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源氏物語における「らうたし」

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Academic year: 2021

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源氏物語における

以下は引年度提出の卒論の抜卒である。 げると次のようになる。 序 論 第一章 卒論の目次を掲 ﹁らうたし﹂と﹁うつくし﹂の動詞形からの考 窓 市 ﹁らうたし﹂の本質について ﹁うつくし﹂の本質について 第二章 第三章 結論 ここでは、紙面の都合上、第二章

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らうたし﹂の本質 について

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にしぼって述べることにする。詳しくは、引年 度提出の卒論及び副資料を参照していただきたい。 なお底本として、吉沢義則著﹁対校源氏物語新釈﹂六巻 本を用いた。︵﹀内に、その所在を、巻名・巻数・頁数 の順に一不し、年齢は︵︶の中にアラビア数字で示した。 ﹁らうたし﹂の本質について ﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂は、対象のどんな状態に 対して使われているのであろうか。松村誠一氏は、﹁国語 大 財 友

﹁ 昭 和 何 年 J と国文学﹂︵6月号︶で、次のように分類しておられる。 ﹁この語の意味を検討するに当たっては、いちおう子ども の場合と成人の場合とを区別しておくことが無意味でない ように思われるので、紫上や女三官が夫婦生活にはいった 十四歳以上を仮に成人とし、十三歳以下を子どもとみてお くことにする。﹂とされ、 成人の場合

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病気のため衰弱している場合

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対象の元来細やかな状態

ω

物思いに沈ん.たり、思い悩んだりしている状態

ω

思い怖み、思いあまって、うちそむいたり、はじらい を示したりする状態 途方にくれたり、物も覚えず、ただ恐れおののいたり する状態 泣く状態 身も心も投げかけて、この人こそはと、 てなびきかかる女性の状態 一 ら J このようなおさなさ、 (5) (7) (6) ひ た す ら 頼 っ (8) わ か さ 、 たどたどしさ

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子どもの場合 ︿成人の場合にくらべて、対象のどういう状態に対して﹁ らうたし﹂﹁らうたげなり﹂と一言うのかを明示した例がす く な い ︶

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対象の細くちいさな状態 例 物 を 思 ヴ て 沈 む 状 態 川

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身も心も投げかけて頼り切っている状態

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はっきり対象の状態を表わしていない と分類された。しかし源氏物語における全用例をあてはめ てみると、この分類にはまらないものがある。 源 氏 の む 紫 あいなき心むさまん\乱るるやしるからむ、﹁色かはる﹂ 紫 上 を 慰 め る とありしもザゲ

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ノ覚えて、常より殊に語らひ聞え給 ふ。︵賢木

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四 一 八 ︶ これは、湯氏が藤査や権斎院に対するつまらぬ恋の為に悩 んでいるのに対して、紫上が源氏の恋心を怨んでいる状態 である。この場合の﹁色かはる﹂は、﹁風吹けばまづぞ乱 るる色かはる浅茅、が露にかかるさきがに﹂というもので、 ﹁私は移り気なあなたを頼りにしていて、始終心配が絶え ま せ ぬ ﹂ の 青 山 で あ る 。 又、明石に残してきた明石上を思う源氏に対して、紫上 が怨めしく思う状態を、 明 石 上 を i 紫 上 は おぼし出でたる御気色浅かわず見ゆるを、たたならずや

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か ざ し と う な ら。ら う。ず ι 0 ザh J」 ー 「 く。身

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ひ は 開 思 え は 給 ず ふ 」 。な ( ど 明 ほ 見奉り給ふらむ、 の め か し 給 ふ ぞ 、 石

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一 O 一 ︶ ﹁身をば思はず﹂は﹁忘らるる身をば思はず誓ひてし人の 命の惜しくもあるかな﹂である。 花散里が、帰京してきた源氏に怨みを一言っているのを、 ﹁らうたげなり﹂としている。 花 散 ﹁などて、たぐいあらじと、いみじう物を思ひ沈みけ む。憂き身からは、同じ歎かしさにこそ﹂と宣へるも、 おいらかにらうたげなり。::。尽きせずぞ語らひ慰め 聞え給ふ。︵涛標

ω

一 ニ 一 号 これは、帰京した源氏に対し、﹁どうして、貴方が須磨へ 行かれたお別れの時は、こんな悲しいことは比類ないこと だと、ひどく物思いに沈んだことでしょう。つらい︵忘れ られがちな︶我身にとっては、御帰京遊ばされても嘆かし さは同じことです。﹂と、花散里が、男の浮気心を、うら む の で あ る 。 浮舟が匂宮に対して、うらめしく思っているのを、 ように描写している。 浮 舟 宮 が 女、濡らし給へる筆を執りて、 浮 舟 心をば歎かざらまし 命のみさだめなき世と思はましかば - 28-次 の

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私 の 恋 む を 怨 め し く 思 ふ も の の や う だ と 歌 を 見 て 宮 が と あ る

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変らむをば怨めしう思ふベかりけりと見給ふ にも、いとザゲがい o ︵ 浮 舟 刷 一 口 四 ﹀ ﹁心をば﹂の意は、﹁不定なものは命だけだと思うのでし たら、男心の不定を悲しむ歎きはあるまいに、不定なのは 命ばかりではないので o ﹂ 他に、雲居雁がタ霧に対して、中君が匂宮に対して、移 り気を怨んでいる。つまり、 歌や言葉により、男の移り気を怨む心を表わす女の状態 に﹁らうたし﹂﹁らりたげなり﹂が用いられている o こ の ような状態は、松村氏の論の中では、特に設定してなく、 先に記した分類の、成人

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の項に入れられたのかとも思わ れるが、無理があるように思われ、叉、前述のように﹁歌 や言葉により、男の移り気を怨む心を表わす女の状態﹂を ﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂とした例が七例もあるので 、私としては、別に松村氏説の他に一項目設けたがよいと 思う。そこで、この設定した状態を考えてみると、先ず、 ﹁らうたし﹂の語の対象はすべてここでは女性である。男 性を頼りにしている女性達である。その頼りとしている男 性の移り気を怨む心を表わす時の女性達には、当然よわよ わしい様子がみえる o 故に、相手の男性は、﹁常より殊に 語らひ聞え給ふ﹂たり、﹁尽きせずぞ語らひ慰め聞え給ふ ﹂のである。故に、新設定の項目も松村氏の結論と相違す つ ま り 氏 の 結 論 と は 、 次のようなもので る も の で は な い 。 あ る 。 ﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂は、成人であると子ども であるとをとわず、女性に限らず男性でも、また時には 人間以外の動物であっても、人がそれらの対象の衰弱し た状態、細やかなささやかな状態、物思いにふけり沈ん でいる状態、思いあまった状態、途方にくれる状態、泣 きしおれている状態、頼り切ってなびきかかる状態、お きなげな状態などに接して、そこに認められる、はかな さ、よわよわしさ、たよりなさ、たどたどしさなどに強 く心を引きつけられ、その対象を自分のそばから絶対に 離すことができないような気持ち、あるいは、これをじ っと見まもり、語りなぐさめ、衣類に手を触れ、さらに からだにも触れて、かきなでたり、抱いたり、ふところ に入れたりして、対象に向かって何か働きかけずにはい られない、それをうち捨ててはおけないような気持ちに なることをあらわしているものと考えられる。 ここで、私としては、松村氏の分類にあてはまらないも のを考察して、氏の結論に合うかどうかを検討するもので ある。やはり分類にないものとして、臥している状態に﹁ らうたし﹂﹁らうたげなり﹂が用いられている。 雲 一 居 雁 ︵ 竹 川 ︶ う す も の ひ と へ 姫君は昼寝し給へる程なり。羅の単衣を著給ひて臥し

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。 。 。 。 。 いとらうたげにささ 給へるさま、暑かはしくは見えず、 やかなり。︵常夏川 W 八 三 ︶ 雲居雁ハげ︶が臥している様を﹁らうたげに﹂と表現して いる。﹁ささやかなり﹂の語でもわかるごとく、たどたど しさ、たよりなさがある。源氏物語においては、臥してい る様を﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂としている例は、他 に = 一 例 あ る 。 そ れ を 示 す と 、 紫 上 ︵ け ︶ @女君、ありつる花の、露に濡れたる心地して、添ひ臥し 。 。 。 。 給へるさま、うつくしうらうたげなり。︵紅葉賀川 W ニ 九 一 ︶ ﹁露に濡れたる心地して﹂でわかるように、よわよわしさ が感じられる。この例でわかるように、﹁うつくし﹂と﹁ らうたし﹂は併用できるのである。 北 方 は 胸 の 思 ひ を 落 着 け て @ さ う じ み は い み じ う 思 ひ し ゃ つ め て 、 日 ノ 口 ノ

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寄り臥し 給 へ り : ・ 真 木 柱 帥 一 八 九 ﹀ 自分から、心のはなれた夫髭黒を、新しい女玉霊のもとへ と送りだそうとしている北方が、胸の思いを落着けて臥し て い る さ ま に は 、 よ わ よ わ し さ が う か 、 が え る 。 中 君 ︵ 引 け ︶ @姫君、物思ふ時のわざと聞きしうたたねの御さまの、い 0 0 0 0 0 と ら う た げ に て 、 ・ : ︵ 総 角 的 W 一 六 七 ︶ ﹁物思ふ﹂状態にはよわよわしさが見出せる。臥している 状態四例ともに、,よわよわしさ、たどたどしさがある。 次の用例をみていこう。 玉霊ハ

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いとをかしげにおも痩せ給へるさまの、見まほしうザ口ノ 。 。たい事の添ひ給へるにつけても:・︵真木柱

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一 七 九 ﹀ 落 葉 ︷ 邑 ︿ 剖 ・ お ︶ 世とともに物を思ひ給ふけにや、痩せ

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にあえかなる 心地して、打解け給へるままの御袖のあたりもなよびか に 、 け ざ か う し み た る 匂 ひ な ど 、 取 集 め て げ り 日 ノ

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、 柔 か な る 心 地 し 給 へ り 、 ︵ タ 霧 制 一 一 一 一 一 一 ﹀ 女 二 宮 ︵ 川 門 ︶ 黒き御ぞにやつれておはするさま、いとどザゲ

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あ て な る 気 色 ま さ り 給 へ り 、 ︵ 宿 木 帥 ニ 一 九 ﹀ 中 君 ︵ お ︶ 昔よりはすこしほそやぎて、あてに

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ノ げ が 川 ソ ゲ 円 。 け は ひ な ど : ・ ︵ 宿 木 伸 ニ 六 八 ﹀ これらは四例とも、悲しみゃ物思いのための衰弱の状態を ﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂と表現しているのであり、 病気による衰弱ではない。故に分類﹁成人

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﹂にもはいら ないし、﹁成人

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﹂では、一言葉が足りない。故に分類に当 てはまらない状態、即ち次のような状態がある。 悲しみゃ物思いのため衰弱している状態この状態におい ても、﹁はかなさ﹂﹁よわよわしさ﹂という要素がある。 故に、松村氏の結論に反するものではない。 -

(5)

30-雪 今まで主として成人についてみてきたが、子どもの方を 考えてみることにする。やはり分類外のものがある。例え ギ ょ 、 紫 上 ︵ 川 ︶ 若 君 は 、 いかならむとわななかれて、い 源 氏 は O O

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ぶじき御膚つきも、そぞろ寒げにおぼしたるを、らう 0 0 たく覚えて、︵若紫

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ニ 一 宮 一 ﹀ これは、途方にくれたり、物も覚えず、ただ恐れおののい たりする状態で、やはり、よわよわしさがある。又次の用 例 を み る と 、 紫 上 ︵ 悶 ︶ うちそばみて書い給ふ手つき、筆執り給へるさまのをさ 。 。 。 。 なげなるも、ららたうのみおぽゆれば、:::︵若紫

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一 一 一 六 ︶ とあ旬、﹁をさなげなる﹂状態に、たどたどしさ、よわよ わしさがある。これも分類外である。 このように、﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂は、松村氏 の分類にあてはまらないものもあるが、それらもすべて、 氏の結論を翻すものではない c ところで、﹁らうたし﹂﹁らうたげなり一の対象を、性 別して調べてみると、次のようになった。 ﹁ 女 一 五 三 例 全 用 例 中 人 物 ↑ 男 一 五 例 全 用 例 中 関係− 戸 男 女 別 不 明 一 例 全 用 例 中 い と 恐 ろ し う 、 八六・九% 九 ・ 一 %

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・六% そ の 他 ︵ 猫 ・ 鈴 虫 ﹀ 六 例 全 用 例 中 三 ・ 四 % 圧倒的に、女性に関するものが多い。そこでまず男性の方 からみていくことにしよう。男性十五例中、一例のみが、 源氏十七歳で成人、他は十四例ともに、小君の十二三歳を 最高として、子どもとなっている。十四例中、 源氏

114

歳 薫 2 歳 春宮

1

歳 三条に残されたタ霧の子 8 歳以下 源 氏 の 孫 達 叩 歳 以 下 四郎君・一二郎君・孫王の君だちの四人 一 例 三 例 一 例 二 例 一 例 いと小さき程 一 例 真木柱の弟 8 歳 一 例 この十例はすべて、十歳以下である。幼い男子は、むしろ 女の子のようにみえるものである。小君︵口・日歳︶にし ても同じである。十二三歳位ならば、源氏やタ露は既に元 服しているのであるが、小君はまだ童であり、﹁をさなし ﹂の語が六例もあり、これほど一人の人物に用いられた例 は、他にあまりない。そこで、十四例とも女性的なものを 見出し得ることになる。 次に、成人の例をみると、源氏︵げ︶が夕顔の死後、悲 しんで泣いている状態を、 η ペ υ 泣 き 給 ふ さ ま 、 0 0 0 0 いとをかしげにらうたく、 依光も 見奉る人もい

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と悲しくて、おのれもよよと泣きぬ。︵夕顔

ω

一 四 二 ︶ 成人の男子が泣く状態を、﹁らうたく﹂と表現したのは、 男性というよりもむしろ女性のような、よわよわしさをみ いだしたからであろう。これまで調べてきたように、﹁ら うたし﹂﹁らうたげなり﹂ば、女性的なものに用いられて いる。そこで、﹁らうたし﹂﹁らうたげなり﹂の本質を、 松村氏の説を広げて、女性美としたい。氏の言われた、は かなさ、よわよわしさ、たよりなさ、たどたどしさという 要素は、女性美の中にもちろん含まれることになる。 ここで一例、﹁らうたし﹂の対象について問題となるも の 、 が あ る の で 述 べ て み た い 。 源氏と、夕顔の女一房で今は玉霊の女一房となっている右近 とが、玉童のもとにくる文について話している場面であ る 。 右 近 他 人 姫 君 に ﹁更に人の御せうそこなどは、聞え伝ふること侍らず。 見 も せ さきん\も知ろし召し御覧じたる、三つ四つは、引きか ず に 返 し て えし、はしたなめ聞えむもいかがとて、御文ばかり取り 源 氏 が 玉 震 に 返 事 入れなどし侍るめれど、御返りは更に。開えさせ給ふ折 を 勧 め ら れ た 時 だ け 姫 君 は ばかりなむ。それをだに苦しい事に思ひたる﹂と間ゆ。 源 ﹁さてこの若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。 書いたる気色かな﹂と、 いといたう 右 近 ほほゑみて御覧ずれば、﹁かれ はしふねくとどめてまかりけるにこそ。内のおほい般の 童女の名 中将の、このさぶらふみるこを、もとより見知り給へり ける伝へにて侍りける。叉見入るる人も侍らざりしにこ 源 o o o c ’ そ﹂と開ゆれば、﹁いとらうたき事かな。下璃なりとも、 かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿と いへど、この人のおぼえに、必ずしも誼ぶまじきこそ多 かれ。さるなかじも、いと静まりたる人なり。おのづか ら思ひ合はする世もこそあれ、掲講にはあらでこそ一言ひ まぎらはさめ一、見所ある文書きかな﹂など、とみにもう ち置き給はず。︵胡蝶

ω

一 一 一 一 一 ︶ この場合の﹁らうたき﹂の注釈を調べてみると、 し淵源氏物語湖月抄︵弘文社刊︶中学 J 三九六頁いとらう たき事かな←︹孟︺源詞也︹師︺柏木の事をのたまふ也 乙一利源氏一物語新解︵金子元星名中巻11八一五頁注釈なし み源氏物語総釈第三間蝶の巻︵佐伯梅友著︶一九一頁い とらうたき事かな。←それはほんとにかはゆい話だ。 A H 対校源氏物語新釈︵吉沢義則著﹀巻一二 1 j三二頁いとらう た き : ・ ← そ れ は か は い L 事だね。柏木をほめた詞 0 2 と

3

は、特に説明はないが、すべて、﹁らうたき﹂の対 象を柏木としているようである。 2 以下の注釈書は、湖月抄の師説 U H箕形如華の説を踏襲し たのであろう刀なお松村氏も、﹁成人の男性に用いられた 32

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-j i j i l l − J a t − 2 1 A l i − ! f v 宮 、 ふ 円 、 ぜ d q x , A F ψ 、a p J ヤ深志 A j f T 刊 格 税 花 噌 語 専 H 4 ら ♂ のは、この他に一例あるだけである o ﹂として、﹁らうた き﹂の対象を柏木としておられる。念のために述べておく が、﹁らうたし﹂の語が、成人男子に用いられたのは、今 までの説の通りとすると、源氏と相木の二例のみである。 私としては、玉童の童女みるこが手紙をうけとったこと を﹁らうたき事﹂と考えたい。 そ の 理 由 と し て 、 ィ、﹁らうたし﹂の語は、圧倒的に女性に対して用いられ た例が多い。ちなみに、柏木は男性であり、みるこは 女 性 で あ る 。 戸、成人男子に、﹁らうたし﹂の語が用いられたのは、右 の︵胡蝶

ω

= 一 二 ﹀ の 例 を 除 い て 考 え る と 、 泣 い て い る 状 態の源氏︵打︶に対してのみであり、成人男子が泣く というのは、非常に特殊な場合である。故に、成人男 子である柏木︵引︶より、みることした方がよい。 ハ、﹁らうたし﹂の語は、はかなさ、よわよわしさ、たど たどしさをもっているものに、一つの美があるものと 考えられ、全用例とも、よわよわしさ等をけなすので はなく、それらをほめる言葉として用いられている。 しかし、﹁いと静まりたる人﹂である柏木に、はかな さ、よわよわしさ、たどたどしさは見出せない。みる こであれば、みいだしやすい。 ニ、右近などのような、女房たちは、 ﹁更に人の御せうそ こなどは、聞え伝ふること侍らず。﹂というように、 柏木の手紙を誰も取次がなかった。しかし幼い童のみ るこが取次いだ。その事を聞いた源氏が、﹁らうたき 事かな o ﹂とほめ、そのすぐあとで、﹁下薦なりとも、 かの主たちをば、いかがいときははしたなめむ o ﹂と いって、柏木の玉霊への文を、うけとらないで、柏木 にきまりのわるい目をさせることがあるかと、右近等 をたしなめている。故に、源氏の気持ちとしては、文 を取次いだ方がよかったのであり、﹁らうたき﹂は、 源氏の意にかなったみるこに対して用いられたと考え て も よ い と 思 う 。 このような理由で、﹁らうたき﹂の対象は、みることした のであるが、他の用例と同じように、結論に果たして合う かどうか考えてみる。たしかに、結論に一致する。大人た ちは誰もうけつけないようにしている手紙をうけとったみ るこには、おさない故のよわよわしさがある。故に、﹁ら うたき﹂の対象は、童女みること考える。 すべて、今まで考えてきたように、﹁らうたし﹂﹁らう たげなり﹂という語は、よわよわしさ、はかなさ、たより なさ、たどたどしさという要素をもっ女性美を表わすもの と い え る と 思 う 。

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