両大戦聞におけるイギリス鉄鋼業の独占
山
序
I
イギ
Fヌ鉄鋼業の危機と企業集中
一第一次大戦とイギりス鉄鋼菜
ニ イ ギ
9ヌ鉄鋼業の衰退過程
三 イ ギ
Pヌ鉄鋼業危機の諸国
四﹁産業合理化﹂と企業集中(以上木号)
鉄鋼関税と英国鉄鋼連盟の成立
大恐慌と保護主義への転換
鉄鋼関税とイギFス鉄鋼業
英閏鉄鋼連盟の成立
結
七 六 五 E
序
( 上 ﹀
本 秀 雄
岡大戦問におけるイギηノス鉄鋼業の独占(上) 第一次六戦はイギリス資本主義の世界における独占的地位の崩壊と衰退そ確定した分岐点をなす︒かっT︑筆者は
五
両大戦問巳おけるイギηノス鉄鋼業の独占(上)
一一
六
独占形成期におけるイギリス産業の独占に関する通説の批判を試みるとともに︑独占の形成︑拡大が生産・資本の集
積・集中の必然的結果であると同時に︑イギリスにおける産業独占の特徴が︑その一世界の工場﹂としての地位の崩
ハ1︺壊と衰退の過程に独占の急激な発展がみられる点にあることを指摘した︒その意味において︑イギリス産業における
独占の研究においては︑第一次大戦後︑すなわち両大戦間におけるその分析が中核をなすことはいうまでもない︒本
﹁産業の米﹂といわれる鉄鋼︑重工業部門の根幹危なす鉄鋼業の独占の問稿はその分析の一部在なすものであるが︑
題は︑産業独占の分析においてもっとも重要な意義をもつものである︒
本稿は︑筆者数年来の研究課題である﹁英国産業独占論﹂の一環をなすもので︑その目的は︑かつて発表した炭鉱
業における独占の研究︑および後の機会に発表する予定である綿業における独占の研究とともに︑産業における独占
の具 体的 な展 開過 程︑
いtAかえるならば産業における独占形態の相達︑およびその相違のよってきたる諸条件そ実証
的に分析することによって独占の構造を明かにしようとする点にある︒と同時に︑今日問題とされている現代資本主
義の本質民一両大戦聞の一般的危機を背景とする日出家独占資本主義への転化過程を明かにせずには把握しえないとい
う考えから︑国家独占資本主義への転化過程の具体的な現象形態の一端そも明かにしようとする意図をもつものであ
第二次大戦後における同有化に対する各産業の反応におけ
る ︒
また産業独占の構造を具体的に明かにすることは︑
る著しい相違を示唆するもの左考える︒さらにまた証券発行あるいは投資の業務を媒介とする銀行と産業の融合形態
を金融資本の古典的形態とみ︑
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γあるいはアメリカの独占を独占の央型とし︑イギリスの独占吃むしろ特殊とす
ゐ見解に対して︑若干の疑問をもっていることも本稿の意図の一つであるとともつけくわえておきたい︒
官次に一却すごとく本論は二部に大別ぎれているοそれぞれは︑時期的に大体一九一一
0
年代および一九三0
年代に区刑さ れる が︑
それは単に時期的な発展過程を区別するためではなく︑鉄鋼業における独占の展開が︑
一九
二
0
年代と一九
三年代とでは明確に異なる様相を一不すからである︒すなわち簡単に述べるならば︑
0
一九
0
年代は鉄鋼業の危二機をむしろ古典的な解決の方向で克服しようとした時期であり︑その過程における独占の展開であるのに対して︑
九三
0
年代は明確に保護主義への転換によって新しい独占発展への道を歩み出した時期といえよう︒もちろん︑本論で明かにするように古典的な解決の方向と保護主義への転換は︑
その実態において甚だしく相対立するものではな
く︑むしろ両者は表裏の関係にあった︒しかし表裏の関係にあるといっても︑どちらに重心があるかによって独占の
様相は著しく異なってくるのであって︑段階的に明確に区別すべきものと考える︒このような段階的な相違は︑鉄鋼
業︑さらにいうならばイギリス金融資本の危機に対する認識が︑
一九
二
0
年代 と一 九一
年代では本質的に異なる点ニ
0
に由来するものといえよう︒すなわち一般的危機の深化である︒
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拙稿﹁独占形成期にかんする一考察!第一次大戦前におけるイギP
スの 産業 的独 占に つい
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﹂大阪府立大学経済研究創刊( 号 ︒
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拙稿
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﹂大阪府立大争経済研究第四号
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イギ
Pスの国有化に対する評価は様々であるが︑マルクス経済学者においては国家独占資本主義の一現象形態とみる見解が通説といえよう︒イギFスの固有化を社会主義への道であるとする見方は一種の幻想であるが︑しかし仮に右の通説を認めると
しても︑それによって固有化が国家独占資本主義段階におけるすべての資本にとって歓迎されるものとはいえない・むしろ資本によっては本能的に固有化を排斥し︑他の道に国家権力との癒着を求める︒この点を無視しては第二次大戦後におけるイギFス
の国 有化 に対 する 各産 業の 反応 の相 違を 明か にす るこ とは でき ない であ ろう
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荷大戦聞におけるイギヲス鉄鋼業の独占(上)
一一
七
同大 戦出 にお ける イギ リス 鉄鋼 業の 独占 (上 )
一一
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イギリス鉄鋼業の危機と企業集中
第 一 次 大 戦 と イ ギ リ ス 鉄 鋼 業
一入七O年においては︑世界の鉄鋼生産量の五O%を支配していたイギリス鉄鋼業も︑一入九O年にはアメリカに
その地位を奪われ︑さらに一九O二年にはドイツに第二位も奪われて相対的な没落を明かにしたが︑
一九
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年代に
入ってから第一次大戦直前に至る期聞は︑鉄鋼の生産量および輸出量が新しく高水準に達した期間として︑イギリス
鉄鋼莱にとっては安定的発展の時代であった︒しかし︑生産および輸出の増大も絶対量においてであって︑第1表が
一示
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その世界における比重はますます低下しつLあワたのである︒すなわち銑鉄および鋼の生産量の世界総
生産量に占める比率は︑
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一四・一%から一九一三年のそれぞれ一三・二%︑
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アメ日カ︑ベルギー︑フランス﹀の総輸出量の
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へと低落した︒もちろんその輸出価値額においては︑加工品目に輸出の比重を転換しつLあったイギリス鉄鋼業の位落は必ずしもそれほどの急落を一万さなかったけれども︑単に生産量においてだけでなく︑
輸出量においても一九一O年以降ドイツにその地位を奪われたということは︑鉄鋼輸出国のうちでとりわけ輸出依存
度の大きなイギリス鉄鋼業にとっての脅威であったといわなければならない︒しかし︑イギリス鉄鋼業にとって重一大
な問題は︑単にその愉同市場がドイツその他の輸出拡張によって浸食されつtAあっただけでなく︑この時期において
主要輸出国の鉄鋼輸入が殆んど無視しうるほどになったのに対して︑イギリスの鉄鋼輸入量が倍増したことである︒
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両大戦聞におけるイギPヌ鉄鋼業の独占(上)
そ の 輸 入 の 大 宗 は も ち ろ ん 半 成 品 鋼 材 で あ っ た が
︑ 半 成 品 輸 入 に 対 す る 依 存 が イ ギ リ ス 鉄 鋼 業 の 構 造 的 特 質 の 一 面 を 形 成 し て き た こ と に 注 目 す る 必 要 が あ る
︒ こ の よ う に 輸 入 の 増 大
と︑生産︑および輪出における相対的地位の低落は︑
一九 世紀 末以来の相対的な没落に拍車をかけるものであるが︑
また反
面において︑さきに述べたように︑
この時期は︑絶対量にお いては安定的な発展の道をたどり︑
イギリス鉄鋼業にとって 必 ず し も 暗 い 時 代 で は な か ヲ た
︒ 第 一 次 大 戦 直 前 に 至 る 二 十 世 紀 初 期 の イ ギ リ ス 鉄 鋼 業 の 歴 史 に は 自 由 貿 易 主 義 者 を も
︑ ま た 保 護 関 税 主 義 を も 満 足 せ し め る も の が あ っ た と い わ
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れるのも︑このご面的な様相によるものである︒
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期間のそれに比敵する︒しかし︑鋼の世界総輸出量はこの期間に
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心万トシそ確保したにすぎない︒これはアメp
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両大戦聞におけるイギPス鉄鋼業の独占(上)
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ヌの鉄鋼輸出増大の四
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を占めた︒これに反して京鋼品の輸出増大ば極めて僅かしか増大をせず︑軌条の斡出はむしろ減少し
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出においても︑両国はイギFスに追いつき︑生産物の多様性からみるならば︑イギりスよりも広明凡な市場そ掌握するに至った︒
右のような第一次大戦直前に至るイギリス鉄鋼業の状態に対して第一次大戦はどのような影響を及ぼしたであろう か︒まず大戦は欧洲諸国との競争を消滅させ︑
一時的に市場問題を解消させただけでなく︑価格統制によって利潤が 保証され︑有利な貸付・特別補助金・課税における優遇措置などの政府の金融的援助によって投資資金の蓄積を可能 ならしめた︒さらに大戦直後における一般産業の大戦によって中断された設備投資のギャップを埋めようとする投資 ラッシュの出現は︑鉄鋼の需要を増大し︑
いわゆる戦後ヅi
ムを形成した︒しかも種々の保証を条件とした戦時要請 による設備拡張には︑戦後の市場を考慮してどちらかといえば消極的でであったイギリス鉄鋼業も︑戦後ブ
1ム期に
おいては需要の増大を楽観し︑積極的に拡張に乗り出したのである︒
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一方において一九二
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年後期迄は鉄鋼株は
第2表
1914年1月 1921年1月 1925年1月
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利潤の資本化形態であるボーナス株の発行によって︑この間の新資本の蓄積を推察する
ことができるのである︒たえば一二鉄鋼会社ハ切開E
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および統制解除後業界によって実質的に継続示すものといえよう︒そして先に述べた戦時からの課税上の優遇措置︑
された価格統制が︑鉄鋼業にこの巨大な利潤を保証したことは明かなところであろう︒しかし同時に︑この急激な資
本の増大が巨大な利潤の反映であるとしても︑この過程において大鉄鋼会社があまりにも過大資本化
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︼印刷己目
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しすぎたことも明白であって︑後における鉄鋼業の危機を探刻化せしめる要因となっている点が注目され
前大 戦問 にお ける イギ Pヌ 鉄鋼 業の 独占 (上 )
両大戦間におけるイギPス鉄鋼業の独占(上)
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さらに課税上の優遇措置としては︑超過利得税(肘同
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まず減価償却において特別の考慮がなされ︑鉄鋼会社の新設工場につき一二年聞にわたって五七%という高率の償却が認められ︑
さらに標準利︑潤として︑一般産業の六%に対して︑鉄鋼業については旧資本に対し八
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られたのである︒
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戦後の鉄鋼市場について︑イギPスの鉄鋼資本家は︑二十世紀に入って以来の脅威であったドイツの競争力は︑ロ1レy
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の衷失によって弱まるであろうと楽観視した︒彼らは﹁近い将来考慮しなければならないのはドイツよりもむしろプラ
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Tあろうという甘い期待をもたしめたことも否定できない︒
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ム期の急激な拡張にも拘らず︑戦前からのイ ギリス鉄鋼業の構造には真の改造がもたらされなかったということであーる︒この期聞における合同化あるいはカルテ ノ レ
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および.その性格については後に述べるとして︑
ここでは立地および技術の問題について簡単にふれておこう︒
まず立地問題についてみるならば︑戦時中ある程度スコットランドおよびミドランドに新建設が集中され︑
それが
スコットランドにおける造船用鋼材︑ミドランドにおける高級兵器用鋼材の需要増大に対応したことは事実であった が︑両地区とも立地的には拘らずしも妥当ではなかった︒しかも右の事例を除いては︑戦時および戦後プlム期の拡張
は︑立地上の戦前における基本的な性格に殆んど変化をもたらさなかったといって差支えない︒イギリス鉄鋼業の立
地構造が新し世紀の鉄鋼業にとって好ましいものでなく︑そこにイギリス鉄鋼業の構造的飲陥の一つがあることは︑
ことに戦前から指適されていたことであって︑巨大な利潤とそれ左背景とする急激な資本の増大にも拘らず︑
この時
期の拡張がいわゆる﹁つぎはぎの設備拡張﹂にすぎなかったことを示すものである︒いなむしろ︑生産の分散を結果
し︑現状維持よりむしろ後退をもたらした点すら指摘されるのである︒しかし︑立地問題に関する右の事実もつぎの
点を考えるならば当然の結果であったともいえよう︒即ち政府によって設立された統制機関は︑戦前における主要生
産地の鉄鋼資本家の代表によって構成されていたのであって︑したがって︑この統制機関が立地問題について︑彼ら
(6
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の利害を無視し︑現状を打破するごとき変革を推進しえないことは明かであった︒
つぎに︑戦時および大戦直後の建設が技術上なんらの改善をもたらさなかったわけではない︒一般的能率がある程
度上昇し︑新しい近代的な設備が新設されたことは事実である︒とくに平炉製鋼および重鋼圧廷の部門においては顕
著な進歩がみられ︑たとえば平炉の平均生産能力は一九一一二年から一九二三年の聞に一ヒlト当り四
0
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トン に上 昇し
︑ 圧延においても高性能の八万塊圧延機が導入され︑
さらに厚板圧延においても三重万能圧延機が導入さ
れた︒これらの技術改良はドイツおよび欧洲大陸諸国の技術水準に比敵するものであったといわれる︒しかじ︑
この
ような技術改良もやはり﹁つぎはぎの設備拡張﹂の性格をぬぐいえず︑各生産段階間および各生産部門聞の進歩は極
めて不均衡であって︑平均的な技術水準においてドイツなどに遠く及びえなかったのである︒とくに高炉の陳腐化︑
両大 戦問 にお ける イギ
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鉄鋼 業の 独占 (上 )
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両大戦間におけるイギリス鉄鋼業の独占(上)
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勲一経済の鯵附︑装事輸送・冷却などの機械設備の不備等において著しい遅れを示していり﹀またこの点は立地問題に も関連するが︑近代的な鉄鋼業を代表する一貫綜合工場の建設は︑
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なかったのであって︑技術的なインテグレーションの程度にはほとんど進歩がみられなかったのである︒
右のように︑立地的にも︑技術的にも︑戦時および大戦直後の枯張期において︑
イギリス鉄鋼業は極めて部分的な
改良を実施しえただけで︑
その戦前からの構造的扶陥はほとんどそのま
L温存されたといわなければならない︒しか
もすでに述べたように過大資本化という新しい圧迫在背負って︒
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技術的な後進性のうちでもとくに顕著なのは熱経済上の紋陥であった︒この飲陥は戦前と同様にすべての段階にみられた︒た
えば︑新しく建設されたコークス炉のうちガスをもっとも効率的ヒ使用する再生型のものは半分以下にすぎなかったし︑多くの高炉においては発生ガメは大部分捨てられ︑平炉においても浴銑利用率が相対的に低く︑また圧延においても電動機のかわりに
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イ ギ リ ス 鉄 鋼 業 の 衰 退 過 程
た︒もちろん衰退の過程といっても︑
以上のごとき戦後プ
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年には終りをつげ︑同年末以降イギリス鉄鋼業ば哀退の時代を遡えるに至つ 一般的危機のなかにおける景気の披動によヮて浮枕があることはいうまでもな いが︑単に世界鉄鋼業における相対的比重が傾向的に低下しただけでなく︑絶対的にも大戦前にみられたごとき発展
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第3表
南太戦問におけるイギFス鉄鋼業の独占(上) 的傾向が存在しなくなったことこそ︑
イ ギ リ ス 鉄 鋼 業 の 危 機 が 問 題 と さ れ る 所 以 で あ る
︒ こ の 過 程 を 若
干の指標によって枚証してみよう︒
ま ず 鉄 鋼 生 産 量 に つ い て み る と
︑ 最 初 の 戦 後 恐 慌
そ迎えた一九一一一年︑
お よ び ゼ ネ ス ト に よ っ て 甚 大
な影響を﹀つけた一九二六年を別としても︑第3表の
一亦すごとく︑銑鉄においては︑ま︑宇一九二四
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二五 年 に そ の 生 産 量 は 一 九 一 三 年 の そ れ よ り 三 分 の 一 も 減 少 し
︑ ぞ れ 以 降 に お い て も そ の ト レ シ ド は 静 態 的
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因はもっと深いところにあるといわなければならない︒ちなみに一九二九年には︑アメリカの生産量は一九一一ニ年のそ
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このように一九二
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年代の前半におい4てだけでなく︑世界の鉄鋼生産量が大幅に上昇した相対的安定期においですら発展的傾向を示さなかった点がとくに
注目されるのである︒二十世紀初期にドイツにその地位を奪われたイギリス鉄鋼業は︑この時期にアルザス・ロ1レ
ンを獲得したフランスにも追抜かれる運命となり︑世界総生産量に占める比重は︑銑鉄において一九一一ニ年の二ニ・
二%から一九二九年の七・入%へ︑鋼鉄に・おいて一九一三年の一
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から八・三%へと低落するに至った︒しかもすでに述べたように戦時および戦後プlム期に増大した生産カと︑右に示した実際の生産量とのギャップを考える
イギリス鉄鋼業の苦悩が如何に深刻であったかをうかがうことができるのである︒
とき
︑
こbえ ︑ つぎに生産量の停退を需要面から分析してみると︑まず国内市場においては︑すでに一九二四年において戦前水準を
一九二九年においても欧洲大陸国以上の上昇を示している︒したがって問題ほ輸出市場であるが︑第4表に明
かなごとく︑すでにJ一九二五年には︑欧洲大陸諸国の輸出量は総体として︑
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︑
イギリスの輸出量はピークの一九二九年に至っても︑ 一九一一二年の水準を超過しているのに対
一九一一ニ年の水準に達することができなかった︒その市
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長︑および欧洲大陸諸国の競争によって︑ ますます帝国市場の比重を増大していったのであるが︑その帝国市場においても園内鉄鋼業の成
イギリス鉄鋼業の地盤は脅威をうけざるをえなくなったのである︒輸出品
目構成において︑戦前すでにみられたブリキ︑亜鉛鍍金鋼板等の薄板および厚板︑銅菅などの比較的高級最終製品の
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両大戦問におけるイギリス鉄鋼業の独占(上)
(D. L. Barn ;。ρcit.,p.393より〉
(1) ノレクセンプノレグおよびザーノレを含む。
(2) /レクセンプルグを除く。
(3) 1925年以降ザ,̲Ji./を含む。
重の増大が決定的となり︑輸出量の減少そ輸出価額によ って若干の埋合せをすることができたが︑
しかし電鋼材 の輸出量の減少を埋合せるだけの増大は輸出価額におい ても獲得しることはできなかった︒そじて輸出において
一九二五
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二六年以降フランスだけでなく︑大戦に よ っ て あ れ ほ ど 打 撃 を う け た ド イ ツ お よ び ベ ル ギ ー に
も︑その後産を拝する地位におもいったのである︒ も
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カの進出も同様である︒)
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925 i 560. 01 234. f引 713.引 511.4! 207. 6 1926 1 313.2! 177. iっ 656.創 375.() 164. 3 1927 330. 9! 320.耐 772.8! 472.01 428.6
928 1 454. 81 296.η718.01 532. 41 393. 6 1929 1 545.21 319
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1921 1,640 5141 1922 881 ,18281 500 1924 2,429 1.2601 560 1927 4.406
1929 2,822 1,4381 9781 1931 2,852 4721
(D. L. Burn ; OT. cit. • P. 394より)
(1) 1913年は戦前の領土による数字己ある。
さらに︑輸出の件退にみられたイギリス鉄鋼業の衰退は︑ノ国内市場への 欧洲大陸諸国の浸食と
γ
っ一層明瞭なかたちで検証することができる︒す なわち鉄鋼輸入量の増大である︒第
5表がその数字を示すが︑一九二七年
の急激な上昇は一九二六年のゼネストの反映として除外するとしても︑す でに一九二四年に戦前の輸入量を超過し︑ぞれ以後増加の傾向を示してい る︒そして一九二四年には戦前と同様に欧洲大陸諸国の輸入総量を超過す るに至っているのである︒その超過の程度が戦前以下であるのは︑
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ては国内取引であったのが︑戦後は国際貿易となった結果にすぎないので 九二入年二入九・六万トソ﹀欧洲大陸諸国の輸出が他の市場に吸収されたからにほかならないのであって︑そのことは
海外市場でのイギリス鉄鋼業への圧力となるものであることはいうまでもない︒輸入のうち︑戦前と同様に半成品鋼材 が全体の半分を占め︑棒鋼および形鋼は大幅な増大を示している︒また輸入の大部分が欧洲大陸諸国からのものであ ることはいうまでもないが︑とくにベルギーの進出が著しい︒半成品の輸入︑完成品の輸出というすでに戦前におい てみられたイギリス鉄鋼業の構造於衰退過程において決定的となったとみるべきであろ勺
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以上のごときイギリス鉄鋼業の表退は︑企業にとってば価格の低落︑財務状態の悪化︑労働者にとっては賃金切下 げ︑失業の増大となってあらわれざるをえない︒まず価格の低落を一不すならば︑第
6表のごとく︑鉄鋼の卸売物価指
数は大戦直後のブ
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ム期には一般卸交物価指数を上廻ったが︑以後の衰退過程においては一般卸莞拘価指数よりも下 廻って急激な低下定示している︒これはもちろん︑資本財としての鉄鋼価格の性絡とも闘運して読みとられなければ ならないであろう
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また財務状態については︑すでに戦後ブ
1ム期において過大資木作の傾向があり︑それが後に企業への圧迫となっ