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密教文化 Vol. 1990 No. 168 001米山 孝子「行基説話伝承考――婆羅門僧正との和歌贈答説話の生成―― P1-19」

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(1)

-婆

成-米

○ は じ め に 行 基 に 関 す る 説 話 が 数 多 く 残 っ て い る 中 で 、 本 稿 は ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 等 に み ら れ る 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 菩 提 倦 那 と の 贈 答 歌 の 説 話 伝 承 を 通 し て 、 行 基 に 関 す る 一 ・ 二 の 問 題 と こ の 説 話 の 生 成 基 盤 に つ い て 考 え て み た い 。 本 説 話 は 、 ( 一 ) ﹃ 三 宝 絵 ﹄ ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ ﹃ 法 華 験 記 ﹄ ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ ﹃ 古 事 談 ﹄ ﹃ 私 聚 百 因 縁 集 ﹄ ﹃ 沙 石 集 ﹄ ﹃ 三 国 伝 記 ﹄ 等 の 仏 教 説 話 集 、 ( 二 ) ﹃ 大 安 寺 菩 提 伝 来 記 ﹄ ﹃ 元 興 寺 小 塔 院 師 資 相 承 記 ﹄ ﹃ 扶 桑 略 記 抄 ﹄ ﹃ 行 基 菩 薩 伝 ﹄ ﹃ 行 基 年 譜 ﹄ ﹃ 日 本 高 僧 伝 要 文 抄 ﹄ ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 等 の 寺 院 関 係 史 料 、 ( 三 ) ﹃ 拾 遺 和 歌 集 ﹄ 以 後 の ﹃ 俊 頼 髄 脳 ﹄ ﹃ 袋草子﹄﹃古来風体抄﹄﹃為 兼 卿 和 歌抄﹄等の歌論書という大きく 三 別 さ れ る 諸 文 献 の 中 に 見 る こ と が 出 来 る 。 こ の う ち 、 歌 論 書 に お け る 伝 承 は 本 説 話 の 生 成 基 盤 に 直 接 関 与 せ ず 、 仏 教 説 話 集 や 寺 院 関 係 史 料 に よ っ て 伝 承 さ れ た も の か ら の 受 容 と 考 え ら れ る の で 、 本 稿 の 対 象 か ら は ず し て 別 稿 に て 論 じ た い と 思 う 。 ま た 関 係 す る 論 文 も 数 本 認 め ら れ 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 る が 、 適 時 必 要 箇 所 で 紹 介 し 、 学 恩 を 蒙 り た い と 思 う 。 ( 一 ) ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 本 説 話 と 問 題 の 所 在 ( 1 ) 説 話 集 の 中 で は 、 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 と の 交 流 は 永 観 二 年 (九 八 四 ) 成 立 の ﹃ 三 宝 絵 ﹄ 中 巻 第 三 話 ﹁ 行 基 菩 薩 ﹂ に 初 見 す る 。 関 係 す る 部 分 だ け そ の 概 要 を 記 し て み る と 、 次 の よ う に な る 。 聖 武 天 皇 が 東 大 寺 落 慶 供 養 の 講 師 と し て 行 基 を 要 請 す る が 、 行 基 は そ れ を 辞 退 し 、 代 わ り に 外 国 か ら 講 師 と な る 者 が や っ て く る だ ろ う と 予 言 す る 。 そ の 時 期 に な る と 、 行 基 は 百 僧 を 率 い て 難 波 の 浜 へ 迎 え に 出 、 誰 も い な い 海 に 關 伽 一 具 供 え て 婆 羅 門 僧 正 の 小 舟 を 先 導 す る 。 浜 に 着 く や お 互 い に 手 を と り 、 喜 び あ い な が ら 和 歌 の 贈 答 が 行 わ れ る 。 行 基 が 先 に 霊 山 の 釈 迦 の み ま へ に 契 て し 真 如 く ち せ ず あ ひ み つ る か な 婆 羅 門 僧 正 が 返 し て 迦 砒 羅 衛 に と も に 契 し か ひ あ り て 文 殊 の み か ほ あ ひ み つ る か な と 共 に 上 京 す る 。 こ の こ と で 、 人 々 は 行 基 が 文 殊 菩 薩 の 化 身 で あ る こ と を 知 る 。 中 巻 第 三 話 の 行 基 説 話 は 、 行 基 の 出 生 や 人 物 紹 介 か ら 始 ま り 、 膳 を 吐 い て 生 き た 魚 に し て 池 に 帰 し た 話 、 元 興 寺 の 大 法 会 の 参 集 の 中 に 獣 の 油 を ぬ っ て 参 加 し た 女 性 を 糾 弾 し た こ と 、 智 光 が 大 僧 正 に な っ た 行 基 を 諺 り 妬 ん で 地 獄 に 墜 ち 、 蘇 生 し た 話 、 そ し て 本 説 話 の 婆 羅 門 僧 正 と の 和 歌 贈 答 諏 で 終 わ っ て い る 。 こ の う ち 、 獣 の 油 を 塗 っ た 女 性 を 糾 弾 し た 話 と 智 光 の 地 獄 蘇 生 課 は ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ の 中 巻 二 十 九 縁 、 中 巻 七 縁 に 出 典 を 認 め る こ と が 出 来 る が 、 胸 を 魚 に 変

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じ た 話 と 本 説 話 は ﹃ 霊 異 記 ﹄ に は 収 録 さ れ て い な い。 後 続 す る ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ の ﹁ 行 基 伝 ﹂ に ほ ぼ 同 様 の 内 容 が 記 さ れ て い る が、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ と 成 立 期 を 同 じ く す る ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ 初 稿 の 段 階 で は 冒 頭 の ﹁ 聖 徳 太 子 伝 ﹂ と 次 の ( 2 ) ﹁ 行基伝﹂は収録されておらず、後に加筆さ れ た も の で あ る か ら、 ﹃ 日 本 往 生 極楽記﹄は﹃三宝絵﹄を参照 と し た か、 同 種 の 史 料 を 典 拠 に し て 作 製 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 因 み に、 長 久 年 間 ( 一 〇 四 〇-一 〇 四 四 ) 成 立 の ﹃ 法 華 験 記 ﹄ は ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ を そ の ま ま 典 拠 と し て 記 載 し て い る。 か く し て、 本 説 話 の 中 に は、 東 大 寺 落 慶 供 養 と 行 基 と の か か わ り、 行 基 の 未 知 を 予 言 す る 天 眼 力、 婆 羅 門 僧 正 と の 旧 知 の 如 き 贈 答 歌、 行 基 の 文 殊 化 身 説 等 が 示 さ れ て い る。 東 大 寺 落 慶 供 養 講 師 に 関 す る 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 と の 交 流 は ﹃ 三 宝絵﹄が初出としても、行基 の 天 眼 力 と 文 殊 化 身 説 は 既 に ﹃ 霊 異記﹄に 語 ら れ て い る 説 話 で あ る の で、 問 題 を こ の ﹃ 霊 異 記 ﹄ 内 外 の 二 つ に わ け、 各 々 の 検 討 か ら 双 方 の 接 続 へ と 論 を 進 め て い き た い。 ( 二 ) 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 と の 交 流 史 実 の 上 で は、 行 基 が 聖 武 天 皇 の 発 願 に 応 じ て、 大 仏 造 営 の 勧 進 を 始 め た の が 天 平 十 五 年 ( 七 四 三 ) 十 月 十 九 日 (﹃ 続 紀 ﹄ )、 婆 羅 門 僧 正 が 来 朝 し 難 波 に 着 い た の が そ れ 以 前 の 天 平 八 年 ( 七 三 六 ) 八 月 八 日 (﹃ 僧 正 碑 ﹄ ﹃ 続 紀 ﹄ ) で あ る。 従 っ て、 本 説 話 は、 婆 羅 門 僧 正 が 実 際 に 天 平 勝 宝 四 年 ( 七 五 二 ) 四 月 九 日 に 東 大 寺 大 仏 開 眼 会 の 導 師 を 勤 め た (﹃ 続 紀 ﹄ ﹃ 東 大寺要録﹄)という事実の結果から、それに都合の 良 い よ う に 話 を 遡 っ て 牽 強 付 会 し、 脚 色 し て い っ た も の と 思 わ れ る。 婆 羅 門 僧 正 の 来 朝 は 行 基 が 要 請 し た も の で も な く、 彼 自 身 も 東 大 寺 の 為 に や っ て き た の で は な か っ た が、 こ う し て 東 大 寺 に 関 連 し て 二 人 が 結 び つ け ら れ る 要 素 は 次 の 如 く 十 分 に 挙 げ ら れ る。 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 ま ず、 行 基 が 大 仏 造 営 の 勧 進 に 起 用 さ れ た の は、 自 分 の 生 家 を 家 原 寺 に し て 以 来、 各 地 に 知 識 と 呼 ば れ る 信 者 の 集 団 を 結 ん で 道 場 を 建 て、 池 溝 築 造 な ど で 墾 田 開 発 を 進 め て き た 四 十 年 余 の 民 衆 を 組 織 す る 手 腕 を 国 か ら 期 待 さ れ た も ( 3 ) の と 言 わ れ、 行 基 建 立 の 四 十 九 院 も 天 平 十 五 年 の 段 階 で 既 に 四 十 一 院 ま で 創 建 さ れ て い る。 大 仏 勧 進 と 知 識 活 動 が か わ れ て、 天 平 十 七 年 正 月 に 大 僧 正 に 任 命 ( ﹃ 続 紀 ﹄ )。 天 平 二 十 一 年 ( 七 四 九 ) 正 月 に は 聖 武 天 皇 に 菩 薩 戒 を 授 け (﹃ 扶 桑 略 記 抄 ﹄ ) て、 そ の 年 の 十 月 大 仏 の 鋳 造 が 終 わ る。 生 き て い れ ば 当 然 大 仏 開 眼 供 養 の 暁 に は、 大 僧 正 と し て の 役 割 が 要 請 さ れ た で あ ろ う こ と は 想 像 に 難 く な い。 し か し、 行 基 は 大 仏 の 完 成 を 待 た ず し て 同 年 二 月 二 日、 八 十 二 歳 で 入 滅。 三 年 後 の 天 平 勝 宝 四 年 ( 七 五 二 ) に 大 仏 の 開 眼 供 養 が 行 わ れ、 開 眼 師 に 婆 羅 門 僧 正、 花 厳 講 師 に 隆 尊 律 師、 究 願 師 に 婆 羅 門 僧 正 と 共 に 来 日 し た 道 叡 律 師、 都 講 に 行 基 の 高 弟 景 静 禅 師 が 招 請 さ れ て い る。 婆 羅 門 僧 正 の 動 向 は、 正 史 以 外 に 僧 正 入 滅 十 年 後 の 神 護 景 雲 四 年 (七 七 〇 )、 遺 弟 修 栄 の 作 っ た . 南 天 竺 婆 羅 門 僧 正 碑 井 序 ﹄ ( 以 下 ﹃ 僧 正 碑 ﹄ と 略 称 す ) で も 知 ら れ る。 こ れ に よ る と 誰 は 菩 提 倦 那、 南 天 竺 か ら 支 婁 迦 識 や 安 世 高 の 偉 業 を 慕 っ て 唐 に 渡 り、 唐 の 道 俗 か ら 崇 敬 を 受 け て い た と こ ろ へ、 日 本 か ら の 遣 唐 使 多 治 比 真 人 広 成、 僧 理 鏡 が 其 の 芳 誉 を 仰 い で 来 朝 を 要 請 す る と 彼 ら の 懇 志 に 感 じ て 承 諾 し た、 と な っ て い る。 こ の 来 朝 の 主 旨 は、 後 の 問 題 に 関 連 す る の で 後 述 す る が、 筑 紫 か ら 難 波 に 着 い た 時 の 記 録 が 次 の よ う に 記 述 さ れ て い る。 同 年 入 月 入 目。 到 於 摂 津 国 治 下。 前 僧 正 大 徳 行 基。 智 換 心 燈。 定 凝 意 水。 扇 英 風 於 忍 土。 演 妙 化 於 季 運。 聞 僧 正 来 ( 4 ) 儀。 嘆 未 曾 有。 較 燕 王 擁 箒 於 郭 院。 偉 伯 階 倒 雇 於 王 粂。 主 客 相 謁。 如 旧 相 知。 白 首 如 新。 傾 蓋 如 旧。 於 是 見 尖。 つ ま り、 婆 羅 門 僧 正 の 到 着 に 際 し、 燕 王 が 郭 院 を、 伯 階 が 王 粂 を 厚 遇 す る に な ら っ て、 行 基 が 礼 を 厚 く し て 出 迎 え る 中 で、 あ た か も 旧 知 の 友 人 の 如 き 対 面 が あ っ た、 と い う こ と で あ る。 し か も、 そ の 後、 入 京 し て 大 安 寺 に 住 し た 彼

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ら を ﹁ 行 基 又 率 京 畿 縞 素 両 衆 五 十 余 種。 前 後 合 三 度。 ﹂ と 訪 れ て お り、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 末 寺 章 第 九 や ﹃ 東 大 寺 伽 藍 略 録 ﹄ に も、 石 山 寺 が 聖 武 天 皇 の 良 弁 ・ 行 基 ・ 婆 羅 門 僧 正 の 派 遣 に よ っ て 創 建 さ れ た 旨 が 記 さ れ て い る こ と な ど か ら 二 人 の 交 流 の 事 実 が 推 察 さ れ る が、 初 対 面 で 旧 知 の 如 き 迎 接 と は 多 少 粉 飾 じ み て い る。 修 栄 が ﹃ 僧 正 碑 ﹄ を 作 製 す る 頃 に は、 既 に 行 基 の 名 声 が 世 間 に 高 ま り、 在 世 中 に も 人 々 か ら ﹃ 行 基 菩 薩 ﹄ と あ が め ら れ て い た 事 実 ( ﹃ 続 紀 ﹄ ) に 対 応 さ せ て、 自 分 の 師 僧 と の 交 流 を 過 度 に 誇 張 し た も の と 思 わ れ る。 し か し、 こ れ に は 行 基 の 文 殊 化 身 説 は 記 さ れ て い な い こ と は 注 意 さ れ る。 ( 三 ) 和 歌 贈 答 説 話 こ の ﹃ 僧 正 碑 ﹄ に お け る 二 人 の 出 会 い の 描 写 の よ う に、 両 者 の 対 面 の 史 実 が さ ら に ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ て 説 話 化 さ れ、 和 歌 の 贈 答 に 発 展 し て い っ た の で あ る が、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 巻 二 収 録 の ﹃ 大 安 寺 菩 提 伝 来 記 ﹄ ﹃ 元 興 寺 小 塔 院 師 資 相 承 記 ﹄ が ﹃ 三 宝 絵 ﹄ に 前 後 し て 婆 羅 門 僧 正 来 朝 の 記 録 を 残 し て い る。 以 下、 二 人 の 出 会 い の 場 面 を 掲 示 し て み よ う。 ﹃ 大 安 寺 菩 提 伝 来 記 ﹄ ( 以 下 ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ と 略 称 ) 愛 行 基 菩 薩。 聞 三 新 客 廻 忽 着 二 摂 津 国 一。 造 二 香 印 四 十 口 一盛 レ 花 以 浮 二 難 波 海 一。 此 香 印 園 ニー 蓮 彼 船 一 自 然 迎 来。 是 時 荘 二1 厳 難 波 津 一。 引 二1 率 百 衆 僧 一 以 令 レ 迎 二 件 客 一奥。 侵 菩 薩 忽 自 レ 船 下。 尋 コ 頁 行 基 菩 薩 一。 於 二 下 劣 一 願 起 立。 排 コ 頁 衆 中 一。 自 然 携 レ 手 即 歌 云。 迦 砒 羅 衛 爾 聞 我 来 之 日 本 乃 文 殊 乃 御 顔 今 見 鴨。 菩 薩 答 云。 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 霊 山 乃 釈 迦 乃 御 前 爾 結 天 之 真 如 不 朽 相 見 鴨。 種 々 語 言。 諸 人 不 レ 知。 ﹃ 元 興 寺 小 塔 院 師 資相承記﹄(以下﹃師資相 承 記 ﹄ と 略 称 ) 愛 請 二 一 百 人 名 僧 一。 倶 以 差 レ 使 遠 遣 二 其 迎 一 柄 甲 持 二 香 呂 一調 二 伎 楽 五 十 人 一為 二 其 御 前 一。 船 頭 従 請 レ 出 婆 羅 門 引 二ー 率 十 弟 子 一 従 レ 船 下。 僧 行 烈 左 右 行 道 進 行。 行 基 菩 薩 最 後 行 給。 婆 羅 門 遙 見 二行 進 給 菩 薩 一進 而 隻 手 取 レ 袖 以 詞 云。 我 与 二 聖 人 二 時 芳 被 而 別 離 年 久。 恋 慕 極 乃 来 臨 也 云 々。 各 悲 悦 之 後。 以 二和 歌 一詠 云。 迦 砒 羅 薗 昔 別 礼 志 日 本 乃 文 殊 乃 御 貞 合 見 都 留 加 奈 菩 薩 和 歓 云 霊 山 乃 尺 迦 乃 御 前 爾 相 見 天 之 真 如 不 朽 須 今 目 見 都 留 加 奈 ( 5 ) 此 歌 天 下 人 聞 持 譜 諦。 干 レ 今 流 伝 不 レ 絶。 両 書 と も、 こ の 和 歌 贈 答 説 話 の 前 に 婆 羅 門 僧 正 の 来 朝 目 的 を 語 っ て い る。 略 述 す る と . 菩 提 伝 来 記 ﹄ で は 文 殊 に 値 遇 す べ く 震 旦 の 五 台 山 に 行 く と 化 人 が 現 わ れ、 文 殊 菩 薩 は 今 日 本 に い る と 教 え ら れ る。 そ こ で、 丁 度 唐 に い た 遣 唐 使 の 一 行 に 事 情 を 説 明 し、 彼 ら と 共 に 来 朝 し た と い う も の。 ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ の 方 は、 行 基 文 殊 菩 薩 に 問 訊 す る た め に 日 本 に 尋 来 し た と 直 裁 に そ の 目 的 を 示 す が、 難 波 に 着 く と 浜 辺 の 人 々 は 異 人 が 数 多 く 乗 船 し て い る の に 驚 き、 郡 司 か ら 国 へ の 通 報 に よ り 勅 使 が 出 向 い て 異 人 達 に 尋 問 す る。 彼 等 が 天 竺 か ら 日 本 国 巡 礼 に や っ て き た 旨 を 知 っ て、 天 皇 大 臣 は 驚 悦 し、 そ こ で 百 人 の 名 僧 を 以 っ て 出 迎 え る と い う 筋 に な っ て い る。 い ず れ も、 行 基 の 文 殊 化 身 説 が 基 底 に あ り、 既 に 流 布 し て い た 文 殊 化 身 説 の 導 入 と 二 人 の 交 流 の 事 実 と か ら 潤 色 さ れ た も の で あ ろ う が、 先 の ﹃ 僧 正 碑 ﹄ の 伝 記 的

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性 格 に 比 す る と、 こ の 二 書 は 全 く 説 話 化 さ れ た も の の 記 録 と い え る。 ﹃ 三 宝絵﹄では﹃菩提伝来記﹄と婆 羅 門 僧 正 を 出 迎 え る 部 分 が ほ ぼ 同 旨 の 説 明 で、 行 基 の 天 眼 力 に 応 え る 形 で 婆 羅 門 僧 正 の 来 朝 が あ り、 行 基 か ら 迎 え の 和 歌 を 贈 っ て い る。 一 方、 こ れ ら の 二 書 は、 婆 羅 門 僧 正 の 文 殊 値 遇 と い う 目 的 に 従 っ て の 来 朝 と い う こ と で、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ と は 説 話 的 視 点 が 大 き く 異 な っ て お り、 婆 羅 門 僧 正 の 贈 歌 に 対 し 行 基 が 答 歌 と な っ て い る。 ど ち ら が 先 行 と 考 え ら れ る か は、 検 討 の 要 す る と こ ろ で あ る。 二 書 を 収 録 す る ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ は 元 ( 6 ) 永 元 年 ( 一 一 一 八 ) 頃 に は 完 成 さ れ た と 言 わ れ る も の の、 収 録 さ れ て い る 記 録 類 の 成 立 は ず っ と 遡 る も の が 多 い。 ﹃ 菩 提 伝来記﹄﹃師資相承記﹄について は、 既 に 考 究 さ れ て い る 先 学 の 見 解 が あ り、 不 完 全 な が ら も 宣 命 書 の 体 裁 を と っ て い る こ と が 特 徴 で、 和 歌 の 結 句 に 使 用 さ れ て い る 終 助 詞 が ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ は 両 首 と も ﹁ 鴨 ( か も ) ﹂ と 奈 良 朝 和 歌 の 特 色 を 残 し、 ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ は ﹁ 加 奈 ( か な ) ﹂ と 平 安 朝 の 形 式 を と っ て い る こ と か ら、 ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ の 方 が ( 7 ) 古 い も の で あ る と 推 察 さ れ て い る。 ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ に つ い て は ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ で は ﹁ 迦 砒 羅 衛 爾 ﹂ と な っ て い た 初 句 が、 伝 承 の 間 に ﹁ エ ニ ﹂ が 誰 伝 し て ﹁ 蔚 ﹂ の 漢 字 が 当 て ら れ、 二 句 目 の ﹁ 聞 我 来 之 ﹂ が ﹁ 昔 別 れ し ﹂ と 意 味 明 瞭 に な ( 8 ) っ て 合 理 化 の 跡 が 見 ら れ る と い う 指 摘 も あ る。 別 の 観 点 か ら 見 て も、 ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ に 関 し て は ﹃ 三 宝 絵 ﹄ や ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ 等 初 期 仏 教 説 話 集 か ら の 受 容 と は 考 え に く い。 と い う の は、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ を 含 む 仏 教 説 話 集 と ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ と で は、 和 歌 贈 答 説 話 部 分 が 仏 教 説 話 集 に お い て は 全 て が 行 基 か ら 婆 羅 門 僧 正 へ と い う 形 式 が 踏 襲 さ れ、 二 書 の 如 き 寺 院 関 係 史 料 で は ほ と ん ど が 婆 羅 門 僧 正 か ら 行 基 へ の 贈 歌 と い う 形 式 で 伝 承 さ れ て い る か ら で あ る。 ど ち ら の 側 か ら 説 話 を 語 っ て い る か と 言 う、 説 話 主 体 の 立 脚 点 の 相 違 が こ れ に は 表 れ て い よ う。 従 っ て、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 知 見 ・ 未 見 に か か わ ら ず、 ﹃ 師 資 相 承 記 ﹄ は 最 初 に 大 別 し た 第 二 群 の 史 料 内 で 伝 承 さ れ て き た も の と 考 え ら れ 行 基 説 話 伝 承 考 7

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-密 教 文 化 る。 ま た、 こ の 二 書 に 続 く 寺 院 関 係 史 料 に の み 見 ら れ る 伝 承 に 一 っ 共 通 し た 事 項 が あ げ ら れ る。 そ れ は、 和 歌 贈 答 の 前 に、 必 ず 梵 語 で の 会 話 が あ っ た こ と が 記 さ れ て い る こ と で あ る。 例 え ば、 ﹃ 行 基 菩 薩 伝 ﹄ で は 三 僧 乗 船 到 来。 一 人 波 羅 門 僧 正。 一 人 林 邑 僧。 一 人 大 唐 僧。 干 時 波 羅 門 僧 正 稽 首 大 菩 薩 云。 南 護 阿 利 耶 曼 蘇 悉 里 菩 提 地 薩 垣 波 耶 摩 詞 薩 唾 波 耶 云 々 大 菩 薩 答 宣。 南 護 阿 利 耶 沈 魯 吉 帝 入 波 羅 耶 菩 提 地 薩 唾 波 耶 摩 詞 薩 唾 波 耶 云 々 即 波 羅 門 僧 和 歌 云。 迦 毘 羅 衛 爾 聞 テ 吾 来 シ 目 本 乃 文 殊 乃 御 顔 今 目 見 鶴 鉋 云 々 ( 9 ) 其 時 人 嘆 未 曾 有。 自 爾 始 講 文 殊 也。 と あ る。 婆 羅 門 僧 正 の 梵 語 は ﹁ 聖 な る 文 殊 菩 薩 大 士 に 帰 依 し た て ま つ る ﹂、 行 基 の 方 は ﹁ 聖 な る 観 音 菩 薩 大 士 に 帰 依 し た て ま つ る ﹂ と い う 意 味 で、 和 歌 は ﹁ 鴨 ﹂ と ﹁ 鉋 ﹂ の 違 い だ け で ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ 所 引 の も の と ほ ぼ 同 様 で あ る。 行 基 の 答 歌 は、 行 基 入 滅 の 記 事 後 に ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ と 同 文 で 示 さ れ て い る。 ( 10 ) ﹃ 行 基年譜﹄(安元元年11二七五)は﹃行基菩薩伝﹄に依拠 す る と 言 わ れ て い る よ う に、 こ の 梵 語 ・ 和 歌 贈 答 の 構 成 は ほ ぼ 同 じ で あ る。 和 歌 の 一 部 に 違 い は 見 ら れ る が、 今 は そ れ を 問 わ な い。 以 下 の 文 献 は 次 の 通 り で あ る。 ( 11 ) 與 二 行 基 井 一携 手 相 見 微 咲。 先 以 二 梵 語 一敬 礼。 次 茶 詠 二 和 歌 一 云。 ( ﹃ 扶 桑 略 記 抄 ﹄ 二 ) ( 12 ) 有 三 一 梵 僧 一。 基 迎 笑。 執 二 提 手 一共 語 如 二 旧 識 一。 始 梵 言 基 能 応。 後 和 語 提 亦 和。 甚 欺 密。 ( ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 巻 第 十 五 )

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( 13 ) 和 語 梵 語 往 覆 欺 密 宛 如 二 旧 識 一。 ( ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 巻 第 一 ) こ の よ う に、 和 歌 の 前 の 梵 語 の 挨 拶 は、 説 話 上、 異 国 人 と 初 対 面 で の 和 歌 贈 答 の 不 自 然 さ を 少 し 和 ら げ る 働 き を な し て い る。 こ れ ら 梵 語 の 挿 入 は 連 音 声 の 漢 字 表 記 の 仕 方 か ら 見 て、 僧 侶 の 手 に よ る も の と 考 え ら れ、 彼 ら の 行 基 ・ 婆 羅 門 僧 正 に 対 す る 崇 拝 の 念 と、 日 頃 の 梵 語 厳 修 の 跡 が 伺 え て 興 味 深 い。 一 方、 . 三 宝 絵 ﹄ は 先 に あ げ た 内 容 で 示 す 如 く、 こ れ ら の 二 書 と は 和 歌 の 一 部 が 異 な っ て お り、 結 句 は 両 方 と も ﹁ か な ﹂ で 終 わ っ て い る (東 寺 観 智 院 本 ) が、 前 田 家 本 の よ う に 行 基 歌 が ﹁ か も ﹂、 婆 羅 門 僧 正 歌 が ﹁ か な ﹂ で 終 わ っ て 伝 承 さ れ て い る も の も あ る。 . 七 大 寺 巡 礼 私 記 ﹄ ( 保 安 六 年= 二 四 〇 ) 所 引 の ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 本 説 話 も 前 田 家 本 同 様 で、 加 え て ﹃ 日 本 往 生 極 楽 記 ﹄ の 和 歌 も そ れ に 同 じ で あ る。 し か し、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 所 引 の ﹁ 日 本 往 生 極 楽 記 云 ﹂ と あ る 同 説 話 で は 両 方 が ﹁ か な ﹂ と 記 さ れ、 . 師 資 相 承 記 ﹄ に 天 下 の 人 々 が 此 の 歌 を 暗 諦 し て 今 日 に 流 伝 し て き た と 言 う 通 り、 伝 承 歌 に あ り が ち な 微 妙 な ゆ れ が 各 書 で 加 わ っ て い る。 . 法 華 験 記 ﹄ は ﹃ 往 生 極 楽 記 ﹄ の 内 容 を ほ ぼ 踏 襲 し て 本 説 話 を 伝 え る が、 . 今 昔 物 語 集 ﹄ 巻 第 十 一 ﹁ 婆 羅 門 僧 正 為 値 行 基 従 天 竺 来 朝 語 第 七 ﹂ に な る と、 ﹃ 三 宝 絵 ﹄ の 内 容 に ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ の 婆 羅 門 僧 正 来 朝 説 話 が 付 加 さ れ た よ う な 構 成 に な っ て い る。 つ ま り、 和 歌 贈 答 の や り と り か ら 人 々 が 行 基 が 文 殊 の 化 身 で あ る こ と を 知 る ま で は ほ ぼ . 三 宝 絵 ﹄ と 同 旨 で あ る が、 そ の 後 に 婆 羅 門 僧 正 に よ っ て 東 大 寺 供 養 が 行 わ れ た こ と、 彼 が 大 安 寺 の 僧 と な っ た 旨 が 史 実 よ り 加 わ り、 さ ら に 続 け て、 次 の よ う な 説 話 を 伝 え る。 此 ノ 人、 本、 南 天 竺 迦 砒 羅 衛 国 ノ 人 也。 文 殊 二 値 遇 シ 奉 ラ ム ト 祈 願 給 ヒ ケ ル 程 二、 貴 人 出 来 テ 告 テ 云 ク、 ﹁ 文 殊 ハ 震 旦 ノ 五 台 山 二 御 マ ス ﹂ ト。 是 二 依 テ、 菩 薩 天 竺 ヨ リ 震 旦 二 至 テ、 五 台 山 一; 尋 ネ 詣 給 タ ル ニ、 道 一二 人 ノ 老 翁 値 テ 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 菩 薩 二 告 テ 云 ク、 ﹁ 文 殊 ハ 日 本 国 ノ 衆 生 ヲ 利 益 セ ン ガ 為 二、 彼 ノ 国 二 誕 生 シ 給 ヒ ニ キ。 ﹂ 菩 薩 此 レ ヲ 聞 キ 給 テ、 本 懐 ヲ 遂 ム ガ 為 二 此 ノ 国 二 来 給 ヘ ル 也。 彼 ノ 文 殊 ノ 此 ノ 国 二 誕 生 シ 給 フ ト 云 フ ハ、 行 基 菩 薩 是 也。 然 バ、 ﹁ 菩 薩 来 リ 可 給 シ ﹂ ト 空 二 知 テ、 来 テ 此 ク 迎 へ 給 フ 也。 亦、 菩 薩 其 ノ 由 ヲ 知 給 テ、 本 ヨ リ 見 知 タ ラ ム 人 ハ 様 二、 此 ク 互 二 語 ヒ 給 ( 14 ) フ 也 ケ リ。 こ の 婆 羅 門 僧 正 の 来 朝 目 的 を 語 る 内 容 は、 先 に 略 述 し た ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ に 同 じ で、 そ れ に は 此 沙 門 於 二 天 竺 一。 祈 到 願 値 コ 遇 文 殊 一。 忽 然 有 二 化 人 一。 告 日。 此 井 居 コ住 震 旦 之 五 台 山 一。 即 欲 レ 尋 コ 詣 彼 山 一。 (中 略 ) 向 二 干 大 唐 一 到 二 五 台 山 一。 至 心 悪 勲。 祈 レ 遇 二 聖 王 一。 歎 有 二 化 人 一。 夢 中 教 日。 今 回 在 二 耶 婆 提 一者。 此 日 本。 旧 名 也 即 聞 二 夢 教 一甚 以 莫 基 と、 天 竺 か ら 震 旦 五 台 山、 五 台 山 か ら 日 本 へ と 文 殊 値 遇 を 願 っ て 来 朝 し て き た こ と に な っ て い る。 支 婁 迦 識 や 安 世 高 の 偉 業 を 慕 っ て 渡 唐 し、 遣 唐 使 の 要 請 を う け て 来 朝 し た ど い う ﹃ 僧 正 碑 ﹄ と 異 な る こ の 婆 羅 門 僧 正 伝 は、 他 に ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 巻 一 に 掲 載 す る ﹁ 行 基 卒 伝 ﹂ に も ﹁ 南 天 竺 婆 羅 門 僧 正 為 レ 礼 二文 殊 一。 自 二 天 竺 一 到 二 五 台 山 一。 老 翁 逢 レ 道 告 日。 文 殊 為 二 利 生 一 託 二 生 日 本 国 一。 行 基 是 也 云 々。 ﹂ と あ る が、 ﹃ 今 昔 ﹄ と も に ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ の 影 響 下 に 受 容 さ れ た も の で あ ろ う。 先 に も 示 し た が、 和 歌 贈 答 説 話 に 関 し て 堀 一 郎 氏 は、 和 歌 の 末 尾 は 両 方 と も ﹁ か も ﹂ で 奈 良 朝 和 歌 の 特 色 を 示 し て い る こ と、 和 歌 の 内 容 や 説 話 の 形 式 か ら 見 て、 婆 羅 門 僧 正 の 方 が ﹁ 贈 ﹂ で 行 基 が ﹁ 返 ﹂ で あ る べ き こ と、 此 の 和 歌 が ﹃ 日 本 霊異記﹄に載っていないことなどから、﹃菩提伝来記﹄を最 も 原 初 的 な 形 式 と み、 本 話 の 成 立 を 大 体 承 和 頃 ( 15 ) ( 八 五 〇 ) 1 天 慶 (九 五 〇 ) 年 頃 と 推 察 さ れ て い る。 蔵 中 進 氏 も ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ の 説 話 を 源 と し て、 肥 大 化、 合 理 化 さ

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せ な が ら 伝 承 さ れ て い っ た と し、 そ の 成 立 時 期 を ﹁ 行 基 菩 薩 信 仰 と 平 行 し て、 菩 提 倦 那 を 南 天 竺 か ら 渡 海 者 と し て 尊 崇 す る こ と に な り、 一 方 で 竪 真 大 和 上 の 行 実 が ﹃ 東 征 伝 ﹄ に も と づ き、 独 自 に ﹃ 戒 律 伝 来 記 ﹄ ( 天 長 七 年= 八 三 〇 ) と ( 16 ) し て 結 実 し た 頃 に 形 成 さ れ た も の と 思 わ れ る ﹂ と、 述 べ ら れ て い る。 し か し、 文 殊 信 仰 の 考 察 か ら 婆 羅 門 僧 正 の 五 台 山 参 詣 説 や 文 殊 値 遇 来 朝 説 に 及 ん だ 吉 田 靖 雄 氏 は ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ よ り も ﹃ 今 昔 ﹄ の 成 立 を 先 と 考 え ら れ た た め に、 本 ( 17 ) 説 話 の 淵 源 を ﹃ 今 昔 ﹄ に 求 め ら れ て い る。 そ れ は 訂 正 さ れ な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 現 在、 ﹃ 今 昔 ﹄ の 成 立 は 保 安 元 年 ( 二 二 〇 ) 以 降 と さ れ て い る が、 仮 に ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 完 成 範 囲 内 に ﹃ 今 昔 ﹄ の 成 立 期 が 含 ま れ る と し て も、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ は そ れ を 遡 る 記 録 類 を 多 く 含 ん で お り、 既 に 成 立 し て い た 古 い ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ を そ の 編 纂 資 料 と し て 導 入 し た と 考 え た 方 が よ い。 改 め て 次 章 で 本 説 話 の 成 立 に 言 及 す る が、 行 基 ・ 婆 羅 門 僧 正 の 交 流 事 実、 行 基 文 殊 化 身 説 や 五 台 山 ( 清 涼 山 ) 信 仰 の 流 布、 婆 羅 門 僧 正 の 高 僧 伝 化 等、 様 々 な 要 素 が 接 合 し て ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ の 説 話 が ﹃ 三 宝 絵 ﹄ に 遡 っ て 成 立 し て い た の で あ る。 ( 四 ) 行 基 の 文 殊 菩 薩 化 身 説 話 ﹃ 日 本 霊異記﹄には、行基に関する説話が七話(上五・中二・七・八・ 十 二 ・ 二 十 九 ・ 三 十 ) あ り、 ﹁ 俗 を 捨 て 欲 を 離 れ、 法 を 弘 め 迷 を 化 す。 器 宇 聡 敏 く し て、 自 然 生 に 知 る。 内 に 菩 薩 の 儀 を 密 め、 外 に は 声 聞 の 形 を 現 す。 聖 武 天 皇、 ( 18 ) 威 徳 に 感 ず る が 故 に、 重 み し 信 じ た ま ふ。 時 の 人 欽 び 貴 び、 美 め て 菩 薩 と 称 ふ ﹂ (中 七 ) に 代 表 さ れ る よ う に、 橋 や 入 江 の 灌 慨 敷 設 や 四 十 九 院 の 設 立 な ど、 社 会 的 活 動 の 中 に、 菩 薩 行 の 実 践 者 と し て の 姿 を 認 め る こ と が で き る。 特 に 頭 に 猪 の 油 を 塗 っ て 法 会 に 参 加 し、 行 基 に 呵 責 さ れ た 話 (中 二 十 九 )、 泣 き 叫 ん で 法 会 を 妨 害 す る 子 の 親 に、 そ の 前 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 世 の 罪 を 諭 す 話 ( 中 三 十 ) は 本 話 と 関 連 し て、 行 基 の 過 去 ・ 未 来 を 見 透 す 特 殊 な 天 眼 力 ( 神 通 力 ) が 評 価 さ れ ﹁ 凡 夫 の 肉 眼 に は 是 れ 油 の 色 な り と い へ ど も、 聖 人 の 明 眼 に は、 見 に 宍 の 血 を 視 た ま ふ。 日 本 の 国 に 於 て は、 是 れ 化 身 の 聖 な り。 隠 身 の 聖 な り ﹂ ( 中 二 十 九 ) と 行 基 が 菩 薩 の 化 身 僧 と 扱 わ れ て い る こ と は 注 目 さ れ る。 ﹃ 続 紀 ﹄ の 卒 伝 に い う ﹁ 和 尚 霊 異 神 験。 触 レ 類 而 多。 時 人 号 日 二 行 基 菩 薩 こ に 対 応 す る 説 話 と 言 え る だ ろ う。 本 話 と か か わ る 行 基 の 文 殊 化 身 説 は、 三 宝 に 帰 依 す る 大 部 屋 栖 野 古 の 蘇 生 課 を 内 容 と す る 上 巻 五 話 に 一 箇 所 明 示 さ れ る の み で あ る。 そ れ に よ る と、 五 色 の 雲 の 中 を 行 く と 黄 金 の 山 が あ り、 そ こ に 聖 徳 太 子 が 待 っ て い て、 共 に 山 頂 に 登 る と 一 人 の 比 丘 が 立 っ て い る。 太 子 と 共 に ﹁ 南 無 妙 徳 菩 薩 ﹂ と 三 遍 諦 礼 し て 帰 っ て く る と 夢 か ら さ め て 蘇 生 し た、 と い う の で あ る。 そ の 後 に、 夢 解 き が 付 加 さ れ、 ﹁ 妙 徳 菩 薩 と は 文 殊 師 利 菩 薩 な り ﹂ ﹁ 黄 金 の 山 と は 五 台 山 な り ﹂ ﹁ 行 基 大 徳 は 文 殊 師 利 菩 薩 の 反 化 な り ﹂ と 説 示 さ れ て い る。 こ の よ う に、 中 国 の 五 台 山 に 居 住 す る 文 殊 信 仰 の 伝 導 が 既 に ﹃ 霊 異記﹄には表れているので あ る。 文 殊 に 関 す る 経 典 は ﹃ 奈 良 朝 現 在 一 切 経 疏 目 録 ﹄ に よ る と 文 殊 と 名 つ く だ け で も 二 十 八 種 に 及 ん で い る。 こ こ に 五 台 山 と 文 殊 菩 薩 と が 結 ば れ る 由 来 を、 少 し た ど っ て み る 必 要 が あ ろ う。 ﹃ 華 厳 経 ﹄ 第 二 十 七 菩 薩 住 処 品 に は ( 19 ) 東 北 方 有 菩 薩 住 処。 名 清 涼 山。 過 去 諸 菩 薩 常 於 中 住。 彼 現 有 菩 薩。 名 文 殊 師 利。 有 一 万 菩 薩 巻 属。 常 為 説 法。 と あ る が、 こ の 段 階 で は、 文 殊 が 印 度 の 東 北 に あ る 清 涼 山 に 住 ん で い る と い う こ と で、 ま だ、 中 国 の 五 台 山 (清 涼 山 ) と は 結 び つ け ら れ て い な い。 そ の 後 の ﹃ 文 殊 師 利 宝 蔵 陀 羅 尼 経 ﹄ に な る と、 ( 20 ) 我 滅 度 後 於 此 贈 部 洲 東 北 方。 有 国 名 大 振 那。 其 国 中 間 有 山 号 為 五 頂。 文 殊 師 利 童 子 遊 行 居 住。 為 諸 衆 世 於 中 説 法。 と、 中 国 の 五 頂 に 文 殊 が 住 ん で い る こ と に な っ て い る。 こ の 五 頂 が 中 国 の 五 台 山 ( 清 涼 山 ) と な る に は、 中 国 に お け る

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霊 山 と し て の 五 台 山 信 仰 が 前 提 と な ら な け れ ば な ら な い が、 以 下、 小 野 勝 年 ・ 日 比 野 丈 夫 共 著 ﹃ 五 台 山 ﹄ に そ の 沿 革 を た ど る と、 初 め 中 国 五 台 山 は 道 家 の 神 仙 的 要 素 の 強 か っ た 山 で あ っ た と こ ろ か ら 北 魏 孝 文 帝 の 時 に 今 の 顕 通 寺 の 全 身、 大 孚 霊 鷲 寺 が 建 て ら れ、 そ の 頃 か ら 仏 教 信 仰 の 場 と し て、 五 台 山 信 仰 が 広 ま っ て い っ た の だ ろ う と 言 わ れ て い る。 こ の 頃、 東 晋 以 降 に 中 国 に 入 っ て い た 華 厳 経 の 研 究 も 次 第 に 行 わ れ る よ う に な り、 古 く よ り 仏 光 寺 や 清 涼 寺 の 建 立 さ れ て い た 付 近 を 清 涼 山 と 名 づ け、 文 殊 の 住 処 と 結 び つ け ら れ て、 五 台 山 全 体 の 総 称 に 発 展 し、 文 殊 の 霊 場 と し て 渇 仰 さ れ る よ う に な っ た、 と 考 察 さ れ て い る。 こ の 清 涼 山 信 仰 は 唐 の 慧 祥 の ﹃ 古 清 涼 伝 ﹄ ( 六 七 九 年 以 降 の 成 立 ) に 詳 し ( 21 ) く、 我 国 に も 天 平 十 二 年 ( 七 四 〇 ) の ﹃ 写 経 所 啓 ﹄ に ﹁ 南 海 伝 三 巻 清 涼 山 伝 二 巻 衆 経 要 集 七 巻、 以 上 海 隆 師 本 ﹂ と 将 来 さ れ て い る。 以 降、 天 平 十 九 年 ( 七 四 七 ) ま で に 九 度 に わ た っ て 書 写 さ れ た あ と を 正 倉 院 文 書 に み る こ と が で き る。 ま た、 吉 田 靖 雄 氏 は、 五 台 山 文 殊 信 仰 の 鼓 吹 し た 法 蔵 の ﹃ 華 厳 経 伝 記 ﹄ の 将 来 に も 注 目 さ れ て、 そ れ が 天 平 十 六 年 ( 七 四 四 ) に 書 写 さ れ て い る こ と も 含 め て、 五 台 山 文 殊 信 仰 に 関 す る 知 識 は 天 平 十 二 年 ( 七 四 〇 ) 以 降 に 広 ま っ た と 述 ( 22 ) べ ら れ る。 氏 は ﹁ 文 殊 信 仰 の 展 開 ﹂ の 論 考 後、 行 基 の 文 殊 化 身 説 に も 言 及 さ れ、 最 後 に 次 の よ う な 要 旨 を 示 さ れ て い る。 文 殊 菩 薩 は 出 家 比 丘 形 の 修 行 者 で あ る と 当 時 考 え ら れ て い た こ と、 文 殊 菩 薩 の 菩 薩 行 は 衆 生 の 食 物 を 施 給 す る こ と で あ っ た こ と、 以 上 の 二 点 は 行 基 と 共 通 す る こ と が ら で あ り、 こ の 二 点 を 媒 介 と し て 行 基 は 文 殊 菩 薩 に 結 び つ け ら れ て い っ た も の と 考 え た。 と こ ろ で 景 戒 の 文 殊 菩 薩 の イ メ ー ジ は ﹁ 賎 形 の 沙 弥 ﹂ と 表 現 さ れ る 衣 服 弊 懐 の 年 老 の 僧 侶 の 姿 を か り て 化 現 す る と い う も の で あ り、 こ の イ メ ー ジ は ﹃ 請 賓 頭 盧 法 ﹄ ﹃ 文 殊 師 利 般 浬 契 経 ﹄ ﹃ 清 涼 伝 ﹄ な ど の 経 典 伝 記 な ど の 耳 学 問 か 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 (23 ) ら 形 式 さ れ た も の と 推 定 し た。 ( 24 ) 稿 者 の 駄 文 で 要 約 す る よ り も 間 違 い が な い の で 一 部 紹 介 さ せ て い た だ い た が、 先 の 口 頭 発 表 の 折、 吉 田 氏 の 論 文 を 知 ら ず に、 ﹃ 維 摩 経 ﹄ ﹃ 華 厳 経 ﹄ ﹃ 古 清 涼 伝 ﹄ ﹃ 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 ﹄ 等 の 影 響 下 に 行 基 の 文 殊 化 身 説 が つ く ら れ て い っ た 旨 を 述 べ た が、 そ の 後 閲 覧 し た 吉 田 氏 の 論 説 は 詳 細 を き わ め、 仏 教 史 的 に も 文 殊 信 仰 の 位 置 を 明 ら か に す る も の で あ っ た。 右 の 論 旨 で そ の 大 要 は 知 ら れ る と 思 う の で、 今 は 粗 述 す る こ と を や め、 氏 が ふ れ ら れ な か っ た ﹃ 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 ﹄ を も と に、 婆 羅 門 僧 正 側 か ら の 文 殊 値 遇 説 話 に 説 明 を 転 じ て み た い。 ( 五 ) 婆 羅 門 僧 正 の 文 殊 値 遇 説 話 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 の 交 流 乃 至 贈 答 歌 説 話 の 伝 承 を た ど っ て み る と、 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 が 各 自 の 偉 業 に 応 じ て そ れ ぞ れ に 文 飾 さ れ、 説 話 化 の 方 向 を 帯 び て い っ た こ と が 認 め ら れ た。 行 基 の 文 殊 菩 薩 化 身 説 話 が 行 基 を 対 象 と し て 生 成 さ れ た 説 話 で あ る と す る と、 婆 羅 門 僧 正 を 対 象 と し た 説 話 は、 先 の ﹃ 僧 正 碑 ﹄ に そ の 繭 芽 を 見 る こ と が 出 来 る で あ ろ う。 ﹃ 僧 正 碑 ﹄ は、 必 ず し も 正 史 等 で 示 さ れ て い る 婆 羅 門 僧 正 の 行 跡 を 網 羅 す る 形 で 著 述 さ れ て は い な い。 東 大 寺 開 眼 導 師 と し て の 招 請、 孝 謙 上 皇 ・ 光 明 皇 太 后 に 尊 号 を 奉 っ た こ と な ど、 国 家 的 社 会 的 活 動 へ の 言 及 が 不 自 然 な ほ ど 一 切 な く、 大 陸 で の 事 跡 も 抽 象 的 に 述 べ ら れ て い る の み で、 そ の 真 偽 は 他 に 資 料 が な い た め に は か れ な い。 蔵 中 し の ぶ 氏 の 考 察 に ょ る と、 ﹃ 僧 正 碑 ﹄ は 婆 羅 門 僧 正 の 伝 記 資 料 の 不 足 を 主 に ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ ﹃ 廣 弘 明 集 ﹄ で 補 い、 そ の 意 図 す る と こ ろ を ﹁ 先 行 す る 中 国 高 僧 伝 の も つ く 高 僧 V の 概 念 を そ の ま ま に 踏 襲 し、 こ れ に 規 範 を 求 め て ︿ 高 僧 ﹀ 婆 羅 門 僧 正 ( 25 ) 伝 を 構 成 し よ う と し た ﹂ も の と 述 べ ら れ て い る。 例 え ば、 渡 唐 ・ 来 朝 由 来 を 語 る 部 分 の

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於 是 追 支 識 之 英 範。 逐 世 高 之 逸 朝。 跨 雪 峰 而 進 影。 洗 雲 海 而 飛 儀。 冒 険 終 遠。 遂 到 大 唐。 唐 国 道 俗。 仰 其 徽 猷。 崇 敬 甚 厚。 干 時 聖 朝 通 好。 発 使 唐 国。 使 人 多 治 比 真 人 広 成。 学 問 僧 理 鏡。 仰 其 芳 誉。 要 請 東 帰。 僧 正 感 其 懇 志。 無 所 辞 請。 と い う 表 現 と 構 成 は、 ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ に あ る 釈 智 撮 が 仏 駄 祓 陀 羅 比 丘 を 要 請 し て 共 に 中 国 に 赴 き 禅 法 を 伝 え た と い う 設 定 に 学 ん で い る と の 指 摘 で あ る。 ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ の 骨 髄 と す る 遠 来 の 高 僧 が 訳 経 に よ っ て 一 国 の 開 明 を も た ら す と い う 主 旨 を も と に、 訳 経 の 事 跡 に 欠 け て い る 部 分 は、 天 竺 よ り 震 旦 を 経 て 来 朝 に 到 っ た と い う 事 実 を 強 調 す る こ と で 補 い、 正 史 に 残 る 開 眼 導 師 等 の 世 俗 的 功 績 は 中 国 高 僧 伝 の 範 疇 か ら は ず れ る も の で あ っ た ら し い。 因 み に、 右 引 用 部 分 に 見 え る 支 婁 迦 識、 安 世 高 は ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ の 巻 一 ﹁ 訳 経 ﹂ に 収 録 さ れ る 高 僧 で あ る。 一 方、 行 基 の 文 殊 化 身 説 話 に 対 応 し た 内 容 を も つ ﹃ 菩 提 伝 来 記 ﹄ で は、 婆 羅 門 僧 正 の 渡 唐 ・ 来 朝 が 先 に 紹 介 し た よ う に 文 殊 値 遇 を 祈 願 し て い る と こ ろ に 忽 然 と 化 人 現 わ れ て ﹁ 此 井 居 コ 住 震 旦 之 五 台 山 ご と 教 え ら れ、 婆 羅 門 僧 正 の 所 に 来 た 仏 哲 と 共 に 流 沙 険 路 を 越 え、 大 唐 の 五 台 山 に 到 る の で あ る。 以 下 次 の 如 く。 至 心 悪 勲。 祈 レ 遇 二 聖 王 一。 歎 有 二 化 人 一。 夢 中 教 日。 今 回 在 二 那 婆 提 一者 此 日 本。 旧 名 也 即 聞 二 夢 教 一甚 以 歎 息。 拍 レ 頭 俳 徊 之 際。 此 国 使 者 来 コ 到 唐 国 輔。 愛 菩 提 開 二 悦 之 眉 一。 使 者 随 コ 順 其 詞 一。 同 コ 乗 此 船 一倶 共 到 来。 ﹃ 僧 正碑﹄の遣唐使側の要請と異なり、印度 か ら 五 台 山、 五 台 山 か ら 日 本 へ と 文 殊 値 遇 を 求 め て の 来 朝 で そ の 目 的 は 一 貫 し て い る。 背 景 に 五 台 山 の 文 殊 信 仰 の 隆 盛 が 透 視 さ れ る か ら、 我 国 に お い て そ う し た 意 識 の 強 ま っ た 時 期 に 創 出 さ れ た 説 話 で あ ろ う。 そ の 点、 す で に ﹃ 古 清 涼 伝 ﹄ 将 来 後 と は い え、 高 僧 伝 に 倣 う ﹃ 僧 正 碑 ﹄ と 時 代 信 仰 を 基 盤 に し た ﹃ 菩 薩 伝 来 記 ﹄ の 説 話 と は 大 き く 相 違 が あ る。 ﹃ 僧 正 碑 ﹄ に は 華 厳 経 調 諦 ・ 弥 陀 ・ 観 音 ・ 八 大 菩 薩 の 信 仰 は み ら れ 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 (26 ) る が、 特 に 文 殊 に 及 ん で い な い の は、 華 厳 経 を 通 し て も 生 前 に は 記 述 す る 程 の 強 い 文 殊 信 仰 が な か っ た 為 と 思 わ れ る。 し か し、 そ の 後、 五 台 山 文 殊 信 仰 の 浸 透 に 伴 っ て 婆 羅 門 僧 正 の 来 朝 説 話 が 新 た に 作 ら れ て い く 過 程 を 考 え る 時、 こ の 説 話 生 成 に 強 く イ ン。 バ ク ト し て い る の は 文 殊 の 衆 生 を 説 法 し 化 導 す る 宗 教 的 役 割 (思 想 ) よ り も、 大 陸 経 典 の 将 来 パ タ で ン に よ っ て 受 容 さ れ た 文 殊 値 遇 説 話 の ﹁ 型 ﹂ で あ る こ と は 興 味 深 い。 行 基 の 文 殊 化 身 説 に は 吉 田 氏 の 指 摘 さ れ る よ う に、 経 典 等 に よ る 文 殊 の 宗 教 的 役 割 が 大 き く 影 響 し て い る と 思 わ れ る が、 そ れ に 対 応 し て 作 ら れ た 新 た な 婆 羅 門 僧 正 パ タ な ン 来 朝 説 は、 思 想 と い う よ り、 ﹃ 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 ﹄ 序 文 等 で 広 く 知 ら れ た 五 台 山 で の 文 殊 値 遇 の 説 話 の ﹁ 型 ﹂ に 従 っ て、 来 朝 目 的 が は め こ ま れ た 様 な 形 に な っ て い る。 こ の 仏 陀 波 利 訳 の . 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 ﹄ は 中 国 に お け る 五 台 山 文 殊 信 仰 の 流 布 に も 一 役 に な う と こ ろ が あ り、 そ の 序 文 に は こ の 経 典 が 中 国 に 伝 導 さ れ た 因 縁 課 が 付 さ れ て い る。 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 者。 婆 羅 門 僧 佛 陀 波 利。 儀 鳳 元 年 従 西 國 來 至 此 漢 土 到 五 台 山 次。 遂 五 罐 投 地 向 山 頂 禮 日。 如 來 滅 後 衆 聖 潜 霊。 唯 有 大 士 文 殊 師 利。 於 此 山 中 汲 引 蒼 生 教 諸 菩 薩。 波 利 所 恨 生 逢 八 難 不 観 聖 容。 遠 渉 流 沙 故 來 敬 謁。 伏 ( 27 ) 乞 大 慈 大 悲 普 覆 令 見 尊 儀。 言 已 悲 泣 雨 涙 向 山 頂 禮。 禮 已 挙 首 忽 見 一 老 人 従 山 中 出 來。 遂 作 婆 羅 門 語 謂 僧 日。 以 下 長 い の で 略 述 す る が、 仏 陀 波 利 が こ の よ う に は る ば る 印 度 か ら 五 台 山 に や っ て き た に も か か わ ら ず、 忽 然 と あ ら わ れ た 一 老 人 ( 文 殊 の 化 身 ) に 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 を 唐 土 に 流 伝 し て 群 生 を 利 さ な い 限 り 無 益 で あ る、 こ の 経 を 持 っ て 再 び 来 る な ら ば 文 殊 の 所 在 を 教 え よ う と 諭 さ れ て、 直 ち に 故 国 に も ど り 改 め て 経 を 持 っ て 唐 土 に 渡 る。 そ の 間 七 年。 時 の 大 帝 に こ の 旨 を 奏 聞 し 訳 経 さ せ る が、 原 本 が 返 却 さ れ な い の で 再 び 奏 上、 返 却 さ れ た 梵 本 を 順 貞 と 共 に 再 訳 し て 流 伝 せ し め、 そ の 後 梵 本 を も っ て 五 台 山 に 入 っ て 今 に 出 ず、 と い う こ と で あ る。 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 の 威 力 と 同 時 に、 仏 陀 波 利 の 熱 烈 な 文 殊 信 仰 が 表 れ て い る 序 文 で あ る が、 こ こ に 顕 著 で あ る よ う

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に 遠 路 遙 々 五 台 山 ま で や っ て き て、 文 殊 の 化 身 に 導 か れ て 再 び 出 な お す、 と い う パ タ ー ン は、 婆 羅 門 僧 正 の 文 殊 値 遇 ( 28 ) 説 話 と よ く 似 て い る。 今 日 で も、 こ の 序 文 は 中 国 各 地 に 残 っ て い る 陀 羅 尼 経 憧 に 多 く 刻 せ ら れ て い る と い う こ と で あ る か ら、 五 台 山 文 殊 信 仰 の 当 時 の 流 布 状 況 が 自 ず と 推 測 出 来 よ う。 こ の 仏 頂 尊 勝 陀 羅 尼 は、 我 国 で は、 奈 良 朝 か ら 現 在 ま で 盛 ん に 唱 諦 さ れ、 仏 陀 波 利 訳 の 本 経 も 天 平 勝 宝 三 年 ( 七 五 一 ) に は 将 来 さ れ て い る。 バ タ セ ン ま た、 こ う し た 五 台 山 に 於 け る 文 殊 化 身 と の 値 遇 は こ の 序 文 に 限 ら ず、 ﹃ 古 清 涼 伝 ﹄ に 多 く 見 ら れ る 説 話 の 型 で も あ る。 僧 侶 に 化 け て 病 者 に 神 薬 を 与 え た り、 女 人 に 化 し て 求 道 者 の 道 心 を 試 し て み た り、 乞 食 僧 に 化 し て 僧 侶 の 慈 悲 心 を 試 み た り と、 五 台 山 中 に 於 け る 様 々 な 霊 異 な る 現 象 の 一 つ と し て、 文 殊 の 化 身 説 話 は 享 受 さ れ て い っ た よ う で あ る。 つ ま り、 我 国 に 於 い て も、 五 台 山 文 殊 信 仰 の 伝 来 は、 行 基 の 文 殊 化 身 説 や 婆 羅 門 僧 正 文 殊 値 遇 説 の 中 に そ の 教 理 パ タ ユ ン と 共 に 具 体 的 な 説 話 の ﹁ 型 ﹂ と し て 踏 襲 さ れ て い る の を 見 る こ と が 出 来 る の で あ る。 ○ お わ り に 五 台 山 文 殊 信 仰 を 背 景 に し た 行 基 と 婆 羅 門 僧 正 と の 和 歌 贈 答 説 話 の 生 成 を 史 実 や 経 典 と の 関 連 に 注 視 し て 検 討 し て き た が、 他 に も 視 野 に 入 れ な け れ ば な ら な い 問 題 が あ る。 そ れ は、 留 学 僧 達 の 五 台 山 登 頂 の 体 験 で あ る。 例 え ば、 養 老 元 年 ( 七 一 七 ) 入 唐 し た 玄 肪 は ﹃ 七 大 寺 巡 礼 私 記 ﹄ ( 保 安 六 年 -一 一 四 〇 以 降 の 成 立 ) に よ る と、 開 元 十 三 年 ( 七 二 五 ) 五 台 山 に 入 っ て 文 殊 化 身 の 老 人 に 会 い、 霊 異 な る 体 験 を し た 旨 が 記 録 さ れ て い る。 そ の 説 話 の 虚 実 を 問 う よ り も、 玄 肪 以 降、 行 賀、 霊 仙、 円 仁、 円 覚、 慧 運、 宗 叡、 齎 念、 成 尋 と 留 学 僧 達 に よ る 五 台 山 参 詣 が 続 出 し て い る 行 基 説 話 伝 承 考

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密 教 文 化 と い う 事 実 に 注 目 す る 必 要 が あ ろ う。 特 に 円 仁 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ ( 承 和 十 四 年 11 八 四 七 以 降 成 立 ) や 成 尋 の ﹃ 参 天 台 五 台 山 記 ﹄ ( 延 久 五 年 11 一 〇 七 三 ) は、 当 時 の 五 台 山 仏 教 の 情 況 を つ ぶ さ に 示 し て、 仏 教 史 上 重 要 な 資 料 と な っ て い る。 こ う し た 留 学 僧 の 体 験 と 言 動 が 自 ず と 五 台 山 文 殊 信 仰 を 宣 伝 す る 結 果 と な り、 維 摩 と の 対 話 や 釈 迦 の 脇 士 と し て の 文 殊 な ど 経 典 以 外 に 知 ら れ る 口 承 書 承 に よ る 文 殊 伝 承 と い う も の が あ っ た こ と が 想 定 さ れ る。 こ れ ら の こ と も、 本 説 話 生 成 の 要 因 と し て 押 さ え な け れ ば な る ま い。 従 来 の 研 究 で は、 こ の 説 話 の 具 体 的 な 成 立 を 円 仁 帰 朝 後 つ ま り ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ 製 作 以 降 と 考 え ら れ て い る ( 29 ) が、 そ れ 以 前 に も 経 典 や 経 典 に 付 載 す る 因 縁 諦、 留 学 僧 に ょ る 口 承 伝 承 等 で 説 話 の 生 成 基 盤 は 十 分 に 用 意 さ れ て い た と 言 え る で あ ろ う。 註 ( 1 ) 小 泉 弘 ・ 高 橋 伸 幸 共 著 ﹃ 諸 本 対 照 三 宝 絵 集 成 ﹄ 昭 55 ( 2 ) ﹃ 日 本 往 来 極 楽 記 ﹄ の ﹁ 行 基 伝 ﹂ の 末 尾 に、 初 稿 本 成 立 後 に 兼 明 親 王 の 夢 想 に よ っ て 後 で 加 え た 旨 を 記 し て あ る。 ( 3 ) 井 上 薫 ﹃ 行 基 ﹄ 昭 34 ( 4 ) 大 正 新 脩 大 蔵 経 51 巻 以 下 の 引 用 同 ( 5 ) 筒 井 英 俊 校 訂 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ よ り 引 用 ( 6 ) ( 5 ) の 凡 例 参 照 ( 7 ) 堀 一 郎 ﹁ 婆 羅 門 僧 正 に つ い て ﹂ ( 宗 教 研 究 新 11 ノ 6、 昭 9 ・ 1 月 ) ( 8 ) 蔵 中 進 ﹁ 豊 真 渡 海 前 後 -波 羅 門 僧 正 菩 提 遷 都 と ﹃ 東 征 伝 ﹄ -L (神 戸 外 大 論 叢 31 巻 1 号、 昭 55 ・ 9 月 ) ( 9 ) ﹃ 続 群 ﹄ 伝 部 15 下 ( 10 ) 二 葉 憲 香 ﹁ 行 基 の 実 践 を 通 じ て み た 反 律 令 仏 教 の 成 立 ﹂ ( ﹃ 古 代 仏 教 思 想 史 研 究 ﹄ 昭 37 )、 井 上 光 貞 ﹁ 行 基 年 譜、 特 に 天 平 十 三 年 記 の 研 究 ﹂ ( ﹃ 律 令 国 家 と 貴 族 社 会 ﹄ 昭 44 ) ( 11 ) 国 史 大 系 12 巻 ( 12 ) 大 日 本 仏 教 全 書 101 巻 ( 13 ) 大 日 本 仏 教 全 書 63 巻 ( 14 ) 日 本 古 典 文 学 全 集 21 巻 ( 15 ) ( 7 ) に 同 じ

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( 16 ) ( 8 ) に 同 じ ( 17 ) ﹁ 文 殊 信 仰 の 展 開 -文 殊 会 の 成 立 ま で-﹂ ( 南 都 仏 教 38 号 昭 52 ・ 5 月 ) ( 18 ) 日 本 古 典 文 学 全 集 6 巻 以 下 の 引 用 同 ( 19 ) 大 正 新 脩 大 蔵 経 7 巻 ( 20 ) 大 正 新 脩 大 蔵 経 20 巻 ( 21 ) 大 日 本 古 文 書 7 ( 22 ) ( 17 ) に 同 じ ( 23 ) ﹁ ﹃ 霊 異 記 ﹄ の 行 基 文 殊 化 身 説 を め ぐ っ て ﹂ ( 日 本 仏 教 第 46 号 昭 53 ・ 11 月 ) ( 24 ) 仏 教 文 学 会 例 会 ( 昭 63 ・ 9 月 ) 於 京 都 女 子 大 学 ( 25 ) ﹁ ﹃ 南 天 竺 婆 羅 門 僧 正 碑 井 序 ﹄ と 高 僧 伝 -仏 教 漢 文 伝 の 文 学 史 的 意 義 1 ﹂ (水 門 第 15 号 昭 61 ・ 11 月 ) ( 26 ) 八 大 菩 薩 を 説 く 経 典 は ﹃ 望 月 仏 教 辞 典 ﹄ に よ る と、 七 種 の 経 典 が あ げ ら れ て い る。 そ の う ち 五 種 に 文 殊 師 利 が 含 ま れ て い る が、 元 禄 九 年 性 空 撰 の ﹃ 碑 註 ﹄ に は 文 殊 師 利 を 含 ん で い な い。 吉 田 氏 は ( 17 ) の 論 文 で 文 殊 菩 薩 を 含 む も の と 考 え て お ら れ る が、 ﹃ 僧 正 碑 ﹄ の 内 容 か ら 考 え て 積 極 的 な 信 仰 は な い と み る。 ( 27 ) 大 正 新 脩 大 蔵 経 19 巻 ( 28 ) 小 野 勝 年 ・ 日 比 丈 夫 共 著 ﹃ 五 台 山 ﹄ ( 昭 17 )。 ま た 近 年 度 々 中 国 に 渡 る 友 人 等 の 話 か ら も 確 認。 ( 29 ) ( 7 ) ( 8 ) の 論 文。 堀 池 春 峰 ﹁ 婆 羅 門 菩 提 僧 正 と そ の 周 辺 ﹂ ( ﹃ 霊 山 寺 と 菩 提 僧 正 記 念 論 集 ﹄ 昭 63 ) ( 本 稿 は 昭 和 63 年 9 月 の 仏 教 文 学 会 例 会 で 口 頭 発 表 し た も の に 加 筆 し て ま と め た も の で あ る ) 行 基 説 話 伝 承 考

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