博 士 ( 水 産 学 ) 小 倉 未 基
学 位 論 文 題 名
北 太 平 洋 の 沖 合 い 水 域 に お け る サ ケ 属 魚 類 の 回 帰 回 遊 行 動 学 位 論 文 内 容 の 要 旨
北 太 平 洋の 沖 合 い水 域 に 生息 す る7種 の サ ケ属 魚 類(Genus Oncorhynchus)は ,幼 魚 期を 多少とも淡水域で過ごした後,多くの個体は環境・餌料条件などの好適な海洋で成長し,再び産 卵のために母川へ回帰する。サケ属魚類はこの生態的特性によって淡水域だけでは期待できない 大きな成長を獲得し,海洋の豊富な生産カを持ち帰ることができる。現在,北太平洋沿岸各国で は人工ふ化放流事業が盛んに行われているが,成長した親魚の確実な漁獲には本種の持つ回帰性 は不可欠な要素であると言える。しかし,海洋における回帰回遊の実態にっいては直接的な情報 が欠けており,そのメカニズムにっいてもほとんど解明されていないのが現状である。また,サ ケ属魚類に対する沖獲り漁業が禁止された現在,沖合い水域は漁獲の場から成育の場として認識 される時代になり,北太平洋の環境収容カの解明の必要性が指摘されてきた。このための基本的 な知見として,水平・鉛直的ナょ生息範囲を把握することが重要となっている。本研究では,標識 放流と 超音波テ レメトリーによる2っの異なったスケールの調査から,回帰回遊時の遊泳生態を 明らかにすることを試みた。
北太平洋漁業国際委員会の調査活動として,1956年から1991年に北太平洋沖合い水域で414,08 5尾のサケ属魚類が標識放流され,このうち12,132尾が放流年度内に沿岸各地で再捕された。こ れらの成熟途上魚の再捕データを用いて,1917年までのデータから示されていたぺニザケ,シ口 ザケ,カラフトマス,ギンザケの主要系群の回帰回遊時の月別の沖合い分布情報を更新した。特 に近年の放流努カが中・西部北太平洋に多く投下されたことから,これらの海域における分布に 関する知見が充実し,これまでアムール河・北部サハリンとオホーツク海北部沿岸のシロザケの 分布域 と考えら れてい た西部北 太平洋 にも日本系シロザケが分布することが明らかになった。
日本系シロザケの分布域に関する知見の拡大と,ふ化放流による資源量増大の関連を検討する ため, 北太平洋 を5っの放流海域に分割して,アジア系シロザケの再捕率の変化を1956―1970年 と1971―1991年で比較した。日本での再捕率は,全ての海域からの放流魚に対して近年増大して いるのに対して,ロシアでの再捕率は多くの海域の放流魚で低下した。これらの再捕率の変化は,
標識死亡率・標識脱落率・沿岸での資源の利用率・標識の報告率の変化では説明がっかないと考
えられた。これに対して,日本系シロザケの資源量増大に基づく沖合い水域での混合割合の増大 とロシア系シ口ザケの混合割合の相対的低下は,再捕率の変化と合致していると考えられた。し たがって,これまで口シア系が主に分布′していた海域にも,資源量増大にともなって日本系シロ ザケが進出してきたものと推察された。
放流点と再捕点の陸地を回遊し最短コースから各魚種・系群毎に放流月別の平均回遊速度,最 大速度を計算した。多くの系群で季節が進むにっれ平均回遊速度は増大し,回帰回遊の後半にあ たると思われる6月以降に最も速くなった。回遊速度の計算は最短コ―スを基本としているため,
早い季節では母川以外の方向への移動や,同一海域での滞留のため回遊速度は低くなると考えら れた 。月 別の 平均 回遊 速度 は, 速い 時期 で 約50km/dayであり,多くの系 群における個体の最 大回 遊速 度は80km/day程度 であ った 。魚 が ほぼ直線的に昼夜休みなく遊 泳していると仮定す ると,1日に50〜80km移動するために0.58〜0. 93m/sの遊泳速度が必要と考えられた。これら の 遊 泳 速 度 は , 実 験 的 に 求 め ら れ て い た 持 続 遊 泳 速 度 か ら 考 え て 妥 当 な 値 で あ っ た 。 沖合い生活期のサケ属魚類のより詳細な遊泳行動を明らかにするために,超音波テレメトリー により23尾のサケ属魚類をのべ1,138時間にわたって追跡し,水平・鉛直遊泳行動データを収集 した。ペーリング海では,回帰回遊の後半と考え られるぺニザケ4尾,シロザ ケ2尾,カラフト マス3尾,さらに3尾のマスノスケ未成熟魚を追跡 した。北太平洋では,成熟途上魚ではあるが 回帰 回遊 の早 い段 階と考えられるシロザケ3尾,ギンザケ4尾,スチールヘッド・トラウト1尾 と , 未 成 熟 魚 と 考 え ら れ る ス チ ー ル ヘ ッ ド ・ ト ラ ウ ト 2尾 の 追 跡 を 行 っ た 。 回帰回遊後半のべニザケ,シロザケ,カラフトマスの平均遊泳速度は,0. 54〜0. 66m/s(0. 88〜 1. 17尾又長/s)であった。一方,回帰回遊の早い段階のシロザケ,ギンザケ、スチ―ルヘッド
・トラウトの平均遊泳速度は,0. 31〜0. 43m/s(0. 47〜0. 75尾又長/s)で,未成熟魚のマス ノスケとスチールヘッド・トラウトの平均遊泳速度はそれぞれ0. 34,0.33m/s(0. 49,0.56尾 又長/s)であった。 いずれの場合も遊泳速度の日周変化は見られなかった。回帰回遊の後半の 魚 で は 移動 方向 は一 定 に保 たれ てい たが ,そ れ以 外の 魚で は移 動方 向は 安定 し なか った 。 回帰回遊後半のサケ属魚類の遊泳速度は,標識データによる回遊速度からほぼ直線的に昼夜休 みなく遊泳していると仮定して計算された遊泳速度に近いものであった。また,実際の魚の遊泳 方向・速度変化から,これらの仮定が妥当であったことが確認された。一方,回帰回遊の早い段 階 の 成 熟 途 上 魚 の 遊 泳 行 動 は , 未 成 熟 魚 の 行 動 に 近 い こ と が 示 唆 さ れ た 。 沖合い水域でサケ属魚類6種は,50m以浅の表層 域を生息域としていることが示された。特に ぺニザケ,カラストマス,ギンザケ,スチールヘッド・トラウト(成熟途上・未成熟魚共)では,
追跡中のほぼ70%以上の時間10m以浅の極く表層を遊泳していた。シロザケは個体差が大きいも
のの,これらの魚種より深い層まで利用する傾向にあった。一方,マスノスケは主遊泳層が20ー 40mで,他の魚種と生息深度に顕著な差が見られた。また,いずれの魚種でも日周鉛直移動は見 られなかった。
10m以 上の連続 した遊 泳深度変化から鉛直移動速度を計算した。サケ属魚類6種の平均鉛直移 動速度 は0. 10〜0. 19m/sであった。ペニザケ以外の魚種では最大鉛直移動速度は0.75m/s以 下で,サケ属魚類(ま一般にゆっくりした速度で鉛直移動を行うことが示された。これに対し,ペ ニザケ3個体 で合計4回の 特異的な 潜行行 動(最大 潜行速 度2. 19m/s,最大 浮上速度1.32m/
s, 最 大 深 度240m)が 見 ら れ た が , こ れ ら の 行 動 の 動 機 は 不 明 で あ っ た 。 本研究では,サケ属魚類の回帰回遊時の分布に関する知見を更新するとともに,これまで間接 的な情報しか無かった遊泳生態を明らかにすることが出来た。しかし,得られた一連の情報は夏 季に限られたものであり,また,サケ属魚類にとって,沖合い生活期は成長の大部分を担う重要 ナ よ 時 期 で あ る こ と か ら , 今 後 も 充 実 し た 調 査 研 究 の 継 続 が 必 要 と 考 え ら れ た 。
学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査
教 授 教 授 助教授 助教授
島崎 山崎 小城 飯田
健二 文雄 春雄 浩二
サ ケ 属 魚類(Genus Oncorhynchus)は ,北太 平洋の外 洋域で 成長し, 産卵の めた母川 に回 帰する,亜寒帯海域における生物エネルギーの授受を促す生態的特徴を持つ魚類である。現在,
北太平洋沿岸各国は本属の人工ふ化放流を盛んに行っているが,親魚の漁獲には本属が持つ特徴 である回帰性が不可欠な要素である。しかし,海洋における回帰回遊の実態にっいては,直接的 な情報 が欠けて おり, そのメカ ニズム にっいて も殆ど解 明され ていナょ いのか現状である。
本研究は,回帰回遊時の遊泳生態を明らかにすることを目的として,35年にわたって行われて きた標識放流資料を基にして,外洋域における各系群の分布情報を整理し,また,詳細な遊泳行 動を明らかにするために,超音波テレメトリーによるサケ属の追跡調査を行って,回帰回遊時の 遊泳生態を明らかにすることを試みたもので,特記すべき点を要約すると次のように示し得る。
1956年から1991年まで,北太平洋において414,085尾のサケ属魚類が標識され,このうち12,13
2尾 が放流年 度内に 再捕された。この情報を用いて,サケ属各種の外洋における回帰回遊時の月 別分布情報を更新した。特に,近年の放流努カが中・西部太平洋に多く投下されたことから,こ れらの海域における分布に関する知見が充実し,日本系シ口ザケはふ化放流による資源量の増大 に伴っ て分布 領域が拡 大して, ロシア 系シロザケの分布域にも進出したものと推察している。
放流点と再捕点の陸地を回避した最短コースから,各魚種・系群毎に放流月別の平均回遊速度 および最大速度を計算した。多くの系群で季節が進むほど平均回遊速度は増大した。月別の平均 回遊速 度は, 速い時期で50km/日であり,最大回遊速度は80 km/日に達し,魚がほぼ直線的に昼 夜休み なく遊 泳してい ると仮定 すると ,0. 58〜0. 93m/秒の 遊泳速 度が必要と考えられた。
沖合生活期におけるサケ属魚類のより詳細ナょ遊泳行動を明らかにするために,超音波テレメト リーにより23尾のサケ属魚類をのべ1,138時間にわたって追跡し,水平・鉛直遊泳行動を解析し た。回帰回遊後半のぺニザケ,シロザケ,カラフトマスの平均遊泳速度は,0. 54〜0. 66m/秒(0. 88
〜1. 17尾又長/秒)であり,回帰回遊前半のシ口ザケ,ギンザケ,スチールヘッド・トラウトの 平均遊泳速度は,0. 31〜0. 43m/秒(0. 47〜0. 75尾又長/秒)で,未成魚のマスノスケ,スチー ルヘッド・トラウトのそれは0. 34,0.33m/秒(0.49,0.56尾又長/秒)であり,いずれの場合 も遊泳速度の日周変化は見れていない。また,回帰回遊後半の魚では,移動方向が一定であった が,それ以外では移動方向は不定であった。このように回帰回遊後半の本属の遊泳速度は,標識 放流による回遊速度からほぼ直線的に昼夜休みなく遊泳していると仮定して計算した遊泳速度に 近く,また,実際の魚の遊泳方向・速度変化から,これらの仮定が妥当であったことを確認した。
一方,回帰回遊前半の段階にある成熟途上魚の遊泳行動は,未成魚の行動に近いことが示唆され た。さ らに, サケ属魚類の遊泳層は,50m以浅の表層域を生息域としているが,マスノスケの遊 泳層は他魚種よりも深いこと,また,いずれの魚種も日周鉛直移動がみられないことを明らかに している。
以上の成果は,北太平洋におけるサケ属魚類の回帰回遊時の分布に関する知見を更新するにと どまらず,これまで間接的な情報よりなかった遊泳生態を明らかにしたものであり,生態学的研 究分野において重要な課題である水平的,鉛直的な利用空間を把握する基礎的知見を提供したも のとして,また,外洋域におけるサケ属の回帰に関するメカニズムを明らかにする上で,重要な 情報を与えるものとして高く評価される。よって主査・副査は本論文が博士(水産学)の学位請 求論文として相当の業績であると認定した。