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温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について ─「夢」への執着 ─

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温庭?「春江花月夜詞」の情景表現について ─「夢

」への執着 ─

著者

鈴木 政光

雑誌名

集刊東洋学

119

ページ

1-20

発行年

2018-06-29

URL

http://hdl.handle.net/10097/00129943

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1 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木)

温庭筠﹁春江花月夜詞﹂の情景表現について

││

﹁夢﹂への執着

││

一   はじめに 温庭筠、旧名岐、字飛卿︵八〇一頃∼八六六︶は、文学 史上では、宋代で盛行を極める﹁詞﹂の開拓者として名を 知られるが、詩人としても李商隠︵八一二∼八五八︶や杜 牧︵八〇三∼八五二︶とともに、晩唐前期を代表する一人 である。温庭筠の好んで扱う詩の主題として、村上哲見氏 は、歴史的な故事と春景の二つを指摘した上で、温庭筠の 詠史詩について、次のように述べ る ︶1 ︵ 。   これら詠史詩の大方を通じていえる特徴は、他の多 くの詩人のように諷刺の意を寓するどころか、むしろ その華麗な宮廷生活を憧憬し、それがはかなくも頽れ 去ったことに対する限りない哀惜の情をたたえている 点である。 村上氏は例として、楽府では﹁鶏鳴埭曲﹂の全文と﹁春 江花月夜詞﹂ の末二 聯とを挙げている。 ﹁鶏鳴埭曲﹂ と ﹁春 江 花 月 夜 詞 ﹂ は、 ﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ 巻 一 〇 〇﹁ 新 楽 府 辞 十 一   楽府倚曲﹂と 同巻四七﹁清商曲辞四   呉声歌曲四﹂にそれ ぞれ収められてお り ︶2 ︵ 、村上氏のいう ﹁歴史的な故事﹂ と ﹁春 景﹂の二つの主題を兼ね備える点が共通している。 本稿の目的は、このうち煬帝︵五六九∼六一八、在位六 〇 四∼ 六 一 八 ︶ の 栄 華 と 滅 亡 と を 詠 じ た ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ について 、﹁鶏鳴埭曲﹂を主な比較の対象として、 その情景 表現を検討することである。隋の煬帝については、 ﹃隋書﹄ ﹁ 帝 紀 ﹂ に 収 め る 記 事 を 嚆 矢 と し て、 晩 唐 に 至 る ま で に そ の形象が詩文に表現されており、 温庭筠が﹁春江花月夜詞﹂ で煬帝を描くにあたり、どのような影響を受け新たにどの ような要素を付け加えたのか、分析することができる。さ ら に、 ﹁ 春 江 花 月 夜 ﹂ は﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ に 温 庭 筠 の 作 に 先 立 つ六首が採録されているため、同じ楽府題の先行諸作品を 集刊東洋学 第一一九号 平成三〇年六月 一 −二〇頁

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2 比較の対象として、モチーフの継承と温庭筠の作が持つ特 徴とを、考察することが可能である。 温庭筠研究は、これまで詞の表現や伝記の再構築に専ら 労力が注がれ、詩や楽府の表現から特質を探ろうとする試 み は、 国 内 外 で も 数 が 少 な い よ う に 思 わ れ る ︶3 ︵ 。﹁ 春 江 花 月 夜詞﹂一首に精読の焦点を絞ることで、先行研究の指摘か ら更に一歩を進め、温庭筠の詠史楽府の持つ独自性の一端 を明らかにしうるのではないか、と考える。 二   煬帝と﹁春江花月夜詞﹂ この章では、温庭筠﹁春江花月夜詞﹂を検討する前の準 備として、第一節で唐代の詩文にみえる煬帝の形象につい て 瞥 見 し、 第 二 節 で﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ に 収 め る﹁ 春 江 花 月 夜 ﹂ の先行諸作品の表現について確認する。 二 ー 一   唐 代 に お け る 煬 帝 の 形 象   │﹁ 龍 舟 ﹂ を 中 心 に │ 隋 の 煬 帝 が も つ イ メ ー ジ、 そ の 中 核 は 言 う ま で も な く、 政治を顧みず奢侈に耽り欲望を恣にして隋を滅ぼすに至っ た、 亡国の天子としてのそれであ る ︶4 ︵ 。﹁春江花月夜詞﹂ では、 第三聯から第五聯にかけて描かれる煬帝の姿が本節と関係 するため、該当部分をまず挙げ、作品の全体及び解釈につ いては、第三章で改めて提示する。 5楊家二世安九重   楊家の二世   九重に安んじ   不御華芝嫌六龍   華芝を御せず   六龍を嫌う   百幅錦帆風力滿   百幅の錦帆   風力満ち   連天展盡金芙蓉   天に連なり展き尽くす   金芙蓉 9珠翠丁星復明滅   珠翠丁星   復た明滅   龍頭劈浪哀笳發   龍頭   浪を劈き   哀笳発す 第三聯で皇帝の位に安んじ政治を怠る煬帝の姿を端的に 示 し た 後、 第 七 句﹁ 百 幅 の 錦 帆 風 力 満 ち ﹂ か ら は、 船 団 が風を受けて進む様子が詠われる。第十句の ﹁龍頭﹂ は ﹁龍 舟のへさき﹂を意味し、 ﹃隋書﹄巻三﹁帝紀第三   煬帝上﹂ 大業元年︵六〇五︶の項にある次の記事に基づ く ︶5 ︵ 。   八月壬寅、上御龍舟、幸江都。以左武衞大將軍郭衍 爲前軍、右武衞大將軍李景爲後軍。文武官五品已上給 樓船、九品已上給 黃蔑。舳艫相接、二百餘里。   八 月 壬 寅、 上 龍 舟 を 御 し、 江 都 に 幸 す。 左 武 衛 大 将軍郭衍を以て前軍と為し、右武衛大将軍李景を後軍 と為す。文武官五品已上は楼船を給い、九品已上は黄 蔑を給う。舳艫相い接すること、二百余里なり。 第 八 句 の﹁ 天 に 連 な り ﹂ と い う 空 間 表 現 は、 ﹁ 舳 艫 相 い 接すること、二百余里なり﹂という船団の規模の大きさを 念頭に置いて、 詠じられていよう。 ﹃隋書﹄ に載せる ﹁龍舟﹂

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3 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) が 具 体 的 に 如 何 な る も の か は、 ﹃ 資 治 通 鑑 ﹄ 巻 一 八 〇﹁ 隋 紀四   煬皇帝上之上﹂大業元年の項に詳し い ︶6 ︵ 。   龍舟四重、高四十五尺、長二百丈。上重有正殿・内 殿・東西堂、中二重有百二十房、皆飾以金玉、下重 内侍處之。   龍舟は四重、高さ四十五尺、長さ二百丈。上重に正 殿・内殿・東西の朝堂有り、中二重に百二十の房有り て、皆な飾るに金玉を以てし、下重は内侍 之に処り。 ﹃資治通鑑﹄は、 ﹁龍舟﹂が水上に浮かぶ宮殿の如きもの であることを示した上で、続けて次のように記す。   皇后乘翔螭舟、制度差小、而裝飾無異。別有浮景九 艘、三重、皆水殿也。又有漾彩︵中略︶等數千艘、後 宮 ・ 諸王 ・ 公主 ・ 百官 ・ 僧 ・ 尼 ・ 道士 ・ 蕃客乘之、 ︵中 略︶ 、共用挽船士八萬餘人・其挽漾彩以上九千餘人、 謂之殿 腳 、皆以錦綵爲袍。又有平乘︵中略︶等數千艘、 並十二衞兵乘之 ︵中略︶ 。舳艫相接二百餘里、 照耀川陸、 騎兵翊兩岸而行、旌旗蔽野。   皇 后 翔 螭 の 舟 に 乗 り、 制 度 差 や や 小 な れ ど も、 装 飾 に異なる無し。別に浮景九艘有り、三重にして、皆な 水 殿 な り。 又 た 漾 彩︵ 中 略 ︶ 等 数 千 艘 有 り て、 後 宮・ 諸王 ・ 公主 ・ 百官 ・ 僧 ・ 尼 ・ 道士 ・ 蕃客 之に乗り、 ︵中 略 ︶、 共 に 船 を 挽 く 士 八 万 余 人・ 其 の 漾 彩 以 上 を 挽 く 者九千余人を用い、之を殿脚と謂い、皆な錦綵を以て 袍と為す。又た平乗︵中略︶等数千艘有りて、並びに 十 二 衛 の 兵 之 に 乗 る︵ 中 略 ︶。 舳 艫 相 い 接 す る こ と 二 百 余 里、 川 陸 を 照 耀 し、 騎 兵 両 岸 を 翊 たす け て 行 き、 旌 旗 野を蔽う。 煬帝の行幸が、如何に多くの人数を動員した大規模で豪 華絢爛なものであったか、この記述から窺える。 そこで﹁春江花月夜詞﹂に登場する﹁百幅の錦帆﹂を率 いる﹁龍頭﹂に着目してみると、煬帝の奢侈のうち、特に ﹁龍舟﹂の行幸を取り上げて批判したのは、 ﹃全唐文﹄に見 える限 り ︶7 ︵ 、陳子昂︵六六一∼七〇二︶が最初であ る ︶8 ︵ 。   至煬帝承平、自以貴爲天子、富有四、欲窮宇宙之 觀、 極 遊 宴 之 樂、 以 爲 人 主 之 急 務 也。 于 是 乃 鑿 禦 渠、 決黃河、自伊洛之閒而屬之揚州、生人之力既弊、天地 之藏又洩。煬帝方忻然以爲得計、 將後宮綵女數百千人、 遂泛龍舟、遊三江五湖之閒。當其得意也、視天下如脱 屣爾。其後百姓搔弊、 災變數興、 吏人貪暴、 其政日亂、 陰陽感怒、 彗孛以出。煬帝不悟、 自以爲天下安於泰山。   煬 帝 承 平 す る に 至 り、 自 ら 貴 き こ と 天 子 と 為 り、 四海を富有するを以て、宇宙の観を窮め、遊宴の楽を 極めんと欲し、以て人主の急務と為すなり。是に于て 乃ち禦渠を鑿ち、黄河を決し、伊洛の間より之を揚州

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4 に属し、生人の力既に弊れ、天地の蔵も又た洩る。煬 帝方に忻然として以て計を得たりと為し、後宮の綵女 数百千人を将いて、遂に龍舟を泛べ、三江五湖の間に 遊ぶ。其の意を得るに当たるや、天下を視ること屣を 脱 す る が 如 き の み。 其 の 後 百 姓 搔 弊 し、 災 変 数 し ば 興り、 吏人貪暴にして、 其の政 日に乱れ、 陰陽感怒し、 彗孛以て出づ。煬帝は悟らず、自ら以為らく天下は泰 山よりも安しと。 ︵巻九﹁諫政理 書 ︶9 ︵ ﹂︶ 陳子昂は、煬帝が国都大興城から揚州に至る大運河を開 鑿 し て﹁ 生 人 の 力 ﹂ を 疲 弊 さ せ た の に 加 え、 ﹁ 後 宮 の 綵 女 数百千人﹂を連れて﹁龍舟﹂を浮かべたことを、非難に値 する奢侈として取り上げている。陳子昂の後、高適︵七〇 〇 頃∼ 七 六 五 ︶ の﹁ 東 征 賦 ︶10 ︵ ﹂ に、 ﹁ 六 宮 景 従 し、 千 官 邐 迤 と し て、 龍 舟 錦 帆、 数 千 百 里 を 照 耀 す。 ︵ 中 略 ︶ 豈 に 以 て 力 役 を 征 戦 に 窮 め、 淫 逸 を 奢 侈 に 務 む る を 為 さ ざ ら ん や ﹂ ︵六宮景從、 千官 邐 迤、 龍舟錦帆、 照耀乎數千百里。 ︵中略︶ 豈不以爲窮力役於征戰、 務淫逸於奢侈︶とあるなど、 ﹁龍舟﹂ は豪奢を極めた﹁淫逸﹂の象徴として、煬帝を諷刺する際 にしばしば用いられるようになる。 ﹃隋書﹄ にみえる ﹁龍舟﹂ を煬帝と結び付けた唐代の詩は、 管 見 の 限 り 中 唐 の 顧 況︵ 七 二 七 頃∼ 八 一 六 頃 ︶﹁ 桃 花 曲 ︶11 ︵ ﹂ の﹁ 魏 帝 の 宮 人   鳳 楼 に 舞 い、 隋 家 の 天 子   龍 舟 を 泛 ぶ。 君王   夜酔いて春眠晏れ、覚えず   桃花の水を逐いて流る るを﹂ ︵魏帝宮人舞鳳樓、 隋家天子泛龍舟。君王夜醉春眠晏、 不 覺 桃 花 逐 水 流 ︶ に 始 ま る が、 ﹁ 龍 舟 ﹂ を 用 い て 煬 帝 を 正 面から詠じたのは、白居易︵七七二∼八四六︶の﹁新楽府   隋堤柳   憫亡国 也 ︶12 ︵ ﹂が最初である。煬帝の行幸が描かれる 第十一句以降を挙げる。 11大業末年春暮月   大業末年   春暮の月   柳色如烟絮如雪   柳色   烟の如く   絮は雪の如し   南幸江都恣佚遊   南のかた江都に幸して   佚遊を恣に し   應將此柳繫龍舟   応に此の柳を将て   龍舟を繫ぐなる べし 15紫髯郎將護錦纜   紫髯の郎将   錦纜を護り   靑娥御史直迷樓   青娥の御史   迷楼に直す   内財力此時竭   海内の財力   此の時に竭くるも   舟中歌笑何日休   舟中の歌笑   何れの日にか休まん 19上荒下困勢不久   上荒れ下困じて   勢久しからず   宗之危如綴旒   宗社の危うきこと   綴旒の如し   煬天子       煬天子   自言福祚長無窮   自ら言う   福祚長しえに窮まり無し と 23豈知皇子封 酅 公   豈に知らんや   皇子   酅 公に封ぜら

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5 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) れんとは   ︵中略︶ 32後王何以鑒前王   後王   何を以て   前王に鑒みん   看隋堤亡國樹   請う看よ   隋堤亡国の樹 大業末年、暮春の月夜、柳葉は春霞に煙り柳絮は雪のよ う。南のかた江都に行幸して放逸な遊びを恣にし、きっと この柳に龍舟を繋いだに違いない。 第十七 ・ 十八句では、 ﹁海 内 の 財 力 ﹂ が 枯 渇 し た に も か か わ ら ず、 ﹁ 舟 中 の 歌 笑 ﹂ に 耽る煬帝と宮人たち、第十九句から第二十二句までは、隋 の宗廟と社稷が糸で綴られた冠の玉が揺れるように不安定 な状態にあるのを無視して、国家の幸いなる命運は窮まり なく続く、と煬帝が信じ込んでいることが詠われる。末二 句 で は﹁ 隋 堤 亡 国 の 樹 ﹂、 隋 堤 の 柳 を 見 て、 ﹁ 後 ﹂ の﹁ 王 ﹂ は煬帝を悪しき前例として﹁鑒﹂みるべきだ、と結ぶ。 以 上、 こ の 節 で は 唐 代 に お け る 煬 帝 の 形 象 か ら﹁ 龍 舟 ﹂ に着目し、陳子昂﹁諫政理書﹂と白居易﹁新楽府   隋堤柳   憫亡国也﹂とを中心に検討した。初唐から中唐に至る煬帝 の﹁龍舟﹂像の全貌を把握するには不十分であるが、陳子 昂の文と白居易の新楽府とを比較すると、共通点と相違点 とを見出すことができる。共通点として、 ﹁龍舟﹂ の遊びは、 歓楽を追求する煬帝の行動の極点として位置づけられ、 ﹁生 人 の 力 既 に 弊 れ ﹂﹁ 海 内 の 財 力   此 の 時 に 竭 く ﹂ と い う 天 下 の 情 勢 を 無 視 し た 上 で 成 立 し て お り、 ﹁ 自 ら 以 為 ら く 天 下 は 泰 山 よ り も 安 し と ﹂﹁ 自 ら 言 う   福 祚 長 し え に 窮 ま り 無しと﹂と、皇帝としての安泰を疑わない煬帝の自意識を 示 す 表 現 の 付 随 す る こ と が 指 摘 で き る。 相 違 点 と し て は、 陳子昂の文では時間を示す語が見られないのに対して、白 居 易 は、 顧 況﹁ 桃 花 曲 ﹂ 第 三 句 に あ っ た﹁ 夜 ﹂﹁ 春 ﹂ を さ らに限定して、 ﹁大業末年   春暮の月﹂と詠じている。 ﹃隋 書﹄では大業元年の﹁八月壬寅﹂であった時期を、白居易 が﹁ 大 業 末 年 ﹂︵ 大 業 十 三 年、 六 一 七 ︶ の ﹁ 春 暮 ﹂ と し た のは、 煬帝の栄華の終わりを暗示させるためと考えられる。 初唐の陳子昂の文章を端緒に、中唐では詩においても詠 じ ら れ る ほ ど、 ﹁ 龍 舟 ﹂ は 煬 帝 の 豪 奢 を 象 徴 す る も の と し て定着しており、温庭筠が﹁春江花月夜詞﹂第七句の﹁百 幅の錦帆﹂から﹁龍舟﹂の遊びを描くのは、こうした共通 認識を前提としていることを読み取ることができよう。 二 ー 二   ﹁春江花月夜﹂の先行諸作品について 次 に、 ﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ 巻 四 七﹁ 清 商 曲 辞 四   呉 声 歌 曲 四 ﹂ に収める﹁春江花月夜﹂の諸作品について見ていく。 温庭筠﹁春江花月夜詞﹂は次の四句で始まる。 1玉樹歌闌 雲黑   玉樹の歌闌わにして   海雲黒く   花庭忽作靑蕪國   花庭忽ち作る   青蕪の国

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6   秦淮有水水無   秦淮   水有るも   水に情無く   還向金陵漾春色   還た金陵に向いて   春色を漾わす 冒 頭 の﹁ 玉 樹 の 歌 ﹂ は、 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 巻 二 八﹁ 志 第 八   音 楽志 一 ︶13 ︵ ﹂に﹁陳の将に亡びんとするや、 玉樹後庭花を為る﹂ ︵ 陳 將 亡 也、 爲 玉 樹 後 庭 花 ︶ と 記 さ れ る、 陳 の 亡 国 の 曲 で ある。このように、温庭筠が﹁春江花月夜﹂という楽府題 で、まず陳の滅亡から詠い起こすのは何故か。 ﹃楽府詩集﹄は﹁春江花月夜﹂の起源として、 ﹁唐書・楽 志曰く﹂として、次のように記 す ︶14 ︵ 。   春江花月夜・玉樹後庭花・堂堂、並陳後主所作。後 主常與宮中女學士及臣相和爲詩、太常令何胥又善於 文詠、採其尤豔麗、以爲此曲。   春江花月夜・玉樹後庭花・堂堂は、並びに陳後主の 作る所なり。後主は常に宮中の女学士及び朝臣と相和 して詩を為り、太常令何胥も又た文詠を善くし、其の 尤も豔麗なる者を採り、以て此の曲を為る。 ﹁春江花月夜﹂は 、同じく﹁清商曲辞四   呉声歌曲四﹂に 収 め る﹁ 玉 樹 後 庭 花 ﹂﹁ 堂 堂 ﹂ と 並 び、 陳 後 主 の 作 と 伝 え られている。後主の作は滅びて伝わらず、現存する ﹁春江 花月夜﹂の最も古い作は煬帝の五言詩二首である。温庭筠 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ に つ い て、 山 本 敏 雄 氏 は﹁ 類 推 の 域 を 出 な い の で、 こ こ で は 議 論 を 避 け る ﹂ と し な が ら も、 ﹁ 陳 後 主が創作し、隋の煬帝が作品を残す詩題を用いて、両者の 滅 亡 を う た う と い う と こ ろ に、 何 か 意 図 的 な も の を 感 じ る ︶15 ︵ ﹂と述べている。 ﹃楽府詩集﹄ は ﹁春江花月夜﹂ の作品として、 煬帝に加え、 隋 の 諸 葛 穎︵ 六 世 紀∼ 七 世 紀 初 ︶、 初 唐 の 張 子 容︵ 七 一 三 年進士、二首︶ ・張若虚︵六六〇頃∼七二〇頃︶ 、晩唐の温 庭筠の計七首を収録する。まず煬帝の二首を挙げ る ︶16 ︵ 。 暮江平不動   暮江   平らかにして動かず 春花滿正開   春花   満ちて正に開く 流波將月去   流波   月を将て去り 水帶星來   潮水   星を帯びて来たる ︵﹁其一﹂ ︶ 夜露含花氣   夜露   花気を含み 春潭瀁月暉   春潭   月暉を 瀁 ただよ わす 水逢遊女   漢水   遊女に逢い 湘川値兩妃   湘川   両妃に値う ︵﹁其二﹂ ︶ ﹁ 其 一 ﹂ は 四 句 全 て が 叙 景 で 構 成 さ れ る。 暮 れ ゆ く 長 江 の水面は平らかで波も立たず、春の花は今を盛りと咲きほ こる。流れる波は月の光とともに去りゆき、潮水が星明か りを連れて満ちてくる。 ﹁春﹂ ﹁江﹂ ﹁花﹂ ﹁月﹂の語を全て 含み、夕暮れから星の瞬き始める時間をとらえて﹁夜﹂を 表現している。 ﹁其二﹂は、 ﹁其一﹂とは違い﹁江﹂の字の

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7 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) みが含まれない。夜露は花の香りを帯び、春の水辺には月 の輝きが漂う。漢水では﹁南に喬木有り、 休息すべからず。 漢 に 游 女 有 り、 求 思 す べ か ら ず ﹂︵ 南 有 喬 木、 不 可 休 息。 有 游 女、 不 可 求 思 ︶ と﹃ 毛 詩 ﹄﹁ 周 南   漢 広 ︶17 ︵ ﹂ に 詠 ま れ る﹁遊女﹂に出会い、湘川では舜の後を追って入水した娥 皇 ・ 女英の ﹁両妃﹂ に出会う。 ﹁其二﹂ では叙景に止まらず、 ﹁ 江 ﹂ に 関 わ る﹁ 遊 女 ﹂ と﹁ 両 妃 ﹂ と を 登 場 さ せ て、 月 明 かりの中での神 女 ︶18 ︵ との邂逅を描いている。 諸葛穎の作は、煬帝と同じく五言四句である。 花帆渡柳浦   花帆   柳浦を渡り 結纜隱洲   纜を結んで   梅洲に隠る 月色含江樹   月色   江樹を含み 花影覆船樓   花影   船楼を覆う 煬帝の﹁其一﹂と同じく叙景の句を中心に構成されてい る が、 ﹁ 江 ﹂ を 渡 る 船 の 上 か ら 春 の 夜 の 情 景 を 描 く 点 が 異 なる。花のように美しい帆は柳の生い茂る入江を渡り、と もづなを結んで梅の薫る中 洲 ︶19 ︵ に停泊する。月明かりは両岸 の樹々を一面に照らし出し、花の影が船の楼を覆う。諸葛 穎の作は煬帝の作とは違い、第二句の﹁梅洲に隠る﹂とい う表現をふまえた上で第四句の﹁花影   船楼を覆う﹂へと 続くことで、視覚だけではなく嗅覚、舟を囲繞する花の香 りが、明確に意識されている。 張子容の二首は、どちらも五言六句である。   林花發岸口   林花   岸口に発し 氣色動江新   気色   江を動かして新たなり 此夜江中月   此の夜   江中の月 流光花上春   流光   花上の春 分明石潭裏   分明なり   石潭の裏 宜照浣紗人   宜しく照らすべし   浣紗の人を ︵﹁其一﹂ ︶ 交甫憐 瑤佩   交甫   瑶佩を憐しみ 仙妃重期   仙妃   重ねては期し難し 沉沉 綠江晩   沈沈たり   緑江の晩 惆悵碧雲姿   惆悵たり   碧雲の姿 初逢花上月   初めて逢う   花上の月 言是弄珠時   言う是れ   珠を弄ぶの時 ︵﹁其二﹂ ︶ ﹁其一﹂ は末聯で、 煌々と輝く月の光は ﹁石潭の裏﹂ で﹁紗﹂ を﹁ 浣 あら ﹂う﹁人﹂を照らすのが相応しいと、西施を連想さ せる美しい女性に思いを馳せている。しかし、特徴的な作 品 は﹁ 其 二 ﹂ で あ る。 初 句 の﹁ 交 甫 ﹂ は、 ﹃ 文 選 ﹄ 巻 一 二 の 郭 璞︵ 二 七 六∼ 三 二 四 ︶﹁ 江 賦 ﹂ 第 三 二 一 句﹁ 交 甫 の 珮 を喪うに感ず﹂ ︵感交甫之喪珮︶の李善注に、 ﹁韓詩内伝に 曰く、鄭交甫   彼の漢皐台に 遵 したが いて下に二女に遇う。 与 とも に

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8 言いて曰く、願わくば子の珮を請わん、と。二女   交甫に 与う。交甫受けて之を懐にするに、超然として去ること十 歩。循いて之を探すも即ち亡きなり。二女を廻顧するも亦 た即ち亡きなり﹂ ︵韓詩内傳曰、 鄭交甫遵彼皐臺下遇二女。 與言曰、願子之珮。二女與交甫。交甫受而懐之、超然而 去十歩。循探之即亡矣。廻顧二女亦即亡矣︶とある。すな わ ち、 初 聯 で﹁ 仙 妃 ﹂ と の 出 会 い と 別 れ か ら 詠 い 起 こ し、 次聯で﹁惆悵﹂という悲哀の相を帯びた夜の情景を描き出 し、 末聯で﹁仙妃﹂に出会った春の月夜の回想に戻り、 ﹁珠 を弄ぶの時﹂と、初句の﹁瑶佩﹂に対応させる形で詠い収 めている。神女との遭遇を描くのは煬帝の﹁其二﹂と共通 するが、張子容の﹁其二﹂では出会い︱別れ︱現在︱過去 と、詩の時間構成が複雑化しており、初句と末句の呼応と いう技巧にも注意が払われている。 張若虚の作は全三十六句の長編であるため、原文のみを 示し、内容のまとまり毎に見ていくこととする。 1春江水連平、上明月共生。 灩灩 隨波千萬里、   何處春江無月明。江流宛轉遶芳甸、月照花林皆似霰。 7空裏流霜不覺飛、汀上白沙看不見。江天一色無纖塵、   皎皎空中孤月輪。江畔何人初見月、江月何年初照人。 13人生代代無窮已、江月年年望相似。不知江月待何人、   但見長江送流水。白雲一片去悠悠、靑楓浦上不勝愁。 19誰家今夜扁舟子、何處相思明月樓。可憐樓上月徘回、   應照離人妝鏡臺。玉 戶 簾中卷不去、擣衣砧上拂還來。 25此時相望不相聞、願逐月華流照君。鴻雁長飛光不度、   魚龍潛躍水成文。昨夜閑潭夢落花、可憐春半不還家。 31江水流春去欲盡、江潭落月復西斜。斜月 沉沉 藏霧、   碣石瀟湘無限路。不知乘月幾人歸、落月搖滿江樹。 初句から第十句までは、満ちてゆく潮とともに上りゆく 月 の 光 が、 ﹁ 空 裏 の 流 霜 ﹂ も﹁ 汀 上 の 白 沙 ﹂ も 見 分 け が つ かないほどに、 ﹁千万里﹂ の彼方まで ﹁纖塵﹂ 一つなく白 ﹁一 色﹂に染め上げている情景を描く。第十一句から第十六句 までは、第十句﹁空中の孤月輪﹂から地上で見つめ照らさ れる人間の側に視点を移し、 代々続く ﹁人生﹂ の営みと年々 同じ﹁江月﹂の情景とが、ともに繰り返されるものとして 詠われる。第十八句で﹁愁いに勝えず﹂と人間側の心情に 初めて触れた後、別離の情を抱く﹁扁舟の子﹂と﹁明月の 楼 ﹂ で 夫 を 待 つ﹁ 離 人 ﹂ と に 焦 点 が 絞 ら れ、 ﹁ 千 万 里 ﹂ に 遍在する月の光と空間的距離に隔てられた人間とが対比さ れる。第二十九・三十句からは﹁昨夜﹂ ﹁落花﹂ ﹁春半ばに して﹂ ﹁春を流し   去りて尽きんと欲す﹂ ﹁落月   復た西に 斜めなり﹂と、人間が空間のみならず時間にも縛られる存 在であることを、暮れゆく春と沈みゆく月とを通して描き 出す。第三十四句 ﹁無限の路﹂ を帰ることもできず ﹁斜月﹂

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9 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) は﹁海霧﹂の彼方に見えなくなり、月明かりの中に帰る人 は 幾 人 い よ う か と 思 う と き、 ﹁ 落 月 ﹂ は 人 の 情 を 揺 る が し て﹁江樹﹂に満ちる、と詠い収めている。 張若虚の作では、張子容の﹁其二﹂と同じく別離が叙景 とともに詩の主題となっているが、張子容の作に登場する のが﹁仙妃﹂であるのと異なり、張若虚の作では﹁扁舟の 子 ﹂﹁ 離 人 ﹂ と い う 人 間 で あ る。 そ こ で は 空 間 的 時 間 的 な 局 在 性 が 足 枷 と な っ て、 ﹁ 千 万 里 ﹂ を 照 ら し 出 し﹁ 年 年   望み相い似たり﹂という遍在性と永遠性を有する月との対 比が際立たせられている。 以上、温庭筠以前の﹁春江花月夜﹂六首を検討した。煬 帝から張若虚までに、 時間構成と技巧の複雑化、 ﹁春﹂ の﹁江﹂ に ﹁花﹂ さく ﹁月﹂ の ﹁夜﹂ の叙景から男女の交情と別離、 神女への連想から月と人の対比へと、内容にも変化の見ら れ る こ と が 確 認 で き た。 し か し、 ﹁ 春 江 花 月 夜 ﹂ を 詠 史 の 形 で 綴 っ た 作 は 見 出 せ な い。 そ れ に も か か わ ら ず、 ﹁ 春 江 花月夜﹂ という楽府題であえて煬帝の事跡を詠じることで、 温庭筠は何を表現しようとしたのだろうか。 三   温庭筠﹁春江花月夜詞﹂の情景表現 前章での﹁龍舟﹂を中心とした煬帝の形象と﹁春江花月 夜﹂先行諸作品の考察をふまえ、この章では、第一節で第 八 句﹁ 天 に 連 な り 展 き 尽 く す   金 芙 蓉 ﹂、 第 二 節 で 第 十 四 句の﹁天鶏﹂と第十八句の﹁夢魂﹂に焦点を当てつつ、温 庭筠﹁春江花月夜詞﹂の情景表現の特色を検討する。 三 ー 一   ﹁連天展盡金芙蓉﹂をどう読むか まず﹁春江花月夜詞﹂の全文を挙げ る ︶20 ︵ 。 1玉樹歌闌雲黑   玉樹の歌闌わにして   海雲黒く   花庭忽作靑蕪國   花庭忽ち 作 な る   青蕪の国   秦淮有水水無   秦淮   水有るも   水に情無く   還向金陵漾春色   還た金陵に向いて   春色を漾わす 5楊家二世安九重   楊家の二世   九重に安んじ   不御華芝嫌六龍   華芝を御せず   六龍を嫌う   百幅錦帆風力滿   百幅の錦帆   風力満ち   連天展盡 金芙蓉   天に連なり展き尽くす   金芙蓉 9珠翠丁星復明滅   珠翠丁星   復た明滅   龍頭劈浪哀笳發   龍頭   浪を劈き   哀笳発す   千里涵空澄水魂   千里   空を涵し   水魂澄み   萬枝破鼻團 香雪   万枝   鼻を破り   香雪 団 あつ む 13漏轉霞高滄西   漏転じ霞は高し   滄海の西   玻璃枕上聞天雞   玻璃枕上   天鶏を聞く   蠻絃代雁曲如語   蛮絃代雁   曲語るが如く

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10   一醉昏昏天下迷   一酔昏昏として   天下迷う 17四方傾動煙塵起   四方傾動し   煙塵起こるも   猶在濃香夢魂裏   猶お在り   濃香   夢魂の裏   後主荒宮有曉鶯   後主の荒宮   暁鶯有り   飛來只隔西江水   飛来し只だ隔つ   西江の水 陳の廃墟から説き起こし、繁栄を極めた隋の滅亡を詠ん だ 作 で あ る。 六 朝 陳 の 退 廃 的 な 歌 で あ っ た﹁ 玉 樹 後 庭 歌 ﹂ が盛りを過ぎて尽きようとするとき、国家の命運には黒き ﹁ 海 雲 ﹂ が 立 ち 込 め ︶21 ︵ 、 花 咲 く 陳 の 宮 苑 は た ち ま ち 雑 草 の 生 い 茂 る 廃 墟 と な っ た︵ 第 一 聯 ︶。 か つ て 秦 の 始 皇 帝 が 開 鑿 したという秦淮河の水は情も無く、金陵に向かって再び蕩 搖 た る 春 の 気 配 を 漂 わ せ る︵ 第 二 聯 ︶。 隋 文 帝 の 息 子 楊 広 は天子の宮殿に安住し、六頭の駿馬に引かれた天子の御華 蓋に乗ることは厭った︵第三聯︶ 。 第七句から第十二句では、煬帝が豪奢な遊蕩に耽ったこ とが詠われる。第九句の﹁丁星﹂は﹃全唐詩﹄でこの一例 の み で あ る が、 畳 韻 語 で あ り、 双 声 語 の﹁ 明 滅 ﹂︵ 視 覚 ︶ と 対 比 さ れ て い る こ と、 ﹁ 丁 ﹂ は 畳 字﹁ 丁 丁 ﹂ で 音 声 を 形 容 す る こ と か ら、 第 九 句 は、 ︵ 女 性 の 装 身 具 で あ る ︶ 真 珠 と翡翠が響き合いキラキラと輝く、と読みうる。第十一句 の ﹁水魂﹂ も ﹃全唐詩﹄ で他に用例がなく、 劉学鍇氏は ﹁水 中 精 怪 ︶22 ︵ ﹂、 劉 斯 翰 氏 は﹁ 月 亮 ︶23 ︵ ﹂ と し、 解 釈 が 分 か れ る。 他 に月の表現がないこと、第六聯は緊密な対句を構成してお り、後句の﹁鼻を破り﹂の主語が﹁香雪﹂であることから ﹁空を涵し﹂ の主語は ﹁水魂﹂ と考えられること、 皮日休 ︵八 三四頃∼八八三頃︶に﹁添魚具詩   篛 笠﹂初句﹁円かにし て月魂を写すに似たり﹂ ︵圓似寫月魂︶ 、﹁茶中雜詠   茶甌﹂ 第三句﹁円かにして月魂の堕つるに似たり﹂ ︵圓似月魂墮︶ という用例のあることか ら ︶24 ︵ 、本稿では劉斯翰氏の説を採る。 第六聯は、千里の彼方まで空を映し出して円かな月が水面 に澄み渡り、無数の枝々に鼻を衝いて香しく雪のように白 い花が群がり咲く、と解釈される。 第七聯に至り、煬帝の滅亡が暗示される。漏刻は改まり ﹁滄海の西﹂には﹁霞﹂が立ち込め、 ﹁玻璃﹂の枕に﹁天鶏﹂ の声が響いた。南方と北方の弦楽器の奏でる曲は語りかけ てくるが如く、 煬帝はひとたび﹁酔﹂って昏々と し ︶25 ︵ 、﹁天下﹂ は方向を見失った︵第八聯︶ 。﹁四方﹂で反乱が起こり﹁煙 塵 ﹂ が 巻 き 起 こ っ た が、 そ れ で も 煬 帝 は な お、 ﹁ 濃 香 ﹂ た る 夢 の う ち に 浸 っ て い た︵ 第 九 聯 ︶。 陳 の 後 主 の 荒 れ 果 て た 宮 殿 に は﹁ 暁 鶯 ﹂ が 住 ま い、 ﹁ 西 江 ﹂ を 越 え て 飛 ん で い くのは、かつて煬帝の住んだ江都の廃墟︵末聯︶ 。 この楽府 について、 ﹃中晩唐詩叩弾集﹄ の杜庭珠の 按 ︶26 ︵ には、 ﹁ 起 と 訖 は 倶 に 後 主 の 事 を 用 う。 金 陵 と 広 陵 は、 江 を 隔 て て相い望む。義山の隋宮の詩と結語   意を同じくす。謂う

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11 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) 所 は 後 人   之 を 哀 し め ど も、 之 を 鑒 み ざ る な り ﹂︵ 起 訖 倶 用 後 主 事。 金 陵 廣 陵、 隔 江 相 望。 與 義 山 隋 宮 詩 結 語 同 意。 所謂後人哀之、 而不鑒之也︶とあり、 李商隠の作である﹁隋 宮﹂ と並べている。また、 劉学鍇氏が箋評にて引く賀裳 ﹁載 酒園詩話又 編 ︶27 ︵ ﹂は、第四聯﹁百幅の錦帆   風力満ち、天に 連なり展き尽くす   金芙蓉﹂について、やはり﹁隋宮﹂と 比較して、作品の優劣を論じている。 ﹁隋宮﹂を挙げ る ︶28 ︵ 。 1紫泉宮殿鎖煙霞   紫泉の宮殿   煙霞に鎖され   欲取蕪城作帝家   蕪城を取りて帝家と作さんと欲す   玉璽不緣歸日角   玉璽   日角に帰するに縁らざれば   錦帆應是到天涯   錦帆   応に是れ天涯に到るべし 5于今腐草無螢火   今に于て   腐草に蛍火無く   終古垂楊有暮鴉   終古   垂楊に暮鴉有り   地下若逢陳後主   地下に若し陳後主に逢わば   豈宜重問後庭花   豈に宜しく重ねて後庭花を問うべけ んや 賀 裳 が 比 較 対 象 と す る の は、 ﹁ 隋 宮 ﹂ の 頷 聯﹁ 玉 璽   日 角に帰するに縁らざれば、 錦帆   応に是れ天涯に到るべし﹂ である。賀裳は次のように述べる。   溫不如李、 亦時有彼此互勝。如義山 ﹁隋宮﹂ 詩 ﹁玉 璽不緣歸日角、錦帆應是到天涯﹂ 、飛卿﹁春江花月夜﹂ 曰﹁百幅錦帆風力滿、連天展盡金芙蓉﹂雖極力描寫豪 奢、不及李語更能狀其無涯之慾。   温は李に如かざれども、亦た時に彼此互いに勝る者 有り。義山の﹁隋宮﹂詩﹁玉璽   日角に帰するに縁ら ざ れ ば、 錦 帆   応 に 是 れ 天 涯 に 到 る べ し ﹂ の 如 き は、 飛卿﹁春江花月夜﹂に﹁百幅の錦帆   風力満ち、天に 連なり展き尽くす   金芙蓉﹂と曰い、力を極めて豪奢 を描写すると雖も、李の語の更に能く其の無涯の慾を 状 かた どるに及ばず。 賀裳のいう ﹁無涯の慾﹂とは、 ﹁際限のない欲望﹂を意味 すると考えられる。山本敏雄氏が指摘するように、李商隠 の詩では﹁もし玉璽︵政権︶が日角︵唐の高祖︶に帰すこ とがなかったなら﹂という仮定が強く働いてお り ︶29 ︵ 、煬帝の 乗 る 錦 帆 の 龍 舟 は 天 の 果 て ま で も 至 っ た こ と だ ろ う、 と、 煬帝の﹁無涯の慾﹂の空間的な限りのなさが表現されてい る。対して温庭筠は、百幅の錦帆に風は満ち満ちて、天の 果てまで金の芙蓉が開き尽くす、と、龍舟の率いる船団の 果てしなく続く様子を描く。しかし、この聯は﹁力を極め て豪奢を描写﹂しただけか、李商隠の﹁天涯に到る﹂と同 じ く、 ﹁ 天 に 連 な り 展 き 尽 く す ﹂ は 空 間 的 な﹁ 無 涯 の 慾 ﹂ を描くのみか。ここで注目されるのは﹁金芙蓉﹂という語 である。この語は一体何を表現しているのだろうか。 注 釈 者 に よ っ て、 ﹁ 金 芙 蓉 ﹂ の 解 釈 に は 違 い が あ る。 劉

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12 学 鍇 氏 は、 ﹁ 恐 ら く 暗 に 南 斉 の 後 主 の﹃ 金 を 鑿 ち て 蓮 花 を 為 り 以 て 地 に 帖 し、 潘 妃 を し て 其 の 上 を 行 か し め、 曰 く、 此 れ 歩 歩 に 蓮 華 を 生 ず る な り、 と ﹄ と い う 典 故 を 用 い て、 煬帝が豪奢をきわめ尽くすことを言うのだろう。或いは金 芙 蓉 で 美 麗 な 嬪 御 や 皇 妃 を 喩 え た の か も し れ な い ﹂︵ 疑 暗 用 南 齊 後 主, ﹃ 鑿 金 爲 蓮 花 以 帖 地, 令 潘 妃 行 其 上, 曰, 此 歩歩生蓮華也﹄之事,謂煬帝展盡豪奢。或以金芙蓉代指美 麗 的 嬪 妃 ︶ と 解 釈 し ︶30 ︵ 、 劉 斯 翰 氏 は、 ﹁ 数 百 幅 の 錦 帆 が い っ せいに張られ、春風を一杯に受けて進発するとき、あたか も咲きあふれる金色の芙蓉が水平線に向かって揺らめいて い る か の よ う だ ﹂︵ 當 那 數 百 幅 錦 帆 一 齊 扯 起, 鼓 滿 了 春 風 進發,恍如朶朶盛開的金色芙蓉飄向天際︶と述べてい る ︶31 ︵ 。 ﹁金芙蓉﹂は、温庭筠﹁春江花月夜詞﹂を除くと、 ﹃全唐 詩﹄で三例見つけることができる。そのうち、李白に﹁送 温処士帰黄山白鵝峰旧居﹂第二聯﹁丹崖   石柱を夾む、 菡 萏   金芙蓉﹂ ︵丹崖夾石柱、 菡 萏金芙蓉︶ 、﹁登廬山五老峰﹂ 初聯﹁廬山の東南   五老峰、 青天削り出だす   金芙蓉﹂ ︵廬 山東南五老峰、靑天削出金芙蓉︶の二例があ り ︶32 ︵ 、いずれも 山容の秀麗な様子を表現する。 これをふまえれば、 ﹁金芙蓉﹂ は﹁錦帆﹂の華麗な様子を喩えているとする劉斯翰氏の解 釈が妥当とも思われる。 しかし、李商隠﹁李肱所遺画松詩書両紙得四十韻﹂の第 三十七聯に﹁口には詠ず   玄雲の歌、 手には把る   金芙蓉﹂ ︵口詠玄雲歌、手把金芙蓉︶という注目すべき用例があ る ︶33 ︵ 。 下 句 に つ い て、 馮 浩 は﹁ 此 れ 則 ち 是 れ 仙 を 学 ぶ の 語 ﹂︵ 此 則是學仙語︶と注 し ︶34 ︵ 、李白の巻一四﹁廬山謡寄廬侍御虚舟﹂ 第 二 十 七 句﹁ 手 に 芙 蓉 を 把 り て 玉 京 に 朝 す ﹂︵ 手 把 芙 蓉 玉 京 ︶ を 引 く。 ﹁ 金 芙 蓉 ﹂ が 賀 裳 の い う﹁ 豪 奢 ﹂ を 演 出 す るだけでなく、 神仙的な意味をも含むものだとすれば、 ﹁天 に連なり展き尽くす   金芙蓉﹂は、地上的世界を離れた虚 構 空 間 へ の 移 行 を 表 す、 と も 読 め る。 芦 立 一 郎 氏 は、 ﹁ 春 江花月夜詞﹂について次のように述べ る ︶35 ︵ 。   第五句以降歌われる煬帝の船旅であるが、比喩表現 のイメージをそのままに受け取るならば、それは天空 に舞い上がる、いわば宇宙遊行にも擬せられるもので ある。現実の時間空間の枠組みを逸脱して、遊仙的な 場に向う。そこにいわれる千里などの距離は、もはや 当然此岸の距離の表現ではないように思われる。 温庭筠﹁春江花月夜詞﹂では、第八句﹁天に連なり展き 尽くす   金芙蓉﹂を起点として、外界とは隔絶された煬帝 を取り巻く別の世界が立ち上がり、それが第九句から第十 二句までの情景に表現されている、と考える余地がある。 さ ら に、 ﹁ 金 芙 蓉 ﹂ に は 六 朝 楽 府 の 系 譜 に 基 づ い た 別 の 用例がある。それは六朝民歌、 特に ﹃楽府詩集﹄ ﹁清商曲辞﹂

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13 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) に収める﹁子夜歌﹂等に見られる、相関語を暗示させる用 法である。 ﹃楽府詩集﹄ 巻四四﹁清商曲辞一   呉声歌曲一﹂ に収める﹁子夜歌四十二首﹂の﹁其四十﹂を挙げる。 寢食不相忘    寝食   相い忘れず 同坐復倶起    同じく坐して   復た倶に起つ 玉藕金芙蓉    玉藕   金芙蓉 無稱我蓮子    我が蓮子に称う無し この歌について、 王運熙﹁論呉声西曲与諧音双関語﹂は、 ﹁︵ 三 ︶ 混 合 双 関 語 ﹂ に て﹁ 以﹃ 蓮 子 ﹄ 諧﹃ 憐 子 ﹄﹂ の 例 と して挙げてい る ︶36 ︵ 。玉のハスの根でも金のハスの花でも、わ たしのハス、いとしいあなたにはかなわない。この﹁金芙 蓉﹂は、 六朝の艶情詩への連想を誘うと同時に、 それが﹁天 に 連 な り 展 き 尽 く す ﹂ さ ま は、 ﹁ 遊 仙 的 な 場 に 向 う ﹂ の と は異なる意味で、煬帝を取り巻く詩的情景の枠組みに影響 を及ぼすと考えられる。 王運熙 ﹁論呉声西曲与諧音双関語﹂ から、 ﹁子夜夏歌﹂の例を挙げ る ︶37 ︵ 。 盛暑非遊節    盛暑   遊節に非ず 百慮相纏綿    百慮   相い纏綿す 泛舟芙蓉湖    舟を泛ぶ   芙蓉の湖 散思蓮子間    散思す   蓮子の間 ﹁芙蓉﹂の湖に舟を浮かべて、 ﹁蓮子の間﹂に思いを彷徨 わせる。それは﹁盛暑﹂のため思うように会えず﹁相い纏 綿﹂する、 ﹁蓮子﹂への﹁百慮﹂ 、内向する恋情に他ならな い。 ﹁ 其 四 十 ﹂ と 同 じ く、 歌 に 表 現 さ れ る の は プ ラ イ ベ ー ト な 関 係、 恋 人 同 士 の 密 か な 交 情 で あ る。 ﹁ 金 芙 蓉 ﹂ は、 集団的世界を離れた艶情への契機を示唆する、と読める。 遊仙と艶情とを暗示させることによる、地上的世界から の 離 脱。 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ 第 八 句﹁ 天 に 連 な り 展 き 尽 く す   金芙蓉﹂は、これら二つの表現意図をふまえて読むことが で き る の で は な い だ ろ う か。 第 六 聯 の﹁ 千 里   空 を 涵 し   水魂澄み、万枝   鼻を破り   香雪団む﹂という月の光と花 の香りとに満たされた情景は、第二章第二節で取り上げた 張 若 虚 の 作 と 諸 葛 穎 の 作 で、 そ れ ぞ れ に 表 現 さ れ て い た。 しかし温庭筠の作では、単純な叙景ではなく、遊仙と艶情 とが織り込まれた、煬帝の﹁夢魂﹂が沈む別世界として描 かれている、と考えられるのである。 三 ー 二   ﹁天鶏﹂と﹁夢魂﹂の意味するもの 次に、第十四句﹁玻璃枕上   天鶏を聞く﹂の﹁天鶏﹂と 第十八句﹁猶お在り   濃香   夢魂の裏﹂の﹁夢魂﹂に注目 して、 ﹁春江花月夜詞﹂の特徴を引き続き探ってみる。 温庭筠には、第一章で触れた﹁鶏鳴埭曲﹂という長編詠 史 楽 府 が あ る が、 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ と 同 じ く﹁ 鶏 鳴 埭 曲 ﹂ にも、 ﹁夢﹂とそれを破る天鶏の﹁一声﹂とが登場する。

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14 1南天子射雉時   南朝の天子   雉を射るの時   銀河耿耿星參差   銀河耿耿として   星参差たり   銅壺漏斷夢初覺   銅壺   漏断えて   夢初めて覚め   寶馬塵高人未知   宝馬   塵高くして   人未だ知らず 5魚躍蓮東蕩宮沼   魚は蓮東に躍り   宮沼を蕩かし   濛濛御柳懸棲鳥   濛濛たる御柳   棲鳥を懸く   紅妝萬戸鏡中春   紅妝   万戸   鏡中春なり   碧樹一聲天下曉   碧樹   一声   天下暁く 9盤踞勢窮三百年   盤踞   勢窮まる   三百年   朱方殺氣成愁煙   朱方の殺気   愁煙を成す   彗星拂地浪連   彗星   地を払いて   浪   海に連なり   戰鼓渡江塵漲天   戦鼓   江を渡りて   塵   天に漲る 13繡龍畫雉填宮井   繡龍画雉   宮井を填め   野火風驅燒九鼎   野火   風駆りて   九鼎を焼く   殿巣江燕砌生蒿   殿に江燕巣くい   砌に蒿生じ   十二金人霜炯炯   十二金人   霜炯炯たり 17芊 綿平綠臺城基   芊 綿たる平緑   台城の基   暖色春容荒古陂   暖色春容   古陂荒る   寧知玉樹後庭曲   寧んぞ知らん   玉樹後庭の曲   留待野棠如雪枝   野棠   雪の如き枝を留め待たんとは 南朝の栄華と滅亡とを詠んだ作。楽府題の ﹁鶏鳴埭﹂ は、 ﹃ 南 史 ﹄ 巻 一 一﹁ 列 伝 第 一   后 妃 上 ︶38 ︵ ﹂ に、 南 斉 の 武 帝 の 事 跡 と し て、 ﹁ 車 駕 数 し ば 琅 邪 城 に 幸 し、 宮 人 常 に 従 い て 早 に発す。湖北埭に至りて鶏始めて鳴き、故に呼びて鶏鳴埭 と為す﹂ ︵車駕數幸琅邪城、 宮人常從早發。至湖北埭雞始鳴、 故呼爲雞鳴埭︶とあるのに基づく。 第三句で漏刻の音は断え﹁夢﹂は覚めてしまったとする が、第四句では武帝や付き従う宮人の﹁宝馬﹂が高く巻き 上げる﹁塵﹂に覆われて、歓楽に耽る﹁人﹂は﹁未だ知ら ず﹂ 、まだ気づかない、と続く。第五句から第七句までは、 ﹁宮沼﹂ に跳ねる魚、 ﹁濛濛﹂ と覆い隠すように煙る ﹁御柳﹂ 、 ﹁ 鏡 ﹂ に 映 し 出 さ れ た 女 性 の﹁ 紅 妝 ﹂ と、 視 覚 面 か ら 景 物 を点綴することで、宮中の春景色が表現される。 しかし、第八句で﹁碧樹   一声   天下暁く﹂と、夜の時 間と夢の終わりを告げる天鶏の声が、世界に向けて突然に 響 き 渡 る。 ﹁ 天 下 暁 く ﹂ は、 王 国 良 氏 に よ る と ︶39 ︵ 、﹃ 玄 中 記 ﹄ に﹁東南に桃都山有り。上に大樹有りて、 名を桃都と曰い、 枝の相去ること三千里なり。上に一天鶏有り。日初めて出 でて、光   此の木を照らせば、天鶏則ち鳴き、群鶏皆な之 に 随 い て 鳴 く ﹂︵ 東 南 有 桃 都 山。 上 有 大 樹、 名 曰 桃 都、 枝 相 去 三 千 里。 上 有 一 天 雞。 日 初 出、 光 照 此 木、 天 雞 則 鳴、 群雞皆隨之鳴︶とあるのをふまえる。第九句から第十四句 では、後主が虜にされて﹁九鼎﹂が焼かれ南朝最後の陳が 滅亡に至るさまを描く。第十五句から末句では、廃墟と化

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15 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) した陳の宮廷が描写され、 ﹁暖色春容﹂ 、春景色だけは滅亡 する以前と変わらずにあることが詠じられる。 この楽府には、表現上の特徴が二つある。一つは、陳が 滅亡に至る瞬間を直接には叙述せず、 第十三句﹁繡龍﹂ ﹁画 雉﹂と、後主と愛妃の華麗な衣服を提示することで視覚か ら感覚的に描くこ と ︶40 ︵ 、もう一つは南朝の栄華から滅亡に至 る展開がそのままの時系列では描かれず、それを否定する 形 の 屈 折 的 な 展 開 が 見 ら れ る こ と で あ る。 芦 立 氏 は、 ﹁ 鶏 鳴埭曲﹂の時間表現について、次のように述べ る ︶41 ︵ 。   時間の直線的な展開を阻害する措辞が窺えるように 思う。 ︵中略︶ ﹁銅壺、漏断え﹂と時間の流れの中断を いうが、いわば﹁夢﹂ 、﹁覚﹂二種類の空間が、そこで 交錯するように思われる。 芦立氏の言うように、夜と夢の時間が続いていることを 示す漏刻の音が尽きてしまったという状況が、第三句で早 くも提示されるが、詩人はその変化を次の第四句で﹁未だ 知らず﹂と直ちに否定する。第五句から第七句の艶麗な情 景は、 滅亡の不吉な予兆を内に含んだ形で展開されていく。 第二聯﹁銅壺   漏断えて   夢初めて覚め、宝馬   塵高くし て   人 未 だ 知 ら ず ﹂ と 第 四 聯﹁ 紅 妝   万 戸   鏡 中 春 な り、 碧樹   一声   天下暁く﹂では、名詞 ・ 動詞 ・ 副詞 ・ 色彩語 ・ 数量詞等を駆使してそれぞれ緊密な対句が構成され、両聯 いずれも逆接構造であることを意識させない。しかし、暁 を象徴する天鶏の﹁一声﹂によって﹁天下﹂は不可逆的に 変 質 し、 ﹁ 三 百 年 ﹂ の﹁ 南 朝 ﹂ は 速 や か な 滅 亡 へ と 至 る。 第三句﹁漏断﹂と第八句﹁一声﹂はともに夜の終わりを告 げる音だが、両者の間にはタイムラグがある。そして、こ の詩では後者が作品の時間展開に直接影響を与えている。 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ に 話 を 戻 す と、 第 十 八 句 に﹁ 猶 お 在 り   濃香   夢魂の裏﹂ とある。 ﹁鶏鳴埭曲﹂ 第四句と同じく、 ﹁夢﹂ が破られたことを否認する表現である。これに先立つ第七 聯 に は、 ﹁ 漏 転 じ 霞 は 高 し   滄 海 の 西、 玻 璃 枕 上   天 鶏 を 聞く﹂とあった。芦立氏は次のように指摘す る ︶42 ︵ 。   大きな音声、鶏の鳴き声は夢の時間を引き裂く。詩 人は逆にそこに、無時間というべき﹁動かない時﹂を 求めているように思われる。 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ に は、 ﹁ 漏 転 じ ﹂﹁ 天 鶏 ﹂ と い う 夜 と 夢 の時間の終わりを告げる語と、それにもかかわらず外界の 状況を無視して限界まで己れの﹁夢魂﹂に執着し続ける煬 帝の姿がある。第九句から第十二句までの、光と色彩と聴 覚と嗅覚とを連ねた感覚的な情景描写は、第八句﹁天に連 な り 展 き 尽 く す   金 芙 蓉 ﹂ で 地 上 的 世 界 か ら 遊 離 し、 ﹁ 漏 転じ﹂に示される天下の変動とは隔絶して﹁夢魂﹂に浸る 煬帝の陶酔を視野に入れて、 解釈すべきではないだろうか。

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16 そして、その﹁夢魂﹂と対立する外界からの侵食を告げる 存 在 と し て﹁ 天 鶏 ﹂ が 登 場 し、 ﹁ 暁 ﹂ と い う 終 焉 が、 第 十 九句﹁後主の荒宮   暁鶯有り﹂に示されるのである。 山本敏雄氏は、温庭筠詩の夢について、こう述べ る ︶43 ︵ 。   ﹁夢﹂は、 ﹁夢﹂見る主体にとって価値あるものの喪 失という方向性を有するという点と、その喪失が、時 間の経過の中で、一瞬の間に起こるという 点で機能し て い る と い え る。 こ の﹁ 夢 ﹂ は、 時 間 の 流 れ の 中 で、 常に無へと向かう可能性を秘めた不安定な存在である といえよう。 確かに山本氏の言うように、 ﹁春江花月夜詞﹂の﹁夢魂﹂ は煬帝にとって価値あるものであり、 一瞬で消失して﹁暁﹂ を 迎 え て し ま う﹁ 不 安 定 な 存 在 ﹂ で あ る。 し か し、 ﹁ 夢 ﹂ は直線的な時間軸の中で無への志向を孕むだけの存在では な く、 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ で は、 外 界 の 時 間 軸 を 無 視 し て 最 後まで ﹁夢魂﹂ に執着し続ける煬帝の姿が表現されている。 この煬帝の姿は、第二章第一節で指摘した、天下の変動 を無視して皇帝としての安泰を疑おうとしない、暗君とし ての形象と重なり合うように読める。 事実、 劉学鍇氏は、 ﹁こ の詩の主旨は、思うに隋の滅亡を風刺することにある︵中 略 ︶。 詩 の 初 聯 と 末 聯 に 滅 ん だ 陳 と 滅 ん だ 隋 と を 均 し く 並 べて引き立てとすることで、風刺し歎く意を深くこめてい る﹂ ︵此詩主旨,蓋諷隋之覆亡︵中略︶ 。因而詩之開端、結 尾均以亡陳與亡隋並提作襯,以深寓諷慨之意︶と し ︶44 ︵ 、劉斯 翰 氏 は、 ﹁ 庭 筠 は こ の 詩 を 作 り、 春 江 花 月 夜 の 中 で、 陳 後 主の荒淫亡国の後塵をそのまま拝した隋煬帝のなしえたこ とに風刺を尽くしており、 その意図はすこぶる辛辣である﹂ ︵ 庭 筠 作 此 詩, 則 於 春 江 花 月 夜 之 中, 竭 盡 其 諷 刺 緊 歩 陳 後 主荒淫亡國後塵的隋煬帝的能事,用心是頗爲尖刻的︶とし て ︶45 ︵ 、﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ を、 陳 の 前 例 に 鑑 み な い 煬 帝 の 暗 愚 を痛烈に風刺した作、と解釈している。 しかし、以下二点の理由で、こうした解釈には疑問が残 る。 第 一 は、 前 節 で 指 摘 し た﹁ 金 芙 蓉 ﹂ の よ う に、 ﹁ 春 江 花月夜詞﹂ には艶情を連想させる要素が含まれる点である。 第 十 四 句﹁ 玻 璃 の 枕 ﹂、 そ こ に 漂 う 第 十 八 句﹁ 濃 香 ﹂ は、 温庭筠の詞﹁菩薩蛮   其二﹂前 闋 を直ちに想起させ る ︶46 ︵ 。 水精簾裏頗黎枕    水精の簾裏   頗黎の枕 暖香惹夢鴛鴦錦    暖香   夢を惹く   鴛鴦の錦 江上柳如煙      江上   柳   煙の如く 雁飛殘月天      雁は飛ぶ   残月の天 第二章第二節で指摘した、男女の交情と離別という﹁春 江花月夜﹂のモチーフを温庭筠の作もふまえているとした ら、煬帝には﹁亡国の君主﹂という従来の形象だけではな く、 ﹁艶情の担い手﹂ という新たな属性が加わることになる。

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17 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ の 目 的 が、 煬 帝 を﹁ 諷 ﹂ す る こ と だ け だ と考えるのには、無理があるのではないだろうか。 第二は、温庭筠自身の感慨を述べた作品に、詩人自身の 夢への執着が、往々にしてみられる点である。 晨起動征鐸   晨起   征鐸を動かし 客行悲故郷   客行   故郷を悲しむ 雞聲 茅店月   鶏声   茅店の月 人迹板橋霜   人迹   板橋の霜 槲葉落山路   槲葉   山路に落ち 枳花明驛牆   枳花   駅牆に明らかなり 因思杜陵夢   因りて思う   杜陵の夢 鳧雁滿廻塘   鳧雁   廻塘に満つ ︵巻七﹁商山早行﹂ ︶ この詩でも ﹁春江花月夜詞﹂ ﹁鶏鳴埭曲﹂と同じく、 第三 句﹁鶏声﹂によって眠りが脅かされる。夜は明け太陽は 容 赦 な く 昇 っ て い き、 詩 人 は﹁ 客 行 ﹂ に あ る 現 実 の 状 況 と、 否応なく向き合っていかざるを得ない。しかし、時間の流 れ に 逆 ら う か の よ う に、 詩 人 は﹁ 枳 花 ﹂ の 明 る い 白 さ に ﹁ 因 ﹂ っ て、 ﹁ 夢 ﹂ に 見 た﹁ 杜 陵 ﹂ の 情 景 へ 退 行 し て い く。 夢への強い執着、という姿勢が﹁春江花月夜詞﹂と共通す る。また、巻一﹁暁仙謡﹂の末四句にも﹁秦王の女は騎す   紅 尾 の 鳳、 半 空   首 を 回 ら し て   晨 鶏 を 弄 す。 霧 は 蓋 う   狂 塵   億 兆 の 家、 世 人 猶 お 作 す   牽 情 の 夢 ﹂︵ 秦 王 女 騎 紅 尾鳳、 半空回首晨雞弄。霧蓋狂塵億兆家、 世人猶作牽夢︶ と、 ﹁ 晨 鶏 ﹂ の 声 が 響 き 渡 る に も か か わ ら ず、 ﹁ 牽 情 の 夢 ﹂ に執着する﹁億兆﹂の﹁世人﹂が描かれる。これらの例を ふ ま え る と、 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ で は、 淫 虐 の 君 主 と し て の 煬 帝 へ の 批 判 よ り も、 ﹁ 夢 魂 ﹂ に 沈 む 煬 帝 へ の 共 感 が 表 現 さ れ て い る 可 能 性 が あ る。 そ う で あ る と す れ ば、 ﹁ 春 江 花 月夜詞﹂に描かれるのは、煬帝を取り巻く遊仙と艶情の別 世 界、 ﹁ 春 江 花 月 の 夜 ﹂ と い う 情 景 が 終 わ り を 告 げ、 執 着 し続けた﹁夢魂﹂がついに崩れ去り、 ﹁暁﹂が訪れてしまっ たことへの限りない哀惜、と考えられるのである。 四   おわりに 本稿では、温庭筠﹁春江花月夜詞﹂に焦点を絞り、その 情 景 表 現 に つ い て 検 討 し た。 ま ず、 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ に 描 かれる﹁龍舟﹂の行幸は、天下の情勢を無視した煬帝の豪 奢を表す象徴として中唐までに定着し、温庭筠もその認識 をふまえること︵第二章第一節︶ 、﹁春江花月夜﹂先行諸作 品は煬帝の二首に始まり、時間構成と技巧の複雑化、叙景 から男女の交情と別離、神女への連想から月と人の対比へ と、内容に変化が見られるが、詠史の形で綴った作は見出 せないことを確認した︵第二章第二節︶ 。次に、 ﹁ 春江花月

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18 夜詞﹂ 第八句 ﹁天に連なり展き尽くす   金芙蓉﹂ について、 遊仙と艶情を暗示させることで、地上的世界からの離脱が 表現されている可能性を指摘した︵第三章第一節︶ 。また、 第十四句﹁天鶏﹂と第十八句﹁夢魂﹂を検討し、詩の展開 に 時 間 的 な 屈 折 が 見 ら れ、 ﹁ 亡 国 の 暗 君 ﹂ に 対 す る 風 刺 で はなく、 ﹁夢魂﹂に執着する煬帝への詩人の共感と、 ﹁夢魂﹂ が崩れ去り ﹁暁﹂ が訪れたことへの哀惜が、 ﹁春江花月夜詞﹂ の主題である可能性を論じた︵第三章第二節︶ 。 し か し、 ﹁ 春 江 花 月 夜 詞 ﹂ に つ い て は、 ま だ 十 分 に 検 討 できていない箇所がある。それは第四句﹁還た金陵に向い て   春色を漾わす﹂である。蕩搖たる春の気配を漂わせる ことが、何故滅亡の予兆になるのだろうか。第一章で、温 庭筠には春景を主題とした詩の多いことに触れたが、それ が亡国とどう関わるのか。温庭筠詩の春景の特徴について は、稿を改めて論じたい。また、温庭筠の楽府には李賀か らの強い影響が指摘されている が ︶47 ︵ 、本稿では触れることが できなかった。楽府に絞った比較は、 今後の課題としたい。   注 ︵ 1︶   村 上 哲 見﹁ 温 飛 卿 の 文 学 ﹂︵ ﹃ 宋 詞 研 究   唐 五 代 北 宋 篇 ﹄ 創 文 社、 一 九 七 六 年 所 収。 初 出 は﹃ 中 国 文 学 報 ﹄ 五、 一 九 五六年︶ 、一一六頁。 ︵ 2︶   温庭筠の作品は、 劉学鍇撰 ﹃温庭筠全集校注﹄ ︵中華書局、 二 〇 〇 七 年 ︶ を 底 本 と し た。 ﹃ 楽 府 詩 集 ﹄︵ 中 華 書 局、 一 九 七九年︶では、 ﹁鶏鳴埭 曲 ﹂を﹁鶏鳴埭歌﹂ 、﹁春江花月夜 詞 ﹂ を﹁春江花月夜﹂に、それぞれ作る。 ︵ 3︶   詩 の 表 現 を 具 体 的 に 検 討 し た 論 文 は、 注 1村 上 氏 論 文 の 他 に、 山 之 内 正 彦﹁ 李 商 隠 表 現 考・ 断 章   │ 豔 詩 を 中 心 と し て │ ﹂︵ ﹃ 東 洋 文 化 研 究 所 紀 要 ﹄ 四 八、 一 九 六 九 年 ︶、 山 本 敏 雄﹁ 温 庭 筠 の 文 学 の 一 側 面   │ 時 間 の 流 れ の 中 の 不 安 定な存在│﹂ ︵﹃東方学﹄七一、 一九八六年︶ 、 芦立一郎﹁温 庭 筠 歌 詞 に つ い て ﹂︵ ﹃ 山 形 大 学 紀 要︵ 人 文 科 学 ︶﹄ 第 一 二 巻 第 一 号、 一 九 九 〇 年 ︶、 斎 藤 茂﹁ 温 庭 筠 詩 論   │ そ の 近 体 詩 を め ぐ っ て │ ﹂︵ ﹃ 伊 藤 漱 平 教 授 退 官 記 念 中 国 学 論 集 ﹄ 汲 古 書 院、 一 九 八 六 年 所 収 ︶、 速 水 愛 子﹁ 温 庭 筠 の 律 詩 に お け る 対 句 に つ い て ﹂︵ ﹃ 筑 波 中 国 文 化 論 叢 ﹄ 二 二、 二 〇 〇 二 年 ︶、 中 原 健 二﹁ 温 庭 筠 詩 に お け る 色 彩 語 表 現 ﹂︵ ﹃ 宋 詞 と 言 葉 ﹄ 汲 古 書 院、 二 〇 〇 九 年 所 収 ︶ 等 が あ る が、 博 士 論 文 以 上 の ま と ま っ た 研 究 は 国 内 に な い。 中 国 で は、 近 年 晩 唐 の 艶 体 詩 と 唐 末 五 代 詞 と の 関 係 を 探 る 研 究 が 活 発 に 行 わ れ て い る が、 題 材 や 語 句 の 類 似 性 に 注 目 が 集 ま っ て お り、 個 々 の 表 現 を 詳 細 に 分 析 し た 研 究 は 乏 し い。 劉 学 鍇﹃ 温 庭 筠 伝 論 ﹄︵ 安 徽 大 学 出 版 社、 二 〇 〇 八 年 ︶ は、 温 庭 筠 の 生 涯 及 び 作 品︵ 楽 府・ 近 体 詩・ 詞・ 駢 文・ 賦・ 小 説 ︶ の 概 説 を 目 的 と し た も の で あ り、 温 庭 筠 詩 の 表 現 を 検 討 し た 専 著 は見当たらない。 ︵ 4︶   唐詩における煬帝の形象を論じた先行研究に、 加藤敏 ﹁元

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19 温庭筠「春江花月夜詞」の情景表現について(鈴木) 結 の 詩 文 に お け る 煬 帝 の 形 象 ﹂︵ ﹃ 千 葉 大 学 教 育 学 部 研 究 紀 要﹄六一、二〇一三年︶があり、参考にした。 ︵ 5︶   ﹃隋書﹄ ︵中華書局、一九七三年︶ 。 ︵ 6︶   ﹃資治通鑑﹄ ︵中華書局、一九九七年︶ 。 ︵ 7︶   ﹃ 全 唐 文 ﹄ と ﹃ 全 唐 詩 ﹄ の 用 例 検 索 に は、 ﹁ 中 國 哲 學 書 電 子 化 計 劃 ﹂︵ https://ctext.or g/zh ︶ と﹁ 寒 泉 ﹂︵ http://skqs.lib. ntnu.edu.tw/dragon/ ︶を利用した。 ︵ 8︶   ﹃ 隋 書 ﹄ 編 纂 の 中 心 人 物 の 一 人 で あ る 魏 徴︵ 五 八 〇∼ 六 四三︶は、 ﹃全唐文   附唐文拾遺 ・ 唐文続拾 ・ 読全唐文札記﹄ ︵上海古籍出版社、 一九九〇年︶ 巻一三九 ﹁論時政疏﹂ にて、 ﹁ 驅 天 下 以 從 欲、 罄 萬 物 以 自 奉。 採 域 中 之 子 女、 求 遠 方 之 奇 異。 宮 宇 是 飾、 臺 榭 是 崇。 徭 役 無 時、 干 戈 不 戢 。 外 示 威 重、 内 多 隘 忌 ﹂ と、 煬 帝 が﹁ 天 下 ﹂ の﹁ 萬 物 ﹂ を 搾 り 取 り 欲 望 を 恣 に し た こ と を 激 し く 非 難 し て い る。 し か し、 ﹁ 宮 宇是飾、 臺榭是崇﹂と煬帝の奢侈を指弾しながらも、 ﹁龍舟﹂ の行幸については全く触れていない。 ︵ 9︶   彭慶生校注﹃陳子昂集校注﹄ ︵黄山書社、二〇一五年︶ 。 ︵ 10︶   孫 欽 校 注﹃ 高 適 集 校 注︵ 修 訂 本 ︶﹄ ︵ 上 海 古 籍 出 版 社、 二 〇一四年︶ 、三〇二頁。 ︵ 11︶   ﹃楽府詩集﹄巻七七。 ︵ 12︶   朱 金 城 箋 校﹃ 白 居 易 集 箋 校 ﹄︵ 上 海 古 籍 出 版 社、 一 九 八 八年︶巻四。 ︵ 13︶   ﹃旧唐書﹄ ︵中華書局、一九七五年︶ 。 ︵ 14︶   ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 巻 二 九﹁ 志 第 九   音 楽 志 二 ﹂ で は、 ﹁ 後 主 ﹂ を ﹁叔寶﹂に、 ﹁太常令﹂を﹁太樂令﹂につくる。 ︵ 15︶   山本氏注 3所掲論文、五五頁。 ︵ 16︶   ﹁ 春 江 花 月 夜 ﹂ 諸 作 品 の 引 用 は、 温 庭 筠 の 作 を 除 き、 全 て﹃楽府詩集﹄を底本とした。 ︵ 17︶   ﹃十三経注疏   毛詩注疏﹄ ︵上海古籍出版社、 二〇一三年︶ 巻一・一之三。 ︵ 18︶   ﹃ 十 三 経 注 疏   毛 詩 注 疏 ﹄ の 孔 穎 達 の 疏 に は、 ﹁ 今 上 有 游 女、 以 貞 絜 之 故、 不 可 犯 禮 而 求、 是 爲 木 以 高 其 枝 葉、 人 無 休 息 、 女 由 持 其 絜 淸、 人 無 求 思 ﹂ と あ る が、 ﹃ 文 選 ﹄ 巻 一 八 に 収 め る 嵇 康︵ 二 二 三∼ 二 六 二 ︶﹁ 琴 賦 ﹂ 第 三 三 八 句﹁ 游 女 飄 焉 而 來 萃 ﹂ で、 李 善 は﹁ 游 女 ﹂ を﹁ 韓 詩 曰、 有 游 女、 不 可 求 思。 薛 君 曰、 游 女、 神 也。 言 神 時 見、 不 可 求 而 得 之 ﹂ と 注 す る︵ 同 学 の 髙 﨑 駿 士 氏 の ご 示 教 に よ る ︶。 こ こ で は、 ﹁ 游 女 ﹂ が 神 女 で あ る﹁ 兩 妃 ﹂ と 対 を な す ことから、 李善の引く﹁韓詩﹂の説をとる。 ﹃文選﹄は、 ﹃日 本 足 利 学 校 蔵 宋 刊 明 州 本 六 臣 注 文 選 ﹄︵ 人 民 文 学 出 版 社、 二〇〇八年︶を底本とした。 ︵ 19︶   ﹁ 洲 ﹂ の 語 は﹃ 全 唐 詩 ﹄ に、 蔡 孚︵ 七 世 紀 後 半∼ 八 世 紀前半︶ 巻六四 ﹁奉和聖製龍池篇﹂ 頸聯 ﹁歌臺舞榭宜正月、 柳岸洲勝往年﹂ と李徳裕 ︵七八七∼八五〇︶ 巻四六四 ﹁述 夢 詩 四 十 韻 ﹂ 第 三 十 一 聯﹁ 蘭 野 凝 香 管、 洲 動 翠 篙 ﹂ の 二 例 が あ る。 前 者 は﹁ 柳 岸 ﹂﹁ 洲 ﹂、 後 者 は﹁ 蘭 野 ﹂﹁ 洲 ﹂ と、 い ず れ も 一 般 名 詞 と 対 で 使 用 し て お り、 固 有 名 詞 で は ないと解釈した。 ﹃全唐詩﹄ は陳貽欣主編 ﹃増訂注釈全唐詩﹄ ︵文化芸術出版社、二〇〇一年︶による。 ︵ 20︶   ﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ で は、 第 十 一 句 の﹁ 澄 ﹂ を﹁ 照 ﹂、 第 十 四 句

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20 の﹁玻璃﹂を﹁頗黎﹂に作る。 ︵ 21︶   劉斯翰選注 ﹃温庭筠詩詞選﹄ ︵遠流出版公司、 一九八八年︶ は、 ﹁ 雲 黑 ﹂ を﹁ 暗 示 黑 夜 降 臨 ﹂︵ 三 九 頁 ︶ と 解 釈 す る。 こ こ で は、 李 賀︵ 七 九 〇∼ 八 一 六 ︶ 巻 一﹁ 雁 門 太 守 行 ﹂ 初 句に ﹁黑雲壓城城欲摧﹂ とあることから、 ﹃温庭筠全集校注﹄ で 劉 学 鍇 氏 が﹁ 象 徴 國 之 將 亡 ﹂︵ 一 七 三 頁 ︶ と 注 す る の に 従 う。 李 賀 詩 は、 呉 企 明 箋 注﹃ 李 長 吉 歌 詩 編 年 箋 注 ﹄︵ 中 華書局、二〇一二年︶による。 ︵ 22︶  ﹃温庭筠全集校注﹄ 、一七五頁。 ︵ 23︶   ﹃温庭筠詩詞選﹄ 、四〇頁。 ︵ 24︶   皮日休詩は、ともに﹃全唐詩﹄巻六〇五。 ︵ 25︶   ﹁ 酔 ﹂ の 語 が 亡 国 の 天 子 に よ る 失 政 の 隠 喩 と し て 用 い ら れることについては、 詹満江﹁李商隠が詠じる亡国の天子﹂ ︵﹃ 李 商 隠 研 究 ﹄ 汲 古 書 院、 二 〇 〇 五 年 所 収。 初 出 は﹃ 杏 林 大学外国語学部紀要﹄九、一九九七年︶参照。 ︵ 26︶   杜 紫 綸・ 他 撰﹃ 中 晩 唐 詩 叩 弾 集 ﹄︵ 北 京 市 中 国 書 店、 一 九八四年︶巻八。 ︵ 27︶   ﹃温庭筠全集校注﹄ 、一七八頁。 ︵ 28︶   劉学鍇 ・ 余恕誠編著 ﹃李商隠詩歌集解   増訂重排本﹄ ︵中 華書局、二〇〇四年︶第三冊、一五五一頁。 ︵ 29︶   山本氏注 3所掲論文、五七頁。 ︵ 30︶   ﹃温庭筠全集校注﹄ 、一七四頁。 ︵ 31︶   ﹃温庭筠詩詞選﹄ 、三九頁。 ︵ 32︶   李 白 の 詩 は、 瞿 蛻 園・ 朱 金 城 校 注﹃ 李 白 集 校 注 ﹄︵ 上 海 古籍出版社、一九八〇年︶巻一六、巻二一。 ︵ 33︶   ﹃李商隠詩歌集解   増訂重排本﹄第一冊、一六一頁。 ︵ 34︶   馮浩箋注 ・ 蒋凡校点 ﹃玉谿生詩集箋注﹄ ︵上海古籍出版社、 一九九八年︶ 、七一頁。 ︵ 35︶   芦立氏注 3所掲論文、二五頁。 ︵ 36︶   王 運 熙﹃ 六 朝 楽 府 与 民 歌 ﹄︵ 中 華 書 局、 一 九 六 一 年 ︶、 一 三六∼一三七頁。 ︵ 37︶   ﹁ 子 夜 夏 歌 ﹂ は、 ﹃ 楽 府 詩 集 ﹄ 巻 四 四﹁ 清 商 曲 辞 一   呉 声 歌 曲 一 ﹂ の﹁ 子 夜 四 時 歌 七 十 五 首 ﹂ に 収 め る。 引 用 詩 は、 夏歌二十首のうちの﹁其二十﹂ 。 ︵ 38︶   ﹃南史﹄ ︵中華書局、一九八七年︶ 。 ︵ 39︶ 王 国 良 校 注﹃ 温 庭 筠 詩 集 校 注 ﹄︵ 黎 明 文 化 公 司、 一 九 九 九 年 ︶、 二 頁。 ﹃ 玄 中 記 ﹄ は 撰 者 不 明、 佚 書。 王 氏 の 引 く 記 事 は、 欧 陽 詢︵ 五 五 七∼ 六 四 一 ︶ 撰﹃ 芸 文 類 聚 ﹄︵ 上 海 古 籍 出 版 社、 一 九 九 九 年 ︶ 巻 九 一﹁ 鳥 部 中   鶏 ﹂ に 見 え る。 ただし、 ﹃芸文類聚﹄には﹁光﹂の文字がない。 ︵ 40︶   斎藤氏注 3所掲論文の三七八頁にすでに指摘がある。 ︵ 41︶   芦立氏注 3所掲論文、二四頁。 ︵ 42︶   芦立氏注 3所掲論文、二六頁。 ︵ 43︶   山本氏注 3所掲論文、五二頁。 ︵ 44︶   ﹃温庭筠全集校注﹄ 、一七八頁。 ︵ 45︶   ﹃温庭筠詩詞選﹄ 、三八頁。 ︵ 46︶   ﹃温庭筠全集校注﹄巻一〇。 ︵ 47︶   山之内氏注 3所掲論文、三九頁。

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