*1
本稿は『国語の研究 第39
号』(大分大学国語国文学会,2015
)への投稿論文を「九州地区国立 大学教育系・文系研究論文集編集委員会」の査読を受け、大幅に加筆修正したものである。*2
「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」(平成26
年11
月20
日,
中 央教育審議会)*3
例えば、『小学校学習指導要領解説国語編』(平成20
年告示版)の「改定の経緯」の他、「育成す べき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会―論点整理―」(文部科学 省,平成26
年03
月31
日)においても同趣旨の要求がなされている。「想像行為」の誘発から始める 読書態度の指導 (再考) *1
花 坂 歩
大分大学教育福祉科学部
Instruction of the reading attitude
begun from causing of “ the act of imagining ” ( Reconsideration )
Ayumu HANASAKA
The Faculty of Education and Welfare Science,Oita University
1 はじめに
グローバル化の進展に伴い、次代を生きる子ども達には「伝統や文化に立脚し、高い志や意欲 を持つ自立した人間として、他者と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力」*2 が求められている*3。本稿は「想像」という観点から学習指導要領の系統性を考察するとともに、
想像行為そのものを授業に定位する必要性を実践例に触れながら提案するものである。
2 国語教育における「想像」の扱い
「想像」という言葉は小・中・高等学校の学習指導要領に示される国語科の目標に共通して含 まれており、いわば、小・中・高等学校の12年間で系統的に指導されるべき資質・能力の一つ となっている。しかし、その基礎を担う『小学校学習指導要領解説国語編』においても、『中学 校学習指導要領解説国語編』においても、「想像(力)」は、「豊かに想像する力である」のよう にしか説明されていない。その一方で、『高等学校学習指導要領解説国語編』では「想像」を次 のように説明している。
「想像力」とは物事を心に思い浮かべたり、推し量ったり、予測したりする能力である。
小学校及び中学校ではこれらを「養う」としていたものを、高等学校では「伸ばす」として いる。
想像力を伸ばすとは、実際には見たり経験したりしていない事柄などを頭の中に思い描く 段階から更に進んで、様々な資料を基に、これから起こるであろうことやどのように行動す ればよいのかということを思い描くなど、将来の状況やあるべき姿を予測したり、見通しを
*1
話し手の意図をとらえながら聞き、自分の意見と比べるなどして考えをまとめること。*2
経験したことや想像したことなどから書くことを決め、書こうとする題材に必要な事柄を集める こと。*3
場面の様子について、登場人物の行動を中心に想像を広げながら読むこと。*4
場面の移り変わりに注意しながら、登場人物の性格や気持ちの変化、情景などについて、叙述を 基に想像して読むこと。もって行動したりすることの能力までを含めて身に付けることである。
高等学校段階における想像力には、物事の微妙なところまで感じ取る心情的な側面のみな らず、根拠に基づき先を見通すなど、論理的な側面もあること、そして、そのような想像力 を一層発展させる必要があることを明示した。
この解説にあるように、高等学校における「想像」は「物事を心に思い浮かべたり」(想起)、
「推し量ったり」(推量)、「予測したりする」(予測)の他、「見通しをもって行動したりする」
(行動)までをも含めて説明されている。これは小・中学校のものに比べ、非常に広範かつ具体 的、実用的である。さらに、そうした「想像力」が小学校と中学校で養われていることを前提に して述べられている点も注目すべきである。
高等学校でのこうした指導を可能にするためには、小・中学校で「想像力」の基礎が養われて いなければならない。しかし、先に指摘したように、小・中学校での「想像(力)」は「豊かに 想像する(力)」という程度にしか具体化されていない。
改めて、特に、『小学校学習指導要領解説国語編』における「想像」の取り扱われ方を整理し、
問題を明らかにしたい。
まず、「話すこと・聞くこと」においては、指導事項にも『小学校学習指導要領解説国語編』
にも、「想像」という言葉はみられない。ただし、第5学年及び第6学年の指導事項のエ*1 には
「話し手の意図をとらえながら聞き」とあることから、想像に類する指導は行われると思われる。
「書くこと」においては、第1学年及び第2学年の指導事項のア*2 に「想像」という言葉が見 られるが、「想像したこと」のように想像を完了態として捉えている。本来であれば、「想像す ること」のようにし、十分な想像を行わせた後に、同項の「書こうとする題材に必要な事柄を集 めること」や次項の「構成を考えること」、「文や文章を書くこと」に取り組ませるべきである。
そのようにしなければ、うまく想像できない学習者は「書くこと」の指導の始まりにおいて躓く ことになる。
「読むこと」では、主に「文学的な文章の解釈に関する指導事項」に「想像」という言葉が見 られる。まず、第1学年及び第2学年の指導事項のウ*3に「想像を広げながら読むこと」とあり、
その解説には、「物語の展開に即して各場面の様子が変化したり、中心となる登場人物の行動が 変化したりしていくことを把握した上で、その様子を豊かに想像しながら読む」とある。「把握 した上で」とあることから、「想像」は物語の展開の把握とは別に扱われる。第3学年及び第4 学年の指導事項のウ*4 には「叙述を基に想像して」とある。解説には、「フィクション(虚構)
による世界が描かれている物語や詩の描写を、想像力を働かせながら読むことである。叙述を基 に、それぞれの登場人物の性格や境遇、状況を把握し、場面や情景の移り変わりとともに変化す る気持ちについて、地の文や行動、会話などから関連的にとらえていくようにすることが必要と なる。その際、自分を取り巻く現実や経験と照らし合わせて物語の世界を豊かにかつ具体的に感 じ取ったり、そこから感じ取った感想や感動を大切にしたりすることが必要である。」のように ある。ここでは、想像と物語展開の論理的な把握とが同時に行われるように読み取れる。
稿者が関心を寄せているのは、「想像」がどの学習(指導)段階で行われるかである。
『小学校学習指導要領解説国語編』の「国語科の目標及び内容」の「読むこと」の「説明的な
*1
『広辞苑』(第六版,
新村出編,
岩波書店,2008
)によると、「①実際に経験していないことを、こう ではないかとおしはかること。②現前の知覚に与えられていない物事の心象(イメージ)を心に浮か べること。」とある。文章の解釈に関する指導事項」の解説には、「文章の解釈とは、本や文章に書かれた内容を理解 し意味付けることである。具体的には、今までの読書経験や体験などを踏まえ、内容や表現を、
想像、分析、比較、対照、推論などによって相互に関連付けて読んでいく。文章の内容や構造を 理解したり、その文章の特徴を把握したり、書き手の意図を推論したりしながら、読み手は自分 の目的や意図に応じて考えをまとめたり深めたりしていくことである。」とある。そして、この
「文章の解釈」に関する解説は「文学的な文章の解釈」においても同様であるとされている。
ここでの「想像」は「想像、分析、比較、対照、推論」などのように、「推論」と並置されて ことから、「推論」と「想像」が異なる行為として位置づけられていると言える。これは推量、
予測のような論理的思考を想像に含めていた高等学校と異なっている。また、「想像」が「分析、
比較、対照、推論」と並置されていることから、ここでの「想像」はそういった論理的思考では なく、想起に近いものと推測できる。とすれば、第3学年及び第4学年の指導事項のウにある「叙 述を基に想像して」は「分析、比較、対照、推論」を含まないものとなるが、先に述べたように、
そのようには解釈しづらい。これらから、学習指導要領における「想像」は、概念上の規定と運 用が十分に整備されていないことを指摘できる。
そもそも「想像」は、一般的にも、あまり厳密に定義されていない*1。『国語教育指導用語辞 典』(田近洵一・井上尚美編,教育出版,2009)には、「想像」の項はなく、宮崎清孝による「イメ ージをめぐる説」として、「国語教育でイメージというとき、特定の認知過程を指すのではなく、
言語表現しにくい感じや印象を指しているのにすぎないことが多い」のようにある。また、『国 語教育辞典』(日本国語教育学会編,朝倉書店,2001)にも「想像」はなく、「イメージ」として、
深川明子が「外界からの刺激による知覚像と抽象的な理念、概念との中間に存在する表象作用、
具体的な心象というモノとして捉えるのではなく、直接経験や知識を呼び起こして表象化を行う 精神活動をいう。」と述べている。これらの記述を見ても、「想像」は別の言葉や映像などへと
「置き換えたもの」のように静的に捉えることもあれば、深川のように、頭の中に映像や考えを 形作る作用のように捉えることもある。あるいは、もっと端的に、「想像すること」のように行 為として捉えることもある。
深川はさらに「読むという行為は、読み手が教材と出会って、自分の直接経験を想起したり、
知識を呼び起こしたりして、それらと結合してイメージ化することである。と同時に、視点人物 の視点に立ったとき、読み手は自分が創ったイメージのなかにいるという状態を体験することで もある。読み手は、読書行為の過程において、現実に存在してイメージ形成を行っている自己と、
イメージの世界にいる自己と、二重の自己を体験することになる。この二重体験のなかで、読み 手が自分で自分を問い直し、そこに新たな自己を発見し、新たな自己を形成する。ここにイメー ジ体験の最大の意義がある。」と述べている。この言説からは、「想像」が単なる想起や推量、
予測のような思考活動であることを超え、「新たな自己を発見」することや、「新たな自己を形 成する」ことにまで及ぶものとして捉えられていることがわかる。
こうした新たな自己の発見や形成という観点から「読むこと」を論じ続けているのが田近洵一 である(田近;1975,1996,2013)。田近(1975)では、「作品に内在する視座に立ちつつ、しかも主体 的に作品とかかわる」のように述べ、読み手が作品世界の内部において、その作品と関わってい くことを指摘している。その後の、田近(1996)でも、田近(2013)でも、読み手による虚構世界の 創出と、読むことにおける他者との出会いを説いている。田近や深川(1983,1987)に限らず、我 が国の、特に
1980
年代後半から1990
年代はこうした読むことにおける自己の発見や形成、自己*1
「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善に ついて(答申)」より該当部分を引用する。「(ア)小学校、中学校及び高等学校を通じて、言語の教 育としての立場を重視し、国語に対する関心を高め国語を尊重する態度を育てるとともに、豊かな言 語感覚を養い、互いの立場や考えを尊重して言葉で伝え合う能力を育成することに重点を置いて内容 の改善を図る。特に、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、自分の考 えをもち、論理的に意見を述べる能力、目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に応じて 的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育てることを重視する。」*2
ヴォルフガング・イーザー(Wolfgang Iser,1926-2007
) フッサールやインガルデンを基礎に、現象 学的読書行為論を展開した。ロベルト・ヤウスとともに、受容美学や読者反応批評を提唱するコンス タンツ学派の祖として知られている。当時、日本の国語教育界は読者論への関心を強めており、その 著書『行為としての読書』が大きな影響を与えたとされている。*3
阿部(1995
)は「心理学では、心の中での処理の結果として得られ、記憶に保持される情報の事を 一般に表象(representation
)と呼んでいる」と定義付けている他、岡本(2001
)は「実対象からはなれ て心内に描けること、また描けるものとしてのイメージや概念、心内で操作等を指す」と述べている。変革を読み手の立場から論究した時代であった。1998年の教育課程審議会答申*1で「文学的な文 章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め」と述べられたことを契機に、こうした 読むことにおける自己の発見や形成、自己変革そのものが否定されているかのような誤解が教育 現場には広がったように思われる。しかし、文学的文章がもつ重要な特質の1つとして自己の発 見や形成、自己変革がある。それらを看過せず、そのさらなる開発と積極的な活用を、時代が求 める活用型の学力育成とともに推し進めていく必要がある。
3 想像行為を誘発する授業(試案)
「読むこと」における想像を新たな自己の発見や形成を彼岸に置いて考える上で、我が国の国 語教育に大きな影響を与えたイーザー*2 の『行為としての読書』(岩波書店,1982)に立ち戻って 考えたい。もちろん、イーザーの『行為としての読書』が邦訳されてからすでに
30
年以上経っ ており、そのまま現代に適用することはできない。またすでに一定の総括も行われている(上谷;1988,1990,1997)。しかし、イーザーが行った読み手とテクストの相互関係に関する原理的な考
察は、「読むこと」の学習に躓いた学習者への個別の支援においても、また、多数の学習者が一 つの教室に集う授業において一人一人に読みを現象させる上でも有益な基礎理論となる。本稿で は、改めてイーザーの主張を、特に想像との関わりにおいて捉え直し、以下の3点を新たに提示 する。①テクストには欠落部分(空所)がある。その欠落を埋めようとする読み手の想像行為が、
解釈の多様性と読みの推進力を生む。
②テクストを読むとはテクストの明示部を有効に活用することである。そのため、読み手の 想像行為によって読みが恣意的になるとは言えない。
③読み手はテクストを生起させる役割を担うと同時に、自分自身では決して作り出せないよ うな状況をテクストとともに創出し、それに巻き込まれていく。
①はテクストの構造について、②は読み手によるテクストへの関与について、③はテクストと の相互作用によって読み手に生じる現象についての指摘である。
イーザーの読書行為論では、読み手の視線の移動とともにテクストが生起すると考えるため、
客観性の即時的な拠り所は語句にあるということになる。しかし、近年の認知心理学の研究から、
読み手は語句や文ごとに個別に意味表象*3 を作っていく(ボトムアップ式)だけではなく、文章
*1
セグメントの内部には登場人物、情景、事実展開を表すファセット(刻面)が配されており、読 み手はそれらを統合して、一つの仮想現実を生起させる。ここでいう「ファセットfacet
」とは「素 材」のことである。読み手はテクストを読みながら、登場人物についての情報、例えば、髪の色や体 格、服装といった描写を集め、一つの大きなイメージを作り上げていく。*2
教育系の大学への進学を希望する1年生、2年生の混成クラス45名程度。高校側からの要望は、稿者の専門分野についてを高校生でもわかるように説明してほしいとのこと。出前講座は、参加生徒 の実態を鑑み、「人物・情景・心情の描写などを的確にとらえ、表現を味わっている。」(現代文
B
読むことイ)を、想像行為の体験とともに指導することにした。の一部から活性化された既有知識に基づいて語や文の意味を規定していく(トップダウン式)こ とがわかっている(内田;1995,阿部;1995)。また、実際の授業場面を考えても、一語一語、立ち 止まりながら考えさせてしまっては学習者の集中力が持続しないばかりか、読みのダイナミクス が失われてしまう。
現時点では、イーザーが「セグメント(局面)*1」という言葉で説明した単位(一般的には「場 面」といわれるもの)を授業における基本的な思考単位とすることで、単語、文、段落の想像が 効果的に行われると考えている。その具体を公立高校での出前講義*2(平成
26
年6
月19
日実施、以下、「授業」とする)をもとに考察する。用いた学習材はアーノルド・ローベルの「お手紙」
(三木卓訳『ふたりはともだち』所収,文化出版局,1972)である。今回、高校生を対象とした授 業にもかかわらず、小学校2学年の教科書(光村図書出版)にある「お手紙」を選んだのは、読 書の素朴な楽しみを味わって欲しかったことと(Jim;1985)、絵本は短い時間で物語の内容を理 解させることができ、目的とする読解方略を指導する上で使いやすいためである(花坂;2013,山 元;2014a)。
今回の授業では、平素の「話すこと・聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」の指導に想像行 為の誘発を位置づけることの有効性を示すために、オリジナルテキストを読ませる前に、資料1 に示すワークシートによって物語を創作させた。なお、この活動の着想は鹿内(1989,2003)よ り得ている。
このワークシートにあるそれぞれの絵が上述の1つのセグメントに相当する。読み手は物語を 作るために、絵をよく観察し、そこに何が描かれているのかを細かく分析しなければならない。
(資料1) 授業で用いたワークシート①
例えば、資料1の①の絵であれば、カエルが何匹いて、どのような状態で、何をしているのかな どである。こうした細部の描写が文字で行われていた場合、イーザーはそれをファセットと呼ん でいる。実際の授業では、こうした1枚の絵の分析を指示し、さらに3枚の絵を関連付けて物語 を創作させた。それによって、①テクストには欠落部分(空所)があること、②読むとはテクス トの明示部を有効に機能させるということを、絵の読み解きから学習させようとした。こうした 文字以外からのアプローチが学習者の意欲の喚起や「書くこと」に有効であることは、古くは大 村(1983a、1983b)の他、近年は鹿内(2010)によっても示されている。
参考として、生徒が創作した物語を2例、示す。
【A】①かえるくんとがまくんが悲しそうな顔で玄関に座っています。なぜなら、ポストを 置いていてもおてがみが来ないからです。②そこである日、かえるくんがかたつむりさんに おてがみを渡しました。かたつむりさんはお返しにおてがみをポストの中へ入れました。③ 待ちに待ったおてがみがポストに入っており、かえるくんとがまくんはうれしくなりました。
この【A】の①に見られる「なぜなら」は②の「おてがみ」の絵と①の「悲しそうな顔」、「ポ スト」とを関連付ける上で有効に機能している。②に見られる「かえるくん」、「かたつむりさ ん」、「おてがみ」への注目は、読書行為ではファセットの抽出にあたる。①の「ポスト」も同 様である。その他、③のうれしそうな「かえるくんとがまくん」もファセットの抽出と見なせる。
これらは先に挙げた「②テクストを読むとはテクストの明示部を有効に活用することである」に 向けての予備的思考となる。こうした絵解きの過程を用意することで、言葉から表象を作ること が苦手な学習者も物語の全体像を暫定的に作ることができる。物語の細部を読み取るという意識 を喚起しながら(ボトムアップ式の態度を促しながら)、絵によって把握した全体像によって、
語や文の個別の意味を規定していくトップダウン式の理解を補助していくことが期待できる。
次の例は、幼少期や小学生の頃に読んだオリジナルテキストの内容を覚えていると思われる作 品である。
【B】①かえるくんとがまくんが悲しそうに顔で玄関に座っています。がまくんの家のポス トには中々手紙が届かないのです。②それに気をつかったかえるくんは、お友達のえすかる ごくんに自分の手紙をがまくんの家のポストに出すようにたのみました。③その数日後、が まくんあてにかえるくんからの手紙がポストに届き、それを読んだがまくんはかえるくんと 肩を寄せ合い、2人のきずなを確認しあいました。
この創作作文はオリジナルテキストの展開とおおよそ一致している。異なるのは「かたつむり」
(生徒は「えすかるご」としている)に渡した手紙が「がまくん」のポストに既に届いていると したところである。この【B】の作文に生じていることは、少なくとも2種の既習体験の反映で ある。1つは、幼少期や小学生の頃のオリジナルテキストの読書体験、そしてもう1つは、「数 日後、手紙がポストに届き、肩を寄せ合い、2人のきずなを確認する」という場面に総括される 体験である(ここで「総括」と述べたのは、「数日後、手紙が届くという場面」、「待っていたも のが届き、肩を寄せ合うという場面」、「2人のきずなを確認するという場面」のそれぞれが独 立して断片的に体験されたことも想定している)。
今回の絵を元に物語を創作するという活動では、生徒 の創作作文を見ても、空白が目立ち、どの絵についても 1、2文程度しか書けていなかった。参考として、それ ぞれの絵で書かれた文字数を表1に示す。内田(1999)に よれば、絵を用いた物語創作の能力は5歳後半には十分
絵① 絵② 絵② 計 平均 15.6 58.4 28.6 102.6
最少 0 15 0 37
最多 36 151 72 203
(表1)資料1を用いた活動によって書か れた文字数の平均、最少、最多
ついているという。こうした想像行為は読書行為においても極めて重要であり、その機能不全は 看過できない事態である。
以下に示すのは、間テクスト性について述べた土田(2000)の言説である。
「読む」こと、それは個々の読み手たちが他の読み手たち、すなわち他者たちから離れて、
いきなり自由に開始することができるようなものではありえない。いくら独自な(originale)
読みを展開しようと意気込んでみても、読み手は自分一人だけのためにとっておかれた独創 性(originalité)なるものを手中におさめることはできないだろう。独創性を追求するという 行為は、どこまで遡ってみても決して到達することの叶わぬ「起源」(original)にひたすら 拘泥することに等しく、結局のところは一種の幻想憧憬にすぎないとさえ言えるだろう。誰 のものでもない自分だけの読み方、こうした物言いは一見純粋無垢であるかにみえて、実は その背後に言い知れぬ傲慢さを潜ませている。
この言説は、先に挙げた「①テクストには欠落部分(空所)がある。その欠落を埋めようとす る読み手の想像行為が、解釈の多様性と読みの推進力を生む。」、「②テクストを読むとはテクス トの明示部を有効に活用することである。そのため、読み手の想像行為によって読みが恣意的に なるとは言えない。」を補完する。
読書行為において、読み手がテクストの欠落部分に補填するものはそれまで読んできた様々な テクストか、自身の生活体験である。そして、テクストが言語で作られてある以上、読み手が「い くら独自な(originale)読みを展開しようと意気込んでみても、読み手は自分一人だけのために とっておかれた独創性(originalité)なるものを手中におさめることはできない」。すなわち、言語 からの束縛を読み手は受けざるを得ないのである。このように、「読むこと」の授業においては、
提示されたテクストの叙述の把握のみならず、多くの情報の介入を想定の上、それらの活性化を 図らねばならない。
以下には、そうした想像行為の活用の一例として、音声テクストを用いた「読むこと」の活動 を示す。生徒には前掲資料1に示す活動の後、資料2に示す発問を投げかけた。この発問は教師 による1度目の朗読の後に行い、作文は2度目の朗読の後に取り組ませた。1度目の朗読は活動 として取り組んだ物語創作との照らし合わせ、2度目の朗読は発問の解決を求めている(稿末の
「本研究で実施した授業の展開」を参照)。生徒の作文も併せて示す。下線は稿者による。
【C】がまくんはね、玄関で手紙 を待つ時間がとても悲しかったん だ。一度も手紙をもらったことが なかったから。それを知った僕が かたつむりくんに頼んで手紙を出 したら、がまくんは「手紙はもう こないんだ」と諦めて、お昼寝を していた。だから、僕ががまくん へ、「親友であることを嬉しく思 うよ」と言ったら、また一緒に玄 関で今度は楽しそうに手紙を待っ てくれたよ。がまくんは寂しがり 屋なんだよ。
この記述からは、教師の発問を受けた生徒が「がまくん」についての情報を収集し、解答しよ
(資料2) 授業で用いたワークシート②
うとしているのが確認できる。例えば、「かたつむりくんに頼んで手紙を出」したことは、資料 2の絵からの情報ではなく、音声テクストからの情報である。また、「がまくんは『手紙はもう こないんだ』と諦めて、お昼寝をしていた」や「僕ががまくんへ、『親友であることを嬉しく思 うよ』と言ったら、また一緒に玄関で今度は楽しそうに手紙を待ってくれたよ。」は、絵と音声 テクストの両方が作用していると考えられる。発問によって生徒は、絵、音声テクストの情報を 用いながら、教師による架空の状況設定に応じようとしている。
次に示す例は、そこから更に、現実世界への働き掛けが見られる。
【D】がまくんはね、ぼくの大親友なんだ。この間ね、がまがえるくんが悲しそうな顔をし ていたから、どうしたのって聞いたんだ。そうしたら、がまくんは、手紙を待っているんだ って言ったんだ。がまくんは少しさみしがりやなんだよ。でもね、ぼくはそんながまくんが 大好きさ。なんて言ったって、素直でぼくになんでも相談してくれるんだ。ぼくも何かあっ たら彼に相談しようと思っているんだ。彼と友達になるといいよ。
下線部「彼と友達になるといいよ。」は、この作文の書き手から、この作文を読む読み手への 語りかけである。「どんなお友達?」と問うているため、基本的には、「がまくん」の人物像の 描写となるはずだが、そこに書き手としての意志が表出してきている。その意志の表出は、「が まがえるくんが悲しそうな顔をしていた」、「がまくんは、手紙を待っている」、「素直でぼくに なんでも相談してくれる」などのテクスト情報に支えられているとともに、「がまくんは少しさ みしがりやなんだ」、「ぼくも何かあったら彼に相談しようと思っている」というテクストに起 因する類推によって補完されている。
次に示す例では、そうした制限作用が十分に機能せず、自身の文学体験なり生活体験なりが解 釈に介入してきていることを確認できる。
【E】あなたから見たら、お手紙がこないってだけでネチネチしてメンドくさいようなかえ るかもしれない。でもがまくんとても優しいかえるなんだ。僕はおたまじゃくしからの付き 合いだからわかる。僕にとってがまくんは親愛なる一生の最高の友だ。
この記述はテクストに即した想像を行うという点では違反している。「かえるくん」と「がま くん」が「おたまじゃくしからの付き合い」であるとわかる直接的な記述もなく、それを類推さ せる記述もない。しかし、先に述べた間テクスト性を踏まえて考えれば、この生徒の中に、「か える」と「おたまじゃくし」を関連づける何らかの既習テクストが活発に機能したと考えること はできる。このような作文の取り扱いは、評価の規準をテクストの受容にするか、テクストを契 機とした表現力の育成とするかによって異なっていくだろう。
また、こうして過分に記述する生徒がいる一方で、次の作文が示すように、ほとんど書けない
(書かない)生徒もいる。
【F】寂しがりな僕の親友だよ。
想像行為が発動していなかったのか、さまざまなことを想像しながらもそれを文字に表現でき なかったのか、あるいは、書く気がなかったのかは判断できないが、仮に想像行為が発動させら れなかったとすれば、こうした学習者にこそ、「想像する」ことに特化した授業が必要である。
先に取り上げた想像を完了態として捉える指導観を危惧する理由がここにある。
なお、今回の試案には、条件整備を留保している点が2つある。1つは、教師の朗読による解 釈への影響、そして、文字テクストではなく音声テクストを用いていることである。
教師の朗読が学習者の解釈に何らかの影響を与えることについては、国語科教育においてもか ねてより指摘されている。そのため、教師による、特に1度目の音読・朗読はなるべく抑揚を付 けずに行うよう求められることもある。しかし、今回は、解釈の独自性よりも想像行為の誘発に 力点を置き、朗読に伴うパラ言語も含めた多種多様な刺激を与えることを優先した。
そして2つ目の音声テクストを用いた理由は、読みの動的過程を学習者とともに体験するため である。読み取りの不十分さは読み取り過程における読み飛ばしや読み手独自の補いによるもの であることがすでに指摘されている(西林;2005)。そのため、学習者の黙読に委ねるよりも音読
(朗読)によって十分な時間をかけ、多くの情報を学習者に伝えた方が学習者の想像行為に有益 だろうという仮説のもと、音読(朗読)を採用した。また、もちろん、音声テクストを聞く活動 を「読むこと」に含めてよいのかという根本的な問題もある。今後、文字テクスト、音声テクス ト、文字と音声の両方を用いての認知心理学的な検証なども含め、補完することとする。
その他にも、イーザーの読書行為論そのものへの指摘として、いわば理想的な読み手である「内 包された読者」の概念が現実の読者と一致しないなどの課題もある(山元;2005)。しかし、そこ で解かれている読みの原理は、新しい自己の発見や形成に必要な仕組みとなりうる。先に述べた
「③読み手はテクストを生起させる役割を担うと同時に、自分自身では決して作り出せないよう な状況をテクストとともに創出し、それに巻き込まれていく。」はまさにその点に関することで あり、その機能化のためにも、読み手である学習者には空白補填やセグメントの関連付けにおけ る想像行為の発動が非常に重要なものとなる。今回の発問では「あなたは作品の世界に入りこみ、
かえるくんにこう聞きました。『ねえ、がまくんってどんなお友達?』」のようにし、「私」とい う主体的立場を保ったままで、「作品の世界に入りこ」ませようとした。そのようにして、「自 分自身では決して作り出せないような状況をテクストとともに創出し、それに巻き込まれてい」
く体験を得させようとした。
4 想像行為の誘発と読書態度の育成
冒頭で、グローバル化の進展に触れ、「伝統や文化に立脚し、高い志や意欲を持つ自立した人 間として、他者と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力」が求められている ことを挙げた。本稿で述べてきた「想像」はそうした力そのものではない。しかし、その力の育 成に不可欠ゆえに充実を図るべきであるというのが本稿の主張である。その要点を以下に示す。
①現行の学習指導要領は学習の系統性が整備されているが、想像力の育成についてはさらな る整備が必要である。
②読書行為には論理的思考の育成のみならず、新しい自己の発見や形成という意義がある。
我が国の「読むこと」の授業研究の成果を次代に継承すべきである。
③想像は読書行為を成立させる上での初動ともいうべき重要な行為である。想像できること を前提に授業を構想するのではなく、「想像する」という行為に特化した指導の時間を設 けるべきである。
本稿では、他者との協働については直接言及しなかったが、寺田(2012)が「学習者は教師や 同級生の反応、テクスト、自らの履歴といった諸作用の中で反応を形成する。いずれの場合も読 みの体験を関連づけることが反応を形成する重要な契機となる。一般化して述べるならば、異な るカテゴリーに類似性を見つけて結びつけるということが、読むという行為を推進するといえ る。」と指摘しているように、読むという行為が実際の授業で扱われる場合、それは実在の他者 との関係性の中で行われていく。その前提となるのが、個に成立する「読みの体験」であり、初 動としての想像行為である。「読むこと」の授業が充実することで、「読む力」はもちろん、読 み取りの結果を表出する「書くこと」や「話すこと・聞くこと」の授業の充実も期待できる。
またさらに、「想像」の考察範囲は他教科にも及ぶ。例えば、小学校の音楽では、「内容の取扱 い」で、「「B 鑑賞」の指導に当たっては,音楽との一体感を味わい,想像力を働かせて音楽とか かわることができるよう,指導のねらいに即して体を動かす活動を取り入れること」とあったり、
図画工作ではどの学年の「A 表現」においても、「想像」という言葉が入っている。今後、教 科間連携をも視野に入れて考察していきたい。
「読むこと」をあらゆる情報の受容と見なしたとき、近年の活用型の学力を育成する上での基 礎的能力と考えることもできる。本稿では「読むこと」の成立における、初動ともいうべき想像 を取り上げて考察した。
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附記 本論文は既発表論文が査読により修正し掲載されるものである。本論文の掲載に際し、九 州地区国立大学教育系・文系研究論文集編集委員会には非常に丁寧な査読を賜った。真摯に応じて頂 いたことを心より感謝している。この場を借りて、厚く御礼申し上げる。