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Vol.67 , No.2(2019)079辛嶋 静志「アジタと弥勒―大衆部が初期大乗仏典を作ったことのさらなる証拠:兼ねてカナガナハッリ大塔の帰属部派を推定する―」

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アジタと弥勒

―大衆部が初期大乗仏典を作ったことのさらなる証拠:

兼ねてカナガナハッリ大塔の帰属部派を推定する―

辛 嶋 静 志

はじめに

「弥勒」という音写語は,後漢の支婁迦讖 (170–190年頃に翻訳に従事)の漢訳に

初めて現れる.仏教梵語Maitreyaやパーリ語Metteyaと異なり,「弥勒」(mjiei

[mjiei:] lǝk)は軟口蓋音 /k/ で終わっている.紀元二世的に るクシャン朝の青銅 コインには,表にカニシカ一世の像が描かれ,裏面にバクトリア語でMetrago Boudoと書かれているものがある.「弥勒」という音写は,この *Metragaと一致 する─古訳・旧訳の音写語では,最後の母音が音写されない. おそらく,バクトリア語 *Metragaは,梵語化されてMaitraka,一方で,ガン ダーラ語化されてMetreya, Metreaとなったと推定される.これらのガンダーラ 語形から,BHS Maitreya, Pā Metteyaが作られた.後二者は,この菩 名の原形で はなく,後の時代の語形である. さて,すでに二十数年前に指摘したように,パーリ《長部経典・転輪聖王師子 吼経》(Cakkavatti-Sīhananda-suttanta, no. 26)とそれに対応する法蔵部の『長阿含経・転 輪聖王修行経』 (T. 1, no. 1, 41c29f.)には,仏がMetteya/弥勒に未来成仏の記別を与え る記述がある.しかし,これらと対応する有部の『中阿含経・転輪聖王経』(T. 1, no. 26)にはこの記述がない.筆者は,後者が本来の形であると考えている.全 パーリ聖典(ニカーヤ)の中で,弥勒は《長部経典》のこの部分に一度出るだけ である.従って,Metteya/Maitreya信仰が初期仏教から存在したとは考えがたい. おそらく,弥勒は古くからバクトリアあるいはガンダーラで信仰されていた.そ して聖典が形成されて随分時間が経った後に,誰かが弥勒成仏の話を上述の経典 に挿入したと考えられる. *Metragaあ る い はMaitreyaの 本 来 の 意 味 は 分 か ら な い. ま た ヴ ェ ー ダ 語 Mitra,アヴェスター語Mithraとの関係もはっきりしない.おそらくバクトリア あるいはガンダーラで古くから崇拝されていた神か英雄が,ある時点で仏典に取

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り込まれたものであろう.

さて,周知のように,いくつかの経典では,Maitreya (Pā. Metteya)はAjitaとも 呼ばれている.この二者の関係に関して,部派によって見解が異なることが分 かった.

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.南方上座部:

Ajita

Metteya

南方上座部のパーリ聖典,例えばSuttanipāta, 第814–823偈,第1006–1042偈,

Theragāthā第20偈では,Ajitaと(Tissa)-Metteyaは,もともと婆羅門で後に釈尊の 弟子になった二人の異なる人物である.伝承によれば,彼らは二人とも阿羅漢果 を得て,輪 を離れたとあり,未来世に再生することは不可能である.従って, 上述の《長部経典・転輪聖王師子吼経》では,この二人と,未来仏Metteya・未 来王Saṅkhaとは関係付けられていない. 2

.大衆(出世間)部:

Ajita

Maitreya 大衆部出世間部の律典《マハーヴァストゥ》(Mv; Senart校訂本)では,両者は同 一人物である. (a) Mv I 51.6f. 「(私は)このアジタ菩 が,私の死後,この世界で,名はアジタ,姓はマイ トレーヤという仏になると予言した」 (b) Mv III 246.13–16.「婆羅門出身のアジタは,未来にこの世でマイトレーヤとなるであろう」 《マハーヴァストゥ》では,アジタ菩 は,未来に,名はアジタ,姓はマイト レーヤの仏になると予言されている. 3

.正量部:

Ajita

Maitreya 正量部の論書,『三弥底部論』(T. 32, no. 1649)には次の様にある: (c) 466c7–10. 云何未来説……如仏語弥勒: 阿逸多!汝後成仏時,名曰慈氏. 是名未来説. 名はアジタで姓はマイトレーヤの同一人物であることはあきらかである. 同じく正量部のものと推定されるKarmavibhaṅga (ed. N. Kudō, Tokyo 2004),56.9–

16には,次の文がある:

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ジタよ.サンガを去ろうという大それた考えを抑えなさい.なぜならこう言われてい るからだ:     トソツ天宮に住むマイトレーヤは,天界でもここ地上でも崇拝を受くべし.     この幸福な者は,すぐに十力の保持者(仏)になって,月のように世間の人々から 常に敬われる.』と」 アジタは,「アジタ菩 」(上に引いた『マハーヴァストゥ』の文[a]と同じ)と呼 ばれ,「トソツ天宮に住むマイトレーヤが仏となる」という予言で,仏から励ま されている.この表現は,上の『三弥底部論』同様,アジタ菩 がマイトレーヤ 仏になることを示している. 4

.説一切有部:

Ajita

Maitreya 説一切有部の正統的論書である衆賢(5世紀?)の『順正理論』(T. 29, no. 1562)は, アジタとマイトレーヤが同一人物とみる記述─上の(a),(b),(c)の内容と 一致する─を,別の部派の経典の文として引いている: (e) 330b2–6. 雖有衆経諸部同誦,然其名句互有差別.謂有経説: 汝阿氏多!於当来世成等 正覚. 非黒非白.非黒非白異熟業 等.無量名句諸部不同.是故,不応由義宗異,阿 毘達磨便非仏説.阿毘達磨定是仏説. 漢訳『中阿含経』 (T. 1, no. 26)は,有部の阿含である.この経典のNo. 66『説本 経』に,仏弟子アジタと弥勒が出るが,彼らはパーリ聖典同様,二人の別人物で ある.仏は二人にそれぞれ記別を与える.すなわち,アジタは未来にシャンカ王 となり,弥勒は未来に弥勒仏になるという(509c29–511a29)─この点はパーリ 聖典と異なる. アジタとマイトレーヤに関するこの一段は,説一切有部の論書で引用されてい る.例えば,この部派の教理の集大成である《阿毘達磨大毘婆沙論》(2世紀頃) の玄奘訳(T. 27, no. 1545)に「如説: 慈氏!汝於来世,当得作仏 」(893c1)で始 まる一段には,上述の《説本経》を引かれ,アジタがŚaṅkha王になり,弥勒が 弥勒仏になることが述べられている(893c17–894a11). さらにシャマタデーヴァ(5世紀)のAbhidharmakośopāyikā nāma Ṭīkā(蔵訳のみ 残る)にも,《説本経》の弥勒授記の部分が引かれている. 上述の《説本経》に基づく「弥勒よ!汝は仏になるであろう」は,有部のその 他の論書でもしばしば引用されている,例えば,迦旃延子(B.C. 1 c.?)作の『阿毘

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曇八犍度論』(T. 26, no. 1543, 899c10–12),その異訳『阿毘達磨発智論』(T. 26, no. 1544, 1018a14–17),世親の《倶舎論》(Pradhan本471.11f.)などである. 従って,有部の教理と伝統に従えば,Śaṅkha王になるアジタと弥勒仏になる マイトレーヤは別人物であることは明らかである.しかも,(e)で見たように, 有部は,二人を同一人物と見る経典を他の部派のものとして引用している. なお『賢愚経』(慧覚等訳;445年)第57話「波婆離」(Bāvarī)(T. 4, no. 202, 432b–436c) とトハラ語《弥勒会見記》の内容は,いずれも上述の《説本経》と一致してい る.前二者が有部の伝承のもとで作られたことは明らかである. 要するに,南方上座部と説一切有部の伝承では,アジタとマイトレーヤは別人 物であり,他方,大衆部と正量部の伝承によれば,今世でアジタという呼び名を もつマイトレーヤは,未来に弥勒仏になるはずである. 5

.カナガナハッリ

近年,南インドのカルナタカ州カナガナハッリ(Kanaganahalli)で,巨大な仏塔 跡とともに,紀元前一世紀から紀元後三世紀に作成された大量のレリーフ,彫 刻,碑文が発見された.過去六仏と釈尊の坐像だけではなく,未来仏の坐像も発 見された.それぞれの坐仏像の台座には碑文が書かれている.未来仏の台座には 次の様に書かれている:

(f)「成就あれ!一切世間の幸福と安寧のために Vākāḍhica家の居士Visāgha (Viśākha)とそ

の子(たちが)世尊・Ayita (アジタ)菩 (すなわち)未来仏(の雕像)を作らせ

た.」(Maiko Nakanishi and Oskar von Hinüber, Kanaganahalli Inscriptions, Tokyo 2014: 79

この碑文は,アジタが未来仏(未来の呼び名も同じアジタということを示しているの であろう)になると言っている.従って,カナガナハッリ大塔は南方上座部や説 一切有部に属したとは考えられず,大衆部か正量部あるいはそれ以外の部派のも のと考えられる. 大塔のレリーフの仏伝図が,Lalitavistaraとその漢訳である竺法護訳『普曜経』 (308年;T. 3, no. 186)と地婆訶羅訳『方広大荘厳経』(683年;T. 3, no. 187)とよく一 致している点が指摘されている.Lalitavistaraは,大衆部の僧侶が紀元150年頃に ガンダーラ地方で創作したものと考えられている. 筆者は,上記二点から,この大塔は,大衆部に属したと推定する. 注目すべきことは,未来仏がマイトレーヤとは呼ばれていないことである.上

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述のように,初期仏教では,まだ未来仏Metteya/Maitreya信仰がなく,本来バク トリアあるいはガンダーラで信仰されていた弥勒信仰が,ずっと後にインドの他 の地域まで拡がったと,筆者は推定しているが,この碑銘はこの推定を裏付る. ただし,未来仏アジタと未来仏マイトレーヤのどちらが先に成立したかは,さ らなる研究が必要である. 6

.《未来史》(

Anāgatavaṃsa

パーリ蔵外文献に,142偈からなる《未来史》(Anāgatavaṃsa)という短いテキス トがある.南インドのチョーラ出身のKassapaが1200年頃,創作したと言われ ている.このテキストは,未来仏Metteyaについて詳しく述べたものである.こ のテキストでは,上で見た大衆部・正量部文献同様,アジタとMetteyaは同一人 物として描かれている. 第1–3偈で,Sāriputta(舎利弗)が世尊に,次の仏に誰がなるかと尋ねる.第4 偈からが,世尊の回答である.第4–5偈にはこうある: (g)「誰もアジタの数多くのそして名高い福徳の集積を詳しく説くことは全くできない.そ の一端のみを説こう.舎利弗よ,聴きなさい.(4) この賢劫において,一千万年後の未来,Metteyaという名前の仏,最高の人が(現れる だろう).」(5) 第6偈からMetteya仏の伝記と世界が詳しく説かれている.第10, 14, 30, 72, 96 偈にSaṅkha (= Śaṅkha)王が登場するが,アジタとは全く関係付けられていない. そして,第43, 47偈で,アジタとMetteyaとが同一人物であることが明瞭に説 かれている. (h)「アジタという呼び名でMetteyyaという姓の最高の人は,(八十種の)特徴をすべて具 え,三十二の瑞相を持つ」(43) 「アジタの(背の)高・中・低の侍女たちは,肢体が完璧で,あらゆる飾りで飾られ ている.」(47) このように,《未来史》ではアジタとMetteyaが同一人物として描かれている. これは,南方上座部の考えとは異なり,大衆部・正量部の見解と一致する. 南方上座部の中にも,大乗仏教を取り込んだ人々がいた.玄奘は『大唐西域 記』(646年)の中で,「スリランカには,大乗上座部の法に従う数百の僧院と二万

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人余りの僧侶がいる.」と書いているが(T. 51, no. 2087, 934a14f.),「大乗上座部」と は,上座部の教理(小乗)と大乗とを兼学していた無畏山派のことと考えられる. 《未来史》は大衆部同様,アジタとMetteyaを同一人物と見なしている.《未来史》 は,大衆部の僧が創作し,後にパーリ語に翻訳されたか,あるいは大衆部の Ajita=弥勒の思想の影響を受けた僧がパーリ語で創作したテキストと思われる. 7

.大乗経典

7.1. 《八千頌般若》 かつて筆者は,大衆部が初期大乗経典を創作したことを示す証拠を列挙した. 《八千頌般若》もそのような初期大乗経典の一つである.その《八千頌般若》 (Vaidya本,AS[V])で,マイトレーヤがアジタと呼びかけられている箇所がある: AS(V) 177.25–27「そこで,尊者舎利弗はマイトレーヤ菩 ・大士にこのように言った: 『尊者マイトレーヤ!長老スブーティはこう語りました: ここにマイトレーヤ菩 ・大士がおられる.彼がこの問題を解決するであろう.と.尊者アジタよ!この 問題を解決して下さい.』」 7.2. 《法華経》 初期大乗仏典である《法華経》(Kern-Nanjio本,KN)でも,マイトレーヤとアジ タは同一人物である.マイトレーヤ菩 は,アジタという呼び名で呼ばれる. 《法華経》の序品で,釈尊は深い三昧に入った後,眉間の白毫から光を放つ,この 光は東方の一万八千世界を照らす.マイトレーヤはこの奇跡を見て,文殊菩 に その理由を尋ねる.そこで文殊菩 は,この奇跡の理由を語る.この対話の中で, 文殊菩 はマイトレーヤに始終「アジタよ」と呼びかけている(KN 18.4–22.14). これ以外にも,仏がマイトレーヤに「アジタよ」と呼びかける文が,40箇所以 上見られる(KN 308.1–309.10, 327.3, 332.6–333.7, 337.3–340.7, 345.7–350.13).例えば: KN 308.1f. 「そこで,マイトレーヤ菩 ・大士に言った:『アジタよ.よいかな.よいかな. アジタよ.汝は私に重要なことを尋ねた.』」 KN 345.7f. 「そこで,マイトレーヤ菩 ・大士に言った:『アジタよ.良家の男あるいは良家 の女の誰かが……』」 マイトレーヤ菩 がアジタ菩 と置き換えられている箇所さえある. KN 347.13. 「このように言われて,マイトレーヤ菩 ・大士は,世尊に次の様に申し上げ た:『……』 このように言われて,世尊はアジタ菩 ・大士にこう仰った:『……』」

(7)

《法華経》の中でも比較的成立の遅い部分の作者がマイトレーヤとアジタを同 一人物と見なしていたことが分かる.

7.3. 《無量寿経》(AmitābhavyūhaLarger Sukhāvatīvyūha

支婁迦讖(170–190年頃に翻訳に従事)訳『大阿弥陀経』(T. 12, no. 362; 経録が支謙訳 とするのは誤り)に見える音写語は,この経典が本来ガンダーラ語で伝承されてい たことを示す.従って,この経典が一世紀初めまでには成立していたと考えられ る.興味深いことに,経典の前四分の三は,仏と阿難の対話の形をとり,後の四 分之一は仏とアジタとの対話になっている. 梵本でAjitaとあるところ,支婁迦讖訳と支謙訳ではすべて「阿逸」(Ajit(a)あ るいは Ayid(a))と音写されている.他方,仏陀跋陀羅・宝雲訳『無量寿経』では みな「弥勒」とあり,宋訳(No. 363)では「慈氏」(Maitreya)になっている.唐訳 (No. 310.5)の記述部分では「弥勒」,対話部分では「阿逸多」(Ajita)の呼称を使っ ている.これらの混乱は,この経典の作者・伝承者が,アジタとマイトレーヤを 同一人物と考えていたことを示す. 8

.結論: 大衆部と大乗経典

上の§§ 1–4で見たように,南方上座部と有部が,アジタとマイトレーヤは異な る二人の人間と見ているのに対して,大衆部と正量部は二人を同一人物と見てい る.筆者はすでに,大衆部の者たちが方等経 (vaitulya) を創出し,それが後に「大 乗経」と呼ばれるようになったことを論証した.正量部は犢子部から独立した一 派であるが,その犢子部は,方等経のなかで「我涅槃後,我諸弟子,受持如来十 二部経,讀誦書寫,皆説有我(ātmanあるいはpudgala),不説空相,猶如小兒(putra). 是故名為婆嗟富羅(Vātsīputrīya)」と 笑されている(T. 13, no. 397, 159a26–29).しか も《八千頌般若》,《法華経》,《三昧王経》などは,犢子部・正量部が主張する pudgala (個我)の概念を批判している.従って,初期大乗経典を創作したのは正 量部の者のはずがない. 上で見たように大衆部文献と初期大乗経典がどちらもアジタとマイトレーヤを 同一人物と見ていたことは,大衆部が初期大乗経典を創作したという有力な証拠 の一つとなる.なお,多くの大乗経典で,マイトレーヤが「アジタよ」ではなく 「マイトレーヤよ」と呼びかけられている例が見られるが ─例えば《維摩 経》,《ラリタヴィスタラ》および《八千頌般若》の大部分─,だからといっ てこれらが有部と関係あるということにはならない.

(8)

阿弥陀,阿閦仏,薬師仏など同時に存在する他方仏の概念と信仰は,大衆部の 教理において可能であったが,有部の伝統教理では認められないことであった. 未来仏弥勒とそれ以降に一人また一人と次々に出現する仏(例えば賢劫千仏)の存 在は,有部の教理と矛盾しない.従って,有部においては,弥勒仏に会うことを 求める弥勒信仰がポピュラーであったと考えられる─未来に弥勒仏と出会っ て,弥勒仏からその後の未来に仏になる受記をもらうことによってのみ,有部の 者も仏になる希望を持てたのである─.一方,大衆部と大乗仏教の信者たち は未来仏弥勒を信仰できるだけではなく,他方仏も信仰できたから,選択肢が多 かった.だから有部が優勢であったシルクロードの西域北道と有部が母胎であっ た瑜伽行派では弥勒信仰が盛んであった.有部の僧侶であった無著と世親兄弟 (四世紀)は,有部の阿毘達磨と大乗思想を融合して瑜伽行派を大成した.伝説によ れば,無著が兜率天で弥勒菩 の教えを受けたと言われ,また瑜伽行派の幾つか の論書は弥勒菩 の作とされている.この伝説にも有部と弥勒の緊密な関係が現 れている.この点に関して,法顕(337–422年)が404年にマトゥラーに到り,「摩 訶衍(mahāyana)人則供養般若波羅蜜・文殊師利・観世音等」(T. 51, no. 2085, 859b27f.) とその旅行記に書いているのは注目に値する.大乗信奉者の信仰対象の中に弥勒 がないのである.有部の信奉者が,成仏を願うならば,弥勒仏に会うことが唯一 の方法である.一方,多くの他方仏という選択肢があった大衆部と大乗の信者は, 弥勒仏に対してそれほど魅力を感じなかったのかも知れない. 〈記号・略号〉 *=文献には見えないが理論上推定された語形であることを示す.AS(V)=Aṣṭasāhasrikā

Prajñāpāramitā: With Haribhadra s Commentary Called Āloka, ed. P. L. Vaidya, Darbhanga: Mithilāvidyāpīṭhapradhāna, 1960. BHS=仏教梵語.SP(KN)=Saddharmapuṇḍarīka, ed. Hendrik Kern and Bunyiu Nanjio, St. Peterbourg: Académie Impériale des Sciences, 1908–1912 (Bibliotheca Buddhica X); rep. Tokyo: Meicho-Fukyū-kai, 1977. MvLe Mahâvastu, ed. Émile Senart, 3 vols., Paris: Imprimerie nationale 1882–1897. Pā=パーリ語.

(平成30年度,基盤研究(C)(一般)課題番号17K02219および16K02172の成果の一部)

〈キーワード〉 弥勒,アジタ,大衆部,カナガナハッリ,Anāgatavaṃsa,初期大乗経典

参照

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