――目次――
論文
1,
菩薩蔵経と宝積経, 平川彰, Bodhisattvapiṭakasūtra and its connections with Mahāratnakūṭasūtra, Akira
HIRAKAWA, pp.1-25.
2,
仮説・禅宗は恵能と壇経以後に:馬祖語録より考察して, 長嶋孝行, Emergence of the So-called Zen
Sect after Hui-nêng and Platform-sutra: On due consideration of Baso’s Annalects
馬祖語録, Takayuki
NAGASHIMA, pp.27-52.
3,
西方浄土・アメンテ・エーリュシオン, 定方晟, Sukhāvatī, Amente, Ēlysion, Akira SADAKATA, pp.53-69.
4,
葦の海伝承における分水モチーフ, 定形日佐雄, Das Motiv der Wasser-Spaltung in der
Schilfmeersüberlieferung, Hisao SADAKATA, pp.71-88.
展望
5,
現代キリスト教の他宗教観:ヘンドリック・クレーマーを中心として, 管井大果, Taika SUGAI,
pp.89-106.
書評
6,
高木きよ子著『ウィリアム・ジェイムズの宗教思想』, 松本皓一, Kōichi MATSUMOTO, pp.107-112.
Posted in 1972
(昭和47)年
菩薩蔵 経と宝積 経 妻 児 引 の た を げ
同 朋 は が あ
乗迦
そ は 道 一 じ さ " つ る 経 識 の 大 日所
訳蜜で
" 経 あれは掻首(
て " )梼漢
り、
在
菩薩 本 筈 力 薩 、 ン 経ュ の 蜜 代 で 般 和 晴 経 ヤ 三 経 か に 好 二 に 法 パ 経 ら 他 三 年 洛 と
ま、
| 吾 兄 の 味 ( 陽し
上ハ波
を Ⅰ) @て、
ニ ー 薩 じ に 光 耀等 に 等 重 に 中 が は 、 要 来 平 菩
薩蔵
大で、
おそす な太 ) る の 間村 主 重 と が こ し 文 学
十エ
ロ
薩
蔵
経
と
宝
﹄
モ " 貝
経
平
1
Ⅰ 1菩多 与圭
/
若干の考察をおこ な 二 、遺 日 摩尼 宝
経と宝積
経し 菩薩ありて、 極 大珍宝 之積 遣田 羅 経を学ばんと欲するならば、
は ﹁菩薩、此の宝蔵 ︵ メ サ︶ ていたことがわか
あったと見てよい。︵ 2 ︶ 出ていない。
ち 無量寿経の古調 弥陀仏は極楽にお い
宝積 経 の 郁伽 長者
訳の離垢施文隆なら
昧 経には士道 地 ・ 三 崩 されている。さら
。なお菩薩・三品 経 れている。︵ 3 ︶ (126) 2
セ 二口
る 。
婁迦識訳
とし、宝積
経を
呼ばれていたのである。
遺日 摩尼 宝 経に当 経 ︵Ⅱは︶
あろう。三宝 紀 がまちが
って宝積経という 異
遣田摩尼 宝経 である
経典であるから、 内 ︵ 膝り即 ︶
日
﹂は前者に合致
︵ ハリ ︶口目 の Ⅰ ゴ曲 ︵︵ 目 ㏄ づゆ Ⅱ せ卸ゼの ︵ 皿 ︶
頂 経、宝積 経 ︶ とあ
え にして 悪取空 を説
| ルティはこの経を 宝積経として取扱っているのである。︵ 1 1 ︶
方等部古品田道 日 ︵ 9 し ︶
宝積 経 の 普明 菩薩 会 迦識訳は 古記でもあ いるのであろう。 大
してよい。 晴 野の中、若しくは山上 。 讐 えば大破水汚泥の中に ︵沖山︶
の 陸地には蓮華を生ぜず。 能く仏法を生ぜず。煩悩の が 冗長であるが、宝蔵経 。 讐 えば 於 泥の水に 雑 蓮華
日明菩薩 会 には﹁ 誓 え 、は高 には蓮華・ 優鉢 華を生ぜ ざ るが如きなり。 蓮華・ 優鉢 華を生ずるが如し。愛欲 中 より 卑湿の於 泥に乃ち 此の華を生ずるが如し。 泥中に 乃ち 衆生ありて仏法を起すのみ
の︵
む 7 ︶ では﹁ 誓 えば陸地には蓮華を生ぜ ざ るが 如 を 生ずるが如く、菩薩も是の如し。 邪 衆生 原の陸地には蓮花を生ぜ ざ るが如し。菩薩しかも維摩経と全く同
の核となった 経 ︶﹂として、 は注目すべき 典 とつながり ここにはこ の 思想も説か大宝積 る 教理
大乗経 が 認められる。
に 中道
し ﹂と
心想
二 0 巻になる最古①
聞や縁覚を一乗に誘引すすなわち阿羅漢や縁覚に⑳
︵ 笏
︶
廿 上口
ある。
しかもそれが煩悩 と 経
てここに如来蔵・如来種
如来種﹂の文章は 、 の ・Ⅰ ゴキ 日のを生ず の 維摩経の﹁如来 ︵ 4 ︶
に
関係のあることは
︵田り︶五々の文が続くのであ
以下の理由
㏄ ヰア 囲の曲 ヰリーの 0 ヰ Ⅱ 曲
種々に説明をな
無為を見、正位 によ の 謎 し、 に人 ︵㏄︶
写本の破損により脱落している。 ︵ 仏り ︶
文章は増大している
。菩薩も亦 爾り 。 生
菩薩 会 ・チット 調
は ﹁愛欲 中 より菩薩 法 を生ず﹂となっている。 それ故、遺 日 摩尼 宝
ある。一般には﹁ 教
倶舎論の言うところ ︵ 抑 ︶
の ﹁法主﹂を﹁仏陀 ︵ W 焚 ︶
る 。さらに阿含経に ︵ 四 ︶
﹂ム定 ょ ﹁
1オイ
P の そァ えてしるいう場合の法には、 法身は 、 法の中の最高の法である。
である。例えば 浬
仏陀の人格にそなわ
口薩法 ﹂といわれるも
しめる人格的真理が
る 。したがってこの であろう。
起品の ﹁性起﹂の
い るし、さらにそれ は ﹁煩悩の衆生に生ずる﹂と言っているか
だ ﹁本有の仏性﹂と (130)
菩薩蔵 経と宝積怒
が な る 宝 、 工 法 文 僧 鳩 菩 探 ら 。 経 上 訳 訳 の 。 会 胎 如 蔵 う と の に く 名 も 中 し 遺 か に て 日
く は 成 摩 、 の 菩 薩 蔵 蔵 つ 二 健 蔵 経 経 絡
居室四
遺日 遺、
立し存 経 宝 わ 宝 蔵 那 異 巻 す 問 訊 四 る と で O も
い る 巻 の い る ま | の 左
の 関 成 は っ 内
客 部 種
を 合 四 あ 経 曲 ノト 大 三 木 る 典 こ と 悲 種 で が が の 見 l い と あ 、 あ 四 て と 7 よ る こ る 九 よ れ か 会 い か も が が
ら 知 ど 、 武 一 取 れ の し い の り な よ か は 羅 上 い う し
三件
巻訳
げ 。 な 大な 薩 す
ら す 」) ⑰ 蔵 経 菩 点 辿 九 と は - 一 - 口 - 己 薩 は っ 会 し 出
大 所 し 巻
が
」,
臼玉曲浦惧カ
士石刀 に カ @ こ 集 軽 ま 下 道 れ に と た 明 日 は よ 関 ね で 摩 太 る 係 ば あ 尼 一 小 , っ い す こ な う 0C と お 如 と も 善 き ど 問 薩 理 め 題 法 解 る @C に @C 。 な は は る 、 5% が 「 し 、 菩 て い 薩 い ま の な は 教 ぃ。しえ」
如来究 め れ が 陽 文 工 合 に で も は あ 遺
る日
Ⅰ Ⅰ @ Ⅴ ん ム =。
腔歪 か さ 尼 ら 3 室 省 0c 経 路 地 の す の 菩 る 経 薩 。 理 法 こ で は こ 菩 成 に 藤 正 は 法 が た が 古 だ ど じ 遺 の と尼 ¥.c る 宝 使 で 縫 わ あ め れ ろ 性 て う 格 ぃ め る 一 か 端 と そ い
ね 、大宝積 経 では 摩羅什 訳 って 、 会の名とした 出している。︵Ⅰ︶ 3 しかし がこれを新しく載せる根拠も示されておらず、 疑わしい。 ︶の訳出であるた ︵ 鍍 ︶ これは﹁大乗 律 ﹂に 編入されているのは 大宝積経には編入さ に 相当するか否かは明らかでない。 かかわる。開元禄 び 玉葉寺の衆が大宝 ことができなかった
凡水をもたらして 唐 巻 をこれにあて、 未 厳正法経回 0 巻は おそらく両者の共訳
宝
し Ⅰ
る
経
ト /
K
と
か
の
正
芙 紀 (132) 8
同じであり、むしろ 少 いくらいである。 る 。その点では 三 い 。ここには羅什 訳 もっながりがあるわ あると速断すること
量も多いので、この 経と同時代に存在し 菩薩蔵経が別本であ ることは、内容を見れば明らかである。 遅ロ m. 具 善根 品 ・ ︵㏄︶ いう形式になって い 道 ・大悲等と、仏の 日蔭 が 菩提心をおこし 、詰難を離れる四法 経 所行を四法にまとめるこ ︵ 甜 ︶ 甘 一口 て 不住の智をうるこ
楼 い 第 た ほ 大 を 尊 せ 行 蜜 那 の セ め と 悲 第 込 め 、 ず を 第
見 に は に ん と 六 べ 現 こ る 得 四 摂 る な 第 仏
を 得るとも ぃ
を 思量する、
法 、菩提を利
修多羅 と憂陀
じて平等 波羅
羅 蜜の方便を
流 法の話を載
いている。 世
を 起したこと
説いている。
を 菩薩の時の
る 。 巻 七九の
入って衆生の
なっている。
衆生が尽きな
る 。第八﹁ 富
刊書せしめよ (134) Ⅰ 0
菩薩蔵 経と宝積 経 うと表白することを述べている。
られることと、 大
れる。
羅 蜜多 品 ・般若 波羅
係 がある。次の陀 那
記を得ることを述べ
は 、釈迦菩薩の受記 るため十一品となっている。 ︵ 如 ︶ 説かむ﹂とあるか
て 、十種の深心︵ 十
永 したのであると 述 ︵Ⅱ︶ ︵ 蛇 ︶
を 説き、仏滅五百年 ︵ ぬ ︶ ることをも説いている。
とを説いている。
と 菩提心をそなえ れ 上の三品に二巻を費している。
種 不可思議 法 を細
生であるが、しかし
善意長者としてこの
のとき、放光如来
釈迦菩薩の受記の物
施を初発心一切菩薩
ている。︵ 7 @ ︶ この四種芸
0 行である。しかし 大宝積経の第四一 が 非常に詳しく述べ
とは異なる説明があ 省く。最後の大自在 いことが示されてい 羅蜜 ・ 智 平等波羅蜜等の用例が見られると ︵ 5 ︶
って如来にたいする⑪
修行の第一歩として
慈 無量波羅蜜・大悲
心 議な光、不可思議な
2な
大悲、不可思議な
並んで﹁
持
菩薩
蔵者
﹂を
三口っている。故に
郁伽長
釈も注目される。
分
菩薩蔵経はともかくとし の三蔵とさらに雑蔵と無比 三蔵の外に 兄蔵と 菩薩 蔵を 論疏 ︵三論玄義に引用され つようになったのであろう 経 % いるから、仏伝文学を中心 て 、﹁菩薩 蔵 ﹂はいろいろ 蔵を持っていたという。︵ 0 5 ︶ し 持っていたという。四分律 る ︶や慈恩の異部 宗輪 論述 。しかも黒部宝輪論述 記に とした菩薩 蔵 であったので 部は経 ・ 律 ・ 論して法蔵部は
真諦の部 執異 部で 菩薩 蔵を持
す ﹂と述べて あろう。 五
、菩薩蔵の存在と仏伝文学
時にマハーヴァ ス 究を必要とする 点 に 見たが、両者 に 類似点も見られ その順序も同じで も 重要な合致点で 共に仏塔に閲読 す ッ や伍 木 は同じく る。 例え ︵ 9 ︶ ある。 っ ある。な る箇所が 荷葉 経等 の 四 性行とも 関 ・菩薩蔵経と呼ばれるが、 ば 両者が共に大宝積 経 ぎに菩薩行を説くのが 菩 - お以上には指摘しなかっ 非常に多い。 係 があろう。これ しかし別本である に編入されている 薩 蔵経であるとな たが、 両経 共にし
菩薩行の事を問 うた
等 正経は皆これ菩薩
めに 分 って剛蔵とな
ロ蔭 厳 にあり @ ことも ニ 二口 ︵㏄︶
は阿闇世王 の質問 に よって説かれたということも注目される。
威に三種あり。何
の外にも菩薩 蔵 にっ ︵ 騒 ︶
かしこの説は上述の
に ﹁何をか三蔵 とぃ ︵ 肪 ︶ って大大乗論には﹁ 菩
的ではないからであ
っており、洪大 訳で
、経典の題目は必 ら って 経名 が異 る 経典は多い。
の 在り方を推定す
めたものであったの
初期の大乗経典が若 (138) 14
菩薩蔵 経と宝積 経 六 ま は か 波 れ 六 れ な 罹 る 破 る お 蜜 か 確 知 菩 の を 蜜 く 薩 説 示 を 考 蔵 明 し 挙 え 経 が て げ 易 は あ い る ぃ 人 る な が が 波 上 が い " " 羅 / Ⅹ
蜜 羅 を 若 に は 蜜 指 経 っ 四 と す に い 禅 見 か ば て
一二二ロ
となを示
て、
し 大波 す た し 羅 し 程 か て 蜜 て 度 は い に お で 不 な っ く繰るえ全に
り。
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返 大 成 調 六 し が早波
般羅て羅
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ょ、
、
内 至 ど 。 え 容で め ふ 経 に な て く に 説 い 関 に は で る る 典 た 干 。 係 も 、 あ 。 さ 。 が た 作
点 研 世 業 さ 河 菩 切 る 著 た
とき
ま、
す 究 王は 回転 きの 闇世 藤蔵 期大 場合 戯 薩発 に じ 題 の 罪 説 、 経 典 め 達 思 て と 阿 を く 実 名 が て 。 孫 王 た う 「 呼 つ 薩
一 薩 世 の た が さ か に で
はな
一O
ノ 蔵が 王を 沙門 いし こ 菩薩 れた ろう なっ 一 機 主 果 て の 蔵 と か た か に 悔 題 経 、 罪 が 考 。 の ろ 論 を と に 文 を 仏 え 阿 で ぅ王 し 乗 阿 が ど か
て 経 闇 答 の ら 軽 さ て い 理 世 え よ 発 の ら 総 る は 王 る う 展 場 に 名 こ 多 が 形 に し 合 ま が に た そ は 総 の
、 名 ま こ の お れ る こ そ の ま 0 間 り て か と の 菩 別 さ 題 、 ぃ が を よ 藤 君 う 蔵 に
示す
ぃ注 は俄 大乗 る。
問題 に を も 考 用 用如く
悔滅意し 浬 の この こな | え い い て 罪 磐 問 る で " り る " り い と 経 題 の あ れ 経 れ︵㏄︶
の 関心は般若経には
ついての詳しい説明がある。
りの大乗経典にたよ
典 であり、経巻受持 て 論じたので、ここにはふれない。︵ 7 5 ︶
くである。たとえ
種 の広幡 処 の 法 、四
生 に平等心を起し、
戒を挙げている。 こ のように戒波羅蜜の内容は非常に 旦屋揖 である。
を 説き、つぎに天眼
し 、これらを 禅波羅
けでなく、他の諸経
戒具光明 定意 経には
いて、その一一に三 ︵㏄︶
叩 ︵ 阿差摩 菩薩 経 ︶ の
、忍辱波羅蜜を与
海竜王経の六度品に ︵㏄︶
羅蜜 を土 法 をもって ( Ⅰ 40) 16
菩薩蔵 経と宝積 経 以上、菩薩蔵経について 若 まず部派仏教と菩薩 蔵 にっ あるいは﹁菩薩の木田﹂ 宝一 も 、 経 ・ 律 ・論の三蔵の外に つぎに大乗経については、 経 ﹂の名があることは、すで 得 。広大の諸 根 弁才決定し 、 寿如来会や無量寿経の冒頭に 明と ,いう仏土のことを説くが 干の考察を行ったが いては、上述の如く 論玄義︶であったと 雑蔵と菩薩蔵を持っ 大宝積経の中には菩 に示した。その外、 菩薩蔵の法において 仏伝を簡単に説いて 、この上には声聞・
薩 の本行﹂︵速記︶
ぅ
。なお成実論
︵㏄︶り @ Ⅰ @ Ⅴ 。
目蔭蔵経に﹁主ロ 薩蔵 び 一切の陀羅尼 門を
師利 授記 会 に普 光
っ 菩薩が虚空に上昇
を 簡単に見ておきた 説い いて 以 統が こと 居室
ですわ
、
もけ波
六 こ 菩 の で 羅 れ 十 薩 で あ 蜜 ら に 蔵 あ る に は まさ 経 典 し し が れ の が た て る て 内 あ が 考 る い 容 る 、 察 よ る に こ こ す う 場 っ と れ べ で 合 い は
ら き あ の こ 羅 経 あ の
こ 西 夷 異 大 の か 擦 っ 乗 関 ら に た 宝 供 所 実 系 垂 を 究 践 統 経 示 す し で の す る よ あ 十 波羅蜜 品 る 。千波 うとして ことが 必 ものと 思 にも十波羅蜜を説 羅蜜 もこれとは系 いた人々があった 要である。追目 摩 う 。
ぃ
。菩薩本生 経は は、
法 供養の相を示ている。︵
4 7︶
ここにも 菩 威ほついて、しばし れが、陀羅尼と地 つぎに無垢 施 菩薩 第一五の四法の中に 仏陀が成道前に苦行 に迦葉仏に帰依した して説かれている。 なおこの外に月虹 し 、大乗を顕 発す ﹂ 応三昧
主日 との六
で年菩弁
「迦 し 薩 会 蔵 4 こ 葉 た 法 の を も 仏 埋 蔵 「 挙 「 は 由 に 菩 げ 六 「 は 受 薩 て 波 為 、 特 待 い 羅
蜜
る O・
73
(」
菩 薩 が品
に 圭品 陸 親近 し に な 菩 蔵 先 お 薩 不 栂 尾 仏 阿 蔵 退 に 夜 陀 いている。その 乗 方便会の中に、
いる。その彼が後 れも仏伝に関連 して菩薩 茂る持口薩
厳法門の声とを山脚
阿弥陀仏の本願
と類
すでに述べた。
菩薩蔵 経と宝積 経
セ
種の戒と、菩薩
蔵
ハ 波羅蜜、及び菩薩 法
優 破堤 含 ︵これは
天鞘
き、⋮⋮ 又 菩薩 蔵修 薩蔵が 複数で示されている。 最初に十六種相を し おわり﹂とある。︵Ⅰ︶ 8 一 ・ 持 菩薩戯者﹂について述べていることは
迦 ・菩薩 蔵を読諦し 、解説し、書写すれば マートⅡ カ ︵㏄︶
を 加えた豆蔵を挙げている。これは法蔵部
て 、﹁採決とは、空無相銀 願 、及び諸の深 ︵ 竹 ︶
深 経の代表として挙げられている。さらに
を求めて厭くなし。所謂、六波羅蜜・菩薩
る 。これは 十 佳麗 姿沙論の ﹁四法 品 第一九 には菩薩の心得を四法にまとめて九種を挙げ、 さらにそのあとに四法にまとめないで種々
る よ う に思われる。とくに 普明 菩薩会すな
四法を比較すれば明らかである㍗︵ 9 ︶なおその
切 書法を摂せんと欲せば、 皆当 さに遠離す すでに指摘した。その外に 此の因縁をもって 法 とも大衆部とも異なる正蔵 経に名づく。般若波羅蜜・ ぎ 九には、善根を増長する ︵ 鴇 ︶ 蔵 なり﹂と述べ、求むべき ﹂に出るものであり、ここ の 説明を低している。四法 わち 遺日 摩尼 宝 経の四法を 中に﹁若し菩薩、諸の菩薩 ︵ 幼 ︶ べし﹂とあり、ここには 菩
強 う 多 名 阿 は 説 め 。 い 以 議 さ 毘 、 」 さ る し と 上 大 ら 達 方 と ら
㏄ オ曲 相応のミ口
後者の場合に
如くである。
菩薩蔵は翻訳 ︵㏄︶
蔵を指すものと見てよかろう。
落したものも
られるであろ
という推定を ものである。 ︵ 荻 ︶
﹂の語もある。 ︵ 蹄 ︶
棄捨 して、声聞 蔵を
% 目般傍し ﹂︵ 6 8 ︶ とも言って @ の 味 読 に が し る て る 乖 こ 言寧 と な は
し
」(
84
レ す で と ヰ乙 説 述 い べてた
い °る
。
次に さ 仏 ら 地 に 経春
伽論
楡一
ョム 日什打 日 )のま 口 ー ナし 薩 声 他 聞 に 蔵 は と 圭三 若 薩 し 蔵 苦 る 薩 併 が 挙 圭 ロ し 薩 て 蔵 い る る 誇 リ ー 「 像 菩正 蔵 法 は を 千 達 哉 上 巳 す 前 れ に ば 清
浄
( Ⅰ 44)蔵 ・縁覚 蔵 ・菩薩 蔵
菩薩蔵 経と宝積 経 ︵は︶出三蔵記集養二、大正五五、六 中 。 ︵㎎︶歴代二室結巻 四 、大正四九、五三上。
行 。ハカ広言﹁プラ
和 四二年︶二四六頁以下。 五年十二月 り 参照。 ︵ 6 ︶ 遺日摩巳宝 経、大正一二、一九 0 下 。 ︵ 7 ︶ 摩珂街 宝蔵経、大正一二、一九六上。
下 。 ︵ 9 ︶大宝積経巻一一二、大正一一、六三三下。
づ ・㏄㏄
原本四セ、四九頁。
珊 じた。
研一九 ノ Ⅰ昭和四
註
示すために簡単に言
度 するにとどめる。
大正司、二
0
一下。
ト のめの,
ロ
・
トひ
。大阿弥陀経巻上、
、大正一二、
二三巻二三頁
三
づ ・㏄
トト,トの
1トⅡ
︵ ハ U ︵ⅠⅠ ︵ リク ︵ 00 ︵ アサ ︵ 巳 0 ︵ 6 ︵ 7 ︵ 0 。 ︵ リク り Ⅰ
。㏄ テ ①沈下 ヱ 。 牙 ︵ 由ダパ 叫か セ 曲 っ笘 Ⅰが 由ヰ ㏄﹁︵ 曲 ワトト ド ︶維摩詰所説経巻 中 、大正一四、五八九上申。
も 、この箇所を
田 二の ヨ の二片山 0 つ ∼ ヨ舶 寸ガ 目 ︵ ご Ⅰ oE く % コトのの N, p め ㏄ の
一九八頁以下︶。
がに﹁仏の種姓﹂
九ノ二 昭和四 五年、一頁以下︶参照。
ては、高崎氏も発
は 同意見であった。
照編 司法華経の成 立と展開 L 五六五頁以下︶参照。
ぬめ ﹁ 法 ﹂の 意
一頁以下︶を 参照。
し 曲の曲 F. せ 0 二 ㎡ ,弓ひ べ い
せ 0 ㌃Ⅰ 、づ ・ い う 雑 河合巻四四、大正二、三二一下 |三 上。
巻 Ⅰ大正岡、一一八十。
︵Ⅱ︶濱口摩尼 宝 経、大正一二、一九一中。 ︵ W ︶維摩詰所説経巻 中 、大正一四、五四九 中 。 ︵㎎︶ 摩詞街 宝蔵経、大正一二、一九七上。 ︵㎎︶大宝積経巻一一二、大正一一、六三四 中 。 ( Ⅰ A6) 22
︵Ⅱ︶大宝積経巻四二、大正一一、二四三上申。
上 、二八四十 ト
O 中 。
0 申 ・ 三 一四丁・ 二 一五十・二三五山Ⅱ二五四丁。 ︵ 巧 ︶大宝積経巻セハ、大正一Ⅰ四四三十。
分律巻三て 大正二二、 セ 八二上以下。 ︵ W ︶大宝積経巻五四、大正一一、三一六十。
参照。
一 0 七 ・四三六上。但し大乗菩薩 厳 正法経巻 セ では、 アヴァダ ー ナ を第七に移し、 宝
、セ 九六 中 。
論述討究 靭巻中 、八丁右左。 中ユ 口
セセ上 。千住 昆婆沙 ︵ M ︶出三蔵記集巻 こ 、大正五五、一一 七 。 ︵ 紐 ︶歴代三宝細巻末、大正四九、六二中。
巻五 、大正五五、一三九上。 ︵㏄︶開元釈教録番入、大正五五、五六 0 下 。
中 。
二 0 三下。
五セ 。
元中・ 三 二中・一九 0 下 。
串 八四四一中。
薩 厳正法経巻 五 、大正岡、 セ 九一下。
(
7
( ムリ二リ ハⅠ(
( 00 ( 月リ イ l 6 6 ( 6 5 ( 6 4 ( 6 3 ( 6 2 (・Ⅰ 6 ( 6 O 5 ( 9 5 ( 8 5 ( りミ リ G55 54 53
波 円
天一二二周
経 巻三上一
四。
一下人 大 元 利
一ィム 王 土 中厳
巻 「 大 T 六 大 上 。 「 Ⅰ
拙 皮 蔵 二 著 」 一
阿部
蔵 中 無 差 縄 極魔王
初 「 ( 大 一 下 期菩所
大 珪亡 正 薩 問
乗 陣 軽 軽 4 ム 窟
拳 拳 蔵
教 経
上
。研 法
究 之立 上 室 牛 面 」 五 経
大 と 巻 正
回
、
三セ 五 六 五 頁参 八 七 照 。 但 正 八 七 l 了 三 九
l セ 九 の 一 一 五 八 中 。 庶 人
量 セ 経 大 上 。
由里目なの斡の、,円
二巻 聖上
寿経。
文 ど の・笘 Ⅰ セ四 (148) 24菩薩蔵 経と宝積 経
上申 ト
退転法輪﹂となす。
一セ 四十 ト
︵ M ︶大悲経巻 二 、大正一二、九五五十。 ︵ れ ︶菩提資糧論巻末、大正三二、五四 0 下 。
善司初期大乗仏教の研究ロ三三 セ頁 以下参照。
中 。 ︵Ⅱ︶同上巻 四 、大正岡、三八十。 ︵ 冊 ︶同上巻 九 、大正 岡 、六六上。
まいている。大宝積
巻九 、大正二六、六五丁以下。 ︵㎝︶千住民 婆沙論巻九 、大正二六、六セ 中 。 ︵ 紐 ︶大宝積経論 巻一 、大正二六、二 0 口上申。
大正一Ⅰ六三二上の文章である。 ︵㏄︶三具足軽 憂波提舎 、大正二六、三六三山 ト ︵ M ︶仏地経論 巻四 、大正二六、三 0 セ上 。
地 持経巻 五 、大正三 0 、九一三 中 。
経巻 五 、大正岡、九一五 中 。 ︵ W ︶ 楡伽師 拙論 巻五 0 、大正岡、五 セ 五十。
0 笘せ曲 " の曲目ヱコⅠ ガ 0% 曲コ "
︵㏄︶の・ ロのコ 山ド 目、 の痔 ゆ 曲の笘 日 E0 。 曲ぺ p 、でつ ・ トの 0. の トむ
四七頁。
仮説・禅宗は 恵 能と壇 許 冗 , ら
、 恵辛善
穀 ぃ 壇 能 貧 知 て、 経の乏
と場
。
識。
鳥 ぃ 合 船 津能並
の 文 本を いと 柴。
父 , 。て 活 炬 貫 ぃ 境 木 泡 で
な
。
し
て 作 し Ⅰ る 二親 州 百 即 姓 ちの 恵能 幼 編
a 乙 移 お
2@ (151) 経 以後に
)
馬祖(
江西 1 の 道 陽 一 合 禅。
容 は師
貌 漢 0 州 特 什 彼 方 を 県 述 人べ也
て。
ぃ 姓 る ,馬が氏
そ 木 の 邑壇 寺 経 世
の 容 よ 貌 う 奇 に 異 " -@ - Ⅰ 一 正己 し 牛 て 行 い 戸己己
る視
l 戸り レ舌 過 レ占昇 。 足 T 有 - 輪 文一
、埋経をお手本とした
馬 祖語録にその僧の特徴を
後に
1@
馬
祖語録より考察して
長嶋
孝行
、 馬 祖語録の編者 いるのである。 類似を見ることができよう。
。節日。 磨レ博作 譲日 。 磨レ博既不レ成レ鏡 。坐禅買得 レ成 。仙郎。 節日。如何朗景。 譲
仏ゅ 右半 ニ 坐禅 ぺ禅 非 レ ニ エ具 理ゆ師 間三下 謁ゆ如レ飲二 醍醐 ぺ 面の次の問答に外ならない。
是嶺 南人。新川面
若鳥 堪 二件 仏ぺ恵能 晃 三左右桂二儀 辺 づ大 師面 金不 レ 三口。 ︵ 敦炬木 第三節︶ ︵ 2 ︶
ぺ遂投レ彼 孝二坐禅 田 ︵ 曹渓 大師別伝︶ ニ 新川黄梅県吏 漏
墓碑
会衆ぺ︵ 敦炬木 第二節︶唐 開元中。 習ニ 宝船荷 嶽 伝法院 ゅ
ができる。
仮説・禅宗は 恵 能と壇経 以後に
一間。言下使 悟
。︵
敦 埋木第九節︶ その会話の中で、いるのである。そし
じ 内容のものである と 舌ロえる。 の役に類似していることが判明する。
弓箭Ⅱ 自以レ 力哉。 去 。 便把二 鼻孔 - 捜来 。 粗目。子貢牧牛。 壇 経の大度嶺の段は次のよ う である。
虚恵。直垂 二横 上 り 来診 犯者 。 恵 龍郎 還二 法衣 ゅ ス 不二 肯取 ぺ言。 我
レ 此此 レ 人来 - 。 ︵第十一節︶
話されている。 そ
を息 明 が取り上げよ 右の段での 馬 祖語録
経の ﹁ 便伝 工法憲明 弍
のであると推察でき 29 (1 挺 )
弟子の内には、 慧蔵
ように、 慧 蔵の場合
ろ うと 考察される。
ある。即ち、 馬祖 語録では、 水孔 祖日 。莫二見 獅 乃 黙然。主日。 此亦 門 。担石目。座主。 ぬ根同師。 ある。 ぬ レ 疑 。大師 言 。 法
来 。 不 。 劫蝉 モ金瓦 汝 ゅ使 与二 汝達 - 説工法華 仝 明 。 無 レニエ 飴乗 ㏄
唯一仏乗。︵
敦炬木 第四十二節︶を 出て行ったので っている。 て 掲を発して注連
仮 くように勧めた 次 3 説 ・禅宗は恵 能 と増 経 以後に 欲 住 脱 顕 者 往 悲 字 あ な の K あ 利 二 言 問 る ら 十 。 か 。 ず 飴 努 せ 更 に 本 カ て に 門 を 依 い
日子
恭 目リ無
山資 る 伝 江 沢 料 よ 持 。 の よ レ軸 か は
、
ぅす
な 」 君 達 と @ の い 法 -%; 一 - 口 - 壇 こ 達 経 そ の 載 が 与び可 曹 内 つ 渓 谷 ぃ 且 ち 『 大 大 の て 師 師 意 で 日 別 図 あ 伝 は る 不 の 同 が
。誠二
申じ
にも
「 語文 も の 録 (155)
で は - と
膚 脱落し尽して 唯
侍養すること三年
しない。
︵ 敦炬木 第三節︶
以下の文﹂の変形 あり、その上、この段の語録の末尾の問答は 、
である次の敦榎本 てはお手本であると言えよう。
。 便即辞 。 親 。 往二 一一節︶ 壇 経の資料、即ち 忠 誠の段である。
ニ恵 能所 づ 礼拝 但 。 勿 。 み 。三口 惟 ゅ志 誠 下使丁 便悟 。 即 英二本 心づ起立 即
礼拝。︵
敦埋 木第四十節︶ 担造 である。しか 。 馬 祖語録に於ける る 楽山と神 秀に曹渓 同型の記録と見るこる
。
ち 、大味禅師の段である。 粗目。自家宝蔵本レ
家宝蔵。粗目。即今 小円本レニエ
知覚 り踊 透 自在。無二通 障処-
也。
に
次のようにある。即ち文覚の段である。 略︶
覚遂同。
集 来 参。
遼レ
日 。生死事大無常迅速。軍
礼拝。
須央告。
辞。
師 甚 得手無生文吾式日短 生豊 著 手証道歌-
盛行二千世ゅ
仮
︵宗室本、機縁 第セ章︶
33 (157) 第十節の模倣に体ならない。二年初。
弘 。化法難ロ無レ別
。
辞違已下。
便 発向レ南
。
たことが考察され
である。
日 いた方がよいかも
故 なら、後に記する
そこで、右の語録に
確かに文覚 は 、 恵能
れているが、 壇経の
る 。そこで、或は単
悟入道 要門 論を撰し く 偶然記されたもの
っている一宿 覚 禅師 なのか。判断に苦しむ処である。
答 ﹂であり、 ス、
じ 内容の言葉である
る 。百丈語録が 、編
る 。
れる。百丈語録
て 触れてなく、 馬祖
たかったのが、この
仮説・ 禅 宗は恵能と壇経 以後に
う に受け継がれて いることが判明する。即ち 馬 祖語録は 、
宇
。無量劫末。 凡唯 法滅。化法廷 時 。
三一切法 - 。知了百千
二 大海中 - 浴上 。 即用ニ 一切米 - 。所以声聞 悟迷 。凡夫迷悟。
0 段は、 壇経 の 次 0 段、即ち 繊 悔の段に外ならない。
。念念 不レ被 エ鼠 迷
調 ふ - 未断。名馬二目
第二十二節︶
調心 、嫉妬心とあ
けるが如く、一味
ると考察される。 即 ち、 35 (159)
口 0 五頁左上馬祖語録 ︵ 2 ︶ 統 大蔵経 第壱輯第 武編乙第 拾九套 第五冊 口 八三頁
下曹蹊
大師別伝 上 。 即是見性。︵
敦炬木 第二十九節︶予言と 馬祖に 関す ある。先ず、埋経に 拾 いては、
右に相当する 馬 祖語録の段は 、 下山手一馬 駒 - 。 賜二殺 天下人 - 。 蓋謂 。師位。
六祖が 懐譲に 予言
る 。更に一例挙げる なら、 恵能と馬 祖の臨終前後の段である。 汝破レ疑 。当下合 二迷 着尺︵。便中波安楽上。苦茗 去後 。無二人教, 汝 。 ︵ 敦 埋木第四十八節︶ 右に相当する 馬 祖語録は次のよ う である。
。当下船 二 来月 づ帰 。
浴 。 伽趺入レ滅 。
のであろうと考察 される。
仮説・
一十四歳 説 が有力であ
共に説法していたと (161) 禅宗は恵 能と埋 経以後に と 司 へ も 右 譲 ゎは る 一 一 "
弘法
三 は し 馬五一
こ 録 れ ま | 壇 豊 経 { て @ し 従 の っ 四 = み も 推 六 みあ る
事柄 を 同 て 粗 悪、 場 徒 し 挙 暗 い と の 合 っ た げ 代 た 印 処 で て , 壊
る 右 司 「
というものの性格
を 説法していたと
り 経ってから編集さ れたものであると三口えよ う 。 ︵ⅠⅠ︶
小 - 通二南宗頓教 之 首将 請為師 - 。 は 考えられないのである。
いたと記している 語録に次のように記載されている。
来 。日南 嶽来 。 日 不 。 宜 二個佳 - 。
、新定速 安 ︵新注
が 全く見合わないの
。如何に禅宗とは 言
ない。しかし、語録
の恵朗 かも知れない の恵朗 であることが判明するのである。
仮説・禅宗は 恵 能
発達とこの 馬 祖語
佳山 - 。 乃令
三倍
- 住 。 僧云 。 馬節 近日 として、
ニ、
三の公案の 、不思書本 思 悪の文字はを 挙げるなら、次の資料である。 南泉払袖 使主。 祖 西堂 蔵 。百丈 海 。 南 哀願。
る 。否、その反対
ぅか 。但し 、 確かな 壇 経にはないのである。 右の語録の後には、次の文が続く 、
日 。 這 老漢 合二 取口。。伸ニ 忌 廃語 語 - 。 祖便休 。 百丈 問 。如何 是仏 旨趣。粗玉工具 汝赦 身命処。
珊の処で論じたよう
世の禅宗に大きな 影
去 間三 海 師兄 - 。 某僧 次のようにも記載する。 ︵ ミリ ︶
智蔵 - 。 某僧乃問レ 二人の僧が された。 二 上手だが、 の 指導法が で、二人の修行僧は、自分がほめられたのか、 叱られたの 者は、これ 人物である である。 し ど 簾が垂れ
ようにそ
れだけだ
い 0 ここ
いものは
れで法眼 り 一遍の解
祖語録は ︵ 4 ︶
法眼宗の開祖、 文
ようにも記載してい る 。 。 若喫足 中丞 禄 。 不レ喫 足中丞 福 。 ︵Ⅰ 0 ︶
の 寺内に 於 いて、
。 任汝 非心 非仏 。 我
也 。
仮説・禅宗は 恵 能 る
は弟
州乃を連 ) ( 7 趙州 想 、 脱 の 子た っ
K し 角、 て 何 の ら Ⅰ よ の {C 関 馬祖 連 が 三五 士の 霊 % コ 牙ぞ る }C で @ ・ よ あ ろ そ の し 日 @ の ュま 時 ナー @ ィ尺 と キ 本 後 尾 の の 甘ミテ 約 代 と - ト を ぬ子 関 ま | 「正恒 は ん " ヘ L さ
案、
せ る 南 段 が 多 泉斬 猫 し, Ⅰ ¥c 於 更 け 41 (165) に乃緯ニ 法堂 - 一市。使主。 後 経の神会 来 参の段に類似する。即ち 、- 。 祖云 。 蔵頭白 。 海 頑愚。 ︵ 6 ︶ て 取り上げられている。
経の中心思想につ いて論じるところで記す。
煤本壇 経にない 公 公案を重んじた禅宗 0 発展に関連してくるからである。
記されている祖師 、語録は次のように記載している。
。 同 。 謀 。来日来。
。 云謝二 大衆証明 - 。
師 西来には次の意味 があると思われる。
衣鉢の伝承に対す
、中国独自の仏教が
しての好奇な目が注 れたのである。そし
るに至る原因と根拠 は 十分過ぎる程、機は執していたのである。
うに答えている。 即ち 、 ︵ 8 ︶ 曹渓已後不レ聞ニ此 一喫二馬祖 陽 - 。 直至ニ 如今 - 笑 不 。 休 。
記載されているのである。
とっている。或る
。或は 、ス、 他の人 に 祖師西来の投を語録の中から拾 うと、
悟 。 起来撫レ掌 呵呵
。俊吉。衆 芸 。 自 三従㈹
のと考えられる。 説 仮 43 ︵ 皿 ︶
と 舌口われているも 小リ である。 注 ︵ 1 ︶大正蔵 王 0 巻セ五八頁 下
口 十五頁十五行
門関 ︵ 4 ︶大正蔵四十八巻二九六頁 中 ︵ 5 ︶ 馬 祖語録 四 0 セ頁 左上 後
一九五頁不着 巌集 ︵ 7 ︶大正蔵四十八巻二九四頁 下 壇経
序 能
三九頁左上宗門 十規論 恵
録 には違いないの 小ホ
を 使用したも 禅 ( Ⅰ 67)
自らを自覚するこ
ん ずに、打ち、蹴り、
る 。更に付け加える ︵ A Ⅰ︶ 祖師西来 非 。為正垣 荏可 で伝 以至 十干此土。 但 直指人心見性成仏。 豊 百ニ 門風可レ 両者 - 哉。 徳 - 。 論じている。即ち 、 田 展 日 達摩 Ⅰ一 ム
きた。その田ホヒ日は
のように記載してい る 。
不二 依 佑 - 。 達二 異性
。 心 不自 心 。四色 故 道果。 亦復 如是。 右の要旨に相当する埋経は次の節である。
道者頓悟 二 菩提 - 。 法 - 。 直示二 正路 - 。 是 ゆ書 法。 皆因二 大善知識 - 能発起 故 。三世諸仏。 十二部経。介在二人性
求 重目知識︶。 望レ 畑野 百 二教授 - 。教本 レ可レ 也 。自性心地。 以 二管 若 三昧 - 。 即 是無念。
, 。健三ハ 調 雄三八間 -
レ思 。 当レ令 二念 純 一。 三
、馬祖語録の中心思想
仮説・禅宗は 恵 能 圭三ニ 如 ㌔ 不 続 何
得
㌔ 祖 ぃ 通 名 は が 理 逐 次 考
説 撞 い 木 種 る 寸 % O
-
業 O汝
瓜 田 l 亡 Ⅱ
乃
身 記 故 吾 45 (169) ﹁今の学道者をして頓に よ う
。
は 、内容の表現に 於 いて- 者。 至 二仏位地 - 。 ︵ 敦 埋木第三十一節︶
" 知識。一倍即知 仏
﹁若し自ら悟れば、
こと無し﹂と表現の
ける﹁ 自 心の内の善
きが故に 、 故に三界
道を示すを得て 、見
走 出せしめ、六塵の
・ 色 、六門、六塵 か
しているのである。
一切法。 名答 義等 。 若上 レ理 。 為二 沙門 - 。
是 真如。
之 廻転 - 。 いる。
自行二仏 行 - 。自作自戒二仏道 - 。︵第十九節︶
が 心に外ならない。
その汝に相当する 壇経は、
、語録の﹁各自応に
しているのである。 ︵ 敦 埋木第二十三節︶ @ 用 で意。
なるであろうし、 ︵ 敦炬木 第二十八節︶ る 。 光 。 現 二十八 変 - 。 不レ如毛哩二 致死灰 - 来 上。
る 。
は、 次のようであ
仮説・禅宗は 恵 能と 埋経以後に
ぇ られる。即ち
。。一切万法。 本
不レ 悟 郎是仏 走衆生。
戒 経芸。 我 本元自性
暗黙然。 還 博二本心 -
。︵教理
木 第三十節︶を 万法の根本と 為
智慧の性に因るが 故 に、 故に然も能 く 建立するなり﹂であろうし、
一切の経書は人の
するのである。
旧銭 と壇 経は夫々 次 のように記載している。
用 。 不レ待 二時節 - 。 ︵ 馬 祖語録︶
在 。 不レ離 二目性 - 。
不レ 取木。 捨 。 即 見性 成 二仏道 - 。 ︵ 敦煤木 第二十 セ節 ︶
本 第十 セ節 ︶ 47 ( Ⅰ 17 Ⅰ ))
。
智。︵
敦煤木 第十二節︶ 般若 - 。 除 二胡迷妄 - 。即自 悟 仏道破。 ︵ 敦惇木 第二十一節︶ ︵ 馬 祖語録︶て 言えば、皆、同
ある。 ︵ Ⅰ︶ ヰ
真如者。 即是一 境界左相 - 。 是故 一切 故君 二 真如 - 。以下一切
真如 体無 。 有レ可 。 遣 。
二 真如 - 。 ︵大乗起信論︶
がらのもの、即ち
ない。その上、行住 る 処に、意義があるのである。 ている。 大意 -
。︵
敦煤木 第八節︶因縁 即是 生滅 義 。
レ異 。 用 別本 レ同 。
仮説・禅宗 時 し
る
仮ら見性
」
ざ せ で る よ あ な 」 る り で と 」 あ と と る も 説 と にき司「
「待宵
内 に に 外 「 心 不 一 を 住 助 丁 49 (173) は恵能と壇経以 事 戸 @ ・ 曲目・Ⅰ 楠 君 ㍉ で の 一一口二無尽ハリ舌口 う 内 燈
容
ま | 目 U - 一 一 - 口 己 輝 豊 - 経 の一 っ内 容 と ヲ目 常 @ 類 す る の で あ る で 目 l Ⅰ - 一 一 一 口 己 土 @- 豊 経 の 要 を す よ 尤 @ コり、 次 の 後に 心 -足。︵
敦炬木 第十四節︶ ゑび 前記第二十八節の次の文である。 或は 、ス、 次の文である。 ︵ 敦 埋木第二十九節︶ 或は 、ス 、前記第三十節の次の文である。 - 頓現 。真如本性上。 録は、 次のように記載している。 全 4 々 廿宍 清 め ㍉平ぬ 吊心 行 - 。非二聖賢有 - 。 是 然 者。三河 青 二心地法" " る 誠 た で は
同
弘 碓 。 に 薬 あ い 詩 型れる。恐らく、
忍、 を 重 曹 由 ろ と 録 の Ⅰ 日 一 し 恵 と恵むは
踏に渓のういの
へ段
とう
慧録
記 台目 こ のれ 弟 は 子
り、
段は
別離入箇 が馬 こと その られ 段は ど と ち "" """ 口 """ 一 ら わが れ に と に た 壇 は に の 嶽 先 て 類 い い 神 経 、 於 恵 と る あ め る で あ る の 平 常 l 已 Ⅹ 是 道 い
る次
秀
の 旅 に 築山 ける 明の 馬 祖 高 玄 に て 載 年 行 け の 、 段 の 嶽 覚 、 い の 間 為 る 投 法 の 師 に に 馬遇う
る 影 と も祖の響い
、弘
に散 連 の 亜流 弟間 水 門 で が う 内 悪 見 読 で の まと
い大。
珠なの
り記い行
違へる
。
華経そ
"
は " 罵 祖 四 , つ が ヌ 著 頓 幸 目 信 口が 入 る 壇 か を 諸 相 、 恵 て あ 道 と 経 あ 勧 銀 造 語 罷 め つ 要 者 が る め に す 録 の 記 圭 た 門 え 託 と た 記 る に 師 述
こぬ
とを
百冊 ら 載 は あ さ の 於 弟 と れ し い の れ で け 間 を 撰 何 し る。
てえ
い " 一 吝てあ
いる
るの
"問忍
弘、
等 た そ る や に る 。 経 答 @C か と の 方 載法 し で た
馬ち型
袖、
ので
いの詩余の前
処録 本村
の 知 と 意 記 あ へ が を 語 意 つ ,馬 薬 籠 錬 ろ 行 壇 読 と 能 て 祖 山 が に ぅ く 経 ん 考 に い " 互 Ⅰ 口 の 弘 相 し こ を だ 察 つ ア こ 銭 別 悉 達 、 と お が さ い よ の 離 の な 或 を 手 、 れ て , っ 編 冊わ
が て る 忘 れ た ら に は そ }C春 思、 中 説 木目 '@ 主 @" 五 で 行 く、
乗
に真
/ ユ Ⅰ " 頓、
起 を 如 イ " 一 一 一冊 -p 合 , 性 す 現
るず
と 」 馬 の 祖 頓 の rC 調 っ し 下 し下 た て 牢 記 常 し , L 、 て 是 ぃ 迫 る に の な で仮説・禅宗は 恵 能と壇経 以後に からである。 見るのである。 即 合するという例を記 裁 しているからである。 、 自らの死を予甘口 なると考察される。 記するなら、次の事項がある。 が 、 南嶽と馬祖と ことである。 となった記載であ 根拠は、 敦 埋木 壇経 対して、語録に公案 で 随所に見てきた通りである。 、達摩から 恵能迄 滑 台の演説から、 約 後の宗密、 文益 によ ち 消して、 創 話に 継 くて、 馬 祖語録にあ 51 (175)
る 記載である。 旧 録の記載する、 心 上 、大乗起信論に記 あり、語録の記載す ものに外ならないか らである。 させた高僧の一人 、禅宗の本当の発展
を 待たなければなら ないのである。 集 される以前の 、 編集されたこと。 双 期 に一期に編集され
西方浄土・アメンテ・エーリ ュ シオン ある。 ほ
じめに
は 膨大な資料を駆 ︵ⅠⅠ︶
おられる。従って 、
も 拘らず、私は藤田
テ ︵﹁西方﹂の 意 ︶ や
思想のきっかけをつ
にも﹁アメンテ﹂ や
と地獄﹂の中にも 触
判断に委ねる次第で
西方浄土・
ア
メンテ
エーリ
ュ
シオン
定
方
晟
53 (177)か 二つ㏄め り口 ・ 0. に
アの 残存部隊を逐っ
ヤ 王朝とセレウコス
約を結んだ。セレ ウ
の 首都パータリプト ︵ 2 ︶
がない。その他の ギ
いだ を往復しだことであろう。
王朝と交渉をもち
二代プトレマイオス
と考えられている。︵ 3 ︶
︵エジプト︶、アン
送ったことが アショ ︵ 4 ︶
ヴ 0 ヨリ ︶もいた ︵ 5 0 ︶ アフ
ショーカ王の碑文が ︵ ムし ︶
け 、石柱やその柱頭
た アショーカ王の摩
ヘレニズム
西方浄土・アメンテ・エーリ ュ シオン
の ﹁大変書見 王 かく 申
優秀な貨幣は イ ン
のころ、マウリヤ 王
シャーに遷した。 こ
新しい都の近くに 造
られるような三角帽 ︵ 0 り ︶
郷へ 帰ってから造営
る ︵
Ⅰ 0 O世界的なギリシア
ァ 人も サ力 人も自ら
ニズム文化にやすや
ア 文字を用い、ギリ ︵ 仙 Ⅰ︶
︵アラム文字から派
に 力を増してくる ロ|
にあったが、それは
めるぃ だの地の利を
て 政権を握った クシ 55 (179)
評 き
で組
あ ロ ブ 価 わ ナ @ さ た ィ ア つ @ @ つ の ト o が s@3 % れて り 、 か 川こい
、
と
オ イ は あ 沿 な る 岸 れ ラ ス ち い か な は る 思 、 文 タ 。 合 岸 し ま た で の 紀 伝と っ は 」
大な
元 前 後 地 bp の ギ の 域 1 ノ ィ が とぎシ
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属 へ シ ギ @ -- り ズ シ ム ア支 文
此 此 は は た 人 ン 決 る 。 エ ド し ま O 的 リ て ね 過 く
フ
に
な神
立Ⅱ 田りマ
小 付コンドファルネース玉のもとに赴いたという。
この王はパルチア
人
ハッダの仏教美術か
作用してしたⅠⅠ
︵
7
0 ︶
、バリュガザ
、
高
4
によれば、イエスの
セ ーナ王朝の夏の都 カピシ ︵アフガニスタン︶ ドの 象牙製品や中国 海上貿易が盛んにな 日 いた商人がいたが、 ︵メナンドロス大王な 王 ︶ 、 ㈲ローマの貨幣
、時代の推移とともに、 ︵四︶
西の方、太陽の没すると
昏の娘たち﹂︶が常に歌い (181)
の園 ﹂がある。﹁至福者の ア ・ エ一
とやさしい風はとも ︵旺の︶
いからでもある。﹂ ︵ 花 ︶
︵前山八四 |三 一以後︶は
れは不死の国であ
とができなかったの ︵㎎︶
ある。︶人は死ぬと、
期 ギリシアの歴史家プルタルコス︵四六項 | 一二 0 以後︶はこれを ︵Ⅲ れ ︶
っている。これは﹁ ア
いたことを示している。
野 がそれである。
マンテ ュス が︵治めて︶いて、この上ばく 暮 しの易しいところであ
吹く西の微風の息吹を送 ︵ れり ︶
とみなされる︶と並んで三位一生をなした。
0 下臣 8 ︵エジプトの
民族に属す その中の誰か
も 決して不思 ているのであ
︵青銅製︶も がすぐわかる
レスの武器で フン ド はこのほ を 女神 々 シス ︵㏄︶
へ 運ばれたも
リアの地で作
在名︶石膏 板 あられされて
部が アレクサ る人た が メソ 議では る。 そ 出てい 。頭に ある 梶 かにも ︵ ガず ︶ のと 考 られた に扱わ いる 作 ンドリ ア メンテ﹂と、ギリ たか明かでない。 ニ てきたものであると㈱ いう。︶
ナ %
﹂︵阿弥陀経︶。﹁
四
宝
,三宝ないし
セ 宝の
、
り 。あるいは
銀樹
に金の
1ム
れば、あとはインド的な
﹂に見られる転輪聖王の
に 先行するとすれば︶こ
%
正経﹂や﹁大機
炭経
﹂ の
である。︶彼は記す
ある仏教徒が︵ ヵ
るいは宗教家から
テ 経を作る。︵ 3 3 ︶ アメ ン 盆捌 ︶
メンテ﹂よりは、 ギ
える。︵ギリシア神話 アで製作された べ グラム石膏 板 よって立証され
@ ・ Ⅰ @ , つ ア こ レ と ク は サ
ド れ 1)@ @ ァ が の メ タ ン 4 フ キ ィ スで 発見された石膏やテラコッタの型に似て ︵ じ匝詣 ・運命の女神︶などエジプト特有の いる点ばかりでなく、 主題が存在することに
土 思想の全てが 説 つるのではないだろう 11﹁清浄が無量なの Ⅱ 由こ ㏄ l% ヴす曲 ︶、と。 こ ﹁寿命﹂の概念は﹁ ア
から得たものかもし 無量の光︵あるとこ
ようになる。それは に 合致する。
村 ㏄︶と発音された ︵ 抑 ︶
かし、これは形容詞
やっていることで
の
︵ ?.
︶カニシカ王で
ラン系の﹁
統王
﹂︵田面
ヰ
︵ 卍じ
、中国系の﹁
天
子
﹂︵隼のづり寸口︵︵
め ︶
、サ
は
アミ
ダ、アバ
ロキ
至
︶となる。
西方 浄
に一つであり、ひとの
コブラとは相違を示 6 土 ・アメ
るまで、この ウ レウ
るぃ は垂れた帯の先 (185) ンテ・エーリ ュ シオン ナ ー
ガとウ
レウ ス彫刻にふれてみた ︵ 冊 ︶
ている。二世紀 し ・ の
物 が少なからず 現わ
いる。女性につく コ
、それは 傘 蓋の如き 形状を呈する。
または 毛 注さ︶ と
インクスのひたいに
二五六セ ー一 三二
0 の︶。しかし、﹁アメ ︵㏄︶
、仏塔の記述などを
結
ミヨエ ヰ f Ⅰ 起 美 げ 築 ル あ 要 コ 性 れ 遺 こ よ し6 式 る の さ ョ の の の 一 か l で 一 で 部 の カ は っ あ を ぼ 王 な と る と っ よ か し 。 り て り ろ て ァ 入 テ ず う 取 シ れ l っ か り ョ た べ と 。 い l こ ま 前 ね 。 力 と で の と 時 儀 た Ⅰ こ れ っ パ は 代 に 。 な あ
、 離 そ る
る ド い 大 ぺ / Ⅰ な ん ア が ア る シ ジ 西 シ 神 ア ヨ 万 ヨ 殿 l の l を ァ 力 夫 力 め ヵ 正 物 工 た ィ
メオ
時代 をう は ま ダリ に け た ウ ス 始 い そ ス 王 ま れ の が 朝 る た ダ 、 の 石 と り 自 タ め る 現 ガ の き ウ ち り 建 " ス の ウ 築 ウ 王 都 ス そ レ の ぺ 王 の ゥ 宮 ル が も ス 殿 セ ェ め る の ポ ジ で か ガ が も 建 リ ブ " 信 築 ス ト 遠 何 様 の をジ あ 影 に し プ る 響 そ 、 ト い を の ナ に は う 建 イ
酒方浄土・アメンテ・ ニーリュ シオン