密
厳
教
会
遍
照
講
四
十
年
史
埼 玉 第 一 教 区 地 蔵 院 住 職小
室
裕
充
密厳教会遍照講四十年史 (小室裕 充) はじ
め
に 智 山 派 教 団 運 動 の な か で 、 遍 照 講 ほ ど 民 衆 に
支
え ら れ 、 発 展 さ せ ら れ て き た 信 仰 運 動 は な い 。 「 本 派 唯 一 の 教 化 団 体 ・ 信仰
団 体 」 で あ る と言
は れ て き た 。 慣 習 的 な 檀 徒 を 、真
に 大 師 信仰
に高
め、 育 成 し て き た 意 義 と 役 割 は 非 常 に 高 い 。 生 き た 信 仰 運 動 と し て の 四 十 年 の あ ゆ み を 持 つ 遍 照 講 の 歴 史 か ら学
ぽ ね ば な ら な い こ と は 少 く な い は ず で あ る 。 し か し 、 遍 照 講 に 対 す る 評 価 は 、 そ の 信 仰 運 動 の 重 要 性 に 比 し て 低 く 、 教 団 の 教 化 運 動 の な か に も 正 し く 位置
づ け ら れ て い な い 。 そ れ に 遍 照 講 の 歴 史 を 研 究 し て い る 人 も い な い よ う で あ る 。 仏 教 教 団 の な か で も 、 こ の 遍 照 講 は も っ と も誇
り と す べ き 民 衆 の 信仰
運 動 で あ る 。 も っ と も 古 い 伝 統 と す ぐ れ た 民 衆 の 信 仰 運 動 の 歴史
を 持 つ 詠 歌 和 讃 は、 他 宗 に誇
れ る 真 言 宗 の す ぐ れ た仏
教 運 動 で も あ る 。 遍 照 講 は 昭 和 六年
に 創 立 さ れ 、 大 和 、 金 剛流
の伝
統 か ら 、 独特
の 密厳
流 を 創 始 す る や 、智
山 派 教 師 、 師範
の 大 き な 努 力 に よ っ て 、発
足 数 年 後 に は 、 大 和 、 金 剛流
を 凌 い で発
展 し て い っ た の で あ る 。 と く に 、 昭 和 九 年宗
祖 大 師 一 千 百年
御 遠 忌 事業
に 乗 っ て 、 一 躍 大 き く発
展 し、 ラ ジ オ に も の っ て 一 種 の ブ ー ム に ま で 高 ま っ た の で あ る 。 十年
に は 支 部 数 四 五〇
師
範
数 二 五 〇 講員
数 約 二 万 名 と 創 立 当 時 に 比 し て 三 年 に し て 、 四 倍 に も達
す る と い 大 躍進
ぶ り で し た 。 し か し 、 こ の 年 を 頂 点 と し 、 戦 争 へ の 深 ま り と と も に 衰 退 し、 戦 時 体 制 の な か智 山学報第二十一輯 で
停
滞 せ ざ る を え な く な っ て し ま っ た 。 戦 争 が終
る と す ぐ に 再 興 が は か ら れ 、 二 十 三年
よ り 全 国 各 地 に 連 合 本 部 が 結 成 さ れ 始 め 、 戦 争 で 亡 く な っ た息
子 や 夫 へ の慰
霊 に さ さ え ら れ て 、 万 霊 供 養、 世 界 平 和 祈 願、 平 和観
音
讃 仰 と し て 発 展 し 、 三 十年
代 初期
に は 支 部数
約 二 五 〇 、 講 員数
五 千 名 に も達
し た が 、 三 十 年 代後
半
か ら 四 十 年 代 に 入 っ て 衰 え 始 め 、新
曲発
表 、 幹 部師
範
の 研 修強
化 、 宗 務 当 局 と の 協 力 体 制強
化 な ど の さ ま ざ ま な 計 画 、 努 力 が な さ れ て き て い る が 、 発 展 へ の 見 通 し は 明 る く な い 。 と こ ろ で 、 密厳
流 の 詠 歌和
讃 を 学 び 取 っ て 信 徒 運 動 に し て い っ た 梅 花 流 が 、 遍 照 講 の発
展 を 追 い 越 し て い く ほ ど の 興 隆 と な っ て い る こ と は 考 え さ せ ら れ る こ と で あ る 。 密 厳 流 詠 歌 和 讃 は 、 遍 照 講 創 立 当 時 と は 大 き く 変 化 し て き て い る 。 ど の よ う な も の が、 も っ と も 民衆
に 支 え ら れ 、 唱 え ら れ て き た の か 、 ど う 発 展 さ せ ね ぽ な ら な い の か を 、 真 に 問 う て い く べ き で あ る 。今
日、 民 衆 の 生 活 、 意 識 が 大 き く 変 化 し 、 音 楽 へ の 、 信 仰 へ の 理解
も 変 化 し て き て い る と き、 密 厳 流 詠 歌 和 讃 に も 新 し い 感 覚 の も の が 、 必 要 と さ れ て き て い る 。 密 厳 流 の 積 極 的 な 発 展 を 願 う 、 若 い 教 師 の 多 数 の 参 加 が 、 ど う し て も 必 要 であ
る 。 遍 照 講 発 足 の と き も、 三 十 代 の 若 い 教 師 の な み な み な ら ぬ 努 力 と 協 力 に よ っ て 、 育 成 、 発 展 さ せ て い っ た の で あ る Q そ う し た 気 運 が 生 れ る こ と を 祈 っ て 、 遍 照 講 四 十 年 史 の 概 略 を ま と め 、 皆様
の 積 極 的 な 御 意 見 と 御 批 判 を 期 待 す る も の で あ る 。 一 112 一 ( 一 ) 密厳
教
会 遍 照 講 が 創 立 さ れ た の は 、 昭和
六 年 七 月 十 八 日 で あ る 。 本 講 が 創 立 さ れ る ま で の 歴 史 に つ い て 、渡
辺 栄密厳教会遍照講四十年 史 (小室 裕充) 照 師 は 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 コ 兀 来 本
派
に は、 古 く か ら 上村
教 仁僧
正 伝 来 の 正 信 節1
こ れ は 同 僧 正 が 九 州 で 習 得 さ れ た も の に瑜
伽 僧 正 が 蘭 溪 節 を 取 り 入 れ て 正 信 流 と 称 し 、 巡 回 布 教 に よ っ て 普 及 さ れ た も の が 、 当 時相
当 教 師 の 間 に 唱 詠 さ れ て い た 。 偶 々 本 派 五 十 二 代 の 管 長 旭 純 栄 大 僧 正 が 初 め て の 御 親 教 を 昭 和 五年
八 月 北 海 道 に行
っ た 時 、 全 道 至 る 所 に 御 詠 歌 を 唱 え る 大 和 講 の 善 男善
女 の 盛 ん な 送 迎 を う け、時
の 随 行 芙蓉
浄 淳 師、 総 本 山 事 務 長 平 沢 照 尊 師 等 相 か り 、 大 和 、 金 剛 を 取 り 入 れ て 所 謂 三 師 ( 上 村、 白 石 、 大 谷 ) 三 派 の 合 作 」 で発
足 し た 。 「 し か も 、 こ の 三 師 の 合 作 を 新作
音
譜 に 依 っ て 表 現 し、 声 明 を 参 考 と し 独 特 の イ ロ 、 ツ ヤ を 付 け て 密 厳 流 詠 法 の 基 盤 を つ く っ た の は 、 本 流 出 身 の作
曲 家 久 志 卓 真先
生 で あ る 。 先 生 は詠
歌 和 讃 の 将 来 を 当 時 既 に 予知
さ れ て 、 昭 和 五 年 十 二 月五 線 音
譜
を 基 に 正 確 な新
譜 を 創 案 さ れ た こ と は 、 ま こ と に卓
見 で あ っ た と 思 う 」 ( 註 − )密
厳 流 遍 照 講 と し た の は 「 宗 祖 大 師 の 遍 照 金 剛 の 名 に 講名
を 遍 照 講 と 称 し 、 開 山 大 師 の 密厳
大尊
者 を仰
い で 流 名 を密
厳 流 と 名 づ け 、 宗 祖 派 祖 大 師 を 名 称 に載
」 ( 註 2 ) い た の で あ る 。 旭 純 栄 管 長 は 、 親 諭 を 発 し、 教 団 あ げ て 、密
厳 流 遍 照 講 の 発 展 を 期 し た の あ で る 。 遍 照 講 の 創 立 と密
厳 流 の 特 長 に つ い て は 、松
本 尊 憲師
が 次 の よ う に述
べ て い る 。 「 時 の 管 長 、 旭 純 栄 大 僧 正 を総
裁 に 推 載 し 、 本 山事
務 長 の 職 に あ っ た 平 沢 僧 正 が 総 監 に 、 大 谷 ・ 白 石 ・ 上 村 の 三先
生 が、 指 導 面 の 中 心 と な っ て 発 足 し た の で あ り ま す 。 発 足 当 初 の 音 譜 は 、 右 三 先 生 が 唱 詠 さ れ た も の を 、 宗 派 出身
の 音 楽 家 久 志 卓 真 氏 が 五 線 に 作 譜 し 、 そ の 裏 面 に は 別 に 略 音 譜 と 称 し、 五 線 の 上 に 拍 の 長 さ を 線 の 長 短 で 表 わ し た 音譜
が 出 版 さ れ ♪ 他 に 例 を 見 な い 全 く 飛 躍 的 な 教典
が 、 制 定 さ れ た の で あ り ま す 。 そ し て 、 そ の 年 の 七 月 に は 十 人 ほ ど の 師 範 が養
成 さ れ 、 次 い で 十 二 月 の 師 範 養 成 講 習 会 後 に は 、 二 十 数 人 の 師 範 も 選任
さ れ て 、 一 応密
厳 流 と し て の 基 礎 も 、 出 来 上 っ た わ け で あ り ま す 。 し か し 、 当 時 の密
厳 流 の 詠 法 は 、 大 和 流 の 白 石 先 生、 金 剛 流 の 大 谷 先 生 、 そ れ に 正 信節
の 独 創 者 で あ る 上 村先
生 が、 い わ ゆ る 基 本 十 節 を 分 担 し て 、 指 導 に あ た ら れ ま し た の で 、 現 在 か ら 見 れ ば ま さ し く 大 和、 金 剛 の 匂 い が充
分
た だ よ っ て い た と も い う こ と が 出 来 ま し よ う 。 そ の 後 間 も な く 、 東 寺智山学報 第二 十一輯 流 か ら
松
岡 真 昌 先 生 が 本 部 常任
師範
に 任 命 さ れ、 た ま た ま 本 山 常 任 布 教 師 で 、 理 論 家 で 知 ら れ た 、 岩 村 義 運 僧 正 と 起 居 を を と も に す る よ う に な っ て 、 密 厳 流 の 様 相 も 、 大 き く 転 換 を 示 し 初 め、 独 自 の詠
風 も 芽 生 え て 来 た の で あ り ま す 。 即 ち 、 岩 村師
に よ る 密 厳 流詠
讃 要 訣 は 密厳
流 の よ き 指 針 と な り 、 松 岡 師 に よ る御
遠 忌 和 讃 等 数 々 の新
曲 は 、 今 日 の 流 風 の 基 盤 を 作 っ た も の と い え ま し よ う 。 岩 村 師 作 曲 の 興 教 大 師 讃 仰 和 讃 も 、 こ の 時代
の も の で あ り ま す 」 ( 註3
) 創 立 す る と 久 志卓
真 に よ る 新 作 音譜
に よ る 「 密 厳 流 御 詠 歌 音 譜 」 を 発 行 し た 。創
立 し て 満 一 年 目 の 七 年 七 月 で 支 部 数 一 〇 九 、 師 範 数 九 二 、 講 員 数 五 一 〇 七 で し た が、 三 年 目 に は 急 速 に 発 展 し、満
二 年 目 の 八 年 七 月 に は 支 部 数 二 五 一 、 師範
数 一 七 三 、 講 員 数 一 三 八 二 四 と 前 年 に 比 し 倍 加 し た の で し た 。 八 年 六 月 本 山 に お い て 両 祖 大 師 降 誕 を 祝 し 、 本 部 主 催 の 各 流 詠 歌 奉 唱 大 会 を 開 い た 。 参 加 者 は京
都、 大 阪 、福
井 、 滋賀
の 二 府 二 県 よ り 七 百 名 以 上 に も 達 し 、 大 会 は 大 成 功 を お さ め た 。 「 本 山 の 全境
内 は 全 く 詠 歌 の み の 世 界 で 、 そ の偉
観 は 到 座 言 辞 も 及 ば ぬ 盛 況 」 し か も 「 五 百 有 余 の 講 員 が 此 の 長 時 間 私 語 す ら も せ ず 静 粛 に 聞 き 又 歌 い 、 閉 会 式 ま で 臨 ん で い た こ と 、 こ の 一 事 を 以 て し て も如
何 に 信 仰 を 主 体 と し た も の で あ り 、 人 心 を 捉 へ た 教 化 事 業 」 ( 註 4 ) で あ る か の 認 識 を あ ら た に し た 。 六 月 の 役 員総
会 に お い てω
宗 祖 大 師 御 遠 忌 奉賛
記 念 事 業 と し て ω御
遠 忌 記 念 密 厳 流 全 国詠
歌 大 会 の 開 催 と@
御 遠 忌 法 会 道 場 の 荘 厳 具 一式
を 寄 進 す る こ と、本 部 と 地 方 支 部 と の 連 絡 を 一 層 緊 密 に す る こ と を 決 定 し 、 師 範
会
総
会 も 同 様 の決
議 を し た 。 岩 村 義 運 、 松 岡 真 昌 共 編 に よ る 「 密 厳 流詠
歌 和 讃 略 音譜
」 ( 八 年 四 月 刊 ) を 発 刊 し た が 、 そ の 中 に 含 ま れ て い る 詠 歌 和 讃 は 京 節、 木 揚 節 、 大 和 節 、 千 鳥 節 、 正 信 節 、 入定
和
讃、 花 山 節 、 修 行 和 讃 節 、 巡 礼 節 、 興 教 大 師誕
生 和 讃 節、 岩 船 、 札 打 、 巡 行 、 誓 願、 不 動 、 孝 子、 追 弔 和 讃 節 と桔
梗 節 で あ る 。音
譜 は 久 志 師 に よ る 新 作 音譜
は 、 老 若 男 女 、 大 衆 に は む か な い と し て、 一 年 有 余 の 研 究 に よ っ て 簡 単、 明瞭
、 平 一114
一密 厳 教会 遍照講四十年史 (小室裕充) 易、 正 確 の 四 原 則 の も の と、 現 在 使 は れ て い る 略 音 譜 の も と を 作 り 出 し た の で あ る 。 こ の 略 音
譜
は 遍 照 講 の 発 展 、 大 衆 化 の 上 に は 大 き く 寄 与 す る こ と に な っ た と 言 え る 。 し か し 、渡
辺 栄 照 師 が 「 当 時 第 一 線 の普
及 役 で あ る 我 々 師 範 は 、新
作 音譜
を 咀 嚼 す る 事 が 出 来 な い で 現 在 用 い て い る 略 音 譜 に の み 頼 り 過 ぎ た た め、 各 層 へ滲
透 せ し め 得 な か っ た こ と は 事 実 で あ る 」 と 述懐
し て い る よ う に 、 五線
音 譜 へ の 道 を と ざ す こ と に な っ て し ま っ た 一 面 も あ る 。 「 密厳
流 詠 歌 和 讃 略 音 譜 」 が 密 厳 流 の 確 立 を 示 す も の と な っ た こ と で は、高
く 評 価 さ れ る べ き 定 本 と い え る 。 こ の 他 、 金 子 隆 英編
著 「 密厳
流 詠 歌 和讃
自 由 音譜
集
」 ( 川 崎 大 師 平 間 寺 出 版 部 七 年 刊 ) 、 中 田 照 蓮 編 「 御 詠 歌 和 讃 」 ( 遍 照 講 金 剛 寺 支 部 八 年 刊 ) な ど が 使 は れ て い た 。 宗 祖 大 師 一 千 百 年 御遠
忌 記 念 密厳
流 全 国 詠 歌 大 会 は 、 総 本 山智
積 院 に お い て 九 年 四 月 一 日 よ り 三 十 日 ま で 会 期 三 十 日 間 連 続 詠 歌 大 会 を 開催
、 出 場 延 人員
六 一 〇 名 に 達 し た 。御
遠 忌 は 、 マ ス コ ミ が大
き く 取 り 上 げ 、 各 寺 で も 遠 忌 の碑
を 建 立 す る な ど 広 範 な 信 仰 運動
に ま で高
ま っ た な か で 全 国 詠 歌 大 会 は 非常
に 盛 り 上 り、 遍 照講
も 急 速 に発
展 し た 。 東 京 で も 六 月 廿 七 日 日 比 谷 公 会 堂 で 、新
古 真 言各
派 後援
の も と に 各 流 詠 歌 大会
を 催 し 、密
厳 、 大 師 、 大 和、 金 剛 各 流 講 員 三〇
〇 〇 名 が 参 加 し た 。 九 年 四 月岩
村 義 運著
「密
厳
流 詠 讃 要 訣 」 を 遠 忌 記念
出 版 と し て発
刊 し た 。 前 年発
刊 し た 略 音 譜 詠 歌 和讃
集 に 対 す る 詠 歌 道 を ま と め た も の で 、 こ の 二 著 に よ っ て 密厳
流 が 完 全 に 確 立 さ れ る こ と に な っ た 。 唱 詠 の 心 得 、 音 の 強 弱 、 高 低 、 長 短 に つ い て や 教 授 法 、 詠 歌、 和 讃 一 曲 一 曲 に つ い て の 詳 細 な 解 説 が な さ れ て い る 。 十 年 九 月 に は 「 北 は樺
太 北 海 道 か ら、南
は 九 州 朝 鮮 に 及 び 」支
部数
四 五 〇 、 師 範数
二 五〇
と 八 年 に 比 し 倍 増 し、 十 一 年 に は 支 部数
四 八 〇 講員
数 二 五 〇 〇〇
に ま で 発 展 し た 。 こ の よ う な 遍 照 講 の 発 展 を青
木 栄 俊 師 は 、 次 の よ う に 説 明 し て い る 。 「 我 が 密厳
流詠
歌 和讃
が そ の 曲 節 に 於 て、智山学報第二 十一輯 又
歌
詞 は 於 て 一 般 同 信 の 宗 教 的 な 感 情 に 適 応 さ せ る も の で あ る こ と は 勿 論 で あ り ま す が 、 ま た 其 組織
が 我 が 本 部 即 ち総
本 山 が 中 心 と な り 、 各 支 部 こ れ に真
属 し、 各 支部
長 は 直 きぐ
に 講 員 を 指 導 教 化 す る仕
組 で あ っ て 、 そ の 間 に何
物
の 介 在 を 許 さ ず 、 而 も 同 信 を 直 接 教 化 指 導 す る と こ ろ の 師 範 並 に 支 部 長 は 何 れ も 本 派 教 師 で あ る が 、 た め そ の教
団 開 拓 に 又 講 員 獲 得 に つ い て は 非 常 な 熱 意 を 以 て こ れ に 当 り 、 自 己 の 利害
損 失 を 論 せ ず 、 誰 そ の 本分
の自
覚 に 依 り て 精 進 さ れ る た め 」 ( 註5
) で あ り 、 こ の 著 し い発
展 は 仏 教 界 に お い て も 特筆
す べ き 成果
で あ っ た の で 、 本 派本
願寺
が 宗 会 で 取 り 上 げ 、 豊 山 派 は 詠 歌 と舞
踊 の 組 合 せ を 進 め 、 追 い 越 さ れ た 大 和 講、 大 師 講 が 遍 照 講 を 研 究 し だ し た と い う 。 し か し、 遍 照 講 に も 問 題 が 出 て き て お り 「 徒 ら に他
の 拙 を笑
い 自 ら の 巧 を誇
り、 遂 に は 昨 日 の 同信
も 今 日 は 言葉
を 交 す さ へ嫌
う と 言 う や う な 態 度 に 出 つ る 如 き は 、誠
に 遺 憾 至 極 で あ る の み な らず
、 斯 様 な 心 持 ち で は真
の 信 心 と は似
て も つ か な い 畢 竟 邪道
に 踏 み 入 っ た も の で 、 そ こ に は 不 統 制 問 題 や 風紀
問 題 そ の 他 忌 は し き 事件
が 相続
い て起
っ て 来 る こ と は 当 然 で 」 ( 註 5 ) あ る と し 、 師 範 ・ 支 部 長 の あ る べ き 姿 を 、 更 に 次 の よ う に 教 示 し て い る 、 「 詠 歌 和 讃 の 奉 詠 に つ い て は そ の 本 旨 を 充分
に 理解
し、 唯 に そ れ が 音 調 の 華 麗 ・ 曲節
の 巧 拙 に の み 止 ま る こ と な く 、 心 か ら な る 仏 恩 報 謝 で あ っ て 、 そ れ を 通 じ て 以 て 実 生 活 の 指 導 精 神 と し 、 吾 々 の 日 常 生 活 と 混 然 と 融 合 す る の 域 に ま で達
せ な け れ ぽ詠
歌 道 の 本 旨 を 体 得 し た も の と は 言 へ な い と 信 ず る 」 ( 註 6 ) 。 そ の 詠 歌 道 を 真 に 具 現 し た 例 を 、 次 の よ う に あ げ て い る 、 「 先 般 地 方 を 旅 行 い た し り 居 り ま し た 際 制 服 の 鉄 道 職 員 と 同 車 し て 居 り ま す と 、 そ の 方 が ポ ケ ッ ト か ら 折 本 を 出 し て 一 心 に 何 か 口 唱 ん で 居 ら れ ま す の で何
心 な く 見 る と 、 そ れ は 本 講 の 詠 歌 本 で あ り ま し た 。 私 は 思 ひ が け な い と こ ろ で 、 思 ひ 設 け な い 人 に 依 っ て我
が 密 厳 流 詠 歌 が 口 唱 さ れ 、 そ れ が 殊 に 繁 激 な 仕 事 に 従 事 し て 居 る 人 に 於 て こ れ を 観 て 私 は 非 常 に 心 を 動 さ れ た の で あ り ま す 。 そ れ は 激 務 に 従 事 し て 居 る も の が 常 に 宗数
的 信 念 を 持 し て 事 に 当 る、 即 ち 詠 歌 道 を 以 て 直 に 自 己 の実
生 活 に織
り 込 ん で 法悦
の 一 116 一密厳教 会遍照講四十年 史 (小室 裕充)
裡
に 自 分 の 職 分 を 全 う す る と 言 う 信 仰 即 生 活 の 姿 を 見 出 し て こ そ 本 当 に 詠 歌 道 の 真 髄 に 徹 し た も の と 思 う の で あ り ま す 」 ( 註 5 ) 九 年 か ら 十年
に か け 開 山 大 師 讃 仰 和 讃 、 入 滅 和讃
、 四 恩 和讃
、 孝 養 和 讃 な ど の 新 作 が 発表
さ れ た 。 遍 照 講 の 機 関 紙 と し て 七年
よ り 「 遍 照 講 年 報 」 ( 雑 誌 ) が発
刊 さ れ 四 号 ま で 刊 行 さ れ た が 、 十 一 年 よ り は 「 遍 照 講 々 報 」 ( 新 聞 ) と な り 毎 年 一 回発
行
さ れ た 。 こ の 年 に は 本 部 か ら 師 範 養 成 講 習 会 の 「 講 演 集 」 が 発 刊 さ れ た 。 斉藤
隆
現 師 の 「 詠 歌 即 事談
」 、 金 剛 派 詠 監 曾我
部 師 の 「 金 剛 流詠
歌 道 」 、 藤 井 制 心 氏 の 「 仏 教音
楽
へ の 認 識 」 が 収 め ら れ て い る 。 遍 照 講 も 十 一 年 を 頂 点 と し て 発 展 が 停 ま り 、 む し ろ 衰 退 を 始 め て い っ た 。 十 四 年 の 宗 会 で 遍 照 講 に つ い て 、 次 の よ う な 質 疑 が な さ れ て い る 。海
老 塚 議 員 よ り 質 問 が あ り 「 弘 法 大 師 の 遠 忌 を 契機
と し て 一 時 全 国 の 支 所 下 に 風 靡 し た 遍 照 講 の 運 動 が 近 来 漸 次 下 火 と な っ て い る 」 に対
し 、 倉 持 宗 務 長 よ り 「 遍 照講
だ け で な く、 金 剛 講 . 大 和 講 に し て も 同 様 であ
る 。 こ れ は 事 変 関 係 に よ る も の で 、事
変
戦 死 者 に 対 す る 英 霊 廻 向 は す こ ぶ る 活 撥 に 行 は れ つ つ あ る 」 と 答 弁 さ れ て い る ( 註6
) 。 戦 争 へ の深
ま り は、 遍 照 講 の 衰 退 を 一層
急 速 に し 、 昭 和 十 七年
の 興 教 大 師 八 百 年 御 遠 忌 を め ざ す 運 動 も 高 ま ら ず 戦 時 体 制 の な か で 消 え て い か ね ば な ら ぬ 運命
と な り、 勇 ま し い 軍 歌 に 鼓 吹 さ れ て い く こ と に な っ て し ま っ た 。 註 註 註 註 註 註 6 5 4 3 2 1 、 、 、 、 、 、 遍 照 講 々 報 第 十 一 号 三 十 七 年 五 月 岩 村 義 運 著 「 密 厳 流 詠 讃 要 訣 」 九 年 刊 遍 照 講 々 報 第 七 号 、 三 十 五 年 七 月 遍 照 講 年 報 第3
号 九 年 刊 遍 照 講 年 報 第 4 号 十 年 刊 「 四 誓 」 六 十 号 よ り智山学報 第二 十一輯 ( 二 )
戦
前 に お け る 遍 照 講 運 動 の あ り 方 に つ い て、 若 千 の 特 色 を あ げ て み る な ら ぽ 、 次 の よ う に な る と 思 う 。ω
同 信 同 行 の 僧 俗 を 以 て 組織
す る と い う、 僧 俗 }体
の 信仰
運 動 を 作 り 出 し て い っ た こ と 。 僧 俗 が 一 つ の も の に 心 を 一 つ に し て 、 と も に は げ む と い う 同 行 運 動 は 衆 生 と と も に と い う 真 の仏
教 精 神 の 展 開 と な り 、 住 職 と檀
信 徒 と い う 壁 を 破 っ て 、 同 信 の 精神
を 深 め え た こ と 。 近 代真
言 宗 史 に み ら れ ぬ 特筆
す べ ぎ 信 仰 運 動 で あ る 。 拗 講員
中 又 は 講 員 の 家 族 に 不 幸 が あ っ た と き、御
詠 歌 ・ 和 讃 を 唱 詠 し尊
霊 に 回 向 す る と い う こ と が 、 多 く の 人 々 に 深 い 感 動 を 与 え た こ と o僧
俗 一体
の 法 要 ・ 集 会 に よ っ て 信 仰 を 高 め る 運 動 と な り 、 死 者 の た め だ げ の 仏 教 を 、 生 の た め の 仏 教 信仰
に ま で 高 め る こ と に な っ た こ と 。 法 話 会 、 幻 話 会、 映 画 会、 花 祭 、 両 祖 大 師 会 、御
砂 踏、 霊 場 巡 礼 な ど が 行 は れ て い っ た 。大 師 の 社 会 奉 仕 の
精
神 の 展開
と し て 、様
々 な 実 践 活 動 を行
っ た 。 八 年 の 三 陸 地方
の 震 災 、 九年
近 畿 地 方 暴 風 禍 、 函 館 大 火 、 東 北 地 方 大 凶 作 な ど に 対 し 、詠
歌 托 鉢、 寒 行 、 詠 歌 行 脚 に よ っ て 街 頭 に 立 っ て の 民衆
か ら の 浄 財 に よ る 救援
活 動 を 行 っ た 。御
詠 歌 の 街 頭 活 動 は 、詠
歌 道 の 尊 さ を 多 く の 民 衆 に 与 え る こ と に な っ た と 思 う 。 ま た 、 村 内 の貧
困 者 へ の 助 け 合 い募
金 を し た 支 部 も あ り 、 農 繁 期 に 托 児 所 を 開 設 す る と こ ろ さ え あ っ た 。し か し 、 戦 争 が 深 ま る と 慰 問 袋 、 献 金 、 出 征 家 族 慰 問 金 募 集、 武 運 長 久 祈 疇 、 戦 死 者 追 弔 が 多 く な り 、
遍
照 講 も精
神 総 動員
体 制 に 自 か ら 入 っ て い く よ う に な る の で あ る 。 昭 和 十 年 旭 管 長 は 次 の よ う に 述 べ て い る、 「 今 や 吾 国 は 文 字 通 り 非 常 時 で あ る 。 然 し て 最 も 吾 人 の 肝 要事
は実
に 国 民 思 想 の統
制 で あ り 、浄
化 で あ る 。然
し て 、 こ れ が任
務 の 遂 行 は 吾 ら 教 団 人 の 第 一 義 で 」 「詠
歌 を 通 し て 思想
の 一 118 一密厳教会遍 照講四十年 史 (小室裕充) 善 導 に 貢 献 し 」 「 日 本 精 神 を 鼓 吹 し、 社 会 思
想
の 不 安 を 除 き、 幾多
の 難 関 に 直 面 し て も 不 屈 不撓
信 仰 の陶
治 に精
進 せ ら れ ん こ と を 」 と し て い る ( 註 − ) 。 詠 歌 道 即 真 言 道 即 日 本精
神 と な っ て し ま っ た 。 詠 歌 は 民 衆 の 悲 し み 、 な げ き、仏
へ の 願 い 、 信仰
の喜
び を 表 現 し た 宗 教 音 楽 で あ り 、 民 衆 の 幸 せ を 願 う 祈 り で も あ る 。 そ れ は ま た、 民衆
の 同 行 二 人 の 大 師 信 仰 で も あ る 。 戦争
を 讃 美 し 、 戦 争 を 鼓 吹 す る 軍 歌 に は つ な が ら な い も の で あ る 。戦
争
の 深 ま り と と も に 、 遍 照 講 が衰
退 し て し ま う の は 当 然 で あ り 、 日 本精
神
の 鼓 吹 に な っ て は、 詠 歌 道 は 生 け る 屍 に な っ て し ま う、 民 衆 の な か に 伝 承 さ れ て き た コ 鬧 無 大 師 遍 照 金 剛 」 の 大 師 信 仰 に 徹 し て 、 詠 歌 を 進 め て い く べ き で あ っ た Q 御 詠 歌 の 音 楽 上 の 特質
を 明 ら か に し 、 御詠
歌 の あ り 方 を 論 じ た も の は 、 久 志 師 が 「 密 厳 流 御 詠 歌 和 讃 集 解 説 」 ( 六 年 刊、智
山 派 教 学 部 刊 ) で 述 べ た も の 以 外 に は な い の で、 詳 し く 紹 介 し た い と 思 う 、 久 志 師 は 御詠
歌 の 本 質 に つ い て 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「 御 詠 歌 は 元 来 西 国 三 十 三 番 を 観音
様
に 御 す が り申
し 乍 ら 巡 礼 し て 歩 く 時 に 、 自然
と 演 き 出 て 来 た 日 本民
族 独 特 の 詠 嘆 歌 で あ っ て、 関 西 の 自 然 と 、 切 実 な る 観 音 様 信仰
と が 結 び つ い て 生 れ た 、 主観
的 、 独 唱的
音
楽 で あ る 。 其 の 旋 律 の 根底
に は 力 弱 き 凡 夫 の 際 限 な き 悲 し さ と 、 頼 り な さ と、淋
し さ が 根 強 く動
い て 居 る 。 然 も か 弱 き 煩悩
の 囚 人 で あ る 凡 夫 の 観 音 様 の 慈 悲 の 光 を 頼 に 、 只管
西 国 三 十 三 番 を さ ま よ い 歩 く 、 流浪
的詠
嘆 が 漲 っ て 居 る 。 御詠
歌 こ そ は 凡 夫 の 苦 悩 と 詠 嘆 と 慰 安 と諦
観 の 混 然 た る流
れ を 最 も 切実
に 素 朴 に 表 し た も の と 言 は ね ぽ な ら ん 。 従 っ て御
詠 歌 は 芸 術 的 合 唱 的 宗 教 音 楽 で は な く 、 独 唱 的 民謡
的 傾 向 を 基 調 と す る宗
教 音 楽 と も称
す
べ き も の で あ っ て 、徒
ら に 美声
を 発 揮 し た り、 曲 節 を 凝 っ た り 、 機 械 的 に 合 唱 的 に 西 洋音
楽 化 さ し た り す ぺ き も の で は な い の で あ る 。純
粋
な 意 味 に 於 て 御 詠 歌 の表
現 の 中 心 は 流 浪 的 情 趣 に あ る の で あ る 」 。 そ こ で 御詠
歌 の 唱 詠 は 「美
声
を 発 揮 し 、 典 節 を凝
り 、 機 械 的拍
子 を と る こ と は 御 詠 歌 を 毒 す る も の 」 で あ り 「 イ ロ と か ツ ヤ と 言 う の は 、 装 飾音
符 で あ っ て 其 旋 律 の骨
子 を な す も の で は な く 、 気 持 に 依 っ て 自 由 に 生 き る や う に つ智山学 報第二十一輯 け れ ば よ い の で 」 あ り 、 「 御
詠
歌 の 最 も 重 大 な 条 件 は 上 品 に素
朴 に 熱 烈 に 、 荘 重 に 、何
等 典 節 に 拘 泥 せ ず 自 由 に 心 の流
る る 儘 に 歌 う 点 に あ る 」 と し て い る 。 久 志 師 が 指 摘 さ れ て い る よ う に 、 流浪
的 詠 嘆 の 本 質 が 生 か さ れ た 新 典 が 作 ら れ た か ど う か は 、 一 つ の 課 題 で あ る 。讃
仰 的 説 教 的 な も の に な っ て し ま っ た の で は な い か、 凡 夫 の 深 い 悲 し さ、 淋 し さ か ら の 信仰
の 祈 り と い う も の に な っ て い た か ど う か 。 ま た 、 唱 詠 に つ い て の 二 つ の 流 れ 、 一 つ は 岩 村 義 運 著 「 密 厳 流 詠 讃 要訣
」 に み ら れ る よ う な 曲 節 の 一 つ 一 つ を 正 確 に 唱 え る 流 れ と、 も う 一 つ は 久志
師 が 指 摘 し て い る よ う に 曲 全 体 の 流 れ を 重 要 視 す る 流 れ と が あ る と 思 う が 、 こ の こ と は 遍 照 講 の 発 展 、新
曲 作 り と 深 く つ な が る 課 題 で あ り 、岩
村 、 久 志 両 師 の う ち に す で に 、 そ の 問 題 が 提 起 さ れ て い た と 考 え る べ き で し よ う 。 註 1 遍 照 講 年 報 第 ユ 号 ( 三 ) 智 山 派 は 廿 一 年 二 月 真 言 宗 智 山 派 の 独 立 を 宣 す る と と も に 「 済 世 利 人 以 テ 平和
日 本 ノ 建 設 二 寄 与 セ ン コ ン ヲ 翼 フ 」 と 告 諭 し 、 再発
足 し た 。 信仰
を 盛 り た て、 仏 教 の 教 え を 拡 め る こ と に 専 念 し よ う と 新 た な 決 意 で 、 出発
し た 。 那 須 政 隆 師 は 、 真 言 教 徒 の 平 和 へ の 態 度 を 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「 如 来 な る 迫 害 に も 耐 え 阿 修 羅 の 如 く 猛 り 狂 う 戦 火 の 前 に ひ れ 伏 し 、 永 遠 な る 世 界 平 和 と 人類
の 福 祉 と を祈
り つ つ 倒 れ て 悔 な き 大 安 心 が な く て は な ら ぬ 。 そ れ は ま こ と に 如 来 の 悲 願 の 如 く 、 わ が 真 言 教 徒 の 大 悲 願 で あ る 」 ( 註1
) 。 形 式 的 教 団 か ら 信 仰 教 団 へ 、 教 化 活 動 の活
撥 化、 宗 祖 に帰
れ 、 教 義 教 典 、 儀 式 、 建 物 の 現 代 化 、 教 団 の 民 主 化 が 叫 ば れ、 キ リ ス ト 教 の 進 出 に 対 抗 す る た め の 新 し い 教 化 の あ り 方 の な か で 、 宗 教 音 楽 を 重 要 視 し よ う と す る傾
向 が 一 120 一密厳教会遍 照講四 十年史 (小室裕 充) 生 れ、 仏 教 聖 歌 、
新
盆 踊 り 「 平 和 音 頭 」 な ど が 普 及 さ れ る よ う に な っ た 。 こ う し た 新 し い気
運 の な か で、 宗 教 音 楽 を 通 し て の 信 仰 団 体 、 教 化 団 体 と し て 僧 俗 一 体 の 遍 照 講 へ の 期 待 が 高 ま り、 廿 二年
三 月 の定
期
宗 議 会 に お い て 遍 照 講 の 再 発 足 が 、 大 き な 期 待 と 信 仰 を 高 め よ う と の 熱 意 の も と に 決 定 さ れ た 。 再 発 足 に 当 っ て 、 三 大 目 標 と し て 一 、終
戦
後 の 道義
復
興 に 寄 与 す る 菩 薩 行 一 、 信 仰 運 動 の 一翼
と し て の 詠 歌 活 動 一 、 太 平 洋 戦 争 の犠
牲
者 に 対 す る 慰 霊 行 事 と い う こ と を 強 調 し た 。 秋 山 内 局 の 「 本派
の 教 線 拡 張 と 本 山 興 隆 に は、 御 詠 歌 を ジ ャ ン 、 ジ ャ ン や る こ と だ 」 と の 強 い 支 援 に よ っ て 、 廿 三 年 よ り 正 式 に 活 撥化
し て い っ た 。 同 年 七 月 金 子 隆 英 、 石 川 隆 惇 、 松本
尊
憲、 川 淵 盛徹
、 渡 辺 栄 照 の 五 師 範 が 、 高 幡 金 剛 寺 に 集 い 、本
部
か ら 阿 部 本 部 長 も 参 加 し て 、 歌 詞 の 再 検 討 、 教授
法 の 研 究 、 教階
の 検 定 、 師範
検 定 の 検 定 課 目 の 制 定 、 師 範 会 の発
足 等 に つ い て 討 議 し 、 遍 照 講 の 基 本 的 方 向 を 決 め た 。 同年
十 月埼
玉 県 与 野 市 円 乗 院 に て開
か れ た 全 関 東 詠 歌 大会
は 、 各 流 各 派 の 参 加 者 が 二 千 三 百 余 名 に も 達 し 、湧
き 返 る よ う な 盛 況 で あ っ た 。 当 時 の こ と を 本 部 で は 次 の よ う に述
べ て い る 。 「 目 下 燎 原 の 火 勢 の 様 な 発 展 振 り を 示 し て い る の で あ る が 、 本 部 と し て 永続
性
を 有 た せ た統
制 あ る 教化
団 体 と し て 運 営 す る に は 、 何 う し て も 支 部 長 及 師範
各
位 と 緊 密 な 竪 横 の連
絡 を保
っ て常
に 本 部、 支 部 長 、 師 範 と 鼎 立 的 に 三 位 一 体 化 し な け れ ば な ら な い 」 ( 註 2 ) 。 同 年 十 二 月 師範
講 習 会 が 八 十 余 名 参 加 し て 開 か れ、 師 範 会 が結
成 さ れ て 活 撥 に 活 動 す る こ と を 誓 い 合 っ た 。 廿 四年
阿 部 内 局 の も と 本 部 長 と な っ た 石 川 隆 惇 師 は 「 本 派 唯 一 の 教 化 団体
と し て 、 又 信 仰 団 体 と し て 拡 充 を 図 り 、 本 講 の 講勢
を 以 て 総本
山 と 檀 信 徒 の直
結 を 期 し 、 復 興 の 大業
に も 偉 大 な 協力
を 願 い 度 い 」 と 挨 拶 し た 。智山学 報第ご十一輯 各 地 で 御 詠
歌
大 会 が 開 か れ 遍 照 講 は 発 展 し て い っ た 。 同 年 十 二 月 理 事 会 が 開 か れ 、 講 再発
足 当 時 暫 定 的 に制
定 し た 規 約 を 再 検討
し 、 若 干 の変
更
を し た 。 ま た、 こ の 十 二 月 改 訂 新 版 「 密 厳 流 詠 歌 和 讃 教 典第
一 集 と 続 編 」 が 発 行 さ れ た 。 廿 五 年 一 月 日 比 谷 公 会 堂 で 世 界 平 和 祈 願 人 類 福 祉 増 進 全 国 各 流 讃 仏 歌 奉 詠 大 会 ( 主 催 関 東 霊 明 支 部 、後
援 遍 照 講 本部
) が 開 か れ 、 阿部
宗 務 長 大導
師 の も と祈
願 法 要 を 勤修
し、 江 連 政 雄 僧 正 作 の 世 界 平 和 祈 願 和 讃 を 一 せ い に 奉 詠 し た 。 こ の 大 会 は 翌 日 の 正 午 の ニ ュ ー ス に 次 い で 全 国 に 放送
さ れ た 。 世 界 平 和 祈 願 和 讃 は 「 ふ た た び 戦 お こ さ じ と 、 憲 法 に 定 め じ 我 等 そ や 、常
和 ら ぎ の 世 と な さ ん 、尊
き 悲 願果
さ ぽ や 」 と し て お り 、 戦 争 で 亡 く な っ た 人 達 を 慰 み、 再 び 戦争
を お こ さ な い よ う に す る こ と が 、 我 々 の 尊 き 悲 願 で あ る と祈
り、 誓 っ て い る 。 し か し、 こ の 年 す で に マ ッ カ ー サ ー は 、 年 頭 の 辞 で 「 日 本 国 憲 法 の 規 定 は 」 「 自 己 防 衛 の 侵 し が た い 権 利 を 全 然 否 定 し た も の と は 絶 対 に 解 釈 で き な い 」 と の べ 、 吉 田 首 相 は自
衛 権 は 放 棄 せ ず と 言 明 し 、 六 月 に は 朝 鮮 戦 争 が 起 っ た 、 そ れ と と も に 再軍
備 化 が 進 ん で い っ た が、御
詠 歌 の 会 で は 戦 争 で 亡 く な っ た 人 達 へ の 慰 霊 の 心 で 一杯
で あ っ た , 戦 後 の 遍 照 講 興 隆 の 社 会 的 要 因 は 、 こ こ に あ っ た と 言 え る 。 息 子 や 夫 を 亡 く し た 幾 百 万 の 母 妻 達 の 涙 で 遍 照 講 が も り た て ら れ て い っ た の で し よ う 。 戦 後 も 数 年 た ち 、 生 活 に の み 追 わ れ て い た と き か ら、 い く ら 余 祐 を 持 ち 始 め た 廿 五年
か ら の 数 年 が 戦 没 者供
養
、 平 和 祈 願 の 御詠
歌 大 会 の 頂 点 に 達 し て い っ た と 言 え よ う 。 宗 報 第 十 六 号 ( 廿 五 年 二 月 ) よ り 、 江 連 政 雄 師 に よ る 「 詠 歌 和 讃 略 解 」 が 連載
さ れ 始 め た 。 四 月 に 開 か れ た 本 山 布 教 師 会 議 で 「 詠 歌 も 布 教 上 大 切 な こ と で あ る か ら 、 巡 回 布 教 の 際 場 合 に よ っ て 詠 歌 師 範 も 同 道 す る 様 に し 、詠
歌 大 会 に は 是 非 法 話 の 時 間 も 考 慮 す る 様 に は か つ て 行 く 」 べ き で あ る と し た 、 廿 五、 十 六 年 に か け て支
部 が 続 々 と 再興
さ れ 連 合 会 の 結 成 へ と 発 展 し て い っ た , そ れ と と も に 連 合 会 主 催 の 詠 歌 大 会、 講 習 会 が 開 か れ た 。 一 122 一密厳教会遍照講四十年史 (小室裕充) 廿 六 年 三 月 の
第
九 次宗
会 に お い て、 遍 照 講 に つ い て、 次 の よ う な 討 論 が な さ れ て い る 。森
谷 師 「 講 員階
級 制度
の 全 廃 、 検 定 の 本 部 一 本 化 、 教典
の 出 版度
数 の変
更 不 可 、 地 方 詠 歌 大 会 の 廃 止 」 「 検 定権
は 地 方 に ま わ す と 金 銭的
疑
惑 で 見 ら れ る 、奉
詠
大 会 は の ど 自 慢 的 に な ら な い 様 誰 に で も や れ る よ う に す べ き だ 」 。 こ れ に 対 し 石 川 教 学 部 長 は 「 熱 意 を 持 っ て や っ て い る 人 等 の 集 ま り で あ り 唯 一 の 教 化 面 で あ る と い う 事 の 一 日 も 早 く 来 ら ん 来 を 願 っ て 居 る 。 競 詠 意 識 は そ の 人 の 本能
で あ り 、 向 上 一 方 法 で あ る か ら 大 会 等 も し ば ら く そ の 儘 に し て お い て貰
い た い 」 。 廿 七年
四 月 廿 五 日 よ り 五 月 一 日 に 及 ぶ 総 本 山 本 堂 落 慶 大 法 要 に は 、 全 国 各 地 よ り 講 員 が 参 加 し た 。 四 月 廿 五 日 の開
日 当 日 「 か ね て 全 国 の 遍 照 講 員 に 盛 ん に 詠 唱 さ れ て い た 総 本 山 金 堂 再建
慶 祝 和 讃 を 東 山 支 部 講 員中
心 に 全 国 各 地 か ら 参 列 し た 講 員 百 余名
」 「 い と も 荘 重 に 且 つ 明 朗 に 奉 唱 し 」 「 廿 七 日 全 国 放 送 さ れ た 」 ( 註 3 ) 。 遍 照 講 は 本 堂 用 の 五 色 緞 子 大幔
幕
を 奉 納 し た 。 ま た、 一 週 間 の 法 要 期 間 中 、 本 山 に 参 拝 さ れ た 講 員 は 、 本 堂、 大 師 堂 で 奉 詠 や 審 査 を 受 け た 。 本 山復
興 慶 祝 和 讃、 詠 歌 は 江 連 政 雄 師 が 作 詞 し た も の で あ る 。 総 本 山 再建
に 遍 照 講 が 大 き く 貢 献 し て き た こ と は 、 高 く 評 価 さ れ る べき
で あ ろ う 。 廿 七 年 に は 、 吉 田 海純
作 詞 ・ 伊藤
完 夫 作 曲 「 両 祖 大 師 誕 生 和 讃 」 、 江 連 ・ 鷲 山 合 作 、 佐 々 紅 華 作曲
「 大 聖 釈 迦弁
尼
如 来 涅 槃和
讃 」 、 江 連 政 雄 作 詞 ・ 佐 々 紅 華作
曲 「 万 霊 供養
盂 蘭 盆和
讃 」 「 遍 照 講 々歌
」 の 新 作 が 発 表 さ れ た 。 前 三 曲 は 現 在 も さ か ん に 奉 詠 さ れ て い る が 、 遍 照講
は 曲 の 関 係 か 教 典 の な か に 入 っ て い な い 。 廿 七 年 十 二 月 釈尊
成 道奉
詠 全 国 詠 歌 大 会 を 遍 照 講 本 部 と 東京
教 区 共 催 で、 日 比 谷 公 会 堂 に 開 催 「 地 元 京 浜 地 区 は も と よ り、 近 く は 千 葉 、埼
玉 か ら 遠 く は 秋 田、 山 形 の 熱 心 な 遍 照 講傘
下 の 百 八 十 支 部 約 三 千 の 講 員 が 参 集 し て 、 さ し も 広 い 公会
堂 を 埋 め つ く し 」 た の であ
る ( 註 4 ) 。 廿 八 年 三 月 講 員 名 簿 を発
行 し て い る が 、 そ れ に よ る と 支 部 数 は 二 七 八 と な っ て い る 。 石 川 総 本 部 長 は そ の な か で 「新
作 の 詠 歌 和讃
の 発表
に 、 作 譜 作 曲 の 時 代 化 に 、 新 し い 構 想 の 下 に 最 善 の努
力 を傾
け 」 て智山 学報 第二 十一輯 い る と 述 べ て い る 。 廿 九 年 度 の 理 事 会 に お い て 、 今 後 の 方 針 を 検 討 し 「 今
秋
を 期 し て 各 地 方 別 に 連 合 支 部 単 位 若 し く は 数支
部 連 合 し て詠
歌 大 会 を 開 催 」 す る こ と と し た ( 註 5 ) 。 御 詠 歌 に 舞 踊 を 取 り 入 れ る 傾 向 が 強 ま り、当
流 で は、 埼 玉 鴻 巣 の 小 寺 慈恭
師 が 、 詠舞
の 創 設 と 指 導 を行
っ た が 、 現 在 は ほ と ん ど 行 は れ て い な い 。 三 十 年 十 月 に は 総 本 山 智 積 院 に お い て 、 創 立 廿 五 周 年 記念
全 国 詠 歌 奉 詠 大 会 を 開 催 し た 。 註 1 「 仏 教 の 大 意 」 所 収 、 仏 教 布 教 大 系 第 一 巻 註 2 宗 報 第 六 号 註3
宗 報 第 三 十 八 号 註4
宗 報 第 四 十 四 号 註5
宗 報 第 六 十 二 号 ( 四 ) 三 十 一年
に は 規 約改
正 が 行 な は れ 、 詠 監 が 置 か れ る こ と に な り 、 流 匠 会議
並 に常
任 理 事 会 で 初 代 の 詠 監 に 松 本 尊 憲 師 が 選 出 さ れ 「流
匠 会 議 は 強 力 の も の と な り 、 本 部 師 範 を 教 育 し 他 方 講習
等 に 、 ど し ど し 派 遣 出 来 る よ う に 大 勢 を 整 え 」 地 方 講 習 会 を 大 い に 開 き 、 五 月 に は 全 国 奉 詠 大 会 を 開 く こ と を 決 定 し た 。 遍 照 講 講 報 の 再 刊 が 早 く か ら期
待
さ れ て い た が 、 三 十 二年
九 月 よ う や く第
一 号 を 発 刊 し た 。 三 十 一 年 か ら 三 十 二 年 に か け て 京 都 、京
神
、 宮 城 、千
葉
三 ケ 所 、 長 野 、 栃木
等 の 各 所 で講
習 会 が 開 か れ て い る 。 三 十 三 年 に は 五 月 に 全 国 奉 詠 大 会 を 川 崎 大師
平 間 寺 で 開催
し、 十 月 に は 弘 法 大 師 立 教 開 宗 一 一 五〇
年 記念
全 国 詠 歌 大 会 を 出 流 山 で 八 百 名 参 加 の も と 開 催 し た 。 三 十 四 年 に は 九 月 に 全 国奉
詠 大 会 を 開 催 し た が 、 栃 木 連 合会
、 磐 城 連 合 会 な ど で も そ れ ぞ れ 奉 詠 大 会 が 開 か れ た 。 福 島 県 で は 直 門 会 を 結 成 し 、 毎 月 研 修 会 を 行 う こ と と し た 。 三 十 五 年 に は 総 本 部 師 範 の 更 迭 が あ り 、 新 し く 加藤
、 渡 辺 、 小 河 原 、 隈 川 、 佐 藤 、 石 橋 が 就 任 し た 。 ま た 、 詠 監 の 推薦
し た 直 門 を 含 め た 十 名 程 度 一124
一密厳 教会遍 照講四十年 史 (小 室裕充) の 師 範 の 人 々 に 、
本
部 師 範 を 加 え て 構 成 、 密厳
流 詠 歌、 和讃
の 徹 底 的 研 磨 を 目 指 す 密 厳 流 研 修 会 を 発 足 さ せ た 。 十 月 に は 遍 照 講 創 立 三 十 周 年 記念
全 国 奉 詠 大 会 を 本 山 に て 参 百 五 十 名 参 加 で 行 っ た 。 千 葉 連 合 会 で も 三 十 周年
を 記 念 し、 成 田 山 で 全 国奉
詠 大 会 を開
き 、 千 有 余 名 の 参 加 を て 盛 大 で あ っ起
、 新 曲 「 密 厳 国 土 」 が 六 月 に 発 表 さ れ た 。 三 十 六 年 に は 、 中 央 講 習 会 だ け で な く 、 地 方 講 習 会 の 開 催 、 研 修 会 を 続 け る な ど を 決 定 し 、 新 し い 遍 照 講 を発
展 さ せ て い く た め の 方 針 を 打 ち 出 し 、 真 福 寺 の 全 国 奉 詠 大 会 に は 千 二 百 名 を 参 加 さ せ た 。 三 十 五 年 、 三 十 六 年 に は衰
退 化 し て い く 遍 照 講 を ど お 再 興 し て い く か が 真 剣 に 問 は れ て 、 理 事 会 で も さ ま ざ ま な 意 見 が 出 さ れ 、 研 修 会 の発
足、 講 習 会 の 開 催 等 に 努 め た 。 そ の 当 時 の こ と に つ い て 、 渡 辺 栄 照 師 は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「 密 厳 流 の 進 歩 向 上 な く し て は 、 講 の 発 展 拡 張 は の ぞ め な い 。 そ れ に し て も 三 十 五 、 三 十 六 年 と 二 年 続 け た 研 修 会 は 思 っ た ほ ど の期
待 は 得 ら れ な か っ た 。 原 因 は 師 範 の 勉 強 が 不 足 し て い る と い う 点 に つ き る の で あ る 。 こ れ 程 資 料 の 揃 っ て い る 当 流 を 我 々 も 研 究 不 足 で は あ る が 、 全 国 に 六 百 人 余 の 師 範 が い る と い う の に 現 在 の 状 態 で は 全 く 将 来 が 思 い や ら れ る 」 ( 註 − ) 。 直 門 師 範 の 小 林 静 子 は 密 厳 流 の 新 し い あ り 方 と し て、 次 の よ う な 具 体 的 提 案 を し て い る 。二
、 歌 詞 は わ か り 易 く し て い た だ く こ と 。 二、 こ れ か ら 発 表 す る 新 曲 に は 五 線 音 譜 を 併 せ て い た だ く こ と 。 三、 青 少 年 に も 親 し み の も て る 明 る い 調 子 を と り 入 れ て い た だ く こ と 。 四 、 鈴 鉦 を 基 本 に し た 楽 器 を 工 夫 し て い た だ き た い こ と 」 ( 註 1 ) 。 三 十 七年
に は第
一 回 師範
練 成 講 習 会 を 開 き、 中 央 講 習 会 も テ ー プ レ コ ー ダ ー、 オ ル ガ ン 、 メ ト ロ ノ ー ム を使
用 し て の 僧 俗 一 体 の 講 習 と し た 。 密 厳 研 修 会 は 詠 歌 研 究 会 と し て 研 究 を 深 め て い く こ と に し、 地 方 講習
会 も 引 き 続 き積
極 的 に開
い て い く と と も に 、 直 門 会 を 結 成 し た. 、 こ の 会 は 独 自 の 立 場 か ら 直 門 だ け で 自 主 的 に 運 営 し て い く 会 と し た 。 三 十 九 年 に は 師範
会
を 再 発 足 さ せ た 。 ま た 、 こ の 年 に は 新 経 典 ( 第 一集
、 続 篇 )発
刊 記 念 講 習 会 を 開 い た 。 遍 照 講 三 十 五 周 年 記 念 全 国 奉 詠 総 本 山 大 会 を 四 十年
三 月 開 催 、 御 修 行 大 師 御尊
像
を 本 山 に 建 立 寄 進 し た 。 そ の と き 高 野 山 開 創 一 一 五 十年
を 記念
し て 報 恩 参 拝 し た 。 ま た 、「 修 行 大 師 の 御 尊 像 を
建
立 し た喜
び に む せ ん だ 講 員 は 、智 山学報 第二 十一輯 本 山 へ の 意 織 を 高 め 、 本 山 の 聖 域 を 清 掃 し た い と 言 う 決 意 を
新
た に し、 総 本 山 智 積 院 清 掃 奉 仕 団 を 結成
し 、 四 十 年 に は 六 支 部 百 五 十 余 人 が参
加 し た 」 ( 註 2 ) 。 平 沢 照 晋 師 は 四 十 二 年 六 月 の 宗 報 誌 上 で 衰 退 化 し て い く 遍 照 講 を ど う 再 発 展 さ せ て い く か 、 打 開策
を 本 部 で 検 討 し た が 、 次 の よ う に な っ た と 述 べ て い る 。 ω 一寺
院 一 支 部 設 置 を 目 標 に す る 。 御 親 教 、 特 派 布 教 、 巡 回 布 教 等 に 詠 歌布
教 も 行 う 。PR
用 の 平 易 な 詠 歌 の 符 本 を布
教 時 に 無 料 配 布 す る 。 ω 詠 歌 の 理 解 を 深 め る た め 歌 詞 の 解 説 書 を 発 行 す る 。 各 教 区 に詠
歌 の 担 当 師範
を おき
巡 回 指 導 に 当 ら せ る 。指 導 者 師 範 の 養 成 。 ω 大 正 大 学 、 専 修 学 院 で 詠 歌 を 必 修 科 日 と す る 。 宗 務 当 局 の 財 政 的 助 成 を 増 や す 。 四 十 二 年 「 詠 歌、 和 讃 の 解 説 」 那 須 政 隆 著 が 、 宗 務 庁 よ り 発 行 さ れ た 。 詠 歌 普 及 用 と し て 詠 歌、
和
讃
〔 入 定 、 花 山 、 密 厳 国 士 、 同 行 の 四 曲 ) の リ ー フ レ ッ ト を 印 刷 し、 御 親 教 及 巡 回 布 教 等 の 際 無 料 配 布 し 詠 歌 を拡
め る こ と に し た 。 四 十 三 年度
の 師 範 総 会 で ω 師範
会 会 員 の 確 保 と 会 費 の 納 入 、 師 範 と 布 教 師 と の 差 別 対 遇 に つ い て 善 処、 一 ケ寺
一 支 部 運 動 を 起 す 等 が 話 し 合 は れ て い る 。 成 田 山 新 本 堂 の 落 慶 大 開 帳 を 奉賛
し 、 奉 詠 成 田 山 大 会 が 、 八 五 十 余 名 参 加 し て 行 は れ た 。 四 十 四年
五 月 故松
本詠
監 追 悼 全 国奉
詠 大 会 が 千 有 余 名 の参
加 で 盛 大 に行
は れ た 。 松 本 尊 憲 師 が 遍 照 講 に 寄 与 し た 功 績 は実
に 大 き い 。渡
辺栄
照 師 は 次 の よ う に た た え て い る Q 「 昭 和 六 年 遍 照 講 創 設 以 来 の 師 範 と し て 活 躍 さ れ 、 三 十 →年
三 月 六 日 初 代 詠 監 に 就 か れ て か ら は、文
字 通 り 密厳
流 の 最 高 権 威 者 と し て 内 外 を 指 導 し 、 作 詩 作 曲 に 専 念 さ れ 、 密 厳 流 の 向 上 と 充 実 に つ く さ れ た 功 績 は 言 葉 に い い つ く す 事 は で き ま せ ん. 。 私 共 は た だ 先 生 を 頼 り 、先
生 の お 力 、 先 生 の 人 格、 先 生 の お 徳 に 依 存 し、 そ れ に 甘 え て 今 日 ま で ま い り ま し た 」 ( 註 3 ) 。 二 代 目 詠 監 に 江 連 政 雄 師 が 推 載 さ れ た 、 四 十 五 年 十 月 遍 照 講 四 十 周 年記
念、 興 教 大 師 御 尊 像建
立密
厳 流 奉 詠 本 山 一126
一大 会 が 開 か れ 、 遍 照 講 四 十 年 の あ ゆ み を す す め た 。 註 − 遍 昭 酬 講 講 報 第 十 一 口 万 註
2
遍 照 講 講 報 第 二 十 一 号 註3
遍 照 講 講 報 第 二 十 八 号 密厳 教会遍 照講四十年 史 (小室裕充) ( 五 ) 戦 後 の 遍 照 講 の あ ゆ み と 現 状 の な か か ら 、 こ れ か ら の 遍 照 講 の あ り 方 を 考 慮 し な が ら 若 干 の 問 題 点 を 明 ら か に し て み た い と 思 う 。ω
流
行 歌 は そ の 時 代 の 世 相 を 反 映 し た も の で あ る と 言 は れ て い る 。 そ の 時 代 の 人 間 の 心 を と ら え た 歌 が 、多
く 人 達 に 歌 は れ 親 し ま れ る の だ と 言 え ま し よ う 。 勿 論、 い つ の 時 代 に も 親 し ま れ、 歌 は れ る 歌 も あ る 。 御 詠 歌 、 和 讃 は 人 間 の 魂 の 祈 り の 歌 だ け に 、 い つ の 時 代 に も 歌 は れ る も の で す 、 し か し、 そ れ で も そ の 時 代 の 人 間 の 魂 を 表 現 し た も の が あ る. 、戦
後
で は、 平 和 観音
讃 仰 和讃
が 戦 争 で 亡 く な っ た 人達
へ の悲
し み を歌
に し た も の と し て 、多
く 人達
の 心 を と ら え た と 思 う 。 と こ ろ で 、 こ こ 十年
間 に お け る 日 本 人 の精
神
は 大 き く 変 化 し 、 こ れ か ら も 変 化 し よ う と し て い る 。 御 詠 歌 を 習 い 始 め る 四 十代
、 五 十 代 の 女 性 と 上 達 し て い る 六 十代
、 七 十 代 の 講 員 の 考 え 方 に も、大
き な 相 違 が み ら れ る 。 遍 照 講衰
退 化 の根
本 原 因 は 、新
し い 四 十代
、 五 十 代 の 女 性 の 入 会 が え ら れ な い と 言 う こ と で す 。 新 し い 社 会 に 生 き よ う と し て い る 四 十 代 の 女 性 の 心 を ど う と ら え る か が 、 基 本 的 課 題 と 言 え ま し よ う 。 そ れ に ふ さ わ し い 新曲
を 作 り 、 親 し ま れ る 遍 照 講 に し て い く べ き で し よ う 。交
通 事 故 、 公 害 で 亡 く な っ た 人達
を 弔 う 御詠
歌 、 生 き る 力 の 御 詠 歌 を 流 浪 的 詠 嘆 と い う 御 詠 歌 の音
楽 的 特 色 を 生 か し て ど う 創 造 し て い く か に か か っ て い る 。遍 照 講
衰
退 化 の 実 態 に つ い て の 科 学 的 な 調 査 が 進 め ら れ て い な い 。 戦後
最 高 の と き で支
部 数 三 百 、講
員
数 約智 山学報 第二 十一輯 七 千 名 ( 二 十 七 年 度 講 員 名
簿
) 、 三 十 八 年 に は 支 部 数 二 三 二、 講 員 数 約 四 七 九 十 名 (第
十 三 次 定 期教
区代
表 会 上 野 総 長 の 執 務 経 過 報 告 ) 、 四 十 一年
に は 支 部 数 二 二 五、 講員
数 三 六 五 八 名 ( 宗 報 第 二 〇 三 号 ) 、 四 十 六年
に は 支 部 数 二 〇 七 、 講 員 数 約 三 千 名 と 減少
し て い る 。 こ の よ う な 実 態 に つ い て は 連 合 会 そ れ ぞ れ に つ い て 、 そ の詳
し い 原 因 を 明 ら か に し て い く こ と が 必 要 で あ る 。 ω 過 疎 化 が 進 ん で い る 農村
支 部 で 衰 退 化 が はげ
し い の で あ る か ど う か 。回
む し ろ 都 市 支 部 で 衰 退 化 し て い る の で あ ろ う か 。の
年 齢層
に 問 題 が あ る の で は な い か 、 新 し い 会 員 が ふ えず
、 老 齢 化 し て い る の で は な い か 。 の 師 範 に 問 題 が あ る の な ら、 そ の 原 因 は ど こ に あ る の だ ろ う か 、 爾 遍 照 講 の あ り 方 に 問 題 は な い か 。 支 部 の 運 営 に 問 題 は な い か 。 ボ ス 化 し た 直 門 師 範 に 独 占 さ れ て い な い か 。 教 え 方 に 問題
は な い か 。 遍 照 講 で も、 そ の 年度
ご と に 発 展 さ せ る た め の 運 動 方 針 を 出 し て き た が そ の 総 括、 検 討 が な い の で 、 何 度 も 同 じ よ う な 表 面 的 な 討 議 に終
っ て し ま っ て い る 。 遍 照 講 の 機 構 が 外 郭 団 体 的 な 存 在 か ら 、宗
団 機 構 の も の に な っ て い っ た た こ と も 、 戦 後 遍 照講
史 の な か の 特 長 で あ る 。 遍 照 講 の 運 営 上 基 本 と な る 理 事 の選
出方
法 に つ い て 、 こ の こ と を 明 ら か に し て み た い 。 三 十 一 年 の 改 正 で は 「 総 本 部 長 は 地 方 本 部 の意
見
を 開 ぎ 本 講 の 支 部 長 及 師 範 の 中 か ら 之 を 選任
す る 」 と な っ た 。 三 十 六 年 の 改 正 で は 「 本 宗 の 寺 院 の 住 職、 教 会 の 生 管 者 並 び に 師 範 、 支 部 長 の う ち か ら、 連 合 本 部 の 意 見 を 徴 し て、 総 本 部 長 が 選 任 す る 」 と な っ た 。 四 十 六年
に は 「 本 宗 の 教 学 部 長 の 職 に あ る 者 、 並 び に 本 講 の 師 範 及 び 本 宗 の 教 師 の う ち か ら 総 本 部 長 が 推薦
し た 者 総 裁 が 任 命 す る 」 と な り 現 在 に 至 っ て い る. 、 一 128 一密厳教会遍照講四十年史 (小室裕充)
機
構 的 に 言 う な ら ば 、 遍 照 講 を さ さ え 、 運 営 し て い る の は 支 部 長 な の で あ る 。 支 部 長 の 努 力 如 何 に よ っ て 、 遍 照講
は 発 展 も し 、 衰 退 化 も す る 。 三 十 一 年 、 三 十 六年
の 規 程 で は支
部 長 の う ち か ら 選 出 す る と い う こ と が 入 っ て い た が 、 四 十 六年
の 規 程 に は 全 く な く な っ て し ま っ て い る 。 ま た、詠
歌 の 上 で 中核
と な る 総 本 部 師 範 の 選 出 も 、 師 範 の 互 選 的 傾 向 が 、 全 く な く な り 総 長 の 推薦
と な っ た 。 密厳
教 会 の 遍 照 講 は 四 十 周 年 目 の 四 十 六 年 に、 実 質 的 に は解
消 さ れ て 智 山 派 遍 照 部 と な っ た と も 言 え る 。 教 区 代 表 会 に お い て 遍 照 講 の あ り 方 に つ い て の充
分
な 討議
が 期 待 さ れ る 。 ω師 範 の
増
員 と 遍 照 講 の 衰 退 化 と い う こ と も 特 色 の 一 つ で あ る 。 戦 前 は 師 範 約 三 百 名、 戦 後 三 十 八 年 六 七 三 名、 現 在 は 七 百 五 十 名 に も 達 し て い る と 思 う 。 遍 照 講 再 興 に は 師 範 の 研 修 強 化 と 師 範 の増
員 が 必 要 だ と 言 は れ、 大 正 大学
、 専 修 学 院 で も 師 範 の 資 格 が と れ る よ う に な っ た 。 し か し、師
範 の 資 格 を え て も 、 全 然 講 を 作 ろ う と し て い な い 形 式 的 に 与 え る だ け で は や る 気 は 起 ら な い 。 や る 気 を ど う 起 さ せ る か が 問 題 で あ る 。 師 範 会 に 会 費 を 納 入 し て い る も の 百 名 た ら ず だ と の こ と 。 師 範 は 師 範 会 に 入 ら ね ば な ら な い よ う に 規 定 上 は 作 ら れ た が 、 名 回 上 の こ と に な っ て し ま う で し よ う 。 各 地 に 師範
会 支 部 を 作 っ て い く こ と が 必要
で あ る 。 「 法 は 人 に よ っ て 拡 ま る 」 と い う 弘 法 大 師 の 教 訓 を 正 し く 受 け と め る べ き で あ る 。 奉 詠 大 会 の 持 ち 方 に つ い て も 考 え る べ き と き に 来 て い る 。 信 仰 を 高 め あ う 場 に す べ き な の に 、 競 技 す る 場 に な っ て し ま っ て い る 。 宗 教 音 楽 は 競 技 す る た め に 習 う も の で な く 、 信仰
を 深 め る た め に 唱 え る も の で あ る 。 技 術 を み が く の は プ ロ と 一 部 の 希 望 者 が す れ ば よ い の で あ る 。 大 会 は 講 成 劇 の よ う な 演 出 を 考 え 、 一 斉 奉 詠 を 数多
く 行 い 、 模範
独 唱 を 行 う べ き で あ り 、 発 展 し て い る 支 部 の 体 験 発 表 と 表 彰 が な さ れ る べ き で あ る 。 き び し い 練 習 と 不 安 の う ち に 参 加 し 、 残 念 と ね た み に 帰 え る 大 会 を 、 親 し み と 期 待 を も っ て参
加 し、 感 動 と 生 き智山学報 第二 十一輯 が い を も っ て 帰 え る 大 会 に す べ き で し よ う 。 教 化 研 究 所 で 遍 照 講 に つ い て の 研 究 が 少 し も 進 め ら れ て い な い と い う こ と も、 考 え て い く べ き 重 大 な 課 題 で あ る 。 一 一