6 Field+ 2011 07 no.6
女性兵士が歩んだ道
エチオピア内戦と戦後20年ンジバルのフィールドから 眞城百華
まき ももか / 津田塾大学国際関係研究所研究員、AA 研共同研究員紛争の中にも人々の生活があり、
また紛争が終わっても人々は生きていく。
ゲリラ兵としてエチオピア内戦に参加した 農村出身の女性たちが、紛争下や紛争後 社会で歩んだ道に光をあててみよう。
エチオピアの内戦
エチオピアでは1970年代と80年代に全土 で激しい内戦が繰り広げられた。エチオピア 北部のティグライ州でも反政府勢力が政府軍 と戦闘を展開した。反政府勢力には男性兵士 のみならず多くの女性兵士が参加した。内戦 終結時にはティグライ州の反政府勢力だけで も約3万人の女性兵士がおり、出自や年齢も多 様だ。首都の大学で学んだ高学歴の女性もい れば、農村出身の女性もいる。女性兵士も銃 を持ち、政府軍の攻撃を避けながら山野に展 開し、着の身着のままで何年も戦場で戦った。
反政府勢力への参加は命の危険を意味し、
男性も家族の反対を押し切って参加した。女 性、特に農村の女性であればなおさら、銃を 持ち戦場に赴くなど家族には想像もつかない
ことだった。女性兵士の多くは、家族に黙っ て家を抜け出して反政府勢力に合流した。
戦線には15歳や16歳の少女も参加した。若 年のゲリラ兵といえば、アフリカでは誘拐さ れた末に薬物を与えられ強制的に戦場に送り 込まれる少年兵を思い起こさせる。ティグラ イ州では反政府勢力は積極的に戦線への参加 を呼び掛けたが、強制的徴兵は行っていない。
多くの若者を反政府活動に駆り立てた背景に は、反政府勢力の理念もさることながら当時 の軍事政権による圧制がある。軍事政権下で は、集会、言論、出版、移動などあらゆる自 由が奪われ、教育も満足に受けられなかった。
反政府勢力が展開する地域では軍の統制はさ らに厳しく昼夜を問わず爆撃機の爆音がとど ろき、市民の殺害も日常的に行われた。反政 府勢力の兵士たちは軍事政権の圧政に抵抗し、
自分の家族や友人を守るために戦線に参加し た。女性兵士にとっては、女性解放の理念も 参加の大きな要因となった。反政府勢力の中 では女性解放が進められた。女性兵士組合が 組織され、男女の平等や女性のエンパワーメ ントが積極的に議論され、女子教育など女性 の地位改善に向けた取り組みがなされた。家
族と離れ、山野を拠点に政府軍と交戦した壮 絶な体験を語る女性兵士たちであるが、戦線 時代をいい時代だったと振り返る。学校もな い農村で、空爆や軍隊におびえながら家事や 農業を手伝う生活から抜け出し、自分の家族 や隣人のために目標を掲げて戦った日々は、自 分で人生を切り拓くという意味でも女性兵士 たちの人生を大きく変容させる転機となった。
1991年に反政府勢力の連合が軍事政権を 倒して新政権の樹立を果たした。今年、エチ オピアは戦後20年を迎える。
女性兵士の経験
15歳で戦線に参加した女性兵士二人の辿っ た道を振り返ってみよう。アムロスとムツラル は政府軍との交戦が最も激しい1980年代の中 ごろ反政府勢力に参加した。二人とも農村出 身で、家族に黙って夜のうちに家を抜け出し た。アムロスは二昼夜も一人で軍の監視を避 けながら反政府勢力の拠点に辿り着いた。二 人は軍事訓練を受けると即戦力として前線に 派遣された。食糧も満足にない中、数年間も 野宿を続けながら部隊の仲間と共に政府軍と 戦った。彼女たちは、戦場で同じ部隊の兵士 と結婚した。結婚後も銃を持ち戦う日々は続 き、部隊の再編で夫婦も別々の部隊に編成さ れた。銃撃を受けて負傷し、また多くの友人 を戦場で失いながら1991年にようやく内戦終 結を迎え、夫や友人と和平の到来と再会を喜 びあった。アムロスとムツラルは内戦終結と ともに妊娠し、同時期に出産を経験した。家 族や故郷から離れた場所で出産や育児をする 中、女性兵士たちは姉妹のように助けあった。
二人の夫たちは戦後に政府軍に編入されて遠 隔地の基地に派遣され、夫婦はまた別居を余 儀なくされた。
戦後に反政府勢力の女性兵士は政府軍に編 入されず、武装解除と社会復帰プログラムが 進められた。二人は子供を抱えて社会復帰プ ログラムに参加した。アムロスは小学校に行っ たこともなく、20歳を過ぎて初めて教育の機 会を得た。元女性兵士たちは共同生活をしな がら5年をかけて高卒の資格を得た。その後、
二人は看護師養成プログラムに入り新しい時 代で生きていくための資格を獲得した。
内戦直後に撮影した戦闘服姿 のアムロス(右)。まだ顔に は幼さが残る。戦闘時代は髪 を伸ばすことは許されなかっ た。支給された戦闘服ももっ と簡素で、ゴム製サンダルで 岩だらけの山野を銃を持って 駆け巡った。
内戦終結後に、戦闘服を脱 いではじめてエチオピアの伝 統衣装を着た二人。髪もまだ 短く正式な編みこみができな かった。二人とも出産し、子 供の洗礼式には伝統衣装を 着て臨んだ。戦時から日常に 徐々に戻りつつある頃の写真。
社会復帰プログラム で開設された学校に は6000人の元女性 兵士が全国から集め られて5年間の教育 を受けた。
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エチオピア7 Field+ 2011 07 no.6 看護師として
看護師となり故郷ティグライ州に帰還する と、医師もいない農村の医療を担うために僻 地のクリニックに派遣された。長い復帰プログ ラムを終えてようやく迎えた新しい門出だっ た。女性の識字率や就学率がいまだに低い中、
看護師として故郷の復興に貢献できることを 二人は心から喜んだ。1998年にエチオピアと 隣国エリトリアの間で国境紛争が勃発し、ティ グライ州は再び紛争の前線となった。戦場に 派遣された政府軍兵士の夫を心配しながら、
二人も戦場の後方で負傷兵の治療にあたった。
辺境の医療や戦場の後方支援のために働く 中、アムロスとムツラルは看護師として更な る教育や訓練を受ける必要を感じ始めた。二 人は正看護師の資格を得るため、元女性兵士 の友人たちと共に寮生活をしながら看護学校 に通い始めた。子供とも日曜にしか会えず、
医療訓練漬けの1年であった。苦しい訓練を終 えてやっと正看護師の資格を得た彼女たちで あるが、その後政府から長らく仕事を与えら れなかった。正規の看護学校を卒業した若い 世代がティグライ州内の医療職を担い始めて いた。「元女性兵士」に対する偏見が一部で根 強く、再就職の壁になっているという噂もあっ た。10代から戦場で家族や友人、故郷のため に戦い、復興の過渡期にも農村の医療を支え たのに、高度医療の訓練を受けながらも働く 機会が失われたことに看護師たちの落胆は深 かった。彼女たちは仕事の斡旋を求めて役所 を回った。1年以上も仕事がない中、同じライ フコースをたどってきた看護師たちは互いに
支えあい、励ましあって苦しい時期を乗り越え た。政府がようやく彼女たちに提案した職場 は、隣州の辺境の医療ポストであった。故郷 のために戦ってきた彼女たちは、故郷からま た離れなくてはいけない境遇に嘆きながらも、
生活が苦しいものから子供を親戚に預けて辺 境の職場にむけて出発した。
元女性兵士でも教育プログラムだけ受けて 故郷に戻り結婚したものも多い中、看護師た ちは様々な制約を乗り越えて自らの可能性と 能力を故郷のために活かそうと努めてきた。
隣州に派遣された看護師が、最近やっと医療 施設が増設されたティグライ州に帰還し始め た。ムツラルは州都メケレの病院に職を得た。
兵士である夫は出世して大佐の地位にある。
収入の点ではもう働く必要はないが、彼女は 看護師の職に誇りを持ち働き続けている。夫 の帰郷に備えて家の建設を始め、生活が落ち 着くと村から妹二人を高校に通わせるために 呼び寄せた。ムツラルと戦場でも、学校でも、
看護師としても共に歩んできたアムロスは、
故郷の村の病院に就職することを決めた。親 に黙って村をでた15歳の少女が、戦後に村に 新設された病院に正看護師として戻ることを 家族のだれが想像しただろう。今では村で一 番信頼される看護師である。彼女たちは看護 師の職を通じて女性の保健・医療の改善や村 の女子の就学率向上のための活動にも取り組 んでいる。
* * *
元女性兵士の中には、戦後に閣僚や国会議 員となり脚光を浴びたものもいる。他方で、
内戦時代から常に最底辺で故郷の解放や復興 を下支えしてきた彼女たちのことはほとんど 知られていない。決して平坦でも華々しくもな い人生だが、二人は自分たちが歩んできた道 を誇りに今日も病院で働いている。
病院で働く二人。医師不足の中で看護師 が担う職責は非常に重い。識字率も低い 農村では、母親を対象とした母子保健、
HIV/AIDSの検査や予防などの分野で特に 看護師のきめ細やかな仕事が要求される。
戦後20年を経た現在、二人の笑顔には 看護師、母親、妻としてしっかりと道を 歩んできた誇りがみえる。女性兵士ひと りひとりの人生にそれぞれの戦後がある。
内戦は終結したが、それぞれの人生の中 で内戦や戦後の経験は息づいている。
故郷の村に帰ったア ムロスと母親、妹家 族。妹たちは村から 出たこともなく、姉 アムロスを頼りにし ている。母親もアム ロスの帰郷を喜んだ が、戦闘時代の話に なるとつらい記憶が よみがえるのか、口 をつぐんでしまう。
ティグライ州
アディス・アベバ エリトリア