いることが判明する︒即ち 馬 祖語録は ︑
宇
︒無量劫末︒ 凡唯 法滅︒化法廷 時 ︒
三一切法 ‑ ︒知了百千
二 大海中 ‑ 浴上 ︒ 即用ニ
一切米 ‑ ︒所以声聞 悟迷 ︒凡夫迷悟︒
0 段は︑ 壇経 の 次
0 段︑即ち 繊 悔の段に外ならない︒
︒念念 不レ被 エ鼠 迷
調 ふ ‑ 未断︒名馬二目
第二十二節︶
調心 ︑嫉妬心とあ
けるが如く︑一味
ると考察される︒ 即
ち︑
35 (159)
口 0 五頁左上馬祖語録
︵ 2 ︶ 統 大蔵経 第壱輯第 武編乙第 拾九套 第五冊 口 八三頁 下曹蹊 大師別伝
上 ︒ 即是
見性︒︵
敦炬木 第二十九節︶予言と 馬祖に 関す
ある︒先ず︑埋経に 拾 いては︑
右に相当する 馬 祖語録の段は ︑
下山手一馬 駒 ‑ ︒ 賜二殺 天下人 ‑ ︒ 蓋謂 ︒師位︒
六祖が 懐譲に 予言
る ︒更に一例挙げる
なら︑ 恵能と馬 祖の臨終前後の段である︒
汝破レ疑 ︒当下合 二迷
着尺︵︒便中波安楽上︒苦茗 去後 ︒無二人教︐ 汝 ︒ ︵ 敦 埋木第四十八節︶
右に相当する 馬 祖語録は次のよ う である︒
︒当下船 二 来月 づ帰 ︒
浴 ︒ 伽趺入レ滅 ︒
のであろうと考察
される︒
仮説・
一十四歳 説 が有力であ
共に説法していたと
(161)
禅宗は恵 能と埋 経以後に
と 司 へ も 右 譲 ゎは
る 一 一 "
弘法
三 は し 馬五一
こ 録
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経
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あ る
事柄 を
同 て 粗 悪、 場 徒 し 挙
暗 い と の 合 っ た げ
代 た 印 処 で て , 壊
る
右 司
「
というものの性格
を 説法していたと
り 経ってから編集さ
れたものであると三口えよ う ︒ ︵ⅠⅠ︶
小 ‑ 通二南宗頓教 之 首将 請為師 ‑ ︒ は 考えられないのである︒
いたと記している
語録に次のように記載されている︒
来 ︒日南 嶽来 ︒ 日
不 ︒ 宜 二個佳 ‑ ︒
︑新定速 安 ︵新注
が 全く見合わないの
︒如何に禅宗とは 言
ない︒しかし︑語録
の恵朗 かも知れない
の恵朗 であることが判明するのである︒
仮説・禅宗は 恵 能
発達とこの 馬 祖語
佳山 ‑ ︒ 乃令
三倍
‑ 住 ︒ 僧云 ︒ 馬節 近日 として︑ ニ︑ 三の公案の ︑不思書本 思 悪の文字は
を 挙げるなら︑次の資料である︒
南泉払袖 使主︒ 祖
西堂 蔵 ︒百丈 海 ︒ 南 哀願︒
る ︒否︑その反対
ぅか ︒但し ︑ 確かな
壇 経にはないのである︒
右の語録の後には︑次の文が続く ︑
日 ︒ 這 老漢 合二 取口︒︒伸ニ 忌 廃語 語 ‑ ︒ 祖便休 ︒ 百丈 問 ︒如何 是仏
旨趣︒粗玉工具 汝赦 身命処︒
珊の処で論じたよう
世の禅宗に大きな 影
去 間三 海 師兄 ‑ ︒ 某僧 次のようにも記載する︒ ︵ ミリ ︶
智蔵 ‑ ︒ 某僧乃問レ
二人の僧が
された︒ 二
上手だが︑
の 指導法が
で︑二人の修行僧は︑自分がほめられたのか︑ 叱られたの
者は︑これ
人物である
である︒ し
ど 簾が垂れ
ようにそ
れだけだ
い 0 ここ
いものは
れで法眼
り 一遍の解
祖語録は ︵ 4 ︶
法眼宗の開祖︑ 文
ようにも記載してい
る ︒
︒ 若喫足 中丞 禄 ︒ 不レ喫 足中丞 福 ︒ ︵Ⅰ 0 ︶
の 寺内に 於 いて︑
︒ 任汝 非心 非仏 ︒ 我
也 ︒
仮説・禅宗は 恵 能
は弟
る州乃を連 ) ( 7 趙州
想 、 脱 の 子
た っ
ドキュメント内
『宗教研究』209号(45巻2輯)
(ページ 35-41)