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部落史学習のこれまでとこれから 1 これまでの部落史学習被差別部落の歴史的起源には 政治起源説 異民族起源説 職業起源説 宗教起源説などがあり これまでの部落史学習においては 近世政治起源説に基づいて他の起源説の誤りを正すという目的がありました また 被差別部落の人々には 差別されるいわれはないとい

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資料集活用にあたって 1 この資料集は、学校の先生方のご協力をいただき、すべての学校で活用できる教育実 践の資料集として作成しました。高知県が掲げている7つの人権課題のうち、同和問題 の解決を念頭におき、最近の部落史研究の成果をもとに作成した人権教育資料集です。 なお、本資料集の活用にあたっては、次ページからの「部落史学習のこれまでとこれ から」を読みご留意いただきたいと思います。 2 本資料集では、部落史の研究成果に基づいた授業指導案、教材を載せています。最近 の部落史研究による動向については、次ページの「2 これからの部落史学習」をご覧 ください。 3 構成としては、ステップ1・ステップ2・ステップ3の3部構成となっており、各学 校の児童生徒の実態に合わせてステップアップしていくことや、ステップごとの流れに 沿って学習することが可能です。 4 内容的には、古代・中世、近世、近代、現代と4つのステージにわけています。 《本資料集における時代区分》 古代・中世−平安∼室町時代 近世−主に江戸時代 近代−明治・大正・昭和(戦前) 現代−昭和(戦後)・平成 5 構成については以下のようになっています。 学習題材名 (1)目標 (2)学習計画 (3)展開 トピック ワークシート 資料等 6 この資料集は、すべての学校の各段階における学習指導要領のもとで展開することが できる学習事例として作成しています。 児童生徒の実態や題材、学習のねらいに応じて、社会科(地歴・公民科)、道徳、特別 活動、総合的な学習の時間等に位置付けてご活用ください。 7 学習時間や内容については、原則として1時間でできるものとしています。 8 実践する際には、児童生徒の実態を踏まえ、各学校の課題や学習時間に応じて、アレ ンジしてご活用ください。 9 この資料集の指導案では、小・中・高等学校の教科書の呼称を参考として作成してい ます。そのためステップ1の前近代では「差別されていた人々」と表記しています。ス テップ2の中世では「差別されていた人々」、近世では「被差別身分」と表記しています。 ステップ3の中世では、「差別されていた人々」、近世では「被差別民」と表記していま す。近現代では各ステップとも「被差別部落の人々」と表記しています。 10 この資料集では、「穢多」「非人」等の語が出てきます。活用にあたっては、これらの 言葉の持つ意味を十分ご理解のうえご活用ください。

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部落史学習のこれまでとこれから 1 これまでの部落史学習 被差別部落の歴史的起源には、政治起源説・異民族起源説・職業起源説・宗教起源説 などがあり、これまでの部落史学習においては、近世政治起源説に基づいて他の起源説 の誤りを正すという目的がありました。また、被差別部落の人々には、差別されるいわ れはないということを明確にするという目的もありました。これらの目的のもと、部落 史学習を通して児童生徒に科学的な認識を身につけさせ、現代社会に存在している部落 差別を解消していく、主体者を育成していくことをめざしてきました。 部落史学習の実践を通して、被差別部落の起源に関する偏見に満ちた認識は否定され、 部落差別の不合理性も確認されてきました。さらに各地で、歴史的な資料の発掘や地域 教材の掘り起こし、教材開発が進んできましたが、その一方で、被差別部落の人々が厳 しく差別されてきたことや、経済的に苦しかったということが前面に押し出された学習 が展開されることが多かったため、児童生徒に、被差別部落の人々に対するマイナスイ メージを抱かせてしまったことは否めません。また、近世政治起源説による部落史学習 では、部落差別の責任を近世の為政者に負わせてしまう結果となり、児童生徒に部落差 別は昔の人がつくったもので、自分たちには関係がないといったような、他人事の意識 を持たせてしまうという課題も残してきました。 部落史に関わる研究は、近年多くの研究者たちの政治・経済・生活など様々な領域か らのアプローチによって、被差別部落の人々の多様な姿が明らかにされてきました。同 時に、これまでの近世政治起源説の見直しも進められ、現在小中高等学校で使用されて いる社会科・歴史教科書の記述も改められるようになりました。そのため、学校の先生 方の中には、児童生徒を前に、何をどのように学習すればよいのかという戸惑いがある のではないでしょうか。 部落史学習においては、教師側が何のために学習するのか、児童生徒にどのような力 を身につけさせたいのかといった、明確な目的意識を持って進める必要があります。近 年は、部落史だけではなく江戸時代の評価も大きく変わってきています。そのため、学 校の先生方が、最近の研究成果を積極的に摂取していくことが、これまで以上に求めら れています。 2 これからの部落史学習 (1) なぜ部落史を学ぶのか 私たちは社会科(地歴)の時間の中で日本の歴史を学びます。私たちは、過去から 現代につながる歴史を学ぶことで、現代社会の成り立ちや現代につながる多くの人々 の願いや生き方を知り、未来に向かって自分はどう生きるべきかということを問いか けます。部落史は日本の歴史の中の一部分であり、部落史学習は歴史学習の一つです。

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歴史学習では、過去との対話を通して現代社会を生きる主体者を育成することが求め られています。 部落史学習は単なる物知りを増やすための学習ではありません。ここでは部落史学 習のねらいとして、三つあげておきます。一つめは、どのような社会の仕組みや民衆 の意識が、部落差別を温存してきたのかということに気づくことであり、二つめは、 被差別の側の思いや、生きざまに共感すること、三つめは、学習を通して自分自身を 見つめ、自らの生き方を問うことです。部落史をなぜ学ぶのかというと、前述の三つ のねらいを通して、現代社会に存在する部落差別を解消していく主体者として、未来 に向かって自分自身の「在り方生き方」を確認するためなのです。 (2) これからの部落史学習における留意点 これからの部落史学習において大切なことは、教科書や資料集にある記述を「知識」 として単に伝えることではなく、次のような点に留意して展開することです。 ① 部落史を特殊な歴史として学習するのではなく、日本史全体の中に位置づけ、その 時々の社会構造や社会システムといった枠組みの中に関連させて学習すること。 ② 中世や近世に生きた人々の仕事に関しては、現在の価値観をもとにした視点から見 ないこと。 ③ 民衆の持っていた意識と、それを利用した為政者の政策をきちんとおさえ、社会に 存在する排除性を明らかにするとともに、児童生徒自身に「自分自身はどうなのか」 と問いかけ、自分自身の日常生活と重ねて考えられるような展開をすること。 ④ 被差別部落の人々の「悲惨」で「貧しい」の一面的強調は避け、仮に扱う場合であ っても展望をもたせるような展開を心がけ、児童生徒が課題解決への展望を持てる ように、できうる限り差別の中で前向きに生きてきた姿を中心に展開すること。 ⑤ 時代ごとの差別の特色を把握し、なかでも近現代は社会問題としての部落問題が成 立した時代として位置づけ、解決に向けての方策を見いだせるような展開とするこ と。 ⑥ 児童生徒のもつ被差別部落に対するマイナスイメージを払拭し、現在に生きる自分 たちの生き方の問題であるという意識を持たせる工夫を行うこと。 ⑦ 児童生徒に興味関心をもたせるため、ビジュアルな資料を活用し、必要に応じて読 み物資料なども活用するよう留意すること。 ⑧ 地域資料などの活用を積極的に行い、地域の中の歴史として位置づけること。 ⑨ 部落史全体を通じて、支配者側の視点からではなく、民衆の立場と視点から学習で きる内容とし、なぜ部落史を教えるのか、何を生徒たちに気づかせ理解させたいの かという、目的とねらいを明確にし、学習のプロセスを工夫すること。 ⑩ 各時代の歴史的な事実を学ぶだけではなく、その時代ごとに登場する人々の生き方 から学ぶ学習を展開すること(ⅹページ表参照)。

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(3) 最近の研究成果を踏まえる ① 中世社会における被差別民衆への視点 古代から存在していた災いや不幸、自然災害など日常とは異なる状況を「ケガレ」 と考える人々の意識が、中世では社会の中にヒンドゥー教の「浄穢」観が影響を及ぼ すようになり、「ケガレ」観として一般民衆にも広がっていきました。中でも「死・産・ 血」は「三穢」と呼ばれ、特に忌み嫌われるようになりました。さらに、「ケガレ」が 移るという観念(「触穢」)も広がり、「ケガレ」に触れた場合、その触れた人は一定期 間外出せず家に引きこもるとされました。 社会に「ケガレ」が広がることを防ぐため、「ケガレ」を清める役割を担う者が必要 とされるようになります。その人々はこの時代に「キヨメ」と呼ばれていました。「キ ヨメ」と呼ばれた人々は、一般の人々にはない特異な力を持っていると考えられ、畏 怖の念をもってみられていました。しかしながら、次第に「ケガレ」に関わる者とし て、賤視観をもってみられはじめたことから、不浄な人々として社会から排除されて いくようになります。 ② 近世政治起源説の見直し かつて、小・中・高等学校の歴史教科書においては、権力が民衆の分裂支配を目的 に被差別民衆をつくったかのように記述されていましたが、近世史研究者らにより、 このような記述は史実と異なっているといわれています。地域差はあるものの、被差 別民衆は江戸時代以前から存在しており、民衆の差別意識が底流にあって、権力が民 衆の差別意識を利用して制度的に確立したとする方が、現在の考え方の主流になって います。 ③ 身分制度の捉え方に対する見直し これまでの歴史学習の中で使われてきた「士農工商・穢多・非人」という身分階層 は、「武士・町人・百姓(「農民」だけではなく、農業・漁業・林業従事者等との認識)」 と分けられていて、「穢多・非人」は、これらの身分よりも下層身分とされていました。 しかしながら、「穢多・非人」は「武士・町人・百姓」より低い身分ではなく、これら の人々から社会外の者として、日常生活の中から排除された人々として認識されてい ます。 ④ 近世被差別民衆の生活実態の見直し 被差別民衆の人口増加については、「信仰心が厚いから子どもを間引かなかった」と 教えられてきましたが、被差別民衆の人口増加には経済力の拡大があげられます。 被差別民衆の人々は、皮革産業・細工仕事・市行商などさまざまな職業に就くこと で、飢饉を乗り越え経済力を付けていきます。故松崎俊夫氏は「部落解放史ふくおか」

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の中で、被差別民衆の果たしてきた役割を「生産と労働」の視点から取り上げること の必要性を提起しています。被差別民衆の生活を貧困の面だけではなく、「生産と労働」 の視点からも取り上げ、これまでの「貧困と差別」の視点からの脱却が求められてい ます。 ⑤ 近世被差別民衆の文化への貢献 さまざまな生業から優れた技術を獲得した被差別民衆の人々は、その技術をふるう ことで、我が国の文化の発展に貢献しました。特に医学の面においては、人体構造の 解明という作業に関わり、その後の医学の発展に大きな功績を残しています。 また、薬学や芸能の分野においても、被差別民衆の人々の持つ知識や技能は、民衆 にとってなくてはならない存在であったことが認識されています。 ⑥ 「解放令」の歴史的な意義の再確認 いわゆる「解放令」は出されたものの、差別をなくすためには何の意義もなかった と見られてきています。しかしながら、「解放令」は前近代に存在していたすべての被 差別身分を制度的に解放し、一気に差別制度を崩壊させています。 また、「解放令」は後の解放に向けた運動や、水平社運動の拠り所という側面をもっ ており、その意義は高く評価されています。 ⑦ 水平社以外の部落解放運動に対する評価 部落解放運動は水平社が一人担ってきたようなイメージがありますが、水平社運動 以前からさまざまな運動があり、個人や組織として展開されてきました。 また、水平社運動も地域によっては融和運動と連携し、相互に協力しあいながら部 落解放に向けて取り組まれていました。これらのことから、水平社だけが解放運動の すべてではなく、融和運動をはじめとするさまざまなやり方で解放を目指していたこ とが認識されています。 以上のようなことに留意し、児童生徒たちになぜ部落差別が今日まで残っているのか、 どうしたらなくすことができるのかといったことを問いかけ、教師を含め、児童生徒の日 常と学習を重ねる作業をしていく必要があります。そのためにも、学習の中でそれぞれの 時代を生きた人々と児童生徒を出会わせ、その生き方から学ばせることが大切であり、教 材・教師・友だち・自分のそれぞれとの対話を通して高次の学びとすることが必要です。 児童生徒が対話のある学びの中で、より高次の学びを獲得し、多くの気づきを得ることで、 差別をなくすための行動化へとつなげていけるよう、教材観・児童生徒観・指導観を明確 にして学習の展開をしていただくようお願いします。

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表:時代ごとの学習のねら いと出会う人々 時 代 学習のねらい 学習の視点 出会う人々 (ステップ1) 出会う人々 (ステップ2) 出会う人々 (ステップ3) 中 世 ①ケ ガレ 観に 基 づく 特定 の人 々へ の 賤視 観が 民衆 に 広が り、そ れが 差別 とし て社会 的に 存在 した こと を知 る。 ②人 が人 を賤 視 し、 その 賤視 観を 正 当化 して いっ た 背景 に は ど の よ う な も の が あ っ た の か と い う こ と に 気 づ く。 ケ ガ レ 観 に と ら わ れ た 中 世 の 人々・ 又四 郎 ケ ガ レ 観 に と ら わ れ た 中 世 の 人々 ・一 遍・ 又四 郎・ 世阿弥 ケ ガ レ 観 に と ら わ れ た 中 世 の 人々 ・一 遍・ 又四 郎・ 小太郎 ・清 二 郎 近 世 ①民 衆の 差別 意 識を 利用 した 権力 者 によ り、 制度 的 な差 別が 確立 され 、 差別 が当 たり 前 の社 会が 成立 し てい た ことを 知る 。 ②こ のよ うな 状 況下 にも かか わら ず 、被 差別 民衆 の 人々 は役負 担を 担い 、差 別に 負け るこ とな く前 向きに 生き 、 文化の 発展 にも 寄与 してい たこ とを 理解 する 。 江 戸 時 代 を 生 き た人々・虎 松の 祖 父 江 戸 時 代 を 生 き た 人 々 ・ 虎 松 の 祖 父 ・ 渋 染 一 揆 に関わ った 人々 江 戸 時 代 を 生 き た 人 々 ・ 虎 松 の 祖 父 ・ 医 学 に 関 わ っ た 被 差 別 民 衆 近 代 ①解 放令 によ り 、前 近代 の被 差別 身 分は 制度 的に は 解体 された もの の急 速な 近代 化や 資本 主義 化の 波に のみ こま れ、 社会 問題と して の部落 問題 が成 立し たこと を知 る。 ②社 会問 題と し ての 部落 問題 の中 、 解放 令を 拠り 所 とし て、多 くの 被差 別部 落の 人 々の 立ち 上が り があ った こ とを 理解 す る。 解 放 令 に つ な が る 動 き を し た 人々・水平 社運 動 に 関 わ っ た 人 々 や山田 孝野 次郎 解 放 令 に つ な が る 動 き を し た 人 々 ・ 水 平 社 運 動 に 関 わ っ た 婦 人 水 平 社 の 人 々 や 西 光 万 吉 ・ 山 田孝野 次郎 解 放 理 論 を 唱 え た 中 江 兆 民 、 村 田 正 太 や 婦 人 水 平 社 を 立 ち 上 げ た 阪 本 数 枝 、 被 差 別 部 落 外 の 立 場 か ら 部 落 問 題 と 関 わ っ た 大 江 卓・ 岡崎精 郎 現 代 ①日 本国 憲法 の 基本 的人 権の 尊重 に 基づ き、 同和 問 題を 解決す るた めの教 育・ 運動 ・行政 施策 など が行 われ てきた こと を 知る。 ②現 代社 会に も 存在 する 同和 問題 を 解決 する ため に 、被 差別の 立場 の人 々と の出 会 いを 通し て、 自 分自 身の 在 り方 生き 方 を考え る。 差別の社会的成立 差別の政治的制度的成立 社 会 問 題 と し て の 部 落 問 題 の成立 基 本 的 人 権 の 尊 重 に 基 づ く 差別との闘い 教 科 書 無 償 運 動 を 展 開 し た 人 々 ・ 文 字 を 取 り 戻 そうと 学ぶ 人々 教 科 書 無 償 運 動 を 展 開 し た 人 々 ・ 文 字 を 取 り 戻 そ う と 学 ぶ 人々 教 科 書 無 償 運 動 を 展 開 し た 人 々 ・ 文 字 を 取 り 戻 そ う と 学 ぶ 人々

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日本の伝統文化を創造した人々 1 目 標 (1) 中世の人々に、死への恐れや河原者に対する差別(自分たちと異なった生活をする人々に対し て)があったことを知る。 (2) 中世の頃、差別されていた人々も民衆文化を築き支えていたことに気づく。 2 学習計画(全3時間) (1) 差別されていた人々が築いた民衆文化(1時間) (2) 民衆の間に生まれた差別(1時間) (3) 伝統文化を創造した人々(1時間) 3 展 開 (1) 差別されていた人々が築いた民衆文化 主な学習活動 留意点 1 室町時代の文化について復習する。 2 銀閣の庭、龍安寺の庭の写真を見て思ったこ とを発表する。 3 銀閣の庭を造った「又四郎の言葉」について 考える。 4 中世に差別されていた人たちがどんな仕事 をしていたかを知る。 ○能や狂言、茶道、墨絵、庭園づくり等、室町時代 の文化で現在に受け継がれているものを確認す る。 ○資料1 銀閣の庭の写真(巻末資料1) ○資料2 龍安寺の庭の写真(巻末資料2) ○資料3 銀閣と又四郎(P4) ○資料4 「今様職人尽歌合」・「職人尽歌合」の女 性たち、男性たち (巻末資料5・6) ○室町時代の文化を創造した多くの人々が、当時 の社会のなかで差別を受けていたことに気づか せる。 銀閣の庭 又四郎は、どんな人だろう。

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資料3 銀閣と又四郎 室町時代、庭造りの名人といわれた「善阿弥」という人がいました。 八代将軍の足利義政も彼の技術をこよなく愛していました。有名な銀閣などの庭も彼の子の「小四郎」 そしてその孫の「又四郎」の三代によって完成されたと言われています。 ある日、善阿弥の孫の又四郎は、京都の相国寺の僧侶「周麟」に、次のような話をしました。 この又四郎の話を聞いて、周麟は次のように言いました。 京都部落史研究所編 「京都の部落史3 史料古代中世」 1984 阿吽社 外川正明 「部落史に学ぶ」 2001 解放出版社をもとに作成 トピック:賤視されていた「仙水河原者」 龍安寺などの庭園は、「仙水河原者」と呼ばれ当時差別されていた人々が造ったと言われている。当時の人々 は、日常とは異なる状態を「ケガレ」ととらえ、人の死、出産、災害、犯罪などとともに、庭園造りも「ケガ レ」に関わるものであるととらえられていたが、庭造りは理論書に基づいて行われていた。このことは、「泉石 妙手」と称えられた善阿弥の孫、又四郎の「懐中より一冊を出して曰く。是、植樹、拝石、吉凶を擇び、月日 を選ぶの書なり」という「鹿苑日録」の記述から伺い知ることができる。しかしながら当時は、自然に働きか ける「仙水河原者」の人々を、「ケガレ」た存在と見ていたのである。 【参考】京都部落史研究所編 「京都の部落史1 前近代」 1995 阿吽社 私は、人々から差別される立場にあることを心から悲しい と思います。 だから、生き物の命はちかって奪わないようにしている し、めさきの利益や欲にまどわされないように自分をいまし めています。 以前、道で蚊帳(かや)をひろって落し主にわたしたら、今で も道で会うと感謝されているんです。 又四郎こそ人間である。ちかごろの坊主のやっ ていることなどは、この者には及ばない。本当 に恥ずかしいことだ。

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(2)民衆の間に生まれた差別 主な学習活動 留意点 1 前時の復習をする。 2 本時の課題をつかむ。 3 絵巻物の一部を見て、気づいたことを話し合 う。 平安時代の人々が、死に対して大変恐れてい たことを知る。 4 この頃、死んだ人や牛、馬を、どのようにし たかを考える。 5 資料を見ながら河原に住む人々の様子を想 像する。 6 学習のまとめをする。 ○又四郎はどんな人だったか思い出す。 ○資料5 春日権現験記縁起絵巻(巻末資料3) ○死への恐れから河原に運ばれていたことに気づ かせる。 ○資料6 河原にできた中世の町(巻末資料4) ○又四郎は、この河原に住む者の一人で、河原に住 む人々同様に差別されていたことに気づかせる。 ○畏れ→自分たちとは異なる人々→差別意識 畏れがやがて自分たちと異なる人々というとら え方になり、差別意識につながったことを知る。 (3)伝統文化を創造した人々 主な学習活動 留 意 点 1 「又四郎の言葉」を思い出し、又四郎の気持 ちを考える。 2 3 学習のまとめをする。 又四郎と周麟の言葉に自分の思いを重ねて さらに現在の自分と重ねながら、感想をワー クシートに書く。 ○資料7 ワークシート(P6) ○又四郎の言葉の意味を見つめ直す。 ○「悲しむ」の意味を考えさせる。 ○差別する人の心の悲しさに気づかせる。 ○又四郎の生き方から、人間として大切なことは何 か考えさせる。 ○このふたりのつながりを、差別のなかにあっても それを乗り越えて、つながり合おうとする関係で あったことに気づかせる。 ○自分の考えを書かせる。 すばらしい技術をもつ又四郎は、なぜ差別されたのだろう。 相国寺の僧、周麟の言葉「又四郎こそ人間 である」とは、どういう意味だろう。

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資料7 ワークシート ○「又四郎(またしろう)の言葉」から、又四郎の気持ちを考えてみよう。あなたはどう思いますか。 ○相国寺(しょうこくじ)の僧、周麟(しゅうりん)の言葉「又四郎こそ人間である」とはどういう意味だ ろう。あなたの考えを書いてみよう。 ○又四郎と周麟の言葉に自分の思いを重ね、さらに現在の自分と重ねながら感想を書いてみよう。

なまえ〔 〕

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近世社会と差別の中で生き抜いてきた人々 1 目 標 (1)江戸時代は、民衆の中に中世以来の賤視観があり、制度的にも身分差別が確立されていった 社会である。その中でたくましく生きてきた人々の姿に気づくことができる。 (2)近世の身分社会の中で、差別されていた人々がさまざまな仕事を生み出し、社会や文化を支 え、大きな役割を果たしてきたことに気づく。 2 学習計画〈全2時間〉 (1)江戸時代の身分社会と差別の中で生きてきた人々(1時間) (2)江戸時代の社会や文化を支えてきた人々(1時間) 3 展 開 (1) 江戸時代の身分社会と差別の中で生きてきた人々 主な学習活動 留意点など 1 これまでの復習 ・幕藩体制を維持するために幕府が行った政策 ・武士の生活が大多数の農民の年貢によって支 えられていたこと 2 資料1・2を見て江戸時代の身分はどのような しくみになっていたのか考える。 3 資料3・4を読み、差別された人々は身分制社 会の中でどのような存在だったのかを考え、グル ープで話し合う。 4 まとめ(感想をノートに書く) ○これまでの学習を振り返る。 ・武家諸法度、参勤交代(大名行列) ・年貢をおさめる農民 ○資料1 円グラフ(P8) 江戸時代の身分ごとの人口の割合や、武 士、町人、村人などとは別に「差別され ていた人々」がいたことに気づかせる。 ○資料2 身分の中の上下(P8) ・それぞれの身分の中にも上下関係があっ たことに気づかせる。 ・身分の固定化により、多の身分に移るこ とが難しかったことを知らせる。 ○資料3「真覚寺日記」(P9) ・差別されたのにその相手の命を助けようと したことや、武士が犬をあずけたりするな どの交流があったことに気づかせる。 ・差別の中で生きてきた人々は、住むとこ ろや服装、仕事などに制限があったこと や、当時は地域社会の外の存在とされて いたことを知らせる。 ○資料4 お伊勢参り(P9) ・差別が制度化され、差別しなければ処罰 されていた時代にもかかわらず、差別に屈 しなかった人々がいたことに気づかせる。

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資料1 円グラフ 東京書籍 「小学社会6上」 2003 年度版 P57 をもとに作成 資料2 身分の中の上下(江戸時代の身分社会)

武 士 町 人 百 姓

将 軍 大 名 地主・家持 本百姓 大前お おま えひゃくしょう百 姓 大 名 上 士 地借ち が り・店借たながり 小前こ ま えひゃくしょう百 姓 旗 本 郷ご う 士し 水呑み ずの みひゃくしょう百 姓 (土佐藩を例に) 地主・家持とは、土地もち町人のこと。地借・店借とは、土地をもたない町人のこと 御家人 大前百姓とは、村の役人の地位を与えられる者。小前百姓とは、本百姓として年貢を 納める者のこと。 笠原一男 「詳説 日本史研究」 1991 山川出版社 トピック:骨まで有効利用された死牛馬処理 死牛馬の処理は、死穢との関係から忌み嫌われ、処理に関わる人々は周りの人々から賤視されていた。 これらの人々は処理した死牛馬を様々に活用し、表皮・爪・角・毛・筋・脂などはそれぞれその用途に応 じて使われ、皮の屑は膠(ニカワ)という接着剤とされた。また、肝臓から希に出てくる牛黄(ゴオウ)は、高価な 薬品として重宝がられたが、大量に出てくる骨はその処理に困っていた。しかし、薩摩国で海運業を営ん でいた仲覚兵衛により、骨を砕いたものに肥料としての効果があることが確かめられ、大量に出てくる骨 は、以後「骨粉」として全国に流通するようになる。 【参考】中尾健次 「部落史50話」 2003 解放出版社 京都部落史研究所編 「中世の民衆と芸能」 1986 阿吽社 村人 85% 武 士 町 人 村人や町人とは別に身分上きびし く差別されてきた人々 1.5% 僧,神官など 1.5%

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資料4 真覚寺日記

1865年5月17日 土佐市立戸波中学校 「真覚寺日記 部落史資料」 参考:真覚寺日記 真覚寺日記とは、土佐市宇佐の真覚寺の住職が記録していた日記です。日記には、天災や諸外国からの 外圧など混乱が続いていた中、市中の噂や街頭の人々の話を聞いた内容で書かれているものです。 資料4 お伊勢参り 京都部落史研究所編 「京都の部落史1 前近代」 1995 阿吽社 ある武士の家の犬がイノシシ狩りでけがをした。牛肉を食べさせればけがも早く治 るということで、差別されていた身分の人に、その犬をあずけた。 やがて犬のケガがずいぶん治ってきたので、その人はあずかった犬を連れて散歩さ せていた。 するとそこへ近くの百姓が通りかかり、「その犬はどうしたのか。」と聞いた。「お 城下のだれそれよりあずかった犬だ。」とその人が答えると、百姓はおこりだし、「お まえのような身分のものが犬を連れているとはまことにけしからん。」と言うなり犬 を打ち殺してしまった。 差別されていた人が事情を武士に話すと、百姓はさっそく捕まり、手打ちにされそ うになったが、その人が、「私が犬をあずかりさえしなければこんなことにはなりま せんでした。どうか私をまず罰してください。」と言って百姓を助けようとした。 そのことばを聞いた武士は、「おまえのような身分のものにはめずらしく、りっぱ な者である。」とおおいにほめ、二人とも許された。

「真覚寺日記」より

江戸時代のなかばを過ぎたころから、人々の間では伊勢神宮に参拝することがたい へん流行しました。簡単には旅行できない時代だったので、人々にとってはたいへん な楽しみでした。 1812年、京都で差別の中を生きてきた人々も、21人がいっしょになって、伊 勢神宮に参拝に出かけました。 しかしこのことが見つかり、この人たちはもちろん、この人たちを泊めた宿屋の主 人も処 罰しょばつされました。

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(2)江戸時代の社会や文化を支えてきた人々 主な学習活動 留意点など 1 差別されていた人々が、どのような生活をして きたのかを考える。 2 差別されていた人々が、どのような仕事を行っ ていたのか、資料を見ながら話し合う。 3 差別されていた人々が、さまざまな仕事をおこな い、当時の社会や文化を支える重要な役割を担っ ていたことを知る。 これらの仕事は、どのくらい役立つものだっ たのだろうか。 5 その当時の文化を支え活躍した人々の技術が、伝 統工芸や伝統文化として現代に受け継がれている ことを知る。 6 まとめ(感想をノートに書く) ○資料5 ある村の人口増加のグラフ(P110) 江戸時代全体の人口の変化があまりない中、 差別されていた人々の住むある村の人口は増 加している。このことから、けっして苦しい 生活ではなかったことに気づかせる。 ○あらかじめ、今までの学習から自分の考え られることを予想してノートに書かせる。 ○資料6 今様職人尽歌合・職人尽歌合 (巻末資料5・6) ○資料7 土佐国職人尽歌合(巻末資料7) ○様々なものを作り出す職人 ・死牛馬などの処理から生み出されるさま ざまな製品は、社会が豊かになるにつれ、 その需要は高まり、たいへん経済的価値 があったことをおさえる。そして、それ が特権産業であったことを説明する。(人 口増加のグラフと関連づける。) ・その他、刑吏、清掃、狩猟、飛脚、運搬、 芸能民、流民、堰の番人、庭者、染色業、 製薬、薬売り、その他医者などもいた。 ・また、農業や漁業などの仕事をしていた 人々もいたが、地域によって違うことを おさえておく。 ○差別されていた人々の仕事は、当時のすべて の人々の生活にとって、なくてはならないも のであったことに気づかせる。 ○仕事や住む所など厳しい制約を受けながら も、工夫や努力を重ね、さまざまな仕事を創 り出していった人々の姿に出会わせる。 ・武具(武士にとっては戦いに必要なもの) ・太鼓(お祭りや時を告げるために欠かせな いもの) ・ろうそく(電気のない当時は貴重なもの) ・雪駄や下駄(ないと足が痛くて歩けない) ・堰の番人(水害にみまわれ命が危ない) ・染色業(さまざまな色の着物が着られる) ・竹細工(農業や漁業、くらしに必要) ○現代でも使われている竹細工、太鼓など、実 物があれば見せる。 差別の中で生きてきた人々は、どのような 仕事をしていたのでしょうか。 ある村の人口はなぜ増加しているのでし ょうか。

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新しい学問

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医学の発展に貢献した人々

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1 目 標 杉田玄白らが『解体新書』を著すきっかけとなった解剖の様子を知り、実際の執刀者である「老 人」の姿を通して、差別されていた人々が、労働を通してすぐれた知識と技術を持ち、当時の医学 の発展に貢献したことに気づく。 2 展 開 主な学習活動 留意点 1 2つの人体図を比べて気のついたことを話し 合う。 2 資料3の絵を見て話し合う。 ・杉田玄白はどの人だろう。 ・刃物を持っている老人は何をしているのだろ う。 ・玄白たちは老人をどのように評価していたの か考える。 3 資料5「腑分けの一節」を読み、この老人は どうしてこのような技術や知識をもっていた のかを考える。 玄白たちは、どんな気持ちで見ていたのだろ うか。 4 まとめ(感想発表) ○資料1 「東医宝鑑」の人体図(P12) 今まではこのような人体図で医者は患者を 診ていたことを伝える。 ○資料2 「ターヘルアナトミア」の人体図 (P12) ○資料3 「腑分けに立ち会った絵」 (巻末資料13) ○資料4 ワークシート(P13) ・吹き出しにことばを入れてみよう。 ・ここまでに「解体新書」を著した杉田玄白 らについて簡単に触れておくことが必要 である。 ・腑分けについて。 ○授業で習ったことをもとに考えさせる。 ・死へのおそれ。 ・すぐれた解剖技術を持ち合わせていない。 ○玄白が老人をどう評価していたか考えさせ、 発表させる。 ○資料5 「腑分けの一節」(P14) ・死牛馬処理の中で、腑分けの技術を獲得 したこと、内蔵配置の知識を得たことなど を伝える。 ・老人の持っていた技術に対する玄白たちの 気持ちを考えさせ、発表させる。 ○資料4 ワークシート(P13) 杉田玄白たちはどうして自分で腑分けを しなかったのだろう。

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資料1 「東医宝鑑」の人体図 資料2「ターヘルアナトミア」の人体図 「朝鮮漢方医学書」より 「解体新書」より トピック:医学に関わった被差別民 「藤内」とよばれ差別された人々が近世の北陸地域におり、火葬・施薬・灯心製造・草履製造などに携 わっていた。中には「藤内医者」の言葉のように、医療関係に携わる人々がいたことが知られていて、男 は医者・女は産婆となっている。この「藤内」の他に、島根県の「鉢屋」の中にも産婆を行うものがいた といわれているし、土佐藩でも、「穢多」身分の医者が調薬や治療を行っていたこと、近江の国でも多くの 医者がいて、一般の村に比べて三倍もの医者がいたことがわかっている。被差別部落に医療に携わる人々 が多かったのは、「生・病・死」といった領域を差別された人々が生業としていたことと関連性があると考 えられている。 【参考】網野善彦 「『日本』とは何か」 2000 講談社 小林茂・芳賀登他監修 「部落史用語辞典」 1985 柏書房 斎藤洋一 「近世被差別民と医薬業・再考」 部落解放・人権研究所 『部落解放研究 153』 2003 解放出版社 山本 大 他編 憲章簿第 5 巻 1985 高知県立図書館

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資料4 ワークシート

解体新書 −「腑分け」の図−

( )年 名前( )

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資料 5 「腑分けの一節」

腑分けの名手

1771年の春のことでした。わたしは、オランダ語で書かれた『ターヘルアナト ミア』という医学書を手に入れることができました。わたしはもちろん1文字も読む ことはできなかったのですが、図にかかれている、内臓な い ぞ う、骨格こ っ か くのぐあいなどが、今ま で見たり聞いたりしたものとたいへんちがっていましたので、これは1度、身体か ら だの内 部を実際に見てみたいものだと思いました。 すると、奉行所ぶ ぎ ょ う し ょより、「明朝みんちょう、骨こ つが原にて腑分ふ わけを行うので、希望があればおいで ください。」との知らせをうけとりました。わたしは、翌朝、友人である前野良沢ま え の り ょ う た く、中川な か が わ 淳 じゅん 庵あ んをさそい、ともに骨こ つが原に向かうことになったのです。 さて、腑分ふ わけのことは、虎松と ら ま つというものがすぐれていると聞きいましたので、たのん でおいたところ、その日ひはあいにく 急 病きゅうびょうで、代わりにその祖父である90歳ぐらい の老人が腑分ふ わけを行うことになりました。とても元気な老人で、若いときから腑分ふ わけ を何度か行ったと話してくれました。 その日も、老人は、あれこれと指し示しては、「これは心臓でございます。そして これは、肝臓かんぞう、これは胃いであります。」などと説明してくれました。また、「これは、 名前は知りませんが、自分は若い頃から数体を手がけておりましたところ、これは必 ずこの場所にあります。」などと言ってわたしたちに示してくれました。 わたしたちは、手に持っていたオランダの解剖書とてらしあわせてみたところ、一 つとしてその図とちがっているものはなく、まったく同じであることにおどろきまし た。

翻訳の決意

帰り道か え み ち、わたしは前野良沢ま え の り ょ う た くや中川な か が わじゅん淳庵あ んと語かたりあいました。 「今日き ょ うの腑分ふ わけは本当ほ ん と うにおどろくことばかりであった。かりにも医者い し ゃを仕事としてい るものが、その医学の基本である人体の本当の姿を知らずにいたことはたいへん面目めんぼく ないことである。この『ターヘルアナトミア』を少しでも翻訳ほんやくすることができたなら ば、きっと身体の内外のことが多くの人にはっきりとわかって、治療ちりょうに役立てること ができるであろう。なんとかしてこれを翻訳したいものである。」 わたしのことばに2人とも「まったく同感である。」と言い、さっそく3人で翻訳 の作業にとりかかることになりました。 杉田玄白著・片桐一男全訳注 「蘭学事始」 2000 講談社学術文庫

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「解放令」発布について考える 1 目 標 (1)「解放令」の内容と意義を知る。 (2)「解放令」が出されたときの人々の様子をとらえる。 (3)「解放令」が発布されたあとも、民衆の被差別部落に対する根強い差別意識があったこと を、被差別の側にたって気づく。 2 学習計画〈全2時間〉 (1)「解放令」の発布(1時間) (2)「解放令」の発布されたあとの問題点と被差別部落の人々の立ち上がり(1時間) 3 展 開 (1)「解放令」の発布 主な学習活動 留意点 1 明治時代になって、江戸時代の身分制度が どのようになったのかを知る。 四民平等について、思ったことを自由に発 表させ、予想をたてる。 資料1を見て、話し合う。 2 被差別部落の人々は、そのころどんな行動 に出たかを考える。 3 「解放令」とは、どんな法律なんだろう。 「解放令」の内容について知る。 4 「解放令」が出されたとき、被差別部落の 人々はどう受け止めたのかを考える。 予想を出し合い、資料4を読む。 ○四民平等が、本当に平等を目的にしたもので あったのかを考えさせる。 ○資料1 「四民平等」での身分制度の変更 (P19) ○資料2 被差別部落の人々の嘆願(P19) 「解放令」が出されるまでに、被差別部落の人々 の粘り強い訴えがあったことを知らせる。 ○資料3 「解放令(太政官布告)」(P20) 「解放令」の意味をおさえさせる。 ○「差別されてきた人々の身分を廃止して、こ れからは( ・ )ともに平民と同 じにする」の文を提示し、( )に何が入る かを考えさせる。 ○制度的に被差別身分がなくなったという、歴 史的にも重要な意味を持ち、身分解放の出発 点であることをつかませる。 ○今までの差別に対する闘いや生活を高めてい こうとした行動を考えさせる。 ○資料4 喜びで迎えられた「解放令」(P22) 「解放令」が出された時の喜びの大きさを読 み取らせる。

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主な学習活動 留意点 5 被差別部落の人々たちは、どんなことを願っ たのかを話し合う。 資料5のワークシートを使用して、被差別部 落の人々がまず、何をしたかったのかを予想 して書き、話し合う。 ○これまで、くらしにさまざまな制限があった ことに留意させ、「解放令」以後の被差別部落 の人々の行動を予想させる。 ○資料5 解放令が出されて被差別部落の人々 は・・・(P23) ・厳しい現実のなかでも、「解放令」を拠り所に、 被差別部落の人々が他の民衆と同じ生活をも とめていったことを理解させる。 トピック:解放令を根拠に軍人に謝罪させた被差別部落の人々 1919(大正 8)年、三重県松阪の被差別部落の人々が、軍隊に謝罪させるという出来事が起こる。この 事件は、陸軍軍人の葬儀にやってきた陸軍大尉の差別発言に端を発している。被差別部落の人々は、「明治 4年の太政官布告(注−解放令のこと)によって、エタ村はなくなったはずだ。そんな発言を明治天皇が お聞きになったら、なんと言ってお嘆きになるだろう」と大尉を詰問し謝罪させ、陸海軍大臣、三重県知 事、第51 連隊に差別撤廃の陳情書を提出し、軍隊から丁重な謝罪を引き出している。 【参考】中尾健次 「部落史50話」 2003 解放出版社 参考:松方デフレの影響 1881年から始まる「松方デフレ政策」が被差別部落の困窮化に一層拍車をかけた。急激な増 税・緊縮財政といったデフレ政策をとり、地場産業に大打撃をあたえ、大不況をまねいた。 京都の場合、1880年からの2年間で、染物や陶磁器の生産高は5割に落ち込んだ。人々の生 活は苦境に追い込まれ、被差別部落においてはさらに深刻な状態だった。 京都部落史研究所 「京都の部落史2 近現代」 1991 阿吽社 松方デフレ 1880年代に実施された大蔵卿松方正義のデフレ政策。紙幣整理、日本銀行設立、兌換制の確 立、官営事業の払い下げ政策などで、デフレ政策を強行。この結果、小企業を圧迫し、農民の没落 を招く。 全国歴史教育研究協議会 「日本史用語集」 1988 山川出版社 ・村人とあったときに道端によってあいさつ したり、土下座をすることはなくなった。 ・酒屋や風呂屋にも自由に出かけた。 ・かっこうや髪型も自由になった。 ・雨の日には傘をさすようになった。 ・だれとでも結婚できるようになった。 ・神社やお寺のお参りにも行くようになった。

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資料1:「四民平等」での身分制度の変更 「解放令」が出される2年前の1869年、明治政 府は「四民平等」と呼ばれる改革を行っています。 資料2:被差別部落の人々の嘆願 差別されていた人々は、もちろん納得しませんでし た。「被差別身分を廃止してください」と、政府に粘り 強く訴えました。 政府への訴えは、幕末から始まっていました。 京都では、「汚名廃止請願書」という形で、次のよう に願い出ています。 「私どもは、もとより神国の民でありながら、差別的 な名前で呼ばれることは、なんとも嘆かわしいことです。 私どものなかには、獣類の革や角を扱って、生活してい るものがございますが、これは、御国の必要になること でありますし、また、農村では多くが農業だけで生活し ております。なにとぞ、古くからいわれている差別的な 名前を除いて、武士や平民同様にお取り扱い下さるよう にお願いいたします。」 このような請願は、あちこちで出されていました。 稲垣有一・寺木伸明・中尾健次 「部落史をどう教えるか(第2版)」 1993 解放出版社 変更前 変更後 天皇の一族 公家・大名 武士 百姓・町民など 差別されていた人々 「皇族」 「華族」 「士族」 「平民」 「対象外(変更なし)」 平民にもみょう字を名のることや、華族・士族との結婚や、職業・ 住居の自由が認められました。

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資料3:「解放令(太政官布告)」 「解放令」は、1871(明治 4)年の 8 月 28 日に「太政官布告」として出されました。「賤称廃止令」、 「被差別身分廃止令」とも言われることがあります。現在の法律と同じものとして出されたのです。 本文は以下のとおりです。 明治新政府から「御布告」と して出されました。その後県 内各郡に送られ、その主旨の 徹底がはかられました。 解 放 令 「差別されてきた人々の身分を廃止して、これからは身分・職業ともに平民と同じにする」

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参 考 資 料 解 放 令 の 内 容 穢 多 非 人 た ひ に ん 等 ノ 称 廃 し ょ う は い サ レ 候 条 そ う ろ う じ ょ う 、 自 今 じこ ん 、 身 分 みぶ ん 職 業 し ょ く ぎ ょ う 共 と も 、 平 民 同 へ い み ん ど う 様 よ う タ ル ベ キ 事 辛 か の と 八 月 太 政 官 穢 多 非 人 た ひ に ん 等 ノ 称 廃 し ょ う は い サ レ 候 条 そ う ろ う じ ょ う 、 一 般 民 籍 み ん せ き ニ 編 入 シ 、 身 分 職 業 共 、 都 す べ テ 同 一 ニ 相 成 あい な リ 候 そ う ろ う 様 よ う 取 扱 フ 可 シ 。 尤 も っ と も モ 地 租 ち ノ 外 ほ か 、 除 じ ょ ケ ン ノ 仕 来 しき た り モ 之 有 これ あ り 候 そ う ら ハ バ 、 引 直 ひ き な お し シ 方 か た 見 込 み こ ミ 取 調 ベ 、 大 蔵 省 ヘ 伺 出 う か が い で ル 可 べ き キ 事 太 政 官 辛 未 か の と ひ つ じ 八 月

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資料4:喜びで迎えられた「解放令」 解放令が出されて喜んだ被差別部落の人々の様子 ◎名字を獲得する人々 丹後中郡善王村では、村人たちが解放令を「四民同等の権利をうたった、天皇陛下から 出されたお触れだ」と受け止め、これをきっかけに各家々が名字を名乗り、約 20 種類の 名字が生まれたと記録されている。 善王村浄善寺の「永代記録」 京都部落史研究所編 「京都の部落史2 近現代」 1991 阿吽社 ◎解放令に感謝して土木工事でお礼 亀岡から京都に入る街道に老ノ坂というけわしく難所といわれている所があった。解放 令が出された翌年の明治5年に、被差別部落の人々が解放令が出されたことに感謝して、 道の改修費用を自分たちで負担して 6000 人もの人が出て、峠道を切り開くための改修工 事に参加していて、このことは、京都新聞に掲載されている。 また、亀岡市内の被差別部落には、「解放令が出された恩に報いるため、難所改善の工 事に参加し、工事費用を各家々が出して、スムーズな作業進行により、これから先はお 互いに便利になることだろう。非常に優れたことである。」といった内容の、知事からの 表彰状が出されている。 その他の被差別部落でも、平民になれたことへの感謝として、道路改修工事にあたった り、死牛馬をはじめとする4本足の動物の死体は、ケガレてはいけないので村の中には持 ってこないとか、墓場や牛馬の解体所からケガレたものを村内に持ちかえらないとの誓い を立てたりもしている。 京都部落史研究所編 「京都の部落史2 近現代」 1991 阿吽社

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資料5:解放令が出されて被差別部落の人々は… 「解放令」が出されて、差別されていた人たちのくらしも大きく変わりました。これまでのくら しがどのように変わったのか、考えてみましょう。 江戸時代では… 政府から「解放令」が出されて、被差別部落の 人々は何をしたでしょう。 ①村人と出会ったときは、みちばたに よってあいさつをすること。 ②村人の家にあがることはできない。 ③ほかの村に出向くときは、はだしで出 かけること。 ④神社や寺に行って、お参りすること はできない。 ⑤酒屋や風呂屋に行ってはいけない。 ⑥ちがう身分のものとは結婚できない。 ⑦かっこうやかみ型は、身分相応にする こと。 ⑧雨傘をさすことを制限する。 など ※ 江戸時代の①∼⑧を空欄にして、考えさせてもよい。

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(2)「解放令」の発布されたあとの問題点と被差別部落の人々の立ち上がり 主な学習活動 留意点 1 「解放令」が出されたときの被差別部落の 人々の様子や気持ちを思いだす。 2 「解放令」が、出された後の問題点は何だ ったのかを考える。 (1) 被差別部落の人々の生活は、どうなった のだろう。 ・資料6から分かることを発表する。 ・生活が苦しくなったのはなぜなのか を考える。 (2)「解放令」が出て、本当に差別はなくな ったのだろうか。 ・「なくなった」か「なくならない」か 自由に自分の考えを発表し、話し合 う。 ・資料7を読み、差別がなくなってい ないことを知る。 ・明治政府は、差別をなくしていくた めの取り組みをしなかったことを知 る。 3 被差別部落の人々は、なくならない差別に どう立ち向かっていったのかを考える。 資料8を読む。 4 学習したことを振り返り、自分の思いを書 く。 ○前時のワークシートを読み、被差別部落の 人々の気持ちを思い出させる。 ・「解放令」を利用して、被差別部落の人々は 生活をよくしていこうと努力したことを思 い出す。 ○資料6 ある被差別部落のようす(P25) ・租税、徴兵、学制など新たな負担が増えた。 ・部落固有の仕事が、「職業の選択の自由」に よって部落外の商人に奪われていった。そ の反面、根強い差別意識によって他の職業 にはつけない実態があった。 ○資料7 解放令後も残る差別意識(P26) ・資料7をもとに不合理を感じさせたい。 ・村人たちの不満がつのっていったことを知 らせる。 農民の不満 →政府に対する不満 地租改正 ↓ 徴兵制 「解放令」反対 学校制度など ○資料8 差別に対する闘い(P27) 資料8を読み、たくましく生き抜いていった 事例に触れさせ、正しいことに立ち向かって いくことの大切さを理解させたい。また、行 動することの重要さにも気づかせたい。 ○いろいろと問題点もあった「解放令」ではあ るが、法律で平民となった意義は大きいこと を確認する。 被差別部落に対 する根強い差別 意識

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資料6 ある被差別部落の様子 1886年(明治19年)の京都のある被差別部落のようすが、次のように記録されています。 家の数(戸数) 1,111戸 住んでいた人の数 4,369人 仕 事 皮類をあつかう人−16戸 はきもの類をあつかう人−75戸 牛肉をあつかう人−8戸 くだものをあつかう人−35戸 やさいをあつかう人−13戸 古い服をあつかう人−9戸 質屋−16戸 旅館業を営む人−7戸 複数の仕事を行っている人々は、全ての戸数のうち841戸で、76%を占めてい た。 ※多くは不安定な職業に従事していたため、景気が悪くなるとその影響はすぐに出て きた。 複数の従事している者のうち、749戸が「生活が非常に苦しい状態」であった。 そのうち400戸あまりは、わずかにもっている衣類や品物などを売り払って、そ の日暮らしで生活していた。残りの349戸あまりはそれすら難しい状況であった。 ※この被差別部落においては、全戸数の約3割が飢えていて、近所の人々や有力者の 助けになしには生活できないほど生活が苦しかった。 京都部落史研究所編 「京都の部落史2 近現代」 1991 阿吽社 参考:このころの出来事 江 戸 時 代 革製品やぞうり、太鼓づくりなどで生活していた 1868(明治元)年 五カ条の御誓文が出され、四民平等となる 1871(明治4)年 差別されていた人々が解放される 1870 年代頃 商売もうまくゆき、特産物も売れていた 1884(明治 17)年頃 政府の政策(松方デフレ)により生活が非常に苦し くなる

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資料7:解放令後も残る差別意識(巻末資料 18 にカラー掲載) 下の絵を見て、当時の人々の意識について考えてみましょう。 「解放令」が出されたときも、ある地主が寄り合いの際に、被差別部落の人々に対してだけは、便 器を洗ってそれに酒を注ぎ、「お前たち同様に、便器も洗えば汚くないだろう」といい渡したそうで す。 久保井規夫 「近代の差別と日本民衆の歴史」 1993 明石書店もとに作成

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資料8:差別に対する闘い

差別に対する闘い

愛媛県松山市の道後温泉における、温泉入浴拒否に対する差別事件とその判決について 1901年(明治34年)、愛媛県松山市の道後温泉において、被差別部落の人が道後温 泉に定められた入浴料を払って入浴しようとしたところ、温泉の主人は理由もなく、入浴 を拒否しました。 被差別部落の人は「これは差別だ」「なぜ、私たちだけが入浴できないのか」と抗議を しました。 しかし、この抗議は受け入れてもらえず、被差別部落の人は松山地方裁判所に訴えをお こしました。

被差別部落の人の勝訴

(裁判に勝つこと) 四国部落史研究協議会編 「史料で語る 四国の部落史 近代編」 1994 明石書店 道後温泉 『判決』 温泉の主人はこの(被差別部落の)人を他の人と同じように入浴 させなければならない。訴えにかかった費用は温泉の主人が支払 わなければならない。

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水平社の創立に立ち上がった人々 1 目 標 (1) 差別されても泣き寝入りせず、自ら立ち上がっていった被差別部落の人々のすばらしさを 理解する。 (2) 水平社創立が、被差別部落の人々に、団結するすばらしさ、希望、勇気をあたえたことを 知る。 2 学習計画〈全2時間〉 (1) 水平社の創立 (1時間) (2) 水平社創立に込められた思いや願い(1時間) 3 展 開 (1)水平社の創立 主な学習活動 留意点 1 「解放令」から50年たって、被差別部落 の人々のくらしはどうなったのかを考え る。 資料1を見て、差別が解決されずに維持さ れていたことを学習する。 2 被差別部落の人々は、厳しい差別のなか で、どのように立ち上がっていったのだ ろう。 資料2より、米騒動の起こりと内容を知り、 時代背景をつかむ。 3 全国水平社創立の様子を知る。 全国水平社は、被差別部落の人々の、ど んな願いでつくられたのだろう。 ・「水平社」の水平はどんな意味を持っている のか考える。 4 「水平社宣言」から、感じたことを自由に 出し、話し合う。 ○被差別部落の人々が、半失業状態におかれた り、不利な労働条件のもとで働くことを余儀 なくされたため、収入は半分以下ということ もあったことを気づかせ、差別に対して、被 差別部落の人々はどうしたかを考えさせた い。 ○資料1 大正時代の被差別部落の人々の様子 (P30) ○米騒動や労働運動などを通じて、差別撤廃の ためには、被差別部落の人々が自ら団結して 行動すべきことを学んだことに気づかせる。 ○資料2 米騒動(P31) ○資料3 全国水平社創立大会の宣伝チラシと 綱領・水平社宣言(P32) 被差別部落の人々がついに立ち上がった日の ことを感じ取らせる。 ・1922(大正 11)年 3 月 3 日京都岡崎公会堂に 全国から3000 人結集したといわれている。 注:参加者数に関しては 700∼3000 名まで諸説有 り。 ・水平線の水平 ・差がないこと ・平等 ・差別のないこと ※コラム(P29) ○資料4 水平社宣言(P33) 宣言文は配布するか、拡大した物を使う。

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資料4「水平社宣言(わかりやすくしたも の)」を読み、被差別部落の人々の思いや願 いについて考える。 ○資料5 ワークシート(P34) ・印象に残った言葉やすきなところを書いた り、当時の被差別部落の人々の思いや願い をワークシートに書かせる。 ・差別され続けても、自分たちは自由・平等 を求め続けたこと、あわれみや同情で差別 はなくならないこと、人間を尊敬すること で差別をなくそうとしたことなどは触れて おきたい。 ※コラム 「水平」という言葉の由来 「あらゆる尺度というものは人間が作った。そしてその尺度によっていろいろな差が出てくる。絶 対に差ができないものは水平である。平等を表現するのは水平ということば以外にはない。」 「人類は平等でなければならない、今の平等は平等ではない。公平であるかどうかということを見 るにはいろんな尺度がある。しかし、どんな計器を持ってきてもそれに勝るのが、水の平らかさで ある、それ以上の尺度はない。」 阪本清一郎談 福田雅子 「証言・全国水平社」 1985 日本放送協会 第三回水平社大会(水平社博物館所蔵) 西光寺

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資料1 大正時代の被差別部落の様子 高知県全体 部落(高知県) 部落(全国) 備 考 農 業 50.1% 29.1% 46.5% 工 業 6.9% 12.0% 7.5% 商 業 14.2% 7.6% 11.6% 漁 業 8.0% 19.9% 2.5% 公 務 員 2.9% 0.6% 0.1% 仕 事 そ の 他 18.0% 30.8% 31.9% 数字は戸主の職業を示して いる。 四捨五入しているため、 100%にはならない。 納 税 額 36.728 円 6.482 円 22.920 円 一人あたりの税金を納めて いる額。 選挙権保有者(衆議院) 25.57 人 2.43 人 7.75 人 1000 人あたりの人数。 選挙することができる人。 就 学 率 98.95% ※ 95% ※ 93% 学校に来る年齢の子どもの総 数に対する学校に来ている子 どもの割合。 教 育 出 席 率 94.52% ※ 81% ※ 83% 授業に出ている割合。 ※部落学校(被差別部落出身者排除の結果、部落の子どもたち対象の学校として部落内で資金を調達して運営され た学校)における数字である。 「高知県統計書」 1916(大正 5)年・1922(大正 11)年・1923(大正 14) 高知県庁所蔵 内務省地方局 「大正8年1月調 細民部落概況」 『大江卓関係文書』 国立国会図書館蔵 違式詿違(表紙) 違式詿違(中身) (大阪人権博物館所蔵) 参考:違式詿違(いしきかいい) 各府県から出された、今であれば軽犯罪法的なものです。混浴・行水・裸足・頬被りなどの行為を 罰則を以て禁止し、近代的な生活を浸透させようとしたものです。このことは逆に、それを守らない 者に対して、差別は当然とする意識を助長する結果となりました。

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資料2:米騒動

米 騒 動

史上はじめて大規模に民衆が立ち上がった米騒動はなぜ起こったのでしょう。 1918(大正7)年7月、一部の商人が米を買い占めたため、米の値段が急に値上がりしました。 そのため、多くの庶民は米が買えなくなり、米屋を打ちこわし、米を持ち出すという行動をおこしま した。 米騒動の原因は、日本軍がシベリアに出兵するということで、米が不足することを見込んだ米屋が 米の値上がりを期待して買い占めたことにはじまります。 当時の多くの労働者は、安い賃金で長い時間はたらかされ苦しい生活を送っていました。わずか数 ヶ月の間に米の値段が2倍以上にあがると、労働者は1日12時間働いても、米 1 升分の賃金しかも らえない状態になりました。 こんななか、富山県で起こった「米よこせ」の騒動は瞬く間に全国に広がりました。 米騒動は「自らの行動こそ大切だ」という教訓を残しました。 この事件がきっかけになり、あらゆる苦しい生活をしている人々がいっせいに「自らの行動」を起 こしました。労働者は労働組合をつくり、小作農民は農民組合をつくるなどの運動を起こしました。 また、女性の地位を高めようという運動や、差別からの解放と人間としての自由・平等を求める水平 社運動などがいっせいにはじまりました。

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資料3:全国水平社(宣伝チラシ) 複製(崇仁小学校蔵) 下の資料が 1922(大正 11)年 3 月 3 日、京都市岡崎公会堂で開催された全国水平社創立大会におい て採択された、綱領と宣言です。 綱領と水平社宣言 複製(崇仁小学校蔵)

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資料4:水平社宣言(わかりやすく直したもの)

宣 言

全国各地で、歯を食いしばっていきている被差別部落のみなさん、今こそ手を取り合って 進みましょう。 長い間(約 300 年間)いじめられ差別を受けてきた被差別部落のみなさん。 1871 年(明治 4 年)の解放令から約 50 年、私たちのためといって、多くの人々によって差別をな くすための運動が行われてきました。 しかし、それらの運動はあまり役に立ちませんでした。 人間は平等であり、尊敬すべきものなのです。 しかし、人をあわれんだり、同情したりする考え方しか持たない人々は、私たちを気のどくな人た ちだと思って運動してきたのです。 私たちを救ってあげようという運動は、かえって多くの私たちの仲間をだめにしてしまいました。 だから、今、差別を受けている私たち自らが立ち上がったのです。 人間だれをも尊敬し、大切にすることによって差別のない社会をつくろうという運動を自主的には じめたのです。 私たちは私たちの手で部落差別をなくしていくのです。 被差別部落のみなさん、私たちの祖先は差別を受けながらも、自由で平等な社会を願い、闘ってき ました。 私たちは政府の身勝手な政治によってつくられた身分制度の犠牲者であったが、世の中に欠かすこ とのできない仕事に携わり、社会を支える存在でもあったのです。 その中でさまざまな差別を受けてきたのです。 しかし、そんな悪夢のような差別の中でも、私たちの祖先の体の中には、誇り高く生き抜こうとす る人間のあたたかい血が残っていました。 そして、その血を受けついだ私たちは「民衆が世の中の主人公になる時代」にたどりついたのです。 私たちが、被差別部落の人間であることを誇りうる時代がやってきたのです。 私たちは、この世の中が、私たちを差別することのみにくさに気づかない人々や、差別されること のつらさに気づかない人々が多くいる冷たい世の中だということを知っています。 だから私たちは、心から人間の尊さやあたたかさが大切にされる、差別のない世の中を心から願う ものなのです。 水平社はこうして生まれました。 人の世に熱あれ、人間に光あれ 大正11 年 3 月 水平社

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資料5:ワークシート

ワークシート

好きなところ 理 由

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(2)水平社創立に込められた思いや願い 主な学習活動 留意点 1 水平社宣言に込められた願いや思いを発表す る。 2 「山田少年」の写真を見て、感じたことや思 ったことを話し合う。 3 「山田少年のさけび」を読んで、少年と人々 の思いを考えよう。 ・山田少年は、なぜ声をつまらせたのだろう。 ・参加者がすすり泣いたのはなぜだろう。 ・山田少年が、一番訴えたかったのは、なん だろう。 ・会場が割れんばかりの拍手に満ちたときの 人々の気持ちは、どんなだろう。 4 水平社運動は、その後どうなっていったかを 知り、この学習で感じたことを書く。 ○前時に書いたワークシートを発表させ、水平 社創立の意義を思い起こさせる。 ○資料6 山田孝野次郎の写真(P35) ○フォトランゲージの手法を使いながら、子ど もたちが自由に思いを語る学習を進めなが ら、「山田少年」について探らせる。 ○資料7 山田少年の叫び(P36) ○山田少年が声をつまらせたこと、3000 人の参 加者が、すすり泣いたことに着目させる。 ・学校でのひどい差別、今まで受けてきたさ まざまな差別を想起させる。 ・参加者も、自分の生活を振り返る中で、少 年と共有するものがあったことを考えさ せる。 ○「大人も子どもも、いっせいに立ち上がって、 このなげきの原因を打ち破り、光りかがやく 新しい世の中にしてください。」に着目させ る。 ○全国の仲間が、差別をなくすために立ち上が った喜びを感じ取らせる。 ○水平社運動が全国に広がっていったことを 知り、水平社運動の感想を書く。 資料6:山田孝野次郎の写真 山田少年の写真 水平社博物館蔵

参照

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 このようなパヤタスゴミ処分場の歴史について説明を受けた後,パヤタスに 住む人の家庭を訪問した。そこでは 3 畳あるかないかほどの部屋に

ピアノの学習を取り入れる際に必ず提起される

〇齋藤会長代理 ありがとうございました。.

□ ゼミに関することですが、ゼ ミシンポの説明ではプレゼ ンの練習を主にするとのこ とで、教授もプレゼンの練習

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場