中間報告 2007/09/27 『中世アイルランドの都市』 長谷川 陽子 1、研究史 (1)ヴァイキング到来以前の都市研究 (2)8世紀ヴァイキング到来以降の都市研究 (3)12 世紀ノルマン人侵入以降の都市研究 2、課題 3、本論 (1)アイルランドのヴァイキングについて (2)ダブリンについて 4、結論 文献一覧 1、研究史 アイルランドの都市史は主に3つの視点から研究されている。まず1 つが最近 のアイルランドの歴史家たちによって主張された研究であり、8世紀以前のアイ ルランドにおいて都市的な機能を持つ集まりがあったとする研究である。 次に、8 世紀におけるアイルランドへのヴァイキングの侵入以降の都市に関す る研究である。これは主にヴァイキング史家たちによって経済的面から研究され ている。 最後に12 世紀のノルマン人の侵入以降の都市についての研究が成されている。 アイルランドの都市は後に述べた 2 つの研究、8 世紀のヴァイキングの到来、 あるいは12 世紀のノルマン人の侵入からの研究が主である。その理由は、これ までアイルランドの都市はヴァイキング到来以前には都市は存在しないものと されていたためである。 (1)ヴァイキング到来以前の都市研究 始めに述べた研究は、世俗の支援者を有する大きなケルト系修道院共同体の多 くを、プロト都市又は半都市としてみなすべきであると主張である。これは主に C.ドハティーによって主張された「monastic town」と言う議論であり、H. クラークやA.シムズもこの議論に賛成したが、一方でグラハムにより痛烈に批 判されている。 ドハティーは聖人伝を史料として用い、主要な都市の特質を突き止め、教会組 織のモデルを打ち立てた。彼の著作『The Monastic Town In Early Medival Ireland』では四世紀後半のキリスト教の導入と十二世紀のアングロ・ノルマン 到来期の間のアイルランドにおけるキリスト教の崇拝の変質について追及を試 みおり、この変質の過程は部族社会の発展から見ることができるとしている。そ して初期中世アイルランドの社会の発展を刺激する、基本的意義の要素として都
市化の問題を調べた。クラークとシムズは『初期的な都市の特徴を持った場所は 経済的発達の必要な段階において都市となる様に定められている。』と述べてい る。 しかし、この議論はドハティーの論じている都市機能、あるいは修道院がはた した役割についての具体性に欠けている。 (2)8世紀ヴァイキング到来以降の都市研究 初期中世アイルランドにおけるスカンディナビアの都市は、昔から多くの研究 者の主題となり続けている。この研究の多くは、アイルランドの政治と社会の制 度の上に起こった、ヴァイキングの定住の影響に関して主に研究が成され、都市 の後背地と周辺地方の関係や、都市化についてのモデルを提供する経済的研究は ほとんど顧みられなかった。しかし、近年の研究においては、アイルランドに経 済組織をもたらした都市化を持ち込んだことはアイルランド社会における最も 重要なヴァイキングの貢献であったとしている。アイルランドにおける都市化の 起源と、初期の発展は、東と西ヨーロッパの間のヴァイキングの一部の活動とし て当然の現象であった、800 年から 1200 年の間のヨーロッパにおける「都市の 復活」という広い文脈の中で展開したものである。かくして、ヴァイキング時代 のアイルランドにおけるスカンディナヴィア都市の経済に関する研究は必要と され、また研究されるようになった。
1996 年、コールマン・エッチンガム(Colman Etchingham)はin Medieval Irish Studies “Early Medieval Irish History”というレヴューを刊行している。 また、この数年前にP. ホーンが“Between Apathy and Antipathy:The Vikings in Irish and Scandinavian History”と題する研究史的論文を出版した。 アイルランドの歴史研究をヨーロッパ研究の主流へと組み込むことはゆっく りと行われてきた。アイルランド研究者たちとアイルランド以外のヴァイキング 時代の研究者たちのいずれも、双方の研究の質(時代)に関わらず無視する傾向 があった。ヴァイキングに関する初期の研究所は特定の地域、あるいはヴァイキ ング時代の局面に集中することは無く、歴史を概説的に述べているだけであった。 Gwynn Jones のA History of the Vikingsはアイルランドとダブリンについて僅 かに論じている。しかし彼は、アイルランドにおけるヴァイキングの定住につい て論ずるスペースをとっていない。Peter G.Foote と David M.Wilson のThe Viking Achievement:A Survey of the Society and Culture of Early Medieval Scandinavia(ヴァイキングの功績:初期中世スカンディナヴィアの社会と文化) というタイトルが指しているように、政治史に焦点をあわせていないというわけ ではない。むしろ著者が独自のヴァイキングの文化と社会―奴隷、交易或いは都 市の状況に関して、僅かにダブリンに言及している―を認めている。同様にThe Vikings and Their Origins で David Wilson はダブリンついて都市と交易の状 況の中で言及している。
1990 年代に O Corrain はアイリッシュ海沿いのスカンディナヴィア人の定着に 関する幅広い文脈を除いては、アイルランドのヴァイキング時代を理解すること
は不可能である、という展望をつかんだ。この時から、学者たちがヨーロッパの ヴァイキング時代の評価の中にアイルランドを含めるようになった。
ヴァイキング時代に関するいくつかの論集が出版された。例えば Medieval Dublin。The Making of a Metropolisはダブリンに関するこれまでの研究の一 まとめにした有益なものである。Ireland and Scandinavia in the Early Viking Ageはダブリンで開催された同じ名前の会議の報告書である。アイルランドのヴ ァイキングに関する他の個別研究は1970 年の半ばまで現れなかった。(A.P. Smyth の Scandinavian York and Dublin)。Smyth はイングランドとアイルラ ンドのヴァイキングの間の関係について議論している。彼は中世の史料に対する 彼のやや無批判なアプローチのために正当な、そして不当な批判にさらされた、 と同時に、Smyth はヴァイキング時代の間中、ダブリンとヨークの間の複雑な 関係を解くことを試みた数少ない学者であった。 1998 年には M.A.ヴァレンティーが中世アイルランドの都市におけるヴァ イキングの経済的影響力として市場、そしてダブリンの後背地―後背地にはアイ ルランド人だけではなくアイルランドに移り住んだスカンディナヴィア人の農 民もおり、ダブリンの経済的影響は主このスカンディナヴィアの農民にあった― に つ い て 研 究 を 行 っ て い る 。 ま た そ の 論 文 Urbaniza and Economy in Viking-Age Irelandの中に、アイルランドの年代記の中に見られるヴァイキング の襲撃に関する部分を抜き出してまとめた詳細な年表が載せられている。 (3)12 世紀ノルマン人侵入以降の都市研究 12 世紀のノルマン人侵入以降の都市に関する研究はアイルランドの移り住ん だ移住者たちの動向や、イングランドの植民地としてのアイルランドの役割の面 などから研究が成されている。または,‘colony’という用語がどのように使わ れるかということを、ブリテン島からの移住者がアイルランドに来た12 世紀の 末から17 世紀の半ばまでの期間のアイルランド史の理解にどの様に組み込むべ きか、という議論がある。 2、課題 アイルランドの都市化に大きな影響を与えたのは 8 世紀のヴァイキングによ ってもたらされた経済組織と考えられている。事実、アイルランドにはヴァイキ ングによって築かれ、現在も残る都市、ダブリン、コークなどが存在する。しか しそのためヴァイキングによって築かれた都市、ヴァイキング都市の研究はヴァ イキングの活動や経済的な面が強調され、アイルランド側からの言及は余り成さ れていない。 本論では都市の発展にどの様にアイルランド人が関わっていたのか、と言うこ とについて明らかにするため、ヴァイキング都市の中でも大きく、重要な位置を 占めていダブリンを取り上げ、特にアイルランド人がヴァイキングに対して影響 を与えることが出来たであろう10 世紀を中心に論じていく。
3、本論 (1)アイルランドのヴァイキングについて スカンディナヴィア人の海賊、ヴァイキングが最初にアイルランドを襲ったの は795 年といわれている。その後約 30 年間、ヴァイキングは修道院、或いは海 岸に程近い場所にのみに限って襲撃を行い、財宝、捕虜、家畜を奪い、アイルラ ンド人が防衛隊を組織する前に素早く引き上げていった。そして、スカンディナ ビアの侵略者たちは7 世紀にアイルランドのいたると、様々な場所で「舟の駐留 地」ロングポートを置き、そこで非常に短い期間、或いは1 つもしくは 2 つの季 節の間そこで過ごしていた。そのヴァイキングの駐留地は襲撃の主たる基地とな り、さらに商人の生活の場ともなっていた。アイルランドにおけるスカンディナ ビア人たちの駐留地の大部分はネイ湖の入り江、コーク、ダブリン、Annagassan、 につくられ、リー湖の入り江にある野営地は「要塞化した場所」として記述され ている。 年代記では839 年に「外国人の船団がネイ湖の入り江にあった。」と記録され ている。この事からこの時代にはスカンディナビア人の集団は冬のアイルランド に残ったと考えられる。其の年代の遅くに「ネイ湖の入り江の外国船によってラ ウスが略奪された。彼らは幾人かの司教と賢く博学な人を捕虜とした。そして財 産の後に彼らをロングポートに運び、さらに幾人かの人々を殺害した。」とフラ ンスとイングランドの年代記編者は殆んど同時に、ヴァイキングがラウスの土地 で越冬したということを書き留めている。 その後、ヴァイキングはますます大胆になり、彼らは水路を利用することによ って内陸と、アイルランドの東沿岸に進行し、Ui Neill の領土を含めたアイルラ ンドの豊かな地域と交易と襲撃を行った。要塞化した野営地を造り、そこから一 年中いつでも襲撃できるようになった。これらのいくつかは交易センターとなり、 やがてアイルランド最初の都市へと発展した。ヴァイキングが永続的な定住地を 造ると、アイルランド人にとっても効果的な反撃を与えられるようになり、ヴァ イキングの脅威もしだいに抑え込んでいった。アイルランドの各王国が互いに争 い合う抗争の時代になると、ヴァイキングは数ある問題のひとつに過ぎなくなり、 またしばしば共通の敵として地元の支配者たちの同盟結成を促すことにもなっ た。 902 年にアイルランド人はヴァイキングを追放したが、914 年には彼らはまた やって来て略奪を始めた。しかし、アイルランド人は海岸沿いの町でヴァイキン グを迎え撃つことに成功し、この世紀の終わりにはヴァイキングはみなアイルラ ンドの王たちの支配権を力ずくで認めさせられた。もはやアイルランドではヴァ イキングを追い払おうとはしなかった。アイルランドの王たちはヴァイキングが 建設した都市が商業的地益をもたらすことを知り、彼らがその独立を保つために 支払う賦課金を私的に利用した。また、キリスト教も受け入れるようになった。 (2)ダブリンについて スカンディナヴィア人がやってきたとき、そこには農業に基礎を置く定住地が
散在しており、手工業活動はわずかな王領地や修道院に集中していた。したがっ てヴァイキングが持ち込んだ都市的機能はすべて処女地で始められることにな った。 のちにダブリンとなる場所は史料上、840 年頃、「ドゥブ・リン Dubh Linn」 すなわち黒あるいは暗い色の淵として初めて出てくる。その後まもなくして防備 を施された港ロングポート(longphort)が、ポドル川とリフィー川の合流地点 近くに建設された。ヴァイキングはこの「ロングポート」をブリテン諸島西岸周 辺で海賊行為を行うための本拠地として、あるいは越冬し、市場を開くことので きる場所として利用したと思われる。アイルランドの諸年代記は、アイルランド 人奴隷がスカンディナヴィアやさらにはるか東方へと舟で運ばれたことを伝え ている。このことからもダブリンは、もともと奴隷交易の重要な中心地だったと 考えられる。 830 年代の襲撃に関して年代記は「ボイン河のスカンディナビア人の60隻の 船の船団。リフィー河の別の60隻の船団。その2つの船団が略奪を行い、リフ ィー平野、ブレガーの平野、教会、人々の集落の双方、沢山の部族、集団を害し た」と記述している。この時代のヴァイキングは修道院の襲撃と小礼拝堂の破壊 を続けた。この襲撃の主たる目的は捕虜を得るためであった。このことは、捕虜 が捕えられた 830 年代と 840 年代の間の出来事を14記録している。其のうち 二つは小礼拝堂襲撃の記録。1つはキリスト教集団の襲撃に関するものである。 これらの多くの捕虜はアイルランドの東、裕福な、おそらく最も多く人が住んで いる場所、から連れてこられ他と考えられ、ダブリンの場所の選択の説明を助け ることができる。 850 年頃にはダブリンは永続的な定住地となっていた。このことは現ダブリン の中心地から約3km上流に位置するキルマインハムに土葬からなる大墓地が あったことから裏付けられている。 851 年にダブリンにおいてデンマーク人が「人と富の両方を略奪した」 853 年には、年代記に「Lochlann の王の息子 Olaf(ノルウェー人)がダブリ ンから税を集めるためにアイルランドの着いた」と記述している。 David Pelteret は、アイルランドがイングランドに対して奴隷獲得のための略 奪を行う基地となっていたと提案している。それは『アルスター年代記』の中で も見られる。「Olaf と Ivar は、アングル人、ブリトン人、ピクト人の大いなる 戦利品をアイルランドに捕らえて連れて来る。200隻の船をもちいてAlba か らダブリンへと帰る。」 10 世紀のダブリンは市場都市であった。他の全ての手工業はダブリンの商業 を支えるものであり、品物は交易のために都市で製造され、未加工の原料と外来 の品はアイルランドの中、或いは外を経てダブリンの市場を通じて広まっていっ た。ダブリンは環状の飾り針の製造、さらに重要な農業生産、奴隷を含めた未加 工の原料を輸出し、輸入品の多くは製造に必要な原料であった。考古学の発掘に よるとダブリンの手工業は青銅を含んだ金属の加工、同の合金の製造、枝角と骨
の加工、櫛作り、革の加工、織物、樽作りなどであった。 ダブリン、ウォーターフォード、リメリックからの長い道のりの交易は国際的 共同体の中に良い品をもたらした。そしてそれらの港町は国外から定期的な輸入 を開始した。その交易よりダブリンとアイルランドにあるスカンディナビア人の 都市は未加工の原料と嗜好品をアイルランド以外の地域から交易で入手し、食料 をアイルランド内で入手する必要が出来た。都市はそれぞれ都市の住民に食料を 供給していた農業後背地を管理していた。文字資料はダブリンについて明確に記 述しているし、他の都市がダブリンの組織化され、管理されている商業を頼った ことも暗示している。ダブリンの管理する政治的支配は、現代の学者たちによっ てFine Gall と呼ばれるダブリンが管理する農業後背地の地域の内部で拡大して いった。 ダブリンの食料供給の場であった後背地はアイルランド人の農民だけでなく、 スカンディナビア人の農民もおり、ダブリンの経済的利益の恩恵の多くはスカン ディナビア人の農民にあった。しかしダブリンのヴァイキングたちは他の労働力 として近隣のアイルランド人の農業に依存している面もあった。 4、結論 ダブリンにおけるアイルランド人の関わりは10 世紀の後背地から僅かに伺う ことができる。 他には 980 年代にアイルランド人の王、モール・セックネールによってダブ リンが包囲され、占領された。ヴァイキングはセックネールに屈し、重い賠償を 払わせられることとなり、以後アイルランドの諸侯の勢力争いにおいて、従属的 な役割を果たした。また、この時にキリスト教を受け入れ多くがキリスト教徒と なった。 この 2 つの動きからも都市におけるアイルランド人の関わりを見ることが出 来るのではないだろうか。
参考文献一覧
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