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Academic year: 2021

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アリー・シェリーの日記は、「ワーズワースの『逍遥』を読んだ。彼は奴隷だ」 と、この作品を切り捨てている。多くに批評家はこれを、シェリーの言葉を代 弁したものと解釈している。しかしながらオニールは第 4 巻の「隠伿者」の言 葉、「愛、希望、そして称賛―これらは狂った空想のお気に入りの使いではな いか ?」という個所を論じながら、ここがキーツ、シェリーらに強い影響を与 えていることを指摘する。また、『アドネイアス』の初期の草稿ではワーズワー スが『逍遥』の主人公である行商人の姿をしてキーツを弔う列に現れるという 事実について触れている。 本書はオニールが 30 年前にシェリーについて書いた最初の論考を補完する 目的で書かれ、そこで論じられなかった作品、シェリーと他の詩人との関係、 新たなる解釈など、すべてを書き残しておきたいという著者の思いを伝える。 死の間際まで校正をしていたため、もし余裕があれば、もう少し読者にわかり やすい言い方に書き換えることができた箇所もあったかもしれない。また、モ ノグラフとしての構成も、一貫した主題を論証するという形にはなっていない。 しかし研究集成の編者としての経験も豊富なオニールは、シェリーの詩をめぐ るさまざまな評者の膨大な量の解釈や作家たち同士の引喩を的確に整理し、ま たしっかりとした脚注をつけており、感心する。それ以上に印象深いのは、詩 人同士の言葉の繊細なエコーを聞き分けて、その表現の微妙な陰影をつかんで ゆく姿勢である。そうした詩の読み方を、本書を読み返すことで学んでゆきた いと思う。 (徳島大学教授) 川朗子、川津雅江編著

『トランスアトランティック・エコロジー―ロマン主義を

語り直す』

(彩流社、2019年10月、A5判、320頁、本体3,500円) 大田垣 裕子 地球規模の環境問題が深刻化する今日、文学作品にその解決の伴を見出そう とする環境批評も多様な知的領域を融合しつつ益々盛んに行われている。本研 究書はこの状況を受けて新たに環大西洋的交流という視点を導入し、「トラン

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スアトランティック・エコロジー」という概念のもとに、エコロジーの源泉の ひとつであるイギリス・ロマン主義とアメリカのロマン主義(アメリカン・ル ネサンス)時代の環境文学・環境思想の影響関係・相互作用を考究し、現代の 自然保護運動、環境意識に通じる英米ロマン主義文学の現代的意義を再認識す ることを目的としている。川津雅江氏のはしがきではこれまでのエコクリティ シズムの流れがローレンス・ビュエルやスコット・スロヴィックの言に基づき 4 つの波に喩えられている。「第 1 の波」は原生自然の保全に重点をおいた従 来のエコクリティシズム、「第 2 の波」は環境の概念を自然的なものから社会 的なものまで拡張した環境正義の批評、「第 3 の波」は「場所」の感覚に注目 する新たな批評とエコ・コスモポリタニズムの批評、そして「第 4 の波」は環 境の物質性を重視するエコクリティシズムである。 環大西洋に注目する文学研究は近年急速に発展してきたが、環境思想の分野 ではまだまだ追究の余地が残されている。本書の新しさは個別研究から体系性 を導くことを目指す構成となっている点である。エコロジー思想発祥とみなさ れる英米ロマン主義の作家や思想を個別的に論じる一方で、トランスアトラン ティックな言語空間においてエコロジー思想が共有され、「自然が物語る主体」 としてとらえ直されていく様相が考察され、大西洋を横断する持続可能性の ヴィジョンへとつなげられる。 第 1 部「環大西洋の言語空間―自然・精神・歴史」では英米のロマン主義 的自然観を支える思想的背景が、自然・精神・歴史に関わる言語空間の環大西 洋的展開を ることによって明らかにされる。 第 1 章「「見えざる世界の証明」―スヴェーデンボリ、ブレイク、エマソン」 で鈴木雅之氏は 18 世紀後半から 19 世紀半ばにかけて、欧米で幅広く受容され たスウェーデンの神秘思想家エマヌエル・スヴェーデンボリがウィリアム・ブ レイクとラルフ・ウォルドー・エマソン双方に与えた影響を探り、三者が環大 西洋的エコロジーを根底で支える思想的・精神的支柱であり得たことを示す。 自然界と霊界との間を媒介し大地に生命と霊性を取り戻させる方法としてのス ヴェーデンボリ主義、とりわけその「照応の知」を共有することで、ブレイク とエマソンは個別的文化的ナショナリズムを超えて、環大西洋的エコロジーを 根底で支える思想的・方法論的発信源と成り得たことが論じられる。 第 2 章「「歴史」の解体―エマソンの自然像と環大西洋思想の文脈」で成田 雅彦氏はエマソンの自然観・歴史観の革新性を明らかにする。エマソンは理性

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の目を通せば自然の物質性は消え去って、「透明」となり、その背後の精神と いう「現実」だけが見えるようになると説く。歴史についても同じ論理で、そ の成立に関わる根源的な精神は自分のなかに存在しているのだから、時間の集 積や制度に囚われてはならないと言う。エマソンが唱えた人間の魂の手本とし ての自然観は、ヨーロッパの歴史という桎梏を破り、アメリカのみならず世界 各地で精神の独立を引き起こす触媒となったことが述べられる。 第 3 章「トランスアトランティックな 行とエコロジカルな再生―メル ヴィルの小説におけるアメリカ独立革命」において竹内勝徳氏はハーマン・メ ルヴィルの小説群におけるアメリカ独立戦争の位置づけを論じる。19 世紀半 ばには、独立戦争を題材とした歴史書が多く発行され、同時代の領土拡大やメ キシコ戦争を正当化するナショナル・ナラティヴも見られた。メルヴィルの 『ビリー・バッド』(1924)や『イズラエル・ポター』(1855)では、そうしたナ ショナル・ナラティヴに接しながらもその裏側へ抜け出て、イギリス対大西洋 沿岸諸国というトランスアトランティックな枠組みで革命世界が描かれる。「イ ンサイド・ナラティヴ」と呼ばれるこうした物語における時空の超越やそれに よって可能となる人と自然のエコロジカルな関係の重要性が語られる。 第 2 部「物語る自然のトランスアトランティックな共鳴」では、上述のエコ クリティシズム「第 4 の波」として紹介された自然の物質性、能動的作用者性 に注目する環境批評の最先端の知見を英米ロマン主義文学にあてはめ、その現 代性が示される 第 4 章「ミルトン、コウルリッジ、ソロー―レテの川から難破の浜辺へ」 で伊藤詔子氏はヘンリー・デイヴィッド・ソローの自然観に特筆すべき影響を 与えた S. T. コールリッジと彼の野生の思考生成に決定的契機を与えたジョン・ ミルトンに着目して、両詩人からの影響の両義性を考察する。さらにソローの 旅行記『ケープ・コッド』(1865)の難破の浜辺の場面で人間と非人間が区別な く一体として描かれる点が現代のマテリアル・エコクリティシズムのいうメッ シュとしての身体性に通ずると指摘し、レテの川である大西洋を渡ったロマン 派の詩学の変容の過程を論じる。 第 5 章「ワーズワスからソローへ―「躍動する物質」のロマン主義的系譜」 で小口一郎氏はマテリアル・エコクリティシズムの潮流から誕生してきた自然 を「能動的作用者」と見る近年の新しい批評的観点から英米ロマン主義、特に ワーズワスとソローの作品を見直す。自然詩人として知られるワーズワスは生

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命体論的な自然観・物質観をもっていたが、それは 18 世紀以来の唯物論思考 のなかに位置づけられる。一方、イギリス・ロマン主義から約半世紀隔たり、 エマソンの超絶主義からも距離を取ったソローもまた、自然の能動性や物質性 について鋭い意識をもち、紀行文学として作品化し能動的作用者としての事物 の在り方を先駆的に提起していることが示される。 近年、大西洋を越えてジョン・クレアとソローの詩想の共振性に関心が向け られているが、第 6 章「破局のエコノミー―クレアとソローの自然史」で金 津和美氏はクレアの「ヘルプストンの自然史」とソローの『ケープ・コッド』 において両作家がいかに人間中心的な自然観から自由になり、人とモノとの 境界を越えた自然観を目指したのか、また自然のなかに必然としてある破局 という現実と向き合い、それを語るためにどのような詩的言語を求めていっ たのかを探る。これらの自然史的作品の考察を通して、生命の物質性とその 破局の運命を見つめる眼差しがロマン主義のエコロジーの内奥にあることを 確認する。 第 7 章「メルヴィルとマテリアル・エコクリティシズム―トランスアトラ ンティックに捉えるその創造性」では藤江啓子氏がメルヴィルのマテリアル・ エコクリティシズムを創造性という観点から論じる。メルヴィルの作品におい ては 19 世紀の宇宙の中心であった神、人間、自然の三位一体に代わり、すべ てを水平化する「路上の神」の物質的自然環境の生命力や蘇生力/創造力が称 えられ、それは文学的想像力/創造力と重ねられる。本章では彼の諸作品に描 かれるサンゴ、樹液、腐植土にその例が見られることを論じ、さらに春のもつ 創造性をチョーサーや T. S. エリオット等と引き比べてその創造性と不毛につ いて考察する。 第 3 部「自然と人の持続可能な関係性に向けて」は、持続可能な社会を築く ためにいかに自然資源を利用、あるいは保全していくかという問いの答えを英 米ロマン主義文学に探る。 第 8 章「環大西洋の田園共和主義と北方の原野―ウルストンクラフトの環 境意識」で川津氏はグローバルな視点をもった最初期のエコロジストとしての メアリ・ウルストンクラフトに注目する。『北欧からの手紙』(1796)において、 ウルストンクラフトがいかにルソー的田園共和主義のアメリカ版を共有しつつ もそれに修正を加え、グローバルな規模の食糧難、食料供給、環境破壊など、 未だ解決がなされていない問題に取り組んだのかを明らかにする。作家はノル

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ウェーの木こりの家を通して、未開の原野と開墾地の共存、人間と自然のエコ ロジカルな共存こそが持続可能な社会の発展のあり方であると暗示した。 再度、メルヴィルに目が向けられる。『白鯨』(1851)に対するこれまでの多く の解釈は、エイハブ船長の白鯨への復讐譚に対する象徴的読解に終始してきた。 作中での捕鯨業の詳細な記述も脱線として顧みられないことが多い。第 9 章 「鯨のエコロジー―『白鯨』のテクノロジーとエコノミー」では、植月惠一郎 氏が後景化されることが多かったクジラに関する蘊蓄を前景化し、エコロジカ ルな視点から『白鯨』を考察する。さらにこの作品が、海洋資源はもとより捕 鯨船員の犠牲の上に製品化された蝋燭、鯨油などを無駄にしないで大切に使っ て欲しいと願う、「人間と自然の関係についての最良の書」として読める可能 性を追求する。 イギリス湖水地方という一地域の風景美を「国民的財産」であるとするワー ズワスの考え方が、アメリカの国立公園やイギリスのナショナル・トラストの 基本理念に影響を与えていることは、しばしば指摘される。第 10 章「楽しむ 心を持つすべての人に―風景観光・歩行の詩学・自然保護」で 川朗子氏は 18 世紀後半から 19 世紀初頭、大西洋両岸の景勝地保護が互いに影響しながら 発展した過程を る。自然破壊の脅威になりうる自動車の普及が、逆説的にア メリカにおいて国立公園の人気を高めた。イギリスにおいても、ワーズワスが 反対した鉄道敷設、そして自動車の大衆化が散策ブームを作り出し、ロマン主 義的な歩行の詩学の再評価をもたらしたことを論じる。 エコクリティシズム理論の最先端をいくスロヴィック氏によるコーダ「経験 主義・情報・環境人文学」(訳・大野美砂氏)が本書を締め括る。彼はエコクリ ティシズムの分野における最新の動向に関する情報を求めながら地球を飛び回 り、自ら観察することで情報を収集し、ストーリーの形式で思考し、伝達する。 このように情報を重視するところが第 4 の波の主要な傾向という。21 世紀の 文学、写真、デジタル合成を含む文化表現のさまざまな形態が、いかにして情 報過剰による心理的麻痺を取り除き、受け手が情報の意味の感覚を取り戻すか を検討している。人々が感じないままになっている環境破壊の脅威が想像力に よって伝えられる。彼は固有の「測定不可能性」をもつ個々のナラティブの有 効性を主張する。それはつまり、情報に関心と感情を込めるということなのだ。 ロマン主義から 20 世紀初頭まで環境思想の環大西洋的展開を る本書はま さに英米のロマン主義作品が伝えるストーリーを新しい視点で語り直すもので

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ある。エコクリティシズム「第 4 の波」で説かれる物質重視の一元論的な世界 観は、すべてのものが網目状につながり相互に作用する、上下の分け隔てのな い物の捉え方を醸成する。そして工業、農林水産業、輸送手段、様々な分野で の科学技術の発展に乗じて、一部の強者が自然資源や弱者を搾取して富を蓄積 してきたことへの批判を、個別具体性を備えたそれぞれのストーリーに読み取 ることを可能にしてくれる。それを起点として情報環境も含めた多様な資源へ の公平なアクセス権の重要性、地球規模で複雑化する環境と人との今後のある べき関係性を探求する際の貴重な指針を与えてくれるものである。 (兵庫県立大学教授)

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