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1930年代朝鮮における農村振興運動

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<論 説 〉

1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村 振 興 運 動

植民地権力 による農民 の組織化過程

松 本 武 祝

は じめ に

1)振 興運 動 の制度 的枠組 み

2)朝 鮮農民 を とりま くイデ オ ロギ ー情況 3)「 私 事化」 イ デオ ロギ ーの実践 過程 4)中 堅人物 によ る村 落農民 の組 織化過 程 結 語

は じめ に

1932年 以 来 朝鰍 督府 に よ って推 趣 れ 儂 村 振 興 運 動1袈,193。 年 代 朝 鮮 に お け る農 業政 策 の 巾核 を なす もので あ った。1930年 代 朝 鮮 で の農 業政 策 の性 格 さ らに は農業 問題 の所 在 を 明 らか にす るた め に,こ れ まで,い くっ か の研 究 が振 興 運 動 を 主題 的 に取 り扱 って きた。 まず以下 で はt本 論 文 の課 題 を設 定 す る前 提 と して,こ れ までの研 究史 を3っ の論点 か ら整 理 してみ たい。

第 一 に振 興 運動 の政策 目的 につ いて。 この論 点 に関 して池秀 傑 氏 貿,振 興 運 動 が...争 動 員 体 制 の 構 築 」 と 「植 民 地 体 制 安 定 策 」 と い う2っ の 目 的 を 有 し て い る こ とを 指 摘 して い る。 そ して,宮 田 ・富 田 氏 の 論 文 は前 者 の 論 点 か らの 論 考 で あ る の に 対 して,自 身 は後 者 の論 点 か らの ア プ ロー チ を 輩 視 す る と論 じ て い 留 。

前者 の論 者 た ちは,十 五年 戦 争下 「兵M基 地 」朝 鮮 に お け る(準)戦 時動 員 体制 構 築 の一 環 と して の 「皇 民化 」 政 策 が振 興運 動 を媒介 に展 開 され た点 を強 調 して い る。 これ に対 して池 氏 は,昭 和 恐 慌下 で の農 家経 済 の疲 弊 とそれ に と もな う農村 の政 治的 動 揺(す なわち社会 主義 ・民族 主義的政治運動の活発化)と い う

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情 況 へ の対 応(一 対抗)策 と して,振 興 運動 が担 った1社 会 政策 的農 政 」(147頁) と して の側面 を強調 して い る。 池 氏 の この分 類 法 に従 え ば,そ の後 の研 究 に お い て青地 論 文 は前 者 の論 点 を,鄭 文 鐘 ・朴 ソ プ論 文 は後 者 の論 点 を,そ れ ぞ れ

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踏 ま え た もの とな って い る,と い う こ とがで き る。

第 二に振興 運 動 の政 策 手法 に関 して。 振 興運 動 の 「皇民 化 」 政 策 と して の側 面 を強調 す る論 者 た ち は,村(5)vベ ル に まで至 膿 民 の組織 化 の深 化 お よび そ

の ル ー トを通 じた農民 に対 す る 「皇 民化 」 イデ オ ロギ ー注 入 と い う点 に注 目 し て きた。他 方,池 氏 は 「総 督 府 は… …小 作 貧農 層 の貧 しさ は構 造 的 な搾 取 メ カ ニ ズ ムの ため で はな く小 作貧 農 層 の怠 慢 と無 識 の結 果 で あ る と洗 脳 して,農 民 の外 向化 した政 治 的 不満 を私 事化 させ よ うと した」(147頁)と 述 べ て,い わ ば

「私 事化 」イデ オ ロギ ー注入 政 策 と して振 興運 動 を特 徴 づ けて い る。これ に対 し て,「 農家 経済 安 定 化 政 策」 と して振 興 運動 を捉 え る鄭 前掲 論 文 は,朝 鮮 農地 令,自 作 農地 創 定 事 業 あ るい は負 債 整理 事 業 とい った農 業政 策 との関連 を明 ら

か にす る こ とで,振 興運 動 の制度 的 ・財政 的 な 基盤 にCし て い る。

第 三 に,振 興運 動 の村 落 内部 で の担 い手 につ い て。 この論 点 に関 して 宮 田前 掲論 文 は,「民 間 に お け る担 い手 の 不在」を 強調 した(72頁)。 これ に対 して富 田 前掲 第1論 文 は,い わ ゆ る 「中堅 人物 」 こそが 運 動 の民 間側 の担 い手 で あ り, 彼/彼 女 らは セと して 自作 ・自小 作 農層 か ら養 成 され た こ とを指 摘 して い る。

また,朴 前掲 書 も,「部落 の上 層」 の農民 が運 動 の 「中心 人物 」 と して の役割 を 担 った こ とに 言及 して い る(165頁)。 一 方,池 前掲 論 文 は,運 動 にお け る地 主 な

ど村 落 内 「有志 」 の果 た した役 割 を重 視 して い る(136頁)。

以 上示 した よ うに,振 興 運 動 の 評価 に関 して は,研 究 者 の間 で い ま だ共通 の 認識 が得 られて いな い のが現 状 で あ る。 筆i者は,本 論 文 で の課 題 を次 の よ うに 設定 す る ことにす る。

第一 に,振 興 運 動 の政 策 目標 に関 して い え ば,「 社 会 政策 」的側 面 を主 題 的 に 取 り扱 い,「 皇民化 」政 策 に関 して は副 次 的 に取 り扱 うに とどめ る。後 者 の政策 は 日中戦 争以 降 の戦時 体 制期 に は じめて本 格 化 して ゆ くとい う見 通 しを もって

cs)

い る た め で あ る。

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C39$) 1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村振 興 運 動3

第 二 に,政 策 手 法 に関 して。第一 の課題 設 定 の仕 方 と関 わ って,「 皇民 化 」イ デオ ロギ ー注 入 政策 に関 して は主題 的 に は扱 わ な い。 イ デ オ ロギ ー情 況 に関 し て は,池 氏 の指摘 した 「私事 化 」 イデ オ ロギ ーに着 目 して その 内容 を筆者 な り に整 理 す る。 そ して,そ れ と同時 期 の朝 鮮 人側 の イ デ オ ロギー情況 との緊張 関 係 を論 じる。 さ らに,振 興運 動 が イデ オ ロギ ー注 入 政策 だ けで は完結 せ ず,鄭 前 掲 論 文 が 強 調 した よ うな い くっ か の制 度 的 ・財 政 的 政 策 を伴 わ ざ る を え な

か った ことに注 目 して,こ の2系 列 の政 策 の相 互 関連 性 に関 して考察 す る。

第 三 に,村 落 内 の担 い手 に関 して は,富 田 ・朴 両氏 の議 論 をふ まえ て,「 中堅 人物 」 が振 興 運 動 にお い て果 た した役割 に注 目す る。

筆 者 はか つ て,1930年 代 の小 作争 議 分 析 を通 じて,① 従来 小 作 人保 護 的 な機 能 を果 た して きた小 作 地 配 分 を め ぐる伝 統 的 な村 落秩 序 が この時 期 に弱体 化 し

た こ と,② それ に代 わ って小 作 人 はi植 民 地 権 力が提 示 した新 たな制 度(「 朝鮮 小作調停令」 と 「朝鮮農地令」)を 自己の権 利保 全 の ため に積極 的 に利用 す る よ う にな った こ と,③ そ の結果,「 農 地 令」の規 定 内容 が 新 た な小 作 慣行 と して村 落

C7)

レベ ル で 定 着 して い っ た こ と,を 明 らか に した。 こ の よ う な,国 家 制 定 法(と そ れ に もとつ く制 度)に よ る伝 統 的 村 落 秩 序 の 補 完 → 代 替 と い う視 点 は,振 興 運 動 に関 わ って,植 民 地 権 力 に よ る イ デ オ ロ ギ ー注 入 や 農 民 組 織 化 の進 展 とい う情 況 に 対 して 村 落 の側 が ど の よ うに対 応 した の か を 分 析 す る上 で も有 効 で あ る と 考 え る。

これ に 関 連 して,富 田 前 掲 第2論 文 は,「 自作 ・自 小 作 農 に対 し,頑 張 れ ば な ん とか な る と い う幻 想 を あ た え,『 自 力 更 生 』 へ の意 欲 を 引 き出 す こ と で は(振 興運 動 は;引 用 者)一 定 の 有 効 性 を も っ て い た … … こ う した側 面 か ら彼 らを 体 制 側 に 組 み 込 み,農 村 振 興 運 動 の 担 い手 た ら しめ よ う と した 」(96頁)と 指 摘 して い る。 ま た,朴 前掲 書 は,1920年 代 以 降 の 「商 品 経 済 化 に上 手 に対 応 で き た 農 民 た ち が 経 済 的 実 力 を踏 み 台 と して 部 落 内 で の 政 治 的 地 位 を 高 め て い き,(振 興 運動 の;引 用者)中 心 人 物 に な って い った 」(166頁)と 述 べ て い る。政 策 と そ の受 容 の 因 果 関 係 に 関 して 両 氏 の 議 論 は相 反 す る も の の,村 落 内 の一 定 の 階 層 が積 極 的 に振 興 運 動 を 担 っ た と い う捉 え 方 に 関 して は,両 氏 は共 通 した視 点 を 持 っ

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て い る(こ の捉え方 は,先 述 した両氏の 「担 い手」論 と対応 している)。

政 策受 容 の積 極性 を規 定 した主 体 的条 件 に関 して両氏 が指 摘 した よ うな階 層 性 が あ った こ とは,本 稿 にお いて も改 めて指 摘 す る。しか しそ れ に とど ま らず, 村 落 内 部 にお い て それ ら特 定 階層,す なわ ち 「中堅 人 物」 層 の 主導 の下 に行 わ

れ た ド下か ら」 の村 落秩 序 再構 築 の試 み が,彼/彼 女 らの 主観 的 な 意図 とは無 関係 に,結 果 的 に は植民 地 権 力 によ る 「Lか ら」 の村 落組 織 化 の方 向 に構造 化

{g)

され ざ るをえ な か った こ と こそが重 要 な論 点 で あ る と,筆 者は考 え る。 植 民 地 権 力 に よ る農民 の組 織化 過 程,よ り正確 に は農民 が植 民地 権 力 に よ って組 織 化

され て ゆ く過程 とい う視点 か ら振 興 運動 を分 析 しよ う とす る所 以 で あ る。

1)振 興運動 の制 度的枠組 み

振 興 運 動 は,宇 垣 一 成(1931年6月 朝鮮総 督 に就任)の イ ニ シ ア テ ィ ブ に よ って 開 始 さ れ た 。 宇 垣 は,朝 鮮 の 社 会 主 義 運 動 が 大 衆 化 して い る こ と に 危 機 感 を 抱 き,朝 鮮 農 民 に 「適 度 の パ ン」 を与 え る こ とを 朝 鮮 統 治 上 の 重 要 課 題 と して 認

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識 して いた。就 任 後 最 初 の道 知 事会 議(31年8月)の 席上 にお いて も,宇 垣 は, 朝鮮 農民 の 「精 神生 活 」 ばか りで な く 「物質 生 活 」 を安 定 化 させ る こ とを彼 の 政 策 課 題 と して強調 して い る。ただ し,「物 質生 活 」安 定 化 の ため の方 策 と して

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は,「 勤 倹 の 美 風 を 発 揚 」 す る こ と が 重 要 視 さ れ た 。 す な わ ち,「 精 神 生 活.」安

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定 化 は 「物 質 生 活 」安 定 化 の 前提条 件 と して位 置 づ け られ て いた の であ る。「勤 勉 」 や 「倹 約 」 とい った 「私 事化 」 イデ オ ロギ ーの注 入 に よ って農 民 の 「物質 生 活 」 の安定 化 を図 って い こ うと した振 興 運 動 の政 策 的枠 組 み の原型 が,こ こ

にす で に示 され て い る。

翌1932年10月 に 「朝 鮮 総 督府 農 村 振興 委 員 会規 定 」 に もとつ いて総 督 府 内 に 「農 村 振 興委 員会 」 が組 織 され,そ れ を以 てA振 興 運 動 は実 施 に移 され た。

そ して道 ・府郡 ・邑面 の各 行 政 レベ ル にお いて それ ぞ れ 「農村 振 興 委員 会」 が 組織 され た。 さ らに,村 落 レベ ルに お いて も 「農 村 振 興会 」(呼称 は道 によ って若

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干異な る)の 組 織 化 が推 進 され て い った。

と ころが,翌1933年3月 に発 表 され た 「農 山 漁村振 興 計 画実 施 に関 す る政 務

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0396)1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村 振 興 運 動5

総 監 通 牒 」 に よ って,振 興 運 動 の 政 策 方 針 に大 きな変 更 が 加 え られ る こ と と な った。 最 も大 きな変 更点 は,村 落 レベル の 「農村 振 興 会」 を通 じて全 農民 を 万遍 な く組 織 化 す る こ とに よ って農 家経 済 の安 定 化 を図 ろ う と した これ まで の 方式 に代 わ って・ 特 定 の農 家 を個別 彙 勲的 に鱒 す る こ とに よ ってそ のコ一m更 生 を 目指 す方 式 が 採用 され た点 で あ る。

具 体 的 に は,上 記 「通 牒 」 に添 付 され た 「農 家 更生 計 画 実施 要 綱」(以 ド ,「要 綱」と略)に お いて そ の手 順 が示 され て い る。 まず郡 島が 「指 導 部 落」 を選 定 し て 邑面 が指 導 部落 内 農 家各 戸 の現況 調 査 を行 う,次 に,そ れ に もとつ いて5年

惣儲 器 簾男 鞘 驚 盛 愚 鷺 鱗L二

の位 置 が与 え られ た。

こ う した戦 略転 換 の背景 に は,従 来 の村 落 レベ ル の組 織 化 政策 が 「空漠 た る 結 果 に終 り易 い」 の に対 して,個 別 指導 方 式 を採 用 して きた普 通学 校 にお け る

(騨 生 の甦 鱒 に成功 して居 る実伊吐 」が多 い・とい 濃 林 当局 の識 力痴

た。1920年 代 に総 督府 に よ って実 施 され た村 落組 織 化 政 策 と振 興 運動 との政 策

的な鰍 隈 蜘 す る研究があ 謬 政策手法 とい う点 に関 して は

,そ 噂 続

性 は限定 的 な もので あ った こ とにな る.む しろ,192・ 年代 末 に開始 され た普 通 学校 卒 業生 指 導 こそ が,振 興 運 動 ,特 に農 家 更生 計 画 にお け る個 別 指導 とい う 斌 の 先行 事例 と して 当局 に評価 されて いた ので 認 。

慶 蠕 道 では詣 導農家齪 に関 して上記 「 要綱」 よ りも細 かな方針 を規定

して い る・そ の な か で は・「経 済 状 態 甚 シ ク良 好 ナ ル 部 落 及 農 家 ハ 之 ヲ選 定 セ サ ル コ ト」(8頁) ・あ る い は 体 言卜画 ノ実 行 能 力 ナ シ ト認 ム ル 者 或 ・・統 制 ヲ乱 ス虞 ア ル者 ハ 除 外 ス ル コ ト」(7頁)と し、う指 示 が な され て い る濃 家 甦 言f画に お い て は・ 上 層 農 お よ び 下 層 農 が は じめ か ら排 除 さ れ て い た と い う こ と が

で き る。下 層 農 排 除 と い う方 針 に っ い て は,「 負 債 整 理 ヲ要 ス ル 者 ノ 中 精 神 的,経 済 的 鱒 ノ見 込 立 チ整 理 ノ実 効 ヲ挙 ゲ手尋 ト認 メ ラ ル ル者 ヲ慎 尊 選 定 」(16/1頁) す べ し・ と い う指 示 か ら も読 み と る こ とカaで き る(負 債整騨 業 に関 して は簾)

。 あ る い は濃 家 更 生 計 画 と関 わ っ て 「少 ク モ 五 ヶ鞘 ・・其 ノ小 作 地 ヲ移 動 セ サ

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ル 様 」(14頁)に す べ き こ と が 指 示 さ れ て い る が ・ こ れ も・ 当 該 言聰 力aす で に 一 定 の 耕 作 地 を 保 有 す る農 民 を 対 象 と して い る こ と を 示 唆 して い る。

当 初,農 家 更 生 計 画 で は,1面1指 導 部 落 選 定(1935年 現 在 邑面数2,393)と い う 目標 が 設 定 さ れ た(「 要綱」6頒).結 果 的 に は・1933・34年 に1まこの 目標 を ほ ぼ ク リア ー して い る(・表一1)。 指 導 部 落 内 の 農 家 総 戸 数 は 明 か で は な い が, 朝 鮮 全 体 で の1村 落 当 た り平 均 農 家 戸 数 約40戸 と大 差 な い と仮 定 す る と,指 導 部 落 内 農 家 の う ち 半 分 強 が 指 導 農 家 と して 選 定 さ れ て い た と推 察 で き る。

1935年 以 降,指 導 部 落 ・指 導 農 家 と も に そ の数 を 大 幅 に 増 して い って い る。

これ は,同 年 に 開 始 さ れ た 「農 家 更 生 十箇 年 拡 充 計 画 」(以 ド,「十箇年計 画」と略) の 反 映 で あ る。 同 計 画 は,ほ ぼ10年 間 でa既 存 指 導 部 落 以 外 の約7万 村 落 す べ て を 指 導 部 落 に 指 定 して 農 家 甦 計 画 の 撒 を 目指 す もの で あ った ・35年 以 降 の 叶 箇 年 計 画 」 の 下 で の 指 導 部 落 の 設 置 作 業 は,当 初 の 計 画 目標 を若 干 下 回 る も の の,ほ ぼ 計 画 通 り に 進 め ら れ て い っ た(35〜39{燗 通 算 で の進 捗 率 は 95.9%)0

と こ ろ で,こ の 「ト箇 年 計 画 」 は,従 来 の 農 家 更 生 計 画 を 量 的 に拡 大 した だ 表一1農 家 更生計画 の指 定実績

窟 ⊥1礎∵ 壁 平llヨ 羅灘劉

1935 1936 1937 1938 1939

3,603 5,762 5,851 6,365 s,X50

⊥33>306(28,13].)

81,811 134,869 130,129 142,949 143,913

22.7 23.4 22.2 22.5 22.0

3,849 5,794 s,iss fi,620

・ii

〈 資 料 〉 朝 鮮 総 督 府 『昭 和 ノ 年 移 』1939年,1頁

績 』1940年,5・15・38頁 よ り作 成 。

〈 注>1)指 定 部 落 ・指 定 農 家 と も に 計 画 開 始 時 の 数 値 で あ る 。 2)()内 の 数 値 は1935年 以 降 の 合 計 値 。

            ロ  づ

746,937122・4(29

,331)

し へ    へ         ム     

/度 実 施 第 一 次 更 生 指 導 農 家 並 二 部 落 ノ 五 箇 年 間 ノ 推 お よ び 同 『朝 鮮 に 於 け る 農 村 振 興 運 動 の 実 施 概 況 と其 の 実

1 〜

(7)

(394) 1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村 振 興 運動7

けで は な く・以 下 の よ うな質 的 な転 換 を も内包 す る もの で あった。

第一 に は,総 督府 が振 興運 動 実施 の前提 と して きた農 村 ・農 民 認識 を大 き く 轍 させ た点 で あ る・ す な わ ち・3卵 こ政 務 総 監 は,振 興運 動 に関 わ って 「働

くに致 しま して も働 くこ とが 出来 ない。働 いて も 十分 な る効 果 を収 め る こ とが 出 来 な い と い ふ や う な社 会 礁 」 に 111村 が あ る こ と を 醐 して い る.獺 運動 にお いて・ 「勤 勉 」r倹 約 」 とい った個 々 の農民 の個 別 的努 力 だ けで はβ艮界 が あ る こと,む しろ,朝 鮮 農民 を と りま く社 会経 済 構造 に問 題 の核 心 が あ る こ

とを公 討 るに至 った の で(21) 。

第 二 に は,上 の よ うな状 況 認 識 の変化 を受 けて,総 督 府 が振 興運 動 にお いて よ り簾 的 な役 割 を担 う ことを決 断 した点 で あ る.上 記 会 同 の講 演 で,政 礫 監 は振興 運 動 に対 す る 「政 府 の助 成 」の重要 性 を強調 して い る(700頁)

。そ れ ま で の 「私 事化 」 イ デ オ ロギ ー注入 一辺 倒 か ら一 定 の政 策 転 換 が な され た こ とが 読 み取 れ る。 そ して・ 財政 支出 に関 して,同 じく35年 に は振 興運 動 に対 して

「相 当順 繍 を地 方 庁 に緬i2)す る 旨を総督 が表 肌 た

.34年 に は椒 増1こ もか か わ らず旗 嗣 へ の割 当増 力iなさ れ な か 鍵 の と は対 照 的 で あ る

.な お・35.36年 と もに・「新 規 財 源」の使 用 目途 の筆 頭 に 儂(山 漁)村 繍 更 生 施 設 」 が 挙 げ られ て 認 。

第三 に は・以 上 の よ うな現 状 識 お よ び政 策 枠組 み の変 化 に対 応 して

,村 落 レベ ル にお いて 膿 家 更生 計 画 の実 施 方法 に変 更 が加 え られ た

.33年 段 階 で は 指 導 農家 の対象 と して上 ・下膿 家 を担F除して い た点 を先 に指摘 した

.こ れ に 対 して35年 以 降糖 府 は・上 ・礪 を も含 め た,い わ ば 「村 落 ぐるみ」で の農 家 更 生計 画 の実施 が 目指 され る よ うにな った とい う ことが で き る

。 35年 に振興 醐 の 一.として開始 され た 「・。・田開 発 運Jに お いて は

,「部 落 内 の有産,有 識 の階級 を も広 く……包 容 」 す る ことが 目標 と して設 定 され

,そ して 「社 会鞭 思 想 や 館 ・智 愚 相 補 ふ の美俗1ま期 せ ず して培 はれ」 る こと が期待 され て いた・従来 の研 究 で は,「心 醐 発 運動 は洞 年 に 日本 国 内 で開 始 され た 「国 体 明徴 運 動」 に即応 した,天 皇制 イデ オ ロギ ー注 入 を 目的 と した 官 製醐 と して癩 づ け られ て(zs}̀1濃 顯 生 計 画 と い う文脈 に お いて は

,階

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級 間 融 和 の...̲̲,性を 地 主 ・上 膿 に 対 して 「啓 蒙 」 す る こ と に よ って 農 家 甦 計 画 の 「村 落 ぐ る み 」 で の 実 施 を 鱒 す る と い う課 題 設 定 が 糖 府 に よ っ て な

さ れ て い た こ と を,こ こ で は強 調 して お きた い。

翌1936年 に は,よ 唄 体 的 に,振 興 運 動 に お い て 「地 主 及 地 方 有 力 者 等 の 協 力 支 劇)が 不 ・∫欠 で あ る こ とが 政 務 艦}こ よ って 欄 さ れ て い る・ さ ら に1938

年の 「 鱗 網 府關 対策CO̲.会 」 にお いて は 「W漁 村獺 翻 ノ緬 強化

欄 ス ル件 」 とい う諮 問 に文寸して 「地 携 脇 力 促 進 ノ方途 ヲ講 ズル コ ト」 と い う紳 が な されて お り,駐 ・上 膿 の振 興 運 動 へ の参 与rと い う方針 が

い っそ う明確 に打 ち 出 され て い る。

くわ え て,35年 に は,こ れ まで は 「甦 容 易 な る農 家 へ の助 成 に急 」で あ っ

たとい う反省 緻 務総監 によ ってなされて鳳 以後,そ れまで膿 家甦 言 セ

画 の対 象 外 とな って いた下 層 農 梨 こ対 して も 儲 府 は一 定 の配 慮 を払 うよ う

にな った.た とえ ば慶 尚北 道 の場合 「摘 年 計 画 」を期 に作成 され た 隈 山漁 村 振 興 施設 方 針」に おい て,「 本計1画ハ館 鰍 ヲ問 ハ ズ甦 部 灘{主 者 ノ全体 二 甦 計 画 ヲ撒 セ シメ」 る こ と,そ の際,「 細 農 シテ計 醐 姻 難 ナ ル者 」

に対 して は 「隣保 相 助 ノ精 神 」 で も って 「副 業」 な り 「小 作地 ノ斡 旋」 を図 る こ と,が 定 め られて い る.さ らに,「負 債 ノiiiヲ 問 ハ ズ原 則 トシテ全 部 ヲ金 融 船 二加 入 セ シメ」 る こ と・ そ の際 に 「出 資払 込(30)ナ ル者 」 に対 して は 「欠 陥 補 正 ノ方 法 」 を別 途 施 す べ き こ とカま指 示 され て い る・ 従 鰻 家甦 緬 の文f 象外 に置 か れ て い た下層 農 家 へ の新 た な配 慮 が明 瞭 に読 み取 れ る。

と こ ろで,1936年8月 に は,宇 垣 に代 わ って南 次 郎 が 朝鮮 総 督 に就 任 す る が,瀬 翻 は引 き継 実施 され て し・った・ただ し37年 以降 は識 時 体 制 の強 化 に と もな って,そ の ス 匪 ガ ンが それ まで の 「肋 甦 」 か ら 「蝶 報 国 」 へ と変 更 さ れ た・ 個 膿 家 繍 の 安 定 化 か ら戦 争

{31}行の た め の生 産 力 増 強 へ と諏 興翻 媚 的 が大 き く轍 して い った ので あ る・さ らにX940年 に は・振 興運 動 は鱗 で の新 体 制運 動 で あ る 「国 民総 力翻 」 へ と解 消 されて い った・

結局,33〜39鯛7年 間 で..z.内 村落 の4割 以 上に 献 る約33千 の騰 が 指 導 部 落 と して齪 され た 俵 一1).7旨 鵜 家 の緻 は約747千 戸 で あ り・ 総

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(392) 1930年 代 朝鮮 に お け る農 村 振 興 運動9

農 家戸 数 の25%程 度 に相 当 す る。

2)朝 鮮 農 民 を と りま くイ デ オ ロ ギ ー 情 況

嘲 鮮 に於 け る農 村 の大 衆 はX的1こ も 脱 に乏 しく溌 齪 らず 今 尚 往 年 の旧慣 に捉 は る \もの頗 る多 い・ 此 の囎 が持続 し改善 せ られ ざ る限 りは農 村 の振 興 は得 て望 む べ か らざ る一 ・」.振 興 運 動 が開 始 され る に あ た って 開 催 さ れ た

(32}山鮒 癩 関係 郡 守 会議 」(1932年1・ 月)に お け る宇垣 糖 鑛 説 の一 部

で あ る・ か くて総 督 府 に と って は,「 私事 化」 イデ オ ・ギ ーの注 入 樋 じて, 朝鮮 農 民 の 「隔 習」 を いか に解 消 して し・くのか が,振 興 醐 そ し磯 家更 生 言+

画 の主 た る課 題 と して設 定 され る こ ととな った。

ただ し・ 総 督府 官 僚 が・ 何 を もって朝鮮 農民 の 「随 習」 と捉 え て い たの か を 整 理 して み る とiそ の灘 はか な り臆 的 な もので あ った こ とが わ か る

.以 下 で は,「私 事 化 」イデ オ ロギ ー を構 成 した規 範 の うちで最 も基本 的 な もの で あ

っ た と考 え られ る 「勤 勉 」 と 「倹 約 」 とい う視 点 か ら

,3点 に わ た って,そ う した 恣意 性 を確認 して ゆ きた い。

第一 に潮 膿 民 の 「 儲 樫」 につし・ て.上 群 垣演説 のなかの 「発齪 ら

ず …'」 とい う表 現 を は じめ・ 朝IN民 の 「噸惰 性」 につ いて の指 摘 は,当 時 の 当局 の文 書中 に頻 繁 に見 い だせ る・ 「労 力1ま内 膿 家 の砥 当一 年 の農 業 労 蜘 数 二 百 日乃 至二 百五 一田 に比 し轍 は僅 に七 佃 乃至 百二 ̲.こ 過 ぎず し て其 の大 半 の労 力 は徒 に是 を余 して顧 みず ・・(34)...,」とい うのが潮 鮮 と 躰 の農 家経 翻 査 の結 果 を比 較 した上 で の 「科 学 的」 な欄 で あ り

,そ の数 値 はt 本 の凱 と対 比 して朝鵜 民 が 「獺 惰 」 で あ る ことを 「証 明 」 して い る

。 ここで留 意 すべ きなの は潮 鮮 側 の数 値 の ソー ス となった朝,"会 儂 家経

翻 査』 での調査対聯45戸 の うち・29戸 は年雇耀 用す る叢 的膿 家

で あ っ た と い う点 で あ る・ 年 .一家1戸 当 た り 平 均 年 麟 は1 .12人 で あ っ た(の べ在 宅 日数 ÷365日 とい う算式 で調,;.の 数値)

.糖 府 鵬 が 指 摘 して い る とお り・「一 般 に

(36)を 有 す る農 家1こ於 い て は・家 族 就 中 畝 の労 臨 甚 だ し く少 き を常 とす

」 る・年 麟 朗 しな い 調.̲一.一家 は16戸 で あ っ た が ,当 該

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農 家 の 中 で 年 間 労 働 日数 が 最 も多 か っ た 男 性 農 業 従 事 者(「 男性基 幹労 働者」 と呼 ん でお く)の 年 間 農 業 労 働 日数 は1人 当 た り平 均195日,そ れ に 家 事 ・そ の 他 労 働 日数 を 加 え る と,総 労 働 日数 は251日 と な る。 ま た,年 雇 の 平 均 年 間 労 働 日

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数 は294日(農 業236f̲9,家 事 ・その他58日)で あ っ た。

朝 鮮 農 民 の 農 業 労 働 従 事 日数 が 少 な い,と い う 上記 の よ う な 総 督府 の 指 摘 は,バ イ ア ス の か か った サ ン プ ル調 査 か ら算 出 さ れ た平 均 値 に よ って 導 き 出 さ れ た 謬 見 で あ った 。 年 雇 を 雇 用 しな い 農 家 の 「男性 基 幹 労 働 者 」 お よ び年 雇 は そ れ ぞ れ ト分 に 「勤 勉 」 で あ っ た こ と が 確 認 さ れ な け れ ば な ら な い 。

第 二 にT農 家 女性 の 「内 房 蟄 居 」 の 問 題 に つ い て 。総 督 府 は,「 朝 鮮 に於 て は 往 事婦 人 の 教 養 を 看 過 した為,婦 人 に は一 般 に理 想 や 希 望 を 欠 き,徒 に 内 房 に 蟄 居 して 独 り人 生 の 意 義 を 没 却 し,家 庭 及 社 会 的 に 存 在 の 価 値 を も失 ひ … … 」 と い っ た 問 題 意 識 か ら,振 興 運 動 に 呼 応 して 「農 村 婦 人 指 導 要 領 」 な る もの を

作成 し濃 家姐 の 「 啓蒙」を行 ってし鳳 先 に紹介 し儂 家繍 纈 による

と,家 族 の 中 で 年 間 労 働 日数 が 最 も多 か っ た 女性(「}三婦 」 と呼 んで お く)の 平 均 労 働 日数 はx279日 儂 業79[{,家 事その他2001Dと,「 男 性 基 幹 労 働 者 」 の そ れ よ り も多 か った(在 宅 日数 お よび労働能 力換算 分 を調整後 の数値)。 農 家 女 性 の 労 働 は,家 事労 働 に特 化 して お り,そ の 分 農 業 労 働 比 率 は低 くな って い る。 農 家 女 性 が 「内 房 に 蟄 居 して 」 い る と4、う指 摘 は,そ の 限 りで は 正 しい と い え る・

た だ しそ れ を 以 て,「 家 庭 及 社 会 的 に存 在 の 価 値 を 失 」 った も の,と 評 価 す る こ と は で き な い。 家 事労 働 自体 が 農 家 構 成 員 の 世 代 内 ・世代 間 の 再 生 産 の た あ に は必 須 の 労 働 で あ る こ と は い う ま で も な い。 しか も,農 家 女性 の 農 繁 期 家 事 労 働 の か な り の 部 分 は,農 業 被 雇 用 者 に 提 供 す る 食 事 の 用 意 に 費 や さ れ て お

り濃 篠 徽 と密接な関係硝 して、1契 潮 鮮におけ膿 家姓 の 「内}

居 」 とい う現象 は,「 婦 人 の教 養 を看 過 した為 」に起 因 した もので はな く,む し ろ当 時 の朝 鮮 農 家 の 家族 内分 業 の あ り方 に よ って 規 定 づ け られ て い た もので

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あ った と い う こ と が で き る。

第 三 に,家 計 ・営 農 支 出 の 浪 費 につ い て 。1934年 に総 督 府 は,「 儀 礼 モ 徒 二形 式 ノ 末 節 二拘 泥 シ… … 之 ヲ行 フ上 二 自 然 身 分 不 相 応 ナ 費 用 ト無 用 ノ時 間 ト ヲ空

(11)

(390)1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村 振 興 運 動11

費 ス ル コ ト ト ナ リ ・ と い っ た 陥 に も と つ い て,癩 運 動 の̲̲̲̲.と

て婚 葬 祭 に関 す る 「儀礼 準 則 」を制 定 して い る。朝 鮮農 民 に よ る 「身 分 不相 応 」 な婚 葬祭 支 出が そ の経済 更 生 を妨 げ て い る と い う認 識 か ら

,婚 葬祭 費 の倹約 を 強調 して い るの で あ る・ しか し,ソ レ ンセ ン氏 が指 摘 す るよ うに,婚 葬祭 にお け る 「身 分 不相 応 」な程 の支 出(饗 宴)は ,村 落 内 の,あ る い は同族 の下層 農 民

にと って髄 な飾 の機会 を撒 しぶ 饗。 こうした所得再配分機能 を,繍

府 は無 視 して い た と い う こ と が で き る。

ま た,農 繁 期 に村 落 農 民(成 人男性)に よ っ て組 織 され る伝 統 的 な 共 同 労 働 組 織(ド ゥ レ)に 対 して 提 供 さ れ る酒 ・煙 草 お よ び間 食 も ま た,総 督 府 の 目 に は営 農 支 出 の浪 費 と して映 って い た。 そ れ らに と もな う長 時 間 の食 事 ・休 憩 蒔簡 は 労 働 効 率 を低 下 さ せ る もの とみ な され た 。す で に1920年 代 か ら

,総 督 府 は,農 繁 期 に お け る被 雇 用 者 に 対 す る 酒 ・煙 草 ・問 食 提 供 の 廃 止 を 奨 励 して い る

。 1929年 の 朝 鮮 農 会 調 査 に よ れ ば ,「 優 良 」 村 落80事 例 の う ち13事 例 に お い て そ れ が 実 施 さ れ て い る。 さ らに 振 興 運 動 開 始 後,忠 南 の 農 村 振 興 会9事 例 の う ち6っ の振 興会 で それ が励 行 さ冠望 。

ドゥ レに参 加 す る年 雇層 ない し下層 農 家 に と って の 「ふ だん有 付 けな い特 別

饗吼 さ らには・ ドゥレ終了時1こ盤 れ る 「 膿 塚 にお ける融 獄 前述 の

婚葬 祭 にお け る饗宴 と同様 に,上 層農 家 か ら下層 農 家 へ の所 得 の再 配分 機 能 を 有 して いた と考 え られ る・ したが って酒 ・煙 草 間 食提 供 の廃 止 とい う動 き は,こ う した所 得再 配 分 機能 を弱 体化 させ る もの で あ った。

総 督府 は,「手 間替 は所謂 隣保 相助 の 美風 に基 くものな る も,之 あ るが 為家 族 の労働 砂 くせ る嫌 な きに あ 謬 」 と陥 して し、る

.村 落 での 隙 共 助 の美 風 」 と個別 の農 家経 済 更生 の た めの 自家 労働 投 下 増加e雇 用 労 働 力 削減 とが 両 立 しが た い もの で あ る こ とが 間接 的 に表 明 され て い るので あ る

。 「手 間替 」(朝 鮮 では日本のユィに相当す るプマシとよばれ る手間替慣習がある)だ けで な く

,ド ゥ レに関 して も総 督 府 は同様 の ジ レ ンマ に直面 した と考 え られ る

。 ドゥ レにお け (47)所得再 配 分 雛 お よ び参賭1こ よ る共 鰍 食 は・趙 景 舐 の い う 供 同体幻

想 」 を再 生 産 す る物 質 的基 盤 とな って い た。 総 督府 によ る営 農 支 出倹 約 の方 針

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は,そ う した 「美 風 」 を掘 り崩 して ゆ く も の と して 作 用 して い った の で あ る。

と こ ろ で,こ こで 留 意 す べ きな の は,以 上 の よ うな 朝 膿 民 の 鞭 習 」 に 関 す る総 督 府 側 の 恣 意 的 な説 明 が,植 民 地 官 僚 個 々 人 の思 い っ き に よ って 発 せ ら れ た もの で は な く,む し ろ,振 興 運 動 ひ い て は植 民 地 統 治 政 策 の 枠 組 み に よ っ

て 構 造 化 さ れ た もの で あ った と い う点 で あ る。

網 府 は難 獣 の 「 瀦 」に関 して・「 長 き歴史 と蹴(朝 鮮時代の 「 枇器

を指 して いる1引 用者)と が 然 ら しめ た もの で,決 して 朝 鮮 民 衆 の素 姓 で は な い 」 こ と を 強 調 す る。 こ の指 摘 か ら,い わ ゆ る 「朝 鮮 社 会 停 滞 論 」 的 な バ イ ア ス を 見 出 す こ と は容 易 で あ る。 しか し,そ れ に と ど ま らず,「 朝 鮮 民 衆 」 が 「改 良 」

の 。∫能 性 を秘 め て い る こ と を,総 督 府 が む しろ 積 極 的 に認 め て い る こ と に こそ 注 目 す べ き で あ ろ う。総 督 府 はr「 朝 鮮 民 衆 」 が 「晒 習 」 に と らわ れ 続 け て い る

こ と を 強 調 す る こ と に よ っ て で は な くs逆 に,彼/彼 女 らが 潜 在 的 に 「改 良 」 の 能 力 を 有 して い る こ と,し か も総 督 府 に よ る 「啓 蒙 」 や 政 策 的 バ ッ ク ア ップ に よ って 実 際 に 「改 良 」 の 方 向 に進 み つ っ あ る こ と を 示 す こ と に よ っ て こそ ・ 植 民 地 統 治 の 正 当 性 を 調 達 し よ う と して い た の で あ る。

た だ し,こ の 戦 略 は潮 膿 民 の 「改 良 」 が一 定 の 水 準(た とえ ば 旧 本 農民 と 同等 の鋤 性」 等)に 達 し た と い う判 断 を 朝 鰍 側 が 広 く賄 す る に い た っ た と き に は,植 民 地 統 治 の 正 当 性 調 達 が 困 難 を き た さ ざ る を え な い と い う落 と し穴 を 抱 え る こ と に な る。

この 点 に 関 わ って,宇 垣 総 督 は,農 家 更 生 「計 画 は之 を 小 に して は一 家 の 家 憲 と な り,一 門 更 生 の 手 引 き と な り… … 又 大 に して は之 を 総 合 し,以 て 半 島 理 想 の産 業 政 策 の 確‑.に 及 ぼ し更 に進 み て1ま鴇 理 想 の 臼 治 行 政 のiを 蹴 し

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」 と い う見 通 しを 示 して い る。 上 記 の 「落 と し穴 」 に 関 して 十 分 に 自覚 的 で あ っ た 宇 垣 は,振 興 運 動 進 捗 の 延 長 線 上 に1一自 治 行 政 」 な る植 民 地 統 治 の 新

た な 段 階 を 想 定 し て,正 当 性 調 達 の 危 機 に 備 え よ う と し て い た の で あ る。

そ して,こ の 「自治 行 政 」 と関 連 して 宇 垣 総 督 はa道 知 事 会 議(1935年1月) の席 上で,以 後約3・ 年 間 を1・ 範 の三 つ の段 階 に分 け耐 自治 の確 立」に至

る ま で の き わ め て 長 期 の タ イ ム ・テ ー ブ ル を 提 示 して い る。 正 当性 調 達 の 危 機

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(388) 1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村 振 興運 動13

の発 現 を回 避 す るた めの 引 き延 ば し策 で あ る こと は明 白 で あ る。

も うひ とつ 引 き延 ば し策 と して有効 な方策 は,朝 鮮 農 民 の 「隔 習」 を強調 し 続 け る こ とで あ る。 しか し,こ の方策 は,総 督 府 に と って 正当性 調 達 の重 要 な 源泉 とな って い る,朝 鮮 農 民 の 「改 良 」実 績 の顕 揚 とい う作 業 と翻 臨 を きた す 可能 性 を持 っ。 その た あ に総 督 府 に と って は,一 方 で朝 鮮 農民 の 「改良 」 実績 を 「発 見」 しっ っ,他 方 で それ を不{・分 な もの と して 否定 し続 け る とい う,矛 盾 した作 業 を遂 行 し続 け る こ とが不 可 避 とな った。 か くて総 督 府 は,自 ら 「発 見」 した農民 の 「改良 」実績 を上 回 るだ けの農 民 の 「隔 習 」 を別途 「発 見 」 し, それ らを朝 鮮 農民 の資質 に還元 して解 釈 す る とい う,恣 意 的 な作 業 を し続 けざ るをえ な か った ので あ る。

と ころで,こ う した総 督 府 によ る恣 意 的 な朝 鮮 農 民 理解 に対 してs朝 鮮 人側 はそ う した理 解 をすべ て峻 厳 に拒 否 して独r1の 朝鮮 農 民像 を描 き切 れ て いた わ けで はな か った。 む しろ,総 督 府側 のr私 事化 」 イ デ オ ロギ ー に照 応 す るよ う な農 民 評価 を行 い,そ れ に基 づ いて農 民 を 「啓蒙 」 の対象 とす る動 きが,朝 鮮 人側 イデ オ ロギ ーの有 力 な一 潮 流 と して存 在 して いた ので あ る。 いわ ゆ る 「民 族 主 義右 派 」 あ るい は 「妥協 的民族 主義 者 」 と呼 ばれ るr場 の人 々 に よ って提

{51}

唱 され た 「実 力養成 運動 論 」 が それ で あ る。

「実 力 養成 運動 論 」者 は,「 社 会進 化論 」 の影 響 を受 けて,個 人 間 にお い て も 国家 間 にお いて も 「優勝 劣 敗」 の原 則 が 貫徹 す る とい う認識 をそ の 、佐論 の 出発 点 と し,「先 実 力 養成 ・後 独'r̲」とい う運動 戦 略 を提 示 した。韓 末 の 「自強 運動 論 」,1910年 代 の 「旧思 想 ・旧慣 習改 革 論 」そ して1920年 代 前 半 の 「文化 運 動 論 」 が その系 列上 に位 置付 け られ る。 そ れ らの運 動 論 にお いて は,実 業教 育,

修 養 あ るい は風 俗 改良 等 を通 じて個 々人 の意 識 改革 を図 る こ とが何 よ り強調 さ れ て い る。 そ して,そ こで の意 識 改革 を基盤 と して 朝鮮 の産 業発 展=実 力養成

ひい て は独 立の達 成 が展望 され た。

1920年 代前 半 の 「文化 運動 」 に お いて 「農 村 改良 」 が 「朝 鮮 新 文化 建 設 の出 発 窯 」と して積 極 的 な位 置 づ けが 与 え られ た の を は じめ と して,「実 力 養成 運 動 論」 者 に とって は,朝 鮮農 村 は最 も重 要 な運 動対 象 とな った。 当 時 の朝 鮮 産業

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/人 口 に占 め る農 業/農 民 の比 重 の圧 倒 的高 さ と 「改良 」 の対 象 とされ た伝統 的 な意 識 ・風 俗 の多 くが農 村 社会 に 由来 す る こ とか ら してfそ れ は当然 の こ と で あ った と いえ る。

1920年 代 末 か ら30年 代 前半 か けて,「農 村 改良 」論 が 再 び盛 ん に な った。 そ の き っか け とな ったの が潮 鯛 欄 が1929年 に行 った 「生 活 改i53」 と東 亜 日報社 が1931年 に開始 した 「ヴ ・ナmド 運 動 」 で あ る。

「生 活 改新 運 動」 で は,健 康増 進 ・消 費 節約 ・虚 礼廃 止 ・早 起 運 動 ・色衣 断 髪'常 識普 及 の6項 目が 強調 され た。i溝演 会 な どを通 じての啓 蒙 活動 が 主 た る 運 動 内容 で あ った。 ただ し,当 該運 動 はわず か数 ヵ 月で 中 止 され,そ の後 「文 字 普及 運 動」 へ と衣替 え され て い る。 後 者 の運 動 は,休 暇 中 に帰 省 した学 生 の 参加 をえ て実 施 され た。「文 字普 及 運 動 」 は1931年 まで継 続 され,32・33両 年 の中 断 を はさん で34年 に復活 した ものの,35年 に至 って総 督府 に よ って禁 止

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され て しま った 。

休 暇 中 帰 省 学 生 の 動 員 と い う手 法 お よ び農 民 に対 す る文 字 普 及 と い う運 動 課 題 に お い て ・ 東 亜 日報 の 「ヴ ・ナ ロ ー ド運 動 」 は 「文 字 普 及 運 動 」 と は 共 通 の 性 格 を 有 して い る。 そ して 結 果 的 に は,「 文 字 普 及 運 動 」 よ り もよ り多 数 の 学 生 の 参 加 を え る こ と に 成 功 して い る。「ヴ ・ナmド 運 動 」は1931年 以 降34年 ま で の4年 間 継 続 さ れ た後,35年 に は 総 督 府 の 圧 力 に よ り中 断 さ れ て い る

。 こ の 4鞘 の参恕 騨 数 は5 ・751名講 習地 数 は1,326そ して翻 生 数 は約1・ 万 名

に及 ん で い る。

「ヴ'ナmド 運 動 」 に関 して は,「 優 れ た民 衆 啓 蒙運 動 で あ った と同 時 に組

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織 的 な民族 運 動 で あ った」 とい う高 い評 価 が な され て い る反 面,「 東 唖(日 報社 :引 用 者)が ね ら った も の は … … 単 な る 『文 字 と 数字 」 の 普 及 で あ ま契 」 と い う 否 定 的 な 評 価 も下 され て お り,民 族 運 動 史上 の位 置 づ け は未 だ定 ま って いな

い 。

こ こ で は,こ れ まで の 議 論 と の 関 わ りで ,以 下 の2点 を と り あ え ず 確 認 して お き た い。 第 一 に は,「 生 活 改 新 運 動 」 「文 字 普 及 運 動 」 で あ れ 「ヴ ・ナmド 運 動 」 で あ れ,運 動 の 対 象 が 一 般 農 民 に 設 定 さ れ て お り,地 方 有 力 者 の 「啓 蒙 」

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(386)193・ 年 代 朝 鮮 に お け る 農 村 振 難 動15 (58)

を主 眼 と して い た20年 代 前半 期 の 「文 化 運動 」 と比 べ れ ば,運 動 対 象 が著 し く 大衆 化 して い る。 な お,「 ヴ ・ナ ロ ー ド運動 」 で の講演 地 のべ数 は,邑 面数 の 55%に 相 当す る。 第 二 に,こ れ らの運動 の過 程 で は,農 民 に対 して 文字 や数字 と い った実 用 的 な知識 の普及 が な され た だ けで はな く,そ う した知識 の獲 得 を 基盤 とす る ことで は じめて 自己の農 業経 営 と生 活 の改善 が可能 とな るとい う・

「実 力 養成 運 動 論 」 の核 心 的 な実 践 課題 が 一般 農 民 に広 く伝 達 され た と考 え ら れ るO

本節 の最 後 に,こ れ まで述 べて きた総 督 府 側 あ るい は朝 鮮 人側 が それ ぞ れ に 展 開 して き た 「私 事 化 」 イ デ オ ロギ ー が一 般 農 民 に どの程 度 受 け入 れ られ て い った の か を検 証 しな くて はな らな いが,そ の作 業 は きわ めて難 しい。 以 下 で は,一 般論 と して,農 民 の 日常 的 な意 識 のな か に 「私 事化 イデ オ ロギ ー」 を受 容 す る基盤 が あ った こ とを指 摘 す るに と どま る。

農 産物 価 格 お よび小 作 料水 準 が農 民 に とって と りあ えず は与件 と して与 え ら れ て い る とき,一 定 の地 域(具 体的には村落)内 に存在 す る有 限 の生 産手 段(林 野 ・耕地など)に で き るか ぎ り多 くの労 働 力 を結合 させ る こ とに よ って農 業 や副 業 で の生産 量 を増 大 させ る こと,そ れ と同 時 にs個 々 の農民 が無駄 な消 費 を で きる限 り節約 す る こ とは,そ の地 域 の農 家 経済 総 体 の安 定 化 を追 求 す る上 で, 農 民 に と って は も っと も着実 な方法 で あ る とい うこ とがで きる・ また・ この方

法 の農 民 に と って の メ リ ッ トは,隣 家 の農 民 を排 斥 す る こ と,す なわ ち具体 的 に は隣家 の耕作 地 を集積 して 自家 の耕作 地 を拡 大す る ことをせ ず に,自 家 の農 家 経 済 の安 定 化 が と りあ え ず は 可能 で あ る と い う点 で あ る。 逆 説 的 で は あ る が,こ う した 農民 の個別 的 ・内省 的 な努 力 は,村 落 農民 間 の相 互 協 力 の ひ とつ

の形 態 で あ る とい う こ と もで きる。

筆 者 は別稿 に お いて,朝 鮮 時 代 以 降植 民地 期 に至 るまで朝 鮮 農民 が,村 落構 成 員 同 一ヒが共有 す る 「平等 主 義 的 コ ミュニ テ ィー倫 理」 と個 別農 民 の私 的 な利 害 との潜 在 的 ・顕在 的対 立が は らむ緊 張 関係 の下 で村 落 で の 日常 生 活 を維 持 し て き た こ とを 指 摘 じ製 。 「勤 勉 」 やr倹 約 」 とい っ た ター ム で 代 表 さ れ る 「膝 化 」 イデ オ ロギ ー は,個 別 農 民 レベ ルで の 内省 的 な努 力 が村落 構 成 員総 体 の厚

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生 の 向上 に結 果 す る点 を綻 調 和 的 に強 調 す る もの で あ り

,し たが って,村 落 農 民 の意 識 に は,上 の緊張 関 係 の緩 和 さ らには解 消 の道 筋 を指 し示 して くれ る

もの と して映 ったで あ ろ う・ 糖 府 に よ る もの で あ れ,朝 鰍 「実 力 養成醐 論 」 者 に よ る もの で あれ濃 民 はそ の 日常 意 識 にお いて,そ れ らの 「私 事化 」

イ デ オ ロギ ー に共 鳴 しう る素地 を持 って し・た と考 え られ るの で あ る

。 3)「 私 事 化 」 イ ヂ オ ロ ギ ー の 実 践 過 程

「勤 勉 」 「倹 約 」 と い っ 膿 民 の 鵬 」的 な 努 力 に よ って 臓 繍 の 更 生 力河 會旨 で あ る と す る 「私 事 化 」 イ デ オ ロ ギ ー は,朝 鮮 農 民 を と り ま く構 造 的 な 諸 問 題 を不 問 に付 す こ とを 前 提 と して い た・ と1まい え 濃 民 の 個 別 努 力 だ け で1ま農 家 更 生 計 画 の 目標 達 成 が 不 可能 で あ る こ と を 「私 事 化 」 イ デ オ ロギ ー の そ もそ も の 注 入 琳 で あ っ た総 督 府 が や が て 認 識 す る に至

っ た こ と,1935年 以 降 の 「干一 箇 年 計 画 」 で の 政 策 転 換=積 極 的 な 政 策 介 入 は そ う し た 認 識 に基 づ く もの で

あ っ た こ と・ はす で に第2節 で 論 じた と お りで あ る

.と こ ろ で,繍 府 が 「私 事 化 」 イ デ オ ロ ギ ー の 限 界 を 追 認 す る以 前 に,農 民 が,す で に イ デ オ ロ ギ ー と 現 実 と の 間 の 矛 盾 を 直 接 体 験 して い た は ず で あ る

。以 下 で は,「 私 事 化 」 イ デ オ ロ ギ ー を奉 じた 指 導 部 落 の 農 民 が

,い か な る現 実 の 壁 にぶ ち 当 た る こ と と な っ た の か を 明 らか に して み た い。

第1次 指 定 農 家43,022戸 に お い て,総 耕 地 面 積 は1933〜38年 間 に5 .9%増 加 して い る 儂 家1戸 あ た り・陶 耕地 鹸 は1fi.6反 か ら17.6反 に層秘).た だ し詣 定農 家 の家計 を 「更生 」 させ た要 因 と して は,耕 地 面 積 の増 加 以 外 の要 因 が 大 きか った よ うで あ る。 す なわ ち,作 付 のべ面 積 の増 加率8.0%が 耕 地 面積 増 加 率 を上 回 って お り(耕 地利膵 の叡) ,さ らに は 戦(1933年 価格で推算)の 増加 率38・7%は これ ら二 者 を大 幅 に上 回 って い るの で 霧 .瀬 部 門 で の生 産 額 の 増 大 は,基 本 的 に は 土地 生 産 力 の 上 昇 に よ っ て も た ら さ れ た と い え る

。 そ の 点

≒騨 って・反 当 た り堆肥 投 糧 は134貫 か ら21・ 貫 へ と57%の 増 加 を示 して い る。

な お,道 別 に 単収 増 加 率 を 見 る と(全 南 の 第一 次指 定農 家 は無 し)

,最 大 値(威 北

(17)

0384) 1930年 代 朝 鮮 にお け る農 村 振 興運 動17

50、5%)と 最 小 値(全 北20.2%)と の 間 に は 大 き な 格 差 が 生 じて い る(表 一2)・

12道 別 の更 生 計 画 開 始 年 次(33年)の 反 当 た り耕 種 部 門 生 産 額:X1と 終 了 年 次 (38年)に お け る そ の 伸 び 率:ylと の 間 に は,

y1‑0.4fi7‑‑0.010x1(R2‑0・554)

と い う負 の相 関 関 係 が 見 い だ せ る。 す で に労 働 集 約 度 が 北 部 地 域 に比 べ て 相 対 的 に 高 か った 南 部 地 域 に お い て は,土 地 生 産 性 の 追 求 過 程 に お い て 収 穫 逓 減 が よ り強 く作 用 し,そ の た め に よ り低 い 単収 の 伸 び しか実 現 で きな か った と考 え

られ る。

次に藷 養 門 では沌 豚 綱 司育頭(羽)数 が撃 画実施前後で

そ れ ぞ れ24%,57%,72%増 加 しf産 繭 量 も72%増 加 して い る。小 家 畜 ・養 蚕

畿北南北南北南海南北原南北輔

京忠忠全全慶慶黄平平江威威全

表一2指 導 農家道別 実績 に関す る数 値

薫 癖干識 干緬評

24.3/20.210.824.65

‑!6 .413.97

15.323.9!9.503.79

̲̲1

27.Oi22.58.52j4.23 1・.633・5[3・95[2・26

39.4 24.7 29.3 35.1」

50.5 31.0

2.022.42 1.492.16

6.26i2.04

5.32 3.27

6.911.831.723.00

Y2

2.99‑一

2.67

1

i

3.42

2.641

ヨ ロユ 

2.42

2.07i 3.38!

3.821, 3.38 3.38 3.41"i

ヨ ロアら

3… コ Xl;第1次 指 定 農 家1933年 単 収(円/反)

y、;第1次 指 定 農 家1933〜38年 間 単 収 伸 び 率(%)。

x、;1930年 農 耕 従 業 者 総 数 に 占 め る家 族 外 労 働 者 比 率(%)。

x3;1932〜34年 道 平 均 単 収 指 数 。 y2;第1〜6次 指 定 農 家 更 生 実 績 指 数 。

<注>x、,y,の 資 料 は,前 『推 移 』60〜68頁(単 価 は 註62と 同 様)。

x2,Xg,y2の 資 料 お よ び 算 出 方 法 は 本 文 参 照 。

(18)

ほ ど増 加 率 が 高 くな って い る点 が 目 を 引 く

。 副 業 生 産 で は,臥 ・縄 と い う藁 製 品 の増 加 率 が そ れ ぞ れ204%,105%と 高 い 値 を 示 して し!智

以 上 ・ 第1次 指 膿 家 に限 って で は あ るが詣 導 農 家 膿 家 縮 改善 の方 向 性 が いか な る もの で あ ったの か を整理 した.そ れ は,近 膿 家 の耕 作地 を集 積 して規 模 拡 大 を図 る とい うよ り も,む しろ限 られ た耕 地 を前提 に経 営 の多 角 化 お よ び土地 利 用 の多様 化 と単収 増 大 に よ る土地 利 用 集約 化 の追求 に よって もた らされ た もので あ った とい う ことが で きる。

さて,以 上 の よ うに,農 家経 営 の多 角化 ・集約 化 を通 じて農 家経 済 の更生 を 達 成 しよ うとす る総 督 府(お よ び 「実 力 養 成運 動 論」 者)に と って は

,「 勤勉 」 は指 導 農 家 に植 え付 け るべ き最 も重要 な規 範 とな って い た はず で あ る

。 そ の 際 「勤 勉 」を追 求 す べ き主体 はあ くまで家 族 構成 員 に限定 されて お り

,年 雇.

臨 時 雇 とい った雇 用 労働 力 は,む しろ で きるだ け排 除 すべ き もの と して想 定 さ れ て い た と考 え られ る。 自家労 働 力 の最 大 限 の投 入 に よ る 自家労 賃 所 得 の増 大 が 目指 され る限 り,そ れ は当然 の ことで あ った。

r鋤 鮒 旗 功儲 盤 に紹介 された鱒 縮 濃 家の中で,村 落あるし、

は個 別 農 家 が 年 雇 や 臨 時 雇 を 廃 止 ・縮 小 して い る 事例 が5件 あ る(#34

,35,60, 61,65)。 ま た,全 北 の あ る指 導 部 落 に 関 す る調 査 報 告 に よ る と

,1932〜39年 間 の 変 化 を把 握 で き る43戸 の 農 家 に お い て,年 雇 は5名(雇 用農 家5戸)か ら0名 へ ・ 確(の べ 人数)は434名 か ら125名 へ と

,い ず れ 櫨 減 して 課 。

こ の よ う に家 族 労 働 力 が 年 雇 ・日雇 労 働 力 を代 替 して ゆ く過 程 で 特 に 顕 著 な 変 化 と して 当 時 強 調 さ れ た の が,農 家 女 性 に よ る 「野 外 労 働 」 従 事 機 会 の 増 大 で あ っ た 。『名 鑑 』 で も,20の 指 導 部 落 に お い て農 家 女 性 の 「野 外 労 働 」進 出 が 顕 揚 され て い る(#1・2・3・4,8,1・,11 ,12,13,14,16,24,26,27,29 , 33,40,41,50,51)。 ま た,1937年 時 点 で の 京 畿 道 内90の 「更 生 計 画 実 施 優 良 部 落 」 に 対 す る 「優 良 事 項 」 調 査 に お い て も,「 婦 人 勤 労 」 は43村 落 で 報 告 さ れ てお り・ 喰 概 知54村 落 に次 いで高 し・値 を示 して 課

農 家 女性 に よ る農 業労 働 は雇用 労 働 力 と直接 的 な代 替 関 係 を有 したば か りで な い。彼 女 ら(と くに 陸 婦」)の農 業 労働 進 出 はs農 業 労働 者 に対 す る間 食廃 止

(19)

(382) 1930年 代朝 鮮 に お け る農 村 振 興 運動19

と い う動 き を と もな った 。『名 鑑 』に お い て も6つ の 指 導 部 落 に お け る間 食 廃 止 の試 み が 報 告 され て い る(#1,2,5,13,29,47)。 間 食 廃 止 は,農 業 労 働 者 の 実 質 賃 金 を 引 き下 げ た ば か りで な く,作 業 の 「効 率 」 を 引 き上 げ る こ と で 結 果 的 に 農 業 労 働 者 の 雇 用 機 会 を縮 減 させ た と思 わ れ る。

換 言す れ ば,こ れ ま で 個 別 農 家 が 年 雇 や 臨 時 雇 を 最 大 限(さ らに は必要程 度以 上に)雇 用 す る こ と に よ って,結 果 的 に機 能 して き て い た 村 落 内 で の ワ ー ク ・

シ ェ ア リ ン グ の 秩 序 が,「 勤 勉 」 「倹 約 」 とい っ た 規 範 が 強 調 さ れ る こ と に よ っ て{分 に は そ の 機 能 を 発 揮 しえ な くな っ て し ま っ た の で あ る。

多 数 の 指 導 農 家(し か も相対 的 に下層 に属す る農家)が 更 生 計 画 期 間 中 に 転 出 し て し ま って い る こ と は,す で に 富 田 氏 が 手旨摘 して 鳳 ち な み に,第 一 次 指 定 農 家 は 計 画 当 初51,705戸 あ っ た も の が 終 了 時 に は43,022戸 へ と,第 二 次 指 定 農 家 は 同 じ く61,561戸 か ら52,672戸 へ と,そ れ ぞ れ17%,14%の 減 少 を 示 し

て い翠 。 この 現 象 の 要 因 の ひ とつ と して,上 記 の ワ ー ク ・シ ェ ア リ ン グ秩 序 の 弱 体 化,そ の結 果 と して の下 層 農 家 の農 業 労 賃 収 入 の減 少 が あ った の で は な か

ろ う か 。

他 方,「 倹 約 」規 範 の 文 脈 に お い て は,婚 葬 祭 費 節 約 が 村 落 の 申 し合 わ せ 事 項 と して取 り決 あ られ る こ とが 一 般 的 で あ っ た 。『名 鑑 』の指 導 部 落 事 例 に お い て

も24部 落(#1,2,3,7,11,13,14,lfi,19,20,26,27,29,34,35,36,38,

39,40,41,44,45,50,51)に お い て 「儀 礼 準 則 」 に準 拠 す るな ど して 婚 葬 祭 費 の 節 約 が 試 み られ て い る.さ ら に泊1∫ 述 した ドゥ レの 際 の 飲 食 や 饗 宴 も 「勤 勉 」 と 「倹 約 」 が 奨 励 され る過 程 で 衰 退 して い っ た と考 え られ る。 こ う した動 き も ま た,村 落 内 の 上層 農 か ら下 層 農 へ の 所 得 移 転 の 機 能 を 弱 体 化 させ る もの で あ っ た。

『名 鑑 』 中,中 堅 人 物 の 中 に は,村 落 内 で 「農 耕 雇 傭 の 廃 止 」 を 推 進 しっ っ 他 方 で は 「七 八 人 の 不 農 耕 者 も三,四 反 歩 の 耕 作 地 を 持 っ や う 」 に 「農 耕 地 の 斡 旋 」 を 行 っ た全 羅 北 道 で の事 例(#34,111〜113頁)や,自 家 で の年 雇 を な くす 一・方 で 「部 落 内 の 耕 地 多 き者 か ら一 部 宛 を割 譲 させ て 十八 戸 の無 作 労 働 者 に分 配 し」 た 全 羅 南道 で の 事 例(#35,115〜ll6頁)が 報 告 さ れ て い る。 こ の2事 例

(20)

以 外 に も 『名 鑑 』 に お い て,小 作 地 の 斡 旋 や 配 分 に 取 り組 ん だ 指 導 部 落 と して , 10事 例(指 轄;#6・7・8,9 ・1・,16沖 堅人物;#29,31,37,41)が 報 告 さ れ て い る。 多 くの指 導 部 落 に お い て ,従 来 の 雇 用 関 係 を 通 じた ワ ー ク ・シ ェ ア リ ング を 補 完 す る仕 組 み と して,耕 地 再 配 分 の機 構 を 意 図 的 に作 り出 す こ と が 試 み られ て い た こ とが 確 認 で(71)。

と こ ろ で,地 域 資 源 再 配 分 の枠 組 み の再 構 築 と い う点 で は

,こ れ ま で 述 べ て き た耕 地 と と も に,林 野 に 関 して も,振 興 運 動 に お い て 類 似 の 試 み が な さ れ る こ と と な っ た。

1929年 以 降38年 ま で,「 森 林 令 」(1911年 制定)第20条G森 林 に於 て其の産物 を窃肌 た る者 は こ年以 ドの懲役 又 は 酒1・似 ドの罰金 に処 す」)に 基 づ く犯 罪 検 挙 件 数 ・人数 が 報告 され て 鳳1929{1… か ら32年 まで は検 桝 数 人 数(以 鳴 前 年繰越分+本 年受付分)が そ れ ぞれ5千 件 台,6千 人 前 後 で あ った のが,32年 に約 6.5千 件,7千 人 強 へ と若i増 大 した後 ,34年 以 降38年 まで12〜13千 件,12〜

14千 人程 度 へ と急 増 して い る。

こ う した変 化 の背 景 と して,第 一 に は,農 家 にお け る林 野利 用 の必 要 性 の昂 ま りを挙 げ る ことが で きる。 農 家 更生 計 画 にお いて農 家経 営 の多 角化 ・集約 化 が 目指 され る過 程 で,自 給 肥 料 お よび家 畜 飼料 の供給 源 と して林 野 の利 用 度 合 いが 高 ま って い った。 さ らに 藁製 品 製 造 が農 家 副 業 と して 奨 励 され る に した が って・ 飼 料 ・燃 料 と して の稲 藁 との競 合 が生 じ,農 家 の林 野 利用 に拍 車 をか けた。 これ らの結 果・他 人 の林 野 を許 可な く利 用 せ ざ るを えな い ほ どに,肥 料, 飼 料 お よび燃 料 の原 材 料 と して の林 産 物 の需 要 が増 大 した と推 察 され るので あ

る。

そ して第二 の背 景 と して,「民 有林 指 導 方 針 大綱 」の制 定(1933年1月)と い う 総 督府 の林 政 上 の方 針 転 換 の影 響 を指摘 す る こ とが で き る。「大綱 」にお いて は 林地 安 定,地 力恢 復 お よ び造 林 費 節約 の観 点 か ら 「人 工造 林 よ り も天然 力利 用

に依 る林叢 の構 成 に力 を注 がむ とす る こ と」 に 重点 が 置 か れ てお り

,そ の た め に 「稚樹 及 地 被物 を保 護 し萌 芽及 山草 の濫 採 を制 限」 す る ことが強 調 され て い

(73)

る。 この結 果・ 農 民 の林野 利 用 方 法 にた いす る総 督 府 の管理 は強化 されて い っ

(21)

(380) 1930年 代 朝鮮 に お け る農 村 振 興 運 動21

た と考 え られ るの で あ る。

農 用 林 産 物 の利 用 法 を あ ぐる村 落 構 成 員 間 の 緊 張 を昂 ま りに対 して総 督 府 は,一 方 で は,上 述 の よ うに規制 の強化 とい うい わば対 症 療 法 的 な対 応 で 臨 ん だ。他 方 で総督 府 は,1934年 以 降 「農 用林 地 」の設定 に よ る対 応 を試 みて い る。

全 南 の場 合 を例 に と る と,1935年 に制 定 した 「農 用林 地施 設 計 画」 にお いて, 農 用 林地 を不充 分 に しか所 有/借 入 して い な い農 家 に対 して農 用林 地 の購 入/

借入 を斡旋 す る,あ るい は,農 用林 産 物 の合 理 的 な配分 を行 わせ るた め に,面 な い しは村 落 レベル の 「愛 林 契 」 を管 理主 体 に した農 用林 地 を設 定 す る,な ど

(74)

の施策 を打 ち出 して い る。

農 用林 地 設定 事業 は,農 家 更生 計 画 にお け る主要 な事業 の ひ とっ と して位 置 づ け られ た。 更 生計 画実施 に と もな う過 剰利 用 に よ って もた らされた林 野 の荒 廃 とい う事 態 に直 面 して,総 督 府 は,一 旦 は農 民 の慣 習 的 な利 用秩 序 に規 制 を 加 え た の ち に,自 ら別 途 囲 い込 ん で お い た資 源 を 農民 に配 分 す る とい う手 法 で,問 題 の 「解決 」 を図 った ので あ る。

第 一 次 指 定部 落1,950の うち,計 画開始 時 に農 用林 地 を設 定 済 み の もの は62

(75)

(3.1%)に 過 ぎ な か っ た の が,計 画 終 了 時 に は535(27.4%)へ と増 加 して い る。

た だ し,『 名 鑑 』 の指 導 部 落 事 例 の 中 で,農 用 林 地 設 定 事 業 に 関 与 した の は2例 (#21,38)だ け に 止 ま っ て お りs上 述 の 耕 地 の 斡 旋 活 動 あ る い は次 に述 べ る負 債 整 理 事 業 と比 較 して 活 動 事 例 が 少 数 に と ど ま って い る。ま た,「 一 面 已 ム ヲ得 ナ イ 事 情 二 由 ル モ ノ トハ 思 料 セ ラ ル ル ガ,農 村 ノ指 導 上 相 当 戒 心 ス ベ キ 事項 ナ リ」 と総 督 府 が 警 戒 す る ほ ど に 第 一 次 指 定 農 家 の金 肥 投 入 量 が 増 大 した と い う

(76)

が 示 唆 す る よ う に,農 用 林 地 設 定 事 業 は,指 導 農 家 の 金 肥 使 用 を 大 幅 に抑 制 す る ほ ど に は進 捗 しえ な か った と推 察 さ れ る。 治 山 と林 業 そ して 農 業 そ れ ぞ

れ が 林 野 政 策 に求 め る機 能 が 競 合 しあ った た め に,総 督 府 が 農 用 林 地 と して 措 置 で き る 資 源 が そ も そ も 限 定 づ け ら れ て い た と 考 え ら れ る。

と こ ろ で,資 源(お よびその配分 に関 わ る制 度)の 囲 い込 み と そ の 後 の再 配 分 と い う上 述 の 手 法 は,農 用 林 地 設 定 事 業 同 様 に,負 債 整 理 事 業 に お い て も採 用 さ れ て い る。 総 督 府 は,高 利 債 務 の 累 積 に よ り 「農 家 は遂 に 自暴 自棄 の 姿 とな り

(22)

く 

…;ゐ

)と して高 利債務 が朝鵜 民 の勤労 鰍 を減退 させている ことをヂ 旨摘 し

て い る。 負債 整理 事 業 に は,債 務 を軽 減 す る とい う直接 的 な効 果 だ けで な く

s 勤 勉 意識 の喚 起 と い う間接 的 な効果 もが期待 され て いた の で あ る。

当該 事 業 は,旧 債 の減 免 と金 融組 合 資金 によ る借 換 とい う2つ の作 業 によ っ て構 成 され た。前者 に関 して は,指 導 農 家 に対 す る実績(整 理対象額に対す る減免 額)は23・7%と,膿 家 に対 す るそ れ16 .8%を 上 回 って 調 濃 鞭 生 壽f画の

「成 果 」 を 見 て 取 る こ と が で き る 。 『名 鑑 」 中 ,指 導 部 落 事 例 に お い て も,18事 例(指 導 者;#3,5,6,9,18,19,21,23,25,中 堅 人 物;#29 ,30,33,34,35, 41,46,48,51)に お い て 高 利 債 務 減 免 へ の 取 り 組 み(調 停 活 動)が 指 摘 さ れ て い

る 。

高 利 債 務 の 減 免 に 引 き 続 い て 行 わ れ る 金 融 組 合 資 金 に よ る 借 換 は,契 や 高 利 貸 と い う 伝 統 的 な 信 用 制 度 を,い わ ゆ る 制 度 金 融 機 関 で あ る 金 融 組 合 に よ っ て 代 替 し よ う と す る も の で あ っ た 。 『名 鑑 』 の 指 導 部 落 事 例 の 中 で も

,借 換 低 利 資 金 斡 旋 を お こ な っ た も の と し て17件(指 導 者;#3 ,6,11,18,19,23,25,中

堅 人 物;#28,29,30,35,37,4s,49,50,51)が 紹 介 さ れ て い る

第 一 次 指 定 農 家 に 関 し て は,更 生 計 画 前 後 で の 借 入 先 別 の 負 債 額 が 判 明 す

(so)

る。 そ れ に よ る と,そ の 間 に,総 負 債 額 が 約214万 円,率 に して51,4%減 少 し て い る。 減 少 額 の 最 も大 き な 借 入 先 は 「個 人 其 ノ他 」 の 約129万 円(減 少 額 の 60.1%)で あ り,減 少 率 の 最 も人 きな そ れ は 「各 種 ノ契 」 の78 .5%(約30万 円) で あ った 。金 融 組 合 か らの 借 入 金 も約51万 円(27 .4%)減 少 した がs借 入 金 総 額 に 占 め る比 率 は44・7%か ら66.8%へ と大 幅 に 増 加 して い る。

契 は,構 成 員 が 零 細 資 金 を 持 ち寄 っ て 相 互 融 通 しあ う伝 統 的 な 金 融 組 織 で あ るが,構 成 員 が 債 権 者 で あ りか つ 債 務 者 で あ る場 合 が 多 い こ と か ら,債 務 減 免 や 借 換 事 業 が 比 較 的 お こ な い や す か っ た と思 わ れ る。 しか もそ の 組 織 が 村 落 内 で 完 結 す る の が 一 般 的 で あ っ た か ら,そ れ に い た る合 意 調 達 が 比 較 的 に 容 易 で あ った で あ ろ う。 契 は,そ の 機 能 に 注 目す れ ば ,個 々 の 村 落 農 民 が 有 す る限 定 さ れ た 資 源(資 金)を 最 大 限 に 活 用 して 相 互 に融 通 しあ う制 度 で あ った

。負 債 整 理 事 業 は,こ う した 伝 統 的 な 信 用 制 度 を 弱 体 化 さ せ た こ と に な る。

(23)

0378) 1930年 代 朝 鮮 に お け る農 村振 興 運 動23

地 主 や金 貸業 者 に よ る高 利貸 もま た,上 の契 と同様 に,債 務 者 の信 用 力 の脆 弱 さ に対 応 した制 度 で あ った と解 釈 す る ことが 可能 で あ る。 零細 農 民 に対 す る 債 権 はっ ね に債 務不 履 行 の危 険 を抱 え た もので あ り,高 利 に よ る貸与 はそ う し た リス クへ の対 応 とい う機 能 を有 して い るか らで あ る。個 人 間高 利 貸 とい う伝 統 的 な信 用制 度 もま た,負 債 整理 事 業 の過程 で そ の固 有 の領 域 を侵 食 され て い

くこ と とな った。

と ころで,高 金利 に よ る リスク対 応 とい う戦 略 を と りえな い金融 組 合(お よ びそれを政策的に統括す る総督府)に と って は,借 換 を実 施 させ る零細 農 民 の償 還 能 力 を いか に確 保 す るか,と い う点 が な に よ り も重 要 な課 題 とな らざ るを え な

か った。 と くに,非 組合 員 の場 合 は借 換事 業 それ 自体 が 困難 とな る。 金 融組 合 は,「相 互連 帯 保 証組 」とい う連帯 保 証 の た めの制 度 を村 落 農民 に組 織 させ るこ とに よ って,そ れ まで は金 融組 合 へ の 加入 が不 可能 で あ った零 細 農 民 を組 合 に 加 入 させ,か つ借 換 事 業 に お け る債 権 回 収 の安 全性 を高 あ よ う と した。 さ らに は,借 換 農家 を して行 政 ・金 融 組 合 の指 導 に従 う旨の 「誓約 書 」 を作 成 させ る

(81}

ことで,営 農 ・生 活 へ の政 策 的介 入 の度 合 い を深 め て い った。

負 債整 理 事 業 は,一 旦 は,高 利 貸 とい う債 務 者 の零 細性 ・担 保能 力 の欠 如 と い う状 況 に対 応 す べ く存続 して きた,い わ ば必 要 悪 と して の伝 統 的 な信 用 制度 を政 策 的 に排 除 した上 で,金 融組 合 低利 資金 とい う制度 資金 の導 入 を図 る もの で あ った。 た だ し,借 手 農民 の側 の担 保能 力欠 如 とい う状況 に は基 本 的 に は変 化 が生 じえ な か った。 そ の ため に,融 資 の前提 と して,農 民 同 士 の連 帯 保 証 あ

る い は誓 約書 とい う制 度 が新 たに導 入 され た ので あ る。

以 上,農 家 更生 計 画 にお い て個 別 の 「勤労 」 や 「倹 約 」 に よ って経 済 更生 を 達 成 しよ うと した指導 農 家 が,そ の実 践 過 程 にお いて,結 果 的 に は,村 落 内 で の資源 再 配 分 秩序 の再構 築 あ る い は村落 外 か らの資 源 や制 度 の導 入 とい う,農 民 の個別 の対 応 に よ って だ けで は解 決 不 可能 な課 題 に直面 せ ざ るを え なか った

こ とを,耕 地,林 野 お よ び信 用 制度 とい う3点 にお いて明 らか に した。

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