識がみられる。また、そこに は制度の修正・変化をもたらす原動力としての科学や技術の発展が道具として価値をもつとい う手段的価値重視の判断が表明されている。
ロジャー・トラブ(Roger Troub)は、制度の変化と調整に関わる議論を戦略的なレベルで 大きな意味を持つものと考える。すなわち、彼は制度の変化と調整のプロセスは、知識の成長 と新たな技術の普及に対する障害を取り除き、その結果として社会が累積的により良い状態を 実現する方法を示したものとして評価する。
22さらに、トラブはこの制度の変化と調整の議論 が、技術変化に対する社会的な対応を推測するという意味で貢献していると見ている。
本稿で取り扱った制度の変化に関する現代アメリカ制度主義経済学の議論は、経済社会の変 化に対する理解だけでなく、社会経済問題解決のための政策手段としての制度改革の実行可能 性とその運用に関して示唆するものが多くあるように思われる。また、近年ミルトン・フリー ドマン(Milton Friedman)流の新自由主義的な市場原理主義政策が遂行され、その弊害が指 摘される中で、ヴェブレンの再評価の気運が高まってきている。その意味でも、現代アメリカ 制度主義経済学の制度変化の議論は、明らかに有益な内容を有しているといえる。
【参考文献】
〔 1 〕Ayres, Clarence E.(1944),
The Theory of Economic Progress
, 1978., third edition, New Issues Press.〔 2 〕Ayres, Clarence E.(1976), The Theory of Institutional Adjustment ,in Thompson, ed., 〔17〕
〔 3 〕Breit, William, and Culbertson, William P.(1976),eds., Science and Ceremony:
The Institutional Economics of C. E. Ayres
, University of Texas Press.〔 4 〕Bush, Paul D.(1988), Theory of Institutional Change ,in Tool, ed., 〔19〕
〔 5 〕Bush, Paul D.(1989), The Concept of Progressive Institutional Change and Its Implications for Economic Policy Formation ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.23, No.2, June.〔 6 〕Bush, Paul D.(1994), The Pragmatic Instrumentalist Perspective on the Theory of Institutional Change ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.28, No.2, June .〔 7 〕Bush, Paul D.(1999), Institutional Change and Adjustment ,in O Hara, ed.,〔15〕
〔 8 〕Bush, Paul D.(1999), neoinstitutionalism ,in O Hara, ed., 〔15〕
〔 9 〕Dugger, William M. (1989),ed,
Radical Institutionalism: Contemporary Voices
, Greenwood Press.〔10〕Foster, J. Fagg(1981), The Theory of Institutional Adjustment ,
The Journal of Economic Issues
,Vol.15, No.4, December.〔11〕 Foster, J. Fagg(1981), Syllabus for Problem of Modern Society : The Theory of Institutional Adjustment ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.15, No.4, December.〔12〕 Gruchy, Allan G.(1972),
Contemporary Economic Thought : The Contribution of Neo-Institutional Economics
, Augustus M. Kelley,1974.22 Troub〔21〕p. 318.
〔13〕Gruchy, Allan G.(1990), Three Different Approaches to Institutional Economics :An Evolution ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.24, No.2, June.〔14〕Hodgson, Geoffrey M., Samuels, Warren J., and Tool, Marc R.(1994), eds.,
The Elgar Companion to Institutional and Evolutionary Economics
, Edward Elgar, Vols.2.〔15〕O Hara, Phillip A.(1999), ed.,
Encyclopedia of Political Economy
, Vols.2, Routledge.〔16〕Phillips, Ronnie J.(1994), Texas School of Institutional Economics ,in Hodgson, Samuels and Tool, eds.,〔14〕
〔17〕Tompson, Carey C.(1967), ed., Institutional Adjustment :
A Challenge to a Changing Economy
, University of Texas Press.〔18〕Tool, Marc R.(1995),
Pricing, Valuation and Systems: Essays in Neo-institutional Economics
, Edward Elgar.〔19〕 Tool, Marc R.,(1988)ed.,
Evolutionary Economics Ⅰ :Foundation of Institutional Thought
, M.E.Sharpe.〔20〕Tool, Marc R.(2000),
Value Theory and Economic Progress: The Institutional Economics of J. Fagg Foster
, Kluwer Academic Publishers.〔21〕 Troub, Roger M.(1983), General Adjustment Theory and Institutional Adjustment Process ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.17, No.2, June.〔22〕 Veblen, Thorstein(1898),
The Theory of the Leisure Class
, Augustus M. Kelley ,1975. 高哲男訳(1998)『有閑階級の理論』筑摩書房
〔23〕 Veblen, Thorstein(1921),
The Engineers and Price System
, Augustus M. Kelley, 1965. 小原敬士訳(1962)『技術者と価格体制』未来社
〔24〕Waller, Jr., William T.(1982), The Evolution of Veblenian Dichotomy: Veblen, Hamilton, Ayres, and Foster ,
The Journal of Economic Issues
, Vol.16, No.3, September.〔25〕Waller, Jr., William T.(1994), Veblenian Dichotomy and Its Critics ,in Hodgson, Samuels and Tool, eds.,〔14〕
〔26〕佐々木晃編著(1991)『制度派経済学』ミネルヴァ書房 1991 年
〔27〕高橋真(1991)「第 8 章エアーズの制度経済学」佐々木〔26〕所収